2017年5月20日土曜日

「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」についての感想(続き)

「レジュメに載せてある作品から作者の名前を隠してください。これは断言してもいいんですが、短歌に比べると川柳では、作者名を隠すと男女差がわからなくなると思います」(瀬戸夏子)

前回の続きで「川柳トーク」について書くが、今回は柳本々々についての感想である。
このイベントの二週間前に現俳協の勉強会があって、柳本はパネリストとして話をした。彼の話をもっと聞きたくて「川柳トーク」に参加した方もあったようである。
柳本は俳句の読みを通じて、そもそも「読むこと」とは何だろう、と痛切に感じたようだ。彼はこれまでにも、川柳だけではなくて短歌や俳句の読みを書いて来たはずだが、「俳句」という他ジャンルのフィールドの中で「読み」の問題が改めて問い直されるのだろう。
今回も「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」というイベント名をテーマとして正面から受け止めたのが柳本だった。インパクトの強いキャッチ・コピーとしてではなく、テーマとして内面化したのだ。柳本が挙げたのは次の10句である。10句に通底するテーマは【世界の終わりと任意の世界】だとされている。

みんな去って 全身に降る味の素       中村冨二
頷いてここは確かに壇の浦          小池正博
ファイティングポーズ豆腐が立っている    岩田多佳子
オルガンとすすきになって殴りあう      石部明
妖精は酢豚に似ている絶対似ている      石田柊馬
人差し指で回し続ける私小説         樋口由紀子
中八がそんなに憎いかさあ殺せ        川合大祐
おはようございます ※個人の感想です    兵頭全郎
毎度おなじみ主体交換でございます      飯島章友
菜の花菜の花子供でも産もうかな       時実新子

これらの句を通じて、彼は川柳の「任意性」を論じた。「任意性」とは兵頭全郎の句集『n≠0 PROTOTYPE』から抽出されたものである。「川柳カード」14号でも柳本は全郎の句集について、次のように書いている。

全郎の句集はタイトルにも「n≠0」と、「n」になにかを代入するやいなや、それが〈違うかもしれない可能性〉が暗示されていたが、句にも〈内〉と〈外〉が定まらない〈任意〉の世界が描かれている。この句集は真顔でこう言っているようだ。《構造とは実は任意なのだ》と。もっと大きく言えば、川柳というジャンルは、〈任意〉なのだ。と。

この考えを柳本は瀬戸夏子の仕事につなげてとらえた。
瀬戸夏子がやっている仕事は、ある任意の方向性を変えようとするものと思われる。短歌である読み方が因習的・支配的であるときに、瀬戸夏子がそういう読みかたはどうなのだろうと疑問を投げかけ「任意」のものにする。この日のタイトル、本当は「川柳が瀬戸夏子のなかで荒れる、荒ぶることができるか」ということだと柳本は言う。
第一部で小池が歴史的な縦軸を通して川柳作品を読んだのに対して、瀬戸はそれとは別のテクストとしての「読みの枠組み」を提示した。「おれのひつぎは おれがくぎうつ」(河野春三)の句を、瀬戸は「分裂する私」「生成変化する私」ととらえたが、柳本は「任意の私」ととらえたいと言う。

「毎度おなじみ主体交換でございます」では「主体交換」がとても川柳的。日常会話では使わない思想的・哲学的な言葉を「毎度おなじみ~」という卑俗な言説に落とし込んでゆく。
「おはようございます ※個人の感想です」では、「おはようございます」という疑いようのない言説に「※個人の感想です」という通販番組的言説が付くことによって、絶対的なはずの挨拶に任意性がもたらされることになる。

柳本は10句を順に説明してゆくのではなくて、9句目→8句目→10句目→7句目、というように適宜ピックアップしながら話を進めていった。次はどの句に話が結びつくのだろうと考えるとスリリングであった。特に驚かされたのは時実新子の読みについてである。

菜の花菜の花子供でも産もうかな       時実新子

時実新子は川柳で女の情念を表現したといわれているが、それにはあやしいところがある。句集を読んでいると新子には変な句、情念句というとらえかたにはおさまりきれない句が出てくる。「産みたい」とか「産めない」「産まなければならない」ではなく、「産もうかな」という任意的な言い方だと柳本は述べた。
春三の句について小池がマッチョな言説だとしたのに対して、瀬戸は「おれ」「おれ」と繰り返すことによって「私の分裂」を提示した。
作者がこう書こうとしたはずなのに、後から読者が読んだときに別の読み方が引っ張り出されてしまうことがある。
柳本はこれを「テクスト論的逸脱」として説明した。新子が川柳を書き続けているうちに「川柳の任意性」に汚染されて、「テクスト論的逸脱」をして、それが現在の柳本によって引っ張りだされたという。
柳本は「神戸新聞」(2017年1月7日)の「新子を読む 新子へ詠む 時実新子没後10年」でこんなふうに言っている。

「私」を書く川柳で知られる作家だけれど、僕が惹かれたのは、そんな人間的率直さよりも文体の形式性。現代川柳とは言語の芸術なのだから、新子句も伝記的背景を離れ、もっと言語的面から読み直されるべきだと思う。

