2016年12月23日金曜日

現代川柳 展望2016年

「現代詩手帖」12月号は「現代詩年鑑2017」となっていて、今年一年を振り返る内容である。短詩型文学については、野口あや子が「変化と欲望の先にあるもの」(短歌展望2016)を、田島健一が「〈他者〉は忙しい」(俳句展望2016)を書いている。
野口は「新鋭短歌シリーズ」などの歌集出版ラッシュに触れながら、短歌の流通の問題を取り上げているようだ。自己表現と流通の関係は微妙だ。流通することで作品は従来の短歌作品の内実とは変質してゆく部分が生じる。作品と商品の関係は従来からも言われてきたことだろう。
田島は俳句のシステムの問題を取り上げているように思われる。俳句甲子園や各種の俳句賞、結社、師弟関係などに触れながら、「他者の承認を受けて立っている作品」と「自律的に立とうとする作品」の区別を問う。それが区別できるかどうかは別として、俳句では作品が作られ人口に膾炙してゆくシステムが重要なのだろう。
では、川柳ではどうか。川柳作品は流通もしないし、作品が一般に普及するシステムも整備されていない。「無名性の文芸」「蕩尽の文芸」であり、そこが川柳の魅力でもあると強がって見せておきたいが、今年、川柳の世界でどのようなことがあったのかを極私的にでも振りかえっておく必要はあるだろう。

まず、今年1月~3月に出た『大人になるまでに読みたい15歳の短歌・俳句・川柳』(ゆまに書房)全三巻は大きな出来事だった。現代川柳作品のアンソロジーは、『現代川柳の精鋭たち』(北宋社)以後、これといったものがなく、『現代川柳必携』『新現代川柳必携』(三省堂)なども一種のアンソロジーと言えるかもしれないが、句数が多すぎて読者にとっては散漫になる。『大人になるまで~』は短歌・俳句・川柳の三ジャンルが等価に扱われており、鑑賞文も付いているので読みやすい。たとえば、次のような作品が見開き両ページに並んでいるのは刺激的である。

ドラえもんの青を探しにゆきませんか  石田柊馬
君はセカイの外へ帰省し無色の街    福田若之

墓地を出て、一つの音楽へ帰る     中村冨二
夢の世に葱を作りて寂しさよ      永田耕衣

もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい 岡野大嗣
院長があかん言うてる独逸語で     須崎豆秋

アンソロジーだけではなく、単独の川柳句集の発行も盛んになってきた。
兵頭全郎句集『n≠0』、川合大祐句集『スローリバー』、岩田多佳子句集『ステンレスの木』など注目すべき句集が発行されている。

付箋を貼ると雲は雲でない  兵頭全郎
(目を)(ひらけ)(世界は)たぶん(うつくしい) 川合大祐
寝ている水に声を掛けてはいけません   岩田多佳子

半世紀ほど前、山村祐は「句集は墓碑銘ではない」と書いていた。
川柳句集とはひとりの川柳人が生涯に一冊出すもの、という感覚の時代があったのである。
そのことがある意味で川柳の普及を妨げていたところがある。読者層が限定されてしまい、川柳界の外部に広がっていかないからだ。
たとえばミュージシャンはCDを出すことによってデビューする。CDを出さずに、コンサートだけで勝負しているミュージシャンもいるかもしれないが、レコードやCDを出すのは自分の作品を世に問うということなのだ。仲間や友人にだけ作品を披露するのでは世界が広がらない。
かつて石田柊馬は「川柳は読みの時代に入った」と言った。その後しばらくして、私は「読みの時代の次には何が来るでしょうか」と柊馬に訊いたことがある。彼は「句集の時代」と答えたが、それが今や現実になりつつある。

今年は尾藤三柳という現代川柳を牽引してきた大きな存在が亡くなり、ひとつの時代の終焉という感を深くする。終焉は次の時代のはじまりでもあるのだ。

次回は1月6日に更新します。みなさま、よいお年をお迎えください。

2016年12月9日金曜日

現代川柳 北から南から―「触光」と「裸木」

青森で発行されている川柳誌「触光」(編集発行・野沢省悟)が50号を迎えた。年5回発行だから10年ということになる。
高田寄生木が「『触光』50号オメデトウ」という文章を書いていて、「触光」創刊号の野沢省悟の言葉を引用している。野沢はこんなふうに書いている。

「―川柳を何故つづけるのか?それは〈川柳が好きである〉との一言で言おうとすれば言えるが、単にそれだけで川柳をつづけているのではないと思う。客観的にみるならば、川柳をつづけることは〈のっぴきならないことであるのだ〉」

野沢のいう〈のっぴきならないこと〉に促されて、「触光」は10年続いてきた。「触光」以前にも彼は「双眸」や「雪灯」を出している。
巻末に「触光500号記念・触光推奨作品集」が掲載されている。創刊号から49号までの490句が掲載されていて興味深い。その中から次の15句を選んでみた。

牛の耳ピクリ軍靴か竜巻か        木暮健一
ともかくも一人は減った独裁者      瀧音末男
手は母を殺めてないが高瀬舟       大塚ただし
水面にローレライ水底にガンジー     濱山哲也
魍魎の匣を開ければ偽偽偽偽       中山恵子
この国で歳をとってはいけません     濱山哲也
記憶かくにん指はかまれた金魚は噛んだ  宮本夢実
買って飲む水を文化と思い込む      瀧 正治
おりづるのいきたえだえのかぞえうた   高田寄生木
口パクの君が代のあとワンコそば     渡辺隆夫
かぐや姫優待券を隠し持つ        鈴木修子
にんげんを食べる診察券だろう      勝又明城
ジュラ紀ではぼくたちだって飛んだ空   落合魯忠
くろやぎさんをきづかうためのいくさです 柳本々々
図書館は濡れないように立っている    猫田千恵子

「時事川柳」のコーナーでは渡辺隆夫から高瀬霜石に選者が交替、「誌上句会」では次号から広瀬ちえみから芳賀博子へ選者がかわるということだ。
また、「触光」では「第7回高田寄生木賞」として「川柳に関する論文・エッセイ」を募集している。評論・作家論賞というのは川柳界では稀有のことである。締切は2017年1月31日、4000字以内。川柳論を書いてみようという方々は応募してみてはいかがだろう。

熊本の川柳誌「裸木」(らぎ)は、いわさき楊子によって編集・発行されている。11月末に4号が出た。いわさきのほか、同人は上村千寿(熊本)・川合大祐(伊那)・北村あじさい(熊本)・久保山藍夏(福岡)・阪本ちえこ(熊本)・樹萄らき(伊那)というメンバーである。「くまもとメール川柳倶楽部」が発展してできた川柳誌。同じ地域にいなくても、メールによって全国の川柳人とつながることができる。同人作品のご紹介。

ムササビ飛んだビートはイイかんじ    樹萄らき
モルフォチョウの裏側の方で待っている  久保山藍夏
鎌でしょうカマキリでしょう嘘でしょう  阪本ちえこ
砂を吐く貝はクリーンになったのか    北村あじさい
体内のフィラデルフィアとカトマンズ   いわさき楊子
卵産むところ探して陽が落ちる      上村千尋
強大な堀北真希が降りて来る       川合大祐

「くまもとメール倶楽部」は今年の春で100回を超えたそうだ。「裸木」に参加していない部員の句も紹介しておく。

褒められました腹がたちました      柴田美都
箱売りの小鰯 抵抗の重さ        竹内美千代
順番がきましたさてと行きますか     猫田千恵子
耐性をウイルス並みにつけてやる     徳丸浩二

いわさき楊子は「後記」にこんなふうに書いている。
「揺れ以来、何ごとにもゆるくなった判断(いいんじゃない)で今年も発行することができた。つづけるという束縛からは離れてそのつど考えることにする」

野沢省悟のいう「のっぴきならないこと」といわさき楊子のいう「そのつど考える」。それぞれの川柳誌がそれぞれの場で発行されてゆく。
先日、東京で瀬戸夏子に会ったとき、彼女が「雑誌はそれを出したいと強く思う人がいれば出るものだ」と言ったことが印象に残っている。

2016年11月26日土曜日

文フリ東京に行ってマゴマゴする

11月23日、「第23回文学フリマ東京」を見にいった。会場は東京流通センター第二展示場。浜松町からモノレールに乗ってゆく。
文フリ大阪には参加しているが、東京ははじめて。やはり規模が大阪とは違う。会場は一階と二階に分かれていて、それぞれ満員である。一階は全部小説、二階は小説のほか詩歌・評論などで、それぞれ400ブースほど、合計800ブースを越える出店がある。文フリのパンフレットを読むと文フリ大阪の募集数が基本300だから、大阪の倍以上の参加者があることになる。これだけの人々が作品を発信し、それを購入する読者が存在するのは驚きである。
「率」のブースに委託で「川柳カード」と『水牛の余波』『転校生は蟻まみれ』を置いていただいているので、まず「率」のブースに行く。何冊か売れているのが嬉しい。販売の邪魔になってはいけないので、少し離れたところで見ていた。本を手に取ってくれる人もたまにいるが、買わずに机上に戻すことが多く、見ているとはらはらするので心臓によくない。フリーペーパー「SH 3.5」に川柳を掲載してもらった。

気をひいてみる鉄塔の奪い合い  小池正博
これからの東京の孤独はまかせて 我妻俊樹
気象から気候に至り一泊目    宝川踊
信じるゆくゆくは天秤の呼吸へと 瀬戸夏子
視界への脅迫として横に川    平岡直子

これに「現代川柳の世界への招待」として川柳作品28人、ひとり5句のアンソロジー(瀬戸夏子選出)が付いている。宝川踊と初めて会えたのもよかった。

会場を回って、私が買ったのは「象」4号と「東北大短歌」3号。
学生短歌は作品だけの冊子もいいが、評論がいろいろ掲載されている方が彼らの関心のありどころがわかって購買意欲をそそる。「東北大短歌会」など文フリ大阪には出店していないところもある。「象」は日大芸術学部。「象」の特集は「社会詠を詠む」、東北大は「女歌」「連作」についての評論を掲載している。

何しろブースの数が多いので、見落としてしまって後から買えばよかったと思うものもある。事前にツイッターなどでもっと下調べしておけばよかったと思う。
そういう意味では、柳本々々が「ブログ俳句新空間」に「【短詩時評】文学フリマに行こう、家から出ないで-第二十三回文学フリマ東京Webカタログを読む-」という文章を書いているのは興味深かった。柳本は「Webカタログを読む」という視点から文フリをとらえて見せている。フリーペーパーの「RT」は私ももらったので、柳本の挙げているものとは違う句を紹介しておこう。歌人の二人がなぜか俳句を詠んでいる。

オリオンや狩るなら僕を狩ってくれ   龍翔
蜻蛉の眼に映ればわたしひとりじゃない 辻聡之

会場を回っていても川柳の存在感は希薄だ。東京もやはり川柳砂漠なのだろうか。
ただ、注意深く見ていくとブースはなくても委託で川柳が置かれているのがうっすらと感じられる。
「率」が川柳を作っているほか、「みろく堂」のブースで朝妻久美子の冊子が委託されている。「混線」「ミュウミュウ」は持っているので、『きっとすべてはラブソング』を購入。

居場所を見つけられずに壁にもたれて会場をぼんやり眺めながら、川柳はどうやってこの中に入ってゆけばいいのだろうと考えていた。来年5月の文フリ東京にはブースを出すつもりだ。そんなことをして何になると思わないでもないが、私が今までやってきたことだって同じようなものである。五年前に高山れおなが新聞に書いた書評を覚えていて、こんど『水牛の余波』を買ってくださった人もいる。投壜通信のようなものだ。

山種美術館では「速水御舟展」が開催されていた。
「炎舞」を見るのは20年ぶりだろうか。
静かに見ながら、心に期するものが湧いてくるのを感じた。
文フリの翌日、東京は雪であった。
六義園を訪れ、雪のなかで紅葉の景色を体感した。
五十年に一度あるかないかの風景だろう。
歩いていればいろいろな光景に出合うものだ。

2016年11月18日金曜日

斉藤斎藤歌集『人の道 死ぬと町』

前々回、小津夜景の『フラワーズ・カンフー』について書いたが、小津が自らのブログで高山れおなの『俳諧曾我』を読んだのがきっかけで攝津幸彦賞に応募した、というようなことを書いているのを読み、腑に落ちるところがあった。『俳諧曾我』のうち「フィレンツェにて」では詞書+俳句というかたちで作品が書かれている。また、「三百句拾遺」では『詩経』が使われている。
「屹立せよ一行の詩」というような考え方からすると、作品の前後には何も付けてほしくない、ということになるだろうが、文芸が無から生まれるのではなくて、先行する作品との関係性のなかから生まれるのだとすれば、前書き+句歌というパターンはとても刺激的な光景を生み出すことになる。

斉藤斎藤の歌集『人の道 死ぬと町』(短歌研究社)には単独歌、連作、詞書+短歌、などのさまざまなパターンの作品が収録されていて、読者を飽きさせない。2004年から2015年までの作品が集められていて、まだ完全には読み込めていないが、連作の、特に散文+短歌の部分に注目してみたい。
池田小学校事件の「今だから、宅間守」、大阪での展覧会を見ての「人体の不思議展」なども興味深いが、福島を詠んだ「NORMAL RADIATION BACKGROUND 3 福島」から次のような詞書(前書き)を引用してみる。

「本日司会を仰せつかりました磐梯熱海温泉おかみの会の片桐栄子と申します。福島に降り注いだセシウムは、134と137がほぼ同量と言われています。この曲線をちょっと下げる、もうちょっと下げる、これが除染の実際でございます。福島で生きる。福島を生きる。ならぬことはならぬものです。二年は除染しないでください。でないと川に流れ込んで全部こっち来る。証明できるかどうか議論していて、尿中のセシウムが6ベクレルに上がっていくのを防ぐことができますか。女の子の満足度をとにかく追及したくて東北最高レベルの時給をご用意しました。今なら被災者待遇あり、託児手当支給。逆に元気をもろたわと鶴瓶が家族に乾杯します。人が生み出したものを人が除染できないわけがない。岐阜と神奈川では年間0.4ミリシーベルトも違う、そのくらいの相場感でわたしたちは大好きなふくしまで今このときも生きています。わたしたちはゴジラではありません。和合亮一です。おかしなことを言っていますが本気です。福島はこれからも福島であり続けます。伝えたいことはそれだけです」

一読して分かるように、これは単独の発言や文章の引用ではない。さまざまな発言・メッセージなどを綴りあわせてリミックスしたものである。

短歌誌「井泉」72号のリレー評論「現代に向き合う歌とは?」に荻原裕幸が「現代/短歌をめぐる断章」という文章を書いている。荻原は1970年代まで人々はその時代の「現在」を少なくとも知識として共有していたのに対して、1980年代ごろからそのような共有感がなくなり、その人その人の「現在」がパラレルワールドのように存在している、と述べたあと次のように書いている。
「同じことは、短歌の流れにも生じつつあるように感じる。ニューウェーブ以後、ほぼ四半世紀の間、新しい人があらわれ、新しい作品が注目されても、それらが一連の動きとして、現代の短歌の焦点として認識されることが、きわめて少なくなった。数十年もすれば、短歌史が、歴史ではなく、列記化しそうだ」
そして、荻原は斉藤斎藤の歌集から次の二首を挙げている。

こういうひとも長渕剛を聴くのかと勉強になるすごい音漏れ
大丈夫あなたあの買ったマンションに津波の心配はありません

「注目したいのは『長渕剛を聴く』ことと『津波の心配』とが、ほぼ同じ位相の情報として扱われているこの語り口である。『現代』の題材に向き合って短歌を書いていれば、直面せざるを得ない価値の平準化だ」

「井泉」の「リレー評論」では、もう一人、彦坂美喜子が「当事者でない者の表現」を書いている。彦坂は震災や戦争などの大きな事件に対して「当事者でない者が、対岸の火事ではないどのような表現が可能か」と問題提起したあと、その可能性として北川透の詩「射影図、あるいは、遙かな二つの地震」を挙げている。そして短歌でこれができるかどうか考えるときに、そのひとつとして斉藤斎藤の歌を挙げている。

みんな原発やめる気ないすよねと言えばみんな頷く短歌の集まり

「『みんな頷く』顔の見えない、その曖昧性こそ、漠然とした原発への肯定と否定が入り混じっている現在の人々の感情に他ならない。ここには問いと答えの情況の記述があるだけだが、現代の、みんなが、抱えている曖昧性にまで言葉が届いていると思う」

荻原と彦坂がそれぞれの視点から斉藤斎藤の歌を取り上げているのは、それだけこの歌集に「現代」が反映しているからに違いない。
さらに川柳に引きつけるならば、柳本々々は「〈感想〉としての文学―兵頭全郎と斉藤斎藤―」(ブログ「俳句新空間」2016年11月11日)で兵頭全郎の川柳と斉藤斎藤にある共通点を見出している。

おはようございます ※個人の感想です  兵頭全郎

「この全郎さんの句が教えてくれるのはこういうことです。〈感想〉とはよく知られているような読書〈感想〉文のような意味の付与なんかではない。そうではなくて、実は〈感想〉というのはそれそのものを「個人の感想」としてしまうことで、〈偏った見方〉であることを引き受け、そしてその〈あからさまな偏差〉によって再定義しようとするものだ、ということなのです」。

この「※個人の感想です」がまったくおなじかたちであらわれているものとして、柳本は斉藤斎藤の歌集のうち「わたしが減ってゆく街で ~NORMAL RADIATION BACKGROUND 4 東京タワー」を引用している。

一九九〇年、バブル崩壊。わたしは高校を卒業する。
一九九三年、就職氷河期突入。
一九九六年、就職活動もロクにしなかったわたしは、大学を卒業してフリーターになった。
高校生の私は、就職はできて当たり前。就活は、10人中8人が座れる椅子取りゲームと思っていた。
しかし大学生活を送るうち、みるみる椅子は減らされてゆき、卒業する頃には10人に三つの椅子しか残されていなかった。*13
  
*13 ※個人の感想です

「一九九三年からの就職氷河期という社会・歴史のなかに投げ込まれているか『私』ですが、そのなかに『10人に三つの椅子しか残されていなかった』という『個人の感想』が出てくることによって、大きな社会の歴史と小さなわたしの歴史が競りあい、そのどちらもが相対化されるようになっています」

斉藤斎藤の『人の道 死ぬと町』は興味深い歌集である。引用したくなるような短歌と散文がちりばめられている。それぞれの読者の問題意識によって作品がさまざまな表情を見せる。現代を代表する歌集に違いない。

2016年11月13日日曜日

尾藤三柳の仕事

10月19日に尾藤三柳が亡くなった。享年87歳。
三柳は「川柳公論」を主宰したほか、『川柳総合事典』の監修、『川柳200年の実像』『川柳入門』『川柳作句教室』などの入門書を通じて川柳の普及に貢献した。川柳界にとって大きな存在であった。

いま三柳の仕事をふりかえってみるとき、彼が「川柳形式の構造」を明らかにしたこと、「川柳史」への展望を開いたこと、「選者」の役割を再認識させたことの三点が特に重要だと思われる。

まず、「川柳形式の構造」についてだが、三柳は『柳多留』の編者である呉陵軒可有の文芸観として「一章の問答」を挙げている。

母おやハもつたいないがだましよい

『川柳200年の実像』(雄山閣)で三柳はこの句を例に挙げて次のように言う。

「この付句に、一句としての独立内容を与えているのは、対立的な二段構造、いわゆる『一章に問答』である。『~は~』という一章のかたちは古川柳の普遍様式の一つで、この場合、格助詞の『は』は、前後二段を結んで、その上の文が、その下に続く文に対して『問』のかたちになる。『母おやハ』は、だから『母親というものは、どううものかというと』である。その問から引き出されたのが『もったいない』と『だましよい』という対立・矛盾する概念で、これが一句の内容になる。母親は『もったいない』存在であると同時に、『だましよい』存在であるという背反したものの捉え方、それがイロニーであり、諧謔のもとをなしている。これが『一章に問答』の典型である」

三柳が述べているのは古川柳の例であるが、現代川柳はこの基本構造を越えて、答えの部分をイメージに置き換えたり、答えを書かないなどのさなざな展開を見せているのである。現代川柳でも「~は」という句を見ると「は」に川柳性を感じるのは、この問答構造の遠い記憶があるからにほかならない。私は詩的飛躍論者だから、「問答」ではなく「飛躍」という捉え方をすることが多いが、三柳の明らかにした川柳のルーツを忘れたことはない。

次に、「川柳史」への展望についてだが、現代川柳史についての満足できる論考が存在しない現状で、三柳が昭和後期までの川柳史をまとめておいてくれたことの恩恵は計り知れない。特に「難解句」がなぜ生まれたかについて、明治40年代の「主観句」の台頭に起源を求めているのは興味深い。『選者考』(新葉館)では次のように述べられている。

「問答的な二段構造によるアイロニーの磁場を本質としてきた川柳に対して、作者の主観的な感じや気分を『答』とだけ提示して『他人に斟酌』しないという新傾向の発想が、現代につながる『解る、解らない』論争の原点となったことに目を注いでおかなければならないだろう」

句会を中心とする川柳の革新は常に「選者」の問題と関連してきた。私が三柳の著作の中で実践的に重要だと思うのが『選者考』(葉文館出版)である。
「選者は単なる選別者ではなく、同時に批評家であり、選と批評は表裏をなすものであった」
「批評はつねに『在るもの』から『在るべきもの』への憧憬に支えられており、その尺度となるのが、古来の歌式であり、判者自身の造詣を集約した歌論である」

「歌合せ」について述べた部分だが、本質的な洞察を含んでいる。
明治期に川柳の句会がなぜ「互選制」から「任意選者制」へと変化したのかも本書を読めばよく分かる。

私は一時期「川柳公論」に投句していた時期がある。
三柳の師系は酒井久良伎→前田雀郎→尾藤三柳である。
三柳が久良岐と剣花坊の連句について触れていたので、二人の連句作品の全体を知りたいと手紙を出すと、それが掲載されている「川柳公論」第13巻1号を送ってくれた。私はこれをもとに「今なぜ阪井久良伎なのか」を書いたことがある(拙著『蕩尽の文芸』に収録)。

尾藤三柳はもういない。
私たちは彼の残した仕事を乗り越え、現代川柳のさまざまな展開を視野に入れながら、先へ進んでいかなければならないだろう。

2016年11月5日土曜日

小津夜景句集『フラワーズ・カンフー』を読む

小津夜景はいわゆる俳壇とは無関係なところから登場した。
私が小津夜景の名をはじめて目にしたのは「豈」55号に掲載された「第二回攝津幸彦記念賞・準賞」の「出アバラヤ記」だった。作品は前書(詞書)+俳句の実験的なかたちになっている。句集に詞書を付けるのは高山れおな『荒東雑詩』などで見たことがあるが、小津の場合は哲学的思考がベースにあるように感じられる。
その後の彼女の活躍はめざましい。ネットを中心に実作と評論を発表、今年8月にはブログ「フラワーズ・カンフー」を立ち上げて毎日更新している。
そして、このたび第一句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)が上梓された。
帯文を寄せているのは次の両人。
正岡豊「廃園から楽園へ」
鴇田智哉「のほほんと、くっきりと、あらわれ続ける言葉の彼方。今ここをくすぐる、花の遊び。読んでいる私を忘れてしまうのは、シャボン玉のように繰り出される愉快のせいだ」
句集の「あとがき」には次のように書かれている。

〈「出アバラヤ記」が攝津幸彦賞の準賞となったのを機に俳句を始めてから途方もなく長い二年半が経過した。この間しばしば思い出したのは「前衛であるとは死んだものが何であるかを知っているということ、そして後衛であるとは死んだものをまだ愛しているということだ」といったロラン・バルトの言葉である〉

次にあげるのは巻頭の句。

あたたかなたぶららさなり雨のふる

この句は「たぶららさ」以外何も言っていない。「タブラ・ラサ」は「白紙」であり、ひらかな表記にしている。白紙の状態から小津の俳句がはじまるのだ。

『フラワーズ・カンフー』が送られてきたとき、「出アバラヤ記」の章を読んでみた。何だか印象が違うので、「豈」掲載作品と比べてみると、ずいぶん変更されている。「あとがき」を読むと「新たに編集し直した(出アバラヤ記の改稿含む)」とある。
どのように改稿されたのか。

「ふみしだく歓喜にはいまだ遠いけれど、金星のかたむく土地はうるはしく盛つてゐる。
隠者ゐてジャージ干すらむ秋の園   」(初稿)

句集では前書きは同じだが、句が次の作に変更されている。

跡形もなきところより秋めきぬ

全体を通じて詞書の部分は手直しや追加はあるが、ほぼ初稿のままである。句の方はほとんど入替えられていて、改稿というより別の作品とも受け取れる。たとえば初稿にあった「死ぬまでに出アバラヤ記書いてみやう」という句は抹消され、タイトルにだけ痕跡が残されている。
詞書と句をセットにして読むだけでなく、句を詞書から外して一句として楽しむ読み方もありだろう。あるいは、句を外して哲学的エッセイとして読んでゆくこともできる。いずれにせよ、この作品は俳句が哲学と親和的であることを証明している。

冒頭句「たぶららさ」をはじめとしてこの句集にはふだん俳句では見慣れない単語がいろいろ出てくる。表現者は誰でも自分の心の中に辞書をもっていて、テクストのなかに愛用の語を混ぜてゆく。小津の句集に書物的(ブッキッシュ)な感じがするのは、作者が読んできたおびただしい書物が背後にあるからだろう。プレテクストに基づいた作品も多いようだ。

最後の章「オンフルールの海の歌」。
オンフルールは印象派の画家たちがよく絵を描いた港町である。数年前に短時間だけ訪れたことがある。午後の陽光が建物群を照らして美しかった。エリック・サティの生家もあって、中には入れなかったが少し嬉しい気がした。

蓮喰ひ人ねむるや櫂のない小舟

蓮喰い人か。ホメロスだったかな。
プレテクストの問題。李賀の漢詩に付けた句。八田木枯を主題として詠んだ短歌など、この句集の読みどころは多い。
最後に句集のなかで最も好きな句を挙げておく。

