2013年12月27日金曜日

俳句Gathering vol.2

12月21日(土)、神戸・三宮の生田神社会館で「俳句Gathering」が開催された。昨年の同じ時期にスタートしたイベントの第2回目になる。昨年の内容が盛り沢山だったので、今年はやや精選されて三部構成になった。

第一部のオープニングは、宅配アイドルとして関西で活動している「PizzaYah!」が登場した。昨年のメンバーのうち2人が卒業して新メンバーに入れ替わり、1人が休業中なので、4人によるステージである。
続く「5・7・5でPON!」は雑俳の一種である天狗俳諧を現代風にアレンジしたもの。紅白2チームに分かれ、1チームは3人。それぞれが上5・中7・下5を別々に作り(お互いが何を作ったかわからない状態)、そのあとで披露する。第1試合は紅チームに岡田由季・松本てふこなどの俳人、白チームに榊陽子・樋口由紀子の川柳人などが選ばれて登壇(あとの方はお名前が分からなくて失礼)。紅チーム「ほろ酔いの血が騒ぎをり冬帽子」、白チーム「着ぶくれてたい焼き食べる一部分」で紅チームの勝ち。第2試合には吹田東や洛南などの俳句甲子園でおなじみの高校生が登壇した。

第2部はクロストーク「俳句vs川柳~連句が生んだ二つの詩型~」で、小池正博・小池康生のW小池による対談と連句実作のワークショップ。
日本の短詩型文学は、和歌から連歌が生まれ、俳諧の連歌(連句)の発句から俳句が、平句(前句付)から川柳が派生してゆくというふうに、すべて連動している。
パワーポイントを使った説明のあと、連句実作に移る。Gatheringの実行委員会のメンバー+W小池であらかじめ歌仙の表六句を巻いておいたので、裏の一句目から始めることにする。捌き手は小池正博。前句「飛び込み台に飛び込めずいる」に対して、会場から即座に12句が集まる。候補作は次の3句。

(付句案1)旧姓に戻りハワイに旅立ちぬ
(付句案2)隣国で死刑執行されたらし
(付句案3)くっきりと海水パンツ日焼あと

付句案1は前句の「飛び込めずいる」という心理的状況から、離婚してハワイに旅立つという具体的な姿を詠んで、一つの決断をした局面を付けている。
付句案2は時事句を詠んでインパクトがある。
付句案3は夏の季語をいれて前句の「飛び込み台」によく付いている。
前句との適度な距離感がある付句案1が選ばれる。

 飛び込み台に飛び込めずいる
旧姓に戻りハワイに旅立ちぬ

今度はこの前句に対して七七の付句を付ける。20句が集まった。みなさん即吟がお得意である。当日の会場では披露できなかったが、付句案を少し紹介しておこう。

(付句案1)ピアスをひとつなくしてしまう
(付句案2)百恵命とかけるレコード
(付句案3)冷蔵庫にはマヨネーズだけ

付句案1はピアスという持ち物を詠んで具体化している。
付句案2は山口百恵という固有名詞を出し、音楽に転じている。
付句案3は「冷蔵庫」(夏の季語)という物に焦点を当てることによって、場面を巧みに浮かび上がらせている。
付句案3が選ばれる。

旧姓に戻りハワイに旅立ちぬ
 冷蔵庫にはマヨネーズだけ

さらにこれを前句にして付句を求めたところ14句集まった。
選ばれたのは「夏帽をとらぬまま言ふさやうなら」の句。ただし、私は新かな派なので、新かなに直して採用させていただいた。

 冷蔵庫にはマヨネーズだけ
夏服をとらぬまま言うさようなら

あと、「制服を被せて仕舞ふ指人形」という句があって、一句独立の句として魅力的だが取れなかったのが気になっている。
ここまでを発句からまとめて紹介しておく。式目などの障りがあるかもしれないが、責任はすべて小池正博にあるのでご容赦願いたい。

秋涼し白き団子に歯を立てり     仲里栄樹
 若き言葉に揺れるコスモス     小池正博
月の夜に楽器いくつも遊ばせて    黒岩徳将
 真空管の重たきことよ    仮屋賢一
投げ込んでだれかに届くボトル瓶   久留島元
 飛び込み台に飛び込めずいる    小池康生
ウ(裏)
旧姓に戻りハワイに旅立ちぬ     岡本信子
 冷蔵庫にはマヨネーズだけ     下山小晴
夏服をとらぬまま言うさようなら   松本てふこ

第3部の句会バトルは昨年と同形式のアイドルと芸人グループによる対戦。芸人グループが昨年のリベンジのため挑戦状をたたきつけたという体裁をとっている。
紅チームのアイドルグループPizzaYah!は活動中の4名に休業中の1人が加わって5名。
対する芸人チームは遠藤朗広ほか男性4名に秘密兵器と称する女の子が加わって5名。俳句甲子園形式で五回戦を戦う。審査員は杉田菜穂・小倉喜郎・松本てふこ・きむらけんじ・三木基史の5名。昨年は4-1でアイドルが勝ったが、今年は3-2の接戦で芸人グループのリベンジは果たせなかった。

最後に席題「雪」の投句に対する審査・表彰と閉会式。
審査員は塩見恵介・津川絵理子・中山奈々の3名。
徳島から参加の連句人・俳人の梅村光明が大賞を受賞。
午後1時半にスタートして6時過ぎまでかかって閉会した。

以上、メモをきちんと取っていなかったので、不完全なレポートになってしまったが、詳しいことは主催者側のブログなどでいずれ発表されることだろう。
このイベントは俳句に興味をもつ人の裾野を広げたいという趣旨のようで、俳人だけを対象にしたものではない。アイドルを呼んだりするのもその一環だろうが、俳人以外の人たちをどれだけ呼び込めたのかは主催者の分析に待ちたいところだ。俳句甲子園のOB・OGや現役の高校生たちも参加していたが、若い世代にターゲットを絞っているのなら、逆に40代以降の人たちが参加しづらくなる。参加者の層が一定している俳句シンポジウムや川柳大会なら話は簡単なのであって、こういう不特定多数を対象とするイベントはむつかしいものだと思った。私自身にとっては俳句甲子園の現役高校生の顔を何人か覚えることができてよい経験になった。

年末、俳句・川柳・連句の諸誌がけっこう届く。
名古屋で発行の連句紙「桃雅懐紙」が60号を迎えた。年4回発行で15年になる。代表(杉山壽子・青島由美男)の挨拶文に「そんな中で考えていましたことは、どのようにして会員を紙面に参加して貰うかでした。毎月の連句興行とは別に、俳諧のテーマについて全員で楽しみあう、ない知恵をしぼるのは、違った意味で楽しみでもありました」とある。
「現代川柳・点鐘の会」(墨作二郎)の年間合同作品集『点鐘雑唱』発行。
『ノエマ・ノエシス』25号、緊急執筆として高鶴礼子が「鶴彬を二度ころさないために―特定秘密保護法案に思う」を書いている。
来年も短詩型文学が実りのある年であってほしい。

1月3日はお正月休みをいただきます。次回は1月10日にお目にかかります。

2013年12月20日金曜日

今年の10句

今年も残り少なくなった。
1年間を振り返って、印象に残っている10句を選んでみた。
今年の10秀というような大げさなものではなく、私にとって愛着のある句を選んでみた。

銅像になっても笛を吹いている     久保田紺 (「川柳カード」3号)

分かりやすい句のように見えるが、よく読んでみると味のある作品である。
まず「銅像」に対する批判や揶揄と受け取れるのは、「笛吹けど踊らず」ということわざがあるからだ。銅像になってもまだ笛を吹いている人物に対するからかいである。
けれども「笛」という楽器がとても好きな人物だったとすると、銅像になってからも好きだった笛を手放さない世俗を超越した姿が思い浮かんでくる。
いずれにせよ、人間を見る目が厳しく裁いているのではなくて、ペーソスを感じさせるものとなっている。

着地するたび夢精するオスプレイ    滋野さち (「触光」34号)

政治批判を句にすることはけっこう難しい。状況の表面だけをなでるにとどまってしまうことが多いからだ。
この句は時事句の中でも射程距離が深いところに届いているように感じた。
「オス」という言葉の連想から、擬人化や狂句のように受け取る向きもあるかも知れないが、狂句に仕立てるなら作者は別の表現をとるだろう。凌辱する側の姿を冷徹に描くことによって、凌辱される側の痛みが伝わってくるのだ。

あんたこそ尾崎漁港のシャコである    井上一筒 (「川柳カード」4号)

川柳は一人称または三人称を使うのがふつうだが、たまに二人称を用いた句がある。
「あんた」は読者個人でもあり、人間一般とも受け取れる。
けれども「あんたこそ」と言われると、自分のことを言われているのかとドキリとする。そういう押しつけがましさがこの句にはある。
尾崎漁港は大阪府阪南市にある。釣り場としても有名のようだが、本当にシャコがとれるのかは知らない。

美容院変えた訳など語ろうよ    草地豊子 (「川柳カード」4号)

女性にとって美容院は行きつけの店があるから、そんなに簡単に変えることはないだろう。
谷崎潤一郎の『細雪』に世話好きの美容師(女性)が出てくる。蒔岡家の四姉妹のうち三女の雪子の見合い話を持ち込んでくるのが、行きつけの美容師である。美容院が混んでいるときなどは、ちょっと急ぐからと言って順番を早めてもらったりするのだが、見合いのために上京したとき、東京の美容院ではこの手が通用しなくて長時間待たされるエピソードがある。
この句では、何かの事情があって美容院を変えたのである。ちょっとした感情的な行き違いがあったのかも知れないし、気に入らない髪型を押し付けられたのかもしれない。その訳を女友だちに語っている情景は彷彿とする。
たぶん、こういう状況は美容院に限らない。それまでの習慣や考えを変えたくなるときがあるのだ。
「流される様に出来てる参議院」「この国は高野豆腐が搾れない」など草地豊子には批評性に満ちた作品も多い。

おばあさんがこねこねすると面子が揃う  内田万貴 (「川柳木馬」138号)

おばあさんは何をこねこねしているのだろう。それが何であるにせよ、おばあさんが何かをすると仲間が集まってくる。集まってくるのはおばあさんたちかも知れないし、おじいさんかも知れないが、世代を越えた人々が揃うのかも知れない。このおばあさんにはそういう力がある。
堺利彦は「川柳木馬」の句評で「解らないけど面白い」句として取り上げている。

おとうともあにも羊でつまらない   松永千秋(「井泉」54号)

作中主体は誰なのだろう。弟も兄も羊なのだから、語り手も羊のようだが、羊以外のものが語っているのかも知れない。
羊をメタファーとして読むのではなく、何か別の存在になりたいあるときの心情を表現したものと受け取れる。

音ひとつたてずに人をとりこわす     佐藤みさ子(「MANO」18号)

佐藤みさ子は宮城県在住。
東日本大震災をテーマに詠んだ句のひとつである。
ベースにあるのは作者の怒りであるが、静謐な表現が逆に怒りの深さを伝えてくる。

蒲団から人が出てきて集まった     樋口由紀子 (「川柳カード」2号)

毎朝、人は蒲団から出てきて一日の活動を始める。ごく普通のことだが、この作者が詠むと当たり前のことが当たり前でなくなり、ある違和感をもって伝わってくる。
それぞれの蒲団からそれぞれの人がぞろぞろと出てきて、何かのために集まったのである。改めてイメージしてみると、人間とは変なものである。

冬鳥がいるいる痛くなるほどに   広瀬ちえみ (「川柳カード」2号)

冬はバードウォッチングのしやすい季節である。
夏は葉蔭に隠れているので鳥が見つけにくいが、冬は木の葉も落ちて鳥の姿がよく見える。特に水鳥は池や川に大量に浮かんでいるので、目にしやすい。
この句はたぶん水辺の鴨たちの仲間を目にしたのだろう。

ヒトラーユーゲントの脛毛にチャコはすがりつく   山田ゆみ葉 (「川柳カード」4号)

先週紹介した、チャバネゴキブリのチャコを登場させたキャラクター川柳のひとつ。
「キャラクター川柳」という名称は大塚英志の『キャラクター小説の作り方』にヒントを得て使っている。
ワイマール共和国がヒトラーの第三帝国へと変質していった歴史をチャコは思い出させてくれる。

2013年12月13日金曜日

チャバネゴキブリのチャコ―山田ゆみ葉の川柳

「川柳カード」4号が11月末に発行された。昨年の同時期に創刊されてから一年が経過。巻頭言で樋口由紀子は歌人・笹井宏之の『八月のフルート』を紹介し、同歌集を出した書肆侃侃房による新鋭短歌シリーズについて触れている。このシリーズはあちこちで取り上げられていて、若手歌人たちの作品を短詩型文学の読者に届ける役割を果たしている。
「新鋭短歌シリーズのような叢書を川柳でも生みだしていけないだろうか」と樋口は言うが、そのような企画を実現することは来年に向けての夢だろう。

4号は9月28日に大阪・上本町で開催された「第2回川柳カード」大会の発表誌でもある。昨年の第1回大会にはゲストとして池田澄子を迎え、樋口由紀子との対談が好評であった。今回の佐藤文香と樋口との対談については、以前にこの時評(10月18日)でも紹介したことがある。

同人は23人。書こうとしている世界は一様ではなく、ポエジーもあれば社会批判もあり、各人が目指しているところは異なるが、現代川柳の多様な書き方が見てとれる。
特集「女性川柳人が読む女性川柳作品」では樋口由紀子・清水かおり・広瀬ちえみの三人を、それぞれ山田ゆみ葉・山下和代・酒井かがりが論じている。

12月8日、本号の合評会が開催され、同人・会員13人が集まって、掲載作品について話し合った。同人誌を出せば合評会を開催するのは当然だろうが、回数を重ねるごとに参加者も合評ということに慣れてきたようだ。
同人・会員作品に連作が増えてきている。選者の選を受ける場合は10句の構成を考えて出句しても、選句によってズタズタになってしまうことがあるが、本誌の同人作品のように10句そのまま掲載される場合には、作者の意図が伝わりやすい並べ方をすることが可能だ。そんなこともあって連作が増えてくるのだろうが、成功する場合もあり、それほど成功していない場合もある。連作といっても読者の印象に残るのはそのうちの1~2句なので、単独作10句を並べた方が読者の印象に残る屹立した句になることもある。
連作には様々なものがあって、同一単語を用いた連作、同一文体を用いた連作、同一素材や同一テーマを用いた連作などが考えられる。
俳句における連作は日野草城の「ミヤコホテル」や富澤赤黄男の「ランプ」などが有名である。いま活躍している俳人の中では関悦史の句集『六十億本の回転する曲がった棒』などが思い浮かぶ。
それでは川柳の連作はどのようなものであろうか。
『現代川柳ハンドブック』(雄山閣)の「連作」の項には次のように書かれている。
「連作形式というのは、複数作品による一テーマの多面的追及、もしくは一テーマによる連続作詠であり、それぞれの単句が独立した内容をもっている。独立句としての一句一章が、同時に行間をへだてて響き合い、交感し合って、全体的なハーモニーを奏でつつ、ひとつの作品世界を展開するのが連作表現である。連作は明治の新川柳以後試みられるようになった。ただし短歌、俳句のそれとはおのずから性格を異にしている。作品間の有機的なつながり、並列効果による内容補完という表現形式としての性格は、川柳においては希薄であり、同テーマに寄り添った独立句の一群を連作と称する場合が多い」

ここでは連作の例として、鶴彬の「蟻食い」(昭和12年)を挙げておく。

正直に働く蟻を食うけもの
蟻たべた腹のへるまで寝るいびき
蟻食いの糞殺された蟻ばかり
蟻の巣を掘る蟻食いの爪とがれ
やがて墓穴となる蟻の巣を掘る蟻食い
巣に籠る蟻にたくわえ尽きてくる
たべものが尽き穴を押し出る蟻の牙
どうせ死ぬ蟻で格闘に身を賭ける
蟻食いを噛み殺したまま死んだ蟻

「川柳カード」4号に話を戻そう。本号には連作が何篇かあるが、山田ゆみ葉の「平成の少国民」を取り上げて見たい。

かつてチャコも立派な妲己だったのに
悪い予感を引き寄せチャコはまだ茶バネ
紅衛兵なま温かい水を吐く
紅衛兵もチャコもしゃらしゃら硫酸紙
わにーんわにーんと出動すれば鉤十字
ヒトラーユーゲントの脛毛にチャコはすがりつく
入り組んだ輪ゴムで動く少国民
少国民もチャコも鍵盤のうす黄色
くぐもったチャコの熾火の息遣い
1ミリの時空のズレを掴むチャコ

2句目で「チャコはまだ茶バネ」と言っているから、チャコはチャバネゴキブリなのだろう。チャコは時空を越えて飛びまわる。一種の「狂言回し」の役割を果たしている。
妲己(だっき)は古代中国の悪女である。殷の紂王の妃だったから、権力者の傍らにはべっていたのだ。酒池肉林のエピソードなどで有名である。それが今はゴキブリとなって走り回っている。
チャコは時空を越えて文化大革命期の中国に現れる。紅衛兵の一団に混じっているのだ。「しゃらしゃら」「わにーんわにーん」というオノマトペが何とも言えず、意図的に読者の神経を逆なでする。
ハーケンクロイツと言えば、もちろんナチス・ドイツ。ここではチャコがヒトラーユーゲントの脛毛にぶらさがっている。
日本にもかつて少年少女が「少国民」と呼ばれた時代があった。小学校を国民学校と呼び変え、そこで学ぶ小学生を「少国民」と呼び、軍国主義日本の予備軍として教育した。
山中恒の『おれがあいつであいつがおれで』は大林宣彦監督の映画「転校生」の原作となったことで知られているが、その山中に『ボクラ少国民』シリーズがある。かつて国民学校で教育された山中は「少国民」とは何だったのかにこだわり問い直し続けている。少国民はヒトラーユーゲントをわが国に当てはめたものだとも言われる。
こうして見てくると、この連作はチャバネゴキブリというキャラクターを設定した「キャラクター川柳」なのである。
「キャラクター川柳」としては、これまで渡辺隆夫による「亀れおん」「ベランダマン」などがあった。渡辺の場合も強い諷刺精神がベースにあったが、今回の山田ゆみ葉も川柳の批評性をベースにしながら、チャコというトリックスターを創始したところが興味深い。批評性は単独では標語や見出しのようなものなってしまって、成功しないことが多い。山田は批評性とキャラクター川柳を結びつけることによって、新たな可能性を切り開いている。チャコは今後もさまざまな地域と時代に出没し続けることだろう。

2013年12月6日金曜日

ゆく川の流れは絶えず―川柳誌逍遥

短歌誌「ES」26号が発行された。今号の誌名は「マナ」である。マナ(manna)とは旧約聖書で神が天から降らせた食物で、カナンの地に着くまでの40年間、イスラエルの民の命をつないだという。マナ(mana)という超自然の呪力をあらわす別語もあるらしい。短歌にはこちらの方が関係深いかもしれない。
江田浩司は次のように書いている。

「飢えることを知らないことと、飢えることをしっていることのどちらがより幸福なのだろうか。言うまでもなく、飢えることを知らないことであると誰もが思うだろう。飢えることのない生活が一生続けば、これほど穏やかな生涯はなく、そこに贅沢を追い求めなければ、静かな幸福がもたらされるだろう。
しかし飢えることを知らない人には、飢えないことの本当の意味はわからない。飢えることを知らなければ、飢えないことの悦びを味わうことはできない。
天からマナが降って来るのは、飢えることを本当に知っている者のみのところではないだろうか。そして、天から降るマナが詩歌としての悦びを分かち与えてくれるのは、飢えることを怖れず、むしろ、飢えることの中に生きることの真の意味を見いだす者に対してではないかと思われるのである」

飢え求めているものにこそ詩歌の悦びが天啓として与えられる、と江田は言っているようだ。神からのマナを与えられることの少ない川柳の場合はどうだろうか。高齢化や財政難などの様々な理由で、終刊してゆく川柳誌も多い。
「水脈」35号の巻頭に新井笑葉が〈「原流」の軌跡〉を書いている。
北海道の旭川市で発行されていた川柳誌「原流」は、昭和61年1月に創刊、今年の5月(通巻224号)で終刊した。その間に掲載された作品のいくつかを新井の文章からピックアップしておく。

風邪を引くのは横着な猿だ           京野弘
一徹がまだ続いてる死者の硬直         新井笑葉
戦争はいやだと乳房だから言える        進藤一車
詩を書かなくなったバーテンがいる 秋の酒場  大島洋
ニワトリが産みつづけているのは他人      浪越靖政

第1回原流大賞の際に、選者のひとりだった曲線立歩(きょくせん・りっぽ)が特選該当作品なしにしたエピソードが印象に残る。曲線立歩は新興川柳期からの長い柳歴をもち、句集『目ん玉』を残して平成15年に亡くなった。私の愛惜する川柳人のひとりである。
「川柳界の高齢化。一人の柳人が複数の柳社に所属して補われている現実。もはや数の論理から質の論理へ移行する時代に来ている」と新井は締めくくっている。

新しく誕生する川柳誌もある。
熊本市で「川柳裸木」が創刊された。編集・発行人は、いわさき楊子。「裸木」は「らき」と読ませるようだ。この雑誌はメール句会を母体としている。「@くまもとメール川柳倶楽部@」が2年前に発足し、月2回のメール句会が10名ほどの参加で続けられてきた。
「手紙や電話、まして面と向かっては決して言えないメール言語世界が存在する。記録の蓄積もたやすい。あとで深夜に読み返して至福の時をもたらすこともある。この至福というのは作句のモティベーションとしては最高の条件だ」と、いわさきは述べている。
メール句会はクローズドな世界だが、それをオープンなかたちにしようと紙媒体の本誌が発行されることになった。作品をピックアップする。

混ぜるな危険原液のこどもたち     久保山藍夏
少しだけ幸せ遠慮して ずるい     前田秋代
わかってはいないなあんな笑い方    上村千寿
感じるな考えるんだ空燃える      川合大祐
さりげなく立っているのは難しい    阪本ちえこ
かなもちてととくこひふみちれつたゐ  北村あじさい
一堂に集まったのは峰不二子      樹萄らき
地獄絵が楽しそうにみえるのです    いわさき楊子

いわさきから新誌創刊の話を聞いたときは、誰が参加しているのか分からなかったが、川合大祐や樹萄らき(じゅとう・らき)など、以前「旬」で活躍していた人たちがメンバーに入っている。メール句会ではいろいろなつながりが生まれるものだ。
永田満徳、松永千秋などの句評が添えられているのも、作品を読む参考になる。
オープンにするということは批判にさらされることでもあるから、けっこうエネルギーが要るけれども、他者の視線を浴びることは必ず実作に反映してゆくものと思う。

時事川柳も少し紹介しておこう。
「触光」35号(編集発行人・野沢省悟)は野沢の評論集『冨二という壁』の書評を掲載している(枽原道夫)。ここでは渡辺隆夫選の「触光的時事川柳」からピックアップ。

消費税おんぶお化けに進化する    高瀬霜石
元総理もぐらの顔をぬっと出す    伊藤三十六
半世紀ケネディ女史の目尻皺     鶴賀一声

「日本経済新聞」の夕刊、田口麦彦の「現代川柳のこころ」がスタートした。現代川柳の入門講座である。毎週木曜日、4回連載の予定(12月26日まで)。

2013年11月29日金曜日

第16回俳句甲子園公式作品集

俳句甲子園について私はよく知らなかったのだが、今年は「川柳カード」の大会に佐藤文香を招いたり、「大阪連句懇話会」に久留島元に来てもらって俳句甲子園の話を聞いたりしたことがあって、けっこう関心が高まった。『第16回俳句甲子園公式作品集』が11月1日に発行されたので、さっそく注文して読んでみた。昨年の『第15回俳句甲子園公式作品集』が創刊号で、今年のは第2号ということになるらしい。全国大会だけでなくて、地方大会の作品も全作品が掲載されていて、このイベントの全貌がわかるものになっている。大会参戦記・大会観戦記もあって、200ページを越える立派なもの。発行は「NPO法人俳句甲子園実行委員会」。

夕焼けや千年後には鳥の国      青本柚紀

今回の最優秀賞を受賞した作品である。
優秀賞作品・入選作品からもピックアップして紹介する。

はちすから鳥が生まれてきたやうな  日下部太亮
親指を血はよく流れ天の川      吉井一希
太陽に指先触るるバタフライ     下楠絵里
花は葉に指は風切羽となる      西田龍史
原稿は白紙でみんみんが近い     河田将英
乱暴な私ゼリーのような君      尾上緋奈子
バカとだけ手紙に書いて雲の峰    皆越笑夢

言うまでもなく、これらはすべて高校生の作品である。「夕焼」「蓮」「指」「ゼリー」「紙」が兼題だったようだ。

巻頭言「俳句甲子園との出会い」で日野裕史(第16回俳句甲子園実行委員長)が次のように書いている。

〈俳句甲子園の歴史は俳句文化を軽んじているという非難や、誹謗中傷との戦いの歴史でもありました。「俳都松山」と謳われるほど多くの俳人を輩出し、俳句が盛んでありながら閉鎖的なこの街で、俳句甲子園が受け入れられるようになるには長い年月と、実行委員会の先輩方の地道な活動が必要でした。大会が始まって間もないころは仕事の合間を縫って愛媛県内のすべての高校を訪問し、大会参加のお願いをして廻ったり、地元の俳人に審査員の協力要請をしても誰も応じてもらえず、逆に松山の恥とまで非難されたこともあったそうです〉

9月に「川柳カード」の大会で佐藤文香の話を聞いたときに、俳句甲子園のようなイベントがあって、若い俳人が育っていることにずいぶん羨ましい思いをしたのだが、俳句甲子園が広く認知されて軌道にのるまでには、夏井いつきや松山青年会議所のメンバーの言うに言われぬ苦労があったわけである。
実際の運営はどのように行なわれているのだろうか。
黒岩徳将の「一般ボランティアの活動」がその一端を伝えている。

「俳句甲子園はOBOGスタッフだけでなく、多くの一般ボランティアの方に支えられています。」
「一般ボランティアとは、毎年春頃から募集され、大会一日目に活動するスタッフのことで、学校担当とタイムキーパーの二種類があります。学校担当は主に選手を誘導したり、試合中に短冊をめくったり、その日一日担当チームをサポートします。選手の入退場でプラカードを持っているのも、この学校担当スタッフです。タイムキーパーはストップウォッチで試合中の時間を計り、選手や観客にディベートの残り時間を伝える重要な役割をします」

この作品集に収録されている地方大会の記録にも旧知の名前がスタッフ欄に散見され、いかに多くの俳句を愛好する人たちがこのイベントにボランティアとして関わっているかがわかる。

