2020年12月11日金曜日

いわさき楊子『川柳人が楽しむエモい漱石俳句』

飯塚書店といえば、田口麦彦の川柳書を多く出している出版社である。
『川柳表現辞典』『現代川柳入門』『川柳技法入門』『時事川柳入門』などの辞典・入門書をはじめ、『穴埋め川柳練習帳』『地球を読む』などの読みやすい本、写真と川柳のコラボによる『フォト川柳への誘い』『アート川柳への誘い』、オリンピックを視野に入れた『スポーツ川柳』など、田口の本がカバーする川柳領域は広範囲に及んでいる。
いわさき楊子著『川柳人が楽しむエモい漱石俳句』がこのほど飯島書店から刊行された。いわさきは熊本在住の川柳人。前掲の『スポーツ川柳』の巻頭には

マラソンのソのあたりから離される   いわさき楊子

が掲載されている。いわさき楊子がなんで漱石本を出したの?と最初は思ったが、本書のポイントはふたつ、「川柳人が楽しむ」と「熊本」である。
松山時代の漱石については私も比較的知識がある。毎年4月末の祝日に子規記念館で「俵口全国連句大会」が開催され、2017年から2019年まで3年続けて出席した。2017年は子規生誕150年に当たり、漱石と子規は同年の生まれだから、俵口連句大会では子規、漱石の句を発句とする脇起し歌仙の募集があった。漱石の句は発句に用いてもおもしろい句が多い。そのときの受賞作品の中から紹介する。

衣更へて京より嫁を貰ひけり   夏目漱石
 古への香に焚ける蒼朮     木村ふう
町医者を目指し毎日励むらん   赤坂恒子

漱石の「京より嫁を」の句は熊本時代、鏡子を妻に迎えたときのもので、漱石ドラマではこのときのシーンがよく取り上げられる。いわさきの本ではこんなふうに解説されている。
「漱石は29歳の6月9日、熊本市光琳寺町の家で結婚しました」「衣更へと結婚は意外な取り合わせですが清々しさが腑に落ちます。結婚の喜びと将来への希望に満ちています」
本書によると、この光琳寺の家は現存せず、「今は繁華街の一角となったビルの壁に、『すゞしさや裏は鉦うつ光琳寺』の句と漱石の住まいがあったことが記されています」ということだ。
漱石の小説では『草枕』『二百十日』などが熊本時代の体験をもとにしている。まず『草枕』の小天温泉。

温泉や水滑かに去年の垢  漱石(小天温泉那古井館前庭)

『二百十日』の阿蘇山への旅。阿蘇谷への入り口にある戸下(とした)温泉。

温泉湧く谷の底より初嵐


『二百十日』で私が好きなのは、穴に落ちて上がれなくなった圭さんが上にいる碌さんに言う会話。
「それじゃ、君はこの穴の縁を伝って歩行(ある)くさ。僕は穴の下をあるくから、そうしたら、上下で話が出来るからいいだろう」

本書には私が今までよく知らなかった熊本時代の漱石のことが具体的に書かれていて興味深い。
次に本書のもうひとつの視点である「川柳」について。ところどころに「ミニ知識」の欄があって、川柳について触れている。

〈 川柳には俳句と違って、ことばの取り合わせの妙だけではなく、「どうだ」とまっすぐ迫る詠みかたがあります。季語らしきものが入っていてもあくまで生の人間が主体です。
   カンナ燃ゆ生命保険解約す
   O型の大男ジョッキまで飲む
   朱の栿紗パシと捌いて鬼女となる     〉

句は筆者・いわさき楊子の川柳。
ついでに書き留めておくと、岩波書店の漱石全集第十七巻(新版の方・1996年)には俳句・詩歌が収録されていて、俳句の注解を坪内稔典が書いている。同書には「連句」「俳体詩」も収録されている。連句は虚子・四方太・漱石の三吟で、連句人のあいだではよく知られている。俳体詩「尼」は虚子・漱石の両吟で、虚子が一時期、俳体詩という新形式を試みていたのはおもしろいことだ。
いわさきの本に戻ると、「漱石は熊本の赤酒を飲んだか」「日奈久に行ったかどうかはわからない」などのトピックスも掲載されている。漱石俳句を読みながら川柳のことにも触れているので、楽しめる本となっている。
最後に筆者の作品を巻末の〈筆者川柳・俳句一覧〉から抜き出しておく。

姿見の前で丹頂鶴になる         いわさき楊子
「う」から「あ」へぽつりぽつりと梅開く
プテラノドン自由をもってしまったね
背骨から煮くずれやすい回遊魚
六列にならぶ蟻ならば 怖い

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