2020年12月26日土曜日

2020年回顧

年末になった。コロナ禍で大変な一年だったが、現代川柳の動向について振り返っておきたい。以前も書いたことがあるが、戦後の現代川柳に関して私は次のような区分を考えている。

現代川柳第一世代 中村冨二・河野春三から墨作二郎・時実新子まで
現代川柳第二世代 石部明・石田柊馬から渡辺隆夫まで(1930年代~1940年代生まれ)
現代川柳第三世代 筒井祥文から清水かおりまで(1950年代~1960年代生まれ)
ポスト現代川柳世代 飯島章友・川合大祐から柳本々々・暮田真名まで(1970年以降)

今年は特に上記の第三世代の川柳人が収穫期に入り、句集や川柳本がまとめられた。
まず3月に樋口由紀子が『金曜日の川柳』(左右社)を上梓した。「拾われる自信はあった桃太郎」(田路久見子)から「独り寝のムードランプがアホらしい」(永田帆船)までの333句収録。これに樋口の鑑賞文が付く。「週刊俳句」ウラハイに毎週金曜日に連載されたものだが、現代川柳を紹介するのに果たした役割は大きい。連載は現在も続いている。
5月に広瀬ちえみの第三句集『雨曜日』(文学の森)が発行された。広瀬ちえみにはファンが多く、川柳のおもしろさを堪能させてくれる句集となっている。

うっかりと生まれてしまう雨曜日  広瀬ちえみ

10月には『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)の刊行。35人の川柳人の作品が各76句ずつ掲載されているアンソロジーである。「サラリーマン川柳」「健康川柳」などとは別に「現代川柳」というものが書き継がれてきたことを発信する意味では、一般読者にとって「はじめまして」ということになるだろう。
第三世代の収穫期ということは、次のポスト現代川柳世代が現代川柳を牽引していくべき時期に入ったということでもある。今後さらに、川柳句集・アンソロジー・川柳評論・現代川柳史などの川柳書がまとめられていくことが望まれる。

川柳誌についても触れておこう。
「水脈」56号の巻頭で浪越靖政が「飯尾麻佐子と柳誌『魚』」を書いている。「魚」→「あんぐる」→「水脈」という川柳誌の系譜のなかで、「魚」の存在は繰り返し語られるに値する。手元にある「魚」の創刊号(1978年12月)で飯尾マサ子(この時点では「マサ子」と表記)は次のように書いている。

「現川柳界を改革しているのは女である。
 これは最近の柳誌の巻頭で読んだ。これを重く受けとめたのは女性であった筈である。
 戦後の川柳界へ著しい女性の進出がつづき、これについて川上三太郎師は『女性川柳という空地を開拓せよ!しかもこの開拓はわれわれ男性がいくらやろうと思ってもやれないことなのだ』
 それから十余年が過ぎたのである。
 男性が男のおもいをうたい、女性がおんなのおもいをうたうことは当然なことで、そのことを以て男性川柳・女性川柳と分類することには疑いがあるが、敢て女性作家が集った目的には、重大なタイトルがあるわけではないが、多少なりとも女のある意識が存在することは確かである。
 現在女性川柳の大半が、男性の側によって、評価されている。」

現在の時点からみて、ここに書かれていることには様々な問題性があると思われるが、いま詳しく考えている余裕はない。ただ、飯尾には女性川柳人が置かれている状況と課題がよく見えていたのだと思う。浪越の文章に引用されている飯尾の言葉を読んでいくと、彼女がやろうとしていたことの先駆性が理解できる。

「川柳杜人」268号が届いた。1年前から予告されていたことではあるが、これが終刊号になる。73年の歴史に終止符がうたれるが、惜しまれつつ終刊するのは川柳誌のひとつのあり方だろう。

みんな捨ててしまった言葉は空へ  加藤久子
模様替えしている時をあっ雪虫   広瀬ちえみ
ざわざわとひそひそひそと裁断す  佐藤みさ子

関西では高槻川柳会「卯の花」が終会となった。12月句会の会報153号によると、コロナ禍で今後の見通しが立たないなかで、句会の継続を断念したという。
交野市で開催されていた「川柳交差点」も来年1月の句会で幕を閉じるとそうだ。
川柳句会にはさまざまなタイプがあるが、「卯の花」や「交差点」は結社の句会よりも少し自由で誰でも参加できる句会として人気を集めた。呼び方が適切かどうかは分からないが、結社句会でもなく、実験的な句会でもない、中間的な句会として参加者を集めた。それが終わるというのは、やはり時代が変わってゆくのだろう。

榊原紘(歌人)・暮田真名(川柳人)・斉藤志歩(俳人)の三人で何か始めるというのをツイッターで読んだのが11月下旬。それが12月に入って、ネットプリント「砕氷船」が発行され、すでに第二号まで出ている。このスピード感は若い世代ならではのことだ。「砕氷船」第二号では暮田が俳句を、榊原が川柳を、斉藤が短歌をというように、ジャンルをチェンジして作品を詠んでいる。

冬麗それなら鰐を飼うといい   暮田真名
ネロの火を逃れてハチ公前で会う 榊原紘
レジでもらうチューインガムはレジで噛む明日の服は今日用意する  斉藤志歩

あとネットプリント「ウマとヒマワリ」11号から、平岡直子の川柳。

登山には宛名を書いて返してね  平岡直子

終ってゆくものもあれば始まってゆくものもある。これも流転する世界の姿だろう。2021年に向かって胎動はすでにはじまっている。

2020年12月23日水曜日

田中雅秀句集『再来年の約束』

私は田中雅子とは連句人として交流があるが、彼女は俳人としては田中雅秀(たなかまさほ)の名で金子兜太に師事し、「海程」に所属。現在は「海原」同人である。このたび第一句集『再来年の約束』(ふらんす堂)が上梓された。

再来年の約束だなんて雨蛙   田中雅秀

句集の中には文語の句もあるが、おおむね口語作品である。句集のタイトルになっている句だが、連句人の癖として私は勝手に次のような付合いに変換してしまいたくなる。

再来年の約束だなんて言わないで
 葉の裏側で待つ雨蛙

句集を読んでいると、けっこう私性の強い句が多いという気がした。

ほうほたる弱い私を覚えてて
桐の花本音はいつまでも言えず
私ではない私の日常鉄線花
ブロッケン現象私の影に棘がある
クローバー私の秘密隠される

「物」そのものを詠むというよりは、「私」そのものがモチーフとなっている。もう一つのキーワードは「秘密」である。生活者の「私」が隠している「秘密」は表現者として言葉を発するモチベーションとなる。彼女がよく使う言葉でいえば「妄想」である。

わあ虹!と伝えたいのにひとりきり
タイミングが合わない回転ドアと夏
君と会う理由を探す春の果
麦の秋青いザリガニ胸に飼い
冬の虹くぐる・くぐれぬ・くぐりたし

軽やかさのなかにふっとかすめる孤独感。現実とのかすかな違和感。だれにでもあるそういう瞬間を雅秀は言いとめている。

猪は去り人は耕す花冷えに     金子兜太
猪の去りたちまち迷子なりわれは  田中雅秀

前者は田中が会津に移住したときに兜太が彼女に贈った句であり、後者は本書に収められている追悼句である。
田中は会津に移住したあと、猪苗代兼載の顕彰に取りくんだ。猪苗代兼載は連歌七賢のひとりで、猪苗代湖畔の小平潟(こびらがた)の生まれ。京都の北野天満宮の連歌所の宗匠をつとめた。『新撰菟玖波集』から兼載の付句を紹介する。

  うづみ火きえてふくる夜の床
 人はこでほたるばかりの影もうし  (巻十 恋下)

2009年は兼載五百年忌に当たり、小平潟天神社において記念祭が挙行された。その後も田中の呼びかけで「兼載忌」が開催された。

雪虫の話を仮設の少女とす
冬木立フクシマの月串刺しに

東日本大震災のあと、フクシマの浜通りから会津に移住してくる人もいた。田中は教員の仕事をしているので、そういう子どもたちと直接接していたのだろう。句集の第二章には現実と向き合った作品が収録されている。
会津には白鳥が飛来するようだし、これからは雪の季節になるだろう。田中雅秀の軽やかな妄想はこれからどんな言葉になって飛翔してゆくのだろうか。

冬の虹あしたは犀を見に行こう   田中雅秀

2020年12月11日金曜日

いわさき楊子『川柳人が楽しむエモい漱石俳句』

飯塚書店といえば、田口麦彦の川柳書を多く出している出版社である。
『川柳表現辞典』『現代川柳入門』『川柳技法入門』『時事川柳入門』などの辞典・入門書をはじめ、『穴埋め川柳練習帳』『地球を読む』などの読みやすい本、写真と川柳のコラボによる『フォト川柳への誘い』『アート川柳への誘い』、オリンピックを視野に入れた『スポーツ川柳』など、田口の本がカバーする川柳領域は広範囲に及んでいる。
いわさき楊子著『川柳人が楽しむエモい漱石俳句』がこのほど飯島書店から刊行された。いわさきは熊本在住の川柳人。前掲の『スポーツ川柳』の巻頭には

マラソンのソのあたりから離される   いわさき楊子

が掲載されている。いわさき楊子がなんで漱石本を出したの?と最初は思ったが、本書のポイントはふたつ、「川柳人が楽しむ」と「熊本」である。
松山時代の漱石については私も比較的知識がある。毎年4月末の祝日に子規記念館で「俵口全国連句大会」が開催され、2017年から2019年まで3年続けて出席した。2017年は子規生誕150年に当たり、漱石と子規は同年の生まれだから、俵口連句大会では子規、漱石の句を発句とする脇起し歌仙の募集があった。漱石の句は発句に用いてもおもしろい句が多い。そのときの受賞作品の中から紹介する。

衣更へて京より嫁を貰ひけり   夏目漱石
 古への香に焚ける蒼朮     木村ふう
町医者を目指し毎日励むらん   赤坂恒子

漱石の「京より嫁を」の句は熊本時代、鏡子を妻に迎えたときのもので、漱石ドラマではこのときのシーンがよく取り上げられる。いわさきの本ではこんなふうに解説されている。
「漱石は29歳の6月9日、熊本市光琳寺町の家で結婚しました」「衣更へと結婚は意外な取り合わせですが清々しさが腑に落ちます。結婚の喜びと将来への希望に満ちています」
本書によると、この光琳寺の家は現存せず、「今は繁華街の一角となったビルの壁に、『すゞしさや裏は鉦うつ光琳寺』の句と漱石の住まいがあったことが記されています」ということだ。
漱石の小説では『草枕』『二百十日』などが熊本時代の体験をもとにしている。まず『草枕』の小天温泉。

温泉や水滑かに去年の垢  漱石(小天温泉那古井館前庭)

『二百十日』の阿蘇山への旅。阿蘇谷への入り口にある戸下(とした)温泉。

温泉湧く谷の底より初嵐


『二百十日』で私が好きなのは、穴に落ちて上がれなくなった圭さんが上にいる碌さんに言う会話。
「それじゃ、君はこの穴の縁を伝って歩行(ある)くさ。僕は穴の下をあるくから、そうしたら、上下で話が出来るからいいだろう」

本書には私が今までよく知らなかった熊本時代の漱石のことが具体的に書かれていて興味深い。
次に本書のもうひとつの視点である「川柳」について。ところどころに「ミニ知識」の欄があって、川柳について触れている。

〈 川柳には俳句と違って、ことばの取り合わせの妙だけではなく、「どうだ」とまっすぐ迫る詠みかたがあります。季語らしきものが入っていてもあくまで生の人間が主体です。
   カンナ燃ゆ生命保険解約す
   O型の大男ジョッキまで飲む
   朱の栿紗パシと捌いて鬼女となる     〉

句は筆者・いわさき楊子の川柳。
ついでに書き留めておくと、岩波書店の漱石全集第十七巻(新版の方・1996年)には俳句・詩歌が収録されていて、俳句の注解を坪内稔典が書いている。同書には「連句」「俳体詩」も収録されている。連句は虚子・四方太・漱石の三吟で、連句人のあいだではよく知られている。俳体詩「尼」は虚子・漱石の両吟で、虚子が一時期、俳体詩という新形式を試みていたのはおもしろいことだ。
いわさきの本に戻ると、「漱石は熊本の赤酒を飲んだか」「日奈久に行ったかどうかはわからない」などのトピックスも掲載されている。漱石俳句を読みながら川柳のことにも触れているので、楽しめる本となっている。
最後に筆者の作品を巻末の〈筆者川柳・俳句一覧〉から抜き出しておく。

姿見の前で丹頂鶴になる         いわさき楊子
「う」から「あ」へぽつりぽつりと梅開く
プテラノドン自由をもってしまったね
背骨から煮くずれやすい回遊魚
六列にならぶ蟻ならば 怖い

2020年12月6日日曜日

素粒社の二冊の本(鴇田智哉・小津夜景)

湯川秀樹のエッセイに「知魚楽」というのがある。一時期、高校の教科書にも掲載されていたので、よく知られていることと思う。
荘子と恵子が川のほとりを散歩していた。
荘子「魚がのびのびと泳いでいる。これこそ魚の楽しみだ」
恵子「君は魚ではない。どうして魚の楽しみが分かるのか」
荘子「君は僕ではない。どうして僕が魚の楽しみを分かっていないと分かるのか」
恵子「僕は君ではない。だから君のことは分からない。君は魚ではない。だから君には魚のことが分からない」
荘子「僕は川のほとりで魚の楽しみが分かったのだ」
この話を紹介したあと、湯川は素粒子の話につなげている。

さて、素粒子にちなむのかどうかわからないが、今年の7月に「素粒社」という出版社が立ち上げられた。
「オルガン」23号に素粒社設立に祝意を表して巻かれたオン座六句が掲載されている。出版などを記念しての連句興行は連句の世界ではよくあることだ。

すゝきからすこし出てゐるからだかな  北野抜け芝
 雲払はれし素顔たる月        福田若之
大皿にうつるラベルのなめらかに    宮本佳世乃
 テープ起しの声のさゝめく      鴇田智哉
空気より冷たい鳥の樹を祝ふ      田島健一

発句の北野抜け芝が素粒社を設立した北野太一で、彼は浅沼璞に学んだ連句人としても知られている。引用部分は全体に祝意に満ちたもので、発句と脇は編集者として先へ進もうとすることへの挨拶のやり取りとも読める。

素粒社からは新刊が立て続けに出ているが、鴇田智哉の句集『エレメンツ』から読んでみたい。『こゑふたつ』『凧と円柱』に続く第三句集である。たとえばこんな句がある。

手の書きし言葉に封をする手かな  鴇田智哉
太陽が蠅の生れてからもある

なぜこういう句を書くのだろう。
手が書いた手紙を手で封をする。蠅が生まれたあとも太陽は存在している。考えてみれば当たり前のことだが、それをあえて言葉にすることによって立ち上がってくるものがある。「手」というものの存在、太陽と蠅の無関係的な関係。

かなかなといふ菱形のつらなれり
風船を結びつけて木の衰ふる
すみれ目のひとたちが自転車で来る
秋の蚊つかめば前を見てをりぬ
蓑虫を自分の鼻のやうに見る

かなかなは蜩だが、この蝉が菱形だと言っている。菱形と言えばいえるかも知れないが、この句をじっと見ていると、俳句の切れ字のことのようにも思えてくる。
木が衰えたのは風船を結びつけたからなのか。別の原因があったのではないか。
「すみれ目のひと」ってどんな人だろう。しかも、自転車に乗っている。
秋の蚊が前を見ているなんて虚構にちがいない。
蓑虫に対しては自分の身体の一部のような視線で見ている。
写生というより言葉によって世界を構築している句だろう。
作者はいつからこのような句を書くようになったのだろう。気になったので、今までの句集を取りだしてみた。

こゑふたつ同じこゑなる竹の秋  (『こゑふたつ』)
人参を並べておけば分かるなり  (『凧と円柱』)

ふたつの声が同じだという。それに「竹の秋」という春の季語を取り合わせている。
人参の句は何が分かるのかが省略されているが、それは読者の読みに任せる書き方である。
一句目は季語の力が強すぎるし、二句目は川柳でもよくやる省略の効いた書き方。川柳人の私にはあまり関係がないと思っていたが、今度の第三句集は分かりにくい部分も含めて興味深かった。川柳は世界を批評的な目で眺めるが、物に即しつつ言葉によって世界を構築するやり方がおもしろいと思った。

