2017年3月24日金曜日

俳句と川柳の取り合わせ―「川柳ねじまき」第3号

名古屋の「ねじまき句会」から「川柳ねじまき」第三号(発行人・なかはられいこ)が発行された。
巻頭、なかはられいこの20句は「ととととと」というタイトルである。

代案は雪で修正案も雪        なかはられいこ
きんかんとぎんなん次男と長男に  
電柱と岸辺シローは出会えたか
ふくろうとまめでんきゅうが鳴き交わす
無花果と石榴どちらが夜ですか

一読して「取り合わせ」の句だということが分かる。
ふつう取り合わせは俳句で使われる手法である。
なかはらのページのコメントを担当している二村鉄子はこんなふうに書いている。
「取り合わせは即かず離れずのことばとことばを掛け合わせて、思ってもみない効果を生むことを期待して書かれることが多い。読者に対して祈るような気持ちだ。けれど、なかはらの取り合わせは、確信犯的で、バナナのたたき売り的だ」

代案  ― 雪
修正案 ― 雪

きんかん(金柑) ― 長男(あるいは次男)
ぎんなん(銀杏) ― 次男(あるいは長男)

電柱 ― 岸辺シロー(固有名詞)

ふくろう(梟) ― まめでんきゅう(豆電球)

無花果 ― 夜(または昼)
石榴  ― 夜(または昼)

ひらかな・漢字・俳句の季語に相当する語などを使いながら様々なヴァリエーションを展開している。
俳句に限らず、川柳でも取り合わせの句は存在するが、川柳の場合、それは「取り合わせ」ではなくて「飛躍」だと私は思っている。川柳では題詠が多いから、「題」(発想の起点)からどれだけ飛躍するかが腕のみせどころとなる。

妖精は酢豚に似ている絶対似ている   石田柊馬

たとえばこの句の場合、「妖精と酢豚」の取り合わせではなくて、「妖精」という題から「酢豚」に飛躍したのだ。しかし、「AとBの取り合わせ」と「AからBへの飛躍」は結果的に区別のつかないものになってしまう。
今回のなかはらの作品の場合、俳句の取り合わせを意識しながら、更に手のこんだものになっているように思われる。

「ととととと」というタイトルについて。
「の」とか「は」という助詞から川柳性を説明しようとする文章を見かけることがある。
たとえば「は」は川柳の基本文体である「AはB」という問答構造にしばしば使われる。川柳人にとって使いやすい助詞なのだ。

母親はもったいないがだましよい

なかはらは「と」に川柳性を発見したのかもしれない。
「と」はコラボにつながってゆく助詞である。
そういえば、一昨年大阪で「とととと展」というイベントがあった。
安福望の『食器と食パンとペン』の発行を記念して大阪・中崎町で開催され、岡野大嗣・安福望・柳本々々の鼎談があった。岡野の短歌、安福のイラスト、そこに柳本が漫画やアニメの例を加えながら作品を読んでいった。
言葉に言葉を取り合わせるのではなくて、言葉にイラストや絵を取り合わせているのであって、「と」はリンクの思想と結びついている。

さて、話を「ねじまき」に戻して、なかはらの句にコメントを寄せている二村鉄子の句を紹介しておこう。

まずは資料請求たんぽぽ咲く国へ    二村鉄子
えびせんべいいかせんべいと合併症
ヒメムカシヨモギ気圧の谷にあり
きれいでなければ夜景でないと夜
まるで銀杏まばたきを引き換えに

俳人の二村が取り合わせをあまり使わず、川柳人のなかはらが取り合わせの句を書いているのを面白く思った。

先日、名古屋の「ねじまき句会」にはじめて参加した。
作品は事前に出句しておいて、当日はひたすら句の読みに終始する「読みの句会」である。印象的だったのは、句の言葉を正確に読んでゆこうという雰囲気があったことだ。
川柳の読みでよく経験するのは、句の読みを提示する前に、好き嫌いや自分の思いの開陳が多いということだ。それは句を読んでいることにはならないので、句から触発された自分の思いを読んでいるのだ。
「ねじまき句会」で使われていたことばに「親切な読み」というのがあった。句の言葉に直接ない意味まで忖度して読んでしまう態度を指して批判的に使われていた。それだけ、句の読みは言葉に則して厳密に読まれていることになる。
ちょうど「短詩時評」(3月18日)で柳本々々が「ねじまき紀行」のなかはらの発言を「表現者の覚悟」ととらえた文章を読んだ。これもひとつのシンクロニティだと思った。

