2018年12月29日土曜日

2018年の川柳作品を振り返って

今年もあとわずか。例年、印象に残った川柳作品を取り上げて一年を振り返ることにしている。いろいろな出来事があり、おびただしい作品が書かれたことと思うが、川柳の世界全体を見渡すものではなく、極私的なものであることをお断りしておく。

いけにえにフリルがあって恥ずかしい  暮田真名 (「川柳スパイラル」2号)

暮田真名は今年川柳のフィールドに登場した若い作者である。「学生短歌」「学生俳句」に比べて「学生川柳人」というものはあまり存在しないが、暮田は東京の大学生。私は掲出句を読んで驚いたという読者を何人か知っている。
彼女は「川柳スパイラル」だけではなく、ネットプリント「当たり」(暮田の川柳と大村咲希の短歌を掲載する二人誌)でも川柳を発表。「恐ろしくないかヒトデを縦にして」「見晴らしが良くて余罪が増えてゆく」「万力を抱いて眠った七日間」(「当たりvol.5」)「どうしてもエレベーターが顔に出る」「職業柄生き返ってもいいですか」(「当たりvol.6」)などの作品を書いている。
暮田は評論も書いていて、「川柳スパイラル」4号に「吉田奈津論」を発表。暮田の出発点は短歌である。吉田奈津は学生短歌で注目すべき歌人の一人。
ブリ振って投げて走ってOh,yes!Amanohashidate!転がり落ちる  吉田奈津
夢の草原ではタイのみなさんと踊ってちょっと気が遠くなる
従来、短歌的感性の表現者が川柳に入ってくるときに「私性」の安易な持ち込み傾向が見られたが、暮田の作品はそういうものとは違う。来年は活動の場がさらに広がることと思うが、「川柳」の垢に染まらず清新な作品を書き続けてほしいものだ。

そうか川もしずかな獣だったのか    八上桐子(句集『hibi』)

八上桐子の第一句集『hibi』(港の人)が今年の一月に発行され話題になった。
句集は書店にも並べられ、初版はすでに完売して手に入らないというから、川柳句集の流通の仕方としては豪勢な話である。
従来の川柳句集は作品を載せさえすればよいというものが多く、一冊の本として簡素なものが大部分だった。八上は装丁やタイポグラフィにもこだわりがあり、「美しい句集」に仕上がっている。本人は内容より先に装丁を褒められることに不満かもしれないが、これは川柳句集として画期的なことなのだ。
この句集を手にとった人は、作品の静謐なポエジーに惹かれてゆくだろう。従来の川柳は「思いを吐く」というような「私性」の強いものが多く、強烈なアクを存在意義としている傾向があった。八上の川柳はそういうものとは異なる。
けれども八上も川柳人である以上、強い「個」を内に秘めているだろう。それが作品の背後にちらちらと顔をのぞかせる。掲出句の「しずかな獣」という表現は的確だと思う。

壁の染みあるいは逆立ちの蜥蜴     芳賀博子(句集『髷を切る』)

芳賀博子の第二句集『髷を切る』(青磁社)から。
第一句集『移動遊園地』から15年ぶりの句集だという。
芳賀は時実新子に師事して川柳をはじめた。現在、俳誌「船団」に「今日の川柳」を連載。ホームページ「芳賀博子の川柳模様」のうち「はがろぐ」でも川柳作品を紹介するなど、現代川柳の発信につとめている。
句集のタイトル『髷を切る』は一歩先へ踏み出そうという意志表示と受け取れる。それがどの句に端的にあらわれているだろうと考えたときに、私は掲出句を選んでみた。
この句は芳賀の書き方の中では新しいのではないか。「思い」とか「私性」とかいうものとは無縁で、そこには「壁の染み」があるだけである。それが「逆立ちの蜥蜴」に変容するのだ。

なにもない部屋に卵を置いてくる   樋口由紀子(句集『めるくまーる』)

こちらは樋口由紀子の19年ぶりの第三句集。
句集を出すにはエネルギーと決意が必要となる。
句集の「あとがき」に「『めるくまーる』は【作樋口由紀子・演出野間幸恵】で出来上がったものです」と書いてある。装丁はともかく、選句と句の配列についてどの程度、野間の意志が働いているのだろうか。
句集の内容については「週刊川柳時評」の12月14日ですでに紹介している。

じんべい鮫泳ぐ半分はけむり 普川素床(川柳作家ベストコレクション『普川素床』)

新葉館から川柳作家シリーズがたくさん出ているが、その中の一冊として普川素床の句集を選んだ。
普川の川柳歴は長い。「川柳公論」で活躍したほか、「連衆」や「ぶるうまりん」などの俳誌・短詩型文学誌も発表の舞台としている。この句集でも「川柳の部」「短詩型作品の部」「俳句の部」の三章に分かれていて、川柳が短詩との交流が深かった時代があったことを改めて思い出させてくれる。
「楽しみは意味から音へパンの耳」「短詩が一本のマッチだった頃」のように「川柳」「短詩」そのものをテーマにした句もある。「AはAならず煮凝りの中から声」「梅雨の蝶は感覚の束だ」など、作風は多彩である。

沿線のところどころにある気絶    我妻俊樹(『眩しすぎる星を減らしてくれ』)

我妻俊樹は歌人として知られていて、たとえば「率」10号では我妻の誌上歌集『足の踏み場、象の墓場』が特集されている。「歌葉」新人賞からは時が流れたが、たとえば平岡直子の「日々のクオリア」(2018年12月26日)でも我妻の「水の泡たち」という連作から次の短歌が紹介されている。
「先生、吉田君が風船です」椅子の背中にむすばれている
今年の5月の「川柳スパイラル」東京句会では我妻をゲストに瀬戸夏子と私で鼎談を実施した。それに合わせて、我妻には川柳作品集をまとめてもらい、「眩しすぎる星を減らしてくれ」という冊子を当日の参加者に配布した。掲出句はその中の一句。他に「くす玉のあるところまで引き返す」「弟と別れて苔の中華街」「おにいさん絶滅前に光ろうか」など、「歌人が書いた川柳」というのではなく、正真正銘の川柳になっている。「短歌も引き返すし、俳句も引き返すけれど、川柳は引き返さないで通り抜ける」という我妻の発言も印象的である。

迎えに行くよ梨よりあたたかい身体  服部真里子(「川柳スープレックス」2月1日)

服部真里子の第二歌集『遠くの敵や硝子を』(書肆侃侃房)が上梓されたが、服部も現代川柳に関心をもつ歌人のひとりだ。掲出句は「川柳スープレックス」に掲載されたものだが、川柳作品としての完成度は高い。
掲出句は「レモンと可能性」というタイトルの8句から。身体性の表現は短歌でも川柳でも見られるが、「梨よりあたたかい身体」という表現は魅力的だ。
「蝶よりもペーパードライバーだった」「個人的水鳥を個人的に呼ぶ」「驚いて君のレモンが灰になる」など。
「川柳スープレックス」は掲載された作品について後日メンバーの誰かが句評を掲載するのが通例で、服部の作品に対して柳本々々は「レモンの可能性ではなく、レモンと可能性。ここにちゅういをしてみたいとおもう」と述べている。

湯葉すくう「ほら概念は襲うだろ」  清水かおり (「川柳スパイラル」2号)

「湯葉をすくう」という日常性と「概念は襲う」という抽象的思考が一句のなかで結びついている。人は衣食住の日常生活だけで生きているわけではない。存在の意味を問い、心の深部のざわめきに耳を傾けながら生活とのバランスをとっているのだ。「概念」がやってくる。それも突然に。「概念が浮かぶ」のではなく、「概念は襲う」のだ。この一句を川柳として成立させているものは、「 」の使用という技巧だろう。
寒くない?プレパラートは革命残渣 (『川柳サイドSpiral Wave』3号)
清水にはこんな句もある。今どき「革命」などという言葉を使う川柳人はいないが、清水はあえて使っている。「残渣(ざんさ)」は濾過したあとの残りかす。
川柳がポエジカルなサタイアだとすれば、清水かおりはポエジーとサタイア(諷刺)をあわせもつ少数の川柳人である。

では、よいお年をお迎えください。
来年もよろしくお願いします。

2018年12月24日月曜日

表現者たち―上野遊馬・髙山れおな・大本義幸

12月7日、東京・王子の北とぴあで開催された時雨忌に参加した。いろいろ刺激を受けたが、上野遊馬の捌きの席で行われた「短詩行」という形式に注目した。
上野の説明によると「短詩行」とは〈大岡信らの詩人たちが連句に刺激されて「連詩」を楽しんでいることを知り、それでは逆に連句を式目から解放し、もっと自由に言語空間で遊べるようにしたい〉というものらしい。
『連句年鑑 平成十七年版』(日本連句協会)に山路春眠子が「僕たちのささやかな実験」という文章を書いていて、その中で上野遊馬の実験について触れている。
「ところが、ここに一人、ヘソマガリが登場する。上野遊馬氏。俳人でもあるが、普通の連句では面白くないと、連句から式目を外してみよう、という破天荒なことを思いついた。長句短句の区別なし。口語散文で新仮名遣い。要するに自由詩風で、前句を受けたり外したりする面白さを徹底的に狙おう、というもの」
時雨忌が終わって大阪に帰ってから調べてみると、連句集『草門帖』には上野捌きの「短詩行」がときどき掲載されている。第4集の「雪という劇」、第6集に「齧られた月」、第7集に「耳鳴りのする夜」。そこでは次のような注が付いている。

「短詩行」は五七五の定型の枠を外し、口語散文の短詩を重ねて詩的連想の付け味を楽しむ形式。それぞれの連に春(桜)夏(恋)秋(月)冬(雪)の景物・モチーフを詠む。

一連は4~6句でよいらしい。先日の時雨忌での作品は「日本連句協会報」2019年4月号に掲載される予定なので、ここでは『草門帖6』から「齧られた月」の第一連を紹介しておく。

目が合って重心が動く       清水風子
つっかけサンダルのさびしい昼だ  小池舞
むいてもむいても辣韮は辣韮にしかならない 坂根慶子 
鳥が来た!尺玉を用意しろ!    高松霞
トルネード・旅          村松定史

今年は髙山れおなが「朝日俳壇」の選者に就任したことが話題となったが、このほど髙山の第四句集『冬の旅、夏の夢』(朔出版)が上梓された。『ウルトラ』『荒東雑詩』『俳諧曾我』に続くもので、二章に分かれ、Ⅰには旅行吟、Ⅱにはそれ以外の作品を収めている。「二十代の頃は、俳句作品は言葉のみで自立してゐるべきだと考へ、生活や人生を作品の中に持ち込まない主義だつた」(後記)というが、髙山は職業上旅行をすることが多く、今回はその産物としての作品をまとめたのだろう。それはそれで興味深いが、ここではⅡに収録されている作品、特に加藤郁乎関連の句に触れてみたい。
加藤郁乎は2012年5月に逝去した。「豈」54号(2013年1月)で追悼特集が組まれたが、髙山も作品を掲載している。

野分雲夜を啼きわたる煙草火や
月並のはらわた孵る月白や
イクヤーヌスの双面笑ふ息白し
思考なき博識よけれ花のワルツ
両の眼の花の三角で殺すのね
穢土俳諧歳時記全て憶ひ出なり曝す

双面の神ヤヌスとイクヤを掛けてイクヤーヌスとし、「花より三角へ!」(『球體感覺』初版後記)を引用しながら作句している。
さて、第四句集刊行記念の冊子「僕はこんなふうに句集を作ってきた」で高山は次のように書いている。「俳句を作ることが無闇に楽しかったのはもうだいぶ昔の話だ。しかし、今でも句集を作ることはたいへん好きで、もしかすると日本で一番好きかもしれない」
第四句集については「この句集はまずもって旅の句集といっていいだろう」と述べ、旅吟は「一人称性」の薄い作者が「一人称性」を確保するための方法と書いているのは興味深い。

10月に大本義幸が亡くなった。
大本は「豈」の創刊同人で、攝津幸彦の盟友だった。
私は柳俳合同句会の「北の句会」で何度か大本と会ったことがあるが、大本には川柳を評価しない気配があったので、それほど親しみはなかったけれど、「豈」の先輩として敬意はもっていた。大本の句集『硝子器に春の影みち』(沖積舎・2008年10月)から何句か紹介しておこう。

月へ向かう姿勢で射たれた鴨落ちる
蛾の翔ちてあじさいの首太るらむ
爪切って爪のかたちに暮れにけり
さくらちるそのはかなさを春といい
兄嫁に激しく沸くは夏の雲
雨の日はみじかくてよいのだ自由律
硝子器に春の影さすような人
朝顔にありがとうを云う朝であった。

2018年12月14日金曜日

樋口由紀子におけるニヒリズムの克服(『めるくまーる』について)

樋口由紀子の第三句集『めるくまーる』(ふらんす堂)が発行された。
「あとがき」には次のように書かれている。
「第一句集『ゆうるりと』(1991年刊)第二句集『容顔』(1999年刊)から十九年ぶりの川柳句集です。句集を出したいと思いながらもなぜかぐずぐずしていました」
19年の歳月は生半可なものではない。
セレクション柳人『樋口由紀子集』には『ゆうるりと』『容顔』以後の作品が若干収録されているが、まとまったものとしてはそれ以来となる。その間、何が変化し何が変わらなかったのか。

なにもない部屋に卵を置いてくる

『めるくまーる』のなかでも多くの読者の印象に残る句だろう。
「なにもない部屋」がある。「虚無」と言ってもよい。そこには本当に何もないのだ。「卵」はものを生み出す根源的なもの、などと比喩的に読まない方がいい。ただそこに卵をそっと置いてくるという能動的な意志がある。
高校生のころアンドレ・マルローの小説を読んで「行動的ニヒリズム」というものに憧れたことがある。卵を置いたからといって何が変わるものでもない。「握りこぶしのなかにあるように見せた夢」(中島みゆき「歌姫」)のようなものである。けれども何もしないよりは卵を置く方がたぶんいいのだ。梶井基次郎は丸善に檸檬を置いてきた。「檸檬」は爆弾であり詩であるが、「卵」は生活感から離れない。
こんなふうにして樋口由紀子の「ことば」が生まれる。

あの松を金曜日と呼ぶために
嬉しくて軍手のことを考える
勝ち負けでいうなら月は赤いはず
靴下をはかない方が実の父

どの句にも樋口の作句法が顕著に見られる。
「あの竹を木曜日と呼ぶために」「哀しくて手袋のこと考える」「勝ち負けでいうなら月は青いはず」「靴下をはいているのは偽の父」など、いくらでもヴァリエーションが考えられるが、樋口はさまざまな言葉の組み合わせのなかで掲出句のような形を選んだ。それが最も彼女の言葉の生理にかなうからである。
樋口の句が一種の「言葉探し」の印象を与える理由がここにある。
「言葉派」という言い方は俳句にもあるのかも知れないが、樋口由紀子は川柳における「言葉派」である。「思い」ではなく「言葉」から出発する書き方を彼女は切り開いた。

懸垂をしているときは忘れてね
鋸を使っていたらバスが来た
もういいわブルドーザーで決めるから

けれども、言葉から出発するといっても、作者の主体、あるいは作品のなかにあらわれる作者の主体は否応なく表現されてしまうものである。言葉だけでは人は感動しない。句の内実と言葉とがばっちりと一致したときに樋口の句は強い力を発揮する。
たとえば「懸垂」の句を恋句だと受け取ってみる。懸垂をしているときはそれに集中しているから、他のことは忘れている。しかし、懸垂をしていないときは恋人のことを思い出してほしいと言っているようだ。ここにはアイロニーがあるが、恋でなくても楽しい瞬間もあれば悩みが生じる瞬間もあるだろう。身体を動かすことによって心の悩みを忘れるというのはひとつの叡知かもしれない。
バスがやってきた。何で鋸なんて使っているんだろう。樋口の句では日常的な文脈が日常性をたもったまま歪んでゆく。
決められることなんて何もないのだけれど、生活のなかではどう行動するか決めなければならない。ブルドーザーで決めるというのはどんな決め方なのかわからないが、おもしろいことはおもしろい。
樋口の句には難解な言葉は使われていないが、語の組み合わせや文脈が日常言語とは違う次元にずらされている。このズレによって日常語は「川柳のことば」になる。

空腹でなければ秋とわからない
生醤油を舐めてわかったふりをする

この二句は反対のことを言っているように見えるが、同じことを反対の言い方をしている。川柳ではよくあるペアの思想である。

新宿に呼ばれています黒大豆
オランダはまだ出てこない記憶力
むささびが先に京都に着くという

地名を使った句である。地名は喚起力が強いので印象に残りやすい。

ちょうど来た鯛 ちょうど来る正月

生きていることは別に楽しいことではないのだ。鯛が手に入ったからといって、正月が来るからといって、そのことには別に意味はないのだ。
だからと言って、投げやりな生活をするというのではない。ちょうど来た鯛を賑やかに華やかに扱って、正月をきちんと飾り立てる。それは一種の「ふり」であり、演技でもある。
「おもしろきこともなき世をおもしろく」と言ったのは高杉晋作だったか。
こうして樋口由紀子においてニヒリズムは克服されたのである。

2018年12月1日土曜日

関係性の文学―俳句・短歌・連句―

第86回独立展が大阪市立美術館(天王寺)で開催されているので見に行った。
斎藤吾朗の絵を見るためである。斎藤さんは連句人としても知られ、ずいぶん以前になるが、大阪高島屋で開催された画廊連句のときに知り合った。これは絵の展示会場で来訪者が付句を付けるというものである。彼はルーブル美術館で日本人としてはじめて「モナ・リザ」の模写を許された画家。彼の絵にときどきモナ・リザが出てくるのはそのためである。赤を基調とする画風なので「三河の赤絵」(愛知県在住)と呼ばれている。
今回の絵は「描く!刷る!東京駅物語」というタイトルで、中央の大きな画面と上段・下段のいくつにも区切られた小さな画面から構成され、小画面には版画の刷りのような過程が描かれている。中央の大きな区画はいつのもように赤を基調として、東京駅に集うさまざまな人物が描き込まれている。時間は過去から現在までが混在していて、浦島太郎や明治の人々、少年ジェットなどおびただしい人物が描かれている。その一人一人を確かめてゆく面白さがある。乗り物というテーマで、浦島は亀に乗っているし、少年ジェットはオートバイに、その他、人力車・自転車・自動車などさまざまな乗り物がある。彼の絵には俳諧性があるのだ。
同美術館で「阿部房次郎と中国書画」展も開催されていた。中国絵画では有数のコレクション。私は華嵒というひとの「秋声賦意図」が好きで、見ているとほくほくする。

岡田一実の第三句集『記憶における沼とその他の在処』(青磁舎)が好評である。この時評でも触れたことがあるが(10月21日)、繰り返し読む機会があったので、改めて取り上げてみたい。句の内容や句集全体の世界についてはすでにいろいろ言われているので、表現についての感想を少し書いてみる。

火蛾は火に裸婦は素描に影となる     岡田一実
蟻の上をのぼりて蟻や百合の中
暗渠より開渠へ落葉浮き届く
母と海もしくは梅を夜毎見る
椿落つ傷みつつ且つ喰はれつつ
鷹は首をねぢりきつたるとき鳩に

ペアの思想と言えばいいのか、言葉が対になって使われている。
巻頭句は「火蛾は火に影となる」「裸婦は素描に影となる」という二つの文脈が合わされている。「火蛾と火」の関係と「裸婦と素描」の関係に少し屈折があるのがおもしろさだろう。「蟻」という同字の繰り返し、「暗渠」と「開渠」の対義など言葉の組み合わせはさまざまだ。「母」「海」「梅」「毎」のつなぎ方はやりすぎのようにも感じるが、三好達治の「海の中には母がある」というフレーズを思い出させる。「椿」の句は川柳でもよく詠まれるが、「傷みつつ且つ喰はれつつ」という表現には驚かされる。「つつ」という動作の平行だけではなくて「つ」の字が六字も使われているのは意図的だろう。「鷹」の句は「鷹鳩と化す」(仲春)という季語をおもしろい形で使用している。
内容の重たさにもかかわらず、表現には遊びの要素も見られるところに、一種の俳諧性を感じた。

歌集では服部真里子の第二歌集『遠くの敵や硝子を』(書肆侃侃房)が好評である
よくわからない歌も多いが、退屈な歌というものはない。

誰を呼んでもカラスアゲハが来てしまうようなあなたの声が聴きたい  服部真里子
うすべにの湯呑ふたつを重ねおく君のにせもの来そうな日暮れ
黄昏は引きずるほどに長い耳持つ生き物としてわれに来る
夜の雨 人の心を折るときは百合の花首ほど深く折る
黒つぐみ来ても去ってもわたくしは髪をすすいでいるだけだから
図書館の窓の並びを眼にうつし私こそ街 人に会いにゆく

印象に残った作品を書き写してみた。
この歌集では「あなた」「君」などの二人称が多用されている。全体の一割程度で使われているのではないか。短歌は一人称の文学だと思っていたが、二人称の文学とも言えるのかもしれない。「あなた」を通して「わたし」を表現するとすれば、両者の関係性が主題となる。「あなた」は歌によって章によって誰のことか変わってゆくのだろうが、読者との関係性も少しは意識されているようだ。カラスアゲハや「君のにせもの」や「長い耳持つ生き物」などいろいろなものがやって来る。待っている私から出かけていく私への変容はいいなと思う。
人を意気阻喪させるのは他者との関係性だし、人を勇気づけるのも関係性である。歌集の最初の章は「愛には自己愛しかない」というタイトルが付いている。

わたくしが復讐と呼ぶきらめきが通り雨くぐり抜けて翡翠
海鳴り そして日の近づいた君がふたたび出会う翡翠

この章の冒頭の歌と最後の歌が対応している。ここでも「わたくし」と「君」。きらめきながら飛んでゆく翡翠のイメージは鮮烈である。
歌集名は「遠くの敵は近くの味方より愛しやすい」という言葉から取ったということだ。

「第33回国民文化祭おおいた2018」が開催された。私は参加できなかったが、『連句の祭典』入選作品集(大分県連句協会発行)が手に入ったので、少し感想を述べてみたい。
募吟の形式は二十韻である。二十韻は懐紙形式で、オモテ四句、ウラ六句、名残りのオモテ六句、名残りのウラ四句。歌仙を簡略化した新形式で東明雅の創案。国文祭では2012年の徳島大会、2017年の奈良大会に続き三度目で、連句形式としての普及が進んできたようだ。
文部科学大臣賞は「河馬の目と耳」の巻(捌・大月西女)。