もう一冊、小津夜景『いつかたこぶねになる日』は前著『かもめの日の読書』に続いて漢詩について書いている。
たこぶねとは?
蛸のなかで分泌物を出して貝殻のようなものを作る種があるらしい。
リンドバーグ夫人の『海からの贈り物』にも出てきて、本書にも引用されている。確か須賀敦子がリンドバーグ夫人のこの本を絶賛していたと記憶している。
たこぶねのことから江戸時代の女流詩人・原采蘋の話になって、彼女が故郷の筑前から江戸へ旅立つときの漢詩が紹介されている。采蘋二十七歳。ここでは現代語訳の方で引用。

夜あけに起き 父母に礼をして
新年 郷里を出発する
門の前では手ずから植えた柳が
ひときわ別れを惜しんでゆれる

中村真一郎の『頼山陽とその時代』では「女弟子たち」の章で平田玉蘊、江馬細香の次に三番目に簡単に紹介されている采蘋だが、ここでは彼女の姿が生き生きと立ち上がってくる。
次の章では李賀の「苦昼短」(昼が短すぎる)が登場。「飛光よ、飛光よ、汝に一杯の酒を勧めん」ではじまる詩である。詩人で連句人でもある鈴木漠も李賀のファンだが、彼の連句集のなかに『飛光抄』(編集工房ノア)がある。横道にそれるが、中国・蘇州での発句で巻かれた歌仙「黄砂」の冒頭部分を紹介しておこう。

天と地の交合(まぐは)ひて降る黄砂かな  永田圭介
 鯤といふ名の魚の日永さ         鈴木漠
山葵擂り蕩児孤独に手酌して        梅村光明

『たこぶね』に話を戻すと、杜甫の「槐の葉のひやむぎ」の説明に青木正児の『華国風味』を引用したり、アイザック・ウォルトンの『釣魚大全』が出てきたり、散りばめられている書物が本好きの人間にとってはたまらなく魅力的だ。文学の楽しみ、読書の楽しみを満喫させてくれて嬉しい。

冒頭の「知魚楽」のエピソード。荘子の言葉をもう少し詳しく書いておく。
荘子「君は『君にどうして魚の楽しみが分かるのか』と言ったが、それはすでに僕が魚の楽しみを知っていることを知って私に訊いたのだ。僕は川のほとりで魚の楽しみが分かったのだ」
恵子が形式論理学者なのに対して荘子は斉物論者である。

2020年11月28日土曜日

尾崎放哉と自由律俳句

紅葉を見に須磨離宮公園に行ったついでに、須磨寺に立ち寄った。
須磨寺は尾崎放哉が大正3年(1924)6月から翌年春まで境内の大師堂の堂守をしていたところである。ここは放哉にとって句作開眼の地であって、俳誌「層雲」に彼の句が爆発的に掲載されることになる。

あすは雨らしい青葉の中の堂を閉める   尾崎放哉
一日物云はず蝶の影さす
静もれる森の中おののける此の一葉
沈黙の池に亀一つ浮き上る

放哉の終焉の地は小豆島で、吉村昭の小説『海も暮れきる』に描かれているが、放哉は海が好きであった。須磨の海も放哉の心をなぐさめたのだろう。
「私は性来、殊の外海が好きでありまして、海を見て居るか、波音を聞いて居ると、大抵な脳の中のイザコザは消えて無くなつてしまうのです」(「入庵雑記」)
大師堂の傍らの池畔に「こんなよい月を一人で見て寝る」の句碑がある。
翌年春、放哉は須磨寺の住職争いの内紛の影響を受けて寺を去ることになる。放哉の海の句を挙げておく。

高浪打ちかへす砂浜に一人を投げ出す
何か求むる心海へ放つ
なぎさふりかへる我が足跡も無く
波音正しく明けて居るなり

「川柳スパイラル」10号は「自由律と短句」の特集を組んでいて、「海紅」の石川聡が「自由律俳句と自由律川柳」を書いている。
自由律俳句は新傾向俳句運動の河東碧梧桐にはじまるが、荻原井泉水の「層雲」と中塚一碧楼の「海紅」を二大俳誌とする。(これ、話を単純化しているが、実際はもっと複雑です。)
放哉や山頭火は「層雲」系である。層雲自由律の俳人の作品をいくつか挙げておく。

わたの原より人も鯛つりわれも鯛つり   野村朱鱗洞
山々着飾りたれば秋という天       池原魚眠洞
陽へ病む                大橋裸木
淋しさめが君の淋しさにあひたがつてゐる 栗林一石路
無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ 橋本夢道

「海紅」系の俳人に滝井孝作がいる。俳句では折柴(おりしば・せっさい)と号していた。
「私は二十一歳の時、大正三年の秋、東京に出ました。次の年の春から碧梧桐と一碧楼とで雑誌『海紅』を出すことになりまして、私も編輯を手伝いました。大正四年、五年、六年、七年、この四年間『海紅』の仕事をしてゐました」(『折柴句集』自序)

八ツ手のかげから目かくしの馬を見る馬のをるなり 滝井折柴
毛布きた人に何も言はずそのままにおいてよし
性慾かなしく十能の火灰を土にあける
金に困りぬいてゐて冬の半島を一まはりして來た
ポケットにお前のものをもつ秋の夜也

『折柴句集』はおおむね自由律だが、それ以後は定型となる。滝井には『俳人仲間』という小説もあるが、私はまだ読んでいない。
「層雲」「海紅」以外にも吉岡禅寺洞の「天の川」とか萩原蘿月の「冬木」などがあり、現代の自由律俳誌はさらに多様化しているようだ。中塚一碧楼の句とあわせて掲載しておく。

うすもの着てそなたの他人らしいこと      中塚一碧楼
団栗は無意識に轉び悪事は根強く進捗す秋日かな 中塚一碧楼
冬木の木ずれの音 たれも来ていない      吉岡禅寺洞
季節の歯車を 早くまわせ スウィートピーを まいてくれ 吉岡禅寺洞
太陽と永遠の今と潮が流れてゐる事実      萩原蘿月

「川柳スパイラル」10号にゲスト作品を掲載している岡田幸生の句集『無伴奏』は1996年に出版されたが、私の持っているのは2015年の新版である。北田傀子が序を書いていて、北田は「随句(自由律俳句)」について次のように言っている。
「句は一種の『ひらめき』(肉体感覚の)で、それは理屈で説明し得ないいわば『無条件』である。したがって随句は文章によらず韻となる。『ひらめき』は瞬時であるから句は最短の韻文(三節)となる。この韻を可能にするのは日本語(大和言葉)の特性からで、句は平常の大和言葉で表現するのでなければ実効をあげることができない」
分かりづらいところもあるが、石川聡が「自由律俳句と自由律川柳」でも触れている「三節文体構成」なのだろう。あと萩原蘿月の「感動主義」というのも調べてみると、萩原は「冬木」の創刊号で次のように書いている。
「今の俳人の弊は、注意が外的であること、感動が沈滞していること、直観力が鋭くないことである。俳句は詩であるから、俳人の素質も詩人的でなくてはならぬ。詩人は直観力の鋭いこと、内省に富んでいること、感動の絶えず流れている事などによって俗人と区別される」(大正二年十月)
いろいろな考え方があるものだ。岡田幸生に話を戻して、最後に『無伴奏』から何句か紹介しておく。

髪を切ったあなたを見つけた    岡田幸生
無伴奏にして満開の桜だ
フランスパンのしあわせがのぞいている
きょうは顔も休みだ

2020年11月13日金曜日

雑誌を読む楽しみ(連句誌・短歌誌・川柳誌・俳誌)

この秋、10・11月に出た雑誌(連句誌・短歌誌・川柳誌・俳誌)を拾い読みしてみよう。
「みしみし」という連句誌がある。2019年4月創刊で、現在7号(2020年秋)まで発行されている。同号から連句の付け合い(三句の渡り)で印象に残った箇所を挙げておきたい。

飛躍的認知の歪みかもしれず       小奈生
 階段下りるだまし絵の中        由季
トリッパのトマト煮のあるレストラン   玉簾
   (歌仙「尾長来て」の巻)

 夏のあひだを遊び呆けて        銀河
まぼろしはいつもかなはぬ夢を見せ    七
 徹底的に髪を切られる         らくだ
   (歌仙「花野」の巻)

前句の世界を三句目でがらりと転じるのが連句の基本であり、言葉と言葉の関係性の世界には短詩型文学全般に通底するものがある。
この連句誌では連衆(連句参加者)の単独作品も掲載しているので、次に紹介しよう。

蓮の花ひらく一瞬えれきてる    羽田野令
十月で青であなたのこいびとで   瀧村小奈生
弟ときのこ名付ける遊びせり    岡田由季
薄目して手のひらが手を洗ふなり  鴇田智哉
心音のここらで虹がきえるのだ   なかはられいこ
天高しまたがってみる竹箒     沖らくだ
コスモスの中に白馬を置いてくる  小林苑を

俳人の作品も川柳人の作品もあって、同じ五七五定型である。かつて柳俳合同句会に参加したことがあるが、川柳・俳句を同じ土俵で選評しあったことを思い出した。
川柳からは瀧村小奈生やなかはられいこが参加しているが、短歌誌「井泉」96号の招待作品としてなかはらの川柳が掲載されている。

読点を置くべき箇所に笠智衆
しんにょうの流れのさきに阿藤海  (以上二句「みしみし」7号)
はらはらと金輪際が降って来る
ゆうぐれのたまごのなかの式次第  (以上二句「井泉」96号)

人名の効果、「金輪際」「式次第」の通常とはずらせた使い方など多彩な作句ぶりだ。
ちなみに「井泉」ではリレー小論として田中槐が荻原裕幸『リリカル・アンドロイド』、阿波野巧也『ビギナーズラック』を取り上げているが、ここでは彦坂美喜子「『わたし』の位相の変化」について見ておきたい。短歌における「わたし」の表現は加藤治郎、穂村弘から斉藤斎藤へ、斉藤から永井祐へと変化してきたと彦坂は言う。「その永井からもう一つ若い世代の歌には、別の位相の『わたし』の表現が表われてきているように思う」 彦坂が挙げているのは次の二人である。

この町に生れていたら通ってた小学校から飛び出すボール   平出奔
ぼくの手がそこで離されたとしても新緑の日はとおくもならず 岩倉文也

「現在の若い二十代の歌人たちの『わたし』は、不在であり、未決定であり、誰からも他人であるところに存在する。それは、仮定による不在の表象、未決定、醒めた他人感覚の記述によって、作品に意識的に張り付いている『わたし』の存在感を一層露わにする」と彦坂は述べている。
短歌では「私性」がよく問題になるが、かつて川柳でも「私性」が追求された時期があるが、現在の川柳はもう少し自由で、ある意味で「いいかげん」だ。 次に挙げるのは川柳誌から。

人間を喰うウイルスの咀嚼音    伊藤良彦
まずはその都会の音を脱ぎなさい  高市すみこ
まぼろしの音になるまでおやすみなさい 吉松澄子
斎場を出ると蝉しぐれ どっと   滋野さち(以上4句「湖」11号、課題「音」)
帽子掛けにツノを掛けたら夜ですね 広瀬ちえみ
言っておくけど売れ筋のツノらしい 同
預かったお肉返却したいのです   佐藤みさ子
死を書いたころは遠くに死があった 同 (以上4句「杜人」267号)

俳誌についても見ておこう。 「船団」が終刊(散在)したあと、それぞれの俳人の動きがある。「猫街」(発行人・三宅やよい)は散在のひとつのかたちだと思う。「猫街 NECOMACHI」2号から。

わたしからわたし離れてハンモック  近江文代
ライバルは奈良の大仏麿赤͡兒     ねじめ正一
今日からは花野といってみる空き地  三宅やよい

俳誌「五七五」(編集発行・高橋修宏)6号から。

末の種ならば華厳とひらきけり  三枝桂子
丸と思ひ点とおもへば線あらはる 佐藤りえ
今生も鰓があるのに泳げない   佐藤りえ
牛曳かれ瀕死憤死と春を踏む   増田まさみ
マダム・キューリーまた陽炎を産みこぼし 高橋修宏

「蝶」246号。たむらちせい一周忌霊祭が11月9日に行なわれた。

正論を述べた奴から真葛原    味元昭次
胎内の記憶 花咲く樹海に入り  たむらちせい
紅梅を撒きたる夢の出入口     同
戸の狂ひ叩いて開ける山桜     同

「LUTUS」46号から

葉脈の薄きひかりを囀れり       曾根毅
新芽つんつん巣ごもりそして病みにけり 高橋比呂子
春あらし表徴(シーニュ)の君を忘れない 表健太郎
昏夜もう叛かんのかと花ふぶき     志賀康

「里」が出なくなったので、私にとって若手俳人の句を読めるのは「奎」だけである。「奎」15号から。

変容の対義語として牛蛙    仮屋賢一
日盛りの花器の物欲しさうな口 野住朋可
魚は魚吐いて世界が星月夜   有櫛くらげを
人間の形して紅葉狩りの真似  水の机

以前は「言葉と言葉の関係性の世界である連句」と「一句独立して屹立する川柳」というふうに分けていたけれど、最近では連句も川柳も実作をするときの姿勢に区別がない。両者の境界は混然として短詩型の世界は究極的には同じだという気がしている。

2020年11月6日金曜日

現代川柳とは何か

『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)が刊行されて、現代川柳に対して新たな関心が寄せられつつあるようだ。
現代川柳への関心はここ数年来じわじわと広がってきたという実感がある。今年前半には『金曜日の川柳』(樋口由紀子編著・左右社)が上梓され、句集についても『雨曜日』(広瀬ちえみ・文学の森)をはじめ注目すべき川柳書が発行されている。この流れは急に起こったのではなく、この5年間で言えば、『大人になるまでに読みたい15歳の短歌・俳句・川柳』(ゆまに書房・川柳の選と解説:なかはられいこ)や八上桐子句集『hibi』(港の人)、樋口由紀子句集『めるくまーる』(ふらんす堂)などの川柳句集によって、現代川柳作品を読んでみたいという読者が徐々に増えてきた結果だと思われる。現代川柳の存在を発信するためには単独で散発的な仕事をしてもだめで、かたまりとしてアピールする必要があるのだ。(「川柳スパイラル」3号でも「現代川柳にアクセスしよう」という特集を組んで、アンソロジーや句集・評論集・ウェブサイト・川柳用語などの紹介を試みたことがある。)
現代川柳のアンソロジーと言えば、『現代川柳の精鋭たち』(北宋社、2000年)の存在が大きな意味をもっている。20年後の今年、『はじめまして現代川柳』が刊行されたことは偶然とは言え、現代川柳のリレーをつなぐ何らかの意味はあるだろう。『現代川柳の精鋭たち』の作者のうち10人が『はじめまして現代川柳』にも収録されている。

それでは、「現代川柳」とは何か?
定説はないが、「現代川柳」という用語は狭義・広義の二つの意味で使われている。

狭義の「現代川柳」 戦後から1970年代までの前衛的・革新的な川柳
広義の現代川柳   現代書かれている川柳というユルイとらえ方

狭義の意味の方だが、『はじめまして現代川柳』の「現代川柳小史」では「現代川柳」という呼称について河野春三の「我々の作品を今後、現代川柳という呼称に統一したい」(「天馬」2号・1957年2月)という発言を紹介している。「現代川柳」の「現代」は単に今の時代というのではなくて、「革新川柳」と同じ意味で使われていた。その中心にいたのが河野春三である。
広義の意味の方には「現代」とはいつを指すかという問題がある。「現代詩」の場合でも、昭和初年のダダやプロレタリア詩の時代、「荒地」の詩人たちなどの戦後詩、現代書かれている詩、などの様々なとらえ方ができる。読者の世代によって「現代」の範囲が動くのである。『はじめまして現代川柳』では厳密な定義を避けて、次のようなざっくりとした言い方をしている。
〈現在では伝統と革新ということはあまり言われなくなったが、伝統であれ革新であれ、文芸としての川柳を志向する作品を「現代川柳」と呼んでおこう。遊戯性は深い意味では文芸と無縁ではないし、川柳は文学か非文学かには議論もあるが、「川柳は遊び」という軽い意味のとらえかたはしないでおきたい〉

