2016年7月29日金曜日

今夜は連句の話をしよう

連句はふだん脚光を浴びる機会が少ないが、折にふれて顕在化してくることがある。
佐藤文香編『俳句を遊べ!』(小学館)に「打越マトリックス」というゲームが出てくる。俳句の取り合わせにおける二物の距離感を把握するための練習である。たとえば、「月」という語から連想する単語を「月」の周りに書いてゆく。「うさぎ」「夜」「団子」など、いろいろ出てくるだろう。次に今書いた単語からさらに思いつく言葉を二周目に書いてゆく。そうすると「月」→「うさぎ」→「耳」とか「月」→「夜」→「歌舞伎町」とか「月」→「団子」→「串」とかいうセットが出来てくるだろう。このとき「月」→「夜」→「星」とかいうように、元に戻ってしまってはいけないというのだ。
佐藤も述べているように、「打越」とは連句用語である。
打越→前句→付句という「三句の渡り」において付句は打越に戻ってはいけない。なぜなら「変化」こそ連句の生命線であるからだ。
佐藤がやろうとしていることは、連句の要諦を俳句一句の取り合わせに応用する技術である。

今年前半に上梓された本のうちで、注目すべき連句書が二冊ある。
鈴木漠『連句茶話』(編集工房ノア)と浅沼璞『俳句・連句REMIX』(東京四季出版)である。
最初に紹介した「打越」について、浅沼の本から改めて例示しよう。

 鞘走りしをやがて止めけり 北枝 (打越)
青淵に獺の飛び込む水の音  曽良 (前句)
 柴刈こかす峰の笹路    芭蕉 (付句)

「山中三吟」からの引用である。
北枝の句は、鞘の口がゆるくて刀がひとりでに抜けたのを即座に止めたということ。「やがて」は即座にという意味である。曽良の句は、青々とした淵にカワウソが飛び込む音を詠んでいる。鞘走った刀を止めた静寂感を破って獺が水に飛び込む音がしたのである。芭蕉の「古池や」の句を連想させる。次の芭蕉の句は、柴刈の人が険しい峰の笹路で転んだというのである。水の音とオーバーラップして地上で人が転ぶ音がするわけだ。
このような「三句の渡り」を一句の中で試みている例として浅沼は次の句を挙げている。

目には青葉    (打越)
山ほととぎす   (前句)
初鰹       (付句)

梅           (打越)
若菜          (前句)
まりこの宿のとろろ汁  (付句)

前者は山口素堂、後者は芭蕉の有名句である。
水平方向の「三句の渡り」を発句(俳句)の垂直方向に変換するとどうなるか、というのが浅沼の問題意識である。

俳句形式や連句形式で言葉と言葉の関係性をどう処理するか。ことは日本の詩歌に通底する問題であり、詩歌を「関係性の文学」ととらえたときに見えてくる光景なのだ。
そのような連俳史を読みやすいかたちで提供するのが鈴木漠の『連句茶話』である。
本書は雑誌「六甲」に連載された文章を主としている。「連句協会報」などにも転載されたから、連載時に読まれた方も多いことだろうが、こうして一書にまとめられると繰り返し読むことができて便利。
李賀や万葉集・後鳥羽院の連歌・宗祇・芭蕉・蕪村・子規・虚子などから現代連句まで、古今東西の付け合い文芸について肩の凝らない文章で語っているが、その内容は広範かつ深い。根底にあるのは「連句文芸が二十世紀のわずか百年の間に急速に衰退したのはなぜか」という問題意識である。
鈴木漠は詩人として著名であるが、連句人としても現代連句の牽引者のひとりである。連句集もすでに13冊を数える。川柳においても言えることだが、連句の世界で「詩性」というのは連句革新の契機となってきた。連句と詩との接触から新鮮な刺激が生まれるのだ。

浅沼璞の著書に戻ろう。
浅沼は西鶴の研究者として知られているが、本書に収録されている「昭和の西鶴、平成の西鶴」は高柳重信や平畑静塔の文章を引用しながら、高浜虚子と西鶴の句、攝津幸彦と西鶴の句を並べて見せる刺激的な論考である。私は浅沼の文章はおおかた雑誌で読んでいるつもりだが、これは読んだ覚えがなかった。初出を見ると「書き下ろし」ということだった。
浅沼璞は川柳誌とも交流がある。「発句の位/平句の位」(原題「それぞれの『潜在的意欲』」)は「バックストローク」4号に掲載されたものだし、「小池正博の場合」(原題「連句への顕在的意欲」)は「川柳木馬」110号に掲載されたものである。後者では次の二句が並べられていた。

切られたる夢は誠か蚤の跡      其角
昼寝から目覚めたときのかすり傷   正博

浅沼の眼力は恐るべきものだなと思う。

さて、鈴木漠や浅沼璞、あるいは別所真紀子などの少数の連句人の活躍は別として、連句に対する無理解・無関心はしばしば経験するところだ。
鈴木や浅沼の本にはともに書かれていることだが、高浜虚子が「連句論」(「ホトトギス」明治37年9月)で連句を称揚し、高浜年尾には雑誌「俳諧」で連句研究をさせ、阿波野青畝にも連句実作を命じたのに、連句がいまだにマイナーな文芸であり続けているのはなぜだろうと考えてしまう。
大阪では毎年10月に「浪速の芭蕉祭」という連句イベントを大阪天満宮で開催している。
今年は10月9日(日)に行われるが、これは連句の実作会である。翌日の10月10日(月・祝)に関連行事として「短詩型文学の集い」を計画している(たかつガーデン)。この日は連句実作ではなくて、各地の連句グループの雑誌や連句本を展示してみたい。あと、四ツ谷龍氏をゲストに迎えてお話を聞くことになっている。詳細は未定だが、連句に少しでも関心をもつ方があれば、その入り口のところを広げるイベントにしたいと思っている。

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