水面に河馬の目と耳日脚伸ぶ   大月西女
四温の園に挙がる歓声     名本敦子
クレヨンの青と黄色が足りなくて 上甲彰
厨の笊に野菜いろいろ    寺岡美千穂

連句の選の基準についてはいろいろ議論のあるところだろうが、今回の入選作品集で興味深かったのは選者の選評である。
「長句(五七五)と短句(七七)が交互に並んでいるだけでは連句になりません。よい連句作品を作るには転じが大切だと言い出したのはダレでしょうか。前句のどこに付けて、その発想が生まれたのかを考えるのが捌きの仕事です。例えば、二十韻の場合では四、五カ所付け味の分らない句があれば作品はズタズタに切り裂かれ、もはや連句と言えなくなります」(青木秀樹)
「三句の渡りから二十韻の特徴である表の短さを長所として、付き具合は親句というよりも疎句で付け進めることにより、展開の速さでもって読者を惹きつけることに成功しており、それは脇句・第三の安定感が、発句の取合せの情動感を受け止めることによって、表四句が引き締まり、そこから醸し出された躍動感が、その後の挙句まで保たれている点に魅せられたということです」(梅村光明)
「おそらく、同じ結社か否かを問わず、どういう連句をよしとするかという『考え方』については選者八人とも大きくかけ離れてはいないと思う。だが、『考え方』で判断できるのは粗選びの段階までで、そこから先、最終的な選に絞り込み、さらに上位作品を選び出すという、後の段階になるほど、どのような事柄や措辞、また前後の句の関係や一巻の展開に詩情を見出すか、という『感じ方』の比重が大きくならざるをえない。そして『感じ方』は、選者によってかなり違っていて当然だと思う。作るにも選ぶにも詩歌とはそういうものではないだろうか」(鈴木了斎)
「次に、新しい表現への意欲に眼をとめました。用いられている語彙や表現への工夫から、文芸に対する前向きの姿勢が読み取れないかどうか判断いたしました。使い古された内容を類型的な表現で繋ぎ合わせていく作品には創造性が希薄だと思われます。新しいものへ挑戦しようとする姿勢を、たとえぎこちない箇所があったとしても、その意欲を重く受け止めました」(東條士郎)
選者八人の選評のうち四人だけ紹介したが、それぞれの考え方がよく表れている。
連句は「付けと転じ」が生命線だと言われているが、「付け」に重きをおくか、「転じ」を重要視するかによって方向性が異なってくる。両者がバランスよく配されて一巻が仕上がるのが理想だろうが、そう上手くはいかない。付句一句のおもしろさが式目と矛盾する場合があり、捌き手や選者が悩むところである。前句から飛躍する付句はおもしろいが、飛躍しすぎると連句が解体してしまう。一句立てと付け合い文芸としての連句の矛盾は近世俳諧史のなかでも生じて、そこから俳句や川柳が独立していった歴史がある。そういう矛盾に現代連句も直面しているのかもしれず、逆に新しい現代連句作品が生まれる契機となるかもしれない。そういう意味で、国文祭の選評はたいへん興味深いものと思われる。

2018年11月23日金曜日

レンキスト・浅沼璞(「オルガン」15号)

俳誌「オルガン」15号が届いた。
メンバー5人の作品のほか、小津夜景と北野太一の対談「翻訳と制約 〈漢詩〉の型とその可能性を旅する」、連句作品・オン座六句「原っぱ」の巻、浅沼璞の書簡、座談会〈続・「わからない」って何ですか〉など読みどころが満載である。
まず同人作品から。

虫の声とさうざうのブースカランド    宮﨑莉々香
鯖雲のかさぶたを剝ぎ狭くなる      宮本佳世乃
順番にさはってこれは檸檬の木      宮本佳世乃
囮すこやか契約にない景色        田島健一
ほどよく毛ほどよく蟋蟀の気配      田島健一
うつむくと滝の向うの音がする      鴇田智哉
電話にて言はる「木槿の目になれよ」   鴇田智哉
松虫の骸は紙を折るに似る        福田若之

宮﨑の作品は「想像のブースカランド」というタイトルの連作。ブースカランドはすでに閉園されているし、想像のというから実際に遊園地へ行った吟行作品とは違うのだろう。連作の場合は一句の屹立感が弱くなるから、独立した句としての印象が薄くなるのは否めない。
宮本の句、「鯖雲」という天象と「かさぶた」という身体がオーバーラップする。かさぶたを剝ぐと空の隙間が広くなるのではないかと意味を考えだすと理に落ちてしまう。
田島の句は言葉と言葉のつなげ方が一部の川柳人と通じるところがあって、「オルガン」のメンバーの中では一番私の感覚に合う作者である。
鴇田の句の「 」の使い方は連句の付句にもときどき見られるが、ここではどんな文脈での会話なのかが謎である。伏せられている部分、省略されている部分が読者の読みを刺激する。
福田の句は発句的というよりも平句的な感じのするものが多かったが、動詞で結んでいる句を選んでみた。
このところ、「オルガン」には毎号連句作品が掲載されているが、今号では福田若之句集『自生地』が第六回与謝蕪村賞新人賞を受賞したのを祝って連句興行が行われている。出版や受賞を記念して連句が巻かれることは、連句界ではよくあることだ。練衆には同人のほかに青本瑞季・青本柚紀・西原紫衣花・大塚凱が参加している。捌きは浅沼璞、指合見は北野抜け芝(北野太一)。
浅沼璞はレンキスト(連句人)として現代連句の牽引者のひとりだ。西鶴の研究者としても著名。私は浅沼の最初の著書『可能性としての連句』(ワイズ出版)以来の読者だが、浅沼の著書を通じて学んだキー・ワードは高柳重信の「連句への潜在的意欲」と攝津幸彦の「静かな談林」の二つである。

高柳重信は「俳句形式における前衛と正統」(『現代俳句の軌跡』所収)で、正岡子規が連句の脇句以下の付句と絶縁して独立した一句を目指したことについて、「それは、もはや連句の発句が独立したというよりも、まったく新しい詩型の誕生を告げわたっていた」と述べて、こんなふうに書いている。
「それにしても、連句にかかわる一切を断念するということは、新しい俳句形式に賭ける当然の決意であろうが、また一度、常に自在でありたい一個の詩人の立場からすれば、みずから手を縛ってしまうに等しい行為でもあった。だから、断念は断念として、やはり昔日の俳人たちに許されていたように、七七の短句や、発句ではない自由な五七五などを書いてみたいという潜在的な意欲が、そう簡単に眠ってしまうことはなかった。たとえば、自由律の俳人たちが盛んに試みた短律や、新興俳句運動の渦中での連作俳句や無季俳句の実践などは、おそらく、そういう潜在的な意欲が、おのずから噴出して来たものと思うことも出来よう」

もうひとつ、攝津幸彦の「静かな談林」は次のような発言である。
「以前は自分の生理に見合ったことばを強引に押し込めれば、別段、意味がとれなくてもいいんだという感じがあったけれど、この頃は最低限、意味はとれなくてはだめだと思うようになりました。そのためにはある程度、自分の型を決めることも必要でしょうね。高邁で濃厚なチャカシ、つまり静かな談林といったところを狙っているんです」(「狙っているのは現代の静かな談林」1994年12月「太陽」特集/百人一句、『俳句幻景』所収)

さて、浅沼璞は「オルガン」15号の柳本々々に宛てた書簡でチェーホフについて触れている。チェーホフと「軽み」について、浅沼はすでに『中層連句宣言』で論じているが、出発点となったのは佐々木基一の『私のチェーホフ』に収められている「軽みについて」という文章である。佐々木基一は連句人としては「大魚」の号で知られ、連句作品も残っている。
ここで私が思い出すのは、浅沼璞が以前捌いた連句の付句で、それはこんなふうになっていた。

機関車の底まで月明か 馬盥     赤尾兜子
路地裏に金魚泳がせる秋      浅沼璞

ずしりと重い中身をはかる封筒        鈴木喜久
「垂直的なやり方ですな」  イワン・ペトローヴィチ

いずれも「脇起自由律オン座六句『馬盥』」(浅沼璞捌、「江古田文学」第38号)から。前者は発句と脇、後者は第二連の五句目と六句目である。脇句は赤尾兜子の発句に攝津幸彦の「路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな」を引用しながら付けたもの。第二連六句目は、チェーホフの短編『イオーヌイチ』からの引用となっている。

連句を連句自体から説明することは重要だが、そこからは特別なにも新しいことは生まれない。連句以外のジャンルに連句的な要素を探り、現代文化全体に通底する用語を用いて語ることによって、連句の存在を顕在化させて浮かび上がらせることができる。浅沼が自らを連句人ではなくレンキストと名乗り、カットアップやリミックスといった音楽用語(椹木野衣の『シミュレーショニズム』に早い使用がある)を用いて連句を説明するのには戦略的な意味があるだろう。
「オルガン」15号に話を戻せば、小津夜景と北野太一の対談では漢詩の翻訳について語られているが、小津の『カモメの日の読書』には王安石の集句など、漢詩におけるカットアップやリミックスといった連句的手法にも言及があるのだ。
連句的なものは文芸の世界に潜在的に存在する。浅沼の批評は今回の書簡におけるチェーホフのように、それを顕在化させて私たちに気づかせるものとなっている。連句をすれば俳句が下手になるなどと見当違いなことを言っている場合ではないのだ。

2018年11月18日日曜日

高田寄生木の軌跡

「おかじょうき」の掲示板によると、11月3日、青森の川柳人・高田寄生木(たかだ・やどりぎ)が逝去した。1933年6月生まれだから享年85歳。またひとり現代川柳の中核を担った川柳人がいなくなった。
私は2003年から川柳誌「双眸」(発行・野沢省悟)に投句していた時期があって、「風塵抄」の欄で寄生木の選を受けていたので、直接会ったことはないが、敬意をもっていた。
寄生木については、野沢省悟が書いた「北辺の大樹」(「凜」52号、「触光」31号)が詳しい。
寄生木は青森県むつ市川内町に在住。川柳をはじめたのは1960年のこと、1965年に川内川柳会の句会報「かわうち」を創刊した。1971年から「かもしか」と改称し、社名も「かもしか川柳会」となる。
1983年、Z氏(杉野草兵)の援助でZ賞が創設される。選者に橘高薫風・時実新子・岸本吟一・寺尾俊平・尾藤三柳・泉淳夫・奥室数市・片柳哲郎・山村祐・杉野草兵を迎え、全国的な川柳賞となった。第一回受賞者は細川不凍、以後、酒谷愛郷、古谷恭一、西山茶花、海地大破、桑野晶子、金山英子、長町一吠、西条真紀、加藤久子が受賞した。第11回以降は杉野草兵が単独でZ賞を続けた。
「かもしか」では「かもしか川柳文庫」を発行していて、Z賞受賞者の句集も含まれる。いま私の手元にあるのは、海地大破句集『満月の夜』、古谷恭一句集『枕木』、加藤久子句集『矩形の沼』などである。今でこそ川柳句集の出版が盛んになったが、Z賞受賞者に「かもしか川柳文庫」から句集を出してくれるというのは貴重な機会だっただろう。

板の間を匐ってくるのは母の髪   古谷恭一
箸を作らんと一本の樹を削る    海地大破
ばらの首畳の上の等高線      加藤久子

さて、寄生木の句集には『父の旗』『砂時計』『しもきたのかぜ』『夜の駱駝』があるが、東奥文芸叢書の一冊として刊行された『北の炎(ほむら)』(2014年)がよく読まれていることと思う。『北の炎』は「父の旗」「夜の駱駝」「北の炎」の三章から成り、「父の旗」「夜の駱駝」は既刊の句集から再録されている。句集『夜の駱駝』(1990年、あおもり選書4)にもそれ以前の句集作品が収録されているので、紹介してゆこう。

第一句集『父の旗』(1960年代の作品)より。

山頂に風あり人を信じます
しもきたのからす だあれもしんじない

相反することが書かれている二句だが、矛盾しているわけではなく、どちらも真実である。川柳では同一のことを別の角度から詠んでみせる場合がしばしば見られる。

第二句集『砂時計』(1970年代の作品)より。

砂時計 一滴の血を売りました
充血の目玉をてのひらにのせる
雪のんのんかすかにゆれる千羽鶴
つかまえた鴉は白くなるばかり
蟹歩き疲れてマンホールに墜ちる
しもきたのさる にんげんのかおにくむ
しもきたのゆきに うもれるはかのむれ
しもきたのうみ げんせんのかげをのむ

「しもきたの」ではじまるひらかな表記の作品を寄生木は書いていて、未見だが『しもきたのかぜ』はひらかな作品ばかりを集めた豆本ということだ。

『夜の駱駝』(1980年代)より。

ペンにぎる背に百鬼の深い爪
ひそやかに蝶のいのちをつつみこむ
鱗一枚 冬が近づく窓に干す
一本の樹の上にある競輪場
ゆきにうもれて ゆびおることばかり
あやとりをしている もんしろちょうのかぜ

『北の炎』(2000年~2013年)より。

コーヒーカップ溺死をせんとしてる自我
悪筆の小史と握手して帰る
吹雪する街まぼろしの馬の鈴
感謝するこっころの失せた虫と会う
一角獣の電話を聞いている午睡
とおいひのはしのむこうのさくらそう
おりづるのいきたえだえのかぞえうた

野沢省悟は寄生木の顕彰につとめていて、川柳誌「触光」でも寄生木のことを何度も取り上げているだけでなく、「高田寄生木賞」を創設している。この賞は2011年の第1回から作品賞だったが、2017年の第7回からは「川柳に関する論文・エッセイ」を対象とするようになった。
高田寄生木の川柳活動には青森の風土や地方性を感じるが、同時に川柳の世界全体を展望する視野があった。川柳では「県内」「県外」という言い方がされることがあり、県内で自閉する方向性と県外へと広がってゆく方向性とがある。寄生木はその二つのベクトルを兼ね備えた川柳人だったのだろう。彼の軌跡をたどってみると、Z賞の創設や「かもしか川柳文庫」の発行など、寄生木には単に自分の作品を書くだけではなくて、川柳発信のために取り組む先駆性があった。できることは行っていかなければならないと改めて思う。

2018年11月9日金曜日

京都川柳大会のことなど

11月3日、「2018きょうと川柳大会」に参加した。
この大会には一昨年から参加しているから、今度で三回目である。
事前投句の選者が竹内ゆみこ・平井美智子・小池正博・井上一筒の四人。
当日の選者は雨森喜昭・岩田多佳子・前中知栄・峯裕見子・新家完司。
私が事前投句の秀句にとったのは次の句。

きんつばの硬い四隅は方丈記   くんじろう

丸いきんつばもあるらしいが、硬い四隅というのだから四角いきんつばである。それが方丈記の四畳半の建物に変ってゆく。イメージの変容である。「AはB」という文体は川柳の基本構造である問答体。ふつう問答体では答えの部分に意味性があるが、この句では意味ではなくて四角のイメージから方丈記に飛躍している。川柳では食べ物が素材としてよく使われるが、方丈記といえば無常観。きんつばを食べながら無常観にまで至るというのは相当なものだと思った。
この大会は入選句を得点化して高得点の作者を表彰するというやり方をとっている。最高得点を獲得したのが森田律子で、来年の事前投句の選者に決定した。

ムギワラトンボ名誉顧問の背に止まる   森田律子
竜骨突起におたあさまの歯形

当日、峯裕見子と話す機会があった。彼女とは一時期、点鐘散歩会でいっしょになることがあったが、最近は会うこともまれになった。
峯裕見子の作品がまとまって掲載されているものとして、「川柳木馬」86号(平成12年秋)を取り出して読み直してみた。

牛乳と新聞止めてから逃げる    峯裕見子
私の脚を見ている男を見ている
猫の仇討ち金目銀目を従えて
そうさなあ手向けてもらうならあざみ
夕顔の種だと言って握らせる
そばかすが好きだと言ったではないか
わかれきて晩三吉が膝の上
菊菊菊桐桐桐とうすわらい

作家論を石部明と矢島玖美子が書いている。
さて、現在に戻って、「川柳木馬」(2018年秋号)を開いてみる。
巻頭言を清水かおりが書いている。清水は社会詠・時事句の高い山として渡部可奈子の「水俣図」と渡辺隆夫の作品を挙げている。あと、会員作品から紹介する。

花粉症王のくしゃみはピンク色    西川富恵
ありていに言えば二人は他人です
麦秋黙して君は中二病    畑山弘
桃缶とスタッカートで生きてゆく  岡林裕子
頬杖のままで千年 桜守   古谷恭一
まどろめば魚の貌につい還る 萩原良子
動線を隠して皇帝ひまわり  清水かおり
せいしょくきまっすぐな青の干物です 大野美恵
SPってスペシャルポテトなのかな? 山下和代
ルーターで私語する夜だ油断するな  小野善江

丸山進が書いている「木馬座句評」はさすがに的確に作品をとらえたものになっている。

「きょうと川柳大会」の際に、嶋澤喜八郎氏から句集をいただいた。「川柳作家ベストコレクション」(新葉館)の一冊である。

春の星を指揮する       嶋澤喜八郎
通り過ぎたら椿が落ちた
蛍かご大の闇提げていく
救急車蝶が先導してくれた
吐く息の白さで勝負しませんか
鳥になるチャンスだ誰も見ていない
一本の線が薄目を開けている
心臓をあげたら肝臓くれました
時を経て崩れるものは美しい
残照を浴びる単なる物として

嶋澤に自由律作品があることを知った。
嶋澤が毎月発行している「川柳交差点」11月号から。

露草の青ほど冷静になれぬ   山本早苗
八窓の茶室物静かに月が    小林満寿夫
雷はあれでけっこう淋しがり  嶋澤喜八郎
インチで考える落人伝説    森田律子
千切られた釦 証言台に立つ  笠嶋恵美子

私は句会否定論者ではないが、今の川柳句会がそのまま良いとも思っていない。句会・大会のなかで消費され消えていく大量の句のなかから、文芸として読むことのできる作品をどう掬い出していくのか、その方途が探られなければならない。

2018年11月2日金曜日

石部明を語り継ぐ

石部明が亡くなったのは2012年10月27日のことだから、すでに没後6年になる。
石部に直接会ったことのない川柳人が増えてきた現在、石部明を読み継ぎ、語り継ぐことがますます重要になっている。
「川柳カード」2号(2013年3月)は石部明の追悼号だった。そこには石部の経歴が次のように書かれている。

1939年(昭和14)、岡山県和気郡生まれ。1974年、川柳を始める。1979年、「川柳展望」会員。1987年「火の木賞」受賞、「川柳塾」会員。1989年「おかやまの風6」に参加。1992年、川柳Z賞大賞受賞。1996年「ふあうすと賞」。1998年「MANO」創刊同人。2003年「バックストローク」創刊、発行人としてシンポジウムを伴う大会を各地で開催する。2011年「バックストローク」終刊後は「BSfield」誌を発行。その作品において、日常の裏側にある異界はエロスと死を契機として顕在化され、心理の現実が華やぎのある陰翳感でとらえられる。川柳の伝統の批判的継承者として現代川柳の一翼を担う。句集に『賑やかな箱』『遊魔系』『セレクション柳人・石部明集』。共著『現代川柳の精鋭たち』。

このプロフィールの文責は私にあるが、「川柳の伝統の批判的継承者」という位置づけは間違いないものと思っている。
石部の没後、八上桐子の提案で2015年から石部明についてのフリーペーパー「THANATOS」を出すことになった。年一回9月発行で、1/4(1号)が2015年、2/4(2号)が2016年、3/4(3号)が2017年、そして最終の4/4(4号)が2018年9月に発行された。発行はknot(小池正博・八上桐子)、デザインは宮沢青。
毎回50句掲載で、資料収集は八上と私で分担した。たとえば1号では「ますかっと」掲載作品を私が調べ、「川柳展望」掲載作品を八上が調べたうえで、50句を抽出している。雑誌の初出を調べてゆくと、繰り返し使われる石部のキイ・イメージが分かったり、雑誌掲載作品と句集掲載作品との違いに気づいたりして、いろいろな発見があった。あと、私が担当したのは800字の石部論が毎回二本で、石部作品の分析と石部を中心とした川柳環境をたどることにつとめた。その中からいくつか抜粋してみよう。

〈石部明とはどのような人物だろうか。私のイメージをひとことで言うと「帰ってきた男」である。どこかへ行って帰ってくる。彼はどこで何を見てきたかを直接は語らないが、今いる世界が唯一の現実ではないことを知っている〉(1/4)

〈石部明はどのようにして石部明になったのか。
どれほど才能のある人でも、資質だけでは作品を書けないから、環境からの刺激を受けることが創作の契機となる。そういう意味で、石部明の初期の作品を読むときに私が以前から気になっていたのは「こめの木グループ」のことである〉(1/4)

〈「おかやまの風・6」は1988年10月30日、長町一吠『岨道』・西条真紀『赤い錠剤』・前原勝郎『未明の音』・徳永操『或る終章』・石部明『賑やかな箱』・前田一石『てのひらの刻』という六句集の刊行を記念して岡山メルパで開催された。このとき石部は「川柳に大嘘を書いてみたい」と発言している〉(2/4)

〈病涯句というものがある。人は病をえたときに死を凝視したり、知友の死によって痛切に死を意識したりするが、石部の句はそういうものではない。川柳ジャンルのなかに「死」の視点を持ち込み、死という別世界から生を照射することによって句を書くのは石部の発明だった。だから石部の作品においては、個人の死の具体的な姿ではなくて、「死」そのものが主題となるのである〉(2/4)

〈川柳人はどのようにして自ら納得できる一句にたどりつくのだろうか。
『遊魔系』は完成された句集である。個々の句が完成されているだけでなく、エロスとタナトスと詩が三位一体となった世界を一冊の句集として提示している。ここには石部の愛用するキイ・イメージが繰り返し用いられているが、一句の背後には捨てられたおびただしい句案が存在する。石部は自らの表象を執拗に追い求めるタイプの表現者なのだ〉(3/4)

〈現代川柳がひとつのムーブメントになるためには、個々の川柳人の活動だけではなくて、塊として川柳が認知される必要がある。倉本朝世『硝子を運ぶ』(1997年)、樋口由紀子『容顔』(1999年)なかはられいこ『脱衣場のアリス』(2001年)などに続いて発行された『遊魔系』(2002年2月)はそれ自体が現代川柳の大きなうねりを作りだすことになった〉(3/4)

〈「バックストローク」は2003年1月創刊。創刊同人34名。石部は巻頭言「形式の自由を求めて」で田中五呂八の『新興川柳論』に触れ、川柳革新に挺身した先人たちに思いをはせている。「私たちは川柳を刷新する」「川柳という形式を揺さぶるのが私たちの命題」という〉(4/4)

〈『セレクション柳人3・石部明集』の巻頭に「馬の胴体」14句が掲載されている。『遊魔系』以後の境地を示す力のこもった作品群である。作品は不特定多数の読者に届けられるものだが、このとき彼はひとりの読者を想定していた。石田柊馬である〉(4/4)

この4冊で私としては石部明を論じ尽くしたつもりだったが、読み直してみると不充分なところも多い。石部明については更にさまざまな視点から読み解くことが必要だろう。
私たちはすでに石部明以後の川柳を歩みはじめているが、石部作品を読み継ぎ、語り継ぐことによって現代川柳史は豊かなものになるはずだ。

「TANATOS」3号・4号はまだ残部があるので、ご希望の方は大会・句会などの機会に声をおかけいただきたい。

2018年10月27日土曜日

川柳作家ベストコレクション『普川素床』(新葉館出版)

新葉館から出版されているシリーズの一冊である。
「川柳の部」「短詩型作品の部」「俳句の部」の三部に分かれる。
「川柳の部」は「川柳公論」「川柳カード」「点鐘集」「東京川柳会」に発表されたもの。

逃げ水に似てあたたかい謎である
光にも尾がある生物の時間
ふと降りた街の皮膚感覚である
想像がまるごと沈む昼の深み
円よりもまるい線描春を病む
楽しみは意味から音へパンの耳
白い交通戦争です白紙の中は
多義というか多疑というか言葉
耳が鳴る空の指揮棒がうなる
四次元をとっくに超えてた四谷の鮭

川柳句集だから「川柳の部」の分量が一番多いのは当然だが、作品の傾向は多彩である。この作者は言葉に対する意識が高く、「言語」そのものをモティーフにすることがある。「意味から音へ」というフレーズや「多義」と「多疑」などのベースにあるのは、現代言語学の知識だろう。言葉は音と意味からできているが、川柳のフィールドにおいては「川柳の意味性」と言われるように、「それはどんな意味?」と問われることが多い。過剰な意味の世界から脱却するために「意味から音へ」というのはひとつの方向である。そのときに「重くれ」にならないために「そりゃあパンの耳だろう」と続けてみせるのは作者の腕前だろう。「意味」と「耳」の音の連想も働いている。
「一読明快」が唱えられる川柳フィールドで、「それでは川柳に多義的な作品はないのか」と問われるとき、「いやあ、多義というより多疑ですね」ととぼけてみせることもできる。「四次元」と「四谷」の漢数字を使った遊びも見られる。
「短詩型の部」は「連衆」に発表されたもの。

