2026年1月16日金曜日

夏目漱石『行人』の周辺

1月11日、和歌山城ホールにて「第23回わかやま連句会」開催。今年の初句会である。折から寒波来襲で雪のちらつく一日となった。
まず行きつけの和歌山ラーメン店で昼食。しょうゆラーメンが美味い。寒いので散策はやめて会場に直行する。和歌山城ホールの4階からお濠をはさんで天守閣が見える。
毎回、連句実作の前に和歌山にちなんだ話題をとりあげていて、この日は会員の青木さんが〈夏目漱石『行人』の周辺〉について報告。漱石は明治44年8月に和歌山で「現代日本の開化」の講演をした。これは漱石の文明論のうちでも代表的なもの。
朝日新聞主催の講演旅行で、漱石は和歌山、堺、大阪で三つの講演を行った。堺では「中味と形式」、大阪では「文芸と道徳」と内容を変えている。修善寺の大患後の仕事である。
「現代日本の開化」で漱石はこんなふうに言っている。
「私は昨晩和歌の浦へ泊りましたが、和歌の浦へ行って見ると、さがり松だの権現様だの紀三井寺だのいろいろのものがありますが、その中に東洋第一海抜二百尺と書いたエレヴェーターが宿の裏から小高い石山の巓へ絶えず見物を上げたり下げたりしているのを見ました。実は私も動物園の熊のようにあの鉄の格子の檻の中に入って山の上へ上げられた一人であります」
8月14日、漱石は和歌の浦の望海楼に泊まり日本初と言われる屋外用エレベーターに乗っている。旅館裏の奠供山の上から和歌の浦を一望したあと紀三井寺も訪れた。
翌15日は東照宮、片男波などを見たあと、県議会議事堂で「近代日本の開化」の講演。会場は現在の和歌山中央郵便局のあたりで、現在この建物は移築されて根来寺境内にあり、重要文化財になっている。
『行人』では語り手の二郎と兄の一郎がエレベーターに乗る場面がある。(このエレベーターは客足が伸びなかったためか数年後に廃止) 「二人は浴衣掛けで宿を出ると、すぐ昇降器へ乗った。箱は一間四方位のもので、中に五六人這入ると戸を閉めて、すぐ引き上げられた。兄と自分は顔さえ出す事の出来ない鉄の棒の間から外を見た。そうして非常に鬱陶しい感じを起した」
その後、二人は静かな場所を求めて権現様(東照宮)に行き、重要な話をする。
漱石は講演終了後、近くの風月庵での慰労会に出席したが、折からの台風で風雨が激しくなり、富士屋旅館に宿泊する。この体験も『行人』に生かされ、二郎と兄嫁の直は風雨で母や兄がいる和歌の浦に帰れなくなり、和歌山で一泊することになる。

「正直なところ姉さんは兄さんが好きなんですか、又嫌いなんですか」
「二郎さん」
「ええ」
「貴方何の必要があってそんな事を聞くの。兄さんが好きか嫌いかなんて。妾(わたし)が兄さん以外に好いてる男でもあると思っていらっしゃるの」

講演旅行の経験が実に巧みに小説に利用されている。小説を読んでいて疑問に思ったのは、和歌の浦から和歌山中心部(和歌山城周辺)へ行くのを「和歌山へ行く」と言っていることだ。県外の人間の感覚では和歌の浦も和歌山ではないのか。これは当時、和歌の浦から和歌山市街までは電車が通っていて(現在はバス路線)、「和歌山」行きという感覚だったことが、現地での話を聞くと納得される。和歌山にも路面電車が走っていた時代があったのだ。
和歌山での漱石の俳句を『漱石全集』第十七巻「俳句・詩歌」から紹介する。

