2012年6月29日金曜日

段駄羅の話

阿刀田高の『おとこ坂おんな坂』には12話の短編小説が収録されているが、言葉遊びの好きな著者だけに作中にさまざまな短詩型文芸が登場する。第一話「独りぼっち」では、バーにやって来る客の一人が回文に凝っている。「名作ができてねえ。ママに褒めてもらおうと思って」という彼が作った作品は

濡らしては初夜ははやよし果て知らぬ

という回文である。「(上から読んでも下から読んでも)世の中馬鹿なのよ」と歌ったのは日吉ミミだったが、私が最近耳にした風刺的回文に「保安院全員あほ」というのがある。怒る人があるかも知れないが、目くじらを立てることもないだろう。
第九話「恋の行方」では輪島塗の職人たちに広まっていた「段駄羅」という言葉遊びが重要な役割を果たしている。次に挙げる実例は段駄羅の代表的作品で、阿刀田の小説にも出てくる。

甘党は 羊羹が得手
      よう考えて  置く碁石     島谷吾六

中七の部分を掛け言葉にすることによって二重の意味をもたせ下五に続けていく文芸で、雑俳の分類で言えば「もじり」の一種と考えられる。
第二話「爪のあと」では万葉集の狭野弟上娘子の短歌をストーリー展開にうまく使うなど、短詩型文学作品を恋愛の機微に結びつけているのは心にくい。小説に上手に取り込むことで、読者が短詩型に興味をもつきっかけになったりする。

『ことば遊びの楽しみ』(岩波新書)でも阿刀田は段駄羅のことを次のように紹介している。
「段駄羅を知っていますか。
能登の輪島地方に伝わる充分に精緻なことば遊びなのに、一般にはあまり知られていない。大きな国語辞典にも載っていない。なぜなのだろうか。
私自身は木村功著『不思議な日本語・段駄羅』(鞜青社)で初めて知った」

この段駄羅研究家・木村功氏(大阪府堺市在住)をお招きして、先日6月24日に大阪・上本町の「たかつガーデン」で「第2回大阪連句懇話会」が開催され、「雑俳の話」をしていただいた。関西の連句人を中心とした集まりであるが、参加者の中には阿刀田高の小説を読んで段駄羅に興味をもった人もいたようである。
当日のレジュメは15ページに及ぶもので、雑俳・前句付から始まって段駄羅まで興味深い話の連続であった。その中から、いくつかの点をピックアップして紹介してみたい。

「一つの句に二つの季節を詠んでもOKの段駄羅」ということ。レジュメには次のようにある。
「俳句は季節感を大切にしますが、一句のうちに二つ以上の季語が入ることを『季重なり』と言って、一方が主であることが明白な場合などを除いて、『季重なり』を嫌います。これに対して、雑俳の一種である段駄羅は、中七の『転換の妙』の追求が第一義ですので、季語の有無にはまったくこだわりません。中には、一句の前・後半に、二つの季節が意図的に詠まれる場合もあります」
例として次の句が挙げられている。

春の野辺 蝶、飛びまわり
       ちょうど向日葵 燃える夏   夢岡樽蔵

夢岡樽蔵(ゆめおか・たるぞう=夢を語るぞう)は段駄羅作者・木村功のペンネーム。阿刀田の小説にもこの名で紹介されている。掲出句は上五が春、下五が夏になっている。連句の「季移り」の場合を考えあわせると、たいへん興味深い。

段駄羅連句というものもあり、笠段々付のように前の句の下五を次の句の上五に用いてつなげてゆくものである。

昼寝酒 今日だけのこと
      京、竹の子と  夏は鱧    徳野喜一郎

夏は鱧 湯引き理想ね
      指切りそうね 子の刃物    坂本信夫

子の刃物 用途を違い
       酔うとお互い 泣き上戸   宮下三郎

こんなふうに続いていく。
昼寝酒→夏は鱧→子の刃物というように世界が変化していくところは連句と同じである。
では、次の句はどうだろう。

すがしがし 元旦の雪
        寒暖の行き めぐる四季   山田二男

段駄羅は「中七の転換の妙」を生命とするから上五と下五はまったく別の世界になることが評価される。この点は連句の三句の渡りと同じで、連句では「観音開き」といって元に戻ることが嫌われる。
ところが別の考え方があって、阿刀田高は『おとこ坂おんな坂』で次のように書いている。作中人物の会話である。