五万のわたしの窓をしめる
時計の中で鯨が暴れている
うたたねのうたたのなかのひやしんす
短詩が一本のマッチだった頃

谷口慎也が編集・発行している「連衆」は「短詩型文学誌」と銘うっているように、俳句・川柳などジャンルを越えた作者が集まっている。川柳のページには情野千里・笹田かなえなどの名を見かけるが、普川の作品は「俳句」のページに掲載されている。俳句のページには吉田健治の名も見られる。川柳と短詩の交流には様々な歴史があり、「短詩が一本のマッチだった頃」の句はその経緯をふまえて詠まれた句だろう。
普川の句集の「俳句の部」には掲載誌が明記されていないが、俳誌「ぶるうまりん」などに発表された作品だろう。

じんべい鮫泳ぐ半分はけむり
AはAならず煮凝りの中から声
梅雨の蝶は感覚の束だ
日常が通りすぎたり赤のまま
山椒魚もう足音になっている

「鮫」「煮凝り」「蝶」「山椒魚」などの季語が入っているので「俳句」と言えば言えるが、季感が感じられないので、これらの作品はむしろ「川柳の部」に入れた方が魅力が増すのではないか。というより、この句集の「川柳」「短詩」「俳句」という分類は私にはあまり意味のあるものとは思われない。発表誌が異なるというだけで、作品としてはすべて「川柳」と受け取ってかまわないだろう。
「ぶるうまりん」は俳誌だが、川柳とも交流のある雑誌で、たとえば2014年12月発行の29号には渡辺隆夫のインタビューが掲載されていた。
短詩型諸ジャンルの交流は今にはじまったことではなく、それなりの経緯があり、ジャンルを越えた視点をもつ川柳人も少数ながら存在する。普川素床の句集はそういうことを思い出させるものとなっている。

2018年10月21日日曜日

芳賀博子句集『髷を切る』(青磁社)

岡田一実の句集『記憶における沼とその他の在所』(青磁社)が好評だ。
『小鳥』『境界 border』につぐ第三句集になる。
出版祝賀会が開かれたようだし、web上でも感想が多く書かれている。私の周囲でもこの句集が好きだという人は多い。

火蛾は火に裸婦は素描に影となる    岡田一実
コスモスの根を思ふとき晴れてくる
鷹は首をねぢりきつたるとき鳩に
鳥葬にまづ駆けつけの小鳥来る
幻聴も春の嵐も臥せて聴く
見るつまり目玉はたらく蝶の昼
椿落つ傷みつつ且つ喰はれつつ
空洞の世界を藤のはびこるよ
白藤や此の世を続く水の音

今回とりあげるのは同じ青磁舎から発行された川柳の句集のことである。
芳賀博子の句集『髷を切る』は第一句集『移動遊園地』から15年ぶりの第二句集となる。
芳賀は自作を発表するだけではなく、俳誌「船団」に「今日の川柳」を連載しているし、ホームページ「芳賀博子の川柳模様」のうち「はがろぐ」でも川柳作品を紹介するなど、現代川柳の発信につとめている川柳人のひとりである。

歩きつつ曖昧になる目的地    芳賀博子

最初の章は「ガラス猫」というタイトルで、その巻頭句である。
一句全体がひとつの状況の喩として読める。
この曖昧を私はプラス・イメージとして受け取っている。
第一句集から15年が経過して、芳賀の川柳はどのように発展・変化したのか。

壁の染みあるいは逆立ちの蜥蜴

「川柳の意味性」ということがよく言われるが、この句は壁の染みを詠んでいるだけである。人家の壁を這っているのは守宮だと思うが、壁の染みなのだから現実の蜥蜴ではなくて心象的なものだろう。「逆立ちの」というところに薄っすらと意味性が感じられるが、過剰ではない。芳賀さんがこんな書き方をするんだと思った。

そこらじゅう汚してぱっと立ち上がる
私も土を被せたひとりです  
巣のようなものを作ってまた落とす

「私」を主語とした書き方(省略されている場合も含めて)である。川柳ではよく見かけるが、完成度は高い。

春暮れる消える魔球を投げあって
M78星雲へ帰るバス

「消える魔球」といえば星飛雄馬だし、「M78星雲」といえばウルトラマンである。漫画やテレビなどの素材も使っている。

かたつむり教義に背く方向へ  
二度寝してまたもアメフラシと出遭う
一頭の鹿はひっそり肉食に

動物を使った三句。この書き方は魅力的だ。

交合を見守る空気清浄機

この句集のなかで一番びっくりした句。

髷を切る時代は変わったんだから
最後には雨の力で産みました

「髷を切る」は句集のタイトルにもなっている。この主語は「私」なのか第三者なのか。「時代は変わった」ということに対して、肯定・否定相半ばしながら対応して生きていこうという意識だろう。変化はきっぱりと形に表わさなければならない。
第一句集『移動遊園地』で芳賀は次のような句を書いていた。

混沌の街人間が試される
生は死を死は生を抱きたいという
トマト缶トマトまみれの日々を経て
迷ったら海の匂いのする方へ
人生をすべて黒子のせいにする
積み上げてこれっぽっちに火をつける
つながってもつながっても二体
花の種面倒なこと始めたい

芳賀博子は時実新子に師事して川柳をはじめた。ホームページ「時実新子の川柳大学」の管理も彼女がしている。
私はこれまで河野春三から時実新子に至る現代川柳のラインに対して批判的な立場で川柳を書いてきた。そこに見られる「私性」の表現は「思い」という言葉に特化され、そのことが逆に川柳の可能性を狭めていると思っている。私は時実新子論を書いたことがないし、「川柳大学」系の川柳人とは距離を置いてきた。(新子の影響を受けた一群の川柳人を私は「新子チュルドレン」と呼んでいる。)
だから、芳賀とは川柳観が異なるはずだが、こんどの句集は作品として読んでとてもおもしろかった。句の背後に作者が貼りついている主情的な書き方とは異なるものも多い。時実新子は一時代を代表する川柳人だが、時代の進展とともに川柳も変化してきている。
芳賀の句集には従来の川柳からさらに前へ進もうという意識が読み取れる。新子以後の重要な句集の一冊だろう。

2018年9月28日金曜日

冬野虹と田中裕明

冬野虹素描展が9月8日~17日にミルクホール鎌倉で開催された。日程が合わず行けなかったのが残念だった。行けないかわりに、案内葉書の素描を眺めながら冬野虹句集『雪予報』を改めて読んでみた。『冬野虹作品集成』(書肆山田)も手元にあるが、1988年8月に沖積舎から発行された句集を開いてみる。このときの現住所は神戸になっている。

玉虫の曇りておちるまひるかな   冬野虹
夢のながさの紫苑を海へ送りたい
陽炎のてぶくろをして佇つてゐる
つゆくさのうしろの深さ見てしまふ
たくさんの鹿現はれて琵琶を弾く

『雪予報』Ⅰ(1977年~1980年の作品)から。
以前、作品集成で読んだときの印象と比べて、動詞で終る句が多いことに気づいた。そういう句に私が心ひかれるということだろう。巻頭句「鏡の上のやさしくて春の出棺」には死の表象があり、「花眩暈わがなきがらを抱きしめむ」では自己の死を幻視し、「花冷えの白い死体の猫に遭ふ」では死と猫のイメージが結びついている。
『雪予報』に「雪」の句が多いのは当然だろうが、「夢」「陽炎」「つゆくさ」も同じ手ざわりの言葉である。「陽炎のてぶくろ」というのは魅力的な言葉だ(「陽炎の」が主語とも読めるが、「陽炎のてぶくろ」でひとつながりと読みたい)。「つゆくさのうしろ」に何があるのか。川柳の眼(川柳眼)とも通じるところがあるように思う。「たくさんの鹿」の幻想。琵琶を弾いているのは人かも知れないが、鹿かもしれない。心地よいイメージの変容である。

浅蜊澄むところまできて考へる
もはやこれまでと飛び下り田螺かな
憂鬱の海へメロンを指で押す
くるまやさん今日くる河骨のあいだから

『雪予報』Ⅱ(1981年~1983年の作品)から。
詠みぶりが自在になり、俳諧性も感じる。この作者は意味よりもイメージや音韻によって作品を書く人だと思った。

十二人こはかつたのとコーラ飲む
ながい草みぢかい草の春の夢
戸を開けてわれは夜ぢゆう水すまし
ぐちやぐちやの大オムレツの君やさし
レモンスカッシュ秋田犬逃走中

『雪予報』Ⅲ(1984年~1987年の作品)から。
コーラやオムレツ、レモンスカッシュなど日常的な飲食物と別の言葉の組み合わせがおもしろく、読んでいて楽しくなる。連句的なものも感じられる。

この8月に四ツ谷龍は『田中裕明の思い出』(ふらんす堂)を上梓した。
「本書は、田中裕明についてこの三十年間に書いてきた文章をまとめたものです。『思い出』というタイトルになっていますが、思い出話だけを書いているわけではなく、彼の作品を通じて創作の本質について考えようとしたものです」(あとがき)
読みごたえがあるのは講演「田中裕明『夜の形式』とは何か」。田中が二十二歳の時に発表した「夜の形式」という謎のような文章について、現象学の視点から解明したもので、絵画・音楽の例も挙げながら詳細に論じている。印象派の批判者として村上華岳の名が挙げられているのが嬉しい。華岳の「日高河清姫図」は私も大好きな作品である。この講演は2010年1月に現俳協青年部で行われたもの。ほかにも、『夜の客人』における句頭韻の手法を指摘した「田中裕明の点睛」、陶淵明・白楽天・芭蕉・田中裕明に通底する「魚と鳥」のモティーフを語った「魚と鳥と」(第37回俳諧時雨忌連句会)、取り合わせを論じてモンタージュ理論との違いを述べた「取り合わせと俳句」など、読みどころは多い。
「多くを学んだ者にこそ、多くのことをきれいに忘れることができる可能性は大きいと、いちおう申し上げておいてもよいかもしれません。しかしあまりに多くのことを学んだために、空を翔けるための翼の力を失ってしまった人の例も、私はたくさん見てきました」(「ゆう」創刊五周年)

田中裕明の出自は「青」であるが、裕明を俳句に誘ったのは島田牙城。「しばかぶれ」第二集の特集・島田牙城で、牙城はこんなふうに語っている。
「当時は『蛍雪時代』とか『高三コース』とか、受験雑誌があったんです。そこに文芸投稿欄があって、投稿が載ると作者名と学校名が掲載されたんです。俳句欄もあって、あのころは誰やったか、中村草田男が選をしていたかな。身近な友人だけではあかんと感じてたから、これ使えるやん、と思って。田中裕明の場合は『北野高等学校気付 田中裕明様』で手紙出した。面白いなと思った作家に、いっしょに俳句をやらないかってね」
「裕明はいろんなことに手を出してたんですよ。短歌にも、詩にも、一行詩というものにも、そのころ高校生が集まって『獏』って雑誌があってそこに出していた。だから僕が誘った時に、『俳句一本にせえ』と言ったんですよ」
田中惣一郎の「島田牙城の青の時代」には昭和52年7月の項に、〈島田牙城の紹介で、北野高校三年の田中裕明が「青」に入会。裕明雑詠三句入選「紫雲英草まるく敷きつめ子が二人」「葉桜となりて細木や校舎裏」「今年竹指につめたし雲流る」〉とある。
「紫雲英草」「今年竹」の句は第一句集『山信』に収録されている。田中裕明の初心時代である。

2018年9月22日土曜日

第六回文フリ大阪のことなど

9月9日に「第六回文学フリマ大阪」が開催された。
前回まで中百舌鳥の産業振興センターで行われたが、今回から会場が変わり、天満橋のOMMビル・会議室で開催された。会場が広くなったせいか、例年より参加者がまばらのように見えたが、実際には1794名の参加者があり大阪開催史上最大だったそうだ。
「川柳スパイラル」は唯一の川柳ブースとして出店し、「川柳スパイラル」1~3号、『川柳サイドSpiral Wave』2・3号、「THANATOS」4号などを店頭に並べた。川柳人の姿はほとんどなく、他ジャンルの実作者や読者が来店。文フリに出店する意味が歌人・俳人に川柳作品を発信することに限定されてきたようだ。
「THANATOS」は石部明を顕彰するフリペとして発行してきたが、今回の4号で終了となる。50句の選定と石部語録を八上桐子が担当し、石部論を小池正博が担当。装丁は宮沢青。

黄昏を降りるあるぜんちん一座    石部明
諏訪湖とは昨日の夕御飯である
鳥籠に鳥がもどってきた気配

また、当日は榊陽子がフリペ「虫だった。③」を作成。新作18句と自句をプリントした栞をおまけとして配布した。この栞の裏には虫が這っている絵が描かれていて、おもしろいというより気持ちが悪い。

モーリタニア産のタコと今から出奔す  榊陽子
鉛筆を集め楽しい性教育
紙の犬ならば舐めても問題ない

当日、購入したものをいくつか紹介しておきたい。
まず歌集『ベランダでオセロ』。御殿山みなみ・佐伯紺・橋爪志保・水沼朔太郎の四人による合同歌集。各百句収録。

よくはねてジョニーと呼べばまたはねて典型的な寝ぐせですなあ  御殿山みなみ
負けたてのオセロに枠を付け足してその枠が敷物になるまで    佐伯紺
三月があなたを連れ去ってゆくなら花びらまみれになってたたかう 橋爪志保
母親に彼氏ができる 母親が結婚をする 父親ができる      水沼朔太郎

「うたつかい」のブースで「うたつかい」31号と「短歌の本音」をゲット。最近、短歌の人と会う機会が増えてきたので「うたつかい」の参加歌人一覧は便利だ。牛隆介が文フリなどの「コミュニケーション疲れ」について、「もうあらゆる短歌の場は次のフェーズに移行できるのではないか」「コミュニケーションを持ちながらも、その関係に縛られず、買いたいものを買い、読みたいものを読むという態度」「文学フリマのブースに遊びに来てくれるのは嬉しいが、同人誌は買わなくてもいい」「謹呈する側に立った時も読んでもらいたい人に送ればよく、付き合いで謹呈する必要はない。そしてその上でコミュニケーションは揺るがない」と書いているのに納得した。
最後に、谷じゃこと鈴木晴香の『鯨と路地裏』から。

二十年そこらではまだ美化されず公衆電話の台だけ残る   谷じゃこ
バス停でバスを待つほど透明な人間に成り果ててしまって  鈴木晴香

「川柳スパイラル」関係で9月はいそがしく、9月1日に東京句会、9月16日に大阪句会を開催した。
東京句会は「北とぴあ」で実施。
初参加の人が何人かいて、新鮮な感じで話し合いができた。ツイッターや文フリを通じて知り合った人たちと句会の場でごいっしょできるのは嬉しいことである。
前半は「川柳スパイラル」3号の合評会で、特集「現代川柳にアクセスしよう」について感想を聞く。この特集は成功したのかコケたのか。
自由律俳句「海紅」の方の参加もあって、韻律の話も少し出た。
「川柳スパイラル」の会員欄に七七句を投句している本間かもせりは自由律俳句の作者でもある。七七句(十四字)は自由律ではなく七七定型だが、山頭火などの自由律俳人にもこの形式が見られる。七七句(短句)で四三のリズムが嫌われるのは連句の慣習で、一部川柳人のなかにも四三の禁を言う者がある。短歌の下の句における四三については、斎藤茂吉が四三の禁を過去のものとして論破してから何ら問題にはならない。
七七句は連句の短句に相当するので、本間かもせりが連句へと関心を広げてゆくのは当然の道筋だろう。
大阪句会は「たかつガーデン」で開催。今年五月の東京句会で知り合った鳥居大嗣が参加。鳥居は「AIR age」VOL.1の「コトバ、ことわり、コミュニケーション」で瀬戸夏子論を書いている。

8月25日に「第24回大阪連句懇話会」で「漢詩と連句」の話をして、小津夜景著『カモメの日の読書』を紹介した。その後二座に分かれて連句を巻いた。
10月6日に大阪天満宮で開催される「第12回浪速の芭蕉祭」では高松霞を招いて「連句ゆるり」の話などを聞くことになっている。
翌日の10月7日には「連句ゆるりin大阪」が開催されるという。その会場となる「Spin off」は岡野大嗣が運営するスペース。東京では書店B&Bとかブックカフェとかが増えているそうだが、大阪でも人が集まって文学の話ができるスペースがいろいろできればいいと思う。
私は川柳と連句の二足の草鞋をはいていて、これまではこの二つを分けて活動してきたが、最近では川柳と連句の人脈が混ざってきて相互刺激的な交流が生まれはじめている。

「現代短歌」9月号の特集は「歌人の俳句」。
「なぜかそれは短詩だった」(田中惣一郎)、「子規の俳句」(福田若之)、座談会「二足のわらじは履けないのか?」(神野紗希・東直子・藤原龍一郎・小林恭二)など。
そういえば、第6回現代短歌社賞は、門脇篤史「風に舞ふ付箋紙」に決定したそうである。

2018年8月31日金曜日

現代川柳にアクセスしよう

「川柳スパイラル」3号では「現代川柳にアクセスしよう」という特集を組んでいる。
現代川柳に関心のある人は潜在的に多いと思われるが、従来の川柳入門書ではカバーしきれない部分がある。特に結社に所属していない人、川柳以外のジャンルの実作者で川柳にも興味のある人、SNSを通じて川柳に触れてみたい人などにアクセスの入り口を呈示することには緊急性があるのではないかと思った。
飯島章友の「現代川柳発見」は「川柳グループに入るメリット」「川柳グループを選ぶ際の基準」「各種川柳文献の紹介」「便利なウェブサイトの紹介」など、丁寧に説明・紹介している。
川合大祐の「『二次の彼方に―前提を超えて』は対話形式で、二次創作についてだけではなく、世界を認識することは「型を与えたいという欲望」に裏打ちされている、という川柳の本質論にまで及んでいる。
柳本々々と安福望との対談「川柳を描く。となんかいいことあんですか?」は川柳と絵を描くことをめぐって多彩な話題が展開されている。紙数の関係で安福のイラストが掲載できなかったのが残念だが、安福ファンの方は連載「おしまい日記」の方のイラストをご覧いただきたい。
小池正博「五つの現代川柳」は「サラリーマン川柳」「時事川柳」「伝統川柳」「私性川柳」「過渡の時代の川柳」の五つの川柳が同時並行的に存在している現状を、現代川柳史の観点から整理したもの。川柳用語と句会のやり方についても説明している。

現代川柳にアクセスする方法はいろいろあってよいと思うが、ここではネット川柳の動きのいくつかを紹介しておきたい。
まず、飯島も紹介している「毎週web句会」は川柳塔の森山文切が運営しているウェブサイト。ネット句会は今までにもあったが、毎週更新というのはすごい。「川柳スパイラル」3号、飯島の連載「小遊星」でも対談者として森山が登場している。そこで森山は次のように語っている。

「私が運営している【毎週web句会】では、30万アクセス記念句会において没句も含めて全投句を公開し、なぜ入選か、なぜ没かを選者同士で議論する企画を実施しました。賛否両論いただきましたが、私が今後行いたいことはこのような議論ができる仕組みをwebで提供することです。議論が「川柳」を活性化すると思います」

このweb句会では川柳人だけでなく、川柳に関心のある歌人の投句も増えてきているようだ。ハンドルネームが多いので誰だかわからないところもあるが、webではまず歌人が川柳に関心を示す傾向があり、そこからオフ句会でも短歌と川柳の交流が進展してゆけばおもしろいと思う。
最近、ツイッターでよく見かけるものに「いちごつみ」がある。前の人の句から「一語」とって自分の句に入れて作り、これを一定の句数繰り返すというもの。短歌で流行っていたものを川柳でもやってみようということらしい。おもしろそうだと思えばジャンルを越えて流行してゆくのだろう。最近話題になった、森山文切と川合大祐の「いちごつみ川柳」から。

中指を般若の口に入れている     文切
入れているふしぎの海のナディア像  大祐

掲出句は私の好みで雑排の「笠段々付」に似たものを引用したが、「一語」は前の句の下五ではなくどの語をとってもよく、次の句のどこに入れてもよい。ただし、一語の摘み方には細かいルールがあるらしい。

Botというものもある。作品を打ち込んでおけば、一定間隔で自動的にツイートしてくれる。自分の作品だけをBotで配信する人もあるが、「現代川柳Bot」(くらげただよう)は現代川柳のさまざまな作品を発信している。
短歌のBotは以前からあり、川柳はどうかと検索してみたが「古川柳Bot」しかなく、がっかりしたことがあるが、いつのまにか「現代川柳Bot」が出来てびっくりした。今ではすっかり定着したようで、くらげただようの功績は大きい。短歌とは違って、句集やアンソロジーが広く流通しているわけではないので、作品の収集が大変だろう。

SNSではないが、ネットプリントという発信手段もある。
最近おもしろかったのは「当たり」vol.5の暮田真名の作品。

恐ろしくないかヒトデを縦にして   暮田真名

「恐ろしくないか~して」という文体は川柳では既視感がある。でも、ヒトデを縦にしたのには驚いた。恐ろしくもあり、おかしくもある。

ネット空間にはさまざまな作品が飛び交っている。そのすべてに可能性があるわけではないが、自分が気に入ったものにアクセスしてみるのは楽しいことだろう。たとえば、川柳や自由律の一形式に七七句があり、これに五七五をつければ前句付や連句になってゆく。
「ネット川柳」と「紙媒体の川柳」のリサイクル・リユースが求められているように思う。

2018年8月4日土曜日

ギリシアの連歌と中国の連句

毎日暑い日が続くので、想像のなかで涼しい場所を探し求めていると、古代ギリシアのイリソス川のほとりに思い当たった。プラトンの対話篇『パイドロス』の舞台になった場所である。

パイドロス ほらあそこに、ひときわ背の高いプラタナスの樹が見えますね。
ソクラテス うむ。見えるとも。
パイドロス あそこは日陰もあり、風もほどよく吹いています。それに、草が生えていて坐ることもできるし、あるいはなんでしたら寝ころぶこともできます。
ソクラテス では、そこへ連れて行ってもらおうか。

『パイドロス』のテーマは美について。数十年前に見たヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」はドイツの作家、グスタフ・アッシェンバッハがヴェニスで美少年に出あう物語。トーマス・マンの原作ではプラトンを引用したこんなセリフがある。

なぜなら美は、わがパイドロスよ、ただ美だけが愛すべきものであると同時に眼にも見えるものなのだ。よいかね、美はわれわれが感官によって堪えることのできる唯一の、精神的なものの形式なのだ。

ついでにラフマニノフのピアノ協奏曲の二番をかけて「ヴェニスに死す」の雰囲気にひたってみた。(中学生のときの私の理想は、ヘッセの小説に倦んだ目をセザンヌの画集に走らせ、ブラームスの音楽に耳を傾ける、というものだった。今にして思えば、それこそが俗物性だったのだ。)
さて、古代ギリシアには連歌に似たものがあった。
ギリシア語の「スコリオン」(歌)は、酒席の後で余興に歌われたものらしい。最初の人がある主題についてミルトの枝を手にしながら一句を作って歌うと、その枝を次の人に手渡す。次の人は前の句に合せて次の句を作り歌う。このようにして次々に回すことによって全体の歌が作られてゆく。
アリストパネスの『蜂』のなかに次の一節がある。

