2012年4月6日金曜日

『仙台ぐらし』『東北学』『縄文の土偶』

3月に仙台へ行って以来、東北のことが気にかかっている。震災のこともあるが、それ以前に東北のことを何も知らないことに気づいたのだ。
折から伊坂幸太郎の『仙台ぐらし』という本が出ている。『重力ピエロ』や『オーデュボンの祈り』などで人気作家の伊坂が仙台に住んでいることをはじめて知ったが、このエッセイは雑誌「仙台学」に連載されたものである。「仙台学」は仙台の出版社・荒蝦夷(あらえびす)から発行されている。
伊坂はエッセイとフィクションの中間をねらって書きはじめたようで、タイトルは「~が多すぎる」で統一されている。「エッセイが苦手な自分でも、『エッセイに見せかけた作り話』であればどうにかなるのではないかと思い、引き受けたのですが、まったくもって甘い考えでした。『エッセイに見せかけた作り話』が簡単に思いつくわけがなく、結果的に、ほとんどが実話をもとにしたものとなっていますし、それにしても四苦八苦して書いたものばかりです」と伊坂は述べている。
「見知らぬ知人が多すぎる」という章では、喫茶店で出会ったおじさんが著者に髭をさわってくれと言うところがある。これなどは事実かフィクションかどっちなのだろう。
「タクシーが多すぎる」で映画「コラテラル」に肩入れする運転手の話は?
女性運転手のタクシーに昔の彼が乗ってきた話などはフィクションだろうなと思いながら読んだ。
震災のことにも触れていて、伊坂はこんなふうに述べている。
「震災から一ヶ月経つ。はじめに言えば、僕自身は大きな被害は受けなかった。仙台にいるものの家族は無事で、家も残っている。大変な状況にある人たち比べれば、かなりダメージは少ない。ただ、それでも、心がくたびれている。生活は日常に戻ってきたはずであるのに、気持ちはなかなか元に戻ってこない」
『仙台ぐらし』にはボランティアをしている二人組を主人公にした短編「ブックモビール」も収録されている。

震災以後、気になっていた本に赤坂憲雄の『東北学』(講談社学術文庫)がある。最近になってようやく手に入れて読んでみた。
プロローグによると本書のモティーフは柳田國男『雪国の春』に対する批判である。柳田の「深い雪景色の底に埋もれた、稲を作る常民たちの東北」という幻想に対して、赤坂は下北では稲をほとんど作らなかったという事実を対置する。稲は冷害を受けやすいけれど、稗なら凶作になりにくい。ケガチ(飢饉)なしの作物と言われた稗を捨てて、稲作への大転換をはかってきたのが東北の近代だった。なぜなら稲は国家体制の根幹にかかわる存在だったからである。
赤坂はこんなふうに書いている。
「天皇制や王権をめぐる問題を別の角度から照射してゆくための、いわば瑞穂の国という幻想に覆い尽された『日本』を相対化するための手掛かりが、東北の地には豊かに堆積している、と感じられた」
稲作と天皇制を相対化するための視点が山の民、川の民であり、縄文というキイ・ワードである。赤坂は『雪国の春』における稲作をベースとする柳田の常民を批判するが、同時に『山の人生』における「辺境へのロマン主義」をも批判する。けれども芭蕉の『奥の細道』まで「辺境へのロマン主義」として否定するのはいかがなものか。俳諧のネットワークについての無理解ゆえに、赤坂自身がひとつの図式にとらわれてしまったのではないか。ないものねだりをしても仕方がないのである。

さて、赤坂の引用しているなかに、宮沢賢治の「原体剣舞連」に次の一節がある。

むかし達谷(たつた)の悪路王
まつくらくらの二里の洞(ほら)
わたるは夢と黒夜神(こくやじん)
首は刻まれ漬けられ

悪路王は伝説のなかの蝦夷の首長であり、坂上田村麻呂によって捕えられたアテルイのことだとも言われる。このアテルイという人に私は以前から関心を持っている。

3月11日、杜人の追悼句会には佐藤岳俊が来ていた。名刺交換をしただけで話す機会もなかったが、大阪に帰ってから彼の評論集『縄文の土偶』(青磁社・1984年)を読んでみた。佐藤岳俊は胆沢在住である。書名にもなった「縄文の土偶」という文章には「我が内なる大墓公(おおつかのきみ)アテルイ」という副題が付いている。

「大墓公アテルイは私の町にある角塚古墳の血族であり、それを守る公であった」
「投降したアテルイ、モレ等をひきつれて、田村麻呂はなぜ大和まで帰ったのだろうか。この謎はは、敵としてのアテルイ・モレらを再び胆沢の地に帰してやるという懐柔策があったからである。アテルイの投降は彼の背に生きる多くの集落であり、人々であった。人々を救うためアテルイ等は両手をあげたのである。しかし、大和の公家はアテルイ、モレの首を切った」

馬死んで大きな森がつくられる    佐藤岳俊
アテルイの目へ流れこむ胆沢川
飢えた胃で縄文の土器くみたてる
豊饒な土偶よ性器までさらす
どこまでも死ねる田螺がやわらかい

岳俊は白石朝太郎に師事した。朝太郎は新興川柳期に「大正川柳」で活躍した白石維想楼である。『縄文の土偶』には朝太郎に関する文章がいくつか収録されている。朝太郎は私も好きな川柳人であるが、改めて書く機会がくるときを待つことにして、今日は触れない。今回『縄文の土偶』を読んで特に印象に残ったのは、巻頭で取り上げられている吉田成一の作品である。

北上川人になど生れるもんじゃねえ    吉田成一
陽は等しからず劣性の籾険し
よそ者に決して見えぬ雪女
鬼剣舞一揆を指導した顔だ
絵になって三陸漁港貧しかり
金魚死んで仮の姿だとわかる

私も私なりに東北に対する文学的イメージを持っている。遠野物語や菅江真澄、宮沢賢治、前九年の役、安倍貞任、等々。しかし、文学的イメージなどは現実に対してたかが知れている。赤坂のいう「辺境へのロマン主義」かも知れない。東北の風土は関西とは随分違うし、東北といっても多様な姿をもっているだろう。理解できたなどとはとても言えぬ東北の姿を少しずつ見極めてゆきたいと思っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