2023年5月26日金曜日

「外出」と「西瓜」、「楽園」

「外出」は2019年5月創刊。内山晶太・染野太朗・花山周子・平岡直子の四人による短歌同人誌である。最新号の九号を「文フリ東京36」で手に入れたので紹介する。

初燕とおく目に追う、人生は思い通りにいくものだから    染野太朗
一頭のキリンのスケールが屹立すキリン一頭が立つ空間に   花山周子
ニジマスが流しの横に置いてあるすべてのものがこわいと思う 平岡直子
いま寒きところは指のほかは腋、風に同調するこの服が    内山晶太

特集は内山晶太歌集『窓、その他』について染野・花岡・平岡の三人が座談会をおこなっている。『窓、其の他』の初版は2012年9月刊行だが、今年になって現代短歌クラッシックスの一冊として新装版が出版された。10年前を思い出しながら、同人で読み直したという。初版が発行されたあと、2013年3月に批評会が開催されていて、パネリストは大島史洋・島田幸典・染野太朗・平岡直子。10年経過しても読み継がれる歌集ということだろう。今回の座談会でも染野は次の歌について述べている。

たんぽぽの河原を胸にうつしとりしずかなる夜の自室をひらく 内山晶太

この歌について染野は認識や情景を語彙レベルで一般的でないものに異化する力があると言い、平岡は空間が自分の胸のうちにあるという感じだと述べている。
今号の裏表紙には若山牧水の次の文章が掲載されている。
「この正月ころからめつきり身體に出て来た酒精中毒のために旅行はおろか、町までへの外出をもようしなくなつた私にとつてこの松原と濱とは實にありがたい散歩場所であるのである。それも少し遠くまで歩くと動悸が打つので、自分の家に近いほんの僅かの部分を毎日飽くことなく、二度づつ歩いてゐるのである」(「鴉と正覚坊」)
なぜ牧水なのかと思ったら文中に「外出」という言葉があるのだった。牧水は日向の出身。柳田国男の「後狩詞記」で有名になった椎葉村に近い。『旅とふるさと』を読んだことがあるが、牧水の文章は妙な生々しさがあって印象的だ。
「猪狩にはいろいろ面白い形式が行われている。幾人か組んでゆくのであるが、その中の大将ともいうべきは勢子と呼んで、先ず陣地の手配りをする。それから一手に猟犬を使うというような役である。猪が取れれば組の多少に係わらずその頭だけはその勢子に分配される。それからその致命傷をあてた者が同じく片股一本、其の他の部分をば更に組々の人数で等分するのである」(「曇り日の座談」、『旅とふるさと』)

もう一冊、文フリ東京で手に入れたのは「西瓜」。こちらは第八号。

忘れてくれ あの世に半身残したまま街をゆく半透明のひと  楠誓英
命まで取ってください すごろくに駒ではなくて躰を置いた  鈴木晴香
暗闇にジントニックを灯らせてけふを葬る時間に座る     門脇篤史
糸を吐くときの苦しい表情を見守っている夜明けの繊月    曾根毅
鬼になれと先輩の言うその鬼は赤鬼ですか青鬼ですか     三田三郎
助けてとさんざん叫び終えたあとみたいなからっぽさ、安けさ とみいえひろこ
あのように見せたいという欲だけが ビタミン/冬至 星をつなぐね 染野太朗
手はまたも寒い胴体から垂れて朝の光を斬りつつ歩く      江戸雪

作品のほかに三田三郎の随筆「泥酔の経験は人間を謙虚にする」、鈴木晴香の小説「もも」など。読者投稿欄が充実していて、五首セットの連作が多数掲載されている。

最後に、『楽園』第二巻、湊合版から。

人もまた人体模型姫始         堀田季何
マネキンを抱へて春とすれ違ふ
微熱あり基地内部核保有国
ミサイルに雲雀と名づけ放ちやる
クローンの総理百体盆踊
西瓜とは私性を留めたる
叛逆はいつも初鶏刎ねてより