2017年3月18日土曜日

川柳は「川柳」を問う―『俳誌要覧』2017年版

『俳誌要覧』(東京四季出版)が発行されて、俳句を中心とした短詩型文学の現在を展望するのに便利なものとなっている。【平成28年の俳句界】岸本尚毅、上田真治【俳文学の現在】〈川柳〉柳本々々〈連句〉小池正博〈研究〉安保博史【句集回顧】関悦史、依光陽子【評論回顧】青木亮人、外山一機【いま、短歌が気になる】堀下翔、鴇田智哉【受賞作を読もう】生駒大祐【俳句甲子園をふりかえる】黒岩徳将。これに鼎談と年代別自選句一覧、結社同人誌資料などが付く。

まず、俳句界の現在を知る意味で上田信治の〈「中心」が見えない〉を興味深く読んだ。
上田は「同時代の俳句をいっせいに価値づけるような、中心性や求心力が失われて久しい。いや、そういったものは、もう現れないのかもしれない」という現状認識に立った上で、「かつてあった求心力の消失によって生じた空白を埋めるような、いくつかのモーメント」を挙げている。
「トリックスターの活動」として上田が挙げているのは、テレビ番組プレバトの夏井いつき、「屍派」の北大路翼、『俳句を遊べ!』の佐藤文香、「東京マッハ」の千野帽子・長嶋有などである。「トリックスター」というのは悪い意味ではなく、「従来の境界線を超えて活動する書き手たち」という意味で使われているようだ。
次に上田が挙げるのは「二十代の俳人たち」で、俳句甲子園出身者が多い「群青」、若手が多く入っている「里」などの若手俳人。「彼ら世代が、特定の俳人の指導を受けることなく、作家であろうとする意志は、動向として明確にあらわれている」と述べられている。
さらに、中心性が失われた時代における「個々の俳人による孤独な探求」として、中田剛、堀下翔、澤好摩などの名が挙げられている。俳句史への再接続が個々の探究として試みられていると言うのである。
上田が分析しているような俳句界の現在は、俳句の世界を外から眺めている私にも納得できるものだ。むしろ外部の読者の目には、上田の挙げているような俳人の活動の方が俳句の現在、俳句のセンターとして目にうつってくる。句集回顧で関悦史や依光陽子の挙げている句集のいくつかは、この時評でも紹介したことがある。

ひるがえって、川柳の現在はどうなっているだろうか。
そもそも「川柳界」というものが今でも存在しているかどうかが疑問である。中心とトリックスターどころの話ではない。そもそも中心がなければトリックスターの活動も意味をなさないから、トリックスター的な動きをする川柳人も見られない。孤独な探求にならざるをえないのである。
ブログやツイッターに活路を求めるのもひとつの方法だが、外山一機が「ネット上の評論」に触れているのに注目した。ネットの読者は自分に都合の良いように記事を選り分けて読んでいる。そのような読者の自己愛に耐えてネットに書き続けるには読者の自己愛を超えるほどの書き手の自己愛が必要になると外山は言う。外山は柳本々々の名を挙げている。
「週に数回という猛烈なペースで記事を更新し続けているにもかかわらず、柳本の言葉が示唆に富んでいるのは、柳本が何よりもまず自分のためにこそ書いているからだろう。柳本の言葉が輝くのは、たぶんに躊躇しながら、しかし、はっきりと持論を提示したときだ」
(外山の文章には一か所だけ誤認があり、「おかじょうき」は歌誌ではなくて川柳誌である。)

では、柳本の文章「現代川柳を遠く離れて」を読んでみよう。
柳本は《川柳とはいったい何か》という川柳のジャンルそのものを問い返した句集として、兵頭全郎『n≠0 PROTOTYPE』と川合大祐『スロー・リバー』の二冊を挙げている。

おはようございます ※個人の感想です   兵頭全郎
ぐびゃら岳じゅじゅべき壁にびゅびゅ挑む  川合大祐

兵頭の句では「おはようございます」という普遍的・絶対的な言説に「※個人の感想です」という個人的・相対的な注釈が添えられることによって、川柳ジャンルそのものに任意性を持ち込んでいる。川合の場合はもはや意味が成立しないような場所から一句が始まっている。「ぐびゃら/じゅじゅべき/びゅびゅ」という意味のとれない言葉の系列のなかに「岳/壁に/挑む」という意味のとれる言葉の系列が挟みこまれている。柳本はそれを縞馬の縞にたとえ、どちらの縞をとるか、どのようにとるかが問われているのだと言う。
「兵頭全郎と川合大祐、ふたりの川柳作家に共通しているのは、読者を巻き込んでの創作行為としての川柳を提出している点にある。その川柳を読んでしまえば、読者自身が立ち位置を問われることになる。そういう川柳を考える川柳の現場がこの二冊にははっきりとあらわれている」

