2018年9月28日金曜日

冬野虹と田中裕明

冬野虹素描展が9月8日~17日にミルクホール鎌倉で開催された。日程が合わず行けなかったのが残念だった。行けないかわりに、案内葉書の素描を眺めながら冬野虹句集『雪予報』を改めて読んでみた。『冬野虹作品集成』(書肆山田)も手元にあるが、1988年8月に沖積舎から発行された句集を開いてみる。このときの現住所は神戸になっている。

玉虫の曇りておちるまひるかな   冬野虹
夢のながさの紫苑を海へ送りたい
陽炎のてぶくろをして佇つてゐる
つゆくさのうしろの深さ見てしまふ
たくさんの鹿現はれて琵琶を弾く

『雪予報』Ⅰ(1977年~1980年の作品)から。
以前、作品集成で読んだときの印象と比べて、動詞で終る句が多いことに気づいた。そういう句に私が心ひかれるということだろう。巻頭句「鏡の上のやさしくて春の出棺」には死の表象があり、「花眩暈わがなきがらを抱きしめむ」では自己の死を幻視し、「花冷えの白い死体の猫に遭ふ」では死と猫のイメージが結びついている。
『雪予報』に「雪」の句が多いのは当然だろうが、「夢」「陽炎」「つゆくさ」も同じ手ざわりの言葉である。「陽炎のてぶくろ」というのは魅力的な言葉だ(「陽炎の」が主語とも読めるが、「陽炎のてぶくろ」でひとつながりと読みたい)。「つゆくさのうしろ」に何があるのか。川柳の眼(川柳眼)とも通じるところがあるように思う。「たくさんの鹿」の幻想。琵琶を弾いているのは人かも知れないが、鹿かもしれない。心地よいイメージの変容である。

浅蜊澄むところまできて考へる
もはやこれまでと飛び下り田螺かな
憂鬱の海へメロンを指で押す
くるまやさん今日くる河骨のあいだから

『雪予報』Ⅱ(1981年~1983年の作品)から。
詠みぶりが自在になり、俳諧性も感じる。この作者は意味よりもイメージや音韻によって作品を書く人だと思った。

十二人こはかつたのとコーラ飲む
ながい草みぢかい草の春の夢
戸を開けてわれは夜ぢゆう水すまし
ぐちやぐちやの大オムレツの君やさし
レモンスカッシュ秋田犬逃走中

『雪予報』Ⅲ(1984年~1987年の作品)から。
コーラやオムレツ、レモンスカッシュなど日常的な飲食物と別の言葉の組み合わせがおもしろく、読んでいて楽しくなる。連句的なものも感じられる。

この8月に四ツ谷龍は『田中裕明の思い出』(ふらんす堂)を上梓した。
「本書は、田中裕明についてこの三十年間に書いてきた文章をまとめたものです。『思い出』というタイトルになっていますが、思い出話だけを書いているわけではなく、彼の作品を通じて創作の本質について考えようとしたものです」(あとがき)
読みごたえがあるのは講演「田中裕明『夜の形式』とは何か」。田中が二十二歳の時に発表した「夜の形式」という謎のような文章について、現象学の視点から解明したもので、絵画・音楽の例も挙げながら詳細に論じている。印象派の批判者として村上華岳の名が挙げられているのが嬉しい。華岳の「日高河清姫図」は私も大好きな作品である。この講演は2010年1月に現俳協青年部で行われたもの。ほかにも、『夜の客人』における句頭韻の手法を指摘した「田中裕明の点睛」、陶淵明・白楽天・芭蕉・田中裕明に通底する「魚と鳥」のモティーフを語った「魚と鳥と」(第37回俳諧時雨忌連句会)、取り合わせを論じてモンタージュ理論との違いを述べた「取り合わせと俳句」など、読みどころは多い。
「多くを学んだ者にこそ、多くのことをきれいに忘れることができる可能性は大きいと、いちおう申し上げておいてもよいかもしれません。しかしあまりに多くのことを学んだために、空を翔けるための翼の力を失ってしまった人の例も、私はたくさん見てきました」(「ゆう」創刊五周年)

田中裕明の出自は「青」であるが、裕明を俳句に誘ったのは島田牙城。「しばかぶれ」第二集の特集・島田牙城で、牙城はこんなふうに語っている。
「当時は『蛍雪時代』とか『高三コース』とか、受験雑誌があったんです。そこに文芸投稿欄があって、投稿が載ると作者名と学校名が掲載されたんです。俳句欄もあって、あのころは誰やったか、中村草田男が選をしていたかな。身近な友人だけではあかんと感じてたから、これ使えるやん、と思って。田中裕明の場合は『北野高等学校気付 田中裕明様』で手紙出した。面白いなと思った作家に、いっしょに俳句をやらないかってね」
「裕明はいろんなことに手を出してたんですよ。短歌にも、詩にも、一行詩というものにも、そのころ高校生が集まって『獏』って雑誌があってそこに出していた。だから僕が誘った時に、『俳句一本にせえ』と言ったんですよ」
田中惣一郎の「島田牙城の青の時代」には昭和52年7月の項に、〈島田牙城の紹介で、北野高校三年の田中裕明が「青」に入会。裕明雑詠三句入選「紫雲英草まるく敷きつめ子が二人」「葉桜となりて細木や校舎裏」「今年竹指につめたし雲流る」〉とある。
「紫雲英草」「今年竹」の句は第一句集『山信』に収録されている。田中裕明の初心時代である。

