2019年10月25日金曜日

暮田真名の二年間

10月13日に予定されていた暮田真名『補遺』の句評会が台風の影響で中止となった。
レポーターに平岡直子・柳本々々・武田穂佳を迎え、参加申込みも多かったように聞いている。「推し句」のプレゼンバトルではレポーターたちが句集から推薦句を述べたあと、どの句が一番よいか、勝敗を来場者の投票で決めるという企画もあった。特に若い世代の参加者との交流を期待していたので、中止は残念なことだったが、改めて開催を望む声も多いので次の機会を待ちたい。

「川柳 杜人」263号に暮田は「川柳人口を増やすには」という文章を書いていて、次のように言っている。
「はじめに、私が川柳と出会った経緯を述べる。個人的な話で恐縮だが、当時学生短歌会、俳句研究会に所属する大学2年生だった私が川柳と出会った経緯を記すことは、若年層の川柳への入り口を考える際の一つのサンプルになるだろう」
暮田の川柳との出会いは瀬戸夏子経由だったようだ。新宿紀伊国屋で行われた「瀬戸夏子をつくった10冊」というブック・フェアで、暮田ははじめて川柳句集を手にとったという。さらに、2017年5月に開催された「川柳トーク 瀬戸夏子は川柳を荒らすな」に暮田は参加している。私がはじめて彼女に会ったのもそのときで、句会では暮田の川柳を私と瀬戸のふたりとも抜いている。

印鑑の自壊 眠れば十二月   

「私」が壊れているとは言っていない。印鑑が自ら壊れるのだという。そして、眠ればすでに十二月になっている。全体は十七音だが、8音+9音の取り合わせと一字開けは充分に効果的だ。これが暮田の最初の川柳作品で、『補遺』では巻頭に置かれている。
二か月後の「川柳スパイラル」東京句会(2017年7月23日)にも暮田は参加。このときも好成績だった。

狩人とばかなダンスを考えた  
分度器の森の小鳩は狩りません
真昼間の音楽室の渦づくし

「川柳スパイラル」2号から彼女は会員になり、4号では「吉田奈津論」を書いている。
2号の会員作品欄の冒頭に暮田の句が掲載されている。次の二句は『補遺』にも収録されているので、比較的知られている作品である。

常夏の棘だドレスだ常冬だ       
いけにえにフリルがあって恥ずかしい

この句について同号の「ビオトープ」で私は次のように書いた。
「衣裳の句だが、『棘』『いけにえ』によって川柳にしている。『いけにえ』というのだから危機的な状況にあるはずだが、そんな時にも女の子は羞恥心を失わないのだ。この句は深刻な状況というより、コミックの一場面として軽くとらえるのが正解かもしれない。恥ずかしがっているのが、いけにえにされる方ではなく、いけにえにする方だと読めば無気味さが出てくる」
この感想の当否は別として、暮田の句の新鮮な感性には驚いた。
このころ、私は暮田のことを歌人と思っていて、若くて才能があるのなら短歌フィールドで活躍するべきだと考えていた。「川柳は何も支えない」というのがそのころの私の思いだったし、一時的に川柳に関心をもつ人がやがて川柳から離れていくのをそれまで経験していたからである。だから、このころの私は暮田の本気に対して必ずしも正面から向き合っていなかったかもしれない。
しかし、暮田は「川柳スパイラル」に投句するだけではなくて、ネットプリント「当たり」を創刊(2017年11月)、大村咲希の短歌とペアで自らの川柳作品の発表を続けた。また飯田章友らのブログ「川柳スープレックス」にも参加。川柳フィールドで意欲的に活動をはじめた。「当たり」から何句か引用しておこう。

シジミチョウなぐさめようとして初犯 
恐ろしくないかヒトデを縦にして 
見晴らしが良くて余罪が増えてゆく
どうしてもエレベーターが顔に出る
職業柄生き返ってもいいですか
恍惚の高野豆腐を贈りあう
こんばんは天地無用の子供たち

今年5月の文学フリマ東京にあわせて暮田は第一句集『補遺』を発行した。ネットプリントを一冊にまとめた『当たりvol.1‐vol.10』も同時発行。
暮田がはじめて川柳を作ったのが2017年5月だから、句集発行までちょうど2年である。『補遺』の表紙にも2017‐2019 と明記されている。新しく登場した川柳人が句集一冊を世に問うという姿勢は従来あまり見られなかったことである。今でこそ川柳句集が数多く出るようになったが、生涯に一冊の句集が作者の死後に上梓されるなどということが以前はよくあった。山村祐が「句集は墓碑銘ではない」と書いたのは1957年のことである。
『補遺』によって暮田は川柳にデビューした。もはや暮田の本気を疑うものはいない。補遺から逆に、暮田真名の川柳の第一章、第二章が続いてゆくことだろう。