2015年5月30日土曜日

滋野さち句集『オオバコの花』

この時評で何度か紹介してきた東奥文芸叢書に新たな一冊が加わった。滋野さち句集『オオバコの花』である。滋野は青森市在住の川柳人、おかじょうき川柳社、川柳触光舎に所属。「触光」では現在「誌上句会」の選を担当している。
滋野は「バックストローク」「川柳カード」にも投句していて、2010年4月の「第三回BSおかやま大会」の第一部「石部明を三枚おろし」のときに、「現在注目されている川柳人は?」という私の質問に答えて石部が挙げた何人かの川柳人の中に滋野の名前があった。「川柳では失われつつある風土が書ける」「時事性を越えて、社会性のしっぽをつかむぐらいの力量を持っている得難い個性」と石部が述べたことが印象に残っている。

それでは、句集を開いてみることにしよう。全体は五章に分かれ、年代順に配列されている。滋野は川柳をはじめて二年半くらいの作品を集めて、『川柳のしっぽ』を上梓している。今度の句集の最初の章「川柳のしっぽから」はその第一句集(2003年~2005年の作品)からとられている。

川 流れる意味を探している

「川」を「題」ととらえれば、そこからの連想で「流れる意味を探している」へと飛躍する構造になっている。句集全体の巻頭句だから、比喩的な意味も出てくる。
この書き方は冠句に似ている。たとえば、近代冠句の代表的作家である久佐太郎に次のような作品がある。
  宝石箱 いちどに春がこぼれ出る
  在る男 村から消えて秋が来る
  羊飼い まさか俺が狼とは

米を研ぐ昨日も今日も模範囚

日常性というものがある。毎日、米を研ぎ食事の準備をする。それは刑罰ではないはずだが、毎日がまるで牢獄のように感じられるのだろう。何のために自分はここにいて、こんなことをしているのか。日常の中に豊かな可能性を感じてもよいのに、きれいごとでは毎日を過ごせない。ただ、模範囚のようにきちんと仕事をこなしてゆくのだ。

相討ちの顔で朝飯食っている

多くの表現者と同じように、滋野の出発点にあるのは現実との違和感である。
朝飯を食べながらも何らかの憤懣があるのだろう。

杉はドーンと倒れ私のものになる

このような爽快感、カタルシスを感じる句もある。
次の「泡立ち草」の章には批評性のある句が多く収録されている。自己探求の人生派であった作品がここでは社会派に変貌してゆく。

雨だれの音が揃うと共謀罪
親知らず抜くと国家が生えてくる
国家斉唱 金魚は長い糞たれて
戦争は卵胎生ときどきアルビノ
兵役があった時代のいぼがえる
ペットです軍用犬に向きません
二番目に刻むとネギくさい祖国

石部明が言ったように、時事性を越えて社会性へと向かう作品だろう。
「じゅげむじゅげむ」の章からは次の一句。

自分史が有害図書の棚にある

第四章「大気は澄んで」には2011年~2013年の句が収録されている。
福島の原発事故をはじめ、さまざまな事件が諷刺されている。

雪無音 土偶は乳房尖らせて
それ以上覗きこんだらかじるわよ
羽化してもいいか 大気は澄んでるか
ステルスが来るってよゲンパツ飛び越えて
着地するたび夢精するオスプレイ

最後に「地球は青いか」(2014年)の章から。

埋め立ててジュゴンの沖を売る話
解釈を変えたらカナムグラ繁茂
草取りの軍手に玉音放送かな
傭兵もバイトもビラで募集中

滋野の句にはいろいろな面があるが、私の紹介は社会性の句に偏ったかもしれない。
かつて私は滋野の句に関連して次のように書いたことがある(「川柳カード」5号)。
〈 時事川柳や社会詠は「消える川柳」と呼ばれることが多い。確かにその時々の常識的な世評に乗っかって作られた句はすぐに忘れ去られてしまうだろう。ためされているのは作者の主観性・思想性の強度である。客観性(第三者性)の視点から詠まれた時事川柳もおもしろいが、「思い」と「時事」と「言葉」が三位一体となる方向は模索されてよいと思う 〉
諷刺対象を第三者的に眺めて無責任な立場から句を詠むやり方がある。けれども、滋野は社会詠の場合にも、そこに自己の「思い」を込めないではいられないタイプなのだ。滋野の内部に存在する人生派・社会派・芸術派の要素が互いに否定し合うことなく、さらに大きなスケールで作品を生み出すのを私は楽しみにしている。