さらに、柳本はジェンダー論にまで踏み込んだ。
近代になってジャンルが固定されることで、「任意性」が消えた。これは「男」「女」の固定制にもつながってゆく。
川柳が「任意性」の文芸だとすれば、川柳はジェンダーに敏感だったかもしれない。それなのに、川柳では今までジェンダー批評がおこなわれなかった。川柳が瀬戸夏子に出会うことによってジェンダーを自覚するかもしれない、と言うのだ。
ひょっとして、この柳本の発言は現代川柳がジェンダー論の視点からまともに語られた最初になるかもしれない。

瀬戸夏子は川柳に惹かれる理由を、近代的自我にとらわれない自由さにあると述べた。柳本は「任意性」「テクスト論的逸脱」から現代川柳のさまざまな可能性について語った。
いずれも、今まで川柳の世界の内部からはあまり聞くことのなかった捉え方である。
私は、かつて花田清輝が「前近代を否定的媒介にして近代を超克する」と繰り返し書いていたことを思い出した。レンキスト・浅沼璞の「可能性としての連句」にならって言えば、「可能性としての川柳」ということになるだろうか。
これからも現代川柳が作品や批評の分野で、さまざまな可能性を開拓してゆくことを期待したい。

(付)「触光」52号(編集・発行、野沢省悟)に「第7回高田寄生木賞」が発表されている。佐藤岳俊「現代川柳の開拓者」が受賞。入選は飯島章友「川柳ネタバレ論」小池正博「難解の起源」柳本々々「絵描きとしての時実新子」濱山哲也「川柳珍味 鳴海賢治商店」。次回(2018年1月末締切)も「川柳に関する論文・エッセイ」を募集している。

2017年5月14日日曜日

「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」についての感想

「川柳トーク」のイベントにかかりきりで、このブログを更新できないでいるうちに、短詩型文学の世界はどんどん進行している。
まず、小津夜景が「第8回田中裕明賞」を受賞した。
句集『フラワーズ・カンフー』については私も触れたことがあるし、あちらこちらで評判になった句集である。連句の世界では句集の上梓を記念して連句作品を巻くことがある。たとえば、「オルガン」9号では田島健一『ただならぬぽ』を記念して、オン座六句(浅沼璞捌き)を掲載している。今年に入って、小津夜景の句を発句として歌仙「たぶららさ」の巻を掲示板「浪速の芭蕉祭」に掲載した。『フラワーズ・カンフー』の発刊記念のつもりだったが、受賞を予祝するものとなったわけである。
また、現俳協主催の勉強会「ただならぬ虎と然るべくカンフー」が4月22日に開催され、小津夜景『フラワーズ・カンフー』、岡村知昭『然るべく』、中村安伸『虎の夜食』、田島健一『ただならぬぽ』の4つの句集について1日をかけて読み合ったようだ。さらに4月29日には船団の会のシンポジウム「口語の可能性」があり、神野紗希・秋月祐一・久留島元などが登壇した。
そういうイベントを横目に見ながら、ツイッターで「#瀬戸夏子は川柳を荒らすな」のイベント案内を流し続けた。

5月6日、中野サンプラザの研修室で「川柳トーク・瀬戸夏子は川柳を荒らすな」が開催され、歌人・俳人・川柳人など61名の参加があった。このイベントは私と瀬戸が半年くらい前から計画していたものである。従来、川柳の大会にゲストとして俳人や歌人を招くことはあった。また、俳句などのイベントに川柳人が招かれることもないわけではなかった。けれども、今回のイベントは瀬戸と小池の共同主催であり、従来の枠組を超えて広く川柳の存在と魅力を発信しようとする企画であった。広報は主としてツイッターを通じて発信され、ふだん川柳のイベントに来ることのない不特定多数の短詩型愛好者に参加してほしいというねらいがあった。幸い「知られざる現代川柳の世界」に関心をもっていただくことができたようである。

私は他ジャンルの人が川柳に対してとる態度を次の4点に整理した。
①俳人・歌人が「川柳って何ですか」と問いかけてくる(川柳の定義)
②川柳を読みたくても句集・アンソロジーが手に入らない(川柳の発信力の弱さ)
③川柳が文学になろうとすると俳句に負ける(「サラ川」的なものを追求すべき)
④文学的川柳をなぜ自信をもって追及しないのか(川柳は卑屈)
では、瀬戸夏子は現代川柳をどのようにとらえているのか、川柳のどこに魅力を感じているのだろうか。
私は瀬戸が現代川柳に関心をもつのは現代短歌と通じるところがあるからだと思っていた。けれども、話を聞いていると、逆に現代短歌にはない点が現代川柳にあり、そこに惹かれて現代川柳を読んでいることがわかった。どういうことだろうか。
瀬戸が選んだのは次の10句である。

私のうしろで わたしが鳴った        定金冬二
おれのひつぎは おれがくぎうつ       河野春三
明るさは退却戦のせいだろう         小池正博
ゆうれいの 仮説に惚れて逢いに来い     中村冨二
母さんも金魚にもどる時間だよ        渡辺隆夫
いもうとは水になるため化粧する       石部明
月光になりましたのでご安心を        広瀬ちえみ
くちびるの意識がもどる薮の中        樋口由紀子
裏声をあげて満月通ります          なかはられいこ
キャラクターだから支流も本流も       石田柊馬

