2012年3月23日金曜日

丸山進の15句を読む

短歌誌「井泉」は毎号、招待作品として短歌以外にも現代詩や俳句・川柳を掲載している。川柳からはこれまで、樋口由紀子、筒井祥文、小池正博、畑美樹、清水かおりなどが招待されているが、44号(3月1日発行)には丸山進の作品が掲載されている。編集後記には発行人の竹村紀年子が丸山のことを「川柳大学元会員、バックストローク同人。長年、企業でシステムの開発設計に従事され、退職後に刊行の句集『アルバトロス』で話題を集められました。瀬戸市にお住まいです」と紹介している。あと付け加えるとすれば、彼は川柳教室の講師としても活躍し、ブログ「あほうどり」にはファンも多い。本日は丸山進の15句を読んでみたい。

あの日から他人の靴を履いている

「あの日」とはどういう日だったのだろう。何らかのエポック・メーキングなことが起こって、「他人の靴」を履くことになった。それが今まで続いているし、たぶんこれからも続くのだろう。けれども、それまでは「自分の靴」を履いていたのだと言い切れるだろうか。「あの日まで自分の靴を履いていた」「あの日から他人の靴を履いている」「あの日まで他人の靴を履いていた」「あの日から自分の靴を履いている」の四種の組み合わせの中で、作者はこの表現を選んだ。違和感をかかえながら社会の中で生きている私たちは、多かれ少なかれこの句のような感慨をもつことがあるだろう。だから読者は「あの日」にそれぞれのイメージを込めることができるのである。

盗聴をしても欠伸がでる我が家

「盗聴」という緊迫した状況がある。いささか旧聞に属するがウォーターゲート事件とかFBIのフーバー長官とかを連想する。ところが、我が家を盗聴しても何ひとつ驚くようなことは出てこない。毎日続く平凡と凡庸。「盗聴」から「欠伸」にずり落とす、緊張と弛緩のテクニックによって、ほのかなアイロニーが生れる。映画「第三の男」の登場人物は「スイス五百年の平和は何を産んだか。鳩時計だ」と言ったが、目の覚めるような悪よりも鳩時計の平和の方を選ぶのが市井に生きる人間の姿である。

木枯らしに吊るす第九の搾りかす

年末吟なのだろう。ベートーベンの「第九交響曲」はシラーの「喜びの歌」で知られている。荘重なドイツ語の歌は荘重であるだけに、茶化してみたくなるのが川柳人の本能である。「第九」はむろん結構だが、人間はいつもエリジウム(楽園)の歓喜に生きていられるものでもない。第九の搾りかすを木枯らしの吹くなかに吊るしてみる。どんな音をたてるのだろう。

踏切の途中で蟻とすれ違う

踏み切りを渡るときに私たちは蟻などを見ていない。さっさと渡ってしまうのが普通だろう。けれども作者は蟻の存在に気づいてしまう。「川柳眼」というのか、普通見えないものが見えてしまうのである。そのときふと気づくのである。自分も蟻だったということに。

コスプレにて御出で下さい園遊会

「園遊会」にはフロックコートか何かを着ていくのだろう。ところが「コスプレ」でお出でくださいという案内が来た。さて、あなたはどうする? 案内を真に受けてコスプレで出かけるだろうか。それとも、やはり正装をしてゆくだろうか。ここにはある種の悪意が仕組まれている。ほんとうにコスプレで来てどうするという罠と、背広で来るような常識的で面白みのない奴だという非難とである。この陥穽を避けるためには、園遊会に行かないという選択肢が残されているが、この作中人物はたぶんコスプレで行ったのである。

膝枕の膝を盗まれ腕枕

この句は「膝枕」「腕枕」という言葉から成り立っている。膝が恋人の膝だとすれば、腕は自分の腕である。恋人を第三者に奪われた状況と読めるが、あまり理屈で考えてもおもしろくないだろう。渡辺隆夫は「妻一度盗られ自転車二度盗らる」と詠んだ。丸山の句ではひとり腕枕をしている男の残像にペーソスがある。

虫の息桃と檸檬に挟まれて

川柳テクストを前にして、読みをどの方向に進めたらよいか迷うことがある。
まず、「桃」と「檸檬」からエロティシズムを読むことができる。「恋人の膝は檸檬の丸さかな」(橘高薫風)という句もあるくらいだから。エロスではなくて、「死」の方向で読むこともできる。単に虫が息をしているというように取れないこともないが、「虫の息」だから生命の危機的状況であろう。けれども悲観的な感じはしない。豊饒なものに挟まれて虫の息になっているのだろうか。

八日目の蝉の死因は心不全

角田光代の小説『八日目の蝉』。映画化もされて、日本アカデミー賞の各賞を受賞したようだ。私は角田光代の小説はよく読んでいるが、『八日目の蝉』だけは読み通せなかった。この句はしかし角田の小説の内容とは無関係で、タイトルだけを拝借しているのだ。角田の小説のことかと思わせておいて、蝉の死へつなげ、その死因は心不全だったという。蝉に心臓があるとも思えないから擬人化されているのだろう。「蝉」「死因」「心不全」というS音のつながりで展開してゆくのである。

男系の男子の先のニューハーフ
先端は鼻か乳首かクチビルか
夜鍋してスリーサイズを加工する
使用後のモザイクが浮く湯船かな

15句は構成を考えたうえで並べられている。この4句には何となく繋がりが感じられ、特に前の2句はセットになっている。実際に題詠であったかどうかは別にして、想定されているのは「先」という題である。先→先端→鼻・クチビル→スリーサイズ→モザイクと連想はエロティシズムも方向に流れてゆく。まじめなお色気は丸山の特質のひとつである。

原発の電気が効くよ電気椅子

風刺も丸山が本領を発揮する領域である。原発の電気は死刑執行にも使われる。日本全体が電気椅子に座らせられているという状況が暴露される。

行間をなぞれば匂う出会い系

書物の行間に著者の真意を読みとろうとする。時空を超えた他者との出会い。あなたの作品が好きだということは、あなたが好きだということだ。

留守電に長いお経が入ってる

川柳の特質のひとつに批評性がある。丸山が15句の最後にこの句をもってきたのは風刺と笑いのバランスが取れているからだろう。留守電にお経ねえ。うまく言いとめたものだ。

「井泉」の編集委員のひとりに彦坂美喜子がいる。「井泉」が川柳とのパイプをもっているのは彼女の存在によるものだ。最後に本号の彦坂の短歌を紹介しておきたい。

カマキリの影折り紙で作る夜手足の冷たい君がいる   彦坂美喜子
生れても殺しても影はかげベタな形を焼き付けるだけ
影持たぬものをさみしとつぶやいて滂沱の涙をながす影

一首目・三首目は「五七五七五」のリズム、二首目は「五五五七七」である。
前衛短歌の、塚本邦雄などが試みた結句を五音にするやり方。いわゆる「五止め」が使われている。塚本は俳句の定型を意識していたのだろう。
短歌と五七五定型(俳句・川柳)は交流しなければならない。

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