しろながすくじらのやうにゆきずりぬ

しろながすくじらは未了性の海を泳いでいる。

(付)週刊俳句第497号(2016年10月30日)「学生特集号」を読んだ。
大林桂の福永耕二論がおもしろかった。大林とは読書会でいっしょになったことがある。ドイツ留学から帰ってきたところらしくて、現象学やハイデガーの話を少し聞いた。俳句は「鷹」に所属しているそうだ。あと、宮﨑莉々香が「私の好きな五句」について書いている。その中に「川柳的な俳句」という言い方が出てくる。何が「川柳的」かは微妙な問題であり、どうも宮﨑はオチがあるのが川柳だと考えているフシがある。宮﨑は「蝶」のなかで私も注目している若手俳人である。「蝶」は「川柳木馬」とも交流があるので、川柳にも理解があるのかと思っていたが、「莉々香よ、お前もか」と思った。「川柳的俳句」があるなら「俳句的川柳」も存在することになり、互いに自分のもっている陳腐な「俳句イメージ」「川柳イメージ」で相手を矮小化することになってしまうのだ。

2016年10月28日金曜日

俳句らしさ、川柳らしさ

「第10回船団フォーラム」が10月23日(日)に伊丹市立図書館(ことば蔵)で開催され、私は第一部のパネラーとして参加した。
伊丹の柿衞文庫には何度も行っているが、図書館ははじめてで、開催までの時間に館内を見て歩いた。閲覧室の詩歌コーナーには川柳関係の本も何冊かあり、先進的な取り組みをしている図書館のようだ。「タイトルだけで作家デビュー」の展示があって、自分で考えた架空の本のタイトルだけが1000枚近く壁に掲示してあるのがおもしろかった。

この日のフォーラムのテーマは「激突する!五七五 俳句VS川柳」で70名を超える参加者。川柳人の方が少し多かったようだ。
第一部はディスカッション「俳句らしさ、川柳らしさ」。パネラーは俳句側から塩見恵介・山本たくや、川柳側から芳賀博子・小池正博。
「俳句と川柳」についてはこれまでにもしばしば論じられてきたが、私の感想では実りや成果があったという話は聞いたことがない。「俳句らしさ」「川柳らしさ」を「俳句性」「川柳性」ととらえると、そのような区別は曖昧であり、有効ではなくなってしまう。実際、この日に四人が挙げた句を見てもあまり区別はないように感じられた。
もちろん、伝統俳句と伝統川柳とを比較すると違いが出てくるが、先端的な俳句と川柳とを比べてみても明確な違いは出てこない。それを無理に区別しようとすると、川柳性とは「うがち」だというような狭い川柳論になってしまう。これまでの柳俳異同論が有効ではなかったのは「規範」を求めてきたからだ。
しかし、個々の作品を見ると「俳句のてざわり」「川柳のてざわり」(感触)というものは感じられる。
歴史的にみると俳句と川柳は発生の違いがあって、発句が独立した俳句と、前句付の前句を省略して成立した川柳とはそれぞれの表現領域を拡大しながら今日に至っている。だから、「いま」の時点で共時的に見ると違いは明確ではない。「取合せ」と「前句からの飛躍」は結果的に区別がつかないのだ。
従って、ディスカッションに臨む私のスタンスは、「激突」はしないというものになった。
芳賀博子には私とは異なる意見・立場があったことだろう。「激突」した方が対立軸が明確になって面白いのだが、私は気がすすまなかった。
けれども、話し合っているうちに分かってきたことも多い。
私が現代川柳の代表句として挙げたのは次の五句である。

ひなまつり力道山は黒ぱっち       石田柊馬
見たことのない猫がいる枕元       石部明
もうひとり落ちてくるまで穴はたいくつ  広瀬ちえみ
どうせ煮られるなら視聴者参加型     兵頭全郎
都合よく転校生は蟻まみれ        小池正博

「ひなまつり」の句に私が「川柳らしさ」を感じるのは「は」の使い方である。
「母親はもったいないがだましよい」という古川柳の問答体の遠い響きを感じるのだ。

ひなまつり力道山は黒ぱっち(川柳)
ひなまつり力道山の黒ぱっち(俳句)

けれども、俳人は「力道山の」とする、という。取合せ・配合の句となって、俳句のかたちになるのだろう。

もうひとつ落ちてくるまで穴はたいくつ(川柳)
もうひとつ落ちてくるまで秋の穴(俳句)

「穴はたいくつ」と言うのが川柳であり、そこが川柳のおもしろさになる。
けれども、こういう比較、改作にはあまり意味がないだろう。
すぐれた川柳とすぐれた俳句とを並べてみることにこそ意味はある。

第二部の句会ライブ、第三部の坪内稔典と木本朱夏との対談についてはここでは報告を省略する。
全体を通していろいろ考えるところがあった。攻めるべきところ、守るべきところがいろいろあると思ったが、今後の課題となる。
気になったのは塩見恵介が挙げていた次の句。

「この雪は俺が降らせた」「田中すげぇ」 吉田愛

現代歌人集会2014年(神戸)でも話題になった句で、ネットでも言及されたので私も記憶にあった。この作者はその後どうしているのか気になったが、俳句フィールドからは消えてしまったらしい。残念なことである。

2016年10月21日金曜日

詩集・歌集・句集逍遥

宇宙。「吉田、金返せ」「ない。」「……なら、仕方ない」宇宙。   斉藤斎藤

歌集『人の道、死ぬと町』(短歌研究社)から。
2004年から2015年までの作品が収録されている。単独作、連作、詞書+短歌、文章など、さまざまなスタイルの作品がちりばめられていて退屈しない。短歌もいいな、と改めて感じる。

駅の人混みに紛れ込むと
すれ違う人みんなが
サヨリを
心の中に飼っているように
つんつん つんつん突いてくる

壺阪輝代詩集『けろけろ と』(土曜美術社)。「サヨリ」から。
「心」というテーマで書かれた詩が収録されている。
壺阪さんとは「第1回BSおかやま川柳大会」お目にかかった。彼女は『セレクション柳人・石部明集』の解説を書いていて、石部さんとのつながりでその日の選者もされていた。
懇親会で隣になったときに、連句の話になった。私が前句と付句との関係を話すと、壺阪さんは「それは詩で言えば連と連との関係になりますね」とおっしゃった。
それ以来、詩誌「ネビューラ」を送っていただいている。

鳥の巣に肩やはらかくして入る    岡野泰輔
赤ん坊花より遠いものを見て
夏暁のここにコップがあると思へ
小鳥来るあゝその窓に意味はない
初夢になんであなたが出てくるか

岡野泰輔句集『なめらかな世界の肉』(ふらんす堂)。
調べてみると、私は『俳コレ』を読んだときにこの作者の「いちばんのきれいなときを蛇でゐる」「プールまで二列に並ぶ不吉なり」「その橋を叩く菫と名をつけて」などの句にチェックを入れていた。読んでいて言葉の感覚がとてもぴったりしていて心地よい。

数の子さくさく人間関係が壊れ   瀬戸正洋
人は人を嫌ひて焼酎へ炭酸
夏の雨職場へ行きたくないと思ふ
虫売の祖国も売ってしまひけり
短日や胸ぐらつかまれてゐる姿勢

瀬戸正洋句集『へらへらと生まれ胃薬風邪薬』(邑書林)。
タイトルがユニークだし、句意もよくわかっておもしろい。
ただ、1ページ1句というのがかえって読みづらかった。

「この自販機は私、荒木が真心をこめて右手で補充しました」   斉藤斎藤

「荒木と真心」というタイトルで二首並べられているうちの一首。
固有名詞を使った歌がときどき出てくる。
「君との暮らしがはじまるだろう(仮)」では青木さん。

清談の酒家点在す梅花村     九里順子
わたくしの胸の振子は桃柳
山水を懐胎させて二人かな
滝はまた雲気となりて白き山羊
爽籟に書を読むここは白鹿洞

九里順子句集『風景』(邑書林)。
俳句フィールドの周縁ではなくてセンターで書かれているという印象の句集。
掲出句は「キッチュ山水」の章から。山水画をモチーフにして、いかにも山水画っぽい仕立てで作られている。

樹の精と身は濡れて立つ朝の斧      中川一
扉はいつか枯れ野へひらくマタイ伝
ひまわりふえる 少女のままの飼育箱
銀河から一筋ずれる坂の咳
約束の時間が過ぎる薔薇の岸

川柳句集も紹介しよう。
中川一(なかがわ・はじめ)句集『蒼より遠く』(新葉館)。
「祖国」「父」「母」「私そして旅」「妻そして家族」「師そして友」というテーマで章立てされている。こういう大時代的なやり方は現在の大勢とは逆行するが、作者もそのことに自覚的で、次のように書いている。
「言葉から発想するこの時代に、あえてこのような章分けをするのは、椙元紋太、房川素生、大山竹二、鈴木九葉、泉淳夫ほかの諸師が〝川柳は人間〟であり、だからこそ〝こころ〟、〝おもい〟を詠むと信じるからである」
私の川柳観とは異なるが、ひとつの川柳観に殉じるという点には敬意を表する。
句集に掲載されている作品も泉淳夫の系譜を受け継ぐものだろう。
   如月の街 まぼろしの鶴吹かれ  泉淳夫
中川には川柳研究者としての仕事もあり、句集に収録されている「泉淳夫ノート」「天才児 小島六厘坊」は貴重な労作である。

喉の奥から父方の鹿 顔を出す  岩田多佳子
びしびしと輪ゴム飛ばしている発芽
虫ピンでとめるカーストの胸びれ
押さないで軟体動物通ります
寝ている水に声を掛けてはいけません

川柳句集をもう一冊。岩田多佳子句集『ステンレスの木』(あざみエージェント)。
岩田とは川柳句会でよく顔をあわせて、手練れの句を作るという印象があったが、こうして句集にまとめられると彼女の実力がはっきりと立上ってくる。やはり句集というものは必要だと思う。
川柳をはじめて12年。その間に作った2000句を500句まで絞り、そこから前田一石の選によって300句を句集にしたという。そういう作業によって一句一句の前で立ち止まって読める句集に仕上がっている。柳本々々の解説付き。

できることなら自分と結婚したかったと嫁が何やら得意げに言う   斉藤斎藤

2016年10月15日土曜日

「短詩型文学の集い」レポート

10月10日、「短詩型文学の集い―連句への誘い」が大阪上本町・たかつガーデンで開催された。このイベントは「浪速の芭蕉祭」が10年目の節目を迎えたのにちなんで、その関連行事として実施されたもので、大阪天満宮の連句講・鷽の会(うそのかい)主催、俳諧寒菊堂連句振興基金の後援による。「連句人だけではなく、歌人・俳人・川柳人も含めて、短詩型文学に関心のある方々のご参加をお待ちしています」と呼びかけたが、当日30名程度の参加があり、その約半数が連句人、俳人が7名、あと川柳人と歌人が数名であった。短詩型文学は相互に関連しているから、どの入口から入ってもつながっており、隣接ジャンルのことを視野に入れておかなくてはいけないと私は思っているが、イベントの趣旨が拡散して焦点のぼやけた集まりになったのかもしれない。

会場には連句関連の本を展示し、句集の販売も行った。また、フリーペーパー・コーナーを設けて持ち帰り自由とした。展示した連句本の主なものを挙げると―

「夏の日」(東明雅)「芦丈翁俳諧聞書」(根津芦丈) 「落落鈔」(高橋玄一郎)「連句の魅力」(岡本春人)「連句をさぐる」(近松寿子)「蕉風連句の原点」(三好龍肝)「連句実作への道」(今泉宇涯)「連句歳時記」(阿片瓢郎)「橋閒石俳諧余談」(橋閒石)「俳諧手引」(高浜年尾)「連句恋々」(矢崎藍) 「超連句入門」(浅沼璞)「雪は昔も」(別所真紀子)「吉岡梅游連句俳句自選集」「連句辞典」「浪速の芭蕉祭入選作品集」「とよた連句まつり作品集」など、連句人以外の一般の人の目には触れにくい本も多い。
フリペでは月胡(毎野厚美)の連句漫画「両吟半歌仙・林檎の巻」が好評だった。

展示解説はパワーポイントを使い、「連句入門」では「打越」「付けと転じ」「三句の渡り」などの連句の要諦を解説した。
「現代連句への道」では子規の連俳否定論と虚子の連句肯定論、虚子につながる新派の連句を振り返り、これに対する旧派の連句や柳田国男などの民俗学系の連句などについて話した。1981年に「連句懇話会」が発足し、1988年に「連句協会」に改組、現在は「日本連句協会」となっている。現代の連句人の活動や連句諸形式についても触れた。

会場のある上本町付近には俳諧史跡が多い。昼の休憩時間に四ッ谷龍さんを案内して西鶴の墓がある誓願寺に行った。西鶴墓も以前に比べるとずいぶんきれいに整備されている。

午後の部では、まず「雑俳と付合文芸」について。
「関係性の文学」という視点から、私は雑俳に興味を持っている。近世雑俳から近代雑俳への流れのなかで代表的なものを紹介した。ご存じの方も多いだろうが、近代雑俳からいくつか挙げておきたい。

羊飼い まさか俺が狼とは  久佐太郎 (冠句)
指の股からのぞく嘘泣き   清阿弥 (淡路雑俳・二つ折・七七形式)
広い/地球を包む空色の風呂敷  土佐狂句(七五四)
やせたなア あの人の夢見るどたい  肥後狂句
木強漢刀ん先端で髭を剃っ(ぼっけもんかっなんさっでひげをそっ)  薩摩狂句
甘党は ようかんがえて 置く碁石  島谷吾六 (段駄羅)

言葉と言葉の関係性、笠題(冠句の題)と連句の前句の共通性、前句・付句の二句の関係性を五七五一句の中で実現する可能性など、いろいろ示唆を与えるところがありそうだ。
いよいよメインとなる四ッ谷龍との対談に入る。参加者の方々もこの時間帯を目当てに集まってこられたようである。
四ッ谷さんに出演を依頼した時点では句集発行のことは何も知らなかったが、タイミングよく句集『夢想の大地におがたまの花が降る』が上梓されたので、自然、この句集についての話が中心になった。
まずパワポで「おがたまの花」を紹介する。「おがたま」は漢字では小賀玉、招霊などと書き、神楽鈴はおがたまをかたどっているらしい。一円硬貨の図案もおがたまの木だと言われる。京都の白峯神社や熊野の速玉大社の樹が有名だが、東京では皇居の外苑でも見られ、大阪では私市の植物園や長居植物園にもあるそうだ。こういう花だから鎮魂の意味が込められているのだろう。

連作俳句について、四ッ谷は「連作は現代俳句では否定的に見られることが多かったが、最近では関悦史の『六十億本の回転する曲がった棒』など連作を試みる人が出てきた」と述べ、今度の句集から「枯野人」と「なんばんぎせる」の連作を挙げた。「枯野人」の方は上五または下五で使われているのに対して、「なんばんぎせる」の方は中七を固定して使われていて、「なにぬねの」を使った連作のひとつだ。雑誌に発表したときは評判がよくなかったそうだ。なぜ「なにぬねの」なのかという私の質問には、「さしすせそ」や「らりるれろ」ではバカバカしい感じが出ないということだった。さらに、私がもっとも聞きたかったのは、この「なんばんぎせる」が入っている章が「言語の学習」というタイトルになっている理由である。震災の連作と「なにぬねの」連作が交互に配置されているのはなぜなのだろう。

四ッ谷はなぜ「いわきへ」行ったのかというところから始めた。震災後、いわきに人が来なくなったので、危機感をもった地元の方が俳人に声をかけてツアーを呼びかけた。現地を見ないといけないと思ったが、そこで俳句を作るかどうかは決めていなかったという。ツアーに参加した俳人の一人が俳句を作りはじめ、他の俳人たちも緊張感のなかで作句した。現地のひとたちのもてなしをうけるなかで、単に「ありがとう」と言うだけではすまないと感じたようだ。その間の状況について俳句創作集『いわきへ』では次のように述べられている。
「われわれは、かならずしも現地で俳句を作ろうと思ってこの旅に参加したわけではありませんでした。被災地を題材にして俳句を制作するというようなことは、むしろ非常にむずかしいのではないかと、考えていたかもしれません。しかし、昼に被災地を自分たちの目で見て、その夜さまざまに語らう中で、参加者の一人が、『俳句を作ろう、お互いが作った句を交換しあおう』と提案したとき、それはやるべきことだと、全員が感じました」

その上で、なぜ「なんばんぎせる」などの句群と交互にしたかについて、彼はこんなふうに語った。いわきで作った句だけを並べると、いわゆる「震災句集」的ないやらしさが出てくる。俳人は善人づらをしてはいけない。そこで普通に並べるのではなくて何かをしなければいけない。被災地にゆくと言ってはいけないことがある。悲しみに声をあげるというようなことは、よそから来た者が言ってはいけない。だから震災地で創る俳句というのは、地雷をよけながら進んでゆくようなもの。逆に「なんばんぎせる」の句は言葉の縛りがある。表裏の関係だが、ある制約のなかで俳句を作っているという意味では共通性があることに気がついた。

そういう意味で、震災という事態を目の前にしたときに、俳句をつくるという行為は「言語の学習」だったのである。

小津夜景はブログでこんなふうに書いている。
「四ッ谷は〈夢想の大地〉という異界を桃ならぬおがたまの花に託して描いた。そしてそのとき芥川龍之介と(そしておそらく多くの俳人と)決定的に違ったのは、別天地の活写を神話的文脈におもねらず、その代わりに数学用語をつかって成したことだ」
小津の言うように、句集の最後の章には数学用語が出てくるし、ちょうど「数学俳句」のイベントが数日前に開催されたばかりだったので、俳句と数学の関係についても聞いてみた。彼はルービックキューブを使って説明してくれたが、ここでは詳細は省略する。
四ッ谷の話のなかで出てきた若手俳人は鴇田智哉、北大路翼などであり、四ッ谷自身の代表作は何かという会場からの質問に対しては「遠くから人還り来るまむし草」を挙げた。そのほかにも興味深い話が多かったが、長くなるので切り上げておく。
対談中に話題にのぼった鴇田智哉や宮本佳世乃などが参加している俳誌「オルガン」次号では、浅沼璞をゲストに連句が話題になっているそうなので、これも楽しみだ。

最後に「連句ワークショップ」として、橋閒石の句を発句として非懐紙連句の最初の六句を巻いてみた。会場から付句を募集して、プロジェクターで句案をスクリーンに映しながら付け進めていった。連句の実況中継というおもむきで、今までにも行ったことがあるが、今回は連句人も多く、俳人・歌人も手練れの方々なので、付句がどんどん出てスムーズに進行した。

白露や老子の牛の盗まれて       閒石
 揺れるともなく揺れる秋草      正博
もう歩けないならおんぶしてあげる   知昭
 超過勤務に光ひとすじ        ともこ
氷結の噴水を割る斧一閃        龍
ネックウォーマーレッグウォーマー   みどり

会場を一日使えたので、連句本の展示、フリマ、連句入門、近代連句史、連句と短詩型諸ジャンルとの関係、対談、ワークショップと、私のやってみたかったアイデアはほぼ出し尽くすことができた。フリマといっても「浪速の芭蕉祭」と四ッ谷さんの本だけで他に出店はなかったし、フリーペーパー・フリーマガジンもあまり集まらず、イベントとして成功したかどうかには疑問もあるが、参加者の中には一日を通して聴いていただいた方もいたのは嬉しかった。私が頭の中で考えたことであっても、現実化するとどんな結果になるのか分からない。何もしないよりは実施してみてよかったのかなと思っている。

2016年10月7日金曜日

文フリ・国文祭奈良・篠山

このところイベントが続いていて、ゆっくり川柳作品を書く時間がとれない。時間があればいい句が書けるというものでもないが、「実作」と「川柳発信の場づくり」とのバランスをとることは必要なのだろう。このごろよく頭に浮かぶのはキュレーターという言葉である。川柳の発信がひとつのシステムとして軌道に乗るためには、役割の分担が必要となる。以前はクリエーターとプロデューサーくらいの分け方で、川柳作品を書く人がいて、それを掲載する同人誌や結社誌を編集する人がいる、くらいのことで片がついていた。編集はけっこうエネルギーのいる仕事なので、作品を書きながら編集をするのは負担が大きく、クリエーターとプロデューサーを兼ねたりすると体調を崩したりする。役割分担が必要なのだが、川柳の場合はそんなことも言っていられない。
美術館にはよく行くのだが、美術展を企画し、企画したコンセプトに基づいて出品作品をリストアップして所蔵者と出品交渉をする学芸員の役割は重要だ。何をどう並べるかによって、常識を超える新しい視点が生まれたりする。そのような企画者をキュレーターと呼ぶらしい。キュレーターは単なる学芸員というより美術の新しい動向を生み出す創造者となる。文学の領域でも「編集者・漱石」というような視点や、編集そのものが創造なのだという考え方が生まれている。
たとえ規模は小さくても、同じようなことを川柳や連句でできないか、というようなことを考えたりする。私はいつから大風呂敷を広げるようになったのだろう。

9月18日、「第四回文学フリマ大阪」が堺市産業振興センターで開催された。最寄駅の中百舌鳥へは自宅から電車一本で30分もかからずに行けるので便利である。開場には午前10時過ぎに到着。出店するのは昨年に続き二回目なので、要領はわかっている。
私は2013年の第一回大阪開催のときに「文フリ」というものをはじめて体験してカルチャーショックを受けた。文学表現を発信する人、それを受容して購読する若い世代の人たちが世の中にはこんなにいるのだという驚きであった。ブースに置かれている冊子・フリーペーパーは、ふだん見慣れている川柳誌とは何と異なっていたことだろう。
短詩型では短歌の出店が多く、俳句がそれに続いている。残念ながら川柳の出店がなかったので、第二回文フリ大阪のときに申し込んでみたのだが、メールに不慣れなため出店申し込みが完了していなかった。第三回のときは失敗せずに出店することができて、「川柳界から唯一の出店」と虚勢を張ってみた。今年は文フリの雰囲気もよく分かり、落ち着いて営業することができたが、相変わらず残念なのは来場者の中に川柳人の姿がほとんど見られないことである。文フリは大多数の川柳人とは無縁であり、川柳発信の場とはとらえられていないということだろう。売れる・売れないは別として、川柳発信のひとつの場と考えないと経済利益上意味のないことになってしまう。
来年の1月22日には京都市勧業館「みやこめっせ」で文フリが開催されることになっていて、私も出店を予定しているが、状況が少しでも変わればいいと思っている。

10月1日は奈良県文化会館で「国民文化祭なら」連句の祭典のプレ大会が開催され、80数名の連句人が参加した。今年の「国文祭あいち(連句)」は10月30日に熱田神宮で開催されるが、来年は奈良である。そのプレ大会として行われたもので、「奈良県大芸術祭」の一環として参加。
近藤蕉肝(成蹊大学名誉教授)の講演「連句と神仏」は奈良と連句の関わりを歴史的に解説するだけでなく、国際的な視点から連句の重要性を指摘するものだった。近藤は山田孝雄の俳諧文法とチョムスキーの生成文法から普遍俳諧文法を着想。アメリカ留学中にジョン・ケイジと接触、ケイジと『RENGA』について話し合った。さらに、オクタビオ・パスの『RENGA』にも注目し、現在はパースの記号学と空海の密教理論を結び付けた普遍俳諧大系を模索している。近藤は国際連句や連句パフォーマンスの活動でも知られ、10月9日の「浪速の芭蕉祭」(大阪天満宮)でも国際連句の座を受けもつことになっている。
講演のあとは25座に分かれて連句実作が行われた。私の参加した座では小川廣男捌きで歌仙を巻きあげた。

10月2日は篠山で開催の「俳句と美術のコラボ展」の最終日。川柳人4名で見に行った。
JR新三田駅から小倉喜郎さんの車で会場へ。会場は小倉さんの母校だった篠山市後川(しずかわ)小学校である。
この展覧会は2年前から会合を重ね、制作・準備をして作り上げられたものだという。ふつう俳句と美術のコラボレーションといっても、俳句作品に絵を付けたり、美術作品を見て俳句を作るという程度のことだろうが、そういうものにはしたくないという主催者たちの強いこだわりがあって、異質のジャンルの表現者どうしのぶつかり合いの果てに生れた独自のアートになっている。したがって、俳人とアーティストがそれぞれ自己完結した作品を出して取り合わせるのではなくて、創造過程で葛藤や相互刺激が生まれることになる。場合によっては作品が完成せずに終わってしまったり、コラボするはずの相手が替わってしまうこともある。案内パンフには次のように書かれている。

○モノと言葉 モノと言葉を郵送し繋いでいき、それを時系列に展示する。
○場所と俳句 特定の場所からイメージされる象徴的な像を具体化する。
○俳句と俳画をライブで行う。
○俳句と映像のコラボ。
○俳人と音楽家による即興セッション。
○俳句とインタラクティブな装置とのコラボ。
○後川の情景をガラス絵と俳句で表現し、カルタも作成する。

具他的な作品についてはすでにネットでも紹介がでているし、言葉ではなかなか伝えづらいが、とても刺激的だった。
さて、同じようなことが川柳でもできるだろうか。川柳とアートとのコラボはありうるだろうか。それは促成栽培ではとてもかなえられないことであり、二人の異質な表現者が時間をかけて熟成させることによってはじめてかなうことである。この展覧会を見ながら、そういうことを強く感じた。

2016年9月24日土曜日

野間幸恵における言葉の関係性

佐藤文香が『俳句を遊べ』の中で「打越」という言葉を使ってから、私の周囲の川柳人のあいだでも「打越」の考え方がちらほら話題になっている気配である。私は連句人でもあるから、連句用語の「打越」をあまり安易に使ってほしくない気持ちもある一方、そこを入り口として連句精神が普及していくなら歓迎すべきだとも思う。

本日は連句論を展開するつもりはなく、野間幸恵の句集『WATER WAX』についての感想を書いてみたい。この句集は早くからいただいていたが、今までゆっくり読む時間がとれなかった。野間とは五月の「川柳フリマ」のときに会ったが、短い立ち話をしたにとどまる。会場には句集の解説を書いている柳本々々も来ていた。野間の句集は『ステンレス戦車』『WOMAN』も手元にあって、拙著『蕩尽の文芸』では野間について次のように触れている。