現代川柳史の時代区分についても簡単に触れておこう。
これも定説はないが、アバウトに次のように。

現代川柳第一世代 中村冨二・河野春三から墨作二郎・時実新子まで
現代川柳第二世代 石部明・石田柊馬から渡辺隆夫まで(1930年代~1940年代生まれ)
現代川柳第三世代 筒井祥文から清水かおりまで(1950年代~1960年代生まれ)
ポスト現代川柳世代 飯島章友・川合大祐から柳本々々・暮田真名まで(1970年以降)

世代で厳密に区切れるものではないし、個々の作者についてはいろいろ問題もあろう。特に中村冨二が本当に現代川柳なのかどうか(悪い意味ではない)、考えてゆけば興味深いところだ。
『はじめまして現代川柳』では現代川柳の源流として、新興川柳と戦後川柳の作者を挙げている。現代川柳と新興川柳には直接の関係はないと考える人もいるが、私は新興川柳(川上日車と木村半文銭)を現代川柳の源流として重要だと思っている。あと、「川柳ジャーナル」の作家の中から「言葉派」のルーツとして細田洋二の存在は見逃せない。
ともあれ、たくさんの読者に『はじめまして現代川柳』を手にとっていただいて、現代川柳作品のさまざまな可能性に触れていただければ嬉しい。

2020年10月30日金曜日

金築雨学の川柳

金築雨学(かねつき・うがく)は島根県の川柳人。
雨学といえば次の作品がよく知られているし、私も真っ先に思い出す。

虫に刺されたところを人は見せたがる  金築雨学

説明は何もいらないし、むずかしい言葉はひとつも使っていない。なるほどなあと読む者を納得させる。『現代川柳の精鋭たち』(北宋社、2000年)に収録されている句だが、同書からもう少し抜き出しておく。

送別会再び会うことのないように
反対は一人もいない不信感
よく似合いますよと店員が言う
深追いをしたのか人の声がせぬ
換気扇人の臭いを出しておく

川柳では「平明で深みのある句」が良いと言われることがある。インパクトのある言葉や難解な用語を用いた実験的・冒険的な作品とは別に、川柳の骨法をふまえた平明な句である。雨学の作風は伝統的な書き方で、その特徴は「穿ち」である。
新葉館出版の川柳作家全集『金築雨学』(2009年)に彼の略歴が掲載されている。

昭和16年生まれ。
昭和43年「出雲番傘」入会
昭和47年「番傘本社」同人
昭和51年「川柳展望」会員
昭和56年「風の会」創立
平成15年「バックストローク」会員

島根県の川柳人で雨学の先輩に当たるのが柴田午朗。午朗の句集『黐の木』(もちのき、1979年)のあとがきには次の一節がある。
「私も昭和初年以来『番傘』に所属しながら、川柳の伝統を踏まえつつ、現代人としての私自身の感懐を作品に加えたつもりである」「伝統か、革新か、具象か、抽象かの議論は、川柳界に於ても、また避けることの出来ない問題だが、さて自分自身の作品はどうか、と反省するとき、ただ自分の力なさを嘆くばかりである」
柴田午朗は昭和44年より4年間、「番傘」一般近詠の選者を担当した。金築雨学も柴田午朗のめざした方向性を受け継いでいるように思われる。午朗の作品では「ふるさとを跨いで痩せた虹が立つ」(『痩せた虹』1970年)が有名だが、『黐の木』から何句か紹介しておく。

峠道海へなだれて紅い魚拓     柴田午朗
ふたりきりなら鬼になるほかはなし
蛇を見た日から別れが近くなる
今日も来ない明日も来ない鶴の便り
バスよ急げ鏡の裏にひとが待つ
風に紛れてひとのこころを買いにゆく
千発の花火をあげてさようなら

金築雨学に戻ろう。『金築雨学』のあとがきに彼の詩が掲載されている。

軒の低い小さな雑貨店に入った
何が欲しいと思ったわけではなかったが
赤 青 緑 綴じられた紙風船を取った
風船の紙の手ざわりと
ささやきが耳をクスグル
千円渡したら三百円のおつりを呉れた 

(中略 子供だった「私」は67歳のおじいさんになる)

紙風船を買った雑貨店のつり銭も
まだポケットに残っていて
歩くたびに鳴る
以下余白の命も宙ぶらりんのまま
風が吹く度チャリンチャリンと鳴る

雨学とは「バックストローク」のころに二、三度会ったことがある。この句集を送っていただいたときに、短い手紙がはさまれていて、「私のやっている川柳勉強会では、あなたの理論を充分に参考にしています」とあった。私の書いたものを読んでいただいていたのだと思う。今年7月に彼は79歳で亡くなった。改めて読み直した句集から、引用して終わりにする。

拘っているのか少し熱がある    金築雨学
動物園からお父さんを連れて帰る
霧の中自分の鼻を確かめる
顔の上を誰か歩いたようだった
水面が光って帰りにくくなる
臆病な谷で山葵がよく育つ
蛇の出た話を何時もしてくれる
殺意はあった 何事も無い一日
白という面倒くさい色がある
オオカミに食べられた娘は美しい

2020年10月23日金曜日

短歌がおもしろい(正岡豊『四月の魚』など)

時評がきちんと更新できないまま時間が流れてゆく。何もしていなかったわけではないが、言葉にはまとまらない。この夏から秋にかけて入手した短歌関係の本について書いておきたい。

歌集がたくさん出版された。
まず正岡豊の『四月の魚』(書肆侃侃房)が現代短歌クラシックスの一冊として刊行される。 この歌集は1990年にまろうど社から刊行。2000年に同社から再版刊行(私が持っているのはこのときの本)。「短歌ヴァーサス」に再録。それぞれの版に追加収録されている歌があって、たとえば「短歌ヴァーサス」版では「拾遺四十五首」が付いていた。今度の版では「風色合衆国」が追加されていて、次のような歌。

「時間を殺して明日が来るとでもいうの?」「お前、眠れば明日はくるよ」  正岡豊
大島弓子はまひるの桜 さんさんと散りだせばもうお茶の時間よ

それぞれの版で少しずつ印象が違うのは読んだときのこちらの状態にもよるのだろう。今度読んでいいなと思ったのは次のような歌。

夏になれば天窓を月が通るから紫陽花の髪それまで切るな
よそをむきとぶ鳥はかならず落ちてほほえんで麦になるのであろう
この塩がガラスをのぼってゆくという嘘をあなたは信じてくれた
橋落つるとも紫陽花の帆とおもうまで耳蒼ざめてはりつめていよ

加藤英彦第二歌集『プレシピス』(ながらみ書房)も印象に残る歌集だ。第一歌集『スサノオの泣き虫』から14年、「Es」終刊から5年。

うらぎりをくり返し来し半生か内耳しびるるまで蟬しぐれ   加藤英彦
あれはだれ、あれはわが家で飼っていた犬です むかし死んだ犬です
この夏を越ゆるかどうか食ほそく鱈の身ほぐしつつ口にせぬ
夜ふけてシーツの上にいる蝶のような枯れ葉よ 今そこになにが来ているのか
その口に貴賤のひびきが匂うとき嫌だなあすこし声が艶めく
頽廃のはての宇宙にうかびたる冥王星や井上陽水

高柳蕗子『短歌の酵母Ⅲ青じゃ青じゃ』(沖積舎)は『短歌の酵母』シリーズの三冊目である。
一冊目の『短歌の酵母』(2015年)の「まえがき」には次のように書かれている。
「人間側から見れば、人は自らの意志で短歌を詠んでいるのだが、短歌の側から見れば、人間の意識に偏在し、人という酵母菌たちに短歌を詠ませているのだ。つまり人と短歌は共生関係にある」
今度の本では「青」という言葉のイメージを一冊にまとめている。青の基本イメージは空の色だが、ブルーシートの青や神秘の青、神話の青など、多様な切り口で青の短歌を集めている。引用されている作品が多いので、「青」についてのアンソロジー、データベースとしても便利である。読んでいて永井陽子の歌が特に印象に残ったので次に挙げておく。

もうすぐ空があの青空が落ちてくるそんなまばゆい終焉よ来たれ  永井陽子
仲秋のそらいちまいの群青のわが骨はみな折れてしまふよ
夏空のほとほとかたき群青も食ひつくすべし鵯の悪食
シベリアの青き地図など描きつつ心の破片を集めていたる

空の青といえば若山牧水の次の歌が有名で、本書でも最初に取り上げられている。

白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ     若山牧水
ランボーはむかしいもうとの妻であり青空を統べる骨ひとつあり 瀬戸夏子

高柳蕗子は瀬戸の歌について、〈「白鳥」からはじまった系譜の究極の姿のひとつ〉と述べている。「あの白鳥が骨になっちゃった!」というのだ。おもしろい見方だと思う。
川柳でも「青」の句が多いのでいくつか挙げておく。

ドラえもんの青を探しにゆきませんか   石田柊馬
足首に青い病気を持っている       樋口由紀子
青を着て青く解体されてゆく       松永千秋
青い絵の中で青溶く王に逢う       清水かおり

『塚本邦雄論集』(短歌研究社)は塚本邦雄生誕百年として、「現代短歌を読む会」の七人の執筆者(池田裕美子・尾崎まゆみ・楠誓英・楠見朋彥・彦坂美喜子・藤原龍一郎・山下泉)による論集。それぞれ読み応えがあるが、彦坂美喜子「塚本邦雄─その始まりの詩想」と藤原龍一郎「魔王転生─『波瀾』、『黃金律』、『魔王』を読む」が特に興味深かった。

秋になって、ヘッセの「霧の中」という詩とリルケの「秋」をときどき思い浮かべる。秋は実りの季節であると同時に黄落の時期でもある。頽落のときをどう乗りきるか。

2020年10月16日金曜日

第14回浪速の芭蕉祭

10月11日に「第14回浪速の芭蕉祭」がリモート連句で開催された。例年、大阪天満宮の梅香学院で行われているのだが、今年はコロナ禍のためオンラインで開催することになった。参加者は23名。関西・東京のほか会津・金沢・伊勢・鹿児島などからも参加があり、リモートなのでかえってご参加しやすかったようだ。
「浪速の芭蕉祭」は芭蕉終焉の地・大阪にちなんで2007年10月にスタートした。第2回から隔年ごとに連句の募吟をはじめ、第4回から第10回まで毎年募吟をおこなってきた。形式は自由で、さまざまな連句形式を同じ土俵にのせて審査するところに特徴があったが、現在は募吟を行っていない。
当日は12時40分にZoom入室、13時から約1時間、門野優・小池正博・高松霞による鼎談「若手連句人から見た現代連句の世界」、その後4セッションにわかれて連句実作を行った。鼎談では「捌き手に求められるのはルールの障りを見つける能力ではなく、付句を決定するセンス」などの発言もあり、あとの実作にプレッシャーがかかったことだろう。
小池正博捌きの座では十二調を巻いた。
十二調は昭和期に瀬川芦城が創始したが、その後絶えていたのを平成に入って岡本春人が現代向きに改革を加えたもの。 天野雨山編の『昭和連句綜覧』から昭和の十二調を紹介しておく。倉本方城・西尾其桃・寺崎方堂の三吟「冬木立の巻」である。

(再度山に登りて)
山門や句塚見返る冬木立    方城
 鶯の子のいとけなき聲   其桃
馬糞紙の積出荷物嵩はりて   方堂
  生かぢりても英語間に合ふ  城
秋も咲く茨の匂ふ窓の月     桃
  呉服祭に假の祝言      堂
約束のおへこの年期勤め上げ   城
  お國自慢の天の橋立     桃
さらさらと吹て通つた青嵐    堂
  乾き加減に落る瘡蓋     城
こつそりと花見て戻る宵の程   桃
  とりまはしよき別荘の春   堂

岡本春人は〈十二調は季の句と雑(無季)の句が半々、景の句と情の句が半々ぐらいの配分で作ります。むずかしい規則のない、新しい形式の連句です〉(『連句のこころ』)と述べている。
新派の連句について付け加えておく。最近は新派・旧派という区別をあまり言わなくなったが、美濃派・伊勢派などの伝統的俳諧を旧派、正岡子規にはじまる明治からの俳句・連句を新派という。高浜虚子は連句の重要性を認識していて、高浜年尾に雑誌「俳諧」の発行を命じ、阿波野青畝にも連句の研鑽を示唆した。年尾の『俳諧手引』の巻頭には「昭和俳諧式目」が掲載されている。青畝の「かつらぎ」系の俳人には連句の心得があり、岡本春人の「俳諧接心」に受け継がれた。

ところで、来年の国民文化祭は和歌山で開催されることになっていて、「連句の祭典」は上富田町で行われる。上富田町は熊野古道の入り口に位置していて、その一帯は口熊野と呼ばれている。
八上神社(八上王子)をはじめ由緒ある遺跡も点在している。八上王子は藤原定家の日記『後鳥羽院熊野御幸記』の建仁元年(1201)の条に、後鳥羽上皇の熊野御幸のことが記されている。また、西行法師の歌でも有名で、境内には西行歌碑も建立されている。

   熊野へまいりけるに、八上の王子の花面白かりければ、社に書きつけける
待ち来つる八上の桜咲きにけりあらくおろすなみすの山風(『山家集』上春98)

あと、田中神社のオカフジは南方熊楠が命名したことで知られている。
紀伊田辺の南方熊楠顕彰館や新宮の佐藤春夫記念館など、和歌山県にはゆかりの文学者が多い。
現在、和歌山県民文化会館で「連句とぴあ和歌山」、上富田文化会館で「はじめての人のための連句会・上富田」、二つの連句会が立ち上げられている。

以上、連句の話をしてきたが、川柳とも無関係ではない。連句には五七五の長句と七七の短句があるが、川柳にもこの両形式がある。 川柳雑誌「風」第118号(編集・発行 佐藤美文)では第21回風鐸賞が発表されている。今回の正賞、本間かもせりの作品から紹介しよう。七七句(十四字)である。

どのページにも待つ人がいる  本間かもせり
逃げて逃げてと叫ぶ天気図
となりの窓も窓を見ている
二、三歩先を歩き出す季語

連句の短句が前句とセットでひとつの世界を形作るのに対して、川柳七七句は一句独立するところに違いがあるが、本間の句は連句の付句に用いてもおもしろいように思われる。

2020年8月28日金曜日

片恋以外は平家に非ず―瀬戸夏子第三歌集『ずぶ濡れのクリスマスツリーを』

残暑のはずなのに真夏日が続き、だらだらと過ごす毎日だが、瀬戸夏子の歌集『ずぶ濡れのクリスマスツリーを』が届き、緊張感が走った。『そのなかに心臓をつくって住みなさい』『かわいい海とかわいくない海』に続く第三歌集である。正岡豊の『四月の魚』が現代短歌クラシックスの一冊として発行されるなど、このところ短歌から目が離せない。
瀬戸の歌集のタイトルになっているのは次の短歌である。

ずぶ濡れのクリスマスツリーは目を覚ましツリーの心に目隠しをする

「クリスマスツリー」といえば、第一歌集の次の歌を私はよく覚えている。

あんた、怒ってるとき、見えてるよ、神経がクリスマスツリーみたいで

この神経がひりひりするような歌と比べて、こんどのクリスマスツリーは少し抒情的になったかな、と思った。この一首に限っての話だが。いずれにしても真夏にクリスマスツリーの歌を読むのはおもしろい。
瀬戸夏子の短歌は歌人よりも現代詩人に評判がよいようだ。もちろんコアなファンは短歌にもいるのだが、瀬戸の短歌は通常の短歌の作り方とは違う。一行詩ではなくて多行詩の発想のような気がする。前後の文脈とは別のところから言葉が飛んでくるのだ。
瀬戸の言語感覚でおもしろいと思ったのは、「海でできた薔薇」「真新しい追従」「呼吸の新月」「双子のための鬼門」「荷風のための初恋」「女身の川端康成」などのフレーズ。「獅子と苺との鍵」なんて手術台の上のミシンとこうもり傘の出会いみたいだ。歌集のなかで一番気に入ったのは次の歌。

