2012年6月22日金曜日

夢の操縦法

サン=ドニ侯爵の『夢の操縦法』(立木鷹志訳・国書刊行会)が出版された。
エルヴェ・ド・サン=ドニ侯爵といえば、澁澤龍彦の『悪魔のいる文学史』にも登場するし、アンドレ・ブルトンの『通底器』の冒頭でも取り上げられている。夢の研究ではフロイトの『夢判断』やハヴロック・エリスの『夢の世界』が有名だが、エリスもフロイトもサン=ドニのこの本を探し求めたけれども、ついに実物を目にすることができなかったのである。それがいま日本語で読める。
サン=ドニは見た夢を自由自在に記憶することができたという。
「ある日、(私は十四歳だったが)、生き生きとした印象の特別な夢を素早く記録したらどうかという考えが浮かんだ。面白そうだったので、すぐに専用のノートをつくり、そこに夢の光景や形象を、それがどんな状況でもたらされたのかという説明と一緒に描いたのだった」
「思考のない覚醒がないように、夢のない眠りはないという考えが少しずつ信念となったのである。と同時に、私は、習慣の影響を受けながら、もっと深くまで観察する能力、睡眠のさなかで自分を意識し、夢の中で覚醒時のように配慮する能力、したがって、必要ならば流れに身を任せながら、それを記憶しつつ夢を見続ける能力が、私の中に生まれたのがわかったのである」

ハヴロック・エリスによれば、夢に関する著述の方法は次の四つに分かれる。
1 文献的方法
2 臨床的方法
3 実験的方法
4 内部観察的方法
『夢の操縦法』は内部観察的方法に属するだろうが、実験的方法も一部入っている。「夢日記」というやり方は日本でも明恵上人の『夢記』がよく知られており、河合隼雄は『明恵・夢を生きる』を書いている。

本書の解説からサン=ドニの主張する夢の原理をまとめておこう。

原理1 夢のない眠りはない。
原理2 夢のあらゆる像は、現実の生活の中から集められた記憶の陰画紙から生まれる。言い換えれば、われわれはかつて見たことのあるものしか夢に見ない。
原理3 眠りの中で考えよ、それが夢となって現れる。

サン=ドニの「明晰夢」の一例として「乗馬の夢」がある。
ある天気のよい日に彼は馬に乗って散策していた。彼は自分が夢を見ているのが分かり、夢の中で思い浮かんだ行為を思い通りに実行できるかどうか知りたいと思った。この馬は幻覚であり、風景も幻覚にすぎない。自分の意志でこの夢を作り出したのではないが、少なくとも意識的に操作できるという感じがあった。軽く駆けたいと思うと馬は駆け、止まりたいと思うと止まった。目の前に二手に分かれる道があらわれた。右に行けば森、左にゆけば城館だが、左に進んだ。目が覚めたときに何がこの夢の原因だったのかが分かるように城館の細かい構造を覚えておこうと思ったからだ。…
このような感じで夢が続き、突然目が覚めたという。本当かなという気もするが、まさに夢の操縦なのであろう。
近ごろレム睡眠・ノンレム睡眠という用語を耳にするが、明晰夢は睡眠のどの次元に当るのだろう。

畏友・島一木はよく「夢中作」ということを言っていた。
夢の中で俳句を作るというのである。
友人たちはあまり彼の言うことを信じなかった。「それって本当は目が覚めて作ってるんじゃないの?」というわけだ。
本書でも「君は眠っているのではないのだ。君の語る奇妙な眠りは、本当の眠りではないのだ」という反論が侯爵に向けられている。
夢の中で句を作る、目が覚めると作品ができている。うまい話のようだが、それにはトレー二ングを必要とする。
本書の終章で、著者は「眠りの幻想を支配するに至るための基本的な三条件」をまとめている。
1 眠っているときに、眠っている意識をもつこと。これは、夢の日記をつけるだけで、かなり短期間で習慣となる。
2 ある感覚を思い出して一定の記憶と結びつけること。睡眠中にこの感覚が現れたとき、われわれが結びつけた思考=夢を夢の中に導入するためである。
3 したがって、思考=夢が、夢の舞台をつくり、思考の原則に基づいて展開してゆくように(夢を見ていることを知るのに欠かせない)意志を働かせるとき、それが夢を操縦するということである。

夢と正面からとりくんだ川柳人は寡聞にして知らないが、無意識の世界に対してならば一時期の山村祐が関心をもっていたようだ。
「詩はなるべく説明をさけて、作者の思いを感じとらせようとする表現である。どんなに説明や描写を繰り返しても、それだけでは伝え切れない思いの、微妙なニュアンスを、詩の表現はかなり果たしてくれる。意識と無意識の世界は、心理学者が説くように、互いにせめぎ合いながら精神のバランスを保っているのであるならば、意識の世界のみを表面から撫でまわして、写しとるだけでは、人間の思いを深く、正確に表現することは不可能である」
「シュールレアリズムは二十世紀の絵画や詩の性格を一変させたと言われている。ウィーンの医者フロイトが無意識の世界へメスを入れてから、その自由連想による深層心理への探検の方法を詩も採り入れて、自動記述法が開発された。新フロイト派やユングの学説などの展開もあって、シュールレアリズムも変貌していったが、しかし無意識の世界の働きを考えないでは、もはや現代の詩は語れないという言い方は許されるであろう」
(『新・川柳への招待』)
山村は「詩」という言い方をしているが、彼にとって現代川柳は詩の一分野だったから、文中の「詩」はそのまま「現代川柳」に当てはまる。

次に挙げるのは夢に関する実験のひとつ。
サン=ドニの友人に「眠りの最初の段階で夢を見たことはない」と断言する男がいた。寝てからすぐに起こしてみたが、彼はどんな夢もみなかったと自信をもって主張した。ある晩、侯爵は彼が眠ってからベッドに忍び寄り小声で「捧げ銃、構え」と命令してから、静かに彼を起こした。
「ねえ君、今も夢を見なかった?」
「うん、何も見なかった」
「もう一度思い出してみて」
「どう考えてもぐっすりと眠ったとしか思えないね」
「本当に…兵隊とか見なかった?」
「そうだ。思い出したよ。閲兵式に参加した夢を見た。でも、どうして分ったの?」

切られたる夢はまことか蚤のあと  其角

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