2018年7月13日金曜日

仙台連句紀行

短歌誌「井泉」82号(2017年7月)の招待作品として広瀬ちえみの川柳15句が掲載されている。広瀬が「井泉」に寄稿するのは17号(2007年9月)に続いて二度目である。今回の作品から4句紹介する。

たまたまもまたまたもあり鳥墜ちる     広瀬ちえみ
土砂降りを贈ってしまうこちらから
あちらからどうぞともらう雨上がり
咲くときは少しチクッとしますから

6月24日、第12回宮城県連句大会に参加するために仙台へ行った。
大会の前日に仙台入りをして、宮城県連句協会の狩野康子、永渕丹ご両人の案内で仙台周辺を回った。
まず、荒浜小学校に連れて行ってもらった。東日本大震災のときに地域住民が避難した小学校で、現在は震災遺構として公開されている。震災前は海岸に松林が広がり、茸採りなどもできたというが、松の多くは流され立ち枯れていた。校舎4階の教室は展示のほか写真や映像で災害の様子を知ることができる。職員や自治会の方の証言が生々しく伝わってくる。屋上にあがるといまはおだやかな海岸の様子が見渡せる。震災のときはこの屋上に数百人が避難したのだ。

仙台は島崎藤村が一年ほど暮らしていた街である。
藤村に「潮音」という詩がある。「わきてながるる/やほじほの/そこにいざよふ/うみの琴/しらべもふかし/ももかはの/よろずのなみを/よびあつめ/ときみちくれば/うららかに/とほくきこゆる/はるのしほのね」
のちに藤村はこんなふうに書いている。
「仙台の名掛町というところに三浦屋という古い旅人宿と下宿を兼ねた宿がありました。その裏二階の静かなところが一年間の私の隠れ家でした。『若菜集』にある詩の大部分はあの二階で書いたものです。あの裏二階へは、遠く荒浜の方から海の鳴る音がよく聞こえてきました。『若菜集』にある数々の旅情の詩は、あの海の音を聞きながら書いたものです」(『市井にありて』)
いま仙台駅東口に「藤村広場」が整備されていて、「潮音」や「草枕」の詩碑が建っている。藤村が向き合った荒浜と震災の荒浜、その落差に衝撃を感じる。

小学校をあとにし、芭蕉の足跡をたどって、「二木(ふたき)の松」(武隈の松)に行った。
『奥の細道』には次のように書かれている。

「武隈の松にこそ目さむる心地はすれ。根は土際より二木にわかれて、昔の姿うしなはずとしらる。先、能因法師思ひ出づ」

桜より松は二木を三月越し    芭蕉

「松」と「待つ」の掛詞、「二」と「三」の数、「三月(みつき)」に「見」を掛けている。
松はすでに代替わりしていて、私が見たのは芭蕉が見た松そのものではないが、雰囲気は味わうことができた。

そのあと笠島道祖神へ。
藤原実方がこの道祖神の前を馬に乗ったまま通ったので、神罰を受けて落馬、死亡したという伝説があり、その近くに実方の墓と伝えられるものもある。
芭蕉は笠嶋には行けなかった。五月雨で道が悪かったからである。

笠島はいづこ五月のぬかり道   芭蕉

芭蕉が笠島に行けなかったのも俳諧であり、私が行けたのも俳諧だろう。

翌日は連句大会の当日である。
54巻の応募作品があり、狩野康子氏と私がそれぞれ五巻ずつ選んだ。
選評で私は「半歌仙の可能性」について話した。
この募吟は半歌仙という形式だが、従来、半歌仙は歌仙の半分の形式、時間の制約などで歌仙が巻けないときに半分でとどめておくというような、中途半端な形式であると言われてきた。歌仙では一の折、二の折の変化のおもしろさが読みどころだが、半歌仙には表・裏しかなく、恋も一か所で、一花二月、十分な変化や展開をおこなう余地がないというわけである。けれども、今回、選者をさせていただくに当たって、歌仙の半端ものとして半歌仙をとらえるのではなく、半歌仙の独自の可能性は考えられないかと思った。
私が選んだ作品のうち、二巻の発句と脇だけ紹介しておく。なお、応募作品54巻は「第十二回宮城県連句大会作品集」としてまとめられている。