天の首絞める両手がふとゆるみ片恋以外は平家に非ず

「平家でなければ人に非ず」を屈折させて展開している。「片恋以外は平家に非ず」とは魅力的な呟きである。

なずな、恋、紫野いき標野いき途中でパン屋の娘と出会う

「なすな恋」は「保名狂乱」のさわりだし、「紫野行き標野行き」は言うまでもない。このズリ落とし方はけっこう好き。 瀬戸は柏書房のWEBマガジンの連載「そしてあなたたちはいなくなった」も好調だし、着実に仕事を進めている。
それにしてもこの歌集、水色の紙にピンクの活字とは老眼の身にとって読むのがつらい。がんばって読めという作者の声が聞こえる。

時評の更新、次はいつになるか分からないので、川柳のことも書いておきたい。

パンの耳揚げて話はまだ続く   西川富恵
生玉子ひとつだけでは多すぎる  大野美恵
氷菓ひとくち躰は混みあっている 清水かおり

「川柳木馬」165号から。
西川富恵の川柳歴は長い。川柳をはじめたのが1974年。「川柳木馬」の創立同人である。その西川の現在の境地、平明で深みのある句。
大野美恵、ひとつだけなら「少なすぎる」だろうと思わせるところからこの句の読みはスタートする。「ひとつでは多すぎる」ではなくて、「ひとつだけでは多すぎる」というところにニュアンスが生まれる。
清水かおり、氷菓をひとくち食べてみる経験は誰にでもあるが、「躰は混みあっている」という感覚は独自なものだ。物を摂取することで、体内にあるさまざまなものの存在が混みあって意識される。「体」が「躰」として感じられる。

とびきりの笑顔でエッシャー渡される 潤子
右手からまだ離れないものがある   守田啓子
誰が死んでも海岸線は美しい     細川静
諦めたのは二十四歳の窯変      滋野さち
らせん堂古書店に入る片かげり    笹田かなえ

「カモミール」4号から。
一句目、エッシャーの版画は迷宮のような世界を表現していて人気がある。川柳の題材にもしばしば使われるから新鮮さはない。だからこの句の価値は「とびきりの笑顔」にある。迷宮の世界に笑顔で誘いこむのは一種の悪意だろう。この笑顔が曲者なのだ。
二句目、「離れないもの」って何ですか?と突っ込みを入れたくなる。左手からは離れていったのだろうか。右と左に意味を読み取ろうとすると、たとえば右利きの人にとって右手は現実にかかわり、左手は夢や理想にかかわるというような対立軸が想定される。けれども、この句はそういうことを言っているのではないだろう。
三句目、一読明快。
四句目、窯変天目という茶碗がある。茶碗に窯変が生まれたように、二十四歳の時に何かがあって人生が変わったのだろう。
五句目、とある街の片隅に古書店があって、店名を「らせん堂」という。店主は老人でもよいが、文学好きの青年だとしておこう。

不安10粒サハラ砂漠で砂になる   四ツ屋いずみ
呑み込んで赤い卵を産みつける   西山奈津実
散り急ぐ桜ウイルス見すぎたか   斎藤はる香
二メートル離れて好きとか嫌いとか 浪越靖政
苔むした兄から先は考えぬ     一戸涼子

「水脈」55号から。
サハラ砂漠に砂があるのは当然だが、サハラ砂漠で不安が砂になったと言っている。砂と不安はすでに見分けがつかない。
二句目、何を呑み込んだのか。呑み込んで産みつけるまでのプロセス。
ウイルスを詠んだ二句。アプローチの違い。
一戸涼子は完成度の高い句を書いている。快心の一句ではないか。

例えば、女の自分に慣れてきた   千春

このたび発行された千春の作品集『てとてと』(私家本工房)から。
ジェンダーにまつわる自分との違和感。
自己を客観視できるようになったとも言えるし、慣れてきたことがいいのかとも思われる。
川柳におけるジェンダーの問題を考えるときに、欠かせない作品になるかも知れない。

2020年8月1日土曜日

リモート連句体験記

「大阪連句懇話会」は2012年2月にスタート。関西を中心とする連句グループである。大阪・上本町の「たかつガーデン」を会場とし、今年4月に第30回を開催する予定だったが、コロナ禍で中止となった。6月になって少し状況が落ち着いたので7月に再開する予定だったのが、第二波が来たので集まれる者だけ座の連句、自宅で自粛したい者はリモート連句の二本立てで計画していた。さらに状況が悪化し、座の連句はあきらめて、在宅のままリモート連句をやろうということになった。 テレワークやリモートワーク、オンライン飲み会などが言われるなかで、インターネットにそれほど強くない私などにはハードルが高い。以前からパソコンにZOOMを入れるよう勧められていたが、いよいよお尻に火がついた。
ZOOMのホームページは何度か見ていたが、文字の説明だけでは分かりにくいところもある。手っ取り早くユーチューブを検索して、その説明を参照しながらダウンロードをすると思ったより簡単にできた。
当日は、「日本連句協会」の「リモート連句推進メンバー」の門野優に主催者になってもらった。事前にURLがメールで届くので、クリックすれば自然にZOOMの画面に入ることができる。ZOOMの入っている末端(パソコン・スマホ)とメールが届く末端が別の場合は、ミーティングIDとパスコードを入力すればよい。 私自身の課題としては、ZOOMでパワーポイントを使った説明ができるようになること。これは2月のときに予告していた「俳諧博物誌」のうち、野鳥俳句の話をするのに、パワポなら鳥の写真もスライドに上げることができるので、急遽作ってみた。
山谷春潮(やまや・しゅんちょう)の『野鳥歳時記』は野鳥俳句の名著といわれている。彼は「日本野鳥の会」の創設者・中西悟堂に師事、俳句では水原秋桜子の門下。そんな関係で秋桜子も中西悟堂と交流があり、「馬酔木探鳥会」というのを行っていた。秋桜子も鳥には詳しい。野鳥についてはこの時評(4月10日)でも少し触れたことがある。
「鴨」は冬の季語だが、マガモ・コガモなど渡り鳥(冬鳥)の場合で、「夏鴨」はカルガモのことだという話をした。夏鴨は別名「軽鳬」(かる)とも言い、大和の「軽ケ池」にちなむそうである。歳時記(十七季)では「軽鳬の子」(かるのこ、三夏)というかたちで出ているが、カルガモの親子の姿をとらえた季語だろう。私もカルガモの親子(カルガモのお引越し)を近所の槙尾川で二度見たことがある。あと、漢字で書くと紛らわしいものに「鳬」(けり、三夏)がいて、これば別の鳥。
パワーポイントも無事に使うことができて、私の話は30分で切り上げ、連句の実作会に。捌きは門野さんにお願いした。 句案はチャットを利用する。チャットをクリックすると右側にチャットの画面が出てくる。付句を書き込み、Enterを押すと自分の付句が表示される。参加者全員に表示されるが、捌き手だけに届くようにすることもできるので、投票で発句を選ぶときなどに便利だ。 画面共有はワードやテクストなども使えるので、捌き手が付句の進行を全員にわかるように画面表示してゆく。このときに捌きと書記(執筆)の役割分担が必要だが、今回ははじめての人が多く、捌き一人に負担をかけてしまった。次回からは役割分担ができると思う。
午後1時スタートで(連句実作は1時半から)、午後4時半終了の予定だったが、半歌仙を巻きあげると午後6時近くになった。慣れれば時間短縮できるはずだ。 あと、参加者が多いときは、ZOOMのなかでいくつかの部屋に分けることができるので、そのやり方をリハーサル。自分の部屋の練衆とは会話できるが、別の部屋の画面は映らない。困ったときはヘルプを押せば、主催者が移動してきてくれる仕組みである。 連句会が終了して何人かの方は退出。残った有志でオンライン飲み会を30分ほど。これ、一度やってみたかったんですね。夕食の支度もあるのに引き留めてごめんなさい。

さて、「猫蓑通信」112号に掲載された「リモート連句の可能性」で、山中たけをがリモート連句の利点を五つ挙げている。
①インターネットとビデオ通話のできる端末があれば、どこでも連句ができる。
②自宅から出られない連句人が実作に戻るきっかけになる。
③離れた地方や海外の人とも連句ができる。
④文音に比べれば実際の座に近く、即興性、座の反応なども見られる。
⑤コロナ禍のいま、STAY HOMEでも小さな旅のような体験ができ、心を自由にするきっかけになる。

よいことばかりのようだが、山中は課題も5点挙げている。
①一般参加にはインターネットとビデオ通話のできる端末が必要。
②捌きのほかに書記(執筆)が必要。 ③捌きや書記にはアプリの知識が必要。
④顔を突き合わせての実作に比べれば情報量は少ない。
⑤捌きの進行する会話以外に雑談するにはコツが必要。

①はパソコン、スマホどちらでも可能だが、カメラとマイクが内臓されていないデスクトップのパソコンの場合は外付けが必要になる。ノートパソコンはおおむね内臓されているのでそのまま使える。ZOOMは無料と有料があるが、主催者以外の一般参加者は無料で十分。主催者が有料に入っていれば、一般参加者は40分を過ぎてもそのまま続けることができる。
②は捌きが一人で行うこともできるが、負担が大きくなるので、捌きと書記の役割分担が望まれる。
③はチャットや画面共有のやり方をはじめ、質問やトラブルが生じたときにZOOMに習熟している人がいれば安心できる。
④は実際の座と比べると伝わる内容量は落ちるが、従来の手紙・メール・ツイッターなどに比べると顔の映像と音声があるだけに情報量は多くなる。
⑤は参加者が一斉に喋ると混乱するので、発言のタイミングがむずかしく、話したいことがあっても発言を控えてしまうケースが生じる。捌き手が適宜参加者に質問したり発言を要請したりするほか、参加者が話したいときは最初に「××さん~」と呼びかけてから話しかける配慮も必要。 いずれも一、二度体験すればクリアーできると思われる。

コロナが怖くて外出できない高齢者にとってリモート連句は100%安全である。
また人数制限のある大会・連句会の場合でも、実際の座のほかにリモート連句を併用すれば遠方の人も参加可能。たとえばリモートに20人の参加者があれば5人ずつ4座に分けることができる。50人なら10座。それぞれに捌き手と書記が必要。
前掲の「猫蓑通信」で山中は「転んでもただでは起きずに、コロナ禍のピンチをチャンスに変えて」と呼びかけている。外出を自粛しているが連句からは離れたくないと思っていらっしゃる方はチャレンジしてみてください。

2020年7月24日金曜日

岡井隆と現代川柳の接点

現代川柳が短詩型文学の読者の目に触れるかたちで取り上げられることは、従来少なかったのだが、岡井隆・金子兜太の共著『短詩型文学論』(紀伊國屋書店、1963年)はその貴重なケースであった。この本は岡井の短歌論と金子の俳句論から構成されているが、現代川柳に触れているのは金子の俳句論の方である。本文ではなくて(附)と記された注のような扱いで次のように書かれている。

河野春三は「現代川柳への理解」で、俳句と川柳が最短詩としての共通性をもち、現在では内容的にも一致している点を指摘し、「短詩」として一本のジャンルに立ち得ることを語っているが、一面の正統性をもっていると思う。ただ、両者の内容上の本質的差異(川柳の機知と俳句の抒情)は越えられない一線であると思う。

「俳句と川柳の本質的差異」についての捉え方が今日の眼から見て妥当かどうかは別として、この時点での金子兜太の考え方が示されている。
河野春三の『現代川柳への理解』(天馬発行所、1962年)は現代川柳の理論水準を示すもので、その後長い間これを越える川柳書は現れなかった。
岡井隆は金子兜太を通じて現代川柳のことも知っていたはずである。そのことを後年になってから、岡井隆は「金子兜太といふキーパースン」(『金子兜太の世界』角川学芸出版、2009年)で次のように書いている。

昭和三十年代あるいは四十年代のはじめだつたか、前衛川柳の何人かの人と、私とを、金子さんは引き合わせてくれた。今はやりの風俗的な、口あたりのいい川柳とはちがう川柳。今、心ある新鋭たちが柳壇の再興をねがつて論をかさね、作品を書いてゐるのを読むと、この人たちの先輩にあたるのが、金子さんが引き合わせてくれたかれらだつたのだと思ふ。あの謎のやうな一群の川柳人たちと、私は、巣鴨か大塚あたりの小さなホテルで合議したことがある。あれは一体何なんだつたのだらう。大方は私の方の事情で、この会議は続かなかつたが、金子兜太の、俳壇を超越した動きの一端はあのあたりにもあつた。

岡井が述べているのは昭和40年前後の柳俳交流についてである。「柳俳交流」について私はこれまでに何度も書いたことがあるが、金子兜太・岡井隆と関連のありそうなデータだけ示しておきたい。ご興味のある方は拙文「柳俳交流史序説」(『蕩尽の文芸』所収)をご覧いただきたい。

〇「川柳現代」15号(発行・今井鴨平、昭和39年1月号)
特集は山村祐著『続・短詩私論』(森林書房)の書評で、金子兜太「短詩と定型」・林田紀音夫「共通の場に立つて」・加藤太郎「『続・短詩私論』を読んで」・石原青龍刀「『続・短詩私論』を読む」・秋山清「『続・短詩私論』私観」・高柳重信「『続・短詩私論』に関するわが短詩私論」を掲載。

〇「俳句研究」昭和39年10月号
河野春三「川柳革新の歴史」・松本芳味「現代川柳作品展望」・山村祐「川柳という名の短詩」         
〇「俳句研究」昭和40年1月 座談会「現代川柳」を語る
司会・金子兜太、川柳界から河野春三・山村祐・松本芳味、歌人の岡井隆、俳人の高柳重信による座談会

特に〈「現代川柳」を語る〉という座談会は興味深いので、この時評(2014年8月22日)でも小説風にアレンジして紹介したことがある。
その後、岡井と現代川柳との接点は途絶えたようだが、「今はやりの風俗的な、口あたりのいい川柳とはちがう川柳。今、心ある新鋭たちが柳壇の再興をねがつて論をかさね、作品を書いてゐるのを読むと、この人たちの先輩にあたるのが、金子さんが引き合わせてくれたかれらだつたのだと思ふ」というような部分を読むと、後輩である現代川柳人のことも岡井の視野に入っていたのだと思われる。『注解する者』のなかに佐藤みさ子の川柳が引用されたこともあった。
岡井隆は現代川柳についてまとまった発言を残していないが、現代川柳のことも遠くから見ていたはずである。これからの20年代の川柳のことも引き続き見ていてほしかったと思う。岡井は昭和40年ごろの川柳人について「あの謎のやうな一群の川柳人たち」と言ったが、現代川柳が「謎のような存在」ではなくなってゆくことを願っている。

2020年7月10日金曜日

井上信子と女性川柳(新興川柳ノートⅡ)

瀬戸夏子が柏書房のwebマガジンに連載している「そしてあなたたちはいなくなった」からは多くの刺激を受けているが、特に「女人短歌」の創刊をめぐって、北見志保子と川上小夜子について書かれた文章は興味深かった。

「彼女たちはなんども試みた。当然のようにそれは厳しい戦いだった。彼女たちの最後の賭けが『女人短歌』だった」

こういう文章が瀬戸の魅力だが、ひるがえって川柳における女性作家、女性川柳はどうだったかと考えたときに、まず思い浮かぶのは井上信子の存在である。
信子は井上剣花坊の妻であり、剣花坊の没後「川柳人」を復活させ、鶴彬を庇護したことでも知られている。

国境を知らぬ草の実こぼれ合い  井上信子

この句は信子の代表作であり、昭和に詠まれた名吟のひとつである。
さて、新興川柳運動の渦中に組織された女性作家集団に「川柳女性の会」がある。
「川柳人」昭和5年1月号に掲載された「川柳女性の会」のメンバーは15名であるが、翌年2名を加えて17名となる。そのうち人物と作品が比較的分かっている7名について紹介しておく。