2015年5月24日日曜日

現代川柳の縦軸と横軸

5月17日(日)に大阪・上本町の「たかつガーデン」で「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」が開催された。川柳のフリーマーケットとしては、かつて「WE ARE」が東京で開催して以来のことである。参加者74名、うち歌人が13名、俳人が7名。そのほかに受付を通っていない方が若干おられるかも知れない。
当日の挨拶文に私は次のように書いた。

「近年、現代川柳の句集の出版が盛んになってきました。
インターネットなどで注文することができますが、句集の作者と読者が直接交流できる場はそれほど多くありません。
一方で「文学フリマ」が開催され、短歌や俳句、現代詩やアニメなどの出版物を求めて読者が集まる状況が生まれています。またSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)による配信も盛んに行なわれています。
川柳にも時代に即応したコンテンツと配信のあり方が求められています。
本会が句会・大会とは別のかたちで川柳や短詩型文学に関心をもつ人々の交流の場となれば幸いです」

句会・大会とは異なるかたちで川柳の交流の場を作りたかったのである。そのためには、人・もの・情報が集まることが必要になる。
呼びかけに応じて出店したのは、川柳マガジン、あざみエージェント、邑書林、ジュンク堂上本町店、私家本工房、ねじまき句会などで、歌人の瀬戸夏子と平岡直子の二人も「SH」を作って参加してくれた。
フリーペーパーのコーナーも設け、柳本々々の「夢八夜」、川合大祐「異月都市」、「触光」(高田寄生木賞発表号)、「びわこ」、「点鐘雑唱」「SenryuSO」「くねる」「川柳宙」「川柳北田辺」などが無料配布された。フリーペーパーというよりフリーマガジンが多く、ご参加のみなさまにはお得感があったことだろう。あぼか堂の「アオイ575」は現代川柳界をテーマに描いた漫画で、川柳の句会にもっと若い人が増えたらいいなという作成者の熱意が伝わってくる。

フリマと平行して三つのイベントを企画。
第一部は「雑誌で見る現代川柳史」。コンセプトは「過去の川柳人の営為に対するリスペクト」である。
会場の展示コーナーには、「鴉」「天馬」「馬」「流木」「でるた」「縄」「無形像」「現代川柳」「せんば」「短詩」「森林」「海図」「鷹」「不死鳥」「川柳ジャーナル」「視野」「平安」「魚」「藍」などを展示した。「川柳文学館」と呼べるような施設が存在しない現在、過去の川柳誌を実際に手にする機会は多くない。実物を見ることで川柳の先人たちの息吹が伝わってくる。
中村冨二の「鴉」は二冊展示。表紙の鴉のイラストがかわいい。ざら半紙印刷なので、すでにぼろぼろになっており、手を触れていただけなかったのは残念である。合同句集『鴉』も展示したが、これは特に貴重なもので、「この句集は幻ではなくて、ほんとうに発行されていたのか」という声も聞いた。
貴重なものと言えば「せんば」1968年6月号。高柳重信の「赤黄男俳句と川柳」が掲載されている。この文章は重信の著作集にも未収録で、重信の研究者にもあまり知られていない。

