2019年3月15日金曜日

短句七七句と自由律

『芭蕉七部集』を読んでいると、はっとするほど美しい短句、思わず微笑を浮かべてしまうようなユーモラスな句に出会うことがある。たとえば次のような句である。

かぜひきたまふ声のうつくし    越人
能登の七尾の冬は住うき      凡兆
浮世の果はみな小町なり      芭蕉
こんにゃくばかりのこる名月    芭蕉
馬に出ぬ日は内で恋する      芭蕉

連句は五七五の長句と七七の短句とを繰り返す詩形だが、五七五の方は俳句や川柳として独立したが、七七句の方も一句独立して作句・鑑賞に耐えるものだろう。
七七句の美しさに注目されるのが『武玉川』である。『武玉川』は江戸座の高点付句集である。高点付句は本来連句一巻のなかの付句で、長句と短句の両方が収録されている。特に短句に注目して「武玉川調」と呼ばれることがある。「武玉川調」のなかでも、次のような句はよく知られている。

鳶までは見る浪人の夢
二十歳の思案聞くに及ばず
手を握られて顔は見ぬ物
腹のたつ時見るための海
夫の惚れた顔を見に行く
肩へかけると活る手ぬぐい
猟師の妻の虹に見とれる

この『武玉川』の七七句の美しさは近代の川柳人の注目するところとなった。川柳のフィールドでは七七句を「十四字」と呼んでいる。近代川柳における「十四字」の歴史は阪井久良岐が明治38年に柳誌「五月幟」に『武玉川』の句を抄出したことにはじまる。その翌年の明治39年、大阪では小島六厘坊が「葉柳」を刊行、大阪における新川柳の草分けとなった。久良岐が十四字を川柳の一体としたのに対して、六厘坊は別種の詩形とした点で両者の考え方は異なっている。六厘坊の周辺で十四字に熱心だったのが藤村青明である。

恋はあせたり宿直のよべ   藤村青明
恋かあらず廿五の春
闇の大幕世を覆ひゆく

六厘坊は「十四字ばかりつくる青明」とからかったという。
久良岐以後の十四字作品を次に挙げてみよう。

白粉も無き朝のあひびき     川上三太郎
はつかしいほど嬉しいたより   岸本水府
いつものとこに坐る銭湯     前田雀郎
女のいない酒はさみしき     麻生路郎
時計とまったままの夜ひる    鶴彬
クラス会にもいつか席順     清水美江
うるさいなあとせせらぎのやど  下村梵
無理して逢えば何ごともなし   小川和恵

よく「五七五の最短詩形」と言われるが、こうして見ると最短詩形は七七であると思われる。ところで、俳句のフィールドにおける七七句は自由律俳句のなかに多く存在する。自由律における七七定型である。

善哉石榴を食ひこぼし座し    中村一碧楼
酢牡蛎の皿の母国なるかな    河東碧梧桐
めしをはみをる汗しとどなり   荻原井泉水
シャツ雑草にぶっかけておく   栗林一石路
入れものがない両手で受ける   尾崎放哉
うしろすがたのしぐれてゆくか  種田山頭火
つかれた脚へとんぼとまった     山頭火

私は十年以前に十四字を作っていたことがあり、セレクション柳人『小池正博集』に実作を収録している。『蕩尽の文芸』にも十四字について触れた文章がある。最近は十四字から遠ざかっているが、本間かもせりがツイッター「#かもの好物」で七七句を募集したところ、たくさんの七七句が集まったと聞くので、この詩形に関心をもつ人は潜在的に多いと思われる。以前からのファンのひとりとして十四字のことを取り上げてみた。4月6日の「大阪連句懇話会」では連句とも関連させながら、もう少し詳しいことを話してみたいと思っている。

2019年3月8日金曜日

筒井祥文における虚と実

筒井祥文についてはこの時評でも触れたことがあるが、次の祥文論がいちばんまとまったものである。
旧稿なので、データは以前のものだが、基本的な考えは変わっていない。
初出は「MANO」17号(2012年4月)。

筒井祥文における虚と実 小池正博

1 読みの衰弱
文芸に限ったことではないが、現代日本人の読みの力は確実に衰弱している。サブカルチャーについて言うと、たとえば漫画を読むにも読解力は必要であって、コマとコマの間の飛躍を想像力によって埋めることでストーリー展開はスピード感を増すはずである。ところが、一九七十年代後半あたりから、コマとコマのつながり方が理解できないというクレームが読者から寄せられるようになったと石ノ森章太郎が嘆いているそうだ。
「こうしたコマとコマの飛躍については、過去さまざまな評論家が考察をめぐらせてきた、コマとコマの飛躍を結びつけるもの、それはマンガの読書経験の積み重ね=知覚の習い(リテラシー)であることに疑いはない。『慣れ』は、より正しい『理解』をもたらすのである」(竹内オサム『マンガ表現学入門』)
コマとコマの間に飛躍がありすぎると読者が付いてゆけない。それを補うために漫画家が説明的になると、さらに読者の想像力が鈍磨していく。この循環によって読者の読みの力は確実に落ちてゆく。
これを連句にたとえれば、前句と付句の関係がべったりと付きすぎている句(親句・しんく)が好まれ、前句から遠くに飛ぶような付句(疎句・そく)は嫌われることになる。親句・疎句はどちらが良いというような優劣ではなくて、両方とも必要なのだ。その一方しか理解できないということは、文芸・文化の幅を狭めてしまうことになってしまう。映画のカットとカットのつなげ方にも同じことが言えるだろう。
話芸である落語を聞く場合でも事態は同様である。落語家は何もかも説明するのではなくて、簡潔な言葉によって場面を聴衆に想像させる。あまりに説明過多になってしまうと聞き手は逆に退屈してしまう。特に、最後のオチの部分は短く語らなくてはいけない。長々としたオチ、説明しなければならないオチなんてオチにならないのだ。もちろん、古典落語に出てくる生活情景は現代人の生活とは随分違うから、落語家はマクラとか話の途中で周到に説明的部分を用意しておくだろう。そういうことも含めて落語の場合でも聴く力は必要なのだ。
以上のようなことを前置きとして、これから筒井祥文の川柳について語ってゆきたい。筒井祥文は京都在住の川柳人である。関西のあちこちの句会回りに明け暮れ、自身では川柳結社「ふらすこてん」を主宰する。
まず、セレクション柳人『筒井祥文集』(邑書林)から彼の代表作と思われる五句を挙げてみよう。