市来てる子
井上信子
井上鶴子
吉田茂子
近藤十四子
三笠しず子
片岡ひろ子

市来てる子は消費組合運動の活動家で、階級意識をもったプロレタリア川柳家。

どつと出た赤い血だ犬にぶつかけろ  市来てる子
阿片だよ社会政策に眩まされるな

井上信子の作品は後回しに。井上鶴子は剣花坊と信子の次女。結婚後は大石鶴子の名で知られている。

さつくりとほうれん草の青い音   井上鶴子(大石鶴子)
ギュッと捻る水道栓の決断
閑寂の庭に小鳥の尾のリズム
絶対の否定空いっぱいに立つ
巣立たんとして大空の持つ魅力

吉田茂子は山口県萩の生まれで、井上剣花坊とは同郷。柳尊寺句会に出席したのがきっかけで、川柳をはじめる。浄土真宗の信者で、のちに「川柳人」から遠のく。

持てるもの皆奪はれて冬木立   吉田茂子
淋しさを抱いて取り残されてゐる
ぢつと見る目路に仏陀の笑みがある
ゆれ動く秤の上に立つこころ
抱き合つた刹那仮面をぬいでゐる

近藤十四子(こんどう・としこ)は最年少の川柳少女で、号から推定されるように、参加当時は十四歳だったようだ。ただ、二、三年後には「川柳人」への投句を止めてしまったのが残念だ。『「死への準備」日記』で有名な千葉敦子は近藤十四子の娘である。

底の無い悩みを神に責めたてゝ   近藤十四子
知ることの寂しさ今日も本を読み
水水とひでりにあえぐ草の声
あえぎつゝたどり着けば断崖
稲妻となつて雲間を突つぱしる

三笠しず子は「大正川柳」「川柳人」「氷原」「影像」などに作品を発表し、井上信子とともに新興川柳の女性作家の双璧である。

軟らかに抱いた兎の息づかい   三笠しず子
これ以上人形らしくなり切れず
ひそやかに触れてはならぬものに触れ
いろいろな女の息を吸ふ鏡
ぐるりと変な猫の眼男の眼

片岡ひろ子は岡山県津山市の生まれ。津山における近代川柳史に名を残し、「岡山の明星」と言われた。

添乳する女房は腮で返事をし  片岡ひろ子
霜天に満ちて蠣船火を落とし
蜂の巣のやうな心の日が続き
オレンジの木立へ帰る夕鴉
いつそもう蛇の心になつてやれ

次に、「女人芸術」の川柳欄について、まとめておこう。
長谷川時雨の「女人芸術」は昭和3年(1928)から昭和7年(1932)まで全48冊を発行。女性を中心とした文芸誌として社会的役割を果たした。昭和5年7月号から井上信子の作品が川柳欄に掲載され、昭和6年7月号からは「新興川柳壇」が登場、選者は井上信子。誌面では二、三ページだったようだが、翌7年6月の「女人芸術」終刊まで丸一年続いた。
私は雑誌のバックナンバーを見ていないので、日本プロレタリア文学全集40『プロレタリア短歌・俳句・川柳』(新日本出版社)から掲載句を抜き出しておく。
まず、井上信子の作品から。

明快な渦で世相は新まり    1930年7月号
飢えた眼の底に賢さ燃え上り
青空へ枝が伸びゆく生(せい)の首
官服の案山子となって餌を貰い 1931年7月号
暴圧へむく感情の弾道

信子には芸術派とプロレタリア派の両要素があるが、ここではプロレタリア文学の傾向が前面に出ている。
次は信子の娘の井上鶴子の作品。

横列も縦列も一つ心臓       1931年6月
それぞれの着物にデモのありったけ
青空と地獄を結ぶ煙突

あとは任意に抜き出しておく。

口紅を拭いて明日へ立ち上り     小池梅子  1931年7月
そちこちに踏まれた草が伸びている  小出弘子  1931年7月
真裸で働けば涼しいとは何んだ    小出弘子  1931年7月
ブラ下がる児をサイレンにもぎとられ 岡本光恵  1931年7月
暴圧の中にひそひそ咲いた恋     岡本光恵  1931年7月
黙々と恥心を包む握り飯       日浦澄子  1931年8月
軽々と五尺の玩具弄び        近藤十四子 1931年10月
血みどろの手がアジビラを撒いてゆく 近藤十四子 1931年10月
公然の秘密人間屠殺業        近藤十四子 1931年11月
断末の双手が太陽をヒン摑んだ    新谷輝子  1932年3月
メーデーへつばめも気勢上げて飛び  伊藤好子  1932年5月
横列縦列ガッチリとして隙もなし   銭村葉子  1932年6月
女工の眼父のたよりへうずく胸    疋田栄   1932年6月
凱旋の兵士ヒッソリカンといる    疋田栄   1932年6月

近藤十四子は「女人芸術」にも投句していたようだ。十四子は非合法の労働運動に携わり、検挙されて拷問を受けたこともあるという。彼女以外はほとんど無名の作者である。
最後に井上信子の文章と川柳作品を紹介しておく。

「永い間、殆んど男子の手に握られて居た柳壇に、女性と云へば暁天の星よりも、なほ微々たるものであった。それが近頃、新興川柳の本質を理解し、これこそ時代の詩であることに企望を抱いて、女性の作家が、私達の毎月催す女性の會へ一回毎に数を増すやうになったことは心から嬉しい。たとひ微々たるまどひにせよ、この繊細な足には弾力が秘められて居る。堅実な一歩一歩は、お互ひに呼び交はされて進むであらう。私達の努力が報ひられて、やがて次ぎの時代の川柳詩人の間に多数の女性を見出すことの出来るのを、こひねがってゐる」(「新入の女性作家を得て」、「川柳人」217号、昭和5年11月)

一ぱいの力で咲けばすぐ剪られ   井上信子
よく光るさても冷めたい長廊下
踏まれても地下へはびこるあざみの根
一人去り 二人去り 佛と二人 (剣花坊追悼吟)
民権のレッテルの代りにヱプロンをかけさせ
燃えながら冷えながら冬を灯して明日を待つ
貞操のむくひは同じ墓の中
詩に痩せぬ友の集り風は初夏
悪政をもみくちやにして詩が生れ
国境を知らぬ草の実こぼれ合い

女性川柳人の活躍する現在とくらべると今昔の感があるが、現在の隆盛は井上信子たちが先駆的に切り開いた道だ。女性連句については別所真紀子の仕事があるけれど、女性川柳についてはまだ研究の余地がありそうだ。

参考文献
谷口絹枝『蒼空の人・井上信子‐近代女性川柳家の誕生』(葉文館出版)
平宗星『繚乱女性川柳』(緑書房)
日本プロレタリア文学全集40『プロレタリア短歌・俳句・川柳』(新日本出版社)
坂本幸四郎『新興川柳運動の光芒』(朝日イブニングニュース社)
一叩人編『新興川柳選集』(たいまつ社)

2020年7月3日金曜日

曲線立歩句集『目ん玉』(新興川柳ノートⅠ)

コロナで何もできず、先へ進めないので、過去の川柳遺産を振り返ることが多くなってしまう。書架を整理していると、曲線立歩の句集『目ん玉』(2003年)が出てきた。曲線立歩(きょくせん・りっぽ、1910年~2003年)は新興川柳期に川柳をはじめ、長い柳歴をもっている。今日はこの川柳人を紹介したい。

曲線立歩は本名・前田忠次。明治43年、北海道の斜里町に生れる。大正14年、小樽新聞の川柳欄に投句、翌15年に川柳氷原社に参加した。このころ小樽には田中五呂八がいて新興川柳運動のメッカであった。小樽新聞の選者は五呂八。立歩が投句をはじめたのは14歳のときだった。「氷原」に投句するようになってから句会にも出席し、五呂八に可愛がられたようだ。
田中五呂八の『新興川柳論』に次のような一節がある。
「人間が、ただ単に喜怒哀楽のままに動いている間はまだ、自然の配下にある受動的な通俗生活に過ぎないのである。そうした受動的な他律生活から一歩踏み出して、能動的に人生を統一し、自然を理想化するのには、どうしても吾々は、自律的な思想を持たねばならないのである。そこに、思想の深さは自己の深さとなり、思想ににじみ出した感情の深さが詩の深さであり、それがやがて自然の深さであり宇宙の深さでもある。自然も人生も畢竟芸術家にとっては、自己の深さのままに改造し得る相対的な自己創造の対象に過ぎないのである。
私達新興川柳家は、この信条の上に個々の思想を深化する事によって、最も近代的な日本の自由短詩を創造しなくてはならない」(「新興川柳への序曲」大正14年4月)
曲線立歩はこのような五呂八の川柳観に大きな影響を受けたことだろう。新興短歌、新興俳句に先駆けて起こった新興川柳運動の真っただ中から、曲線立歩の川柳は始まったということになる。
句集『目ん玉』の「鋭光」の章には昭和3年~昭和12年の句が収録されている。これがほぼ新興川柳期の作品だろう。

十字架を のぼる泥人形の 笛の音  
変らない眼だうっかりと乗せられる
車輪また車輪を追うてゆくばかり
人間でない気で休む午前二時
響かんとすれど地盤のたよりなく
境遇の水平線に生きている
幻想を衝いて摑めば無光星
北ばかり指して磁石の死に切れず
弓絃を切る人冬のあわてよう
天才の猫老いたれど夜を歩く

小樽文学館には一度行ったことがあるが、伊藤整などとともに田中五呂八の展示があって、文学都市という印象を受けた。大正末年から昭和初年にかけては新興川柳運動の大きなうねりがあって、小樽はその発信地だった。曲線立歩にとっては時代の青春と個人の青春が一致したことは幸運だった。
句集の二つ目の章は「花の首」(昭和13年~昭和50年)である。

雪また雪 神話が嘘になっている
滝壷の飛沫モーゼは恋をした
乳房喰い破って青い蝶の羽化
洪水の石の男女が流れている
火を吐くまで海の深部の侵略
一族の吹雪のなかの ぬくい母系
花の首死の直前をせめぎあう

彼が曲線立歩の号を用いたのは昭和5年からである。「氷原」では星寂子という雅号だったようだ。「氷原」は昭和12年で終刊になったから、上掲の作品は「氷原」以降の句ということになる。立歩は昭和23年に東京川柳人の同人になっているから、「川柳人」に発表した句なのかもしれない。
句集の三番目の章は「垂天」(昭和25年~平成6年)。

草笛吹く 片眼の顔を 忘れて吹く
大麦の粒 がくぜんと 一つあり
洞窟を拡大する海が地上で 痺れるまで
不快指数の 穴から民族が氾濫する
濃縮ジュース 吐く炎天に灼けた 蟻の仮眠

一字あけを多用する表記から見ると、戦後の現代川柳の時代に書かれた作品のようだ。
次は「自筆の墓碑」(昭和47年~平成8年)。

鯨骨の杖に叩かれ舌たらず
滝壷の飛沫は夢の傀儡師
ふところで歩く失明のピラミッド
神の手のながさで足の爪を剪る
地球が重なろうとする敵である
天才の獏が童話を聞いていた
連綿の血を吸う虫の一匹たり

最後に「青炎抄」(平成8年~平成13年)から。

五呂八の 風は微妙な哲学者
遺伝子の首の枯木が水を呼ぶ
全道の少年少女一人ずつ
海底の巻貝しだいに血を浴びる
飛沫の芯を歩いている

晩年、田中五呂八を思うことがあったのだろう。「人間を摑めば風が手に残り」は五呂八の代表句である。
曲線立歩は「点鐘」にも投句していたし、句集『目ん玉』は墨作二郎を通じて手に入れることができた。北海道における新興川柳の作家が平成まで現役で活躍していたことを改めて思う。句碑が空知野に建立されているという。

噫々尊し 自然の土に霊祈る

2020年6月26日金曜日

真夏の夜の匂いがする

しばらく更新できなかったので、この間のことを日記風にまとめておく。

5月×日
広瀬ちえみ句集『雨曜日』(文学の森)が届く。
句集を出すという話は聞いていたので、楽しみにしていた。
今年はこれまで長いあいだ川柳と向き合ってきた川柳人が成果をまとめる年なのかも知れない。樋口由紀子『金曜日の川柳』、そして広瀬ちえみ『雨曜日』。
あとがきで広瀬は、「かつて『広瀬ちえみ』を評する言葉をたくさんいただきました」と書いている。
 ニヒリスト
 ナルシスト
 迷路の少女
 沼のちえみ
 穴のちえみ
いろいろ言われているんだな。
「ちえみ個人をニヒリストというのではない。何か自分のこころを動かすことがあれば、いつも、その虚無が首をもたげる、いわば人間全体の抱えている解決不能の問題」「いわばニヒリズムをスプリングボードとしての現実肯定であり生の肯定」(石田柊馬「百万円のおとしだま」、「川柳木馬」76号)
「手ごわい日常の一つ一つこそ歓迎すべきである。それは迷路のちえみの日用品となり玩具となる」(大沼正明「迷路の愉悦」、セレクション柳人『広瀬ちえみ集』解説)
「もうひとり落ちてくるまで穴はたいくつ」(広瀬ちえみ)
『雨曜日』第一章のタイトルは「もう一度沼で逢いましょう」になっている。
過去の評価はさておいて、この句集は読んでいて川柳のおもしろさを堪能させてくれる。きちんと川柳に向き合ってきた人のすることはすごいなと思う。

 遅刻するみんな毛虫になっていた   広瀬ちえみ
 梅雨に入るからだが沼の匂いして
 逢うために右と左に別れましょう
 夜行性だから夜行性に会う
 咲くときはすこしチクッとしますから
 春の野の自分はお持ち帰りください
 うっかりと生まれてしまう雨曜日

6月×日
「船団」125号。終刊号だが、「散在」という言い方をしている。
特集は「俳句はどのような詩か」。
芳賀博子の連載「今日の川柳」もちょうど50回で終了。 「魔法の言葉」というタイトルで、これまでの取材のことや、「川柳塔」の電子化事業のこと、十年前の『超新撰21』に清水かおり作品が収録されたことと堺谷真人の解説などについて書いている。
 迷ったら海の匂いのする方へ  芳賀博子
会員作品から三句だけ。
 そろそろ蝿も簡単に死んでいく   らふあざみ
 月の夜や駱駝毛布のふっと哀愁   若森京子
 白菜は立派それほどでもないぼくら 小西昭夫
「船団」会員では、おおさわほてる『気配』(創風社出版)もいただいている。俳句とエッセー。
 人間のすることなんて青葉木菟   おおさわほてる
 あっ僕はあやまらないぞあおばずく
 カタツムリ合わせる顔がないんです
 春の月千年ぶりに吼えてみる
 蝉がついたままです鼻の下
あと、「猫町」1号(発行人・三宅やよい)が届いた。「散在」のひとつのかたちだろう。
 春かすみ猫はきちんと溶けてゆく 赤石忍
 蝶々蝶々容疑者に肉親      近江文代
 ラッパーが金子兜太の弓放つ   ねじめ正一
楽団のひとりが消える百千鳥   三宅やよい

6月×日
ネットプリント「ウマとヒマワリ9」。
平岡直子の川柳連作「水中ソーシャルディスタンス」20句と我妻俊樹の掌編小説「蚊柱」。
これはオフレコなんだけど、5月5日に予定していてコロナ禍で中止になったイベント「現代川柳のこれから・川柳スパイラル創刊3周年記念大会」では平岡さんに句会の選者をお願いしていた。ネットプリントのかたちで彼女の川柳が読めるのは嬉しい。

 鳥かごを大々的に留守にする    平岡直子
 耳のなか暗いねこれはお祝いね

「鳥かご」の句は川柳ではよく見かけるが、「大々的に留守」が新鮮である。「耳のなか」は20句のなかで一番好きな句。
我妻俊樹とは一度しか会ったことはなくて、2018年5月に瀬戸夏子と対談してもらった。そのときのことは「川柳スパイラル」3号に柳本々々が書いている。
あれからもう2年経つのかと思うと夢のようだ。

6月×日
柏書房のwebマガジンで瀬戸夏子の「そしてあなたたちはいなくなった」を読む。
「女人短歌」の創刊をめぐって、北見志保子と川上小夜子について。
北見志保子はともかく川上小夜子については短歌大事典でも開かなければ載っていないので、知らないことが多かった。