第二部は句集紹介とサイン会。
この部分のコンセプトは「句集・フリペを仲立ちとする交流の場」である。
まず田口麦彦に登壇してもらい、今年発行された『新現代川柳必携』の紹介。
続いて、倉間しおりの『かぐや』の紹介。倉間は現在、高校二年生で勉強が忙しいようだが、「川柳スープレックス」を中心に活躍を続けてほしい。
あざみエージェントからは内田真理子句集『ゆくりなく』、竹井紫乙『ひよこ』、泉紅実『シンデレラの斜面』、平井美智子『なみだがとまるまで』などを紹介。『カーブ』は徳永政二の川柳作品と藤田めぐみの写真とのコラボだが、個々の句と対応させて写真を撮るのではなく、句集全体のイメージから写真を撮るという藤田のやり方が興味深かった。
邑書林はこの春、尼崎に移ってきたので、今後、関西川柳人との交流の機会も増えることと思う。
あと、瀬戸夏子・平岡直子にも登壇してもらって、話を聞けたのも嬉しいことだった。

第三部は天野慶と小池正博の対談「川柳をどう配信するか」。
この部分のコンセプトは「発信・配信」である。
川柳は句会・大会には数百人規模で人が集まるが、それはクローズな世界のなかでのことで、短詩型の読者に対するオープンな発信力はそれほど強くない。同人誌・結社誌は発行されていても、一般読者には届かないので、SNSなどのツールを利用して発信するのもひとつの方法である。
天野慶は昨年7月の「大阪短歌チョップ」のスタッフのひとりであり、ツイッターでも毎日短歌を発信しているので、川柳に対してもいろいろな提言をしていただけるものとお招きした。実際、彼女の話はとても刺激になって面白かったという声が多く、さっそくbotを始めた川柳人もいるようだ。
今回は配信の話に特化したので、川柳の中身の話にも少し触れたいと思って「現代川柳百人一句」(小池正博選出)を用意した。
9月12日の「第3回川柳カード大会」には柳本々々を迎えての対談が予定されている。この時には現代川柳の内実の話もできると思う。

さて、事前投句を募集したところ78句のご投句をいただいた。当日、会場で「お好きな句3句」をご投票いただき、結果はいずれ「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」ホームページに掲載されるだろうが、ベストスリーだけ発表させていただく。

12点 枝豆で角度がリリー・フランキー    榊陽子
9点  満水の桜並木の栓をぬく        岩田多佳子
8点  三分ほど笑った馬を降りた馬      筒井祥文

川柳の現在位置を確かめるには縦軸(ヒストリア)と横軸(短詩型文学全体のなかでの川柳)が必要だ。そういう意味では、川柳人だけでなく歌人・俳人の方々にもご参加いただいたのは嬉しいことだった。川柳人はけっこうシャイなところがあるので、はじめての場で思うように交流できないことがある。私自身もお話しできればよかったのにと悔やむことが多い。渡辺隆夫は「川柳は外交的でなければ生きてゆけないのである」と言ったが、その通りだろう。
みなさまに楽しんでいただこうと思って企画したイベントだが、いちばん楽しんでいたのは私自身かもしれない。自分でもおもしろいと思えないようなイベントでは意味がないのである。

2015年5月15日金曜日

追悼・津田清子

5月5日、津田清子が亡くなった。享年94歳。
津田清子は前川佐美雄に師事して短歌をはじめたが、やがて橋本多佳子と出会い俳句に転じた。「天狼」にも投句して山口誓子の指導を受けている。「圭」主宰。私の敬愛する関西の俳人がまたひとりいなくなった。
句集『無方』を改めて読んでみた。

はじめに神砂漠を創り私す    津田清子

『無方』の巻頭句である。
1993年、津田は写真家の芥川仁に誘われアフリカのナミブ砂漠へ旅行した。このとき72歳。この句集で第34回飯田蛇笏賞を受賞している。
砂漠の句だけが収録されているのではなくて、他の吟行句も含まれているのだが、砂漠の句の印象が強烈だ。砂漠に立ったとき、対峙する自己もまた強烈に意識されたに違いない。

無方無時無距離砂漠の夜が明けて

「無方」は『荘子』秋水篇から取られたという。
津田は神田秀夫の『荘子』の講座を聞きに東京まで通っている。
『荘子』は清子の気質にぴったりかなったのだろう。

唾すれば唾を甘しと吸ふ砂漠

句集のあとがきに次の言葉がある。
「最大の悲哀は、私自身に私自身が未だに解らないということである。だから私は八十歳になっても九十歳になっても俳句を作り続けなければならないのである」
これはすごいと思う。五十歳や六十歳で行き詰まったり創作意欲を失ったりする私たちに活を入れるような言葉である。