暮遅し韻を踏んだとほ乳類  (「Deadline」の巻)
 ジャズの譜面の如く金縷梅

あがりこは紅葉す夜のかくれんぼ (「あがりこは」の巻)
 かぼちゃの馬車でやってくる月

最後に狩野康子の句集『原始楽器』(2017年2月、文學の森)から10句紹介しておく。狩野は著名な連句人であるが、俳句では「海程」に所属している。

水温む今日の輪廻はひとり分    狩野康子
菜の花と鳩の鈍感楽しめり
まむし草原始楽器のごと叩く
口中の海胆に針あり宿敵なり
冷蔵庫に己が鋳型がありそうな
冥いとは先頭の鵜のつぶやき
満月の暗部縫合せんと思う
誤読する自由りんごを丸齧り
冬の蔵に入る流体となるために
無一物鷹を名告れば鷹となる

2018年7月7日土曜日

「オルガン」の五人が大阪にやって来る

すでにイベント情報が公開されているが、俳誌「オルガン」の宮本佳世乃・鴇田智哉・田島健一・福田若之・宮﨑莉々香の五人が大阪にやってくる。
7月21日(土)に関西現俳協青年部勉強会「句集はどこへ行くのか」、22日(日)には梅田蔦屋書店で公開句会が開催される。
21日の勉強会では句集についての話が中心になるようなので、手元の句集を読み直している。句集の話は東京ではすでに語られていることだろうが、関西では新鮮だろう。「オルガン」のメンバーのほかに久留島元や牛隆介、岡田一実、川柳人の八上桐子、五七五作家の野口裕が話題提供者として参加するのも興味深いところだ。八上は『hibi』、野口は『のほほんと』という句集を出している。

鴇田智哉の『こゑふたつ』(2005年8月、木の山文庫)『凧と円柱』(2014年9月、ふらんす堂)の二冊の句集から、それぞれ三句ずつ抜き出してみる。

凍蝶の模様が水の面になりぬ     鴇田智哉『こゑふたつ』
こゑふたつ同じこゑなる竹の秋
をどりゐるものの瞳の深みかな

春めくと枝にあたつてから気づく   鴇田智哉『凧と円柱』
人参を並べておけば分かるなり    
円柱の蟬のきこえる側にゐる

蝶の模様が水面に変容する。二つの声の同一性。踊る人の瞳。
客観が主観にかわる、その間のようなものをとらえようとしているのだろう。
いかにも俳句フィールドで書かれている作品だと思う。「竹の秋」は春の季語、「竹の春」は秋の季語とは連句初心のころに習ったが、なぜ「竹の秋」なのか。川柳人ならここに別の言葉を置くだろう。
『凧と円柱』の三句は季語に違和感なく読める。「人参」の句の省略感は川柳人にも親しいものだと思う。

宮本佳世乃は平成29年度の現俳協新人賞を受賞している。彼女の句集『鳥飛ぶ仕組み』(2012年12月、現俳協新鋭シリーズ)を読み直してみて、ひとりでいることと、二人でいることについて改めて考えた。

二人ゐて一人は冬の耳となる    宮本佳世乃『鳥飛ぶ仕組み』
郭公の森に二人となりにけり

一人が「冬の耳」となったのなら、もう一人は何になったのだろう。
郭公の森で二人となったのなら、その前はどうだったのだろう。
物語を作ってはいけないのだろうけれど、書かれていない部分を読む楽しみがある。

田島健一『ただならぬぽ』(2017年1月、ふらんす堂)については昨年話題になったし、シンポジウムも行われた。私もこのブログ(2017年1月27日)で取り上げたことがある。

蛇衣を脱ぐ心臓は持ってゆく    田島健一
骨は拾うな煙の方がぼくなんだ   海堀酔月

こう並べてみると発想の共通点と同時に俳句と川柳の手ざわりの違いが何となく分かる。

ふくろうの軸足にいる女の子    田島健一『ただならぬぽ』
鶴が見たいぞ泥になるまで人間は
見えているものみな鏡なる鯨
雉子ここに何か伝えにきて沈む
なにもない雪のみなみへつれてゆく

福田若之『自生地』(2017年8月、東京四季出版)も昨年評判になった句集である。句の前に散文の詞書がついていて、作品と同時に句集を編みつつある作者の姿が書かれている。work in progressのような感じで、作品が書かれた時点と作品を編集している時点との時間の差が意識される斬新な句集だ。だから、本当は一句立てで引用するのはむつかしいのだけれど、五句挙げておく。

