「水脈」42号(2016年4月)に浪越靖政が「追悼・飯尾麻佐子」を書いていて、彼女が昨年7月に亡くなっていたことを知った。私は彼女に直接会ったことはないが、このすぐれた女性川柳人について書き留めておきたい。
北海道で発行されている「水脈」は、飯尾麻佐子の系譜を受け継ぐ川柳誌である。浪越は次のように書いている。
〈 「水脈」は麻佐子さんが昭和53年に創刊した「魚」、平成8年創刊の「あんぐる」を引き継いで、平成14年に創刊したもので、麻佐子さんの存在がなかったら、私たちの今の活動はない。 〉
飯尾麻佐子は1926年、北海道・根室市生まれ。のちに札幌市に移住、このころ川上三太郎が北海道に来ることがあって、三太郎に師事、「川柳研究社」幹事となる。その後「川柳ジャーナル」「川柳公論」「川柳とaの会」などで活躍した。
以前、「バックストローク」24号(2008年10月)で「女性川柳の可能性」という小特集を企画したことがあって、一戸涼子が「女性川柳を越えて―飯尾麻佐子と「魚」―」を書いている。一戸は「魚」創刊のことを次のように述べている。
〈 「魚」創刊は麻佐子五十代初めの頃だったと思われる。川上三太郎の言葉「女性川柳という空地を開拓せよ!しかもこの開拓はわれわれ男性がいくらやあろうと思ってもやれないことなのだ」を引用し「現在女性川柳の大半が男性の側によって評価され育成されている。このことは決して悪いとは思わないが、女でなければ心の深部の起伏までは、わかり得ないのは当然である」だから「自らの視点で女性川柳というものを考えてみたい」と書かれている。このテーゼは以降何回も言葉を変えて随所に表れることになる。 〉
現在では想像しにくいことだが、川柳が男性中心だったころの話であり、「男性の側によって評価され育成される」女性川柳のなかにあって、女性による川柳誌「魚」を立ち上げたことは、飯尾麻佐子の先駆性を示すものだ。
ちなみに川柳誌「魚」は昨年の「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」でも展示しておいた。
「魚」は若い女性川柳人に作品発表の場を与え、大きな刺激を与えた。
前掲の浪越靖政の文章に戻ると、「あんぐる」2号に麻佐子は次のような文章を書いている。
「自分の内部にひとつの世界がなければ、創作はできない」
「誰にも犯されない領域を持つことである。そのうえで、深層のイメージや時間・空間の影響などへ考えが進んでゆくことは、たのしいことである」
「やがて、死と生、愛と憎、部分と全体のように相対するものを、別々に見ないで、同時に二つのものを見る眼をもつことも大切になってくる」
「死というとき、同時にその対極の生を考えてみることが、内部世界の根底になければ、創作などできないのではないか」
「あんぐる」の頃には麻佐子は相模原市に移住していたが、やがて体調不良も重なり、「あんぐる」は16号で終刊する(2000年2月)。
飯尾麻佐子は明確な川柳観をもち、川柳発信への意志をもつ作家であった。
いま彼女の作品を読むとき、キーワードとなるのは「詩性」「女性」「北方性」「生と死」である。浪越の引用している句に何句か加えて10句抽出しておく。今ではもうこのような書き方をしなくなったところもあるだろうが、彼女の発信したメッセージは簡単に忘れ去られていいようなものではないと思っている。
空間を火の矢がよぎり みんな敵
北窓をひらく沙汰のあるごとく
夕ぐれの鴉一族 なまぐさし
もの書きの刃を研ぐ喉のうすあかり
弟のりんどう捜す 死後の原野
ふところに密告たまる 遠い韃靼
生きはぐれ楕円のなかに孵るもの
所在なく蛇の思想を売り歩く
北に鎌あり冬より早く捨てた耳
山頂を食べのこしたりマリンブルー
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