2018年2月2日金曜日

村井見也子の川柳

1月28日、京都の「川柳 凜」の句会に出席した。
京都の川柳界はけっこう複雑で、1978年に「平安」が解散したあと、「新京都」「都大路」「京かがみ」が生まれた。さらに、「新京都」が終刊したあと、生まれた結社のひとつが「凜」である。「凜」を創立した村井見也子(むらい・みやこ)がこの1月に亡くなり、追悼の気持ちもあって「凜」の句会に参加したのである。

神の手にいつかは返す飯茶碗   村井見也子

村井見也子のよく知られている句である。
村井は1930年生まれ。結婚して京都に住むようになり、1970年に北川絢一郎に師事して川柳をはじめた。平安川柳社同人、新京都創立同人をへて、絢一郎の死後「凜」を創立。
村井の句を読む機会は少ないと思われるので、句集『薄日』(1991年)から、少し多めに抜き出しておきたい。

まぼろしと逢える切符が今ここに
信じたくなって篠つく雨を出る
弱気へのいたわりなのか朝の虹
春の雪ポストに胸の火を落す
まだ刑の終らぬ足袋を干している
いくつ訃に出会う厨の薄明り
ほつほつと火の立つ骨を拾うべし
降る雪の一色ならぬけもの道
たかが一生花を降らせて討たれよう
仰ぐ塔があって三年五年待つ
介錯はだれであろうと双乳房
不覚にも朝の枕に生き残る
爪を切る音よけものが目を覚ます
掌の蛍匂う危うい刻がくる
樹に凭れるやさしい緑ではないか
一冊の辞書をときどき敵にして
雨の日もしずかに爪が伸びてくる
父系母系の何を見たくて指めがね
低唱やうろこ一枚ずつ落す
償いは終った絵ろうそくの芯
卒塔婆一枚わが身の軽さではないか
春愁のとうふ一丁身に余る
男から見えぬところで煮こぼれる
滅ぶもの美しければ沖へ出る

新潮増刊の『短歌・俳句・川柳101年』(1993年)の1991年の欄に『薄日』が収録されていて、ちなみにこの年の短歌が加藤治郎の『マイ・ロマンサー』、俳句が江里昭彦の『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』になっている。川柳を担当している大西泰世は村井についてこんなふうに解説している。
「『京女』と呼ぶのにふさわしい、物腰やわらかな村井見也子が詠む句材は、日常生活の中で日々必要とするもの、たとえば〈足袋〉〈傘〉であり、〈鍋〉〈箸〉〈飯茶碗〉というような、あまりにも生活に密着しすぎて、ともすれば俗に落ちやすい可能性の高いものも多い」
「しかし、それらの素材も見也子の手にかかると、一見、はかなげな表面をたたえながら、ふっと息を吹きかければ、たちまち立ち上がってくる炎を隠し持つ燠のように芯で燃え続けている一句として屹立する」

私はベタな日常詠は好まないので、「傘」「鍋」「箸」などの句は引用していない。また、「情念川柳」という言い方も好きではないが、一時期、川柳界で「情念川柳」という言葉が流行ったことがある。村井もまた「情念の見也子」という受け止め方をされている。
前掲の引用に続いて『101年』では次のように書かれている。

「考えてみれば、〈箸〉や〈飯茶碗〉のように、毎日使うものであるからこそ、愛憎を手でなぞりながら、思いを連綿と持続させることが出来るのだろう。声高に「わたくし」を叫ぶことなく、あくまでもしんしんとうたう、〈情念の見也子〉と言われるゆえんである」

「もの」と「こころ」の関係。〈情念〉と言ってしまえば、女性川柳を一面的にとらえることになってしまうが、見也子の作品は現代の眼から見て乗り越えなければならない部分を含みつつ、時実新子とは少し異なった方向性をもっているように思う。

2017年になって見也子の第二句集『月見草の沖』(あざみエージェント)が上梓された。

雨期に入る京の仏は伏し目がち
歌声をだんだん高くして泣いた
そうだまだ人形になる手があった
月見草の沖へ捧げるわが挽歌
人よりも先に笑っていくじなし
少し猫背になってやがてに近くいる
鶴になる紙を急がせてはならぬ
もの言わぬ爪から順に切ってゆく
あと少し見せていただく紙芝居
食べて寝てこわいところへ降りてゆく

現在、「凜」の発行人をつとめている桑原伸吉は、この句集が出たときに、「見也子さんの最初の句集は、平成三年に女性として意味深い内容の『薄日』があり、今は亡き定金冬二さんの序文の中に『自分に対して厳しいものを持っている。だからこそ『女ごころ』が生き生きと息をしているのであろう。』とある。作品構成の用語の一つ一つに細心の注意が払われていて、しかも定型を順守それが作者のポリシーと思う」と述べたあと、「あれから二十六年、『川柳人としての区切りという意味での上梓』と作者はおっしゃるが、同じ道を来た者にとっては言葉がない」「『月見草の沖』はやはり見也子川柳、前述の如く何かを伝えようとする一語一語に意味性があって、見事な自己表現がなされている」と書いている(「凜」70号、2017年夏)
『薄日』の世界が乗り越えられたのかどうかはともかく、生前に第二句集が出たことはよかったと思う。
「凜」は今年4月22日に「20年記念のつどい」を開催するという。創刊10年の大会のときには墨作二郎が記念講演をおこなった。自分に対して厳しかったという村井見也子の姿勢を反映してか、「凜」は対外的なアピールについては控えめである。「20年記念のつどい」が盛会となるように祈念している。

哀しいときは哀しいように背を伸ばす   村井見也子

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