2019年9月20日金曜日

『蕪のなかの夜に』と『ぱんたれい』

9月8日(日)、「第7回文フリ大阪」がOMMビルで開催された。
第三回以降、毎回出店していたが、今回は申し込むのを忘れて出店できなかったのは残念である。そのかわりに、会場近くのエル大阪で「川柳スパイラル」大阪句会を開催し、句会を早めに切り上げて文フリに行くことにしたが、これがまた失敗だったようで、文フリだけでなく他の川柳句会ともバッティングして、参加者がいつもより少なかった。ただし、少人数の句会にも良い点があって、突っ込んだ議論ができる面もある。
さて、今回は文フリで手に入れたものの中から二冊紹介しよう。

まず、フクロウ会議の『蕪のなかの夜に』。
ツイッターによると「フクロウ会議とは、八上桐子、牛隆佑、櫻井周太による川柳と短歌と詩の3ピースユニット。無所属の3人が無所属のまま集まって何かをしてみよう、とかそういうもの」ということで、今春結成された。
まず、八上桐子の川柳作品「はぐれる鳥」から。

もえて燃えきってひかりにふれる白    八上桐子
夢の川シーツのしわの深い流れ
逢うまでの記憶らしき水、日射し
とくべつな骨ははぐれてしまう鳥
しろい夜のどこかで蕪が甘くなる

「白」「夢」「水」「鳥」などのキイ・イメージが使われ、句集『hibi』につながるような世界が表現されている。作品の最後に「もう夢に逢うのとおなじだけ眩し」(小津夜景『フラワーズ・カンフー』)が挙げられているので、おや?と思った。エピグラフは普通巻頭に置かれるが、最後にさりげなく示されている。
『フラワーズ・カンフー』は旧かな使用だから、小津の元句は「もう夢に逢ふのとおなじだけ眩し」。「西瓜糖の墓」の章にあり、ブローティガンの『西瓜糖の日々』をモチーフにした句群である。
小津の句は八上の好む眩しい夢の世界のイメージで、八上はさらにそれを自らの作品に多彩に変容させていったのだろう。現実生活から川柳を作るのではなくて、文学的イメージから川柳作品を作るやり方である。
八上はまた「うすい家」の章で短句にも挑戦している。

一度逆らうストローの首
名付けるまでをサミダレと呼ぶ
よく似た骨を抱き上げる骨

短句(十四字)は十七音とは別のもうひとつの川柳の一体として従来から書かれてきたが、最近ネットなどで流行してきている。
第一句集『hibi』を出したあとも、八上の活躍はめざましい。句集を出すとそこでしばらく休止してしまい、次に進むエネルギーが枯渇してしまうことが多いのだが、それは彼女には無縁のようだ。
櫻井周太は良質の抒情詩を書いている。引用するスペースがないが、回文詩も収録されていて、長編の回文になっているのが驚かされる。ご一読いただきたい。
牛隆佑の短歌「たぶんせぶんいれぶん」から。

離島のようなさみしさがあり橋をゆく最終バスでそこへ渡った  牛隆佑
工事中だからまだ分からないけれど煉瓦調だからたぶんせぶんいれぶん
秋であるそしてなおかつ雨である 大人になってしまったとしても
真夜中のシンクに落ちる水滴の 谷間の水はささやいている
コンビニのドアは硝子で自動だしドアの自覚が足りないのでは

最後に「フクロウ会議の会議」が収録されていて、これは2019年4月7日の合評会の記録。「蕪のなかの夜に」をテーマに歌人・詩人・俳人・川柳人たちが集まった。参加者は同人三名のほか池田彩乃・江口ちかる・江戸雪・小池正博・曾根毅・中山奈々・疋田龍之介・木曜何某。

もう一冊、笹川諒と三田三郎による同人誌「ぱんたれい」vol.1をご紹介。
この二人は今までネットプリント「MITASASA」を発信してきたが、今回冊子としての活動をはじめた。パンタ・レイは古代ギリシアの哲学者・ヘラクレイトスの万物流転の思想だが、そんな意味とは別に、音のおもしろさでタイトルにしたらしい。表紙にパンダなどの動物のイラストが使われているところに俳諧性がある(短歌で俳諧性というのも変だが)。
最初に同人作品として二人の作品が10首ずつ掲載されている。

それがもし地球であれば雨の降るさなかにあなたはこころを持った   笹川諒
そうやって天気予報の言いなりになるならもっと派手に降れ雨     三田三郎

たまたま「雨」を素材とする二首を並べてみた。この二首だけで両者の資質を云々することはできないが、笹川の方が抒情的であり、宇宙論的な視点が見られる。三田の方は諷刺的・批評的であり、日常的な自己から離れていない。三田は「特急よ直進だけじゃ飽きるだろうたまには空へ向かっていいぞ」(「MITASASA」2号)、「今日は社会の状態が不安定なため所により怒号が降るでしょう」(「MITASASA」3号)などの歌も詠んでいて、川柳にも通じるような諷刺的視点が見られる。
ゲストとして、石松佳、西村曜、法橋ひらくの作品が掲載されている。

春の日のふりした夏日僕たちは嗜みとして深爪をする     西村曜
そういうの嫌なんだよな連休が明けるたんびに何してた?って 法橋ひらく

石松佳の「ZOO」は動物園の猿を素材とした詩だが部分的な引用はひかえておく。
「MITASASA」のバックナンバーが収録されているのも便利である。
三田の方が川柳的と述べたが、意外なことにで笹井諒の方が川柳作品を発表しているのに注目した(「MITASASA」4号)。この人は川柳も書ける資質をもっている。