2018年9月22日土曜日

第六回文フリ大阪のことなど

9月9日に「第六回文学フリマ大阪」が開催された。
前回まで中百舌鳥の産業振興センターで行われたが、今回から会場が変わり、天満橋のOMMビル・会議室で開催された。会場が広くなったせいか、例年より参加者がまばらのように見えたが、実際には1794名の参加者があり大阪開催史上最大だったそうだ。
「川柳スパイラル」は唯一の川柳ブースとして出店し、「川柳スパイラル」1~3号、『川柳サイドSpiral Wave』2・3号、「THANATOS」4号などを店頭に並べた。川柳人の姿はほとんどなく、他ジャンルの実作者や読者が来店。文フリに出店する意味が歌人・俳人に川柳作品を発信することに限定されてきたようだ。
「THANATOS」は石部明を顕彰するフリペとして発行してきたが、今回の4号で終了となる。50句の選定と石部語録を八上桐子が担当し、石部論を小池正博が担当。装丁は宮沢青。

黄昏を降りるあるぜんちん一座    石部明
諏訪湖とは昨日の夕御飯である
鳥籠に鳥がもどってきた気配

また、当日は榊陽子がフリペ「虫だった。③」を作成。新作18句と自句をプリントした栞をおまけとして配布した。この栞の裏には虫が這っている絵が描かれていて、おもしろいというより気持ちが悪い。

モーリタニア産のタコと今から出奔す  榊陽子
鉛筆を集め楽しい性教育
紙の犬ならば舐めても問題ない

当日、購入したものをいくつか紹介しておきたい。
まず歌集『ベランダでオセロ』。御殿山みなみ・佐伯紺・橋爪志保・水沼朔太郎の四人による合同歌集。各百句収録。

よくはねてジョニーと呼べばまたはねて典型的な寝ぐせですなあ  御殿山みなみ
負けたてのオセロに枠を付け足してその枠が敷物になるまで    佐伯紺
三月があなたを連れ去ってゆくなら花びらまみれになってたたかう 橋爪志保
母親に彼氏ができる 母親が結婚をする 父親ができる      水沼朔太郎

「うたつかい」のブースで「うたつかい」31号と「短歌の本音」をゲット。最近、短歌の人と会う機会が増えてきたので「うたつかい」の参加歌人一覧は便利だ。牛隆介が文フリなどの「コミュニケーション疲れ」について、「もうあらゆる短歌の場は次のフェーズに移行できるのではないか」「コミュニケーションを持ちながらも、その関係に縛られず、買いたいものを買い、読みたいものを読むという態度」「文学フリマのブースに遊びに来てくれるのは嬉しいが、同人誌は買わなくてもいい」「謹呈する側に立った時も読んでもらいたい人に送ればよく、付き合いで謹呈する必要はない。そしてその上でコミュニケーションは揺るがない」と書いているのに納得した。
最後に、谷じゃこと鈴木晴香の『鯨と路地裏』から。

二十年そこらではまだ美化されず公衆電話の台だけ残る   谷じゃこ
バス停でバスを待つほど透明な人間に成り果ててしまって  鈴木晴香

「川柳スパイラル」関係で9月はいそがしく、9月1日に東京句会、9月16日に大阪句会を開催した。
東京句会は「北とぴあ」で実施。
初参加の人が何人かいて、新鮮な感じで話し合いができた。ツイッターや文フリを通じて知り合った人たちと句会の場でごいっしょできるのは嬉しいことである。
前半は「川柳スパイラル」3号の合評会で、特集「現代川柳にアクセスしよう」について感想を聞く。この特集は成功したのかコケたのか。
自由律俳句「海紅」の方の参加もあって、韻律の話も少し出た。
「川柳スパイラル」の会員欄に七七句を投句している本間かもせりは自由律俳句の作者でもある。七七句(十四字)は自由律ではなく七七定型だが、山頭火などの自由律俳人にもこの形式が見られる。七七句(短句)で四三のリズムが嫌われるのは連句の慣習で、一部川柳人のなかにも四三の禁を言う者がある。短歌の下の句における四三については、斎藤茂吉が四三の禁を過去のものとして論破してから何ら問題にはならない。
七七句は連句の短句に相当するので、本間かもせりが連句へと関心を広げてゆくのは当然の道筋だろう。
大阪句会は「たかつガーデン」で開催。今年五月の東京句会で知り合った鳥居大嗣が参加。鳥居は「AIR age」VOL.1の「コトバ、ことわり、コミュニケーション」で瀬戸夏子論を書いている。

8月25日に「第24回大阪連句懇話会」で「漢詩と連句」の話をして、小津夜景著『カモメの日の読書』を紹介した。その後二座に分かれて連句を巻いた。
10月6日に大阪天満宮で開催される「第12回浪速の芭蕉祭」では高松霞を招いて「連句ゆるり」の話などを聞くことになっている。
翌日の10月7日には「連句ゆるりin大阪」が開催されるという。その会場となる「Spin off」は岡野大嗣が運営するスペース。東京では書店B&Bとかブックカフェとかが増えているそうだが、大阪でも人が集まって文学の話ができるスペースがいろいろできればいいと思う。
私は川柳と連句の二足の草鞋をはいていて、これまではこの二つを分けて活動してきたが、最近では川柳と連句の人脈が混ざってきて相互刺激的な交流が生まれはじめている。

「現代短歌」9月号の特集は「歌人の俳句」。
「なぜかそれは短詩だった」(田中惣一郎)、「子規の俳句」(福田若之)、座談会「二足のわらじは履けないのか?」(神野紗希・東直子・藤原龍一郎・小林恭二)など。
そういえば、第6回現代短歌社賞は、門脇篤史「風に舞ふ付箋紙」に決定したそうである。