2024年12月13日金曜日

「川柳スパイラル」22号

「川柳スパイラル」は22号から誌面が刷新された。飯島章友が同人を降り、新たに6名が新同人として加わった。

宿題でドラ・ハッ・パーを埋める刑  まつりぺきん
屯する稚魚よウィリーで走るのだ   宮井いずみ
まただよ 踊らない貝の絶滅     林やは
整理券もらった順に孵卵器へ     小沢史
これからの夢が怖くて眠れない    猫田千恵子
雪の数百ショット(いま・ここ・だれか) 西脇祥貴

特集は「現代川柳と短詩」(小池正博)。河野春三と山村祐の出会いのエピソードを話の枕に置いて、山村祐の雑誌「短詩」や津久井理一の「私版・短詩型文学全書」などについて紹介している。新たに川柳をはじめる人が増えてきたのにともなって、現代川柳史を振り返る作業が必用になってきている。

すでに雨季 延命のナイフに指紋がひとつ 道上大作
朝 窓を開けると眼前で「形」がすべて流れていた 担ケ真理子
あじさいの息の根とめて「ママ 花束よ!」 吹田まどか

同号では、まつりぺきんが「『川柳EXPO』いかがですか?」を書いている。『川柳EXPO』は、まつりぺきんがインターネット上で呼びかけて、集まった20句の川柳連作を掲載したアンソロジーだが、現在『川柳EXPO』『川柳EXPO2024』の二冊が発行されている。さらに来年は『川柳EXPO2025』も予定されていて、すでに募集が告知されている。早くも応募作品を送った人もいるらしい。2025年版の特徴は二冊に分けて発行することで、それぞれ湊圭伍と川合大祐が選評を書くことが決まっている。なぜ二冊に分けるのか、経緯とねらいについては、まつりぺきんがnoteで発表している。
西脇祥貴の「天網快快TimeLine」では第九回攝津幸彦記念賞・准賞を受賞した太代祐一のことや林やは編集の合同誌「90’s」について取り上げている。この時点では受賞作は未公開だったが、その後発表誌が届いたので、「豈」67号から太代の作品を紹介する。

飛行機は森だった見抜けなかった
注がれて僕の代わりに悶えてよ
片恋が林檎だなんて静電気

選者のうち城貴代美が3点、筑紫磐井が2点を入れている。選評から。
「若い人らしく、口語表現をうまく使って現代の心理をうまく言い留めている」(筑紫)
「ことばのきらめき、眩しいくらいの作品群でした。作者は28歳、さらに言葉の安定に捉われず実験をされることを求めます」(城)
筑紫、城の両人が引用しているのが「片恋が林檎だなんて静電気」の句。俳句の季語に当たるのは「林檎」だが、止めの言葉「静電気」が効果的。俳句としても読めるところが選者の眼にとまった所以だろう。

2024年11月29日金曜日

蕉風の付け方

10月27日に国民文化祭ぎふ「連句の祭典」が岐阜市の「じゅうろくプラザ」で開催された。国文祭には例年、川柳ではなくて連句のイベントの方に参加している。
その前日、大垣の「奥の細道むすびの地記念館」を訪れた。芭蕉は大垣に四度来ている。『奥の細道』の終着が大垣で終っているのはよく知られているが、それは三度目の旅でのことだった。大垣には谷木因(たに・ぼくいん)という俳諧師がいて、芭蕉とは交流があった。木因は大垣蕉門の中心人物で、「むすびの地記念館」のそばに芭蕉と木因の二人が並び立っている像がある。
芭蕉の第一回大垣来遊は貞享元年(1684年)晩秋、『野ざらし紀行』の旅のときである。木因を訪問したあと、芭蕉は名古屋に向かい「尾張五歌仙」(『冬の日』)を巻く。名古屋は蕉風発祥の地といわれている。

「大垣に泊りける夜は、木因が家をあるじとす。武蔵野を出づる時、野ざらしを心に思ひて旅立ければ
 死にもせぬ旅寝の果てよ秋の暮」(『野ざらし紀行』)