みずぎわ、とあなたの声で川が呼ぶ     笹川諒
ゆっくりと燃えないパフェを食べている
幾たびも起死回生の鍋つかみ
風鈴を非営利で鳴らしています
雨雲にどこかヒッタイトの気配
Y字路のどれも動物園に着く
未来ではリンゴ飴だけ同じ味
搾りきることのできない月でした

三田三郎には歌集『もうちょっと生きる』(発行・諷詠社、発売・星雲社)があり、今回の編集後記で三田は歌集を出した経緯について触れている。
葉ね文庫の池上規公子が創刊にあたってのメッセージを寄せている。葉ね文庫での笹川と三田の様子がスケッチされていて、この二人の資質がシンクロしたことがうかがえる。
最後に三田の歌集から引用しておこう。

人類の二足歩行は偉大だと膝から崩れ落ちて気付いた   三田三郎
転ぶのは一つの自己というよりも七十億の他者たる私
ほろ酔いで窓辺に行くと危ないが素面で行くともっと危ない
水道を出しっぱなしにすることは反抗とすら呼べないだろう

2019年9月13日金曜日

古代ギリシャ柳人 パチョピスコス

「触光」63号(編集発行・野沢省悟)が届いた。
同誌62号に発表された第9回高田寄生木賞のことが話題になっている。
五十嵐進の前号鑑賞は〈「パチョピスコス」や「らいら」の存在を教示された前号だった〉ではじまり、芳賀博子の「おしゃべりタイム」では〈第9回高田寄生木賞受賞作は、森山文切さんの「古代ギリシャ柳人 パチョピスコス」。そのタイトルを見てびっくりしました。実は発表誌が届くちょうどひと月前のこと。他誌の連載でパチョピスコス氏こと森山文切さんに電話取材し、同タイトルの一文を書いたところだったからです〉とある。

芳賀の同タイトルの文章はまだ読んでいないなと思っているところへ、「船団」122号が届いた。(「船団」前号で坪内稔典が「散在(解散)」を宣言して世間をアッと驚かせたのは記憶に新しい。)芳賀の連載「今日の川柳」は47回目になるが、そのタイトルが「古代ギリシャ柳人パチョピスコス」。芳賀はこんなふうに書いている。

ここはアポロンの神託書。ある日、古代ギリシャ柳人パチョピスコスは神託を授かった。
「川柳を広めよ」
その瞬間「ピカ―みたいな、フワーみたいな」感覚に見舞われるも、神からの具体的な指示はない。そこで、
「取り急ぎTwitterなるものを始める。川柳に関する疑問は #教えてパチョピスコス で我に質問せよ」

パチョピスコスというネーミングの由来だが、川柳は難しくものではなく「パッとやってチョッとやってピッでできる」ということらしい。そういえば以前「川柳は紙と鉛筆があればできる」なんて言われていましたね。
芳賀が紹介している「僕は川柳の営業をやります」という発言は、私もその場にいて聞いていたが、確かに川柳には営業(流通)が欠けている。作品(商品)はあっても、それを売る人がいないのだ。森山は自ら営業マンを買って出た。
「川柳スパイラル」3号の「小遊星」のコーナーでは飯島章友が森山文切と対談している。森山が運営している【毎週web句会】の発信力は半端ではなく、川柳に関心をもつ層がずいぶん広がった。飯島と森山の対談の一部を紹介すると―。

飯島 さて【川柳塔】webサイトを拝見すると、「若手同人ミニエッセイ」の欄があるし、「同人・誌友ミニ句集」の欄では若い人の作品も閲覧できます。このあたり、やっぱり川柳塔としては意識的に行っているんですか?
森山 そうですね。意識的に行っています。おっしゃるように若手を押し出すことで活性化になると思います。人材育成の観点からも若手に積極的に参加してもらっています。若手同人エッセイの担当者はいわゆるアラフォーで、世間一般では中年です。この層がバリバリの若手というのが川柳界の厳しい現状です。私たちより下の世代がもっと増えてくるといいのですが、そのためにも結社内の若手を集めた企画の実施を通して、コアを固めておくことが重要と考えています。

「触光」62号に掲載された「古代ギリシャ柳人 パチョピスコス ―インターネットによる川柳の普及―」を改めて読み直してみると、「教えてパチョピスコス」に寄せられた川柳に関する疑問には次のようなものがあるという。

・結社に入るメリットとデメリットは?
・初心者が句会に出るための心構えは?
・選者制と互選の違いは?
・誌上句会とは何か?