アイシャドウ童女のゆびに照りうらら  南雲ゆゆ
対面の他人も脚の蚊を打ちぬ      日比谷虚俊
東京にあるエモい電柱         日比谷虚俊

連句も掲載されていて、日比谷虚俊「猫撫記」、靜寿美子の「連句入門」など連句に触れた文章もある。

 籠のインコに名前教える   慶
一斉に月に傾くバスの客    也
 秋刀魚焦がして母はへらへら 日比谷虚俊

2023年5月19日金曜日

極私的文学フリマ今昔

大阪ではじめて文学フリマが開催されたのは2013年4月のことである。堺市産業振興センターが会場で、自宅から比較的近い場所だったのでどのようなイベントなのか見にいった。たくさんの出店者が駅から会場に向かってキャリーバッグを引いてゆく姿が見られ、自作の同人誌を発信・販売する若い人たちの存在が私にとってはカルチャー・ショックだった。
もうひとつ、刺激を受けたのは2014年7月に難波の「まちライブラリー」で開催された「大阪短歌チョップ」である。トークイベントや朗読イベント、歌会や競技かるたの体験などがタイムテーブルに従って会場のあちこちで開催される。特に興味深かったのは「ネットの短歌はどこへゆく?」というトークセッションで、出演者は田中ましろ、嶋田さくらこ、牛隆佑、虫武一俊などだった。このイベントは2017年2月に第二回が開催されている。
私も真似事をしてみたくなって、2015年5月に「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」を大阪・上本町で開催した。展示解説「雑誌で見る現代川柳史」、対談「川柳をどう配信するか」(ゲスト・天野慶)などで、8ブースの出店があり、来場者74名、懇親会にも34名の参加があった。川柳には人が集まらないと思っていたが、まずまずの成功であった。
文学フリマには2015年9月の第三回文フリ大阪から出店。このときは「川柳カード」の名でブースを開いた。
2016年には5月に「第二回現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」を開催。「句集でたどる現代川柳の歩み」(石田柊馬)、対談「短歌の虚構・川柳の虚構」(ゲスト・山田消児)。来場者71名、懇親会22名。以後このイベントは開催していない。9月に第四回文フリ大阪。11月に文フリ東京(このときは出店せず、入場のみ)。
2017年5月「川柳トーク・瀬戸夏子は川柳を荒らすな」を中野サンプラザで開催。翌日が文フリ東京。文フリの前日に東京で川柳句会やイベントを開催するパターンが多くなる。9月第五回文フリ大阪(このときの店名は「川柳サイド」)。堺市での開催はこの年で終わり、翌年から大阪市内のOMMビルに会場が変更される。
2018年には1月の文フリ京都、5月の文フリ東京、9月の文フリ大阪と三都で出店。1月の文フリ京都はみやこメッセで開催され、店名は「川柳スパイラル」。文フリの前日に京都で「川柳スパイラル創刊号合評句会」を開催した。ゲスト・清水かおり。5月の文フリ東京の前日には川柳スパイラル東京句会を実施。ゲスト、我妻俊樹・瀬戸夏子。
2019年は5月の文フリ東京、9月の文フリ大阪に出店。
2020年に入り、コロナ禍のため文フリが中止や制限開催となる。5月の文フリ東京には出店を申し込んでいたが開催中止になり、以後しばらく文フリには出店を控えることになった。2022年9月の文フリ大阪から「川柳スパイラル」の出店を再開。11月の文フリ東京にも参加した。2023年に入り1月の文フリ京都に出店。5月の文フリ東京にも出店する。
詩歌(短詩型)関係では短歌の文フリ参加が多く、俳句は少なく、川柳は皆無である。私のブースでは「川柳から唯一の出店」という自虐的メッセージを掲げていたが特にアピールできたということもなかった。川柳本の販売は文フリでは効率が悪く、川柳大会に持参して販売するのが一番良いという川柳出版社もある。最近になって、少数ではあるものの川柳関係のブースや委託販売で川柳のプリントを置くところも見られるようになってきたのは心強い。また、川柳だけではなく、連句の本も若干のニーズがあるようなので、「川柳スパイラル」のブースには「川柳と連句のお店」の表示をするようにしている。本を売るだけではなくて、来場者とお話する機会があるのも嬉しいことである。
今回は、文フリ前日の5月20日に「川柳スパイラル」東京句会(北とぴあ)、5月21日に文フリ東京に出店となるので、お時間ある方はお立ちよりいただきたい。

2023年5月13日土曜日

二つの詩型・現代詩と川柳

「現代詩手帖」5月号に第61回現代詩手帖賞の受賞作品が掲載されている。受賞者は芦川和樹(あしかわ・かずき)と水城鉄茶(みずき・てつさ)。
水城は1992年生まれ。2013年ごろから詩を書きはじめている。今回の受賞作「同じうたをうたう」から一部分を紹介する。

おまえは七五調で詩を書き始めた
かわいくて無残なスープ
階段から零れてくるビー玉の七色
大学ノートの罫線を守らなかった
ぼくはわたしたちになって尊い何かに引きずられ始める

定型とそこからはみ出す部分について触れているのだろうか。「おまえ」「ぼく」「わたしたち」の人称代名詞の使用にも微妙なニュアンスがある。詩の一部分だけ抜き出すのがよいかどうか分からないが、全体像は「現代詩手帖」をお読みいただきたい。
水城鉄茶は川柳も書いていて、「川柳スパイラル」に投句をはじめたのは12号(2021年7月)からだった。

