2020年8月28日金曜日

片恋以外は平家に非ず―瀬戸夏子第三歌集『ずぶ濡れのクリスマスツリーを』

残暑のはずなのに真夏日が続き、だらだらと過ごす毎日だが、瀬戸夏子の歌集『ずぶ濡れのクリスマスツリーを』が届き、緊張感が走った。『そのなかに心臓をつくって住みなさい』『かわいい海とかわいくない海』に続く第三歌集である。正岡豊の『四月の魚』が現代短歌クラシックスの一冊として発行されるなど、このところ短歌から目が離せない。
瀬戸の歌集のタイトルになっているのは次の短歌である。

ずぶ濡れのクリスマスツリーは目を覚ましツリーの心に目隠しをする

「クリスマスツリー」といえば、第一歌集の次の歌を私はよく覚えている。

あんた、怒ってるとき、見えてるよ、神経がクリスマスツリーみたいで

この神経がひりひりするような歌と比べて、こんどのクリスマスツリーは少し抒情的になったかな、と思った。この一首に限っての話だが。いずれにしても真夏にクリスマスツリーの歌を読むのはおもしろい。
瀬戸夏子の短歌は歌人よりも現代詩人に評判がよいようだ。もちろんコアなファンは短歌にもいるのだが、瀬戸の短歌は通常の短歌の作り方とは違う。一行詩ではなくて多行詩の発想のような気がする。前後の文脈とは別のところから言葉が飛んでくるのだ。
瀬戸の言語感覚でおもしろいと思ったのは、「海でできた薔薇」「真新しい追従」「呼吸の新月」「双子のための鬼門」「荷風のための初恋」「女身の川端康成」などのフレーズ。「獅子と苺との鍵」なんて手術台の上のミシンとこうもり傘の出会いみたいだ。歌集のなかで一番気に入ったのは次の歌。

天の首絞める両手がふとゆるみ片恋以外は平家に非ず

「平家でなければ人に非ず」を屈折させて展開している。「片恋以外は平家に非ず」とは魅力的な呟きである。

なずな、恋、紫野いき標野いき途中でパン屋の娘と出会う

「なすな恋」は「保名狂乱」のさわりだし、「紫野行き標野行き」は言うまでもない。このズリ落とし方はけっこう好き。 瀬戸は柏書房のWEBマガジンの連載「そしてあなたたちはいなくなった」も好調だし、着実に仕事を進めている。
それにしてもこの歌集、水色の紙にピンクの活字とは老眼の身にとって読むのがつらい。がんばって読めという作者の声が聞こえる。

時評の更新、次はいつになるか分からないので、川柳のことも書いておきたい。

パンの耳揚げて話はまだ続く   西川富恵
生玉子ひとつだけでは多すぎる  大野美恵
氷菓ひとくち躰は混みあっている 清水かおり

「川柳木馬」165号から。
西川富恵の川柳歴は長い。川柳をはじめたのが1974年。「川柳木馬」の創立同人である。その西川の現在の境地、平明で深みのある句。
大野美恵、ひとつだけなら「少なすぎる」だろうと思わせるところからこの句の読みはスタートする。「ひとつでは多すぎる」ではなくて、「ひとつだけでは多すぎる」というところにニュアンスが生まれる。
清水かおり、氷菓をひとくち食べてみる経験は誰にでもあるが、「躰は混みあっている」という感覚は独自なものだ。物を摂取することで、体内にあるさまざまなものの存在が混みあって意識される。「体」が「躰」として感じられる。

とびきりの笑顔でエッシャー渡される 潤子
右手からまだ離れないものがある   守田啓子
誰が死んでも海岸線は美しい     細川静
諦めたのは二十四歳の窯変      滋野さち
らせん堂古書店に入る片かげり    笹田かなえ

「カモミール」4号から。
一句目、エッシャーの版画は迷宮のような世界を表現していて人気がある。川柳の題材にもしばしば使われるから新鮮さはない。だからこの句の価値は「とびきりの笑顔」にある。迷宮の世界に笑顔で誘いこむのは一種の悪意だろう。この笑顔が曲者なのだ。
二句目、「離れないもの」って何ですか?と突っ込みを入れたくなる。左手からは離れていったのだろうか。右と左に意味を読み取ろうとすると、たとえば右利きの人にとって右手は現実にかかわり、左手は夢や理想にかかわるというような対立軸が想定される。けれども、この句はそういうことを言っているのではないだろう。
三句目、一読明快。
四句目、窯変天目という茶碗がある。茶碗に窯変が生まれたように、二十四歳の時に何かがあって人生が変わったのだろう。
五句目、とある街の片隅に古書店があって、店名を「らせん堂」という。店主は老人でもよいが、文学好きの青年だとしておこう。

不安10粒サハラ砂漠で砂になる   四ツ屋いずみ
呑み込んで赤い卵を産みつける   西山奈津実
散り急ぐ桜ウイルス見すぎたか   斎藤はる香
二メートル離れて好きとか嫌いとか 浪越靖政
苔むした兄から先は考えぬ     一戸涼子

