2013年5月31日金曜日

煙の方がぼくなんだ―海堀酔月の川柳

ウェブマガジン「週刊俳句」のウラハイに毎週掲載されている樋口由紀子の「金曜日の川柳」は、川柳作品を広く一般読者に紹介する役割を果たしている。相子智恵の「月曜日の一句」とともにすでに連載100回を越えたが、そこに関悦史の「水曜日の一句」が加わり鼎立の構えである。先週の5月24日(金)には次の句が掲載された。

骨は拾うな 煙の方がぼくなんだ     海堀酔月

海堀酔月(かいぼり・すいげつ)は堺市の川柳人で、「堺番傘」「点鐘の会」「川柳公論」「せめんだる」などに作品を発表していた。私が酔月と出会ったのは平成10年ごろの「点鐘の会」の勉強会であるが、墨作二郎を中心に海堀酔月・高橋古啓などが参加し、福田弘が川柳誌「宇宙船」を毎月発行していた。当時、酔月はすでに80歳を越えていたが、若々しく艶のある作品を書いていた。
酔月には句集が2冊あるが、第一句集『点鐘叢書3海堀酔月集』(平成3年4月)から引用してみよう。

寝ころぶと地球の丸いのが解る
孔雀の尻尾を哀れだと思いませんか
点滴終わる 九千三百十二滴
軍隊語を膝関節に移植する
花屋が花に水をやるのは資本主義
引火性の強いおもちゃが好きなんです

「寝ころぶと」はこの句集を代表する作品。また「点滴終わる」の句は、「九千三百十二滴」を本当に数えたのかと思わせるような虚と実の説得力がある作品である。どの句からも、伝統の骨法を踏まえた上での批評性がうかがえる。しかし、酔月の本領が全開して発揮されたのが第二句集『両忘』(平成15年)である。
この句集は川柳誌に発表された句を集めた「木彫りの熊」と句会吟を集めた「紙の船」の二部に分かれている。それに尾藤三柳の「序」と中田たつおの「エッセイ」、墨作二郎の「跋」が付いている。まず「木彫りの熊」から紹介する。

切腹は止めて風船売りになる
平和売りが通ったあとに水を撒く

硬直した義理の世界のモラルに殉じて死ぬよりは風船売りになって気ままに生きよう。時代劇や世話物の一場面のような情景が思い浮かぶ。
「売る」というのは両義的な言葉である。「風船売り」には自由のイメージがあったが、「平和売り」には逆に硬直した平和論者のイメージがある。デモが通ったあとの埃のたつ道に静かに水を撒いている人がいる。すでに第一句集で「花屋が花に水をやるのは資本主義」と喝破していた酔月にとって現実を見る目は複眼的である。酔月が戦争を賛美などしていないことは、後ほど引用する句から明らかである。

ほんとうは泳げるんです豆腐

かつて豆腐屋で売っていた豆腐は広々とした豆腐桶の中でゆったりと買われるときを待っていた。いまスーパーで売られている豆腐は最初から四角いパックの中に閉じ込められていて、身動きすることすらできない。そんな豆腐が台所の水洗い槽の中をゆっくりと泳ぎはじめたらどうだろう。酔月作品の中で私にとってはベストワンの作品である。

ちょっと貸した耳が汚れて戻ってくる
雲を一つ買って交際費でおとす
言わなかったけど蝶に噛まれたことがある

本当か嘘かわからないところで酔月は句を書いている。また、つぎのような恋句も散見するのは人生経験が豊かなのだろう。

何も言わず一緒に雨に濡れてやる
大阪湾でとれた人魚と巣を作る

酔月には戦争体験があるから戦争に対する批評性がうかがえる句も多い。

思いおもいにつけるセンソーの歯型
日本が負けたと広東語で言える
大きな咳したらセンソーがとび出した

そして、句集の中で目につくのは「言葉」や「句を書くこと」自体をモティーフにした作品が多いことである。酔月は言葉に対しても意識的な川柳人であった。

嘘の境界線を探しているんです
釣り針の先にロジックをつける
上五下五の死体を蟻が運んでゆく
定型だと言い張る取れかかった釦
あいまいな心を煮込むオノマトペ
やわらかい鉛筆 自己完結はあと回し
メタファーを一切れ改札を抜ける

次に挙げるのは句会吟「紙の船」の章からであるが、尾藤三柳と墨作二郎がともに解説で指摘しているように、雑詠作品と句会作品にはまったく質的な差が見られない。

めくっても余白慌てることはない
こんどの雨で絵本の花が咲くだろう
またお前かと言って神様が消える
走らねば遅れる 走ったら転ぶ
くちづけや北斗七星至近距離
人形の首埋めようか植えようか

『両忘』のあとがきで酔月は次のように書いている。

「川柳は魔物です。掴んだと思えば消え、消えたと思ったら、またゆらゆらと現れる。過去の作品を掘り起こしてみても、納得できるものは少なく、溜息をつくことが多い。然し川柳の旅を続ける限りゴングが鳴るまで、『これからの川柳』に挑戦してみたいと思っている」

酔月の作品にはゆったりとした批評性があり、高齢の作品にもかかわらず「艶」があった。ユーモア・ペーソス・アイロニーと呼ぶのはたやすいが、平明の中にそれを実現するのは困難なことである。酔月がよく言っていたのは「伝統系の川柳人は岸本水府の権威を言うが、本当に水府の作品を読んでいるのか。自分は確かに水府を読んでいる」ということだった。
句集名の「両忘」とは「禅語の一つで、生と死、有と無の両方を忘れ尽くすことで、精神的自由が得られるという教えだと、受け取っている。近頃忘れ上手になったわたしには、『悟る』ということより、『忘れる』ということのほうが、身に合った解脱方法かも知れないと共感している」(あとがき)
この4年後の2007年に酔月は死去。豊饒な晩年だったと言えるだろう。

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