2020年10月30日金曜日

金築雨学の川柳

金築雨学(かねつき・うがく)は島根県の川柳人。
雨学といえば次の作品がよく知られているし、私も真っ先に思い出す。

虫に刺されたところを人は見せたがる  金築雨学

説明は何もいらないし、むずかしい言葉はひとつも使っていない。なるほどなあと読む者を納得させる。『現代川柳の精鋭たち』(北宋社、2000年)に収録されている句だが、同書からもう少し抜き出しておく。

送別会再び会うことのないように
反対は一人もいない不信感
よく似合いますよと店員が言う
深追いをしたのか人の声がせぬ
換気扇人の臭いを出しておく

川柳では「平明で深みのある句」が良いと言われることがある。インパクトのある言葉や難解な用語を用いた実験的・冒険的な作品とは別に、川柳の骨法をふまえた平明な句である。雨学の作風は伝統的な書き方で、その特徴は「穿ち」である。
新葉館出版の川柳作家全集『金築雨学』(2009年)に彼の略歴が掲載されている。

昭和16年生まれ。
昭和43年「出雲番傘」入会
昭和47年「番傘本社」同人
昭和51年「川柳展望」会員
昭和56年「風の会」創立
平成15年「バックストローク」会員

島根県の川柳人で雨学の先輩に当たるのが柴田午朗。午朗の句集『黐の木』(もちのき、1979年)のあとがきには次の一節がある。
「私も昭和初年以来『番傘』に所属しながら、川柳の伝統を踏まえつつ、現代人としての私自身の感懐を作品に加えたつもりである」「伝統か、革新か、具象か、抽象かの議論は、川柳界に於ても、また避けることの出来ない問題だが、さて自分自身の作品はどうか、と反省するとき、ただ自分の力なさを嘆くばかりである」
柴田午朗は昭和44年より4年間、「番傘」一般近詠の選者を担当した。金築雨学も柴田午朗のめざした方向性を受け継いでいるように思われる。午朗の作品では「ふるさとを跨いで痩せた虹が立つ」(『痩せた虹』1970年)が有名だが、『黐の木』から何句か紹介しておく。

峠道海へなだれて紅い魚拓     柴田午朗
ふたりきりなら鬼になるほかはなし
蛇を見た日から別れが近くなる
今日も来ない明日も来ない鶴の便り
バスよ急げ鏡の裏にひとが待つ
風に紛れてひとのこころを買いにゆく
千発の花火をあげてさようなら

金築雨学に戻ろう。『金築雨学』のあとがきに彼の詩が掲載されている。

軒の低い小さな雑貨店に入った
何が欲しいと思ったわけではなかったが
赤 青 緑 綴じられた紙風船を取った
風船の紙の手ざわりと
ささやきが耳をクスグル
千円渡したら三百円のおつりを呉れた 

(中略 子供だった「私」は67歳のおじいさんになる)

紙風船を買った雑貨店のつり銭も
まだポケットに残っていて
歩くたびに鳴る
以下余白の命も宙ぶらりんのまま
風が吹く度チャリンチャリンと鳴る

雨学とは「バックストローク」のころに二、三度会ったことがある。この句集を送っていただいたときに、短い手紙がはさまれていて、「私のやっている川柳勉強会では、あなたの理論を充分に参考にしています」とあった。私の書いたものを読んでいただいていたのだと思う。今年7月に彼は79歳で亡くなった。改めて読み直した句集から、引用して終わりにする。

拘っているのか少し熱がある    金築雨学
動物園からお父さんを連れて帰る
霧の中自分の鼻を確かめる
顔の上を誰か歩いたようだった
水面が光って帰りにくくなる
臆病な谷で山葵がよく育つ
蛇の出た話を何時もしてくれる
殺意はあった 何事も無い一日
白という面倒くさい色がある
オオカミに食べられた娘は美しい

2020年10月23日金曜日

短歌がおもしろい(正岡豊『四月の魚』など)

時評がきちんと更新できないまま時間が流れてゆく。何もしていなかったわけではないが、言葉にはまとまらない。この夏から秋にかけて入手した短歌関係の本について書いておきたい。

歌集がたくさん出版された。
まず正岡豊の『四月の魚』(書肆侃侃房)が現代短歌クラシックスの一冊として刊行される。 この歌集は1990年にまろうど社から刊行。2000年に同社から再版刊行(私が持っているのはこのときの本)。「短歌ヴァーサス」に再録。それぞれの版に追加収録されている歌があって、たとえば「短歌ヴァーサス」版では「拾遺四十五首」が付いていた。今度の版では「風色合衆国」が追加されていて、次のような歌。