「水脈」55号から。
サハラ砂漠に砂があるのは当然だが、サハラ砂漠で不安が砂になったと言っている。砂と不安はすでに見分けがつかない。
二句目、何を呑み込んだのか。呑み込んで産みつけるまでのプロセス。
ウイルスを詠んだ二句。アプローチの違い。
一戸涼子は完成度の高い句を書いている。快心の一句ではないか。

例えば、女の自分に慣れてきた   千春

このたび発行された千春の作品集『てとてと』(私家本工房)から。
ジェンダーにまつわる自分との違和感。
自己を客観視できるようになったとも言えるし、慣れてきたことがいいのかとも思われる。
川柳におけるジェンダーの問題を考えるときに、欠かせない作品になるかも知れない。

2020年8月1日土曜日

リモート連句体験記

「大阪連句懇話会」は2012年2月にスタート。関西を中心とする連句グループである。大阪・上本町の「たかつガーデン」を会場とし、今年4月に第30回を開催する予定だったが、コロナ禍で中止となった。6月になって少し状況が落ち着いたので7月に再開する予定だったのが、第二波が来たので集まれる者だけ座の連句、自宅で自粛したい者はリモート連句の二本立てで計画していた。さらに状況が悪化し、座の連句はあきらめて、在宅のままリモート連句をやろうということになった。 テレワークやリモートワーク、オンライン飲み会などが言われるなかで、インターネットにそれほど強くない私などにはハードルが高い。以前からパソコンにZOOMを入れるよう勧められていたが、いよいよお尻に火がついた。
ZOOMのホームページは何度か見ていたが、文字の説明だけでは分かりにくいところもある。手っ取り早くユーチューブを検索して、その説明を参照しながらダウンロードをすると思ったより簡単にできた。
当日は、「日本連句協会」の「リモート連句推進メンバー」の門野優に主催者になってもらった。事前にURLがメールで届くので、クリックすれば自然にZOOMの画面に入ることができる。ZOOMの入っている末端(パソコン・スマホ)とメールが届く末端が別の場合は、ミーティングIDとパスコードを入力すればよい。 私自身の課題としては、ZOOMでパワーポイントを使った説明ができるようになること。これは2月のときに予告していた「俳諧博物誌」のうち、野鳥俳句の話をするのに、パワポなら鳥の写真もスライドに上げることができるので、急遽作ってみた。
山谷春潮(やまや・しゅんちょう)の『野鳥歳時記』は野鳥俳句の名著といわれている。彼は「日本野鳥の会」の創設者・中西悟堂に師事、俳句では水原秋桜子の門下。そんな関係で秋桜子も中西悟堂と交流があり、「馬酔木探鳥会」というのを行っていた。秋桜子も鳥には詳しい。野鳥についてはこの時評(4月10日)でも少し触れたことがある。
「鴨」は冬の季語だが、マガモ・コガモなど渡り鳥(冬鳥)の場合で、「夏鴨」はカルガモのことだという話をした。夏鴨は別名「軽鳬」(かる)とも言い、大和の「軽ケ池」にちなむそうである。歳時記(十七季)では「軽鳬の子」(かるのこ、三夏)というかたちで出ているが、カルガモの親子の姿をとらえた季語だろう。私もカルガモの親子(カルガモのお引越し)を近所の槙尾川で二度見たことがある。あと、漢字で書くと紛らわしいものに「鳬」(けり、三夏)がいて、これば別の鳥。
パワーポイントも無事に使うことができて、私の話は30分で切り上げ、連句の実作会に。捌きは門野さんにお願いした。 句案はチャットを利用する。チャットをクリックすると右側にチャットの画面が出てくる。付句を書き込み、Enterを押すと自分の付句が表示される。参加者全員に表示されるが、捌き手だけに届くようにすることもできるので、投票で発句を選ぶときなどに便利だ。 画面共有はワードやテクストなども使えるので、捌き手が付句の進行を全員にわかるように画面表示してゆく。このときに捌きと書記(執筆)の役割分担が必要だが、今回ははじめての人が多く、捌き一人に負担をかけてしまった。次回からは役割分担ができると思う。
午後1時スタートで(連句実作は1時半から)、午後4時半終了の予定だったが、半歌仙を巻きあげると午後6時近くになった。慣れれば時間短縮できるはずだ。 あと、参加者が多いときは、ZOOMのなかでいくつかの部屋に分けることができるので、そのやり方をリハーサル。自分の部屋の練衆とは会話できるが、別の部屋の画面は映らない。困ったときはヘルプを押せば、主催者が移動してきてくれる仕組みである。 連句会が終了して何人かの方は退出。残った有志でオンライン飲み会を30分ほど。これ、一度やってみたかったんですね。夕食の支度もあるのに引き留めてごめんなさい。

さて、「猫蓑通信」112号に掲載された「リモート連句の可能性」で、山中たけをがリモート連句の利点を五つ挙げている。
①インターネットとビデオ通話のできる端末があれば、どこでも連句ができる。
②自宅から出られない連句人が実作に戻るきっかけになる。
③離れた地方や海外の人とも連句ができる。
④文音に比べれば実際の座に近く、即興性、座の反応なども見られる。
⑤コロナ禍のいま、STAY HOMEでも小さな旅のような体験ができ、心を自由にするきっかけになる。