まず、話の前提として瀬戸が語ったのは、明治になって西洋の「近代的自我」が入ってきたときに、詩・短歌・俳句のそれぞれのジャンルが生き延びてゆくために分業制を行っていったということ。短歌は「私性」というものを打ち出して成功したが、川柳には強い「近代的自我」があまり感じられないと瀬戸は言う。
たとえば、一句目「私のうしろで わたしが鳴った」というのは「私」のうしろにもうひとりの「わたし」がいるということで、「私」が遊離している状態。二句目「おれのひつぎは おれがくぎうつ」という二人の「おれ」の分裂状態も軽やかである。それが他のいろいろな川柳にもヴァリエーションとしてあらわれているのではないか。渡辺隆夫・石部明の場合もずっしりした肉体があるのではなくて、軽やかに「変身」し「生成変化」している。五句目、金魚に戻るというような表現を短歌でした場合には、背景にどういう感情があって金魚に戻るのか、六句目、月光になったのでご安心をというのも、月光になることによって誰がどういうふうに安心するのかという背景の文脈が読みとれるように書くことが要求される。いったん自分の肉体のなかに世界を取り込んだ上で、肉体のなかにカオスを作り出すというのが斎藤茂吉以来の短歌の「私」だと瀬戸は言う。最後の石田の句で、支流も本流も「自我」ではなくて「キャラクター」だととらえているのも川柳の軽やかさだと思う。そんなふうに瀬戸は語った。

瀬戸の話を聞きながら、特に河野春三の句を「軽やか」と受け止めていることに衝撃を受けた。春三の句は「重い」「重くれ」の句だと思っていたからである。
私は「河野春三伝説」(「MANO」19号)で次のように書いている。
「春三、六十代前半の句である。現代川柳の革新者として自他ともに認める『作者』のイメージが前提としてまず存在する。その春三の川柳人生を振り返っての決意を一句にしているのだから感動的でないはずはない。逆に言えば、春三のことを何も知らない読者にとって、この句はそれほど訴えかけてくるものではない。そんなにカッコつけなくても…と思ってしまうのである。『おれの』『おれが』と繰り返すのも何だか押し付けがましい」
春三は「川柳に私が導入されたときに詩がはじまった」と言ったという。

歴史的な意味があるとはいえ、私にとっては愚にもつかない、乗り越えるべき対象でしかない春三の句を、二人の「おれ」の分裂として「軽やかさ」を瀬戸が読み取ったということは、短歌における「私性」がそれだけ強固で息苦しいものだということなのだろう。おもしろかったのは、瀬戸が「私性」の説明をするときに、常に「私は嫌なんですけど」と断りながら短歌の本流としての「私性」を語ったことだ。そこに現代短歌界における瀬戸の位置があり、彼女の短歌観から見て現代川柳に可能性を感じていることがよくわかった。
逆に言えば、私が今まで川柳に導入されたと思っていた「私」は短歌から見ると「軽やか=ゆるい」私性でしかなかったことになる。

そういえば、斉藤斎藤は「オルガン」9号の座談会で突然「川柳」に触れ、「短歌の『私』とは違って、なかの人がいない着ぐるみみたいに見える」と述べている。短歌の人から見ると川柳の「私」はそんなふうに見えるのだろう。
渡辺隆夫は「重くれと軽み」について言っていたし、荻原裕幸は渡辺隆夫の句について「非人称」と言っていたことを、あとから思い出した。

瀬戸は現代川柳の歴史もある程度知ったうえで、あえて現在の目からテクストとして見た川柳の可能性を語ったのだろう。私は河野春三から時実新子に至るラインを現代川柳の行き詰まりと見て、その乗り越えとしてポストモダン川柳を考えていたが、そのような面倒な手続きをしなくても、テクストとして読まれた現代川柳が直接、心惹かれるものと受け止められ、認知されるようになってきたのは嬉しいことである。
瀬戸夏子の発言は「川柳を荒らした」かどうかはわからないが、少なくとも私の川柳観を荒らし修正を求めるものだった。さらに私の川柳概念を荒らしていったのが柳本々々である。(この項続く)

2017年4月21日金曜日

現代川柳における二次創作―川合大祐の場合

『川柳サイドSpiral Wave』は飯島章友・川合大祐・小池正博・榊陽子・兵頭全郎・柳本々々の六人による合同句集である。30句ずつ掲載されており、「現代川柳百人一句」(小池正博・選出)が付いている。
本日、取り上げるのは川合大祐の作品である。
川合の作品は三句一組で10セット。三句が先行する漫画・アニメ・映画・小説・絵画などを素材として踏まえて作られている。たとえば、

「私たちは最初からあなたたちが大嫌いで、最初からあなたたちが大好きだった」幾原邦彦『ユリ熊嵐』

萌えキャラのひき返しては熊射殺   川合大祐
熊を撃つ地球が沈む絵のように
弾丸の摘出法を説くアニメ

というような具合。私はアニメの「ユリ熊嵐」を見ていないので、よくわからないが、短歌などの他ジャンルでも「ユリ熊嵐」に基づいた作品を見かけたことがある。
川合は、ほかに上北ふたご『ふたりはプリキュア Splash☆Star』、宮崎駿『風の谷のナウシカ』なども取り上げているが、「ナウシカ」の方は私にもよく分かる。

