2013年7月26日金曜日

暑中お見舞い諸誌逍遥

7月6日(土)
連句協会・理事会に出席のため東京へ。
朝、家を出るとき郵便受けに「川柳カード」3号の校正刷が届いていた。鞄に入れて出発。
新幹線の中で校正する。特集「2010年代の川柳」、飯島章友・湊圭史・きゅういち・兵頭全郎の四人がそれぞれ異なる切り口で書いていて、立体的に仕上がっている。何箇所か訂正。(しかし、結果的には重大な誤りをスルーしてしまっていた。校正はコワイ。)
千駄ヶ谷で降りて、会場の日本青年館へ向かう。国立競技場ではサッカーの試合があるようだ。
連句協会の法人化、山梨の国民文化祭などについて話し合い、夕刻に終了。
いつもは理事会のあと近くの蕎麦屋に有志が集まるのだが、本日は体調不良のため出席せずに大阪へ帰ることにする。先日の「大阪連句懇話会」のあと夏風邪をひいて、なかなか治らない。このときご参加の連句協会会長も風邪をこじらせているし、大阪のバイ菌は強力なようだ。

7月7日(日)
玉野市民川柳大会へ。
新幹線で岡山へ。岡山から高知ゆきのマリンライナーに乗り、茶屋町で乗り換え宇野へ到着。
投句後、会場近くのお好み焼き屋へ。二軒あるが、冷房の効かない方は敬遠する。わけあってビールはノンアルコールにする。
会場へ戻ると、一階ロビーで海地大破さんはじめ高知の「川柳木馬」の方々と出会い、歓談する。高知組はバスをチャーターして来ていて、とても元気である。来年は「木馬35周年」だ。
兼題4(兼題は同じ題で男性選者と女性選者の共選)、席題1。大会では成績が悪く、3句抜けただけだった。特に「キリン」の題で抜けなかったのが残念である。もう少し実作に力をいれなければ。
兵頭全郎が特選を三つ受賞したので、岡山駅前でお祝いをする。玉野の帰りに毎年立ち寄る居酒屋である。昨年は二階の座敷いっぱいの参加者だったのに、今年はいるべき人がいない。明日は職場検診でバリウムを飲むので、ノンアルコール・ビールで通した。あまり気勢が上がらない。

7月×日
五木寛之・梅原猛対談集『仏の発見』読了。
途中で川端康成の話になって、五木がデビューしたてのころ、川端に誘われて「絨毯バー」というところに行く話がおもしろい。
バーの近くに小物を売っている店があって、川端は安物のアクセサリーか何かをたくさん仕入れていく。バーに着くと、来ている女の子に向かって五木が「あのおじさんがこんなものをくれると言っているから、こちらへ来て話さない?」とか言う。女の子に取り巻かれて川端はとても嬉しそうだったという。
仏界入りやすく、魔界入りがたし。

7月×日
俳誌「里」7月号が届く。
毎号楽しみにしている佐藤文香選句欄「ハイクラブ」のページを開く。

蛸の目のきろりと動くだいぶ嫌    上田信治
ほんたうのみづ満ちてゐる枇杷の中  中山泡
小さき人やはりちひさき夏木立    山田露結
駒鳥や太陽は西に向かった      日高香織
行くも帰るも世界の夏の生足よ    高山れおな

「成分表」で上田信治が「説得力」と「納得力」について書いている。
その中で上田は施川ユウキの長編4コマ漫画『オンノジ』に触れている。この漫画は読んだことがないけれど、「どういうわけか世界にただ一人とり残された小学生の女の子が、うだうだ冗談を言いながら生きていく」という話らしい。上田はこんなふうに言う。
「おどろくべきことに、この作品はハッピーエンドで終わる」「そんな世界をつくっておいて、作者はその少女が不幸になることが、自分に許せなくなったにちがいない」
もちろんこのハッピーエンドは辻つま合わせなどではなくて、考え抜かれたものなのである。最後に上田は次の句を引用している。