よいことばかりのようだが、山中は課題も5点挙げている。
①一般参加にはインターネットとビデオ通話のできる端末が必要。
②捌きのほかに書記(執筆)が必要。 ③捌きや書記にはアプリの知識が必要。
④顔を突き合わせての実作に比べれば情報量は少ない。
⑤捌きの進行する会話以外に雑談するにはコツが必要。

①はパソコン、スマホどちらでも可能だが、カメラとマイクが内臓されていないデスクトップのパソコンの場合は外付けが必要になる。ノートパソコンはおおむね内臓されているのでそのまま使える。ZOOMは無料と有料があるが、主催者以外の一般参加者は無料で十分。主催者が有料に入っていれば、一般参加者は40分を過ぎてもそのまま続けることができる。
②は捌きが一人で行うこともできるが、負担が大きくなるので、捌きと書記の役割分担が望まれる。
③はチャットや画面共有のやり方をはじめ、質問やトラブルが生じたときにZOOMに習熟している人がいれば安心できる。
④は実際の座と比べると伝わる内容量は落ちるが、従来の手紙・メール・ツイッターなどに比べると顔の映像と音声があるだけに情報量は多くなる。
⑤は参加者が一斉に喋ると混乱するので、発言のタイミングがむずかしく、話したいことがあっても発言を控えてしまうケースが生じる。捌き手が適宜参加者に質問したり発言を要請したりするほか、参加者が話したいときは最初に「××さん~」と呼びかけてから話しかける配慮も必要。 いずれも一、二度体験すればクリアーできると思われる。

コロナが怖くて外出できない高齢者にとってリモート連句は100%安全である。
また人数制限のある大会・連句会の場合でも、実際の座のほかにリモート連句を併用すれば遠方の人も参加可能。たとえばリモートに20人の参加者があれば5人ずつ4座に分けることができる。50人なら10座。それぞれに捌き手と書記が必要。
前掲の「猫蓑通信」で山中は「転んでもただでは起きずに、コロナ禍のピンチをチャンスに変えて」と呼びかけている。外出を自粛しているが連句からは離れたくないと思っていらっしゃる方はチャレンジしてみてください。

2020年7月24日金曜日

岡井隆と現代川柳の接点

現代川柳が短詩型文学の読者の目に触れるかたちで取り上げられることは、従来少なかったのだが、岡井隆・金子兜太の共著『短詩型文学論』(紀伊國屋書店、1963年)はその貴重なケースであった。この本は岡井の短歌論と金子の俳句論から構成されているが、現代川柳に触れているのは金子の俳句論の方である。本文ではなくて(附)と記された注のような扱いで次のように書かれている。

河野春三は「現代川柳への理解」で、俳句と川柳が最短詩としての共通性をもち、現在では内容的にも一致している点を指摘し、「短詩」として一本のジャンルに立ち得ることを語っているが、一面の正統性をもっていると思う。ただ、両者の内容上の本質的差異(川柳の機知と俳句の抒情)は越えられない一線であると思う。

「俳句と川柳の本質的差異」についての捉え方が今日の眼から見て妥当かどうかは別として、この時点での金子兜太の考え方が示されている。
河野春三の『現代川柳への理解』(天馬発行所、1962年)は現代川柳の理論水準を示すもので、その後長い間これを越える川柳書は現れなかった。
岡井隆は金子兜太を通じて現代川柳のことも知っていたはずである。そのことを後年になってから、岡井隆は「金子兜太といふキーパースン」(『金子兜太の世界』角川学芸出版、2009年)で次のように書いている。

昭和三十年代あるいは四十年代のはじめだつたか、前衛川柳の何人かの人と、私とを、金子さんは引き合わせてくれた。今はやりの風俗的な、口あたりのいい川柳とはちがう川柳。今、心ある新鋭たちが柳壇の再興をねがつて論をかさね、作品を書いてゐるのを読むと、この人たちの先輩にあたるのが、金子さんが引き合わせてくれたかれらだつたのだと思ふ。あの謎のやうな一群の川柳人たちと、私は、巣鴨か大塚あたりの小さなホテルで合議したことがある。あれは一体何なんだつたのだらう。大方は私の方の事情で、この会議は続かなかつたが、金子兜太の、俳壇を超越した動きの一端はあのあたりにもあつた。

岡井が述べているのは昭和40年前後の柳俳交流についてである。「柳俳交流」について私はこれまでに何度も書いたことがあるが、金子兜太・岡井隆と関連のありそうなデータだけ示しておきたい。ご興味のある方は拙文「柳俳交流史序説」(『蕩尽の文芸』所収)をご覧いただきたい。

〇「川柳現代」15号(発行・今井鴨平、昭和39年1月号)
特集は山村祐著『続・短詩私論』(森林書房)の書評で、金子兜太「短詩と定型」・林田紀音夫「共通の場に立つて」・加藤太郎「『続・短詩私論』を読んで」・石原青龍刀「『続・短詩私論』を読む」・秋山清「『続・短詩私論』私観」・高柳重信「『続・短詩私論』に関するわが短詩私論」を掲載。