この旅の冒頭の句「野ざらしを心に風のしむ身哉」と比べると余裕が感じられ、木因と会うことが旅のひとつの目的だったことが分かる。
さて、「むすびの地記念館」の展示の監修もしている俳文学者の佐藤勝明は、「江古田文学」113号(特集・連句入門)で蕉風の付け方について、見込・趣向・句作の三工程があったと述べている。

作者の頭のなかでは、前句への理解である「見込」と、それに基づいて次の句では何を取り上げようかなという「趣向」、さらに実際に素材や表現を選んで整える「句作」の三工程があって、見込から趣向を導く際には、一種の自問自答のようなものがあったのではないか、と私は考えています。(特別講座「芭蕉連句入門書」入門)

具体例として佐藤が挙げているのは、『去来抄』の次のエピソードである。
「あやの寝巻にうつる日の影」という前句に一座のみなが付けあぐんでいたときに、芭蕉が「よき上臈の旅なるべし」と助言したところ、去来がたちまち「なくなくも小さき草鞋求めかね」と付けることができた、というのである。
前句の「あやの寝巻」は女性だろうが、深窓の令嬢であれば日光の当たる部屋ではなく、奥まったところにいるはずだから、これは日常ではなく旅だろうと芭蕉は考えた(見込)。というのが佐藤の解釈である。去来はこの見込を受けて、泣いてみても小さい草鞋は手に入らないという句を付けた(趣向、句作)。
この話は芭蕉流の付け方の骨法を伝えていると佐藤は言う。前句はどういう場か、どんなひとなのだろうかを考え、それに位を合わせる付け方である。
この付け方を現代連句の実作の場で可視化しようとしたのが鈴木千惠子である。鈴木の『杞憂に終わる連句入門』(文学通信、2020年)に収録されている歌仙「老が恋」の巻は蕪村を発句とした脇起りであるが、最初の四句だけ引用する。

老が恋わすれんとすればしぐれかな  与謝蕪村
 ちりちり痛む胸の埋火       鈴木千惠子
迷ひ犬人混み分けてさがすらん    玉城珠卜
 ニュースを流す壁のあちこち    佐藤勝明

佐藤勝明が連衆に入っているのが注目されるが、この作品には解説が付いていて、こんなふうになっている。

ちりちり痛む胸の埋火
 見込 発句にはわすれようとしても諦められない恋心が詠まれている
 趣向 その未練を、埋火に喩えた
 句作 恋心を「とりとり痛む」と表現した
迷ひ犬人混み分けてさがすらん
 見込 脇は恋に身を焦す人物の胸のうちが詠まれている
 趣向 恋の焦燥感を迷子になった犬をさがす愛犬家の心情に転じた
 句作 必死の様子を「人混み分けて」と表現した
ニュースを流す壁のあちこち
 見込 前句を都会の雑踏と見て
 趣向 その中で目にしそうな光景を想像し
 句作 電光掲示板に情報が流れるとした

理屈通りに句作ができるわけではないだろうが、注目すべき試みかと思う。
最後に国民文化祭ぎふ「連句の祭典」で文部科学大臣賞を受賞した短歌行「実朝忌」の巻の表四句を紹介しておこう。和漢連句が文科大臣賞を受賞するのは画期的なことである。

梅東風や海のとどろく実朝忌   服部秋扇
  孟春射剛弓         石上遥夢
蜜蜂のハニカム構造模作して   西川菜帆
猫の家には丁度よき箱     岡部瑞枝