死顔のやうにやすらか汗ながら    田中裕明

7月×日
「猫蓑通信」92号が届く。
巻頭、青木秀樹が「連句の座のマナー」について書いている。
東明雅「二条良基の序破急論」は昭和40年に書かれた文章の再録。こういう文献の掘り起こしは読者にとってありがたい。良基の「築波問答」では百韻について、「一の懐紙は序、二の懐紙は破、三・四の懐紙は急」に相当するとしている。序破急の「急」の部分が後半全部となり、ここに一巻の興味がおかれていることになる。
「急」が他の二倍もあるという良基の連歌論はおもしろいとも言えるが、後代の人はこれを修正して、発句から十句目までが序、十一句目から二・三の懐紙全部を破、四の懐紙が急となった。連句の歌仙では表六句が序、裏と名残の表の二十四句が破、名残の裏六句が急である。
編集人の鈴木了斎は、東明雅の文章に並べて芭蕉の「柴門ノ辞」(現代語訳・解題付)を置き、次のように問題提起している。
「もし、歴代の連歌師、俳諧師が常に古人の跡だけを求めていたら、出発点である二条良基の論は今日に至るまで、まったくそのままの形で通用していたに違いない。では、師の求めたところを求めるにはどうすればいいのだろうか。私達も真剣にそれを考え、模索することを通して、豊かな師恩に報いて行かねばならない」

7月×日
「川柳・北田辺」第33回句会報が届く。
くんじろうの長屋ギャラリーで開催される句会である。くんじろうの手料理付きで、この日は「らわん蕗のシーチキン炒め」「牛ステーキ夏野菜ソース」「パプリカの肉詰めチーズ焼き」をはじめ17品が出たもよう。
席題1、兼題3のほか2順目の席題が12題。
「いつまでも気の済むまでやってたらええねんとお帰りになった方もいる中で…」
さらに封筒まわしが7題。くんじろうと榊陽子が絶好調である。

「陽気」  ライオンの棺で父を送り出す        くんじろう
「こだわる」三行目からは漢字を使わない        くんじろう
「零す」  おしょうゆをこぼしておとなになっていく  陽子
「失言」  ねえさんは一日2回ひげを剃る        陽子

9月15日には同所で「第5回朗読会」が開催される予定。

7月×日
久保純夫の個人誌「儒艮」(じゅごん)第2号が届く。
個人誌ではあるが、11名の招待作品が並ぶ。

蟋蟀や解熱作用が見つからず      城貴代美
ジョバンニとアナベラがいる氷頭膾
直系は芍薬にあり打擲す
すれ違ひざまの耳打ち黄鶺鴒      岡田由季
人間は電気を通す秋の暮
蝌蚪じっと見ているそしていなくなる  小林かんな
くちなわのだんだん左寄りとなり
天文部一名遅刻ホタルブクロ
戦争のかたちで並ぶ裸かな       久保純夫
後朝や伏目のラマに愛されて
陰毛や遺品のように持ち歩き
桔梗ごと近づいてくる左の手
刈田かないつも乳首のふたつみつ

7月×日
「川柳カード」第3号が届く。
わあ~。校正ミスがあった。立ち直るまで、しばしの時間。
同人・会員・購読のみなさまには近日中に届くはずである。
9月28日(土)には「第2回川柳カード大会」が大阪・上本町で開催される。
この酷暑を乗りきれるだろうか。