このほかに柳本は岩田多佳子『ステンレスの木』、『15歳の短歌・俳句・川柳』全3巻、久保田紺『大阪のかたち』、熊谷冬鼓『雨の日は』などを取り上げたあと、「現代川柳にとって2016年は、川柳というジャンルの再吟味の年であったのだということだ」と述べている。(まだ発行されていないので詳しくは言えないが、今月末に刊行予定の「川柳カード」14号でも柳本は兵頭・川合・岩田の三冊の句集を取り上げて論じている。川柳はようやく句集の時代に入ったのである。)
最後に柳本は野沢省悟が川柳誌「触光」で募集した「高田寄生木賞」に触れている。今回、この賞は「川柳に関する論文・エッセイ」を選考の対象としている(発表は5月ごろになるようだ)。そして、柳本はこんなふうに書いている。
「川柳というジャンルのなかでいろんな人間がそれぞれの場所からこれまでとは違った光を灯そうとしている。」「2017年がその光を迎えとるだろう」
私は柳本ほど楽観的にはなれないが、少しは希望をもってもいいのかもしれないと思うのである。

2017年3月12日日曜日

「場」と「プレーンテクスト」

先日の「大阪短歌チョップ2」のトークを聞いていて、「場」ということについて改めて意識させられた。
短歌の「場」とは、テクストに読みの方向性を与えるもので、作者・性別・職業・結社など作者に関する情報も「場」である、ということだった。『岩波現代短歌辞典』の加藤治郎の説明が引用されていたが、ここでは『現代短歌ハンドブック』(雄山閣)から引用してみよう。執筆者は栗木京子。
「短歌作品を鑑賞する際の助けとなる、作品に関する情報や背景のことを場と総称する。短歌は一首一首が独立した作品ではあるが、あまりに詩型が短いため内容を把握しきれない場合が多い。そのとき作者名や作者の経歴、歌が作られた場所や時期、歴史的背景や社会状況などが添えられていると、鑑賞の大きな助けになる。こうした情報は、連作の場合は表題や詞書、あるいは前後の作品との関連によってもたらされる。また、歌集ではさらにそこに作者略歴やあとがきが加わって、場の及ぼす力が強まることになる。こうした場の威力が最も発揮されるのは、写実主義の方法においてである。すなわち、作中の〈われ〉が作者のことを指し、詠われた内容が事実に基づくとする作歌理念のもとでは、場は最も有効に機能する。だが、前衛短歌が作者と作品の間に『虚構』を導入して以来、場の影響力は一義的なものではなくなってきている」
長くなったが、このあとの話の前提として上の内容を押さえておきたい。
「大阪短歌チョップ2」ではこのような意味での「場」について直接話し合われたわけではなかったが、私が連想したのは俳誌「オルガン」8号の対談「プレーンテキストってなんだろう」のことだった。生駒大祐と福田若之の対談で、生駒が「プレーンテキスト」好みを表明している。話は「オルガン」6号に遡り、8号の対談でも引用されているが、話の順序として6号の対談部分を紹介しておこう。

生駒 僕は、俳句ってさらりとしたものだと思ってるんです。活字がなかったら、俳句って、もっと、どろどろしたものっていうか、もうちょっと土俗的なものに近づいていく。そうなっていたら僕の好きな俳句は生まれなかった。プレーンテキストに近づいてくれたから僕の好きな俳句が生まれていて、それは重要なことだと思う。
田島 プレーンテキストって?
生駒 俳句がある面白い情報を持っているとして、それがノイズなく仮に伝わったら、という仮定の下での表現形態ですかね。
田島 活字で書かれていようが、書として書かれていようが、どちらでも伝わってくる同じ部分をプレーンテキストと呼んでいるわけだ。
生駒 はい。Wardとかで、コピーして貼り付けるときに「プレーンテキストで貼り付け」っていうのがあります。それを念頭に置いています。
宮本 それは自分の頭のなかにしかないのでは?
生駒 難しいですね。ある面白い発想が生まれたとして、それが言葉に返還される過程で物の面白さに変容する。僕はここの時点の面白さをプレーンテキストと呼んでいて、それが文字として他者にわかる形で書かれた時点で視覚的なノイズが入る。

コンピュータに詳しくないので、私にはよく分からないところもあるが、ウィキペディアでは次のような説明がされている(専門用語が煩雑なのでところどころ省略して引用)。

「プレーンテキスト (plain text) とは、コンピュータ上で文章を扱うための一般的なファイルフォーマット、または文字列の形式である。ワープロで作成した文章とは違い、文字ごとの色や形状、文章に含まれる図などといった情報を含まない。プレーンテキストに対して、文字ごとの色や形状、文章に含まれる図などといった情報を含む文章のことをマルチスタイルテキストと呼ぶ。プレーンテキストには文字情報以外の情報は一切含まず、テキストデータのみで構成されている。格納できる情報が純粋にテキストのみに限定される為、文字の強調や加工や言語情報、フォント情報を持つことが出来ない。これらの情報を格納する場合は、HTMLのような工夫が必要になる」