涼しさや蚊帳の中より和歌の浦
四国路の方へなだれぬ雲の峰

漱石は和歌山のあと、堺、大阪と講演が続いて、大阪講演のあと血を吐いて大阪の湯川胃腸病院に入院する。そのときの俳句も挙げておこう。

   三階の隅の病室に臥して
稲妻に近くて眠り安からず
灯を消せば涼しき星や窓に入る

『行人』では「友達」の章で、二郎の友人の三沢が胃腸の不調で入院する。ここでも漱石の実体験が小説に利用されている。
和歌山城の天守閣を窓外に眺めながら、漱石『行人』の話を聞くのは貴重な経験で、地元ならではの地理感覚も実感できた。当日はときどき雪がちらついたり、風花が激しく舞ったりして、刻々と風景の表情が変わっていくのを連句会の間ずっとながめていた。記憶に残る天守閣の姿であった。
さて、当日は半歌仙「ふたたびの開化」を巻いた。発句だけ挙げておく。

ふたたびの開化はありや春隣   宏

2026年1月9日金曜日

批評の現在性と歴史性

元日や晴てすゞめのものがたり 嵐雪

2026年の新春を迎えた。昨年、深川の「芭蕉記念館」に出かけたときに嵐雪ゆかりの要津寺に立ち寄った。元禄四年、駒込より移転して、雪中庵一門の拠点となった寺である。境内に嵐雪墓、雪中庵供養塔、芭蕉百回忌発句塚がある。芭蕉の江戸の弟子のうち其角についてはある程度親しんできたが、嵐雪については「蒲団着て寝たる姿や東山」「梅一輪一輪ほどの暖かさ」くらいしか知らなかった。『蕉門名句選』(岩波文庫)を読んでみると、おもしろい句がいくつもある。

正月も身は泥(ひぢりこ)のうなぎ哉  嵐雪

『荘子』の「秋水篇」には泥のなかに尾をひく亀のことが出てくるが、この句では自らを泥中の鰻だと言っている。「泥」に「ヒヂリコ」とルビがついている。亀であれ鰻であれ、年頭に当たって身につまされる句だ。
「芭蕉記念館」では「収蔵資料からみる昭和の俳人」の展示があって、次の句がもっとも印象に残った。

凧何もて死なむあがるべし  中村苑子

「凧」には「いかのぼり」のルビ。中村苑子の句集『水妖詞館』では「翁かの桃の遊びをせむと言ふ」「春の夜やあの世この世と馬車を駆り」などが思い浮かぶ。
このところ俳句よりは短歌を読む機会が多い。川柳や連句に関心をもつ表現者は俳人よりも歌人の方に多いからだ。けれども、年末年始、久しぶりに何冊か句集を開いてみた。
年末12月28日の朝日新聞朝刊「俳句時評」に岸本尚毅が「二つの六林男論」を書いていた。川名大の『昭和俳句史』と高橋修宏の『暗闇の眼玉』を取り上げ、「川名の俳句史は、表現史と俳壇史を包括したところに妙味がある」「高橋の六林男論は、時代的背景も踏まえつつ、六林男という俳人を『個』として深く掘り下げた」と評している。高橋の六林男論は手元にあったので読んでみたし、句集も開いてみたが、一番印象的だったのが次の句である。

数え日の『三冊子』また『去来抄』  鈴木六林男

「遺品あり岩波文庫『阿部一族』」もいいが、六林男には『去来抄』の句もあったのだと気づいた。

三木清がどこかで「批評の現在性」ということを言っている。批評は現在と向かい合わないといけないということだろう。けれども、現代川柳の先端部分が多様に展開しはじめていて、フォローするだけのモチベーションが保てない。
「現代短歌新聞」に昨年8月から「現代川柳散策」の連載をしていて、これまで石田柊馬、渡辺隆夫、桜庭紀子、佐藤みさ子、飯田良祐を取り上げた。今年の1月号には「新年の川柳」について書いている。本欄の「週刊川柳時評」の方は川柳に限らずに、その時々に関心をもったことを自由に書いてみたいと思っている。もともとこの欄には川柳以外のことも書いてきたのだが、時評は現在と向かい合うべきだという観念に縛られてしまうと停滞してしまうので、過去のことも振り返りつつ歩いてゆければいいと思っている。

2025年12月27日土曜日

2025年回顧(川柳篇)