「上の五と下の五との関係がないほうがいいらしいの。それが正統派だって。今の例なら『甘党は羊羹が得手』と、『よう考えて置く碁石』と、意味がべつべつで関係がないじゃない。甘党と碁石と関係がなければないほど、いいって」
「よくわかんない」
「でも先生はそれはおかしいって。七のところをかけ言葉にして二つの意味を持たせて、どっちの道を通っても全体がまとまりのある二句になるほうが、ずっと創るのがむつかしいし、おもしろいって」
「新しい流派を創るわけ?」

転じを生命とし、元に戻ることを否定する連句的価値観とは異なる部分もあるが、当日の木村氏のお話の中で最も興味深い問題提起であった。

2012年6月22日金曜日

夢の操縦法

サン=ドニ侯爵の『夢の操縦法』(立木鷹志訳・国書刊行会)が出版された。
エルヴェ・ド・サン=ドニ侯爵といえば、澁澤龍彦の『悪魔のいる文学史』にも登場するし、アンドレ・ブルトンの『通底器』の冒頭でも取り上げられている。夢の研究ではフロイトの『夢判断』やハヴロック・エリスの『夢の世界』が有名だが、エリスもフロイトもサン=ドニのこの本を探し求めたけれども、ついに実物を目にすることができなかったのである。それがいま日本語で読める。
サン=ドニは見た夢を自由自在に記憶することができたという。
「ある日、(私は十四歳だったが)、生き生きとした印象の特別な夢を素早く記録したらどうかという考えが浮かんだ。面白そうだったので、すぐに専用のノートをつくり、そこに夢の光景や形象を、それがどんな状況でもたらされたのかという説明と一緒に描いたのだった」
「思考のない覚醒がないように、夢のない眠りはないという考えが少しずつ信念となったのである。と同時に、私は、習慣の影響を受けながら、もっと深くまで観察する能力、睡眠のさなかで自分を意識し、夢の中で覚醒時のように配慮する能力、したがって、必要ならば流れに身を任せながら、それを記憶しつつ夢を見続ける能力が、私の中に生まれたのがわかったのである」

ハヴロック・エリスによれば、夢に関する著述の方法は次の四つに分かれる。
1 文献的方法
2 臨床的方法
3 実験的方法
4 内部観察的方法
『夢の操縦法』は内部観察的方法に属するだろうが、実験的方法も一部入っている。「夢日記」というやり方は日本でも明恵上人の『夢記』がよく知られており、河合隼雄は『明恵・夢を生きる』を書いている。

本書の解説からサン=ドニの主張する夢の原理をまとめておこう。

原理1 夢のない眠りはない。
原理2 夢のあらゆる像は、現実の生活の中から集められた記憶の陰画紙から生まれる。言い換えれば、われわれはかつて見たことのあるものしか夢に見ない。
原理3 眠りの中で考えよ、それが夢となって現れる。

サン=ドニの「明晰夢」の一例として「乗馬の夢」がある。
ある天気のよい日に彼は馬に乗って散策していた。彼は自分が夢を見ているのが分かり、夢の中で思い浮かんだ行為を思い通りに実行できるかどうか知りたいと思った。この馬は幻覚であり、風景も幻覚にすぎない。自分の意志でこの夢を作り出したのではないが、少なくとも意識的に操作できるという感じがあった。軽く駆けたいと思うと馬は駆け、止まりたいと思うと止まった。目の前に二手に分かれる道があらわれた。右に行けば森、左にゆけば城館だが、左に進んだ。目が覚めたときに何がこの夢の原因だったのかが分かるように城館の細かい構造を覚えておこうと思ったからだ。…
このような感じで夢が続き、突然目が覚めたという。本当かなという気もするが、まさに夢の操縦なのであろう。
近ごろレム睡眠・ノンレム睡眠という用語を耳にするが、明晰夢は睡眠のどの次元に当るのだろう。

