2012年10月27日土曜日

国民文化祭とくしま2012「連句の祭典」

今年の国民文化祭は2007年に続いて徳島県で開催されている。普通、こんなに短期間に同じ県で開催されることはないのだが、自治体の財政難はどこも同じであって、積極的に国文祭にお金と労力を注ごうという自治体はもはや存在しない。そんな中で徳島が手をあげたのであるが、県が関わるのは限定的という条件つきである。今回短詩型文芸の分野で開催されるのは、連句と川柳の二つだけ。連句の場合、県実行委員会は実務に関わらず、連句協会、特に徳島連句協会が実務を主担している。川柳は11月18日に開催されることになっているが、連句は一足早く10月21日に開催され、私は前日の20日から徳島入りをした。

昨年の京都に続いて、応募作品の選者を務めさせていただいたのだが、今回の募集は二十韻という形式であった。二十韻は東明雅の創始による、表4句、裏6句、名残の表6句、名残の裏4句の連句形式である。742巻の応募作品を読むのは貴重な経験でもあり悩ましいことでもあった。「入選作品集」の「選者のことば」の中で私は次のように書いている。

「応募作品を拝読しながら考えたのは形式と内容の問題です。二十韻という形式にどのような内容を盛ることができるのか、どこが読みどころなのかと自問しました。付けと転じを生命とする連句精神は同じでも歌仙と二十韻では違いが出てくるのは当然です。異なった皮袋には異なった酒。しかし、二十韻相互の間では、二十句の組合せの中で独自の世界を構築し、差異を際立たせるのはなかなか困難です」

その結果、私が特選に選んだのは「埴輪馬」「白梅に」「仏徒なり」の三巻である。そのうち「埴輪馬」の巻(矢崎硯水捌)の前半を紹介する。

  埴輪馬いざ駆け出さん秋の風
   篁さやぎ新涼の楽
  観月のヴィラの上座に招かれて
   衿のバッジが誇り高くも
ウ 俳諧の鳴門海峡わたる旅
   渦潮に似て想ひ渦巻き
  素粒子が育ってぽんと腹を蹴り
   笑まひ絶やさぬ盧舎那仏像
  雪催ひ利休鼠に昏るるらん
   ペチカが燃えて偲ぶ鉄幹

この作品を選んでいるのは私だけである。そういうとき、選者としては選に失敗したかと自信を失う場合と、自分だけがこの作品を認めたという自負をもつ場合とがあるが、この場合は後者であって、「選者のことば」には次のように書いている。

「私は平句のおもしろさに注目していますから、『埴輪馬』の『渦潮に似て想ひ渦巻き/素粒子が育ってぽんと腹を蹴り』の付合が嬉しいです。ここには自在な俳諧性を感じます。『白梅に』は、蕪村を下敷きにした発句にはじまり、西洋的素材と日本的素材のバランスが心地よいです。『仏徒なり』は何といっても発句のおもしろさですね。私たちは連句を作ることに熱心ですが、連句を読むとはどういうことなのだろうと改めて考えさせられました」

連句の評価について、東明雅が示した次の基準が比較的広く踏襲されている。

①一句一句のおもしろさ
②前句と付句との付心・付味のおもしろさ
③三句目の転じのおもしろさ
④一巻全体の序破急のおもしろさ

しかし、これを実際の作品に適用して評価を決めようとするのは容易なことではない。「おもしろさ」と感じるところは人によって異なるから、結局は読む者の言語感覚によるしかないのである。どこかで見た陳腐な表現と受け取るかどうかも、ふだんその人の読んでいる範囲によって違ってくることがある。

「文部科学大臣賞」を受賞した「風の音譜」(服部秋扇捌)は次のような作品である。

  春耕にひもとく美しき時祷書よ
   風の音譜に蜂の休止符
  師とわれと身を委ねたる花騒に
   掌のビー玉の透ける渦巻
ウ 峡谷を愛犬も積む郵便車
   桂男は更衣して
  灼熱の想ひ人には触れられず
   短銃(チャカ)に賭けても奪ふ決心
  弗・ユーロあれやこれやで希臘危機
   クビと言はるる連休の明け