御公儀へ百万匹の鱏連れて
カッポレをちょいと地雷をよけながら
弁当を砂漠にとりに行ったまま
殺されて帰れば若い父母がいた
夜景へ三度「カマイタチ」と叫ぶ

このような川柳が書かれるためにはそのルーツがあるはずである。普通、川柳人には師系があって、その川柳の系譜がたどれるのだが、本稿では祥文のルーツを彼が親しんできた落語にあると見て、落語言語から彼の作品を眺めて見たい。

2 落語言語トレーニング
私は特に落語に詳しいわけではないから、まず自分自身のためにもトレーニングを必要とする。『筒井祥文集』の中からこんな句を取り上げてみよう。

有りもせぬ扉にノブを付けてきた
半分は嘘半分は滑り台

「有りもせぬ扉」にどうしてノブを付けるのかと問うことは野暮である。半分はウソ、では残りの半分の「滑り台」は何かの隠喩だと考えることもやはり野暮なことである。そもそも、ないものをあるように見せるのが落語の芸ではなかったのか。
上方落語の二代目桂枝雀は落語の本質を「緊張と緩和」ととらえ、オチを四つに分類したことでよく知られている。落語入門書には必ず紹介されている枝雀の四分類は次のようなものだ(野村雅昭著『落語の言語学』平凡社ライブラリー、による)。
①ドンデン…ウソが基調となっているが、最後にかくされていた状況があらわれ、キキテの予期していた結末と反対の方向におとすパターン。「ドンデン返し」の略。
②謎解き…ウソを現実のことのように演じ、キキテになぜそういうことがおこるのかという疑問をいだかせ、やはりウソだったとおとすパターン。
③へん…実際にあることのように演じ、話をすすめ、最後に変なことがおこって、全体がウソだったということがわかるパターン。
④合わせ…〈へん〉と同様の展開をもつが、オチの部分が作為的にうまくこしらえてあり、キキテを納得させるパターン。
私はこの四パターンを筒井祥文の川柳に当てはめて分類してみせたいわけではない。それこそ最も野暮な批評であろう。そうではなくて、祥文の川柳を読むときにウソと現実との緊張関係くらいは意識しておきたいだけである。文芸用語で言えば「虚と実」ということになる。
筒井祥文がはじめて川柳に出会ったとき、その世界は彼のよく知っていた世界だと思われたことだろう。そして、彼は自分なら既成の川柳人よりもっとうまくやれると直観したことだろう。川柳の穿ちと落語のオチとはそれほど異質なものではない。
しかし、問題はその先にある。
「そば清」(あるいは「蛇含草」)という落語がある。蕎麦好きの清兵衛が旅の途中でウワバミが人を飲み込むのを見た。その後、ウワバミが道端の草を舐めると、ふくれた腹がみるみるひっこんだ。これは役に立つと思った清兵衛はその草を江戸に持ち帰った。江戸で彼は百杯の蕎麦を食べる賭けをする。例の草の効果をあてにしてのことだ。五十杯食べたところで、彼は草を舐めに部屋の外へ出たまま、いつまでたっても戻ってこない。
「清兵衛さん、こっちへいらっしゃい。返事がないね?逃げちまったのかな。来ないと、あけるよ」
―がらっとあけてみるってえと、お蕎麦が羽織を着て座っていました。
これが「そば清」のオチである。
ところが、現代の聞き手にとってはこれだけでは意味がわからない。困った落語家は説明を入れざるをえない。
「こりゃ、どういうわけで、おそばが羽織をきてすわってたてえと、ウワバミのなめた草は、人解草てえましてナ、人間のとける草をなめた。そいつを清兵衛さん、腹のへる薬だとまちがえて、こいつをなめたから、清兵衛さんがとけて、おそばが羽織をきてすわってました」(三代目三遊亭小円朝「そば清」)
この説明をよしとするかどうか。「お蕎麦が羽織を着て座っている」というグロテスクで不条理なイメージが説明によって壊れてしまうのだ。意味を伝えることと落語美学との二律背反。祥文の戦いが始まるのはここからである。

3 どくだみノートから
では、そろそろ筒井祥文の川柳を読んでみることにしよう。

御公儀へ百万匹の鱏連れて

「御公儀」とは時代がかっているが、時の政府ということだろう。そこへ「百万匹の鱏」を連れて行くのだから何らかの抗議行動というふうに読める。
「金曜日の川柳」で樋口由紀子はこの句を取り上げて、「鮫ならば来る理由もわかるし、来られる方も対処の仕方がありそうだが、鱏ではどうしようもない」と書いている。確かに「鱏」が「鮫」だったらこの句はもっと分かりやすくなる。「鮫」がメタファーとなり、意味性が匂い出すのである。けれども、樋口の言うように、鱏を連れた男の行動は理解不能なのだ。
私はこれを一種のキャラクター川柳と見て、作中主体を「鱏連れ男」と呼んでみたことがある。ただし、そんなことを言ってみても、何も明らかになるわけではない。
「百万匹の鱏」は川柳によく見られる「誇張法」である。そもそも、抗議される政府、抗議する大衆という図式をこの句ははるかに越えているのではないか。抗議される方が悪で抗議する方が善というのでもない。立場はいくらでも逆転するし、何が正しいかも不明確な現代社会である。そのような世界の中で、いっしょに連れていくとしたら鱏しかいないのではないかと思わせる奇妙な説得力がこの句にはある(おっと、私もつい説明に走ってしまったようだ)。

