2012年3月30日金曜日

春なのにお別れですか

今回は脈絡もなくいくつかの話題をつづることになりそうだが、ご容赦を願いたい。
まず、訃報から。
大阪の川柳人・久保田元紀(くぼた・もとき)が3月14日に亡くなった。享年72歳。
元紀の死は新家完司のブログで知ったが、それ以外の情報はあまり届いてこない。
「川柳天守閣」は久保田以兆(くぼた・いちょう)が創始した川柳結社である。以兆の子供の六人兄弟のうち半蔵門、元紀、寿界の三人が川柳人として活躍している。
私はそれほど川柳句会には行かないのだが、元紀氏には堺や大阪の句会で会うと声をかけていただくことがあった。佐藤美文編の『風・十四字詩作品集』に作品を掲載したときには、作品評を書いてもらった。元紀は十四字詩(短句・七七句)の普及にも努めていた。
赤松ますみの「川柳文学コロキウム」発足にも尽力したようで、コロキウム句会のあとの飲み会でいっしょになったときに、「どんなむつかしいことを書いてもいいが、川柳のことを書くように」と言われたことを覚えている。私はちょうど「黎明」誌に川上弘美のことを書いていたので、そのことを言われたのだろう。私はもちろん川柳のことを書いたつもりだったのである。
「天守閣」句会にも一度だけ参加したことがあり、そのとき大阪城天守閣をプリントしたTシャツをもらった。いまも家のどこかにあるはずだ。
久保田元紀は薔薇の句が好きで、句会の選者としてもよく薔薇の句を取っていたが、これには賛否両論があった。参加者が当て込みで薔薇の句を投句することが多かったからだ。

アルバムの薔薇は私の罪なのか   久保田元紀

著書に『川柳よ何処へゆく』(新葉館)がある。
追悼句会は5月25日に大阪市立弁天町市民学習センターで開催される予定。

3月19日、俳人の八田木枯(はった・こがらし)が亡くなった。享年87歳。
一昨年、彼の句集『鏡騒』(かがみざい・2010年9月発行)が評判になった。
その後、同人誌「鏡」が創刊され、創刊号は2011年7月発行。2012年1月に3号が発行されている。手元に3冊そろっているので、読み直してみると八田木枯晩年の充実ぶりがうかがえる。

ゆふぞらに梅のしろさを詰めよりぬ (創刊号)
うすらひをことばとことばにて挟む
昼寝して夜は夜でねむることかなし (第二号)
老年が蝶の鬱金をなぶりをる
見るのみであへてきんこに手をつけず (第三号)
手鞠つく数のあたまをつきにけり

作品に添えられている短文もおもしろく、創刊号では「生意気ざかりのころに竜安寺へゆき石庭の前でかがみこんで瞑想に耽った。何も悟ることはなかったが、こころは落ち着いた。俳人も石庭へはよくゆき句を詠んでいる」と述べて「この庭の遅日の石のいつまでも」(虚子)「寒庭に在る石更に省くべし」(誓子)を挙げている。
第二号では上田秋成の『雨月物語』について「若い時からとり憑かれている書だ。昭和二十年の後期、私は高野山の奥の院にちかいところに居住していたことがあり、漆黒の闇の中にいると『仏法僧』の世界が幻でなく現実そのものになってくるのに興奮をおぼえた」と書いている。第三号では新宿ムーランルージュの思い出や映画の話題。

訃報はこれくらいにして、明るい話題に転じると、俳句の世界ではいろいろなトピックスが多くて退屈しない。
御中虫という人がいて、たいへん元気である。
ネットで評判になっているのは、「詩客」に連載中の〈赤い新撰「このあたしをさしおいた100句」〉である。「御中虫をどう思う」と訊かれることがありそうなので、川柳人にとっても要チェック。先週の連載第三回では小林千史が俎上に上げられ毒舌を浴びせかけられていて、私もつい書架の小林千史句集『風招』を取り出してきてしまった。こういう逆効果もある。
朝日新聞の「俳句時評」(3月26日)に高山れおなが「震災詠の振幅」というタイトルで長谷川櫂『震災句集』と御中虫『関揺れる』を取り上げている。

関揺れる人のかたちを崩さずに   御中虫
関揺れてかの鼻行類絶滅す

「関」は茨城在住の俳人・関悦史のことであり、「関揺れる」を季語として使用するのだという。「有季定型という制度を、友人の被災という極私的物語によって相対化するウイットが小気味良い」と高山は述べる。
高山の俳句時評は今回で終わり、次回から執筆者が変わるようだ。

2月4日に京都で開催された愛媛大学「写生・写生文研究会」については、このブログ(2月10日)でも紹介したことがあるが、「週刊俳句」(3月18日)にきちんとしたレポートが出て、反響が続いている。たとえば、今週の同誌(3月25日)に四ツ谷龍が感想・批評を書いている。四ツ谷が「写生」からではなくて「俳句性」の方から考察を進めているのは興味深い。四ツ谷によれば、俳句性とは「モノがゴロリとある感覚」「継続的に発生する個人の情念が作品に抜け落ちていること」だという。

俳句の世界では何らかの話題性が途切れることなく続いていて、停滞するということがない。伝統俳句の中核部分ではそうでもないのだろうけれど、外部から見ればとても活気があるように見える。川柳は停滞感が否めず、今何が問題になっているのかが見えにくい。

「杜人」233号が届いた。「在」という題で加藤久子が誌上題詠の選をしている。彼女は「大震災からまもなく一年になる。なにか書こうとすると、まだあの日から離れられない。句を読んでも震災につなげて解釈してしまうことが多い。このどうしようもない感覚には抵抗しないことにして、正直でいようと思う」と書いている。久子選の句から。

見ぬ振りのできないぼくが辻に立つ   斉藤幸男
ここにいます すみれ タンポポ さくら草  大和田八千代
御不在のようでしたので咲きました   須川柊子

昔、大学で西洋文学を学んでいたとき、暗い作品が生まれるのは暗い時代ではなく、エネルギーに満ちた時代であるという話を聞いたことがある。エネルギーに満ちているからこそ、逆に自らのエネルギーをためすように暗い作品が生まれるのだ。今の時代はたぶん暗い作品には耐えられないほど衰弱しているのだろう。そんな中で、川柳眼や川柳精神を失わずに作品を書き続ける困難さを改めて思うのである。

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