さくら、ひら つながりのよわいぼくたち  福田若之『自生地』
ヒヤシンスしあわせがどうしてもいる    
突堤で五歳で蟹に挟まれる
ひきがえるありとあらゆらない君だ
てのひらにかかしのいないわかれみち

宮﨑莉々香にはまだ句集がないので、「オルガン」から次の二句を挙げておきたい。

かもめすぐ春になりきれないからだ     宮﨑莉々香(「オルガン」9号)
ほたるかごみえないものがすべてこゑ         (「オルガン」10号)

ここまで「オルガン」の五人の句を挙げてきたが、よくわからない句も多い。句を読むときに、わかるとかわからないとかいうことが、そんなに大切なのだろうか、という気もする。

2018年6月29日金曜日

小津夜景『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』

小津夜景『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)が好評だ。
昨年、田中裕明賞を受賞した小津の句集『フラワーズ・カンフー』には李賀の漢詩と取り合わせた俳句が掲載されているし、ブログ「フラワーズ・カンフー」にもときどき漢詩にふれた文章がアップされているので、彼女が漢詩についてなみなみならぬ造詣の持ち主だということがうかがえる。漢詩をめぐるエッセイで一書を刊行するという広告を見たときには、なぜ俳句ではなくて漢詩なのかということが、いまひとつピンとこなかったが、本書を読んで小津が半端ではない漢詩読みなのだということがわかった。
本書の「はじめに」には編集者との次のような対話(架空対話?)が書かれている。

「あの、漢詩の翻訳をやってみませんか?」
「無理です。漢詩、よく知らないですし」
「あ、それはたいへん好都合です。さいきんは漢詩を読むひとがめっきり減ったでしょう?あれはふだんの生活と漢詩とのあいだの接点が、みなさん摑めないからなんですよ」
「あなたのような専門家ではないふつうの一読者が、日々の暮らしの中でどんなふうに漢詩とつきあっているのかを語ることにこそ、今とても意味があると思うのです」

これが本書のスタンスであり、漢詩それ自体のことだけを語るのではなくて、著者の暮らしや短歌、俳句、連句などの文芸のことから語りはじめるという書き方になっている。たとえば、冒頭の「カモメの日の読書」という章では、杜甫の詩の一節「天地一沙鷗」のあと、こんな文章が添えられている。

トレンチコートの襟を立てて、風よけのサングラスをかけ、ポケットに文庫本をつっこんで、わたしたち夫婦は日あたりのよい海ぞいを散歩する。
「かわいい。カモメ」
「うん」
「三橋敏雄に〈かもめ来よ天金の書をひらくたび〉という俳句があってね」わたしは言う「これ、本をひらいたときのかたちが白い鳥に似ていることの意味を重ねているんだって。天金をほどこした重厚な本をひらくたびにあらわれる、純白のカモメ。なんだか胸が高鳴らない?」

本書は漢詩を入り口としているが短詩型文学全体に目配りのきいたエッセイなのだった。だから、兵頭全郎の川柳「あやとりを手放すときのつむじ風」も出てくるし、大畑等の俳句「なんと気持ちのいい朝だろうああのるどしゅわるつねっがあ」についての柳本々々のコメント(「あとがき全集」)も引用される。
「DJとしての漢詩人」の章では「過去の漢詩のフレーズを一行ごとにカットアップし、まったく新しい一篇の作品として再構築する手法」として「集句」のことが出てくる。カットアップやサンプリングは連句の分野でもおこなわれていて、浅沼璞が『中層連句宣言』(北宋社)や『俳句・連句REMIX』(東京四季出版)で論じているが、漢詩でも王安石が試みていたのはおもしろい。
高啓「尋胡隠君」についての章では、謎彦による連句風の超約が紹介され、さらに紀野恵の短歌連作「君を尋ぬる歌」が引用されている。ちなみに、紀野は連句の心得もある現代歌人のひとりだ。
そういえば、「連句」という言葉は漢詩でも使われている。
鈴木漠『連句茶話』(編集工房ノア)によれば、対話形式の漢詩に「聯句(連句)」があるという。漢の武帝の時代に始まる「柏梁体」である。また、李賀にも柏梁体の漢詩が二編残されている。これは一人で詠む独吟だが、「悩公」はプレイボーイ・宋玉と遊女の対話、「昌谷詩」は李賀自身と侍童との対話である。
また、漢詩と連句のコラボレーションとして「和漢連句」という形式があり、現代でも連句人の一部で実作されている。
『カモメの日の読書』に話を戻すと、本書には漢詩をめぐる翻訳とエッセイ40編と付録二篇が収録されている。漢詩の翻訳は読みやすく清新なもの。付録1「恋は深くも浅くもある」は〈わたしはどのように漢詩文とおつきあいしてきたか〉について、小津の俳句と漢詩との関わりが語られている。付録2「ロマンティックな手榴弾」は〈「悪い俳句」とはいったい何か?〉について、小津の俳句観が述べられている。それぞれ興味深い文章なので、本書を読まれたい。
『カモメの日の読書』は小津夜景のファンだけでなく、短詩型文学に関心のある読者にとって刺激的で魅力あるものに仕上がっている。漢詩も楽しいものだと改めて思った。

