2013年10月11日金曜日

クリエーターとキュレーター

大阪梅田のグランフロントの紀伊国屋で「短歌フェア」が開催されているというので、出かけてみた。グランフロントはオープンしたときに訪れたときの大混雑に辟易して、やっと二度目に足を踏み入れたことになる。
売り場面積が広くどこに短歌の本が置いてあるのかも分からないので、店員さんに訊いて案内してもらった。短歌フェアは隅の方に円形書棚を取りまく形で開催されていた。それほど広いスペースではないが、ふだん書店で目にすることのない歌集・短歌誌などが置いてある。そう言えば斉藤斎藤の『渡辺のわたし』はまだ持っていなかったな。永井祐の『日本の中でたのしく暮らす』もほしい。あっ、瀬戸夏子の『そのなかに心臓をつくって住みなさい』があった!というわけで3冊買い求めた。「短歌ヴァーサス」のバックナンバーもあったが、確か私も2ページ執筆したことのある10号だけなかった。誰かが購入したのだとすれば、それはそれでよいのだろう。
短歌の門外漢にとってもこういうフェアが開催されるのは嬉しい。店長が笹井宏之のファンらしい。川柳にとってもこういうサポーターが現れないものか。
今年4月に「文学フリマ」が大阪府の堺市で開催されたときに、川柳の出店は一軒もなかった。機会があれば「川柳カード」で出店してみたいものだが、短歌・俳句・アニメなどの大量の出店の陰に埋没してしまうことだろう。川柳がどのような流通過程にも乗らないのはマーケットが成立しないからである。
マーケットと無関係なところで営まれている文学ジャンルとして、川柳と同様の状況に置かれているものに連句がある。「連句協会報」(2013年4月)に書いた「関西連句の可能性」という拙文の一節を引用する。

「『関西連句を楽しむ会』が2006年に終了したあと、関西での大規模な連句会はあまり開催されなくなった。連句だけの話ではないが、関西の地盤沈下が文芸全般に生じているようだ。俳句でも関西前衛俳句の作家たちが亡くなって、過渡期の状況が続いている。そんな中で、一昨年の国民文化祭・京都において北野天満宮や百万遍知恩寺でイベントが開催されたのは元気の出ることだった。
関西地方には連句の拠点となるような場が多い。私が関わっているものについて言うと、大阪天満宮で毎秋開催される『浪速の芭蕉祭』は2007年にスタートし、形式自由の募吟を続けている。また、『大阪連句懇話会』では毎回テーマを決めて連句の諸問題を考え、実作会を行っている。奈良県に目を転じると、蹴鞠祭で有名な桜井市の談山神社では『多武峰連歌ルネサンス』が数回開催された。長谷寺近くの與喜天満宮は能阿弥など連歌にゆかりが深く、連句にとっても重要な場である。
古来、神社や寺院は芸能の発祥と密接な関係をもっている。人が集まるところには混沌としたエネルギーが生まれ、文芸の場として活性化する。いわば連句のパワースポットなのである。
昨年の十二月に神戸の生田神社で『俳句ギャザリング』というイベントが開催された。これは連句とは無関係な催しだが、天狗俳諧とか俳句相撲、地元のアイドルグループを呼んで俳句甲子園形式で参加者と対戦させるなど、俳句を一般参加者にどのように見せるかというショー的要素を取り込んだものであった。パソコンやツイッターの使用が日常化する中で、『いかに見せるか』という視点も重要だと感じている」

川柳・連句ではほとんど聞かないが、他ジャンルの方々がよく口にする「戦略」という言葉がある。いったいどのような「戦略」によって自己の作品を発信しようとしているのか、自分が関わっているジャンルを推し進めようとしているのかが問われるのである。私は川柳・連句の世界の中では比較的「戦略」を持っている人間のように自分では思っているが、俳句や短歌の世界から見ればそんな戦略など児戯に等しいものだろう。
川柳の世界で「いかに見せるか」という方法論が語られたことは寡聞にして聞かないし、ノウハウの蓄積もない。連句においては「国民文化祭」の開催に関して行政とどう結びつくかが連句協会の理事会で毎回語られているが、これも夢のない話である。

さて、いささか古い本だが、外山滋比古の著作に『エディターシップ』(みすず書房)がある。編集が創造的な作業であることを力説するもので、クリエーターとエディターの分業が確立していない川柳の世界の現状を省みるときに考えさせられることが多い。さらに、最近よく耳にするものにキュレーターという仕事がある。今まで私が知らなかっただけだろうが、美術館の学芸員などを指すらしい。展覧会の企画などにおいて、どの作品とどの作品を並べてどのようなコンセプトで観衆に見せるかというプロなのであろう。常識的な見方で展示するのではなくて、今まで思いもよらなかった作品をつなげることによって新しい表現の地平を提示して見せる。自ら作品を作るのではないけれど、それもひとつの創造的な作業なのだろう。
こういうことに習熟した人材が川柳界には少ないから、川柳人は創作の傍ら編集したり、雑務を義務的にこなしたりしなければならない。そういうことに時間をとられているうちに、クリエーターとしての創作力が次第に衰えてゆく。

そんなことを考えると、やはりクリエーターとしての原点に戻りたくなる。「戦略」など本当は考えなくてすませたいのが川柳人の本音かも知れない。川柳島から投壜通信を送りつづける。読んでくれる人がいなくても、読者に届かなくても、いつかそれがどこかの岸辺に届くかもしれない可能性を夢見て書き続ける。そして、川柳島は無人島になる?

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