こういうものがプレーンテキストだとすれば、読者が実際にテキストを読む場合にはそこにさまざまな「ノイズ」が加わることになる。生駒はそのようなノイズとしてフォントや字体、句集・歌集などにおける表紙のあり方、作者の情報、境涯性など、読みに一定の方向性を与える一切のものを挙げている。一冊の句集を編集する場合にはテキストにさまざまな加工をすることになるが、それを生駒は「ノイズ」ととらえていることになる。
そして、興味深かったのは対談者である生駒と福田のプレーンテキストに対するスタンスの違いである。

福田 僕は、外的要因というのは、絶対に切り離せないものだと思っているんです。だから「プレーンテキスト」という考え方を受け入れがたいものに感じていました。でも、到達しえない点でしか実現しえないんだと考えれば、虚の概念としてそれを受け入れられる気がしました。僕にとってそれを目指すことがやりたいことであるかどうかは別として、理解することはできる。
生駒 そういう意味では絶対的なプレーンテキストっていうのはない。むしろ僕はどこかでそれを愛しているのかもしれないです。収束に近づけていく所作そのものを。

今回は引用に終始して時評になっていないのだが、読みに方向性を与えるものをノイズととらえるのはおもしろいなと思った。生駒のいう「プレーンテキスト性」とはズレるのかもしれないが、私自身の問題意識にひきつけると、最初に引用した「場」の問題と結びついてゆく。作品をどう読むかという場合、短詩型ではむしろそのようなノイズを手がかりとして読んでゆくことが多いのではないだろうか。逆に、作者論的な読みを排除して読者論的に読もうとすると、「読みのアナーキズム」と批判されたりする。
川柳では作者と結びつけて作品を読む読み方が依然として強く、その一方で作者とは直接関係ない言葉の世界で飛躍するテキストも現れてきている。
うまく言語化できないが、作者とテキストをめぐってはそれぞれのジャンルの特殊性をはらみながら、二つの流れがいま短詩型の世界でせめぎ合っているように感じる。

2017年3月3日金曜日

「大阪短歌チョップ2」という場

2月25日、大阪難波の「まちライブラリー」で「大阪短歌チョップ2」が開催された。2014年7月の第一回にも私は参加して、この時評でもレポートを書いているが(2014年7月26日)、今回もたいへん刺激的なイベントだったので報告しておきたい。
大会パンフの「ご挨拶」には次のように書かれている。
「この三年でどれだけのことが起こり、そして何が変わったのか。たとえば、大阪・中崎町に詩歌を主に扱う古書店『葉ね文庫』がオープンし、多くのお客さんで賑わっています。たとえば、安福望『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』(キノブックス)が発売され、多くの読者が安福さんの絵と、安福さんが選んだ短歌に魅了されました。どちらも前回の大阪短歌チョップのときにはなかったもので、三年前には想像できなかったことが今、起こっています」
「葉ね文庫」には川柳の句集や同人誌を置いてもらっているし、安福さんのイラストには最近では川柳作品も登場するようになった。短歌中心のイベントではあるが、川柳もその恩恵を受けていることがわかる。

会場には午後に着いたが、天野慶のかるた体験コーナーがはじまっていた。天野慶には一昨年の「川柳フリマ」のときにゲストに来てもらったことがある。
13時30分からのトークセッションは「あつまる、ひろがる~短歌の「場」の現場~」というテーマ。司会の土岐友浩は事情により欠席だったので光森裕樹が司会をつとめた。パネリストは荻原裕幸・田中ましろ・石井僚一。
まず石井僚一が若いのにびっくりする。石井は「短歌研究新人賞」を受賞したあと虚構論争が巻き起こったことで著名である。昨年の「川柳フリマ」で山田消児をゲストに迎えたときにも石井の短歌が話題になった。また、石井僚一短歌賞を自ら創設したことも波紋をよんだ。短歌賞に名前を冠しているので、「もう死んだ人かと思った」と言われたこともあるそうだ。北大短歌会で活躍しているというから若いはずだ。こんな人が川柳にも五、六人ほしいと思った。
司会の光森はテーマである「場」の説明からはじめた。『岩波現代短歌辞典』によれば、短歌の「場」とは、読み方に方向性を与えるもの、作者・性別・職業・結社など作者に関する情報も「場」である。「場」は一般にはメディアとか媒体という意味でも使われる。それらを含めて「場」の問題を考えてゆくということらしい。

まず、荻原について。光森はキイワードとして①インターネット②歌葉新人賞③短歌ヴァーサスの三点を挙げた。以下は、荻原自身の発言から。
荻原が同人誌「フォルテ」を立ち上げたのは、短歌研究新人賞を受賞したあと、総合誌に発表の場がないなら自分たちで同人誌を作ろうということだったらしい。ところが80年代後半、総合誌が彼らに発表の場所を提供しはじめる。既存の場ではできないと思っていたことが、歌壇に取り込まれていくという話だった。