「  琴線は鳥の部分を脱いでゆく   野間幸恵

この句を私は『琴線→鳥の部分→脱いでゆく』の三つの部分に解体して読んでいるのだが、それを連句の三句の渡りに変換すれば、たとえば次のようになるかも知れない。

琴線はわが故郷の寒椿
鳥の部品を包む冬麗
うすもののように記憶を脱いでゆく

前句と付句の二句の関係性、三句の渡りの関係性を、もし一句で表現しようとすれば、線条的な意味の連鎖はいったん解体され、日常次元を超えた言葉の世界がそこに成立する。そのことによって、作品は広い時空を獲得することができる。一句によって表現できるスケールは本来、大きなものであるはずだ」(「川柳の飛翔空間」)

文中の三句の渡りは私が勝手に考えたもので、野間の俳句とは無関係なので、念のため。私の考えは基本的には変わっていないが、『WATER WAX』では野間の言葉の関係性はさらに自在に展開している。たとえば、こんなふうに。

耳の奥でジャマイカが濡れている    野間幸恵
音感やタランチュラが澄んでいる
キリンの音楽で不在を考える
胞子など子供の手から暮れてゆく
ブナの森小さくたたんでしまいけり
紅茶とは誰もいない庭である
もう二度と馬は霧で出来ている
酒樽のふつつかに帰りたいだろう
この世でもあの世でもなく耳の水

私の好みから言えば二物の取り合わせより「三句の渡り」を一句の中で実現している句がおもしろいと思う。それを一句として成功させるには繊細な言語感覚を必要とする。三段切れなどは児戯に類するのだ。
こういう書き方の遠源は攝津幸彦だろう。

路地裏を夜汽車と思う金魚かな    攝津幸彦

そういえば、攝津は野間の次の句を「私の好きな女流俳句」の一句として挙げていた(『俳句幻景』)。

一反木綿雨後をふくらむジャック&ベティ  野間幸恵

そして攝津は「俳句の方法による一行詩の自律に挑み、幾多の男性俳人が敗れ去った荒野で、ねばり強く言葉と交換する幸恵」とコメントしている。
ただし、「三句の渡り」理論から言えば、掲出句は「一反木綿」と「ジャック&ベティ」が固有名詞の打越となり、必ずしも成功しているとは言えない。

手を洗う鯨へ愛を切り子かな    『ステンレス戦車』
左京区を上がる恥骨は打ちどころ  『WOMAN』
うっとりとアンモナイトを遅れるか 『WATER WAX』

先日、「川柳カード」12号の合評会があって、同人・会員作品を改めて読み直した。その中に次の句があった。

本堂に密度の雨がオスとメス   榊陽子
カンガルーは腐った水蜜桃だよ
なお父はテレビの裏のかわいそうです

天狗俳諧の書き方は昔からあるが、効果的な作品にどう高めてゆくか、それぞれの作者の腐心するところだろう。
五月に話したときに野間は「急に句が書けなくなるときがある」と言った。「私はまだそういうレベルにまで到達していません」と答えた私を、彼女は「謙遜する人は苦手だ」とあっさり切り捨てた。野間の句集のあとがきにはこんなふうに書いてある。
「言葉で描く世界はいつもミラクル。最大と最小が隣り合わせ。その中で『私』など全く不要で、大切なのは『関係性』だと思っています」

2016年9月16日金曜日

口語短歌と文語短歌

明後日9月18日(日)に「文学フリマ大阪」が堺市産業振興センターで開催される。文学フリマは東京をはじめ各地で開催されているが、大阪では第四回となる。「川柳カード」の出店は昨年に続き二回目となるが、川柳からのブースは他に見当たらないので、川柳界から唯一の出店となる(ただし、「現代川柳かもめ舎」の朝妻久美子が「現代川柳ミュウミュウ」を「うたつかい」のブースで委託販売するらしい)。「川柳カード」のブースは六条くるると神大短歌会に挟まれて開店しているのでご来店をお待ちする。「川柳カード」バックナンバーと川柳カード叢書『ほぼむほん』『実朝の首』(『大阪のかたち』は品切れ)、小池正博句集『水牛の余波』『転校生は蟻まみれ』、兵頭全郎句集『n≠0』などのほか、フリーペーパー「THANATOS石部明」2/4、榊陽子「虫だった」を配布予定。

さて、俳誌「里」特集「この人を読みたい」に毎号注目しているが、9月号では堀下翔が小原奈実の短歌を取り上げている。堀下は「文語短歌の現在」で現代短歌の潮流を次のようにとらえている。
「先鋭化してゆく社会のありようを、五・七・五・七・七の定型のみを恃みとして、そこに埋没しかねない個人の実感において書く、そうした潮流がそこにはあった」
「重要なのは、1980年代。90年代生まれの世代の書き手たちが担うこの新たなメインストリームに、口語表現を前提としている節が見られる点だ」
このような潮流の中で、小原奈実は90年代生まれの歌人でありながら文語短歌の書き手である。文語表現をとるのが大勢である俳句サイドの堀下が小原に関心を持つ理由もここにあるのだろう。

往来の影なす道に稚き鳥発てばみづからをこぼしてゆきぬ   小原奈実

堀下の文章を読みながら、口語表現を主流とする川柳サイドにいる私は、現代短歌における文語短歌の在り方というより、逆に、それでは口語短歌とはいつごろから書かれているのかということに改めて関心を持った。口語短歌は「俵万智以後」にできたものではなく、「穂村弘以後」のものでもない。かつて口語短歌を書くことが、一種の「前衛」であった時代があったのだ。

私の手元にあるのは現代短歌全集・第21巻『口語歌集/新興短歌集』(改造社・昭和6年)。その中から西村陽吉と西出朝風の作品を紹介したい。

モウパツサンは狂つて死んだ 俺はたぶん狂はず老いて死ぬことだらう  西村陽吉
かあんかあんと遠い工場の鎚の音 真夏の昼のあてない空想
何か大きなことはないかと考へる空想がやがて足もとへかへる
三十を二三つ越してやうやうに ここに生きてる自分がわかつた
俺が死んだ次の瞬間もこの土手の櫻の並木は立つてゐるだろ
他人のことは他人のことだ 自分のことは自分のことだ それきりのことだ

「死ぬ時に子供等の事は?」「思はない。死んでく自分だけがいとしい。」 西出朝風
第一のその夜にすでに相容れぬ互を知つた二人だつたが。
これはまたなんて素晴らしい話題でせうこなシヤボンの話。磨き砂の話。
夢二氏が假りの住まひの縁さきに竹を四五本植ゑるさみだれ。
「手紙くらゐよこせばいいに。」「それぞれに自分の事にいそがしいから。」
一生にまたこの上の濃い色を見る日があるか、深藍の海。

西村陽吉は大正14年(1925)、口語短歌雑誌「芸術と自由」を創刊。大正15年(1926)には全国の口語歌人大会が上野公園で開かれた。西村の「芸術と自由社」(東京)のほか渡辺順三の「短歌革命社」(東京)、松本昌夫の「新時代の歌人社」(東京)、青山霞村の「カラスキ社」(京都)、清水信の「麗日詩社」(奈良)の共催だったという。この大会で「新短歌協会」が結成され、「芸術と自由」はその機関誌となったが、昭和3年(1928)に「新短歌協会」は口語短歌の形式と内容をめぐる論争を経て分裂。歌集『晴れた日』など。
西出朝風は口語短歌の草分け的存在で、大正3年(1914)全国初の口語短歌誌「新短歌と新俳句」(のちに「明日の詩歌」と改題)を創刊。妻の西出うつ木も口語歌人。
この時代の短歌史についてはプロレタリア短歌・新興短歌・口語短歌が錯綜してややこしいが、興味のある方は木俣修『昭和短歌史』などを参照していただきたい。

大正末~昭和初期の口語短歌は現在の口語短歌とはバックグラウンドが異なるが、ジャンルと時代を越えた視点をもっておくことは無意味ではない。川柳人の高木夢二郎は「新興川柳と口語歌」(「氷原」昭和3年8月)で「口語歌と川柳と其各々が詩として我々の生活表現のどの部分を各々が的確になし得るかとの問題を私は久しい以前から考へて見た」と述べて、口語短歌と新興川柳とを比較している。
口語と文語の違いは文体の問題であって、どちらが「前衛」的かとも言えない。口語が前衛的であった時代もあるし、文語が前衛的であった時代もある。しかも、短詩型のそれぞれのジャンルによって事情が異なっている。「新興短歌/新興俳句/新興川柳」を統一的にながめ、それが戦後の「前衛」、さらに「現代」にどうつながっているのか、誰か明らかにしてもらえないものだろうか。

2016年9月10日土曜日

大会の終焉―玉野市民川柳大会

今夏7月3日に「第67回玉野市民川柳大会」が開催され、京都・大阪からも多数の川柳人が参加した。今年の選者には「川柳カード」同人が多かったことはこのブログでも触れたことがある。
大会報が8月初旬に届いたが、開いてみて衝撃が走った。「お知らせ」が挟んであり、玉野市民川柳大会は今回をもって終了するというのだ。
「玉野市民川柳大会は多くの川柳作家に可愛いがられ、親しまれ、また期待されてきましたが、この67回大会をもって終わらせて頂きます。参加された方々をはじめ、多くの仲間たちには誠に申し訳ないことですが、当玉野の会員の高齢化、減少は如何ともしがたく、ここ数年来の最大の問題点でありましたが、改善するに至りませんでした。また市の文化施設の老朽化、移転、会場問題など、第67回大会の反省から、『終了は止むを得ない』と結論が出されました」
何事も永遠に続くものではないから、いつかは終わるときがやって来る。句会も同人誌も同じである。しかし、川柳の場合、終焉は突然やって来る。
玉野市民川柳大会はそこに行けば現代川柳の動向がわかり、いま活躍している川柳人が大勢集まり、自分の句を試すことができて、川柳の現在位置を確かめることができる、そのような大会だった。そして、そのような大会は私の経験する範囲ではちょっと他に見当たらないのである。
個人的な書き方になるが、私がはじめて玉野市民川柳大会に参加したのは、平成15年の第54回大会であった。兼題「へだたり」の選をして特選に選んだのが片野智恵子の「遠景にぷかりぷかりと泣き虫ピアノ」だった。共選の草地豊子が選んだ特選は石田柊馬の「あちらでしょビュッフェの黒とかうじうじとか」。このとき私は柊馬の「西麻布の麻は元気にしてますか」も選んでいない。この時点で私には柊馬の句のおもしろさが分かっていなかったのであり、未熟な選をしたことがあとあとまでトラウマとなった。
このころ玉野では前夜に懇親会があり、瀬戸内国際マリンホテルに泊まって、夜遅くまで海辺のスナックで飲んだ。玉野の夜の海を眺めていたことを覚えている。
その後、玉野には毎年行っているが、発表誌からいくつかの句を並べてみたい。

杉並区の杉へ天使降りなさい        石田柊馬(第54回・2003年)
妖精は酢豚に似ている絶対似ている     石田柊馬(第55回・2004年)
君は何族と聞いてくるマリア・カラス    畑美樹(第55回・2004年)
にんげんに羽約束の摩天楼         清水かおり(第56回・2005年)
遠回りしては西脇症候群          飯田良祐(第57回・2006年)
出産の馬苦しんでいる朧          石部明(第58回・2007年)
爆弾処理にカフカさん産婆さん       高田銀次(第59回・2008年)
背鰭立ち上げて境界線にする        富山やよい(第60回・2009年)
乙女らは海のラ音を聞いている       内田万貴(第61回・2010年)
悪事完遂すて猫をひょいと抱く       筒井祥文(第62回・2011年)
想い馳せると右頬にインカ文字       内田万貴(第63回・2012年)
ブレイクショットから木星が動かない    兵頭全郎(第64回・2013年)
天井の人で溢れる誕生日          榊陽子(第65回・2014年)
挽歌だろう頬に畳の跡がある        酒井かがり(第66回・2015年)
だらだらのばす七月の座高         中西軒わ(第67回・2016年)

玉野市民川柳大会の歴史を書き留めておこうと思ったものの、その時々の出来事がいろいろ思い出されて客観的に書くことが難しい。振り返ってみると、私はこの大会に育てられたのだということを改めて意識する。
前田一石は第40回からこの大会を受け継いでいる。男女共選というのが特徴で、毎回どのような組み合わせになるか、一石はあれこれ頭を悩ませたことだろうが、それが彼の楽しみでもあった。一石をはじめスタッフの方々のこれまでの持続的な努力に敬意を表したい。
蛇足だが、「共選」の在り方もこれから再検討するべき時期に来ているかもしれない。男女という区分は今の時代にそぐわないとも考えられ、今後どのような共選がいいのか、どのような大会が求められているのかが「玉野以後」の課題となるだろう。

2016年8月26日金曜日

川柳カード12号―筒井祥文と瀬戸夏子に触れて

「川柳カード」12号が発行されて一か月がたつが、これといった反響もない。反響がないのは仕方がないのだが、今号には問題性を含んだ作品や文章が掲載されているので、このまま何も問題にされないまま終わってしまうのも寂しいから、ここであえて取り上げることにする。
問題点はふたつある。ひとつめは同人作品のうち筒井祥文の作品である。筒井の10句をまず引用しておく。

選抜のアホが百人寄ってホイ
凧ゆけば頭の隅に月も出て
端正な鬼語辞典もあるこの世
サバンナの象のうんこよ聞いてくれ
自然薯を育てる脳と暮らしつつ
正体がもしもバレたらコンと鳴く
コロとあれ外れた音とハーモニカ
蚯蚓鳴く天王寺村の水準器
亜補陀羅野湿原通り真っ昼間
アホが百人せせらいで行きよった

一読して気づくように、四句目は穂村弘の有名歌をもとにしている。もとにしているというより穂村の短歌の上の句をそのまま使っている。念のために『シンジケート』から引用しておく。

サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい   穂村弘

私は最初、穂村の短歌のパロディかと思った。パロディなら一部を他の言葉に置き換えるはずだが、元歌の上の句が変更なしにそのまま使われている。だから、これはパロディではなくて引用なのだ。
では、祥文はなぜそんなことをしたのだろうか。私はこんなことをしても別におもしろくも何ともないと思っているが、彼は意識的にこれをやったはずだから、何らかの意図があったことになる。本人に聞いてみたわけではないから推測するしかないが、読者のさまざまな受け取り方を作者は期待したのではないだろうか。
まず、これが引用だということに気づかない読者がいると仮定して、おもしろい句を祥文が書いたと読者が誤解する場合。川柳人のなかには短歌や俳句などの他ジャンルの作品を勉強していない人もいるから、もっと短歌も勉強しなさいよと読者をからかっているのだろうかと私はまず考えた。けれども、これほど有名な短歌を知らない読者は、もしいたとしても少数だろう。
次に、穂村の短歌の上の句はこれで立派に川柳じゃないかと祥文が思っているという場合。元歌の一部を勝手にカット・アップしたことになる。
先例がないわけではない。
寺山修司が「チエホフ祭」で短歌研究新人賞を受賞したとき、盗作問題が起こったことはよく知られている。

人を訪はずば自己なき男月見草     中村草田男
向日葵の下に饒舌高きかな人を訪わずば自己なき男   寺山修司

わが天使なるやも知れず寒雀      西東三鬼
わが天使なるやも知れぬ小雀を撃ちて硝煙嗅ぎつつ帰る 寺山修司

これは俳句を短歌に引きのばしてリミックスした場合だが、寺山が俳句を短歌にリライトしたのなら、オレは短歌を川柳にして発表してやろうと祥文は思ったのかも知れない。
ここで川柳の盗作問題について触れておく。
最近ではあまり耳にしないが、川柳ではときどき盗作問題が起こる。
本歌取りというようなことではなくて、ベタな盗作である。
パロディとか本歌取りというのは立派な文芸上の技法なのであるが、盗作をする人(無意識的な場合を含めて)がいてそれを見抜く選者が少ない以上、川柳でパロディや本歌取りはあまりすべきではないと私は思っている。
さて、祥文の句に戻ると、これだけの有名歌である以上、盗作にはならないと私は思うが、ではこの句の引用がはたして効果的であったかどうかが問われなければならない。
10句のタイトルは「行きよった」となっているが、一句目「アホ」ではじまり10句目「アホ」で終るので統一テーマがあるのだろう。
関西弁で「アホ」というのは相手の人格を否定するのではなくて、やんわりとした揶揄と愛情表現のニュアンスがある。だから関西人は「アホ」と言われても怒らないが、「バカ」と言われると腹を立てる。

サバンナの象のうんこよ聞いてくれ

こんなことを言うのはアホなやつやなあ、というニュアンスで祥文はここに引用したのかもしれない。そういう意味なら効果的といえないこともないが、いずれにせよ、ややこしいことは止めてほしいというのが私の正直な感想である。
(この件については、荻原裕幸と八上桐子がツイッター、ブログで少し触れている)

二つ目の問題点は瀬戸夏子の「ヒエラルキーが存在するなら/としても」という文章についてである。
歌人である瀬戸が川柳という他ジャンルに接したときの感想が率直に書かれている。ベースにあるのは「文芸ジャンルにおいて、ヒエラルキーは存在する」という認識である。「ほとんどの人がうすうすはそう思っていて、それを無視して、あるいはないという前提で話しあっていても埒があかないのではないか」と瀬戸は述べている。

小説―現代詩―短歌/俳句―川柳

というのがそのヒエラルキーである。小説が上位のジャンル、川柳が最下位のジャンルである。
私はこの文章を読んだ川柳人が誤解するのではないかと危惧していた。川柳が最下位のジャンルというのは認めたくない現実である。一部の川柳人が怒り出すのではないかと。
もちろん、瀬戸の文章の真意はそんなところにはない。
作家や詩人が歌人に対して上から目線で接するという体験について瀬戸は語っている。私は瀬戸以外の歌人からも「歌人は詩人から批判され、いじめられる」という話を聞いたことがある。詩人のなかにも優れた詩人もいれば、それほどでもない自称詩人がいるのはどのジャンルでも同じことだ。「ジャンルヒエラルキーが上なだけだろう」と瀬戸は言う。
それでは、上位のジャンルから軽視された表現者が下位のジャンルに接するときには、どのような態度をとるのだろうか。
私の経験では、上位ジャンルから受けた屈辱を下位のジャンルに向かって晴らすような態度をとる人が多い。具体的には歌人・俳人が川柳人に対して軽視する態度をとるということだ。
瀬戸は「正直、川柳や柳人と接するときにどうすればいいのかわからなかった」と書いている。確かに正直な感想である。瀬戸の凄いところは上述のようなヒエラルキー意識をともなった態度を川柳に対して絶対にとりたくないと思っている点だ。そのことが逆に彼女を緊張させていたらしいのだが、いずれお互いに肩の力を抜いたありのままの交流ができるようになればいいなと思っている。
さて、川柳人は瀬戸の文章の真意を読み取ったからか、それとも川柳が下位のジャンルと世間から見られているという認識をそもそも持っていないからか、特段の反応はなかった。私も「上位」「下位」という言い方を便宜上使ったが、必ずしもそれを認めているわけではない。川柳界が閉鎖的なままなら安全無事だが、他ジャンルとオープンに交流しようとする際にはいろいろな問題が生じてくるのだ。
川柳の自虐ネタのひとつに「第二芸術論のときに川柳は何をしていたのか」というのがある。桑原武夫が俳句・短歌を批判・否定したときに、川柳は批判対象に含まれていなかった。川柳は問題にもされていなかったのだ。だから、第二芸術論に対する川柳側の対応というものも当然なかった。無視こそ権威者の対応のなかで最大のものなのである。

2016年8月20日土曜日

川合大祐句集『スロー・リバー』

「明後日、句集が届くことになっているんですよ」
8月はじめ、伊那駅前の喫茶店で話しているときに、川合大祐がそう言った。川合の第一句集『スロー・リバ―』(あざみエージェント)が発行されることは聞いていたが、伊那行に間に合わなかったのが残念でもあり、句集が発行されるまでの数日がいっそう待ち遠しいことでもあった。
その後届いた句集を開くと、期待を裏切らない清新な句集に仕上がっていた。ネットに書きこまれたいくつかの感想を読んでも好評のようだ。「Ⅰ.猫のゆりかご」「Ⅱ.まだ人間じゃない」「Ⅲ.幼年期の終わり」の三章に分かれていて、特に実験的なのは第Ⅰ章である。
実験的でチャレンジ精神にあふれているといっても、それがどのように実験的なのかが問われなければならない。
句集のなかにはこれまで評判になった句もちらほら見られる。たとえば次の句。

中八がそんなに憎いかさあ殺せ   川合大祐

川柳入門書にはよく「五七五の真ん中の七音(中七)が八音(中八)になってはいけない」と書かれている。上五は字余りになっても許容されるが、中七は厳密に守らないといけないというのだ。それは韻律上の理由だろうが、必ずしも明確な根拠が示されているわけではない。川合は「中八の禁」に対して川柳作品のかたちで疑義を提出しているのだ。しかも「そんなに憎いか」と意識的に中八を使っている。ここでは一句が川柳論そのものになっていて、「中八」を語るときにはよく引き合いに出される作品である。

…早送り…二人は…豚になり終
(目を)(ひらけ)(世界は)たぶん(うつくしい)

「川柳カード」誌上大会(「川柳カード」7号、2014年11月)に投句された作品である。前者の兼題は「早い」、後者の兼題は「世界」。
前者はビデオの早送りの画像を表現した句のようだ。映像的であり、スピード感があるなかに皮肉もすこし混ざっていて批評性がある。
後者は(   )を多用している。この(   )にどのような意味があるかは一概に言えないが、たとえば(   )に任意の言葉を代入していると考えてみよう。

(   )(    )(    )たぶん(     )

確定しているのは「たぶん」という語だけであり、 (世界は)という部分は兼題だから置き換えは難しいけれど、他の部分はどのような言葉でも嵌め込むことができる。とくに最後の(うつくしい)という部分は、たとえば(おそろしい)などとすることもできるかもしれないが、これを(うつくしい)としたのは世界に対する肯定的な感覚が作者にあるからだ。その場合でも「たぶん」という保留付きとなる。「目を開け世界はたぶんうつくしい」というある意味で陳腐な言述を(  )を付けて揺さぶることによって一句が成立している。
そもそも、第一章のaには「…は…の…を見るか?」というタイトルが付けられていて、私などはフィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を代入して読んでしまう。

「雪に名を与えて言いたかったのは

こうやって宇宙をひとつ閉じてゆく」

第Ⅰ章のc「檻=容器」から。この作品は「週刊俳句」(2016年2月7日)に掲載されたもの。10句連作で、カッコにはじまってカッコで終っている。この二句に挟まれた8句にもそれぞれカッコが使用されている。
ここではカッコ記号として「   」が使われている。「  」が「檻」に見立てられているのだ。「定型」を「檻」と見ることは、単なる機知的表現ではなくて、この作者の実存から来るものだと思う。ルーティンや定型は有用なものである半面、一種の桎梏でもあるからだ。
句集『スロー・リバー』の第Ⅰ章が実験的な印象を与えるのは、句のかたちで「川柳とは何か」を問うものとなっているからだ。「メタ川柳」といっていいかもしれない。

第Ⅱ章に移ろう。ここでは主として固有名詞を使った句が集められている。
中でも「ドラえもん」の句はこれまでも注目されてきた。

二億年後の夕焼けに立つのび太
ドラえもん右半身が青色の

「川柳カード」11号に飯島章友は「川合大祐を読む―ドラえもんは来なかった世代の句―」という文章を書いている。飯島は川合大祐を「第二次ベビーブーム世代」ととらえ「この世代は『ドラえもんは必ず来る』と大人たちから言われ続けたにもかかわらず、『ドラえもんは来なかった』世代なのである」と述べている。
川柳にはドラえもんを詠んだ句がときどき出てくるが、特に川合の場合はキイ・イメージとして読み取ることができる。

さて、句集の第Ⅲ章は「幼年期の終わり」。
おやおや、今度はアーサー・C・クラークなのか。
引用はもうやめておくが、川合大祐句集『スロー・リバー』は新しい世代の川柳を提示しようとする意欲的な句集である。川柳にもようやくニュー・ウェイブがあらわれたのだ。

気をつけろ奴は単なる意味だった   川合大祐

2016年8月5日金曜日

天国へいいえ二階へ行くのです(飯田良祐)

「ユリイカ」8月号の特集「あたらしい短歌、ここにあります」が話題になっている。
「ユリイカ」はかつて(2011年10月)「現代俳句の新しい波」で俳句を取り上げ、そのときも私は書店に買いに走ったが、今度は短歌ということになる。
予想していたものとは少し違っていたが、それなりにおもしろいものだった。
まず、穂村弘と最果タヒの対談がある。
次に「短歌/イラスト」として雪舟えまの10首が掲載。雪舟えまがここにくるのか。
さらに「新作5首」として15人の作品が掲載されている。
ネットなどですでにいろいろ感想が書かれているが、歌人でない人の作品が多く載っている。歌人からは俵万智・斉藤斎藤・瀬戸夏子など、歌人以外の人では戸川純・ミムラ・壇蜜・ルネッサンス吉田などが名前を連ねている。
「あたらしい短歌、ここにあります」と言いながら、どこがあたらしいの?と首をかしげる作品もあって、玉石混淆。知らない人も多く、プロフィールが一切付いていないのは、15人を同一平面上に置いて「短歌」として読めばいいという意図だろうか。「ユリイカ」は短歌誌ではないから、「歌壇」とか「短歌界」などというものはここにはなく、一般読者の視点で編集されているとも言える。
評論は現代短歌の世界でよく名前を見かける人が担当していて、ある意味で順当な感じ。その中で新鮮だったのは、梅﨑実奈の「純粋病者のための韻律」である。梅﨑は書店員だが、短歌や短詩型文学に理解のあるカリスマ店員として知られている。彼女はこんなふうに書いている。

〈「歌集、売れてほしくないんですか」
イベントの打ち上げで同席した歌人にずっと気になっていた疑問をぶつけてみたことがある。ずいぶんぶしつけで失礼な質問だけれど、どうしてもきいてみたかったのだ。歌集というのは売るための仕組みがきちんと整っておらず、実際に現場で扱っている側としては本当のところどう考えているのか知りたかった〉

〈「文学です。どうぞ」と差し出すのでは今、マスは受け取ってくれない。店でも詩歌コーナーに迷い込んでしまって「なにここ、ポエムじゃん」と笑いながら人が立ち去っていく姿を今まで何度も見てきた。そのたび思う。文学じゃ、だめなのか。詩じゃ、だめなのか。ことばそのものじゃ、だめなのか〉