プデリュクレオン (歌って)「アテナイの市(まち)にはいまだかつて」
ピロクレオン 「汝のごとき悪徳の盗賊はなかりき」

訳が五七五→七七になっていないのが残念だ。
「アテナイの市にはいまだかつてなし」「汝のごとき悪徳の賊」とでもすれば連歌になる。
もうひとつ続けて引用すると

プデリュクレオン 「友よ、アドメトスの譚より、よき人々を愛するを学べ」
 と歌ったらなんと後をつけますか。
ピロクレオン おれはな、まあ抒情詩風に
 「狐の真似ごと役には立たぬ。
 二股がけの日和見もまた」ってね。

踏まえている話がよくわからないので、どこが抒情詩風かも理解しがたいが、人間に対する諷刺が感じとれる。アドメトスはギリシアの英雄だが、死期を迎えたとき、運命の女神モイラは誰かが身代わりになれば死をのがれることができるとした。だが、彼の恩を受けたもので誰一人身代わりになろうというものはいなかったという。

小津夜景著『カモメの日の読書』(東京四季出版)を読んだあと、漢詩の翻訳に興味が湧いた。まず佐藤春夫の『車塵集』は古典的なもの。タイトルは「美人の香骨、化して車塵となる」という句による。『車塵集』の中から子夜の詩の訳を紹介したい。

恋愛天文学

われは北斗の星にして
千年ゆるがぬものなるを
君が心の天つ日や
あしたはひがし暮は西

鈴木漠著『連句茶話』(編集工房ノア)によれば、紀元前116年、漢の武帝の時代に長安に建立された楼閣・柏梁台の竣工祝いに対話詩「柏梁詩」が詠まれたということだ。第一句目は武帝が詠んでいる。

日月星辰四時を和す    漢 武帝

これに群臣たちが一句ずつ唱和している。この詩形は以後「柏梁体」と呼ばれ、後世の詩人たちに受け継がれる。
たとえば、李賀には柏梁体の詩が二編ある。「悩公」と「昌谷詩」だが、ここでは「悩公」(悩ましい人)の方を原田憲雄訳で紹介しよう。プレイボーイと遊女との対話になっている。

男 ぼくは宋玉 恋にやつれて
女 あたしは嬌嬈 紅お白粉で
  歌ごえは春草の露

というような調子で、100句で構成されている。「昌谷詩」の方は李賀とお供の侍童との対話である。ともに独吟の連句に相当する。
鈴木漠が短歌誌「六甲」に連載している「翻訳詩逍遥」は興味深い文章で、鈴木の個人誌「おたくさ」にも転載されている。その中に、井伏鱒二訳〈「サヨナラ」ダケガ人生ダ〉(原詩「人生足別離」)をめぐって、おやっと思うことが書かれている。井伏の随筆「因島半歳記」には次のような記述があるという(高島俊男『お言葉ですが…漢字語源の筋ちがい』からの孫引きという断りがある)。

やがて島に左様ならして帰るとき、林さんを見送る人や私を見送る人が十人たらず岸壁に来て、その人たちは船が出発の汽笛を鳴らすと「左様なら左様なら」と手を振った。林さんも頻りに手を振ってゐたが、いきなり船室に駆けこんで、「人生は左様ならだけね」と云ふと同時に泣き伏した。そのせりふと云ひ挙動と云ひ、見てゐて照れくさくなつて来た。何とも嫌だと思つた。しかし後になつて私は于武陵の「飲酒」といふ漢詩を訳す際、「人生足別離」を「サヨナラダケガ人生ダ」と和訳した。無論、林さんのせりふを意識してゐたわけである。

林さんとは林芙美子のこと。昭和四年、林芙美子と井伏は尾道方面へ講演旅行をしたらしい。「何ごとも十年です。あとは余生といってよい」「二十にして心已に朽ちたり」「さよならだけが人生だ」などのフレーズはかつて文学青年たちにとっての決め科白であったが、この話が本当だとすると、「さよならだけが人生だ」という一節には屈折したニュアンスが生まれてくることになる。

(8月10日、17日は夏休みをいただいて、この時評はお休みさせていただきます。)

2018年7月28日土曜日

はじまりとおわり―諸誌逍遥

7月×日
八戸から「川柳カモミール」2号(発行人・笹田かなえ)が届く。
1号がでたときにこの欄でも紹介したことがあるが(2017年6月24日)、「カモミール」は女性五人の作品を中心とした川柳集団で(別に女性しか入れないというわけではないようだが)、今回は横澤あや子が抜けて細川静が参加している。

髭つけて 猫を休んだことはない   三浦潤子
性懲りもなくまた冬芽つけちゃった  守田啓子
タオル振り回して九月の未来形    細川静
エプロンは24時間裁量性       滋野さち
ICBM愛死美絵夢エルサレム      笹田かなえ

くんじろうと小瀬川喜井の鑑賞が付いているほか、吟行や句会の記録が掲載されている。1号よりパワーアップした誌面になっている。

7月×日
名古屋から「川柳 緑」670号(発行・川柳みどり会、主宰・渡辺和尾)が届く。
渡辺の終刊のあいさつが添えてあって驚く。渡辺和尾は「緑」208号から主宰をつとめ、「センリュウ・トーク」をはじめさまざまなイベントを開催してきた。「川柳みどり会」も閉会ということで、川柳誌には必ず終わりがくるということを改めて実感させられる。
手元の渡辺和尾川柳集『風の中』から何句か紹介しておく。

くちづけのさんねんさきをみているか   渡辺和尾
落雷よ君はいつでも胸のガラス
これが檻だよぼくたちがいるんだよ
怨念のノートは鳩の絵で埋まる
人恋しそれほど憎きひとばかり
脳天に珈琲が来て妥協する
あじさいの青よりも濃く君を斬る

7月×日
小津夜景『カモメの日の読書』を読んで以来、漢詩の翻訳詩に興味が湧いてきて、佐藤春夫の『車塵集』を拾い読みしている。井伏鱒二『厄除け詩集』には「さよならだけが人生だ(人生足別離)」というフレーズもあったな。日夏耿之介『唐山感情集』(講談社文芸文庫)が出たので、思わず買ってしまった。8月25日の「大阪連句懇話会」では「漢詩と連句」について考えてみるつもり。

7月×日
「川柳スパイラル」3号の校正刷が届く。
発行予定が遅れているのは大阪北部地震の影響で、制作所のパソコンのルーターが落下して壊れるなどパソコン・トラブルによるものだ。読者にはご迷惑をかけることになるが、発送は8月に入ってからになりそう。特集「現代川柳にアクセスしよう」の内容予告。
現代川柳発見(飯島章友)
二次の彼方に―前提を超えて(川合大祐)
川柳を描く。と何かいいことあんですか?(柳本々々×安福望)
五つの現代川柳(小池正博)

7月21日
関西現俳協青年部勉強会に参加。
「オルガン」の5人が関西に来て「句集について」語るイベント。五人のほかに話題提供者として八上桐子、野口裕、牛隆介が登壇。予定されていた岡田一実が大雨による交通機関の影響で来られなかったのが残念だった。司会は久留島元。
当日の内容は参加者のブログなどでレポートがでることだろう。話を聞きながら川柳にはまだまだ整備されないといけない部分が多いことを改めて感じた。作者、編集者、プロデューサーの分担もできていないし、句集を出したあとの批評会や販路の拡大などは手つかずの状態だろう。
帰宅すると「オルガン」14号が届いていた。俳句作品のほかに、大井恒行・浅沼璞・宮﨑莉々香の鼎談、柳本々々の書簡などが掲載されている。

7月×日
俳誌「面」123号(発行人・高橋龍)が届く。
後記に「七月八日は高柳重信三十九回忌である」として重信のことが書かれている。
「二十代に二千冊の本を読んだ者でなければ僕の前に坐るな」と言ったという伝説があるが、実は心のやさしい人であったことがいろいろ書かれている。「(重信は)僕の死んだ後俳壇はこうなると話された。(たしかにまさにまことにまさしく言はれたような状況になった)」と高橋は書いている。

方舟にのりそこねたる子猫かな     島一木
ルナールの「蛇」には負ける長さかな  

早乙女の股のぬくもりサドルにも    高橋龍
円卓にだれのももでもない桃を

7月×日
俳誌「塵風」(発行人・斉田仁)7号届く。特集「映画館」。
東京の映画館と映画のことがいろいろ書かれている。
私が映画をよく見ていたのは80年代の大阪・難波でだが、小川徹の発行していた「映画芸術」を愛読していた。そのころのことを思い出した。

アネモネの癖に元気を出しなさい   小林苑を
戦争がぐっと近づくあっぱっぱ    斉田仁
かたまりてなにやら謀反めく菫    佐山哲郎
金魚よりしづかに着せかへられてをり 振り子

7月×日
HPF実行委員会・大阪府高等学校演劇連盟主催の「Highschool Play Festlval 2018」開催。大阪の高校演劇部30校が三か所の会場に分かれて連日上演する。
心斎橋のウイングフィールドで堺東高校の「ビー玉たちの夜」(作・つむぎ日向)を見る。突然とまったエレベーターのなかで6人の男女がそれぞれの仕事や人生について語りあう。エレベーターと仮面の演出が興味深い。
高校生の演劇部員が小劇場で公演できるというのは幸せなことだ。

7月×日
石部明の川柳作品を顕彰するためのフリーペーパー「THANATOS」(発行、小池正博・八上桐子)はすでに3号まで出しているが、4号をいま準備中。このフリペも今回で最後となり、9月9日の文フリ大阪で配付できることと思う。「バックストローク」「BSおかやま句会」の時期の石部明について改めて考えてみたい。

2018年7月13日金曜日

仙台連句紀行

短歌誌「井泉」82号(2017年7月)の招待作品として広瀬ちえみの川柳15句が掲載されている。広瀬が「井泉」に寄稿するのは17号(2007年9月)に続いて二度目である。今回の作品から4句紹介する。

たまたまもまたまたもあり鳥墜ちる     広瀬ちえみ
土砂降りを贈ってしまうこちらから
あちらからどうぞともらう雨上がり
咲くときは少しチクッとしますから

6月24日、第12回宮城県連句大会に参加するために仙台へ行った。
大会の前日に仙台入りをして、宮城県連句協会の狩野康子、永渕丹ご両人の案内で仙台周辺を回った。
まず、荒浜小学校に連れて行ってもらった。東日本大震災のときに地域住民が避難した小学校で、現在は震災遺構として公開されている。震災前は海岸に松林が広がり、茸採りなどもできたというが、松の多くは流され立ち枯れていた。校舎4階の教室は展示のほか写真や映像で災害の様子を知ることができる。職員や自治会の方の証言が生々しく伝わってくる。屋上にあがるといまはおだやかな海岸の様子が見渡せる。震災のときはこの屋上に数百人が避難したのだ。

仙台は島崎藤村が一年ほど暮らしていた街である。
藤村に「潮音」という詩がある。「わきてながるる/やほじほの/そこにいざよふ/うみの琴/しらべもふかし/ももかはの/よろずのなみを/よびあつめ/ときみちくれば/うららかに/とほくきこゆる/はるのしほのね」
のちに藤村はこんなふうに書いている。
「仙台の名掛町というところに三浦屋という古い旅人宿と下宿を兼ねた宿がありました。その裏二階の静かなところが一年間の私の隠れ家でした。『若菜集』にある詩の大部分はあの二階で書いたものです。あの裏二階へは、遠く荒浜の方から海の鳴る音がよく聞こえてきました。『若菜集』にある数々の旅情の詩は、あの海の音を聞きながら書いたものです」(『市井にありて』)
いま仙台駅東口に「藤村広場」が整備されていて、「潮音」や「草枕」の詩碑が建っている。藤村が向き合った荒浜と震災の荒浜、その落差に衝撃を感じる。

小学校をあとにし、芭蕉の足跡をたどって、「二木(ふたき)の松」(武隈の松)に行った。
『奥の細道』には次のように書かれている。

「武隈の松にこそ目さむる心地はすれ。根は土際より二木にわかれて、昔の姿うしなはずとしらる。先、能因法師思ひ出づ」

桜より松は二木を三月越し    芭蕉

「松」と「待つ」の掛詞、「二」と「三」の数、「三月(みつき)」に「見」を掛けている。
松はすでに代替わりしていて、私が見たのは芭蕉が見た松そのものではないが、雰囲気は味わうことができた。

そのあと笠島道祖神へ。
藤原実方がこの道祖神の前を馬に乗ったまま通ったので、神罰を受けて落馬、死亡したという伝説があり、その近くに実方の墓と伝えられるものもある。
芭蕉は笠嶋には行けなかった。五月雨で道が悪かったからである。

笠島はいづこ五月のぬかり道   芭蕉

芭蕉が笠島に行けなかったのも俳諧であり、私が行けたのも俳諧だろう。

翌日は連句大会の当日である。
54巻の応募作品があり、狩野康子氏と私がそれぞれ五巻ずつ選んだ。
選評で私は「半歌仙の可能性」について話した。
この募吟は半歌仙という形式だが、従来、半歌仙は歌仙の半分の形式、時間の制約などで歌仙が巻けないときに半分でとどめておくというような、中途半端な形式であると言われてきた。歌仙では一の折、二の折の変化のおもしろさが読みどころだが、半歌仙には表・裏しかなく、恋も一か所で、一花二月、十分な変化や展開をおこなう余地がないというわけである。けれども、今回、選者をさせていただくに当たって、歌仙の半端ものとして半歌仙をとらえるのではなく、半歌仙の独自の可能性は考えられないかと思った。
私が選んだ作品のうち、二巻の発句と脇だけ紹介しておく。なお、応募作品54巻は「第十二回宮城県連句大会作品集」としてまとめられている。

暮遅し韻を踏んだとほ乳類  (「Deadline」の巻)
 ジャズの譜面の如く金縷梅

あがりこは紅葉す夜のかくれんぼ (「あがりこは」の巻)
 かぼちゃの馬車でやってくる月

最後に狩野康子の句集『原始楽器』(2017年2月、文學の森)から10句紹介しておく。狩野は著名な連句人であるが、俳句では「海程」に所属している。

水温む今日の輪廻はひとり分    狩野康子
菜の花と鳩の鈍感楽しめり
まむし草原始楽器のごと叩く
口中の海胆に針あり宿敵なり
冷蔵庫に己が鋳型がありそうな
冥いとは先頭の鵜のつぶやき
満月の暗部縫合せんと思う
誤読する自由りんごを丸齧り
冬の蔵に入る流体となるために
無一物鷹を名告れば鷹となる

2018年7月7日土曜日

「オルガン」の五人が大阪にやって来る

すでにイベント情報が公開されているが、俳誌「オルガン」の宮本佳世乃・鴇田智哉・田島健一・福田若之・宮﨑莉々香の五人が大阪にやってくる。
7月21日(土)に関西現俳協青年部勉強会「句集はどこへ行くのか」、22日(日)には梅田蔦屋書店で公開句会が開催される。
21日の勉強会では句集についての話が中心になるようなので、手元の句集を読み直している。句集の話は東京ではすでに語られていることだろうが、関西では新鮮だろう。「オルガン」のメンバーのほかに久留島元や牛隆介、岡田一実、川柳人の八上桐子、五七五作家の野口裕が話題提供者として参加するのも興味深いところだ。八上は『hibi』、野口は『のほほんと』という句集を出している。

鴇田智哉の『こゑふたつ』(2005年8月、木の山文庫)『凧と円柱』(2014年9月、ふらんす堂)の二冊の句集から、それぞれ三句ずつ抜き出してみる。

凍蝶の模様が水の面になりぬ     鴇田智哉『こゑふたつ』
こゑふたつ同じこゑなる竹の秋
をどりゐるものの瞳の深みかな

春めくと枝にあたつてから気づく   鴇田智哉『凧と円柱』
人参を並べておけば分かるなり    
円柱の蟬のきこえる側にゐる

蝶の模様が水面に変容する。二つの声の同一性。踊る人の瞳。
客観が主観にかわる、その間のようなものをとらえようとしているのだろう。
いかにも俳句フィールドで書かれている作品だと思う。「竹の秋」は春の季語、「竹の春」は秋の季語とは連句初心のころに習ったが、なぜ「竹の秋」なのか。川柳人ならここに別の言葉を置くだろう。
『凧と円柱』の三句は季語に違和感なく読める。「人参」の句の省略感は川柳人にも親しいものだと思う。

宮本佳世乃は平成29年度の現俳協新人賞を受賞している。彼女の句集『鳥飛ぶ仕組み』(2012年12月、現俳協新鋭シリーズ)を読み直してみて、ひとりでいることと、二人でいることについて改めて考えた。

二人ゐて一人は冬の耳となる    宮本佳世乃『鳥飛ぶ仕組み』
郭公の森に二人となりにけり

一人が「冬の耳」となったのなら、もう一人は何になったのだろう。
郭公の森で二人となったのなら、その前はどうだったのだろう。
物語を作ってはいけないのだろうけれど、書かれていない部分を読む楽しみがある。

田島健一『ただならぬぽ』(2017年1月、ふらんす堂)については昨年話題になったし、シンポジウムも行われた。私もこのブログ(2017年1月27日)で取り上げたことがある。

蛇衣を脱ぐ心臓は持ってゆく    田島健一
骨は拾うな煙の方がぼくなんだ   海堀酔月

こう並べてみると発想の共通点と同時に俳句と川柳の手ざわりの違いが何となく分かる。

ふくろうの軸足にいる女の子    田島健一『ただならぬぽ』
鶴が見たいぞ泥になるまで人間は
見えているものみな鏡なる鯨
雉子ここに何か伝えにきて沈む
なにもない雪のみなみへつれてゆく

福田若之『自生地』(2017年8月、東京四季出版)も昨年評判になった句集である。句の前に散文の詞書がついていて、作品と同時に句集を編みつつある作者の姿が書かれている。work in progressのような感じで、作品が書かれた時点と作品を編集している時点との時間の差が意識される斬新な句集だ。だから、本当は一句立てで引用するのはむつかしいのだけれど、五句挙げておく。

さくら、ひら つながりのよわいぼくたち  福田若之『自生地』
ヒヤシンスしあわせがどうしてもいる    
突堤で五歳で蟹に挟まれる
ひきがえるありとあらゆらない君だ
てのひらにかかしのいないわかれみち

宮﨑莉々香にはまだ句集がないので、「オルガン」から次の二句を挙げておきたい。

かもめすぐ春になりきれないからだ     宮﨑莉々香(「オルガン」9号)
ほたるかごみえないものがすべてこゑ         (「オルガン」10号)

ここまで「オルガン」の五人の句を挙げてきたが、よくわからない句も多い。句を読むときに、わかるとかわからないとかいうことが、そんなに大切なのだろうか、という気もする。

2018年6月29日金曜日

小津夜景『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』

小津夜景『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)が好評だ。
昨年、田中裕明賞を受賞した小津の句集『フラワーズ・カンフー』には李賀の漢詩と取り合わせた俳句が掲載されているし、ブログ「フラワーズ・カンフー」にもときどき漢詩にふれた文章がアップされているので、彼女が漢詩についてなみなみならぬ造詣の持ち主だということがうかがえる。漢詩をめぐるエッセイで一書を刊行するという広告を見たときには、なぜ俳句ではなくて漢詩なのかということが、いまひとつピンとこなかったが、本書を読んで小津が半端ではない漢詩読みなのだということがわかった。
本書の「はじめに」には編集者との次のような対話(架空対話?)が書かれている。

「あの、漢詩の翻訳をやってみませんか?」
「無理です。漢詩、よく知らないですし」
「あ、それはたいへん好都合です。さいきんは漢詩を読むひとがめっきり減ったでしょう?あれはふだんの生活と漢詩とのあいだの接点が、みなさん摑めないからなんですよ」
「あなたのような専門家ではないふつうの一読者が、日々の暮らしの中でどんなふうに漢詩とつきあっているのかを語ることにこそ、今とても意味があると思うのです」

これが本書のスタンスであり、漢詩それ自体のことだけを語るのではなくて、著者の暮らしや短歌、俳句、連句などの文芸のことから語りはじめるという書き方になっている。たとえば、冒頭の「カモメの日の読書」という章では、杜甫の詩の一節「天地一沙鷗」のあと、こんな文章が添えられている。

トレンチコートの襟を立てて、風よけのサングラスをかけ、ポケットに文庫本をつっこんで、わたしたち夫婦は日あたりのよい海ぞいを散歩する。
「かわいい。カモメ」
「うん」
「三橋敏雄に〈かもめ来よ天金の書をひらくたび〉という俳句があってね」わたしは言う「これ、本をひらいたときのかたちが白い鳥に似ていることの意味を重ねているんだって。天金をほどこした重厚な本をひらくたびにあらわれる、純白のカモメ。なんだか胸が高鳴らない?」

本書は漢詩を入り口としているが短詩型文学全体に目配りのきいたエッセイなのだった。だから、兵頭全郎の川柳「あやとりを手放すときのつむじ風」も出てくるし、大畑等の俳句「なんと気持ちのいい朝だろうああのるどしゅわるつねっがあ」についての柳本々々のコメント(「あとがき全集」)も引用される。
「DJとしての漢詩人」の章では「過去の漢詩のフレーズを一行ごとにカットアップし、まったく新しい一篇の作品として再構築する手法」として「集句」のことが出てくる。カットアップやサンプリングは連句の分野でもおこなわれていて、浅沼璞が『中層連句宣言』(北宋社)や『俳句・連句REMIX』(東京四季出版)で論じているが、漢詩でも王安石が試みていたのはおもしろい。
高啓「尋胡隠君」についての章では、謎彦による連句風の超約が紹介され、さらに紀野恵の短歌連作「君を尋ぬる歌」が引用されている。ちなみに、紀野は連句の心得もある現代歌人のひとりだ。
そういえば、「連句」という言葉は漢詩でも使われている。
鈴木漠『連句茶話』(編集工房ノア)によれば、対話形式の漢詩に「聯句(連句)」があるという。漢の武帝の時代に始まる「柏梁体」である。また、李賀にも柏梁体の漢詩が二編残されている。これは一人で詠む独吟だが、「悩公」はプレイボーイ・宋玉と遊女の対話、「昌谷詩」は李賀自身と侍童との対話である。
また、漢詩と連句のコラボレーションとして「和漢連句」という形式があり、現代でも連句人の一部で実作されている。
『カモメの日の読書』に話を戻すと、本書には漢詩をめぐる翻訳とエッセイ40編と付録二篇が収録されている。漢詩の翻訳は読みやすく清新なもの。付録1「恋は深くも浅くもある」は〈わたしはどのように漢詩文とおつきあいしてきたか〉について、小津の俳句と漢詩との関わりが語られている。付録2「ロマンティックな手榴弾」は〈「悪い俳句」とはいったい何か?〉について、小津の俳句観が述べられている。それぞれ興味深い文章なので、本書を読まれたい。
『カモメの日の読書』は小津夜景のファンだけでなく、短詩型文学に関心のある読者にとって刺激的で魅力あるものに仕上がっている。漢詩も楽しいものだと改めて思った。

2018年6月17日日曜日

「本の雑誌」から時事川柳まで

「本の雑誌」7月号に八上桐子句集『hibi』が紹介されているというので、書店に見に行った。多和田葉子をはじめとする数冊を三省堂書店神保町本店の大塚真祐子が取り上げているのだが、最後に『hibi』についても「言葉の可動域をひろげる希有な作品群」として言及されている。大塚が引いているのは次の句。