「時間を殺して明日が来るとでもいうの?」「お前、眠れば明日はくるよ」  正岡豊
大島弓子はまひるの桜 さんさんと散りだせばもうお茶の時間よ

それぞれの版で少しずつ印象が違うのは読んだときのこちらの状態にもよるのだろう。今度読んでいいなと思ったのは次のような歌。

夏になれば天窓を月が通るから紫陽花の髪それまで切るな
よそをむきとぶ鳥はかならず落ちてほほえんで麦になるのであろう
この塩がガラスをのぼってゆくという嘘をあなたは信じてくれた
橋落つるとも紫陽花の帆とおもうまで耳蒼ざめてはりつめていよ

加藤英彦第二歌集『プレシピス』(ながらみ書房)も印象に残る歌集だ。第一歌集『スサノオの泣き虫』から14年、「Es」終刊から5年。

うらぎりをくり返し来し半生か内耳しびるるまで蟬しぐれ   加藤英彦
あれはだれ、あれはわが家で飼っていた犬です むかし死んだ犬です
この夏を越ゆるかどうか食ほそく鱈の身ほぐしつつ口にせぬ
夜ふけてシーツの上にいる蝶のような枯れ葉よ 今そこになにが来ているのか
その口に貴賤のひびきが匂うとき嫌だなあすこし声が艶めく
頽廃のはての宇宙にうかびたる冥王星や井上陽水

高柳蕗子『短歌の酵母Ⅲ青じゃ青じゃ』(沖積舎)は『短歌の酵母』シリーズの三冊目である。
一冊目の『短歌の酵母』(2015年)の「まえがき」には次のように書かれている。
「人間側から見れば、人は自らの意志で短歌を詠んでいるのだが、短歌の側から見れば、人間の意識に偏在し、人という酵母菌たちに短歌を詠ませているのだ。つまり人と短歌は共生関係にある」
今度の本では「青」という言葉のイメージを一冊にまとめている。青の基本イメージは空の色だが、ブルーシートの青や神秘の青、神話の青など、多様な切り口で青の短歌を集めている。引用されている作品が多いので、「青」についてのアンソロジー、データベースとしても便利である。読んでいて永井陽子の歌が特に印象に残ったので次に挙げておく。

もうすぐ空があの青空が落ちてくるそんなまばゆい終焉よ来たれ  永井陽子
仲秋のそらいちまいの群青のわが骨はみな折れてしまふよ
夏空のほとほとかたき群青も食ひつくすべし鵯の悪食
シベリアの青き地図など描きつつ心の破片を集めていたる

空の青といえば若山牧水の次の歌が有名で、本書でも最初に取り上げられている。

白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ     若山牧水
ランボーはむかしいもうとの妻であり青空を統べる骨ひとつあり 瀬戸夏子

高柳蕗子は瀬戸の歌について、〈「白鳥」からはじまった系譜の究極の姿のひとつ〉と述べている。「あの白鳥が骨になっちゃった!」というのだ。おもしろい見方だと思う。
川柳でも「青」の句が多いのでいくつか挙げておく。

ドラえもんの青を探しにゆきませんか   石田柊馬
足首に青い病気を持っている       樋口由紀子
青を着て青く解体されてゆく       松永千秋
青い絵の中で青溶く王に逢う       清水かおり

『塚本邦雄論集』(短歌研究社)は塚本邦雄生誕百年として、「現代短歌を読む会」の七人の執筆者(池田裕美子・尾崎まゆみ・楠誓英・楠見朋彥・彦坂美喜子・藤原龍一郎・山下泉)による論集。それぞれ読み応えがあるが、彦坂美喜子「塚本邦雄─その始まりの詩想」と藤原龍一郎「魔王転生─『波瀾』、『黃金律』、『魔王』を読む」が特に興味深かった。