〇「俳句研究」昭和39年10月号
河野春三「川柳革新の歴史」・松本芳味「現代川柳作品展望」・山村祐「川柳という名の短詩」         
〇「俳句研究」昭和40年1月 座談会「現代川柳」を語る
司会・金子兜太、川柳界から河野春三・山村祐・松本芳味、歌人の岡井隆、俳人の高柳重信による座談会

特に〈「現代川柳」を語る〉という座談会は興味深いので、この時評(2014年8月22日)でも小説風にアレンジして紹介したことがある。
その後、岡井と現代川柳との接点は途絶えたようだが、「今はやりの風俗的な、口あたりのいい川柳とはちがう川柳。今、心ある新鋭たちが柳壇の再興をねがつて論をかさね、作品を書いてゐるのを読むと、この人たちの先輩にあたるのが、金子さんが引き合わせてくれたかれらだつたのだと思ふ」というような部分を読むと、後輩である現代川柳人のことも岡井の視野に入っていたのだと思われる。『注解する者』のなかに佐藤みさ子の川柳が引用されたこともあった。
岡井隆は現代川柳についてまとまった発言を残していないが、現代川柳のことも遠くから見ていたはずである。これからの20年代の川柳のことも引き続き見ていてほしかったと思う。岡井は昭和40年ごろの川柳人について「あの謎のやうな一群の川柳人たち」と言ったが、現代川柳が「謎のような存在」ではなくなってゆくことを願っている。

2020年7月10日金曜日

井上信子と女性川柳(新興川柳ノートⅡ)

瀬戸夏子が柏書房のwebマガジンに連載している「そしてあなたたちはいなくなった」からは多くの刺激を受けているが、特に「女人短歌」の創刊をめぐって、北見志保子と川上小夜子について書かれた文章は興味深かった。

「彼女たちはなんども試みた。当然のようにそれは厳しい戦いだった。彼女たちの最後の賭けが『女人短歌』だった」

こういう文章が瀬戸の魅力だが、ひるがえって川柳における女性作家、女性川柳はどうだったかと考えたときに、まず思い浮かぶのは井上信子の存在である。
信子は井上剣花坊の妻であり、剣花坊の没後「川柳人」を復活させ、鶴彬を庇護したことでも知られている。

国境を知らぬ草の実こぼれ合い  井上信子

この句は信子の代表作であり、昭和に詠まれた名吟のひとつである。
さて、新興川柳運動の渦中に組織された女性作家集団に「川柳女性の会」がある。
「川柳人」昭和5年1月号に掲載された「川柳女性の会」のメンバーは15名であるが、翌年2名を加えて17名となる。そのうち人物と作品が比較的分かっている7名について紹介しておく。

市来てる子
井上信子
井上鶴子
吉田茂子
近藤十四子
三笠しず子
片岡ひろ子

市来てる子は消費組合運動の活動家で、階級意識をもったプロレタリア川柳家。

どつと出た赤い血だ犬にぶつかけろ  市来てる子
阿片だよ社会政策に眩まされるな

井上信子の作品は後回しに。井上鶴子は剣花坊と信子の次女。結婚後は大石鶴子の名で知られている。

さつくりとほうれん草の青い音   井上鶴子(大石鶴子)
ギュッと捻る水道栓の決断
閑寂の庭に小鳥の尾のリズム
絶対の否定空いっぱいに立つ
巣立たんとして大空の持つ魅力

吉田茂子は山口県萩の生まれで、井上剣花坊とは同郷。柳尊寺句会に出席したのがきっかけで、川柳をはじめる。浄土真宗の信者で、のちに「川柳人」から遠のく。

持てるもの皆奪はれて冬木立   吉田茂子
淋しさを抱いて取り残されてゐる
ぢつと見る目路に仏陀の笑みがある
ゆれ動く秤の上に立つこころ
抱き合つた刹那仮面をぬいでゐる

近藤十四子(こんどう・としこ)は最年少の川柳少女で、号から推定されるように、参加当時は十四歳だったようだ。ただ、二、三年後には「川柳人」への投句を止めてしまったのが残念だ。『「死への準備」日記』で有名な千葉敦子は近藤十四子の娘である。

底の無い悩みを神に責めたてゝ   近藤十四子
知ることの寂しさ今日も本を読み
水水とひでりにあえぐ草の声
あえぎつゝたどり着けば断崖
稲妻となつて雲間を突つぱしる