税金で明るい暮らしトルメキア
ユパ様の思春期ほどに遠い過去
巨神兵いい筋肉は柔らかく

小説ではイアン・マクドナルド『火星夜想曲』、クリフォード・D・シマック『都市』、横溝正史『獄門島』も用いられていて、川合が幅広く読書していることがわかる。

むざんやな(獄門島で覚えた句)
(今書いた川柳すべて消しなさい)
(好きでした)×(獄門島で殺したい)

「獄門島」では芭蕉の「むざんやな冑の下のきりぎりす」「うぐいすの身を逆さまに初音かな」などに見立てて殺人事件がおこなわれるのだった。
『川柳サイドSpiral Wave』で川合は最後に「十牛図」を持ち出している。禅の悟りの十段階を牛の絵で示したものだが、ピンク・フロイドの「原子心母」を掛け合わせているところが一筋縄ではいかない。これはアルバムのジャケットに牛が使われているので有名なもの。

まだ牛であった時代の四国斑
意味よりもないものとして手を握る
乳牛の長い唾液は比喩なのか

このような作句法はある意味で川柳に親和的である。川柳は題詠が多いので、先行する作品を題(前句)として句を詠むという発想はありうる。川合の場合はアニメ・漫画を使っているところに現代性がある。

「川柳スープレックス」に川合は「200字川柳小説」というのを書いている。招待作品や任意の川柳作品に短い小説を添える試みである。彼は何のためにそんなことをしているのだろう。たとえば2017年2月19日の「薔薇の名前」。

「1877年、マーシュとコープとの間に勃発した〈化石戦争〉において」と〈博士〉は語りはじめ、「結果として、〈ブロントサウルス〉の名前を」と続けた時、〈偉人〉が乱入してきて、「〈ブロントサウルス〉はその名前であり続けるべきだ」と銃を振り回すのを〈下駄日和〉が制止して、「名前などどうでもいいだろ」、「いや」と〈水母に似た彗星〉が異議を唱え、「私達のあだ名は考えるべきだ」、ところで、吾輩は〈猫〉である。

おまえのせぼねにあだ名をつけてやる博士泣きながら  柳本々々
(「そういえば愛している」/『川柳サイド Spiral Wave』より)

「川柳スープレックス」に作品を発表すると、川合がどんな文章を付けてくれるだろうという楽しみがある。人によっては自作に何も付けてほしくないという向きもあるかもしれないが、川柳に別のものを付けることによって立ち上がってくるものがある。

「二次創作」という方法がある。
アニメなどでは当たり前になっているのかもしれないが、「二次創作」について東浩紀の『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)ではこんなふうに書かれている。

「二次創作とは、原作のマンガ、アニメ、ゲームをおもに性的に読み替えて制作され、売買される同人誌や同人ゲーム、同人フィギュアなどの総称である。それらはおもに、年二回東京で開催されるコミケや、全国でより小規模に無数に開催されている即売会、またインターネットなどを介して活発に売買が行われている」
「原作もパロディもともに等価値で消費するオタクたちの価値判断は、確かに、オリジナルもコピーもない、シミュラークルのレベルで働いているように思われる」

「二次創作」が活発に行われているのは短歌においてである。
ネットで検索すると、すでに2013年に「進撃の巨人」をもとにした二次創作が短歌で作られている。
川合は短歌も作っているから、「二次創作」のことはよく知っているだろう。
川合の川柳にはいろいろな方向性があるが、川柳における二次創作の試みもそのひとつであって、今後彼がどんなふうに新しい領域を切り開いてゆくのか注目している。

2017年4月14日金曜日

『熊本地震の記憶』(熊本県川柳協会 編)

三月末、島原・天草の旅に出かけた。
博多で「かもめ」に乗り換え、諫早からは島原鉄道で島原まで。「かもめ」なのに車体に燕の絵があるのが不思議だったが、スマホで検索すると旧つばめの車両も一部使われているということで納得する。島原鉄道は「しまてつ」と呼ばれて地元では親しまれているようだ。
島原は湧水のきれいな町である。
島原城でキリシタン資料を見たあと、武家屋敷や鯉の泳ぐ町を散策。水屋敷と四明荘ではゆっくりできた。
翌日は雲仙に向かった。
島原から遠くに見えていた平成新山がバスの車窓から間近に見えた。
普賢岳の噴火から25年以上が経過した。噴火でできた山が平成新山である。
雲仙では仁田峠からロープウェイで山上へ。ガスで景色はまったく見えなかったが、気温が低く霧氷を見ることができた。
あと、地獄めぐりと「お山の情報館」で地学と火山について詳しく知ることができた。
島原に来たからには、やはり原城は見逃すわけにはいかない。
石垣のほかは何も残っていないと分かっていたが、その場所に立つことで感じられるものがある。例年なら桜の時期のはずなのに花は一輪も咲いていなかった。天草四郎。海がひたすら青かった。
口之津港からフェリーに乗って天草へ渡る。
天草では本渡から周遊バスに乗り、キリシタン関連のコースを巡った。
天草コレジヨ館、﨑津教会、天草ロザリオ館、大江教会。
明治期、北原白秋・吉井勇・与謝野鉄幹・平野万里・木下杢太郎の五人は「五足の靴」の旅で大江教会のガルニエ神父を訪れている。この旅から白秋の南蛮趣味が生まれ、歌集『邪宗門』に結実したことはよく知られている。
最終日、天草の本渡から快速バスで熊本へ出た。