2013年7月20日土曜日

「現代詩手帖」から大沼正明句集『異執』まで

「現代詩手帖」7月号の特集は「藤井貞和が問う」である。
巻頭に藤井自身の「声、言葉―次代へ」を据え、巌谷國士・川田順造・佐々木幹郎など20人近い論考を並べている。読みどころはいろいろあるが、昨年11月3日に神戸女子大学で開催されたシンポジウム「現代詩セミナー」が収録されているのが嬉しい。例年開催されているこのシンポジウムは何度か聞きに行ったことがあるが、昨年は参加できなかったからである。
パネラーは藤井貞和・金時鐘・たかとう匡子・細見和之、司会・倉橋健一であるが、金時鐘は次のように発言している。
「3月11日まで、日本の現代詩は外に向かって開かれていた詩だったとは思えないんです。生気を失った、内向きに逼塞した詩であったと私には見えていました。ために、これまでの現代詩の内実を明かしていくことが、いまから始まらねばならない。幸か不幸か、時代の変遷を驚愕の実相でもって露わにしたのが一昨年の東日本大震災だったと思うんです」
「この20年、日本では、短歌、俳句が跋扈しました。日本人誰しもが歌人、俳人の観を呈して久しいのですが、それにひきかえて現代詩はどうでしょう。言い換えれば、日本の言葉に関わる芸術は全部、現代詩の衰退のうえに成り立っている芸術なんです」
ここだけ引用すると誤解されそうな発言だが、インパクトがあり印象に残った。
細見和之は震災のあとCMで延々と金子みすゞの詩が流されたことについて、なぜ俳句や短歌ではなくて詩だったかと問題提起して「一番当たり障りのないものとして詩が選ばれたところもあったんじゃないか」と発言している。これも誤解を受けそうな発言だが、「大状況とふれ合わないという意味での詩、どこか自分の気持を逸らして別の何かを現実と違うものとして提示してくれるような詩、そういう生々しくないものとして詩が選ばれたところがあったのではないか」と細井は述べている。
シンポジウムのほか、和合亮一と藤井貞和の対談なども興味深いが、『東歌篇―異なる声 独吟千句』が再録されているのに注目した。藤井はこの本を2011年に出しているが、2012年には竹村正人がドキュメンタリー『反歌・急行東歌篇』を撮っている。
藤井の独吟千句は長句と短句を繰り返しているが、連歌・連句とは異なり、式目や季語を意識していない。こみ上げてくる言葉を吐き出したというものだろう。冒頭部分は「少年」と題されて、こんなふうに始まっている。

幼くて、われ走るなり。きれぎれに
返る記憶の少年の夏
特集のページ、原子の力もて
何をなせとか―ありし その記事
回し読みする「少年」誌、わが記憶
汚れていたる緑の表紙
はるかなるわれら 科学の夢を継ぐ
明日と思いき。はかなきことか
十年をわずかに越えつ。人類の
核分裂を手に入れてより
いもうとのウラン、名前に刻みつつ
あやうき虚偽となる 半世紀
あこがれの未来を、ラララ科学の子
戦後に誇る 産業ののち

鉄腕アトムの妹はウランちゃんだった。アニメの主題歌を作詞したのは谷川俊太郎。そういうところから藤井はうたいはじめている。いま、どんなに遠いところへ来てしまったことだろうか。

さて、「現代詩手帖」の俳句時評では関悦史が大沼正明句集『異執』(ふらんす堂)を取り上げている。句集の著者略歴によると、大沼正明(おおぬま・まさあき)は昭和21年、旧満州生まれ、仙台で育つ。『大沼正明句集』(海程新社、昭和61年)。現在「DA俳句」所属。「後記」を読むと『異執』という句集名は「正論から外れた見解を立ててこれに執着すること」で仏教語であるらしい。
関悦史は『異執』について、「大抵の句集が二次元もしくは三次元の枠内で表現に努めているとすれば、この句集は四次元といえようか」と述べている。「新しい表現自体のために新しい表現が探られるのではなく、己の生を句に成そうとすると、その表現が異形のものへと変貌していくのである」
『異執』については外山一機も「ブログ俳句空間・戦後俳句を読む」(5月31日)で取り上げている。

http://sengohaiku.blogspot.jp/2013/05/jihyo0531.html

関や外山に付け加えることは何もないのだが、『異執』はとても刺激的な句集なので、いくつかの句を紹介してみたい。

寧よ冬鳥戒厳令まだ解かぬ街に
寧よ行こう冬鳥を連れもっと北へ
長春手前で霧ふり寧の生理知りし
異物か無か寧の故郷に寧とひそみ
異物か明か三年半前少女の寧
寧の生家はあの解放大路の暗帰りぬ

「寧」にはニン、「明」には「みょう」、「解放大路」には「ジエファンダールウ」、「暗」には「あん」とルビがふられている。
「1991年(平成)秋からの足掛け四年は、中国東北部の長春にて現地の人々と寝食を共にした。旧満州生まれのおそらく最年少引揚者であろう己が原点を探る旅であり、句作りの継続には不可避との思いがあっただろう」と後記にある。
「杜人」238号に広瀬ちえみが「含羞と傲岸について」と題して『異執』の鑑賞を書いている。大沼は「『杜人』のみんなで来れば(長春を)案内するよ」とよく言っていたというが、実現しなかったらしい。
掲出句は1991年より以前の、1989年冬に北京から長春を旅したときの句のようだ。寧(ニン)という少女を詠んでいて抒情的だ。