本を売るという現場で日々戦っている人の思いがここには述べられている。

短歌の発信については加藤治郎が「短歌の新しさ」を、荻原裕幸が「インターネットと短歌」を書いている。加藤はツイッター「サイレンと犀」(岡野大嗣の短歌と安福望のイラスト)について、フォロワーが11886人にのぼることを紹介したあと、次のように述べている。

〈短歌雑誌・結社誌は、歌壇のコアである。そことは別のところに短歌の読者がいる。短歌の実作者ではない読者が多いと想定する。その読者層の獲得は、長年のテーマなのである。少なくとも「サイレント犀」は、地滑り的な変動を起こす契機となったのではないか〉

そして加藤は〈「サイレント犀」のようなオープン化に短歌の未来はある〉と言うのだ。
いかに私たちがクローズドな世界の狭い視野のなかで生きているかを改めて意識させられる。

さて、7月30日、大阪・上本町の「たかつガーデン」で「飯田良祐句集を読む集い」が開催された。
良祐は2006年7月29日に亡くなったから、ちょうど没後10年になる。川柳は句会がなければ人が集まらない。ただ作品を読むためだけに川柳人が集まるのは稀有のことである。10年が経過して良祐の作品がどう読まれるのか。
ゲストに岡野大嗣を招いた。良祐とは何の面識もないのに、句集『実朝の首』を購読してくれた純粋読者のひとりである。句集の中からいくつかの句を選んで読みを語ってもらった。
岡野大嗣が選んだのは次の句である。

下駄箱に死因AとBがある
バスルーム玄孫もいつか水死体
ポイントを貯めて桜の枝を折る
母の字は斜体 草餅干からびる
吊り下げてみると大きな父である
百葉箱 家族日誌は発火する
当座預金に振り込めと深層水
言い訳はしないで桶に浮く豆腐
沸点ゼロで羽化 名前のない鳥
きっぱりとことわる白い白い雲

外を歩いているうちに死因が靴の裏に貼りついてくることがある。それを下駄箱という空間に入れておく。死因にはAとBがあるのがおもしろい。
二句目の場所はバスルーム。子孫として「玄孫」が出てくる。そんな未来の時間での死を思い浮かべている。
三句目の作中主体はポイントを貯めるのが嫌いな人なのだろう。持ちたくもないカードをいつの間にか持たされている。ポイントが貯まったらふつうはいいことをするのに、ここでは桜の枝を折るというよくないことをしてしまっている。
正確に再現できていないが、岡野はこんな感じで10句を丁寧に読んでいった。

小池正博は次の5句を選んだ。

パチンコは出ないしリルケ檻の中
ハハシネと打電 針おとすラフマニノフ
二又ソケットに父の永住権
自転車は白塗り 娼婦らの明け方
げそ天のひとり立ち滂沱の薄力粉

固有名詞、父母に対する感情、大阪の雰囲気の三点が指摘された。
良祐が読んだ本そのものかどうかは分からないが、永田耕衣や定金冬二の句集、寺山修司『書を捨てよ、町に出よう』、実朝の『金槐和歌集』、リルケ『マルテの手記』、西脇順三郎『詩学』など、良祐の句に出てくる文学者の本が会場に展示された。
第二部は、くんじろうの司会で参加者ひとりひとりが良祐の思い出や作品について語った。

『実朝の首』は飯田良祐の句集としては不完全なもので、未収録作品の中にもいい句がいくつかある。当日「補遺」として配布されたが、その中から紹介しておく。

天国へいいえ二階へ行くのです
前みつをつかんだのに何故泣いている
うむを言わさない魚屋のゴム長
イージーリスニングな時計屋のオヤジ
何ですかという虫を食べている
イットウォズマイマザー鉢を割っていた
線条痕がある等伯のふすま絵
あてどない春を炒めるゆりかもめ

私たちはもう飯田良祐の新しい作品を読むことができないが、彼の残した作品の読みを深めていくことができる。飯田良祐の川柳がこれからも読み継がれ語り継がれてゆくことを望んでいる。

2016年7月29日金曜日

今夜は連句の話をしよう

連句はふだん脚光を浴びる機会が少ないが、折にふれて顕在化してくることがある。
佐藤文香編『俳句を遊べ!』(小学館)に「打越マトリックス」というゲームが出てくる。俳句の取り合わせにおける二物の距離感を把握するための練習である。たとえば、「月」という語から連想する単語を「月」の周りに書いてゆく。「うさぎ」「夜」「団子」など、いろいろ出てくるだろう。次に今書いた単語からさらに思いつく言葉を二周目に書いてゆく。そうすると「月」→「うさぎ」→「耳」とか「月」→「夜」→「歌舞伎町」とか「月」→「団子」→「串」とかいうセットが出来てくるだろう。このとき「月」→「夜」→「星」とかいうように、元に戻ってしまってはいけないというのだ。
佐藤も述べているように、「打越」とは連句用語である。
打越→前句→付句という「三句の渡り」において付句は打越に戻ってはいけない。なぜなら「変化」こそ連句の生命線であるからだ。
佐藤がやろうとしていることは、連句の要諦を俳句一句の取り合わせに応用する技術である。

今年前半に上梓された本のうちで、注目すべき連句書が二冊ある。
鈴木漠『連句茶話』(編集工房ノア)と浅沼璞『俳句・連句REMIX』(東京四季出版)である。
最初に紹介した「打越」について、浅沼の本から改めて例示しよう。

 鞘走りしをやがて止めけり 北枝 (打越)
青淵に獺の飛び込む水の音  曽良 (前句)
 柴刈こかす峰の笹路    芭蕉 (付句)

「山中三吟」からの引用である。
北枝の句は、鞘の口がゆるくて刀がひとりでに抜けたのを即座に止めたということ。「やがて」は即座にという意味である。曽良の句は、青々とした淵にカワウソが飛び込む音を詠んでいる。鞘走った刀を止めた静寂感を破って獺が水に飛び込む音がしたのである。芭蕉の「古池や」の句を連想させる。次の芭蕉の句は、柴刈の人が険しい峰の笹路で転んだというのである。水の音とオーバーラップして地上で人が転ぶ音がするわけだ。
このような「三句の渡り」を一句の中で試みている例として浅沼は次の句を挙げている。

目には青葉    (打越)
山ほととぎす   (前句)
初鰹       (付句)

梅           (打越)
若菜          (前句)
まりこの宿のとろろ汁  (付句)

前者は山口素堂、後者は芭蕉の有名句である。
水平方向の「三句の渡り」を発句(俳句)の垂直方向に変換するとどうなるか、というのが浅沼の問題意識である。

俳句形式や連句形式で言葉と言葉の関係性をどう処理するか。ことは日本の詩歌に通底する問題であり、詩歌を「関係性の文学」ととらえたときに見えてくる光景なのだ。
そのような連俳史を読みやすいかたちで提供するのが鈴木漠の『連句茶話』である。
本書は雑誌「六甲」に連載された文章を主としている。「連句協会報」などにも転載されたから、連載時に読まれた方も多いことだろうが、こうして一書にまとめられると繰り返し読むことができて便利。
李賀や万葉集・後鳥羽院の連歌・宗祇・芭蕉・蕪村・子規・虚子などから現代連句まで、古今東西の付け合い文芸について肩の凝らない文章で語っているが、その内容は広範かつ深い。根底にあるのは「連句文芸が二十世紀のわずか百年の間に急速に衰退したのはなぜか」という問題意識である。
鈴木漠は詩人として著名であるが、連句人としても現代連句の牽引者のひとりである。連句集もすでに13冊を数える。川柳においても言えることだが、連句の世界で「詩性」というのは連句革新の契機となってきた。連句と詩との接触から新鮮な刺激が生まれるのだ。

浅沼璞の著書に戻ろう。
浅沼は西鶴の研究者として知られているが、本書に収録されている「昭和の西鶴、平成の西鶴」は高柳重信や平畑静塔の文章を引用しながら、高浜虚子と西鶴の句、攝津幸彦と西鶴の句を並べて見せる刺激的な論考である。私は浅沼の文章はおおかた雑誌で読んでいるつもりだが、これは読んだ覚えがなかった。初出を見ると「書き下ろし」ということだった。
浅沼璞は川柳誌とも交流がある。「発句の位/平句の位」(原題「それぞれの『潜在的意欲』」)は「バックストローク」4号に掲載されたものだし、「小池正博の場合」(原題「連句への顕在的意欲」)は「川柳木馬」110号に掲載されたものである。後者では次の二句が並べられていた。

切られたる夢は誠か蚤の跡      其角
昼寝から目覚めたときのかすり傷   正博

浅沼の眼力は恐るべきものだなと思う。

さて、鈴木漠や浅沼璞、あるいは別所真紀子などの少数の連句人の活躍は別として、連句に対する無理解・無関心はしばしば経験するところだ。
鈴木や浅沼の本にはともに書かれていることだが、高浜虚子が「連句論」(「ホトトギス」明治37年9月)で連句を称揚し、高浜年尾には雑誌「俳諧」で連句研究をさせ、阿波野青畝にも連句実作を命じたのに、連句がいまだにマイナーな文芸であり続けているのはなぜだろうと考えてしまう。
大阪では毎年10月に「浪速の芭蕉祭」という連句イベントを大阪天満宮で開催している。
今年は10月9日(日)に行われるが、これは連句の実作会である。翌日の10月10日(月・祝)に関連行事として「短詩型文学の集い」を計画している(たかつガーデン)。この日は連句実作ではなくて、各地の連句グループの雑誌や連句本を展示してみたい。あと、四ツ谷龍氏をゲストに迎えてお話を聞くことになっている。詳細は未定だが、連句に少しでも関心をもつ方があれば、その入り口のところを広げるイベントにしたいと思っている。

2016年7月22日金曜日

蝉羽月雑記

7月3日
玉野市民川柳大会。
第67回というから歴史ある川柳大会である。私は2003年の第54回から毎年参加している。
この大会が岡山県外からも参加者が多いのは、選者が魅力的だからである。現代川柳の清新な動向に触れることができ、印象的な川柳作品がいくつもこの大会で生まれた。
今年の選者は酒井かがり・石田柊馬・草地豊子・きゅういち・榊陽子など、「川柳カード」同人が多い。酒井かがりの披講は見事だった。

前方後円墳の後ろに潜むわたしたち  正博

同じ大会に毎年参加していると、参加者の顔ぶれがしだいに変わってゆくことに気づく。現代川柳も世代交代してゆくのだろう。

7月9日
奈良県連句協会主催の「わかくさ連句会」に出席。
来年開催される国民文化祭・奈良に向けて、奈良県連句協会が昨年発足した。毎月一回、奈良と八木でそれぞれ連句会が開催されている。私が行くのは奈良の方。
今年の10月1日(土)には国民文化祭のプレ大会が奈良県文化会館で開催されることになっている。

7月某日
「川柳カード」12号、最終校正。
今号の特集は「現代川柳と現代短歌」。山田消児・小池正博の対談「短歌の虚構・川柳の虚構」と瀬戸夏子の特別寄稿「ヒエラルキーが存在するなら/としても」の二本。
考えてみれば私自身、現代短歌からいろいろな刺激を受けてきた。「ユリイカ」8月号の特集は「新しい短歌、ここにあります」、7月27日発売らしい。楽しみだ。

7月15日
祇園祭宵々山。
いまは前祭と後祭にわかれているが、前祭の方である。
見物をする前に、京都御苑の拾翠亭にゆく。九条池のほとりに百日紅が咲いている。
御苑の中にアオバズクがいるスポットがあるので行ってみた。いた、いた!カメラを持ったバードウォッチャーがアオバズクのとまっている枝を教えてくれる。二羽いるはずなのだが、一羽だけしか発見できない。それでも嬉しい。
まだ時間があるので、京都マンガミュージアムへ。
壁にはぎっしりと漫画本が並んでいる。来館者はみんな椅子に座ってリラックスしてマンガを読んでいる。私はふだん読む機会のない少女漫画を一時間ほど読んだ。
さて、いよいよ山鉾を見て回る。私のお気に入りの山鉾は菊水鉾である。他の山鉾はいつもいいかげんに見て回るのだが、今年は山と鉾をひとつひとつ見ていった。京都のことはおおかた知っているつもりだったが、まだまだ知らないことがある。

7月16日
「第30回連句フェスタ宗祇水」に参加するため郡上八幡へ。
郡上八幡へは三度目になるので、この町のことがだいたい分かってきた。
名古屋から高山行きの高速バスで郡上八幡インター下車。町の中心部からは少し外れているが、道は知っているので、宗祇水まで歩く。博覧館では郡上踊りの実演を見て踊りの予習。「かわさき」と「春駒」のふたつはほぼマスターできたと思う。
午後四時に、おもだか屋に集合。バスで「古今伝授の里」に向かう。宗祇に古今伝授をした東常縁(とうの・つねより)の館があったあたりにミュージアムができていて、鶴崎裕雄さんの講演を聞く。連歌研究の逸話など、おもしろかった。
夜は八坂神社の天王祭へ。この神社は郡上踊りの発祥の地と言われている。インターネットで紹介されているのを見て楽しみにしていたが、川辺や神社の階段にろうそくの灯りが揺らめいて幽玄な雰囲気だった。
翌朝は宗祇水の前で発句献納。

はじまりは古今伝授の夏野かな   正博

印象的だったのは郡上の人の「私たちはこの町で生まれ育ったので、郡上の良さが自分では分からない。郡上の良さをお気づきになったら教えていただきたい」という言葉。確かにそういうものだろうなと思う。

2016年7月15日金曜日

北田惟圭句集『残り火』

北田惟圭(きただ・ただよし)は大阪の川柳人。
句文集に『四角四面』(2011年)があるが、今回は今年3月に上梓された句集『残り火』を紹介したい。
この句集には2010年から2016年までの作品が収録されているが、この間、日本では東日本大震災や福島の原発事故、安保関連法の成立などの様々な出来事があった。この句集ではそれらの出来事と正面から取り組んでいる。
巻頭に置かれているのは次の句である。

蝶が舞う新月でしたあの日です   北田惟圭

「あの日」とはいつだろう。
新月だから月の出ていない夜である。夜飛ぶのは蛾であって、蝶が舞うのは幻想的な風景と受け取れる。とにかく「あの日」何かが起こった。
恋句とも読めるし、社会的な事件を詠んでいるようにも思える。
私は最初「フクシマ」のことかなと思ったが、2010年の作品として収録されているから、時が合わない。けれども、あとの句を読んでゆくと、福島の作品が多いから、この巻頭句は予言的なものとしてここに置かれているような気がした。

国ざかい消したはずですエラスムス

エラスムスは宗教改革期の人文学者で、『愚神礼賛』『平和の訴え』などで知られている。国際的な知識人だった。
2011年作品から。

メルトダウンに煮え滾る腸
咲き初めにひらひらひらと舞う核種
良くご存知ですね犠牲のシステム
巣作りの鳥が取り込む核のごみ
フクシマの灰次々と化けている
姉弟待つピアノは堪えて朽ちるまで

原発事故をテーマとした作品は現代詩や短歌・俳句で繰り返し創られているが、川柳で記憶に残るような作品は案外少ない。表層的な事件として詠まれることはあっても、自己のテーマとして正面から引き受けた作品が少ないのである。また、時事句として詠まれるだけで、作品が文芸的にも優れたものになることは簡単ではない。北田は社会的な素材と文芸性とのあいだで苦闘しながら、この大きなテーマと取り組んでいることがうかがえる。しかも、それは一過性の営為ではなく、持続的なものだった。
次にあげるのは2012年の作品である。

すべて木が騙されていて深みどり
花が咲く核種を吸って喜びの彩
幾万年の覚悟があるかと盧舎那仏
ウランが光る蟻塚の闇
被曝に嘘はないムラサキツユクサ
三万年 目覚めの悪い眠り姫
一本の柱だったか炉心だったか

北田は自らの川柳技術を駆使して、原発の主題に向かい合っている。
ここでは原発の時間的・空間的影響に視線が広がっている。風刺や反語、七七というリズム(五七五よりも圧縮されて引き締まった表現にすることができる)などが使われている。
さらに、2013年の作品を見ていこう。

廃炉の蔕に蛆がうじゃうじゃ
蟹のいた小島の磯や再稼働
事後処理として複式呼吸する
2号炉の抗がん剤はないのです
トーデンのデスクに廃炉の絵巻物

怒りは直接的になったり深化されたりする。
次は2014年の作品。

阿修羅には凍てた吐息の布告状
春の海核弾頭を隠し持ち
紫蘭ふたたび陣地ひろげる
何気なく置かれたものが化けている
もっともっと光を 過去を掘り返す
軍神が削除キー押す第九条
ウランがはしゃぐ君のポケット
首塚の位置がずれてる 再稼働

ここではもう一つのテーマ、安保法案の問題があらわれてくる。戦後の日本人が共通認識として持っていた戦争放棄の理念が揺らぎつつある。
続いて2015年。

銃を手にしたら外せなくなる的
輪唱の途中で重くなる廃炉
みかえりの阿弥陀如来が念を押す
原発の電気は使いたくないのです
情報に上手にハサミ入れたがる
シュート回転しないピストルの弾
喃語にて力説してる平和論

北田惟圭の句集『残り火』は社会詠に正面から取り組んだ、今どき珍しい川柳句集である。川柳は諷刺を得意とするものの、批評性と文芸性を兼ね備えることは至難の業である。ひとつの主題を持続的に取り上げ、深化させていくという姿勢も貴重なものだ。
最後に2016年作品から次の句を挙げて終わりたい。

黄蝶舞う一基一基と急き立てて   北田惟圭

2016年7月9日土曜日

「川柳の仲間 旬」

伊那で発行されている川柳誌「旬」。
創刊はけっこう古くて1992年3月、この7月で206号を数える。
代表・丸山健三、編集・樹萄らき。
私自身はしばらく交流が途絶えていたが、昨年の「川柳カード」大会や今年の「川柳フリマ」などで「旬」のバックナンバーが配布され、関西でも読者が増えつつあるようだ。

さて、「旬」7月号を紹介すると、まず表紙裏に「相乗りをお願いされる観覧車」「知りあいらしい人と乗るジェットコースター」(大川博幸)の句がそれぞれ観覧車とジェットコースターのイラストに重なるかたちで描かれている。毎回、前号作品からピックアップしたものをイラスト入りで紹介されている。
続いて「せせらぎ」の欄で前号からの推奨句がピックアップされている。
同人作品は各10句。

特技などない方がいいかまわない   池上とき子
数ミリのズレに気づかぬふり二人   桑沢ひろみ
ひと呼吸ほうら世界とつながった   千春
唐突に首狩りに出て帰る道      川合大祐
音質を変えたいために風邪をひく   柳本々々
ようカラス君等の歴史強いねえ    樹萄らき
鳥もまた横切っている空のもと    小池孝一
病院はビジネスの顔しています    竹内美千代
本能のままに生きたいけれど眠い   大川博幸
愛の手を避けてあさがお伸びてゆく  丸山健三

千春の作品には「再生」の主題があり、回復のあと再び「世界」とつながってゆく喜びが感じられる。
川合大祐には作者の実体験とは次元の異なる「言語作品」を作りあげようという意識が顕著だ。「泳いだかトリケラトプスだった夏」など異なった時間・空間を一句のなかで重ねあわせる書き方がある一方、「檻がある町のラーメン屋の格子」など「檻」という川合のこだわり続けているテーマが詠まれてもいる。「川柳カード」11号に飯島章友が「ドラえもんは来なかった世代」として川合大祐論を書いているなど、川合はいま注目されている若手川柳人である。句集を出す予定があるそうだから、上梓が楽しみだ。
柳本々々はこのところ「啄木忌」「ベーダ―忌」など「忌日シリーズ」を続けている。今回は「カフカ忌」。俳句では忌日は季語となるが、川柳で季語ではない忌日を詠むとどうなるか、興味深い試みだ。忌日と何かの取り合わせというのではなくて、「カフカ」からの連想で自由に作品を作っている。「グリーンのよしだ・よしおが止まらない」という句もあって、カフカならぬ「よしだ・よしお」(誰なんだ?)という人名が使われていたりする。川合大祐は「旬」5月号で、柳本が柳俳混合のそしりを受けるリスクを冒してまで、なぜ「忌」にこだわるのか、という問題提起をしたうえで、意味のない(逆に言えば「無限に意味の可能性を秘めた」)言葉を起点とすることによって、「無限」へと解放すると述べている(このときの柳本作品のタイトルは「コンビニ忌」という偽季語だった)。
樹萄らきは啖呵を切るようなスタイルでフアンが多い。「杜人」250号誌上句会には「いま朝を連れてくるから待ってろよ」という句が掲載されていた。
丸山健三は10句の頭文字をつなげると一つの意味になる仕掛けになっていて、今回は「あさがおとなつのかぜ」。掲出句、「愛」と「あさがお」という言葉の出自はここから。折句ではないが、いろいろな作句法があるものだ。

同人作品以外に、6コマ漫画やエッセーなど、バラエティに富んだ誌面構成になっている。
最後に、今年の5月に伊那公民館のロビーに展示された「旬」の作品の写真が掲載。この展示は「川柳の仲間 旬」のブログにも写真が掲載されているので、検索すればご覧になることができる。
「旬」は同人作品の掲載と相互の交流を主として、地域に川柳を根付かせようという姿勢もうかがえる。川柳作品の読みについては、前号掲載作品を例会や次号で丁寧に読んでゆくというスタイルのようで、「私の一句推薦」や「ストリーム」の欄が充実している。川柳を楽しんでいることが誌面から伝わってきて、クローズドではないがオープンでもない、中間的な同人誌の在り方なのかなと思った。同人の中では川合大祐と柳本々々が「川柳スープレックス」に参加している。また、川合と樹萄は「裸木」(発行・いわさき楊子)で作品を見かける。伊那という地域に根ざしつつ、元気に川柳発信を続けているグループである。

2016年7月1日金曜日

「杜人」創刊250号

仙台で発行されている川柳誌「杜人」の創刊250号(2016年夏号)が先日発行された。巻頭の「ごあいさつ」で発行人の山河舞句は次のように述べている。

〈 杜人社の創立は昭和22年10月です。スタート時の同人はわずかに4名。いずれも、娯楽の少ない戦後の混乱期に、ラジオ文芸や新聞柳壇に惹かれて川柳を始めた二十歳前後の若者でした。
 昭和22年、月刊誌から始まった「川柳杜人」は、顧問として川上三太郎、前田雀郎、大谷五花村を迎え、句会の選者や川柳講演をしてもらったり、また「番傘」の岸本水府や「ふあうすと」の椙元紋太、福島の白石朝太郎、川柳非詩論で知られた石原青龍刀などにも評論を書いてもらうなど、全国的に注目されるようになりました。 〉

「杜人」の歩みについては私もこの時評(2011年5月20日)で書いたことがあるが、簡単に振り返っておこう。
「杜人」は昭和22年(1947)10月、新田川草(にった・せんそう)によって創刊された。創刊同人4人とは、川草のほかに渡辺巷雨、庄司恒青、菊田花流面(かるめん)。杜人の句会は川草の経営するパン屋の2階でやっていたという。
その後、添田星人と大友逸星の星・星コンビが加わったほか、田畑伯史、今野空白など著名な川柳人を輩出した。新田川草は、深酒の果てに昭和47年(1972)死去。
「杜人」の指向するところを山河舞句は次のように書いている。

〈 「川柳杜人」は、伝統的に勝手気儘な自由なグループです。一人ひとりの個性がはっきりしている集団です。画一的ではないスタイルをそれぞれが指向しています。 〉

創刊250号を記念して誌上川柳句会が行われ、その結果が発表されている。
兼題は「朝」「着」で、それぞれ三人の選者による共選。各選者の特選を選者名とあわせて紹介しておこう。

仏壇はあるしドラマは始まるし    木暮健一  (野沢省悟選)
一匹になった金魚に朝が来る     福力明   (八上桐子選)
朝を待つ象の鎖骨にふれながら    瀧村小奈生 (佐藤みさ子選)

かたぐるま真っ赤な夕陽着て帰る   黒木せつよ (藤富保男選)
蕗の薹母は生涯木綿着て       松岡玲子  (𠮷田健治選)
ゴム草履が流れ着いたらもう無敵   樋口由紀子 (広瀬ちえみ選)

「朝」の方には「仏壇」「一匹になった金魚」「象の鎖骨」に対するそれぞれの選者の思い入れの深さがうかがえる。「着」の方は、藤富と吉田が「取り合わせ」の句を選んでいるのに対して、広瀬が「切れのない句」を選んでいるのがおもしろいと思った。各選者による選評が付いているので、ご興味のある方は本誌をお読みになっていただきたい。
以下、アットランダムにピックアップしておく。

朝礼の途中で一人二人孵化       芳賀博子
口開けて朝日七秒いただいた      深谷江利子
ニンゲンに戻ろう朝が来る前に     浮千草
思いだし笑いが朝になりました     赤松ますみ
向こう岸を少しのぞいてから起きる   山田ゆみ葉
平等に朝が来るとはかぎらない     鈴木逸志
土中から出てくるここは朝ですか    広瀬ちえみ
いま朝を連れてくるから待ってろよ   樹萄らき
瓶詰の朝を大さじ1と1/2        楢崎進弘
朝礼のみんな卵を産みたいの      きゅういち

不時着のトマトを愛とまちがえる     吉岡とみえ
着くまではさやえんどうでおりますね   丸山あずさ
たどり着かないようにあなたを迂回する  瀧村小奈生
試着室なかなか妻が出てこない      鈴木逸志
存在を着崩している排卵日        きゅういち
船着場までは真っ赤な服でいく      いわさき楊子
カンガルーキック着払いで届く      森田律子
着々と太郎は森になってゆく       江口ちかる
絢爛とかぶく僧千人の大法会       松永千秋
傘ないねんと計画的不時着        岡谷樹

192名の投句者があり、一人二句だから各題384句の選となる。さまざまな傾向の句が集まり、共通のベースは何もないから選はたいへんだっただろうが、「画一的でないスタイル」を指向する「杜人」にふさわしく多様な作品が集まったようだ。現時点での現代川柳の幅を展望するのに有効だと思われる。
それにしても、250号とは息の長い営為である。来年は創立70年を迎えるという。これからも「開かれた杜人」の誌面と活躍を期待したい。