「関西の俳縁」として「関西俳句会ふらここ」の対談が掲載されているのにも注目した。
黒岩徳将は「関西俳句会ふらここ」の運営もしている。関東では主な大学ごとに俳句会があるようだが、関西では単独の大学だけでは俳句会が成立しにくいようで、大学生や10代・20代の俳人や俳句甲子園のOB・OGを中心に「ふらここ」の活動をしている。通常の句会のほか、みんなで裁判を傍聴したあとに行われた「裁判句会」や、会議室が借りられなかったのでセンターの調理室を借りて焼きそばを作りながら行われた「料理句会」など、なんだか楽しそうだ。

関西発の俳句イベントとして、「俳句Gathering Vol.2」が12月21日(土)に神戸の生田神社会館で開催される。昨年に続く第2回目であるが、若手俳人だけでなく俳句に関心のある若い世代の人たちが集うエネルギーあふれる場として生成発展してゆくことを期待したい。

http://ameblo.jp/haigather/

2013年11月22日金曜日

突進せよ生たまご―松永千秋の川柳

短歌誌「井泉」54号(2013年11月)に、招待作品として松永千秋の「遊ばない」15句が掲載されている。他ジャンルの雑誌に川柳作品が掲載される機会が増えてきているが、「井泉」は以前から川柳に対して好意的である。
松永千秋は「川柳カード」の同人であり、彼女の作品は『現代川柳の精鋭たち』や『セレクション柳人18松永千秋集』などで読むことができる。

魂の半分ほどは売りやすし      松永千秋
私をきれいに洗うグレゴリオ聖歌
さくらさくらこの世は眠くなるところ
泡立草のはるか遠くのアッシリア

愛唱している句がいくつも思い浮かぶ。
松永千秋にまつわる次のエピソードを私はこれまで何度か引用したことがある。
川柳の大会で特選を取った作者は表彰のために前に出てゆく。喜びや誇らしさの表情で登壇する人が多いのだが、松永千秋は恥ずかしそうに迷惑そうに表彰状を受け取ると、そそくさと席に戻ってしまうというのだ。私ははじめて千秋に会ったときに、あまりにもこの話の通りであることにびっくりした。

さて、今回の『井泉』掲載作品は川柳人・松永千秋の実力を充分に発揮したものと思われるので、作品を紹介しながらコメントを付けてみることにしたい。

非常警報ひまわり一万本開く

非常警報に驚いて、ひまわりが1万本開いたのだろうか。
ひまわりが1万本咲いたので非常警報が出たのだろうか。
それとも、ひまわりが1万本咲いたことが自然の発した非常警報なのであろうか。
そういう因果関係と受け取ると作品がつまらなくなる。
斎藤茂吉の短歌に「たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花紅く散りゐたりけり」(『赤光』)というのがある。いわゆる茂吉難解歌のひとつで、戦いが上海で起こることと鳳仙花が紅く散ることに何の関係があるのかとよく問題にされる。
茂吉の歌は連句人にとって難解なところはひとつもない。
短歌の上の句と下の句との関係は、連句の発句と脇句のようなものである。戦争の句に対して花の句を付けるのは何も特別なことではない。
松永の作品はそういう議論も不必要でシンプルなものである。ぱあっと1万本の花が開いたイメージを楽しめばいいのだと思う。

パンドラの箱から洩れてくる洩れてくる

私は「ひまわり一万本」に喩を読みとらなかったが、この句には何かの意味を読みたくなる。「パンドラの箱」は意味性の強い言葉だし、「洩れてくる」の主語も意図的に隠されている。
パンドラの箱を開けたのはエピメテウスである。兄のプロメテウスが箱の中に閉じ込めておいたあらゆる厄災が世界中に飛び散った。その中には放射能も混じっていただろう。そういえばエピメテウスは「後から考える人」という意味だった。
太宰治に『パンドラの匣』という小説があって、映画化もされた。
「健康道場」と呼ばれる結核療養所で少年たちは次のように声をかけあう。
「やっとるか」
「やっとるぞ」
「がんばれよ」
「ようし来た」
そういえば、パンドラの箱には「希望」なんてものも入っていたそうだ。

カーテンを閉めろ鳥を鳴かせるな
夜を鳴かせろと宣う闇の王

読者はこの二句をセットとして読むことができる。
「鳴かせるな」「鳴かせろ」というのは正反対の表現だが、全く別のことを言っているようでもない。
北原白秋の短歌に「春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕べ」(『桐の花』)がある。鳥は家の外で鳴いているのか、家の中の鳥籠で鳴いているのか、などとよく問題になる。
掲出句でも鳥は室内にいるとも受け取れるし、戸外にいるとも取れる。
室内に鳥がいるのだとすると、鳥は闇に怯えて鳴いているのだろう。家人はカーテンを閉めて闇の力を遮断しようとするが、闇の力は浸透してくる。

壁に向かって突進をせよ生たまご

松永千秋の発想がよく表れている。
壁に向かって突進すれば卵は割れてしまうが、それでもいいのだ。
「南瓜よおまえ噴火してもいいんだよ」という句が千秋にあるのを思い出す。
掲出句は「南瓜よ」よりもっと激情的である。

母さんだよと青鷺がやって来る
母さんは絶えずたゆまず毛繕い

母さんが青鷺の姿でやってきた。子どもたちはどう挨拶すればいいだろうか。
それはきっと本当の母さんなのだろうが、どこか違和感がある。
絶えず毛繕いをしている母さんも人の姿ではないようだ。

母さんは絶えずたゆまず毛繕い
おとうともあにも羊でつまらない

今度はこの二句をセットにしてみる。
弟も兄も羊だという。
それでは毛繕いしている母さんは何だろう。

おとうともあにも羊でつまらない
ライオンだからだれとも遊ばない

羊が相手ではつまらないとしても、ライオンならおもしろいかというとそうでもない。
ライオンは羊と遊んでもよいだろうし、他のライオンと遊ぶこともできるだろうが、ここでは誰とも遊ばないと言っている。孤独なのか矜持なのか何だかわからないが、だれとも遊ばないという意志がある。「ライオンだから」という理由は、後付けしたような感じがある。
これらの句は一種の家族詠かも知れないが、通常の家族詠からは逸脱している。
家族を動物にたとえた比喩表現というのでもないだろう。
「遊ばない」15句は最後に次の句で終わっている。

あの世からこの世にやってきて ドボン   松永千秋

2013年11月15日金曜日

文楽11月公演「伊賀越道中双六」

国立文楽劇場で「伊賀越道中双六」を見た。東京では9月に国立劇場で上演されたもの。「奥州安達原」「妹背山婦女庭訓」などで知られる近松半二の最後の作品と言われている。文楽でも歌舞伎でも「沼津」の段だけが上演されることが多いが、通し狂言となるのは大阪では約20年ぶりである。前回の平成4年4月のときも見た記憶があって、「通しで見るとこういう話だったのか」と思った。今回見たのは第一部(鶴が岡の段~沼津・千本松原の段)だけである。
大序「鶴が岡の段」は20年前には省略されていたので、今回はよくわかった。
和田志津馬は八幡宮の警護役の最中にもかかわらず、傾城瀬川と逢引をし、酒まで飲んで失態を演じる。和田家に伝わる名刀を狙う沢井股五郎のはかりごとによるものだ。とはいえ、志津馬というのは意志の弱い青年である。酒と女。志津馬とはこういう人物だったのか。「忠臣蔵」の勘平が「色にふけったばっかりに」と嘆くのと同じパターンで、良く言えば青春性なのであろう。
日本三大仇討というのがあって、渡辺数馬(「伊賀越」では和田志津馬)が荒木又衛門(唐木政右衛門)の助太刀によって河合又五郎(沢井股五郎)を伊賀の「鍵屋の辻」で討った「伊賀越の敵討」は有名らしい。幕府の禁制があって人形浄瑠璃では史実をそのまま書けないので、「後太平記」の時代に設定し、室町時代の話にしている。いわゆる「世界」を定めるのである(「世界」と「趣向」については『セレクション柳論』をお手元にお持ちの方は鈴木純一の「一寸先へ切りかくるなり」を参照されたい)。
「和田行家屋敷の段」で沢井股五郎は志津馬の父を殺害する。続く「円覚寺の段」では、沢井は従兄弟の沢井城五郎にかくまわれるが、ここで二つの陣営の対立がはっきりする。城五郎は足利将軍家直属の家臣である昵懇衆、殺害された和田行家は上杉家の家老だった。江戸時代の史実でいえば旗本と大名との対立となる。二つの陣営・立場にいる人々が義理のためにそれぞれ股五郎・志津馬に味方することになるので、股五郎方の人々がすべて悪人という単純な構図ではない。
「唐木政右衛門屋敷の段」は、いま郡山藩に仕えている政右衛門の屋敷が舞台である。
お谷は和田行家の娘で志津馬の姉であるが、政右衛門と駆け落ちしたために行家から勘当されている。そのような恋女房のお谷を政右衛門は突然離縁し、しかも、今夜は後妻を迎える準備をしている。
政右衛門はなぜお谷を離縁するのであろうか。
お谷の親代わりである五右衛門が抗議にやってきたのに対して、政右衛門は離縁の理由を「飽きました」と言い放つ。
これには何か訳があるに違いないと思って観客は舞台を見ている。
歌舞伎でも文楽でも「実は…」というパターンが基本構造である。表面で行なわれていることには必ず裏があり、登場人物の言動には隠された意図がある。「肚(はら)」に何かがあるのだが、それを表面に見せてはいけないのだ。そういう約束で芝居が成立していて、この二重構造が観劇の楽しみでもあるのだ。
近松半二の時代になると観客はすでに単純な構成では納得しなくなっていた。芝居の作者は捻ったり捩じったり様々な趣向をこらして「実は…」の世界を仕立てあげたのである。
何度かこの演目を見ている観客であっても興味をもって観劇することができるのは、その二重性を知りつつも眼前に繰り広げられる光景に感情移入できるからだ。
花嫁はお谷の妹・おのちであった。勘当されたお谷の父親は唐木政右衛門にとって赤の他人であって、このままでは仇打ちに参加できない。正式の婿となってはじめて舅・和田行家の敵討ができるのである。

川柳もまた近世文学の土壌の上に成立している。
「一読明快」などという川柳観がいかに浅いものであるかが分かるだろう。
『柳多留』初編の巻頭句を引用してみよう。

五番目は同じ作でも江戸産れ

改めて引用するのも気がひけるくらい有名な句である。
果たしてこの句がわかりやすいだろうか。
何が五番目なのか、江戸産れとはどういうことなのか。読者の予備知識や謎解きを前提として作られている句である。当時、「六阿弥陀詣で」というものがあり、行基作といわれる阿弥陀像を拝するためにお彼岸の時期に六つの寺を巡礼した。他の五寺は江戸の郊外にあったが、五番目の常楽院だけが江戸府内にあった。江戸人にはそれがすぐわかったのだろう。
ここでは一句を読むスピードと一句を理解するスピードに差が生まれる。一読明快とは一句を読むと同時に一句が理解できるということである。「読み」即「理解」なのである。けれども、一句を理解するためにはその句の前で立ち止まることが必要だろう。一句が喚起するものは時間をかけて読むことによってはじめて立ち上がってくるような、そういう作品もあるだろう。

短歌誌「井泉」54号のリレー評論のテーマは〈作品の「読み」について考える〉である。
島田幸典は「書かれぬものを読む、ということ」の冒頭で次のように述べている。

「歌は短い。散文的な情報量はごく限られている。にもかかわらず、われわれは歌会や雑誌の月旦、評論その他において、一首について饒舌に語る。語ることができる。
 それは情報として明示的なかたちでは表出されない部分を読むからである。勿論、的を外した深読みは興ざめだが、それでも歌を読むことには、書かれたことを手掛かりとして、そこから書かれぬことを、すなわち(含み)を掬いとる作業を伴う」

また、同じテーマについて加藤ユウ子は「わかるのにわからないは深い」という文章を書いていて、次の三首が引用されている。

瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり   正岡子規
赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり     斎藤茂吉
おじさんは西友よりずっと小さくて裏口に自転車をとめている   永井祐

これらの歌について加藤はこんなふうに言うのだ。
「三首とも、言葉で写生されたことが、あまりに当たり前の些細なことだから、かえって詩を探そうとすると戸惑いを感じる。しかし、わかるのにわからないと言う読みの屈折が、歌の世界に深く踏み込みたいという読みのエネルギーに変わるから不思議だ。こういう読みのエネルギーが何か深いものを捉まえた時が最高だ。わかるのにわからないは深いのだ、愉しい感慨だ」

先週このコーナーに書いた「わかる」「わからない」「つまらない」「おもしろい」の基準と関連して興味深い指摘だと受け止めた。文脈は異なるが、「わかるのにわからない」とは川柳でいわれる「平明で深みのある句」と似たようなことを言っているのかと思う。

2013年11月8日金曜日

解らないけれどおもしろい

「川柳木馬」138号(2013・秋)の「木馬座鑑賞」、堺利彦が8ページにわたって作品評〈解らないけれど「面白い」〉を書いている。
堺は「解るけれどつまらない」「解らないけれど面白い」の二つを対比しながら、「木馬座」(同人作品)を取り上げてゆく。たとえば次のように(それぞれ、上の句が解る句、下の句が面白い句である)。

ふる里の仁淀ブルーが湧いてくる    河添一葉
海底のワカメになっていくわたし

「清流で有名な仁淀川の透明なブルーは、きっと素晴らしいのでしょうね。そのお気持ちはよく解りますが、その事実以上の広がりは残念ながら僕には湧いてきません」
「前掲句に引き替え、この句はとても〈面白い〉持ち味が出ています。かつての明治期の新傾向川柳の〈眼のない魚となり海の底へとも思ふ 中島紫痴郎〉のような深刻な捉え方を軽やかに超えて、現代人の〈浮遊感〉が見事なまでに表現されていると感心しました」

目くばせの果ては唇セロテープ     桑名知華子
鬼灯になるピーマンの計画書

「〈喩〉を駆使した表現は、これまで川柳が開拓した貴重な財産ですが、もう一味、味付けをする工夫を重ねるとまた別の相貌が表れてきて面白みが増すのではないかと思われます」
「ひそかに『鬼灯』になってやるぞという目論見は、誰にも知られないような自分一人のひそかなプランを温めているわけですが、その『計画書』の中身が読み手にとってあれこれと想像する楽しみが残されていて、ついついひとり笑いしてしまうのです」

堺の文章を私なりに敷衍すると、句評の基準には次の4パターンがあることになる。

①解るけれどつまらない
②解っておもしろい
③解らなくてつまらない
④解らないけれどおもしろい

ここで問題となるのは①と②の差、③と④の差はどこにあるのかということである。
もちろんこれには〈読者側の問題〉があるだろう。
〈解る〉〈解らない〉という範囲は読者によって異なる。誰にでも解る句というものがあるかも知れないが、川柳が十七音の形式である以上、ある種の省略がおこなわれるのは避けられないことであり、使われている言葉や素材に対する理解も読者の経験や年齢によって異なる。また、川柳作品を読み慣れている読者と、一般的に文芸を愛好している読者とでは受け止め方が違うことも考えられる。ここではそういう問題は保留にして一般的に考えてみたい。

まず、①と②について検討してみよう。
①はどのような句なのかについて、堺は「説明句」(単なる説明に終始している句)、「報告句」(事実や情景の報告だけで終わっている句)、「道句」(倫理臭がぷんぷんしている句)、「新鮮味のない文体の句」などを挙げている。
これまで川柳は〈一読明快〉などと言われ、誰にでもよく意味が分かるように作るべきだと言われてきた。けれども、それは〈解ること〉が自己目的なのではなくて、何を解るか・どのように解るかということが問題なのだろう。
もうタイトルは忘れてしまったが、チェーホフの短編に次のような人物が登場する。彼の言うことは誰でも知っていることばかりで、独自の意見とか新しい見方などは何一つ言わないので、周囲の人間はうんざりして、彼の言葉に耳を傾けようとしないのである。
よく解るけれど退屈な川柳を読むたびに私はチェーホフの短編を思い出し、こんなふうに心の中で呟くことにしている。

「雨の降る日は天気が悪い」

それでは、②解っておもしろいというのはどのような場合だろうか。
「ふらすこてん」30号に筒井祥文が『番傘一万句集』より抜粋をしている。たとえば、次のような作品である。

ネット裏打ちたいような球がくる    天明
ボクサーになれと育てた親はなし    散二
大阪をまだ歩く気の登山服       波濤
びわ湖からモロコ一匹釣りあげる    散二
日帰りの客を見おろす泊り客      黙平
主人が世話になりましてと憎み合い   純生
たとえばのたとえからして腹がたち   狂雨
素人に貸すのこぎりはないという    甲馬
内科でもかまうものかと担ぎ込み    由紀彦
6俵を321と積み上げる       日本村

これらの句は現在読んでも私にはおもしろく感じられる。
ユーモアであったり、川柳眼を感じさせたり、ほんのちょっとしたプラスαなのだけれど、これはおもしろいと感じさせる何かがこれらの句にはある。「平明で深みのある句」とは川柳の理想だろうが、「深み」というより「浅み」とでも言うべき、深刻にならないおもしろさがあるように感じる。
ただ微妙なのは所謂「あるある句」である。
うん、そんなことがあるあると納得するような句は「膝ポン川柳」と呼ばれる。
①のレベルの句を②だと受け取ってしまうことはしばしばあるので、読みや選句能力を鍛えてゆくことが必要となる。

最後に③と④の違いについて検討してみよう。
堺が④「解らないけど面白い」の例として挙げているのが次の句である。「 」は堺の句評である。

遠近法 どきどきしてると線になる    高橋由美

「今回のテーマ『解らないけど面白い』にぴったりの句。どこが『面白い』のかということは、なかなかうまく説明はできませんが、『どきどきしてると線になる』という表現が、この句全体の一句が、不安感を抱え込んでいる現実の生活と密着感があって、言外に立ち上がってくる一つの物語を表徴していると思うのです」

おばあさんがこねこねすると面子が揃う  内田万貴

「今号の『解らないけど面白い』のテーマの最後を飾るのに会い相応しい内田万貴さんの句です」

さて、③「解らなくてつまらない」と④「解らないけどおもしろい」の違いはどこにあるのだろうか。これが最大の難問であって、このような問いを立ててしまったことを正直に言って私は後悔している。
ただ、読み手の心理から言えば、句を読むときのスピードが多少これに関係しているかも知れない。
①「解るけれどつまらない句」に対して読者は即座につまらない句として読み捨てる。
②「解っておもしろい句」に対して読者は即座におもしろい句として印象にとどめる。
「解らない句」に対して読者はその句の前で「立ち止まる」。その句には何かがあるのかもしれないが、さしあたり自分には解らない。読者はこれまでのさまざまな読句経験に照らしあわせて、その句についてあらゆる角度からアプローチを試みるだろう。けれども、ついにその句が自分にとって無縁なものと感じられるとき③「解らなくてつまらない句」となり、何らかの魅力を感じるとき④「解らないけれどおもしろい句」となる。とりあえず、そんなふうに言っておこう。

2013年11月1日金曜日

「川柳・遊魔系」句会―石部明没後1年に寄せて

10月27日(日)に大阪市立総合生涯学習センターで「川柳・遊魔系」という句会が開催された。石部が亡くなったのは昨年の10月27日、『遊魔系』は石部明の第二句集である。この句集名を冠した句会となったのは、石部が亡くなって丸一年が経過したこの日を選んだ、石部のことを忘れない川柳人たちによる集いであったからに他ならない。
句会は二部にわかれ、第一部は「『遊魔系』に見る無頼の生き方」(報告者・小池正博)、第二部は句会であった。句会は兼題が3題、席題が2題。参加者は19名という小句会だったが、それぞれの題の秀句について1時間ほどの議論する時間がとれたのは逆に幸いだったかもしれない。作句・選句・選評のうち、川柳の句会では選評に時間をとることが少ない。晩年の石部は「BSfield」の句会で選評に力を入れていたと聞いている。
ここでは第一部について報告しておこう。
小池は「川柳カード」2号に掲載された「石部明50句」をもとに、石部の作品を「現実との違和」「もうひとつの世界」「帰ってから」の三つに分けて語った。

①現実との違和

バスが来るまでのぼんやりした殺意

現実との違和は人を表現に向かわせることが多い。
日常生活を送りながら、なぜ自分はここにいるのだろうと感じることがある。それは出勤の途中であったり、家事をしながらであったり、知人に囲まれながらであったりする。眼の前の現実が唯一の現実であると思われないとき、ひとは虚構の世界に踏み込んでゆく。
「殺意」とは意味の強い言葉である。バスを待っている間にふと感じる凶暴な感情。特定の誰かに向けられたものというより、漠然とした不満足の気分。
この句を書いたとき、石部はひとつの手ごたえを感じたことだろう。善意やモラルを表層的に詠むのではなくて、日常の底に隠れていてふだんは表に出さないものをあえて表現してみせること。そこに彼の川柳の出発点があったのだろう。

水掻きのある手がふっと春の空

春の空にふっと変なものが見える。
水掻きのある手だから両生類の手だろう。見えるはずのないそのようなものが見えるというのは幻視だが、別世界への入り口がぽっかり開いたのだ。
仏の相好のひとつに水掻きがあるが、ここでは西方浄土を幻視したのではないだろう。神や天使などの神聖なものではなく、水掻きのある手は異物であり、おぞましいものである。そんなものが見えてしまうのだ。

雑踏のひとり振り向き滝を吐く

雑踏を歩いているとき、私たちは「孤独な群衆」という感じを深くする。
ところが、ここではその一人が不意に振り向いて滝を吐いた。
滝は喩ではなくて本当に滝を吐いたと受け取る方がおもしろい。滝は俳句では夏の季語だが、この句では季語ではなく、メタファーでもなく、実際に滝を吐いたのである。
それを見た人々の反応を私は次の二通りに想像してみる。
人々はいま見た光景に対して何ごともなかったように無表情にそのまま歩みを続けた。
人々は連鎖反応的にそれぞれ自らの内部にある滝を次々に吐きはじめた。
私にとって石部の作品のなかでいちばん好きな句である。

②もうひとつの世界

栓抜きを探しにいって帰らない

この世界の現実に違和感をかかえて生きている人間はふと別の世界に行ってしまうことがある。『不思議の国のアリス』や『ナルニア国物語』などのファンタジーでも繰り返し描かれているところだ。異界への通路は『アリス』では兎の穴であり、『ナルニア』ではタンスの奥である。
石部の作品ではどこかへ行って帰らない人物がしばしば描かれる。
何か大きな目的があってどこかへ行ってしまうのではなく、「栓抜き」という日常的なものを探しにゆくことが、そのまま別の世界へ消えてしまうことにつながるところが、いっそう不安感をかきたてる。

鏡から花粉まみれの父帰る
梔子となり人知れず帰郷する

異界へいった者がもう一度現実に帰ってくることはとても困難である。行くことより帰ることの方が難しいのだ。M・エンデの『果てしない物語』でも帰ってくることの困難さがひとつのテーマになっている。
鏡の世界から帰って来た父は花粉まみれになっている。鏡の世界で何があったのだろう。
ヒトの姿では帰ってこられずに別の姿で帰ってくる場合もある。周囲の人は彼が帰ってきたことに気づかない。

岬には身元引受人ひとり

日常生活に戻るためには「身元引受人」を必要とする場合もある。
岬というのは境界線にある場所である。二つの世界を行き来する出入り口になりうる場である。そういう所に身元引受人が住んでいるのだ。

③帰ってから

舌が出て鏡の舌と見つめあう

別世界(彼岸)からこの世界(此岸)に帰ってきた人にはこの世界がどう見えるのだろうか。たぶん世界は二重の存在として見えるのではないだろうか。
鏡の中の世界と鏡の外の世界。左右反対になっているとしても、見えているのは同じような像である。こちらの世界で舌を出すと、あちらの世界でも舌を出す。しかし、「舌が出て」という表現は、自分が舌を出すのではなくて、どこか別のところから不意に舌が出てきたような妙な感じがする。

オルガンとすすきになって殴りあう

この句を現実の光景と受け取ると、オルガンとすすきは殴りあうことができないだろう。
それでは何らかの隠喩と読めばよいのだろうか。
この句でも世界は二重になっている。殴り合っているのはやはりヒトとヒトだろう。けれども、それがもうひとつの世界ではオルガンとすすきの姿になっているのだ。
唯一の現実ではなく、さまざまな見え方をする世界がある。帰郷者には世界がそのように見えるのである。

石部明の作品はいろいろな読み方ができるが、当日はこのような読み方をしてみた。ただ、石部の句が単なる言葉だけで構築されているにしては妙に生々しさや説得力があるので、そこにはやはり彼の実人生が反映されているのだと感じる。若き日の石部が故郷を離れてどのような経験をしたのかは承知していないし、具体的な個々の体験は作品を読むときには不必要であるが、仮に私は石部の人生を「無頼」と呼んでみたのである。石部明は強靭な生活者であると同時に優れた川柳人でもあるという二重の存在であった。
川柳作品が川柳界を越えた外部の読者に読まれるとすれば、それは詩として、文学作品として読まれるほかはないだろう。石部明の作品は読むに値するし、私たちはこれからも石部の作品のことを語り継いでゆくことが必要だと思っている。

2013年10月25日金曜日

第7回浪速の芭蕉祭

大阪天満宮における「浪速の芭蕉祭」は平成19年に第1回が開催され、今年で第7回目になる。第2回から募吟を始め、第3回の中断をはさんで第4回から毎回募吟を続けている。今年は93巻の連句作品の応募があった。
大阪天満宮にはいろいろな講があるが、連句講の「鷽の会」があり、「浪速の芭蕉祭」を主催している。鷽は天満宮ゆかりの鳥であり、俳句にも「鷽替え」という季語がある。
応募作品の中から2人の選者によって大賞・次席・三席・佳作が選ばれる。合議制ではなくて、選者がそれぞれの判断によって選ぶから、大賞・次席・三席は2編ずつになる。今回は佳作を含めた27編の作品が「入選作品集」に掲載された。
作品集の発行にこだわっているのは、連句の普及のためにはアンソロジーが必要だと考えているからである。募吟によって良い作品が集まればそれがそのままアンソロジーになる。形式自由の募吟だから連句諸形式の手引きとしても利用することができる。今年は百韻・米字などの長い形式の作品が上位に選ばれた。一方、新形式の応募も盛んで、新旧のバランスの中で刺激を与えあう場になりつつある。
10月6日には入選作品の発表と表彰式が大阪天満宮境内の梅香学院で開催され、連句実作も行なわれた。この時期は例年、古本市が開催されていて境内が賑やかなのだが、今年の古本市は一週間後らしく、落ち着いた雰囲気である。
12時半に本殿に参拝。私は「鷽の会」代表として玉串奉奠をするのだが、一年たつとやり方を忘れてしまうので事前に自分でイメージ・トレーニングをしておく。技芸上達を祈願し、巫女の鈴も神さびた雰囲気である。
梅香学院に戻って表彰式にうつる。
臼杵游児選の大賞・百韻「大綿虫」の巻(棚町未悠捌)、次席・スワンスワン「ががんぼよ」(矢崎硯水捌)の巻、三席・お四国「白衣」(おたくさの会)の巻。佛渕健悟選の大賞・米字「朱を走らせる」(和田ひろ子捌)、次席・【Hiphop RENKU】「MAHOROBA」(Hoo),三席・和漢行半歌仙「たてよこに」(赤田玖實子捌)。
ここでは、佛渕健悟選の次席となった【Hiphop RENKU】を紹介しよう。