2024年11月22日金曜日

ねじまき句集を読む会

11月17日、イーブル名古屋で「ねじまき句集を読む会」が開催された。青砥和子『雲に乗る』(新葉館出版)と瀧村小奈生『留守にしております。』(左右社)の二句集を読む会である。
午前の部は青砥和子の句集について。なかはられいこ、米山明日香歌、笹田かなえの三人が句集からピックアップした作品を丁寧に読んでゆく。 なかはらは「家族や身近な人がモチーフになった初期だと思われる作品群」と「「書き続けることで進化あるいは深化した作品群」が混在していると述べ、「生活者青砥和子から川柳作家青砥和子まで」、章立てのあいまいさを指摘した。
 それぞれの事情があってイオンまで (どんな川柳人・一般人にも〇な佳句)
 母さんが最新兵器しょってくる   (?な句=誉め言葉)
 泡だったままで閉店いたします   (なぞの主体)
 夜の芯になろうと回る観覧車    (個性的な空間の捉え方)
米山明日歌は「青砥和子の雲の乗り方を探る」という視点から、第一章は「子の目を通して自分がどう写っているか。母として子にどう接したらいいか模索している」、第二章は「家族から離れ父母、弟、妹と自分の関係を今の自分が、見つめ直し新たな発見をする」、第三章は「作者の中で一章と二章がつながり、力の抜けた言葉があふれだす」とまとめた。
 手の中の海を息子が見せにくる  (第一章)
 父はただ穴を掘ったとしか言わぬ (第二章)
  善人って砂をまぶして出来上がる (第三章)
笹田かなえは「何か」をその句に対して言いたくなる」句を選んだとして次のように分類した。
猫を抱く桃井かおりの顔で抱く (時代性・同年代としての共感)
こめかみをグリグリ八合目ですね(生活の中での川柳的な視線を感じた句)
サーカスの虎の気だるい肩の骨 (発見のある句)
しあわせってこんなんぎんなん見つけた(内在律の優れていると感じた句)
仮に地球だったらと青蜜柑剥く (青砥和子の個性を感じた句)
「ねじまき句会」のメンバーによる『雲に乗る』からの一句選も発表されていて、人気のあった推奨句として次の二句を挙げておく。
 父はただ穴を掘ったとしか言わぬ
 吊るされるだけでこんなに美しい
それぞれのパネラーが丁寧に句を読み込んでいて、句集を通読したときには見逃していた中にもいい句が多いことに気づいた。句の読みが充実しているのも、ふだんの「ねじまき句会」での読みの積み重ねによるのだろう。配付されたレジュメにあげられていない句で、私がいいと思ったのを二句挙げておく。
 交番でモーゼの長き旅終わる
 房長き藤すれすれの逃げやすさ

休憩をはさんで、午後は瀧村小奈生の句集について。パネラーは、おかださなぎ、猫田千恵子、八上桐子の三人である。
まず、おかだの選んだ句から。
 きょうもまだ雨音になれなかったな (水のさまざまなすがた)
 ひっぱると夜となにかが落ちてくる (なにかを見ている)
 夏よ!(曖昧さを回避していない) (活きている口語表現)
 わたしたち海と秋とが欠けている  (たしかな抒情)
次に猫田千恵子の選句から。
 降る雨のところどころが仏蘭西語  (全身で感じる)
 愛じゅせよジュークボックスからじゅせよ (音を楽しむ)
 靴踏んで、ねえ、白すぎるから踏んで (いたずらっぽく笑う少女)
 ばあちゃんは走ったことのない系譜  (絵のないしかけ絵本)
八上桐子は「『留守にしております。』は、なぜ気持ちいいのか?」という観点から次のような句を抽出した。
 長い夜そっと剥がしている音だ (響かせる音・耳の作家)
 雨が海になる瞬間の あ だった(すぐ乾く雨・ささやかな偶然)
 春楡のように家族であったこと (ささやかな偶然)

参加者は「ねじまき句会」のメンバーだけでなく、川柳観も多様であり、いろいろな意見が聞けて有益だった。川柳の句会では選だけがあって、作品の読みがほとんどなく、「ねじまき句会」が読みを重視する句会であることが実感された。終わりの挨拶で、なかはられいこが「ここまで来るのに二十年かかった」と語ったのが印象的だった。
最後に、当日の司会を担当した俳人の二村典子が今年三月に上梓した句集『三月』(黎明書房)から好きな句を紹介しておきたい。
 野遊びの誰の話も聞いてない   二村典子
 蝶の昼鏡の昼におくれつつ
 たんぽぽの料理に欠かせない弱気
 あっ足をふっ踏まないであめんぼう
 否と応 蓮の浮葉の間には