秋になって、ヘッセの「霧の中」という詩とリルケの「秋」をときどき思い浮かべる。秋は実りの季節であると同時に黄落の時期でもある。頽落のときをどう乗りきるか。

2020年10月16日金曜日

第14回浪速の芭蕉祭

10月11日に「第14回浪速の芭蕉祭」がリモート連句で開催された。例年、大阪天満宮の梅香学院で行われているのだが、今年はコロナ禍のためオンラインで開催することになった。参加者は23名。関西・東京のほか会津・金沢・伊勢・鹿児島などからも参加があり、リモートなのでかえってご参加しやすかったようだ。
「浪速の芭蕉祭」は芭蕉終焉の地・大阪にちなんで2007年10月にスタートした。第2回から隔年ごとに連句の募吟をはじめ、第4回から第10回まで毎年募吟をおこなってきた。形式は自由で、さまざまな連句形式を同じ土俵にのせて審査するところに特徴があったが、現在は募吟を行っていない。
当日は12時40分にZoom入室、13時から約1時間、門野優・小池正博・高松霞による鼎談「若手連句人から見た現代連句の世界」、その後4セッションにわかれて連句実作を行った。鼎談では「捌き手に求められるのはルールの障りを見つける能力ではなく、付句を決定するセンス」などの発言もあり、あとの実作にプレッシャーがかかったことだろう。
小池正博捌きの座では十二調を巻いた。
十二調は昭和期に瀬川芦城が創始したが、その後絶えていたのを平成に入って岡本春人が現代向きに改革を加えたもの。 天野雨山編の『昭和連句綜覧』から昭和の十二調を紹介しておく。倉本方城・西尾其桃・寺崎方堂の三吟「冬木立の巻」である。

(再度山に登りて)
山門や句塚見返る冬木立    方城
 鶯の子のいとけなき聲   其桃
馬糞紙の積出荷物嵩はりて   方堂
  生かぢりても英語間に合ふ  城
秋も咲く茨の匂ふ窓の月     桃
  呉服祭に假の祝言      堂
約束のおへこの年期勤め上げ   城
  お國自慢の天の橋立     桃
さらさらと吹て通つた青嵐    堂
  乾き加減に落る瘡蓋     城
こつそりと花見て戻る宵の程   桃
  とりまはしよき別荘の春   堂

岡本春人は〈十二調は季の句と雑(無季)の句が半々、景の句と情の句が半々ぐらいの配分で作ります。むずかしい規則のない、新しい形式の連句です〉(『連句のこころ』)と述べている。
新派の連句について付け加えておく。最近は新派・旧派という区別をあまり言わなくなったが、美濃派・伊勢派などの伝統的俳諧を旧派、正岡子規にはじまる明治からの俳句・連句を新派という。高浜虚子は連句の重要性を認識していて、高浜年尾に雑誌「俳諧」の発行を命じ、阿波野青畝にも連句の研鑽を示唆した。年尾の『俳諧手引』の巻頭には「昭和俳諧式目」が掲載されている。青畝の「かつらぎ」系の俳人には連句の心得があり、岡本春人の「俳諧接心」に受け継がれた。

ところで、来年の国民文化祭は和歌山で開催されることになっていて、「連句の祭典」は上富田町で行われる。上富田町は熊野古道の入り口に位置していて、その一帯は口熊野と呼ばれている。
八上神社(八上王子)をはじめ由緒ある遺跡も点在している。八上王子は藤原定家の日記『後鳥羽院熊野御幸記』の建仁元年(1201)の条に、後鳥羽上皇の熊野御幸のことが記されている。また、西行法師の歌でも有名で、境内には西行歌碑も建立されている。

   熊野へまいりけるに、八上の王子の花面白かりければ、社に書きつけける
待ち来つる八上の桜咲きにけりあらくおろすなみすの山風(『山家集』上春98)

あと、田中神社のオカフジは南方熊楠が命名したことで知られている。
紀伊田辺の南方熊楠顕彰館や新宮の佐藤春夫記念館など、和歌山県にはゆかりの文学者が多い。
現在、和歌山県民文化会館で「連句とぴあ和歌山」、上富田文化会館で「はじめての人のための連句会・上富田」、二つの連句会が立ち上げられている。

以上、連句の話をしてきたが、川柳とも無関係ではない。連句には五七五の長句と七七の短句があるが、川柳にもこの両形式がある。 川柳雑誌「風」第118号(編集・発行 佐藤美文)では第21回風鐸賞が発表されている。今回の正賞、本間かもせりの作品から紹介しよう。七七句(十四字)である。

どのページにも待つ人がいる  本間かもせり
逃げて逃げてと叫ぶ天気図
となりの窓も窓を見ている
二、三歩先を歩き出す季語

連句の短句が前句とセットでひとつの世界を形作るのに対して、川柳七七句は一句独立するところに違いがあるが、本間の句は連句の付句に用いてもおもしろいように思われる。