川柳の句会がどういうものか一般にはあまり知られていないようだし、はじめての人が川柳句会に参加するのはけっこうハードルが高いと思われているのかもしれない。
森山の【毎週web句会】は平成28年4月にスタートし、投句者は6人。以下、二回目11人、三回目22人と増えていった。投句者の8割以上は結社に所属するなどの川柳人だったという。
転機は平成30年8月にやってくる。「いちごつみ」を実施したのだ。
前の人の句から一語選んで自分の句に使い、次の人も同じことを繰り返してつないでゆく。尻取りとは違うので、前の句のどの語を選ぶかは自由である。
「いちごつみ」はもともと短歌の界隈で流行っていたので、短歌をしている層の目にとまり、投句者が50名前後に増えたという。
以上のような経験から、森山は川柳の普及に必要な事項を三点挙げている。

・サイトやSNSなどネットなどネットによるアピールは有効である。
・活動を継続すること。
・きっかけを掴むこと。

句会に自足するのではなく、森山のように川柳の発信について戦略的に考える川柳人が現れてきたことは心強い。来年1月19日に開催される「文学フリマ京都」では、「川柳スパイラル」と「毎週web句会」のブースが隣接配置されることになっている。文フリへの川柳の出店がはじめて複数になるが、そのことによって川柳の存在感を少しでもアピールできればいいと思っている。

2019年8月17日土曜日

現代川柳と現代短歌の交差点

9月28日(土)15:00~17:00、梅田蔦屋書店で「現代川柳と現代短歌の交差点」というイベントが開催される。歌人2名と川柳人2名によるトークに簡単な川柳句会とサイン会が付く。岡野大嗣・なかはられいこ・平岡直子・八上桐子という珍しい顔ぶれで、司会は小池正博。梅田蔦屋書店ではこれまでもさまざまなトーク・イベントが実施されてきたが、川柳が加わっての開催ははじめてとなる。

すでに旧聞に属するが、6月25日~7月7日に東京・高円寺で『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』(ナナロク社)の展覧会があった。
私は連句協会理事会に出席のため7月5・6日に東京にいたが、時間の都合がつかずに会場へ行くことができなかったのは残念だった。ネット情報では、歌集に掲載された全217首とともに、詩人・谷川俊太郎の詩、小説家・舞城王太郎による小説、マンガ家・藤岡拓太郎によるマンガなど、コラボ作品が展示されたということだ。
この歌集は木下龍也と岡野大嗣がそれぞれ男子高校生に成り代わって、7日間を短歌で描いた、役割詩による物語だが、興味深いのはその7日間が7月1日~7日であって、展覧会の開催と重なることである。
よく知られている歌集だが、二人の作品を何首か引用しておこう。

まだ味があるのにガムを吐かされてくちびるを奪われた風の日    木下龍也
この夏を正しい水で満たされるプールの底を雨は打てない
ぼくはまたひかりのほうへ走りだすあのかみなりに当たりたくって

近づいて来ているように見えていた人が離れていく人だった     岡野大嗣
本当に言いたいことがひとつだけあるような気があると思います
自販機で何か一匹出てきました持ち帰ったら犯罪ですか

岡野は現代川柳にも理解のある歌人のひとりである。
特に飯田良祐の川柳作品を評価して、ネットで推していただいたことがある。それで2016年7月に「飯田良祐句集を読む集い」を開催したときに、岡野をゲストに招いて話をしてもらった。そのとき岡野が挙げた飯田良祐作品は次のようなものである。

下駄箱に死因AとBがある   飯田良祐
バスルーム玄孫もいつか水死体
ポイントを貯めて桜の枝を折る
母の字は斜体 草餅干からびる
吊り下げてみると大きな父である

「飯田さんのことは、イラストレーターの安福望さんに教えてもらって知りました。飯田さんの句が孕んでいる、早退の帰路にガラ空きの電車から見る夕焼けのような痛みに強く惹かれます」と岡野は語っている。

なかはられいこ句集『脱衣場のアリス』(北冬舎)はもう手にはいらないのかと聞かれることがあるが、もう一冊も余分がないそうで、古本とかアマゾンで買うしかない。
この句集は2001年4月発行で、『現代川柳の精鋭たち』(北宋社、2000年7月)とともに現代川柳が話題になる契機となった。「WE ARE!」3号(2001年12月)に掲載された「ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ」という句は現在でもしばしば取り上げられている。
『脱衣場のアリス』の巻末対談「なかはられいこと川柳の現在」には石田柊馬・倉本朝世・穂村弘・荻原裕幸が参加していて、この時点における短歌と川柳の相互認識を浮き彫りにするものとなっている。特に「えんぴつは書きたい鳥は生まれたい」というなかはらの句に対する短歌側と川柳側の評価の違いは両ジャンルの考え方の差を如実にあらわしていたと記憶している。
その後、なかはらは「ねじまき」句会を発足させ、現在「川柳ねじまき」は5号まで刊行されている。また、『15歳の短歌・俳句・川柳』(ゆまに書房)の編集もなかはらの大きな仕事である。

あいさつの終わりにちょっとつける雪  なかはられいこ
おい森田、そこが夏だよ振りぬけよ
サボテンに赤い花咲くそうきたか

平岡直子は「率」の活動のほか『桜前線開架宣言』(左右社)の収録作品でも注目された。
彼女の批評の冴えは昨年連載の「日々のクオリア」(砂子屋書房)で認められ、最近では短歌同人誌「外出」に参加している。
平岡も現代川柳と交流のある歌人のひとりで、「川柳スパイラル」東京句会にも何度か参加し、実際の句会・実作を通じて交流がある。「川柳とは何か」という抽象的な議論ではなくて、実作を通じて川柳の手ざわりや特性を語り合うことのできる段階にきているのだ。瀬戸夏子と平岡直子、我妻俊樹などの川柳作品集『SH』は文フリでも販売され、川柳としてクオリティの高いものになっている。

蟻の巣に蟻のサクセス・ストーリー  平岡直子
口答えするのはシンクおまえだけ
さかさまの壺が母系にふさわしい
魔女のおふたりご唱和ください
いいだろうぼくは僅差でぼくの影
すぐ来て、と水道水を呼んでいる 
雪で貼る切手のようにわたしたち
星の数ほど指輪のいやらしい用途