三笠しず子は「大正川柳」「川柳人」「氷原」「影像」などに作品を発表し、井上信子とともに新興川柳の女性作家の双璧である。

軟らかに抱いた兎の息づかい   三笠しず子
これ以上人形らしくなり切れず
ひそやかに触れてはならぬものに触れ
いろいろな女の息を吸ふ鏡
ぐるりと変な猫の眼男の眼

片岡ひろ子は岡山県津山市の生まれ。津山における近代川柳史に名を残し、「岡山の明星」と言われた。

添乳する女房は腮で返事をし  片岡ひろ子
霜天に満ちて蠣船火を落とし
蜂の巣のやうな心の日が続き
オレンジの木立へ帰る夕鴉
いつそもう蛇の心になつてやれ

次に、「女人芸術」の川柳欄について、まとめておこう。
長谷川時雨の「女人芸術」は昭和3年(1928)から昭和7年(1932)まで全48冊を発行。女性を中心とした文芸誌として社会的役割を果たした。昭和5年7月号から井上信子の作品が川柳欄に掲載され、昭和6年7月号からは「新興川柳壇」が登場、選者は井上信子。誌面では二、三ページだったようだが、翌7年6月の「女人芸術」終刊まで丸一年続いた。
私は雑誌のバックナンバーを見ていないので、日本プロレタリア文学全集40『プロレタリア短歌・俳句・川柳』(新日本出版社)から掲載句を抜き出しておく。
まず、井上信子の作品から。

明快な渦で世相は新まり    1930年7月号
飢えた眼の底に賢さ燃え上り
青空へ枝が伸びゆく生(せい)の首
官服の案山子となって餌を貰い 1931年7月号
暴圧へむく感情の弾道

信子には芸術派とプロレタリア派の両要素があるが、ここではプロレタリア文学の傾向が前面に出ている。
次は信子の娘の井上鶴子の作品。

横列も縦列も一つ心臓       1931年6月
それぞれの着物にデモのありったけ
青空と地獄を結ぶ煙突

あとは任意に抜き出しておく。

口紅を拭いて明日へ立ち上り     小池梅子  1931年7月
そちこちに踏まれた草が伸びている  小出弘子  1931年7月
真裸で働けば涼しいとは何んだ    小出弘子  1931年7月
ブラ下がる児をサイレンにもぎとられ 岡本光恵  1931年7月
暴圧の中にひそひそ咲いた恋     岡本光恵  1931年7月
黙々と恥心を包む握り飯       日浦澄子  1931年8月
軽々と五尺の玩具弄び        近藤十四子 1931年10月
血みどろの手がアジビラを撒いてゆく 近藤十四子 1931年10月
公然の秘密人間屠殺業        近藤十四子 1931年11月
断末の双手が太陽をヒン摑んだ    新谷輝子  1932年3月
メーデーへつばめも気勢上げて飛び  伊藤好子  1932年5月
横列縦列ガッチリとして隙もなし   銭村葉子  1932年6月
女工の眼父のたよりへうずく胸    疋田栄   1932年6月
凱旋の兵士ヒッソリカンといる    疋田栄   1932年6月

近藤十四子は「女人芸術」にも投句していたようだ。十四子は非合法の労働運動に携わり、検挙されて拷問を受けたこともあるという。彼女以外はほとんど無名の作者である。
最後に井上信子の文章と川柳作品を紹介しておく。

「永い間、殆んど男子の手に握られて居た柳壇に、女性と云へば暁天の星よりも、なほ微々たるものであった。それが近頃、新興川柳の本質を理解し、これこそ時代の詩であることに企望を抱いて、女性の作家が、私達の毎月催す女性の會へ一回毎に数を増すやうになったことは心から嬉しい。たとひ微々たるまどひにせよ、この繊細な足には弾力が秘められて居る。堅実な一歩一歩は、お互ひに呼び交はされて進むであらう。私達の努力が報ひられて、やがて次ぎの時代の川柳詩人の間に多数の女性を見出すことの出来るのを、こひねがってゐる」(「新入の女性作家を得て」、「川柳人」217号、昭和5年11月)

一ぱいの力で咲けばすぐ剪られ   井上信子
よく光るさても冷めたい長廊下
踏まれても地下へはびこるあざみの根
一人去り 二人去り 佛と二人 (剣花坊追悼吟)
民権のレッテルの代りにヱプロンをかけさせ
燃えながら冷えながら冬を灯して明日を待つ
貞操のむくひは同じ墓の中
詩に痩せぬ友の集り風は初夏
悪政をもみくちやにして詩が生れ
国境を知らぬ草の実こぼれ合い

女性川柳人の活躍する現在とくらべると今昔の感があるが、現在の隆盛は井上信子たちが先駆的に切り開いた道だ。女性連句については別所真紀子の仕事があるけれど、女性川柳についてはまだ研究の余地がありそうだ。

参考文献
谷口絹枝『蒼空の人・井上信子‐近代女性川柳家の誕生』(葉文館出版)
平宗星『繚乱女性川柳』(緑書房)
日本プロレタリア文学全集40『プロレタリア短歌・俳句・川柳』(新日本出版社)
坂本幸四郎『新興川柳運動の光芒』(朝日イブニングニュース社)
一叩人編『新興川柳選集』(たいまつ社)

2020年7月3日金曜日

曲線立歩句集『目ん玉』(新興川柳ノートⅠ)

コロナで何もできず、先へ進めないので、過去の川柳遺産を振り返ることが多くなってしまう。書架を整理していると、曲線立歩の句集『目ん玉』(2003年)が出てきた。曲線立歩(きょくせん・りっぽ、1910年~2003年)は新興川柳期に川柳をはじめ、長い柳歴をもっている。今日はこの川柳人を紹介したい。