われは反メディア派でいるンゴロンゴロ
貧貪と鳴らし半馬鹿派で行こう
僕もいつか紙おむつバックストローク派かな

「貧貪」には「ヒンドン」、「半馬鹿派」には「パンパカパ」のルビが。
「~派」という句が何句か見られる。むかし「漫画トリオ」なんてあったな。

阿Qいれば吽Qいるはず冬ざれ行く
ソウ太とウツ介この双頭の夏を行く
ぎざぎざ背鰭のオーヌマサウルス六十路らし

諧謔とか俳諧性を感じる句も多い。諧謔は自画像にも向かう。
次に挙げるのは批評性のある句。

しぐれとお金は大人の生き物こりこりす
自爆テロ地球にトンボ浮いてるのに
羽化まえのエノラゲイなら指でつまむ
民族浄化して粥に梅さがす広さかな
テキ屋きて社会の窓からいわし雲
ザリガニ尺もて祖国嫌度は脛から測る
天皇制のむこうの豚舎もまずは健康

渡辺隆夫が喜びそうな作品ではないか。

口腔(こう)派口腔(くう)派どっちも原発に口あいていた

この句について広瀬ちえみは次のように書いている。
「どう読もうと、そもそも原発ははじめから口腔を見せてあの日を待ちかまえていたのだという痛烈な批判は、新聞の見出しのような震災句の中で光を放っている」
最後に、句集のなかで最も抒情的だと思った句を挙げておこう。

白旗少女の白きは夏花なり摘むな

2013年7月12日金曜日

佐藤みさ子は怒っている

短歌誌「井泉」52号の連載「ガールズ・ポエトリーの現在」で喜多昭夫が「ロスジェネ世代の共感と連帯」と題して佐藤晶歌集『冬の秒針』を取り上げている。喜多はこの歌集を「ロスジェネ歌集として位置づけることができる」とした上で、次のように説明している。

「ロストジェネレーションとは、1970~80年代前半にかけて生まれた世代をさす」
「1991年3月にバブルは崩壊し、状況は一変する。有効求人倍率がついに1を下回った1993年以降、この世代は就職氷河期に見舞われることになったのである。企業は正社員の採用をできるだけ押さえて、派遣社員や契約社員といった非正規雇用を増やす方向へ大きく舵を切り、その憂き目を一身に浴びることになったのが、ロスジェネ世代というわけである」

内面にかかわりそうな話題には興味ないってふりが礼儀で    佐藤晶
触れあえばその傷跡が残るだろう桃のようなるわれらのこころ

このブログ(6月21日)でも「失われた20年をどう詠む」という飯島章友の問題意識について述べたことがあるが、ロスジェネ世代の川柳人がほとんど存在しないのはやはり気がかりなことである。

「MANO」18号が発行された。
佐藤みさ子・加藤久子・樋口由紀子・小池正博の同人作品のほかに、佐藤が「『冬の犬』を読む」、加藤が「明さんへの旅」、樋口が「石部明という存在」を書いて、昨年10月に亡くなった石部明を追悼している。小池の「現代川柳の方法」は木村半文銭の新興川柳と現代川柳を重ね合わせながら、固有の川柳メソッドがありうるかを問う。
巻頭作品は佐藤みさ子の「探す」20句である。
宮城県柴田町に在住の佐藤みさ子は震災をテーマに作品を書くことが多くなっている。
震災から二年以上が経過して、佐藤は依然として怒っているのだ。その怒りは内面化され、射程距離の長い作品として結実しつつある。
今回は佐藤の句を中心に取り上げるが、刺身のツマとして小池の句を取り合わせることによって若干の立体化をはかってみることにしたい。

ゲンパツを抱くとポタポタ雫する   佐藤みさ子
ネオリベも躑躅も妙に生きづらい   小池正博

1年前の「MANO」17号で佐藤は「祈るしかないのだ水を注ぎこむ」と詠んでいた。
いま佐藤は「ゲンパツを抱く」と詠んでいる。2年経過しても事態は収束しないし、将来の見通しもはっきりしない。そんなことは誰も望んでいないはずなのに、私たちはゲンパツを抱きかかえたまま生きていくほかはないのかも知れない。ポタポタ落ちる雫にはもちろん放射能が混じっているのである。
ネオリベはネオリベラリズム(新自由主義)である。この用語の厳密な意味を承知しているわけではないが、「ネオリベ」と省略して使う場合は揶揄の気持ちが込められている。男女機会均等法以後、女性も男性と同じように職場で活躍することを求められている。また、「市場原理」優先の時代の中で日本全体に何ともいえない閉塞感が漂っているのだ。