旅行から帰って、キリシタン関係の本を読んでみた。
特に天正少年遣欧使節に興味を持ったので、三浦哲郎の『少年讃歌』を読んでいる途中。長い小説なので、少年使節はなかなかローマに到着しない。
伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノの四人のうち、ミゲルは棄教したと伝えられ、ジュリアンは弾圧で穴吊りの刑を受け殉教したという。ジュリアンと同じ刑を受けて棄教したのが、遠藤周作の『沈黙』に出てくるフェレイラ神父である。

地元の人には当然のことだが、島原は長崎県、天草は熊本県である。
本日4月14日は熊本地震からちょうど一年目になる。
熊本在住の川柳人・田口麦彦さんから『熊本地震の記憶』(熊本県川柳協会 編)を送っていただいたので、この句集を紹介しておきたい。
「まえがき」には「熊本に住む私たち川柳人は、熊本地震の被害者であり、経験をした証言者でもある」「それぞれが脳裏に刻み込んだ『証言』を読み込んだ句を作っている。この記憶を吟社の枠を外して熊本県の川柳人という大きなくくりでまとめ、後世に残すことが絶対的な義務であると考え、この本の出版となった」とある。
発行者・熊本県川柳協会。編集は黒川孤遊・井芹陶次郎・津下良。
写真も多く使われていて手に取りやすい。10句紹介する。

いつもの城はいつもと違う空を向く   黒川福
平凡は非凡と思うあの日から      原萬理
解体を待つ家魂のぶらり        阪本ちえこ
暗闇で聞くクマモトのうめき声     黒川孤遊
苦しみを巻いて餃子を食べた朝     上田美知子
全国に地名知れたか益城町       菊本千賀子
仮設入居感謝する人拒む人       鷲頭英司
ストーカーのように余震が迫ってくる  前田秋代
天変地異地球も生身なんだろう     久保洋子
風船を上げて小さな仮店舗       小島萌

巻末に熊本県川柳協会会長の古閑萬風が「ごあいさつ」として次のように述べている。
「この川柳句集は、熊本県在住の川柳作家が、自分の心や身体に刻み込んだ地震の恐怖、復興への気構えなどを、十七音の世界で鮮烈に詠った句を集大成したものであります。熊本日日新聞社、益城町役場、熊本市役所、熊本総合事務所、出水神社(水前寺公園)のご協力をいただき、川柳に加えて写真も数多く使い、ビジュアルな句集としてまとめ、地震の記録として語り継いでいける形になっています」
「災害に直面した時の人間がそのまま詠われているのも、人間を詠む川柳ならば、でしょう。『川柳で見た熊本地震』として記憶にとどめていただければ幸いです」

2017年3月31日金曜日

墨作二郎を偲ぶ会

本日は「墨作二郎を偲ぶ会」に126名のご参加をいただき、ありがとうございました。
森中恵美子さんのお心のこもったお話のあと、私の方は墨作二郎の長年に渡る川柳活動をレジュメに従って改めて振り返ってみたいと思います。
墨作二郎さんは大正15年11月、大阪府堺市に生まれました。堺出身の文学者といえば詩人・安西冬衛が有名です。この会場の近くのザビエル公園に冬衛の詩碑「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」が建立されています。作二郎さんは昭和9年、安西冬衛と会いました。作二郎さん九歳のときです。
昭和14年、堺市立商業学校在学中に文芸部に参加。父の兄の友人だった大野翠峰に師事、俳句をはじめました。翠峰は堺で「半夜」を創刊した俳人です。
昭和21年5月、河野春三の誘いを受けて作二郎さんは現代川柳をはじめました。
俳句から川柳への移行について、作二郎さんは「川柳春秋」209号(1972年11月)でこんなふうに書いています。

《翠峰から連絡があって「曲水の宴」を開くから来るようにと云って来たのは二十一年五月。私は遅れて行った。(中略)宴が終り高札の裏にその日の作品を書くことになった。私も求められて
蝶々の黄、身に一片のパン冴ゆる
と書いた。翠峰は「作二郎君、これは俳句ではない、この様な俗臭を私は教えなかった筈だ」と云った。私は瞬間これが俳句でないなら俳句を止めても良いと思った》

また、「バックストローク」7号・8号(2004年7月・10月)の特集「戦後川柳の軌跡を辿る―墨作二郎に聞く―」では私と石田柊馬さんで作二郎さんにインタビューをしました。そのときの録音テープがありますので、しばらくお聞きください。