次に、田中ましろについて。光森の上げたキイ・ワードは①うたらば②かたすみさがし③短歌男子。以下、田中の発言から。
「うたらば」は作品をネットで募集して選んだ歌に写真をつけてフリーペーパーを発行する。「短歌を知らない人に、短歌の面白さを伝えたい」ということで始めた。「フリーペーパーうたらば」のほかに「ブログパーツ短歌」も募集していて、その特徴として田中は次の5点を挙げた。①共通認識をフックにして読者を納得させる②読者の脳内に想起させるイメージが魅力的③切り取られた31文字の前後にある物語を考えさせる力がある④作中主体がどうしようもないほど人間らしくて好感が持てる⑤面白い。
フリペの場合はもう少し世界観を入れてゆくが、とにかくどう話題を作ってゆくか、イベント化するかを考えているということだった。

三人目、石井僚一について。光森のキイ・ワードは①短歌研究新人賞②石井僚一短歌賞③毎月歌壇。以下、石井の発言から。
2014年4月に「北海道大学短歌会」に入会。「父親のような雨に打たれて」で短歌研究新人賞を受賞。「石井は生きている歌会」を各地で開催。ネットプリント「毎月歌壇」の選者を谷川電話とつとめる。石井僚一短歌賞をはじめた理由をいろいろ言ったのは後づけで、「できるだけやれることはやっておこう」という気持ちからだったという。

ここで私はトーク会場から中座して、二階の「葉ねのはなし」に移動した。池上規公子の話を聞きたかったからだ。葉ね文庫は人気があるので、けっこう人が集まっていた。葉ね文庫を開店した経緯、なぜ中崎町を選んだか、理想とする本屋のイメージ、影響を受けた書店などについて語られた。これまで断片的にしか知らなかったことを、改めて彼女自身の口から聞くことができてよかった。

再びトーク会場に戻ると、石井が「歌会」をイチ押ししていることをめぐって話が進んでいた。なぜそんなに「歌会」がいいのかという疑義に対して、石井は自分にとってネットはすでに前提として最初から存在していたので、そこから「歌会」の方へ向かったと答えた。荻原にとっては「歌会」の方が前提としてあって、そこからネットの可能性の方に向かったという点が対照的だ。
田中ましろはツイッターなどで歌を発表するのは以前に比べて減る傾向にあり、ツールの使い方が変化してきているのではないかと述べていた。
あと、私が席を外していたあいだに、自分の名前を冠する短歌賞を自分で創設することの是非をめぐって応酬があったようだ。

最後に、光森によるまとめ。
光森はいま沖縄に住んでいて、沖縄のひとは「本土」「内地」という呼び方をするが、光森自身は「本土」という言い方は好きではなく、「内地」という言い方をする。沖縄は「内」に対して「外」に位置するが、「外」はさらに外延に位置するものからは「内」への通路になるわけで、短詩型の場合も同じように考えることができるのではないか、ということだった。

あと、もうひとつのトークセッション「ムシトーク!~新しい短歌こっちにもあります~」や「安福望のライブドローイング」などを見て、最後に飯田和馬と岡野大嗣の朗読を聞いてから会場を後にした。前回は俳人の姿も見かけたのに、今回は俳人・川柳人の参加がほとんどなかったのが残念な気がした。いまどこでどんなことが起こっているかを知っておくことが重要なのだ。イベントをかげで支えた牛隆佑をはじめとするスタッフのみなさんにも敬意を表しておきたい。

2017年2月24日金曜日

矢本大雪の残した仕事

今年1月に矢本大雪(やもと・だいせつ)が亡くなった。
大雪は1950年生まれ。弘前川柳社、かもしか川柳社、雪灯の会、川柳誌「双眸」などで活躍した。私は大雪と直接の面識はないが、彼が「双眸」の編集をしていたときに原稿依頼があり、お世話になった。
手元に句集『火輪』(2003年12月)がある。

ゼフィルスをはらむ真冬のポストかな   矢本大雪
まっくらな胸で失禁する椿
蝶を握りつぶす説明書のとおり
吹雪呼ぶ切手を舐めてもらうため
慰謝料のかわりに添削してやろう

季語や切れ字が入っているから、一見すると俳句かと思いたくなるだろう。
大雪自身、あとがきで次のように書いている。

「私の作品には季語が多く用いられる。私の持つ叙情性がまだ多くを季感に求めているからだろう。季感にもたれすぎない叙情が表現できれば望むところなのだが、言葉でいうほど簡単ではないと感じている。もちろん私の作品は川柳である」