2024年9月14日土曜日

第12回文学フリマ大阪

9月8日(日)に文学フリマ大阪が天満橋のOMMビルで開催され、主催者発表で4899名(出店者・1141名、一般来場者3758名)の参加があったという。盛会だったけれど、背中合わせのブースのスペースが狭く、移動しにくいという難点があってやや疲れた。
大阪ではじめて文学フリマが開催されたのは、2013年4月のこと。このときの会場は堺市の産業振興センターで、来場者は1600人ほど。そのときのパンフレットには「ついに大阪でも文学フリマを開催することができました」「関西圏では初めての文学フリマです」「今回の大阪開催はゴールではなく、はじまりです」などの言葉が見られる。10年を経て文フリ大阪も発展してきたわけだ。 私が文フリ大阪に出店しはじめたのは2015年9月から。2018年から会場が堺市から天満橋OMMビルに変わって、現在に至っている。ずっとひとりで川柳からの出店を続けていたが、最近は川柳のブースも出るようになり、今回は「川柳EXPO」と隣接配置。
ゲットした冊子をいくつか紹介すると、まず「川柳光子猿」。見開きの右ページに参加者の作品、左ページに海馬の評が付いている。

富士山が昨夜発見されました      まつりぺきん
(訳者注 天国なんてあるのかな)   まつりぺきん
どくだみのしのびわらいをたやさずに  八上桐子
かたつむり まぶたのうすくなるばかり 八上桐子
鉄道を畏れ糖度を下げたいの      榊陽子
押しのけて押しのけていく胃袋へ    榊陽子

榊陽子は「やかましい夢は空調にすぎない」という6ページの冊子も出している。
林やは編集・発行の「90’s」は川柳・短歌・エッセイ・詩の各作品を掲載。川柳のページから。

頼まれて問いの雌雄を選り分ける  ササキリユウイチ
牛乳の数学力じゃ帰れない     ササキリユウイチ
淋しいと言って崩れた所得税    郡司和斗
登りつめると匿名性が待っていた  郡司和斗
焼きたての名探偵はふたつまで   雨月茄子春
かつて名探偵だった雪が降る    雨月茄子春

短歌では「西瓜」13号を購入。

境界をこえゆくものは自らの帽子をつかみ引き下ろすべし 江戸雪
爪を切る静けさのあと白鍵と黒鍵は交互に鳴らされた   鈴木晴香
こめつぶのごとき恋愛感情がわつとむらがるわが耳に背に 染野太朗
目的を持つことで境界線が引ける だからどうだというんだろうか とみいえひろこ
会社じゃなく過去を清算したいんです 弁護士さんなら分かりますよね 三田三郎

文フリの前日、大阪・上本町で「川柳スパイラル」大阪句会を開催した。そのときの参加者のひとり、綿山憩が句会の余韻のなかでフリぺ「乱反射」15句を作って文フリ会場に持ってきたので、その中から二句紹介する。

柘榴爆ぜたり 佐藤は偽名  綿山憩
致死量の桜桃三十九粒 薄暮 綿山憩

ブースにはあまり回れず、手に入れそこなったものも多いが、来場の川柳人と言葉を交わすことができたし、『川柳EXPO』の参加者にも何人か直接お目にかかることができた。短詩型文学は作品がすべてなのだけれど、作者に実際に会っておくことにも意味があることと思う。交流の場は大切である。

2024年8月30日金曜日

江畑實『創世神話「塚本邦雄」』

前回は彦坂美喜子『春日井建論』を紹介したので、短歌つながりで今回は江畑實『創世神話「塚本邦雄」 初期歌集の精神風景』(ながらみ書房)を取り上げる。
塚本邦雄の初期については楠見朋彦『塚本邦雄の青春』(ウェッジ文庫)を読んだことがあり、『水葬物語』までの日々が書かれていた。江畑の本では第七歌集『星餐圖』までを初期と捉え、その精神的位相と作品創造の動因をさぐっている。
塚本の短歌と俳句の関係については、すでに短歌界ではよく知られているのかもしれないが、本書でまず興味深かったのは塚本の俳句についての部分である。塚本は「火原翔」名義で『俳句帖』を残しており、『文庫版塚本邦雄全集』(短歌研究社)に収録されている。江畑は「俳句帖」と『水葬物語』の作品を並べて紹介している。

