2015年7月31日金曜日

暑いのでだらだら牛のよだれのような雑感

俳誌「オルガン」2号が届いた。
巻頭、田島健一の俳句が特に私の好みに合う。季語が「いかにも季語だよ」という顔をしていないところがいいのだろう。

二兎は布から泉ながめて日の都    田島健一
箱庭に倦むライオンの眼の病気
待たされて苺の夜に立っている
太陽のこころは急ぐ海鼠かな
噴水の奥見つめ奥だらけになる
射る女子が気配をつくる眼の装飾

7月4日、青森の「おかじょうき」主催の「川柳ステーション」が開催され、トークセッションのテーマは「川柳の弱点」。荻原裕幸がどんなことを語ったのか興味があったので、誰かレポートを書いてくれないかなと思っていたら、笹田かなえがブログ(「川柳日記 一の糸」7月17日)で少し触れている。「川柳は自己規定するべき」「作風の違うにも関わらず、否定することを避けている」など荻原の持論が語られたようだが、情報が断片的なので、詳細は「おかじょうき」の発表号を待つしかない。

「川柳マガジン」8月号で「前衛川柳」の選をしたのだが、痛感するのは「伝統」「前衛」の区別がもう分からなくなっているということである。そんな区別はない方がいいという気もしないではないが、歴史としての理解すら皆無というのでは困る。私が選んだのは次のような句。

ゴーヤのつぶつぶになったはらわた語    森田律子
手錠してシロツメクサを植えていく     榊陽子
大根の鬆の中にある兜率天         井上一筒

必要があって、右城暮石の句集『声と声』を読む機会があった。
序文を山口誓子が書いている。
「右城暮石氏は『倦鳥』と『天狼』の接木作家である。『倦鳥』を台木として、それに『天狼』を接ぎ、自己を進めた作家である」
そして「伝統」について誓子はこんなふうに書く。
「伝統を新しく生かすと云ったとて、その伝統は将来、いつの日かに消えて失くなるかも知れぬ。たとえ消えて失くなるとも、現在に於いてはこれを新しく生かすことに努めねばならぬ。これが作家暮石氏の信念である」「それにしても伝統を新しく生かすことのいかに難しいことであるか、私はつくづくとそれを痛感する者である」
おもしろく思ったので、日吉館句会について平畑静塔が語っているのを書架から出してきたりしている。

風呂敷のうすくて西瓜まんまるし   右城暮石
牛肉の赤きをも蟻好むなり
綿虫を指さす誓子掴む三鬼

奈良の日吉館は取り壊されて、跡地には別の建物が建っているらしいが、8月の燈花会には奈良で連句会をする予定なので、前を通ってみようと思う。

「川柳カード」9号が発行された。
巻頭は飯島章友の句「猫の道魔の道(然れば通る) だれ」と入交佐妃の写真とのコラボ。
特集は「若手俳人は現代川柳をどう見ているか」というテーマで、松本てふこ・西村麒麟・中山奈々・久留島元の四人が執筆している。
8月29日(土)の「川柳カード9号・合評会」にはこの四氏にも参加していただく予定なので、直接話が聞けるのが楽しみだ。

よそ者として一心に踊りたる    松本てふこ
陶枕は憶良にねだるつもりなり   西村麒麟
行く春やコーラを残すなら飲むよ  中山奈々
きつね来て久遠と啼いて夏の夕   久留島元

7月5日に開催された「第66回玉野市民川柳大会」の発表誌が届く。
筒井祥文と本多洋子の共選「創」から。

バスタブと気球に女性創業者      井上一筒
タスマニアアボリジニ一族のポン酢   森茂俊
アウシュビッツで創る皇室カレンダー  村山浩吉

秋田から参加した田久保亜蘭が佳吟や準特選をたくさんとって活躍したのが目をひいた。

ポンと生まれてポンと逝く夕茜    田久保亜蘭
太陽とひとつ違いの魔女と住む
りんごだった頃バナナに煽られた
煽られてしまったままのAKB
東京のサイズでサザエさんを描く