八上桐子句集『hibi』についてはこの欄で何度も紹介したが、句集を発行したあと八上はさらに活動領域を広げている。八上桐子、牛隆佑、櫻井周太による川柳と短歌と詩のユニット、フクロウ会議が結成され、最初の作品集『蕪のなかの夜に』が8月末には発行されるという。葉ねかべには現在、八上と升田学のコラボが展示中である。
句集『hibi』は広く話題になり、増刷もされたので、周知のことだろうが、何句か掲載しておく。

そうか川もしずかな獣だったのか   八上桐子
くちびると闇の間がいいんだよ
ふくろうの眼に詰めるだけ詰めて
向こうも夜で雨なのかしらヴェポラップ
歩いたことないリカちゃんのふくらはぎ
その手がしなかったかもしれないこと
藤という燃え方が残されている
からだしかなくて鯨の夜になる

以上四人の表現者たちが短歌・川柳について語り合うことになる。どういうことになるかは当日のお楽しみ。第一部はトーク、第二部は短時間だが川柳句会も行われる。事前投句作品をパネラーが選句して講評する予定。
参加申し込みは梅田蔦屋書店のホームページから。9月28日までにイベントがいろいろあるので、すぐには該当ページが出てこないかもしれないが、9月の分をクリックすればこのイベントが出て来るはず。申し込みのときに、よろしければ雑詠一句を投句してください。念のため、蔦屋書店のアドレスは次の通り。

https://store.tsite.jp/umeda/event/humanities/7751-1431560626.html

2019年8月11日日曜日

地域川柳史への試み

「川柳スパイラル」6号は「現代川柳の縦軸と横軸」という特集で、藤本秋声「京都柳壇伝統と革新の歴史」、桒原道夫「『川柳雑誌』発刊までの麻生路郎」を掲載している。現代川柳の通史はほとんど見られず、地域に特化した川柳史となると斎藤大雄『北海道川柳史』など少数のものしか思い浮かばない。もちろん『番傘川柳百年史』『麻生路郎読本』『札幌川柳社五〇年史』など結社を中心としたものはまとめられており、各地の結社誌にはその地域の川柳史が掲載されているのかも知れないが、なかなか管見に入らない。「川柳カード」8号(2015年3月)には浪越靖政「北海道川柳の開拓者たち」を掲載し、各地域の川柳史に繋げたかったが、あとが続かなかった。現代川柳は通時的・共時的にとらえる必要があると私は思っていて、そのことによって川柳人それぞれの「いま」(現在位置)が自覚されることになる。

藤本秋声は「京都番傘」に所属、個人誌「川柳大文字」を発行し、京都の柳社と柳誌、川柳家列伝などを連載している。「川柳大文字」についてはこの時評でも紹介したことがある(2018年2月25日)が、川柳史の掘り起こしとして貴重な作業であり、「川柳スパイラル」に寄稿をお願いしたところ、さっそく原稿を送っていただいた。ところが、彼は6月に急逝された。4月の「筒井祥文を偲ぶ会」では短時間だったが言葉を交わしたのに、思いがけないことだった。彼の残した仕事に改めて向きあいたいと思っている。

藤本の原稿は次のように書き出されている。
「京都は伝統と革新が共存する町と言われてきた。伝統と革新は対立したものとして捉えがちだが、両者は密接に関係し合い文化は成長発展する。川柳も例外ではない」
「伝統と革新」という捉え方は今日ではあまり使われなくなったが、川柳史を整理するときには必要な視点である。
関西の新川柳(近代川柳)は大阪の小島六厘坊からはじまるが、斎藤松窓(六厘坊の学友)や藤本蘭華などが京都における草創期の川柳人である。大正期に入り「京都川柳社」が創立され、以後「平安川柳社」による統合まで、京都柳壇の本流となる。「京都番傘」は昭和初期に創立され、紆余曲折を経て現在に至る。藤本は伝統系・革新系のさまざまな柳社と川柳誌の消長を丁寧に記述している。
私が特に興味をもったのは、川井瞬二を中心とする戦前の革新系の川柳人の動向である藤本はこんなふうに書いている。
「舜二は伝統川柳からの脱却を訴え、詩性川柳を唱えた。舜二の試みはまったく新しいもので『木馬』の川柳革新運動は揶揄する者、賛同する者ある中、概ね京都柳界では将来への希望として歓迎されたようだ。昭和7年『川柳街』は『木馬』『川柳タイムス』らと合併して『更生・川柳街』となり、京都川柳社、京都番傘を凌ぐ京都で最大の柳社となる。舜二は革新の先鋒となり多くの若い作家に影響を与えるが、翌年病死する」
「最も舜二の影響を受けたのは宮田(堀)豊次であった。舜二の川柳観は宮田兄弟らの『川柳ビル』に受け継がれる。戦後は新興の結社を巻き込み、昭和32年の京都柳界統合の『平安川柳社』に至る」
藤本の個人誌「川柳大文字」のすごいところは、川柳史の記述だけではなくて、そのもとになった資料(川柳誌のコピー)が添えられているところにある。以前私は堀豊次に「川柳ビル」は手元にありますかと尋ねたことがあるが、一冊も残っていないということだった。それが、藤本にもらったコピーで一部だけではあるものの、目にすることができたのは嬉しかった。
ここでは川井俊二と安平陸平の作品を紹介しておこう。陸平は「川柳ビル」同人で、33歳で夭折した川柳人である。