みずうみがみずうみをひんやりとさく (12号)
まばらなる拍手のなかの禁錮刑    (13号)
猫耳に血が 暗転 金属の音     (14号)
キムタクの内部で月を焼いている   (15号)
サ終する時も別所にいてほしい    (16号)
シーマンのままで面接してしまう   (17号)

毎号いろいろな書き方を試みている。抒情的な句もあり、人間の暴力性への風刺、固有名詞やパソコンやゲームなどの現代的用語を用いるなど、多彩な書き方だ。水城は定型と現代詩という二つの形式をもつ表現者である。

3月18日に京都で開催された第2回らくだ忌川柳大会の発表誌が発行された。森茂俊の巻頭言「伝統川柳と現代川柳の融合」が好文章である。森は「伝統川柳」と「現代川柳」は対立せず、同居できるものと確信すると述べ、今回の「らくだ忌」の大会は「現代川柳はもちろん伝統川柳の良さも知る選者にも来ていただきたかった。そしてそれは実現した」と書いている。主催者側の大会開催意図がよくわかる文章である。
各題・天位の句から紹介しておく。

巨大蟹襲来近し野点かな     いなだ豆乃助(湊圭伍選)
くちびるはスワンボートの二周半 宮井いずみ(暮田真名選)
スナックの隅で宿題してました  高橋レニ(真島久美子選)
無い袖のあたりはきっと晴れている 大嶋都嗣子(八上桐子選)
虫下し飲んだらぶらりしませんか 榊陽子(新家完司選)
大阪城二つくらいの電気椅子   大嶋都嗣子(くんじろう選)

グローブジャングルジムは月の裏 真島凉

この句について、きゅういちのは次のように鑑賞している。
〈「グローブジャングルジム」から「月の裏」を兼題「二周半」で取るのは選者にはかなり勇気のいる作業ではなかったか?掲句にはどこかノスタルジーが漂う物語を思う〉
グローブジャングルジムは地球儀型の回転式ジャングルジム。「二周半」という題から回転・ジャングルジム・地球・月と連想を飛ばして一句をまとめている。非凡な発想だ。

葉ね文庫で手に入れたパスカの自由律俳句集『集金が来ない』から。パスカとはパステルカーテンということだろうか。良質の自由律作品だと思う。 

わざわざ選んだ日の風が強い  パスカ
暗い人の中では明るい方だと思っている
乗ってきた観光バスはどれだ
道は合っているが不安
知らない武将の弟の話をされている
前の人がレジで揉め出した
声だけが枯れている花屋
パンダの黒目が難しい

2023年5月6日土曜日

「ぱんたれい」3号

かねて発行を待ちかねていた「ぱんたれい」3号が届いた。三田三郎の川柳30句が掲載されている。

全日本喧嘩協会専務理事    三田三郎
甲は乙の罪を見逃すことにする
彗星です将来の夢は衝突です
ビギナーズラックで泣けた赤ん坊
流木を抱いて体重計に乗る

30句全部紹介したいところだが、5句だけにしておく。
「川柳スパイラル」17号の巻頭言で私は次のように書いている。
「近年一種の川柳ブームが起こったのには二つの流れがある。ひとつは歌人のなかに現代川柳の実作をはじめる人が現れたこと、もうひとつはSNSを通じて川柳が発信されるケースが増えたことである。即ち、短歌経由とネット経由で現代川柳の実作品が目に触れるようになってきたことになる」
「ぱんたれい」は短歌誌だが、現代川柳にも理解がある雑誌のひとつだ。三田三郎も笹川諒も川柳を書くが、今回の三田の「酸性雨」30句は本格的な川柳作品として通用するものになっている。誰でもたまたま成功した一句または数句の川柳を書いてしまう可能性がある。けれども30句そろえると、そこに作者の実力がはっきりと表われてくることになるからだ。
今回の三田の作品は30句通して退屈させない。政治用語、法廷用語、身体用語などのさまざまな言葉を使いながら作者独自の発想を打ち出している。「流木」は川柳ではよく用いられるが(「濁流は太古に発し流木の刑」河野春三)、三田は流木といっしょに体重計に乗ってしまった。諧謔はこの作者の持ち味であり、作品の川柳性もそこにある。
「ぱんたれい」3号には歌人のほかに佐藤文香の俳句も掲載されていて、短詩型文学への総合誌的な編集がうかがえて共感できる。川柳人では榊陽子が「界面ロマン」10句を寄稿している。