カッポレをちょいと地雷をよけながら

一読して分かりやすい句である。人を食ったようなところもある。実景というより、ある状況をとらえているのだろう。地雷地帯で本当にカッポレを踊るやつはいない。危機的状況に置かれても遊び心を失わない精神の姿勢。「首が飛んでも動いてみせまさあ」というところだろうか。ウソを現実のように見せるやり方がここにも見られる。

弁当を砂漠にとりに行ったまま

出ていったまま、いつまでたっても帰ってこない人がいる。煙草を買いに行ったまま帰ってこないなら演歌の世界であるが、なぜこの男(女でもよいが)は弁当を砂漠なんぞにとりに行ったのか。よく考えてみると変な状況である。そこで読者は「なんだ、これはウソの世界だったのか」と気づくのだ。弁当をとりに行った男がその後どうなったのか心配する必要はまるでなかったわけだが、人がいなくなったヒヤリとした感覚は妙に心に残る。

殺されて帰れば若い父母がいた

誰が殺されたのだろう。被害者が仏になって家に戻る。その家の父母は意外に若かった。そのように読めば現実の状景であるが、この読みには何か違和感がある。死者は時間を遡って過去の家にたどり着いたのだろう。そこには彼がまだ生れる以前の若いときの父母がいた。それを死者の眼が見ている。

夜景へ三度「カマイタチ」と叫ぶ

ビートたけしが昔つかっていた「コマネチ」のギャグのようなものだろうか。夜景に向かって三度も叫ぶ男は攻撃的である。
黒門町の師匠と呼ばれた桂文楽に『あばらかべっそん』という本がある。文楽の語ったことを安藤鶴夫が記録してできた本だが、書名の意味が何だか分からない。文楽の口癖だった言葉らしい。そういえば筒井祥文の主宰する「ふらすこてん」も意味が分からない。また、同誌の同人作品欄(祥文選)のタイトルは「たくらまかん」。別に砂漠の名前でもなさそうだ。

福助の頭で列車事故がある
改札を駆け抜けたのは原始人

「福助」の句は落語の「あたまやま」を連想させる。ある男がさくらんぼを食べたところ、頭から芽が出てきたので困る話である。芽は育って桜の大樹になり、花見客がこの男の頭に押し寄せる。うるさくてかなわないので樹をひっこぬいたあとに穴があき、池ができた。今度は釣人がきたり舟遊びをしたりするので、とうとう男はノイローゼになり、自分の頭に身を投げた…ナンセンス落語だが、幻想的なところもある。SF落語と言ってもよい。
「改札を」の句では異なった時代がミックスされている。初代権太楼の小咄にこんなのがあるそうだ。剣の達人が刀を抜いて果たし合いをしている。その間をすーっと自転車が通っていったというのだ。意識的に時代錯誤的演出をするのはいろいろな芸術ジャンルでよく見られることである。

沖にある窓に凭れて窓化する
動議あり馬の眉間へ馬を曳く

「沖にある窓」とは何だろう。作中主体と窓との位置関係に読者は幻惑される。しかも「凭れている人」自体が窓になってしまうというのだ。アポリネールの「オレノ・シュブラックの失踪」では男が壁化するが、この句は「窓化する男」という不条理なキャラクターである。
「馬の眉間」に馬を曳いていくという。馬を曳くのは現実の行為であっても、「馬の眉間」は現実の場所ではない。
筒井祥文の川柳及び「ふらすこてん」の同人作品を前にするとき、難解だという感想がよく聞かれるようである。けれども、「難解」にもいろいろな次元がある。読者は意味を問う前に自分の読みを問う必要があるのではないだろうか。落語のオチの意味が分からないときに、それを落語家に問うのは随分味気ない行為であろう。

祥文と書くどくだみが咲くノート

4 川柳の伝統ということ
祥文はなぜこのような句を書くのであろうか。
もともと筒井祥文は伝統派の川柳人に近いところから出発している。年譜によると、昭和五十六年ごろ、京都市内のスナックで「都大路川柳社」の会誌を見たのが川柳の世界に入る契機となったようだ。「都大路」のほか京都・大阪の「番傘」句会を渡り歩き、神戸の「ふあうすと」にも出向いて句会回りをしている。「都大路」が解散したあと、自ら「川柳倶楽部パーセント」を立ち上げ、さらにそれを発展的解消して現在の「ふらすこてん」に至っている。
いわゆる「伝統川柳」とは六大家を中心とした流れをさしている。岸本水府は「伝統川柳」という呼び方を嫌って「本格川柳」と称したが、内実は同じことであろう。「伝統」と「革新」という対立はもう無効になっていると私は思っているが、話を歴史的に整理する場合は、この言葉を使うしかない。私自身は伝統川柳の結社に所属したことがないが、「伝統川柳」ではなくて、「川柳の伝統」には忠実でありたいと思っている。しかし、筒井祥文の行き方は少し違う。祥文は「伝統川柳」にこだわり、衰弱した「伝統川柳」を下支えしようとする。「ふらすこてん」十三号の「常夜灯」(巻頭言)で祥文は「川柳が文芸である以上、オリジナルでなければならないことは当然です。しかしそれは句材が古いものは総てダメだということになりません。逆に古くても句として立ち上げ得るから文芸なのです」と述べている。伝統川柳に対する彼の考えをよく表していると思う。

はやらない旅館がむかしあった坂
夕焼けが城を正しい位置に置く
こんな手をしてると猫が見せに来る
どうしても椅子が足りないのだ諸君
花屋も閉めた白薔薇を売りすぎた
歳時記の裏の屋台で軽くやる
人魂が今銀行に入ったが
鼻唄で拾い集める壇の浦
本名をハリマヤ橋で誰か呼ぶ
栗咲いてセールスマンは尾根伝い