この作品を特選に選んだ狩野康子は「選者のことば」で、二十韻では定座や恋の場に追われて無理な運びになる危険性があると指摘した上で次のように述べている。

「この巻はその窮屈さを感じさせない臨機応変な展開が光った。春発句の表三句から月の定座では敢えて短句の夏の月を出し、更に恋の呼び出しも兼ねている点。正花を三句目に据えた大胆さ。一巻の流れに目をやると『破』の部分が中程にあり、最後のどたばた感がなく、すっきり納めている点。等々形式を守りながら形式を自由に遊ぶ連句の醍醐味が感じられ、好ましく思った」

あと「選者のことば」から印象に残った部分をいくつか紹介しておく。

「多くの作品の中には、詩情も発見もなく、常識的な物の見方やたんなる出来事を羅列しただけで、これではわざわざ連句をする甲斐がないと思わせられるものもあるが、そうした欠点は、恋句と時事句に最も端的に表れるようだ。実感のない手垢の付いた表現だけでまとめた恋句、マスコミによって選ばれ、作られた事例、構図、観点を口移しするだけで、やはり実感のない時事句。これらは連句の形骸化の指標として自戒の種にしたい」(鈴木了斎)

「月・花・恋の句についても、それぞれ工夫に遺漏がない。恋は一か所で押さえている。逢瀬を朦朧体の古典的な手法で万華鏡のような変幻の境と表現した。色々な姿になって女と交わったゼウスは、逢瀬の神技を示したのである。恋の深まりを空蝉のはかなさで象徴して哀れを強調する。今まで土の中に深く秘められていた思いが表に現れて、噂などもはばかることなく乱れ咲く恋となったのだ。その『証』を認識した女はもう迷わない」(近藤蕉肝)

「上位の作品にはさらに、上手に詠むことを抑えこむつつしみが感じられるかどうか、粗野を気取った贅沢という俳諧独自の美意識が息づいたいるか、こんな期待をもって向き合いました。季題標準配置をなぞっているようであったり、紋切り型表現が散見されたり、流行語や時事的素材がナマのままで置かれていたりですと、『もう少し翔んで』と思います」(佛渕健悟)

作品の読みが意識されることは連句批評への第一歩である。連句においても読みの時代が始まりつつあるのではないか、そんな感想をもった。

2012年10月19日金曜日

川柳大会と誌上句会

10月8日(日)
秋は川柳大会のシーズン。大阪・上本町の「アウィーナ大阪」で「川柳塔まつり」が開催される。9月の「川柳カード」創刊記念大会には小島蘭幸さんをはじめ「川柳塔」の方々にご参加いただいたので、そのお礼も兼ねて参加。参加者338名。盛会である。
新家完司さんのお話「川柳に表れた死生観」が面白かった。
落語を枕にして、「死ぬ順番」「生者と死者との対比」「通夜風景」「葬儀風景」「葬儀風景」「死を意識して生きる」「死ぬ覚悟」に分けて川柳を引用しながらトークを進めてゆく。レジュメを用意せず、口頭で句を紹介するのは、プリントしたものを聴衆が先に読んでしまうとインパクトが薄れるからだという。引用した川柳にちなんで一曲歌い、自慢の喉を披露するなど、聴衆を飽きさせなかった。
当日引用された句は「川柳マガジン」の新家完司ブログにアップされている。

胸に薔薇付けた順序に行くあの世    田沢恒坊
年齢順に死ぬうるさくてかなわない   定金冬二
一緒には逝けないけれどそこらまで   小沢 淳
喪が明けて仏の寝具ゴミに出る     福士慕情
死支度してからなんともう十年     柴本ばっは
死の恐怖足を縮めて寝ていても     森  央
ポックリはいいが突然でも困る     奥 時雄
しがみつくほどのこの世でなかりけり  麻生路郎
もう少し生きて悪夢を見続ける     藏内明子

句会では私は全ボツ。

10月13日(土)
ウラハイに今井聖著『部活で俳句』(岩波ジュニア新書)の書評を西原天気さんが書いている。この本は私の机上にもあるが、第一章「〈踊る俳句同好会〉誕生」が小説仕立てでおもしろいなと思ったきり、第二章以下を読みさしにしたままだったので、改めて目を通してみる。
「俳句甲子園」や『十七音の青春』からの引用が多いが、