2016年6月24日金曜日

振り返れば飯田良祐

飯田良祐が亡くなったのは2006年7月のことだった。
没後10年の今年7月30日(土)に「飯田良祐句集を読む集い」を大阪上本町・たかつガーデンで開催する。ゲストには歌人の岡野大嗣氏を迎えることになっている。
飯田良祐の句集『実朝の首』は2015年1月に川柳カード叢書の一冊として刊行されたが、この句集を評価してくださったのが岡野さんだった。

あてどない春を炒めるゆりかもめ    飯田良祐

岡野さんが特に取り上げて紹介したのがこの句だったが、実はこの句は句集に未収録である。句集を編集するときに私が見落としたのだ。
良祐は、くんじろう、銀次と三人で「柳色」という読み句会(勉強会)を行っていて、その五回目に次の三句が発表されている。これは「柳色」のホームページでも読むことができる。

あてどない春を炒めるゆりかもめ
人物画が苦手な公園の銀杏
何ですかという虫を食べている    良祐

岡野さんが飯田良祐の句に眼をとめたのは純粋に作品を通してであることがわかる。「集い」の案内に岡野さんはこんなコメントを寄せている。
「飯田さんのことは、イラストレーターの安福望さんに教えてもらって知りました。飯田さんの句が孕んでいる、早朝の帰路にガラ空きの電車から見る夕焼けのような痛みに強く惹かれます」
今回の集いは友人だけの内輪の集まりにはしたくない。そういう集いならば酒を飲みながら思い出話にふければいいだけのことだ。良祐の作品は10年を経てどのように読まれるのだろうか。作品を通じて良祐に向かい合いたいと思っている。

飯田良祐は1943年生まれ。広告制作会社を経営していて、川柳をはじめたのは2000年ごろ。「川柳倶楽部パーセント」「バックストローク」などに作品を発表したが、特に晩年の二年間は個性的な句を書いた。
『実朝の首』を編集するときに、収録句のそれぞれについて鑑賞文を付けようとしたことがある。その企画は途中で放棄したのだが、そのうち三つばかり書きぬいてみる。

親族の記帳のあとの磨りガラス

「親族の記帳」だから、会計簿や預金通帳の記帳ではないだろう。
親族が集まるのは結婚式なのか、葬式なのか。
現代では法事などの機会以外に、親族が一堂に集まることはめったにない。
従兄弟・従姉妹などになるともう名前も曖昧である。
親族の記帳が終わったあと、思い出話になるのだろうか。それとも、もう何も話すことはないのだろうか。
「磨りガラス」は意味性の強い言葉である。見えないように隠すものには違いないが、何から何を隠すのだろうか。家の内部を家の外部から隠すのだろうか。見たくない外部を見えなくするためのものだろうか。どちらでも同じなのだろうか。
記帳する行為と磨りガラスとの間に良祐は関連性を嗅ぎ取っている。
存在していても見えないもの、見せたくないものがある。そういうものを見せてしまうと、人間関係が壊れたり、平穏な市民生活を送ることが困難になったりする。
けれども、表面的な平穏を剥ぎ取って、真実をあばいてみたい。そういうところから川柳ははじまるのかもしれない。

鼻柱だけで済ませている交尾

鼻柱で交尾できたら、おもしろいかも知れない。
と、まず無責任に言っておく。
DNAを残すために動物は交尾する。
体内受精、体外受精、雌雄同体、いろいろある。
しかし、鼻柱で交尾するという話は聞かない。
「鼻柱が強い」というフレーズがある。
一句発想の出発点がどこにあるのか分からないが、言葉から出発しているのかも知れない。
あるいは、きちんと交尾するのが面倒なのか。
なにやら投げやりな雰囲気である。
アンニュイが漂っている。
セックスの途中で寝てしまう、というほどひどくはないが、鼻柱だけで済ませるというのは悪意のある諧謔である。

仕方なく隣家の舌と旅に出る

旅の道づれということがある。
人はいろいろな事情で道づれになることだろう。
ときには気がすすまないのに、仕方なく行かねばならない場合もあるだろう。
隣家というのも微妙だ。隣同士だから、互いの内情が何となく分かっている。やりにくいだろう。
その上、隣家の「舌」である。黄色い舌かも知れないし、二枚舌かもしれない。
舌を比喩的に読むと、何やら意味ありげだが、本物の舌と読んでもかまわない。
ゴーゴリに「鼻」という小説がある。
「鼻」はペテルブルクのネフスキー大通りをうろうろしている。
良祐の句もゴーゴリ風の諷刺かと身構えるのだが、そうでもなくて軽い冗談のようなものかも知れない。
とりあえず旅は始まった。
先が思いやられることである。

あまりおもしろい鑑賞にならないのでもうやめにするが、次の句などは鑑賞文を書きあぐねている。

殻つきのまま落下する私生児
壊死を待つ桃色ジュゴン絵師二人
心療内科へ行く花鳥諷詠

句集に未収録の作品もまだまだあるようだ。

四国八十八カ所ハンドルは二本    良祐
丸干しが並ぶ異母兄弟のまま
委細面談 一乗寺下り松
天国へいいえ二階へ行くのです
目に青葉常識的な線を引く

「飯田良祐句集を読む集い」は7月30日(土)、午後1時開場で、岡野大嗣さんのお話は午後2時から。たかつガーデン、2階ガーベラにて。30人程度の小部屋なので、ご参加ご希望の方は早めにご連絡をお願いする。

経済産業省へ実朝の首持参する    飯田良祐

実朝の首を持参するくらいでは追いつかないほど、時代はさらに厳しくなっている。

渋滞のテールランプが汚くて綺麗でそこに今から混じる   岡野大嗣

2016年6月17日金曜日

定金冬二句集『無双』のことなど

5月22日の「第二回現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」では手持ちの川柳句集を展示し、石田柊馬に句集解説をしてもらった。そのとき彼が紹介したなかに『無双』の次の句があった。

橋が長いのでおんなが憎くなる    定金冬二

『無双』では昭和30~39年の章に収められている。
石田はこの句について「おんなは作中主体といっしょに橋を渡っている」「おんなは橋の向うにいる」の二通りの読みが可能で、当時の読者も二つの読みに分かれたことを述べた。(もうひとつ「おんなは橋の手前、作中主体の背後にいる」という可能性もあるが、これはすぐには思いつかないとも)。冬二にどちらかと質問すると、冬二はふふんと笑って答えなかったという。石田は現代川柳にフィクションが導入された時期の句としてこの作品を挙げている。
現代川柳史を考えるときに分かりにくいのは、その作品がいつごろのものかということが、後発の世代には特定するのが困難なことである。特に句会作品となると、資料を探すのは大変だし、句集に収録されている場合でも、句集が発行されるのはかなり後になってからのことが多いので、作品制作の時期とはズレが生じる。
さらに、「昭和30年代」などの区切り方と「1960年代」などの区切り方による混乱もあり、60年代、70年代、80年代…という区切り方でものを考えている私などには時代の雰囲気が分かりづらいところがある。
幸い冬二の句は昭和30年代ということが分かる。昭和30年は1955年、昭和35年が1960年である。ただし、フィクションの導入といっても、従来の書き方と混在しているのであって、たとえば上掲句と同じ時期の冬二の「おんな」の句にはこんなのもある。

おんなとは哀しいときも何か提げ    定金冬二

この時代、買い物は女性の役割だった。哀しいときも大根や人参を入れた買い物かごを提げて歩いてゆくのである。ここには男性の視点でとらえられた「おんな」の姿があり、女性川柳人によって書かれる「私川柳」「情念川柳」にもつながってゆく。

石田柊馬は「私川柳」流行の皮切りとして、時実新子の『新子』(昭和38年、1963年)を挙げている。この時期あたりから、現代川柳は私的感慨や感情表現の比べ合いに表現の中心が置かれるようになり、イメージやフィクション、技法的には暗喩(メタファー)が多用されるようになるというのだ。
「現代川柳ヒストリア」に展示した句集で言えば、福島真澄の『指人形』(昭和40年)には昭和30年代後半(1960年代前半)の作品が収録されている。特に次の句は昭和39年、40年に書かれている。

指人形に静寂(しじま)を吹かせ夫がゐない    福島真澄
風吹けば 失った推体の 山鳩よ啼け

明治以降の近代川柳に「私」が導入されたのは、明治40年代の「主観句」の主張あたりからだと言われている。このとき、若き川上三太郎は客観から主観へ舵を切った一人だったのだが、昭和30年代においても三太郎は「私川柳」の流行に一定の役割を果たした。新子も真澄も三太郎に師事したのである。

その後の1960年代の現代川柳史、特に女性川柳史について私はあまり句集を持っていないし、具体的なことがよく分からない。私が川柳をはじめた1990年代には「川柳の意味性」や「隠喩」についてはすでに疑問も出はじめていて、1970年代・1980年代の現代川柳の遺産をそのまま継承することに行き詰まりも見えていた。私が「時実新子論」に手を出さない理由もそこにある。
現代川柳における「私」の導入の仕方に問題があったとすれば、むしろ批判されるべき対象は河野春三だろうと私は思っていて、「河野春三伝説」(「MANO」19号)を書いた。乗り越えるべき相手は一番高いレベルの相手でないと意味がないからである。
石田柊馬は現代川柳史における「私川柳」は大きな「迂回」だったと言うが、半ば同意しつつも、それは「批判的継承」の対象ではないかと私は思っている。

2016年6月10日金曜日

水無月・川柳連句日記

6月某日
映画「ちはやふる」の「上の句」「下の句」を一気に見る。
原作のコミックはすでに30巻以上出ていて、現在もコミック誌「BE LOVE」に連載中である。百人一首の競技カルタの話で、小学生のときカルタと出会った主人公が高校に入ってカルタ部を作り、大会で勝ち抜いてゆく。このパターンは「俳句甲子園」を描いたコミック「ぼくらの17‐ON」でも同じ。俳句甲子園の映画では「恋は五七五」というのがあった。
「ちはやふる」を見にいったのは、6月の「大阪連句懇話会」で百人一首の話をする準備のためである。短歌では百人一首、俳句では俳句甲子園。川柳や連句でも普及のためのツールを何か考えられないだろうか。映画に出てくる競技カルタの聖地・近江神宮は「関西連句を楽しむ会」で訪れたことがある。

6月某日
「川柳フリマ」が終わったあと、反応・感想をツイッターなどでフォローしている。
いろいろ思うところがある。イベントをやった当事者にしか見えてこない光景があるものだ。
「川柳フリマ」には川柳人・歌人・俳人に参加していただいたが、連句の存在が影ほどもなかったのは今後の課題だと思った。
「川柳フリマ」のコンテンツを拡大して、連句本や連句誌を含めて会場に並べてみたらどうだろう。
全国にはさまざまな連句結社・グループがあるが、その活動が一般に知られることは川柳以上に少ない。

6月某日
昨年、八上桐子と「THANATOS」VOL.1を製作したが、今年はそのVOL.2を準備中。
「川柳 塾」のバックナンバーは調べ終わったが、「新思潮」「ふあうすと」「新京都」「川柳展望」などの資料が八上さんから送られてくる。
生資料を読むといろいろ発見がある。句集に収録されている一句の背後におびただしい同想句があったりする。今年は石部明没後四年目。来年は没後五年。

6月某日
10月9日(日)に大阪天満宮で開催する「浪速の芭蕉祭」、募吟を募集中だが、連句作品(形式自由)がぼつぼつ送られてきている。前句付・川柳の募集もあり、こちらは無料、葉書で応募できる。
当日は大阪天満宮の本殿参拝もあり、昨年は松山の青木亮人さんをゲストに招いて、本殿にも上っていただいた。
その翌日10月10日(月・祝)に関連行事として「短詩型文学の集い」を計画中で、上本町「たかつガーデン」で開催する。
午前中はフリマ、午後は対談とワークショップの時間にしたい。
このところイベントのゲストとして歌人を招くことが多いので、今度は俳人で連句にも理解のある方をゲストに迎えるつもり。内諾をもらっているので、いずれ時期がくれば詳細を案内・宣伝したい。おもしろいものにできればいいが。

6月某日
「第7回兼載忌記念連句会」に出席のため、会津若松へ向かう。
私は一昨年、昨年に続き三回目の出席で、以前この時評にもレポートを書いたことがある。
室町時代の連歌師で連歌七賢のひとり猪苗代兼載にちなむ連句会である。
ホテルが野口英世青春広場にあり、毎年、英世の銅像をながめて時間を過ごす。
会津にはレトロ喫茶と居酒屋が多く、それも楽しみのひとつである。
今年は居酒屋の名店「籠太」に行った。毎年、これぞと思うお店を制覇してゆくつもり。

6月某日
小平潟天満宮の社務所で連句会。六座に分かれて連句を巻く。
すぐ前が猪苗代湖である。
いつも静かな場所なのだが、この日はキャンプをする人でけっこう車が多い。
連句の座では昨年出会った高校生と今年も同じ座になった。
連句の座というのは心理的な葛藤があって、むつかしいところがある。
私も本当のことを言うと座が苦手なのだ。
けれども、一年というのはそれなりの変化をもたらすだけの時間である。
彼女も私も成長したのだ。

6月某日
「第四回文学フリマ大阪」に出店申し込み、出店料を振り込んだが、正式に受付メールが届いた。これで今年も文フリ大阪に出店が確定。9月18日。堺市産業振興センター。
ほかにも川柳の出店があればいいのにね。

6月某日
山田消児さんとの対談のテープ起こしに取り組み中。
聞こうと思っていて聞きのがしたことが幾つもある。
しかし、一番の問題は私自身が冒険しなかったことだ。
自分でよく知っている範囲のテーマ設定と予定調和的な私自身の発言はテープを聞いていると明らかである。
できることをこなしてゆくのは当たり前のことだが、できそうもないことに挑戦するのはどうか。それはそれで危険なことだろうな。

2016年6月3日金曜日

川柳はグローバル

「熊本日日新聞」の読者文芸のページに田口麦彦が「川柳はグローバル」を連載している。田口は震災のあった熊本市在住の川柳人である。連載19回目の5月23日には、冒頭で次の句が引用されている。

テレビはどれも地震の話 熊本城崩れ   墨作二郎

「現代川柳・点鐘」176号から。墨作二郎は阪神大震災の際にも「春を待つ鬼を 瓦礫に探さねば」をはじめとする震災句を詠んでいる。
また、田口の川柳の原点にあるのは昭和28年6月の熊本大水害である。そのとき田口はこんな句を詠んだ。

水引いて誰を憎もう泥流す   田口麦彦

熊本日日新聞に田口麦彦は次のように書いている。
「こちら熊本は、いまもまだ揺れ続く。清正公さんの頑丈な石垣も崩れ、阿蘇大橋も消えてなくなった。それでもすこしずつライフラインも復活。温かい全国のボランティアの人たちに助けられている。ありがとう」「生きて生き抜いて、その証しの句を作ろう」

関西俳句会「ふらここ」の作品集が発行された。
上田拓史の書いている文章によると、「ふらここ」のはじまりは次のようなことだった。

黒岩徳将「今年から、本気で俳句やありたいんです。拓史さんもやりましょう」
上田拓史「関西にも学生だけで集まる団体があってもいいのにね、俳句甲子園出身者の受け皿みたいなのがさ」
黒岩「だったら僕たちでやりましょう!」

「ふらここ」は大学ごとの俳句サークルではなくて、関西の若手俳人のコミュニティという位置づけのようだ。作品集から何句か紹介する。

ぼんやりとカナブンになってゆく孤独    山本たくや
心臓はあげるよ月を僕にくれ        寺田人
どうせまた降るから零余子飯どうぞ     仮屋賢一
花曇り世を変えるには狭き庭        野住朋可
また誰か倒れたそうで冷奴         栢原悠樹
湖に溶け明るさだけとなる花火       下楠絵里

「触光」47号に第6回高田寄生木賞が発表されている。大賞は次の作品。

スリッパが全部こっちを向いている   こうだひでお

作者は京都の川柳人で「川柳 凛」の同人。
詳細は「触光」誌をご覧いただきたいが、私がおもしろいと思った句を引用しておく。

Wはそして海溝まで沈む        猫田千恵子
二足歩行余った手には銃がある     落合洋人
はっとして魚の形考える        星井五郎
そのことに触れずりんごを剥いている  嶋澤喜八郎
おとうとの三割はこうそくどうろ    柳本々々
サ・カモト・ド・リ・ヨーマ否定食   中西号
ゴーヤのつぶつぶになったはらわた語  森田律子

次回の「第7回高田寄生木賞」は作品ではなくて、川柳に関する論文・エッセイを募集するという。その趣旨は次のように書かれている。
「現在、川柳界では多数の作品賞はあるが、論文や文章の賞はほとんどみられない。このままだと量的に作品は増えても、その作品の検証や作家の論評がなされなければ、文芸として質的に低下するのではないかと思った。ささやかな一灯ではあるが、皆様のご協力を乞うものである」
川柳の評論賞!思い切ったことをするものだ。締め切りは2017年1月末。未発表、4000字以内。送り先は野沢省悟まで。
ちょっとたのしみである。

2016年5月27日金曜日

「第二回現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」

前回とりあげた歌人の我妻俊樹が今度は川柳を書いている。
「SH3」に「ストロボ」のタイトルで発表された102句である。
多作であることにも驚くが、「歌人がつくった川柳」という印象はまるでなくて、現代川柳作品として読んで何の違和感もないことにびっくりする。

土踏まずだけがきれいな夜景です   我妻俊樹
少しずつ思い出してる右の県
白菜を割って登場してもいい
住むだけで家が柘榴になっていく
割れたならバスターミナルだって皿
右の月と左の月の継ぎ目です
むこうへと七里ケ浜を追い返す
敵味方なく雪柄のシャツを着る
前世の話はよせよ照れるから
飛び魚の味を合図に一時解雇

「SH」は瀬戸夏子・平岡直子の編集発行。三冊目となる「SH3」は先日の「川柳フリマ」で販売された。我妻以外のゲスト作品を含めて紹介しておく。

助けてね逃げてねカラオケの先生   宝川踊
火と刃物 お料理は死にちかくてヤ  山中千瀬
名古屋まで逃げてきたのに顔がある  吉岡太朗
天使ひとりになるまで他天使皆殺し  瀬戸夏子
母と子の決闘が母子像になる     平岡直子

さて、5月22日、大阪・上本町の「たかつガーデン」で「第二回現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」が開催された。川柳を中心としたフリーマーケットに13グループが出店し、71名の来場者があった。そのうち川柳人が約半数、歌人が約20名、俳人が約10名であった。
このイベントは昨年に続き二回目であるが、文学フリマや2014年7月に開催された「大阪短歌チョップ」などから影響を受けている。「ヒストリア+フリマ」というコンテンツで、ヒストリアの部分では今回、石田柊馬が現代川柳句集の解説をした。
『中村冨二・千句集』をはじめ『難破船』(松本芳味)『山彦』(石曽根民郎)『熊野』(岡橋宣介)『無双』(定金冬二)『痩せた虹』(柴田午朗)『月の子』(時実新子)『指人形』(福島真澄)などを展示。石田は展示されていた川柳句集の時代を「暗喩やイメージやフィクションが準備されていた時代」ととらえ、「私川柳」のスタートとしての『新子』(昭和38年)、昭和30年~40年ごろの女性川柳の時代など、現代川柳史を駆け足で語った。

橋が長いのでおんなが憎くなる   定金冬二

対談の部では、山田消児と小池正博が「短歌の虚構・川柳の虚構」について語り合った。
山田が「虚構の短歌」の例に挙げたのは次の五首。

照準つけしままの姿勢に息絶えし少年もありき敵陣の中に    渡辺直己
奪われてしまうものならはじめからいらないたとえば祖国朝鮮  野樹かずみ
降り出した粉雪ながめ帰れずにあたしいつまで万引き少女    河野麻沙希
父危篤の報受けし宵缶ビール一本分の速度違反を        石井僚一
食べ損ねたる手足を想ひ山姥が涙の沼を作つた話        石川美南

渡辺直己は戦前の「アララギ」で前線歌人として有名だったが、この歌は実際の戦闘ではなく、映画を見て詠んだ歌だという説がある。私がこの歌人のことをはじめて知ったのは、藤原龍一郎の本からだったが、藤原は「ギミック」という言葉を使っていた。レスラーが覆面をかぶるように、「前線歌人」も一種の覆面のようなものという捉え方である。
野樹かずみは在日朝鮮人ではなくて日本人、河野麻沙希は女性ではなくて男性、石井僚一の父は亡くなっていなかった。石川美南の『物語集』は歌の最後がすべて「~話」で終っている。
山田消児はそれぞれのケースについて丁寧に説明した。
石井僚一については2014年の短歌研究新人賞をめぐる議論が記憶に新しいだろう。ちなみに、石井はそのときの「正しい選考」とは何かという疑問から自ら「石井僚一短歌賞」を創設したという記事を新聞で読んだ。新人が自分で短歌賞を創設するという話には仰天する。

続いて、川柳の虚構について、小池は次の五句を例に挙げた。

人殺しして来て細い糞をする           中村冨二
雑踏のひとり振り向き滝を吐く          石部明
流れ着くワカメ、コンブを巻きつけて       広瀬ちえみ
ヒトラーユーゲントの脛毛にチャコはすがりつく  山田ゆみ葉
乳飲み子と歩調があえば船は出る         兵頭全郎

対談の詳細はテープ起こしをして、「川柳カード」12号に掲載の予定。
川柳の虚構については「バックストロークin仙台」(2007年5月)での〈川柳にあらわれる「虚」について〉、「バックストロークin大阪」(2009年9月)での〈「私」のいる川柳/「私」のいない川柳〉で議論されたが、その後あまり取り上げられることのないテーマである。ある意味で、川柳における虚構は当然の前提として広がっているのかも知れない。だから、山田ゆみ葉がブログで、いまごろなぜこんなテーマを取り上げるのかと疑義を呈したのは痛いところを突いているのである。ただ、川柳の先端部分はさておき、おおかたの川柳人の中では「虚構」「私性」「実感句」などの問題はまだきちんと整理されていないように思われるので、山田消児を迎えて短歌の場合はどうなのかを聞いてみたかったのである。

川柳フリマではいろいろな同人誌やフリーペーパーを手にすることができた。
たとえば「並列」は谷じゃこが「川柳を作ってみよう」と歌人に声をかけてできたフリーペーパー。

霜柱たちスタンディングオベーション  嶋田さくらこ
ほとんどの家にカーテンがあります   魚住蓮奈
返事がないただの水たまりのようだ   尼崎武
夏が来てシュークリームが降りそそぐ  月丘ナイル
内臓を見せながらパンを食う真鯉    ユキノ進
箱庭にモンシロチョウはお断り     谷じゃこ

今回初参加の「かばん関西」はガチャガチャや豆本などのユニークな企画で目をひいたが、飾りつけの面でもいろいろ準備してきたようで注目された。『川柳×短歌 月めくり』から。

カミサマはなんにも禁止してないね   ミカヅキカゲリ
封を切る君の覚悟はよろしいか     文屋亮
新しい病いをひとつ月を食む      とみいえひろこ

他ジャンルの、たとえば歌人が実際に川柳を作ってフリマに参加してくれるのは、抽象的議論よりよほど実りのあることだと思う。実作を通じて理解し合うことが大切だろう。
俳句関係では関西俳句会「ふらここ」作品集が販売されていて、関西の若い俳人の作品を読むことができた。
「川柳フリマ」は川柳人だけではなくてジャンルを超えたオープンな集いになればいいなと思っている。参加者相互の顔が見えるイベントとしては80人程度の参加者が適正かもしれない。今回、ご参加・ご協力いただいたみなさまに感謝する。

事前投句作品(欠席投句あり)について、当日の参加者に好きな句を投票していただいた。おひとり三句選。高得点句を最後に紹介しておく。5点句以下は「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」のホームページに追って発表されるので、そちらをご覧いただきたい。

8点 月光をさえぎるためのおろし金      森田律子
8点 寝ている水に声をかけてはいけません   岩田多佳子
7点 祭きて紋白蝶は炊き上がる        とみやまやよい
7点 とりどりの手押し車が沖へ出る      川田由紀子
6点 触れてみて冷たい方が五月です      嶋澤喜八郎
6点 あほやなあ あほやあほやと抱いてやる  本多洋子
6点 計算の出来ないものを着て街へ      筒井祥文
6点 領海の外で天ぷら揚げている       中村幸彦
6点 唇は桐の小箱に入れておく        竹井紫乙

2016年5月20日金曜日

川柳人から見た我妻俊樹

「率」10号は我妻俊樹の歌集『足の踏み場、象の墓場』を誌上歌集として150ページにわたって掲載している。10号記念の特別企画ということで、瀬戸夏子は序文でこんなふうに書いている。
「きっと歌人ならだれにだってあることだろうと私は信じているのだけれど、歌人ならきっと誰でも、好きな歌人の、いつかの歌集の出版を夢に描いて、心のなかで待ちつづけているのではないのだろうか。
けれど、さまざまな問題や周囲の状況から、歌集の出版というのはそんなに容易なことではないのだ。それも、私自身の経験をふりかえり、周囲の状況を見渡せば、よくわかることだ。
私が我妻俊樹の読者になったのは歌葉新人賞のころだから、おそらく十年ほど前になるだろう。つまり、私は十年間、待ったのだ」
結局、「率」が動いて誌上歌集が実現したことになる。

私が我妻俊樹の作品を読んだのは、昨年の「川柳フリマ」で購入した「SH」に掲載されていた五七五作品が最初である。昨年のこの時評でも次のようなコメントを書いたことがある。

〈 提灯をさげているなら正装だ    我妻俊樹

「SH」から。
「川柳フリマ」のために歌人の瀬戸夏子と平岡直子が作った「川柳句集」である。ゲストに我妻俊樹が参加している。
提灯をさげるのは誰か。作中主体を書かないことによって含みのある表現が可能となる。闇夜に提灯をさげるのは現実のことだが、妖怪だと読むと「怖い川柳」になる。百鬼夜行の正装である 〉

今回、我妻の短歌をまとめて読んでみて、とてもおもしろいと思った。よく分からなかった作品もあるが、退屈な歌はほとんどない。

バスタブの色おしえあう電話口できみは自らシャツをひろった
あの青い高層ビルの天井の数をかぞえてきたらさわって

ぼくときみがいっしょにホテルにいるのか、別々にいて電話しているのか少し迷う。
『竹取物語』のかぐや姫は五人の貴公子たちの求婚に対して、蓬莱の玉の枝を持ってこいとか、竜の首の珠を取って来いとか無理難題をふっかける。ここでは、高層ビルの天井の数を数えてくるように言っている。言われているのは誰なんだろう。