畏友・島一木はよく「夢中作」ということを言っていた。
夢の中で俳句を作るというのである。
友人たちはあまり彼の言うことを信じなかった。「それって本当は目が覚めて作ってるんじゃないの?」というわけだ。
本書でも「君は眠っているのではないのだ。君の語る奇妙な眠りは、本当の眠りではないのだ」という反論が侯爵に向けられている。
夢の中で句を作る、目が覚めると作品ができている。うまい話のようだが、それにはトレー二ングを必要とする。
本書の終章で、著者は「眠りの幻想を支配するに至るための基本的な三条件」をまとめている。
1 眠っているときに、眠っている意識をもつこと。これは、夢の日記をつけるだけで、かなり短期間で習慣となる。
2 ある感覚を思い出して一定の記憶と結びつけること。睡眠中にこの感覚が現れたとき、われわれが結びつけた思考=夢を夢の中に導入するためである。
3 したがって、思考=夢が、夢の舞台をつくり、思考の原則に基づいて展開してゆくように(夢を見ていることを知るのに欠かせない)意志を働かせるとき、それが夢を操縦するということである。

夢と正面からとりくんだ川柳人は寡聞にして知らないが、無意識の世界に対してならば一時期の山村祐が関心をもっていたようだ。
「詩はなるべく説明をさけて、作者の思いを感じとらせようとする表現である。どんなに説明や描写を繰り返しても、それだけでは伝え切れない思いの、微妙なニュアンスを、詩の表現はかなり果たしてくれる。意識と無意識の世界は、心理学者が説くように、互いにせめぎ合いながら精神のバランスを保っているのであるならば、意識の世界のみを表面から撫でまわして、写しとるだけでは、人間の思いを深く、正確に表現することは不可能である」
「シュールレアリズムは二十世紀の絵画や詩の性格を一変させたと言われている。ウィーンの医者フロイトが無意識の世界へメスを入れてから、その自由連想による深層心理への探検の方法を詩も採り入れて、自動記述法が開発された。新フロイト派やユングの学説などの展開もあって、シュールレアリズムも変貌していったが、しかし無意識の世界の働きを考えないでは、もはや現代の詩は語れないという言い方は許されるであろう」
(『新・川柳への招待』)
山村は「詩」という言い方をしているが、彼にとって現代川柳は詩の一分野だったから、文中の「詩」はそのまま「現代川柳」に当てはまる。

次に挙げるのは夢に関する実験のひとつ。
サン=ドニの友人に「眠りの最初の段階で夢を見たことはない」と断言する男がいた。寝てからすぐに起こしてみたが、彼はどんな夢もみなかったと自信をもって主張した。ある晩、侯爵は彼が眠ってからベッドに忍び寄り小声で「捧げ銃、構え」と命令してから、静かに彼を起こした。
「ねえ君、今も夢を見なかった?」
「うん、何も見なかった」
「もう一度思い出してみて」
「どう考えてもぐっすりと眠ったとしか思えないね」
「本当に…兵隊とか見なかった?」
「そうだ。思い出したよ。閲兵式に参加した夢を見た。でも、どうして分ったの?」

切られたる夢はまことか蚤のあと  其角

2012年6月15日金曜日

その言葉はあなたの言葉ですか

ボルヘスの『ブロディの報告書』が岩波文庫に入ったので読んでみた。このところ岩波文庫はボルヘスの作品に力を入れている。私のボルヘス読書体験は篠田一士を経由しているから、ボルヘスは前衛作家と受け止めている。ラテンアメリカ文学に関しては、集英社から刊行された「世界の文学」「ラテンアメリカの文学」のイメージが強く、そこにはラテンアメリカの土俗的にして前衛的な作品が並べられていた。ウンベルト・エーコ原作で映画化された「薔薇の名前」に登場する盲目の修道士(図書館長)はボルヘスをモデルにしていて、映画も原作も随分楽しませてもらった。
「ブロディの報告書」はボルヘス晩年の作品で、アルゼンチンの無法者たちを中心に描かれている。「私はボルヘスだが、こんな作品も書けるんだよ」という感じで、それなりに面白かったものの、期待した前衛性は失われていた。前衛であり続けるのはむつかしいことである。訳者の鼓直氏には大橋愛由等詩集『明るい迷宮』の出版記念会でお目にかかる機会があり嬉しかったのである。