ひまわりに平均点をつけてみる   植松佳子

この句などは現代川柳として読んでもおもしろいと思う。
「俳句はある風流な場面や時代を設定してそこにタイムマシンで移動して作る文芸ではありません」「もうタイムマシンを必要としない、同時代の感動がはっきりと見てとれたのです。季語はもはや時空を超えた世界に入る『鍵』ではなくて、現実の空間を表すなまなましい対象として用いられています」「現在でも俳句を作るときにタイムマシンを準備する人は依然として多いのですが、それは特殊な『芸』を高めることであっても自己表現としての文学の本質とは乖離していると思います」
これらの言葉に今井の俳句観が表れているように思う。
興味深いのは「もの俳句」と「こと俳句」の区別である。どちらがよいかは一概に言えないとした上で、次のように区別している。

薄氷の吹かれて端の重なれる   深見けん二  (もの俳句)
病む六人一寒燈を消すとき来   石田波郷   (こと俳句)

そして著者は「こと俳句」について次のように言う。「ただの自己肯定やありきたりのヒューマニズム。類型的な青春性。家族褒め、友情、夫婦愛。そんな『こと』からは感動は伝わってきません」
何だか川柳が叱られているような気がするのは、俳句は「もの」、川柳は「こと」を詠むという整理の仕方もありうるからである。私は芭蕉の「ものの見えたるひかり」に倣って、川柳を「ことの見えたるひかり」と言ってみたこともあるが、現実に書かれている川柳の大部分が類型性を抜け出せずにいることは事実である。

10月14日(日)
「街」同人で詩人でもある柴田千晶さんに送っていただいた詩集『生家へ』を読む。
俳句と詩のコラボレーションによって作品が構成されている。たとえば、こんなふうに。

春の闇バケツ一杯鶏の首

深夜、帰宅すると、室井商店の前に赤い椿が点々と落ちていた。闇に滲む椿の赤を避けながら歩く。と、それは椿などではなく、鶏の赤い鶏冠であった。首を切り落とされた鶏は皆、静かに眼を閉じていた。その光景に立ちすくんだ私は背後の闇に、軍手のフェンスに体を強く押し付け、嗚呼、嗚呼と呻いている短軀の男をふいに生々しく思い浮かべた。

石部明が読んだら大喜びしそうな詩集である。
柴田はシナリオも書く。今井聖との出会いはシナリオの共通の師である馬場當の仕事場だったという。そういえば『部活で俳句』には今井の書いたシナリオ『エイジアン・ブルー   浮島丸サコン』の一場面が引用され、映画のカットが俳句に書きかえていた。こんなふうに。

囀りや広縁に日の移りくる
作りかけの巣箱が一つ縁側に
桜貝一枚づつを姉妹

小津安二郎がシナリオの修練として連句を巻いていたというエピソードを思い出す。あの「東京物語」の部屋の外に置かれたスリッパの場面など。
さて、柴田千晶は今井聖に共鳴したのだろう。俳人としても活躍している。
「ここ十年ほど、自作の俳句が内包するイメージと格闘するように詩を書き続けてきた。詩と俳句が遥かなところで強く響き合う、そんな世界を目指して」(あとがき)

10月15日(月)
京都で発行されている「凜」という川柳誌がある。村井見也子が中心となって創刊され、現在51号まで発行されている。村井の師は北川絢一郎である。北川の死によって「新京都」が終刊したあと、京都ではいくつかの川柳誌が誕生した。「凜」もそのひとつ。
2010年、村井の引退によって、現在は発行人・桑原伸吉、編集・辻嬉久子・行田秀生。
季刊であるが、今年の7月号が50号記念誌上句会発表号となっている。

三月を映しそこねたカーブミラー     北村幸子
文法は布に覚えがないそうな       中西半
雲の流れてインディアンの口承詩     八上桐子
非常口ぽかんと開いている 雪ね     吉岡とみえ