「彼女たちはなんども試みた。当然のようにそれは厳しい戦いだった。
彼女たちの最後の賭けが『女人短歌』だった」

 短日の陽のうつろひに散りこぼす光よ風よ冬青き樫   川上小夜子『光る樹木』

瀬戸のこの連載も佳境に入ってきた。

6月×日
「かばん」6月号が届く。
私が「かばん関西」と交流があったのは2004年~2005年ごろ。手元にある243号(2004年6月号)の特集は「かばん」20周年で20年のあゆみが表になっている。もうひとつの特集は「かばんの新しい風」で、イソカツミ『カツミズリズム』、伴風花『イチゴフェア』などが取り上げられている。
現在に戻ると、2020年6月号は通巻435になるらしい。特集「短歌とBL」。
もんちほしの表紙絵にインパクトがある。表紙のことばとして寺山修司の次の歌が挙げられている。

 はこべらはいまだに母を避けながらわが合掌の暗闇に咲く  寺山修司

特集チーフの高村七子によると、短歌は「私」の文学だが、BL短歌の多くは「彼」の文学だという。朝吹真理子と小佐野彈の対談、桝野浩一の「BL短歌と私」、松野志保の短歌など、充実した誌面になっている。

 トーキョーは雨だと知っているけれど君がどうしてるかは知らない(芳野悧子)
 月曜はしょげてる蜘蛛が来てくれる(佐藤智子)

6月×日
鈴木千惠子著『杞憂に終わる連句入門』(文学通信)が届く。
鈴木は日本連句協会の理事で、連句結社「猫蓑会」の主要メンバー。著者は連句の式目に精通している。
Ⅰ連句に関する覚書、Ⅱ連句作品、Ⅲエッセイ、の三部から構成されている。
「さて、おそらく世の中には他にも、過ぎてみれば杞憂であったということは転がっている。連句の実作もその一つではないだろうか」ということだが、鈴木には次のような付句もある。

 わかってるでもうれしいな君の嘘 倉本路子
  杞憂に終はる佳人薄命    鈴木千惠子

Ⅰのうち「与奪とは何か」が私には勉強になった。
Ⅱのうち「連句に挑戦」の部分には歌仙を巻くプロセスが順を追って説明されている。
連句の初心者から経験者まで楽しめる本になっている。

2020年5月9日土曜日

森山文切川柳句集『せつえい』のことなど

4月×日
ダニエル・デフォーの『ペスト』を読む。
1665年、ロンドン、ペスト流行。死者約7万人だったという。
デフォーは統計的な数字を克明に記述している。
記録文学だと思っていたら、ペスト流行時、デフォーは5歳だった。ルポではなくて小説なのだった。
ある意味でカミュの『ペスト』より凄いかもしれない。

5月×日
「川柳木馬」164号が届く。
「作家群像」は内田真理子。
 てのひらでなじませてからなしくずし  内田真理子
 物申す物申す そこな捩り花
 梟に耳はなかった紀元前
一句目は川柳性の強い句。二句目はこの作者お得意の花との取り合わせ。三句目は紀元前にまで遡る時間感覚。作家論はきゅういちと八上桐子が執筆している。
同人作品では大野美恵の次の作品に注目した。
 ストローの首折り曲げて吸う秘密 大野美恵
 羊羹に矯正危惧のある歯形
「蝶」234号も届いた。たむらちせい追悼(3)。
 戸の狂ひ叩いて開ける山桜    たむらちせい
 焼き畑の春の日取りをことづかる 
 申すまでもなくわが出自烏瓜
 さてと立ち上がり水母と別れたる

5月×日
森山文切川柳句集『せつえい』を読む。
森山とは二度会ったことがある。
一度目は2017年12月、「川柳スパイラル」東京句会(北とぴあ)。初対面だったが、句会の感想を同誌2号に書いてもらった。
二度目は2019年1月、「川柳スパイラル」大阪句会(スピンオフ)。このときは昼の句会がすんだあと、森山はWEB句会のメンバーと夜にもうひとつ句会をするというので別れた。翌日はさらに別の句会に彼は参加したようだ。
文学フリマで「川柳スパイラル」と「毎週web句会」の隣接配置で出店しようという話もあったが、森山が超多忙のため実現しなかった。
WEB上の森山の活躍はよく知られていて、芳賀博子が「船団」122号の「今日の川柳」で「古代ギリシャ柳人パチョピスコス」を書いている。パチョピスコスは森山のこと。芳賀の文章はこの時評(2019年9月13日)でも紹介したことがある。
森山は「僕は川柳の営業をやります」と言っていたが、このたび句集を上梓し作者としての全貌を現わした。『せつえい』(2020年3月29日発行、発行所・毎週web句会)。
【webでの発表句から】
花がない方が自然である花瓶
目を覆うための両手に成り下がる
喋ってはいるが会話はしていない
唇に星をかじった跡がある
【web以外(柳誌、新聞、ラジオなど)から】
混浴に少年がいた十二月
線よりも左は僕が動かせる
迷うなぁどっちのタマネギも軽い
かたたたきけんのうらがわナショナリティ

5月×日
藤原龍一郎歌集『202X』との関連でオーウェルの『1984年』を読むことに。
オーウェルはけっこう読んだつもりだったが、ほとんど忘れてしまっていた。
「自由とは人の嫌がることを言う権利である」というようなことを彼は書いていたような気がする(うろ覚えです)。
『1984年』には「自由とは二足す二が四になると言える自由だ」という言葉が出てくる。
ディストピア小説としてオルダス・ハックスリーの『すばらしい新世界』も読んでみたい。

5月5日
コロナ禍がなかったら「川柳スパイラル」創刊3周年記念大会を開催していたはずだが、今は自重するしかない。
川柳も連句も社交文芸の一面があるので、句会・大会のかたちで集まれないのは辛いものがある。オンライン句会なども試みられているようだが、ZoomとかSkypeとか使ったことのないものにはハードルが高い。
連句では6月の宮城県連句大会(仙台)や7月の連句フェスタ宗祇水(郡上八幡)も中止になった。10月の浪速の芭蕉祭は開催できるだろうか。

2020年5月1日金曜日

藤原龍一郎歌集『202X』

5月に入った。
行動変容を強いられ、体力維持のために散歩などしている。歩いてゆける距離に観音寺山遺跡(和泉市)がある。弥生時代後期の高地性集落で、小高い丘になっている。竪穴式住居跡の穴がいくつか残っているだけで、特に見るものはない。高地性集落はかつて「倭国大乱」と関係づけられ、戦乱に対応するため高地に作られたと言われたが、いまはあまり関係がないとされているようだ。
さて、前回は鳥のことを書いたので、今回は植物の話を少し。
植物についてはあまり得意ではなかったが、春の公園を歩いていると黄色い花々が目につく。今まで区別がつかなかったが、ノゲシ・オニタビラコ・サワオグルマなどの違いがだんだん分かるようになってきた。手元には『野草ハンドブック1春の花』があり、植物写真で有名な冨成忠夫の写真が掲載されているので役にたつ。ちなみに、かつて勤務していた職場で冨成忠夫の弟さんと同僚であって、この人からは歌舞伎のことをいろいろ教えてもらったことを思い出す。
あと、「コシャマイン記」で芥川賞をとった鶴田知也の本で『画文草木帖』『草木図誌』の二冊をときどき開いている。いくつか面白いと思ったことをメモしておく。
「春の七草」といえば「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」だが、私は「ごぎょう」と覚えているが「おぎょう」とも言い、牧野富太郎は「おぎょう」が正しいと言っているらしい。いずれにしても「おぎょう(ごぎょう)」の実体は「ははこぐさ」である。ハハコグサなんて食べられるのか?と思うが、甘粕幸子の『野草の料理』によると「ある時、雪の多い山村で、この天ぷらを食べたら、とてもおいしかったので驚いてしまいました。都市化し、土地もやせた環境では、ただのアクの強い草ですが、昔の気候条件の中では、おいしい草だったのかもしれません」ということだ。
「ほとけのざ」は「さんがいぐさ」の別称で、春の七草の「ほとけのざ」はこの草ではなく、「たびらこ」のことだという。しかもこの「たびらこ」は「こおにたびらこ」のことで、「おにたびらこ」とは別というから話がややこしい。
「はこべら」はハコベだが、なぜ「ら」が付いているのか分からない。
オオイヌノフグリはどこにでも生えている雑草だと思っていたが、明治時代に日本に入ってきた外来種だそうだ。鶴田の本には半世紀以上前に「ベロニカ」という草花の種子を注文したことが書いてある。これがオオイヌノフグリで、園芸品種として珍重された時代もあったのだ。明治20年春、牧野富太郎はお茶の水に植物採集にでかけたとき、まだ見たことのないコバルト色の花を見つけた。牧野は「ええのがあったぞ、こりゃええ」と土佐弁で叫んだという。発見記事が植物学雑誌に載った時代である。
最後に「どくだみ」について。前川文夫『日本人と植物』から。
「十文字になるはずの総苞片は、一枚だけが大きくて残りの三枚をかかえこんでいる。これをさらに押しひろげると、次の二枚が向きあって立ち、もう一つ、その中に残りの一枚だけが、花々の集まりをつつんでいる―いかにも一つ節から四枚がでているかのようなふりをしているのである」
どくだみは我家の裏庭にもいっぱい生えているから、花が咲いたら確かめてみようと思っている。

閑話休題。
現代と正面から対峙した歌集として、藤原龍一郎の『202X』(六花書房)を紹介しておきたい。
ベースにあるのはジョージ・オーウェルの『1984年』。
1947年に書かれたオーウェルの反ユートピア小説である。私は1984年当時、この小説が話題になったときに読んだ覚えがあるが、藤原の歌集の「あとがき」では次のように紹介されている。「ビッグ・ブラザーという全能の人工頭脳に支配された未来社会。すべての市民の言動は監視され、密告が奨励されて、言論も統制されている究極のディストピアである」
小説の最初の方を読み返しているが、テレスクリーンで体操をする場面など印象的だ。スクリーンを通じて体操をする姿も監視されているのだ。

夜は千の目をもち千の目に監視されて生き継ぐ昨日から今日 藤原龍一郎
明日あれば明日とはいえど密告者街に潜みて潜みて溢れ
さなきだに無敵モードは成立しパノプティコンは呪文にあらず
あの頃の未来としての今日明日や赤茄子腐れたる今日明日や
愛国をネットに書けばあらわれる病み蒼ざめた首なしの騎士

ミシェル・フーコーは『監獄の誕生』でパノプティコン(監視システム)について述べている。監獄だけの話ではなくて、権力によって監視される現代社会について、この言葉はよく用いられる。
藤原は『1984』に描かれたような監視社会を現代の日本に重ねあわせている。

赤紙の来る明日こそ身の誉れ敷島の ゆきゆきて、壇蜜
「オカルトとナチスが好きなゴスロリの愛国少女ですDM希望」
スマホ操る君の行為はすでにしてビッグ・ブラザーに監視されている

歌集には梶芽衣子の「女囚さそり」と「怨み節」など昭和史の記憶をたどる歌も収録されている。
『古事記』や『日本書紀』には「童謡」(わざうた)というものが出てくる。社会的事件を予言・諷刺する時事的な歌である。『202X』も一種の「わざうた」かと思ったが、時代の現実と対峙する作品が川柳ではなくて短歌から生れていることに何だか残念な感じがする。

亀の子のしっぽよ二千六百年   木村半文銭

2020年4月10日金曜日

「MITASASA」14号のことなど

植物図鑑が売れているそうだ。
コロナで街に行けないから、公園を散歩していると名前を知らない野草が目につく。ちょっと調べてみようという気になるのだろう。この機会に博物学者になってみるのも一興である。
コロナ対応で自粛したが、4月4日に開催するはずだった大阪連句懇話会では「俳諧博物誌」と題して俳諧に詠まれる動植物について考えてみるつもりだった。鳥の話だけ少ししておくと、手元に『野鳥歳時記』(山谷春潮)という本がある。著者は水原秋桜子の門下。秋桜子は中西悟堂と交流があり、「馬酔木探鳥会」というのを行っていたから、秋桜子も鳥には詳しい。『野鳥歳時記』からおもしろいと思ったポイントをいくつか挙げておく。

1 鳥の囀りは全部「囀り」(春)の一語になるが、個々の鳥について見ると、鶯の囀りは春、駒鳥の囀りは夏である。頬白は従来の歳時記では秋だが、現在では春。「高槻のこずゑにありて頬白のさへづる春となりにけるかも」(島木赤彦)の影響か。留鳥でも囀りや鳴きを主眼とするものは春または夏。
2 留鳥・漂鳥・夏鳥・冬鳥・旅鳥の区別と季語の関係。たとえば山から里へ移動する鳥のどの時点をとらえて季語とするかという問題である。この著者は、留鳥・漂鳥で一定の季節に決定できないものは無季としている。
3 渡り鳥は秋の季語。渡りを考えると秋だが、平地に降りるときは冬になっている。旅鳥は秋と春の二度通過する。俳句ではどっちなのか。
4 同じ燕の仲間でも、燕・腰赤燕は春、岩燕は夏。雉子は留鳥で春。千鳥は普通は渡り鳥(冬)だが、小千鳥・白千鳥・イカルチドリは留鳥で「夏千鳥」となる。ややこしいことだが、ナチュラリストの目で俳諧を見直すことも必要だろう。

閑話休題。川柳の話に移ろう。
ネットプリント「MITASASA」14号は川柳号で、三田三郎・笹川諒・暮田真名の三人による川柳作品10句がそれぞれ掲載されている。三田と笹川は歌人だが、最近は川柳の実作も発表している。この三人の組み合わせは注目されるが、今回の暮田の参加は今年2月の『補遺』批評会を契機とするのかもしれない。
まだネプリが配信中なので、ここでは各1句だけ紹介する。

玉手箱の軍事利用が止まらない   三田三郎

「玉手箱」といえば「浦島太郎」である。乙姫さまからもらった玉手箱は開けることを禁じられたもの。ここではお伽話を軍事利用に転じている。開けないことが軍事利用になるのだろうが、開けてしまったらカタストロフになる。「端的に亀が悪いと思います」

金柑の中の王都を煮詰めよう     笹川諒

金柑はビタミンCが豊富だから、煮たものをヨーグルトなどに入れて食べたりする。「金柑を煮詰める」というのは日常の風景だが、そこに「王都」という言葉を入れると情景が一変する。金柑の中に別世界がある。その王都を破壊しようと言っているのではなくて、煮詰めて抽出しようとしているのだろう。現実に重なってもうひとつの世界が立ち上がってくる。

街はもうこども裁判所の様相に    暮田真名

「ごっこ遊び」というものがある。こどもが裁判長や検事になって、模擬裁判をする。ロールプレイをすることによってこどもが社会の仕組みを学んでゆく。しかし、ふと気づくと街中がこども裁判所になっていたのだ。風刺が前面に出ている。

笹川諒は「川柳スパイラル」8号のゲスト作品にも「トワイライト」10句を発表している。

世界痛がひどくて今日は休みます   笹川諒
意味上の主語と一夜を共にする

短歌フィールドの表現者が川柳形式で作品を書くというケースが増えてきた。
たとえば我妻俊樹はすでに川柳作品を多く発表しているが、noteに川柳連作「音楽は黙っていてくれる」(30句)を公開している。

マッチ箱の中でも蝶は飛んでいる   我妻俊樹
109から110に生え替わる

これらの作品は歌人が片手間に書いた川柳というようなものではなく、良質の川柳作品として通用するものとなっている。
「川柳スパイラル」8号から、もうひとり沢茱萸の作品を紹介する。

妄想の間に鹿をかわいがる      沢茱萸
紙媒体。ふたごの面倒よろしくね  

「間」には「あわい」とルビがふられている。沢は「かばん」の会員。この2年、川柳句会にも参加している。

川柳「湖」10号(浅利猪一郎川柳事務所)に第10回「ふるさと川柳」の結果が掲載されている。課題「風」。私のオシは「クモの巣に」の句。

もう少し風化してから逢いましょう 齋藤泰子 (最優秀句)
通帳にときどき風を入れてやる   赤石ゆう (優秀句一席)
真っ直ぐな風です 結婚しませんか 平井美智子(優秀句二席)
クモの巣にかかった風のやわらかさ 石田一郎 (優秀句三席)
新作の風のカタログです かしこ  柴田比呂志(優秀句三席)