こめかみに星座のけむる地図の隅にたずねる公園ほどの無意識

「こめかみ」から始まって「無意識」にたどりつく。五七五七七という定型のなかで、言葉はこんなところまで行き着くことができるのかと思う。
五七五定型であれば、この歌の半分「こめかみに星座の煙る地図の隅」までで終わる。これだけでもおもしろいが、これまでまったく見たことのない光景というわけではない。「こめかみ」という身体(ミクロコスモス)と「星座」(マクロコスモス)が重ね合わされているのだろうなと思ってしまう。けれども、短歌の場合はさらに七七の部分があるから、ここで身体を垂直にたどって「無意識」にまで到達するのだ。世界は地図化され、さらに無意識の世界で起こっている光景に還元される感じがする。

バス停を並ぶものだと気づくのはいずれ人ばかりではあるまい
その森がすべてうれしくなるまでにわたしたちは二匹に減っておく
こうもりはいつでも影でぼくたちは悩みがないかわり早く死ぬ

「人ばかりではあるまい」とだけ言って、それが何かは読者の読みに預けられている。人間以外の存在って何だろう。あやかしの気配がする。
二匹に減ってしまって、それがうれしいことだろうか。「わたしたち」とは誰か。
三首目の早く死ぬ「ぼくたち」もどのような存在か、いろいろ読む楽しみがある。

ひこうきは頭の上が好きだから飛ばせてあげる食事のさなかに
鰐というリングネームの女から真っ赤な屋根裏を貢がれる
心臓で海老を茹でます親方 さあ親方 四股でもふみますか
客と思えばお茶を出してしまうし葉書だと思えば読んでしまう
手袋とお面でできた少年を好きになってもしらないからね
名古屋駅から出たこともない蚊でも倒しにいくとして、持ち物は

ユーモア感覚の歌もけっこう多いように思った。大声で笑うのではなく、読者がにやりと笑う感じの。

アンドロメダ界隈なぜか焼野原 絶唱にふさわしいるルビをふる
牙に似た植物を胸にしげらせて眠るとわかっていて待つ時報
手がとどくあんなにこわい星にさえ 右目が見たいものは左目
木星似の女の子と酸性雨似の男の小の旅行写真を拾う

「星」の歌も散見される。
地上の現実と星の世界が連想のなかで結びついている。
作品の外に存在する作者の「顔」なんてどこにも見えないし、作者は作品の言葉のなかにしかいない。現実の世界が唯一の世界だと思う人は写生に向かうだろうが、我妻の作品を読んでいると、表層的現実とは異質なものが重ね合わされている感じがする。「ぼく」や「君」をながめている異次元の視線が存在するのだ。近代短歌の自己表出とはまったく異なる歌の姿がここにはある。

「あとがき」で我妻はこんなふうに書いている。

「十五年で大きく変わったところも変わらないところもあるが、あえて変化には気を払わない構成にした。歌はひたすら何かを上書きしていくもので、その何かに言葉も歌も作者も含まれるだろう。上書きによって透明さに近づくようにも、混濁が増していくだけのようにも思える。もとより私はずっと目をつぶったままで、誓っていいが一度もここで物を見たことがない。
かわりに歌がこちらを見ている。書き手など、偶々そこに生えていた草のようなものだ。無駄に繁茂して読者の視界を遮っていないことを願うばかりである」

見事な覚悟だと思う。
5月22日の「第二回現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」では、「SH3」が販売される。我妻の川柳作品も掲載されているようなので、楽しみにしている。

この話のつづきは箱の中で(いま、開けたばかりできれいなので)  我妻俊樹

2016年5月13日金曜日

飯尾麻佐子と女性川柳

「水脈」42号(2016年4月)に浪越靖政が「追悼・飯尾麻佐子」を書いていて、彼女が昨年7月に亡くなっていたことを知った。私は彼女に直接会ったことはないが、このすぐれた女性川柳人について書き留めておきたい。
北海道で発行されている「水脈」は、飯尾麻佐子の系譜を受け継ぐ川柳誌である。浪越は次のように書いている。

〈 「水脈」は麻佐子さんが昭和53年に創刊した「魚」、平成8年創刊の「あんぐる」を引き継いで、平成14年に創刊したもので、麻佐子さんの存在がなかったら、私たちの今の活動はない。 〉

飯尾麻佐子は1926年、北海道・根室市生まれ。のちに札幌市に移住、このころ川上三太郎が北海道に来ることがあって、三太郎に師事、「川柳研究社」幹事となる。その後「川柳ジャーナル」「川柳公論」「川柳とaの会」などで活躍した。

以前、「バックストローク」24号(2008年10月)で「女性川柳の可能性」という小特集を企画したことがあって、一戸涼子が「女性川柳を越えて―飯尾麻佐子と「魚」―」を書いている。一戸は「魚」創刊のことを次のように述べている。

〈 「魚」創刊は麻佐子五十代初めの頃だったと思われる。川上三太郎の言葉「女性川柳という空地を開拓せよ!しかもこの開拓はわれわれ男性がいくらやあろうと思ってもやれないことなのだ」を引用し「現在女性川柳の大半が男性の側によって評価され育成されている。このことは決して悪いとは思わないが、女でなければ心の深部の起伏までは、わかり得ないのは当然である」だから「自らの視点で女性川柳というものを考えてみたい」と書かれている。このテーゼは以降何回も言葉を変えて随所に表れることになる。 〉

現在では想像しにくいことだが、川柳が男性中心だったころの話であり、「男性の側によって評価され育成される」女性川柳のなかにあって、女性による川柳誌「魚」を立ち上げたことは、飯尾麻佐子の先駆性を示すものだ。
ちなみに川柳誌「魚」は昨年の「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」でも展示しておいた。
「魚」は若い女性川柳人に作品発表の場を与え、大きな刺激を与えた。

前掲の浪越靖政の文章に戻ると、「あんぐる」2号に麻佐子は次のような文章を書いている。

「自分の内部にひとつの世界がなければ、創作はできない」
「誰にも犯されない領域を持つことである。そのうえで、深層のイメージや時間・空間の影響などへ考えが進んでゆくことは、たのしいことである」
「やがて、死と生、愛と憎、部分と全体のように相対するものを、別々に見ないで、同時に二つのものを見る眼をもつことも大切になってくる」
「死というとき、同時にその対極の生を考えてみることが、内部世界の根底になければ、創作などできないのではないか」

「あんぐる」の頃には麻佐子は相模原市に移住していたが、やがて体調不良も重なり、「あんぐる」は16号で終刊する(2000年2月)。
飯尾麻佐子は明確な川柳観をもち、川柳発信への意志をもつ作家であった。
いま彼女の作品を読むとき、キーワードとなるのは「詩性」「女性」「北方性」「生と死」である。浪越の引用している句に何句か加えて10句抽出しておく。今ではもうこのような書き方をしなくなったところもあるだろうが、彼女の発信したメッセージは簡単に忘れ去られていいようなものではないと思っている。

空間を火の矢がよぎり みんな敵
北窓をひらく沙汰のあるごとく
夕ぐれの鴉一族 なまぐさし
もの書きの刃を研ぐ喉のうすあかり
弟のりんどう捜す 死後の原野
ふところに密告たまる 遠い韃靼
生きはぐれ楕円のなかに孵るもの
所在なく蛇の思想を売り歩く
北に鎌あり冬より早く捨てた耳
山頂を食べのこしたりマリンブルー

2016年5月6日金曜日

言語ゲームとしての川柳―兵頭全郎の世界

1.私のはそれじゃないです

兵頭全郎の第一句集『n≠0 PROTOTYPE』(私家本工房)が発行された。
タイトルをどう読むのか不明である。あえて読めないようなタイトルにしているのだろう。タイトル自体がすでに「意味」ではなくて「記号」だとアピールしている。
「プロトタイプ」という副題も、最初は言語学や哲学でいう「典型」という意味かと思って、ずいぶん皮肉なタイトルだなという気がしたが、「試作品」という意味だとすると今後量産されるべき作品が第二句集・第三句集というかたちで続いてゆくのかもしれない。
内容は「Singles」「妄読」「Units」「Essey」「Recent Works」の各章に分かれ、「Singles」「妄読」にはそれぞれpart1とpart2がある。
まず「Singles‐part1‐」から何句か紹介しよう。

どうせ煮られるなら視聴者参加型

「どうせ見られるなら」であれば意味が通りやすいが、「煮られるなら」となっている。だからといって「煮られるなら」に深い意味性を探っても、何も出てこない。料理番組などの文脈においてみても、あまりおもしろい読みにはならない。だから、この句はそのまま受け取るほかない。どうせなら視聴者参加型でいこうと呼びかけているのでもない。この句にはどんなアピールも意味もないのだ。

付箋を貼ると雲は雲でない

従来の川柳の書き方だと「付箋を貼ると雲は~になる」という形になる。ここでは「雲でない」とだけ言って「何になるか」を意図的に書いていない。
雲は雲であるはずだが、ある条件のもとでは雲は雲でなくなる。
言葉と物との関係は恣意的である。
条件を変えてみる。即ち、言葉を変えてみる。そうすれば、言葉と言葉の関係性によって、一句はさまざまな姿を見せるだろう。

手は打った。回るものみな博覧会

「手は打った」と「回るものみな博覧会」の間に飛躍がある。どんな手を打ったのか、回るものは博覧会以外にもあるのではないか。いろいろな疑問は無効にされている。読者の読みによってその間隙が埋まるというものでもない。一句として統一的な像を結ばないのだ。ただ無限に循環してゆくばかりである。「手は打った」→「回るものみな博覧会」→「手は打った」→「回るものみな博覧会」→「手は打った」…

流れとはひっきりなしの美少年

「AはBである」という川柳の問答体。
従来は答えの部分に「うがち」や「川柳眼」、「隠喩」や「イメージ」が置かれてきた。
けれども全郎の場合は隠喩でもなさそうだし、イメージだとしても納得できるような像を結びにくい。問答体のスタイルを借りてはいるが、何も問答などしていないのだ。

サクラ咲く時「もっと」って言うんです

「もっと」と言っているのは誰か。「もっと」どうしてほしいのか。他の言葉を言うときもあるのではないか。これらの問いは無効である。
受け入れるしかない断言性。
断言は川柳の書き方のひとつだが、従来の断言性はそこに川柳眼が感じられるものだった。作者独特の強烈な物の見方を表出することによって、読者を納得させてしまう力業があった。この句の場合はそのような強引さは感じられない。そう思わないなら別にかまわないよと言っているかのようだ。

数句読んだだけでも、全郎の川柳は従来の川柳とはずいぶん異質であることが分かる。従来の読みでは読みきれないものが多いのだ。
兵頭は自ら作成した「発刊記念フリペ」でこんなふうに言っている。

「世の中には
面白可笑しいとか
社会風刺や人生を語る
川柳が
たくさんありますが
私のはそれじゃないです」

滑稽とユーモア、諷刺や批評性、私性の表現―そのようなものをこれまで川柳は表現してきた。
けれども、兵頭全郎の川柳は従来の川柳の読み方を無効にする。
それでは、全郎の川柳は何を表現しようとしているのだろうか?

2.書きたいものは何もない

近代文学には自我の表現という面がある。自己表現とか自己表出とか言われる。
短詩型文学においては「私性」という言い方がされる。
「世界」を表現する場合でもそこに「私」のものの見方(川柳眼)が反映されるのだ。
けれども、ここに一人の川柳人が現れて、「私」なんて表現したくないと言い出したら、どのような事態になるだろうか。
全郎の川柳には意味もメッセージも「思い」もない。しかし、モティーフは存在する。
そのことは「連作」―「Unjts」の章を見るとわかりやすい。

美人画の額を湾曲する歌劇
頭蓋骨割る厳格な復元図
具現化と聞くや交互に疑義生ず
群生地 草原は下界の出口
外国語学部に並ぶ矯正具
軍議など芸事そっと午後の雨
月光は毬栗のどこまで探る
行列を擽るごきげんな雅楽
戯画丸く盗む大吟醸の瓶
寓話こそ迎合の待つ向う岸

この連作のタイトルは「濁」である。
「濁」という題詠だろうか。それとも「濁る」というテーマがどこかに隠されているのだろうか。
10句を眺めていると、妙に漢字が多いことに気づく。「濁」とは濁点とか濁音とかいうことかもしれない。たとえば「ガギグゲゴ」の音を多用して10句を作ってみる、というようなルールを課したとする。句頭の二字を漢字にするとか、句末の語をできるだけ漢字にするとか、所与の条件を増やせば作品はいろいろ変化する。
このような読み方で、全郎が仕掛けた言語ゲームをクリアーしたことになるのかどうか分からないが、少なくともやっかいな「心」などの入り込む余地はなさそうだ。
全郎の決定的な新しさは「書きたいことなど何もない」という自己表出衝動の不在にあり、にもかかわらず「川柳を書こう」というモティーフの存在するところにある。
川柳にもポストモダンの表現者が現れたのだ。

へとへとの蝶へとへとの蕾踏む   兵頭全郎

2016年4月22日金曜日

飯島章友の川柳

飯島章友は若手の川柳人のなかで今もっとも意欲的に活躍している一人である。
「バックストローク」会員をへて、現在「川柳カード」同人。2015年1月には柳本々々・川合大祐・江口ちかる・倉間しおりとブログ「川柳スープレックス」を立ち上げた。
飯島は「かばん」に所属する歌人でもあるから、彼を通じて川柳に興味をもつようになった歌人も多い。

「川柳カード」11号の特集「いま現代川柳を問い直す」で、飯島は「川合大祐を読む―ドラえもんは来なかった世代の句―」を書いている。
川合大祐は1974年生まれ。飯島は川合や飯島自身を「第二次ベビーブーム世代」であり、〈この世代は「ドラえもんは必ず来る」と大人たちから言われ続けたにもかかわらず、「ドラえもんは来なかった」世代なのである〉と書いている。そこから飯島は川合の川柳作品に「世界への懼れ」を読み取っている。

さて、「川柳カード」11号から飯島章友の同人作品を読んでみよう。

いまはむかし割れて砕けて散りしUFO
誰そ彼のあれはどなたの脳の皺

飯島作品の背後にはプレテクストの存在が感じられる。
「いまはむかし…」というのは説話の語り出しであるし、「割れて砕けて散りし」は源実朝の短歌「大海の磯もとどろに寄する波割れて砕けて裂けて散るかも」を連想させる。
古典や短歌のフレーズを使って詠みはじめながら、UFOにまでたどり着くという冒頭一句目となっている。
「黄昏」は「誰そ彼」に由来すると言われている。昔の村落共同体では誰もが顔見知りだった。けれども、夕暮れの時間帯に、ふと見知らぬものとすれ違うことがある。逢魔が時である。ここでは「誰そ彼」から「脳の皺」にまで行き着いている。人間の意識や記憶が脳の皺に還元されるのだとしたら、世界のすべての出来事は脳内で生成しているのかもしれない。

諸事情で荊棘線となる地平線
樹形図の果てが世界樹だったこと

「川柳カード」11号には小津夜景が「ことばの原型を思い出す午後」を寄稿していて、飯島の川柳作品を「私という質感/世界という質感」「変質と生命」「逼迫する時間性」「螺旋的起源へ」という観点から論じている。
小津は飯島の作品における「世界という質感」について、〈ぐにゃぐにゃ/ぐちゅぐちゅ〉〈変質の気配にじっと感覚をとぎすます語り手の息づかい〉を読み取っている。この見方を補助線として掲出作品を読めば、ここでも「地平線」が「荊棘線」に変質・変容する気配を読み取ることができるだろう。
「荊棘」はイバラのことで、キリストの「荊冠」などを連想させるが、ここでは「荊棘線」は有刺鉄線のことだろう。どんな事情があるのかはぼかされているが、「地平線」が棘のあるものに変容するのだ。
二句目。樹形図は、数学などでいろいろな場合について枝分かれした形で書いてゆく図。すべての場合を挙げてゆけば、それが全体として世界樹になってゆくというのだ。
「世界樹」という言い方は、たとえば北欧神話に登場する大樹ユグドラシルなどを連想させ、神話的宇宙的なスケールにつながってゆく。
ここでも「樹形図」が「世界樹」に変容してゆくさまが詠まれている。
飯島にとって図や線は固定し静止したものではなく、意識のなかでさまざまに変容する。

足を攣るジムノペディアの少年A

ジムノペディアはギリシア神話に出てくるデュオニュソスの祭のようだが、これは少年を裸にする祭であるらしい。ちょっとBLっぽい感じもする。

へそに頭を入れてまるっと消えました

「頭」には「ず」とルビが付いている。
小津は飯島の作品をDNAの二重螺旋のイメージと重ねているが、飯島は今号ではさらにウロボロスの蛇やメビウスの輪のように、「まるっと」消えてゆくものとして身体をとらえているようだ。

音叉鳴る饐えゆくもののにおいさせ
飛行船泣いて半濁音を生む

今号の飯島作品のうちで、この二句は従来の川柳の守備範囲に入ってくる作品だろう。
「共感」という点でいえば、比較的分かりやすいかも知れない。「抒情性」も感得できる。
けれども、共感されたり受け入れられたりすることにはある種の危険もともなっている。無意識のうちに従来の川柳概念の枠に収まっていってしまうからだ。だから、ここでは今まであまり見たことのない作品を中心に取り上げた。

小津夜景は飯島の作品を「語り手の知覚を拠り所として外界が言語化されてゆく」ものとしてとらえている。その場合の外界は、川合大祐の場合のように「世界への懼れ」として表現されるのではなく、より知的に処理されたうえで表現されているという気がする。
飯島は短歌と川柳というふたつの表現形式をもっている。
ひとつのジャンルの中で次第に完成してゆくような表現者もあるが、飯島のように二つのジャンルを見据えて作品を書いている表現者が今後どうなってゆくのかに私は関心を寄せている。複数の視点をもっていることで、既成の「川柳とはこういうものだ」というフレームにとらわれない表現の可能性が生まれるかもしれないからである。

2016年4月15日金曜日

「杜人」と「川柳カード」

3月27日に「日本連句協会」の全国大会が仙台で開催された。
この大会は例年、東京で開催されるのだが、それ以外の各地でも開催しようというので、2013年の大阪大会に続いて、今回は仙台で開催されることになった。
仙台の街は復興いちじるしく街並も美しい。そのことが逆に東北の他の地方はどうなのだろうと思わせる。仙台にゆく前に会津若松に立ち寄ったのだが、テレビでは福島県の「今日のシーベルト」の数値が地域ごとに毎日放送されていた。非日常が日常化されてしまうとしたら、それはそれでこわいことである。

仙台から大阪に戻ると「川柳杜人」249号が届いていた。
真っ先に佐藤みさ子の句を読む。

言い訳して歩く見知らぬ人々に   佐藤みさ子

言い訳にもいろいろある。家族に対する言い訳。恋人に対する言い訳。自分に対する言い訳。では、見知らぬ人々に言い訳するというのは、どういうことだろう?
言い訳などしない人が、言い訳ばかりしている人を批評的に眺めているのかというと、そうでもなさそうだ。
世間的な名誉を得ている人が内心では忸怩たる思いで生きているというのはよくあることだ。本来の自分ではない状態で暮らしているのだが、自分に対してはごまかせない。自分に向き合うのはこわいから、「見知らぬ人々」に対して言い訳するのかもしれない。

この指はほんとは何で出来てるの  佐藤みさ子

現実だけが本当の世界ではなく、もうひとつの世界がある。
現象の世界と本質の世界。世界は二通りに見える。
私たちは在りえたかもしれない本質の世界から、いま在る日常の世界に頽落している。
しかし、本当のことを言ってしまうと、世界がパックリ口をあけてその姿を現したりする。だから、それに気づかないふりをして、それを見なくてもいいように、いそがしく暮らしてゆく。
佐藤みさ子は本当のことを言う人である。こういう人に対して嘘をついても通用しないだろう。

「杜人」の「一句一遊」のコーナーでは、広瀬ちえみが次の句を取り上げている。

陰毛が生える 私を見捨てずに    久保田紺

この句について広瀬はこんなふうに書いている。

〈女性が「陰毛」ということばを使っている句を見たのは初めてだった。抗癌剤は全身の毛を奪う。陰毛を愛しいもの(喜び)として見ることができるまでの過酷な時間を思った。紺さんは丸裸の生命体として立っている。それを想像するとき、私は言うべきことばを失う。いのちと正面から向き合わなければならないとき、日常の何を取り、何を捨てるか突きつけられる。末期癌を告知されたとき、猛スピードで整理したという。それでも紺さんは川柳を手放さず「陰毛」さえも見つめて書いた。このことに泣けて仕方がなかった。でもほんとうを言うと、それから私はくすくす笑ったのよ、紺さん。捨てられなくて良かったねって〉

久保田紺の句と正面から向き合った受け止め方である。「くすくす笑った」というところに広瀬ちえみの川柳人としての正統性がある。
「川柳カード」11号にも「久保田紺 五十句」が掲載されていて、たまたま50句のなかに同句も収録されている。私は「杜人」と「川柳カード」がシンクロしたように感じた。
「川柳カード」、くんじろうの同人作品も久保田紺への追悼句になっている。追悼というより相聞と言ってもいいかもしれない。紺とくんじろうの句を並べておこう。

いけませんそこに触ると泣きますよ     紺
お酒持っていくからあんた泣きないな    くんじろう

ライオンの歯型のあるおしりが自慢     紺
噛まれたかも知れへんおいど痛いもん    くんじろう

『15歳の短歌・俳句・川柳③なやみと力』が発行されて、このシリーズが完結した。川柳の部分を担当した、なかはられいこの仕事に対して敬意を表したい。第三巻には次の句も収録されている。

わたしって何だろ水が洩れている    加藤久子
まだ来ない痛みを待っているような   佐藤みさ子

2016年3月18日金曜日

神戸の川柳と文学

3月10日は時実新子の命日である。その時期に合わせて「月の子忌 時実新子を読む」というイベントが3月5日、神戸文学館で開催された。主催は八上桐子と妹尾凛の二人による川柳ユニット「月兎(げっと)」。私は行けなかったが、参加者40人ほどでの充実したものだったようだ。神戸新聞NEXT(ネット記事)で当日の様子がうかがえる。
取り上げられたのは第一句集『新子』の時期(1960年~1964年)。
「当時の川柳界は岸本水府や椙元紋太ら『六大家』の時代。男社会の中で、人を恋う心を赤裸々に詠んだ新子川柳は、激しい批判と称賛を受けた」。その一方で「川柳の中では戯画化・女優化が進み、実生活との隔たりが広がっていった」。(八上桐子)
「句の題材にも家族にも、一対一の関係でより深く向き合っていったころ。喜怒哀楽では表現しきれぬ感情を見据えるうち、心の中に孤独を育てていったのだろう」(妹尾凛)
以上は神戸新聞の記事による。
昨年は1955年~1959年の作品が取り上げられていて、年に一度、新子作品の五年分を読み継いでゆくという持続的な計画のようだ。フリーペーパー「Reading新子」Vol.2から。

車輪ゆっくりと花嫁を轢いた      時実新子
向き合って兎のように食べている
切手の位置に切手を貼って狂えない
恋成れり四時には四時の汽車が出る
おそろしい音がする膝抱いており

神戸文学館では「昭和の川柳百人一句」の展示もおこなわれている。私が見にいったのは最終日の3月13日で、現在はもう展示が終わっている。
これは墨作二郎が所蔵していた「昭和の百人一句」を芳賀博子が譲り受け、神戸文学館での展示に至ったものである。「幻の句集」として新聞に紹介され、「船団」108号にも芳賀自身の文章が掲載されている。次の文章は芳賀の解説である。

〈句集が発行されたのは1981年(昭和56)。新潟の「柳都川柳社」主幹、大野風柳が地元の印刷会社の北都印刷(株)とタッグを組み、限定五百部で作った〉
〈まずは氏自身が百人を選考し、自選一句と揮毫を依頼。句には同じく新潟の川柳家にして三彩漆の無形文化財、二代目小野為郎が水彩画を添え、趣深い色紙に仕上げた〉

これが百枚展示されている。
昭和56年時点での現代川柳百人一句として資料価値があり、興味深い。

馬が嘶き花嫁が来て火口が赫い    泉淳夫
転がったとこに住みつく石一つ    大石鶴子
ふるさとを跨いで痩せた虹がたつ   柴田午朗
おもいおもいに元日が明け      下村梵
雪は愛白いまつりが降りてくる    墨作二郎
裏切りや蝶一片の彩となる      寺尾俊平
眼をとじると家鴨が今日も歩いてる  堀豊次
北風よ瞽女の花道だと言うか     水粉千翁

川柳の展示を見たあと、神戸ゆかりの文学者の常設展示を見たが、これが結構おもしろかった。神戸文学館には何度も行っているが、これまできちんと展示を見たことがなかったのだ。
堀辰雄は神戸とは直接関係はないが、竹中郁との交友から取り上げられている。

〈堀君の「旅の絵」という短篇の中の人物は私がモデルである。丁度今から十年前の若い日の私が、あの篇中で生きている。象の皮のような外套を着てベレ帽をかむって、そして、ホテルで下手な英語で交渉する。あの場面をよむと、その間の十ケ年は忽然と消えうせて、堀君も私も二十歳台の物好きな青年になってしまう。あの頃は、何でもかでもが面白くて仕様のない年頃であった。堀君を引っぱって明石の町に隠棲していたイナガキタルホを訪ねたりしたのもあの頃だった〉(竹中郁『消えゆく幻燈』)

イナガキタルホはもちろん稲垣足穂である。
ついでに、竹中郁の描く足穂の姿を紹介する。

〈彼は高等数学を語る。天文学を語る。男色を語る。鉛筆を語る。飛行船を語る。手品を語る。そして、ただ麻痺するためにのみ、滅茶苦茶にわけのわからぬ酒を飲む。そして醒めるとああ又この地球へ逆戻りかといった顔をしている〉

神戸ゆかりの文学者としては、他にも久坂葉子や十一谷義三郎、賀川豊彦、島尾敏雄など、たくさんいて語り尽くせない。

神戸の話題から離れるが、近ごろショックだったのは、ジュンク堂の千日前店が閉店になることである。この本屋さんでは随分調べ物をさせてもらったのに残念だ。
『15歳の短歌・俳句・川柳②生と夢』を買い求めた。
佐藤文香のエッセイ「あなたさえ本気なら」は必読。