川柳誌ではしばしば誌上大会・誌上句会というものが開催される。全国から投句をつのり、選者が選をして誌上で発表する。実際にどこかに集まらなくても、疑似的に大会参加の気分が味わえることになる。私は句会というものは実際に集まるのが本当だと思っているから、なぜこういうものがあるんだろうと多少の違和感があったが、よく考えてみるとこれは川柳に適したシステムなのである。
徳永政二は「凜」51号の「誌上句会によせて」で次のように述べている。
「誌上句会の魅力は、全国から句を集めることができること、また、その規模でこれという人に選者をお願いすることができることだが、当日句会の句がどうかと問われている現在、誌上句会はいい句を集める役割を果たしているのではないかと思う」「しかし、臨場感があり、川柳を語り合う出会いが生れる当日句会の魅力はけして否定されるものではない」

10月16日(火)
杉浦圭祐さんから俳誌「草樹」を送っていただく。
先日、京都の「醍醐会」で再会したときに、同人誌「quatre」が終刊になって、彼の句を読むにはどうしたらいいか尋ねたからである。

我に似し人を嫌いに燕子花    杉浦圭祐 (41号)
五月の海見えて落ち着き取り戻す

前田霧人句集『えれきてる』の紹介も掲載されている。

金色の蝶の飛びゆく枯野かな   前田霧人
ばくだんもはなびもつくるにんげんは
僕の部屋のぬた場で猪とする話

現俳協青年部のシンポジウムが11月17日(土)に京都・知恩院で開催される。「洛外沸騰―今、伝えたい俳句、残したい俳句」というテーマで、司会・三木基史、パネリスト・青木亮人、岡田由季、松本てふこ、彌栄浩樹。楽しみだ。

10月17日(水)
夢岡樽蔵著『段駄羅作品鑑賞Ⅰ時の流れの巻』(踏青社)を読む。
段駄羅については以前も紹介したことがあるが、輪島で発達した雑俳の一種である。著者の木村功さんには「大阪連句懇話会」でもお話いただいた。夢岡樽蔵(夢を語るぞう)は木村さんの段駄羅作者名。集中で最も好感をもったのは次の作品である。

時雨打つ 傘は無き身を
              風花君を   送る朝      躑躅森仁之

中七が掛詞になっていて転じていく。従って、二つの季節を詠み込むことも可能だ。

冬の能登 鮟鱇炊いて
               アンコ歌いて 島の春      船本勝信

「中七を単に同音意義に転換しているだけでは、中七で折れ曲がった段駄羅の後半部分がどちらを向くかは風任せの凧のようで、面白い句になるかどうかは偶然の産物ということにもなりかねません。これに対し、段駄羅を詠む時に作品全体をコントロールするいくつかの基準を持っていれば、上五や下五を、それなりに工夫して、もっと面白い作品が詠めるようになるのではないか」
著者はそのような基準として「前・後半を一つのテーマで詠むこと」「前・後半を対比する形で詠むこと」を挙げている。従来の「相互の関連を不問とする」段駄羅の考え方とは異なる新機軸を出していて(私自身は相互の関連を問わない飛躍感の方を好むものだが)興味深い。

10月18日(木)
次の土・日曜日に徳島市で開催される「国民文化祭・連句の祭典」に出席することになっている。20日(土)はワークショップがあって、私は和漢連句の座に加わるが、その予習として資料を読む。
大阪連句懇話会で遊び程度に作ったことはあるが、今回は和漢連句の第一人者・赤田玖實子さんの捌きなので、いいかげんなことはできない。
和漢連句とは次のようなものである。『第六回浪速の芭蕉祭作品集』から、半歌仙の表六句のみご紹介。

和漢行 半歌仙「俳諧の」の巻   鵜飼佐知子 捌

俳諧の風韻たずね紅蓮         赤田玖實子
葉ずれさやげる甘酒の茶屋       山田 あい
夏 服 飾 金 釦          桜田 野老
長 衣 結 玉 紐○                〃
月光が彫刻の虫浮かばせて       鵜飼佐知子
渡 雁 天 上 有○                 玖

○印のところで韻を踏んでいる。
対句もあるようだし、うまくできるかどうか分らないが、初めての詩形に挑戦するのは嬉しいものである。徳島では時間があれば人形芝居フェスティバルや阿波踊りも見て来たい。