「はやらない旅館」は単なるノスタルジーではないだろう。古典落語にせよ新作落語にせよ、落語を演じるのは現在の話者である。そういう意味では、落語は古典ではなく現在ただいまの話芸なのだ。川柳においても「伝統川柳」の体現者がいるとすれば、彼は最も現代的でなければならない。「正しい位置」などもうどこにもない現代で、なお川柳を書き続けていく行為とはどういうものだろうか。祥文はふと観客をいじってみせる。「どうしても椅子が足りないのだ諸君」と。「ふらすこてん」に祥文は「番傘この一句」という連載を続けている。『番傘』誌に掲載された作品を丹念に拾い、読み続けていく作業である。それはきわめて孤独な営為とも言えるだろう。
『筒井祥文集』に収録の「芸人宣言」という文章で、祥文は「川柳家は『芸人』や『職人』である」と宣言したあと、次のように述べている。
「卑下することもない。かの桂枝雀は命懸けで『桂枝雀』をこの世に演りに現れたし、かたや古今亭志ん生は見せる芸を超えて『晒す芸』をやってのけた。人間国宝には桂米朝さんがいる。『職人』になって機能美を追求することも悪くないのではないか。何も恐れることはない。狂句もバレ句も噛み砕く力があればよいのだ。居直れば小生意気な芸術家の一人や二人は喰えようというものである」
第二芸術論に対して高濱虚子は「俳句もようやく芸術になりましたか」と述べたという。第二芸術論の際に取り上げられすらしなかった川柳は、これまで芸術になろうと必死の努力を続けてきた。川柳に「詩」を導入したり、「私」を導入したりするのはその証である。けれども祥文は平然としてこんなふうに言い放つ。

オヤ君も水母に進化しましたか
なら君も文学論と情死せよ

2019年3月1日金曜日

彦坂美喜子『子実体日記』(思潮社)

雑事が重なって二月は時評を更新できなかった。三月に入り、気分一新して時評に取り組みたい。
休んでいる間に読んだものの中から、彦坂美喜子の詩集『子実体日記 だれのすみかでもない』(2019年2月、思潮社)を取り上げることにする。彦坂は短歌誌『井泉』のメンバーなので、歌集かと思って本を開いてみると詩集なのだった。
冒頭の詩「つれてゆきたい」はこんなふうにはじまっている。

つれてきてやりたいつれてゆきたいと男同士の道行きである
両手で湯のみを抱く
たぶん理由なんてないよナァ
からだがなだれてくずれていく
帰ってきて笹川のほとりへ
石と水の接触点に
解凍した魚から流れる液汁
きれいに拭いてやってください
マニキュアの剥がれた爪と長い髪どこで私をすてたのだろう
頭からハナサナギタケが生えている夜はゆっくり起だしてきて

このあとまだ続くのだが、五七五七七の短歌形式と自由詩形式がミックスされていて、全体として現代詩になっていることがわかる。作品の成立過程については、栞の倉橋健一の文章「口語自由律のあらたな地平へ」で詳しく説明されている。倉橋は次のように書いている。

〈 詩集として編まれることになったこの『子実体日記』は、主な初出は私たちの同人誌「イリプス」で、2009年4月刊の三号にはじまって2017年6月刊の二十二号まで、二十回に亘って、一貫して短歌として発表された。詩として別に発表した作品もあったから、私自身短歌であることを訝しげに思ったことなど一度もなかった。〉
〈 それが今回ゲラ校を見ておどろいた。そのまま姿をかえて詩集となり、三十のタイトルがつけられて、それぞれ連作詩のたたずまいをとりながら独立した詩篇となり、そのための大幅な、改稿というよりは、編むための手順そのものを喩的な了解事項としつつ、ま新しい装いをもって、こうして私たちの前に姿をあらわしてきたからである。〉

短歌として発表されたものを現代詩として再編する。あるいは、読者が短歌と受けとった作品を現代詩のかたちにリサイクルする。これは大胆な試みに違いない。
最初の一行が「男同志の道行き」とあるからにはことは恋愛にかかわっている。「どこで私をすてたのだろう」というフレーズは「私性」との関連を思わせる。ハナサナギタケ(花蛹茸)は実在する菌類で、セミに寄生するいわゆる冬虫夏草の一種である。
タイトルの「子実体(しじつたい)」とは聞き慣れない用語なので、調べてみると菌類のキノコのことなのだった。キノコは菌類の本体ではなくて、地下に隠れている菌糸体が本体なのだそうだ。キノコの部分は胞子を発射するための装置にすぎない。菌類の生態はけっこうおもしろくて、子実体と菌類についての知識を仕入れるのに数日を費やして回り道をした。子実体のイメージを使って彦坂は何を表現しようとしているのだろうか。

彦坂美喜子とはけっこう以前からの知り合いである。
2004年6月に「短詩型文学における連句の位置」というイベントをアウィーナ大阪で開催したことがあるが、そのとき彼女に短歌のパネラーを依頼した。彦坂は「現代短歌における私性の変化」について語った。『井泉』のことはこの時評でも時々紹介しているが、私がこの短歌誌を毎号読むことができるのは彦坂との縁による。
第一歌集『白のトライアングル』(1998年4月、雁書館)は「あ」の歌から始まっている。

記せないきみとの時間かさねつつただ抱きしめているだけの「あ」
粉々に割れてきらめく三角のミクロの世界で君にあう
まっしろな時間の底に降りてゆくきみとわたしの「あ」がかさなって
キミハキミヲアイする連鎖限りなく作動しているアンチ・オイディプス
三角が白くかがやく海にいて果てまでワタシといきますか

「あ」は「アイ」へと変容してゆき、そこに「白」と「三角(トライアングル)」のイメージが加わってゆく。キイ・イメージを連鎖させ、重ねあわせてゆく方法のようだ。テーマは愛。そこにオイディプス・コンプレックスがからまっている。
短歌の定型に対する疑いが彦坂には見られる。五七五七七の最後の七を五音にするのは、塚本邦雄ばりの「五止め」の手法だろう。
彦坂には最初から短歌形式をはみ出すものがあった。「短歌は私にとって常に『問い』の詩型でした」(あとがき)と彼女は書いている。彦坂には短歌と並行して現代詩に対する強い関心があったのだ。