『火輪』以前に大雪は『新世紀の現代川柳20人集』(北宋社、2001年6月)に「空の花」100句を掲載している。その中の連作「父」から最初の5句を紹介しておく。

あたたかな父の片鱗汽笛だろうか
冷や飯に月のぬけがらそして間奏
かき氷もとの父子に戻れるか
あやとりの川の家系図もほどけ
父にたちこめる狭霧を斉唱す

また、彼は「かもしか川柳文庫」から『オノマトペ川柳辞典』『現代川柳をつくる』『動詞別川柳秀句集かもしか篇』の三冊を出している。
『動詞別…』は川柳誌「かもしか」に発表された作品を動詞別に配列した労作である。俳句では季語によって作品を分類するのが普通だが、川柳では特定の分類法がなく、類題・句題別の分類では雑詠の位置づけが困難になる。大雪は「川柳作品のおよそ八割強が動詞によって区分できる」と言いうが、同時に「動詞で川柳を分類するのは、一つの便法に過ぎない」とも述べている。
分類は大雪が残した重要な仕事のひとつである。
「双眸」でも彼は「川柳レトリカ」という連載でキイ・ワードの面から現代川柳作品を整理しようとしている。項目ごとに語義・象徴性・用例がまとめられている。『セレクション柳論』(邑書林)を編集したとき、「川柳レトリカ」から「青・蒼」「穴・孔」「蟻」の三項目を掲載させてもらった。たとえば、「青」の項目では次の作品が用例に挙げられている。

あすは知らず裸体の青きまま睡る    西条真紀
ナイフ研ぐかすかに青を零す指     松永千秋
一滴の水で研いでる青いナイフ     井出 節

「双眸」6号(2003年11月)は大山竹二特集である。
拙論「大山竹二における人間の探究」、野沢省悟「蚊を叩く―大山竹二句集を読む―」、矢本大雪「大山竹二作品ノート」などのほか「大山竹二略年譜」「大山竹二作品100句」、資料「大山竹二の川柳観」が付いている。中身の濃い特集だった。

その後、彼は川柳に意欲を失ったのか、俳句を主なフィールドとするようになった。俳句に移行した川柳人はこれまでにもいるが、私は複雑な気持ちでその光景を眺めていた。ときどき、「垂人」などで大雪の名を目にすることがあり、京都の川柳誌「凜」にも彼の句評が掲載されていた。「凜」68号(2017年1月)に掲載された文章は、大雪の絶筆なのかもしれない。辛口の句評になっている。

「川柳は最初から言葉で語り、説明しようとし過ぎてきた。それが伝える方法だと信じてきたからである。しかし、他人に句の内容を伝えることは、語ることじゃないと気づくべきだ」
「発想はものすごくいい。ただし、しじまがおしゃべりしすぎだ。これは妥協で、おそらくここに取り上げるべき言葉を見つけるのは難しい。何年もかかるかもしれない。それがふっと浮かぶとき、我々は川柳の恩寵を感じられるのだ。でも、正解はないのだろう」

2月の点鐘散歩会で京都の何必館に行ったときに北大路魯山人の展示室で魯山人の言葉が掲示されているのに出会った。正確には覚えていないが、「仕事というものはどこまでやらないといけないというものでもない。どこで終わってもそれはそれでいいのだ」というようなことが書いてあった。私はそんなふうに考えることができればずいぶん楽だなと思った。いま、大雪の残した仕事を前にして、この言葉を思い出している。

2017年2月17日金曜日

島田牙城と「里」の俳人たち

俳句同人誌「里」2月号の特集は「還暦15人衆を二度童子として送り出す」となっている。
「里」では今年から、五年に一度、還暦祭を開催するという。対象はその年に満59歳から64歳になる方々。15人の句が各10句ずつ掲載されている。

羽蟻の夜畳に染みの広がりぬ        水内和子
節分を越え執念の季語料る         虎時
嘘と烏瓜人類は必ず滅びる         瀬戸正洋
当尾の地布団にしたるねむり地蔵      木綿
裏山の冬竹青し大川小           原爽風
がめらのかたちごじらにかはるなつのくも  月湖
星座の名すぐに忘れる鍋焼きうどん     森泉理文
喧騒の煮凍りてゐる朝かな         木村蝸牛
椅子の背に背を付けざるを雪しぐれ     島田牙城
冬眠の自分が誰か考へをり         仲寒蟬
蛇穴に入る尻も野心も食み出して      小豆澤裕子
ささめごとして夏月にすはれけり      登貴
風邪薬百の色持つ夜来る          大西龍一
凍星の声聞くことに専念す         六
あすよりは記憶のなかの雪うさぎ      谷口智行

2月11日に「牙城・寒蟬と仲間たちの還暦を祝う夕べ」というパーティが新大阪で開催され、上記の面々(欠席者もあるが)を中心に「里」ゆかりの俳人たちが集まった。私は邑書林から句集を出しているし、「里」も毎号読んでいるので出席させていただいた。知人もいるがハンドルネームのような俳号の方も多くて、どんな人たちかという興味もあった。同じテーブルに藤原龍一郎・小林苑を・谷口智行などがいて、有意義な時間を過ごすことができた。茨木和生の挨拶にはじまりフォーマルな集まりかと思ったが、酒宴が進むにつれ、仲寒蟬が河童の扮装で現われるなど、おもしろい集いであった。中山奈々が立派に司会をつとめた。