2010年にこの時評をはじめたときは、時評の対象となるような川柳作品、川柳句集、イベントなどが少なくて苦労したが、近年は川柳の句集が多く出るようになって、逆にそのスピードに追いつかない。管見に入ったものだけになるが、今年の主な出来事を振り返っておきたい。
今年、川柳のフィールドで最も発信力が強かったのが暮田真名である。9月に発行されたエッセイ『死んでいるのに、おしゃべりしている』(柏書房)は依然、話題になっているし、このところ暮田の名を文芸誌などで見かけない月はない。まず「文学界」11月号の特集「あなたはAIと何を話していますか」にエッセイ「ねりちゃんとひとりきり」を書いている。「すばる」11月号のシンポジウムには川柳側のパネリストとして神野紗希、堀田季何らと参加。このシンポジウムは詩歌文学館で開催されたものの記録で、ユーチューブでも期間限定で視聴することができる。あと「芸術新潮」12月号にも「GOAT」とのコラボで名前が出ている。
ここで取り上げておきたいのは「鱗kokera川柳賞」についてである。先日、第1回鱗kokera川柳賞が発表され、暮田真名・なかはられいこ・平岡直子による審査結果が公開された。 大賞は伊野こうの「口からアスパラガス」、暮田真名賞は島崎の「地上波」、なかはられいこ賞は八上桐子「きのう」、平岡直子賞は野に咲くお花「わたしのワンピース」である。

共通の話題が手術台の上      島崎
股ぐらをひらいてひろいひろい昼  八上桐子
楽しいな。わたしお荷物だったから 野に咲くお花

「文学界」2026年1月号に水城鉄茶が詩「ストレスとスイング」とエッセイを発表している。水城はいま現代詩に注力しているようだが、彼の詩行のなかには川柳としても読める要素が含まれていると思う。
今年は川柳句集の発行も続いた。管見に入ったものだけ挙げておく。兵頭全郎『白騎士』(私家本工房、1月)、西田雅子『そらいろの空』(ふらんす堂、3月)、川合大祐『ザ・ブック・オブ・ザ・リバー』(書肆侃侃房、5月)、宮井いずみ『理数系のティーポット』(青磁社、8月)。また、投稿連作アンソロジーとして『川柳EXPO 2025』の存在も見逃せない。

白騎士の匂い黙ってくれたまえ     兵頭全郎
雨ばかり降る窓の位置かえてみる    西田雅子
フーダニットの針が挿さってゆく水風船 川合大祐
理恵ちゃんが捨てたんだって熱帯魚   宮井いずみ

歌集も三冊挙げておきたい。山中千瀬『死なない猫を継ぐ』(典典堂、1月)、上川涼子『水と自由』(現代短歌社、8月)、笹川諒『眠りの市場にて』(書肆侃侃房、8月)。山中には川柳も作った時期があり、歌集にも収録されている。

宇宙服を脱がないでここは夜じゃない部屋じゃない物語を続けて 山中千瀬
どの言葉を捨てたか捨てたから言えない            山中千瀬
目をひらき夢の廃墟となるからだ 夢にからだの性別がない   上川涼子
ココシュカの《風の花嫁》を飾るだろう死後の白くて無音の部屋に 笹川諒

川柳の評論集では『LPの森/道化師からの伝言』(石田柊馬作品集、書肆侃侃房、4月)がもっと読まれてもいいと思っている。石田は現代川柳を牽引してきたひとりで、彼の仕事の上に立って、現代川柳をさらに展開させていく必要があるからだ。
 キャラクターだから支流も本流も  石田柊馬
 その森にLP廻っておりますか
瀬戸夏子は石田柊馬作品集の帯に「含羞のダンディズムに導かれてわたしたちは現代川柳の真髄を知ることになる」とメッセージを書いている。瀬戸が「女人短歌」についてまとめた一書が『をとめよ素晴らしき人生を得よ』(柏書房、8月)。

早春のレモンに深くナイフ立つるをとめよ素晴らしき人生を得よ  葛原妙子

「水脈」が終刊になり、現代川柳の時代が終わりつつあり、2020年代後半はこれまでとは違った光景が見られるようになるかも知れない。かつて私は句会・大会で消費され消えてゆく川柳を「蕩尽の文芸」と呼んだことがあった。句会だけでなく、ネット句会でも同様の現象が起きているが、日々生産されるおびただしい数の中から記憶にのこる川柳作品が現れるのを待ちたいと思う。