「水脈」54号より。
マーラーはもう聴こえない水瓶座  一戸涼子
バッキューン酔いどれ天使のねらい撃ち 麒麟
なりゆきで必死にたまご抱いている 落合魯忠
行間のしめりを埋めていく桜    酒井麗水
明日までに標本箱へ帰ります    浪越靖政

俳句についても二誌紹介しておこう。
久保純夫の俳句個人誌「儒艮」31号。おもしろい句が並んでいる。

男黴女黴なる議事堂へ      久保純夫
南朝の途絶えしところ青芒
茹でられし蛸の定型噛んでおり
恙なく帚木として暮らしけり
いつまでのふたりで見たる蟻地獄
端居するところはいつも楕円かな
木耳の口の中から鳴いており
決めかねてすり寄ってくる李かな
はんざきを開いてみれば吾妹かな
わたくしは琥珀の色の麦茶です

「翔臨」97号から。

寝てすぐに三連水車雪漕ぐ夢   竹中宏
積雪に獣糞時は満ち足れり
山頂にだれかが遊んだ雪の洞
和魂舌のまはりの芹のくづ
啓蟄の二蛇踊り場でゆきちがふ
大工の子で外科医となつて花粉症
匍ひ出ては目貼り剥ぎとつたが一期

それぞれの表現者がそれぞれの形式で発信を続けている。

2020年3月27日金曜日

「井泉」と「杜人」

短歌誌「井泉」92号、巻頭の招待作品に飯島章友の川柳が掲載されている。「井泉」はこれまでにもときどき川柳作品を招待している。たとえば、昨年の87号の松永千秋。
今号の飯島の作品は「おぼろどうふ」と題した15句。

ひさかたのひかりがすべてお説教  飯島章友

「ひさかたの」は「ひかり」にかかる枕詞。「ひさかたのひかりのどけき春の日にしず心なく花の散るらん」(紀貫之)を踏まえているだろう。川柳ではふつう枕詞は使わないのに、このような書き方をしているのは、短歌誌に対する挨拶だろう。川柳史に即していえば、雑排のなかに小倉付があり、百人一首の上五を使ってパロディにしている。

春過ぎて  蚊帳が戻れば夜着が留守
あけぬれば 悪女に恋の俄かさめ

「散る花」にゆかずに「お説教」にズリ落とすのは川柳的テクニックである。

広義では臓器にあたる砂時計    飯島章友

砂時計は広義では臓器に相当するという。意味不明だが、では狭義では砂時計は砂時計なのだろうか。ある種の川柳には「ペアの思想」があり、右といえば左を、嫌いなといえば好きなというように、反対を考える習性がある。臓器と砂時計のイメージが重なってくるとも読める。

選びなさいギムナジウムか白昼夢  飯島章友

AとBのどちらかを選べ、という出題形式だが、実は正解というものはない。「ギムナジウム」と「白昼夢」という次元の異なるものの二者択一を迫られるが、両者に共通するのは「ム」という語の脚韻だけだ。読者はこの問いの前で宙吊りにされている。

かなかなの声の彼方のカルロス・ゴーン  飯島章友

飯島は時事句も混ぜて書いている。
川柳ではゴーンの句はすでに数多書かれているだろう。「消える川柳」と呼ばれる時事川柳を泡のように消えてしまうことから救い出すにはどうすればよいか。そのために「かなかな」「声」「彼方」「カルロス」の語頭韻の響きが使われている。ここでも川柳的テクニックが有効である。
飯島はけっこうテクニシャンなのだが、今回の作品のベースにあるのは、少年の成長物語かもしれない。隠された抒情性。次の句の「十三歳」には「じゅうさん」のルビが付けられている。

十三歳のおぼろどうふな帰り道   飯島章友

次に「杜人」265号をご紹介。「杜人」は一年後に終刊となり、今号は残り4号のうちの1冊目となる。

堂々と間違うための寒卵     加藤久子
反社会的な猫来て膝にのってくる

「堂々と間違う」とはなかなか言えない。「反社会的な猫」を膝にのせるには許容力が必要だ。どうでもいいことはどうでもいい。大切なことは別にあるのだ。

ビー玉のぶつかりあって別の道  広瀬ちえみ
春が来てかわいい嘘が増えており

「かわいい嘘」という表現が「春」に響きあって楽しい気分にさせてくれる。反語とか皮肉の意味にも取れないことはないが、そうではなくて、素直に罪のない嘘と読んでおきたい。世の中は悪意のある嘘に満ちているから。

家族写真に切手を貼って投函す  佐藤みさ子
いつまでも生きる別れがめんどうで

一句目は当たり前のことをふつうに詠んでいるようだが、なぜかドキッとする。誰に対して投函するのか。差出人と受取人はそれぞれ別の世界にいるのではないか。

最後に「杜人集」のコーナーから何句か引用しておこう。

サ行からセム語ひろがる水彩画  野間幸恵
セーターの交換会をする獣    竹井紫乙
かたちをかえる夕暮れの小鳥たち 妹尾凛
こともなく終ってみたい黄金虫  小野善江

2020年3月21日土曜日

コロナウイルスとペスト

新型コロナウイルスの流行が止まらない。
最初のうちは他人事と思っていたが、イベントの自粛が始まって、川柳も無縁ではなくなってきた。「川柳スパイラル」でも5月5日に創刊3周年記念大会を東京・北とぴあで開催予定だったが、終息の気配がみえないので、やむなく中止の決断をした。30人程度の規模であっても、パネラー・選者・参加者など人を巻き込んでのイベントになるから、強い意志と確信がもてなければ開催できない。それぞれのイベントの責任者にとっては悩ましいところだと思う。

リスクのない句会として今後ツイッターとか動画を使うことも考えられるかもしれない。また、誌上句会は直接集まることがないから、こういうときには有効だ。ここでは「カモミール句会設立五周年記念誌上句会」を紹介しておこう。

兼題【自由吟】 2句提出(男女各3名、合計6名による『自由吟』の共選)
選者
 柳本 々々 (東京都在住・無所属)
 細川  静 (青森県在住・「カモミール句会」会員)
 楢崎 進弘 (大阪府在住・「連衆」会員)
 高鶴 礼子 (埼玉県在住・「ノエマ・ノエシス」主宰)
 なかはら れいこ (岐阜県在住・「川柳ねじまき」発行人)
 三村 三千代 (青森県在住・古典文学研究者)
締め切り… 2020年4月10日(金)(当日消印有効)
参加費… 一口 1000円(切手不可・小為替等で)/発表誌呈
詳細は「川柳日記 一の糸」https://kanae0807.hatenablog.com/entry/2019/12/01/234204

ウイルスが流行するたびに引き合いに出される文学作品に、アルベール・カミュの『ペスト』がある。アルジェリアのオラン市にペストが流行したという設定で、誠実に現実に対処する人々の姿が描かれている。現在の状況下で読み直すと、いっそう予言的な作品だと実感する。「不条理」という言葉を久しぶりに思い出した。

「彼らは取り引きを行うことを続け、旅行の準備をしたり、意見をいだいたりしていた。ペストという、未来も、移動も、議論も封じてしまうものなど、どうして考えられたであろうか。彼らはみずから自由であると信じていたし、しかも、天災というものがあるかぎり、何びとも自由ではありえないのである」
「不幸のなかには抽象と非現実の一面がある。しかし、その抽象がこっちを殺しにかかってきたら、抽象だって相手にしなければならぬのだ」
「みずからペストの日々を生きた人々の思い出のなかでは、そのすさまじい日々は、炎々と燃え盛る残忍な猛火のようなものとしてではなく、むしろその通り過ぎる道のすべてのものを踏みつぶしてゆく、果てしない足踏みのようなものとして描かれるのである」

都市全体の隔離という状況のなかで、妻や恋人と会えなくなって、町からの脱出をくわだてる者もあれば、自由意志でペストと腰をすえて対峙する者もいる。ヒロイズムではないのだ。

不条理な世界のシナリオを書いてきた別役実が亡くなったが、ある種の川柳も不条理な世界を詠んでいる。私が思い浮かべるのは次のような句だ。

わけあってバナナの皮を持ち歩く  楢崎進弘
弁当を砂漠へ取りに行ったまま   筒井祥文

なぜそんなことが起こるのかという合理的説明ができない。
「太陽がまぶしかったからだ」というのはカミュの『異邦人』だが、かつて関悦史が川柳の不条理について書いていたことを思い出した。

びっしりと毛が生えている壷の中  石部明

関悦史は「『難解』な川柳が読みたい」(「バックストローク」33号)でこの句について、次のように述べている。
「これら字義通りに読めば現代美術のインスタレーション作品かSF風味の不条理コントのように奇妙さが楽しめ、結果として現実と異なる因果律を持つ別世界を類推させてくれる句も、中に『毛が生えている壷』とは何を風刺しているかと対象を特定しようとすると途端に不毛な読みを誘発することになる」

川柳は不条理な出来事を詠むものだと一般化する気はないし、またそんなことをすれば読みが限定されてしまうのだけれど、なぜ自分がこんな目にあわなければいけないのか、という解決できない謎に私たちはいくらでも直面する。昨今の世界や現実がいよいよ怪しいものになってきた。

不条理な火事を訪ねて蟹が来る   小池正博

2020年2月15日土曜日

暮田真名『補遺』批評会のことなど

2月9日、三鷹の「かたらいの道市民スペース」で暮田真名の第一句集『補遺』の批評会が開催された。昨年10月に開催されるはずだったのが、台風のため延期になっていた集まりである。
三鷹には何度か行ったことがあるが、いつも水中書店のある北口方面なので、今回は南口を探検してみた。「太宰治文学サロン」が出来ていたので覗いてみる。「トカトントン」の展示があった。太宰の墓がある禅林寺には数十年前に行ったことがあるので、今回は行くつもりはなかったが、批評会までにまだ時間があるので歩いてゆくことにした。以前とはずいぶん変わって立派な斎場になっている。墓地は昔のままで森鷗外の墓と太宰治の墓が向かい合わせになっている。太宰の墓の写真をとる人が向かいの鷗外のところから撮影するので、鷗外墓の方が荒らされるという話を聞いた覚えがあるが、今はどちらも人気がなく静かであった。
昨年は新潟で「坂口安吾風の館」に行ったので、無頼派ゆかりの地に縁がある。「戦後」という時代も遙か過去になった感じがする。
さて、批評会の方だが、主催「川柳スープレックス」で、報告者は平岡直子と柳本々々。
平岡は「短歌にとって川柳とはなにか」「川柳にとって寿司とはなにか」「言葉にとってかわいいとはなにか」という三つのテーマで語った。興味深かったのは導入で平岡が語った部分。平岡は川柳との交流ができて5年になるが、歌人であるゆえに川柳を誤解しているのではないかという不安を感じるという。川柳の句集の批評はむずかしい。歌集の批評は作者の品評会だが、川柳句集は作者を再構成する部品として機能しない。句集を出しても作者が得をするようにはなっていない。蜃気楼のように作者を突き抜けて作品に手が届く。ざっと、そのような話だったと思う。
柳本は「わたしはどこにも行きたくない、ここにいたい」というタイトルで、暮田の「OD寿司」、石田柊馬の「もなか」、兵頭全郎のポテトチップス(「開封後は早めにお召し上がり下さい」)の三つの食べ物を題材とした連作を引いて現代川柳の特質を語った。キャラクターとキャラの違い、川柳は「交換芸術」、それまで世界で起こらなかったことが、言葉によって世界のルールを試してゆく、いろんな世界の可能性を試してゆく、など。
「推し句バトル」のコーナー、それぞれの推し句は次の通り。

川合大祐の推し句 そろばんを囲んだ そんな夏はない
平岡直子の推し句 かなしみと枯山水がこみ上げる
笹川諒の推し句  ダイヤモンドダストにえさをやらなくちゃ
小池正博の推し句 良い寿司は関節がよく曲がるんだ

プレゼンと質疑のあと会場の挙手によって、平岡が勝利。
「OD寿司」の「OD」は「オーバードーズ」(薬の過剰摂取)という意味らしい。
この日の参加者は歌人が多く、歌人が川柳をどう見ているかを改めて意識させられた。

批評会に来ていた山口勲さんから「て、わたし」7号をいただいた。彼には「川柳スパイラル」5号に「語り手の声が聞こえる詩」を書いていただいたことがある。
「て、わたし」7号の特集はアメリカ合衆国の韓国系の詩人で社会活動家のフラニー・チョイ。ヤリタミサコ、西山敦子、堀田季何、山口勲の四人が訳している。
山口の解説によると、収録されているうちの三つの詩は実際のできごとをきっかけに書かれた作品だということだ。
白人男性が自分の作品に注目を集めるためだけにアジア人のペンネームを使って詩を投稿したことに対する怒りから書かれた「チェ・ジョンミン」。
女性へのストリートハラストメントを描いた「『俺、豚肉が好きなんだぜ』と通りで私にわめいた男へ」。
アジア系の警察官が黒人を誤射殺害した事件をめぐる「ピーター・リャンへ」。
山口は「川柳スパイラル」5号掲載の文章で同性愛の黒人女性の詩やロヒンギャについての詩を紹介したあと、こんなふうに書いている。
「私が今回紹介したものは必ずしも『詩的』ではないのかもしれません。作品と人を切り離すべきだという考えから外れた前近代的な捉え方かもしれません。けれども、様々な怒りを通過した作品は近代日本が経験した言文一致とも通じ、声を通すことで社会や自分自身の生活と深く結びつく二十一世紀の文学だと信じています」

「俳壇」3月号に新鋭俳人として中山奈々が紹介されている。中山の俳句とエッセイに松本てふこの中山奈々論が付いている。松本の句集『汗の果実』(邑書林)のことは先月触れたが、もう一冊、宮本佳世乃の第二句集『三〇一号室』(港の人)が好評だ。梅田蔦屋書店ではこの二冊が並んで置かれている。
宮本佳世乃の句は「豆の木」や「オルガン」で読んでいたし、第一句集『鳥飛ぶ仕組み』(現代俳句協会新鋭シリーズ)も手元にある。いつごろから宮本のことを知るようになったのか、もう覚えていないが、俳句のイベントに行くと受付で見かけることがあったりして、自然と挨拶をかわすようになったのだろう。
『鳥飛ぶ仕組み』から次の二句を並べて抜き出してみよう。

二人ゐて一人は冬の耳となる
郭公の森にふたりとなりにけり

「二人と一人」ということが意識されている。「一人」ではなくて「二人のうちの一人」という意識である。二人でいるということが孤独を忘れさせる場合もあれば、二人でいることによって孤独感が深まる場合もある。二人のうちの一人が「冬の耳」となったのなら、もう一人はどうなったのだろう。二人でいるためには「郭公の森」でなければならなかった。それはなぜなんだろう。分かるような気もするし、本当のところは分からないような気もする。この二句にマークを入れたということは、そのときの私の気分に響くところがあったのだろう。
『鳥飛ぶ仕組み』の帯文で石寒太はこんなふうに書いている。
「彼女は『俳句をつくっている時間は、どこか別の場所に行っているように心地いいのだ』という。本当にはじめて会った時に直感した通りの、まさに« 俳句人間 »なのである」

私は川柳フィールドにいるので、俳句の文体にはなじめないところがある。だから、宮本の句のうちでも文末が「~にけり」とか「~たる」となっているものに対しては、「ああ俳句だな」と思うだけだ。『三〇一号室』の中で私がおもしろいと思うのはいかにも俳句らしい句ではなくて、次のような句。(三〇一号室というのだから、三階のいちばん端の部屋だろうか。)

かなかなに血の集まってゐるばかり
こどもつぎつぎ胡桃の谷へ入りゆく
素数から冬の書店に辿りつく
空港に歩いてゆける勾玉屋
掌が枇杷となるまで触れてゐる
白蝶のただ追ひたれば職質され

最期にネットプリント「MITASASA」第12号から三田三郎の短歌を紹介しておこう。

気を付けろ俺は真顔のふりをしてマスクの下で笑っているぞ   三田三郎

2020年1月31日金曜日

眞鍋呉夫の俳句と連句‐『眞鍋呉夫全句集』(書肆子午線)