2018年6月17日日曜日

「本の雑誌」から時事川柳まで

「本の雑誌」7月号に八上桐子句集『hibi』が紹介されているというので、書店に見に行った。多和田葉子をはじめとする数冊を三省堂書店神保町本店の大塚真祐子が取り上げているのだが、最後に『hibi』についても「言葉の可動域をひろげる希有な作品群」として言及されている。大塚が引いているのは次の句。

「おはよう」とわたしの死後を生きる鳥   八上桐子

『hibi』は刊行されてから半年足らずで完売したというから、川柳句集としては豪勢なものだ。この句集は今後ますます貴重なものとなりそうだ。ひょっとすると書店の店頭にまだ残っているかもしれないので、見かけたらご購入をお勧めする。

ネットプリント「ウマとヒマワリ4」が発行されている。我妻俊樹と平岡直子の二人誌だが、今回は我妻の短歌と平岡の掌編小説という組み合わせ。6月17日までコンビニでプリント・アウトできる。
平岡は砂子屋書房のホームページで「一首鑑賞・日々のクオリア」を連載している。染野太朗との交互連載だが、現代短歌の読みを知るうえで刺激的である。平岡の鑑賞で取り上げられているのは、たとえば6月13日は虫武一俊、6月15日は大田美和。先月のことになるが、5月25日には、なかはられいこの短歌も取り上げられていた。短歌の鑑賞は川柳人にも参考になるはずだ。

ネット連載といえば、春陽堂のWEBサイトで「今日のもともと予報―ことばの風吹く―」が5月から始まっている。柳本々々のことばと安福望のイラストのコラボレーションで、365回続くという。

5月に発行された「オルガン」13号では、白井明大と宮本佳世乃の対談が話題になったが、7月に「オルガン」のメンバーが大阪に来るらしい。すでに7月22日に梅田蔦屋書店で記念トークが開催されることが発表されている。

このように短詩型文学の世界はさまざまに動いており、このほかにも無数の動きがあると思う。言葉の世界に対して現実世界も激しく動いており、この世界はますます生きづらくなってきている。そんな現実や社会を風刺するのが時事川柳である。
俳誌「船団」に芳賀博子が「今日の川柳」を連載していて、すでに42回を数える。6月に発行された117号(特集「山が呼んでいる」)では時事川柳が取り上げられている。芳賀が紹介しているのは青森で発行されている川柳誌「触光」(編集発行・野沢省悟)の時事川柳コーナーである。この欄はかつて渡辺隆夫が担当していたが、現在の選者は高瀬霜石である。芳賀が引用しているのは次のような作品。

「夜空ノムコウ」にはそれぞれの明日    船水葉
「好き」という盗聴マイクらしいから    滋野さち
改ざんも日本の技術だったとは       濱山哲也
教会へ行きますポケットのピストルも    鈴木節子
党名にモザイクかけて立候補        青砥和子

文中に「よみうり時事川柳」のことが出てくる。時事川柳のひとつのメッカだった新聞の投句欄である。東京の紙面では川上三太郎・村田周魚・石原青龍刀・楠本憲吉・尾藤三柳などが歴代選者をつとめ、大阪では岸本水府が選者をしていた時期もある。私の手元にあるのは『時事川柳百年』(1990年12月、読売新聞社編)。70年代~80年代の作品から10句紹介しよう。