2025年12月19日金曜日

2025年回顧(連句篇)

ある連句人の一年を日記ふうに紹介する。

2025年1月5日(日)
第17回わかやま連句会。和歌山城ホールにて開催。出席者8人。 「国民文化祭わかやま」のあと2022年に発足した連句会で、奇数月の第一日曜に和歌山市で開催されている。毎回、和歌山ゆかりの文学者・文化人についての話があり、そのあと連句実作を行っている。この日は初句会なので、連句のルールについて確認をした。
  新しき海へ漕ぎ出す日記始    宏
(ちなみに3月以降の例会では、高野聖、祇園南海、「小梅日記」、浜口梧陵、佐藤春夫の『車塵集』を取り上げた。)

1月13日(月・祝)
京都府連句協会新年会。京都府連句会は古都連句会、ふたば会、三金会、千代の会の4グループがあるが、全体会として新年会のほか春の陣(3月)、五山送り火連句大会及びみやこの陣・夏の陣(8月)が開催されている。

2月2日(日)
第48回大阪連句懇話会。京都・旧三井下鴨別邸にて開催。下鴨神社近くの雰囲気のある建物の二階で、連衆15名。この会場はなかなか予約がとりにくいが、たまたま冬の時期に予約できた。実作はすらすらと歌仙一巻を満尾。
  春隣糺の森に集いけり  正博
終了後、賀茂川と高野川の合流地点の三角公園で時間を調整したあと、懇親会。

2月15日(土)
わかくさ連句会。JR奈良駅前の「はぐくみ文化センター」にて開催。奈良県連句協会では「わかくさ連句会」「あしべ連句会」が開催されているが、私は「わかくさ連句会」の方に時々参加している。連句会の前に猿沢の池の前にある喫茶店で珈琲を飲むのも楽しみのひとつ。

   隠国の長谷の青空山芽吹く 
   名残の雪の細き街道   

3月9日(日)
「連句海岸」開催。2023年から年に2回程度、明石の林崎松江海岸「CURRY HOUSE Babbulkund」にて開催されている連句会。当日は3座にわかれて連句実作。「連句海岸」については門野優氏のnoteに記事が掲載されているので検索してください。
連句会終了後、明石の魚の棚に繰り出して懇親会。

3月23日(日)
日本連句協会総会・全国大会。深川の芭蕉記念館にて開催。総会のあと7座にわかれて連句実作。
(日本連句協会発行の「会報 連句」8月号に記録が掲載されている。)

5月15日(日)
第二回関西連句を楽しむ会。大阪上本町・たかつガーデンにて開催。
1990年代から2000年代にかけて、近松寿子(茨の会)・岡本星女(俳諧接心)・品川鈴子(ひよどり・ぐろっけ)・澁谷道(紫薇)の四氏によって「関西連句を楽しむ会」が運営されていたが、2006年を最後に中断。以後、関西の連句グループはそれぞれ独自の歩みを続けているが、昨年「第二次関西連句を楽しむ会」として再出発した。第二回の今回は、ゲストに鈴木千惠子氏(「猫蓑会」会長)を迎えて「式目の研究」のトーク。途中から、門野優・山中広海・相田えぬ・綿山憩など若手連句人が対話に参加した。
若葉風吹くや西から東から   正博
来年の第三回目は会場を須磨寺に移して5月17日に開催予定。

7月27日(日)
義仲寺にて同人連句会開催。毎月第四日曜日に開催されている。
私は年に2回程度参加。歌仙を巻く貴重な機会で、膝送りが多く、付句の練習になる。

8月18日(月)
みやこの陣・夏の陣、開催。五山送り火連句会の方には参加できなかったが、各地の連句人が京都に連泊して連句を楽しんでいる。私は日帰りで参加。

10月4日(土)
第35回さきたま連句会。川口市メディアセブンにて開催。この連句大会にははじめて参加する。いささか旧聞に属するが、川口市は映画「キューポラのある街」で有名だ。駅周辺を散策。
  爽涼やベッドタウンの東口  正博

