2018年6月2日土曜日

松山と「せんりゅうぐるーぷGOKEN」

松山へは二度行ったことがある。
今年の4月29日、松山で開催された「えひめ俵口全国連句大会」に出席した。
前日の28日に松山入りをして、まず子規庵へ。子規が勉強していた部屋が復原してある。境内に展示してある坊ちゃん列車(伊予鉄道の車体)の座席にもしばし座ってみた。
路面電車に乗って道後温泉へ。ホテルにチェック・インしたあと散策。道後温泉の本館が満員で入れなかったので、新しくオープンした飛鳥の湯の方へ回った。本館の方は昨年入ったので、まあいいか。あと、一遍上人の誕生の地といわれる宝厳寺に行ってみた。時宗の開祖・一遍はこの地の豪族・河野氏の一族である。道後公園内の武家屋敷には武士たちが連歌をしている場面が人形で展示されていて興味深かった。
翌日の朝は早起きして、石手寺に行ってみた。弘法大師ゆかりの霊場である。三重の塔をはじめ立派な建物群である。密教が土俗的なものと結びついている感じがした。マントラ洞窟というのがあり、洞窟に少し入りかけたが、何やら気おくれがして途中で引き返した。中まで入っていけば再生した自分と出会えたかもしれないが、私はまだそういう段階に達していないのだろう。
連句大会は「子規記念博物館」で開催。10分ほど講評の時間をいただいたので、川柳と連句の選について述べながら、類想句について話す。
大会が終わったあと、ちょうど道後公園でイベントがあって、田中泯が樹々の間で踊っていた。

松山の川柳グループが発行している「GOKEN」100号(6月1日発行)を送っていただいた。代表・原田否可立、編集・井上せい子。
原田否可立は1998年に中野千秋らと「せんりゅうぐるーぷGOKEN」を創立。創立時の代表は中野で、編集事務は野口三代子が担当した。代表はのちに原田が引き継いだ。
100号の掲載作品から。

心の中に入って時間にあやつられる   原田否可立
かぎ括弧のなかうやむやのまま五年   村山浩吉
ニーチェニーチェにんふのにがしかた  中西軒わ
緑陰のそうめん流し島流し       井上せい子
欺かれたようねレンゲキンポウゲ    高橋こう子
わたくしの知らぬ私が地下二階     中野千秋
朧月なにかに耐えているような     吉松澄子
五枚目のパンツを脱いでいるレタス   榊陽子

「川柳木馬」111号(2007年1月)の「作家群像」は原田否可立を取り上げている。
「作者のことば」で原田はこんなふうに言っている。
「作品と作者の間に正解があって、それを言い当てるのが分かることである、という脅迫から解放され、正解は作品と読者の間に無数にある、という自由を手に入れよう」
「木馬」掲載の原田否可立作品からも何句か抜き出しておこう。

月食の胃液を泳ぐ泥人形        原田否可立
蟹の背に安心という傷がある
虫絶えて記憶の中の天動説
脱ぎ捨てて下着の中の天秤座
天上天下土筆が袴つけている
涅槃雪悪い奴ほど季重なり
ハイドよりわがままなピッチャーゴロ
サムライだってね キスは怖くないかい
恋は一次産品二元論三段論法
非詩よ詩よ渡部可奈子から逃げる

このときの作品論は中川一と石部明が書いている。
原田の句の中に渡部可奈子の名が出てくるのは興味深い。可奈子は松山の川柳人で、のちに短歌に移った。
付け加えて言えば、前田伍健(まえだ・ごけん)は高松生まれだが、幼児松山に移住。伊予鉄道の社員で、川柳人として活躍した。野球拳の元祖としても知られている。あと、松山には山本耕一路という詩人がいて、詩性のある川柳を書いていたが、川柳界から離れていった。
俳都と言われる松山であるが、松山には川柳と向き合っている人たちもいるのだ。

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