大阪・中崎町で開催中の「とととと展」まだ行けていないので、最終日の8月2日には行きたい。
来週の時評は休みます。

2015年7月24日金曜日

川の話 ― 連句フェスタ宗祇水

夜明け前にはカジカの声が聞こえた。
民宿のそばには小駄良川が流れている。以前、赤目四十八滝に行ったときにも同じ声を聞いたので、間違いはない。夜が明けるまでの二時間くらい、寝床のなかで夢幻のような蛙の声を聞いていた。

郡上八幡の「連句フェスタ宗祇水」は今年で29回目を迎える。前日の7月18日(土)に郡上に入った。台風通過の翌日なので行き着けるか心配で、現に大阪環状線はストップしていたので、地下鉄で新大阪へ。新幹線で名古屋までゆき、名古屋から美濃太田までは「特急ひだ」に乗車。美濃太田からは長良川鉄道である。この鉄道ははじめて利用するので楽しみにしていた(前回は高速バス)。長良川は濁っていた。清流を期待していたのだが、相手は自然なのでやむをえない。
郡上八幡駅からは豆バスで街の中心地へ。この町は水がきれいなのでおいしい蕎麦屋さんが何軒かある。吉田川沿いの店で昼食をとる。そして、お目当ての宗祇水へ。
宗祇水は日本の名水百選にも選ばれていて、連歌師の飯尾宗祇ゆかりの地である。聖地という感じがして好ましいが、特に私の好きなのは傍らを流れている小駄良川である。しかし、この日はまだ雨が降っているし、川も濁っていて楽しめなかった。
博覧館で郡上おどりを教えてもらう。おどりは十種類あるのだが、「かわさき」と「春駒」の手のふりだけは何とかできそうだ。二年前に来たときには踊りを見るだけで参加できなかったので、今回はそのリベンジのつもりで気合が入る。
夕食はお目当ての天然鮎。これも前回目をつけていたお店に入る。

午後八時から郡上おどりに出かける。日によって踊りの場所が異なっていて、今夜は旧庁舎記念館前。下柳町神農薬師祭ということで、そういえば新橋の神農薬師の提灯に灯がともされていた。はじめの30分ほど保存会の少年少女たちが歌と演奏を担当していたのも将来が頼もしい感じがした。
「かわさき」は手を頭上に挙げて見上げる振りのところでちょうどお城が視野に入るのがおもしろかった。そして「春駒」。

七両三分の春駒、春駒…

江戸時代に郡上は馬の産地であったという。手綱さばきが踊りのふりに取り入れられていて、けっこう激しい動きである。
踊りながら私の脳裏をかすめたイメージはふたつ。
ひとつは柳田国男の「清光館哀史」(『雪国の春』)。「おとうさん。今まで旅行のうちで、一番わるかった宿屋はどこ」ではじまる文章である。盆踊の歌詞を尋ねた筆者に清光館の女将は笑って教えてくれない。

「痛みがあればこそバルサムは世に存在する。だからあの清光館のおとなしい細君なども、色々として我々が尋ねて見たけれども、黙って笑うばかりでどうしても此歌を教えてはくれなかったのだ。通りすがりの一夜の旅の者には、仮令話して聴かせても此心持は解らぬということを、知って居たのでは無いまでも感じて居たのである」

もうひとつは尾崎碧の『第七官界彷徨』に収録されている短編「初恋」。盆踊りに出かけた少年はそこで出会った少女に惹かれるのだが…

雨が少々降っているが、郡上おどりは警報が出ないかぎりは雨でも実施されるらしい。踊り疲れて民宿へ帰る途中、山の方を見るとライトアップされた郡上八幡城が雨に霞んでぼうっと光っていた。