西暦に絶対服従しちゃいや(な)よ 榊陽子

「西暦に絶対服従しちゃいやよ」「西暦に絶対服従しちゃいなよ」という二重テクストなのだろう。川柳人は相反する二通りの発想をすることがある。一つの事象にたいして複数の物の見方をすることによって世界は相対化される。「右半身」と言えば「左半身」が連想されるし、「上層」を表現することによって逆に「下層」が言外に立ち現れてくる。けれども表現としては二つのうちどちらかを選んで断言しなければならないのだが、この句では二重テクストとして提示している。実験的な書き方だけれど、どちらかに断言するのが川柳本来の書き方とも言える。

同誌の特集1は歌集『鬼と踊る』『水の聖歌隊』を読む。本号の核となる部分だが、これは本誌をお読みいただくことにして、ここでは特集2「MITASASA注目の歌人 金川宏」について紹介しておきたい。金川の新作「午後からのこと」30首から。

猫の骨が透けてみえるようなひかりで組み立ててみる午後からのこと  金川宏
死んでからも木の葉のように吹き溜まる音譜よそんなに鳴らされたいか
我をぬげば梨の花が散る ああこれが最後の扉かもしれないね

三首目「我」には「セルフ」のルビが付いている。
金川は第一歌集『火の麒麟』(1983年)、第二歌集『天球図譜』(1988年)のあと作歌を中断。2018年に30年ぶりに第三歌集『揺れる水のカノン』(書肆侃侃房)を上梓した。三歌集からは笹川と三田が選んだ10首がそれぞれ掲載されている。

火を帯ぶる麒麟となりて黄昏へなだれゆかむを天涯の秋   『火の麒麟』
雪の夜の書庫へ返せばくらぐらとほのほあげゐむ天球図譜は 『天球図譜』
たづねきてひと夜舞へ舞へかたつむり雨を病む樹も風病む鳥も 『揺れる水のカノン』

笹川や三田が将来を嘱望されている若手歌人であるのに対して、金川宏は歌歴が長く、しかも中断をはさみながら再出発をしているから、短歌をめぐるさまざまな経験をしているはずだ。現実と言葉の関係について、金川は次のように書いている。
「現実世界と言葉の世界は、繋がり合うように見えながら、根本的なところで位相を異にするのではないか。言葉には言葉の世界がある。ましてや短歌という特殊な音律空間それ自体が、現実とは切り結びえないものではないのか、と。四十年という時を経ても、この葛藤は続いている」
私性や作品の背後にある作者の人間像が問われる短歌界のなかで強い葛藤があったことがうかがえる。そして金川は次のように言うのだ。「私にとって短歌とは、限られた存在のなかで許される唯一の遊戯と装飾、ものに喩えるなら楽器、それもどんな弾き方もできるポリフォニックな仮想された楽器」。
持続することは大変なエネルギーを必要とする。「午後からのこと」とは暗示的なタイトルだ。現在、第四歌集を準備中というから、それがどのような音を響かせるのか、楽しみに待ちたい。

あと、管見に入った歌集・川柳誌などを紹介しておく。
土井礼一郎歌集『義弟全史』(短歌研究社)は門外漢の私にもおもしろく読めた。

貝殻を拾えばそれですむものを考え中と答えてしまう
脱ぐ靴を並べる床に暗がりの娯楽がすでに始まっている
人間が口から花を吐くさまを見たいと言ってこんなとこまで
君のこと嫌いといえば君は問う ままごと、日本、みかんは好きか

川柳誌からも紹介しておこう。「What`s」4号から。

BBQひとりふたりと減っていく  浪越靖政
両足が底に着いたら教えてね    加藤久子
海中で海の話をしましょうか   妹尾凛
死んでしまった親とこのごろ和解する 佐藤みさ子
黙り続けてつまらぬ人になってきた 鈴木せつ子
できますか自分の水を替えること  高橋かづき
冷凍の虹はいつからあったのか   広瀬ちえみ

新家完司『良い川柳から学ぶ 秀句の条件』(新葉館出版)。「一読明快」とか「平明で深みのある句」とかいう伝統川柳の考え方をベースにしながら、そこから一歩抜け出す工夫について述べている。

無い筈はないひきだしを持ってこい 西田当百
メリケン粉つけても海老はまだ動く 高橋散二
外すたび的は小さくなってゆく   米山明日歌
りんごに生れてメロンになりたがる 田久保亜蘭
コサージュの位置がなかなか決まらない 安黒登貴枝
だれも見なかった桜も散りました  井上一筒
雑巾にされていきいきするタオル  くんじろう
物欲が極彩色になっている     鈴木かこ
カニカマと言われなければ解らない 森茂俊
はじまりもおわりも勾玉のかたち  八上桐子