第一歌集で「白のトライアングル」というモティーフを用いた彦坂は、今度の詩集では「子実体」のモティーフを駆使している。

関係を問い返しているその度にベニテングタケが増えてゆく (「つれてゆきたい」)
わたくしがわたくしを産む瞬間の叫びは土のなかに響いて (「身体は途中から折れ」)
ざっくりと言えばがっつりいくような人がサクッってこどもを産んだ(「執拗に愛する」)
いつでもどこにでもいるいなくてもいることさえもわからないオレ(「ここにいるのに」)
吸根をあなたの身体に刺し入れて枯れるまで一緒にいてあげる
(お礼いうてええのんかしら          (「変態をくりかえし」)
関係のない関係を続けてる擬足のような手をのばしあう(「移動する」)

この詩集のなかから短歌形式の部分だけを抜き出すのは邪道だろうが、詩全体を引用するのは大変なので、やむなくこのようにしている。
子実体は胞子を飛ばし、移動し発芽して増殖、宿主を食い尽くし、「私」を解体する。菌糸は思いがけないところにまでネットワークを伸ばし、そこで新たな子実体を生成する。

「何かを分類し体系づけようとするときに、いつもその枠組みから外れるものたちがあります。それは異質な魅力を持っています。『子実体』は、菌類の生殖体で、胞子を生ずる器官。菌類は分裂し、飛散し、ランダムにアトランダムに拡散増殖し生成を続けます」
「詩とか歌とかも一度その枠組みを外してみたい。春日井建のもとで短歌の世界に関わり、詩も書いてきた私にとって、言葉の表現はジャンルを超えて自由な世界を持っていると思われました」
「五句三十一音だけが短歌ではない、という自由な発想を敷衍して、型を少し崩せば表現は詩にも歌にもなります」(『子実体日記』あとがき)

彦坂は意識的な表現者である。これに私が付け加えることは何もない。ルーツは違うとしても私が彦坂に共感するのはジャンルを相対化する視点である。


2019年1月26日土曜日

「川柳スパイラル」大阪句会 (付)短句の四三について

1月19日、大阪・天満橋のスピン・オフで「川柳スパイラル」大阪句会が開催された。
スピン・オフは歌人の岡野大嗣が運営しているスペースで、歌会・句会・落語のイベントなどに利用されている。20数名が入れる快適な空間である。
この日は24名の参加者があったが、川柳人だけでなく、川柳に関心のある他ジャンルの表現者も集まった。川柳人が半分くらいで、川柳と連句を兼ねている者が3名、俳人が3名、歌人が2名のほか詩人や短歌と川柳を兼ねている者などであった。けれども、こういう分け方そのものがあまり意味のないことだと、いま書きながら思った。ジャンルはともかく、川柳に関心のある人々が川柳の読みと実作のために集まったということだ。
最初にゲストの瀬戸夏子に話を聞いたが、瀬戸の「現代詩と川柳が近い」という発言にはびっくりした。この発言については、八上桐子も自分のブログで触れている。
従来、川柳は「私性の表現」という点で短歌に近いと言われてきた。川柳と俳句は同じ五七五定型なのでその区別がやかましいが、短歌と川柳は形式が違うので安心して内容の共通性を言うことができる。詩性を追求するなら川柳ではなくて俳句だろうという意見も飛び交っている。かつて柳俳異同論の際に、川柳が俳句に近づいているという言説に対して、そうではなくて俳句が川柳に近づいているので、川柳は詩に近づくのだという反論があった。その場合、「詩」こそが上位のジャンルであるというヒエラルキー意識(あるいは「詩」に対するコンプレックス)がなかったとは言えない。瀬戸の発言はそういうヒエラルキー意識とは無縁だろうが、他ジャンルの読者にとって川柳が一行の詩として読まれることがようやく可能になってきたのだ。こういう議論はめんどうくさいね。これまでの経緯があるので、ついそんなことを思ってしまう。
さて、会場にはウェブ川柳に投句している人も何人か参加していたので、森山文切に話を聞いてみた。森山の運営している「毎週web句会」では毎回約50名の投句があり、そのうち約30名は短歌も作っている人だそうだ。森山は「川柳にはプレーヤーがいる」「川柳は簡単にプレーヤーになれる」と語り、川柳に欠けているのはセールスだという。
川柳人は従来、「流通」ということにあまり熱心ではなかったが、川柳句集の数が増えてきた現在、流通の手立てを開拓することも必要となってきている。サラリーマン川柳などを除けば、川柳のマーケットはそれほど大きくはないので、個々の川柳人の地味な努力が必要だろう。クリエーター、エディター、プロデューサー、キューレーターなどの役割分担ができれば、安心して作品を作ることに専念できるのである。
川柳の句会にはいろいろなやり方があるが、当日は互選。一人一句出句で雑詠と兼題「滲む」が各24句ずつ。それぞれ4句ずつ選び、高得点順に句の読みを語り合った。無点の作品については作者名を明らかにしない。短歌の歌会にはあまり行ったことがないが、点は入れても高得点順に取り上げるというのではなく、無点の作品も全部作者名を開いて語り合うようだ。
川柳の句会で参加人数が多くなれば一句について話し合う時間は短くなる。明治のはじめごろは川柳でも互選句会が多かったようだが、時間がかかりすぎるので任意選者制に変った。互選から任意選者制への移行については尾藤三柳『選者考』(新葉館)にくわしい記述がある。
今回は時間の制限もあり、それぞれの句について十分話し合うことができなかった。句会は生き物であり、そのときのメンバーや条件にも左右される。完璧な句会というものはありえず、参加者のそれぞれが何らかの収穫を得て帰ってもらうことができれば満足するべきだろう。句の読みについて、リアルに読むのか言葉から読むのか、スタンスの違いが感じられ、句会に出す作品についても、動かない完成作品として出すのか、出席者の反応を見るための実験として出すのかで、若干の認識の違いがあった。
当日の作品は「川柳スパイラル」の掲示板に掲載してあるのでご覧いただきたいが、最高点の二句だけ紹介しておく。