『眞鍋呉夫全句集』(書肆子午線)を送っていただいた。
眞鍋呉夫は小説家・俳人であるだけではなく連句人でもあるので、かねてから関心をもっていた。私の手元にあるのは『眞鍋呉夫句集 定本雪女』(邑書林句集文庫)、『眞鍋呉夫句集』(芸林21世紀文庫)、『夢みる力 わが詞華感愛抄』(ふらんす堂文庫)の三冊だが、今回全句集のかたちで読めるのは嬉しい。

眞鍋の三冊の句集のなかでまず読むべきなのは、やはり第二句集の『雪女』だろう。
雪月花の句を引用しておこう。

雪女見しより瘧をさまらず
口紅のあるかなきかに雪女

月天心まだ首だけがみつからず
われ鯱となりて鯨を追ふ月夜

唇吸へば花は光を曳いて墜ち
花冷のちがふ乳房に逢ひにゆく

全句集の跋に高橋睦郎は「雪月花の人」という文章を書いている。
眞鍋呉夫の第二句集『雪女』、第三句『月魄』、第一句集『花火』。
「三つの句集名の上一字づつ取れば俳諧にいわゆる竪題の雪月花、ここから俳人眞鍋呉夫を名付けるなら、雪月花の人ということになろうか。これを別の言葉でいえば生涯かけて俳諧の骨を探りつづけた人ということだ」
さすがに高橋睦郎は俳諧(連句)の美意識について理解がゆき届いている。
それにしても、なぜ「雪女」なのか。
雪女の句にリアリティがあるのは、眞鍋が雪女を単なる昔話としてではなく、その存在を感得しているからだろう。『定本 雪女』(邑書林句集文庫)の後記で眞鍋は「雪女」「鎌鼬」「竈猫」などの季語について過去の事象として忘れられかけていることを述べたあとこんなふうに書いている。
「しかし、だからといって、これらの季語を生みだすに至ったより根源的な契機が、われわれの生命の母胎としての自然への畏敬にほかならなかったことを見おとすならば、その眼は節穴にひとしい、と言われても仕方があるまい。」「即ち、そういう本質的な意味では、『雪女』や『鎌鼬』や『竈猫』などは、時代錯誤的であるどころか、むしろ、最も未来的な可能性を孕んだ季語中の季語だ、といっても過言ではない」(「『雪女』の問題」)
「わが国の昔話や俳諧などによって伝承されてきたいわゆる『雪女』は、前近代の豪雪地帯における雪の猛威から生まれた幻想だという。しかし、私をして忌憚なく言わしむれば、この種の妖怪の本質は、新しい詩と宗教と科学に分化する以前の混沌とした、それだけにきわめて創造的なエネルギーのかたまりのようなものであろうと思う」(「『雪女』再考」)
鈴木牧之の『北越雪譜』や柳田国男の『妖怪談義』に通じる世界である。
句集『雪女』は歴程賞と読売文学賞を受賞している。俳句の賞ではなく、主として詩集に与えられる歴程賞を受賞したということは、眞鍋の俳句が詩的イメージの強い一行の詩として読まれたということだろう。
なお、邑書林版の『雪女』の解説は連句人(レンキスト)浅沼璞が書いている。「物のひかり」というタイトルで、浅沼の『中層連句宣言』に収録されている。

眞鍋の第一句集『花火』は芸林書房の『眞鍋呉夫句集』に14句だけ抄出されていたが、今回その全貌を知ることができた。

秋空に人も花火も打ち上げよ
ひとりぼつち雲から垂れたぶらんこに
恥毛剃る音まで青き夜の深み
聲出して哭くまい魚も孤獨なる
わがひとの不幸のほくろやみでもみえる

序詩を矢山哲治が書いている。

小さな唇もとを忍び、花火は胸うちに埋まつた。菊花を燭し、勲章のやうに吊つてある。やがて夜葦の戦ぎに紛れて、ひそかに鳴り始むるだらう。

矢山を中心に阿川弘之、島尾敏雄、那珂太郎などと同人誌「こをろ」が発行されていた。眞鍋の青春時代。『花火』は昭和16年発行、眞鍋21歳であった。
昭和18年、矢山哲治は西鉄の踏切で轢死した。自殺か事故死かは不明だという。

第三句集『月魄』(つきしろ)は2010年、邑書林から刊行されている。このとき作者は90歳。第44回蛇笏賞を受賞。

初夢は死ぬなと泣きしところまで
ひと食ひし淵より螢湧きいづる
雪を来て戀の軀となりにけり
この世より突き出し釘よ去年今年
吹雪く夜の無垢な二人となりにけり

最後に眞鍋呉夫の連句人としての面に触れておこう。
連句界で彼は眞鍋天魚の名で知られていた。全句集の年譜から、彼がかかわった主なものを抜き出しておく。

1974年 林富士馬の手引きにより東京義仲寺連句会の連衆となる。
1977年、俳諧誌「杏花村」創刊 高藤武馬、山地春眠子、八木壮一、わだとしお、村松定史など
1982年、「魚の会」佐々木基一(大魚)、野田真吉(魚々)、那珂太郎(黙魚)
1995年、「雹の会」那珂太郎、寺田博、司修、豊田健次、石川紀子など
2002年、「紫薇」に参加

『連句年鑑』に掲載の拙稿「橋閒石と非懐紙をめぐる八章」で、私は「野分」の巻(「紫薇」26号)を紹介したことがあるが、ここに再録しておきたい。澁谷道との両吟である。

雨漏りをよけてまた寝る野分かな   眞鍋天魚
榠樝匂へる板の間の闇       澁谷 道
幻が時計の捻子を巻きにくる        魚
議長ひとりが席に着きをり        道
鬨の声怒濤のごとく押し寄せて       魚
国の境は目にみえぬもの         道
「虚空もと色なし」といふ言やよし     魚
菫の束に結び文して           道
朧夜の微かにふるへゆるむ衣        道
擁けば泪のにじむ眥           魚
葬の日の螺旋階段垂直に          道
視野をかすめて都鳥翔ぶ         魚
熱燗に兜煮の味なつかしく         道
三センチほど長き右腕          魚
たれも居ぬテニスコートに球の音      道
鬚根のはえしドラム罐見よ        魚

2020年1月24日金曜日

「文フリ京都」と「川柳スパイラル」大阪句会

1月19日(日)に「文フリ京都」が「みやこめっせ」で開催され、「川柳スパイラル」からも出店した。当初「毎週WEB句会」も出店の予定で、隣接配置を楽しみにしていたが、森山文切が超多忙のため出店をとりやめたので、今回も短歌のブースに挟まれての開店となった。毎週WEB句会に川柳を出句しているという人や、暮田真名の『補遺』を読んで川柳に興味をもったという人の来店もあって、コスパはよくないものの、文フリへの参加はそれなりの意味があるようだ。主催者発表では参加者2110名で、出店者が約660名だから、残りが一般来場者ということになる。会場の「みやこめっせ」は京都の文化ゾーンである岡﨑公園の一角にあり、京都国立近代美術館や京都市美術館も近い。数十年以前、中学生の私が「邪馬台国展」を見に行った京都市美術館も今や京セラ美術館にかわり、茫々とした時の流れを感じる。

「文フリ京都」の前日、「川柳スパイラル」大阪句会を「たかつガーデン」で開催した。ゲストに瀬戸夏子を招き、近況を話してもらった。ネットで「日本のヤバい女たち、集まりました」という記事を見つけたときは驚いたが、はらだ有彩の『日本のヤバい女の子』にちなむものだったらしい。瀬戸はすでに柏書房のwebマガジンに「大西民子と北沢郁子」を発表している。
「川柳スパイラル」7号の合評会で同人や会員の出席者の作品を中心に話しあったあと、互選句会を行った。句会の結果はすでに「川柳スパイラル」の掲示板に上げてあるが、高得点句を書き留めておこう。

金柑の中の王都を煮詰めよう     笹川諒
霊魂にも植物園の住み心地      櫻井周太
半々の々を選んでもう出口      兵頭全郎
半分は犬で残りの半分も犬      楢崎進弘

今回の7号の特集は「短歌と詩の交わるところ」で、『子実体日記』の彦坂美喜子と『揺れる水のカノン』の金川宏に寄稿してもらっている。あまり短歌の特集ばかりに傾いてもいけないので、次号8号には中村冨二論と渡辺隆夫論を取り上げ、バランスをとる予定。8号は3月下旬発行、5月6日の「文フリ東京」に持っていこうと思っている。また、「文フリ東京」の前日の5月5日には「川柳スパイラル」創刊3周年大会を「北とぴあ」で開催するつもりで、いまプランを練っているところである。

「川柳北田辺」第110号が届いた。
昨年まで毎月発行だったが、今号から隔月発行となっている。その分、句会報が充実し、桂屯所句会と北田辺句会の両方が収録されている。「残された時間と、残された体力を考えて見ると、今、しなければ何も変わらない」(くんじろう)

卍という字はささがきから作る    井上一筒
出て行けと言ったあとの顔が梢    榊陽子
眠ったら死ぬかもしれぬベビーカー  中山奈々
パルチザンを分母にカフェ「ナチス」 山口ろっぱ
ひくいところでくちびるをなめる   川合千春
ミッキーはだから浮気ができないの  中山奈々

昨年送っていただいたのに、きちんと読めないまま年を越してしまった句集に松本てふこの『汗の果実』(邑書林)がある。彼女の句は『俳コレ』以来ある程度読んでいる気がしていたが、今度読んでおもしろいと思った句を引用しておく。

ごみとなるまでしばらくは落椿   松本てふこ
花は葉にまたねとうまく笑はねば
だんじりのてつぺんにゐて勃つてゐる
凩のこれは水辺のなまぐささ
料峭の逢へばよそよそしき人よ
くちづけのあと春泥につきとばす

土岐友浩の短歌時評『サーキュレーターズ』も昨年送っていただいて、読めないままになっていたが、その第8回「夕暮れについて」で我妻俊樹歌集『足の踏み場、象の墓場』に言及されている。「率」10号に掲載された歌集だが、我妻さんには2018年5月の「川柳スパイラル」東京句会にゲストとして来ていただいて、彼の川柳作品100句を収録した冊子「眩しすぎる星を減らしてくれ」も作ったのだが、そのときの話をきちんとテープ起こしして記録しておけばよかったと今にして思う。

ネットプリント「ウマとヒマワリ7」が手元にあり、我妻俊樹と平岡直子の対談「短歌は無意味なのか?」が掲載されている。これがなかなかおもしろい。Aが我妻、Hが平岡である。

A Hさんは最近俳句を作るそうだけど、俳句を作ると短歌を作れなくなったりしない?
H しますね。アカウントの切り替えをしなきゃいけない感じ。川柳だったら短歌とは別ファイルではありつつ同じアカウント内で作れるけど、俳句は無理。俳句も慣れてくると短歌と平行して作ることはできるけど、それは単に切り替えが早くなるだけで、同一アカウントとして作れるようになる日は来ないと思う。

こんな調子で続き、「A 短歌と川柳は近いというか、近いものとして扱いたい」「H 俳句を作ってると、おー、自分の身体を捨てて鉄のねじになってこの星を動かすんだー、って思う」「A 歌会はあくまで評のライブであって、歌のライブじゃないことに若干納得のいかなさがある」など興味深い発言がある。
短歌の歌会と川柳句会との違いは先日「川柳スパイラル」句会に参加した複数の歌人からも感想として聞くことができた。
以前と比べると、実作を通じてのジャンル相互の交流が進んできており、そのことが結果的に自己のジャンルの深化につながってゆくはずだ。

2020年1月17日金曜日

2020年代がはじまった

2020年がはじまった。
いささか時機を失した感があるが、「歳旦三つ物」の拙吟を。

俳諧の裾野広がれ初山河
鼠算式ふえる年玉
密使来て石の上にも三年と

鼠の川柳を探してみたが、これというものが見つからないので、柴田宵曲の『俳諧博物誌』(岩波文庫)から鼠の俳句をご紹介。

西寺のさくら告げ来よ老鼠  暁台
春風や鼠のなめる角田川   一茶
鼠にもやがてなじまん冬籠  其角
しぐるるや鼠のわたる琴の上 蕪村
皿を踏む鼠の音のさむさかな 蕪村

ルナールの『博物誌』に対して柴田宵曲は動植物の俳句を渉猟している。
「鼠」以外では「兎」の章がおもしろかった。

猿どのゝ夜寒訪ひゆく兎かな   蕪村

其角の「句兄弟」にも触れている。

つくづくと画図の兎や冬の月   仙化
つくづくと壁の兎や冬籠     其角

前者は冬の月の面に兎のかたちを認めたもの、後者は壁にかけた兎の絵とも読めるが、自分の影法師が壁にうつっているのが兎の形に見えると読んだ方がおもしろいという。

連句と川柳について、昨年から今年に向けての展望を改めて述べておきたい。
連句(俳諧)については総合誌的なものが存在しない現状なので、日本連句協会が発行している「連句」(隔月刊)のほか、各地で開催される大会の作品集を集めるしかない。私の手元にあるのは次のようなものである。昨年の大会開催日をあわせてご紹介。

『2019えひめ俵口全国連句大会入選作品集』(2019年4月開催)
『第二回あつたの杜連句まつり』(2019年5月開催)
『第十三回宮城県連句大会作品集』(20019年6月開催)
『第43回国民文化祭・にいがた2019、連句の祭典入選作品集』(2019年11月開催)
鹿児島県連句協会では設立三周年を記念して形式自由の募吟を行い、『全国連句大会応募作品集』(2019年12月開催)を発行。

日本連句協会では年鑑を発行しているほか、「連句」の広報・拡散のためにYouTubeを作成している。初回が小島ケイタニーラブ、第二回が文月悠光。第三回は女性講談師の日向ひまわり。現在ここまで公開されているが、第四回のSHINGО☆西成。第五回のミュシュランガイド掲載の料理人、今村正輝出演の分も近日公開されると思う。「#ミーツ連句」で検索していただくと、どなたでもご覧いただける。

連句でも「発信」「拡散」という発想がようやく出てきた感があるが、川柳でも森山文切のように「川柳の営業をやる」と公言する川柳人が出てきた。

昨年末に届いた「川柳杜人」264号(2019年冬)に「終刊のあいさつ」が掲載された。発行人の都築裕孝による文章で、昭和22年10月創刊で72年になること、同人は創刊以来いつも10人前後の少数で活動してきたこと、同人の高齢化により「杜人」の発行・維持が困難になってきたことなどが書かれている。ただし今すぐ終刊になるのではなく、2020年冬発行の268号が最終号になるという。「杜人」についてはこの時評でも何度か取り上げてきたし、私自身この川柳誌から多くのことを学んできた。最近では若手川柳人の原稿を掲載するなど、誌面の活性化がはかられていたのに残念だ。あと4号、大切に読みたい。
同人作品から。

琴線にいたずらするの御法度よ   広瀬ちえみ
さよならが言えない鳥を飼っている 大和田八千代
犯人はワタシだったの紅葉狩    佐藤みさ子
お久し振りねだけど今年の雪虫ね  浮千草

2020年代に入り、終わってゆくものと新しく生まれてゆくものがある。
時間の流れとはそういうものだろう。
21世紀に入ってからすでに20年が経過した。この20年の間に川柳ではどのようなことがあったのか。振り返ってみる作業が必要だし、そこから新たに出発することも必要だろう。
昨年末に発行された『石部明の川柳と挑発』(新葉館ブックス、堺利彦監修)を読むと、この20年の川柳活動が歴史になりつつあることを感じる。
墨作二郎・石部明・渡辺隆夫・海地大破・筒井祥文はすでにいない。
「川柳スパイラル」誌も創刊から足かけ三年目に入る。1月19日(日)に開催される「文フリ京都」に出店するが、かつて「バックストローク」に掲載した「新・現代川柳の切り口」を冊子にまとめたものを販売する。「川柳における身体性」「ゼロ年代の川柳表現」「『私性』と『批評性』」「『柳多留』にかえれとは誰も言わない」「川柳における感情表現」「川柳とイロニー」の六章を収録し、タイトルを『ゼロ年代の川柳表現』とした。お立ちよりの機会があれば、手に取ってご覧いただければ幸いである。