一年の計は石油に聞いとくれ     寿泉 昭和49年
五つ子のうぶ声高く春を呼び     春代 昭和51年
鬼ごっこ逃げる年金追う老後     あざみ 昭和52年
秋風にキャッシュカードの面構え   常坊 昭和53年
ニセ物が出てブランドの名を覚え   久直 昭和55年
サラ金と墓場のチラシ抱き合わせ   定治 昭和58年
詐欺商法静かに老いはさせぬ国    駒女 昭和60年
サミットに疲れダイアナ妃に憑かれ  なもなくて 昭和61年
ザル法の穴でうごめくエイズ菌    肇  昭和62年
重い手で静かに昭和史を閉じる    一夫 昭和64年

読んでいるとその時代のことが甦ってくるし、現実政治はいつの時代も苛酷だったこともわかる。私は自分では時事川柳を書くことはほとんどないが、時代の反映としての時事川柳にはそれなりの関心をもっている。

2018年6月2日土曜日

松山と「せんりゅうぐるーぷGOKEN」

松山へは二度行ったことがある。
今年の4月29日、松山で開催された「えひめ俵口全国連句大会」に出席した。
前日の28日に松山入りをして、まず子規庵へ。子規が勉強していた部屋が復原してある。境内に展示してある坊ちゃん列車(伊予鉄道の車体)の座席にもしばし座ってみた。
路面電車に乗って道後温泉へ。ホテルにチェック・インしたあと散策。道後温泉の本館が満員で入れなかったので、新しくオープンした飛鳥の湯の方へ回った。本館の方は昨年入ったので、まあいいか。あと、一遍上人の誕生の地といわれる宝厳寺に行ってみた。時宗の開祖・一遍はこの地の豪族・河野氏の一族である。道後公園内の武家屋敷には武士たちが連歌をしている場面が人形で展示されていて興味深かった。
翌日の朝は早起きして、石手寺に行ってみた。弘法大師ゆかりの霊場である。三重の塔をはじめ立派な建物群である。密教が土俗的なものと結びついている感じがした。マントラ洞窟というのがあり、洞窟に少し入りかけたが、何やら気おくれがして途中で引き返した。中まで入っていけば再生した自分と出会えたかもしれないが、私はまだそういう段階に達していないのだろう。
連句大会は「子規記念博物館」で開催。10分ほど講評の時間をいただいたので、川柳と連句の選について述べながら、類想句について話す。
大会が終わったあと、ちょうど道後公園でイベントがあって、田中泯が樹々の間で踊っていた。

松山の川柳グループが発行している「GOKEN」100号(6月1日発行)を送っていただいた。代表・原田否可立、編集・井上せい子。
原田否可立は1998年に中野千秋らと「せんりゅうぐるーぷGOKEN」を創立。創立時の代表は中野で、編集事務は野口三代子が担当した。代表はのちに原田が引き継いだ。
100号の掲載作品から。

心の中に入って時間にあやつられる   原田否可立
かぎ括弧のなかうやむやのまま五年   村山浩吉
ニーチェニーチェにんふのにがしかた  中西軒わ
緑陰のそうめん流し島流し       井上せい子
欺かれたようねレンゲキンポウゲ    高橋こう子
わたくしの知らぬ私が地下二階     中野千秋
朧月なにかに耐えているような     吉松澄子
五枚目のパンツを脱いでいるレタス   榊陽子

「川柳木馬」111号(2007年1月)の「作家群像」は原田否可立を取り上げている。
「作者のことば」で原田はこんなふうに言っている。
「作品と作者の間に正解があって、それを言い当てるのが分かることである、という脅迫から解放され、正解は作品と読者の間に無数にある、という自由を手に入れよう」
「木馬」掲載の原田否可立作品からも何句か抜き出しておこう。

月食の胃液を泳ぐ泥人形        原田否可立
蟹の背に安心という傷がある
虫絶えて記憶の中の天動説
脱ぎ捨てて下着の中の天秤座
天上天下土筆が袴つけている
涅槃雪悪い奴ほど季重なり
ハイドよりわがままなピッチャーゴロ
サムライだってね キスは怖くないかい
恋は一次産品二元論三段論法
非詩よ詩よ渡部可奈子から逃げる

このときの作品論は中川一と石部明が書いている。
原田の句の中に渡部可奈子の名が出てくるのは興味深い。可奈子は松山の川柳人で、のちに短歌に移った。
付け加えて言えば、前田伍健(まえだ・ごけん)は高松生まれだが、幼児松山に移住。伊予鉄道の社員で、川柳人として活躍した。野球拳の元祖としても知られている。あと、松山には山本耕一路という詩人がいて、詩性のある川柳を書いていたが、川柳界から離れていった。
俳都と言われる松山であるが、松山には川柳と向き合っている人たちもいるのだ。