雑詠   ホチキスが知らない住所から届く    鳥居大嗣
「滲む」 にじみながら海は七つと決められる   兵頭全郎

(付)短句の四三について

短句の四三問題というのは、連句の短句(七七句)における四三調の結句を良くないものとして禁じることで、日本語の基本的リズムが四拍子であるため、三音で終わるのが不安定であることを根拠とする。芭蕉連句において短句に四三調が一句も見られないことも有力な理由とされる。
日本語の韻律については別宮貞徳『日本語のリズム』(講談社現代新書)、菅谷規矩雄『詩的リズム』(大和書房)、坂野信彦『七五調の謎をとく』(大修館書店)、松林尚志『日本の韻律』(花神社)などの研究があり、すでに語り尽くされている。
短歌においては斎藤茂吉が「短歌における四三調の結句」(岩波文庫『斎藤茂吉歌論集』)という歌論を書いて、近代短歌では四三調の使用は何ら問題がないことを論じて以来、四三の禁をとなえるものはいない。
四三がいけないというのは連句界だけであり、最近は一部の川柳人が連句の知識を教条的に仕入れて十四字(七七句)における四三の禁を唱えている。
現代日本語において四三のリズムを一律に禁じるのは無理があり、連句の短句でも四三のリズムは可能なら避ければよいが、無理に三四などのリズムに直すのは逆に不自然である。たとえば不安定な心情を表現するには四三の方がぴったりする場合もある。芭蕉連句のリズムをそのまま現代連句に当てはめるのは無理であり、ましてや現代川柳のルールとすることには疑問がある。
自由律俳句においても山頭火の七七句などには四三調が見られる(「うしろすがたのしぐれてゆくか」など)。「一句一律」の自由律で四三がだめだというのは無茶な話である。
連句における短句の韻律についてはもっと丁寧な議論が必要だが、ネットなどで七七句が発信されるようになってきたので、取り急ぎ私見を書きとめてみた。

2019年1月20日日曜日

本間かもせりにおける七七句の再発見

本間かもせりは以前から七七句に関心をもっていて、「川柳スパイラル」の会員欄でも七七の実作が多かったが、このところネットでも発信が目立っている。彼がツイッターで「#かもの好物」として七七句を募集したところ、64名、130句の作品が集まったそうだ。潜在的に関心のある人を掘りおこすことに成功したと言えよう。詳しいことは彼のツイッターをご覧いただきたいが、たとえばこんな作品がある。

店長らしくないから鎖骨    たぶん
無意識尽きて村上春樹     川合大祐
コラム膨れの偽史を平積み   羽沖
モノクロームの子宮と右手   亀山朧
銀河星雲神話体系       IZU
また家出して海を見に行く   天坂

私は「川柳スパイラル」4号の「ビオトープ―現代川柳あれこれ」で本間の作品について次のように書いている。
「連句や前句付にもある短句(七七句)を独立させたのが武玉川調。本間かもせりは七七句の現代的可能性を精力的に追求中のようだ。『入道雲の遺書に打たれる』は突然の雷雨をもたらす入道雲と遺書とを連想で結びつけている。『再利用する午後の肉体』はやや抽象的で場面が想像しにくいが、肉体を物体化してとらえているところにおもしろさがある。連句の短句は前句に付かなければならないが、川柳の七七句は一句で独立することが求められるので、どのようにして他にもたれかからずに一句独立するかというところにおもしろさと困難さがある」
私自身、十四字(七七句・短句)への関心は深く、拙著『蕩尽の文芸』(まろうど社)には「十四字の可能性」という章を収録している。そこでも述べていることだが、『武玉川』には次のような完成度の高い七七句が多い。

鳶までは見る浪人の夢
二十歳の思案聞くに及ばず
手を握られて顔は見ぬ物
腹のたつ時見るための海
夫の惚れた顔を見に行く
肩へかけると活る手ぬぐい
恋しい時は猫を抱上げ
猟師の妻の虹に見とれる

これらの句は今でも古くなっていない。では、近代川柳の世界ではどんな七七句が書かれているだろうか。

白粉も無き朝のあひゞき    川上三太郎
はつかしいほど嬉しいたより   岸本水府
いつものとこに坐る銭湯     前田雀郎
時計とまったまゝの夜ひる    鶴  彬
クラス会にもいつか席順     清水美江
うるさいなあとせせらぎのやど  下村 梵
無理して逢えば何ごとも無し   小川和恵
監視カメラはオフにしていた かわたやつで

佐藤美文編集・発行による川柳雑誌「風」は、五七五形式の川柳とは別に十四字の投句欄を設けている。彼の師である清水美江にも十四字作品があることから「風」誌は十四字を川柳の遺産とする視点を受け継いでいる。
『風・十四字詩作品集』(2002年12月、新葉館出版)が発行された。この句集には22人の作品が各50句ずつ収録されており、何人かの作品を紹介してみよう。

記念写真へ今日は晴れの日    阿部儀一
紫の夜むらさきに咲く      泉 佳恵
隣と競い派手な豆まき    かわたやつで
鳥の素顔を見てはいけない    小池正博
ドミノ倒しへ誰が裏切る     佐藤美文
姫が不在で欠伸する騎士     瀧 正治
中原中也連れて居酒屋     中山おさむ
秘密をかくす葉牡丹の渦     林マサ子

さて、七七句にはどうしても未完の感じがつきまとうところがある。一句独立する根拠は何だろうか。前掲の拙著では暫定的に次の三点を「十四字が一句で独立する根拠」として挙げておいた。これが現在どの程度妥当かわからないが、新しい作品の展開によって整理しなおす機会があればいいと思っている。

1 スナップショット
2 メタファー
3 詩的飛躍

1は印象の鮮明な情景描写の句。屹立感はなくても、写生やイメージの鮮明さによって完結する場合。
2は隠喩の力を借りて意味性を際立たせる場合。これは五七五形式でも同じだろうが、十四字の場合は特にメタファーの力を借りることが有効な場合がある。
3は十四字という最短詩型でポエジーを表現するには生命線ともいうべきもの。ただし、詩情などというものは計算して表現できるものではないので、失敗した場合は非常に独善的なものとなってしまう。