MAHOROBA Wakiokori by Hoo.
Started on 130503 finished on 130509

目には青葉 山ほととぎす 初鰹       Sodo
どこまでも 駆けて行こうぜこの夏を     Hoo

絵手紙 似顔絵 みんなが笑う
動物園では象さん洗う

ゆらゆらと お精霊さんの舟流し
浦々に 尾を引きながら流れ星

月の庵は草がぼうぼう
方々にある古つっかえ棒

renku renku renku Let's go

心まで CTスキャンじゃ覗けねえ
ちょっと待って 熱燗一杯 ねえお姐

小野小町は見返り美人
妄想のキス胸がジンジン

今日もまた 密かに飛ぶよオスプレイ
国政もゲームも大事さフェアプレイ

いじめ体罰ございませんと
寄付の壜へと出す1セント

renku renku renku Let's go

夜目が利き 晦日に探す杵と臼
嫁が君 ミッキーマウスに物申す

「あしたは来れる?」 答「いいとも!」
持つべきものは やはり良い友

まほろばを 驢馬に揺られて花万朶
甘茶仏 小さく天指すなんまんだ

安達太良山の空は春色
尾張うららか青柳ういろ

renku renku renku Let's go

発句は山口素堂のよく知られた句で、脇起こしであるが、脇句以下はすべて作者Hoo(木村ふう)の独吟である。作者は次のように述べている。
「新聞でヒップホップの歌詞は現代詩という記事(朝日2013年4月6日)を読み、連句でも早速挑戦してみました。ラップ風の韻を踏みやすいように『長長短短 長長短短』の8句をひとまとめとしてそれぞれに季を詠み込み、本巻はそれを三回繰り返しました。最低一花一月。特に定座は決めていません。一番ラップに会いそうな(と思っている)素堂句を発句として脇起りで始めました」
素堂がラップに合うというより、素堂のこの句がラップに合うそうである。
「入選作品集」では選評にもページを割いている。作品を選ぶだけではなくて、その作品のどこがよかったのかを検証することが実作を活性化させることにつながるからである。佛渕健悟は選評で次のように述べている。
「文の最後で韻(ライム)を踏むのがラップの特徴ですが、短詩型の五七五そのものがすでにラップに乗りやすいリズムであることを発見している日本のラッパーたちの実践には、連句の調べに新しい変化を促す契機もあるかも知れません。説教節や阿呆陀羅経的ノンシャランは現代連句のおもくれを砕くのに利きそうです」

もうひとつ、入選はしていないが反歌仙「佳き人」の巻を紹介しておきたい。「半歌仙」ではなく「反歌仙」であって、歌仙に対するアンチなのである。かつて「アンチ・ロマン」が小説の世界で次々と書かれたが、連句の世界にも実験精神が生まれてきたかという感慨をもった。歌仙だから36句あるが、ここではその前半18句だけ紹介しておく。連衆は赤坂恒子・木村ふう・梅村光明。

佳き人と思へば死ぬるまたひとり
菊を掻き分け饅頭配る
首に巻くよくよく見れば秋の蛇
スクランブルの交差点じぇじぇ!
スクランブルエッグが旨ひ洋食屋
青い目の妻大阪生まれ
ウラ
色っぽいまいどおおきにチャイナ服
三日月形のイヤリング揺れ
人気無き夜のプールで泳ぐ月
蝋燭灯して百物語
うらめしや回るお寿司が止まらない
アベノミクスに上がる血圧
年金がだんだん下がる国に居て
オスプレイ飛ぶ基地の初空
餅花に残るは母の指の跡
供物を作り奉る涅槃会     
白骨が砕けて散るは花吹雪
あなめあなめに悩む小町忌

この作品には次のようなコメントが付けられている。
「句数・体裁から見た形式は歌仙。歌仙を巻く時に適用される式目をことごとく破って歌仙を巻いてみた。歌仙の式目に反するので反歌仙。
進行の条件は前句に付いていることと 前句―付句の関係、もしくは三句の渡りに必ず障りがあること。無季の発句から始まって素秋、素春、二五、四三、新旧仮名混在等々狼藉の限りを尽くして歌仙を巻いてみた。苦労して詠み込んだ「障り」を見ていただきたい」
歌仙の表(オモテ)では神祇・釈教・恋・無常は避けることになっているが、発句はそれに逆らって「死」を詠んでいる。短句(七七句)では「四三(しさん)」と言って「4+3」のリズムを嫌うが、脇句はみごとに四三。秋の句の中では月の句がなければならず、秋三句のうち「月」の句がないものを「素秋」というが、これも敢えて素秋に(ウラに入って急に「月」が出てくるのも変である)。「秋の蛇」とは何なんだというところである。四句目と五句目に「スクランブル」という同じ語が使われていて、同字接着。六句目の「目」と三句目(大打越)の「首」が身体用語の差し合い。
このような調子で「反歌仙」が続いてゆく。
ルールを破るためにはルールを知悉していなければばらない。ルール(式目)を知らないで禁をおかすのではなくて、意図的な営為なのだ。そのことによって式目そのものの意味が改めて問い直される。
もちろん「入選作品集」には伝統的・オーソドックスな句もあり、高く評価されている。ここで敢えて実験的新形式を紹介したのは、それが硬直しがちな精神をブラッシュ・アップし連句の活性化につながると考えるからである。というより私自身とても楽しませてもらったのである。

2013年10月18日金曜日

第2回川柳カード大会

9月28日(土)、大阪・上本町の「たかつガーデン」で「第2回川柳カード大会」が開催された。昨年の第1回大会(創刊記念大会)では、池田澄子をゲストに迎えたが、今回は佐藤文香と樋口由紀子のトークが注目された。
この二人は数年前の初対面のときから気が合ったようで、樋口はその場で「バックストローク岡山大会」(2010年4月)の選者を依頼。佐藤は石田柊馬との共選で「もっと」の選者をつとめた。そのときの選評で佐藤は「自分が選ぶときに大きな基準があることに気づきました。それは、その句がこの社会にどれだけ貢献しないか、ということです。風刺はともすると社会の役に立ってしまう。真面目にでも奔放にでも、遊び上手な作品に魅力を感じる」と書いている。この選評も当時話題になった。
こういう経緯があって、今回も大会第一部のゲストとして佐藤を招いた。二人ともトークには定評があるので、当日の対談も好評だったが、その詳細は「川柳カード」4号(11月25日発行予定)に掲載されることになっている。ここでは、当日の佐藤の発言のなかから、いくつか印象的だったものをピックアップして、私なりの感想を付け加えてみたい。

○「私は俳句甲子園がなかったら、俳句に入っていないタイプの人間」
このように佐藤は言い切る。
俳句甲子園に関わっている高校生は、全国大会に出場できない学校もあるから、毎年数百人単位になる。それだけの母体があるが、その全員が俳人として残るわけではない。
8月の「大阪連句懇話会」で久留島元に「俳句甲子園」の話をしてもらったのだが、久留島は作家として俳句を続けている人間以外に、「俳句甲子園」を裏方として支えている多くの人間がいることを語った。
俳句甲子園というイベントによって、俳句作家として俳句を書き続ける人、俳句は書かないが俳句にかかわってイベントを陰で支える人などが生まれてゆく。このような潜在的な若い世代が川柳には欠けているのだ。

○「川柳では若者を呼び込むような仕掛けを何かしてるんですか」
佐藤は川柳に対していくつかの問いかけをしている。「仕掛け」はそのひとつ。
「俳句甲子園」に相当するようなイベントは残念ながら川柳にはない。ひょっとするとどこかにあるかも知れないが全国的な広がりではないだろう。
 川柳の場合、「新聞川柳」から入ることが多い。全国紙・地方紙には川柳の投句コーナーがあって、読者が葉書で投句する。選者はその地方の有力川柳人であって、何度も入選する人に対しては、句会に来ませんかというお誘いがある。そこで興味のある人は句会に出かけてゆき、さらに規模の大きな大会に参加するなどして、川柳の世界に馴染んでゆく。
 こういう階梯を踏んでゆくので、自分が本当に出会いたい川柳に出会うためには何年もかかる。川柳の句集も一般書店には並んでいないから、書物を通じて好きな作家に出会うチャンスも少ない。
 私はこういう階梯は必ずしも無意味ではなかったと思っている。本当に求めるものを探しているうちに、自分の川柳が次第に鍛えられ深まっていくからである。こういう過程を踏まない人は、意外にもろく川柳から脱落していったりする。
 けれども、現在はそんな悠長なことでは通用しないだろう。新聞川柳から句会・大会へという従来のシステムではすでに時代に対応できなくなっているのだ。

○「世間イメージと文芸ジャンルとしての核が乖離しすぎている」
私の興味は、俳人(特に若い世代の俳人)に川柳がどう受け取られているかということである。佐藤は俳句の友人の「世間イメージと文芸ジャンルとしての核が乖離しすぎている」という発言を紹介した。これが私にとっては、対談の中で最も印象に残る言葉だったのである。
ひとつのジャンルの中で先端的な部分と大衆的な部分とに隔たりがあることは、別に川柳に限らず、どのジャンルでも見られることだろう。「先端的」「大衆的」という表現が適切かどうか分からないが、「前衛的」「伝統的」という表現もぴったりしないので、とりあえずそんなふうに言っておく。「ジャンル内ジャンル」(江田浩司)と言えばいいのだろうか。
「世間イメージ」とはいわゆる「サラリーマン川柳」をさすだろう。川柳が駄洒落や表層的な滑稽をねらうものと思われているなかで、真に文芸的な資質をもった若者が川柳に入ってくるはずはない。
「外から見たときに一番手の届きやすいところにジャンルの中心があればよい」と佐藤は実に適切なアドヴァイスをしてくれたが、それができないので苦労している。

大会の第二部での特選句を次に挙げておこう。

「泣く」(湊圭史選)  コンテナの中は泣き損なった人  井上一筒
「方法」(清水かおり選) 舟偏をつけてたゆたうのも一手 徳長怜子
「赤い」(野沢省悟選)  軍隊にまっ赤なウソを売りに行く  石田柊馬
「チョコレート」(筒井祥文選) 板チョコ齧るつけまつげつける 田中峰代
「学校」(新家完司選)   学校を覆う大きな病垂れ  高島啓子
事前投句「カード」(小池正博選)  それ以上育つと赤紙が届く くんじろう

大会終了後、短時間だが正岡豊と立ち話をすることができた。
昨年の参加者は百名を越えたが、今年は85名の参加。80名規模の大会でちょうどいいのだ、というような話をした。もちろん参加者が多ければ多いほど嬉しいが、人を集めることを主目的にすると別な部分にエネルギーと時間を取られることになる。「80名でいいのだ」とは石部明が「バックストローク」大会を開催するときに言っていたことで、心の支えになっている。

午後5時からの懇親会は、くんじろうの司会で進行。出席者全員に発言していただいたので、交流の目的は十分果たされた。こういう場では川柳人は素顔をさらけだして楽しむことができる。自意識に悩んだり演技の仮面に隠れる人は少ないようである。
大会翌日は有志で奈良を散策したあと、夕方から「川柳北田辺」句会に乱入した。くんじろうが主催する句会だが、昨日の大会のメンバーと再会して封筒回しを楽しむ。ちょうど「川柳北田辺」の句会報が届いたところなので、紹介する。「俳句は句会が楽しい」と言う人が多いが、川柳人も句会が好きである。

底ぬけに明るい階段は嫌い     榊陽子
そろそろ縞馬になろう       田中博造
戦争に負けて猫など飼っている   田久保亜蘭
砂壁を食べて子供を産みました   竹井紫乙
大阪の蛸は9本足である      滋野さち
急須の蓋にたまったままの「つ」  樋口由紀子
歌まくらをジューサーに入れてから くんじろう
弁慶の耳から流れ出す黄砂     井上一筒

2013年10月11日金曜日

クリエーターとキュレーター

大阪梅田のグランフロントの紀伊国屋で「短歌フェア」が開催されているというので、出かけてみた。グランフロントはオープンしたときに訪れたときの大混雑に辟易して、やっと二度目に足を踏み入れたことになる。
売り場面積が広くどこに短歌の本が置いてあるのかも分からないので、店員さんに訊いて案内してもらった。短歌フェアは隅の方に円形書棚を取りまく形で開催されていた。それほど広いスペースではないが、ふだん書店で目にすることのない歌集・短歌誌などが置いてある。そう言えば斉藤斎藤の『渡辺のわたし』はまだ持っていなかったな。永井祐の『日本の中でたのしく暮らす』もほしい。あっ、瀬戸夏子の『そのなかに心臓をつくって住みなさい』があった!というわけで3冊買い求めた。「短歌ヴァーサス」のバックナンバーもあったが、確か私も2ページ執筆したことのある10号だけなかった。誰かが購入したのだとすれば、それはそれでよいのだろう。
短歌の門外漢にとってもこういうフェアが開催されるのは嬉しい。店長が笹井宏之のファンらしい。川柳にとってもこういうサポーターが現れないものか。
今年4月に「文学フリマ」が大阪府の堺市で開催されたときに、川柳の出店は一軒もなかった。機会があれば「川柳カード」で出店してみたいものだが、短歌・俳句・アニメなどの大量の出店の陰に埋没してしまうことだろう。川柳がどのような流通過程にも乗らないのはマーケットが成立しないからである。
マーケットと無関係なところで営まれている文学ジャンルとして、川柳と同様の状況に置かれているものに連句がある。「連句協会報」(2013年4月)に書いた「関西連句の可能性」という拙文の一節を引用する。

「『関西連句を楽しむ会』が2006年に終了したあと、関西での大規模な連句会はあまり開催されなくなった。連句だけの話ではないが、関西の地盤沈下が文芸全般に生じているようだ。俳句でも関西前衛俳句の作家たちが亡くなって、過渡期の状況が続いている。そんな中で、一昨年の国民文化祭・京都において北野天満宮や百万遍知恩寺でイベントが開催されたのは元気の出ることだった。
関西地方には連句の拠点となるような場が多い。私が関わっているものについて言うと、大阪天満宮で毎秋開催される『浪速の芭蕉祭』は2007年にスタートし、形式自由の募吟を続けている。また、『大阪連句懇話会』では毎回テーマを決めて連句の諸問題を考え、実作会を行っている。奈良県に目を転じると、蹴鞠祭で有名な桜井市の談山神社では『多武峰連歌ルネサンス』が数回開催された。長谷寺近くの與喜天満宮は能阿弥など連歌にゆかりが深く、連句にとっても重要な場である。
古来、神社や寺院は芸能の発祥と密接な関係をもっている。人が集まるところには混沌としたエネルギーが生まれ、文芸の場として活性化する。いわば連句のパワースポットなのである。
昨年の十二月に神戸の生田神社で『俳句ギャザリング』というイベントが開催された。これは連句とは無関係な催しだが、天狗俳諧とか俳句相撲、地元のアイドルグループを呼んで俳句甲子園形式で参加者と対戦させるなど、俳句を一般参加者にどのように見せるかというショー的要素を取り込んだものであった。パソコンやツイッターの使用が日常化する中で、『いかに見せるか』という視点も重要だと感じている」

川柳・連句ではほとんど聞かないが、他ジャンルの方々がよく口にする「戦略」という言葉がある。いったいどのような「戦略」によって自己の作品を発信しようとしているのか、自分が関わっているジャンルを推し進めようとしているのかが問われるのである。私は川柳・連句の世界の中では比較的「戦略」を持っている人間のように自分では思っているが、俳句や短歌の世界から見ればそんな戦略など児戯に等しいものだろう。
川柳の世界で「いかに見せるか」という方法論が語られたことは寡聞にして聞かないし、ノウハウの蓄積もない。連句においては「国民文化祭」の開催に関して行政とどう結びつくかが連句協会の理事会で毎回語られているが、これも夢のない話である。

さて、いささか古い本だが、外山滋比古の著作に『エディターシップ』(みすず書房)がある。編集が創造的な作業であることを力説するもので、クリエーターとエディターの分業が確立していない川柳の世界の現状を省みるときに考えさせられることが多い。さらに、最近よく耳にするものにキュレーターという仕事がある。今まで私が知らなかっただけだろうが、美術館の学芸員などを指すらしい。展覧会の企画などにおいて、どの作品とどの作品を並べてどのようなコンセプトで観衆に見せるかというプロなのであろう。常識的な見方で展示するのではなくて、今まで思いもよらなかった作品をつなげることによって新しい表現の地平を提示して見せる。自ら作品を作るのではないけれど、それもひとつの創造的な作業なのだろう。
こういうことに習熟した人材が川柳界には少ないから、川柳人は創作の傍ら編集したり、雑務を義務的にこなしたりしなければならない。そういうことに時間をとられているうちに、クリエーターとしての創作力が次第に衰えてゆく。

そんなことを考えると、やはりクリエーターとしての原点に戻りたくなる。「戦略」など本当は考えなくてすませたいのが川柳人の本音かも知れない。川柳島から投壜通信を送りつづける。読んでくれる人がいなくても、読者に届かなくても、いつかそれがどこかの岸辺に届くかもしれない可能性を夢見て書き続ける。そして、川柳島は無人島になる?

2013年10月4日金曜日

夢精するオスプレイ―滋野さちの川柳

9月28日に「第2回川柳カード大会」が大阪・上本町で開催され、北は北海道・青森から南は高知・熊本まで、各地の川柳人が集まった。大会はふだん誌上でしかお目にかかれない方々と出会う貴重な機会である。
青森に滋野さちという川柳人がいる。「おかじょうき」「触光」「川柳カード」の会員で、社会性川柳の書き手である。私自身は社会性川柳を書かないが、滋野の作品にはときどき目を奪われることがある。
「触光」34号の会員自選欄に次の句が掲載されている。

着地するたび夢精するオスプレイ    滋野さち

時事川柳は「消える川柳」とも呼ばれ、時間の経過とともに人々の記憶から消えてしまう。その中で、真の批評性をもった力のある句は少ない。オスプレイの句は山ほどあるが、表層的な表現にとどまっているものが多い。そんな中でこの句には読者を立ち止まらせるものがある。
オスプレイはエロティックな夢を見ているのであろうか。着地するたびに大地は犯される。この句は一見するとオスプレイの視点で書かれているように見えるが、オスプレイの姿を冷徹にとらえることによって凌辱される側の感性を表現しているのである。この戦場を飛ぶ機械がオスという名をもっているのは象徴的である。イメージは二重となり、「オスプレイ反対」を唱えるスローガンを越えた表現の高みに達している。
こういう句を読むと社会批評が文学でもあることを信じたくなる。
同号には次のような句もある。

イプシロンこける鳥獣戯画の真ん中で
空爆のアメリカ シリアのねこだまし
垂れ流しですがゲンパツ買いませんか

「鳥獣戯画」「ねこだまし」という語は川柳ではよく使われ、一句の衝撃力は「夢精するオスプレイ」に及ばない。視線は第三者の位置に後退し、批評性は現象の表面を撃つにとどまっている。

滋野は「杜人」239号に「空を飛んだ鯨―石部明のことば―」という文章を発表している。
そこで滋野は自ら疑問とするいくつかの問題を投げかけている。それは「母もの」「時事吟」「思い」「難解句」をめぐる四つの疑問である。滋野の表現そのままではないが、それらは次のようなことになるだろう。
①母を詠んだ句は甘くなるからとらないという選者もいるが、母という題材そのものがダメなのだろうか。むしろどう書くかが問われる題材なのではないだろうか。
②時事吟や社会詠は私たちが生活を詠もうとするかぎり必然的にゆきつくものではないか。
③「思いなんて必要ない」という人もいるが、「思い」がなければ川柳は書けないのではないか。
④「わからない句」には読者が作者とつながる手だてがなく、読者は置き去りにされているのではないか。

一点目、「『「母ものは三文安』」か」では「母の句」について述べている。父や母を書いた句が孫川柳と同様に甘くなるのは避けられないことだろう。
「私も初期のころ母の句をたくさん書いた。長すぎる母への反発に時間を過ぎて、ようやく心が寄り添えるようになったとき死んだから、なおさらであった」とあるのを読むと、「滋野さちよ、おまえもか」と言いたくなる。母の句を書いたことに対してではない。「母への反発」に関してである。
滋野は「母もの」は果たして書くに値しないのかを問う。
「父母を詠むから古臭いのではない。私たちは新しい表現を模索しなければならない」
間違っているところはどこにもない。けれども、古い革袋に新しい酒を入れるのはとてもむつかしいことだ。

二点目、「時を詠む」では石部明の次の句を取り上げている。

あかんべいをしてするすると脱ぐ国家   石部明

滋野は小林多喜二や鶴彬の例を挙げて、「ものを書くことに覚悟が必要だった時代」のことに触れている。
「今、自由にものを言い、行動したり、書いたりしているが、時流に乗って、上澄みを掬って書いていないか、物事の本質を見極めようという気構えを放棄していないかと、自戒している」
こういうところから、滋野の社会性川柳が生まれてくる。

三点目、私が違和感をいだくのは、滋野の「社会性」が「思い」と強く結びついていることである。川柳の読みにおいては、これまで「思い」の強度が評価軸とされることが多く、言葉によって作り出されたテクストとして読まれることが少なかったという経緯がある。作品を書くときの起動力を「思い」と呼んでしまうと、川柳のカバーする世界をずいぶん狭めることになってしまう。
「『思い』とは、句を書く時の起爆剤でもある」と滋野は述べている。
ここにも石部明が登場して、滋野に次のようなアドヴァイスをしたという。
「『思い』がなければ句は書けません。しかし、それ以前に『思いとは何か』を考えなければなりません」

四点目、滋野によれば難解と言われた「バックストローク」の作品に対して、次のようなことが言われたそうだ。
「わからなくても感じればいい」
「わかるように書かない作者が悪い」
「わからない句など、かまうな」
この整理の仕方はある意味でたいへん興味深い。多くの川柳人の本心が率直にうかがえるからだ。

「川柳を始めてたかだか10年ほどの間に『川柳大衆論』『難解句』『言葉派』『意味派』などという言葉を聞くのだが、川柳論は一方的に発表されるだけで、なかなか切り結ぶ事がないように感じている」

率直な感想だろう。批評が実作をリードするというような状況は川柳界にはない。私は現在が過渡期だと思っているから、さまざまな混乱や迷いが生じるのはむしろ当然のことだと考える。曲がりなりにも社会性を書いていた渡辺隆夫が万法を尽し終えて第一線を退いたあと、滋野さちの川柳は社会性のひとつの可能性を感じさせる。隆夫の川柳が第三者の立場からの風刺に終始したのに対して、滋野は少し違うところから川柳を書いているからだ。私は滋野の「思い」には別段興味はないが、滋野が川柳におけるどのような「批評性」を実現するかを見ていたいと思っている。

2013年9月27日金曜日

貴婦人と一角獣 ― 川柳と寓意

いま大阪の国立国際美術館で「貴婦人と一角獣」展が開催されている。
東京ではすでに4月から7月まで国立新美術館で開催されたものである。
「貴婦人と一角獣」のタピスリーは有名なものであるが、フランスのクリュニー中世美術館の改装にともなって、その間、東京・大阪を巡回しており、じっくり見る機会ができたのはありがたい。
そもそもこのタピスリーが日本で人気があるのは、文学的イメージとともに受容されているからだ。たとえば、リルケの『マルテの手記』の第二部は次のように始まっている。

「これは『女と一角獣』の壁掛けと呼ばれたゴブラン織りである。しかし、これも今はブウサックの城から持ち出されてしまった。すべてのものが由緒ある家から持ち出される悲惨な時代なのだ。古い家はもう何一つ保存していることができない。今では信頼よりも危険が真実になってしまったのだ。デル・ヴィストの血統をついだ人間などただの一人も現代には残っていないし、その系譜をひそかに血の中に持っている者すら見当たらぬ。みんな遠い過去の人になってしまっている。ピエール・ドオブソンよ、古い家系が生んだ偉大な人物よ、もはや誰一人おまえの名まえを口にする人がないのだ。おそらくこれらの織物はおまえの意志によって作られたのだろう。そして、六枚のゴブランはあらゆるものを美しく賛美しているのだ」(大山定一訳)

1500年ごろに製作されたこのタピスリーは、リルケが書いているように、ヴィスト家のもので、ジョルジュ・サンドもこの作品について書いている。保存の必要性を唱えるメリメなどの具申によって、フランス政府が買い上げることになった経緯がある。

不思議な図案である。一角獣と獅子の表情がそれぞれおもしろいし、貴婦人と侍女も美しく描かれている。そこに込められている意味はよくわからなくても、眺めていると飽きない。
解説のパネルを読むと6枚はそれぞれ「触覚」「味覚」「嗅覚」「聴覚」「視覚」の寓意であるという。6枚目の「我が唯一の望み」だけが何を寓意しているのかわからないという。これを読んでからもういちどタピスリーを見ると、とたんにつまらなくなった。
解説を頭から振り払い、見ることに専念する。
魅力的なのはやはり一角獣である。「視覚」では貴婦人が一角獣に鏡を見せているが、一角獣は鏡に映った自分の姿を見ているというより、貴婦人を見つめているように見える。アレゴリーと言うならば、愛のアレゴリーなのではないか。
6枚のうち貴婦人と侍女の二人が描かれているのが4枚、貴婦人だけなのが2枚。獅子と一角獣はすべての図に登場する。
草花の模様も好ましい。千花文様(ミルフルール)というらしい。このような図案は琳派を産みだした日本人の感性にも強くアピールしてくる。

「貴婦人と一角獣」をながめながら、私は川柳をアレゴリーとしてとらえる見方があることを思い出していた。
現代川柳を「寓意」という視点からとらえたのが荻原裕幸である。
現代川柳を「メタファー」からとらえるのは常套的だが、「寓意」「アレゴリー」からとらえるのは独自の視点である。
(「寓意のパラダイス」http://ogihara.cocolog-nifty.com/biscuit/2011/03/post-7d7c.html)

『川柳総合大事典』第3巻「用語編」の「寓意法」の項目を参照すると、次のような例が出てくる。

老酒にキムチほどよい酔い心地

「老酒」が中国、「キムチ」が韓国の寓意であるという。

けれども、荻原のいう「寓意」はこのようなものではない。荻原はこんなふうに述べている。
「具体的なモデルがあろうとなかろうと、書かれたことばが、近代以降のリアリズムの枠をはみ出てしまって、別の意味に転じてしまうような文体のことである。寓意の骨格が見えるのに、それが何だとは特定できない、しかし何かがたしかにたちあがることばの感触のことである」