父母よひるの夕顔なまぐさく
父母よ七つのわれのてにふれしひるの夕顔なまぐさかりき

夏夕べ偽ナルシスら変貌す
ナルシスの変貌も視てみづからに鞭うてり紅き蔓薔薇のむち

麺麭いだき佇てば日本の葦と泥
麺麭いだき佇てば周りの葦群に泥にひぐれの風たちにけり

安易に一般化はできないが、俳句で詠まれているイメージに短歌では何を付け加えたり切り捨てたりしているのか、興味深いサンプルだろう。「父母よ」の短歌では俳句にない「われ」が登場したり、「偽ナルシス」から自らを鞭うつ行為へとイメージの展開がうかがえる。一首目と二首目は塚本の自選歌集『寵歌』にも収録されているから成功作なのだろう。寺山修司における俳句と短歌の関係などを思い出させる。
塚本の『俳句帖』には「棘のあるSONNET」と題された14句の作品がある。ソネットだから韻を踏んでいる。

三日月麺麭の絵を革命歌作詞家に   A
密会や扇のやうにひろがる夜     B
祭司長老いて晩夏の野にかへる    B
尖塔の窓ひらく夜の童貞尼      A

種馬や颱風の眼の透明に       A 
市長夫人の柩の中のスキャンダル   B
ひまはりに幾百の舌ひるがへる    B
喜望峰 マスト傾きつつあるに    A

背き去る女にグラディオラスの花序  C
街を出てあざみをくぐりゆく半処女  C
彼女のみ死る巻貝の夜の歩み     D

真珠貝の内部も雨季に入りたらむ   E
廃嫡の子にのこしおく君子蘭     E
薔薇の木のつみきのまちのなつがすみ D

マチネ・ポエティックの影響を受けているのだろうが、九鬼周造にも韻律論がある。
連句でも鈴木漠がソネット形式の連句を好んでいる。次にあげるのは連句集『花神帖』(編集工房ノア)から「海市」の巻。

源平の往時偲ぶや花の乱    梅村光明 A
 海市の街にひるがへる旗   別所真紀 B
風光るトアロードへと誘ふらん 鈴木 漠 A
 蟹行文字の酒を一杯       光明 B(一杯は「ひとはた」)

短夜の天辺かけたかミサイルは   真紀 C
 午睡の夢にまたも魘さる     光明 D
妖精が隠れんばうをしてゐる葉    漠 C
 秋果の彩を盛りあげし笊     真紀 D

総身に鱗を着たり月の下      真紀 E
 沖は恋慕の不知火が増え      漠 F
悪びれず婀娜な人妻騙す舌     光明 E

 わが式神を呼び出す箱      真紀 G
床の間に難を転ずる実も飾り    光明 H
 雪国に生き雪はうんざり      漠 H

脚韻の踏み方には何種類かあるが、ABBAは抱擁韻、ABABは交差韻と呼ぶ。連句におけるソネット形式は珍田弥一郎の創案では韻を踏まないが、関西では鈴木漠の韻を踏む方式が多い。詩人で連句人の鈴木漠は塚本邦雄とも交流があり、春日井建も塚本とは親しかったので、塚本はこの二人を、建ちゃん・漠ちゃんと呼んでいたそうだ。
江畑の本に戻ると、『水葬物語』の時期の短歌と俳句制作が重なっていることについて、江畑はこんなふうにまとめている。
「同人誌『メトーデ』での『水葬物語』作品の発表は、俳句誌『白堊』での活動期と重なっているので、これらの作業は同時並行的に進められたことになる。いわば短歌の作品世界を生成するうえで、俳句形式を利用したようにも見える。まさに驚異的であり、天才的と言うしかないだろう」
『装飾樂句』以降については本書を読まれたい。

最後に短歌誌「七曜」212号から紀野恵の「嘉応二年九月二十日大輪田泊、宋船来航」を紹介しておきたい。紀野は歴史を題材とした歌物語ふうの成り代わりの歌をしばしば詠んでいて、歌集『遣唐使のものがたり』(砂子屋書房)はその代表作。今回の嘉応二年は平清盛が日宋貿易をはじめるにあたって宋船がはじめて大輪田泊(現在の神戸港の西側)に来航したことに基づく。遊び心や俳諧性に満ちた作品で、おもしろく読ませていただいた。14句の連作のうち4句をご紹介。