口笛にふと寂しさが吹けてゐる    川井瞬二
断髪のある日時計が動かない
壁にゐる俺はやつぱり一人かな
時計屋の十二時一時九時六時
戦争の悲惨さを知り恋を知り
恋人の背中をたたけば痩せてゐる五月
蜥蜴颯つと背筋に白い六月よ

子猫が足らんと親猫泣いている    安平陸平
その鞭はその鞭は我が鼻の先
蛇の舌あくまで嫌はれやうとする
大きな蜘蛛は大きな巣を作り
馬―カツと馬子を蹴るかも判らない
長い指短い指で五本ある
散る櫻私は何も思はない

次に大阪の川柳史に移ろう。
桒原道夫の文章は次のように始まっている。
「麻生路郎は、社会を対象とする『川柳雑誌』を大正13年2月に発刊し、川柳の社会化に邁進した川柳人である。本稿では、『川柳雑誌』を発刊するまでの路郎の歩みを、路郎が関わった雑誌や人物を通して概観する」
川柳塔社からは『麻生路郎読本』がまとめられているが、『麻生路郎読本』については2010年11月12日の時評で取り上げている。
桒原の原稿は麻生路郎の交友関係をたどることによって、大阪川柳史をカバーするものとなっている。地域川柳史といっても、大阪・京都・神戸は影響しあっており、人的交流も分けられない面がある。斎藤松窓の名は藤本と桑原の文章の両方に出てくる。
大阪の川柳史は比較的なじみのあるもので、川上日車や木村半文銭は私好みの作家である。
桒原の引用している作品を挙げておく。

マツチ擦つてわづかに闇を慰めぬ     青明
堪へ難し野に入り森を出て又野     半文銭
よりかゝる鉄柵に湧く淋しさよ     路郎
日曜を秋となり行く日のさびし     五葉
鐘の音に夏と秋とが離れゆく      由三
戀せよと薄桃色の花が咲く       龍郎

龍郎は岸本水府。引用句に「淋しさよ」「さびし」などの語が出てくるのは、主観句の時代だったからだろう。
日車と半文銭は、大正12年2月、「小康」を発刊する。路郎も誘われたが、断っている。桑原がその理由を挙げている部分が興味深い。

・「雪」「土團子」「後の葉柳」と雑誌を出して失敗した苦痛を繰り返したくない。
・川柳を知っているという社会の一部の人達を相手にして雑誌を出すことは不賛成である。
・短歌や俳句の域にまで芸術的価値を認めさせるべく、川柳を知らない人に川柳を読ませる必要がある。
・芸術的なものを残そうとするなら、日車、半文銭、森田森の家、路郎の四人だけの作品を発表する雑誌でよい。
・立場の違う人まで引き込んで「小康」を発刊するのは、結果が分かっているので、行動を共に出来ない。

以上、藤本と桒原の文章によって京都と大阪における近代川柳史を見てきたが、関西に限っても結社と川柳誌の興亡はより多岐にわたっている。ベテランの川柳人は手持ちの客観的資料に基づいて記録を残しておく必要があるし、若き研究者による近現代川柳史の探求が待ち望まれている。

2019年8月2日金曜日

「川柳カモミール」第3号

青森県八戸市で発行されている川柳誌「カモミール」(発行人・笹田かなえ)のことは創刊号のときに紹介したが、このほど第三号が発行された。三浦潤子・守田啓子・細川静・滋野さち・笹田かなえの各20句に吟行の記録が付く。また、一句評を羽村美和子と飯島章友が書いている。結社ではなく、数人のグループによる川柳の発信として注目され、いま川柳の世界でどのような作品が書かれているかを知る手がかりとなる。以下、五つの観点から紹介してみたい。

1 私性の表現

夏の私はスイカとキミで出来ている   三浦潤子
私のふちにご注意こわれます      守田啓子
僕が子宮にいたころの話だよ      細川静
ベンガラ塗って下さい 私の骨らしく  滋野さち
わたしにはりんごをくれるひとがいる  笹田かなえ

「私性川柳」という言い方がいまどのような範囲で使われているか分からないが、「私」の表現はかつて現代川柳の一角を占めていた。作者の生活や人生の直接的表白として重視されていたのである。ただ、「私」の表現といってもそのカバーする領域は広いから、日常生活の一場面における感慨からはじまり、病気や貧困などの深刻な苦悩の表現、心の深部へ向かう探求、「虚構の私」を用いた作品に至るまで、さまざまなレベルが考えられる。掲出の作品が従来の境涯句としての「私」をどのように乗り越えているかが読みどころだろう。
一人称の「私」や「僕」が頻出するのは現代川柳の特徴のひとつだが、「私」にもさまざまなニュアンスがある。作者自身と重なるような私小説的「私」は本誌ではもはや見られない。

2 ペアの思想

樹木希林と内田裕也とまぜご飯     三浦潤子
枝垂れ桜だからセクハラじゃないから  守田啓子
抱いていたのは女だったか火蛾だったか 細川静
名月やレトルトですかナマですか    滋野さち
カラスウリ熟れたか指狐泣いたか    笹田かなえ

AとBという二つのものが対になっている表現も現代川柳ではよく見られる。これを私は「ペアの思想」と呼んでいる。何と何をペアにするか。また、「AですかBですか」という川柳ではよく使用される文体をどのように崩してゆくのか。そういう観点か読むと「AだからBじゃないから」という文体には新鮮味があった。いずれにしてもAとBの取り合わせに飛躍感がないとおもしろくなくなる。