荻原が例に挙げているのは次の句。

妖精は酢豚に似ている絶対似ている   石田柊馬

「読んでいるうちに、これは単にあの妖精のことだけを言っているわけではないのかも知れないという感覚も生じてくる」と荻原は言う。事実でもなく、象徴でもなく、寓意の様相を帯びているというのだ。私はこの句を「妖精」のことだけを詠んでいるものととらえていて、寓意とは思わないが、この句が一句全体で何かほかのことを言おうとしているという読みかたはありうると思う。

「このような寓意という視点に立つと、現在の川柳の或る領域の作品群が、寓意のパラダイスにも似た状態を見せているのかがわかる。短歌や俳句のリアリズムがそれを拒めば拒むほど、寓意は、川柳の大きな特徴として浮かびあがることだろう。共感でも思いでもない川柳のありようを、私はしばらく、こうした寓意のなかに見てみたいと考えている」

こう述べたあと、荻原は「私の好む寓意的な川柳」として次のような作品を挙げている。

いもうとは水になるため化粧する    石部明
この世からはがれた膝がうつくしい   倉本朝世
立ち入ったことを餃子のタレに聞く   筒井祥文
よろしくね これが廃船これが楡    なかはられいこ
永遠に母と並んでジャムを煮る     樋口由紀子
そこそこの幽霊になりそこいらに    広瀬ちえみ
空き瓶を持ち上げ雌雄確かめる     丸山進

私の感覚では、別に寓意ととらえなくても、書かれていることそのままと受け取って差支えない句が混じっているように思われる。
ある種の現代川柳が「寓意」と受け取られるということに興味をひかれるのは、「ではそれが何を意味しているのか」という方向に読みが進むのではないという点にある。
何かの寓意のように感じられる。しかし、それが何を寓意しているのかはっきり言い当てることができないということ。というより、それを言い当てるような読みが、句をつまらなくしてしまうということ。作者は別に寓意をこめているわけではないのに、出来上った一句が何か別のことを表現しようとしているように受け取られるという、その感覚。
いまは私の手にはあまるが、「アレゴリー」「シンボル」「メタファー」などの言葉はきちんと整理される必要がありそうだ。

20年以上前のことだ。クリュニー美術館を訪れたことがある。いまは当時とは展示の仕方が変っているのかもしれないが、静かな館内でタピスリーの前にある石の階段に座り込んで長いあいだ「貴婦人と一角獣」をながめていた。とても充実した時間だったが、タピスリーの細部はあまり覚えていない。そのときの私は『マルテの手記』で頭をいっぱいにしていたので、たぶんリルケが純粋に図を見るじゃまをしていたのだろう。
今度の展覧会では一角獣のほか貴婦人や侍女、草花や動物たちなどが映像によって細部の比較がされていて、ずいぶん楽しかった。

2013年9月21日土曜日

野沢省悟評論集『冨二という壁』

野沢省悟の第二評論集『冨二という壁』(青森県文芸双書2)が刊行された。
近代・現代川柳史の中で中村冨二の存在は重要であったし、現在の時点でその存在感はますます大きなものになりつつある。このタイトルを選んだところに野沢省悟の川柳観がうかがわれる。
巻頭に収録されている評論が「田中五呂八の挫折」である。「現代川柳をどうとらえるか」という点で、野沢は「新川柳とネオ新川柳」という川柳史観を披露する。「ネオ新川柳」というとらえ方は、第一評論集『極北の天』(あおもり選書14、1996年)に収録されている「『ネオ新川柳』という考えについて」を踏襲している。野沢によれば、明治期に興ったものを「新川柳」、それ以前のものを「古川柳」、井上剣花坊の「大正川柳」以降の新興川柳から後の革新川柳に至る流れを「ネオ新川柳」と呼び、「新川柳」と「ネオ新川柳」の両者を混在させているのが「現代川柳」だと言うのである。
野沢のいう「ネオ新川柳」は、従来の呼び方による「新興川柳」と「革新川柳」を含んだものになるが、なぜことさらに呼びかえなくてはならないのだろうか。私は「新興川柳」には愛着があり、「新興川柳」の呼び方によって「新興俳句」「新興短歌」と同時代を共有する文学史的地平が開けると考えている。河野春三の川柳史観では「新興川柳」は「現代川柳」のルーツとなるが、その際の「現代」という語にはある種のバイアスがかかっている。即ち、「現代川柳」は「革新川柳」という意味になる。これを嫌った「伝統川柳」側からは、「革新川柳」がなぜ「現代川柳」を僭称するのかという抗議が起こるのは理由のないことではない。「現代川柳」と「現代の川柳」とを区別して、「現代の川柳」の中に「現代川柳(革新川柳)」と「伝統川柳」があるという言い方がされたこともあるが、それも用語の区別としてはすっきりしない。
野沢はこのような用語の混乱を避けるために、「ネオ新川柳」を提唱するに至ったのだろう。ただし、「ネオ」は「新」という意味だから「ネオ新川柳」という言い方にもすっきりしない点が残る。
では、「ネオ新川柳」というとらえ方をすることによって、どのような新しい光景が開けてくるかというと、「新川柳」と「ネオ新川柳」の区別をはっきりさせ、現代川柳がこの両者を混在させている状況を明確に把握することができるのである。野沢は次のような区別を立てている。

〈新川柳〉
①古川柳の延長であり通俗的な現在の反映
②他律的な没個性詩
③思想を必要としない
④創造の苦しみを要しない
⑤量的横の広がり
⑥社会生活の皮相的、通俗的表現
⑦発表の場を句会、大会に求める
〈ネオ新川柳〉
①古川柳の現代的開放であり、短詩創造
②自律的な個性詩
③思想を必要とする
④創造の苦しみと同時に開放感と喜び
⑤成長する縦の深さ
⑥先駆的短詩
⑦発表の場を個対個に求める

以上の区別は田中五呂八の新興川柳論に基づいているが、五呂八は「題詠」に否定的だった。彼は題詠によって没個性的で遊戯的な作品が生まれると考えた。けれども、題詠を否定し、個性的な川柳詩の創作を目指した五呂八も、やがて作品の類型化・行き詰まりという事態に直面する。野沢のいう「五呂八の挫折」である。
この挫折の原因について、既成川柳が題詠という表現手段をもっていたのに対して、新興川柳がそれにかわる表現手段をもたず、机上の作品・頭の中で製作する作品から脱皮できなかったためだと野沢は言う。

「机上の作品、頭の中でこねくり廻す作品から、どのような手段で脱皮するか、僕は一つの主張を持っている。それは題詠という『言葉』を足がかりとせず、『もの』を川柳創作の足がかり、手段にすべきだと言うことである」

これを具体的に述べているのが「『観生』という方法論」である。
まず野沢は、川柳の基本は「知」であるという。人間の頭の中の世界はすばらしいものだが、「ものを観ること」によって観念や概念が取り払われ、新たなものや真実が見えてくるようになる、と野沢は述べている。

「ふきのとうが咲いている。やわらかな緑色が鮮やかである。このふきのとうは僕だけが観ているふきのとうであって、他の人がこのふきのとうを観た場合、僕が観ているふきのとうとは微妙に違っているはずである。また僕が今観ているふきのとうと明日見るふきのとうはかなり違っているはずである。ふきのとうも変化しているし僕もまた変化している。『ものを観る』ということは、そのものと一瞬の対峙をすることであり、その瞬間はもう二度と存在しないのである。このような覚悟でものを観た場合、ものは単なるものではなく、僕と同時に存在する世界の一部であり、そして僕自身の一部となるのである」

野沢の言う「観生」という造語はどれだけ受け入れられるだろうか。新興川柳期に木村半文銭が唱えた「想像的直観」や斎藤茂吉の「実相観入」とどう違うのか。また、俳句の写生とはどう違うのか。川柳が「知」であることと「観る」ということとはどのように関連するのか。俳句の「写生」に対して川柳的写生を「観生」と呼んだのだろうか。さまざまな疑問が湧いてくる。
「もの」を課題とした句会について、「雪灯の会」での具体的なやり方が報告されている。
①課題は「もの」とする。たとえば「じゃがいも(ぶっきらぼうにじゃがいも三個転がって)」
②作句時間は30分
③出句は2句から3句
④出句されたものを無記名清記の上、参加者各人持ち点3点程度で点数を入れ合評する。

以上見てきたように野沢省悟は独自の川柳論を提示している。確固とした川柳史観や方法論を持った川柳人は少ないから、野沢のような存在は貴重である。野沢とは川柳史のとらえ方について考え方の違うところもあるが、本書は現代川柳について改めて考える契機となった。
肝心の中村冨二論については触れることができなかった。

2013年9月13日金曜日

緑の闇に拓く江田浩司のパロール

江田浩司の批評集『緑の闇に拓く言葉(パロール)』(万来舎)が上梓された。
2007年8月より万来舎のサイト「短歌の庫」に掲載された文章を一書にまとめたものである。その時々に読んで印象に残っている文章も多いが、こうして一冊の本になると、改めて見えてくるものもある。「はじめに」では「万来舎から連載の話があったとき、短歌プロパーの批評ではなく詩歌全般に関する文章が書きたいことを申し上げました」と書かれていて、こういうスタンスは共感できる。
時評を続けるにはエネルギーが必要だ。同じ時期に「青磁社」の短歌時評のサイトがあった。大辻隆弘と吉川宏志が交代で執筆していて、こちらの方も私は愛読していたが、いまは中止になってしまっているのは残念である。
本書の読みどころはいろいろあるだろうが、先週取り上げた「詩型の越境」の話題につなげて言えば、本書の第五章「現代詩との対話」に収められている文章が興味深い。「藤原月彦の俳句と藤原龍一郎の短歌」「柴田千晶詩集『セラフィタ氏』を読む」などが取り上げられている。
瀬戸夏子の歌集『そのなかに心臓をつくって住みなさい』は「現代詩手帖」9月号の「詩型の融合は可能か?」でも取り上げられていたが、本書の第四章でも論じられている。江田はこんなふうに書いている。(ちなみに、瀬戸を取り上げたこの文章は、現在、サイト「短歌の庫」で読める直近の文章である。)
「また、同時に現代詩ではなく短歌の世界で勝負することを選択した真意を量りかねてもいた。瀬戸が短歌としてこのようなテクストを提示しても、それを短歌として受け入れる余地が歌壇には存在していないと思われたからである。そうではあっても、黙殺覚悟で自己の短歌世界を追求するのならば、何も力にはならないが、私は瀬戸というアナーキーな歌人の営為を注視しなければならないと思ったのである」

日本を脱出したい?処女膜を大事にしたい?きみがわたしの王子様だ   瀬戸夏子
鍵はみどり鍵穴ははみどりミッフィーをひらく動詞を折り紙にして

私は「町」も「率」3号も読んでいないので詳しいことは分からないが、瀬戸夏子という人に興味をもった。たまたま「率」2号が手元にあるので、引用してみるが、この人の短歌は現代詩の部分とミックスされているので、一首独立で引用しても意味がないのかもしれない。

おれの新聞をとってくれ りんごはいい りんごは体によくないからな
これじゃあ帰れないじゃないだっていつまでたっても苺はあなたの赤ん坊
みたいな顔のまんまだし気まずいわ帰り道にはいつもあなたの悪口いうのよ
その苺 二上で道を結わえた りんごはいい りんごは体によくないからな

「小池正博句集『水牛の余波』を読んで思ったこと」も第五章に収録されている。川柳をめぐる文章が「現代詩との対話」の中に置かれているのはたいへん興味深いことである。塊りとしての川柳が脆弱な現状の中で、川柳作品が短詩型文学の読者によって読まれる場合に、それは詩として読まれるほかはないだろう。川柳内部でのみ通用する価値基準は無効となり、テクストとして読まれることになるのである。

「吟遊」59号に大橋愛由等が「川柳 われらの隣人にもらい水」という文章を書いている。
大橋は「川柳カード」2号に触れ、次のように言う。

「さて、俳句と川柳の関係についていえば、2000年代には、両者の境界があいまいになり、互いに越境しあっているかのような現象がみられた。しかしそれ以後の十年間のことになると、私の管見にすぎないのだが、川柳が作品を先鋭化させていった一方で、俳句は『俳句性』に安居してしまったように思える。俳句は、もともと『俳句性』の中に自足・自閉してしまう傾向が強い文芸である。いまはまた俳句にとって川柳は近くて遠い隣人となってしまったのかもしれない」

このように述べたあと、大橋は清水かおりの次のような川柳作品を引用している。

群青なのでフェチという言い草     清水かおり
隷属や傘屋に遊ぶことしきり
うたたねの椅子で揮発せよ小鳥

これらの作品を読むときに、大橋は「川柳的な一義性」「川柳的な『うがち』や『はぐらかし』」「川柳文芸の特徴」などを意識する必要がないことを爽快なこととして述べている。即ち、大橋は清水の作品を詩として読んでいるのだ。

他ジャンルの方からよく「川柳の読み方がよくわからない」という発言を聞く。俳句や短歌の場合はそれなりの読みの方法が蓄積されているのだろうが、川柳では読みの方法のようなものはあまり耳にしない。ジャンルの特性に基づいた川柳の読みは、それはそれで追求する価値があるかもしれないが、ひとつの作品として短詩型の読者の目にさらされてゆく経験が川柳にはもっと必要である。

2013年9月6日金曜日

「詩型の越境」(「現代詩手帖」9月号)について

「現代詩手帖」9月号の特集「詩型の越境―新しい時代の詩のために」が話題になっている。
2本のシンポジウムと俳句作品・短歌作品・融合作品の実作、それに関悦史・山田航などの評論が付く。俳句作品としては安井浩司・竹中宏・高山れおな・御中虫・福田若之が掲載されており、このラインナップが「現代詩手帖」で見られるのは快挙と言ってよい。そのせいか、今月号はなかなか手に入らない。特集が目当てで買い占めている人がいるのかもしれない。

「詩型の越境」は今まで繰り返し語られてきたテーマである。このテーマが「現代詩手帖」という場でどのような取り上げられ方をするのか、興味と期待をもって読んだ。
巻頭のシンポジウム「越境できるか、詩歌 三詩型横断シンポジウム」は、高橋睦郎・穂村弘・奥坂まや・野村喜和夫(司会)による。
三人の立場はそれぞれ異なる。「ジャンルが異なっても共有できるポエジーは分かるが、そうじゃない概念やポエジーの作り方はわからない」というのが穂村。「基本的に越境はできない」というのが奥坂。「そもそも境界というものはないし、ない方がお互いを豊かにする」というのが高橋。
三人のうちで奥坂の発言を取り上げると、〈俳句は季語にたいする「お供物」〉〈形而上的な部分は季語がひきうけてくれる〉〈無季の俳句はアンチ巨人軍のようなもの〉〈連作には反対〉などの言葉が目につく。ずいぶん乱暴な発言だとは思うが、これらの発言の是非については俳人が批判すればよいことで、ここでは何も言わない。ただ川柳と関連する部分については少しコメントしておきたい。
穂村が「越境できるか、俳句と川柳」という問題意識で、「いまわれわれはかたちが違うものどうしで集まっているのでどこかゆとりがある。越境してもかたちが違うみたいなよりどころがあるけれども、目に見えない本質の共有だけが俳句と川柳の差異であるならば、その二つのジャンルは越境できたらいけないのではないか」という問いを投げかけたのに対して、奥坂は次のように答えている。
「いま川柳には時実新子以来、季語的なことばが入っていれば俳句として鑑賞できるようなものが増えてきています。だいぶ境界が曖昧にはなってきていると思います。じつは私の『鷹』というグループに川柳を以前にやっていて、それから俳句をはじめたという方がいて、川柳でもかなりの作者だったらしいんですが、俳句をなさって高く評価された句集も出しています。その方に言わせると、川柳というのは意味だという。意味のおもしろさに価値があると」
たまたま自分の周囲にいる人の意見を取り上げて、しかもその人の実名も明らかにせずに「川柳」全体についての決めつけを行う。このような手法をとる人を一般にはデマゴーグと呼ぶ。時実新子は川柳に一時代を画した人だが、川柳といえばいまだに時実新子というのもいかがなものか。俳句と川柳の境界については昭和十年代からずっと論争が続いてきているので、このように軽く片付けられるような話ではない。
奥坂の発言は俳句界の内向きの発言であって、意見の異なる他者と対話するものになっていない。俳句の世界の中の、それも一部に向けての発言なら共感もえられようが、奥坂は「現代詩手帖」の読者についての想定を誤っているのではないか。
もうひとつのシンポジウム「詩型の融合は可能か?」は4月14日に開催された「詩歌梁山泊~三詩型交流企画」第一部の記録である。パネラーは石川美南・光森裕樹・柴田千晶・榮猿丸・野村喜和夫・暁方ミセイ・堀田季何(司会)である。こちらの方はより具体的作品に基づいて話が進められており、前者が「クロスオーバー」だとすれば後者は「フュージョン」がテーマだと言えよう。
取り上げられている作品は岡井隆、瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』、高山れおな『俳諧曾我』、辻征夫『俳諧辻詩集』、石川美南、斉藤斎藤、柴田千晶「青葉木菟」、野村喜和夫など多彩である。
堀田のまとめによると、三詩型の横断・越境・融合・コラボにおいては
一つの詩型ともう一つの詩型で合わさったもの
一つの詩型に刺激を受けてもう一つの詩型で表現したもの
一つの詩型をもう一つの詩型に溶け込ませたもの
などが見られるという。
融合作品の例としては「詩歌梁山泊・詩歌トライアスロン最優秀作」に選ばれ中家奈津子の「うずく、まる」が掲載されている。高山れおなの『俳諧曾我』は評判になった句集だし、『俳諧辻詩集』は出たときに愛読したものである。柴田千晶の『セラフィタ氏』『生家へ』など、私たちは読者としてもさまざまなフュージョン経験を積んできていることになる。

今月号でおもしろいのは、議論だけではなくて短歌と俳句の実作が掲載されていることである。短歌も興味深く、斉藤斎藤の作品などはぜひ紹介したいところだが、詞書の部分などがあって引用しにくい。次に紹介するのは俳句のうちの三人の作者である。

修女いま魚座をねむらす膝の上     安井浩司
肩を入れがたき無門や夏あざみ
悠々と大地のキャベツ盗む旅人
大いなる角度で抱かる春の妃や
青銅牛の内臓盗られ草あらし

ビル街にひそみて蟬が愉快がる     竹中宏
夏脱しゆく岩は岩瀧は瀧
燕去る中有のそらを藁くづも
秋の水から親鸞が朱唇あげ
ヴェロニカは「ときどき眠る貂の貌」

彼と彼女は詩をめぐりやがていさかう。
また本を読まないでいる蛾をみている    福田若之
なに期待してさ紙魚みたいに食えよ
「は?」という、過去限りなく繰り返された。パラソル。
舟虫に砂の本音は崩れ去る
暑極まる風向きを読み佐渡を見て
草笛の音が草笛から遠い

こうして見てくると、シンポジウムや評論における議論と掲載作品がお互いに照らし合い、相対化しあって、多角的な編集になっていることが分かる。編集ノートには次のように書かれている。
「詩の書き手が短歌や俳句を書けばそれで『越境』と言えるのか。そうではないだろう。何よりもまず読むこと、感応することからはじまるのではないか、というのがこの特集の出発点だ。短歌、俳句それぞれ5人の作家たちに書き下ろしで作品を依頼した。これは関悦史、山田航両氏に、詩の書き手、読み手に読んでもらいたい作家ということで選んでいただいたもの。こういったかたちでの短詩型作品の競作は小誌でははじめてのことでだが、何の違和感もなく誌面で輝きを放っていることに驚く」

クローズドな世界にとどまっているなら安全無事だが、価値観の異なる他者の世界へ出て行くには勇気がいる。そこでは内部でだけ通用する価値観が問い直され、普遍的なものに鍛え直されるからだ。ある意味でとても怖いことである。だからといって、自己のジャンルの中で閉鎖的に純化してゆくほうがいいというわけではない。同時代の表現者たちのことはジャンルを越えて気になるものだし、時代の進展のなかでしか私たちは前へ進めないのだ。

2013年8月30日金曜日

川柳とアフォリズム

吉田精一著『随筆入門』(新潮文庫・昭和40年)の「アフォリズム」の章に次のような記述がある。

「私は二十年ほど前、日本の川柳が、ヨオロッパの詩形でいえば、エピグラム Epigram や、エピタッフ Epitaph 、即ち警句詩や碑銘の類に似ているという意味のことを、『三味線草』という大阪から出ている川柳の専門雑誌に書いたことがあった。のちに調べて見ると、小酒井不木が、昭和三年ごろの『柳樽研究』という雑誌で、同じ意味のことを述べている」

吉田は「母が名は父のかひなにしなびてゐ」という古川柳について、阿部次郎が「徳川時代の芸術と思想」の中で、「徳川後期に於ける最も注目に値する短詩川柳」としてこの句を挙げ、「恋愛を突放して滑稽的観照の下に置く」という態度が垢抜けしている点を川柳の独壇場としていることを紹介している。その上で、吉田はさらに次のように述べている。

「しかし川柳の対象とするものはひとり恋愛にかぎらない。人生の諸相を極度に圧縮し、これを皮肉とうがちとを主とする観点から眺めて、警抜でかつユーモラスな観察をするのが川柳のもちまえである」

川柳の表現領域は幅広いから、吉田がここで述べているものだけが川柳だとは思わないが、ある種の川柳がアフォリズム的であることは間違いない。従来から、格言や標語は「穿ち」の要素をもっていると言われてきた。「一銭を笑うものは一銭に泣く」という標語と「母親はもったいないがだましよい」という古川柳の間に発想上の大差は認められない。
アフォリズムの根底にあるのは深い人間観察である。現代川柳におけるモラリスト(人間観察家)としての川柳という点で成功しているのは、私の知るところでは次の二人である。ここには「穿ち」の現代的深化がある。

あおむけになるとみんながのぞきこむ     佐藤みさ子
虫に刺されたところを人は見せたがる     金築雨学

―アフォリズムといえば、ラ・ロシュフコーの『箴言集』は有名である。
数年前、その川柳版を作ってみたことがある。「MANO」の掲示板にも掲載したから、ご覧になった方があるかも知れないが、私自身がすでに忘れていて、たまたま書斎のファイルから出てきたので、次に再掲してみたい。

われわれが川柳と思い込んでいるものは、往々にして、さまざまな「常識」とさまざまな「思い」の寄せ集めに過ぎない。

われわれは皆、退屈な川柳には充分耐えられるだけの強さを持っている。

川柳で目が見えなくなる人があり、川柳で目を開かれる人がある。

人は大会で抜けたことを鼻にかけるが、その功績は偉大な志の賜物ではなく偶然の結果であることが多い。

本当の川柳は幽霊と同じで、誰もがその話をするが、見た人はほとんどいない。

川柳を疑うのは、川柳に欺かれるよりも恥ずかしいことだ。

川柳の付き合いでは、われわれは長所よりも短所によって人の気に入られることが多い。

川柳を愛せば愛すほど憎むのと紙一重になる。

心中得意になることが全くなければ、川柳大会にはほとんど何の楽しみもなくなるだろう。

つまらぬ川柳の滑稽さをはっきり見せる模倣だけがよい模倣である。

川柳の偉大さにも果物と同じように旬がある。

少しも尊敬していない川柳人を愛すのは難しい。しかし自分よりはるかに偉いと思う川柳人を愛することも、それに劣らず難しい。

川柳人どうしがいっしょにいて少しも飽きないのは、ずっと自分のことばかり話しているからである。

川柳をすると、人は自分の最も信じているものまでしばしば疑う。

川柳をもう愛さなくなった時は、川柳と手を切るのも大そう難しい。

人はしばしば川柳から野心に転じるが、野心から川柳に戻ることはほとんどない。

われわれの川柳は、ほとんどの場合、偽装した短詩に過ぎない。

―次に、パスカルに登場していただこう。パスカルの「パンセ」に見られるアフォリズムを「川柳」に置き換えて、いくつかの箴言を作ってみる。パスカルはロシュフコー伯爵よりも表現の位相が深いので、出来上ったアフォリズムもより屈折し毒のあるものになる。

川柳をばかにすることこそ、真に川柳することである。

人は精神が豊かになればなるほど、独特な川柳がいっそう多くあることに気づく。普通の川柳人たちは、川柳のあいだに違いのあることに気づかない。

この川柳形式の無限の可能性は私を恐怖させる。

川柳は俳句でも便所の落書きでもない。そして、不幸なことには、俳句のまねをしようとおもうと、便所の落書きになってしまう。

川柳は川柳を越えている。

川柳が一句のなかで互いに矛盾することを言っているときには、別のことを意味していたのである。

川柳は、相反する章句を一致させる一つの意味を持っている。

―「風刺」や「警句」は川柳における非詩的要素とも考えられるが、深い意味においては、やはりそれは詩の領域に属するものだろうと私は思っている。

「考えない葦」ジグザグとせめられる    石原青竜刀

2013年8月23日金曜日

読者参加型の川柳はありうるか

先週は「川柳における新しさ」について書いたが、その中で紹介した堺利彦の文章の中に「これまでのように一句の中で見事に完結しているのとは違って『未了性』に満ちた『読者』に具体的なその解釈が預けられた句」という表現があった。

「未了性」とか「読者に預ける書き方」などの表現は石田柊馬もよく使用するし、倉橋健一には『未了性としての人間』という有名な本がある。カフカの作品はその未了性のゆえに魅力的である、などと言われる。

作品は完結していなければならないというのは当然のことのように思われるが、未完成であったり、作者が意識的に未了のまま作品を読者に提示することによって、逆に作品が魅力的になることがあるとすれば、それはどのような場合だろうか。そして、未了性をもつ作品と読者参加型の作品とはどのように対応するのか。

たまたま中村真一郎の『王朝小説』を読んでいると、『夜半の寝覚』についての次のような記述に出会った(『夜半の寝覚』は途中の部分と終わりの部分が大幅に失われていることで知られる)。
「こうした大きな抜けた部分のある作品を読むという仕事は、大変にまだるこしいものであるが、しかし、これも考えようで、中世の『無名草子』や『風葉和歌集』などの記述や引用などから、わずかのヒントを与えられて、その空隙を、読者のなかで自由に埋めるという、ジグソー・パズルに似た遊びを試みることも、こうした欠巻のある物語の読み方のひとつである」
「そして、それが図らずも、今世紀になって、西欧にはじまった二十世紀小説の特徴である『読者参加』の要素と一致しているのは、まことに興味深い」

