2020年2月15日土曜日

暮田真名『補遺』批評会のことなど

2月9日、三鷹の「かたらいの道市民スペース」で暮田真名の第一句集『補遺』の批評会が開催された。昨年10月に開催されるはずだったのが、台風のため延期になっていた集まりである。
三鷹には何度か行ったことがあるが、いつも水中書店のある北口方面なので、今回は南口を探検してみた。「太宰治文学サロン」が出来ていたので覗いてみる。「トカトントン」の展示があった。太宰の墓がある禅林寺には数十年前に行ったことがあるので、今回は行くつもりはなかったが、批評会までにまだ時間があるので歩いてゆくことにした。以前とはずいぶん変わって立派な斎場になっている。墓地は昔のままで森鷗外の墓と太宰治の墓が向かい合わせになっている。太宰の墓の写真をとる人が向かいの鷗外のところから撮影するので、鷗外墓の方が荒らされるという話を聞いた覚えがあるが、今はどちらも人気がなく静かであった。
昨年は新潟で「坂口安吾風の館」に行ったので、無頼派ゆかりの地に縁がある。「戦後」という時代も遙か過去になった感じがする。
さて、批評会の方だが、主催「川柳スープレックス」で、報告者は平岡直子と柳本々々。
平岡は「短歌にとって川柳とはなにか」「川柳にとって寿司とはなにか」「言葉にとってかわいいとはなにか」という三つのテーマで語った。興味深かったのは導入で平岡が語った部分。平岡は川柳との交流ができて5年になるが、歌人であるゆえに川柳を誤解しているのではないかという不安を感じるという。川柳の句集の批評はむずかしい。歌集の批評は作者の品評会だが、川柳句集は作者を再構成する部品として機能しない。句集を出しても作者が得をするようにはなっていない。蜃気楼のように作者を突き抜けて作品に手が届く。ざっと、そのような話だったと思う。
柳本は「わたしはどこにも行きたくない、ここにいたい」というタイトルで、暮田の「OD寿司」、石田柊馬の「もなか」、兵頭全郎のポテトチップス(「開封後は早めにお召し上がり下さい」)の三つの食べ物を題材とした連作を引いて現代川柳の特質を語った。キャラクターとキャラの違い、川柳は「交換芸術」、それまで世界で起こらなかったことが、言葉によって世界のルールを試してゆく、いろんな世界の可能性を試してゆく、など。
「推し句バトル」のコーナー、それぞれの推し句は次の通り。

川合大祐の推し句 そろばんを囲んだ そんな夏はない
平岡直子の推し句 かなしみと枯山水がこみ上げる
笹川諒の推し句  ダイヤモンドダストにえさをやらなくちゃ
小池正博の推し句 良い寿司は関節がよく曲がるんだ

プレゼンと質疑のあと会場の挙手によって、平岡が勝利。
「OD寿司」の「OD」は「オーバードーズ」(薬の過剰摂取)という意味らしい。
この日の参加者は歌人が多く、歌人が川柳をどう見ているかを改めて意識させられた。

批評会に来ていた山口勲さんから「て、わたし」7号をいただいた。彼には「川柳スパイラル」5号に「語り手の声が聞こえる詩」を書いていただいたことがある。
「て、わたし」7号の特集はアメリカ合衆国の韓国系の詩人で社会活動家のフラニー・チョイ。ヤリタミサコ、西山敦子、堀田季何、山口勲の四人が訳している。
山口の解説によると、収録されているうちの三つの詩は実際のできごとをきっかけに書かれた作品だということだ。
白人男性が自分の作品に注目を集めるためだけにアジア人のペンネームを使って詩を投稿したことに対する怒りから書かれた「チェ・ジョンミン」。
女性へのストリートハラストメントを描いた「『俺、豚肉が好きなんだぜ』と通りで私にわめいた男へ」。
アジア系の警察官が黒人を誤射殺害した事件をめぐる「ピーター・リャンへ」。
山口は「川柳スパイラル」5号掲載の文章で同性愛の黒人女性の詩やロヒンギャについての詩を紹介したあと、こんなふうに書いている。
「私が今回紹介したものは必ずしも『詩的』ではないのかもしれません。作品と人を切り離すべきだという考えから外れた前近代的な捉え方かもしれません。けれども、様々な怒りを通過した作品は近代日本が経験した言文一致とも通じ、声を通すことで社会や自分自身の生活と深く結びつく二十一世紀の文学だと信じています」

「俳壇」3月号に新鋭俳人として中山奈々が紹介されている。中山の俳句とエッセイに松本てふこの中山奈々論が付いている。松本の句集『汗の果実』(邑書林)のことは先月触れたが、もう一冊、宮本佳世乃の第二句集『三〇一号室』(港の人)が好評だ。梅田蔦屋書店ではこの二冊が並んで置かれている。
宮本佳世乃の句は「豆の木」や「オルガン」で読んでいたし、第一句集『鳥飛ぶ仕組み』(現代俳句協会新鋭シリーズ)も手元にある。いつごろから宮本のことを知るようになったのか、もう覚えていないが、俳句のイベントに行くと受付で見かけることがあったりして、自然と挨拶をかわすようになったのだろう。
『鳥飛ぶ仕組み』から次の二句を並べて抜き出してみよう。

二人ゐて一人は冬の耳となる
郭公の森にふたりとなりにけり

「二人と一人」ということが意識されている。「一人」ではなくて「二人のうちの一人」という意識である。二人でいるということが孤独を忘れさせる場合もあれば、二人でいることによって孤独感が深まる場合もある。二人のうちの一人が「冬の耳」となったのなら、もう一人はどうなったのだろう。二人でいるためには「郭公の森」でなければならなかった。それはなぜなんだろう。分かるような気もするし、本当のところは分からないような気もする。この二句にマークを入れたということは、そのときの私の気分に響くところがあったのだろう。
『鳥飛ぶ仕組み』の帯文で石寒太はこんなふうに書いている。
「彼女は『俳句をつくっている時間は、どこか別の場所に行っているように心地いいのだ』という。本当にはじめて会った時に直感した通りの、まさに« 俳句人間 »なのである」

私は川柳フィールドにいるので、俳句の文体にはなじめないところがある。だから、宮本の句のうちでも文末が「~にけり」とか「~たる」となっているものに対しては、「ああ俳句だな」と思うだけだ。『三〇一号室』の中で私がおもしろいと思うのはいかにも俳句らしい句ではなくて、次のような句。(三〇一号室というのだから、三階のいちばん端の部屋だろうか。)

かなかなに血の集まってゐるばかり
こどもつぎつぎ胡桃の谷へ入りゆく
素数から冬の書店に辿りつく
空港に歩いてゆける勾玉屋
掌が枇杷となるまで触れてゐる
白蝶のただ追ひたれば職質され

最期にネットプリント「MITASASA」第12号から三田三郎の短歌を紹介しておこう。

気を付けろ俺は真顔のふりをしてマスクの下で笑っているぞ   三田三郎