3 批評性

文民統制出来ても怖いミルクチョコ    滋野さち
てぶくろ買いにシリアに行ったままの子は
王子の陰謀油まみれで漏れてくる

五人の中でもっとも批評性のある作者が滋野さちだ。ここでいう「批評性」とは「社会性」ということで、時事川柳の文芸性をどのように維持するかという課題に向き合うことになる。鶴彬の名を挙げるまでもなく、社会性は川柳の本道のひとつだ。
滋野は「川柳スパイラル」6号のゲスト作品でも、次のような作品を発表している。

まっさきに巧言令色と叫ぶ   滋野さち
恩赦かな車の傷が治っている
爆買いのステルス一機竜宮へ

4 ことば遊び

ヤリイカまいかユリイカの川上弘美    守田啓子
リンゴゴリララジオここからは侵入禁止  守田啓子
これがこぶしのこぶしなんだというこぶし 笹田かなえ
いささかのいさかいあって午後の坂    笹田かなえ

従来の現代川柳では「狂句の否定」の歴史から「ことば遊び」が忌避されてきたが、最近では言葉のおもしろさを主とする作品も書かれるようになった。
語頭韻や脚韻、尻取りなどは雑俳の手法だが、これを遊戯的なものとして排除することは、逆に川柳を痩せたものにしてしまうことになる。
三句目は漢字を使って書くと「これが辛夷の拳なんだという小節」とでもなるのだろうか。

5 詩的飛躍の現在

飛びますか摺ますか  冬      守田啓子
スサノヲノミコト重機のアーム 夏  笹田かなえ
ひんやりと桃の果肉が喉へ そして  三浦潤子
ヒトになる途中で産まれたの あたし 三浦潤子

一字あけの部分に飛躍があるはずである。守田の句の「冬」は二字あけ、笹田の句の「夏」は一字あけとなっている。守田は空白部分の距離感を視覚化したいのだろう。
三浦の句の「そして」「あたし」のような書き方も川柳ではよく見かける。題詠で「そして」とか「きっと」とかいうような題が出ることもある。ただ、こういう書き方が思わせぶりであったり、問いにたいする答えであったり、季節の状況説明であったりすると、それが効果的かどうかは疑問だ。
私はこういう一字あけには否定的である。

マヨネーズの逆立ち もうちょっと生きる 三浦潤子

この一字あけが成功しているかどうかは微妙だ。
「マヨネーズの逆立ち」という物に即して「もうちょっと生きる」という思いを陳べていて、両者がぴったり重なるところが共感されたり、もの足りなかったりする。意地悪な読者には多少のズレがあったほうがおもしろい。
詩的飛躍は一字あけなしでも表現できるはずである。

青空の痛み外反母趾の青   守田啓子
この夜の向こうに鶴の恩返し 笹田かなえ

2019年7月27日土曜日

『武玉川』のことなど―川柳誌7月号逍遥

「風」113号(2019年7月)は第20回風鐸賞発表。正賞・山田純一、準賞・林マサ子と森吉留里惠。山田と森吉は十四字作品で、林は十七字作品で受賞している。
「風」(編集発行・佐藤美文)は十四字の顕彰に力を入れている。巻頭の「誹諧武玉川の十四字詩」(四篇)には次のような作品が掲載されている。

文が流れて仕廻ふ曲水
闇をつかむハ恋のはじまり
印籠ばかり光る上人
けふも長閑で青い掌
案じる事の知れぬ関守

七七句(短句)のことを川柳では十四字と呼んでいる。『誹諧武玉川』については田辺聖子著『武玉川・とくとく清水』(岩波新書)をはじめ諸書が出ている。ちなみに田辺聖子の本では最後に『武玉川』から次の句が挙げられている。

逢はぬ恋人に噺して仕廻けり

これは五七五形式だが、『武玉川』には両形式が収録されていて、それぞれ興味深いものがある。
「風」の十四字作品から森吉留里惠と本間かもせりの句を紹介しておく。

苦し紛れにすがる三角      森吉留里惠
いのちが匂うなまぐさいなあ   
エラスムスから学ぶ韜晦
メビウスの輪の見せぬハラワタ
思い詰めてか陽が昇らない

星は午睡の託児所に降る     本間かもせり
スマホが花で満たされてゆく
人という字はやや尖ってる
となりの窓も窓を見ている
廃線しても駅前という

「川柳の仲間 旬」224号(2019年7月号)。川合大祐が人名を使った作品を発表している。

かまいたちどれがさびしい星野源   川合大祐
校長にジャガー横田の霊憑る
パズル解く樋口可南子の庭先で

人名はその時代を彩る記号として便利でもあり、様々な使い方ができる。
すでに渡辺隆夫に「桃すもも咲う八千草薫さま」「かなでは切れぬ樋口可南子かな」などの句があり、効果的なだけに安易な使いすぎは禁物だろう。「旬」の前号に川合は「前半が白鯨だった京マチ子」を発表していて、これは京マチ子の訃報以前に作られたということだ。固有名詞の喚起力は読む人によって異なる。

鳥葬に間に合うようにバスに乗る    桑沢ひろみ
カエル鳴く宇宙は無限だから嫌     大川博幸
私はなるべく納豆とお喋りしたい    千春
まあいいか味方はいないほうがいい   樹萄らき
みんな来て蝉の主張を聴いている    丸山健三