和を以て地震津波の国である        みさ子
なぜ髭を生やさぬと鞭打ちの刑       正博

聖徳太子の制定した「十七条の憲法」の第一条は「和を以て貴しと為し」である。太子は地震や津波まで想定しなかっただろうが、地震があろうと津波が来ようと和をもってことにあたる国だというのは皮肉である。
イスラム圏に鞭打ちの刑がある。
アフガニスタンは多民族国家であるが、ハザラ人というモンゴル系の人々がいる。
テレビのニュースでよく見る長い髭を生やした典型的な男性とは異なって、ハザラ人は体質的に髭が伸びないのである。タリバン時代、髭を生やさない成人男子は鞭打たれることがあったという。髭を生やしていることがイスラムの象徴であったのだ。「いや、私たちは髭を生やしたくても生えないのだ」と言っても、聞き入れてもらえない。

千年に一度のゆめの遺族です        みさ子
木漏れ日に混じって劣化ウラン弾      正博

千年に一度の地震、千年に一度の津波だったという。
津波の映像はUチューブなどに投稿されたが、撮影しながら「夢みたい」と呟いている撮影者がいたのは印象的だった。実感だっただろう。人は信じられない現実を目の前にして、夢のようだと感じる。けれども、人の死は夢ではないのである。
アフガニスタンには不発弾が大量に残っている。
子どもたちは不発弾を玩具にして遊ぶ。
たくましいとも言えるが、ほかに遊び道具が何もないのだ。もちろん彼らはそれが危険な遊びであることを知っている。どうすれば爆発しないかを知っているのだ。
けれども、どんなに注意深く扱っても、爆弾は不意に爆発してしまう。
劣化ウラン弾というものもある。戦車や装甲車を撃ち抜くために使われたらしいが、放射能の影響が指摘されている。劣化ウランは原発の廃棄物だということだ。

頼むから口には花を詰めないで       みさ子
憤怒でしたか牡丹の手入れ怠って      正博

口に花を詰めるのは善意だろうか悪意だろうか。
花で飾るのだから善意かというと、本人は嫌がっていたりするから、無意識の悪意になってしまう。どういう状況が詠まれているかを考えると、作中主体はすでに死者であるのかもしれない。
一方、牡丹の手入れに余念のない人がいる。
何よりも大切な牡丹なのに手入れができないのは、憤怒にうち震えているからである。それほど怒るようなことがあったのだろう。

竹の子と木の子と人の子を探せ      みさ子
パートナー蜘蛛に噛まれた者たちの    正博

魯迅の『狂人日記』の最後は確か「子どもを救え」だった。みさ子は「人の子を探せ」と言う。
タランチュラに噛まれた者が狂ったように踊っている。噛まれた者は何人もいるから、彼らは仲間たちのように見える。

見あげると千手観音やまざくら     みさ子
神さびの森に尿意は谺する       正博

救済は人知を越えたところにしかないのかも知れない。
千手観音や神さびの森。
しかし、佐藤みさ子は怒っている。

何のための川柳なのか銃乱射      佐藤みさ子

2013年7月5日金曜日

星座という組織にはいれないでください(山田喜代春)

「川柳塔」7月号が届いた。7月は麻生路郎忌である。
巻頭言に主幹の小島蘭幸が「自由律俳人 橋本夢道」を書いている。

無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ    橋本夢道

句集『無礼なる妻』の一句である。
夢道は徳島の出身。小島蘭幸は徳島県立文学書道館で『橋本夢道物語』を手に入れる。著者の殿岡駿星は夢道の次女の夫である。同書には次のように書かれているという。
「夢道は妻に対して『無礼なる妻』といいながら、実は世の中を批判している。必死になって飢餓食を作る妻を愛し、同時にこんな世の中にしてしまった戦争に対して怒りをぶっつけたのだろう」
蘭幸の巻頭言に刺激を受け、『短歌俳句川柳101年』(新潮臨時増刊号・1993年)の夢道のページを開けてみた。そこには次のような自由律俳句が掲載されていた。