さて、先日(5月11日)、慶紀逸250年について触れたが、当日の講演を記録した冊子を送っていただいた。「俳諧史から見た慶紀逸」(加藤定彦)、「川柳と『武玉川』」(尾藤三柳)の二つの講演が収録されていて参考になる。
加藤定彦は点取俳諧の流行などの時代背景を丁寧に説明しながら、『武玉川』と慶紀逸について述べている。興味深いのは、慶紀逸についての江戸時代の評価で、掃月庵弄花稿本の『家童筆記念』では、「ただ評物を催し角力を催し、銭取る事のみをたくみける点者多し。就中、紀逸といふ点者より俳諧師は外道に落ち入りたり」「新たに句作するを好まず、古句古句とばかり思ひ寄る事なり。是れ、古句を集めたるの罪甚だし。焼き直しの根元は紀逸なるべし」とさんざんに貶している。また、幕末の天保三年『続俳家奇人談』では「今、江戸俳諧と称するはこの人を以て其権輿とす。されば、一時流行して財をえしも、遂には又おとろへて貧し」とある。
「いわば代表的な俳諧点者であったけれども、蕉風の立場からすると、どうも余り好ましくない、そういう俳諧師、宗匠、判者だと評されている」というのが加藤のまとめである。

続いて尾藤三柳の「川柳と『武玉川』」は『柳多留』と『武玉川』の共通点を挙げている。

「川柳文芸は『武玉川』から始まるといえそうである」(山澤英雄)
「武玉川はフモール、柳多留はサテール」(中村幸彦)

その上で、三柳は「はめ句」の問題を取り上げている。
「『はめ句』というのは、古くは『舐句』とも呼ばれ、前句附特有の不正投句で、出題された前句に合いそうな附句を、既成の前句附集から探し出して投句する純然たる剽窃である」
「『柳多留』の佳句として、作者ならびに選者の資質をも高めている句が、実は目の前にある他誌から盗られているという事実を、単なる重複句として看過することができるだろうか。『武玉川』と『柳多留』とは、先行書と模倣書という関係以上に、複雑によじれ合っているのである」

腰帯を〆ると腰が生きて来る(『武玉川』原句)
腰帯を〆ると腰も生きてくる(「川柳評万句合」はめ句)
腰帯を〆ると腰は生きてくる(『柳多留』御陵軒可有訂正)

「触光」27号に発表された第2回高田寄生木賞についても以前触れたが(6月1日)、その選評をめぐって二つの点を補足的に考えてみたい。改めて紹介すると、大賞を受賞したのは次の作品である。

怒怒怒怒怒 怒怒怒怒怒怒怒 怒怒と海    山川舞句

中七の「怒怒怒怒怒怒怒」の活字は反転して表記されている。選者のうち渡辺隆夫が特選、野沢省悟が秀逸に選んでいる。渡辺は「3・11を一句で表現すればこうなる」と述べ、野沢省悟は
「川柳の表現方法はたくさんあるが、この句のように、視覚的に聴覚的に表現された作品は稀少である。川上三太郎に、
   恐山 石石石石 死死死
があるが、作者の強い思いがなければ一句として成立しないと思う」と書いている。
また、「金曜日の川柳」(「ウラハイ」6月1日)で樋口由紀子も取り上げているので、そちらもご覧いただきたい。
気になるのは、「週刊俳句」の読者のコメントで、活字の反転は過去の作品や他ジャンルでは珍しいものではないという指摘があったことである。現代詩における昭和初年の表現革命の際にさかんに試みられたし、川柳でも一時期の木村半文銭の作品に頻出する。
誤解しないでほしいが、私は大賞作品を貶めているのではなく、活字表現の斬新さを言うだけでは短詩型文学の表現史に詳しい読者を納得させられないということなのだ。

