2020年10月16日金曜日

第14回浪速の芭蕉祭

10月11日に「第14回浪速の芭蕉祭」がリモート連句で開催された。例年、大阪天満宮の梅香学院で行われているのだが、今年はコロナ禍のためオンラインで開催することになった。参加者は23名。関西・東京のほか会津・金沢・伊勢・鹿児島などからも参加があり、リモートなのでかえってご参加しやすかったようだ。
「浪速の芭蕉祭」は芭蕉終焉の地・大阪にちなんで2007年10月にスタートした。第2回から隔年ごとに連句の募吟をはじめ、第4回から第10回まで毎年募吟をおこなってきた。形式は自由で、さまざまな連句形式を同じ土俵にのせて審査するところに特徴があったが、現在は募吟を行っていない。
当日は12時40分にZoom入室、13時から約1時間、門野優・小池正博・高松霞による鼎談「若手連句人から見た現代連句の世界」、その後4セッションにわかれて連句実作を行った。鼎談では「捌き手に求められるのはルールの障りを見つける能力ではなく、付句を決定するセンス」などの発言もあり、あとの実作にプレッシャーがかかったことだろう。
小池正博捌きの座では十二調を巻いた。
十二調は昭和期に瀬川芦城が創始したが、その後絶えていたのを平成に入って岡本春人が現代向きに改革を加えたもの。 天野雨山編の『昭和連句綜覧』から昭和の十二調を紹介しておく。倉本方城・西尾其桃・寺崎方堂の三吟「冬木立の巻」である。

(再度山に登りて)
山門や句塚見返る冬木立    方城
 鶯の子のいとけなき聲   其桃
馬糞紙の積出荷物嵩はりて   方堂
  生かぢりても英語間に合ふ  城
秋も咲く茨の匂ふ窓の月     桃
  呉服祭に假の祝言      堂
約束のおへこの年期勤め上げ   城
  お國自慢の天の橋立     桃
さらさらと吹て通つた青嵐    堂
  乾き加減に落る瘡蓋     城
こつそりと花見て戻る宵の程   桃
  とりまはしよき別荘の春   堂

岡本春人は〈十二調は季の句と雑(無季)の句が半々、景の句と情の句が半々ぐらいの配分で作ります。むずかしい規則のない、新しい形式の連句です〉(『連句のこころ』)と述べている。
新派の連句について付け加えておく。最近は新派・旧派という区別をあまり言わなくなったが、美濃派・伊勢派などの伝統的俳諧を旧派、正岡子規にはじまる明治からの俳句・連句を新派という。高浜虚子は連句の重要性を認識していて、高浜年尾に雑誌「俳諧」の発行を命じ、阿波野青畝にも連句の研鑽を示唆した。年尾の『俳諧手引』の巻頭には「昭和俳諧式目」が掲載されている。青畝の「かつらぎ」系の俳人には連句の心得があり、岡本春人の「俳諧接心」に受け継がれた。

ところで、来年の国民文化祭は和歌山で開催されることになっていて、「連句の祭典」は上富田町で行われる。上富田町は熊野古道の入り口に位置していて、その一帯は口熊野と呼ばれている。
八上神社(八上王子)をはじめ由緒ある遺跡も点在している。八上王子は藤原定家の日記『後鳥羽院熊野御幸記』の建仁元年(1201)の条に、後鳥羽上皇の熊野御幸のことが記されている。また、西行法師の歌でも有名で、境内には西行歌碑も建立されている。

   熊野へまいりけるに、八上の王子の花面白かりければ、社に書きつけける
待ち来つる八上の桜咲きにけりあらくおろすなみすの山風(『山家集』上春98)

あと、田中神社のオカフジは南方熊楠が命名したことで知られている。
紀伊田辺の南方熊楠顕彰館や新宮の佐藤春夫記念館など、和歌山県にはゆかりの文学者が多い。
現在、和歌山県民文化会館で「連句とぴあ和歌山」、上富田文化会館で「はじめての人のための連句会・上富田」、二つの連句会が立ち上げられている。

以上、連句の話をしてきたが、川柳とも無関係ではない。連句には五七五の長句と七七の短句があるが、川柳にもこの両形式がある。 川柳雑誌「風」第118号(編集・発行 佐藤美文)では第21回風鐸賞が発表されている。今回の正賞、本間かもせりの作品から紹介しよう。七七句(十四字)である。

どのページにも待つ人がいる  本間かもせり
逃げて逃げてと叫ぶ天気図
となりの窓も窓を見ている
二、三歩先を歩き出す季語

連句の短句が前句とセットでひとつの世界を形作るのに対して、川柳七七句は一句独立するところに違いがあるが、本間の句は連句の付句に用いてもおもしろいように思われる。

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