10月13日(月祝)
第19回浪速の芭蕉祭。大阪天満宮・梅香会館にて開催。
浪速の芭蕉祭は2007年にスタート。創始者は岡本星女。第二回以降、二年に一回、形式自由の作品募吟を行ったが、募吟は第10回で終了。以後は、ゲストとの対談と連句実作というかたちをとっている。 当日は12時半から本殿参拝の予定だったが、参拝者が立て込んでいて少し遅れる。祝詞や巫女の舞う神楽などがあり、私は例年、玉串奉納をしているが、はじめて参加する方には新鮮な経験だろう。「技芸上達」の絵馬を所定の場所に掛ける。今回はゲストに、まつりぺきん氏を迎えて「ネットを利用した作品の募集と発信」について対談。連句ではネットを利用した発信がまだ弱いようだ。
  繁盛亭月はどっちに出ているか  正博

11月21日(金)
大分県民芸術文化祭「連句大会」。中津市民文化会館にて開催。
大分県の中津は福沢諭吉ゆかりの地として知られている。はじめて訪れたので、大会開催までの時間に街中を散策。早朝なので福沢諭吉記念館はまだ開いておらず、中津城も外観だけ眺めることができた。天守がちょうど東を向いて立っているのが印象的だった。
  冬の城朝の光を浴びて建つ  正博

12月13日(土)
文京区民センターにて草門会。このところ参加できていなかったが、翌日の俳諧時雨忌とあわせて東京に二泊三日する。今年最後の連句三昧。途中までだった歌仙の続きを巻き上げたあと、捌きをするよう言われたので、非懐紙を巻く。
  歳末や胸に飾りをつけながら  正博
『野ざらし紀行』の「年暮ぬ笠きて草鞋はきながら」を踏まえたつもり。
ふだんやらない「季移り」の句が出て勉強になった。

12月14日(日)
俳諧時雨忌。芭蕉記念館にて開催。長年、草門会が主催してきた歴史のある連句会だが、昨年から日本連句協会の主催となった。宿泊した両国から芭蕉記念館まで徒歩で移動。あいにくの雨だが、この日は討ち入りの日である。吉良邸のあたりに義士会のテントが出ている。途中、要津寺に立ちよる。ここは嵐雪一門の拠点で、嵐雪墓、雪中庵供養碑などがある。 連句会では旧知の人たちと一座できて、雑談しながら楽しく歌仙を巻くことができた。連句は座の文芸なので、一巻を巻くと同時に、各地の連句人との交流が大切になる。旧交をあたためるだけではなく、新しい人との出会いもあるのが共同制作の魅力である。

2025年9月19日金曜日

文学フリマ大阪13

9月14日(日)に文学フリマ大阪が南港のインテックス大阪で開催された。主催者発表によると、6877人 (出店者:1868人・一般来場者:5009人) の来場があったという。会場近くの夢洲では関西万博が開催中であり、地下鉄中央線は混雑しているので、私はニュートラムを利用して会場に向かった。昨年までの京橋・OMMビルに比べて広い会場だが、ブースの前が見本誌コーナーで、ブースの前を通る人の流れがやや少なくて残念だった。今年は川柳関係のブースが4つ横並びで(1店舗は出店者が欠席で実際には3ブース)、現代川柳の存在感を多少示すことができたかもしれない。
当日手に入れた冊子・雑誌から紹介する。
まず、大阪の人間による大阪アンソロジー『わりかしワンダーランド03』。谷じゃこ・なべとびすこの編集発行で3号目。日本一うるさい街の「音」特集だという。短歌・俳句・川柳などの諸形式の作品と文章が掲載されている。

怒られている人だけ標準語  パスカ
半分が燻製の鈍行列車   中山奈々
電飾の菊人形が攻めてくる まつりぺきん
隠れても述語はふるさとの話 兵頭全郎
ちょっと魔法ほたるぶくろの裏へ姉 木田智美
虫よりも人がこわいと言えないで渦中の虫をひろうざら紙  仲内ひより

