2018年3月24日土曜日

「信治&翼と語り尽くす夕べ」から「俳誌要覧」まで

3月20日、大阪・梅田で「信治&翼と語り尽くす夕べ」が開催された。上田信治と北大路翼という相反する作風の二人の対談ということで、60人を超える参加者があった。幹事・島田牙城、司会・中山奈々。参加者のなかで半数以上は初めて会う人たちだった。特に今までテレビ番組とか活字でしか知らなかった屍派の人たちも来ていて強烈な存在感を見せつけていた。俳句のイベントには珍しく、ボルテージの高い集まりだった。対談の内容はとても紹介しきれないし、参加者のブログやツイッターなどで当日の様子をうかがうことができると思う。

佐藤文香は現代川柳にも理解のある俳人のひとりだが、3月17日の中日新聞の夕刊、「佐藤文香の俳句展望台」に現代川柳のことが取り上げられた。まず引用されているのは次の二句である。

空腹でなければ秋とわからない    樋口由紀子
寄せ鍋の寄せ方エクセルが上手い   丸山進

前者は樋口が編集発行人の「晴」1号から、後者はなかはられこが発行人の「川柳ねじまき」4号の掲載作品である。「季語がない五七五が川柳」と言われるのに対して、逆に佐藤は「秋」「寄せ鍋」という言葉が入った川柳を挙げてみたと言う。
次に佐藤が取り上げているのは八上桐子句集『hibi』(港の人)の三句である。

向こうも夜で雨なのかしらヴェポラップ   八上桐子
その手がしなかったかもしれないこと
藤という燃え方が残されている

八上の作品は「川柳」の一般的なイメージとは異なるところで書かれている。佐藤は「八上の川柳は社会から距離があり、必ずしも笑いをもたらさない。しかし、静かな生活のおこないひとつずつが十七音のかたちにほどけてゆき、心を揺さぶられる」と書いている。

佐藤は「川柳スパイラル」創刊号のことも紹介しているが、このほど「川柳スパイラル」2号が発行された。ゲストに我妻俊樹・中山奈々・平岡直子・平田有を迎えて川柳作品を掲載している。

昆虫がむしろ救いになるだろう    我妻俊樹
縊死希望かねそんなちょび髭をして  中山奈々
口答えするのはシンクおまえだけ   平岡直子
振り上げたならそののちは下ろされる 平田有

我妻は5月5日に「北とぴあ」で開催される「川柳スパイラル」東京句会で瀬戸夏子との対談が予定されている。中山の句はつげ義春をふまえて、前の句の最後が次の句の頭に来る尻取り式の連作になっている。平岡は砂子屋書房の「日々のクオリア」に短歌鑑賞を連載中。平田はBL短歌誌「共有結晶」で知られている。他ジャンルを主なフィールドとする表現者が「川柳とは何か」というような抽象論ではなくて、実作によって川柳と交流してゆく機会が増えてゆけばいいと思う。
「川柳スパイラル」2号には飯島章友と睦月都(第63回角川短歌賞受賞)の対談のほか、上田信治の『成分表「声」』も掲載されている。「里」に連載されている「成分表」の川柳版である。

「俳誌要覧2018年版」(東京四季出版)が発行されている。
【俳文学の現在〈川柳〉】を飯島章友が執筆している。昨年この欄を担当した柳本々々は2017年版で次のように書いていた。
「川柳というジャンルのなかでいろんな人間がそれぞれの場所からこれまでとは違った光を灯そうとしている。2017年がその光を迎えとるだろう」
では2017年は現代川柳にとってどのような年だっただろうか。
飯島は物故作家のことから書きはじめている。
2016年から2017年にかけて、これまで現代川柳を牽引してきた人々が相次いで亡くなった。墨作二郎・渡辺隆夫・海地大破・脇屋川柳などである。飯島はたとえば墨作二郎について、形式の変遷を通じた作二郎の作品の変遷を丁寧に紹介している。
さらに飯島は現代川柳の新世代の作者について今後の期待を寄せている。『現代川柳の精鋭たち』や『セレクション柳人』以降の作者たちが台頭してきており、新たなアンソロジーや句集が待望されるという。
「俳誌要覧」の〈連句〉のコーナーは浅沼璞が執筆している。
浅沼はまず、日本連句協会・前会長の臼杵游児の追悼からはじめ、俳誌「オルガン」での浅沼と柳本々々との往復書簡に触れ、往復書簡という形式がきわめて連句的だったことを述べている。

さて、三月もそろそろ終わり新年度がはじまろうとしている。
現代川柳の世界を見渡してみると別に何も新しい動きはないようにも思えるが、何もないように見えて川柳も少しずつ変化している。
四月から生活環境が変わったり、新しいスタートを切る人も多いことだろう。それぞれの場でそれぞれの表現者が発信している言葉に耳を傾けてゆきたい。

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