たとえば、コルターサルの『石蹴り遊び』は、「小説を多くの断片に分解し、それを読者が自由に配列し直して、それぞれに自分の小説を作る読み方」を提示している。かつてこの小説を読んだときに、私は配列されている順序に忠実に読んでゆき、それをバラバラに読む読み方をする元気を持たなかった。せっかくの読者参加型の小説なのに、つまらない読み方をしたものである。

作者論から読者論への転換ということが言われた時期があった。「作者が何を言おうとしたのか」という視点から「読者がどのように読むのか」という視点への変化である。「作品」から「テクスト」という呼び方に変化したのもこれに対応する。夏目漱石の『こころ』の「私」(大学生)がその後どうなるのかが真剣に論じられたのもこの流れの中においてである。

本来、全部で八巻の物語のうち、一部が失われて第一巻・第二巻・第五巻・第六巻だけが現存しているとする。読者は失われた第三巻・第四巻を想像によって埋めてゆく。そして、第七巻以降の物語を自由に作りあげることになる。この場合、〈読むこと〉〈書くこと〉はすでに同一の精神の作業になる。

そろそろ川柳の読みに話を戻そうか。
「川柳カード」第3号から数句を選んでみる。

女教授のいぢめちゃうぞをかたつむり     きゅういち
りかちゃんに湯船に満ちる生卵

一句目、「女教授」「いぢめちゃうぞ」「かたつむり」の三つのパーツを「の」「を」という助詞で強引につないでいる。これを二つのパーツに分けると〈「女教授のいぢめちゃうぞ」を「かたつむり」〉となるだろう。「女教授を」ではなくて「女教授の」だから、女教授はいじめられるのではなくて、いじめる側の一種のサディスティックな存在となる。「いぢめちゃうぞ」という旧かなづかいを敢えて採用しているのは、たとえば谷崎潤一郎などの大正文学のような効果をねらったものだろう。男はいじめられる側の存在である。もっとも、〈いじめる〉〈いじめられる〉という関係も双方向的だから、男女の遊戯的関係とも受け取れるが、「女教授」の「助手」に対する権力関係まで深読みするとパワハラの情景が思い浮かぶ。「かたつむり」が這ったあとには白い筋がのこされる。文学作品ではしばしば性的比喩として使われるようだ。
二句目、「りかちゃん」とくれば、ロリータである。「りかちゃん」「湯船」「生卵」の三語をつないでゆく構造は一句目と同じ。湯船に満ちているのは生卵であり、りかちゃん人形が湯船にみちていると読むのは文体的に無理がある。

全集をそろえて兄の耳を噛む         清水かおり
眉剃って水琴窟になっている

一句目、誰の全集なのだろう。バルザック全集であれば、猥雑な人間の情熱と欲望が渦巻く人間喜劇の世界になり、ドストエフスキー全集であれば、聖なる神と悪魔的人間とに引き裂かれた矛盾にみちた世界となり、フロイト全集であれば無意識とリビドーの世界となる。「兄の耳を噛む」作中主体は、「弟」ではなくて「妹」だと私は読む。兄と妹が書架の全集をいっしょに並べ直している。妹はそっと兄の耳を甘噛みする。
二句目、王朝の貴族女性は眉を剃ったが、ひとり変った女性がいて、『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」は何ごとも自然のままがよいと言って眉を剃らなかった。この句では、作中主体の女性は眉を剃って「待ち」の姿勢になっているのである。

銅像になっても笛を吹いている        久保田紺
帰れないなあもう少し溶けないと

会員投句欄から。
一句目、銅像になったのがどのような人物なのかによってイメージが変わってくる。
銅像になりたがっているような世俗的人物である場合は、銅像になったあとも笛を吹いているという揶揄や批判がこめられていることになる。「笛を吹く」という言い回しには「笛吹けど踊らず」のように扇動的なニュアンスがある。その場合でも、そんな人間は俗物だと批判して片づけるのではなく、人間とはそのような存在なのだというペーソスが感じられる。
銅像になることに羞恥を感じるような人物がたまたま銅像にされてしまったという場合。その人は実際に笛を吹くことが好きであって、いつも笛を手放さなかった。彼は銅像になっても直立姿勢をとらず、笛を吹き続けているのだ、ということになる。
いずれの場合にしても、作者の人間観察者としての目が働いている。
二句目、「もう少し溶けないと」を現実的にとらえると、たとえば積雪に閉じ込められた世界で雪が溶けないと帰れないというような情景が思い浮かぶ。しかし、もう少し心象的な表現と受け取ると、「溶けないもの」は自己の内面にあるので、それが少し溶けて何とかならないと自由な行動に移れないというふうにも読める。人間や世界はさまざまなレベルでとらえられるものであり、どの次元で切り取るか、あるいはどの次元で読みとるかということが問題となる。

さめざめと濡れて叶ったのだと言う      阪本きりり
喃語あわめく獣の毛の匂い

一句目、一篇の王朝物語のような作品である。
主語が省略されているし、何が叶ったのかも書かれていないが、そのことによって逆に、夢の中のできごとのような、ある「叶った」という実感だけが伝わってくる。読者はそれぞれの想像を代入することができる。
簡単に手に入るようなものであれば「叶った」とは言わないだろう。まして「さめざめと濡れて」だから、よほど強い禁忌が働いているにもかかわらず叶ったのである。物語で言えば、源氏の藤壺に対する恋とか、柏木の女三宮に対する恋などが思い浮かぶ。
二句目は、一句目と似たような情景であるが、表現が具体的であるだけに、読者の想像が限定的になる。一句目が王朝的だとすれば、二句目は反王朝的である。

これらの川柳を読みながら改めて感じるのは、事実を詠んでいるのではなくて真実を詠もうとしていることである。私たちは現実の中で生きているが、現実社会の中でだけ生きているのではなく、夢や妄想や無意識も含めた多層的な認識の中で生きているのである。

2013年8月16日金曜日

川柳の「新しさ」について

酷暑である。
昨年のこの時期は『怖い俳句』(倉阪鬼一郎著)を取り上げて納涼をこころみたが、今回は川柳諸誌のサーフィンをしてみたい。

「川柳木馬」137号に堺利彦が〈「新しさ」を求めて〉という文章を書いている。「詩歌梁山泊」主催の第3回シンポジウム(4月14日)の懇親会で、堺は次のように語ったという。
「さきほどのシンポジュウムで取り上げられた詩・短歌・俳句の中で、その良さというものがこれまでの文芸批評でもって説明できるものは、どうも、その作品自体が古いのではないかと感じられてならないのです。作品の良さがこれまでの批評理論でもってうまく説明できないもの、それが新しさというものではないかと思うのですが、そういったものに最近は、強く魅かれるようになりました」
堺の言うように作品の良さが既成の説明で言いあらわせるような作品は新しいとは言えない。絵画で言えば、印象派が最初に登場したときは世間から罵倒されたのであり、ピカソの作品はそのパワーによって絵画の領域を広げたのである。批評言語が作品に追いつくまでには時間がかかることが多い。
では、「新しさ」(特に川柳における「新しさ」)とはどういうものなのだろうか。堺は「これまでの川柳の文体(構造)とはちょっと違ったもの」「これまでのように一句の中で見事に完結しているのとは違って『未了性』に満ちた『読者』に具体的なその解釈が預けられた句」などを挙げている。

堺とは別の文脈であるが、「MANO」18号に掲載の「現代川柳の方法」で小池正博は「この川柳にはお手本がない」という木村半文銭の言葉を引用している。大正末年から昭和初年にかけて全国に広まった新興川柳運動は、既成川柳とは一線を画するムーブメントだったが、いわばお手本のない、未来へ向かってこれから生まれていく川柳であった。小池はこれを発展途上にある現代川柳の状況と重ねあわせている。

しかし、そのような「川柳における新しさ」を実作の場で実現してゆくのは容易なことではない。
7月7日に開催された第64回「玉野市民川柳大会」の句会報から、特選作品を抜き出してみよう。

しなやかな指に出口を塞がれる     豊福地佳平
残されたかかしはグラスファイバー製  兵頭全郎
やんわりとルージュゆっくりと惑星   山本ひさゑ
ブレイクショットから木星が動かない  兵頭全郎
キリンの首をゆっくり降りてくる寓話  前田芙已代
セレンゲティの夕陽を忘れないキリン  安原博
そろそろを胸の谷間に泳がせる     丸山進
伝言板は倉庫へそろそろは丘へ     兵頭全郎
青信号話を軽くしてしまう       山本ひさゑ

これらの作品が一定水準の完成度をもっているのは確かである。しかし、「新しい」だろうか。どこかで見たような内容、すでに使われ尽くした文体、現代川柳に親しんでいる者であれば誰にでも可能な発想などによって作られているのではないだろうか。もちろん「新しさ」だけが作品の価値ではない。既成の手法をもちいて完成度の高い作品をつくることが悪いはずはない。私の言っているのは、批評言語が追いつけないほどの驚異がこれらの作品にはあまり感じられないということだ。玉野には私も毎年参加しているから、これは自戒をこめて言うのである。

「水脈」34号に浪越靖政が「川柳の可能性(2)」を書いている。
「ササキサンを軽くあやしてから眠る」(榊陽子)については、このブログでも取り上げたことがあるが、浪越はこの句を含めたいくつかの句についての反響をまとめている。
また昨年6月の「川柳ステーション」大会(おかじょうき川柳社)と昨年9月の「川柳カード」創刊記念大会の特選句を紹介しているが、その中では「川柳ステーション」の次の句が新鮮だと言えるのではないか。

Re:Re:Re:Re:Re:胸には刃物らしきもの   守田啓子

「触光」 (編集・発行:野沢省悟) 33号では清水かおりが「高田寄生木賞とリアリティ」を寄稿している。清水は第3回寄生木賞の「寝たきりのゆうこにも毎月生理」(神野きっこ)などの句を取り上げ、「川柳に詠まれる『現実』について」「作品と現実の関係」「事象を自己通過させて言葉に乗せる難しさ」などに言及している。

こうして川柳諸誌を見てくると、従来の川柳において弱点とされてきた「批評」の分野が徐々に立ち上がってきているように思われる。作品は作品だけの力によって普及していくというのは一種のロマン主義であって、実際は批評によるバックアップによって人口に膾炙してゆく場合が多い。作品は繰り返し語られることが必要なのだ。その際、作者にとって不本意な語られかたをすることもあるだろうが、それも含めて作品は他者によって読まれなければ何にもならない(「だから誰にでも分かるような川柳を書くべきだ」というような考え方に私は賛成しない)。短詩型文学において「読み」は何らかのかたちで作者に反映してゆくものなのだろう。

「週刊俳句」(8月11日)の「週俳7月の俳句を読む」のコーナーに、きゅういちが書いている。「ぺぺ女」という人の句が気に入ったようだ。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/08/7_11.html

2013年8月2日金曜日

第27回連句フェスタ宗祇水

6月にこのブログで猪苗代兼載のことを書いたが、今日は飯尾宗祇に関連したことを述べてみたい。
7月27・28日、郡上八幡への旅をした。「連句フェスタ宗祇水」に参加するためである。毎年案内をもらっているのだが、日程が合わなくて今まで行く機会がなかった。郡上八幡の「宗祇水」は連歌にゆかりの場であり、一度は訪れたかったところである。
「奥美濃連句会」の有志が「宗祇水」に俳諧の連歌の奉納をはじめたのが昭和50年。それが発展して「連句フェスタ宗祇水」となったのが昭和62年である。その中心となり、求心力となったのが郡上八幡在住の詩人・連句人の水野隆(みずの・りゅう)であった。
連句集『満天星』(どうだん)に収録されている、次の歌仙は連句人にとって忘れられない作品である。最初の7句だけ紹介する。

晩禱や地に満天星の花幽か    水野 隆
かつて樹たりし記憶透く春   村野夏生
鞦韆に水平線をひきよせて    別所眞紀
貴人ひとり住む新開地     安宅夏夫
ざらざらと月光首に巻く立夏   山地春眠子
川鳴る谿の流し素麺      古池淳嗣
液晶の靑より蒼に變るとき    村松定史

連句における詩性派を代表する作品である。
この作品は第1回連句懇話会賞を受賞。現代連句史にひとつのエポックを画した。
水野隆とは一度だけ連句の座をともにしたことがある。
2005年10月、神戸を訪れた水野を囲んで「おたくさの会」で連句を巻いたときに、私も誘われて同座させていただいた。歌仙「夕星の」の巻。鈴木漠編『轣轆帖』(編集工房ノア)に収録されている。そのときの発句と脇は次のようになっている。

夕づつの落鮎銀の塩振らな    水野 隆
後の月から水の滴り      小池正博

脇句には捌き手・水野の斧鉞が入っているかも知れない。「水の滴り」に「水野」を掛けているところが私らしいと言えばいえる。
「塩振らな」は「塩振らむ」という意味だろう。2007年の「連句フェスタ」の際に梅村光明は「夏行くや古今伝授の跡訪はん」の発句を出したところ、水野は「これで結構ですが」と言って、「訪はん」を「訪はな」に直したという。彼の愛用の語だったのだろう。
次のような付合もある。

辛辣なコラムに繁き蝉時雨      正博
匕首ひそと砂利に埋める      隆

薬喰曇りにじみ来櫺子窓       隆
バイリンガルの叔母は着ぶくれ   正博

水野は平成21年に惜しくも亡くなったが、「連句フェスタ宗祇水実行委員会」によって継承・開催されている。

名古屋から高速バスに乗って郡上八幡インターで下車。まっすぐに「宗祇水」に向かう。
長良川の支流の吉田川には鮎を釣る人々の姿が見られる。友釣りである。なわばりを守る鮎の性質を利用した釣りであるが、最近の鮎はなわばり内に別の鮎が入ってきても攻撃しなくなったとは後日聞いた話である。鮎も草食系になったのか。
丹塗りの清水橋を渡ると宗祇水である。ここが聖地である。湧き出る水が美しい。連歌・連句に関心のある人しか訪れないものと思っていたが、名水として有名で、観光客の流れが絶えず、静かに古今伝授のあとを偲ぶ雰囲気でもない。宗祇水を背にしてしばらく清流を眺めていた。
郡上八幡城や翌日の連句会の会場になる大乗寺などをめぐっているうちに夕刻になる。
前夜祭では大乗寺住職・高橋教雄の講演を聞く。宗祇が古今伝授を受けた東常縁(とうのつねより)についての考証である。
懇親会のあと郡上おどりの会場へ。郡上おどりは縁日おどりなので、それぞれの日に名称が付いている。この日は「赤髭作兵衛慰霊祭」という。お城の石垣の大石を運び終えたあと力尽きて息絶えたのが赤髭作兵衛である。
踊りをふたつほど見たあと、ホテルに戻って明日に備える。

翌日曜日は「連句フェスタ」の当日。午前9時半に宗祇水にて発句献句。短冊に自筆で書いた句が吊るされる。

草いきれ辿り来たれば宗祇水    正博
葉やなぎやしばし宗祇の名水に   静司

う~ん。連句より習字の練習をしてくるべきだったと悔やむが、これはまだまだ序の口だったのである。
大乗寺に移動して連句興行。「かわさきの座」は私の発句、「春駒の座」は静司さんの発句で、二座に分かれる。捌き手はそれぞれ臼杵游児、東條士郎の両氏である。
治定された句は本人が半紙に清書して順に吊るしていく。ここでも汗。
夕刻には歌仙二巻が巻き上がり、午後5時半に再び宗祇水で奉納(読み上げ)。冷えたビールにて乾杯する。このあと懇親会があったが、ここで私はバスに乗るため別行動に。
吉田川に沿ってバス停まで歩くあいだ、この町に息づく詩魂について改めて実感した。
宗祇水には是非行くように岡本星女から勧められたことがあったが、星女がひとつ話のように何度も語ったのは平成18年の連句フェスタの際のことである。星女が興に乗って郡上節を歌ったのに対して、水野隆は歌舞伎・髪結新三の声色を披露したというのだ。
水野は「おもだか家民芸館」の当主であり、彼の父の水野柳人は鮎の絵を得意とした。そういう文化の伝統が更に次代につながっていくのである。
八月に入っても郡上おどりは毎夜続いている。今夜もいまごろは城山公園で人々が踊っていることだろう。

次週8月9日は夏休みをいただいて休載します。次回は8月16日にお目にかかります。

2013年7月26日金曜日

暑中お見舞い諸誌逍遥

7月6日(土)
連句協会・理事会に出席のため東京へ。
朝、家を出るとき郵便受けに「川柳カード」3号の校正刷が届いていた。鞄に入れて出発。
新幹線の中で校正する。特集「2010年代の川柳」、飯島章友・湊圭史・きゅういち・兵頭全郎の四人がそれぞれ異なる切り口で書いていて、立体的に仕上がっている。何箇所か訂正。(しかし、結果的には重大な誤りをスルーしてしまっていた。校正はコワイ。)
千駄ヶ谷で降りて、会場の日本青年館へ向かう。国立競技場ではサッカーの試合があるようだ。
連句協会の法人化、山梨の国民文化祭などについて話し合い、夕刻に終了。
いつもは理事会のあと近くの蕎麦屋に有志が集まるのだが、本日は体調不良のため出席せずに大阪へ帰ることにする。先日の「大阪連句懇話会」のあと夏風邪をひいて、なかなか治らない。このときご参加の連句協会会長も風邪をこじらせているし、大阪のバイ菌は強力なようだ。

7月7日(日)
玉野市民川柳大会へ。
新幹線で岡山へ。岡山から高知ゆきのマリンライナーに乗り、茶屋町で乗り換え宇野へ到着。
投句後、会場近くのお好み焼き屋へ。二軒あるが、冷房の効かない方は敬遠する。わけあってビールはノンアルコールにする。
会場へ戻ると、一階ロビーで海地大破さんはじめ高知の「川柳木馬」の方々と出会い、歓談する。高知組はバスをチャーターして来ていて、とても元気である。来年は「木馬35周年」だ。
兼題4(兼題は同じ題で男性選者と女性選者の共選)、席題1。大会では成績が悪く、3句抜けただけだった。特に「キリン」の題で抜けなかったのが残念である。もう少し実作に力をいれなければ。
兵頭全郎が特選を三つ受賞したので、岡山駅前でお祝いをする。玉野の帰りに毎年立ち寄る居酒屋である。昨年は二階の座敷いっぱいの参加者だったのに、今年はいるべき人がいない。明日は職場検診でバリウムを飲むので、ノンアルコール・ビールで通した。あまり気勢が上がらない。

7月×日
五木寛之・梅原猛対談集『仏の発見』読了。
途中で川端康成の話になって、五木がデビューしたてのころ、川端に誘われて「絨毯バー」というところに行く話がおもしろい。
バーの近くに小物を売っている店があって、川端は安物のアクセサリーか何かをたくさん仕入れていく。バーに着くと、来ている女の子に向かって五木が「あのおじさんがこんなものをくれると言っているから、こちらへ来て話さない?」とか言う。女の子に取り巻かれて川端はとても嬉しそうだったという。
仏界入りやすく、魔界入りがたし。

7月×日
俳誌「里」7月号が届く。
毎号楽しみにしている佐藤文香選句欄「ハイクラブ」のページを開く。

蛸の目のきろりと動くだいぶ嫌    上田信治
ほんたうのみづ満ちてゐる枇杷の中  中山泡
小さき人やはりちひさき夏木立    山田露結
駒鳥や太陽は西に向かった      日高香織
行くも帰るも世界の夏の生足よ    高山れおな

「成分表」で上田信治が「説得力」と「納得力」について書いている。
その中で上田は施川ユウキの長編4コマ漫画『オンノジ』に触れている。この漫画は読んだことがないけれど、「どういうわけか世界にただ一人とり残された小学生の女の子が、うだうだ冗談を言いながら生きていく」という話らしい。上田はこんなふうに言う。
「おどろくべきことに、この作品はハッピーエンドで終わる」「そんな世界をつくっておいて、作者はその少女が不幸になることが、自分に許せなくなったにちがいない」
もちろんこのハッピーエンドは辻つま合わせなどではなくて、考え抜かれたものなのである。最後に上田は次の句を引用している。

死顔のやうにやすらか汗ながら    田中裕明

7月×日
「猫蓑通信」92号が届く。
巻頭、青木秀樹が「連句の座のマナー」について書いている。
東明雅「二条良基の序破急論」は昭和40年に書かれた文章の再録。こういう文献の掘り起こしは読者にとってありがたい。良基の「築波問答」では百韻について、「一の懐紙は序、二の懐紙は破、三・四の懐紙は急」に相当するとしている。序破急の「急」の部分が後半全部となり、ここに一巻の興味がおかれていることになる。
「急」が他の二倍もあるという良基の連歌論はおもしろいとも言えるが、後代の人はこれを修正して、発句から十句目までが序、十一句目から二・三の懐紙全部を破、四の懐紙が急となった。連句の歌仙では表六句が序、裏と名残の表の二十四句が破、名残の裏六句が急である。
編集人の鈴木了斎は、東明雅の文章に並べて芭蕉の「柴門ノ辞」(現代語訳・解題付)を置き、次のように問題提起している。
「もし、歴代の連歌師、俳諧師が常に古人の跡だけを求めていたら、出発点である二条良基の論は今日に至るまで、まったくそのままの形で通用していたに違いない。では、師の求めたところを求めるにはどうすればいいのだろうか。私達も真剣にそれを考え、模索することを通して、豊かな師恩に報いて行かねばならない」

7月×日
「川柳・北田辺」第33回句会報が届く。
くんじろうの長屋ギャラリーで開催される句会である。くんじろうの手料理付きで、この日は「らわん蕗のシーチキン炒め」「牛ステーキ夏野菜ソース」「パプリカの肉詰めチーズ焼き」をはじめ17品が出たもよう。
席題1、兼題3のほか2順目の席題が12題。
「いつまでも気の済むまでやってたらええねんとお帰りになった方もいる中で…」
さらに封筒まわしが7題。くんじろうと榊陽子が絶好調である。

「陽気」  ライオンの棺で父を送り出す        くんじろう
「こだわる」三行目からは漢字を使わない        くんじろう
「零す」  おしょうゆをこぼしておとなになっていく  陽子
「失言」  ねえさんは一日2回ひげを剃る        陽子

9月15日には同所で「第5回朗読会」が開催される予定。

7月×日
久保純夫の個人誌「儒艮」(じゅごん)第2号が届く。
個人誌ではあるが、11名の招待作品が並ぶ。

蟋蟀や解熱作用が見つからず      城貴代美
ジョバンニとアナベラがいる氷頭膾
直系は芍薬にあり打擲す
すれ違ひざまの耳打ち黄鶺鴒      岡田由季
人間は電気を通す秋の暮
蝌蚪じっと見ているそしていなくなる  小林かんな
くちなわのだんだん左寄りとなり
天文部一名遅刻ホタルブクロ
戦争のかたちで並ぶ裸かな       久保純夫
後朝や伏目のラマに愛されて
陰毛や遺品のように持ち歩き
桔梗ごと近づいてくる左の手
刈田かないつも乳首のふたつみつ

7月×日
「川柳カード」第3号が届く。
わあ~。校正ミスがあった。立ち直るまで、しばしの時間。
同人・会員・購読のみなさまには近日中に届くはずである。
9月28日(土)には「第2回川柳カード大会」が大阪・上本町で開催される。
この酷暑を乗りきれるだろうか。

2013年7月20日土曜日

「現代詩手帖」から大沼正明句集『異執』まで

「現代詩手帖」7月号の特集は「藤井貞和が問う」である。
巻頭に藤井自身の「声、言葉―次代へ」を据え、巌谷國士・川田順造・佐々木幹郎など20人近い論考を並べている。読みどころはいろいろあるが、昨年11月3日に神戸女子大学で開催されたシンポジウム「現代詩セミナー」が収録されているのが嬉しい。例年開催されているこのシンポジウムは何度か聞きに行ったことがあるが、昨年は参加できなかったからである。
パネラーは藤井貞和・金時鐘・たかとう匡子・細見和之、司会・倉橋健一であるが、金時鐘は次のように発言している。
「3月11日まで、日本の現代詩は外に向かって開かれていた詩だったとは思えないんです。生気を失った、内向きに逼塞した詩であったと私には見えていました。ために、これまでの現代詩の内実を明かしていくことが、いまから始まらねばならない。幸か不幸か、時代の変遷を驚愕の実相でもって露わにしたのが一昨年の東日本大震災だったと思うんです」
「この20年、日本では、短歌、俳句が跋扈しました。日本人誰しもが歌人、俳人の観を呈して久しいのですが、それにひきかえて現代詩はどうでしょう。言い換えれば、日本の言葉に関わる芸術は全部、現代詩の衰退のうえに成り立っている芸術なんです」
ここだけ引用すると誤解されそうな発言だが、インパクトがあり印象に残った。
細見和之は震災のあとCMで延々と金子みすゞの詩が流されたことについて、なぜ俳句や短歌ではなくて詩だったかと問題提起して「一番当たり障りのないものとして詩が選ばれたところもあったんじゃないか」と発言している。これも誤解を受けそうな発言だが、「大状況とふれ合わないという意味での詩、どこか自分の気持を逸らして別の何かを現実と違うものとして提示してくれるような詩、そういう生々しくないものとして詩が選ばれたところがあったのではないか」と細井は述べている。
シンポジウムのほか、和合亮一と藤井貞和の対談なども興味深いが、『東歌篇―異なる声 独吟千句』が再録されているのに注目した。藤井はこの本を2011年に出しているが、2012年には竹村正人がドキュメンタリー『反歌・急行東歌篇』を撮っている。
藤井の独吟千句は長句と短句を繰り返しているが、連歌・連句とは異なり、式目や季語を意識していない。こみ上げてくる言葉を吐き出したというものだろう。冒頭部分は「少年」と題されて、こんなふうに始まっている。

幼くて、われ走るなり。きれぎれに
返る記憶の少年の夏
特集のページ、原子の力もて
何をなせとか―ありし その記事
回し読みする「少年」誌、わが記憶
汚れていたる緑の表紙
はるかなるわれら 科学の夢を継ぐ
明日と思いき。はかなきことか
十年をわずかに越えつ。人類の
核分裂を手に入れてより
いもうとのウラン、名前に刻みつつ
あやうき虚偽となる 半世紀
あこがれの未来を、ラララ科学の子
戦後に誇る 産業ののち

鉄腕アトムの妹はウランちゃんだった。アニメの主題歌を作詞したのは谷川俊太郎。そういうところから藤井はうたいはじめている。いま、どんなに遠いところへ来てしまったことだろうか。