折から島田牙城の『俳句の背骨』が発行されたところで、牙城の俳人としての考えがよくわかる評論集になっている。季語やかなづかいに関しては俳句プロパーの問題なのでさておいて、他ジャンルの人間にも読みやすく興味深いのは「芭蕉と現代俳句」「波多野爽波の矜持」の二つの講演である。「里」誌にも掲載されたことがあるので、私も読んだ覚えがある。牙城は次のように書いている。
「俳句といふのは、正岡子規以来、さまざまな考へ方が注入されまして、自分には作れないやうな俳句の世界も多岐にわたつて廣がつてゐます。今や何でもありの時代です。即ち、僕が作つてゐるやうな俳句だけが俳句なのではないのと同じやうに、皆さんが信じて作つてをられる俳句もまた、それだけが俳句なのではないんですね。他者の俳句、僕は大つ嫌ひな言葉なんですけれど、『流派』、この流派とやら譯のわからないものを超えて、ぜひ、さまざまな人の俳句を讀んで頂きたいと思ひます」(「芭蕉と現代俳句」)

「里」2月号に話を戻すと、「この人を読みたい」のコーナーで田中惣一郎が佐藤智子を取り上げている。

春炬燵その人と居てつらくない    佐藤智子
雪まろげ牛乳が手に入ったら
千両を見ると嬉しい鳥だった

俳句をはじめて3年だという。川柳の世界にいると若い感性に触れる機会が少ないので、とても新鮮に感じた。「春炬燵」の句は「その人と居てつらくない?」とつい疑問形に読んでしまうが、疑問形ではなく本当に「つらくない」と断言しているのだ。ふつうは人と居ると何がしかの「つらさ」を感じるのだが、「その人」といっしょに居てつらくないのは稀有のことなのだろう。
田中惣一郎は佐藤智子の句には直接触れずに、こんなことを書いている。
「そうして言葉は流れる。今もどこそこで流れ続けているし、その結果誰かは喜んだり、また殴られたりもするのだが、そういうこととは本当に関係なくただ言葉は流れ続ける。それがやっぱり何だかかなしい気がしてくるのはどうやら、どう考えても俳句のせいであるらしい。
俳句を知った私にとって、言葉とは俳句である」(「殴り返す言葉」)

「俳句雑誌管見」のコーナー。堀下翔が「批評性―外山一機」を書いていて、昨年12月の第25回現俳協青年部シンポジウムで神野紗希が「今の時代が詠まれていると思う10句」の一句として外山の次の句を挙げたことから話を始めている。

赤紙をありったけ刷る君に届け   外山一機

詳細は省くが、「仕掛けを盛り込むあまり批評が何回転もしてしまい、本来の意図が妙に見えづらくなるのが外山の句の特徴」「言葉が消費される時代に、動かしがたく言葉を配置し、その時代の空気感を立ち上げる。たいへんな工夫である」「こうした言語操作をむなしく思う読者もいよう。作者自身がその一人なのかもしれない」などの堀下の指摘を興味深く読んだ。
「俳句」の外山一機の俳句時評、「短歌」の瀬戸夏子の短歌時評は私も追いかけてゆきたいと思っている。

2017年2月10日金曜日

墨作二郎の軌跡

2月9日に「点鐘散歩会」が開催され、京都の「可必館」の展覧会「黒から玄へ MAYA MAXX展」を見に行った。「現代川柳点鐘の会」主宰の墨作二郎が昨年12月に亡くなって、散歩会は今月で最終回になる。21名の参加があった。
「点鐘散歩会」の冊子(平成10年12月発行)を取り出してみると、平成8年3月に発足している。第一回は奈良町から新薬師寺へ行っている。それ以来、毎月実施され、21年間継続されてきたことになる。平日実施のため私はあまり参加できなかったが、世話役の本多洋子・笠嶋恵美子の長年にわたるご努力に感謝したい。
川柳では吟行はやらないのかと時々聞かれることがあるが、散歩会は川柳における吟行の方法であった。川柳は題詠が多いので、机の前で句作にふけりがちである。そこからの脱却を作二郎はめざしたのだろう。
前掲の冊子の序文で作二郎は散歩会の趣旨についてこんなふうに書いている。

「従来の勉強会だけでは不充分だった句作方法をより自在に拡大する方法である。室内と言う限られた場所と動かない体では句作は行き詰まってしまう。悪気を抜き邪気を払うには思い切り外を歩くことである」(「外へ出て書く川柳」)

当日の京都は雪。祇園の表通りから外れて裏通りの路地に入ると風情があった。MAYA MAXXについてはよく知らなかったが、女流画家だった。何必館には北大路魯山人の陶器も展示されていた。出句無制限なので、出された句数は約960句。そこから各自10句を選ぶ。当日の作品から何句か紹介する。

