2013年12月13日金曜日

チャバネゴキブリのチャコ―山田ゆみ葉の川柳

「川柳カード」4号が11月末に発行された。昨年の同時期に創刊されてから一年が経過。巻頭言で樋口由紀子は歌人・笹井宏之の『八月のフルート』を紹介し、同歌集を出した書肆侃侃房による新鋭短歌シリーズについて触れている。このシリーズはあちこちで取り上げられていて、若手歌人たちの作品を短詩型文学の読者に届ける役割を果たしている。
「新鋭短歌シリーズのような叢書を川柳でも生みだしていけないだろうか」と樋口は言うが、そのような企画を実現することは来年に向けての夢だろう。

4号は9月28日に大阪・上本町で開催された「第2回川柳カード」大会の発表誌でもある。昨年の第1回大会にはゲストとして池田澄子を迎え、樋口由紀子との対談が好評であった。今回の佐藤文香と樋口との対談については、以前にこの時評(10月18日)でも紹介したことがある。

同人は23人。書こうとしている世界は一様ではなく、ポエジーもあれば社会批判もあり、各人が目指しているところは異なるが、現代川柳の多様な書き方が見てとれる。
特集「女性川柳人が読む女性川柳作品」では樋口由紀子・清水かおり・広瀬ちえみの三人を、それぞれ山田ゆみ葉・山下和代・酒井かがりが論じている。

12月8日、本号の合評会が開催され、同人・会員13人が集まって、掲載作品について話し合った。同人誌を出せば合評会を開催するのは当然だろうが、回数を重ねるごとに参加者も合評ということに慣れてきたようだ。
同人・会員作品に連作が増えてきている。選者の選を受ける場合は10句の構成を考えて出句しても、選句によってズタズタになってしまうことがあるが、本誌の同人作品のように10句そのまま掲載される場合には、作者の意図が伝わりやすい並べ方をすることが可能だ。そんなこともあって連作が増えてくるのだろうが、成功する場合もあり、それほど成功していない場合もある。連作といっても読者の印象に残るのはそのうちの1~2句なので、単独作10句を並べた方が読者の印象に残る屹立した句になることもある。
連作には様々なものがあって、同一単語を用いた連作、同一文体を用いた連作、同一素材や同一テーマを用いた連作などが考えられる。
俳句における連作は日野草城の「ミヤコホテル」や富澤赤黄男の「ランプ」などが有名である。いま活躍している俳人の中では関悦史の句集『六十億本の回転する曲がった棒』などが思い浮かぶ。
それでは川柳の連作はどのようなものであろうか。
『現代川柳ハンドブック』(雄山閣)の「連作」の項には次のように書かれている。
「連作形式というのは、複数作品による一テーマの多面的追及、もしくは一テーマによる連続作詠であり、それぞれの単句が独立した内容をもっている。独立句としての一句一章が、同時に行間をへだてて響き合い、交感し合って、全体的なハーモニーを奏でつつ、ひとつの作品世界を展開するのが連作表現である。連作は明治の新川柳以後試みられるようになった。ただし短歌、俳句のそれとはおのずから性格を異にしている。作品間の有機的なつながり、並列効果による内容補完という表現形式としての性格は、川柳においては希薄であり、同テーマに寄り添った独立句の一群を連作と称する場合が多い」

ここでは連作の例として、鶴彬の「蟻食い」(昭和12年)を挙げておく。

正直に働く蟻を食うけもの
蟻たべた腹のへるまで寝るいびき
蟻食いの糞殺された蟻ばかり
蟻の巣を掘る蟻食いの爪とがれ
やがて墓穴となる蟻の巣を掘る蟻食い
巣に籠る蟻にたくわえ尽きてくる
たべものが尽き穴を押し出る蟻の牙
どうせ死ぬ蟻で格闘に身を賭ける
蟻食いを噛み殺したまま死んだ蟻

「川柳カード」4号に話を戻そう。本号には連作が何篇かあるが、山田ゆみ葉の「平成の少国民」を取り上げて見たい。

かつてチャコも立派な妲己だったのに
悪い予感を引き寄せチャコはまだ茶バネ
紅衛兵なま温かい水を吐く
紅衛兵もチャコもしゃらしゃら硫酸紙
わにーんわにーんと出動すれば鉤十字
ヒトラーユーゲントの脛毛にチャコはすがりつく
入り組んだ輪ゴムで動く少国民
少国民もチャコも鍵盤のうす黄色
くぐもったチャコの熾火の息遣い
1ミリの時空のズレを掴むチャコ

2句目で「チャコはまだ茶バネ」と言っているから、チャコはチャバネゴキブリなのだろう。チャコは時空を越えて飛びまわる。一種の「狂言回し」の役割を果たしている。
妲己(だっき)は古代中国の悪女である。殷の紂王の妃だったから、権力者の傍らにはべっていたのだ。酒池肉林のエピソードなどで有名である。それが今はゴキブリとなって走り回っている。
チャコは時空を越えて文化大革命期の中国に現れる。紅衛兵の一団に混じっているのだ。「しゃらしゃら」「わにーんわにーん」というオノマトペが何とも言えず、意図的に読者の神経を逆なでする。
ハーケンクロイツと言えば、もちろんナチス・ドイツ。ここではチャコがヒトラーユーゲントの脛毛にぶらさがっている。
日本にもかつて少年少女が「少国民」と呼ばれた時代があった。小学校を国民学校と呼び変え、そこで学ぶ小学生を「少国民」と呼び、軍国主義日本の予備軍として教育した。
山中恒の『おれがあいつであいつがおれで』は大林宣彦監督の映画「転校生」の原作となったことで知られているが、その山中に『ボクラ少国民』シリーズがある。かつて国民学校で教育された山中は「少国民」とは何だったのかにこだわり問い直し続けている。少国民はヒトラーユーゲントをわが国に当てはめたものだとも言われる。
こうして見てくると、この連作はチャバネゴキブリというキャラクターを設定した「キャラクター川柳」なのである。
「キャラクター川柳」としては、これまで渡辺隆夫による「亀れおん」「ベランダマン」などがあった。渡辺の場合も強い諷刺精神がベースにあったが、今回の山田ゆみ葉も川柳の批評性をベースにしながら、チャコというトリックスターを創始したところが興味深い。批評性は単独では標語や見出しのようなものなってしまって、成功しないことが多い。山田は批評性とキャラクター川柳を結びつけることによって、新たな可能性を切り開いている。チャコは今後もさまざまな地域と時代に出没し続けることだろう。

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