さて、「現代詩手帖」の俳句時評では関悦史が大沼正明句集『異執』(ふらんす堂)を取り上げている。句集の著者略歴によると、大沼正明(おおぬま・まさあき)は昭和21年、旧満州生まれ、仙台で育つ。『大沼正明句集』(海程新社、昭和61年)。現在「DA俳句」所属。「後記」を読むと『異執』という句集名は「正論から外れた見解を立ててこれに執着すること」で仏教語であるらしい。
関悦史は『異執』について、「大抵の句集が二次元もしくは三次元の枠内で表現に努めているとすれば、この句集は四次元といえようか」と述べている。「新しい表現自体のために新しい表現が探られるのではなく、己の生を句に成そうとすると、その表現が異形のものへと変貌していくのである」
『異執』については外山一機も「ブログ俳句空間・戦後俳句を読む」(5月31日)で取り上げている。

http://sengohaiku.blogspot.jp/2013/05/jihyo0531.html

関や外山に付け加えることは何もないのだが、『異執』はとても刺激的な句集なので、いくつかの句を紹介してみたい。

寧よ冬鳥戒厳令まだ解かぬ街に
寧よ行こう冬鳥を連れもっと北へ
長春手前で霧ふり寧の生理知りし
異物か無か寧の故郷に寧とひそみ
異物か明か三年半前少女の寧
寧の生家はあの解放大路の暗帰りぬ

「寧」にはニン、「明」には「みょう」、「解放大路」には「ジエファンダールウ」、「暗」には「あん」とルビがふられている。
「1991年(平成)秋からの足掛け四年は、中国東北部の長春にて現地の人々と寝食を共にした。旧満州生まれのおそらく最年少引揚者であろう己が原点を探る旅であり、句作りの継続には不可避との思いがあっただろう」と後記にある。
「杜人」238号に広瀬ちえみが「含羞と傲岸について」と題して『異執』の鑑賞を書いている。大沼は「『杜人』のみんなで来れば(長春を)案内するよ」とよく言っていたというが、実現しなかったらしい。
掲出句は1991年より以前の、1989年冬に北京から長春を旅したときの句のようだ。寧(ニン)という少女を詠んでいて抒情的だ。

われは反メディア派でいるンゴロンゴロ
貧貪と鳴らし半馬鹿派で行こう
僕もいつか紙おむつバックストローク派かな

「貧貪」には「ヒンドン」、「半馬鹿派」には「パンパカパ」のルビが。
「~派」という句が何句か見られる。むかし「漫画トリオ」なんてあったな。

阿Qいれば吽Qいるはず冬ざれ行く
ソウ太とウツ介この双頭の夏を行く
ぎざぎざ背鰭のオーヌマサウルス六十路らし

諧謔とか俳諧性を感じる句も多い。諧謔は自画像にも向かう。
次に挙げるのは批評性のある句。

しぐれとお金は大人の生き物こりこりす
自爆テロ地球にトンボ浮いてるのに
羽化まえのエノラゲイなら指でつまむ
民族浄化して粥に梅さがす広さかな
テキ屋きて社会の窓からいわし雲
ザリガニ尺もて祖国嫌度は脛から測る
天皇制のむこうの豚舎もまずは健康

渡辺隆夫が喜びそうな作品ではないか。

口腔(こう)派口腔(くう)派どっちも原発に口あいていた

この句について広瀬ちえみは次のように書いている。
「どう読もうと、そもそも原発ははじめから口腔を見せてあの日を待ちかまえていたのだという痛烈な批判は、新聞の見出しのような震災句の中で光を放っている」
最後に、句集のなかで最も抒情的だと思った句を挙げておこう。

白旗少女の白きは夏花なり摘むな

2013年7月12日金曜日

佐藤みさ子は怒っている

短歌誌「井泉」52号の連載「ガールズ・ポエトリーの現在」で喜多昭夫が「ロスジェネ世代の共感と連帯」と題して佐藤晶歌集『冬の秒針』を取り上げている。喜多はこの歌集を「ロスジェネ歌集として位置づけることができる」とした上で、次のように説明している。

「ロストジェネレーションとは、1970~80年代前半にかけて生まれた世代をさす」
「1991年3月にバブルは崩壊し、状況は一変する。有効求人倍率がついに1を下回った1993年以降、この世代は就職氷河期に見舞われることになったのである。企業は正社員の採用をできるだけ押さえて、派遣社員や契約社員といった非正規雇用を増やす方向へ大きく舵を切り、その憂き目を一身に浴びることになったのが、ロスジェネ世代というわけである」

内面にかかわりそうな話題には興味ないってふりが礼儀で    佐藤晶
触れあえばその傷跡が残るだろう桃のようなるわれらのこころ

このブログ(6月21日)でも「失われた20年をどう詠む」という飯島章友の問題意識について述べたことがあるが、ロスジェネ世代の川柳人がほとんど存在しないのはやはり気がかりなことである。

「MANO」18号が発行された。
佐藤みさ子・加藤久子・樋口由紀子・小池正博の同人作品のほかに、佐藤が「『冬の犬』を読む」、加藤が「明さんへの旅」、樋口が「石部明という存在」を書いて、昨年10月に亡くなった石部明を追悼している。小池の「現代川柳の方法」は木村半文銭の新興川柳と現代川柳を重ね合わせながら、固有の川柳メソッドがありうるかを問う。
巻頭作品は佐藤みさ子の「探す」20句である。
宮城県柴田町に在住の佐藤みさ子は震災をテーマに作品を書くことが多くなっている。
震災から二年以上が経過して、佐藤は依然として怒っているのだ。その怒りは内面化され、射程距離の長い作品として結実しつつある。
今回は佐藤の句を中心に取り上げるが、刺身のツマとして小池の句を取り合わせることによって若干の立体化をはかってみることにしたい。

ゲンパツを抱くとポタポタ雫する   佐藤みさ子
ネオリベも躑躅も妙に生きづらい   小池正博

1年前の「MANO」17号で佐藤は「祈るしかないのだ水を注ぎこむ」と詠んでいた。
いま佐藤は「ゲンパツを抱く」と詠んでいる。2年経過しても事態は収束しないし、将来の見通しもはっきりしない。そんなことは誰も望んでいないはずなのに、私たちはゲンパツを抱きかかえたまま生きていくほかはないのかも知れない。ポタポタ落ちる雫にはもちろん放射能が混じっているのである。
ネオリベはネオリベラリズム(新自由主義)である。この用語の厳密な意味を承知しているわけではないが、「ネオリベ」と省略して使う場合は揶揄の気持ちが込められている。男女機会均等法以後、女性も男性と同じように職場で活躍することを求められている。また、「市場原理」優先の時代の中で日本全体に何ともいえない閉塞感が漂っているのだ。

和を以て地震津波の国である        みさ子
なぜ髭を生やさぬと鞭打ちの刑       正博

聖徳太子の制定した「十七条の憲法」の第一条は「和を以て貴しと為し」である。太子は地震や津波まで想定しなかっただろうが、地震があろうと津波が来ようと和をもってことにあたる国だというのは皮肉である。
イスラム圏に鞭打ちの刑がある。
アフガニスタンは多民族国家であるが、ハザラ人というモンゴル系の人々がいる。
テレビのニュースでよく見る長い髭を生やした典型的な男性とは異なって、ハザラ人は体質的に髭が伸びないのである。タリバン時代、髭を生やさない成人男子は鞭打たれることがあったという。髭を生やしていることがイスラムの象徴であったのだ。「いや、私たちは髭を生やしたくても生えないのだ」と言っても、聞き入れてもらえない。

千年に一度のゆめの遺族です        みさ子
木漏れ日に混じって劣化ウラン弾      正博

千年に一度の地震、千年に一度の津波だったという。
津波の映像はUチューブなどに投稿されたが、撮影しながら「夢みたい」と呟いている撮影者がいたのは印象的だった。実感だっただろう。人は信じられない現実を目の前にして、夢のようだと感じる。けれども、人の死は夢ではないのである。
アフガニスタンには不発弾が大量に残っている。
子どもたちは不発弾を玩具にして遊ぶ。
たくましいとも言えるが、ほかに遊び道具が何もないのだ。もちろん彼らはそれが危険な遊びであることを知っている。どうすれば爆発しないかを知っているのだ。
けれども、どんなに注意深く扱っても、爆弾は不意に爆発してしまう。
劣化ウラン弾というものもある。戦車や装甲車を撃ち抜くために使われたらしいが、放射能の影響が指摘されている。劣化ウランは原発の廃棄物だということだ。

頼むから口には花を詰めないで       みさ子
憤怒でしたか牡丹の手入れ怠って      正博

口に花を詰めるのは善意だろうか悪意だろうか。
花で飾るのだから善意かというと、本人は嫌がっていたりするから、無意識の悪意になってしまう。どういう状況が詠まれているかを考えると、作中主体はすでに死者であるのかもしれない。
一方、牡丹の手入れに余念のない人がいる。
何よりも大切な牡丹なのに手入れができないのは、憤怒にうち震えているからである。それほど怒るようなことがあったのだろう。

竹の子と木の子と人の子を探せ      みさ子
パートナー蜘蛛に噛まれた者たちの    正博

魯迅の『狂人日記』の最後は確か「子どもを救え」だった。みさ子は「人の子を探せ」と言う。
タランチュラに噛まれた者が狂ったように踊っている。噛まれた者は何人もいるから、彼らは仲間たちのように見える。

見あげると千手観音やまざくら     みさ子
神さびの森に尿意は谺する       正博

救済は人知を越えたところにしかないのかも知れない。
千手観音や神さびの森。
しかし、佐藤みさ子は怒っている。

何のための川柳なのか銃乱射      佐藤みさ子

2013年7月5日金曜日

星座という組織にはいれないでください(山田喜代春)

「川柳塔」7月号が届いた。7月は麻生路郎忌である。
巻頭言に主幹の小島蘭幸が「自由律俳人 橋本夢道」を書いている。

無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ    橋本夢道

句集『無礼なる妻』の一句である。
夢道は徳島の出身。小島蘭幸は徳島県立文学書道館で『橋本夢道物語』を手に入れる。著者の殿岡駿星は夢道の次女の夫である。同書には次のように書かれているという。
「夢道は妻に対して『無礼なる妻』といいながら、実は世の中を批判している。必死になって飢餓食を作る妻を愛し、同時にこんな世の中にしてしまった戦争に対して怒りをぶっつけたのだろう」
蘭幸の巻頭言に刺激を受け、『短歌俳句川柳101年』(新潮臨時増刊号・1993年)の夢道のページを開けてみた。そこには次のような自由律俳句が掲載されていた。

戦争ゴッコの鎮台様がおらが一家の藷畑をメチャメチャにして呉れやがった
世界危機の正月の朝湯の身一つを愛する
夏の夢冬の夢春暁とても夢地獄
政治を信じられない日は青年青葉の塔を描く
発熱下痢愚痴内職三百六十日むしゃくしゃくしゃ
貧乏桜よ戦争いや強制労働ああ水爆真平だね
半人半獣のさばる邦の春風のみぴかぴかす

夢道は治安維持法違反で投獄され、獄中生活を送った。本物のプロレタリア俳人であった。
さて、川柳塔」7月号には拙稿の「春風をXに切る―高鷲亜鈍と詩川柳」も掲載されている。高鷲亜鈍は詩人の藤村青一。独自の詩川柳論で知られている。
また「川柳塔」には木津川計が「川柳讃歌」を連載していて、すでに百回を越える。

無駄なもの省けば私消えている   上田紀子

この句について木津川はこんなふうに書いている。
「岸田国士は高等で上等な人でしたから、『苦闘と闘ひ得ない人間は人間の屑だ。文学はさういふ人間の為に在るのではない』と傲然でした。ですが太宰治は自らを人間の屑と思い続け、『文学はさういふ人間の為に在る』と考えていたのでしょう。紀子さんも自らを人間の屑視されていますが、そんな紀子さんの為に川柳は在るのです。あなたの詠む『中心をずらしゆったり生きていく』現代川柳的感覚が光ります」

木津川計の『言葉の身づくろい』(上方芸能出版センター)はまだ読んでいないが、『人生としての川柳』(角川学芸ブックス・2010年)は川柳に対してエールを送る書である。
この本では六大家などの伝統川柳に多くのページが割かれているが、現代川柳にもきちんと目配りがされている。樋口由紀子や石田柊馬・石部明などの作品も引用されている。ただ、それは難解句の例として挙げられているのだが、分からないから駄目だというような偏狭な扱いはしていない。「川柳―近付き難い別世界にしないために」の章に木津川の考えがよく表れていて、私の考えとは異なる部分もあるが、川柳を大切なものとするスタンスはよく感じとれるのである。
そして本書の中には版画家・山田喜代春の名が登場する。

先日、京都で山田喜代春の個展を見る機会があった。三条通りのギャラリーである。
猫の絵が多く、欲しいなと思う作品がいくつかあった。
版画は手が出ないので絵日記『万歩のおつかい』を買い求めた。
木津川計が序文を書いている。
「もしも思いのままに絵を画けたら、人生どんなに楽しかろうと、僕はずーっと思いつづけてきたのです。
その絵に感心させたり、にこっとさせる詩をさらに添えられたら、人生は薔薇色になる、と夢見ながら僕は晩年に至りました。
そんな僕の無念を喜代春さんは全部叶えておいでです。どれほども幸せで、面白い人生であろうかと思えば、羨ましくて仕方がありません。しかし、天稟の持ち主の筈が、そうではないと言われるのです。
『たのしいことを山ほど築け苦しいことも山ほどつくれこれで山が二個できた』。そうだったのか、喜代春さんは好きな画業と詩作を楽しみながらも、やはり苦しみつづけて画家と詩人の山の二個を築かれたのです」

次に山田の詩をいくつか紹介しよう。句読点がなく、どこで行分けするかもわからないので、一行書きにしておく。

人の疲れをとるような詩をかきたいそのまえに自分の疲れをとらなくっちゃ

お前が世間にでられないようにしてやるとある人に言われたもともとでてないんです

いちばん大切にしているものは幼きときのかなしみ

死んでもし星になるのならけっして星座という組織にはいれないでください

蕗子よおまえには手を貸せないよだけどこころならいつでも借りにおいで

意欲のない人よっといでみんなそろってゴロ寝しよう

ぼくのひとことでよめさんないたさあしゅうしゅうがたいへんだ

悔いのない人生なんかおもろないわ

これらのことばは絵が添えられたときにいっそう強力な表現となって立ち上がってくる。こういう人が京都にいるんだなと思う。

2013年6月28日金曜日

芭蕉に聞きたいこと―橋閒石と非懐紙連句

白燕濁らぬ水に羽を洗い 荷兮

燕が街を低く飛んでいるのを見かける。掲出句は芭蕉七部集の『冬の日』のうち「炭売の巻」にある付句である。白燕は瑞鳥である。
橋閒石が創刊した俳誌「白燕」は苛兮の句に拠っている。「白燕(しろつばめ)」を音読みして「びゃくえん」としたようだ。「白燕」は昭和24年5月に創刊、平成21年6月に終刊した。私の手元にあるのは終刊号(425号・創刊60周年記念号)だが、創刊号の復刻が挟み込まれているので、創刊当時の雰囲気を知ることができる。特に寺崎方堂・橋閒石による両吟の百韻と歌仙が収録されているのが嬉しい。閒石の「方堂先生と連句のことなど」では次のように述べられている。

「方堂とは義仲寺に住む無名庵十八世寺崎方堂宗匠のことである。私が俳諧文学の原理に通暁することの出来たのは、長年先生の膝下にあって連句の実作に精進した御蔭である。今日連句に於いても俳句に於いても、みづから信ずるところのあるのは、全くその間に於ける修業の賜である。方堂先生は、連句にかけては当代最高峯の一つである。二十年の昔、図らずも先生との間に縁の糸の結ばれたことから、今日の私が生れ出たと云っても過言でない」

閒石は寺崎方堂に嘱望されながら、結局は無名庵を継がなかった。そういう形式的な継承関係を嫌う気持が閒石にはあったのかも知れない。「白燕」の創刊は方堂との距離を決定的にしたことだろう。
「白燕」の三本柱は俳句と連句と随筆である。閒石の本業は英文学者であり、チャールズ・ラムの研究者であった。エッセイに力を入れるのは当然であった。彼の文学の中には日本的な俳諧の伝統と西洋文学の教養が渾然一体となっているのである。
まず俳句であるが、閒石には十の句集があり、『橋閒石全句集』(沖積社)に収録されている。『雪』『朱明』『無刻』『風景』『荒栲』『卯』『和栲』『虚』『橋閒石俳句選集』『微光』の十句集である。『全句集』から10句を抽出してみよう。

故山我を芹つむ我を忘れしや
遠回りして夕顔のひらきけり
空蝉のからくれないに砕けたり
階段が無くて海鼠の日暮かな
三枚におろされている薄暑かな
椿の実瀧しろがねに鳴るなべに
たましいの暗がり峠雪ならん
蝶になる途中九億九光年
露の世に吉祥天女在しけり
銀河系のとある酒場のヒヤシンス

閒石が俳壇的に有名になったのは『和栲』が第18回蛇笏賞を受賞したことによる。上掲の句も『和栲』収録の句が多い。「階段が無くて海鼠の日暮かな」は閒石の中でもよく知られている作品だろう。閒石は孤高の俳人なので、『和栲』が受賞したとき、選考委員のうち閒石の顔を知っている者が一人もいなかったという話が伝わっている。
私が最も愛唱するのは「銀河系のとある酒場のヒヤシンス」で、『微光』に収録されている。「銀河系の」という宇宙的なスケールからはじめて酒場のヒヤシンスをクローズアップさせるところが心地よいのである。

先日、「大阪連句懇話会」で橋閒石について話をする機会があった。「大阪連句懇話会」は関西連句人のネットワークの構築と連句の研鑽を目的として2012年2月に発足し、今年6月に第6回目の例会を開催することができた。関西連句人の遺産の継承という意味で橋閒石のことは当初から私の頭の中にあったが、俳諧は人から人へ伝わるという面が強く、本を読んで研究しただけではなかなか真髄に迫ることができない。けれども、だからといって敬遠したままでは閒石が創始した「非懐紙」という形式が廃れていってしまう。思い切って取り上げてみることにしたのだ。
当日はテクストとして橋閒石非懐紙連句集『鷺草』(秋山正明・澁谷道共編)を読むことにした。澁谷道の序文によると、閒石は「僕は芭蕉に会ったら聞きたいことがある」としばしば語っていたという。閒石の真意はどこにあったのだろうか。
芭蕉七部集『ひさご』の歌仙「花見の巻」は問題性を孕んだ一巻である。その全部を引用することはできないが、問題となるのは次の箇所である。

木のもとに汁も膾も桜かな(発句)
千部読花の盛の一身田( 裏十一句目)
花薄あまりまねけばうら枯て( 名残の裏一句目)
花咲けば芳野あたりを欠廻 ( 名残の裏五句目)

発句に「桜」とあるが、これは花の座ではなく、裏十一句目が花の座となる。
また、名残の裏の一句目「花薄」は秋の季語で、名残の裏五句目が花の座なのである。しかし、文字としては名残の裏に「花」という字が二箇所出ることになり、このようなことは避けるのが普通である。この点について芭蕉はどのように考えていたのだろうか。更に橋閒石はどのように解釈していたのだろうか。
澁谷道は次のように書いている。

「閒石先生の胸中には、先生独自の解釈があり、詩の真実に生きようとすると古式に則りつつも泥まぬことを旨とし、それはまた背馳の部分がそのままに矛盾の尾を引き、時代の文芸の中心人物としては大いなる悩みとなりつつ、形式に対してつとめて自由であろうとした芭蕉が、どうしても解決しきれず又実行もし得なかった、と洞察された、芭蕉の懊悩の行きつく先を、先生はある程度の推測の域にまで達しておられたのではないか、と私はおもう。
芭蕉の軽みのあとにくるものが、閒石先生には見えていたのではないか。『僕は芭蕉に会ったら聞きたいことがある』という先生の呟きを、私は何度耳にしたことか、しかしそのあと必ず口籠って、『聞きたいこと』の中味を話してはくださらなかった」

そして、澁谷は次のように推測するのだ。
「『花見の巻』の名残の裏に花の字が二つ見えることを気にしなかったのだろう、との先生の言葉を聞いた時から、もしかしたらこの辺りが非懐紙形式への思考に繋がるところかも知れないと私はおもった。『非』懐紙であるから懐紙は用いない。従って当然折はなく、表も裏もない。つまりこれは巻物形式なのだ。それが本来の姿だったのだから、或る意味では原始にかえる、ということになる」

敷衍して言えば、非懐紙という形式は連句精神と連句形式の相克から生まれたことになる。連句形式による制約と連句精神とがぎりぎりのところで抵触した場合、歌仙形式ではなく、非懐紙形式であれば、矛盾は解消される。けれども、形式の制約がないということは、逆に連句精神の強度が試されることでもあるのだ。非懐紙実作の困難さがそこに生じる。
当日は閒石の次の句を発句として非懐紙を巻いてみた。実作によってしかわからないことがいろいろあるものだ。

人になる気配も見えず梅雨の猫    橋閒石

(余談)
閒石が作ったという「ありがたぶし」なるものが伝わっている。酔余の戯れと見えるけれども、けっこう閒石は本気だったようだ。

 わたしゃ冥利に生きながらえて
  今日もお酒で暮れまする
 低いまくらを高くもせずに
  あなたまかせの仮枕
 細いからだを軽みというて
  やがて消えます春の雪

2013年6月21日金曜日

失われた二十年をどう詠むか

短歌誌「かばん」6月号で編集人の飯島章友が川柳人・やすみりえと対談している。
飯島章友は短歌と並行して川柳も書いていて、「川柳カード」の同人でもある。やすみりえは昨年『50歳からはじめる俳句・川柳・短歌の教科書』(土屋書店、坊城俊樹・東直子と共著)を出して川柳の普及につとめている。
掲載されている参考資料のうち「やすみりえの好きな川柳五句」を紹介する。

悲しみはつながっているカーブする    徳永政二
こどもの日母の日 五月って嫌い     庄司登美子
うばうことうばわれることがかがやけり  大西泰世
三月に死ねたらしばらくは春ね      時実新子
くちびるの哀しいまでの記憶力      川上富湖

「川柳と俳句」「川柳と短歌」などについて対談が続くが、飯島の「川柳は五七五の形式こそ俳句と同じなんですが、実は短歌と親和性があるのではないか」という発言に対して、やすみは「そうですね。短歌をやっている友人からも川柳に対してそんな風に言ってもらうことが度々ありますよ。それは本当にうれしい意見です」と答えている。
このあたりが川柳人と歌人が交流する際の出発点だろう。「私性」の表出という点で短歌と川柳には確かに共通性があるが、「私性」をめぐる議論にはそれぞれのジャンルにおける経緯があるから、ここから先にどう対話を進めていくかが今後のテーマとなるだろうと思う。
飯島の問題意識がよく表れているのは、「川柳に若手がいない」「失われた二十年をどう詠む」などの部分である。飯島はこんなふうに発言している。

「罵倒されようが無視されようが、川柳人としては若い世代が、同人誌をどんどん出していかないと駄目かなと。そして偉い方々も、若い世代に『場』を作ってあげることくらいはしたほうがいいと思います」
「僕もやすみさんも第二次ベビーブーマー(昭和46年~昭和49年生まれ)です。ここがバブル以後の最初の世代なんじゃないかと思います。氷河期世代とも言いますよね。で、結社川柳界には第二次ベビーブーマー以降がほぼいません」

「失われた二十年をどう詠む」という飯島の問題意識は重要である。先行世代が今を詠んでも新聞の見出しみたいに見えてしまうと飯島はいう。今をとらえる実感が異なるのである。

4月20日に開催された「石部明追悼川柳大会」の記録誌が届いた。
石田柊馬の「石部明を語る」は当日の話の再録である。石田は映画の話からはじめている。
「若い頃に社会性川柳にあこがれていた私は、何事によらずリアリズムを大切なものとしていましたので、勧善懲悪のチャンバラ映画で、生白くて腰の据わらない青年俳優のふにゃふにゃのチャンバラが大嫌いでした」
ところが石部明は「白塗りの美青年でいいのだ、勧善懲悪の主人公は非現実、リアリズムから離れている方がいいのだ」という見方だったという。
「勧善懲悪だけの思想をチャンバラでつくることは、それなりに人間や世界を抽象化して善と悪とのストーリーを単純化することと、手法として白塗りの美剣士を造ることが必要でした。明さんはこれをよく認識していたから、白塗りの美青年でいいのだという見方をしていたのです。勧善懲悪のヒーローは非現実の存在でなければならないこと。リアリズムと勧善懲悪の思想とはズレルことを明さんは知っていたのでした」
このことから石田柊馬は「石部明の川柳は、常に、現実と造り物との関係をわきまえて書かれていたのでした」と結論する。石部明は「造り物と現実との違い、そのあいだ、距離、をよく知って居なければ、創作行為が虚しくなることを心得ている川柳人だった」というのである。石部明のことをもっともよく理解するひとりである柊馬の石部明論である。
追悼大会の際に、各選者が特選に選んだ句を挙げておく。

柴田夕起子選  三日月はガーゼを掛けてから握る   本多洋子
前田一石選   ひめやかに湾の崩れゆく真昼     内田真理子
松永千秋選   いつまでも山羊であなたはオルガンで 徳永政二
徳永政二選   遮断機の向こうへ顎がはいります   たむらあきこ
広瀬ちえみ選  潜水艦の中のポルノグラフィー    安原博
筒井祥文選   妖怪は字幕とともに現れる      徳永怜子
樋口由紀子選  ポケットの指は鯨が噛んでいる    兵頭全郎

あと、第32回「川柳北田辺」の句会報より、川柳性を発散させる女性たちの作品を紹介しておきたい。

たがが外れて鰓呼吸はじまる      酒井かがり
瓜売りが瓜売りに来て大嫌い      酒井かがり
ぶらんこのきしみ気管に押しあてる   榊陽子
仲良しクラブにひげが生えてくる    榊陽子
閂をかけてよくないことします     久保田紺
東大阪のぎらぎらの水たまり      久保田紺

2013年6月14日金曜日

第4回兼載忌記念連句会With八重の桜

会津がいま注目されている。
NHKの大河ドラマの影響は大きなものがあるが、会津ゆかりの連歌師に猪苗代兼載(いなわしろ・けんさい)という人がいる。2009年は兼載の生誕500年だったが、会津在住の連句人・俳人の田中雅子さんによって「兼載忌記念連句会」がスタートしてから今年で4回目になる。6月8日(土)に「学びいな(猪苗代体験交流館)」で開催された連句会にはじめて参加することができた。
兼載について少し触れておくと、『新撰莵玖波集』に兼載の句がある。岩波古典文学大系39『連歌集』から恋句を紹介しよう。