戦争ゴッコの鎮台様がおらが一家の藷畑をメチャメチャにして呉れやがった
世界危機の正月の朝湯の身一つを愛する
夏の夢冬の夢春暁とても夢地獄
政治を信じられない日は青年青葉の塔を描く
発熱下痢愚痴内職三百六十日むしゃくしゃくしゃ
貧乏桜よ戦争いや強制労働ああ水爆真平だね
半人半獣のさばる邦の春風のみぴかぴかす

夢道は治安維持法違反で投獄され、獄中生活を送った。本物のプロレタリア俳人であった。
さて、川柳塔」7月号には拙稿の「春風をXに切る―高鷲亜鈍と詩川柳」も掲載されている。高鷲亜鈍は詩人の藤村青一。独自の詩川柳論で知られている。
また「川柳塔」には木津川計が「川柳讃歌」を連載していて、すでに百回を越える。

無駄なもの省けば私消えている   上田紀子

この句について木津川はこんなふうに書いている。
「岸田国士は高等で上等な人でしたから、『苦闘と闘ひ得ない人間は人間の屑だ。文学はさういふ人間の為に在るのではない』と傲然でした。ですが太宰治は自らを人間の屑と思い続け、『文学はさういふ人間の為に在る』と考えていたのでしょう。紀子さんも自らを人間の屑視されていますが、そんな紀子さんの為に川柳は在るのです。あなたの詠む『中心をずらしゆったり生きていく』現代川柳的感覚が光ります」

木津川計の『言葉の身づくろい』(上方芸能出版センター)はまだ読んでいないが、『人生としての川柳』(角川学芸ブックス・2010年)は川柳に対してエールを送る書である。
この本では六大家などの伝統川柳に多くのページが割かれているが、現代川柳にもきちんと目配りがされている。樋口由紀子や石田柊馬・石部明などの作品も引用されている。ただ、それは難解句の例として挙げられているのだが、分からないから駄目だというような偏狭な扱いはしていない。「川柳―近付き難い別世界にしないために」の章に木津川の考えがよく表れていて、私の考えとは異なる部分もあるが、川柳を大切なものとするスタンスはよく感じとれるのである。
そして本書の中には版画家・山田喜代春の名が登場する。

先日、京都で山田喜代春の個展を見る機会があった。三条通りのギャラリーである。
猫の絵が多く、欲しいなと思う作品がいくつかあった。
版画は手が出ないので絵日記『万歩のおつかい』を買い求めた。
木津川計が序文を書いている。
「もしも思いのままに絵を画けたら、人生どんなに楽しかろうと、僕はずーっと思いつづけてきたのです。
その絵に感心させたり、にこっとさせる詩をさらに添えられたら、人生は薔薇色になる、と夢見ながら僕は晩年に至りました。
そんな僕の無念を喜代春さんは全部叶えておいでです。どれほども幸せで、面白い人生であろうかと思えば、羨ましくて仕方がありません。しかし、天稟の持ち主の筈が、そうではないと言われるのです。
『たのしいことを山ほど築け苦しいことも山ほどつくれこれで山が二個できた』。そうだったのか、喜代春さんは好きな画業と詩作を楽しみながらも、やはり苦しみつづけて画家と詩人の山の二個を築かれたのです」

次に山田の詩をいくつか紹介しよう。句読点がなく、どこで行分けするかもわからないので、一行書きにしておく。

人の疲れをとるような詩をかきたいそのまえに自分の疲れをとらなくっちゃ

お前が世間にでられないようにしてやるとある人に言われたもともとでてないんです

いちばん大切にしているものは幼きときのかなしみ

死んでもし星になるのならけっして星座という組織にはいれないでください

蕗子よおまえには手を貸せないよだけどこころならいつでも借りにおいで

意欲のない人よっといでみんなそろってゴロ寝しよう

ぼくのひとことでよめさんないたさあしゅうしゅうがたいへんだ

悔いのない人生なんかおもろないわ

これらのことばは絵が添えられたときにいっそう強力な表現となって立ち上がってくる。こういう人が京都にいるんだなと思う。