靴紐を結ぶべく身を屈めれば全ての場所がスタートライン   山田航
鉄棒に片足かけるとき無敵      なかはられいこ
オネショしたことなどみんな卵とじ  広瀬ちえみ

私のイチオシの木村半文銭の句「紀元前二世紀ごろの咳もする」も収録されている。
次週3月25日の時評はお休みさせていただきます。

2016年3月11日金曜日

昨夜助けた石鹸―『井泉』68号

『井泉』68号(2016年3月)、招待作品として、きゅういちの「洗面器」15句が掲載されている。『井泉』は、春日井建の没後、2005年1月に創刊された短歌誌。編集発行人・竹村紀年子。招待作品に短歌・俳句・現代詩のほか川柳も掲載されることがあって、この時評でもこれまで何回か取り上げてきた。

方法が満たされている洗面器   きゅういち

「洗面器」という連作の一句目。
湯水ではなくて「方法」という抽象的なもので洗面器が満たされている。その結果、「洗面器」も抽象化され、比喩的な意味をもってくる。
「煮えたぎる鍋 方法はふたつある」(倉本朝世)という句がある。きゅういちの場合は方法は二つではなくて多数あるのだろう。

牛乳の膜を揺らして来る正午

来るのは誰(何)か。誰かが(何かが)やって来るのだろうが、「正午」がやって来るようにも読める。「牛乳の膜を揺らして」というのは牛乳缶をぶらさげて来るというより、何らかの状況を表現しているようだ。牛乳を飲もうとすると膜ができている。膜は飲むのにじゃまになるが、膜ができるところが牛乳らしいとも言える。誰かが(何かが)薄膜を揺らしてやって来るのだ。
攝津幸彦に「階段を濡らして昼が来てゐたり」という句があって、「昼」は女の名だという読みをした人があったことを思い出した。

名前呼ぶしばらくあって家鳴りする

振動で家が揺れる。地面が揺れるのだろうが、名前を呼んだあと、家鳴りがおこる。「家鳴り」とはポルターガイストのようなものだろうか。
「私」が誰かの名前を呼ぶのか、誰かに名前を呼ばれるのか。地霊のような無気味な存在。
川端康成の『山の音』では山の音が心理的な揺らぎの象徴となっている。

来世から再三文字化けのメール

怪異の句が続く。異界からのメールは文字化けしていて読めないが、本来はメッセージがあったはずである。それが「再三」くるのだから、不安感をあおる。削除してもメールは届くのだ。

昨夜助けた石鹸が立っていた

これはもう「戦争が廊下の奥に立ってゐた」(渡辺白泉)のパロディだろう。
俳句史に残る名作と向き合う場合に、どのように表現したらいいか。きゅういちは「石鹸」を持ち出した。しかも、「昨夜助けた石鹸」である。
人を助けるというのは難しいものである。どこまでも助け続けることは不可能だし、助けたあとは自分で努力しなさいと突き放すのも中途半端だ。助けたのは石鹸である。風呂場か洗面台かわからないが、連作だとしたら洗面台かもしれない。石鹸が立ってこちらを見ていて、それが鏡に写っていたりする。滑稽にも思えるし、不条理とも受け取れる。

肉まんを潰し殉死をしてしまう

「肉まん」をつぶすという日常と「殉死」という厳粛な状況を結びつけてしまう。
乃木大将の殉死は漱石と鷗外にショックを与えた。
この句の場合、それほどの深刻さがないのは、「~をしてしまう」という文体のせいだろう。

心音の速いファミマのチキンをば

ファミマのフライドチキンはもう生きていないから心音がするはずはないのだ。単なる食物としてなら美味しく食べられるだろうが、そこに心音を聞きとってしまったら…さあ、あなたはどうするだろう。川柳は断言だという意見がある。また、未了性が川柳だという人もいる。この句では結末は読者に預けたままで、宙吊りになっている。
川柳の方法はいくつもあるのだ。狭い守備範囲を守って、その中で無難な句を書いていても仕方がない。きゅういちはいろいろな方法を駆使している。「ふらすこてん」44号ではこんな川柳を書いている。

玄武ゆく玉子パックを鞍にして      きゅういち
朱雀にいさんそこはソースとちゃいますか
「ま」のクチで座薬を待っている白虎

『井泉』68号では、リレー評論「現代に向き合う歌とは?」というテーマで、黒瀬珂瀾が「ほろびについて」という文章を書いていて、次のような歌が紹介されている。

君はあくまで塔として空港が草原になるまでを見ている    千種創一
虐殺を件で数えるさみしさにあんなに月は欠けていたっけ
映像がわるいおかげで虐殺の現場のそれが緋鯉にみえる
恐竜のように滅ぶのも悪くない 朝のシャワーを浴びつつしゃがむ
骨だった。駱駝の、だろうか。頂で楽器のように乾いていたな

これらは先ごろ歌評会のあった千種創一『砂丘律』から。

『井泉』は毎号、表紙に春日井建の絵が使われている。ここしばらく「笑い壺」の絵が使われている。種子のようなものが入った容器が「へへへ…」と笑っている図。春日井建のユーモア感覚がうかがえて楽しい。

『旬』204号(2016年3月)を読んでいて、宮本夢実が亡くなったことを知った。
10年くらい以前の『旬』のバックナンバーの中から紹介する。10句選ぼうと思ったが、いい句が多いのでその倍くらいになった。

掬われる金魚は人を選べない      宮本夢実
鍵ひとつあればいつでも蛇になる
幕間で変える表紙と裏表紙
弱い樹が先に切られる風の中
しくじってほどほどに揺れ大樹なり
ふるさとの空を見にゆく潜水艦
我がもの顔の風船がある腕の中
心ならずも落ちた穴からくる花信
人形の理屈を言わぬ膝頭
別れたいのでこっそりと烏賊になる
混沌の四月を背泳ぎでかわす
少年の指から漏れるアミノ酸
産道で最初に聴いたクラシック
咳をする造花だけには水をやる
背信の時刻表から遠ざかる
締まらぬ蛇口たためない鳥の羽
すぐ落ちる鳥で友達また増える
午後二時のうなじあたりにある沼だ
川になるアゲハに逢うと決めてから

「死」や「ほろび」について考えていると、石原吉郎の次の詩を何となく思い出した。

世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ

2016年3月5日土曜日

瀬戸夏子症候群―不要なんだ君や僕の愛憎なんか

短歌の読み方、俳句の読み方、あるいは川柳の読み方というようなものがあるのだろうか。ひとつのジャンルに慣れ親しんでいると、そのジャンルの作品の読み方や書き方に染められてゆくものである。頻繁に繰り返される業界用語や評価基準などが習慣化されて自然に身についてゆく。結果としてジャンルの評価基準は制度化され、初心を失った作者はその基準に合致するような作品を無意識的に再生産してゆくようになる。そしてある日ふと疑問に思うのだ、こんなことでいいのだろうか?―短歌における「詩」、俳句における「詩」、川柳における「詩」が問われるのは、そのような局面においてである。

瀬戸夏子歌集『かわいい海とかわいくない海 end.』(書肆侃侃房)が上梓された。『そのなかに心臓をつくって住みなさい』につづく待望の第二歌集である。
巻頭ちかく、見開きの左頁に次の四つの選択肢が提示されている。

a. 友達になりたい。
b. 悪かった。おれが謝るよ。
c. 何をきいていてもむかしの恋人とプールのなかにいるようだ。
d. 君はお金持ちなんだね。

これらの選択肢の前頁には次の短歌が置かれている。

片手で星と握手することだ、片足がすっかりコカコーラの瓶のようになって

あなたはどれを選ぶだろう。素直にaだろうか。bくらいがいいんじゃないかな。すこし屈折してcだろうか。dだと俗物と思われはしないか。そもそも、この選択肢は何なんだ?前の短歌に対する選択肢とは全然ちがうのかもしれない。

瀬戸夏子は評価の難しい歌人である。
たとえば『誰にもわからない短歌入門』で三上春海はこんなふうに書いている。

〈「わからない歌」ということでしたら瀬戸さんの歌を外して語ることはできないでしょう。瀬戸さんは斉藤斎藤さんとあわせて現在もっとも「前衛」を体現している歌人だとわたしはおもっているのですが、そのようなひとの歌ですから当然「わからない」。でもすごいんです〉

『桜前線開架宣言』でも山田航は次のようにコメントしている。

〈瀬戸夏子は間違いなく現代短歌のなかでも特に重要な歌人のひとりなのだが、論じるのがきわめて難しい。なぜなら、「一首単位で表記する」という短歌の原則を打ち破るスタイルを取っているため、歌が引用しづらいからだ〉

今度の歌集は一首単位で読めるのだが、論じるのが難しいという点では変わりがない。
「短歌的喩」とか「上の句と下の句の関係性」とか、「韻律のうつくしさ」や「私性」など従来の鑑賞の仕方は瀬戸夏子の作品においてはいったん無効になる。
では、そこには何が表現されているのか。

わたしにかかった秘密のその隙に太陽へ執刀する花はさかりに
緯度を引く気持ちで宝石をたべて悲しむ人々を裏切るように所以を知らせる

瀬戸の短歌を難解にしているのは言葉の出所である。
ふつう、作品の創作過程というものは読んでいて何となく想像がつくものである。
突然出現した言葉であっても、それはその作品の中の別の言葉(連作の場合は隣接する別の短歌やテーマ)を契機として生まれたのだということが、うっすらと理解できたりする。
けれども瀬戸の短歌では、その言葉がどこから飛んできたのかが見えない。
多くの場合は日常的文脈を超越した「意味の関節外し」と捉えたり、補助線を引くことによって「見えない梯子」の在りどころを理解できたりする。けれども、瀬戸の作品はそういうものとも違うようだ。
結局、瀬戸夏子の短歌を読むときは、一行の詩として読むほかはないのである。

それはそれはチューリップの輪姦でした
心臓が売りものとなることをかたときも忘れずに いつかあなたの心臓を奪うだろう

短律と長律。
そういう分け方をすれば、短律は少なく、長律が大部分である。もちろん五七五七七の短歌形式で書かれている作品もある。短歌形式の韻律のさまざまなヴァリエーション。彼女の作品には短歌でありながら詩でもあるというパラドクシカルな魅力がある。
わからないところもあるけれど好きな歌。

再演よあなたにこの世は遠いから間違えて生まれた男の子に祝福を
突風にあなたはくずれて是と答え左手ばかりを性器に変えた
口を出さないでくれこれからのしゃぼん玉のなかにひらく無数の傘よ
おれの新聞をとってくれ りんごはいい りんごは体によくないからな
火星のプリンセスどんどんいなくなってく彼女の髪だけを切りたい
走ってく花のかたちの音楽で本名だなんてはしたないって
僕が行く、僕が行って、僕がはにかむ午前のあいだに現代になる
窓から感情がポテトチップスとして降ってくる 夜というよりも昼
北極の極ならそんなの埼玉の天使と東京の天使で話しあいなよ
晩節を汚すためにもそばにいてくれ他は正式な最後通告

「私は無罪で死刑になりたい」というタイトルの章について。
「罪なくして配所の月を見る」という言葉がある。罪人ではなく風流人として流刑地の月を見たいというのだろう。瀬戸は「流刑」ではもの足りなくて過激に「死刑」という言葉を使う。風流貴族の寝言など蹴とばす勢いである。

いいきかせて天国のほうへ不要なんだ君や僕の愛憎なんか
恋よりももっと次第に飢えていくきみはどんな遺書より素敵だ
きっときみから花の香りがしてくるだろう新幹線を滅ぼすころに

これらの歌は比較的分かりやすい。別に心配することもないのだが、瀬戸夏子の読者にとっての「愛唱歌」になる危険性があるかもしれない。瀬戸が読者を意識して書いているとは思えないが、頻出する「あなた」や「きみ」は誰を想定しているのだろう。

瀬戸夏子の『かわいい海とかわいくない海 end.』を読んで言えるのはただひとつ。この歌集を読んだあとで他の歌人の歌を読むと、それらがひどく甘ったるいものに感じられてしまうということだ。どうやら瀬戸夏子症候群に罹患してしまったようだ。

2016年2月26日金曜日

『15歳の短歌・俳句・川柳』

現代俳句協会青年部主催の勉強会で昨年来、新興俳句が連続して取り上げられてきた。
2015年9月に高屋窓秋、10月に渡邊白泉、11月に三橋敏雄、12月に西東三鬼、そして2016年2月は富澤赤黄男。
私は聴きに行けなかったが、久留島元から富澤赤黄男についてのレジュメをもらった。
赤黄男の「クロノスの舌」の「蝶はまさに〈蝶〉であるが、〈その蝶〉ではない」は有名だが、俳句と川柳について次の一節がある。
「現代俳句と現代川柳の混淆―これは重大なことである。
このことについて、批評家も作家も全然触れようとしない。
―これはまた重大なことである。
俳句の真の秩序が見失われてゐる証左であらう」
赤黄男の問題意識をひとつの契機として私も「俳句と川柳」について随分考えてきたが、これは常に繰り返されるテーマなのだろう。
赤黄男の句に見られる一字空けは現代川柳でも多用される。混淆の出発点は「旗艦」にあるようだ。

「船団」107号(2015年12月)の特集は「昭和後期の俳人たち」だった。「昭和後期」という括り方は耳慣れないものだ。筑紫磐井・仁平勝・坪内稔典の三人が座談会を行っている。
筑紫が取り上げているのは相馬遷子・阿部完市・最晩年の高浜虚子である。

ねぱーるはとても祭で花むしろ    阿部完市

そして筑紫はこんなふうに発言している。
「今、阿部完市の俳句をみるとどこか最近の若い作家に影響が出ているような気がしないでもない。要するに意味でもないし、メッセージでもないし、遊びのようでもあるんだけれど、それだけにとどまらない何か詠みたいものがある」

一昨年、「蝶俳句会」から発行された『昭和の俳句を読もう』という冊子は、54人の俳人の各30句を抄出し、かんたんなコメントをのせたもので、私もよく利用させてもらっている。その中から阿部完市の句をもう少し引用する。

ローソクもってみんなはなれてゆきむほん   阿部完市
栃木にいろいろ雨のたましいもいたり
にもつは絵馬風の品川すぎている
木にのぼりあざやかあざやかアフリカなど

地名の使い方など興味深く思われる。
「船団」の対談に戻ると、坪内は「平成の今の時代は俳句史的な考え方というのが元気がないと思います」と言っている。俳句でもそうなのか。川柳の世界でも川柳史へのリスペクトはまったく感じられない。私が「現代川柳ヒストリア」を立ち上げた理由のひとつがそこにある。

『大人になるまでに読みたい15歳の短歌・俳句・川柳』(ゆまに書房)の第1巻「愛と恋」が刊行された。
短歌の選と解説は黒瀬珂瀾、俳句は佐藤文香、川柳はなかはられいこが担当している。
短歌・俳句・川柳の作品が一冊のアンソロジーの中で同居しているのは画期的なことだ。
川柳からは30句掲載されていて、鶴彬や岸本水府などの評価の定まった作品から現在ただいま書かれている最新の作品までが網羅されている。そのうちのいくつかを紹介する。

お別れに光の缶詰を開ける       松岡瑞枝
あのひとをめくれば雨だれがきれい   畑美樹
よいにおいふたりで嘘をついたとき   久保田紺
非常口の緑の人と森へゆく       なかはられいこ
くちづけのさんねんさきをみているか  渡辺和尾
わたしたち海と秋とが欠けている    瀧村小奈生
永遠と書くゆうぐれもかりうども    清水かおり
たてがみを失ってからまた逢おう    小池正博

「たてがみを…」は柳本々々が取り上げてから比較的知られるようになった句。初出は「WE ARE!」4号(2002年5月)だから、なかはられいことも縁の深い句である。

ドラえもんの青を探しにゆきませんか     石田柊馬
君はセカイの外へ帰省し無色の町       福田若之

それぞれの作品に選者による解説と作者のプロフィールが付いていて読みやすい。
石田柊馬の川柳と福田若之の俳句が見開きページの左右に掲載されている光景は、ちょっと感慨深いものがある。
第二巻「生と夢」も刊行されているはずだが、私はまだ見ていない。第三巻「なやみと力」は3月下旬に刊行予定。どんな句が掲載されるのか楽しみである。

2016年2月19日金曜日

「オルガン」4号のことなど

「オルガン」は2015年4月創刊。生駒大祐、田島健一、鴇田智哉、福田若之、宮本佳世乃の5人による季刊俳誌で、いま4号が出ている。毎号、同人作品と座談会で構成される。

ゴスロリ少女財布に溜め息が白い   福田若之
火事跡に階段の蠢いてゐる      宮本佳世乃
水鳥や眠りのつひの眩しさの     生駒大祐
滝凍てて夜な夜な途方もない配膳   田島健一
ぬるい膝からつはぶきの場所へ出る  鴇田智哉

4号の座談会のテーマは「震災と俳句」。宮本佳世乃からの質問状「あなたは震災句についてどう思いますか、また、どのように関わっていますか」について5人で話し合っている。その内容は深めてゆけば、時評や評論のテーマになるようないくつもの問題性を含んでいる。

興味深かったのは鴇田が引用している高木佳子の文章(「現代詩手帖」2013年5月)。
いわき市在住の歌人である高木に電話をかけてきた人がいて、「今は仮設住宅にお住まいで?」と訊いたという。高木の住んでいるのは高台で津波被害にあっていないし、線量も低かったのだ。電話をかけてきた人は「じゃあ、普通に暮らしていらっしゃる?」と怪訝そうだったという。その人のなかには「被災歌人」という構図が出来上がっていたのだ。

この話を紹介したあとで鴇田はこんなふうに言う。
「この高木さんみたいに、そう相手から期待されると、期待に応えなきゃ悪いとか、応えられなくてすみませんみたいな、変な感情が生じてしまうこともある」「文字として書かれている俳句とか短歌そのものは変わらないのに、添えられている地名で何かが変わる。そこで変わっていいの?っていう疑問もあるんだよね」
地名や作者名によってテクストの読みがずいぶん変わってしまうことは震災作品でなくても経験するところである。

読者の問題について、田島はこんなふうに言っている。
「読者にとっては、自分がわかる枠組みのなかで俳句を読みたいっていうのはあるよね。読み手が『この句はよくないです』って言った場合には、『自分が期待していない言葉がここにある(あるいは、ない)』、っていうことでしょ」

あと、次のような発言も記憶に残った。
「僕は、脆弱な言葉と脆弱でない言葉があると思っていました。時事的な言葉は脆弱で、桜みたいな言葉は強固だと。それが、そうじゃない場合もありうるってことですね」(生駒大祐)
「ある言葉を詠まないっていうあり方は、裏返して言えば、スマホを詠んだら何でも新しい句だと思っているあり方と、そう変わらないんじゃないかって。スタンスは違っても、じゃあそこで書かれるべきものは何なんだ、って問題はどっちにしろ残るよね」(田島健一)

『点鐘雑唱』は「現代川柳・点鐘の会」(墨作二郎)が毎年発行しているアンソロジーで、その年の「点鐘」誌掲載作品と点鐘勉強会作品から抽出している。2015年版は昨年一年間の作品をまとめたもの。その中からいくつか紹介する。

自己主張の導火線が錆ついている      阿部桜子
あなたの夢を一度も見ないカタツムリ    石川重尾
遠慮するなと誕生日がやってくる      一階八斗醁
地球儀のどこもかしこも蛸足配線      笠嶋恵美子
弟がちくわの役を降ろされる        北村幸子
鉄砲を担ぐと積乱雲になる         進藤一車
旅ひとり手稲の雪を見ているか(桑野晶子の死)  墨作二郎
戦争が出来る憲法の裏メニュー       瀧正治
「聞き耳」はこちらと象の後ずさり     平賀胤寿
重なって重なってから枯れる        前田芙巳代
咳すれば山頭火よりパブロン        渡辺隆夫
死ぬ前に鞠子の宿のとろろ汁        渡辺隆夫

「第20回杉野十佐一賞」が発表されている。
詳細は「おかじょうき」のホームページを見ていただくとして、高得点句を何句か紹介する。

毎週金曜 息の発売日           佐久間裕子
息止めて止めて止めて止めて欅       瀧村小奈生
六条御息所的今夜             笹田かなえ
テラってギガってナノらない息なんだ    中西亜
すうはあすうはあなめらかにくさる     宮沢青

印象的だったのは広瀬ちえみの選評である。
「川柳は現在行き交っていることばに左右されていると思った」
「固有名詞を使うときはその言葉自体がすでに抱えている背景を一句のなかで料理しなければならないことを強く意識するべきだと私は思う」
「俳句には季語(時間の積み重ねがある)があるが、それと固有名詞とはちがう。川柳で使われる固有名詞はどちらかといえば作者の生きている現在を呼吸している。しかし一句のなかにピタリと嵌まったときは大きな力を持つのが固有名詞である。川柳におけることばの流通を良くも悪くも考えさせられた」

俳句や川柳における「作者」「読者」「ことば」の問題は、実作と連動するさまざまな局面で深められてゆきつつある。

2016年2月12日金曜日

「発信の時代」をめぐって

5月22日に大阪・上本町で開催する「第二回現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」、今年のホームページが出来ているので、ご覧いただければ幸いである。出店の申し込みも受付中。「川柳フリマ」と名のっているが、川柳関係に限定されるのではなく、短歌・俳句・現代詩のどのジャンルの出店も歓迎。ジャンル閉鎖的ではなく、参加者相互交流の場をつくりたいと思っている。「ヒストリア」の面では、川柳句集を何冊か展示する。昨年も展示した川柳鴉組の合同句集『鴉』のほか『中村冨二千句集』、定金冬二句集『無双』、松本芳味句集『難破船』などを陳列。対談ではゲストに山田消児さんをお迎えする。山田さんは惜しまれつつ終刊した「Es」同人。「短歌の虚構、川柳の虚構」をめぐっておもしろいお話が聞けることだろう。昨年同様、投句もできるので、よろしければ投句フォームからどうぞ。

http://senryu17.web.fc2.com/main-2016-01.html

川柳関係のネットでは「川柳スープレックス」が元気である。
メンバーは飯島章友・柳本々々・川合大祐・江口ちかる・倉間しおりの五人。
飯島章友は「スープレックス」1月15日で「川柳カード」10号を紹介したあと、「川柳は発信の時代に入った」と述べている。

「こういうと語弊があるかも知れないけれど、短歌界では有望な書き手にターゲットを絞って仕事を依頼し、歌壇を牽引していく存在に育てようという働きが自然に存在している気がする。人気稼業のタレントじゃねえんだから……、というご意見もあるかも知れない。でも、有能な人材を見出して活躍の場をもうけていくことは、どんな業界でも必要なこと。川柳の世界とて例外ではないとわたしは考える。その意味で昨年、柳本々々さんと榊陽子さんがネット上や各柳誌、フリーペーパーなどで話題になったのを振り返ると、川柳はいい方向に進んでいると感じる。川柳は発信の時代に入った」

これまで川柳における発信と受信はうまく対応していなかった。
昨年9月の「第三回川柳カード大会」で柳本々々と対談したときにもそのことは話題になった。川柳に関心をもった人がもっと川柳作品を読みたいと思ったときに、その入り口が見当たらないという問題である。柳本はこんなふうに語っている。

「たとえば、加藤久子さんの句集の句に高校生が反応したりすることがあるんですよ。さきほども言いましたが、現代川柳は「死」に敏感だから、三十代・二十代を越えて十代にすっと伝わる場合もあると思うんです。ただ、伝わったあとにどうすることもできないという現状があって、加藤さんの句集をどうやったら読めるのかと聞かれても、答えられないんですよ。伝わるかどうかも大事なんですけれど、伝わったあとにそういう空間が準備されているかどうかということが大事だと思っています」

私もこれは早急に何とかしなければいけないと思いながら便々と日が過ぎていくばかりだったが、最近になって柳本自身が「BLOG俳句新空間」36号(2月5日)でその入り口を作っているのに出あった。〈【短詩時評 十二時限目】〈遭遇〉するための現代川柳入門 飯島章友×柳本々々-きょう川柳を始めたいあなたの為に-〉である。この企画について柳本はこんなふうに言っている。

「それでですね、きょうは飯島章友さんをゲストにお招きして、たとえば〈きょう〉こんなふうに〈いきなり〉現代川柳に〈遭遇〉できないかということを飯島さんにお話をうかがいながら模索してみたいと思うんです。〈川柳をまったく知らないひと〉があるひとつのかたちをとおして〈現代川柳をせっかちなかたちでも いいから輪郭だけでもつかめるようにすることができないか〉というのが今回の記事の趣旨です。うまくいくかどうかはわかりませんが、ひとつやってみる価値 があるような気がするんですね」

この問題意識は飯島も共有していて、飯島はこんなふうに問いかけている。

「ところで、自分も少し柳本さんにお訊きしたいことがありますが、よろしいでしょうか? というのも、なかはられいこさんの話をしながら思い出したこと があるんです。自分は2003年になかはらさんらを通じて短詩としての川柳を知るに至ったあと、自分に合った川柳誌を見つけようと思って、インターネット で気になる川柳作家を検索したり、川柳アンソロジーを買ってみたりしたんです。ところが、どうも自分は手際が悪くてなかなか見つけることができませんでし た。柳本さんは自分に適した川柳誌なり川柳グループにたどりつくにはどういった方法がいちばんいいと思いますか?」

以下は柳本の答え。

「私は現代川柳を知ったのが、倉阪鬼一郎さんの『怖い俳句』(幻冬舎新書、2012年)という新書だったんですよ。この本、すごくおもしろい本でして、ほとんどが俳句なんですが、「自由律と現代川柳」という章があって川柳も紹介されているんですね。(中略)
で、これを読んだときに、これはなんだかおもしろい、なんだか自分が今まで知らなかった世界がここにはあると思って、ネットで検索したわけです。(中略)
ありふれた言い方になるけれど、たぶんいまいちばん現代川柳を手軽に知るためには、《気になった川柳作家がいたらともかく一度検索!》なのかもしれませ ん。そうするとかならず、だれかが紹介しています(誰かのことが気になるっていうことは、誰かももう気にしているっていうことです)。そうするとその川柳 作家に似た作風の川柳もそこで紹介されていたりします。すると、芋づる式に現代川柳の〈りんかく〉がわかってくる。そういうふうに、句集やアンソロジーを 〈買う〉というスタイルではなく(なかなか簡単には手に入らない現状もあるので)、自分でさがしながら、自分の分節や感性で現代川柳の《じぶんだけのアンソロジー》をつくっていく。それも最初の段階ではありなのかなあっておもいます」