2012年10月12日金曜日

浪速の芭蕉祭のこと

時雨忌(芭蕉忌)にちなんで各地で芭蕉祭が開催されている。
もちろん新暦・旧暦の問題があるから、新暦の10月に行う場合と旧暦を新暦に換算して12月に行う場合とがある。たとえば、伊賀上野の「しぐれ忌連句大会」は10月11日開催、 東京義仲寺連句会の「俳諧時雨忌」は12月16日の開催である。
さて、大阪天満宮における「浪速の芭蕉祭」は平成19年10月に第一回が開催され、今年で6回目を迎える。今年は連句・前句付・川柳の募吟を行ったところ、連句の部93巻、前句付の部314句、川柳の部335句の応募があった。選考の結果、連句29巻、前句付23句、川柳28句が入選している。主催者は大阪天満宮に所属する講(こう)のひとつである「鷽(うそ)の会」で、鷽とは鳥のウソである。俳句では「鷽替え」などの季語がある。
10月9日(日)には大阪天満宮・梅香学院で表彰式と連句実作会が催され、31名の参加者があった。また、「第六回浪速の芭蕉祭献詠連句・前句付・川柳入選作品集」が作成され、大阪天満宮に奉納される。

この募吟の特徴は「形式自由」というところにある。ふつう連句作品の募集は歌仙とか半歌仙とか二十韻などという形式を決めておこなわれるのだが、「浪速の芭蕉祭」ではどんな形式であろうと自由である。従って、百韻や歌仙などの伝統的形式の作品もあれば、オン座六句・スワンスワン・テルツァリーマなどの新形式もある。今年は「五十鈴川」「襲」というまったくの新形式も飛び出した。これらの多様な作品を同じ土俵の上に乗せて評価するのだから、選者も大変だが、実験精神に満ちた刺激的なおもしろさがある。

連句の部の大賞作品は、佛渕健悟選のお四国「詩篇」、臼杵游児選のオン座六句「嬶座」である。選者は二名であるが、いっさい相談することなく、それぞれ独自に選ぶ。従って大賞が二つ出ることになる。
まず、「お四国」の方から紹介すると、四国八十八か所の巡礼に見立てて八十八句から成り、阿波表→阿波裏→土佐表→土佐裏→伊予表→伊予裏→讃岐表→讃岐裏と進行する。回る順は変えてもよいらしい。創始者・梅村光明の説明によると「四国八十八カ所巡りに因み、阿波・土佐・伊予・讃岐の国々をそれぞれ表と裏に分け、森羅万象を詠み込んでいく。阿波表から神祇・釈教・無常・述懐を嫌わない。また、各国の表裏それぞれに必ず一句はゆかりの句を入れること」ということだ。長いので半分だけご紹介。独吟である。

阿波表 若書きの詩篇溶け出す花氷      梅村 光明(夏花)
     白シャツ似合ふ夭折の友           (夏)
    この街は路面電車も無くなつて         (雑)
     駄菓子屋なれど傘も商ひ           (雑)
    口癖に名字帯刀自慢する            (雑)
     鳴門金時後を引く味             (秋)
    代替り更地に上る盆の月            (月)
     朝顔の鉢すべて不揃ひ            (秋)
阿波裏 登校の横断歩道児ら守り            (雑)
     噂飛び交ふ新任教師             (恋)
    遠距離も恋の模様と割り切らん         (恋)
     ハートマークをいつもメールに        (恋)
    献血の回数すでに十指越え           (雑)
     人類起源聞けば納得             (雑)
    秘密裡に渡航禁止の国に住み          (雑)
     残る燕と会話楽しむ             (冬)
    冬の月路地裏抜けて銭湯へ           (冬月)
     鏡のビルに映る塔あり            (雑)
    懐メロが食ひ扶持なりとギター弾き       (雑)
     飛行機嫌ふ理由告白             (雑)
    眉山を少し彩る遅桜              (春)
     海苔干し終へて憩ふひととき         (春)
    気が付けば目借る蛙と同様に          (春)

続いて臼杵游児選の大賞の「オン座六句」は浅沼璞の創始によるもので、新形式といってもすでに二十年ほどの歴史がある。この作品も五連まであるのだが、長くなるので三連までご紹介。三連は自由律の連になっていて、そこが読みどころのひとつである。