〈堺に月蔵寺というお寺があって、そこに小山があって川が流れている。京都の城南宮と同じような庭があったんです。翠峰さんに「こんなものは俳句ではない」と言われて、「いいですよ。それでは帰ります」と言って帰ったんです。そのとき和田三元(「番傘」系の川柳人)もいて、あとで河野春三に連絡して、いっしょに私をたずねてきたんです。「おもしろいやないか。いちど思い通りにやってみたらどうか」というのが川柳の出発点になるんじゃないかと思います。
昭和23年に出した『陸橋』というのは俳句の句集ですが、これを持って安西冬衛さんのところに行くと、「こんな短い詩型でこの世の中の移り変わりを書けるはずがない。くよくよせずに、現代詩をやれ」と言われたんです。安西さんも曲水の宴に出ていたんですね。昭和24年に僕が北海道に行くときに北海道の詩人に紹介状を書いてくれました。〉

もっと録音を聞いていたい気がしますし、その方が私も楽なのですが、そういうわけにもまいりません。この会場には俳人の方はおられないと思いますが、もし「半夜」の方がおられたら気を悪くなさらないでくださいね。
作二郎さんの話のポイントは二つあると思います。
ひとつは「俳句から川柳へ」という道筋です。時実新子さんの場合は最初、短歌を作られたようですが、短歌の先生からこんなのは短歌ではないと言われたようです。新子さんは「短歌から川柳へ」という道筋ですが、いずれの場合も、川柳の方に受け入れるだけの自由度があったということですね。
もうひとつは作二郎さんの川柳への現代詩の影響です。川柳というジャンルの内部からの自律的発展ということはなかなか起こりにくく、他ジャンルの影響や刺激を受けて川柳が新たな展開を見せることがあります。川柳というジャンルのなかで詩を書くということになるわけで、詩性というのは常に川柳革新の契機でありました。
けれども、現代詩の影響というものは作二郎さんの場合にもすぐに直接的にあらわれたわけではありませんでした。『凍原の墓標』(昭和29年)は作二郎さんの最初の川柳の句集ですが、興味深いことに定型をきっちり守っています。

凍原の墓標故郷に叛き得ず 

その次に「長律の時代」が来ます。ここには、はっきり現代詩への志向が見られます。

埋没される有刺鉄線の呻吟のところどころ。
秩序の上を飛んでゐる虫のきらめく滴化

新鮮なる鍋底がかぶさつてゐるとしたら。砂
上の焚火をかこんでゐる天使の群の憂愁

雨の中に壁がある。スキャンダルのすば
らしい断層なのだろうか

砲門にもたれるアルレキンの口笛は戦い
の命令にうららかな冬日

前の二句は『川柳新書・墨作二郎集』(昭和三十三年四月)から、後の二句は『アルレキンの脇腹』(昭和三十三年七月)からです。行分けはもとの句集そのままにしてあります。
作二郎さんはよく「作二郎の作品が川柳ではないと言われても痛痒を感じない。しかし、作二郎の作品に詩がないと言われるなら問題だ」と言っていました。
あと作二郎さんの言葉としてよく知られているものに「川柳は寛容なる広場」というのがあります。あちこちで語られていますが、『川柳新書』「作者のことば」では「兎もあれ川柳とは(私にとって)『寛容なる広場』」と書かれています。作二郎さんの作品を当時の川柳界全体が認めたわけではありませんが、河野春三をはじめとする周囲の川柳人には作二郎を認めるだけの自由度があったということでしょう。
作二郎さんの作品のうちでもっとも有名なのが次の作品です。

鶴を折るひとりひとりを処刑する 

昭和47年、平安川柳社創立15周年記念大会で秀賞を獲得した句です。このとき作二郎さんはもうひとつ「能面の起きあがるとき地の痛み」という句も詠んでいます。
作二郎の円熟期を代表する句集が『尾張一宮在』(昭和56年5月)でしょう。

ばざあるの らくがきの汽車北を指す
蝶沈む 葱畠には私小説
かくれんぼ 誰も探しに来てくれぬ
四月馬鹿 シルクロードを妊りぬ
あきらかに飢餓 水色の相聞歌

平成7年、阪神淡路大震災が起こりました。このとき作二郎は震災句を集中的に詠み、句集にまとめています。

春を待つ鬼を瓦礫に探さねば     『墨作二郎集・第三集』平成7年9月

この句には私は個人的な思い出がありまして、この句を発句として歌仙「鬼を瓦礫に」を巻きました。震災のあとですから鬼というと死者の霊魂と受け取られると思いますが、句集のあとがきには「この場合の鬼は善であって力であって希望であって親しき仲間である」と書かれています。

椿散華こおどり 白鳳音階図     『遊行』 平成8年10月
快晴の森の記憶の阿修羅像      『伎楽面』平成11年6月
神獣鏡は指切りげんまん 青ぴいまん 『龍灯鬼』平成12年6月
伐折羅大将泰然 雨降るアルバム   『伐折羅』平成13年2月

作二郎さんが常におっしゃっていたのは「これからの川柳」ということです。彼は常に川柳の未来を考えていました。作二郎の行なったことをそのまま継承するのではなくても、彼の川柳精神を新しい時代に即して受け継いでゆくことが私たちの与えられた課題だと思います。作二郎さんはたとえば兵頭全郎などの若い世代の川柳人の作品にも注目していました。本日は若い世代の川柳人にも墨作二郎という川柳人の軌跡を知っておいてほしいという気持ちでお話させていただきました。
ごいっしょに「これからの川柳」を切り開いてゆきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。

(「墨作二郎を偲ぶ会」2017年3月30日、堺市福祉会館大ホール)