わすれがたみになれる一筆
かりそめのとだえをながきわかれにて

かりそめの一時的な別れだと思っていたのに、そうではなかったのである。

とはむとおもふこころはかなさ
この世だにかれぬるものを草の原

恋しい相手を訪れようと思う心もはかないことである。草原もやがて枯れてしまうこの世の中ではないか。

うづみ火きえてふくる夜の床
人はこでほたるばかりの影もうし

埋火は冬だから、火が消えた夜の床は寒々としていることだろう。恋人は来ないので、蛍のような影というのは恋人の影ではなくて作中主体の影になる。「うし」は「憂し」。

兼載は宗祇とともに『新撰莵玖波集』を編纂し、京都の北野天満宮連歌会所の宗匠をつとめた連歌人である。
「学びいな」でもらった『猪苗代兼載のふるさとを訪ねて』というパンフレットによると、兼載は亨徳元年(1452)、小平潟(こびらかた)村に生まれた。兼載の母は小平潟天満宮に祈願して兼載を生んだという伝承がある。父は猪苗代盛実と言われる。
兼載は六歳のとき現在の会津若松市、自在院に引き取られ連歌の会で頭角をあらわしてゆく。自在院に隣接していた諏訪神社には連歌会所があり、月次連歌会が催されていた。兼載の才能は他を寄せ付けず、その才能を嫉妬されたために彼が来るのを拒んで一室に閉じ込めたとか門扉を閉じようとして指を折ってしまったとか伝えられている。やがて関東に来ていた心敬や宗祇との出会いを経て、連歌師として大成する。晩年は会津に帰ったが、戦乱を避けて那須野に移り、古河に没した。
句会前日の8日(金)の夕方、新幹線で東京に出て、夜行バスで会津若松に向かう。午前5時に若松駅前に到着。雨が降り出して、早朝の会津は少し寒い。喫茶店もまだ開いていないので、街を歩きながら鶴ヶ城へ向かう。
人気もなく、静かな雰囲気を味わうことができた。土井晩翠の「荒城の月」の詩碑がある。荒城の月のモデルになった城は会津の鶴ヶ城と仙台の青葉城がミックスされたものだと言われる。さらにお城近くの山本覚馬・八重の生誕の地に向かう。生誕の地は駐車場になっていた。
8時になって喫茶店が開く時間だ。野口英世青春通りにある英世記念館の一階の喫茶店に入る。ガイドブックに載っているレトロな喫茶店のひとつで、こういう喫茶店をいくつも回るのを楽しみにしていたが、会津滞在中に結局2軒しか行けなかった。
会津若松から磐越西線に乗る。午前11時20分に磐越西線の猪苗代駅に集合。連衆のみなさんと合流して貸切バスで兼載ゆかりの地へ向かい、兼載の母・加和里の墓、旧天満宮跡の幹の梅、小平潟天満宮などを回る。
「猪苗代の偉人を考える会」の方のガイドも楽しく、猪苗代の三偉人として猪苗代兼載・保科正之・野口英世の三人が挙げられている。

山は雲海は氷をかがみかな

この句碑は平成22年、没後500年記念に建立された。
明治20年に建立された「葦名兼栽碑」(猪苗代兼載碑)の横にある。猪苗代氏は葦名氏と同族。小平潟の人々はかつては「葦名兼載」の名で呼んでいたという。

さみだれに松遠ざかるすさきかな  

兼載が小平潟天満宮で詠んだ発句である。
小平潟は湖につき出た洲崎になっていた。かつて天満宮の社前には湖の波が打ち寄せていたという。今は樹木が遮っていて見えないが、猪苗代湖がよく見えたのだろう。
この句碑は昭和34年(1959年)の猪苗代兼載没後450年記念の際に建立された。このときの記念行事の記録が自在院に残っているというが、確認されていない。また、記念句会が会津若松の御薬園・重陽閣で開催されたともいう。具体的な連衆の名も不明なので、何か情報をお持ちの方はご教示いただければありがたい。

兼載ゆかりの地を巡ったあと、「学びいな」で連句会。5座に分かれ、約30名の参加。私の座では次の発句で、歌仙を巻き上げた。

夏燕連歌の徳を慕い飛ぶ   正博

連句会の翌日は貸切バスで観光した。まず午前8時30分から大河ドラマ館に入館。人気があるので、朝一番の予約になったという。ここで大河ドラマのセットや衣装、映像などを体験。その後、鶴ヶ城、会津酒造歴史館などを回る。作家の早乙女貢は毎年の会津まつりには必ずやって来て、西郷頼母に扮していたという。
午後は日新館へ。
会津藩の藩校・日新館は司馬遼太郎が『街道を行く』の中で、当時としてはもっとも進んだ学校であったかもしれないと述べたものである。入口を入って正面にある大成殿が湯島聖堂とよく似ている。
天文台のあとからは磐梯山がよく見えた。以前は日新館は閑古鳥が鳴いていたそうだが、大勢の観光客が詰めかけている。やはりドラマの影響は大きい。
水練池に泳ぐ夥しいあめんぼをしばらく見ていた。
日新館のあとは、恵日寺の金堂と資料館を見学。
恵日寺を創建した徳一(とくいつ)については関心をもっていた。
30年以前に勝常寺を訪ねたことがある。勝常寺も徳一の創建した寺である。薬師三尊には迫力があった。京都・奈良の古寺巡礼をひととおり終わったあと地方仏に興味があったのだ。

会津を旅してみて、会津と関西との関係が深いことを知った。
たとえば、会津と京都との関係。
山口昌男の『敗者の精神史』(岩波現代文庫)に山本覚馬のことが出てくる。
「会津の敗者たちの中でひときわ際立っているのは山本覚馬の場合である。維新後、遷都の際、京都の能力ある人士は挙げて東京に移ったあと、京都は人材という点では全く空虚になってしまった。このとき京都を再建し、西欧的近代化に適応するのを助けたのは、外ならぬ敗者の会津藩の生き残り、山本覚馬であった」
私はこの本を鞄に入れて会津へ行ったのだが、会津の立場にしてみれば、逆にこの時期に人材は会津から去ったということになるのだろう。

私が事務局をしている「浪速の芭蕉祭」は大阪天満宮を拠点としており、今回、会津の「兼載忌記念連句会」との交流ができて嬉しかった。7月には郡上八幡で「連句フェスタ宗祇水」が開催され、こちらにも出席したいと思っている。
心敬・宗祇・兼載などの連歌は短詩型文学の遺産である。そこには俳句の取り合わせや川柳の詩的飛躍の遠源をなすLinked Poetry(付合文芸)の精神がある。

2013年6月7日金曜日

異熟とは阿頼耶識のことだった

先週紹介した海堀酔月の『両忘』は禅語のようだが、今週も仏教用語をタイトルにした句集について触れてみたい。斉田仁(さいだ・じん)の『異熟』(西田書店)である。
「現代詩手帖」の「俳句時評」で関悦史がこの句集を取り上げていて、「異熟」が唯識論でいう阿頼耶識のことだと知った。「時熟」ならハイデガー。

「異熟はアーラヤ識と称せられる識で、一切の種子をもつものである」(『唯識三十頌』)

そういえば『異熟』の「あとがき」には次のように書かれている。
「大方、聞きなれない言葉だろうし、薄気味の悪い語感ともいえるが、れっきとした仏教語である。原典にある梵語の、意訳というか、いま流行りの言葉でいえば、超訳というか。発音して読んだときの響きが気に入って、題名とした」

唯識論を大成したヴァスバンドゥはフロイトより1600年も前に深層心理を探究した。
また、井筒俊彦は言葉が生成する意識のゼロポイントを「言語アラヤ識」と呼んだ。
そこでは、さまざまな言葉が生成・消滅しているわけである。

あまり句集のタイトルにこだわるのもよくないので、句集の作品を見ていくことにしよう。

山の蛾のひとつ網戸に体当たり

蛾は意志をもって体当たりしているわけではない。光に誘われる蛾の本能に従っているだけである。しかし、蛾の力は案外に大きなもので体当たりしているような衝撃が網戸に起こったのである。

ヘッセ忌の標本箱の黒い蝶

ヘッセの小説に蝶を盗む話がある。友人の持っている珍しい蝶の標本を彼は欲しくてたまらない。その気持は昆虫マニアならとてもよく理解できるものだ。彼は友人の標本を盗んでしまう。そのことを知った友人の反応は … 軽蔑だった。友人に軽蔑されて彼は自分の集めた蝶の標本をひとつひとつ指で潰してしまう。

夏の峠忠治と一茶すれ違う

国定忠治と小林一茶が夏の峠ですれ違った。二人は無言ですれ違ったのだろうか。
「おまえさん、俳諧をおやりなさるのかね」
「はい、やせ蛙が好きでございます」
そんな会話を交わしたかもしれない。無言の方がいいかな。

胃の漱石肺の一葉時雨来る

漱石は胃弱だった。そのくせ甘いものが好きだった。胃潰瘍なのに、目の前の饅頭をぱくりと食べてしまう。「食べる俺も悪いが、こんなものを目の前に出しておく家人も悪い」
漱石と一葉の間には縁談話があったとも言われている。

鬼籍の兄まだ竹馬を貸し渋る

兄は弟に竹馬を貸してやらなかった。兄の死後、弟は自由に竹馬を使えたかというと、そうではない。ここには兄弟の間の心理的なドラマがある。

もう一歩花野に踏み込まねばならぬ
熊撃ちしその夜の浴びるような酒
牡丹散りまだ生臭きままの思惟
やあ蝶々やあ蒲公英と歩きけり
童貞や池にびっしりあおみどろ

斉田仁は現在、俳誌「麦」同人。「塵風」代表。1982年に八幡船社から『斉田仁句集』を出している。津久井理一の「八幡船」(ばはんせん)から発行されていた「短詩型文学全書」は川柳人にとっても記憶に残るものだ。その川柳篇として『中村冨二集』『時実新子集』『林田馬行集』などが出されている。

さて、唯識論の完成者であるヴァスバンドゥは日本では世親の名で知られている。
奈良の興福寺では4月から6月2日まで南円堂と北円堂が同時公開された。法相宗は唯識論のメッカであり、北円堂には運慶作の無着・世親像が安置されている。
無着(アサンガ)が兄、世親(ヴァスバンドゥ)が弟。この兄弟の像が本尊の弥勒菩薩を挟んで屹立している。無着は人格的であり、世親は論争的である。
先日、無着像を見ていて、左手の親指が失われていることに気づいた。無着像は30年以上前から見続けているが、きちんとものを見るのは難しいことである。

2013年5月31日金曜日

煙の方がぼくなんだ―海堀酔月の川柳

ウェブマガジン「週刊俳句」のウラハイに毎週掲載されている樋口由紀子の「金曜日の川柳」は、川柳作品を広く一般読者に紹介する役割を果たしている。相子智恵の「月曜日の一句」とともにすでに連載100回を越えたが、そこに関悦史の「水曜日の一句」が加わり鼎立の構えである。先週の5月24日(金)には次の句が掲載された。

骨は拾うな 煙の方がぼくなんだ     海堀酔月

海堀酔月(かいぼり・すいげつ)は堺市の川柳人で、「堺番傘」「点鐘の会」「川柳公論」「せめんだる」などに作品を発表していた。私が酔月と出会ったのは平成10年ごろの「点鐘の会」の勉強会であるが、墨作二郎を中心に海堀酔月・高橋古啓などが参加し、福田弘が川柳誌「宇宙船」を毎月発行していた。当時、酔月はすでに80歳を越えていたが、若々しく艶のある作品を書いていた。
酔月には句集が2冊あるが、第一句集『点鐘叢書3海堀酔月集』(平成3年4月)から引用してみよう。

寝ころぶと地球の丸いのが解る
孔雀の尻尾を哀れだと思いませんか
点滴終わる 九千三百十二滴
軍隊語を膝関節に移植する
花屋が花に水をやるのは資本主義
引火性の強いおもちゃが好きなんです

「寝ころぶと」はこの句集を代表する作品。また「点滴終わる」の句は、「九千三百十二滴」を本当に数えたのかと思わせるような虚と実の説得力がある作品である。どの句からも、伝統の骨法を踏まえた上での批評性がうかがえる。しかし、酔月の本領が全開して発揮されたのが第二句集『両忘』(平成15年)である。
この句集は川柳誌に発表された句を集めた「木彫りの熊」と句会吟を集めた「紙の船」の二部に分かれている。それに尾藤三柳の「序」と中田たつおの「エッセイ」、墨作二郎の「跋」が付いている。まず「木彫りの熊」から紹介する。

切腹は止めて風船売りになる
平和売りが通ったあとに水を撒く

硬直した義理の世界のモラルに殉じて死ぬよりは風船売りになって気ままに生きよう。時代劇や世話物の一場面のような情景が思い浮かぶ。
「売る」というのは両義的な言葉である。「風船売り」には自由のイメージがあったが、「平和売り」には逆に硬直した平和論者のイメージがある。デモが通ったあとの埃のたつ道に静かに水を撒いている人がいる。すでに第一句集で「花屋が花に水をやるのは資本主義」と喝破していた酔月にとって現実を見る目は複眼的である。酔月が戦争を賛美などしていないことは、後ほど引用する句から明らかである。

ほんとうは泳げるんです豆腐

かつて豆腐屋で売っていた豆腐は広々とした豆腐桶の中でゆったりと買われるときを待っていた。いまスーパーで売られている豆腐は最初から四角いパックの中に閉じ込められていて、身動きすることすらできない。そんな豆腐が台所の水洗い槽の中をゆっくりと泳ぎはじめたらどうだろう。酔月作品の中で私にとってはベストワンの作品である。

ちょっと貸した耳が汚れて戻ってくる
雲を一つ買って交際費でおとす
言わなかったけど蝶に噛まれたことがある

本当か嘘かわからないところで酔月は句を書いている。また、つぎのような恋句も散見するのは人生経験が豊かなのだろう。

何も言わず一緒に雨に濡れてやる
大阪湾でとれた人魚と巣を作る

酔月には戦争体験があるから戦争に対する批評性がうかがえる句も多い。

思いおもいにつけるセンソーの歯型
日本が負けたと広東語で言える
大きな咳したらセンソーがとび出した

そして、句集の中で目につくのは「言葉」や「句を書くこと」自体をモティーフにした作品が多いことである。酔月は言葉に対しても意識的な川柳人であった。

嘘の境界線を探しているんです
釣り針の先にロジックをつける
上五下五の死体を蟻が運んでゆく
定型だと言い張る取れかかった釦
あいまいな心を煮込むオノマトペ
やわらかい鉛筆 自己完結はあと回し
メタファーを一切れ改札を抜ける

次に挙げるのは句会吟「紙の船」の章からであるが、尾藤三柳と墨作二郎がともに解説で指摘しているように、雑詠作品と句会作品にはまったく質的な差が見られない。

めくっても余白慌てることはない
こんどの雨で絵本の花が咲くだろう
またお前かと言って神様が消える
走らねば遅れる 走ったら転ぶ
くちづけや北斗七星至近距離
人形の首埋めようか植えようか

『両忘』のあとがきで酔月は次のように書いている。

「川柳は魔物です。掴んだと思えば消え、消えたと思ったら、またゆらゆらと現れる。過去の作品を掘り起こしてみても、納得できるものは少なく、溜息をつくことが多い。然し川柳の旅を続ける限りゴングが鳴るまで、『これからの川柳』に挑戦してみたいと思っている」

酔月の作品にはゆったりとした批評性があり、高齢の作品にもかかわらず「艶」があった。ユーモア・ペーソス・アイロニーと呼ぶのはたやすいが、平明の中にそれを実現するのは困難なことである。酔月がよく言っていたのは「伝統系の川柳人は岸本水府の権威を言うが、本当に水府の作品を読んでいるのか。自分は確かに水府を読んでいる」ということだった。
句集名の「両忘」とは「禅語の一つで、生と死、有と無の両方を忘れ尽くすことで、精神的自由が得られるという教えだと、受け取っている。近頃忘れ上手になったわたしには、『悟る』ということより、『忘れる』ということのほうが、身に合った解脱方法かも知れないと共感している」(あとがき)
この4年後の2007年に酔月は死去。豊饒な晩年だったと言えるだろう。

2013年5月24日金曜日

川柳解体新書

先週レポートを書いた「かばん30周年記念イベント」の際に、会場に来ていた堺利彦とゆっくり語り合う機会があった。堺利彦著『川柳解体新書』(新葉館出版、2002年)は川柳入門書として現在でもこれを乗り越えるものは出ていない。その第15章「読み」を改めて読み直してみた。
堺は〈読み〉に対する二つの態度として、川本茂雄の文章を引用しながら、
①なるべく忠実に読む、そこにある情報を正確に組み取る。
②そこにあるものを素材にして、自分の中でイメージをつくり上げる。
を挙げている。これまでは、作者の状況なり、作品の背景を考慮に入れて作品を理解するという態度が主としてとられてきたが、別の〈読み〉の可能性も考えられるのではないかと堺は言う。〈読み〉とは単なる伝達にとどまらず、読者による能動的なことばの創造的解釈であり、そこに創造的読みの可能性が生まれてくる。「コード」という用語を使えば、川柳の表現は「日常的なコード」からの逸脱(ないしはズレ)を生じ、日常的・常識的なコードとは別の「詩的なコード」を生み出すことができる。いわゆる「難解句」もここから生まれるのであって、「日常的なコード」を使えば大多数の人から理解されるが、そこから逸脱し、ズレながら句を構築するのだから、日常的なコードでは解読できないことになる。

堺の川柳論を念頭におきながら、4月・5月に送っていただいた諸誌から、短歌誌・俳句誌・川柳誌を紹介してみたい。
短歌誌「井泉」51号(5月1日発行)の「リレー小論」は「作品の『読み』について考える」。
真中朋久「樹を見て森を見て」は今野寿美による『赤光』語彙分析に触れ、全注釈や語彙分析などのデータを基にして読むことで見えてくる森の光景もあることを述べている。
大熊桂子「穂村弘と塚本邦雄の歌の背景」では作品は読者のものであり、歌の読みに作者はいらないと言いつつ、作者の生きた時代や背景を重ねてもう一度読むことも大切ではないかと述べている。
山本令子「公の『読み』と私的な『読み』と」では、歌会などで一首を読みとる「公の読み」と一首を自分の胸に好きなように読みとる「私的な読み」があるのではないかと言う。

俳人から歌人になった知人が「俳句から短歌に移って痛切に思い知らされたことは、句会は作品を競い合う場であって、歌会は批評を競い合う場なのだということでした。歌人というものはそれがどんな作品であれ、きちっと切ってみせます」と言っていた。そうすると川柳句会は「作者の腕前を競い合う場」ということになろうか。

「井泉」に戻ると、喜多昭夫が「永井祐をとことん読んでみる(二)」を書いている。

生ゴミの袋に蟻がたかってる誰のせいでもない現実である   大島史洋
ゴミ袋から肉がはみ出ているけれどぼくの望みは駅につくこと 永井祐

上の句は似ているのに、下の句がまったく違う。永井は大島のように現代の諸相から現実認識に結びつけるのではなくて、駅につければそれでいいんだ、あとのことはまたあとで考えようというスタイルが当然のこととして定着しているのだ、と喜多は述べる。永井の短歌のベースにはロスジェネ世代の「うっすらとした悲しみ」があるという。説得力のある論であるが、世代論に解消してしまうのには異議も出ることだろう。

俳句誌「豆の木」17号(4月20日発行)。
中嶋憲武が「新・毛皮夫人」を書いている。

イカが開いて毛皮夫人を飛ぶ自由     中嶋憲武
キャバレーの裏口毛皮夫人立つ
ウェルカム・トゥ・毛皮夫人毛皮ひらく
毛皮夫人蝶のまなこをしてみたり
毛皮夫人ルンビニ好きで耳きれい
年老いた猫来て毛皮夫人嗅ぐ

渡辺隆夫の川柳について私は「キャラクター川柳」と規定したことがあるが、中嶋の俳句はまさに「キャラクター俳句」である。「毛皮夫人」というキャラを設定して、連作を展開している。「ルンビニ好きで耳きれい」などは「コンビニのおでんが好きで星きれい」(神野紗希)のパロディである。
もうひとつ、「豆の木」の中に「キャラクター俳句」を発見。こしのゆみこ「縄飛び少女」である。

ねずみ算式に縄飛びから少女      こしのゆみこ
縄飛びの私の後ろだれか飛ぶ
会社帰りの父が縄飛び入ってくる
縄飛びを出て一人前の海老フライ
友に遅れ縄飛び少女上京す

「縄飛び」は川柳でもよく詠まれる。「なわとびに入っておいで出てお行き」(時実新子)。

さて、川柳誌にはどんな作品が掲載されているだろうか。
「ふらすこてん」27号(5月1日発行)から。

夕焼けのほか何もない遊園地      くんじろう
吸い殻をきれいに並べるのも私     くんじろう
風景になるまで干した貸ボート     くんじろう
明け方は耳下腺炎の馬となる      井上一筒
バルビゾン派とベルメゾン派のピアス  井上一筒
ありありと水面にうつる授乳室     湊圭史
借金大全キリンのぬいぐるみ篇     湊圭史
最愛の石にも南よりの風        森茂俊
全速で走る切手を追いかけろ      森茂俊
サイコロの音は女生徒の胸から     山田ゆみ葉
女性とは水のみ鳥の揃い首       山田ゆみ葉
蝶追えば松の廊下の松は枯れ      筒井祥文
西陣の薄目は島の花の中        筒井祥文

堺利彦の言う「日常的なコード」からの逸脱とズレに当てはまる句が多いが、ではどのように読めば創造的読みが実現できるかは簡単なことではない。

2013年5月17日金曜日

かばん30周年記念イベント

今週は短歌のことを書いてみる。
まず、5月12日(日)の「NHK短歌」に斉藤斎藤と正岡豊が出演したのに注目。
斉藤は正岡のことを「本気な人がここにいる」と紹介し、『四月の魚』の次の歌を挙げた。

きみがこの世でなしとげられぬことのためやさしくもえさかる舟がある 正岡豊

正岡は短歌とはどういうものかという問いに対して、「短歌とはくらべ合うものだ」という岡井隆の言葉をもって答えた。
短歌は書かれる前から、すでに過去の作品や他者の作品とくらべられている。
くらべられるのは嫌だと逃げてしまう方が楽であって、くらべられるのはエネルギーがいることかもしれない。しかし、そうではなくて、くらべ合うことを肯定すること。「君はそうなんだ、僕はこうなんだよ」ということを肯定する。それは、本当はくらべられないものをくらべることでもある。そういう葛藤と定型の中に言葉を入れる葛藤とが短歌なのだ。…斉藤斎藤と正岡豊との「ちょっといい話」だった。

朝6時からEテレを見たあと、「かばん30周年記念イベント」に出席するため、東京へ向かう。会場は渋谷だが、開始まですこし時間があるので、四谷の「晩紅舎」で「八田木枯追悼展」を見る。
「晩紅舎」は俳人・八田木枯の娘、八田夕刈が開いているギャラリーで、「誰ソ彼レの空が染まるころふらりと立ち寄る舎」という意味だという。木枯は自宅でも「晩紅塾」という句会を開いていた。色紙・短冊のほか旅行の際の写真、山口誓子からの手紙・葉書などが展示されていた。今年3月に山科の一燈園で八田木枯の句碑建立式があり、そのビデオも流されていた。句集『鏡騒』をまだ持っていなかったので購入。

戦争が来ぬうち雛を仕舞ひませう   八田木枯

あと「鏡」8号(2013年4月)から、これから訪れる「かばん30周年」のパネラーでもあるお二人の作品を引用しておく。

人々が鱗をまとふ十二月       東直子
冬の竹輪に春の胡瓜を入れて切る   佐藤文香

渋谷に到着するが、おそろしい人混みである。会場のシダックス・ホールの建物は見えているのに、なかなか行き着けない。
私が「かばん」を購読していたのは2004年ごろで、ほぼ10年が経過している。「かばん関西」の歌会にも何度か参加したことがあるが、見知っている人はもうほとんどいない。「かばん」について、当日配布されたプログラムから改めて紹介しておこう。

「前田透門下の若手で結成され、当初はもと『詩歌』の会員が集まった『かばん』だが、いつのまにか『詩歌』に関わりのない人が大半となった」

前田透は前田夕暮の長男である。1984年1月、前田透は交通事故で死去。「詩歌」は解散し、井辻朱美・林あまり・中山明たちによって「かばん」が創刊された。来賓のスピーチに立った奥村晃作(コスモス)は「かばん」というコインの裏側にある前史について語り、中山明は30年も続いたのは「『かばん』という誌名にキャパシティがあった」と述べた。1984年の創刊号を見ると表紙は「鞄」となっており、その後「かばん」「KABAN」などを経て「かばん」に定着したようである。

総合司会は飯島章友・渋沢綾乃の二人。飯島は「川柳カード」の同人で川柳も書いている。司会者二人の掛け合いによる進行もおもしろいなと思った。
まず、トークショー「短歌の相談室」では司会・睦月都、パネラー・佐藤文香・穂村弘・佐藤弓生。俳人の佐藤文香には「第2回川柳カード大会」(2013年9月28日開催)のパネラーをお願いしている。
①BGMを聞きながら作歌することがあるか。
②短歌を作るとき「自己完結」してしまうとよくないと言われるが…
③文語と口語の混在についてどう思うか。
三つの相談についてパネラーが答える。
「自己完結なのか詩的飛躍なのか、グレーゾーンがある」「世界観が自己完結すると読者は入ってゆけない」「文語であっても現代語として使われている現役文語がある」「現在は文語と口語が混在するミックス短歌の時代」など示唆に富む発言があった。

続いて「短歌たたかう」では「歌合」方式で左右に分かれて歌のよしあしを議論する。司会・雨宮真由、「シダックス」チームは笹公人(キャプテン)・山田航・伊波真人、「とりつくダマスカス島」チームは石川美南(キャプテン)・柳谷あゆみ・東直子。
「パフォーマンスだぱんぱかぱん」では伊波真人による映像作品、柴田瞳・法橋ひらく・雨宮真由による寸劇、榎田純子による「初音ミクの短歌朗読」などがあった。
帰りの時間があるので私はここまでで帰ったが、その後、陣崎草子・雪舟えま・伴風花・千葉聡・井辻朱美の出演や「かばん賞」の表彰があった。

全体を通じて盛りだくさんの内容だったが、外部の参加者にとっておもしろかったのはトークショーと歌合までで、あとはお祭として「かばん」会員の内輪向けの親睦に流れた印象だった。
当日、会場で配布された「かばん30周年記念会員作品」から。

捺印をお願いしますイエあれは徘徊している昼の月です       飯島章友
ジャイアンの妹ではなく初めからジャイ子という名でうまれる世界  飯田有子
わたくしをかつみと呼ぶならひらがなで 父ときみだけゆるされる繭 イソカツミ
「人類の祖先は鳥」という説の反証としてオスプレイ飛ぶ      河合大祐
傍受せり 裏の世に兄は匿われ微吟する「二一天作ノ五」      高柳蕗子
島のくらし伝えるために立っている粘土細工と木工細工が      東直子
わがビールから人のビールへ延びている鉱脈をみることも楽しい   雪舟えま