さて、本間は七七句からさらに連句へと関心を進めているようだ。ネットでも作品が若干発表されはじめているが、今後の進展が楽しみだ。
最後に本間の自由律作品を「海紅」から紹介しておこう。
本間は本来自由律の俳人であるが、自由律→七七句(短句)→連句という道筋は私にはごく自然な展開のように見える。短詩型文学の世界は、どの入口から入ってもすべて繋がっている。

土筆校庭跡ヲ制圧ス      「海紅」平成30年7月
目印はかつて商店だった
紅い風の端っこに座る     「海紅」平成30年8月
あの夜も寝苦しかったディエゴ・マラドーナ
月それ自体耳である      「海紅」平成30年12月
無駄使い月痩せてしまった

2019年1月13日日曜日

川合大祐と川柳の仲間

21世紀のはじめ、ゼロ年代最初のころの川柳作品はどのようなものだっただろうか。
手元に「川柳の仲間 旬」115号(2002年1月)があるので開いてみた。
「新旬招待21世紀の川柳」のコーナーに15人の川柳人の作品が10句ずつ掲載されている。そこから任意に抜き出しておく。

誰かれと付き合い花を散らさんや     細川不凍
背開きにされて魚は飛ぶかたち      阿住洋子
唇から唇へ海底トンネル         北沢瞳
生真面目な海月と約束したのだが     北野岸柳
来るものへ桜の枝をビュンと振る     情野千里
二十世紀が沼の底から呼んでいる     津田暹
地下道を走る地下道ついてくる      徳永政二
それぞれが発行体を買ってゆく      峯裕見子
つきつめればあんたもわたしもせつない水 吉岡富枝
国歌として青い山脈唄いたい       渡辺隆夫

今から17年ほど前にこのような作品が書かれていて、現在とそれほど大きな変化はない。それぞれの作者によって主題と方法は異なるが、テン年代が終わろうとしている現在では川柳作品はさらに多様な展開を見せている。
私が「旬」のこの号を保存しているのは、「人物クローズアップ」の欄に川合大祐が登場したからである。私は川合大祐の作品にこのときはじめて出会った。
川合については今までもこの時評で取り上げている(「川合大祐の軌跡」2015年3月13日、「川合大祐句集『スローリバー』」2016年8月20日)。初期から句集発行までの川合の軌跡についてはそちらを参照されたい。
今回取り上げるのは、川合の最近の活動で、その領域は多彩に広がっている。
「旬」221号(2019年1月)は最新号だが、「せせらぎ」(220号より)というコーナーがあり、川合が「旬」の前号から選句している。このグループの現在位置を示すものとして紹介しておく。

寒くないですか。メールを送りましょうか。  千春
よって黒黒一目を置きましょう      小池孝一
謎めいたちくわパンだけ残ってる     桑沢ひろみ
やめるって棘の痛みを伴うね       樹萄らき
百円林檎大きな方を一個買う       池上とき子
大蜘蛛となって大きな巣を掛けよ     大川博幸
老人とロダンは風を考える        丸山健三

川合は「ストリーム220号より鑑賞」という文章を書いている。作品鑑賞のかたちを借りているが、テーマは「川柳とは何なのか」という問いである。
「川柳とは何なのか。
 この問いに答えられるならば、その人はとっくに川柳を止めているだろう。と、いう仮定に添うとして、『川柳とは何なのか』と問いつづける行為自体が、『川柳をし続ける』ことであるとは、とりあえず言うことは出来る。無論、それは『川柳とは何なのか』という問いへの答えではない。
 だが、『川柳とは』と問い続けることは、すなわち川柳を作るということである。たとえそれを意識しているいないにかかわらず。川柳を作っている、あるいは作ってしまった瞬間に、すでに『川柳とは何なのか』という問いが投げ出されているのだと、私は思う。
 だからこそ、『川柳は〇〇である』と答えてしまった時点で、その人の川柳は否応なしに止まってしまうのだ」

こういう正攻法だけでなく、川合は小説のかたちでも川柳についての思考を展開している。「川柳スパイラル」に連載中の「川柳小説」である。登場人物はふたりで、中学生の百合乃とその父親。川柳をめぐって珍妙な対話が続く。第一話「いかに句を作るか」、第二話「世界が終わるまでは…」第三話「地球の長い五七五」、第四話「存在と字間」。連載の最初の原稿が送られてきたとき、私は笑い転げて読んだが、川合の小説にはけっこうファンが多いようだ。第一話の冒頭だけ紹介する。

「川柳をはじめようと思う」
と父が言った。
「もちろん、『腹が出た 上司のほうが パワハラだ』みたいなサラリーマン川柳じゃないぞ。もっとこう芸術として追求された、革新的な文学作品を書いてみたいんだ。ついては、聖ピカデリー学園中等部文芸部部長であるお前の意見も聞きたい、百合乃」

最近の川合はネットやSNSでの活躍も目立っている。森山文切が運営している「毎週web句会」のことは前回も紹介したが、「第2回毎週web句会いちごつみ川柳」(平成30年8月18日)の最初の6句は次のようになっている。

怪物の宴にもある爪楊枝          文切
怪物の生理の妻とラリアット        大祐
リア充を装っている腕時計         文切
腕時計ガラス砕ける癌の城         大祐
タラちゃんがガラスの靴を履きたがる    文切
履きたがる焼け跡戻るロビンソン      大祐

ところで、『川柳サイドSpiral Wave』第2号(2017年9月)に樹萄らきは次のような句を掲載している。

大祐くんに汝名がでしゃばる比率   樹萄らき

「汝名(なな)」は「大祐」の別人格である。さまざまな川合大祐がいる。次はどんな川合大祐を見せてくれるのか。その展開をこれからも楽しみにしている。

2019年1月5日土曜日

現代川柳 今年の方向性

新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
この時評は2010年8月にスタートしたから、多少の中断はあるものの、今年で足かけ10年ということになる。