曲線立歩は本名・前田忠次。明治43年、北海道の斜里町に生れる。大正14年、小樽新聞の川柳欄に投句、翌15年に川柳氷原社に参加した。このころ小樽には田中五呂八がいて新興川柳運動のメッカであった。小樽新聞の選者は五呂八。立歩が投句をはじめたのは14歳のときだった。「氷原」に投句するようになってから句会にも出席し、五呂八に可愛がられたようだ。
田中五呂八の『新興川柳論』に次のような一節がある。
「人間が、ただ単に喜怒哀楽のままに動いている間はまだ、自然の配下にある受動的な通俗生活に過ぎないのである。そうした受動的な他律生活から一歩踏み出して、能動的に人生を統一し、自然を理想化するのには、どうしても吾々は、自律的な思想を持たねばならないのである。そこに、思想の深さは自己の深さとなり、思想ににじみ出した感情の深さが詩の深さであり、それがやがて自然の深さであり宇宙の深さでもある。自然も人生も畢竟芸術家にとっては、自己の深さのままに改造し得る相対的な自己創造の対象に過ぎないのである。
私達新興川柳家は、この信条の上に個々の思想を深化する事によって、最も近代的な日本の自由短詩を創造しなくてはならない」(「新興川柳への序曲」大正14年4月)
曲線立歩はこのような五呂八の川柳観に大きな影響を受けたことだろう。新興短歌、新興俳句に先駆けて起こった新興川柳運動の真っただ中から、曲線立歩の川柳は始まったということになる。
句集『目ん玉』の「鋭光」の章には昭和3年~昭和12年の句が収録されている。これがほぼ新興川柳期の作品だろう。

十字架を のぼる泥人形の 笛の音  
変らない眼だうっかりと乗せられる
車輪また車輪を追うてゆくばかり
人間でない気で休む午前二時
響かんとすれど地盤のたよりなく
境遇の水平線に生きている
幻想を衝いて摑めば無光星
北ばかり指して磁石の死に切れず
弓絃を切る人冬のあわてよう
天才の猫老いたれど夜を歩く

小樽文学館には一度行ったことがあるが、伊藤整などとともに田中五呂八の展示があって、文学都市という印象を受けた。大正末年から昭和初年にかけては新興川柳運動の大きなうねりがあって、小樽はその発信地だった。曲線立歩にとっては時代の青春と個人の青春が一致したことは幸運だった。
句集の二つ目の章は「花の首」(昭和13年~昭和50年)である。

雪また雪 神話が嘘になっている
滝壷の飛沫モーゼは恋をした
乳房喰い破って青い蝶の羽化
洪水の石の男女が流れている
火を吐くまで海の深部の侵略
一族の吹雪のなかの ぬくい母系
花の首死の直前をせめぎあう

彼が曲線立歩の号を用いたのは昭和5年からである。「氷原」では星寂子という雅号だったようだ。「氷原」は昭和12年で終刊になったから、上掲の作品は「氷原」以降の句ということになる。立歩は昭和23年に東京川柳人の同人になっているから、「川柳人」に発表した句なのかもしれない。
句集の三番目の章は「垂天」(昭和25年~平成6年)。

草笛吹く 片眼の顔を 忘れて吹く
大麦の粒 がくぜんと 一つあり
洞窟を拡大する海が地上で 痺れるまで
不快指数の 穴から民族が氾濫する
濃縮ジュース 吐く炎天に灼けた 蟻の仮眠

一字あけを多用する表記から見ると、戦後の現代川柳の時代に書かれた作品のようだ。
次は「自筆の墓碑」(昭和47年~平成8年)。

鯨骨の杖に叩かれ舌たらず
滝壷の飛沫は夢の傀儡師
ふところで歩く失明のピラミッド
神の手のながさで足の爪を剪る
地球が重なろうとする敵である
天才の獏が童話を聞いていた
連綿の血を吸う虫の一匹たり

最後に「青炎抄」(平成8年~平成13年)から。

五呂八の 風は微妙な哲学者
遺伝子の首の枯木が水を呼ぶ
全道の少年少女一人ずつ
海底の巻貝しだいに血を浴びる
飛沫の芯を歩いている

晩年、田中五呂八を思うことがあったのだろう。「人間を摑めば風が手に残り」は五呂八の代表句である。
曲線立歩は「点鐘」にも投句していたし、句集『目ん玉』は墨作二郎を通じて手に入れることができた。北海道における新興川柳の作家が平成まで現役で活躍していたことを改めて思う。句碑が空知野に建立されているという。