2018年5月25日金曜日

概念は襲う―清水かおりの川柳

清水かおりの川柳がすごいと思う。
合同句集『川柳サイドSpiral Wave』は昨年1月に第一巻、9月に第二巻が発行されたが、今年4月に第三巻が出て、文フリ東京などで販売された。第三巻のメンバーは飯島章友・川合大祐・小池正博・酒井かがり・榊陽子・清水かおり・兵頭全郎・柳本々々の8名で、各30句が収録されている。
ここでは今回はじめて参加している清水かおりの作品を取り上げたい。

水色のスーツを着ると禁じ手 可   清水かおり

水色は作者にとって好ましい色なのだろう。清水の作品には「水」や「青」のイメージがしばしば登場する。ベースとなるキイ・イメージである。
禁じ手だけれど、水色のスーツを着るとそれは可能になる。周囲のひとには水色のスーツしか見えないが、その人にとっては何かの決意が心奥に隠されている。

欲望とおもう 円周を鍛えたり
本論と呼ぶけどそれは薊だよ

言葉と言葉の関係性が通常の川柳と異なる。
「欲望」と「円周」の秘められた関係(見えない梯子)。詩的飛躍の距離感が大きい。
「本論」と「薊」。次元の違うものを関係づけて一句にしている。抽象的には本論だが、具象的には薊なのだという。意味の伝達を主とする日常言語とは異なった詩的言語を、川柳形式で表現しようとすれば、こんなふうになるのだろう。

「ウミネコです」春の名のりを連呼する
肘までを韻律にして蟹を食う
だらりとね 梅園に蛇 瞠らいて
瑠璃揚羽こっそりもらう磔刑図

ウミネコの句はわかりやすい。
蟹、蛇、瑠璃揚羽などの動物を詠む場合でも、作者の個性的な屈折は顕著である。

夜のラインは斬首に似る詩集
比喩の巻 耳のかたちをこえてゆけ

清水かおりが俳句界でも注目されたのは『超新撰21』(2010年12月、邑書林)収録の「相似形」100句によってだった。そのときの解説で堺谷真人は清水の作品と前衛俳句との形態的類似を指摘している。
清水の作品に多用される一字空けは多行への契機を孕みつつ一行にとどまっているところにスリリングな魅力があると思う。

今年1月の「川柳スパイラル」京都句会で清水の話を聞く機会があった。そのときの対談は「川柳スパイラル」2号に掲載されている。海地大破についての話が主だった。清水は「超新撰21」の大会が東京であったときにも話したことがあるが、と前置きして次のように語った。

私自身は〈「私」のいる川柳〉を書いていますので、「私」から離れたことはありません。「私」から離れる句をいいと思うこともありますが、書くときは一句の中のどこかに「私」がいるんじゃないかなと思っています。

「バックストロークin大阪」(2009年9月)で〈「私」のいる川柳、「私」のいない川柳〉というシンポジウムを行ったことがあるので、清水はこういう用語を使ったのだろう。創作過程からいえば、「私」から出発することは何も悪いことではないし、何らかの内的モティーフがなければ表現は成立しない。けれども、作者の「私」は作中主体の「私」よりもレベルの高い存在であるはずだ。だから、清水の作品に「私」を探しても何も出てこないし、出てきたとしてもそれは卑小な読みになってしまうと思う。

最後に「川柳スパイラル」2号の清水かおり作品を紹介しておこう。

その人も水に映ったままの春    清水かおり
少女来て猛禽のくちまねをする
湯葉すくう「ほら概念は襲うだろ」

湯葉という日常的なものと概念という抽象語が一句のなかで結びつけられている。「概念は襲う」だけだと哲学や現代詩になってしまうが、「湯葉すくう」によって川柳にしている。というより、「湯葉すくう」という生活営為がそのまま「概念が襲う」という感覚に直結している。「すくう(掬う)→襲う」という動詞の働きによって。
いま清水かおりの川柳がすごい。一時期、彼女の作品に停滞を感じたこともあったが、詩性と川柳性を兼ね備えた清水かおり作品をこれからも読めるのは楽しみなことだ。