あと、この記事には手に入りやすい川柳書や川柳句集も紹介されている。川柳への入り口として、行き届いたものになっている。

「スープレックス」はメンバーの個別活動も盛んで、川合大祐は週刊俳句459号(2月7日)に、「檻=容器」10句を発表している。
私がこの10句に一種の感動を覚えるのは、それが「 」という記号を用いた気のきいた表現などではなく、定型に対する川合の問題意識が反映していると感じるからだ。ぐにゃりとした不定形の現実に向かい合うには定型しかない。ここには川合の初心があると思う。

2016年2月5日金曜日

久保田紺の五冊の句集

私の手元に久保田紺の五冊の句集がある。
一冊目は『銀色の楽園』(2008年9月、あざみエージェント)。100句収録。

ありがとうと言ったらさようならになる
ちいさくてかわいいそしておそろしい
背中からなにか出ようとしています
呼びに来たひとにふわりとついてゆく

これとは別に題名のない句集が三冊ある。
それぞれ表紙が青色・赤色・白色でタイトル・あとがきなど一切なく、句だけが収録されている。私の調べたところでは、青色には2005年以後の句、赤色には2007年10月~2008年5月の句、白色には2009年までの句がそれぞれ収録されている。句集ができた経緯については、「杜人」228号の「ここからの景色」に久保田自身の文章が掲載されている。

この次は貴方を産みたいと思う
狂わされ私正しく動き出す
濡れている 私の左君の右
攻めてくる無垢なうさぎの顔をして
笑ってしまった 許していないのに
眠れない夜は羊を丸刈りに  (以上、青色から)

渡したいものがあるのとおびきだす
あなただけが好きよあなたといるときは
マニュアルを読んでるうちに故障する
古本の同じところで泣いている
歩く鳥のほうに分類されている
いなくなったらいなくなったでこわいひと
さあ歩きましょうねと首輪つけられる (以上、赤色から)

錆びてゆく 雨に打たれるのが好きで
おさかなをたべているのにおよげない
会わないように会わないように帰りつく
お取り寄せしたら知らない人が来る
脱ぐまでは正義の味方だった人
散りましょう うしろに列ができている (以上、白色から)

最後に『大阪のかたち』(2015年5月、川柳カード叢書)。
久保田紺と「川柳カード」との関係について、句集の「あとがき」には次のように書かれている。
〈長年住み慣れた家を出て辿り着いた所は、「川柳カード大会」会場から徒歩3分のところ。それがどんなに幸運なことか、私はまだ知りませんでした。すべてのものの手放し方ばかり考えていた私は、思いがけず新しい場所を得、仲間と出会いました〉
こうして久保田紺は「川柳カード」大会や合評会に参加するようになり、そのつながりから「川柳・北田辺」にも毎回参加するようになった。

銅像になっても笛を吹いている
キリンでいるキリン閉園時間まで
うつくしいとこにいたはったらええわ
海はまだか海に出たくはないけれど
あいされていたのかな背中に付箋
着ぐるみの中では笑わなくていい
鉄人に勝とう大きなパー出して
いけませんそこに触ると泣きますよ

私は久保田紺の恋句が好きだ。句集の解説には「案外といっては語弊があるが、久保田紺には恋句が多い」と書いて、彼女には叱られたけれど。
私は40代の彼女を知らない。たぶん久保田紺にはいろいろな面があって、私の知っているのはほんの一面にすぎないだろう。ただの「いい人」であったら、こんな句が書けるはずもない。
私たちは日常生活の些事に追われて暮らしているが、自分の「いのち」に向き合ったときに、どうでもいいこととそうでないことはきっぱりと分けられる。どうでもいいことは、はっきりどうでもいいのだ。私が彼女から学んだのは、そういうことである。
「川柳性」とは何か。ひとことで言うのはむつかしいが、久保田紺の作品にはまぎれもない川柳性が感じられる。すぐれた川柳人だった。

2016年1月29日金曜日

『桜前線開架宣言』

かつて石田柊馬が「川柳は読みの時代に入った」と宣言して以来、どう詠むかだけではなく、どう読むかが現代川柳の重要な課題となっている。一読明快の時代には川柳は読めば分かるもので、ことさら「読み」を意識する必要はなかったが、作品が読者による多義的な読みをされるようになると、作者の側も作品がどう読まれるという「読みの幅」をある程度意識しながら作句するようになる。作者論から読者論への転換である。
ところが読者が川柳作品を読みたいと思っても、全国に散在する川柳同人誌に目を通すことは時間的にも経済的にも不可能なことであるし、句会・大会に参加するにも労力が必要だ。現代川柳の全体像なんて誰にも分からないのである。句集が必要とされる所以だが、「川柳は句集の時代に入った」とも言い切れないのが苦しいところだ。
そういう意味で私が敬意を払っているのは、渡辺隆夫と新家完司である。
隆夫は『宅配の馬』に始まって『都鳥』『亀れおん』『黄泉蛙』『魚命魚辞』『六福神』と句集を出し続け、さすがにもう逆さにふっても何も出ないようだ。完司は五年ごとに句集を出していて、『新家完司川柳集(六)平成二十五年』まで出ている。
現在では句集や紙媒体以外にSNSなどを利用した多様な発信の仕方が可能になっており、飯島章友は「川柳は発信の時代に入った」(「川柳スープレックス」2016年1月15日)と述べている。
「読みの時代」→「句集の時代」→「発信の時代」と変遷するなかで、川柳人はそれぞれの好みと資質に応じた作品発表の場を確保することが必要だろう。

さて、「発信」という点で進んでいるのは短歌の世界である。
昨年末に現代短歌の注目すべきアンソロジーが現れた。山田航編著『桜前線開架宣言』(左右社)である。
「Born after 1970 現代短歌日本代表」という副題が示すように、取り上げられているのは1970年以降に生まれた若手歌人40人である。「1970年代生まれ」「1980年代生まれ」がそれぞれ19人、「1990年代生まれ」も2人いる。
個々の歌人の作品も魅力的だが、山田航による切り口が鮮やかだ。
たとえば、兵庫ユカは「言葉が心に突き刺さる」という感覚、言葉の刃の鋭さという点では現代短歌随一、と紹介されている。

遠くまで聞こえる迷子アナウンス ひとの名前が痛いゆうぐれ    兵庫ユカ
どの犬も目を合わせないこれまでも好きなだけではだめだったから
求めても今求めてもでもいつかわたしのことを外野って言う

そして、山田は次のようにコメントするのだ。
〈「自分の居場所がない」という自己疎外感をここまで鋭く研いだ言葉にできている歌人はそうそういない。それでいてその自己疎外感に、被害者意識が薄い。「なんで私ばっかりがこんな目に」「私は何も悪くない」といった姿勢をみせられてしまうと、いくら鋭い言葉のセンスが感じられてもいささか興ざめしてしまうものだけれど、兵頭ユカは絶妙なバランスでそれを回避してくる。乾きすぎてもおらず、湿りすぎてもいない、絶妙な水分を含んだ白いガーゼのような歌。それが兵庫ユカの短歌だ〉

でもこれはわたしの喉だ赤いけど痛いかどうかはじぶんで決める   兵庫ユカ

中澤系については、こんなふうに。

ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ  中澤系
3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって

〈刃のようにぎらついた焦燥感に、ぼくは夢中でページをめくった。1998年から2001年にかけてということは、ぼくがインターネットを使いはじめた頃に詠まれた歌だ。デジタル化する世界のシステムのなかで、ぼくたちは、自らの身を守るために、生きてゆくために、思考停止を強いられている。中澤系が描いている風景は未来都市でも何でもない。いたって一般的な、日本の大都市の風景だ。プラットフォーム。駅前のティッシュ配り。どこにでもある風景だ。そこから思考停止の浸蝕ははじまっている。傷つかない方法は考えないこと。心の痛覚を殺していかなければならない。そんな世界が永遠に続く。永遠にだ〉
〈しかし中澤系は思考停止を拒んだ。かといって被害者意識にまみれて世界を攻撃することもできなかった。果てのないディストピアが生まれたことを誰のせいにすることもできなかった。彼は「終わりなき世界」を脱却するための鍵として、終わりを運命づけられた定型詩を求めた〉

その歌人の作品をもっと読んでみたい気持ちに誘われると同時に、山田自身の感性もくっきりと立ち上がってくる。

核発射ボタンをだれも見たことはないが誰しも赤色と思う   松木秀
二十代凶悪事件報道の容疑者の顔みなわれに似る
平日の住宅地にて男ひとり散歩をするはそれだけで罪

〈松木秀の作家としてのスタートは短歌ではなく川柳。そのため諷刺と滑稽味に主眼を置いた歌を得意とする。きわめて弱い立場にいながらも、きっと塔の頂上を見据えて、皮肉という銃弾を撃ち込もうとする。届かなくても構わない。必死で撃ち続けようとしているその姿勢が、似た立場の者たちの目に入ればいいのだ〉

「1970年代生まれの歌人たち」から3人紹介したが、「1980年代生まれの歌人たち」も充実しているし、「1990年代生まれ」の井上法子もおもしろそうだ。
ロス・ジェネ世代の人たちがなぜ川柳という表現形式を選ばないのだろうと私はかねがね疑問をもっていたが、彼らは短歌形式によって自己と世界を表現していたのである。
山田航は2009年の角川短歌賞・現代短歌評論賞のダブル受賞で一躍注目された。だから、私は彼のことを才気煥発な人だと思っていた。けれども、本書を読んで彼のイメージが少し変わった。彼が真摯に短歌と向き合い、現代短歌の魅力を発信しようとしていることがよくわかる。
本書の発行所の左右社は川柳句集も出している数少ない出版社である。

山田は「まえがき」でこんなふうに書いている。
〈しかしぼくは大きな勘違いを一つしていた。寺山修司から短歌に入ったぼくは、歌集というものをヤングアダルト、つまり若者向けの書籍だと思い込んでいたのだ。短歌が世間では高齢者の趣味だと思われていたなんてかけらも知らなかったし、実情をそれなりに知った今でも心のどこかで信じられない。どうせなら、ぼくと同じ勘違いを、これから短歌を読もうとする人みんなすればいいと思う。みんなですれば、もう勘違いじゃなくて事実だ〉
川柳についても同じことが言えたらいいな。こんなふうに言えたら、どんなに晴れ晴れすることだろう。

2016年1月22日金曜日

芝桜遠近法

昨年末に墨作二郎作品集『典座』(「川柳凛」発行)が届いた。
川柳誌「凛」の38号から63号までに掲載された208句が収録されている。「典座(てんぞ)」とは禅宗寺院における料理係のことである。句集から5句紹介する。

芝桜遠近法 石笛の過去いちめん     墨作二郎
対岸に多瞬の蛍 流転の父
花は白い十字架 蝶の渡海伝説
クレパスの迷路 青い蘇鉄のあとずさり
水栓のもるる枯野 居残り地蔵尊

一字開けを使った二句一章は作二郎の愛用する書き方である。
「五 七五」または「五七 五」を基本形とするが、上五が10音近くにのびたり、下五が4音や6音になることもあり、リズムのさまざまなヴァリエーションがある。
作二郎作品を読みなれている読者にとっては同一イメージの繰り返しが気になるところではあるが、堺出身の詩人・安西冬衛の「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」や川柳人・河野春三の「水栓のもるる枯野を故郷とす」を下敷きにするなど、作二郎の川柳人生を振り返るものとなっている。

「川柳凛」64号(1月1日発行)に、くんじろうが「川柳・耄碌論」を書いている。
山田太一の「男たちの旅路シリーズ」や舞踏家・田中泯、阪井久良岐などについて述べているなかに、飯田良祐の作品にも触れている。今年は良祐が亡くなって10年目になるので、彼の句集『実朝の首』を改めて読む会を開きたいものと私は思っている。
くんじろうは「詩のボクシング」のことも書いていて、「朗読による川柳句会」を提唱している。提唱だけではなく、彼は実行するだろう。「川柳は老衰してはならない。川柳は耄碌してはならない」というくんじろうのメッセージである。

くんじろうが主宰する句会「川柳北田辺」が5年を越え、6年目に入ったという。第63回句会報、表紙はカラーで猿の絵になっている。

アダムとイブにからむちんぴら     きゅういち(席題「ちんぴら」)
寛永二年創業ちんぴらのお漬物     きゅういち
シャッターを上げれば月が伏せている  茂俊(兼題「伏せる」)
肉食のわたしと桃食のあなた      ちかる(席題「桃」)
トナカイがやわらかく煮た蕪ですが   律子(席題「蕪」)
システムの都合で今年五十歳      丁稚一号(席題「システム」)
さばの味噌煮に巻きこまれたんよ    ろっぱ(席題「るつぼ」)

初句会でいただいた「ふらすこてん」43号(1月1日発行)。きゅういちの作品から。

結構美形のどうせ立ち去る影の昼    きゅういち
眼にミルク地方の銀座正しうす
梟鳴くどのみちささくれる聖母
又貸しの姉はどなたが文房具
歌姫を抱いて売られる鉄工所

筒井祥文は選評で「どう読もうと深読みに陥る十句。よって読み不可」としている。
読みが不可かどうかはさておくとして、私は攝津幸彦の「以前は自分の生理に見合ったことばを強引に押し込めれば、別段、意味がとれなくてもいいんだという感じがあったけど、この頃は最低限、意味はとれなくてはだめだと思うようになりました」という言葉を思い出した。

昨年末にいろいろな川柳誌を送っていただいているが、コメントせずにそのままになっているので、遅ればせながら紹介しておきたい。

「触光」45号(12月1日発行)、梅崎流青が「高田寄生木賞」について書いている。同誌43号掲載の筒井祥文による批判に対する反批判である。論争の少ない川柳界ではめずらしい議論である。「高田寄生木賞」については第四回のときにも渡辺隆夫の「川柳の使命」発言に対して広瀬ちえみが疑問を呈したことがあり、「触光」では議論が活性化することを期待しているのだろう。43号の編集後記を見ると筒井祥文の批判に関して「明確な川柳観からの文章で、いろいろと勉強になった。異論のある方もあると思う。その異論を文章にして送っていただければ幸いである」と述べられている。今回はその「異論」というわけだ。ただ、論争というのは当事者のあいだに共通するベースがないと成り立たないので、価値観がまったく異なる場合は生産的な議論とならないところに困難さがある。
同誌の前号鑑賞のコーナーでは清水かおりが「現代の川柳の様相は実に様々だ。伝統や革新という呼び方はもとより何々派という画し方も当てはまらない自由さを得ている。読者が作者の個性に注目した読みを展開し、作者は個の確立に研鑽を積んだ。そのような作者と読者の関係性も、すでに変化し始めているように感じる」と書いている。

「水脈」41号(12月1日発行)巻頭、落合魯忠の「『劇場』の女優たち」は「現代川柳・どん底の会」(代表・進藤一車)発行の柳誌「劇場」の創刊から終刊まで全40冊を改めて検証・紹介している。落合はこんなふうに書いている。
「今日、名のある川柳大会に並ぶ作品の劣化は顕著であり、どこかで見たことがある、似たような、良く云えば日常を語り合う共感のできる作品が大量生産の上、選出され巷へ散ってゆく」「柳社の経営を考えれば量の拡大に力点を置くのは致し方のないことではあるが、川柳という文芸を結社が支配する構図は将来的に消滅するであろう」「なぜならいかなる文芸も、本来的に個人のなせる芸であり、孤独な当為を基本とするものであるからだ」

「触光」「水脈」とも桑野晶子が昨年10月19日に亡くなったことを悼んでいる。89歳。

水ぎょうざ黄河の月もこのような   桑野晶子
羊蹄に雪くる画鋲二個の位置
罪というなら包丁差しに包丁が
雪が降り雪が降り乳房はふたつ
かるがると蝶が死んでる雪の画布
しゃれこうべ軋む絶頂感の中
ながい冬だった一匹の蠅に遇う
じゃがいもの花と流れて海は臨月

川柳の先行者に対するリスペクトと同時に、さらに新しい領域を切り開いてゆくことが現代川柳には求められている。

2016年1月15日金曜日

なかはられいこが発信してきたこと

最初に宣伝させていただくが、昨年5月に開催した「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」を今年も5月22日に大阪・上本町の「たかつガーデン」で開催することになった。
前回は「川柳誌でたどる現代川柳の歩み」という展示を行ったが、今回は川柳句集の展示をする予定である(解説・石田柊馬)。また、ゲストに歌人の山田消児を招いて対談をおこなう。前回より広い会場を確保しているので、フリマにもたくさんの出店スペースがとれると思う。詳細は改めて専用ホームページ(いまはまだ昨年のままだが、時期が近づけば更新の予定)などでご案内するので、川柳人だけでなく、短詩型文学に関心のある方々のご参加をお願いしたい。

川柳のフリマといえば、2003年12月に「WE ARE!」の大会が東京で開催されたときにフリマがあって、歌集を何冊か買い込んだ記憶がある。そのとき私はフリマの必要性をまだよく理解できていなかった。遅まきながら、いま「川柳フリマ」をやろうというのである。
なかはられいこには川柳文芸が衰退してゆくことに対する危機意識があった。朗読もその打開策のひとつだった。最近になって、2003年当時の彼女の様子を伝える文章を目にする機会が重なったので紹介しておく。

俳人の松本てふこは「わからないけど好き」(「川柳カード」9号)でこんなふうに書いている。
〈川柳を初めて意識したのはいつだっただろうか。大学生の頃にポエトリーリーディングをやる友人に連れられて様々な朗読のイベントに行ったのだが、そういったイベントのひとつでなかはられいこ氏の朗読を聞いた記憶がある。なにぶん十年以上前のことで、少年のように凛々しく華奢ななかはら氏が歌うようにからだを揺らして朗読していたこと、その声を聞きながら「川柳って上五、中七、下五に何とも言えない断絶があるんだなー」と思ったこと、それくらいしか記憶がない〉

飯島章友も「杜人」248号で次のように語っている。
〈2003年当時、東さんがマラリーに出演するってんで、何人かのぷらむ会員で観にいったわけよ。そのとき、出演者のほとんどが歌人というなか、なかはられいこさんと倉富洋子さんが川柳ユニット「WE ARE!」として出演していて、川柳を朗読してたんだ。正直いうと、オレもそれまではご多分に漏れず、「川柳なんて定型を利用したダジャレだろ?」くらいに思っていたんだなぁ。ところが、二人の川柳は違っていた。「これは十七音の短歌だ」と直感したね。落差が大きかったぶん驚きもハンパなくて、それでまあ、作句するかしないかはともかく、川柳って文芸を知りたくなったわけだ〉

飯島が述べているのは「マラソン・リーディング2003」のことで、当時彼は東直子主宰の「ぷらむ短歌会」で短歌に触れていたようだ。
また、瀬戸夏子の話によると、「早稲田短歌会」の部室には誰が持ってきたのか『脱衣場のアリス』が置いてあったそうだ。『脱衣場のアリス』には荻原裕幸や穂村弘も関わっているから、その関係で歌人にも興味を持たれたのかもしれない。それを部員が回し読みする機会があったのだ。
当時、なかはらは現代川柳の最先端にいて、私はその活躍ぶりを遠くから眺めているばかりだったが、なかはらが蒔いた種が時を経たいま、現代川柳のひとつの支柱になっていることに感慨を覚える。

昨年12月に発行された「川柳ねじまき」2号から、なかはられいこ作品を引用しておこう。

いとこでも甘納豆でもなく桜      なかはられいこ
ともだちがつぎつぎ緑になる焦る
気のせいか夕陽のせいか語尾がへん
湿布貼ったとこからすっと船が出る
HOMEに戻る狩野派の雲連れて

会員の作品と作品評のほかに、「ねじまき句会を実況する」で「読み」を中心とする句会の様子を伝えている。また今号には半歌仙が掲載されているが、捌きの瀧村小奈生は連句人としても活躍している。今年は国民文化祭が愛知県で開催され、10月30日に連句の祭典が熱田神宮で行なわれることになっている。今年の名古屋は川柳も連句も熱いのだ。
巻末で、なかはらはこんなふうに書いている。
「川柳にかかわってそろそろ三十年になる。初心のころは書いても書いても書きたいことは尽きないように思えた。でも尽きるのだ。だから、それ以後は、川柳というツールを使って何を言いたいのか、何かを言うためのツールが俳句や短歌や詩ではなく、川柳であるのはなぜか、を考えることになった。それをいまだに考え続けている。答えは、もう少しだけ手を伸ばせば届くところにあるような気がすることもあるし、逃げ水のように追っても追っても届かないような気がすることもあって、飽きない」
「誌上であれネットであれ句集であれ、作品を発表すれば一句一句は旅をする。そして数年後、何十年後のかなたから未見の読者を連れてきてくれることがあるのだ」

何事も直線的には進んでいかないものである。なかはらがやろうとしていたことは、10年後の今日になって目に見えるかたちで結実しつつある。たとえそれが限られた範囲であるとしても、続けてゆくことは大切である。

さて、『15歳の短歌・俳句・川柳』(ゆまに書房)が近いうちに発売される予定。第1巻「愛と恋」(黒瀬珂瀾編)、第2巻「生と夢」(佐藤文香編)、第3巻「なやみと力」(なかはられいこ編)、全3巻のアンソロジーである。詳細は、ゆまに書房のホームページで見ることができる。刊行が楽しみである。

2016年1月8日金曜日

「希望の形式」について

―希望というものはあるともいえないし、ないともいえない。それは地上にできる道のようなものだ。歩くひとが多くなればそれが道になるのだ。(魯迅「故郷」)

年末12月26日に「第四回俳句Gathering」に参加した。懇親会で黒岩徳将がコミック『あかぼし俳句帖』(原作・有間しのぶ、作画・奥山直、小学館)の話をしていたので、さっそく読んでみた。
窓際族の編集者・明星(あかぼし)がふと興味をもった俳句の世界に入ってゆくというストーリーだが、居酒屋で出会った若い女性俳人に明星はこんなふうに言う。
「表現なんて目立てばいいんだからなんでもありでいいんでしょう?最初から五七五だの季語だの、しちめんどくさいこと決めるから、堅苦しいんですよねぇ。川柳にしちゃえば楽なのに」
それに対する女性俳人の答え。
「明星さんは、楽器は演奏されますか?いきなり指の位置も音譜も知らずに弾けましたか?やみくもにかき鳴らしても音は出ますけど、それは音楽じゃありませんよね?」「まぁ、どのジャンルでも初心者ほど浅い知識で先達を小馬鹿にするみたいですけど」「ついでに言うとふまじめで季語がないのが川柳、という認識も間違いです。あちらも造詣の深い文学です。揶揄する前に句集か川柳集の一つでもお読みになれば?」

川柳に対しても見識のあるひとがコミックを書いていることを心強く思った。

「杜人」248号の特集「川柳はお好きですか?―ジャンルを行き交う人々―」に飯島章友・柳本々々・水本石華の三人が執筆している。飯島は短歌(「かばん」)・川柳(「川柳カード」「川柳スープレックス」)の両形式で作品を発表している。水本は連句界では佛渕健悟(雀羅)として高名な存在である。ここでは特に柳本の文章を取り上げるが、「わたしがあなたを好きな五つの理由―或いはヴァルター・ベンヤミンと竹井紫乙」というタイトルで柳本は川柳を好きでいることの理由を五つ挙げている。その二番目が「希望」である。

「なぜ、川柳は希望の形態にちかいのか。
それは、定型というメディアを介して川柳が表現を提出するからである。
定型は、饒舌をゆるさない。したがって語り手には背景や文脈を用意する隙がない。ということは、読み手が背景や文脈を用意するのだ。
だからこそ、川柳は、どのような〈読み〉の可能性をも引き起こす。そのような読みの多様性こそが、わたしは〈希望〉だと思う。読みのアナーキズムこそが、希望の形式なのだとわたしは思いたい」

柳本のいう〈読み〉は従来の〈作者論的読み〉とは異なって、明らかに〈読者論的読み〉である。〈作者の死〉が言われて久しいが、川柳の世界では〈作者〉は今でも〈作品〉の後ろに貼りついている。川柳でも〈作品の多義性〉が言われたこともあるが、あまり議論が深められることもなく現在に至っている。けれども、柳本は文脈(コンテクスト)を用意するのは作者ではなくて読者だと言い切り、読みの多様性(別の言い方をすれば「未了性」)を一気に希望につなげている。これはけっこう衝撃的なことなのだ。

ここで、「杜人」の文章からは離れるが、「希望」と並んで「勇気」についての柳本の発言に触れておきたい。
大井恒行はブログ「日日彼是」(2015年12月13日)で「川柳カード」10号を取り上げ、柳本々々の次の発言を引用したあと、「そこには現代俳人が忘れて久しい問いが新たな表現をもって存在しているようにさえ思えた」と述べている。

「別に川柳によって救われる必要もないと思うのですが、川柳というのは勇気をくれると思うのですよ。それはなぜかというと、川柳はすごく不健全で〈健やかな不健全さ〉〈不健全な強さ〉を持っていると思います。私は寺山修司の俳句が好きだったんですよ。寺山修司もけっこう不健全な内容だと思いますが、おもしろさを感じます。そういう不健全さが自分を救ってくれました。幾つになっても不健全でいられる文芸ってあまりないと思うんです。それは定型が救ってくれていると思うんです。定型が饒舌を許さない。不健全は小説だと不健全すぎることになりますが、定型だと健やかさがありながら不健全でいられる」

この部分は対談をしていて私も強く印象に残ったところである。
私は川柳批評というものは川柳を活性化すべきものだと思っているから、川柳の現状に対してむやみに否定的言辞を弄することを好まない。だから柳本との対談においても「元気のでる前向きの発言」を期待していて、事前にそういうリクエストもしたのである。
ここでも柳本は「定型が饒舌を許さない」と言っている。「希望」も「勇気」も「不健全」もその根拠は「定型」にあるということだろうか。
川柳テクストに対する柳本の読みは、個々のテクストを読むだけではなくて「川柳」そのものの本質にまっすぐにつながってゆくところが特徴的である。作品論がそのまま川柳論に直結するのだ。独自の定型論として大きく実現するのが楽しみである。