翌19日(日)は午前9時半に宗祇水で発句の献句。そのあと大乗寺に移動して歌仙を巻く。三座に分かれ、座名は郡上おどりにちなんで「かわさき」「春駒」「三百」。私は「三百」の座である。
「連句フェスタ」で巻かれた作品が『緑湧抄Ⅱ』一冊にまとめられている(平成9年~21年作品が収録)。平成17年7月30日に巻かれた歌仙「青野の巻」の表八句を紹介する。

水溢れあふれ青野の人語かな     鈴木漠
炎ほの透く雲のゆきかひ      水野隆
梁高き旧家のあるじ頑なに      福井直子
土蔵の闇に息すものの怪      斎藤佳成
皓々の月下に銀の斧を研ぐ      古田了
サックス聴ゆ肌寒の砂嘴      川野蓼艸

発句と脇、詩人で連句人でもある鈴木漠と水野隆のやりとり。
水野隆は郡上の「おもだかや民芸館」当主であり、平成62年から「連句フェスタ宗祇水」を実施している。2009年に惜しくも亡くなられたが、現在は子息の光哉さんが受け継いで実施されている。今年は隆さんの七回忌ということだろう。

郡上で好きな場所のひとつに釈迢空の歌碑がある。
大正8年に郡上では火事があったらしい。その直後、迢空はこの町を訪れている。歌集『海やまのあひだ』にはこのときの短歌七首が収録されている。
「八月末、長良川の川上、郡上の町に入る。この十二日の昼火事で、目抜きの街々、家千二百軒が焼けてゐた」と詞書があって、冒頭の一首が歌碑に刻まれている。

焼け原の町のもなかを行く水の せゝらぎ澄みて、秋近づけり  迢空

四角い歌碑の上から水が滴るようになっていて、歌碑はいつも水にぬれていて涼しげである。
私は歌仙奉納までの時間、吉田川沿いの喫茶店にいた。吉田川は昨日に比べてだいぶん水が澄んできている。川の流れをみているといつまでも飽きない。

夕方の5時半から宗祇水の前で当日の歌仙三巻を読み上げた。
一匹の大きな蜻蛉が水の上を行ったり来たりして飛んでいた。私たちはまるで水野隆さんの魂のようだと囁きあった。

19日の夜は昨夜とは別の民宿に宿泊。
あけがたに私は再びカジカの声を聞いたのである。川からは少し離れているのに、いったいどこで鳴いているのだろう。
翌朝は朝食の前に少し散歩する。吉田川には鮎釣りの人が出ている。

昼食には有名店で鰻を食べたあと長良川鉄道に乗る。
長良川の水はすでに澄んで青く、車窓からの眺めは楽しかった。
次に来るときは関の弁慶庵を訪れてみたいものだ。
美濃太田で時間があったので、中山道太田宿を見学。ここでは木曽川を見たのだが、川の話はもういいだろう。

2015年7月10日金曜日

川柳の句会と大会

6月27日(土)、「川柳二七会」六月句会に参加した。
「川柳二七会」は昭和34年7月27日に設立。27日は芸人の楽日で集まりやすいので、岸本水府を会長に芸能人・作家・学者などが参加した。水府没後、会長は松本橘次、深尾吉則、牧浦完次と変って、現会長は森茂俊。
今回は「森中恵美子句碑拝見吟行句会」ということで、阪急池田駅の託明寺に集合。いつもは道頓堀の飲食店で句会を行っているようだが、平成27年にちなんで規模を広げて吟行会になったものらしい。託明寺の先代住職は「川柳五月山」の会員で、境内に森中恵美子の句碑が建立されている。句碑を拝見したあと法話を聞き、池田商工会議所に移動。そこで昼食と句会を行う。参加者97名の盛会である。投句は一枚の投句用紙に三句連記で、そのうち一句は必ず取られるから、没句なしの博愛主義である。事前投句(森茂俊選)「うれしい」(新家完司選)、「本物」(森中恵美子選)。
「川柳二七会」7月号(671号)に同誌昭和37年7月号の作品が掲載されている。兼題は「人相」。