連句のブースも出ていて「蔦連句会」の「連句ZINE 蔦」。最近は同人誌ではなくて、ZINE(Magazineのzine)という個人が自由に発信する冊子が好まれているようだ。連句作品、十二調「秋高し」(捌・門野優)から。

秋高し都市の隙間に伸びる影      門野優
 十六夜を待つ階段の裏        榊陽子
暇つぶしちゃらちゃら鍵を鳴らしては 山中広海
 小豆洗いと会釈をかわす      相田えぬ
藍染の浴衣を着れば母に似て     八上桐子
 転生してはまたも初恋         広海
ピアス穴奏でてみればソのシャープ   綿山憩

8句目以降は省略するが、十二調という形式は歌仙のようなオモテ、ウラがなく、式目も比較的自由である。

短歌同人誌「波長」3号を購入。昨年12月の発行だが、上川涼子の歌集『水と自由』を読んで印象に残っていた短歌が掲載されているので、紹介する。「把手」には「ノブ」とルビが付いている。

同じ川に二度は入れず真鍮のちひさき把手を引きてもどれり  上川涼子

「外出」と交流があるらしく、「外出波長無線」のページがある。平岡直子と上川涼子の付合いの部分を引用する。

北口が光ってるしばらくしゃがむ  平岡
何曜日?キッチンに林檎摺る    上川

筑紫口 マスクの中で息をする   上川
火曜日は温泉を隠すの       平岡

「外出」4号の「外出無線」の「波長」版だという。ちなみに「外出無線」は外出同人が2020年6月22日から9月9日まで、自分のいる場所から575と77の応答を繰り返したもの。次はその一部分。

平岡 東京は空中にあり年を取る
染野 乗るよ梅田の大観覧車
内山 柏木公園見上げても梢あるばかり
花山 さざなみがゆく目黒川の面

最後に「外出」14号より。

蛍からそっと光を抜きとって蛍を食べたあの夏のこと  染野太朗
二十四時間不動のままの壁の蛾の体内のはげしさに会いにゆく 内山晶太
これはあと何年くらいやるのかな 顔を塗る 今のところ楽しい 平岡直子
一方的な父からのメールも交通事故のあとは途絶えて  花山周子

2025年8月29日金曜日

瀬戸夏子『をとめよ素晴らしき人生を得よ』

7月に十勝・帯広方面に旅行した。ジンギスカンや豚丼などのグルメに走ったが、帯広は中城ふみ子の出身地である。帯広市図書館の2階に中城ふみ子資料室があったので、のぞいてみた。こじんまりしたスペースで、パネルや展示を見ると彼女の短歌の世界がよくわかった。中城の短歌には彼女の実人生や物語のイメージがまとわりついているので(映画にもなった)、これまでやや敬遠していたが、現地の展示に接して彼女の歌の迫力にうたれた。『乳房喪失』の「冬の海」から五首引いておく。

灯台もかもめも我より遠のきて心痛まぬ夕ぐれは来る  中城ふみ子
主張なきわれは折々かなしみて沈む海と河との間
冬の皺寄せゐる海よ今少し生きて己れの無残を見むか
帰り来て手に嗅ぐ魚の生臭き酷似するもの持ちて怖るる
傷みやすくなりしこころか自らの頑きうろこを剥がしたるのち

帯広市内には中城の歌碑が緑ケ丘公園と護国神社にある。歌碑を見る時間はなかったが、「冬の皺」の歌碑が護国神社にあるそうだ。「己れの無残」が衝撃的だ。

中城は「女人短歌」の会員だったこともあるが、瀬戸夏子の『をとめよ素晴らしき人生を得よ』(柏書房)は「女人短歌」とその周辺の歌人たちを描いている。以前、web連載されやものに書下ろしを加えた一冊で、「女人短歌のレジスタンス」という副題がついている。webのときも好評で、私も愛読していた。この時評(2020年7月10日)にこんなふうに書いている。