「おはよう」とわたしの死後を生きる鳥   八上桐子

『hibi』は刊行されてから半年足らずで完売したというから、川柳句集としては豪勢なものだ。この句集は今後ますます貴重なものとなりそうだ。ひょっとすると書店の店頭にまだ残っているかもしれないので、見かけたらご購入をお勧めする。

ネットプリント「ウマとヒマワリ4」が発行されている。我妻俊樹と平岡直子の二人誌だが、今回は我妻の短歌と平岡の掌編小説という組み合わせ。6月17日までコンビニでプリント・アウトできる。
平岡は砂子屋書房のホームページで「一首鑑賞・日々のクオリア」を連載している。染野太朗との交互連載だが、現代短歌の読みを知るうえで刺激的である。平岡の鑑賞で取り上げられているのは、たとえば6月13日は虫武一俊、6月15日は大田美和。先月のことになるが、5月25日には、なかはられいこの短歌も取り上げられていた。短歌の鑑賞は川柳人にも参考になるはずだ。

ネット連載といえば、春陽堂のWEBサイトで「今日のもともと予報―ことばの風吹く―」が5月から始まっている。柳本々々のことばと安福望のイラストのコラボレーションで、365回続くという。

5月に発行された「オルガン」13号では、白井明大と宮本佳世乃の対談が話題になったが、7月に「オルガン」のメンバーが大阪に来るらしい。すでに7月22日に梅田蔦屋書店で記念トークが開催されることが発表されている。

このように短詩型文学の世界はさまざまに動いており、このほかにも無数の動きがあると思う。言葉の世界に対して現実世界も激しく動いており、この世界はますます生きづらくなってきている。そんな現実や社会を風刺するのが時事川柳である。
俳誌「船団」に芳賀博子が「今日の川柳」を連載していて、すでに42回を数える。6月に発行された117号(特集「山が呼んでいる」)では時事川柳が取り上げられている。芳賀が紹介しているのは青森で発行されている川柳誌「触光」(編集発行・野沢省悟)の時事川柳コーナーである。この欄はかつて渡辺隆夫が担当していたが、現在の選者は高瀬霜石である。芳賀が引用しているのは次のような作品。

「夜空ノムコウ」にはそれぞれの明日    船水葉
「好き」という盗聴マイクらしいから    滋野さち
改ざんも日本の技術だったとは       濱山哲也
教会へ行きますポケットのピストルも    鈴木節子
党名にモザイクかけて立候補        青砥和子

文中に「よみうり時事川柳」のことが出てくる。時事川柳のひとつのメッカだった新聞の投句欄である。東京の紙面では川上三太郎・村田周魚・石原青龍刀・楠本憲吉・尾藤三柳などが歴代選者をつとめ、大阪では岸本水府が選者をしていた時期もある。私の手元にあるのは『時事川柳百年』(1990年12月、読売新聞社編)。70年代~80年代の作品から10句紹介しよう。

一年の計は石油に聞いとくれ     寿泉 昭和49年
五つ子のうぶ声高く春を呼び     春代 昭和51年
鬼ごっこ逃げる年金追う老後     あざみ 昭和52年
秋風にキャッシュカードの面構え   常坊 昭和53年
ニセ物が出てブランドの名を覚え   久直 昭和55年
サラ金と墓場のチラシ抱き合わせ   定治 昭和58年
詐欺商法静かに老いはさせぬ国    駒女 昭和60年
サミットに疲れダイアナ妃に憑かれ  なもなくて 昭和61年
ザル法の穴でうごめくエイズ菌    肇  昭和62年
重い手で静かに昭和史を閉じる    一夫 昭和64年

読んでいるとその時代のことが甦ってくるし、現実政治はいつの時代も苛酷だったこともわかる。私は自分では時事川柳を書くことはほとんどないが、時代の反映としての時事川柳にはそれなりの関心をもっている。

2018年6月2日土曜日

松山と「せんりゅうぐるーぷGOKEN」

松山へは二度行ったことがある。
今年の4月29日、松山で開催された「えひめ俵口全国連句大会」に出席した。
前日の28日に松山入りをして、まず子規庵へ。子規が勉強していた部屋が復原してある。境内に展示してある坊ちゃん列車(伊予鉄道の車体)の座席にもしばし座ってみた。
路面電車に乗って道後温泉へ。ホテルにチェック・インしたあと散策。道後温泉の本館が満員で入れなかったので、新しくオープンした飛鳥の湯の方へ回った。本館の方は昨年入ったので、まあいいか。あと、一遍上人の誕生の地といわれる宝厳寺に行ってみた。時宗の開祖・一遍はこの地の豪族・河野氏の一族である。道後公園内の武家屋敷には武士たちが連歌をしている場面が人形で展示されていて興味深かった。
翌日の朝は早起きして、石手寺に行ってみた。弘法大師ゆかりの霊場である。三重の塔をはじめ立派な建物群である。密教が土俗的なものと結びついている感じがした。マントラ洞窟というのがあり、洞窟に少し入りかけたが、何やら気おくれがして途中で引き返した。中まで入っていけば再生した自分と出会えたかもしれないが、私はまだそういう段階に達していないのだろう。
連句大会は「子規記念博物館」で開催。10分ほど講評の時間をいただいたので、川柳と連句の選について述べながら、類想句について話す。
大会が終わったあと、ちょうど道後公園でイベントがあって、田中泯が樹々の間で踊っていた。

松山の川柳グループが発行している「GOKEN」100号(6月1日発行)を送っていただいた。代表・原田否可立、編集・井上せい子。
原田否可立は1998年に中野千秋らと「せんりゅうぐるーぷGOKEN」を創立。創立時の代表は中野で、編集事務は野口三代子が担当した。代表はのちに原田が引き継いだ。
100号の掲載作品から。

心の中に入って時間にあやつられる   原田否可立
かぎ括弧のなかうやむやのまま五年   村山浩吉
ニーチェニーチェにんふのにがしかた  中西軒わ
緑陰のそうめん流し島流し       井上せい子
欺かれたようねレンゲキンポウゲ    高橋こう子
わたくしの知らぬ私が地下二階     中野千秋
朧月なにかに耐えているような     吉松澄子
五枚目のパンツを脱いでいるレタス   榊陽子

「川柳木馬」111号(2007年1月)の「作家群像」は原田否可立を取り上げている。
「作者のことば」で原田はこんなふうに言っている。
「作品と作者の間に正解があって、それを言い当てるのが分かることである、という脅迫から解放され、正解は作品と読者の間に無数にある、という自由を手に入れよう」
「木馬」掲載の原田否可立作品からも何句か抜き出しておこう。

月食の胃液を泳ぐ泥人形        原田否可立
蟹の背に安心という傷がある
虫絶えて記憶の中の天動説
脱ぎ捨てて下着の中の天秤座
天上天下土筆が袴つけている
涅槃雪悪い奴ほど季重なり
ハイドよりわがままなピッチャーゴロ
サムライだってね キスは怖くないかい
恋は一次産品二元論三段論法
非詩よ詩よ渡部可奈子から逃げる

このときの作品論は中川一と石部明が書いている。
原田の句の中に渡部可奈子の名が出てくるのは興味深い。可奈子は松山の川柳人で、のちに短歌に移った。
付け加えて言えば、前田伍健(まえだ・ごけん)は高松生まれだが、幼児松山に移住。伊予鉄道の社員で、川柳人として活躍した。野球拳の元祖としても知られている。あと、松山には山本耕一路という詩人がいて、詩性のある川柳を書いていたが、川柳界から離れていった。
俳都と言われる松山であるが、松山には川柳と向き合っている人たちもいるのだ。

2018年5月25日金曜日

概念は襲う―清水かおりの川柳

清水かおりの川柳がすごいと思う。
合同句集『川柳サイドSpiral Wave』は昨年1月に第一巻、9月に第二巻が発行されたが、今年4月に第三巻が出て、文フリ東京などで販売された。第三巻のメンバーは飯島章友・川合大祐・小池正博・酒井かがり・榊陽子・清水かおり・兵頭全郎・柳本々々の8名で、各30句が収録されている。
ここでは今回はじめて参加している清水かおりの作品を取り上げたい。

水色のスーツを着ると禁じ手 可   清水かおり

水色は作者にとって好ましい色なのだろう。清水の作品には「水」や「青」のイメージがしばしば登場する。ベースとなるキイ・イメージである。
禁じ手だけれど、水色のスーツを着るとそれは可能になる。周囲のひとには水色のスーツしか見えないが、その人にとっては何かの決意が心奥に隠されている。

欲望とおもう 円周を鍛えたり
本論と呼ぶけどそれは薊だよ

言葉と言葉の関係性が通常の川柳と異なる。
「欲望」と「円周」の秘められた関係(見えない梯子)。詩的飛躍の距離感が大きい。
「本論」と「薊」。次元の違うものを関係づけて一句にしている。抽象的には本論だが、具象的には薊なのだという。意味の伝達を主とする日常言語とは異なった詩的言語を、川柳形式で表現しようとすれば、こんなふうになるのだろう。

「ウミネコです」春の名のりを連呼する
肘までを韻律にして蟹を食う
だらりとね 梅園に蛇 瞠らいて
瑠璃揚羽こっそりもらう磔刑図

ウミネコの句はわかりやすい。
蟹、蛇、瑠璃揚羽などの動物を詠む場合でも、作者の個性的な屈折は顕著である。

夜のラインは斬首に似る詩集
比喩の巻 耳のかたちをこえてゆけ

清水かおりが俳句界でも注目されたのは『超新撰21』(2010年12月、邑書林)収録の「相似形」100句によってだった。そのときの解説で堺谷真人は清水の作品と前衛俳句との形態的類似を指摘している。
清水の作品に多用される一字空けは多行への契機を孕みつつ一行にとどまっているところにスリリングな魅力があると思う。

今年1月の「川柳スパイラル」京都句会で清水の話を聞く機会があった。そのときの対談は「川柳スパイラル」2号に掲載されている。海地大破についての話が主だった。清水は「超新撰21」の大会が東京であったときにも話したことがあるが、と前置きして次のように語った。

私自身は〈「私」のいる川柳〉を書いていますので、「私」から離れたことはありません。「私」から離れる句をいいと思うこともありますが、書くときは一句の中のどこかに「私」がいるんじゃないかなと思っています。

「バックストロークin大阪」(2009年9月)で〈「私」のいる川柳、「私」のいない川柳〉というシンポジウムを行ったことがあるので、清水はこういう用語を使ったのだろう。創作過程からいえば、「私」から出発することは何も悪いことではないし、何らかの内的モティーフがなければ表現は成立しない。けれども、作者の「私」は作中主体の「私」よりもレベルの高い存在であるはずだ。だから、清水の作品に「私」を探しても何も出てこないし、出てきたとしてもそれは卑小な読みになってしまうと思う。

最後に「川柳スパイラル」2号の清水かおり作品を紹介しておこう。

その人も水に映ったままの春    清水かおり
少女来て猛禽のくちまねをする
湯葉すくう「ほら概念は襲うだろ」

湯葉という日常的なものと概念という抽象語が一句のなかで結びつけられている。「概念は襲う」だけだと哲学や現代詩になってしまうが、「湯葉すくう」によって川柳にしている。というより、「湯葉すくう」という生活営為がそのまま「概念が襲う」という感覚に直結している。「すくう(掬う)→襲う」という動詞の働きによって。
いま清水かおりの川柳がすごい。一時期、彼女の作品に停滞を感じたこともあったが、詩性と川柳性を兼ね備えた清水かおり作品をこれからも読めるのは楽しみなことだ。

2018年5月20日日曜日

金襴緞子解くやうに河からあがる(吉村鞠子)

「LOTUS」38号が届いた。昨年7月に亡くなった吉村鞠子の追悼号である。もう10ヶ月も経ったのか。

吉村の第一句集『手毬唄』(2014年7月)が出たとき、この時評でも感想を書いたことがある(2014年8月15日)。「LOTUS」の追悼号は「吉村鞠子を送る(追悼文・追悼句)」「吉村鞠子四百句」のほか吉村の俳句作品についての批評が数編収録されていて、今まで知らなかったこともいろいろ書かれていた。

飲食のあと戦争を見る海を見る   吉村鞠子

田中亜美の追悼文で、この句が現俳協青年部の勉強会「新・題詠トライアル―俳句と川柳の発想の差を探る」(2004年9月)で詠まれた句だということを知った。題は「飲む」。「飲食」は「いんしょく」ではなくて「おんじき」だという。だとすると仏教用語であり、供物やお盆のイメージと重なってくる。

吉村とは数回しか会ったことがないが、その存在を気にかけている俳人のひとりだった。
2006年10月、攝津幸彦没後10年の大南風忌のあとだったか、新宿のジャズ喫茶「サムライ」に行ったことがある。著名な俳人たちのなかで私は片隅で小さくなっていたが、その場には吉村鞠子や田中亜美もいたような気がする。
2009年12月の『新撰21』の祝賀会のときにも吉村に会った。『新撰21』に吉村が入集していないことを私は残念に思っていたが、2014年に句集『手毬唄』が刊行されて不満が解消された気がした。
吉村の俳句についてはよく三橋鷹女→中村苑子→吉村鞠子という系譜が語られる。句集を読んでいてもそのことは自然に意識される。

老いながら椿となって踊りけり     三橋鷹女
屠所遠く踊り惚けて寒椿        吉村鞠子

三宅やよいの作品評「鷹女、苑子、毬子 吉村鞠子句集『手毬唄』を読む」でも三句が並べて引用されている。

春水のそこひは見えず櫛沈め      鷹女
落ちざまに野に立つ櫛や揚げ雲雀    苑子
鳥影や朱夏の地に落つ水櫛や      鞠子

三宅には『鷹女への旅』(創風社出版)という鷹女論もある。
また、三枝桂子は「毬の中のもう一つの系譜」の中で女流の系譜のほかに、富澤赤黄男→高柳重信→高原耕治という多行俳句の系譜があるのではあないかと述べている。
ただ、今度『手毬唄』を読み直してみて、そういう系譜を意識しなくてもよい句の前で立ち止まることがあった。

無花果もこの馬も回遊しない      吉村鞠子
溢れる尾 夜光虫でも海彦でもない
遠近の水冴えゆかむ 鹿とゐた
耳鳴りも海鳴りも脱ぎ蟲の世へ
夜の梅 ゆつくりと真水に還る
釣人までの紫陽花を漕ぎゆかむ
どの神も海を一枚づつ剝がす
鳥よ 仮の世の虹も半円なのか

「LOTUS」には句集『手毬唄』以後(2014年~2017年)の句も収録されているが、句集の完成度が高かったので、なかなかそこから次へ進むのは難しかったのだろうと感じさせる。
『手毬唄』には吉村の書いた「景色」という文章が収録されている(初出「LOTUS」25号)。「吉村さんは、お若いのに恋句を書かないわね」という恩師の言葉に触れて、彼女はこんなふうに書いている。

「恋人と竹林の囁きを聴いていたことがある。晩夏の海で手を繋ぎ、黄落の路を歩き、凩に身を寄せ合う。一喜一憂する思いを俳句にするにはやはり短いということもあるが、その一時は、また五感を刺戟する自然という環境の元に存在する。恋しているからこそ、自然の景色がより鮮明に奏でられる作用はあるが、私は、その景色の記憶を記すことだけに懸命なので、恋句にならないのであろう。その時々の句、たとえば竹林の葉擦れの音や風の匂いは、確かに今も呼び戻せるのだが、相手の顔は、時間経過と共に薄れてゆく。それもまた俳句という形式を借りて描いているからであろうか」

金襴緞子解くやうに河からあがる     吉村鞠子

『手毬唄』には吉村鞠子の俳句形式を通した実存と文学的営為が込められている。大切にしたい句集である。

2018年5月11日金曜日

「川柳スパイラル東京句会」と「文フリ東京」

5月4日、かねてから行きたいと思っていた町田の武相荘を訪れた。
翌日の「川柳スパイラル東京句会」の打合せのため、小田急・鶴川駅で私と瀬戸夏子・我妻俊樹の三人が合流し、武相荘に向かった。タクシーを降りて竹林を通ってゆくと茅葺屋根の建物が見えてくる。武相荘は白洲次郎・白洲正子の旧邸で、居間や書斎などが保存されている。ドラマで有名な終戦期における歴史の秘められた部分や青山二郎・小林秀雄・河上徹太郎などの批評家たちの名前が頭の中で去来した。白洲正子の書斎と書架のところで足がとまり、正子の幻影をしばらく反芻した。
武相荘の喫茶室で翌日の打合せをおこなった。我妻と会うのははじめてだが、「SH」の川柳作品を読んでいるし、「川柳スパイラル」2号のゲスト作品の原稿依頼でメールのやり取りもしている。我妻は短歌も川柳も多作で、ゲスト作品10句のために400句以上作ったそうである。対談は「短歌と川柳」というざっくりしたテーマだが、できるだけ瀬戸と我妻の話を邪魔せず、フリートークで進行したいと思っていた。レジュメを作らないかわりに、我妻の川柳100句を掲載した冊子「眩しすぎる星を減らしてくれ」を作成しておいた。

5月5日、「川柳スパイラル東京句会」。参加者34名。
第一部は瀬戸と我妻のトークである。
我妻の発言について、〈「定型と日本語」だけでやらせてほしい〉とか〈川柳は引き返すこともなく通り抜ける感覚〉などが注目されたが、我妻はこんなふうに語っている。

「短歌で苦しみつつ七七を埋めようとしていたわけですが、短歌で短歌的圧力を感じつつやろうとしていたことが、川柳では圧力を感じないでできると思いました。それは日本語でものを言うときの主語なしの発話を川柳だとそのまま枠取られるという感じがあって、そのまま枠取られるとどうなるかというと、その発話を回しているグループに共有されている主語から切り離して出せるという感覚があります。短歌の場合は余った部分に「私」が宿る。短歌は上の句と下の句の二部構成で、二つあるということは往復するような感覚がありますから、行って戻ってくるところに自我が生じるのが短歌だと感じます。そういうこと抜きに、引き返さずに通り抜けるというのが私が川柳を作るときの感覚なんです。
短歌も引き返すし、俳句も引き返すけれど、川柳は引き返さないで通り抜けるという感覚があって、短歌についても本当は通り抜けられるんだけれど、何かそこに〈定型と日本語だけがある〉というのとは異なることになってしまっています。通り抜けずに戻ってきて「私」をやりましょうという暗黙の了解になっています。それはなしにしたい。もっと川柳のように短歌を作りたいというのが今の私の感覚なんです」

「率」10号の誌上歌集『足の踏み場、象の墓場』の「あとがき」で我妻は「書き手など、偶々そこに生えていた草のようなものだ。無駄に繁茂して読者の視界を遮っていないことを願うばかりである」と書いていて、たいへん印象的だったのだが、この日の発言を聞いて、彼の真意がいくぶん理解できたように思った。
当日配布した「眩しすぎる星を減らしてくれ」より五句紹介する。

沿線のところどころにある気絶       我妻俊樹
くす玉のあるところまで引き返す
弟と別れて苔の中華街
おにいさん絶滅前に光ろうか
ふくろうの名前がひとつずつ鐘だ

第二部の句会では、兼題が五題。各題につき二句出句。
結果は「川柳スパイラル」のホームページに掲載している。
浅沼璞を選者に迎えたこともあって、当日は連句人の参加が多く、若手連句人の交流の場ともなったことは望外の喜びであった。ジャンルの横断と交流は私がこの20年間心がけてきたことだが、短歌・俳句・川柳・連句・現代詩などが互いに他者を照らし合うことによって自己認識を深めてゆく契機となるはずだ。拙著『蕩尽の文芸』に「他者の言葉に自分の言葉を付ける共同制作である連句と、一句独立の川柳の実作のあいだに矛盾を感じることもあったが、いまは矛盾が大きいほどおもしろいと思っている。連句と川柳―焦点が二つああることによって大きな楕円を描きたいのだ」と書いたのはずいぶん以前のことだが、初心に戻ることが私自身にとっても必要だと改めて感じた。

5月6日、文フリ東京で手に入ったものから、いくつか紹介しておく。
平田有作品集『対岸へ渡る』(共有結晶文庫)。前半には短歌、後半には川柳が収録されている。平田は「川柳スパイラル」2号のゲスト作品に「家族のすえ」10句を発表している。そのときのプロフィールにはこんなことが書かれている。「BLに支えられる自分の躓きがどんどん少なっていくことがさみしくもうれしいです。いつも世界からはぐれてしまう存在のことを考えています」主となるフィールドはBL短歌なのだろうが、私は川柳作品にも注目している。ここでは後半の川柳から五句挙げておく。この作品集は通販でも手に入るようだ。

ひまわりもやりきったのよ種がある     平田有
ゆびの毛も増えればいずれ鳥の思想
靴下は脱ぐ天の川を泳ぐなら
魚たちを釣り上げるたびさようなら
摘むならばやわらかな部位迷わずに

大村咲希と暮田真名の出しているフリーペーパー「当たり」vol.4。暮田は川柳作品と一句評、大村は短歌作品と一首評をそれぞれ書いている。

昔から博士ばかりが拐うから        暮田真名
枠外で反目しあうペットたち    
ウイルスのあられのなかを走ったね

一句評で暮田は「ヘルシンキオリンピックの角砂糖」(石田柊馬)を取り上げて、こんなふうに書いている。
「『ヘルシンキオリンピックの角砂糖』に思いを馳せるとき、世界は『選手』や『メダル』にしか目を向けなかった頃とは違った様相を見せる。この句から受ける出鱈目な印象は、あるいは世界そのものの出鱈目さなのだ」
「当たり」はネットプリントでも配信中(5月15日まで)。

「て、わたし」4号。発行人の山口勲とは「川柳スパイラル東京句会」ではじめて会った。この雑誌は裏表紙に記載されているコメントによると「日本と世界のいまを生きる詩を紹介する雑誌」という。「対になった作家の詩を通じ、異なる社会で書かれた響きあう言葉を探っています。」今号は次の三組が取り合わされている。
瀬戸夏子×yae×エミリー・ジョンミン・ユン
三木悠莉×パスカル・プティ
井坂洋子×ケレイブ・レイ・キャンドリリ
掲載作品から瀬戸の川柳と短歌を紹介しておこう。

水の犬が抱き合っている真夜中の        瀬戸夏子
多数派の美のよりどころ小指の裁判
きみにいつも頬を打たれた、ああ、まったくただよう月の電子レンジだ
満員は、ここ、ここにもあってサイダーや砂糖をすっかりまぶされた肘

エミリー・ジョン・ミンは訳者・山口勲によると、釜山生まれ、11歳のとき北米に渡り、現在博士課程に在籍しながらアジア系アメリカ人の文芸誌の編集をしている人だという。 yaeはポエトリリーディングを中心に活動している。在日韓国人四世だが、日本に帰化したことが「アンチカミングアウト」で語られている。
この雑誌を通じて、今まで読んだことがなかった表現者の存在を知ることができた。

「ジュリエットと白雪姫が美しいカップルになることを想像し、二人がつゆ疑わずに口づけするのを見たいと願う。(または、目覚めていることはあなた自身を理解しやすくする)」(ケレイブ・レイ・キャンドリリ)

2018年4月27日金曜日

我妻俊樹の短歌と川柳

小津夜景のブログ「フラワーズ・カンフー」(4月23日)に『川柳スパイラル』2号の我妻俊樹のゲスト作品について言及がある。小津はこんなふうに書いている。

〈『川柳スパイラル2』をめくったら我妻俊樹の名がありました。我妻俊樹をはじめて知ったのは歌葉新人賞。あの賞では雪舟えま、謎彦、宇都宮敦、フラワーしげる、斉藤斎藤、笹井宏之、永井祐ほか、おもしろい歌人をいっぱい知ったけれど、我妻さんもその一人。〉