最後に、別の話題になるが、江田浩司のブログ「万来舎・短歌の庫」が再開されていることに最近気づいた。昨年の金井恵美子の現代短歌批判と島田修三の返答に触発されて連載を再開することにしたという。時評を続けるのはけっこう困難な作業である。そういうとき支えとなるのは、同時代の表現者がそれぞれの「本気」を発信し続けているということにほかならない。

2013年5月10日金曜日

ゆうこの生理―第3回高田寄生木賞

第3回高田寄生木賞が発表された。
この賞は青森で発行されている川柳誌「触光」(野沢省悟・編集発行)が公募しているもの。高田寄生木(たかだ・やどりぎ)は昭和8年に青森県川内町に生まれ、昭和35年に川柳の作句を開始、昭和47年に「かもしか川柳社」を発足、現在は「北貌」の発行を続けている。野沢省悟が川柳の師である寄生木の名を冠した賞を創設して3回目。今回の大賞は次の作品である。

寝たきりのゆうこにも毎月生理

障がいをもった「ゆうこ」は寝たきりの毎日を送っているのだが、毎月きちんと生理がある。この句では感情語を交えずに事態を見つめて作品化している。はっとさせられる句である。そして、読者としてこの句を読んだときに、さまざまな問題性を感じさせる句でもある。
まず、なぜ「ゆうこ」なのか。別の固有名詞ではいけないのかということである。考えられるのはこの作中主体が現実に「ゆうこ」という名前である場合だが、現実からは独立したテクストとして読むならば、この固有名詞が別の名に「動く」のか「動かない」のか。
次に、結局は以上と同じことになるが、これが事実なのか虚構なのかということ。事実であれば、それを見すえる作者が感情におぼれずに事実だけを詠みきったところに川柳の眼が働いているし、第三者による虚構だとすれば、残酷な状況をためらわずに正面から詠んだところに冷徹さが感じられる。
それと関連して、作者が男なのか女なのかということ。女性であれば、子を生みだす母としての痛み・受苦があるはずで、男だとすれば、その痛みを自己の肉体として受け止めるというよりは「人間とはこのような存在なのだ」という一種の人間観の提示となる。
最後に、どういう点を評価して選者はこの句を大賞に選んだのかということ。事実を詠んだ句として事実の重さ自体を評価したのか、虚構だとしてもテクストとして優れていてインパクトがあることを評価したのか。あるいは事実の重みとつりあうだけの言葉の表現をトータルに評価したのか。
発表誌には作者名が掲載されている。

寝たきりのゆうこにも毎月生理    神野きっこ

作者の「受賞のことば」は次のようなものである。

「長女の優子はてんかんという難病で生涯、首も座らず、寝返りすることもなかった。言葉もどこまで理解しているのか定かでない。しかし、身体のリズムは狂うことなく、元気な子供と同じように毎月生理が来た。太陽が東から昇り、西に沈むように正確な時を刻んでいた。結婚することも、子供を産むこともなく二十二歳の若さで永眠した。私にとって優子は決して負担ではなく、分身そのものだった」

作者名を外して読んだときに私が感じた疑問がある程度は解消される。この句は長女に対する鎮魂の句であり、受賞は優子という女性の姿を読者の胸に刻むものとなるだろう。

ここで少し話を一般的な地点に広げてみたい。
高校生のころ読んだ詩に北村太郎の「雨」がある。次の一節はよく覚えている。

何によって、
何のためにわれわれは管のごとき存在であるのか。

人間の肉体は気管や胃腸などの管からできている。詩人はそのような人間の生存を支えている「管」の存在論的意味を問う。そして、人間はそのような「管」を越えた存在でもあるのだということが絶望の果てに暗示されている。
確かに、人間の肉体や生理というものは意識を越えるものである。
たとえば、中村冨二に次の句がある。

人殺しして来て細い糞をする       中村冨二

殺人者はその行為の後、性欲が昂進することがあると言われる。この場合は性欲ではなくて脱糞だが、太い糞ではなくて細い糞をするという。冨二の句は当然虚構だが、ここには虚構を通して人間の真実の姿がとらえられている。
肉体や生理の問題をひとつの人間観として提出する川柳人に野沢省悟がいる。野沢は「川柳カード」創刊号に「人工呼吸器」10句を発表している。

人体は悲しい玩具 機械で生きる     野沢省悟
人工呼吸器外す アラーム鳴りつづける
痰をとる そのとき動く人であり
確実に大便つくり出す人体
注入という食事 臍帯はチューブ

ここには人間の生命の姿があるが、これを敢えて詠むことの是非について私はどう評価してよいか分からない。これはひとつの「人間観」であって、作者の人間観についてはよいともよくないとも言えないのである。「川柳カード」創刊号のうち、野沢作品のことは私自身も含めて誰も論じることはなかったのだが、ずっと気にはなっていたのだ。

ここでもう一度、高田寄生木賞に戻ろう。
選者は大賞作品をどう評価したのだろうか。5人の選者のうち、特選に選んだのが渡辺隆夫、秀逸に選んだのが野沢省悟である。

「心が痛む光景に淡々と対処する母親の姿が見えます。寝たきりの娘ゆうこを介護して何年になるのでしょうか。当人に意識はなくても、肉体は成人女性としての月経周期をくり返します。精神世界は分からないが、お前の肉体は普通の娘さんと同じだよ、と優しく当人に語りかけているように見えます」(渡辺隆夫)

渡辺隆夫にしては優しい批評である。境涯句を否定しているはずの隆夫であっても、この句を前にして事実の重みに対してたじろいだのだろう。

「実生活における生々しい事実を、現代川柳はほとんど詠むことが少なくなった中、この作品は現実の生命の姿を如実に示している。乾いた表現だがそこににじむものがあふれる」(野沢省悟)

寝たきりのゆうこにも毎月生理

この句はやはり事実の重みを背負っているし、読者もそうとしか読みようがない。事実は一回的なものであり、もし作者がそこからさらに前に進もうとすれば、「ゆうこ連作」を試みるか、虚構を交えて更に深い世界をめざすかである。作品として公にされた以上、また個人的実感を超えて川柳表現に何かをかけるとするならば、作者は地獄行きのバスに乗るほかはないのである。

2013年5月3日金曜日

高橋由美の世界

「川柳木馬」136号が届いた。
「作家群像」は「高橋由美篇」である。高橋の川柳をまとめて読むのは久しぶりなので、今回は彼女の作品を取り上げる。
高橋由美は「川柳木馬ぐるーぷ」の中で、海地大破、古谷恭一、故・北村泰章の次の若手世代として清水かおり、山本三香子とともに注目されてきた。
私が最初に彼女と会ったのは平成15年の「玉野市民川柳大会」のときだったと思う。私は玉野ではじめて選をして、彼女も選者のひとりとして招かれていた。前夜祭のときロシア文学の話になって、パステルナークが好きだと言っていたような記憶がある。『ドクトル・ジバゴ』の原作を書いたパステルナークである。
高橋由美の名を高めたのは、その少し前、「川柳木馬」83号に彼女が書いた巻頭言で、こんな調子で書かれている。
「五・七・五というたった一つの約束事も守らぬ私が、巻頭言を書いているのは滑稽だ。こんな私を受け入れてくれる木馬が太っ腹なのか、もともと川柳が曖昧な文芸の領域を指しているのかは分からない。ただ、ミレニアムの潮流の中で、川柳の世界だけが時間の止まった気がする。これ、皮肉でもなんでもない。皮肉ではないが柳界を直視すれば、時代にそぐわぬ感覚に出くわす。柳論―川柳以外の文学の場で川柳を堂々と語れるか?」
これ、十分皮肉である。そして最後にこんなふうに言っている。
「三十も後半の私を捕まえて、『若い世代』などと銘打ってくれるな。これほどまでに老いてしまった世界をもっと嘆こう」
昔の文章を引っ張り出してきたと高橋は嫌がるだろうが、高橋由美の生意気盛りの文章であり、けっこうこれが受けたのである。高橋の初心がここにある。
その彼女もすでに柳歴20年になるという。「作家群像」の「作者のことば」に曰く。
「1993年ごろ川柳入門。当時は伝統川柳を575…指を折って作句していた。そのころ清水かおりの句に衝撃を受ける。その後、山本三香子に出会う。おそらく彼女らの影響を受け、自由な川柳もありなのでは?と感じ始める」「これまでどおり、あまり575の束縛を受けずに自由に闊歩していきたいと思っている」
さて、そろそろ作品を読んでみたい。60句はだいたい年代順に並んでいるようだ。

つまずいた時 高い樹があると思った
どうしても着地するのか生きるとは
鍵穴を説き伏せてくれ月の光よ
茫然とすると上り坂にみえてくる

人生派の川柳である。
つまずいたとき、茫然とするとき、高い樹が意識されたり、道が上り坂に見えたりする。
好んでも好まなくても人は着地点をもとめて生きているのだろう。
一句目、「川柳木馬」の初出では「意識を失った時 高い樹があると思った」。高橋は初出の句を「つまずいた時」に改作したのだろう。改作の方が実感にぴったりするということだろうか。
ポエジーがあるのは三句目。畑美樹の作家論にあるように下五を「月光よ」とすると定型になる。定型のリズムをはみ出したい欲求がこの作者にはある。基本的には自由律なのだ。

いっそ語りべになろうか君という主人公の
君と汽車に乗る八月を逃がさぬよう
耳元で溶かされゆくは我の体温
僕らのメトロノームと止まった放課後
靴屋から駆け出す君の交差点
ほら忘れ物だよ君の三半器官
弾いてみな 黒は君の鍵盤だから

高橋の作品には「君」という二人称が頻出する。一人の特定の人を指すというよりは、この呼びかけ方が高橋は好きなのだろう。それはほとんど作句のモティーフなのでないかと思われるほどだ。この「君」という呼称については、かつて古谷恭一が「木馬」誌上で取り上げたことがあったと思う。
掲出句のベースにあるのは恋愛感情だろう。
一句目、「君」が主人公で「僕」が語り部。「僕」という言葉は使われていないが、「僕」は男であっても女であってもいい。主人公と語り部の気持が通じ合っているときはいいが、二人の間に亀裂が入ったとき、語り部であり続けることはきっと辛い状況になるだろう。
三句目、「メトロノーム止まった」なら分かりやすいが、「と」に違和感がある。
高橋由美が繰り返し描いている「君」と「僕」の世界。それはもっと深化されるべきだし、さらにそこから外へ出て多様な関係性の世界に入っていくべきものである。恋愛句を書くにしても、高校の文芸部レベルの「君」ではなくて、より成熟した関係性の世界があるはずだ。そんなこと高橋は百も承知だろうが、「君」と「僕」の世界には既視感があるのも事実である。

罵声は浴びないだって日焼けするもの
二泊三日で一昨日の波打ち際へ
そっちに行っちゃ帰れないよ蔓の矛先

60句の中では比較的余裕や遊びの感じられる句である。
二句目は作家論できゅういちが言う「タイムパラドクス」。
三句目は「ジャックと豆の木」を踏まえている。

天命よ ラ音ひたすら吹きにけり

この「ラ音」が以前は分からなかったが、オーケストラで演奏前に調律するときに、まず吹かれるのが「ラ音」だという。ピアノの調律でも同じ。なぜ基準音がラなのかについては、歴史的経緯や理論があるらしい。
この句の作中主体は天命のようにラ音を吹いているという。たった一人で吹いているのだろうか。それとも周囲にはオーケストラが存在するのだろうか。基準音を吹くのは次に多彩な音を出して演奏するためである。

高橋由美にはこの60句以外にもっと難解で詩性の強い作品があったように思うが、比較的理解されやすい句を選んでいるようだ。
「ここ5年ほどは少し大人しく斜めに川柳を眺めている」(作者のことば)とあって、たぶん実生活が忙しいのだろう。けれども、時間があれば川柳が書けるというものでもない。石部明がよく言っていたが、忙しいときは接待のカラオケでマイクを握りながら川柳を考えていたという。今回の「作家群像」を契機に高橋由美の新作を期待したい。

2013年4月26日金曜日

石部明追悼川柳大会

4月20日(土)、岡山県天神山プラザで「石部明追悼川柳大会」が開催された。
昨年10月27日に逝去した石部明は現代川柳の有力な実作者であるだけでなく、「バックストローク」などを通じて後進を牽引してゆくリーダーでもあった。「バックストローク」終刊後、石部は「BSField」誌の編集に力を注いでいたが、今回の追悼会はその「BSおかやま句会Field」の主催によるものである。

第一部では、まず草地豊子が挨拶に立ち、石部明さんのご遺族からの手紙を代読した。また、BSField会員と有志によって『セレクション柳人・石部明集』から句が朗読され、北川拓治が石部明に宛てた追悼の手紙を読んだ。BGMは石部が入院中によく聞いていたという一青窈のCD「歌窈曲」だった。ちあきなおみの「喝采」のカバー曲が流れたとき、明さんはこの曲が好きだったのかと感慨深かった。
続いて「石部明を語る」と題して、小池正博と石田柊馬がそれぞれ15分ずつ語った。小池は現代川柳における石部明の位置を、俳句における水原秋桜子の位置にたとえた。秋桜子の「『自然の真』と『文芸上の真』」を応用して、石部明は「書くことによってあらわれる真」ということをよく言っていたからである。
石田は石部明が映画好きであったことを踏まえて、時代劇(チャンバラ映画)に対する石部明と石田自身の見方の違いについて語った。かつてのチャンバラ映画の主人公たちが腰のひけた立ちまわりをしていたことについて石田が否定的だったのに対して、石部はチャンバラ映画の主役は「白塗りの美青年」でよいのだという意見だった。このエピソードから、「リアリズム」と「勧善懲悪」は必ずずれる、石部明は現実と作り物との違いを常にわきまえて作品を書いていたのだ、と石田は述べる。この映画についての二人のやり取りは確か「バックストローク」の伝言板でも読んだことがあるように思う。
第二部は句会で、「握る」(柴田夕起子選)、「湾」(前田一石選)、「山羊」(松永千秋選)、「顎」(徳永政二選)、「にやり」(広瀬ちえみ選)、「妖怪」(筒井祥文選)、イメージ吟「石部明」(樋口由紀子選)。入選句はいずれ発表誌に掲載されるだろう。

大会が終わって改めて感じたのは、石部の選者としての存在感の大きさである。私自身も石部の選を受けることによって自句に自信をもち、前に進むことができた経験が何度もある。石部がもういないということは、選者層が薄くなることにつながってゆく。
当日、石田柊馬が述べたように、石部明の業績は繰り返し語り継ぐべきものである。川柳人は忘れっぽいから、在世中は大きな存在であっても、直接会ったことのない世代の人たちにまで継承されることは少ない。私の限られた経験の中でも、そのような事態を何度も見てきた。追悼会が終わったからといって、忘れ去られては困るのである。
「川柳カード」第2号では「川柳人・石部明の軌跡」を特集したが、改めて石部明の凄さを認識する契機になればありがたい。初期の石部明についても私には分からないことが多い。石部は人によって異なる姿を見せる複雑な存在だったから、語る人によってさまざまな石部像がありうるだろう。それぞれが文章化しておくことが望まれる。

大会翌日は有志で京都を散策した。
詩仙堂は新緑が美しく、風に揺れる木々はまるで言葉を発しているようだった。サツキにはまだ早かったが、そのため人が少なく庭園風景を満喫することができた。
東寺はちょうど毎月21日の弘法市が立ち、露店でにぎわっていた。ちょうど一年前のこの日、正岡豊と二人で東寺吟行をしたことを思い出した。講堂諸仏のうち、憤怒像もすばらしいが、私のご贔屓は帝釈天である。いつも堂内は暗いのだが、午後の陽光が仏像の姿をくっきりと浮かび上がらせている。阿修羅との永遠の闘争を続ける帝釈天の姿は、端正でありながらニヒルだ。
帰宅すると「垂人」19号が届いていた。

椅子がある千里歩いて来るひとの     広瀬ちえみ

2013年4月19日金曜日

「文学フリマ」と「川柳カード」合評会

4月14日(日)に堺市で「第16回文学フリマin大阪」が開催された。
当日、会場で配布されたパンフレットの巻頭言には次のように書かれている。
「ついに大阪でも文学フリマを開催することができました。
2006年の『文学フリマinなごや』から数えて実に7年ぶりの地方開催であり、関西圏では初めての文学フリマです。また、今回はスピンアウト扱いではなく、ナンバリングタイトルとしての開催であり、これも東京以外ではじめてということになります。
文学フリマの立ち上げ当初から、地方へその種をまき、活動を広げていくことは構想されていました。長い時期をかけ、また一歩、前へ進むことができます」
「だからこそ、あらためて書きますが、東京の文学フリマ事務局主催による大阪開催はこの一回限りです。第二回は地元有志の手によって開催されるものと信じています。
今回の大阪開催はゴールではなく、はじまりです」
この「ゴールではなく、はじまり」という感覚は私にはとてもよく分かる。先月、「連句協会全国大会in大阪」の開催を終えたばかりだからである。
さて、文学フリマとは何か。
大塚英志が「群像」2002号6月号に発表した「不良債権としての『文学』」の中で行なった呼びかけを発端として生まれた同人誌即売会である。「自分が『文学』だと信じるもの」を売るイベントで、古書は含まれない。
当日は会場に310のブースが並び、開場前にはすでに百人ほどの若者たちが並んでいた。大学生や20代の人が中心のようだった。事後の発表では総来場者数は約1600人。
短詩型では短歌が中心で、川柳は一点もなかった。
「京大短歌」と「率」をゲットする。
会場には15分しかいなかったので、全体的な印象にすぎないが、どの同人誌がどこに出ているかもすぐには分からない盛況ぶりで、ネット全盛の現在で紙媒体の「文学と信じる」同人誌を売ろうとする人がいて、またそれを求める人がこんなにも大勢いるということは感動的であった。
次の機会にはぜひ川柳も出店してほしい。

「文学フリマ」会場を出て、すぐに大阪・上本町に向かう。
1時から「川柳カード」第2号の合評句会を開催。
同人作品を中心とした合評を約2時間、句会(雑詠1句、兼題「管」1句、互選)を約1時間半。ここでは、「川柳カード」第2号の同人の句を各1句ずつ、( 1行コメント)を付けて紹介する。

変なところに葱や葡萄をそよがせて    石田柊馬
(石部明追悼十句のひとつ。「軍艦の変なところが濡れている(石部明)」)

あやとりは終わり余った手が二本     草地豊子
 (あやとりは一人でもできるが、二人でする場合は手が四本。二本は石部明の手とも。)

雪の日の君を包んでいるりんご      畑美樹
 ( 短歌的抒情。雪に林檎とくれば北原白秋か。)

天は天だけど天にはない安堵       前田一石
 ( 一石さん、新機軸を出していると好評。)

咽喉の奥に覗いているトマスの指     湊圭史
 ( どちらのトマスさんでしょうか。)

音姫に助けてもらうものおとす      一戸涼子
 ( 乙姫ではなく、音姫はトイレで使う流水音アプリなんだって…)

おばあさんやらひいおばあさんやら来て唄う  松永千秋
 (おばあさんたちはどこから来たのか。唄っているのは保育園? )

疼痛に込み合う梵字精錬所        きゅういち
 (「やりすぎ」という意見と「ここまでするなら、もっとやらないと」という意見と。)

ウクレレおじさん高野豆腐に不時着す   榊陽子
 ( キャラクターがおもしろいね。)

死んだふりしても鷗は漫才師       くんじろう
 (「鳥」シリーズの一句。鷗は漫才師。さすらいの醜鳥。)

だから鎖骨を一本くらいください     清水かおり
 ( はい、あげましょう。)

和風しそ味ドレッシングみの虫      井上一筒
 (「食べ物」シリーズの一句。みの虫は食べられません。)

仏壇を開けると止まる靴の音       浪越靖政
( 死者の靴の音だろうか。)

真夜中のたましいきゅるきゅると巻き戻し   山田ゆみ葉
 ( 巻いたじゅうたんを広げてみると、卵をころがすのにちょうどよい。)

おごそかに両便が去りたまふなり        野沢省悟
 ( 大便・小便を排泄してヒトは生きていくという作者の人間観。)

暁斎も割り込む人もいて夕辺          筒井祥文
( 江戸の奇想派の画家・河鍋暁斎。行列の中にこんな人も混じっている。)

冬鳥がいるいる痛くなるほどに         広瀬ちえみ
  ( イタタタタ…冬鳥のせいにする。)

土地鑑は丸い豆腐のあるあたり         小池正博
 ( 土地勘ではなくて土地鑑。高村薫の読みすぎか。)

霜焼けの指を納める桐の函           平賀胤壽
  ( 作品の完成度が高い。)

凌雲閣潰えたのちの九秒台           飯島章友
 ( 十秒の壁と言わなくなった。)

万物の光たばねて不戦勝            兵頭全郎
(「幾つかの銀河をつくる不戦敗」と対応。ゲームかな、スペース・オペラかな。)

罰としてクリオネ三年ヘビ五年         丸山進
  ( セミの馬鹿めが十八年。)

布団から人が出てきて集まった         樋口由紀子
  ( そう言われれば、人の世はこの通りだなあ。)

当日、本多洋子さんから『川柳サロン・洋子の部屋 Part2』をいただいた。Part1以後の3年間のゲスト作品などを集めたもの。

私も百鬼夜行の列にいる      本多洋子
オイスターソースで私を変える

2013年4月12日金曜日

あなたにとって川柳性とは何か

俳誌「翔臨」(編集発行人・竹中宏)では66号から74号まで「わたしにとって『有季定型』とは」の連載特集が組まれてきたが、今回の76号は中岡毅雄の〈「わたしにとって『有季定型』とは」総括〉を掲載している。このテーマ、ひとまずは締めくくりということだろう。
中岡はこれまでの論者のうち、岩城久治「祖父の反故」における有季定型とは「わたくしをして担うにたる大きくて重い存在としての不条理」という捉え方と、加藤かな文「『私から最も遠い私』から遠く」を近い考え方とする。これに対し、有季に積極的な意味を見出そうとしている論者として横澤放川と中田剛を挙げている。また、中村雅樹「世界は言葉とともに立ち現われる」、榎本好宏「積み重ねの到達点」を「有季」の世界に対する融和・親和を示すもの、瀧澤和治「心の姿勢」を俳句のレトリック面として「有季定型」に注目したもの、岸本尚毅「有季定型に関する実験」を「有季定型」を最もテクニカルな側面から捉えたもの、というように整理している。
以上は中岡の整理をさらに短絡的に要約したものなので、詳しくはもとの文章を参照されたい。中岡自身は「私が不思議に思ったのは『有季定型』を所与のものとして、肯定的に受容する主張が皆無だったことである」と述べ、「有季定型」は俳句の前提であり、「有季」「定型」という二つの枷がある文芸を俳句と呼ぶ、それでかまわない、という立場である。

竹中宏は編集後記(「地水火風」)で次のように書いている。
「俳人のあいだで、俳句についての根本的な問いをかわしあうことが、あまり見かけられなくなったようだ。あたりまえに過ごしていることも、かんがえなおしてみると、簡単に結論の出ないもので、あるいは、安易に一致点の見いだせないもので、そんな泥沼へ踏みこむことは、スマートといえないのだろう。しかし、問うてよいこと、問うべきことは依然として存在する。そこで本誌は『あなたにとって有季定型とは』という問いを発してみた」「つまり、『有季定型』の教科書的定義から出発するのでは問題はかたづかず、個々の内的決断としての選択のありようにこそ核心があるというのが、発問のふくみであった。同じ問いを、読者にも呈したい」
竹中らしいものの言い方である。
一般論に逃げるのではなくて、「あなた自身はどうなのだ」という問いを竹中は突きつけてくる。俳句については対岸のことですませられるが、では川柳で同じように問うことはできるだろうか。
俳句では「有季定型」という核があるが、川柳にはそのようなものはない。もし問うとすれば、「あなたにとって川柳性とは何か」という問いになる。これが川柳人にとっては悩ましいのである。

「面」(発行人・高橋龍)115号は創刊50周年記念号である。
創刊号は1963年4月1日発行。
今回の内扉には西東三鬼の「俳愚伝」の一節が掲載されている。
「昭和九年の十月のある朝、私は勤先の外神田の病院に行くために、秋葉原の高架駅をあるいていた。歩廊の窓からは北は上野、本郷がみえ、南は日本橋、京橋の家々がみえた。いつも見慣れた俯瞰風景であるが、私は明けても暮れても、新しい俳句とそれを作る人々の事ばかり考えていたので、屋根屋根をつらねたその朝の大都市を眺めた時、同じ東京の屋根の下に住みながら、そして同じ革新的志向を俳句に持ちながら、お互いに名前と作品を知りながら、一度も顔を合わせたことがない俳人達を思い浮かべた」

老年や月下の森に面の舞     西東三鬼

川柳誌に目を転じて見よう。
「水脈」33号、巻頭に浪越靖政の「川柳の可能性」を掲載。
第17回杉野土佐一賞の榊陽子作品、第2回高田寄生木賞の山川舞句作品を取り上げたあと、浪越は次のように書いている。
「川柳は250年以上の歴史を持つ伝統文芸である。ということで、川柳を枠の中に閉じ込めてしまおうという考えの指導者も多い。しかし、伝統というものは日々進化していくものである。これは他の文芸や芸能をみても明らかなことである。川柳の良さと強みは季題や切れなどという制約がないことであり、この無限の可能性を否定しては進歩も発展も考えられない」
これに付け加えて浪越自身は「川柳の面白さ」を追求してゆきたいと述べている。「川柳の面白さ」にもいろいろな種類が考えられるだろうが、言葉の面白さであれ内容の面白さであれ、川柳にはまだまだ表現領域を拡大する余地があるだろう。

ふたりしてかゆいところがわからない    一戸涼子
深海をめぐるおまけがつくという      酒井麗水
とりあえずダミーを送る検査室       浪越靖政

「ふらすこてん」26号。この川柳誌も5年目に入り、試行を続けている。
同人稿として蟹口和枝が「アスリート的読みの練習」、富山やよいが「夢で逢えたら笑いましょう」を書いている。富山の文章は飯田良祐の川柳を取り上げたもの。
筒井祥文は「番傘この一句」という連載を続けており、本号では2012年11月号・12月号について選評している。

領海に十三億の胃袋が        西久保隆三
無視されて左まわりをしてみせる   大西将文

「杜人」237号。東日本大震災から二年が経過し、仙台から発行されている本誌には震災を意識した作品が散見される。

他人様の更地を踏んで海を見に      山川舞句
人はようやく育ちはじめる死んでから   佐藤みさ子

また、草地豊子の「三月の船よ」という自筆の詩が掲載されているのも目をひく。震災の津波で岩手県大槌町の民宿の屋上に、釜石市の遊覧船「はまゆり」が乗り上げた様子を「迷子の船よ」と表現したものである。