〈瀬戸夏子が柏書房のwebマガジンに連載している「そしてあなたたちはいなくなった」からは多くの刺激を受けているが、特に「女人短歌」の創刊をめぐって、北見志保子と川上小夜子について書かれた文章は興味深かった。
「彼女たちはなんども試みた。当然のようにそれは厳しい戦いだった。彼女たちの最後の賭けが『女人短歌』だった」
こういう文章が瀬戸の魅力だが、ひるがえって川柳における女性作家、女性川柳はどうだったかと考えたときに、まず思い浮かぶのは井上信子の存在である〉

川柳についてはさておいて、本書は大西民子と北沢郁子のシスターフッドの物語から始まる。芥川龍之介の『或る阿呆の一生』「越し人」に登場する片山廣子、二・二六事件とともに語られることの多い齋藤史と続き、いよいよ「女人短歌」を立ち上げた北見志保子と川上小夜子の話になる。それぞれの章が物語風に語られていて、読みやすい。
「女人短歌」の創刊は1949年9月。「彼女たちはなんども試みた」と瀬戸が言うのは、それまで大西と北沢が「草の実」「月光」などの女性短歌誌を試みた経緯をさしている。
「しかしながら『女人短歌』は現在からその詳細を振り返ると必ずしも女性歌人たちが完全に独立して経営できていた組織とは言えない」と瀬戸は書いている。折口信夫の「女流の歌を閉塞したもの」というバックボーンがあったし、主催した「女人短歌文化土曜講座」の講師陣の多くは男性だったという。「けれど人間ができることには、常に時代や運という制約があり、人は永遠には生きられない。そのうえでわたしが考えることはそれでも『女人短歌』があってよかった、そのことに尽きる」
女性だけの短歌誌を作ることにどんな意味があるのか。本書では長沢美津の章で先鋭化したかたちで語られている。そこでは五島美代子の回想が引用されている。
「女だけの歌の雑誌など、わざわざ別にもつ必要はない……という批判が当時圧倒的であった。私自身そうした疑問をもって、女だけの集まりはレベルの低くなる怖れがありはしまいか。少なくとも私は、何といっても一歩も二歩も先んじられている男性作家の間でもまれてこそ精進したいのにと思った」(五島美代子「女人短歌」50号)
そのとき、長沢美津が次のように言ったという。「あなたは男ですか、女ですか。女なら認められない多くの女歌人のために、自分だけのことを考えないで仲間入りするのが当然ではありませんか」
五島は長沢の言葉に圧倒されて、「女人短歌」に参加することになった。
女性の表現者の置かれている状況は時代や環境によって変化する。男女の区別をことさら言い立てなくてもよい状況が理想だろうが、そこに到達するまでの道のりに先人たちの努力がある。「ほんとうは、女性だけの短歌誌など存在しないほうがいいのかもしれない。『女性』というジェンダー/セックスでのお線引きは、現在ではかなり危ういものだ」と瀬戸は書いていて、こういう認識を持ちつつ「女人短歌」の果たした役割を本書は改めて問いかけている。
ウェブ連載のときとタイトルを変えたのはなぜかなと思っていたが、最後の方に葛原妙子の次の歌が引かれていた。「そしてあなたたちはいなくなった」は一種のアイロニーだったが、今回の本書のタイトルには一歩すすめた希望的メッセージが読みとれる。