そこで『短歌ヴァーサス』を引っ張り出してきて、「歌葉新人賞」の掲載されているページを読み直してみた。我妻俊樹は毎回候補作品に取り上げられている。たとえば第4回歌葉新人賞は笹井宏之だったが、その発表号(『短歌ヴァーサス』10号、2006年12月)には候補作品として我妻の「水の泡たち」が掲載されている。こんな歌である。

指輪から抜けない指で二階から二階へ鳩をとばしあう海
どこまでが駅前なのか徒歩でゆくふたりでたぶん住まない土地を
森の樹にぶつけた車乗り捨ててぼくらはむしろ賑やかになる
「先生、吉田くんが風船です」椅子の背中にむすばれている
(運転を見合わせています)散らかったドレスの中に人がいるのだ

ちなみに『短歌ヴァーサス』10号の「川柳ヴァーサス」の欄で、私は「着信アリ」というタイトルのもとに各地の現代川柳作品を紹介している。
歌葉新人賞で我妻の作品を読んだ人は多いようだ。
『率』10号(2016年5月)は我妻俊樹誌上歌集『足の踏み場、象の墓場』を掲載している。その序文で瀬戸夏子は次のように書いている。

〈私が我妻俊樹の歌の読者になったのは歌葉新人賞のころだから、おそらく十年ほど前になるだろう。つまり、私は十年間、待ったのだ。〉

この誌上歌集については、以前この時評でも紹介したことがある(「川柳人から見た我妻俊樹」2016年5月20日)。
5月5日、「川柳スパイラル東京句会」で我妻俊樹と瀬戸夏子の公開対談が実現する。それにあわせて我妻の川柳作品100句が『眩しすぎる星を減らしてくれ』という冊子になった。当日の参加者には進呈されるが、その中から何句か紹介しておきたい。

沿線のところどころにある気絶    我妻俊樹
くす玉のあるところまで引き返す
いいんだよ十二時ばかり知らせても
おにいさん絶滅前に光ろうか
権力の話を聞きに夏草へ

小津夜景は前掲のブログで我妻の川柳を挙げたあと、こんなふうに書いている。

〈 「先生、吉田君が風船です」椅子の背中にむすばれている

といった詠風を眺めると、ずいぶん川柳的なもののように感じられたりもします。そんなわけで『川柳スパイラル2』からも一句。とっても短歌的なのだけれど、でも川柳にしてベターだったと言えるような仕上がり。

郵便制度のあんなところにも鳥が  〉

2018年4月21日土曜日

桐壺の巻にはじまるショータイム

川柳誌「湖」6号(4月15日発行)が届いた。編集発行は浅利猪一郎(秋田県仙北市)。
第六回「ふるさと川柳」の選考結果が掲載されている。この誌上大会は浅利が愛知県半田市から故郷の秋田県に帰ってからはじめたもので、「湖」創刊が2015年10月。以後、半年ごとに応募を実施して六回目になる。
選者は12名、合点制で優秀句を決める。今回の課題は「彩」。
私が選んだ佳作と秀句は次の作品である。

秀句1 桐壺の巻にはじまるショータイム   加藤ゆみ子
秀句2 母さんから垂れる色とりどりの紐   北村幸子
秀句3 渋滞も好き山がこんなにきれいだぞ  磯松きよし

佳作  金目鯛の彩で離れて行く平成       明名蝶
    みぜんれんよう萌黄れんたいほしょうにん 中西素
    って言うか ズタズタの傷うつくしい   松谷早苗
    曇天の中で虹を生む実験         ひとり静
    オジサンは光彩を放って泣いた      森山文切

「彩」という言葉あるいはテーマに即した句もあれば、「彩」から離れて飛躍した句もある。
よく「共感と驚異」ということが言われるが、共感の句もあれば驚異の句もある。選者は自分の川柳観によって選句するが、ストライクゾーンはできるだけ広く構えていたい。

特選1は「彩」という題から『源氏物語』を連想した飛躍感がすごい。題から離れすぎているかもしれないが、雅俗で言えば「桐壺」の王朝文化は「雅」の世界である。「彩」という題から雅やかな色彩をイメージしたのだろう。そういう雅の世界を「ショータイム」で俗の世界に転じている。「ショータイム」で川柳にしているのだ。
秀句2、女性の着物にはいろいろな紐が付いている。カラフルでもあり、「紐」に象徴的な意味を読むこともできる。杉田久女の「花ごろもぬぐやまつわる紐いろいろ」を連想する。
秀句3、渋滞という嫌な状況を風景を楽しむチャンスとしてプラス思考で捉えている。共感の句である。
佳作「金目鯛」は時事句。
「みぜんれんよう」は言葉遊びのおもしろさ。未然→連用→終止→連体の「終止」のところに「萌黄」という色彩をほうり込んだ。すると意味がねじれて「連体」が「連帯」に変質して「連帯保証人」へと文脈がかわる。なかなかの技である。
「って言うか」の口語調。前にあるはずの文脈が隠されている。
「曇天と虹」は矛盾するものの取り合わせ。
「オジサン」の句は共感して読むのもよいし、漫画的に読むのもよいだろう。
その他の句でおもしろいと思ったものを挙げておく。

花芽好きの白い妖精降りてくる    勝又明城
意に添わぬ迷彩服はお脱ぎなさい   吉松澄子
彩りをください生まれたいのです   森田律子
彩ちゃんが買う組立式織姫      岡本聡
押し寄せる彩りさくらサクラさくら  石橋芳山

『船団の俳句』(本阿弥書店)が届いた。
船団の会会員85人の作品を赤青黄白黒の五つのパートに分けて収録したもの。一人につき15句掲載で解説が付く。五人だけ紹介しておく。

亀鳴くやトロンプ・ルイユ出られない 赤坂恒子
笑わないで産卵の途中ですから    小倉喜郎
鳥の巣に鳥がいるとは限らない    久留島元
ワタナベのジュースの素です雲の峰  三宅やよい
大いぬのふぐりはなにを盗んだか   二村典子

二村典子はなかはられいこの「ねじまき句会」にも参加しているが、おもしろい句を書く人である。

明日(4月22日)は京都で「凜 20年記念のつどい」が開催される。
東京では現俳協青年部シンポジウム「俳句の輪郭」。司会・久留島元。パネリスト、秋尾敏、外山一機、青木亮人、安里琉太。行けないのが残念だが、おもしろそうだ。

2018年4月14日土曜日

ネットプリントの話‐「当たり」「ウマとヒマワリ」「む犬通信」

最近読んだネットプリントでは「当たり vol.3」がおもしろかった。
大村咲希の短歌と暮田真名の川柳が掲載されている。ここでは暮田真名の作品を紹介する。

コップの水にひそむ交番      暮田真名
毟っても毟らなくても同じだよ
どこまでも続くつがいの隊商は

七七定型と五七五定型の両方で書かれている。
暮田真名といえば「川柳スパイラル」2号の次の作品が好評だ。

いけにえにフリルがあって恥ずかしい  暮田真名

私はこの句について同誌で次のように書いている。
〈 「いけにえ」というのだから危機的な状況にあるはずだが、そんな時にも女の子は羞恥心を失わないのだ。この句は深刻な状況というより、コミックの一場面として軽くとらえるのが正解かもしれない。恥ずかしがっているのが、いけにえにされる方ではなく、いけにえにする方だと読めば無気味さが出てくる。〉
いま考えてみると、恥ずかしがっているのは生贄を見物している群衆かもしれない。私はかつて「処刑場みんなにこにこしているね」という句を作ったことがあって、倉阪鬼一郎『怖い俳句』(幻冬舎新書)に取り上げていただいているが、暮田の句からは恐怖と羞恥と滑稽とが入り混じった複雑な状況を読み取ることができる。

ネットプリントにもだいぶん慣れてきた。
コンビニの機械で番号を打ち込み、お金を入れるとプリントアウトされる。
番号はツイッターなどで告知されるのを控えておく。
ただ、期間が限定されているので、打ち出そうと思っているうちに終了してしまっていることが多い。また、一枚ないし数枚のプリントなので、散逸してしまい保存には適さない。
瀬戸夏子は「現代詩手帖」2月号の短歌時評で、我妻俊樹のネットプリント「天才歌人ヤマダ・ワタル」を紹介している。歌壇についての諷刺的小説で、解説を平岡直子が書いている。
平岡直子と我妻俊樹のコンビでは「ウマとヒマワリ」というネットプリントがある。1号が2月に、2号は手元にないが、3号が4月に出ている。毎号、平岡の短詩型作品と我妻の掌編小説が掲載されている。平岡は1号には短歌、3号には川柳を発表している。ここでは3号の川柳から。

奥義への道が店内を通る       平岡直子
花粉症なのにベンツがきちゃったよ
蛍すべて占いスクールに集まる
木漏れ日のようね手首をねじりあげ

平岡は「川柳スパイラル」2号のゲスト作品にも川柳を発表している。
我妻や平岡の川柳作品は「歌人が書いた川柳」というのではなくて、「川柳」として魅力的な作品になっている。短歌と川柳の関係については微妙な経緯があって、短歌的なものを川柳に導入した第一人者は時実新子である。その場合の「短歌的なもの」というのは大雑把な言い方になるが「私性」ということになる。けれども、近年、他ジャンルを主なフィールドとする表現者が川柳実作を試みる場合に、「私性」とはまた異なった方向性において短歌の感性を川柳形式で表現するようになってきている。それが従来の川柳にとっても刺激になると思っている。

最後に、初谷むいの「む犬通信」。初谷の所属は北海道短歌会で、第一歌集『花は泡、そこにいたって会いたいよ』(書肆侃侃房)が今月刊行される。自選15首がネプリに掲載されているが、三首ご紹介。

イルカがとぶイルカがおちる何も言ってないのにきみが「ん?」と振り向く 初谷むい
カーテンがふくらむ二次性徴みたい あ 願えば春は永遠なのか
酔いながら君を見つける水中で唾を吐いたらきれいだろうか

ネットプリントは読者にとって数十円という安価で購入することができる発信手段だが、コンビニへ行く機会がないままに期間が過ぎてしまったり、ツイッターなどで告知される番号を控えてゆかないといけないので読者範囲が限定される。1、2枚のペーパーなのでよほどの愛読者でない限り読んだら散逸してしまい保存には向かないが、ネットプリントを資料として保存しようという文学館も出てきているようだ。

2018年4月6日金曜日

六条御息所的今夜(笹田かなえ)

4月4日に春の散歩会が開催され、京都御苑の吟行と句会に26名が参加した。
この集まりは旧・点鐘散歩会が解散したあと、中野六助・徳永政二・笠嶋恵美子・本多洋子が中心となって春と秋に開催されている。京都御苑の紅枝垂れ桜が満開で、京都御所の一般公開もはじまっていて、王朝文化の雰囲気を楽しむことができた。

青森から笹田かなえと守田啓子が参加した。この二人は「川柳作家ベストコレクション」(新葉館)から句集を出したところなので、少し紹介してみたい。

六条御息所的今夜     笹田かなえ

六条御息所は『源氏物語』に登場する光源氏の年上の恋人である高貴な女性である。
このよく知られている人名に「~的今夜」を続けて、現在の心情を表現している。喚起力の強い作品である。作者自身、句集の顔となる作品として選んでいる。
この句が題詠であると言えば、川柳に馴染のない人は驚くであろうか。「夜」という題だったかなと思って調べてみると、「息」という題だった。第20回杉野土佐一賞応募作品。
創作過程を想像してみると、「息」という題から作者は「六条御息所」を思い浮かべた。この発想はなかなか凄い。題はテーマや素材であるが、作句の出発点でもある。ここからどこまで発想を飛躍させることができるか。さらに作者はこれに「~的今夜」を付けることによって古典世界を現代化してみせた。六条御息所のような心の奥深くコントロールできない嫉妬や恨みは誰でも多かれ少なかれ経験するものである。
この句を秀逸に選んだ広瀬ちえみは選評で次のように書いている。

〈 「息」という題をはずしてやりたくなったのが本心。「ろくじょうのみやすんどころてきこんや」のうち「てきこんや」だけが作者のことばだ。しかしやられたなと思った。六条御息所の激しさがこの現代に生き生きと出現していると感じた。そして表記が漢字だけという作者の知的なことば遊び感覚が成功していると思う。六条御息所が好きだという女性が多いという。それは、嫉妬深くも知性も身分もあり毅然としており、(男性が苦手とする)六条御息所の存在が物語をおもしろくしているからである。あきられ訪ねても来やしない今夜。「的」が笑わせてくれる。六条御息所がユーモアになるなんて今日の今日まで知らなかったなあ。六条御息所にむける作者の視線に余裕が感じられる。 〉

人名を使った作品はたくさん書かれているが、作者は「~的今夜」で川柳にしているのだ。「~的」という言葉は川柳で見かけることもあるが、この句では効果的に使われている。
題詠として読むと「息」とは離れすぎているという問題や批判もあるかもしれない。けれども、こうして句集に収録されると、題詠の痕跡は消え、一個の独立した作品として読者の前に立ち現われてくるのである。

わたし、ずっとずっとの「っ」です よろしくね!  守田啓子

口語を生かした川柳である。
川柳は発生の当初から口語発想・口語文体である。文語から口語に移行した俳句とはその点で異なる。現代川柳の、特に女性川柳人の作品に口語を生かしたものが多く見られる。
言葉や文字そのものを素材に使う川柳は既視感があるが、促音の「っ」をクローズアップしたこの句は新鮮でおもしろい。
「よろしくね!」まで言うのは言い過ぎだと感じる向きもあるかも知れないが、そこまで言ってしまうのが川柳だろう。〈ずっとの「っ」です〉と言われても何のことか分からないような気もするし、どういう人なのか何となく分かるような気もする。明るさが伝わるので、ルサンチマンではない川柳にも魅力がある。

笹田と守田は昨年5月に「川柳カモミール」第1号を発行した。メンバーはこの二人のほかに三浦潤子・滋野さち・横澤あや子など。結社ではなく、川柳を書いたり読んだり吟行や句会をする数名のグループによる活動である。
「カモミール」のようなやり方はこれからの川柳のひとつのモデルになると思う。結社や大グループを否定するものではないが、少数のグループによる自由で小回りのきく川柳活動は川柳の活性化の方向性として重要である。現在は地域や生活圏を越えて、さまざまな人とつながる手段がいろいろあるから、県や地域性にこだわらないネットワークがどんどん広がってゆけばいいと思っている。

2018年3月30日金曜日

現俳協勉強会・「里」寒稽古・「奎」座談会

2月に金子兜太が亡くなった。
遅まきながら、『金子兜太の世界』(『俳句』編集部編、2009年9月)を引っ張りだして、その中の岡井隆の文章を読んでいる。「金子兜太といふキーパースン」で岡井はこんなことを書いている。

「昭和三十年代あるいは四十年代のはじめだつたか、前衛川柳の何人かの人と、私とを、金子さんは引き合わせてくれた。今はやりの風俗的な、口あたりのいい川柳とはちがう川柳。今、心ある新鋭たちが柳壇の再興を願って論をかさね、作品を書いてゐるのを読むと、この人たちの先輩にあたるのが、金子さんがひき合わせてくれたかれらだつたのだと思ふ。あの謎のやうな一群の川柳人たちと、私は巣鴨か大塚あたりの小さなホテルの一室で合議したことがある。あれは一体なんだつたのだらう。大方は私の方の事情で、この会議は続かなかつたが、金子兜太の、俳壇を超越した動きの一端はあのあたりにもあつた」

岡井の言っているのは「俳句研究」昭和40年1月に掲載された座談会〈「現代川柳」を語る〉のことである。金子兜太・岡井隆・高柳重信のほか、川柳側からは河野春三・山村祐・松本芳味が参加した。
金子兜太はすでにいないが、岡井のいう「謎のやうな川柳人たち」の末裔は世代交代をくりかえしながら「現代川柳」を書いており、いまや若い歌人や俳人にとって謎でも何でもない存在になっているはずである。

3月25日、現俳協青年部の勉強会で助詞の「を」をめぐる議論があった。
「を」はどこから来たのか、「を」は何者か。「を」はどこへいくのか。
パネリストは大塚凱・堀切克洋・柳本々々。司会・黒岩徳将。
私は聞きに行けなかったが、レジュメだけもらったので、特に柳本のレジュメについて紹介しておきたい。
柳本が取り上げたのは鴇田智哉の俳句である。

「鴇田智哉の俳句は、〈を〉で対象化するものを宙づりにするところがある。俳句は、対象をみつめる行為だが、そのみつめる行為自体を問題化してゆく」
「鴇田智哉の俳句は、対象化しながらも対象化そのものを解体してゆくことを考える。「を」で対象化しながら、どうじに「を」を解体してゆく」

うすぐらいバスは鯨を食べにゆく   鴇田智哉
人参を並べておけば分かるなり
箱庭を見てゐるやうな気になりぬ

柳本はベケットの演劇『ゴドーを待ちながら』やアラン・レネの映画『二十四時間の情事』、特撮シリーズ「ウルトラセブン」などを取り合わせる。ウルトラマンでは対象である敵・怪獣がはっきりしているのに対して、ウルトラセブンでは星人が多くなり敵味方がはっきりしなくなるというのだ。
さらに柳本は「現代川柳はあらかじめ対象を喪失している」と述べ、その例として樋口由紀子の作品を挙げている。
勉強会に直接参加していないので、詳しいことは分からないが、興味深い集まりだったようだ。ちなみに次の句の作者名は前田勝郎ではなくて前原勝郎である。

を越えてたんぽぽいろの今日そして   前原勝郎

今月届いた川柳誌・俳誌をいくつか読んでゆきたい。
「川柳杜人」257号は高橋かづきフォト句集『ふあんのふ ふしぎのふ』について特集している。この句集は「川柳杜人」に連載された写真と川柳、エッセイを一冊にまとめたもの。松永千秋・水本石華・丸山進が鑑賞を書いている。

あすなろあじさいアイスクリーム明日が来る  高橋かづき
ストラップにしようあの日の失言は
春なれど動かしがたき助詞ひとつ

この連載は現在も続いていて、今号には「すんなりと春になったりしない春」の句と写真。エッセイには八坂俊夫が昨年四月に亡くなったことが書かれている。私はそれを知らなかったので、少しショック。「もう春が近い夜汽車を聴いている」(八坂俊夫)
同人作品からも紹介しておく。

猫帰る空から落ちてきたように    加藤久子
許せない私を許す猫のにおい     加藤久子
どうどうとしている鳴き声をもらい  広瀬ちえみ
開封をしたら急いでうずめてね    広瀬ちえみ
家具たちが身じろぎをするさあ逃げて 佐藤みさ子
「家」が泣くので笑うほかない    佐藤みさ子

次に京都の川柳誌「凜」73号から。桑原伸吉の巻頭言は今年1月4日に亡くなった村井見也子の追悼。同人作品と投句欄から何句か紹介する。

草を食む牛を見ている哲学者     こうだひでお
バラストの足らぬ男にぶれがあり   こうだひでお
丁寧に音とる春の首         辻嬉久子
音感のままにしばらくの春      辻嬉久子
幸せなんて赤・青・黄色・麦畑    本多洋子
鍵をなくしてからのまといつく風   前田芙巳代
フロイトとろとろまぶたから融ける  内田真理子
ゴーギャンの女性にふっと会う渚   井上早苗

4月22日には「凜 20年記念のつどい」が京都商工会議所で開催される。選者は八上桐子・こうだひでお・中野六助・前中知栄・徳永政二・小池正博・辻嬉久子。

俳誌「里」3月号。「2018寒稽古in軽井沢入選全568句」、2月11日・12日に軽井沢で行なわれた吟行会・作句会の記録。参加者21名。二日間でひたすら百句を作っている。読みごたえ十分である。

泡立ってをり春泥の駐車場     中山奈々
恋を語らず歯の奥のセロリかな
絵はすべて少女よ鴨を残らせて
メンバーが悪い雪女が来ない
さくらいろいろ本名を告げずゐる

鴨博士曰く大きな鴨がゐる     柳元佑太
ぽんかんがぼくをほどけておかない

血は春に骨はわけてもあばらぼね  田中惣一郎
凧で遊ばう時間も性別も超えて
夢の稚魚さん春の麥さんきて話す

鶺鴒は針金なのでこゑなので    青本柚紀
びにーるの視界で鴨が浮き上がる
雪の日をかさねて木々が家になる
めたふぁーは蝶ですかゐないね夢だ

句会の場において即興で作っているので完成度に難点がある作品もあるかもしれないが、作者の特質がストレートにうかがえるという面もあるようだ。
青本は「寒稽古顛末記」を書いていて、「もの」を見るということについて次のように書いている。
〈言葉への思慕を支えに書く見にはずいぶん痛いはなしだった〉
〈言葉はあまり顔を変えずにいつもそこにあるが、ものがあるのは時折で、いつも違う顔をしている。言葉で書く人間にこそ「もの」への思慕が必要なのだろう〉
ずいぶん微妙なことだが、私はこれを読んだときに「言葉への思慕」という点で共感し、「ものへの思慕」という点で俳句と分かれるのかもしれないと思った。

俳誌「奎」5号。巻頭座談会「若手俳人の動向を見渡す」がおもしろい。
「奎」編集部とゲスト・黒岩徳将が「俳句をどう続けるか」「若手作家の群像」などについて語り合っている。そこでいろいろ名前があがっているなかで木田智美の句に注目した。

川涸れて蹴上の地図はまじ卍       木田智美
あっ、姉の袖ひっぱって六花
あした穴を出ようとおもう熊であった

俳句であれ川柳であれ、句を読むときに、自分とも何らかの関係があると感じる作品の前に立ち止まることが多いようだ。

2018年3月24日土曜日

「信治&翼と語り尽くす夕べ」から「俳誌要覧」まで

3月20日、大阪・梅田で「信治&翼と語り尽くす夕べ」が開催された。上田信治と北大路翼という相反する作風の二人の対談ということで、60人を超える参加者があった。幹事・島田牙城、司会・中山奈々。参加者のなかで半数以上は初めて会う人たちだった。特に今までテレビ番組とか活字でしか知らなかった屍派の人たちも来ていて強烈な存在感を見せつけていた。俳句のイベントには珍しく、ボルテージの高い集まりだった。対談の内容はとても紹介しきれないし、参加者のブログやツイッターなどで当日の様子をうかがうことができると思う。

佐藤文香は現代川柳にも理解のある俳人のひとりだが、3月17日の中日新聞の夕刊、「佐藤文香の俳句展望台」に現代川柳のことが取り上げられた。まず引用されているのは次の二句である。

空腹でなければ秋とわからない    樋口由紀子
寄せ鍋の寄せ方エクセルが上手い   丸山進

前者は樋口が編集発行人の「晴」1号から、後者はなかはられこが発行人の「川柳ねじまき」4号の掲載作品である。「季語がない五七五が川柳」と言われるのに対して、逆に佐藤は「秋」「寄せ鍋」という言葉が入った川柳を挙げてみたと言う。
次に佐藤が取り上げているのは八上桐子句集『hibi』(港の人)の三句である。

向こうも夜で雨なのかしらヴェポラップ   八上桐子
その手がしなかったかもしれないこと
藤という燃え方が残されている

八上の作品は「川柳」の一般的なイメージとは異なるところで書かれている。佐藤は「八上の川柳は社会から距離があり、必ずしも笑いをもたらさない。しかし、静かな生活のおこないひとつずつが十七音のかたちにほどけてゆき、心を揺さぶられる」と書いている。