「川柳草原」105号(2019年7月)から。

いちじくの葉をそんな使っちゃいけないわ 岡谷樹
ここへおいでと逃げ水の赤い爪      みつ木もも花
リア充と思いますかと聞いてくる     木口雅裕
気まぐれな空 タピオカが降る三時    オカダキキ
駅前通り日曜画家の沙羅双樹       藤本鈴菜
天日干ししよう熟考してみよう      竹内ゆみこ
風紋は束の間 誘惑に嵌る        山本早苗
火の鳥を抱けば爛れるひだりむね     中野六助

「凜」78号(2019年7月)。
巻頭言で桑原伸吉は「戦後七十四年の歳月は戦争を知っている世代の減少、メディアも一時的な報道だけで、戦争そのものも薄い存在になってしまった」と述べたあと、次の二句を並べて掲載している。

戦後という夾竹桃が胸に咲く   墨作二郎
夾竹桃零れて語り部は熱い    桑原伸吉

「川柳北田辺」105回(2019年7月)。
くんじろうの巻頭言(「放蕩言」)は「筒井祥文はふらすこてんをどう読んでいたのか」。
くんじろうはまた、筒井祥文55句(平成27年度作品から)を選んで掲載している。盟友とはかくあるべきだろう。

木馬から馬が出た日が誕生日    筒井祥文
さようなら自分の舌を舐めておけ
見わたして高い鼻から摘んでゆく
さる件で弓道部から狙われる
そのうちに外す梯子が掛けてある
いい知恵が出ずにゴジラは火をふいた

2019年7月21日日曜日

『藤原月彦全句集』(六花書林)

龍一郎と月彦
2000年ごろ、欠かさず読んでいたブログに正岡豊の「折口信夫の別荘日記」と藤原龍一郎の「電脳日記 夢見る頃を過ぎても」があった。この二つからは多大な刺激を受けた。当時私は「きさらぎ連句会通信」という連句を中心にしたフリーペーパーを出していたが、それを最初に認めてくれたのもこの両人だった。
藤原の話を実際に聞いたのは「川柳ジャンクション2001」のときだったと思う。『現代川柳の精鋭たち』(北宋社)をめぐってのシンポジウムで、パネラーは荻原裕幸・藤原龍一郎・堀本吟。
そのときの記録によると、藤原は川柳についてこんなふうに発言している。
「好きで三十年も関わってきた短詩型文芸のなかに、まだ自分がまったく足を踏み入れていない領域がこれだけ広大に広がっているというのがすごくうれしかった。そこには評価する部分と同時に不思議に思う部分がありました」
藤原は評価する部分として
①世界を批評する姿勢②日常に陰翳を発見する視線③季語的な既成イメージに依りかからない表現意志④定型への疑い⑤洗練を拒否する文体
の五点を挙げた。逆に疑問に思ったこととしては
①参加者の平均年齢が高い②題詠で作られる作品の不思議③筆名の不可解さ(号はギミックなのか)④単行作品集の少なさ⑤現代仮名づかい
が挙げられている。そして最後に
俳人には「上がり」があるが川柳作家には「上がり」がない
と述べた。「上がり」とは大新聞の選者になるなどの最終ステイタスということだろう。
『現代川柳の精鋭たち』についての感想であり、18年前の発言なので、いま藤原が同じ感想をもっているかどうかは分からないが、川柳をめぐる状況が変わった部分もあり変わらない部分もあることだろう。
藤原の著書では『短歌の引力』(柊書房)も熱心に読んだ。中国の戦地から「アララギ」に短歌を送り続けた渡辺直己を「前線歌人というギミック」」として論じた文章など印象に残っている。あと、手元にある藤原龍一郎の歌集から引用しておこう。

乱歩はた荷風の虚無と快楽と綴り尽くさば美貌の都
百年の孤独ぞ驟雨の東京を切り裂きジャックのごとく歩めば
〈私〉という存在を端的に蟲喰花喰蟲と喩えて
赤光の茂吉にまたぎ越えられて腐り腐りて今日の赤茄子
直喩より暗喩こそふさわしきかな歌姫中森明菜・病葉

歌人・藤原龍一郎が俳人・藤原月彦であることは承知していたが、私にとって彼はまず歌人として現われたことになる。
私は「豈」の同人なので、彼の作品は「豈」誌上で読んでいたし、「里」では媚庵の名で作品を発表しているのも承知していた(媚庵はトランペッターにして小説家ボリス・ヴィアンをもじったものだろう)。しかし、『王権神授説』の存在は一種の月彦伝説として霧の彼方に存在していた。今回、『藤原月彦全句集』(六花書林)の刊行によって、月彦の作品はようやくその全貌をあらわしたことになる。

右眼・左眼

少年の左眼に映るは椿事ばかり
邪恋かな射手座に右の瞳を射られ

右眼と左眼に映っているのは別の世界かもしれない。見えているのは現実だが、現実に覆い被さるようにしてもうひとつの別の世界が見えているとしたら、世界は二重の存在構造になってゆく。少年の左眼に映っている椿事とは何だろう。日常とは別の何かが見えているに違いない。
幻想を見るのが左眼だとも限らない。射手座に射られた右眼は見えなくなるのかも知れないし、今まで見えなかったものが見えるようになるのかも知れない。