「触光」の寄生木賞の選評に話を戻すと、樋口由紀子はこんなふうに感想を述べている。
「川柳を書いている人はいい人が多いのかと、皮肉も少しこめて思った。ほとんどの人がテレビや新聞などで報じていることをそのまま真に受けている。もっと感心するのは、心情まで左右されていることである。みんなが感動することに感動し、みんなが怒ることに怒り、みんなが悲しむことに悲しんでいる。頭の中にインプットされたことそのままを自分の考えだと思っている。そして、それらを句にしている」

樋口の問題提起を私なりに敷衍してみよう。
作者が自分の言葉だと思って書いた場合でも、実は新聞・テレビなどで耳にする言説とほとんど同じ場合がある。即ち、誰もが言っていることを自分の作品として述べているに過ぎないことが多い。そこで、「その言葉は本当にあなたの言葉なのか」と問い直してみることにしよう。「私が書いたのだから、私の言葉に決まっているじゃないか」と怒る人もいるだろう。しかし、言葉には意味や普遍性があるから、百%独自の言葉というものはありえない。また、人間の発想も似たようなものだから、一つのテーマについて類想・同想が避けられない。恐いのは、作者が自分独自の表現だと思っていても、読者の目から見ると常套的で陳腐な表現にすぎないケースが多々あることである。さらに、無意識的な圧力によってある表現をとらされていることがあり、その場合は作者の自己表現ではなく世論や常識によって「言わされている」ことになる。

かつて五十嵐秀彦は「週刊俳句」(2011年5月22日)の時評、「それは本当にあなたの言葉なんですか」で似たような問題を取り上げたことがある。「それは…」とは森村泰昌の発言である。文脈はそれぞれ違うが、問題性は共通すると思う。

さらに遡れば、「バックストロークin大阪」のシンポジウムで彦坂美喜子は「言わされている」という問題を取り上げた。彦坂はこんなふうに発言している。

「1980年代、俵万智『サラダ記念日』以後のニューウェーブの時代になりますと、もう一度『私』の問題が出てきます。その背景には電脳社会、情報化社会の拡大があり、パソコンなどが出てきます。そういう社会のなかでは、『私』が何かを決定するということが次第にあやふやになってきます。例えば『私』が欲しいと思ったものが、実はファッション雑誌などに載っていて、みんながいいと言っているという過多な情報によって、欲しいと思わされているのではないか、ということです。表現もそれと同じで、本当に『私』が心から思ったのかどうかが疑われてきます」(「バックストローク」29号)

現代の高度資本主義社会(情報化社会)において、欲望や言説までもが実はそう仕向けられているのではないかと問うことは必要である。批評性を本来の持ち味とする川柳がこのことに鈍感であってよいはずはない。
その言葉はあなたの言葉なのですか。

2012年6月8日金曜日

映画と川柳

映画「ジェーン・エア」が封切になったので、さっそく見に出かけた。ジェーン役は「アリス・イン・ワンダーランド」(ティム・バートン監督)に出ていた女優ミア・ワシコウスカヤ。「ジェーン・エア」は何度か映画化されているが、ジョーン・フォンテインのイメージが強いと言えば古すぎるだろうか。今回の映画はジェーンの性格に焦点が当てられ、ワシコウスカヤには個性的な存在感がある。ジェーンとロチェスターがどうなるのか分りきっているのに惹き込まれるものがあって、客席では往年の文学少女・文学青年たちが画面に見入っていた。監督は日系アメリカ人のフクナガという人。ティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演の「ダーク・シャドウ」も話題になっているし、文芸映画ではソクーロフ監督の「ファウスト」も上映中。ソクーロフといえば、島尾ミホが延々と語り続ける映画「ドルチェ優しく」が印象に残っている。「死の棘」に描かれたミホさんの風貌に接することができる貴重な作品である。

さて、映画を見て川柳を作るという方法があり、1930年代に川上三太郎が「未完成交響楽」を見て作った連作あたりを嚆矢とする。映画はシューベルトが「未完成」を作曲するに至る恋愛を軸としているが、三太郎はこんなふうに詠んでいる。