オン座六句「嬶座」の巻   渡辺祐子 捌

一連 白牡丹くづるる際の余韻かな         祐子
    空を剪り取るはつなつの玻璃        真紀
   少年は紙飛行機を折りあげて         千晴
    輪読の声リビングの横          美奈子
   月見して天動説の光浴び           将義
    蔦のからみに謎の解けざる        八千代

二連 真田石でんと守りし上田城           晴
    嬶座といふは尻の面積            義
   十人の児をなすまでは現役よ          奈
    鷹鳩と化す薄化粧して            代
   雪解けの河に地雷の流れ来る          祐
    当たりくじまたあの売場から         義

三連 聖徳太子は実在しなかっただなんて今更     奈
    右の頬をひっぱたく             晴
   ボケと突っ込みが哀しき性を演じ        同
    やってられへんねん             義
   着膨れているから主観に辿り着けない      同
    凶器にもなる氷柱              祐

前句付の部では前句「酔えば手品のタネ明かす癖」に対して五七五の付句を付ける。下房桃菴選の大賞・次席作品は次の通り。

大賞(大阪天満宮・鷽の会賞)

初めての女の子にはちょっとモテ      島根県邑智郡 源瞳子

次席

金曜の夜は早寝の賢い児          仙台市 阿部堅市
街角でそっと籤買う霊媒師         越前市 白崎ひろ子

松江在住の下房桃菴は島根大学の教授をしていたころに学生の前句付作品集を刊行し、以後、前句付の普及に努めている。号の桃菴(とうあん)は「答案」の洒落であろう。山陰中央新報の「レッツ連歌」欄選者を担当して現在に至る。『レッツ!連歌』は第三集まで刊行されている。
平成9年に松江で「松江おもしろ連句会」が開催されたときに、私も松江を訪れた。今回大賞を受賞した源瞳子はそのとき私の座に入って連句を巻いている。あれからもう15年ほどが経過したことになる。彼女には今度も私の座に入ってもらった。
ほかに前句付の募集としては矢崎藍が高校生を対象に「とよた連句まつり」を続けているほか、「宗祇白河紀行連句作品賞」がある。
当日、下房からもらった「松江ユーモア連歌大賞」の作品集から引いておく。

   (前句)こんなところに城があったか
  姫様に尻尾があればご用心       山口真二郎

川柳の部は兼題「押す」、樋口由紀子選である。

特選    警告が出て押す理容院の椅子    井上一筒

準特選   透明になりたい人が押すボタン   徳長怜子
ぎゅっと押しつけて大阪のかたち  久保田紺

特選作品について、樋口由紀子はウラハイ(「週刊俳句」の裏バージョン)の「金曜日の川柳」(10月12日)で取り上げている。準特選の「ぎゅっと押しつけて大阪のかたち」について、久保田紺は「浪速の芭蕉祭」の授賞式で、発想のもとにあったのは「大阪寿司」であると語った。最初の発想がどうであれ、どのようなイメージで読んでもいいと思う。「大阪のかたち」ってどんなだろうというのがこの句のおもしろさだからだ。

「浪速の芭蕉祭」は連句人を中心とした集まりだが、前句付と川柳も含めて広く付合文芸に関心のある人々の場になればおもしろいと思っている。当日は七五三参りや結婚式もあり、大阪天満宮は人の波であふれていた。古本市も開催されていた。人が集まるということにはそれなりの意味があるのだ。

2012年10月5日金曜日

洛北の虫一千を聴いて寝る

秋になって虫の音が聞える季節になった。
近ごろはあまり書店で見かけなくなったが、保育社のカラーブックスが好きで、『カラー歳時記 虫』は中学生のころの私の愛読書だった。カラー写真がとらえた昆虫の姿と生態は美しかった。解説の文章は串田孫一。
俳諧と虫との関係は深い。たとえば横井也有の『鶉衣』に「百虫譜」という俳文がある。
虫は人にとって身近な存在であるだけに、親しみをもったり嫌いであったりする。昆虫好きと昆虫嫌いに分かれてしまうのだ。「虫けらのようなやつ」という蔑称もある。尾崎一雄の「虫のいろいろ」は私小説の名品であるが、蠅を描いた次の場面は忘れがたい。

