2013年9月21日土曜日

野沢省悟評論集『冨二という壁』

野沢省悟の第二評論集『冨二という壁』(青森県文芸双書2)が刊行された。
近代・現代川柳史の中で中村冨二の存在は重要であったし、現在の時点でその存在感はますます大きなものになりつつある。このタイトルを選んだところに野沢省悟の川柳観がうかがわれる。
巻頭に収録されている評論が「田中五呂八の挫折」である。「現代川柳をどうとらえるか」という点で、野沢は「新川柳とネオ新川柳」という川柳史観を披露する。「ネオ新川柳」というとらえ方は、第一評論集『極北の天』(あおもり選書14、1996年)に収録されている「『ネオ新川柳』という考えについて」を踏襲している。野沢によれば、明治期に興ったものを「新川柳」、それ以前のものを「古川柳」、井上剣花坊の「大正川柳」以降の新興川柳から後の革新川柳に至る流れを「ネオ新川柳」と呼び、「新川柳」と「ネオ新川柳」の両者を混在させているのが「現代川柳」だと言うのである。
野沢のいう「ネオ新川柳」は、従来の呼び方による「新興川柳」と「革新川柳」を含んだものになるが、なぜことさらに呼びかえなくてはならないのだろうか。私は「新興川柳」には愛着があり、「新興川柳」の呼び方によって「新興俳句」「新興短歌」と同時代を共有する文学史的地平が開けると考えている。河野春三の川柳史観では「新興川柳」は「現代川柳」のルーツとなるが、その際の「現代」という語にはある種のバイアスがかかっている。即ち、「現代川柳」は「革新川柳」という意味になる。これを嫌った「伝統川柳」側からは、「革新川柳」がなぜ「現代川柳」を僭称するのかという抗議が起こるのは理由のないことではない。「現代川柳」と「現代の川柳」とを区別して、「現代の川柳」の中に「現代川柳(革新川柳)」と「伝統川柳」があるという言い方がされたこともあるが、それも用語の区別としてはすっきりしない。
野沢はこのような用語の混乱を避けるために、「ネオ新川柳」を提唱するに至ったのだろう。ただし、「ネオ」は「新」という意味だから「ネオ新川柳」という言い方にもすっきりしない点が残る。
では、「ネオ新川柳」というとらえ方をすることによって、どのような新しい光景が開けてくるかというと、「新川柳」と「ネオ新川柳」の区別をはっきりさせ、現代川柳がこの両者を混在させている状況を明確に把握することができるのである。野沢は次のような区別を立てている。

〈新川柳〉
①古川柳の延長であり通俗的な現在の反映
②他律的な没個性詩
③思想を必要としない
④創造の苦しみを要しない
⑤量的横の広がり
⑥社会生活の皮相的、通俗的表現
⑦発表の場を句会、大会に求める
〈ネオ新川柳〉
①古川柳の現代的開放であり、短詩創造
②自律的な個性詩
③思想を必要とする
④創造の苦しみと同時に開放感と喜び
⑤成長する縦の深さ
⑥先駆的短詩
⑦発表の場を個対個に求める

以上の区別は田中五呂八の新興川柳論に基づいているが、五呂八は「題詠」に否定的だった。彼は題詠によって没個性的で遊戯的な作品が生まれると考えた。けれども、題詠を否定し、個性的な川柳詩の創作を目指した五呂八も、やがて作品の類型化・行き詰まりという事態に直面する。野沢のいう「五呂八の挫折」である。
この挫折の原因について、既成川柳が題詠という表現手段をもっていたのに対して、新興川柳がそれにかわる表現手段をもたず、机上の作品・頭の中で製作する作品から脱皮できなかったためだと野沢は言う。

「机上の作品、頭の中でこねくり廻す作品から、どのような手段で脱皮するか、僕は一つの主張を持っている。それは題詠という『言葉』を足がかりとせず、『もの』を川柳創作の足がかり、手段にすべきだと言うことである」

これを具体的に述べているのが「『観生』という方法論」である。
まず野沢は、川柳の基本は「知」であるという。人間の頭の中の世界はすばらしいものだが、「ものを観ること」によって観念や概念が取り払われ、新たなものや真実が見えてくるようになる、と野沢は述べている。

「ふきのとうが咲いている。やわらかな緑色が鮮やかである。このふきのとうは僕だけが観ているふきのとうであって、他の人がこのふきのとうを観た場合、僕が観ているふきのとうとは微妙に違っているはずである。また僕が今観ているふきのとうと明日見るふきのとうはかなり違っているはずである。ふきのとうも変化しているし僕もまた変化している。『ものを観る』ということは、そのものと一瞬の対峙をすることであり、その瞬間はもう二度と存在しないのである。このような覚悟でものを観た場合、ものは単なるものではなく、僕と同時に存在する世界の一部であり、そして僕自身の一部となるのである」

野沢の言う「観生」という造語はどれだけ受け入れられるだろうか。新興川柳期に木村半文銭が唱えた「想像的直観」や斎藤茂吉の「実相観入」とどう違うのか。また、俳句の写生とはどう違うのか。川柳が「知」であることと「観る」ということとはどのように関連するのか。俳句の「写生」に対して川柳的写生を「観生」と呼んだのだろうか。さまざまな疑問が湧いてくる。
「もの」を課題とした句会について、「雪灯の会」での具体的なやり方が報告されている。
①課題は「もの」とする。たとえば「じゃがいも(ぶっきらぼうにじゃがいも三個転がって)」
②作句時間は30分
③出句は2句から3句
④出句されたものを無記名清記の上、参加者各人持ち点3点程度で点数を入れ合評する。

以上見てきたように野沢省悟は独自の川柳論を提示している。確固とした川柳史観や方法論を持った川柳人は少ないから、野沢のような存在は貴重である。野沢とは川柳史のとらえ方について考え方の違うところもあるが、本書は現代川柳について改めて考える契機となった。
肝心の中村冨二論については触れることができなかった。

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