「俳句研究」2002年9月号に桂信子と津田清子の対談が掲載されている。タイトルは「私たち死なれませんね!」。(「俳句研究」という雑誌も今はなくなった)
こんなやりとりがある。

桂 でも、あなたは砂漠へ行ったり、ものすごく遠いところに行っておられる。
津田 みんなと同じものを見ているとみんなと同じ俳句しかできないから、違うところを見たほうがいいんです。
桂 私は砂漠より海底のほうがきれいでいいと思いますけど。
津田 きれいすぎる。砂漠のように何もないほうが自分だけ残ってしまう。
桂 砂漠にはまた行きたいと思われるんですね。
津田 はい。砂漠には蛇もいてないし、ラクダ、ライオン、トラもいませんでした。

また、山口誓子についてこんなことも言っている。

津田 先生の若い頃は、それこそ先生のものさしにはまらない俳句があったら、ちょっとものさしを広げたりしてすくい取ってくださったんですけれど、晩年になってきますとものさしがきちっと決まってしまった。決まってもいいんですけれど、「天狼」の人々が無理して誓子先生のものさしにはまるような句しか作らなくなった。

この対談のあと桂信子は惜しくも亡くなった。
津田清子には二度会ったことがある。
2005年7月、堀本吟・長岡千尋による「第六回短詩型文学を語る会」では「津田清子と旅」というテーマを取り上げた。そのときの打ち合わせと本番のときの二回である。
私の役割は橋本多佳子と津田清子の吟行句を比べて読んでいくというものだった。清子は多佳子のお供をしてしばしば吟行に出かけている。そのときの二人の句を比較してみるとおもしろいと思ったのである。
そこで『礼拝』から橋本多佳子との旅の句を抜粋し、『海彦』『命終』所収の多佳子の句と並べてみた。たとえば、昭和27年10月、清子は多佳子に伴われ、信州へ四泊六日の旅に出る。

リンゴ採り尽くすまで樹の上にゐる   津田清子
林檎にかけし梯子が空へぬける     橋本多佳子

「私と清子さんはリンゴ採りの梯子にのぼり、枝から直かにもぎとって食べた。鮮しい果肉は固く酸がつよかった。浅間の溶岩の原の夕焼けには身の底までしみる淋しさがあった」(橋本多佳子)

津田清子といえば、第一句集『礼拝』の序文を思い出す。この序文は山口誓子が書いている。

〈 いつの新年だったか、私は新聞社の依頼によって南極を詠って詩一篇を作ったことがある。その詩を見せたとき清子は言下に「正直な詩ですね」と云った。私を正直詩派としたのである。これは清子に不正直詩派的なところがあることを物語る 〉

これを読んだとき私は度胆を抜かれた。誓子に対して「正直な詩ですね」と言い放つことができる弟子が津田清子のほかにいるだろうか。清子を「不正直詩派」と呼ぶ誓子もまた相当なものだ。ジャンルは異なっても私は津田清子から文芸の本質的な部分を教わったような気がする。
最後に『礼拝』から一句引用しておきたい。

虹二重神も恋愛したまへり    津田清子

2015年5月9日土曜日

楢崎進弘の川柳ワールド

「逸」35号に楢崎進弘(ならざき・のぶひろ)が書き下ろし作品300句を掲載している。タイトルは「地図を読む」。
楢崎といえば、『現代川柳の精鋭たち』(北宋社、2000年)に掲載された「わけあってバナナの皮を持ち歩く」は強烈な印象を残している。それ以後、楢崎の句をまとまって読む機会がなかったが、今回は彼の句を取り上げてみたい。