噫々尊し 自然の土に霊祈る

2020年6月26日金曜日

真夏の夜の匂いがする

しばらく更新できなかったので、この間のことを日記風にまとめておく。

5月×日
広瀬ちえみ句集『雨曜日』(文学の森)が届く。
句集を出すという話は聞いていたので、楽しみにしていた。
今年はこれまで長いあいだ川柳と向き合ってきた川柳人が成果をまとめる年なのかも知れない。樋口由紀子『金曜日の川柳』、そして広瀬ちえみ『雨曜日』。
あとがきで広瀬は、「かつて『広瀬ちえみ』を評する言葉をたくさんいただきました」と書いている。
 ニヒリスト
 ナルシスト
 迷路の少女
 沼のちえみ
 穴のちえみ
いろいろ言われているんだな。
「ちえみ個人をニヒリストというのではない。何か自分のこころを動かすことがあれば、いつも、その虚無が首をもたげる、いわば人間全体の抱えている解決不能の問題」「いわばニヒリズムをスプリングボードとしての現実肯定であり生の肯定」(石田柊馬「百万円のおとしだま」、「川柳木馬」76号)
「手ごわい日常の一つ一つこそ歓迎すべきである。それは迷路のちえみの日用品となり玩具となる」(大沼正明「迷路の愉悦」、セレクション柳人『広瀬ちえみ集』解説)
「もうひとり落ちてくるまで穴はたいくつ」(広瀬ちえみ)
『雨曜日』第一章のタイトルは「もう一度沼で逢いましょう」になっている。
過去の評価はさておいて、この句集は読んでいて川柳のおもしろさを堪能させてくれる。きちんと川柳に向き合ってきた人のすることはすごいなと思う。

 遅刻するみんな毛虫になっていた   広瀬ちえみ
 梅雨に入るからだが沼の匂いして
 逢うために右と左に別れましょう
 夜行性だから夜行性に会う
 咲くときはすこしチクッとしますから
 春の野の自分はお持ち帰りください
 うっかりと生まれてしまう雨曜日

6月×日
「船団」125号。終刊号だが、「散在」という言い方をしている。
特集は「俳句はどのような詩か」。
芳賀博子の連載「今日の川柳」もちょうど50回で終了。 「魔法の言葉」というタイトルで、これまでの取材のことや、「川柳塔」の電子化事業のこと、十年前の『超新撰21』に清水かおり作品が収録されたことと堺谷真人の解説などについて書いている。
 迷ったら海の匂いのする方へ  芳賀博子
会員作品から三句だけ。
 そろそろ蝿も簡単に死んでいく   らふあざみ
 月の夜や駱駝毛布のふっと哀愁   若森京子
 白菜は立派それほどでもないぼくら 小西昭夫
「船団」会員では、おおさわほてる『気配』(創風社出版)もいただいている。俳句とエッセー。
 人間のすることなんて青葉木菟   おおさわほてる
 あっ僕はあやまらないぞあおばずく
 カタツムリ合わせる顔がないんです
 春の月千年ぶりに吼えてみる
 蝉がついたままです鼻の下
あと、「猫町」1号(発行人・三宅やよい)が届いた。「散在」のひとつのかたちだろう。
 春かすみ猫はきちんと溶けてゆく 赤石忍
 蝶々蝶々容疑者に肉親      近江文代
 ラッパーが金子兜太の弓放つ   ねじめ正一
楽団のひとりが消える百千鳥   三宅やよい

6月×日
ネットプリント「ウマとヒマワリ9」。
平岡直子の川柳連作「水中ソーシャルディスタンス」20句と我妻俊樹の掌編小説「蚊柱」。
これはオフレコなんだけど、5月5日に予定していてコロナ禍で中止になったイベント「現代川柳のこれから・川柳スパイラル創刊3周年記念大会」では平岡さんに句会の選者をお願いしていた。ネットプリントのかたちで彼女の川柳が読めるのは嬉しい。

 鳥かごを大々的に留守にする    平岡直子
 耳のなか暗いねこれはお祝いね

「鳥かご」の句は川柳ではよく見かけるが、「大々的に留守」が新鮮である。「耳のなか」は20句のなかで一番好きな句。
我妻俊樹とは一度しか会ったことはなくて、2018年5月に瀬戸夏子と対談してもらった。そのときのことは「川柳スパイラル」3号に柳本々々が書いている。
あれからもう2年経つのかと思うと夢のようだ。

6月×日
柏書房のwebマガジンで瀬戸夏子の「そしてあなたたちはいなくなった」を読む。
「女人短歌」の創刊をめぐって、北見志保子と川上小夜子について。
北見志保子はともかく川上小夜子については短歌大事典でも開かなければ載っていないので、知らないことが多かった。

「彼女たちはなんども試みた。当然のようにそれは厳しい戦いだった。
彼女たちの最後の賭けが『女人短歌』だった」

 短日の陽のうつろひに散りこぼす光よ風よ冬青き樫   川上小夜子『光る樹木』

瀬戸のこの連載も佳境に入ってきた。

6月×日
「かばん」6月号が届く。
私が「かばん関西」と交流があったのは2004年~2005年ごろ。手元にある243号(2004年6月号)の特集は「かばん」20周年で20年のあゆみが表になっている。もうひとつの特集は「かばんの新しい風」で、イソカツミ『カツミズリズム』、伴風花『イチゴフェア』などが取り上げられている。
現在に戻ると、2020年6月号は通巻435になるらしい。特集「短歌とBL」。
もんちほしの表紙絵にインパクトがある。表紙のことばとして寺山修司の次の歌が挙げられている。