2017年3月24日金曜日

俳句と川柳の取り合わせ―「川柳ねじまき」第3号

名古屋の「ねじまき句会」から「川柳ねじまき」第三号(発行人・なかはられいこ)が発行された。
巻頭、なかはられいこの20句は「ととととと」というタイトルである。

代案は雪で修正案も雪        なかはられいこ
きんかんとぎんなん次男と長男に  
電柱と岸辺シローは出会えたか
ふくろうとまめでんきゅうが鳴き交わす
無花果と石榴どちらが夜ですか

一読して「取り合わせ」の句だということが分かる。
ふつう取り合わせは俳句で使われる手法である。
なかはらのページのコメントを担当している二村鉄子はこんなふうに書いている。
「取り合わせは即かず離れずのことばとことばを掛け合わせて、思ってもみない効果を生むことを期待して書かれることが多い。読者に対して祈るような気持ちだ。けれど、なかはらの取り合わせは、確信犯的で、バナナのたたき売り的だ」

代案  ― 雪
修正案 ― 雪

きんかん(金柑) ― 長男(あるいは次男)
ぎんなん(銀杏) ― 次男(あるいは長男)

電柱 ― 岸辺シロー(固有名詞)

ふくろう(梟) ― まめでんきゅう(豆電球)

無花果 ― 夜(または昼)
石榴  ― 夜(または昼)

ひらかな・漢字・俳句の季語に相当する語などを使いながら様々なヴァリエーションを展開している。
俳句に限らず、川柳でも取り合わせの句は存在するが、川柳の場合、それは「取り合わせ」ではなくて「飛躍」だと私は思っている。川柳では題詠が多いから、「題」(発想の起点)からどれだけ飛躍するかが腕のみせどころとなる。

妖精は酢豚に似ている絶対似ている   石田柊馬

たとえばこの句の場合、「妖精と酢豚」の取り合わせではなくて、「妖精」という題から「酢豚」に飛躍したのだ。しかし、「AとBの取り合わせ」と「AからBへの飛躍」は結果的に区別のつかないものになってしまう。
今回のなかはらの作品の場合、俳句の取り合わせを意識しながら、更に手のこんだものになっているように思われる。

「ととととと」というタイトルについて。
「の」とか「は」という助詞から川柳性を説明しようとする文章を見かけることがある。
たとえば「は」は川柳の基本文体である「AはB」という問答構造にしばしば使われる。川柳人にとって使いやすい助詞なのだ。

母親はもったいないがだましよい

なかはらは「と」に川柳性を発見したのかもしれない。
「と」はコラボにつながってゆく助詞である。
そういえば、一昨年大阪で「とととと展」というイベントがあった。
安福望の『食器と食パンとペン』の発行を記念して大阪・中崎町で開催され、岡野大嗣・安福望・柳本々々の鼎談があった。岡野の短歌、安福のイラスト、そこに柳本が漫画やアニメの例を加えながら作品を読んでいった。
言葉に言葉を取り合わせるのではなくて、言葉にイラストや絵を取り合わせているのであって、「と」はリンクの思想と結びついている。

さて、話を「ねじまき」に戻して、なかはらの句にコメントを寄せている二村鉄子の句を紹介しておこう。

まずは資料請求たんぽぽ咲く国へ    二村鉄子
えびせんべいいかせんべいと合併症
ヒメムカシヨモギ気圧の谷にあり
きれいでなければ夜景でないと夜
まるで銀杏まばたきを引き換えに

俳人の二村が取り合わせをあまり使わず、川柳人のなかはらが取り合わせの句を書いているのを面白く思った。

先日、名古屋の「ねじまき句会」にはじめて参加した。
作品は事前に出句しておいて、当日はひたすら句の読みに終始する「読みの句会」である。印象的だったのは、句の言葉を正確に読んでゆこうという雰囲気があったことだ。
川柳の読みでよく経験するのは、句の読みを提示する前に、好き嫌いや自分の思いの開陳が多いということだ。それは句を読んでいることにはならないので、句から触発された自分の思いを読んでいるのだ。
「ねじまき句会」で使われていたことばに「親切な読み」というのがあった。句の言葉に直接ない意味まで忖度して読んでしまう態度を指して批判的に使われていた。それだけ、句の読みは言葉に則して厳密に読まれていることになる。
ちょうど「短詩時評」(3月18日)で柳本々々が「ねじまき紀行」のなかはらの発言を「表現者の覚悟」ととらえた文章を読んだ。これもひとつのシンクロニティだと思った。

2017年3月18日土曜日

川柳は「川柳」を問う―『俳誌要覧』2017年版

『俳誌要覧』(東京四季出版)が発行されて、俳句を中心とした短詩型文学の現在を展望するのに便利なものとなっている。【平成28年の俳句界】岸本尚毅、上田真治【俳文学の現在】〈川柳〉柳本々々〈連句〉小池正博〈研究〉安保博史【句集回顧】関悦史、依光陽子【評論回顧】青木亮人、外山一機【いま、短歌が気になる】堀下翔、鴇田智哉【受賞作を読もう】生駒大祐【俳句甲子園をふりかえる】黒岩徳将。これに鼎談と年代別自選句一覧、結社同人誌資料などが付く。