昨年末、12月23日に柿衞文庫で現俳協青年部による企画「戦後俳句を聞く(1)坪内稔典と片言の力」という集まりが開催された。案内文に曰く。
「昭和から平成へ。戦後俳句から、現代の俳句へ。
俳句の可能性をひろげてきたトップランナーたちに、その歩みを聞く。
第一弾は、正岡子規研究やユーモアあふれるエッセイでも知られる坪内稔典氏。
俳句史と切り結び、軽やかな口語俳句で魅了する、坪内氏の原点を探る」
ということで、坪内自身の口からまとまった話を聞くことができた。聞き手は久留島元と野住朋可。坪内の講演はこれまで何度か聞いたことがあるが、「僕はふり返るのは好きじゃない」と本人が言うように、坪内が自らの俳句史について語るのは珍しい。「声に出して読む言葉」「雑誌を作るのが好き」「俳壇とは距離を置く」などの発言のほか、金子兜太が若き坪内に語った「君たちは高島屋から飛び降りろ」という言葉など、印象に残った。
この企画、ゲストをかえて今後も続くというから楽しみだ。

さて、川柳のフィールドでは今年どのような動きがあるだろうか。
昨年、目についた方向性のひとつにWeb句会の活発化がある。
Web句会は従来からあるが、いま特に注目されるのは森山文切が運営している「毎週web句会」である。「川柳スパイラル」3号の特集「現代川柳にアクセスしよう」で飯島章友は「便利なウェブサイトの紹介」として次のように取り上げている。

【毎週web句会】(http://senryutou-okinawa.com/)
川柳塔社の森山文切氏が運営するウェブサイト。同サイトの「川柳ブログリンク」の欄は、全国の川柳ブログやホームページが県ごとに纏められている。同じく「WEB句会リンク」の欄は、ウェブで参加できる句会や、ラジオ・テレビの川柳コーナーで、結果がウェブサイトで確認できるものが纏められている。

詳しいことは森山のサイトをご覧いただきたいが、「天」に選ばれた句を任意に紹介してみる。

柚子ひとつ残して地球平面化     ( 川合大祐) 133回
ぬかるみを缶ぽっくりのまま進む ( 秋鹿町 ) 134回
なしくずし的に丘などやってます ( 杉倉葉 ) 137回
ゆっくりと燃えないパフェを食べている ( 笹川諒 ) 138回
みつけようどうぶつえんの密猟者 ( 愁愁 ) 140回

また、「いちごつみ川柳」というのもある。
前の人の句から「一語」とって自分の句に入れて作り、次の人も同様に一語取り、規定の句数になるまで順々に繰り返すもの。最初は短歌で始まったものらしいが、川柳でも行われるようになった。第3回(2018年8月25日、ツイッター)海月漂と森山文切による「いちごつみ」の最初の6句を紹介する。

夏だから勇気を出してみたクラゲ (文切)
骨ありのクラゲ探してローソンへ (漂)
ローソンで立ち読みをする猫娘   (文切)
猫娘寝込んでいたら八頭身 (漂)
ぬりかべを八頭身にするヤスリ (文切)
ヤスリかと思っていたら兄だった (漂)

海月漂(くらげただよう)はbotも運営している。前掲の飯島による紹介を引用しておく。

【現代川柳bot】(https://twitter.com/tadayou575)
現代川柳の作品が一定間隔で自動ツイートされている。川柳にはアンソロジーが少ないだけに有用なbotだ。

WEBやSNSが万能というわけではないが、現代川柳発信のための有効な手段のひとつとして今後も活用されてゆくだろう。句会や紙媒体に掲載される作品とweb上の作品とは重なる部分と異質な部分があり、両者がうまく循環してゆくことが望まれる。

川柳人と他ジャンルの表現者との交流は以前からも断続的に続けられてきたが、「川柳とは何か」「俳句と川柳はどう違うか」というような机上の議論が多かった。超ジャンルの合同句会を経て、川柳に関心をもつ他ジャンルの作者が川柳の実作を通じて川柳性を体感する段階にきているようだ。
「川柳スパイラル」2号では我妻俊樹・平岡直子・平田有・中山奈々などの川柳がゲスト作品として掲載され、4号では初谷むい・青本瑞季・青本柚紀が登場した。

昆虫がむしろ救いになるだろう     我妻俊樹
縊死希望かねそんなちょび髭をして   中山奈々
口答えするのはシンクおまえだけ    平岡直子
振り上げたならそののちは下ろされる  平田有
愛 ひかり ねてもさめてもセカイ系  初谷むい
右足がどんどん雨に置き換はる     青本瑞季
世界史のねむると長くなる廊下     青本柚紀

それぞれの主とするフィールドは別にあり、川柳に対する関心度もそれぞれだが、実作を通じてジャンル・形式の違いと手ざわりが感じられ、川柳の表現領域が拡大したり川柳性が変容したりする可能性が生まれる。「詩」の表現という面からも、たとえば「俳句における詩の表現」と「川柳における詩の表現」とでは現れ方が異なり、背負っている史的背景も異なるのである。

従来の川柳は句会と結社誌・同人誌を中心に推移してきた。そこから「句会作者」と「文芸としての川柳をめざす作家」が乖離する傾向が見られることもあった。
以前に比べて川柳句集が多数発行されるようになり、狭い範囲かもしれないが流通もはじまっている。「文学フリマ」や川柳に理解のある書店との連繋など、川柳の流通・販売を考えないといけない時期にきている。物質としての句集を出すだけではなく、それがどう読まれていくかまで視野に入れて川柳を発信していくことが必要だろう。
現代川柳を取りまく環境は変化してゆく。固定した何かがあるわけではないのだ。川の流れ、水の流れのようなものだろう。ヒト・モノ・コトバの関係性も変化する。そのなかでそれぞれの精神的・身体的・経済的条件に応じて表現活動を続けてゆければよいと思うのだ。