佐藤は「川柳スパイラル」創刊号のことも紹介しているが、このほど「川柳スパイラル」2号が発行された。ゲストに我妻俊樹・中山奈々・平岡直子・平田有を迎えて川柳作品を掲載している。

昆虫がむしろ救いになるだろう    我妻俊樹
縊死希望かねそんなちょび髭をして  中山奈々
口答えするのはシンクおまえだけ   平岡直子
振り上げたならそののちは下ろされる 平田有

我妻は5月5日に「北とぴあ」で開催される「川柳スパイラル」東京句会で瀬戸夏子との対談が予定されている。中山の句はつげ義春をふまえて、前の句の最後が次の句の頭に来る尻取り式の連作になっている。平岡は砂子屋書房の「日々のクオリア」に短歌鑑賞を連載中。平田はBL短歌誌「共有結晶」で知られている。他ジャンルを主なフィールドとする表現者が「川柳とは何か」というような抽象論ではなくて、実作によって川柳と交流してゆく機会が増えてゆけばいいと思う。
「川柳スパイラル」2号には飯島章友と睦月都(第63回角川短歌賞受賞)の対談のほか、上田信治の『成分表「声」』も掲載されている。「里」に連載されている「成分表」の川柳版である。

「俳誌要覧2018年版」(東京四季出版)が発行されている。
【俳文学の現在〈川柳〉】を飯島章友が執筆している。昨年この欄を担当した柳本々々は2017年版で次のように書いていた。
「川柳というジャンルのなかでいろんな人間がそれぞれの場所からこれまでとは違った光を灯そうとしている。2017年がその光を迎えとるだろう」
では2017年は現代川柳にとってどのような年だっただろうか。
飯島は物故作家のことから書きはじめている。
2016年から2017年にかけて、これまで現代川柳を牽引してきた人々が相次いで亡くなった。墨作二郎・渡辺隆夫・海地大破・脇屋川柳などである。飯島はたとえば墨作二郎について、形式の変遷を通じた作二郎の作品の変遷を丁寧に紹介している。
さらに飯島は現代川柳の新世代の作者について今後の期待を寄せている。『現代川柳の精鋭たち』や『セレクション柳人』以降の作者たちが台頭してきており、新たなアンソロジーや句集が待望されるという。
「俳誌要覧」の〈連句〉のコーナーは浅沼璞が執筆している。
浅沼はまず、日本連句協会・前会長の臼杵游児の追悼からはじめ、俳誌「オルガン」での浅沼と柳本々々との往復書簡に触れ、往復書簡という形式がきわめて連句的だったことを述べている。

さて、三月もそろそろ終わり新年度がはじまろうとしている。
現代川柳の世界を見渡してみると別に何も新しい動きはないようにも思えるが、何もないように見えて川柳も少しずつ変化している。
四月から生活環境が変わったり、新しいスタートを切る人も多いことだろう。それぞれの場でそれぞれの表現者が発信している言葉に耳を傾けてゆきたい。

2018年3月17日土曜日

短歌と川柳の日々―「井泉」80号のことなど

3月×日
短歌誌「井泉」が届く。創刊80号記念号となっている。
特集「表現の現在を截る」、各ジャンルの現在の状況が書かれている。加藤治郎は木下龍也・岡野大嗣『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』を取り上げている。小池正博「アニメとアイドルと川柳」は川合大祐・飯島章友・兵頭全郎・柳本々々などの現代川柳を紹介しているが、兵頭全郎の句の引用が間違っているので、訂正させていただく。正しくは「たぶん彼女はスパイだけれどアイドル(兵頭全郎)」。蜂飼耳「詩の現在をめぐって」は北川透からはじまり野崎有似『長崎まで』・杉本真維子『裾花』までを論じる。
江村彩「表現の現在、社会の現在」の中で飯田有子について次のように書かれているのを読んで、ちょっと驚いた。

《 『錦見映理子は「66」(ロクロクの会、2016年)において、飯田有子の『林檎貫通式』(2001年)を、「はっきりとフェミニズムの思想に貫かれた一冊」と読み解き、歌集冒頭の歌「のしかかる腕がつぎつぎ現れて永遠に馬跳びの馬でいる夢」は〈女性がのしかかられつづける性〉であることの提示であると指摘している 》

急いで『林檎貫通式』を読んでみると、巻頭歌の二首あとに次のような歌もあった。

女子だけが集められた日パラシュート部隊のように膝を抱えて   飯田有子

「飛雄馬の姉さん」「枝毛姉さん」ばかりが印象に残っているが、この歌集をきちんと読めていなかったのだなと改めて思った。「短歌ヴァーサス」5号を取り出して、入交佐妃が撮った飯田有子の表紙写真をしばらく眺めていた。

3月×日
砂子屋書房のブログ「日々のクオリア」がおもしろい。
3月5日の一首鑑賞で平岡直子は染野太朗の歌を取り上げている。

隠さずにどうしてそれを告げたのかはじめはまるでわからなかった  染野太朗

平岡は、どうして「それ」が隠されているのかがはじめはわからなかったと述べたあと、次のように書いている。

《 一首だけを取り出して読むと、なにか普通隠すべきことを率直に告げた人がいて、それに対して困惑している、ということしかわからないし、「隠さずに告げた」の主語が「私」である可能性も消せない。文脈や具体性を欠落させるのは短歌ではある手法だけど、そういった歌として読むためには、最低限必要な情報の七割くらいしかない、という印象 》

おもしろいと思ったのは、文脈を欠落させる手法が短歌にあるという指摘で、私は同じ手法が川柳にもあると思っているので、短歌もそうなのかと興味深かった。意図的に主語を隠した川柳作品があり、読みが多義的になる。そういう例が挙げられるような気がするが、いま適当な作品が思いつかない。川柳の読みがわからないという声をよく聞くのは、文脈がわからないということで、ある文脈のなかに置けば、意味はある程度とれるのである。
掲出の染野の歌は連作の一首であり、「それ」が何であるかは他の歌や歌集全体からわかるのだが、詳しいことは平岡の鑑賞をお読みいただきたい。

3月×日
「川柳スパイラル」2号の校正終了。
今号はゲストとして我妻俊樹・平岡直子・中山奈々・平田有の四人の川柳作品を掲載。
飯島章友の連載「小遊星」は第63回角川短歌賞を受賞した睦月都との対談である。
あと、上田信治にエッセイを書いていただいた。「里」に連載されている「成分表」の川柳版である。
川柳人だけでなく、他ジャンルの読者にもお楽しみいただけることと思う。3月下旬に発行予定。

3月×日
奈良で連句会があったので、そのあとお水取り(修二会)を見に行った。
2017年に奈良で国民文化祭が開催され、数年前から奈良県連句協会が立ち上げられたが、国文祭が終わった後も引き続き定例の連句会が行なわれている。
お水取りはこれまでにも何度か見たことがある。午後七時に松明の儀式がはじまるけれど、午後六時までに二月堂前の広場に入らないと混雑して見ることができない。
六時少し前に場所を確保したが、すでに混雑していて立錐の余地もない。回廊を登って行くところが良弁杉の影になって見えない位置だが、それも仕方がないことだろう。宗教行事だということを理解していない人がいて、「こんなに集まっているのだから時間を早めてはじめたらいいのに」などと無理をいう声が聞こえた。練行衆の籠松明の火はそれなりにおもしろかったが、以前見たときの震えるような感動は覚えなかった。聖なるものに対する感覚が薄れてしまったのだろう。

3月×日
「現代短歌」3月号を読む。特集「分断は越えられるか」。瀬戸夏子「非連続の連帯へ」、山田航「『貧困の抒情』のために」、佐藤通雅「リセットということ」、大田美和「分断と文学の可能性」、屋良健一郎「分断をもたらすもの~沖縄の現在~」、パネルディスカッション「分断をどう越えるか~福島と短歌~」(斎藤芳生・高木佳子・本田一弘)。
瀬戸は俵万智の『あなたと読む恋の歌百首』のことから話をはじめている。この本は短歌作品と作者を調べるのに便利なので、ときどき私も参照している。瀬戸は大田美和の次の短歌についての俵万智の鑑賞に異議を唱えている。

チェロを抱くように抱かせてなるものかこの風琴はおのずから鳴る  大田美和

それでは瀬戸が俵万智を全否定しているかというと、そうではなくて、次の歌を評価してこんなふうに言う。「根本的なところで俵万智の歌の詠みぶりも方向性も方法論にも賛成できないわたしが、それでも、その歌を愛し、暗唱してしまうこと。」

「勝ち負けの問題じゃない」と諭されぬ問題じゃないなら勝たせてほしい 俵万智

「恒常的な連帯」はむずかしいと言いながら「非連続的な、瞬間、瞬間の連帯には可能性がある」という瀬戸の文章は、特集テーマ「分断は越えられるか」にまっすぐにつながっている。

3月×日
「里」180号が届く。
3月20日は上田信治と北大路翼のトークを聞きにゆく予定。楽しみにしている。

2018年3月2日金曜日

川柳のVOICE (声)

新潮文庫で「村上柴田翻訳堂」と銘うって村上春樹と柴田元幸による翻訳シリーズが発行されている。英米文学の翻訳者と言えば、古いところでは中野好夫とか大橋健三郎とか思い浮かぶが、いま柴田元幸が第一人者なのだろう。その柴田訳による『ハックルベリー・フィンの冒けん』(研究社)が話題になっている。中学生くらいの少年であるハックが語り、書いているということを意識した訳になっていて、タイトルも「冒険」という漢字がハックには書けないだろうという想定で「冒けん」となっている。
先日、梅田の書店で柴田のトークと朗読があったので聞きにいった。『ハックルベリー・フィン』の原稿のうちM・トゥエインが本にするときには削った部分の朗読も聞くことができておもしろかった。トークのうち特に注目したのは「voice(声)」という捉え方である。柴田は作中人物のvoiceや「どう語られているか」を重要視して翻訳するというが、それとは別に作者のvoiceということも考えるという。それが作中人物のvoiceなのか、作者のvoiceなのかは明確に区別できないが、区別して考えられる場合もあるという。この部分は作者のvoiceだと思われる個所があるというのだ。柴田の話を聞きながら、これはたいへんデリケートな問題だが、作品の読みを考えるときに重要な視点だと思った。

昨年発表された川柳作品のなかで石田柊馬の次の句が気になっている。

その森にLP廻っておりますか    石田柊馬 (「川柳スパイラル」創刊号)

何となくわかるような気がするし、いろいろな状況を思い浮かべることのできる句だが、説明するとなるとむつかしい。
「その森」とはどこか。なぜ「LP」なのか。LPが廻っているのか、いないのか。廻っていることがよいことなのかどうか。
とにかく、どこかの森でCDではなくLPが廻っている。LPの回転は時間の経過を感じさせるから、時間とか記憶とかいうものと関係するだろう。私がこの句に感じるのは、LPが廻らなくなるような状況をよしとしない価値観である。止まらずに廻り続けているのかどうかを問うところに批評性を感じるのだ。

別れ際「笑止」のひと声落ちてくる   内田万貴 (「川柳木馬」155号)

誰とどういう状況で会ったのかは分からないが、別れるときに厳しい全否定の言葉を浴びせられたのである。実際に「笑止」という言葉を投げつけられたのではなくても、そう言われたかのように受け止めたのかもしれない。言われて作中主体がどう思ったか。それについては何も書いていないところに潔さがある。

散る時も力を貸してくれますね   松永千秋 (「晴」1号)

ここには「いや、嫌だ」とは言えない、相手を巻き込んでゆく語りがある。それは相手に対する信頼なのか、悪意なのか。どのような人物がこれを語っているかによって、語り方が変わってくるし、文脈も変わってくるのだ。

桃色になったかしらと蓋をとる   広瀬ちえみ (「晴」1号)

蓋のなかには何があったのか。それは桃色になるようなものなのか。いろいろなことが省略されていて、それが読みの魅力になっている作品である。

缶コーヒー掴むと消える地下の街   悠とし子 (「触光」56号)

不思議な句である。私は消えたのは地下の街だと読んでいる。ふっと消えてしまって、手のなかには缶コーヒーだけが残っている。けれども一瞬消えた街はふたたび元の姿で蘇ってくるかも知れない。消えたのは缶コーヒーの方とも読めるが、それだとスケールが小さくなってしまう。

エイがひとりで運営水中博物館    西川富恵 (「川柳木馬」155号)

これも不思議な句だが、おもしろい句でもある。
「水中博物館」というのは水族館のことだろうか。それをエイがひとりで運営しているというのは何だか変だ。エイが水槽をひとりで泳いでいるとも読めるが、それだと「運営」とは言わないだろう。おかしな味わいを楽しめばいいのかもしれない。

林檎それぞれ水平線を持っている   野沢省悟 (「触光」56号)

林檎は垂直のイメージだろうか。林檎の樹を思い浮かべるし、ニュートンの引力の話を連想すれば林檎はどうしたって垂直に落ちる。そうすると垂直と水平のコントラストの句なのか。
林檎の果実の一個一個が水平線を持っているのだと読むと、イメージが広がってくる。山に実っている林檎がそれぞれ水平線を持っているのだ。

無抵抗主義でガス室まで歩く     古谷恭一 (「川柳木馬」155号)

ホロコーストを題材にした句だが、ここまで詠みきるのは作者の力量だろう。
淡々と書かれているだけに、危機意識は強力である。

一片の鱗剥がれて砂を吐く    大野美恵 (「川柳木馬」155号)

「鱗」というのだから魚の類だろう。主語は意識的に省略されている。
一句全体で内面の状況を比喩的に表現しているとも読める。

迎えに行くよ梨よりあたたかい身体  服部真里子(「川柳スープレックス」2月1日)

「梨よりあたたかい身体」という表現が魅力的。
身体は梨よりちょっぴりあたたかいという感覚である。絶望することもなく、希望を持ちすぎることもなく、人と人との関係性が適度な距離感をもって表現されている。

2018年2月25日日曜日

京都の柳社と柳誌 ―「川柳大文字」

京都番傘の藤本秋声が編集・発行している「川柳大文字」がおもしろい。平成27年7月創刊。16ページほどの小冊子だが、月によって増ページになることもある。たとえば今年1月号は墨作二郎をとりあげて40ページに増大。月刊、今年2月で32号になる。
今まで何号か読んだことはあるが、このたび藤本秋声からバックナンバーをいただいて、創刊号から読むことができた。特に興味深いのは「京都川柳の歴史」の掘り起こしの仕事である。ちなみにタイトルの「川柳大文字」は大正7年に京都川柳社によって創刊され、大正10年40号で廃刊したものを踏襲している。
京都の川柳史については、平安川柳社以後のことは何となく見当がつくが、それ以前のことは知るのがむつかしい。私は戦前の京都における自由律川柳の雑誌「川柳ビル」に興味があって、いちど堀豊次にバックナンバーがあるか尋ねたことがあるが、一冊も残っていないという返事だった。この「川柳大文字」を読むと、戦前の京都の川柳界について貴重な情報を得ることができる。
たとえば、「京都の柳社と柳誌(4)」(第27号)には次のように書かれている。

「昭和初期、京都の川柳界に三つの流れが出来る。一は、伝統の京都川柳社。二は、平賀紅寿の京都番傘。三は川柳街社。
川柳街が京都第三の勢力になったのは昭和7年ごろである。それまでの間に、数社の柳社と合併したからであった。
『野菊』『川柳タイムス』『紙魚』『木馬』で、吉田緑朗、村岸清堂、齋藤松窓、大島無冠王、川井瞬二、宮田甫三、宮田豊次らを加えて『川柳街』は大きく発展した。以前の布部幸男独りの川柳街に対して、新たに生まれ変わったとして、「更生川柳街」と称した」

京都川柳社、京都番傘、川柳街社の三派鼎立。
京都川柳社は大正3年創立。柳誌「ぎおん」「大文字」のあと大正14年「京」を創刊。
京都番傘は吉田緑朗の葵川柳会に平賀紅寿が加わり、番傘川柳社と合併して昭和5年に誕生。句会報は最初「レフ」だったが、昭和7年に「御所柳」として創刊号を発行した。
一方、「葵」にいた吉田禄朗と村岸清堂は「京都番傘」に参加せずに「川柳タイムス」を創刊し、やがて「川柳街」と合併してゆく。
「木馬」は昭和5年、川井瞬二・大島黄子朗によって創刊。川井は京都川柳界における革新のエースだった人らしいが、昭和8年、29歳で早世する。
「川柳街」は昭和2年、布引幸夫らによって創刊。昭和7年に「川柳街」以外の数誌と合併して更生「川柳街」となる。
伝統系の「京」と新しい川柳をめざす「川柳街」が昭和初期の京都川柳界をリードしていたようだ。
昭和10年、宮田甫三・宮田豊次・大島無冠王らは「川柳ビル」を発刊。たぶん戦前の京都で最も前衛的な川柳誌だっただろうと思われる。

「川柳大文字」に掲載されている藤本秋声の「京都の川柳家列伝」「京都の柳社と柳誌」は京都川柳史を掘り起こした労作である。私が不勉強で知らないことがたくさんあった。特に印象的だったのは、川井瞬二のことである。「川柳大文字」23号(平成29年5月)から彼の作品を紹介しておく。

口笛にふと寂しさが吹けてゐる  川井瞬二
断髪のある日時計が動かない
壁にゐる俺はやつぱり一人かな
時計屋の十二時一時九時六時
戦争の悲惨さを知り恋を知り
恋人の背中をたたけば痩せてゐる五月
蜥蜴颯つと背筋に白い六月よ

川上三太郎の弟子で早世した田中幻樹のことを連想する。
離合集散をくりかえす結社と川柳誌の背後に、無名性のなかで作句を続ける川柳人の姿が立ち上がってくる。
昭和32年2月、京都の川柳結社を統一して「平安川柳社」が創立される。それ以後の京都の川柳史は比較的知られている。

2018年2月16日金曜日

二冊の句集―浪越靖政と猫田千恵子

新葉館出版から川柳作家ベストコレクションというシリーズが発行されている。本日はその中から浪越靖政と猫田千恵子の二冊の句集を紹介したい。

浪越靖政は北海道・江別市在住の川柳人。北海道は大正末年に田中五呂八が小樽で新興川柳運動を起こして以来、独自の風土と歴史をもっている。関西にいると北海道の川柳界のことはよく分からないが、浪越の編集する「水脈」を通じて様子が伝わってくる。
たとえば、「水脈」47号(2017年12月)には次のような作品が掲載されている。

足りないものばかり探している鎖骨   酒井麗水
胸像のあるヘヤ酸欠の思考       中島かよ
海馬から見放されたよドレミのド    平井詔子
月はいま点字ブロック通過中      岩渕比呂子
パピルスを剥がせば紀元前の貌     落合魯忠
切り抜きは読まずに捨てる猫のひげ   一戸涼子
未だ手放せぬ村田式銃 のようなもの  浪越靖政

浪越の句集に話を戻すが、「あとがき」によると、浪越が川柳をはじめたのは1973年、30歳のとき。小樽川柳社「こなゆき」への投句のあと、釧路川柳社・札幌川柳社・旭川源流川柳社などに所属。1996年に飯尾麻佐子を中心とする「あんぐる」創刊同人、同誌が廃刊のあと2002年に「水脈」創刊、その編集人となる。
ちなみに、飯尾麻佐子は女性川柳にとって重要な存在である。「魚」を創刊して女性川柳人に発表の場を提供した。「魚」から「あんぐる」を経て「水脈」で活躍している女性川柳人に一戸涼子がいる。
さて、浪越の句集は第一章「V字回復」、第二章「日没を待って」に分かれ、第一章は「川柳さっぽろ」掲載作品、第二章は「水脈」「短詩サロン」「バックストローク」「川柳カード」「触光」などの掲載作品だという。

旧姓で呼ぶと振り向くキタキツネ
妄想が前頭葉を占拠する
蝶と目が合って彼岸へ誘われる
Vサインしたまま雪に埋もれてく
旧石器時代の愛し方もある (以上、第一章から)

日没を待ってダミーと入れ替わる
杏仁豆腐の気持ちはどうも分からない
うっかりと見せるカラスの後頭部
三日月になっても尾行続けてる
時により入口役もする出口
自動消去まで十年を切っている (以上、第二章から)

川柳人は発表誌によって作風を使い分ける場合があり、第一章は「気楽に読んでもらえる作品」、第二章は「もう一人の自分が詠んだ作品」だという。川上三太郎の二刀流を思い出すが、読者はそんな区別を気にせずに好きな作品を読んでゆけばいいと思う。

猫田千恵子は愛知県半田市在住の川柳人。
句集の略歴によると、2009年「川柳きぬうらクラブ」に入会、2015年「ねじまき句会」に参加とある。なかはられいこが発行している「川柳ねじまき」には第3号から作品を掲載している。最新号の「川柳ねじまき」4号(2018年1月)には次のような句が掲載されている。

轢いた時ペットボトルがちぇっと鳴る   猫田千恵子
落ちちゃった少うし跳ねただけなのに
端っこの席に聞きたいことがある
頬骨のカーブが同じ顔二つ

さて、句集の方は第一章「海」、第二章「空」の二部構成。
「私の内面に向かって書いた句」を「海」、「外へ向かっていった句」を「空」としてまとめたという。私は半田市には新見南吉記念館や南吉生家を見に訪れたことがある。

全身に海沸き立ってくる 好きだ
一体は裸で眠る花の下
純粋な興味で押してみたボタン
同意する間もなく鍋に入れられる
終わったようだぞろぞろ出てきたよ
中心に立つと不安になってくる (以上、第一章)

秋の気配は肉球の温かさ
世界など何度もここで滅ぼした
人間が乗る一枚の磁気カード
連なった鳥居の奥は猫屋敷
朝になる普通の人が起きてくる (以上、第二章)

第一章には川柳性のある句が多く、第二章はそこから先に進んで冒険する句を集めているのかなと思った。そのことは、たとえば次の二句の書き方の違いに表れている。

シャツ一枚だけ北向きに干している
果てしない時空に白いシャツを干す

2018年2月9日金曜日

水にだって闇はある―八上桐子句集『hibi』

八上桐子の第一句集『hibi』(港の人)が発行された。
八上の作品は今までも「川柳ねじまき」などで読んでいるし、句会や川柳のイベントでときどき顔をあわせることもあるが、ようやく句集というまとまったかたちで彼女の作品を読むことができるようになった。
句集のプロフィールによると、八上は2004年「時実新子の川柳大学」入会。2007年終刊まで会員。以後、無所属、とある。結社や川柳グループに所属せずに、独自の存在感を示して川柳を続けるのは、それほど簡単なことではない。
2016年、八上は葉ね文庫の壁に針金アートの升田学とのコラボを展示した。新生「guca」にも紹介されているように、葉ね壁は牛隆佑のプロデュースによるアートと短詩作品の共同制作で、ときどき展示替えがある。八上の作品「有馬湯女」は腰紐に句を書いて垂らしておくという斬新なものだった。仄聞するところによると、そのときのトーク・イベントで句集の発行を望むリクエストに対して八上は前向きに応えたということだ。葉ね壁が句集上梓への契機となったのである。
八上には「本」というものに対するこだわりがある。フリーペーパーの場合でも、以前発行されていた「Senryu So」や現在発行されている「THANATOS」など、けっこう凝ったものである。活字に対するこだわりもあって、活版印刷でないと嫌だという発言を聞いたことがある。今回の句集は残念ながら活版ではなかったようだが、鎌倉の「港の人」まで出向いて装丁のプランを話し合ったというだけあって、美しい本に仕上がっている。
では、句集の収録作品について述べていこう。
全体は六章に分かれ、各章が28句ずつ、最後の章だけが32句、全部で172句が収録されている。厳選である。
読んでゆくと作者の愛用する語が繰り返し出てくるのに気づく。最も目につくのが「水」である。それは巻頭句からすでにはじまっている。