「額にとまった一匹の蠅、そいつを追おうというはっきりした気持でもなく、私は眉をぐっとつり上げた。すると、きゅうに私の額で、騒ぎが起った。私のその動作によって額にできたしわが、蠅の足をしっかりとはさんでしまったのだ。蠅は、何本か知らぬが、とにかく足で私の額につながれ、むだに大げさに翅をぶんぶん言わせている。その狼狽のさまは手にとるごとくだ」

「私」はおもしろがって、この姿を家族や子供たちに見せびらかせる。みんな感心して笑い出すのだが、やがて「私」は不機嫌になって「もういい、あっちへ行け」とみんなに言うのである。尾崎の文章には余裕とユーモアがあり、同時に人の心の真実をとらえている。蠅で思い出したが、蠅を憎んだ作家に泉鏡花がおり、「蠅を憎む記」を書いている。

秋に鳴く虫といえば、川柳では岸本水府の次の句が有名である。

洛北の虫一千を聴いて寝る     岸本水府

水府の作品のベスト10を選ぶとすれば、この句を入れる川柳人は多いだろう。
昆虫の中でも甲虫が好きだとかトンボが得意だとか、それぞれの編愛する分野がある。手塚治虫はオサムシが好きでペンネームにしているのは有名な話である。手塚は宝塚の出身だが、近くの箕面は昆虫の宝庫で昆虫館もできている。
誰もが愛するのは蝶だろう。
手元にある高等学校の教科書のうち第一学習社の「現代文」の「短歌と俳句」の単元には「蝶」の項目があって、蝶を主題とした作品が集められている。五七五形式としては、次の作品が掲載されている。

恋文をひらく速さで蝶が湧く      大西泰世
ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう   折笠美秋
高々と蝶こゆる谷の深さかな      原石鼎
蝶々のもの食ふ音の静かさよ      高浜虚子

大西泰世は川柳人なので、この教科書に最初に掲載されたときは俳人扱いされて物議をかもしたが、今は訂正されて作者解説から「俳人」という言葉は削られている。

ここで不意に三橋敏雄のことを思い出すのは、人が体内に飼う一匹の虫のことを思うからである。「川柳カード」創刊記念大会の対談で、池田澄子が三橋について語るのを聞いた。その二週間後、京都の「醍醐会」で永末恵子が三橋の話をするのを聞いた。ともに優れた表現者がとらえた三橋像であったが、微妙に違うところがあった。それで、最近出たという話題の三橋敏雄伝を書店で探したが見つけることができなかった。本当に欲しい本には出会うことが出来ない。

さて、川柳人の中で昆虫好きといえば、高知の古谷恭一であろう。『現代川柳の精鋭たち』で古谷はこんなふうに書いている。
「私の少年期の趣味は蝶の採集であって、なかでもアサギマダラの群舞には目を見張ったものである。今でも飛んでいる蝶を見ると捕らえてみたくなる衝動がある」
そのころはまだ古谷恭一に会ったこともなかったので、こんな人がいるんだと印象に残った。のちに、古谷恭一とは何度か酒を酌み交わす機会があったが、私がこの人に親しみを感じるのは酒だけではなくて蝶なのである。

いつまでも青い痕跡捕虫網      古谷恭一
相伝というほどもなしトンボ釣り
少年の遺体はるかなモルフォ蝶
蝶の翳 貌半分を焼き尽くす
斑猫のほほほと笑う行方かな

斑猫(はんみょう)は山道などでよく出会う甲虫である。人が歩いてゆくにつれて前方に飛んでゆくので、俳句では「道おしえ」などと呼ばれる。一歩先を行きながらつかまえることができない存在が女のイメージと重ねられている。

北杜夫の『どくとるマンボウ昆虫記』は私のかつての愛読書であった。その末尾はこんなふうに締めくくられている。

ところで私はといえば、たしかに虫たちを好きではあったが、別段それによってなんのサトリをひらいたわけでもなく、人に語るべきものはなにもない。しいていえばただひとつ、たとえ人から「あいつはムシケラのような奴だ」と悪罵されようとも、私はにっこり微笑できようというものだ。

中学生だった私はこの部分に赤鉛筆で太い線を引いたのだった。その赤い線はいまも私の書架に飾られている同書にはっきりと残っているはずである。