2018年5月20日日曜日

金襴緞子解くやうに河からあがる(吉村鞠子)

「LOTUS」38号が届いた。昨年7月に亡くなった吉村鞠子の追悼号である。もう10ヶ月も経ったのか。

吉村の第一句集『手毬唄』(2014年7月)が出たとき、この時評でも感想を書いたことがある(2014年8月15日)。「LOTUS」の追悼号は「吉村鞠子を送る(追悼文・追悼句)」「吉村鞠子四百句」のほか吉村の俳句作品についての批評が数編収録されていて、今まで知らなかったこともいろいろ書かれていた。

飲食のあと戦争を見る海を見る   吉村鞠子

田中亜美の追悼文で、この句が現俳協青年部の勉強会「新・題詠トライアル―俳句と川柳の発想の差を探る」(2004年9月)で詠まれた句だということを知った。題は「飲む」。「飲食」は「いんしょく」ではなくて「おんじき」だという。だとすると仏教用語であり、供物やお盆のイメージと重なってくる。

吉村とは数回しか会ったことがないが、その存在を気にかけている俳人のひとりだった。
2006年10月、攝津幸彦没後10年の大南風忌のあとだったか、新宿のジャズ喫茶「サムライ」に行ったことがある。著名な俳人たちのなかで私は片隅で小さくなっていたが、その場には吉村鞠子や田中亜美もいたような気がする。
2009年12月の『新撰21』の祝賀会のときにも吉村に会った。『新撰21』に吉村が入集していないことを私は残念に思っていたが、2014年に句集『手毬唄』が刊行されて不満が解消された気がした。
吉村の俳句についてはよく三橋鷹女→中村苑子→吉村鞠子という系譜が語られる。句集を読んでいてもそのことは自然に意識される。

老いながら椿となって踊りけり     三橋鷹女
屠所遠く踊り惚けて寒椿        吉村鞠子

三宅やよいの作品評「鷹女、苑子、毬子 吉村鞠子句集『手毬唄』を読む」でも三句が並べて引用されている。

春水のそこひは見えず櫛沈め      鷹女
落ちざまに野に立つ櫛や揚げ雲雀    苑子
鳥影や朱夏の地に落つ水櫛や      鞠子

三宅には『鷹女への旅』(創風社出版)という鷹女論もある。
また、三枝桂子は「毬の中のもう一つの系譜」の中で女流の系譜のほかに、富澤赤黄男→高柳重信→高原耕治という多行俳句の系譜があるのではあないかと述べている。
ただ、今度『手毬唄』を読み直してみて、そういう系譜を意識しなくてもよい句の前で立ち止まることがあった。

無花果もこの馬も回遊しない      吉村鞠子
溢れる尾 夜光虫でも海彦でもない
遠近の水冴えゆかむ 鹿とゐた
耳鳴りも海鳴りも脱ぎ蟲の世へ
夜の梅 ゆつくりと真水に還る
釣人までの紫陽花を漕ぎゆかむ
どの神も海を一枚づつ剝がす
鳥よ 仮の世の虹も半円なのか

「LOTUS」には句集『手毬唄』以後(2014年~2017年)の句も収録されているが、句集の完成度が高かったので、なかなかそこから次へ進むのは難しかったのだろうと感じさせる。
『手毬唄』には吉村の書いた「景色」という文章が収録されている(初出「LOTUS」25号)。「吉村さんは、お若いのに恋句を書かないわね」という恩師の言葉に触れて、彼女はこんなふうに書いている。

「恋人と竹林の囁きを聴いていたことがある。晩夏の海で手を繋ぎ、黄落の路を歩き、凩に身を寄せ合う。一喜一憂する思いを俳句にするにはやはり短いということもあるが、その一時は、また五感を刺戟する自然という環境の元に存在する。恋しているからこそ、自然の景色がより鮮明に奏でられる作用はあるが、私は、その景色の記憶を記すことだけに懸命なので、恋句にならないのであろう。その時々の句、たとえば竹林の葉擦れの音や風の匂いは、確かに今も呼び戻せるのだが、相手の顔は、時間経過と共に薄れてゆく。それもまた俳句という形式を借りて描いているからであろうか」

金襴緞子解くやうに河からあがる     吉村鞠子

『手毬唄』には吉村鞠子の俳句形式を通した実存と文学的営為が込められている。大切にしたい句集である。