人相の悪い社長という名刺     喜代三
人相に似合わずきつい値切りよう  堀小美陽
人相も手相もよくてなまけ者    藤原せいけん
手配写真たまに人相のよい男    安部宗一郎

藤原せいけん(1902~1993)は大阪の画家。一時期の「番傘」の表紙を書いたが、川柳人でもあった。文楽ファンにとっては朝日座時代の文楽のプログラムの表紙絵でおなじみだろう。
続いて五月句会の作品から、兼題は「安心」

安心を売ってる店と書いてある   田中育子
安心と首相言うから胸騒ぎ     八木勲
居酒屋のいつもの席に居る安堵   楠本晃朗
手品師のような財布と暮らしてる  美馬りゅうこ
揺れる星こころやすまる刻がない  稲葉澄江
阿と吽の呼吸の中にいる安堵    牧浦完次

「水府雑感」のコーナーがあって、水府との一問一答(昭和57年5月号)が再掲されている。

【問】川柳にも季語は許されるのですか。
【答】許すも許さぬもありません。人間として感じたものなら何でもよいわけです。大原へ行ったとき残雪がありましたが、春雪という季語をつかってよい川柳をつくった方がありました。しかし私だけの意見ですが川柳は人間生活をよむところに、花鳥諷詠の俳句とちがった価値があるのですから。その上に川柳家のものする季感はほとんど天保調で月並みです。人間諷詠を大に誇ってわき見をふらず進んだ方がよろしい。

「川柳二七会」のバックナンバーは大阪市立中央図書館の雑誌コーナーで読むことができる。

7月5日(日)、「第66回玉野市民川柳大会」に参加。
途中の車窓から眺める水田の青さは、毎年同じ風景ではあるものの、それぞれの年によって感じ方が異なる。私もそれなりの年月を重ねてきたのだ。
玉野は男女共選が呼び物で、「創」(筒井祥文・本多洋子選)「挽歌」(徳永政二・吉松澄子選)「魔女」(小島蘭幸・森田律子選)「煽る」(桑原伸吉・柴田夕起子選)、これに席題(前田一石選)が付く。
投句をすませたあと、いつも行くお好み焼き屋へ。会場のサンライフ玉野の周辺にはお好み焼き屋が二件あって、もう一軒はクーラーも効いて快適なのだが、なぜか冷房の効かない暑苦しい店の方に行くことになっている。そこで焼きそばとお好み焼きをあてにビールを飲み、大騒ぎをするのである。きっと店の人には嫌がられているだろうが、年に一回のことなので次にゆくときには時効になっているだろう。
今回玉野へ行ったのは、石部明の初期のことを調べ直してみたいという目的もあった。前田一石から「ますかっと」「川柳塾」のバックナンバーを借りることができた。何より「おかやまの風・6」(昭和63年10月30日)の記録が参考になった。過去の川柳誌を見ていると、その時代の息吹が伝わってくる。この日の玉野に出席している川柳人たちの若き日の写真なども掲載されている。いま目に見えている光景には、そこに至るまでの時間の経過があったことがわかる。
大会終了後、岡山駅前の居酒屋で打ち上げをしたが、そんなことばかり書いていても仕方がない。大会の作品については発表誌がでたときに改めて紹介したい。

第三回川柳カード大会が9月12日に大阪・上本町の「たかつガーデン」で開催される。
兼題「力」の選者を中山奈々に依頼している。中山は関西で活躍している若手俳人のひとりである。
「里」5月号に中山の「アルコールスコール脳が出ぬやうに」20句を発表しているので、紹介しておきたい。

吐きやすき便器なりけり桜桃忌    中山奈々
気がでかくなつてこの世に蟇
ががんぼや酔へば厠の壁殴る
箱庭の笑ひ上戸と呑んでをり
酔うてをり部屋中の紙魚に嫌はれ
百合の香の強き仏間に二日酔

編集長が仲寒蟬から中山奈々へスイッチした。掲出の作品は編集長就任記念特別作品ということである。