苦しくていとこんにゃくを身にまとう
わたくしの死後もうどんを煮てください
人参ハ常ニ戦闘態勢にアリ
小松菜も天皇制もむずむずする
茄子っ!投げて届かぬ手榴弾

「食べ物」を素材とする句から。
川柳では食べ物を詠むことが多いが、それは日常性を詠むことが川柳のひとつの方向でもあるからだ。ここでは、日常性・私性から次第に飛躍してゆく様々なレベルの食べ物の詠み方が見られ、思いが次第にエスカレートしてゆくように感じられる。
300句は句集一冊に相当する分量である。「蒟蒻」「かつ丼」「天丼」「茄子」「うどん」など同一素材の繰り返しや同じ発想の句も見られるが、そんなことにはおかまいなく、むしろバリエーションを楽しみながら、ぐいぐい押してゆく力業がここにはある。
次に「人名」を使った句から。

それならば犬飼現八課長補佐
いつまでが胡瓜クラウス・キンスキー
かつて岩崎宏美の前髪のせつなさ
もう少し寒くなったら笠智衆
ミレーヌと呼んでみたらし団子かな

人名は強いイメージを喚起する。
たとえば、クラウス・キンスキーは怪奇映画やドラキュラ役者として活躍し、彼の娘のナスターシャ・キンスキーも女優として著名である。ここでは人名と食べ物のダブルになっている。
次に「地名」を用いた句。

種子島あたりで力つきてしまう
腰つきも何が何だか南禅寺
カレーうどんの汁も飛び散る淡路島
神戸かな何をいまさらアスピリン
通天閣の方から風が吹いてくる

続いて「犬」の句から。

残業がないので犬の爪を切る
犬の影 犬のかたちをして歩く
寝屋川の犬のうんこを手で摑む
疥癬や犬の晩年牡蠣フライ
睾丸の袋と犬を持て余す

「犬」には川柳的喩を込めやすい。
たとえば、ここに「父」のイメージを重ねることができる。
スカトロジーと結びつけることもできて、引用はしないが楢崎のスカトロジックな句は十分楽しめる。
分類から離れて印象に残った句から。

寝不足や鮫の一族みな滅ぶ
病院の廊下で転ぶ「十代の性典」
たいむかあどや魚の眼の裏返し
その辺に転がっている副所長
粘膜やすでにこの世のことならず

楢崎の300句を読んで感じるのは強い表現衝動であり、私自身はすでに忘れてしまったルサンチマンである。
最後にもう一度「食べ物」の句を紹介して締めくくろう。

たこやきのたこになったりならなかったり
すでに手遅れの大根を洗っている
あきらかに鯖の味噌煮の肝試し
人参の首から下が改革派
蒟蒻を食べてもいいがへらへらするな

2015年5月3日日曜日

強権に確執をかもす志

連休でゆっくりしているうちに、短詩型の世界ではいろいろなことがどんどん進んでゆく。
特に俳句の動きが活発だ。
「文学界」5月号の巻頭表現は佐藤文香の「夏の末裔」10句。写真は安藤瑠美。(一か月近く前に発行されていたのに、いまごろになって気づいた。)

みずうみの氷るすべてがそのからだ   佐藤文香
間奏や夏を養ふ左心房
冷房や唾液をはじく耳朶の産毛

「オルガン」1号が発行されて話題になっている。生駒大祐・田島健一・鴇田智哉・宮本佳世乃の四人の同人誌。同人による対談「佐藤文香の『君に目があり見開かれ』を読んでみた」が掲載されている。

春暁をしばし冷たき雲の空      生駒大祐
鶴は手を欲しがっているくすぐる手  田島健一
しわしわの淵へと波の消えゆけり   鴇田智哉
風船に入る空気のちとぎくしやく   宮本佳世乃

「蝶」213号の特集『たむらちせい全句集』。伊丹啓子がこんなふうに書いている。
〈たむらちせいの作品には読者が解釈するにあたって難解なものが間間ある。が、それらの句はいわゆる「コトバ派」の俳人たちの難解句とは方向性が異なるように思う。なぜなら、ちせいの句の基底には初期の頃より培われてきたリアリズムが存在する。そして、リアリズムを踏まえたうえで独特の幻想性を加味しているからである〉
宮﨑玲奈の「赤黄男に贈る詩」も興味深く読んだ。