最後だというのになんてセロファンな日    岩田多佳子
明日欠ける部分がないとつまらない      北村幸子
白い蝶くらいなら連れて帰れます       清水すみれ
笑いすぎて龍にもなれない          内田真理子
対話する蟹が大きくなってゆく        街中悠
山奥の人にここから手を出して        辻嬉久子
もっと本気出して二月逃げなさい       八上桐子

ここで改めて墨作二郎の作品を振りかえっておきたい。
以前、私は「墨作二郎の軌跡」(『セレクション柳論』所収)という文章を書いていて、ほぼ同じようなことになるが、ご了解いただきたい。
作二郎といえば、次のような長律作品の書き手として有名である。

埋没される有刺鉄線の呻吟のところどころ。
秩序の上を飛んでゐる虫のきらめく滴化

残酷な市街の回転だと思ふのだろう。曲動と
尖つた鼻の行方には勢一杯の諧調の騎士

新鮮なる鍋底がかぶさつてゐるとしたら。砂
上の焚火をかこんでゐる天使の群の憂愁

『川柳新書・墨作二郎集』(昭和33年4月)に収録されている。「川柳」という固定概念を揺さぶるような、実験的な作品に見える。自由律川柳には短律と長律があるが、作二郎作品は三十音以上あり、長律に属する。これらの作品が発表されたときの衝撃はかなり強烈なものだったのだろう。
もっとも、作二郎は最初から長律作品を書いていたわけではなく、昭和20年代の句集『凍原の墓標』(昭和29年)では「凍原の墓標故郷に叛き得ず」などの定型作品を書いている。この時期の作二郎はスタイルを変貌させたのである。

『川柳新書』には「作者のことば」が掲載されていて、「兎もあれ川柳とは(私にとって)『寛容なる広場』」と書かれている。「寛容なる広場」は作二郎の川柳観を示すものとしてよく知られている。もうひとつ、作二郎が言っていたのは、「作二郎の句が川柳ではないと言われても何ら痛痒を感じない。作二郎の句に詩がないと言われると問題である」ということ。詩性に対するこだわりがあったのだ。

作二郎は川柳におけるモダニズムを体現していた。それは堺という風土とも関連している。堺は与謝野晶子の故郷として知られているが、現代詩では「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた」を書いた詩人・安西冬衛の存在が有名である。大連から引き上げてきた冬衛に作二郎は少年期に出会い、冬衛の詩集をもらったそうだ。
やがて彼は河野春三と出会う。春三は大阪市の生まれだが、堺市で育った。作二郎は昭和22年、川柳誌「私」に参加する。
作二郎の作品のなかでは次の句が最も有名かもしれない。難解句として有名なのだ。

鶴を折るひとりひとりを処刑する

昭和47年、平安川柳社創立十五周年記念大会で優秀賞を獲得した作品。選者は「平安」の中で伝統派と革新派をつなぐ役割を果たしていた堀豊次だと言われている。
作二郎作品の完成されたかたちを示している句集が『尾張一宮在』(昭和56年5月)である。

ばざあるの らくがきの汽車北を指す
蝶沈む 葱畠には私小説
放浪のおとうとたちの 鼻乾く
かくれんぼ 誰も探しに来てくれぬ
四月馬鹿 シルクロードを妊りぬ

形式の冒険を経て、この時期の彼は定型における作品の完成をめざしているように思える。次々と新しいスタイルを求めてきた作二郎だが、完成期に入ったのである。定型と自由律の区別はもはやなく、自在な川柳を書いていくことになる。
その後、作二郎は昭和62年、「点鐘」を創刊する。
『遊行』『伎楽面』『龍灯鬼』『伐折羅』などの句集を立て続けに刊行した時期もあった。
いちばん新しい句集が『典座』である。
私は前掲の作二郎論「墨作二郎の軌跡」の最後に次のように書いた。

〈 川柳内部の表現領域の拡大と短詩型文学全体の中で川柳を問う姿勢。川柳の内部と外部に眼を配り、常に「これからの川柳」のために作句活動を続けることが作二郎の作家精神である。自己模倣を乗り越えて書き続けるためには、川柳は日々更新されていかなければならない 〉

3月30日には「墨作二郎を偲ぶ会」(現代川柳 点鐘の会 主催)が堺市総合福祉会館で開催される。
「墨作二郎を偲ぶ」(森中恵美子)「墨作二郎の軌跡」(小池正博)「遺句集『韋駄天』について」(本多洋子)などのお話のほか句会も開催される。
兼題「遊」(筒井祥文選)
兼題「行」(桑原伸吉選)
兼題「点」(笠嶋恵美子選)
兼題「鐘」(徳永政二選)

40代以下の川柳人には作二郎と直接交流のない方も多いかもしれないが、墨作二郎の業績を知ったうえで、次の時代に進んでいってほしいと思っている。