およそ貧しき教師なれども譜を抱ゆ     川上三太郎
わが曲は街の娘の所有(もの)でなし
四月馬鹿驕りに尽きし嬌声(わら)ひ声
矜持とはさへづる中の唖の声
家庭音楽教師に春の姉妹
りずむ―それは貴女(あなた)の顫音(こえ)のその通り
君や得し黎明愛の花ひらく
嫁ぐ女性(ひと)の涙に消えし泣菫譜
わが恋も曲も終らじ人の世の
アヴェマリアわが膝突いて手を突いて

ルビが多くストーリーをそのままなぞっているような作品群である(差別用語も使われているが、もとのまま引用)。映画を見ていないので断定はできないが、ネットで検索してみるとシューベルトが楽譜に「わが恋の成らざるがごとく、この曲もまた未完成なり」と記して映画が終わるというから、「わが恋も曲も終らじ人の世の」などの句はそのまんまである。作品の完成度より映画を見て連作を作るという方法そのものが当時は新しかったのだろう。この作品の前年には、日野草城の連作「ミヤコホテル」が話題になっていた。

小説と映画との関係について、私が興味をもっているのは1926年に衣笠貞之助が横光利一と組んで結成した「新感覚派映画連盟」である。
横光の「日輪」はフローベールの「サラムボー」にヒントを得て書かれ、卑弥呼を主人公にした小説である。衣笠は「日輪」を映画化し(1925年)、横光と衣笠の交流が始まった。ちなみに映画「日輪」は市川猿之助(猿翁)一座の出演で、卑弥呼を主人公とすることが冒涜とされて上映中止になったという。新感覚派映画連盟は1926(大正15)年に設立され、川端康成の脚本で製作されたのが「狂った一頁」である。

新感覚派映画連盟の作品はこの一本で終わったのだが、「狂った一頁」のフィルムは現存しないと思われていたところ、1971年に衣笠監督の自宅で発見された。45年ぶりの試写会に出席した川端康成は「今見ても恥をかかなくてすんだ。よかった」と語った。このあたりに前衛芸術のむつかしさがある。その時代にはアヴァンギャルドであっても、時間の経過とともに色あせてしまう作品が多いからである。「狂った一頁」はその欠陥から免れているらしく何度か上映会があったが、私は残念ながら見る機会がなかった。上映会のチラシだけは持っていて、大切に保存している。『川端康成全集』には脚本が収録されているが、活字ではイメージがつかめないのである。

衣笠貞之助は「狂った一頁」のあと時代劇「十字路」を撮り、この作品を携えてモスクワやベルリンなどを訪問する。モスクワではプドフキンやエイゼンシュテインとも会っている。この時期の衣笠は同時代の世界の映画史の中でいい線をいっていたのだ。

横光に話を戻すと、横光は俳句も作っていて、石田波郷に対する影響はよく知られている。横光は昭和10年から「十日会」という俳句会を開いていて、永井龍男・中里恒子・石塚友二・石田波郷などが参加していた。「俳句は文学ではない」という波郷のテーゼは「俳句は文学である」という子規のテーゼとどのような関係にあるのだろうか。
横光の小説『旅愁』には俳句があちこちで出てくることもよく知られている。『旅愁』の登場人物は「ノートルダムは見れば見るほど俳句に見えてくる」と言う。ノートルダムのどこが俳句なんだと突っ込みたくなるが、横光なりに東西文化の融合を考えていたのだろう(悪しき日本主義として批判されることもある)。横光文学における新感覚派の描写と連作俳句との共通性も指摘されている。

