2013年6月21日金曜日

失われた二十年をどう詠むか

短歌誌「かばん」6月号で編集人の飯島章友が川柳人・やすみりえと対談している。
飯島章友は短歌と並行して川柳も書いていて、「川柳カード」の同人でもある。やすみりえは昨年『50歳からはじめる俳句・川柳・短歌の教科書』(土屋書店、坊城俊樹・東直子と共著)を出して川柳の普及につとめている。
掲載されている参考資料のうち「やすみりえの好きな川柳五句」を紹介する。

悲しみはつながっているカーブする    徳永政二
こどもの日母の日 五月って嫌い     庄司登美子
うばうことうばわれることがかがやけり  大西泰世
三月に死ねたらしばらくは春ね      時実新子
くちびるの哀しいまでの記憶力      川上富湖

「川柳と俳句」「川柳と短歌」などについて対談が続くが、飯島の「川柳は五七五の形式こそ俳句と同じなんですが、実は短歌と親和性があるのではないか」という発言に対して、やすみは「そうですね。短歌をやっている友人からも川柳に対してそんな風に言ってもらうことが度々ありますよ。それは本当にうれしい意見です」と答えている。
このあたりが川柳人と歌人が交流する際の出発点だろう。「私性」の表出という点で短歌と川柳には確かに共通性があるが、「私性」をめぐる議論にはそれぞれのジャンルにおける経緯があるから、ここから先にどう対話を進めていくかが今後のテーマとなるだろうと思う。
飯島の問題意識がよく表れているのは、「川柳に若手がいない」「失われた二十年をどう詠む」などの部分である。飯島はこんなふうに発言している。

「罵倒されようが無視されようが、川柳人としては若い世代が、同人誌をどんどん出していかないと駄目かなと。そして偉い方々も、若い世代に『場』を作ってあげることくらいはしたほうがいいと思います」
「僕もやすみさんも第二次ベビーブーマー(昭和46年~昭和49年生まれ)です。ここがバブル以後の最初の世代なんじゃないかと思います。氷河期世代とも言いますよね。で、結社川柳界には第二次ベビーブーマー以降がほぼいません」

「失われた二十年をどう詠む」という飯島の問題意識は重要である。先行世代が今を詠んでも新聞の見出しみたいに見えてしまうと飯島はいう。今をとらえる実感が異なるのである。

4月20日に開催された「石部明追悼川柳大会」の記録誌が届いた。
石田柊馬の「石部明を語る」は当日の話の再録である。石田は映画の話からはじめている。
「若い頃に社会性川柳にあこがれていた私は、何事によらずリアリズムを大切なものとしていましたので、勧善懲悪のチャンバラ映画で、生白くて腰の据わらない青年俳優のふにゃふにゃのチャンバラが大嫌いでした」
ところが石部明は「白塗りの美青年でいいのだ、勧善懲悪の主人公は非現実、リアリズムから離れている方がいいのだ」という見方だったという。
「勧善懲悪だけの思想をチャンバラでつくることは、それなりに人間や世界を抽象化して善と悪とのストーリーを単純化することと、手法として白塗りの美剣士を造ることが必要でした。明さんはこれをよく認識していたから、白塗りの美青年でいいのだという見方をしていたのです。勧善懲悪のヒーローは非現実の存在でなければならないこと。リアリズムと勧善懲悪の思想とはズレルことを明さんは知っていたのでした」
このことから石田柊馬は「石部明の川柳は、常に、現実と造り物との関係をわきまえて書かれていたのでした」と結論する。石部明は「造り物と現実との違い、そのあいだ、距離、をよく知って居なければ、創作行為が虚しくなることを心得ている川柳人だった」というのである。石部明のことをもっともよく理解するひとりである柊馬の石部明論である。
追悼大会の際に、各選者が特選に選んだ句を挙げておく。

柴田夕起子選  三日月はガーゼを掛けてから握る   本多洋子
前田一石選   ひめやかに湾の崩れゆく真昼     内田真理子
松永千秋選   いつまでも山羊であなたはオルガンで 徳永政二
徳永政二選   遮断機の向こうへ顎がはいります   たむらあきこ
広瀬ちえみ選  潜水艦の中のポルノグラフィー    安原博
筒井祥文選   妖怪は字幕とともに現れる      徳永怜子
樋口由紀子選  ポケットの指は鯨が噛んでいる    兵頭全郎

あと、第32回「川柳北田辺」の句会報より、川柳性を発散させる女性たちの作品を紹介しておきたい。

たがが外れて鰓呼吸はじまる      酒井かがり
瓜売りが瓜売りに来て大嫌い      酒井かがり
ぶらんこのきしみ気管に押しあてる   榊陽子
仲良しクラブにひげが生えてくる    榊陽子
閂をかけてよくないことします     久保田紺
東大阪のぎらぎらの水たまり      久保田紺

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