寒椿詠まねばすべて無なりけり    たむらちせい
雪女陸軍伍長の墓を抱く       森武司

「豈」57号、招待作家として金原まさ子の50句が掲載されていておもしろいが、「豈」についてはまた別の機会に。
『冬野虹作品集成』全三巻。ゆっくりと読みたい。

作品をまとめて残してゆく作業、新しい同人誌のスタートなど、いろいろな動きがあって目が離せない。同人誌はさまざまな表現者の組み合わせによって、新鮮な活動が期待できる。川柳でも数名の同人によるユニットが複数できて、それぞれの表現世界を追求してゆくような状況が生まれるとよいのにと思っている。

川柳では「ノエマ・ノエシス」29号、高鶴礼子の巻頭作品「総員情報機器化症候群」に注目した。「症候群」に「シンドローム」のルビが付いている。初出は詩誌「飛揚」59号、特集「機械」のゲスト作品ということだ。それに新たな二句を加え、「見田宗介先生に捧ぐ」という献辞が添えられている。

工程を踏めば図太くなる舌禍

「機械」というテーマだが、そこに現代社会に対する批評的な意味が込められている。「舌禍」というのだから、ことは「言論の自由」にかかわっているだろう。
工程を踏めば大きな制作物も可能になる。同時に負の一面も巨大化するのだ。

擬制いえ規制 ザムザは虫になる

「擬制」と「規制」。「自己規制」という言葉もある。社会全体が規制の方向に動いている。
カフカの「変身」はかつて不条理文学として読まれたが、いまは「ひきこもり文学」として読まれることもある。この句では「不条理」の方の意味が強いようだ。
「特定秘密保護法」のことなどが思い浮かぶ。

起動音 織機の下のキリギリス

織機の起動音とキリギリスの鳴き声とだったら、言うまでもなく起動音の方が優勢だ。けれどもキリギリスの鳴き声を聞き取る耳を失いたくないところだ。

整然と仮象の桃は腐らない

バーチャルの桃は映像の世界の中で腐らない。
情報化社会。マトリックスの海。

置換されたいか深層社会学

見田宗介はたしか社会学者だった。
大澤真幸・宮台真司などが見田ゼミの出身だという。
深層心理学はよく耳にするが、深層社会学というものがあるのだろうか。

ギシギシとネジのネジレはまだ癒えぬ

部品を止めているネジには大きな負荷がかかっている。
「銀河鉄道999」というアニメでは機械の星を支えるネジは人間からできている。
心あるネジたちは機械の星を破壊するために、自らバラバラになるという結末だった。
あの映画ではまだロマン主義が生きていた。

メガバイト ナンジシンミンハゲムベシ

情報操作と権力との関係。
情報量の大きさの陰で権力は行使されているのだろうか。

追投下 領有するという疎外

「追投下」には「リ・ツイート」のルビ。
国境と領有権の問題。

餓死しないボクと見つめるボクの餓死

かつて「飢えた子の前で文学は有効か」ということが言われた時代があった。
栄養失調の子どもたちがじっと私たちを見つめているというイメージだろう。

組織論なんて牧歌をうたうなよ

権力に対する対抗組織もいまは力をもたない。
ここでは「牧歌」だと一刀両断されている。

符号ゆえゼンノウ 瓊瓊杵尊モ、ワ、タ、クシモ

「瓊瓊杵尊」には「カミ」というルビ。
ニニギノミコトは天孫降臨神話に登場する天孫だから、ここでは天皇制がテーマとなっているのだ。
「ワ、タ、クシ」とは誰だろう。

跨ぐなと合わせ鏡の中の死者

戦後70年。
「戦争は絶対にしてはいけない」と発言する人も次々と世を去ってゆく。
現在が昭和十年代と似ているとしたら、無気味なことである。
今回の高鶴の作品に現代川柳ではすでに珍しくなった社会性を感じたので、私なりの感想を書き留めてみた。石川啄木が「時代閉塞の現状」の中で述べ、のちに大江健三郎が敷衍した「強権に確執をかもす志」という言葉が思い出された。