まず、俳句界の現在を知る意味で上田信治の〈「中心」が見えない〉を興味深く読んだ。
上田は「同時代の俳句をいっせいに価値づけるような、中心性や求心力が失われて久しい。いや、そういったものは、もう現れないのかもしれない」という現状認識に立った上で、「かつてあった求心力の消失によって生じた空白を埋めるような、いくつかのモーメント」を挙げている。
「トリックスターの活動」として上田が挙げているのは、テレビ番組プレバトの夏井いつき、「屍派」の北大路翼、『俳句を遊べ!』の佐藤文香、「東京マッハ」の千野帽子・長嶋有などである。「トリックスター」というのは悪い意味ではなく、「従来の境界線を超えて活動する書き手たち」という意味で使われているようだ。
次に上田が挙げるのは「二十代の俳人たち」で、俳句甲子園出身者が多い「群青」、若手が多く入っている「里」などの若手俳人。「彼ら世代が、特定の俳人の指導を受けることなく、作家であろうとする意志は、動向として明確にあらわれている」と述べられている。
さらに、中心性が失われた時代における「個々の俳人による孤独な探求」として、中田剛、堀下翔、澤好摩などの名が挙げられている。俳句史への再接続が個々の探究として試みられていると言うのである。
上田が分析しているような俳句界の現在は、俳句の世界を外から眺めている私にも納得できるものだ。むしろ外部の読者の目には、上田の挙げているような俳人の活動の方が俳句の現在、俳句のセンターとして目にうつってくる。句集回顧で関悦史や依光陽子の挙げている句集のいくつかは、この時評でも紹介したことがある。

ひるがえって、川柳の現在はどうなっているだろうか。
そもそも「川柳界」というものが今でも存在しているかどうかが疑問である。中心とトリックスターどころの話ではない。そもそも中心がなければトリックスターの活動も意味をなさないから、トリックスター的な動きをする川柳人も見られない。孤独な探求にならざるをえないのである。
ブログやツイッターに活路を求めるのもひとつの方法だが、外山一機が「ネット上の評論」に触れているのに注目した。ネットの読者は自分に都合の良いように記事を選り分けて読んでいる。そのような読者の自己愛に耐えてネットに書き続けるには読者の自己愛を超えるほどの書き手の自己愛が必要になると外山は言う。外山は柳本々々の名を挙げている。
「週に数回という猛烈なペースで記事を更新し続けているにもかかわらず、柳本の言葉が示唆に富んでいるのは、柳本が何よりもまず自分のためにこそ書いているからだろう。柳本の言葉が輝くのは、たぶんに躊躇しながら、しかし、はっきりと持論を提示したときだ」
(外山の文章には一か所だけ誤認があり、「おかじょうき」は歌誌ではなくて川柳誌である。)

では、柳本の文章「現代川柳を遠く離れて」を読んでみよう。
柳本は《川柳とはいったい何か》という川柳のジャンルそのものを問い返した句集として、兵頭全郎『n≠0 PROTOTYPE』と川合大祐『スロー・リバー』の二冊を挙げている。

おはようございます ※個人の感想です   兵頭全郎
ぐびゃら岳じゅじゅべき壁にびゅびゅ挑む  川合大祐

兵頭の句では「おはようございます」という普遍的・絶対的な言説に「※個人の感想です」という個人的・相対的な注釈が添えられることによって、川柳ジャンルそのものに任意性を持ち込んでいる。川合の場合はもはや意味が成立しないような場所から一句が始まっている。「ぐびゃら/じゅじゅべき/びゅびゅ」という意味のとれない言葉の系列のなかに「岳/壁に/挑む」という意味のとれる言葉の系列が挟みこまれている。柳本はそれを縞馬の縞にたとえ、どちらの縞をとるか、どのようにとるかが問われているのだと言う。
「兵頭全郎と川合大祐、ふたりの川柳作家に共通しているのは、読者を巻き込んでの創作行為としての川柳を提出している点にある。その川柳を読んでしまえば、読者自身が立ち位置を問われることになる。そういう川柳を考える川柳の現場がこの二冊にははっきりとあらわれている」

このほかに柳本は岩田多佳子『ステンレスの木』、『15歳の短歌・俳句・川柳』全3巻、久保田紺『大阪のかたち』、熊谷冬鼓『雨の日は』などを取り上げたあと、「現代川柳にとって2016年は、川柳というジャンルの再吟味の年であったのだということだ」と述べている。(まだ発行されていないので詳しくは言えないが、今月末に刊行予定の「川柳カード」14号でも柳本は兵頭・川合・岩田の三冊の句集を取り上げて論じている。川柳はようやく句集の時代に入ったのである。)
最後に柳本は野沢省悟が川柳誌「触光」で募集した「高田寄生木賞」に触れている。今回、この賞は「川柳に関する論文・エッセイ」を選考の対象としている(発表は5月ごろになるようだ)。そして、柳本はこんなふうに書いている。
「川柳というジャンルのなかでいろんな人間がそれぞれの場所からこれまでとは違った光を灯そうとしている。」「2017年がその光を迎えとるだろう」
私は柳本ほど楽観的にはなれないが、少しは希望をもってもいいのかもしれないと思うのである。