蟻台上に飢えて月高し   横光利一

さて、川上三太郎は「未完成交響楽」以後も小説や映画などを題材として詩性川柳の連作を展開していったが、それを語るべき材料を私は持ち合わせていない。

「ジェーン・エア」は川柳にならないが、「ダーク・シャドウ」の方が川柳にしやすいとも言えない。ブラックからブラックを作るのはむつかしいのである。

2012年6月1日金曜日

屈葬の六月がまだついてくる

吉田秀和が死んだ。5月27日逝去、98歳。
吉田秀和は私の最も信頼する批評家のひとりである。
たとえば、相撲解説と批評との関係。かつて神風や玉の海は、土俵上での一瞬の勝負を簡潔な言葉で即座に解説してみせたものであった。吉田は彼らの解説から批評の要諦を学んだという。即興の鮮やかな言語化。
ホロヴィッツが来日したとき、吉田はその演奏をあまり評価しなかった。そのことがホロヴィッツの耳にも入っていて、彼が次に来日したとき、今度の演奏をあのYoshidaとかいう男はどう評価しているかと周囲に尋ねたという。二度目の演奏会は気合の入ったもので、吉田も高く評価したようだ。真の批評は芸術に影響を与えることができるということ。
『主題と変奏』に収録されている「ロベルト・シューマン論」を引用するつもりだったのに、いくら書架を探しても見つからないのである。

6月に入った。
いろいろ送っていただいた諸誌を逍遥してみたい。
ノーベル文学賞を受賞したトランストロンメルについては以前に紹介したことがあるが、詩誌「ア・テンポ」41号では、トランストロンメルの俳句を発句にして自由律二十韻「悲しみのゴンドラ」を巻いている。最初の4句だけ紹介する。

高圧線の幾すじ
凍れる国に絃を張る
音楽圏の北の涯         T・トランストロンメル(冬)
 悲しみのゴンドラ神の留守         梅村光明 (冬)
棚に置くには多すぎるスパイスの瓶      木村ふう (雑)
 来し方行く末が詰まっている       上田真而子 (雑)

歌誌「井泉」は巻頭の招待作品に岡村知昭の俳句を掲載。岡村は『俳コレ』にも百句を出していて活躍中の俳人である。

きさらぎに飽きて郵便ポストなり   岡村知昭
忌まわしき土蔵へ羽化を誘うべし
白衣へのできぬ約束うるう年

喜多昭夫の連載「ガールズポエトリーの現在」では、〈「制服」という装置」〉というタイトルで文月悠光の新しさについて述べている。喜多が引用しているのは「適切な世界の適切ならざる私」の一節である。

「ブレザーもスカートも私にとっては不適切。姿見に投げ込まれたまとまりが、組み立ての肩肘を緩め、ほつれていく。配られた目を覗きこめば、どれも相違している。そこで初めて、一つ一つの衣を脱ぎ、メリヤスをときほぐしていく。
それは、適切な世界の適切ならざる私の適切かつ必然的行動」

こういう一節を読むとつい根岸川柳の「踊ってるのでないメリヤス脱いでるの」を並べてみたくなるのは川柳人の悪い癖である。文月は「現代詩手帖」6月号に「現代詩手帖賞」を受賞したときのことを書いている。ちなみに「現代詩手帖」の書評では関悦史が『澁谷道集成』(蛇笏賞受賞)を取り上げている。

六月の死が貫きし夜着の嵩   澁谷道
六月は盲縞着てなぜか急く

あと「井泉」では岡嶋憲治が「評伝 春日井建」を連載していて43回になる。今号は建の母・政子の死について書かれている。春日井建晩年の、読者にとっても読むのがつらい時期である。

さて、川柳誌では「触光」27号。
第二回高田寄生木賞が発表されていて、大賞を山川舞句が受賞している。

怒怒怒怒怒 怒怒怒怒怒怒怒 怒怒と海    山川舞句

真中の七つの「怒」が反転しているが、パソコンではうまく出ない。
選者が選んだ特選句だけ次に挙げておく。

木本朱夏特選  母だった記憶が欠けていく夕陽  滋野さち
梅崎流青特選  少しずつ石に戻ってゆく羅漢   平井美智子
樋口由紀子特選 月を観ている忘れられたパンツ  小暮健一
渡辺隆夫特選  怒怒怒怒怒 怒怒怒怒怒怒怒 怒怒と海  山川舞句
野沢省悟特選  とりあえず立っているのは台所  みのべ柳子

六月に入り、光と影のくっきりと際立つ夏がやって来ようとしている。批評意欲をかきたてるような川柳作品がどんどん生まれてほしい。