降りてゆく水の匂いになってゆく     
呼べばしばらく水に浮かんでいる名前
鳥の声になるまで水を見てなさい
水を 夜をうすめる水をください
散歩する水には映らない人と
もう夜を寝かしつけたのかしら水

愛用語というのは諸刃の刃である。自分の世界を適切に表現できると同時にマンネリズムに陥る危険をはらんでいる。けれども、この句集のおける「水」が読者を飽きさせないだけの実質をもっているのは作者の実力なのだろう。
「川」「海」「雨」など、「水」関係の句はさらに多様に展開してゆく。

少年の1人は川を読んでいる     
そうか川もしずかな獣だったのか
川沿いに来るえんとつの頃のこと
青がまた深まる画素の粗い海

「水」の句はこれまでにもたくさん書かれてきた。たとえば、畑美樹。

こんにちはと水の輪をわたされる    畑美樹
体内の水を揺らさず立ちあがる
逢うまでの水をこぼして歩いている
一本の水を買う正確な姿勢

畑美樹の場合、水は体内水位であったり恋愛感情の揺れであったり、水を中心とする世界認識であったりする。水は作者の「私性」と結びついている。
八上の場合、水は二律背反的な意味をもった存在である。それは「水」とペアになる「闇」や「夜」によって示される。

おひとりさまですかと闇に通される 
踵やら肘やら夜の裂け目から
くちびると闇の間がいいんだよ
向き合ってきれいに鳥を食べる夜

清浄な水の世界は背後に闇をかかえることによって屈折したものになる。水は闇を中和する存在でもあるし、水の背後にちらりと見える闇は、日常を破綻させないように適度にコントロールされている。
「hibi」というタイトルは最初「日々」かと思ったが、「罅」かもしれない。日常の中に入った微かな罅を八上は静かに見つめているのだろう。
あと、いいなと思った句を挙げておく。

雲の流れてインディアンの口承詩
冷蔵庫だけが大きな家でした
歩いたことないリカちゃんのふくらはぎ
その手がしなかったかもしれないこと
まばたきをするたび舟が消えている
くるうほど凪いで一枚のガラス

栞は、なかはられいこ・正岡豊・小津夜景の三人が書いている。
句集「hibi」は葉ね文庫だけではなく、東京・大阪・神戸のいくつかの書店にも置かれている。通販でも手に入る。従来、川柳句集は上梓するだけで精一杯で、本としての美しさや読者に届けるための販路まで手がまわらなかった。無所属というスタイルも含めて、八上桐子はひとつの道を切り開いたということができる。

2018年2月2日金曜日

村井見也子の川柳

1月28日、京都の「川柳 凜」の句会に出席した。
京都の川柳界はけっこう複雑で、1978年に「平安」が解散したあと、「新京都」「都大路」「京かがみ」が生まれた。さらに、「新京都」が終刊したあと、生まれた結社のひとつが「凜」である。「凜」を創立した村井見也子(むらい・みやこ)がこの1月に亡くなり、追悼の気持ちもあって「凜」の句会に参加したのである。

神の手にいつかは返す飯茶碗   村井見也子

村井見也子のよく知られている句である。
村井は1930年生まれ。結婚して京都に住むようになり、1970年に北川絢一郎に師事して川柳をはじめた。平安川柳社同人、新京都創立同人をへて、絢一郎の死後「凜」を創立。
村井の句を読む機会は少ないと思われるので、句集『薄日』(1991年)から、少し多めに抜き出しておきたい。

まぼろしと逢える切符が今ここに
信じたくなって篠つく雨を出る
弱気へのいたわりなのか朝の虹
春の雪ポストに胸の火を落す
まだ刑の終らぬ足袋を干している
いくつ訃に出会う厨の薄明り
ほつほつと火の立つ骨を拾うべし
降る雪の一色ならぬけもの道
たかが一生花を降らせて討たれよう
仰ぐ塔があって三年五年待つ
介錯はだれであろうと双乳房
不覚にも朝の枕に生き残る
爪を切る音よけものが目を覚ます
掌の蛍匂う危うい刻がくる
樹に凭れるやさしい緑ではないか
一冊の辞書をときどき敵にして
雨の日もしずかに爪が伸びてくる
父系母系の何を見たくて指めがね
低唱やうろこ一枚ずつ落す
償いは終った絵ろうそくの芯
卒塔婆一枚わが身の軽さではないか
春愁のとうふ一丁身に余る
男から見えぬところで煮こぼれる
滅ぶもの美しければ沖へ出る

新潮増刊の『短歌・俳句・川柳101年』(1993年)の1991年の欄に『薄日』が収録されていて、ちなみにこの年の短歌が加藤治郎の『マイ・ロマンサー』、俳句が江里昭彦の『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』になっている。川柳を担当している大西泰世は村井についてこんなふうに解説している。
「『京女』と呼ぶのにふさわしい、物腰やわらかな村井見也子が詠む句材は、日常生活の中で日々必要とするもの、たとえば〈足袋〉〈傘〉であり、〈鍋〉〈箸〉〈飯茶碗〉というような、あまりにも生活に密着しすぎて、ともすれば俗に落ちやすい可能性の高いものも多い」
「しかし、それらの素材も見也子の手にかかると、一見、はかなげな表面をたたえながら、ふっと息を吹きかければ、たちまち立ち上がってくる炎を隠し持つ燠のように芯で燃え続けている一句として屹立する」

私はベタな日常詠は好まないので、「傘」「鍋」「箸」などの句は引用していない。また、「情念川柳」という言い方も好きではないが、一時期、川柳界で「情念川柳」という言葉が流行ったことがある。村井もまた「情念の見也子」という受け止め方をされている。
前掲の引用に続いて『101年』では次のように書かれている。

「考えてみれば、〈箸〉や〈飯茶碗〉のように、毎日使うものであるからこそ、愛憎を手でなぞりながら、思いを連綿と持続させることが出来るのだろう。声高に「わたくし」を叫ぶことなく、あくまでもしんしんとうたう、〈情念の見也子〉と言われるゆえんである」

「もの」と「こころ」の関係。〈情念〉と言ってしまえば、女性川柳を一面的にとらえることになってしまうが、見也子の作品は現代の眼から見て乗り越えなければならない部分を含みつつ、時実新子とは少し異なった方向性をもっているように思う。

2017年になって見也子の第二句集『月見草の沖』(あざみエージェント)が上梓された。

雨期に入る京の仏は伏し目がち
歌声をだんだん高くして泣いた
そうだまだ人形になる手があった
月見草の沖へ捧げるわが挽歌
人よりも先に笑っていくじなし
少し猫背になってやがてに近くいる
鶴になる紙を急がせてはならぬ
もの言わぬ爪から順に切ってゆく
あと少し見せていただく紙芝居
食べて寝てこわいところへ降りてゆく

現在、「凜」の発行人をつとめている桑原伸吉は、この句集が出たときに、「見也子さんの最初の句集は、平成三年に女性として意味深い内容の『薄日』があり、今は亡き定金冬二さんの序文の中に『自分に対して厳しいものを持っている。だからこそ『女ごころ』が生き生きと息をしているのであろう。』とある。作品構成の用語の一つ一つに細心の注意が払われていて、しかも定型を順守それが作者のポリシーと思う」と述べたあと、「あれから二十六年、『川柳人としての区切りという意味での上梓』と作者はおっしゃるが、同じ道を来た者にとっては言葉がない」「『月見草の沖』はやはり見也子川柳、前述の如く何かを伝えようとする一語一語に意味性があって、見事な自己表現がなされている」と書いている(「凜」70号、2017年夏)
『薄日』の世界が乗り越えられたのかどうかはともかく、生前に第二句集が出たことはよかったと思う。
「凜」は今年4月22日に「20年記念のつどい」を開催するという。創刊10年の大会のときには墨作二郎が記念講演をおこなった。自分に対して厳しかったという村井見也子の姿勢を反映してか、「凜」は対外的なアピールについては控えめである。「20年記念のつどい」が盛会となるように祈念している。

哀しいときは哀しいように背を伸ばす   村井見也子

2018年1月27日土曜日

「川柳スパイラル」京都句会と文フリ京都

1月19日 
国立文楽劇場で文楽初春公演を見る。
八代目竹本綱太夫五十回忌追善と六代目竹本織太夫襲名披露を兼ねた公演である。
竹本咲甫太夫を改め、竹本織太夫となる、その襲名口上は師匠の咲太夫がつとめた。歌舞伎では口上を本人もいうが、文楽では本人は黙って礼をしているだけである。
新・織太夫の演目は「摂州合邦辻」。
玉手御前が義理の息子である俊徳丸に恋をする。このテーマはフランス古典劇のラシーヌ「フェードル」とよく比べられる。
玉手御前の変相。親を訪ねてゆく娘としての玉手御前、恋に狂乱する女としての玉手御前、本心を明かしたあとの母としての玉手御前。彼女の三変が見どころ、聴きどころである。
文楽を見た後、梅田蔦屋書店、スタンダードブックストア心斎橋、葉ね文庫の三軒の書店を回る。蔦屋書店では置いてある川柳本を確認。スタンダードブックストアは先日『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』(木下龍也・岡野大嗣)のトークがあった店。短歌のフェアもやっている。この歌集は重版出来になったそうで、短歌に関心が集まり、あわせて他の歌集も売れるといいなと思う。川柳にも注目が集まるともっと嬉しい。
瀬戸夏子がツイッターで「葉ね文庫さん、わたしが知ってる空間のなかでいちばん近いのは自分が在籍していたころの早稲田短歌会の部室かもなあ、と思い、なつかしくなりました」と書いている。本があって、やってきた人が本についての話ができる空間は貴重だ。

1月20日
「川柳スパイラル」京都句会を開催。
創刊号の合評会を兼ねた句会で、昨年12月に東京で開いたが、関西句会は京都でおこなうということになった。中京区上妙覚寺町にある町屋を会場に借りたので、ふだんとは異なる雰囲気が味わえたのではないかと思う。近くには京都国際漫画ミュージアムもある。
高知から「川柳木馬」の清水かおりを招いて、お話をうかがった。
海地大破の話からはじめる。清水にはあらかじめ大破さんの五句選をしてきてもらう。

階段を降りてさすらう鰯かな
雨だれをじっと見ている脳軟化
はらわたで拍子木が鳴るさむい一日
妻は他人で虹の真下の遺書を書く
満月の猫はひらりとあの世まで

大破の作品がルサンチマンや病涯句という図式からはみ出すものを持っていること、「死」のテーマに関して石部明と比べることで両者の作品に新たな光を当てることができるのではないか、など新たな発見があった。このときの対談内容は「川柳スパイラル」第2号に掲載する予定。
対談のあと創刊号の合評会。同人作品と会員の出席者の作品を中心に話し合う。
休憩をはさんで句会。句会の速報は「川柳スパイラル」掲示板に掲載してある。
終了後、近くの居酒屋で懇親会。
東京句会と京都句会では参加者も異なり、同じ内容の繰り返しにならなかったので、今後も東京と関西の両方で句会を続けてゆきたい。次回の東京句会は5月5日(「文フリ東京」の前日)「北とぴあ」で開催の予定。

1月21日
「第二回文フリ京都」に、「川柳スパイラル」として出店した。
「川柳スパイラル」のほか、清水かおりにもって来てもらった「川柳木馬」のバックナンバーも並べた。
この日は午後から京都で連句会があり、連句人が数人、午前中に来てくれた。
あと、ブースに立ち寄った未知の方々と川柳の話をしたが、短詩型文学に興味をもつ人であっても川柳のことはあまり知られていないということを改めて感じた。
「庫内灯」3号を購入。
「現代詩手帖」1月号の俳句時評で外山一機が触れていたので、読みたいと思っていた冊子である。特に読みたかったのは正井となかやまなな(中山奈々)の文章。
「私とBLと俳句と短歌」で正井はこんなふうに書いている。

〈 対話を求める方に対しては、真摯に応えたいと思います。しかし、自らが評価する側にいると信じて疑わない人の言う、「なぜBLか、必然性はあるのか」という要請に答える義務はないと私は思います。なぜなら、BL短歌やBL俳句、あるいはBLは、評価したい側のためのものではないからです 〉

正井がこのように書くのは、私にもよくわかるような気がする。現代川柳もまた俳句や短歌から説明を求められ続けてきたからだ。
正井とは読書会「昭和俳句なう」でいっしょになったことがあるし、文フリでも何度か顔をあわせたことがあるが、「庫内灯」3号はBLというものがどういうものか知りたい人には必読の一冊だと思う。

2018年1月12日金曜日

川柳を売るということ―文フリ京都をひかえて

年末年始、ケーブルテレビでドラマの再放送を何本か見たが、その中で「重版出来」がおもしろかった。黒木華が演じる新米社員がコミックの出版社の編集部に配属され、漫画家の担当になったり書店を回ったりする。元気な彼女に影響されて、「幽霊」というあだ名のやる気のない営業担当が本気になってゆく話など、夢物語だと思いつつ引き込まれるところがあった。よい作品が必ず売れるとは限らないが、編集者と営業と書店の店員が連携すれば、本は読者に届くというのである。「重版出来(じゅうはんしゅったい)」というのは売り上げが伸びた本の再版が决まることを言うらしい。逆に、売れ残った本が工場で裁断されてゆく場面もあった。

従来、川柳の同人誌は販売ということを考えていなかった。
同人は同人費を払って作品を掲載してもらい、掲載誌を受け取って満足するというシステムで、一般読者に読んでもらう機会というのは少ない。購読者は「誌友」と呼ばれて、会費を払うことでその同人誌を支援するのである。雑誌経営はおおむね赤字である。
純粋読者が存在しないから、作品は他者としての読者が読むのではなく、作者自身や周囲の川柳人がおもしろいと思うような作品であれば良いのである。
柳誌を販売しようとすれば、ます一般読者が読んでもおもしろいような作品と文章を掲載する必要がある。販売できるだけの内実が必要となるのだ。
結局、どのような読者を想定して柳誌を発行するかという問題で、同人・会員を主とするか、川柳や短詩型文学に関心をもつ一般読者をターゲットとするか、両者を折衷した中間的な川柳誌とするかの選択を迫られる。もし、売ることだけを目的とすれば、大衆的な川柳誌になる。
以前、若手の歌人だったか俳人だったかが、「私の書くものは作品であると同時に商品だ」というようなことを書いているのを読んで、反発を感じたことがあるが、それはそれでひとつの覚悟を示していたのだろう。

句集の場合はどうかというと、贈呈が中心であり、不特定多数の読者が書店で川柳句集を買うというルートはほぼ存在しない。
まず、句集を発行するところにハードルがあって、かつては短歌・俳句なら出すが川柳句集は出さないという出版社が多かった。現在は川柳句集を発行する出版社も少数ながら存在するのでありがたい。
主な川柳本を紹介しておくと―
川柳アンソロジーとして『現代川柳の精鋭たち』(北宋社・2000年)が便利だったが、この出版社はもう存在しない。句集シリーズとしては邑書林の「セレクション柳人」(全20巻・ただし一部未刊)が比較的手に入りやすい。別冊として『セレクション柳人』も発行されていて、現代川柳論に興味のある方は読んでいただきたい。あと、「あざみエージェント」が川柳句集を出しており、左右社から「かもめ舎川柳新書」、東奥日報社から「東奥文芸叢書・川柳」が出ている。飯塚書店からは田口麦彦の『フォト川柳への誘い』『アート川柳への誘い』『スポーツ川柳』など。川柳ハンドブックとしては『現代川柳ハンドブック』(雄山閣)、事典としては『川柳総合大事典』(雄山閣、ただし4巻のうち2巻のみ出版)がある。あと、三省堂から『新現代川柳必携』『現代川柳鑑賞事典』『現代川柳女流鑑賞事典』が出ている。
手に入りやすいのは、『15歳の短歌・俳句・川柳』(ゆまに書房)で、この本の川柳の部分からおもしろいと思った川柳人の他の作品へと関心を広げてゆくのがよいと思う。
このように川柳関係の書籍は絶無ではないが手に入りにくいので、過去の資料を調べようとすれば国会図書館や関西では大阪市立中央図書館へ行くしかない。岩手県北上市の現代詩歌文学館にも川柳資料がある。

川柳を売るということに話を戻すと、書店を通じた流通があまり期待できない現状では、「文学フリマ」などで直接販売するのもひとつの方法である。1月21日の「第二回文フリ京都」には「川柳スパイラル」として出店するが、これは「川柳界から唯一の出店」である(このフレーズは毎回繰り返しているが、状況は変わらない)。なぜ川柳の出店が他にないかというと、高齢化している川柳人は若い人々が多く集まる文フリの存在を知らないか、知っていても関心がないからである。出店してもあまり売れないので、文フリに出店するくらいなら大規模な川柳大会で本を直接販売した方が目先の効率はよいということになる。
では川柳のフリマに特化して実施すればいいのではないか。そう思って、私は2015年・2016年に「川柳フリマ」を二回実施した。川柳本を出版している数社の協力をえ、ゲストに歌人を招いて対談も行い、川柳人以外にも関心がもてるようなイベントになるよう心がけた。ある程度の人数が集まり、本も少しは売れたのだが、出店料を抑え出店数もそれほど多くなかったので会計的に黒字にはならなかった。慈善事業では続けることができない。
今回の文フリ京都では「川柳スパイラル」創刊号や『川柳サイドSpiral Wave』『水牛の余波』などの川柳句集、川柳誌のバックナンバー、「タナトス」などのフリーペーパーを並べる。2ブース借りているので、川柳資料(非売品)も若干展示するスペースがある。私は連句人でもあり、『浪速の芭蕉祭・入選作品集』などの連句冊子も置く予定。「川柳と連句の店」の看板を掲げようと思っている。
本が売れなくても(売れればもちろん嬉しいが)、来場の方々には川柳の話をしに気軽にブースに来ていただきたい。

最後に、冒頭に書いたような本屋さんとの連繋について。「重版出来」は夢物語だが、最近では川柳に対して好意的な本屋さんもあるので、ルートを拡げる努力はしてゆきたい。
これまで川柳の流通は「投壜通信」のイメージで、孤島から壜に入れた手紙を流すようなものだったが、近ごろようやく普通郵便程度のイメージがもてるようになった気がする。

2018年1月5日金曜日

「玄関の覗き穴」と「母性のディストピア」

年末年始は「逃げ恥」の再放送や高麗屋三代襲名のテレビを見ていて、あまり本や雑誌を読めなかったが、管見に入ったあれこれを書き留めておきたい。

木下龍也と岡野大嗣の歌集『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』(ナナロク社)のサイン会、あちこちで開催されているようだが、12月29日の葉ね文庫の会に行ってみた。岡野には2016年7月に飯田良祐句集『実朝の首』を読む会にゲストとして来てもらったことがある。
午後7時過ぎに行くと、すでに葉ね文庫はサインをしてもらいに来た人々でいっぱいだった。二人の歌人の人気おそるべし。
歌集は「男子高校生ふたりの七日間をふたりの歌人が短歌で描いた物語、217首のミステリー」という設定で、7/1から7/6までの日付別になっている。二人が交互に詠んでいる章、木下だけの章、岡野だけの章など変化をもたせている。作者がある人物を借りて詠む「成り代わり」の歌は前衛短歌以後ときどき見かけるが、男女の相聞ではなくて、高校生ふたりの成り代わりというのは新鮮な気がした。物語性もあり、7/1・7/2・7/3・7/4と時間の順に進んだあと7/7が挿入され、遡行して7/5・7/6になって終わるという構成になっている。7/7に何かの出来事があったことが暗示されている。
おもしろい歌が多かったが、二首ずつ紹介しておく。

消しゴムにきみの名を書く(ミニチュアの墓石のようだ)ぼくの名も書く 木下龍也
まだ味があるのにガムを吐かされてくちびるを奪われた風の日

目のまえを過ぎゆく人のそれぞれに続きがあることのおそろしさ    岡野大嗣
近づいて来ているように見えていた人が離れていく人だった

私も列に並んで岡野と木下にサインをしてもらったが、岡野が飯田良祐のことを話してくれたのが嬉しかった。岡野がサインしてくれた短歌と飯田良祐の川柳を並べて書いておきたい。

倒れないようにケーキを持ち運ぶとき人間はわずかに天使   岡野大嗣
天国へいいえ二階へ行くのです               飯田良祐

「現代詩手帖」1月号、短歌時評は瀬戸夏子、俳句時評が外山一機の担当になった。
この二人の時評を同時に読めるとは贅沢なことである。
瀬戸の時評は木下龍也の短歌を取り上げている。木下は「あなたのための短歌」ということで、短歌の販売をしている。依頼があれば依頼者ひとりのために短歌をつくって送るというやり方である。時評では瀬戸が木下に依頼した短歌が紹介されている。短歌総合誌を取り上げるのではなく、こういうところから時評をはじめるのはいかにも瀬戸夏子らしい。
外山の俳句時評はBL俳句誌「庫内灯」3号を取り上げている。BL読み・百合読みについては語られることが多くなったが、外山が特に注目したのは中山奈々の文章である。中山は「百鳥」「里」の若手俳人で、昨年話題になった「早稲田文学・女性号」にも作品を発表している。「庫内灯」3号は1月21日の「文フリ京都」でも出店・販売されるはずである。
瀬戸も外山も昨年は角川の「短歌」「俳句」で時評を担当したが、今年は「現代詩手帖」という媒体で、狭い意味での歌壇・俳壇の枠を超えたところで書いている。これからも時評が楽しみだ。

年末年始は宇野常寛の『母性のディストピア』(集英社)を読んでいた。
宮崎駿・富野由悠季・押井守などについてのアニメ論が中心だが、ベースにあるのは「政治と文学」である。
「政治と文学」論や江藤淳の『成熟と喪失』は私にもなじみがある。個々のアニメについてはあまり見ていないので理解できない部分もあったが、ロボット・アニメの歴史や「海のトリトン」の後味の悪い最終回のこと、いまよく使われる「黒歴史」という言葉の由来など、いろいろ分かった。
本書の前提となるのは「虚構=仮想現実の時代」から「拡張現実の時代」へという時代認識である。

「グローバル/情報化が進行した今日において機能している反現実は、現実の一部を虚構化することで拡張するいわば〈拡張現実〉的な虚構だ」

インターネットは現実と切断された仮想現実を構築するものでも、複雑な現実を整理統合するものでもなく、モノと人を虚構を経由することなく直接つなぐものであり、虚構ではなく現実と結託するものだと宇野は言う。虚構と現実の関係は決定的に変化したのであり、「あらゆる虚構が現実から独立し得なくなったいま、批判力のある虚構はどうあるべきか」というのが彼の問題意識である。

最後に畏友・野口裕の第一句集『のほほんと』(まろうど社)を紹介しておきたい。
野口とは2006年から2011年まで「五七五定型」という二人誌をいっしょに出していて、俳句・川柳という分け方ではなく、「五七五定型」という視点から何ができるかという発想で5号まで発行した。野口は「俳人」と呼ばれることを嫌う。私は野口のことはよく知っていると思っていたが、句集では私の知らない彼の作品も多く、おもしろく読んだ。

蒼白と塗られ一つ目の木が燃える     野口裕
飛ぶ蝉が緑陰の葉に突き当たる
生きものよ鏡の向こう こちら側
川に聞く泡のまわりは水なのか
マスクして動物臭をたしかめる
空蝉に蝉が入ってゆくところ

表紙絵は彼の子息・野口毅によるもの。前述の「五七五定型」5号の表紙にも同じ絵が使われている。