虚構の家族

駆落ちの姉の声聞く桜闇
壜詰めのエロス金曜物語
致死量の月光兄の蒼全裸
夭折の兄かもしれず海蛍
憂国や未婚の亡兄の指を咬み

三句目は「蒼全裸」に「あおはだか」のルビ。五句目は「亡兄」に「あに」のルビ。
エロスは禁じられることによって本物の恋に変質する。伊勢の斎宮に対する恋や三島由紀夫『豊穣の海』第一部「春の雪」における恋など枚挙にいとまがない。
兄の指を咬むのは愛咬・あまがみだろう。しかも、この兄は夭折したようだ。
虚構の家族を詠むことは短詩型文学にしばしば見られるが、ここには濃厚なエロスが漂っている。
『俳句世界1エロチシズム』(1996年8月、雄山閣)に歌仙「砂熱し」の巻(前田圭衛子捌き)が収録されている。発句は「砂熱し来いというから来てみたが」(上野遊馬)。そのウラの二句目・三句目はこんなふうに。

 エロスの羽は壜詰めのまま  正博
少年の髭うっすらと泣けるごと 麗

こういう世界はすでに藤原月彦が表現していたのだった。

アルンハイム世襲領
ポーに「アルンハイムの地所」(The Domein of Arnheim)という小説がある。
莫大な遺産を手にした男が理想の庭園(領地)を作りあげる話である。
自然は完璧ではない。人工の手を加えることで完全なドリームランドを作りあげるというのだ。
シュールレアリスムの画家・マグリットはこの小説にヒントを得て「アルンハイムの領地」を描いた。断崖の稜線に鳩が羽を広げた姿が描きこまれているシュールな絵である。画面の手前には卵のある鳥の巣が置かれている。
江戸川乱歩の「パノラマ島奇譚」にもポーの小説の影響があると言われる。
そして、わが藤原月彦は俳句によって「世襲領」を構築している。

ジンと血の匂いて世襲領に夏
炎天の花から肉へ孵るダリ
亡命の日よりの姉の夢遊病
乱歩忌の劇中劇のみなごろし
遠雷を神々の訃とおもうべし

マグリットではなく、ダリの名が出て来るが、「内乱の予感」などのシュールな絵は作者の脳裏に揺曳していたに違いない。最後の句は「神々の黄昏」を表出したワグナーであろうか。月彦の脳裏にはさまざまな表象が浮かんでは消えていったのだろう。

貴腐

此処過ぎてまたひとり減る花野行
赤黄男忌の世界の大部分は雨
剃刀を泉にあらふ夢のあと
ひかりごけ塗りて聖夜の遊びなる
兄妹羽化しつつありあかずの間

第二句集『貴腐』、中島梓の解説がいい。
「藤原月彦は、形に耐えかねて無形に逃れる徒輩ではない。しかしまた、彼は、足を踏みそこね、踏み出しすぎ、あるいは踏みはずすことを恐れて、手を拱いて伝統の内に立ちつくすたぐいの俳人でもない。彼は、わずか十七文字のうちに、観念を、思惟を、美学をすら導き入れるにためらわぬだけの、勇気と、大胆さと、そして力量とをかねそなえている。彼にとって、十七文字のミクロコスモスは、そのひとことひとことに全世界をもはらみうる、フェッセンデンの宇宙となった」
「フェッセンデンの宇宙」はSFで、実験室で作られた人工の小宇宙。
年譜によると、1983年から1988年まで藤原は秦夕美との二人誌「巫朱華」(プシュケと読むのだろう)を発行していたという。

魔都
久生十蘭の推理小説に『魔都』がある。
魔都と呼ばれる都市には東京や上海などがあるが、藤原は句集『魔都 魔界創世記篇』『魔都 魔性絢爛篇』『魔都 美貌夜行篇』を出している。1920年代の探偵小説誌「新青年」を連想させ、タイトルを眺めているだけで楽しいではないか。

梔子の闇かと問へば否と応ふ
卯の花腐し美少年腐し哉
人撃たれ唐突に花野となりぬ
どこまで歩けば空蟬を棄てられる
妖かしの春の橘外男かな

驚くべきことに藤原は『魔都』という句集を百冊だすことを構想していたらしい。
「私は今までに、『王権神授説』『貴腐』『盗汗集』なる三冊の句集を上梓し、『パラダイスそして誰よりも遠き夕暮』と『迦南』という未刊句集をもっているが、この『魔都』は、それらの独立性ある作品集とは異なり、大河大ロマン句集の第一巻として、刊行するものである」「とりあえず全100巻と予告しておくが、このような構想が、俳句史上、空前絶後であることはまちがいない」
バルザックの人間喜劇やフォークナーのヨクナパトーファ・サーガに匹敵するような世界の構築を俳句で行なおうとする壮大な試みであろう(藤原が挙げているのは、栗本薫のグイン・サーガと半村良の『太陽の世界』)。それは三巻で終わったけれど、こんなことを考えた人は他にはいない。

1970・80年代と2010年代

ポー、澁澤龍彦、江戸川乱歩、三島由紀夫などこの句集にはブッキッシュなイメージが散りばめられているし、70年代に残っていた「革命的ロマン主義」の匂いもする。
刊行された時代の反映もあるが、いま全句集として出されることによって現代の句集としてどのように読まれるのか、興味深いところだ。「BL俳句」の先駆的な部分もあり、句集によってひとつの世界を構築するというやり方は現代性を失っていないと思われる。