 はこべらはいまだに母を避けながらわが合掌の暗闇に咲く  寺山修司

特集チーフの高村七子によると、短歌は「私」の文学だが、BL短歌の多くは「彼」の文学だという。朝吹真理子と小佐野彈の対談、桝野浩一の「BL短歌と私」、松野志保の短歌など、充実した誌面になっている。

 トーキョーは雨だと知っているけれど君がどうしてるかは知らない(芳野悧子)
 月曜はしょげてる蜘蛛が来てくれる(佐藤智子)

6月×日
鈴木千惠子著『杞憂に終わる連句入門』(文学通信)が届く。
鈴木は日本連句協会の理事で、連句結社「猫蓑会」の主要メンバー。著者は連句の式目に精通している。
Ⅰ連句に関する覚書、Ⅱ連句作品、Ⅲエッセイ、の三部から構成されている。
「さて、おそらく世の中には他にも、過ぎてみれば杞憂であったということは転がっている。連句の実作もその一つではないだろうか」ということだが、鈴木には次のような付句もある。

 わかってるでもうれしいな君の嘘 倉本路子
  杞憂に終はる佳人薄命    鈴木千惠子

Ⅰのうち「与奪とは何か」が私には勉強になった。
Ⅱのうち「連句に挑戦」の部分には歌仙を巻くプロセスが順を追って説明されている。
連句の初心者から経験者まで楽しめる本になっている。

2020年5月9日土曜日

森山文切川柳句集『せつえい』のことなど

4月×日
ダニエル・デフォーの『ペスト』を読む。
1665年、ロンドン、ペスト流行。死者約7万人だったという。
デフォーは統計的な数字を克明に記述している。
記録文学だと思っていたら、ペスト流行時、デフォーは5歳だった。ルポではなくて小説なのだった。
ある意味でカミュの『ペスト』より凄いかもしれない。

5月×日
「川柳木馬」164号が届く。
「作家群像」は内田真理子。
 てのひらでなじませてからなしくずし  内田真理子
 物申す物申す そこな捩り花
 梟に耳はなかった紀元前
一句目は川柳性の強い句。二句目はこの作者お得意の花との取り合わせ。三句目は紀元前にまで遡る時間感覚。作家論はきゅういちと八上桐子が執筆している。
同人作品では大野美恵の次の作品に注目した。
 ストローの首折り曲げて吸う秘密 大野美恵
 羊羹に矯正危惧のある歯形
「蝶」234号も届いた。たむらちせい追悼(3)。
 戸の狂ひ叩いて開ける山桜    たむらちせい
 焼き畑の春の日取りをことづかる 
 申すまでもなくわが出自烏瓜
 さてと立ち上がり水母と別れたる

5月×日
森山文切川柳句集『せつえい』を読む。
森山とは二度会ったことがある。
一度目は2017年12月、「川柳スパイラル」東京句会(北とぴあ)。初対面だったが、句会の感想を同誌2号に書いてもらった。
二度目は2019年1月、「川柳スパイラル」大阪句会(スピンオフ)。このときは昼の句会がすんだあと、森山はWEB句会のメンバーと夜にもうひとつ句会をするというので別れた。翌日はさらに別の句会に彼は参加したようだ。
文学フリマで「川柳スパイラル」と「毎週web句会」の隣接配置で出店しようという話もあったが、森山が超多忙のため実現しなかった。
WEB上の森山の活躍はよく知られていて、芳賀博子が「船団」122号の「今日の川柳」で「古代ギリシャ柳人パチョピスコス」を書いている。パチョピスコスは森山のこと。芳賀の文章はこの時評(2019年9月13日)でも紹介したことがある。
森山は「僕は川柳の営業をやります」と言っていたが、このたび句集を上梓し作者としての全貌を現わした。『せつえい』(2020年3月29日発行、発行所・毎週web句会)。
【webでの発表句から】
花がない方が自然である花瓶
目を覆うための両手に成り下がる
喋ってはいるが会話はしていない
唇に星をかじった跡がある
【web以外(柳誌、新聞、ラジオなど)から】
混浴に少年がいた十二月
線よりも左は僕が動かせる
迷うなぁどっちのタマネギも軽い
かたたたきけんのうらがわナショナリティ

5月×日
藤原龍一郎歌集『202X』との関連でオーウェルの『1984年』を読むことに。
オーウェルはけっこう読んだつもりだったが、ほとんど忘れてしまっていた。
「自由とは人の嫌がることを言う権利である」というようなことを彼は書いていたような気がする(うろ覚えです)。
『1984年』には「自由とは二足す二が四になると言える自由だ」という言葉が出てくる。
ディストピア小説としてオルダス・ハックスリーの『すばらしい新世界』も読んでみたい。

5月5日
コロナ禍がなかったら「川柳スパイラル」創刊3周年記念大会を開催していたはずだが、今は自重するしかない。
川柳も連句も社交文芸の一面があるので、句会・大会のかたちで集まれないのは辛いものがある。オンライン句会なども試みられているようだが、ZoomとかSkypeとか使ったことのないものにはハードルが高い。
連句では6月の宮城県連句大会(仙台)や7月の連句フェスタ宗祇水(郡上八幡)も中止になった。10月の浪速の芭蕉祭は開催できるだろうか。