早春のレモンに深くナイフ立つるをとめよ素晴らしき人生を得よ  葛原妙子

付録として本書で取り上げられた歌人たちの作品のアンソロジーが掲載されている。

2025年8月15日金曜日

「水脈」終刊号

「水脈」が70号で終刊した(2025年8月)。現代川柳の同人誌がまたひとつなくなったことになる。
浪越靖政が69号・70号に「『水脈』終刊にあたって-70号を振り返る-」を書いているので、それに従ってまとめてみよう。
浪越も書いているように、「水脈」のルーツは飯尾麻佐子の「魚」である。女性川柳誌として出発した「魚」は時代を先取りした理念をもっていた。浪越は次のように書いている。「1978年11月創刊の機関誌で参加は女性のみであった。男性優先の川柳界にあって、女性みずからの視点で創作活動を目指すというのが発行理念で、のちに男性川柳人も加わり、活発に活動し発信して存在感があった。しかし、その後『魚』は麻佐子の体調不良もあって95年8月発行のNo.63で終刊を迎える」
私は飯尾麻佐子の「魚」を高く評価しているし、紹介する文章も書いているが(「女性川柳」とはもう言わない、「川柳スパイラル」12号)、残念なのは、創刊号に掲載された作品募集には「女性に限ります」とあるのに、やがて男性川柳人の文章と作品も掲載されるようになったことだ。女性だけの川柳誌を維持するのは困難だったのだろう。
その後、飯尾麻佐子は1997年7月に「あんぐる」を創刊し、一戸涼子、酒井麗水、佐々木久枝、岡崎守、浪越靖政などが参加した。「あんぐる」は2002年2月に終刊となり、新たに「水脈」が創刊された。川柳誌の系譜としては、「魚」「あんぐる」「水脈」と受け継がれてきたのである。
さて、2002年8月に編集人・浪越靖政、事務局・一戸涼子でスタートした。第1号の同人作品を紹介する。

苗移植してほうら性善説という   明星敦子
新緑に囲まれ埴輪が声を出す    一戸涼子
ペン先の陰にこぼれた花の種    伊藤ひかり
ビルがふるえている いのちの尻尾 岡崎守
水脈の受胎へ愛のほとばしり    酒井麗水
K点の水脈を君は知るや      佐々木久枝
何に飢え喉乾干涸びる列島潮干   沢出こうさく
触れないで魚が泳いでいる背中   城村美津枝
立ち上がったところに時計が置いてある 田村あすか
温暖化のシナリオ 消えた尾骶骨  浪越靖政
母の小指へ流れる糸に癒される   平井詔子
汚辱/包む/サランラップ      松原ゆきえ
あなたかも私かもパブロフの犬   鈴木厚子
渾身の微笑(ギャグ)を魔王の宮殿で 西田順治
仮面を剥ぐと無機質な男たち    濱下光男

「水脈」では創連、川原という連詩的方法の試みやイメージ吟、合評会など、さまざまな実験が行われた。70号(終刊号)には野沢省悟が作品評「熱い水脈」を書いていて、こんなふうに言っている。「おそらく水脈が終刊することによって、残念ながら北海道における田中五呂八以来の川柳革新の流れは、跡絶える状況になるような気がする」
一方で野沢は「インターネットの出現によって、若い人達が、川柳という文芸の可能性に気づきはじめてきた。革新川柳(新たな川柳)をめざす若い人達も出てきた」と述べているから、今後生まれる川柳の熱い水脈の流れに期待しているようだ。
あと「水脈」関係の句集から、二冊紹介しておく。まず、西田順治『空の魚』から。

家族日誌吹雪の夜に繙かれ  西田順治
闇を出てまた闇に棲む獣かな
乾電池ごろり 無用の犬ごろり
目を閉じて半魚はさらに深海へ
少年に戻りたそうな空の魚
おはようと死んでこんばんはと生まれ

もう一冊、落合魯忠『オンコリンカス』から。

躊躇する旅立つ雑魚と行き来して  落合魯忠
納得のいくはずのない沖に出る
吹きすさぶ月下の海の鼻曲がり
海一枚めむれば裸婦の深呼吸
モナリザの右手はきっとサイボーグ

浪越靖政は「『水脈』終刊にあたって」で次のように述べている。
「飯尾麻佐子の『魚』から始まり、『あんぐる』、そして『水脈』と続いてきた一つの流れが終焉を迎えるのは残念なことだが、終刊予告で書いたとおり、編集人をはじめ同人の高齢化が進んでいるのは明白で、第1号を発行したのが2002年4月、本年8月で23年を経過して、それだけ年齢を重ねたということなのだ。次世代へのバトンタッチを考えたが、川柳誌の発行形態もウェブ化の進展等により様変わりしてきており、幕引きを決断した」「『水脈』は終刊すっるが、我々の活動の場は多いので、ともにがんばっていきたいと思う」
最後に「出発点としての終刊」の一戸涼子の句を挙げておく。

千年も経てばまたぞろ詩を書きに  一戸涼子