  後白河法皇
対等の国と思へどなほ下に見つるものかな大陸(おほくが)の人
  清盛
成り上がつて来たのぢや如何に細細とあらうと権を奪はざらめや
  宋人
国王におはすはいづれ、大柄に見ゆる二人に問うてみやうか(ふふ)
  陳和卿
〈東海の聯珠〉と訳し奉る国の誼をかろく思すな

2024年8月24日土曜日

綺語ならぬ言葉はありや―彦坂美喜子『春日井建論』

今年は春日井建の没後20年に当たり、「井泉」108号の小特集では春日井の歌集や歌について同人各位が文章を寄せている。彦坂美喜子は「井泉」2016年から「春日井建の詩の世界」、2020年から「春日井建の短歌の世界」を連載してきたが、今回の108号で完結したのと同時に『春日井建論―詩と短歌について』(短歌研究社)を上梓した。春日井の詩についても貴重な論考が掲載されているが、ここでは短歌の部分に絞って紹介してみたい。
春日井建といえば、第一歌集『未青年』の三島由紀夫の序文が有名である。
「現代はいろんな点で新古今集の時代に似てをり、われわれは一人の若い定家を持つたのである」
『未青年』から何首か引いておこう。

大空の斬首ののちの静もりか没ちし日輪がのこすむらさき
童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり
プラトンを読みて倫理の愛の章に泡立ちやまぬ若きししむら
ヴェニスに死すと十指つめたく展きをり水煙する雨の夜明けは
弟に奪はれまいと母の乳房をふたつ持ちしとき自我は生れき

彦坂ははじめて『未青年』を読んだときの違和感を次のように書いている。
〈『未青年』の歌の「斬首」「血」「童貞」「死」「私刑」「裂く」「足枷」「刑務所」「男囚」などの言葉に生々しさを感じるより、その悪を表象するある種のスタイルが誇大に見えてしまう、と思ったことである。むしろ『行け帰ることなく』の歌の方が、そのスタイルを吸収して、より物語的な世界を表出し得ている、と思ったのである〉
春日井建は中部短歌会の雑誌「短歌」に1955年から投稿している。彦坂は『未青年』以前の高校時代・初期の作品歌を丁寧に検討している。収録された歌と収録されなかった歌との違いはどこにあるのだろうか。
〈収録されていない歌は、我の気持ちを修飾する言葉たちがひしめき合い自己主張していて、結果的に虚の世界をあからさまにしてしまう〉
〈これらのどこにも所収されなかった歌は、「淫楽」「悪童」「遺書」「情事」など、過激な言葉と意味深い情況を提示しながら、下句に常識的で倫理的、理知的な素顔が覗く。あとから読み返して、建は、そのことに気づいたのではないだろうか〉
第二歌集『行け帰ることなく』を出したあと、春日井建は短歌を止めている。歌のわかれである。第三歌集『夢の法則』も出ているが、そこに収録されているのは『未青年』と同時期あるいはそれ以前の作品だという。彼が歌に復帰したのは第四歌集『青葦』からで、父や三島由紀夫の死がこの歌集を創る契機になったということだ。中部短歌会の「短歌」の編集発行人も受け継いでいる。『青葦』の「父母に献ず」の章には次の歌が掲載されている。

綺語ならぬ言葉はありやエディプスの峠路の章読みなづみつつ

彦坂は「井泉」108号の小特集「私の好きな春日井建の一首」でもこの歌を挙げている。私がこの歌を覚えているのも、以前どこかで彦坂の文章を読んだからだった。
建の父・春日井瀇に「汝を亡くせし日の夕茜悔いしより狂言綺語になじまずなりぬ」という亡き妻を詠んだ歌があり、彦坂は建の「綺語ならぬ言葉はありや」を父の歌に対する反歌ととらえている。
「綺語ならぬ言葉はありや」とは深くて鋭い洞察だと思う。ただ「エディプスの峠路の章読みなづみつつ」という取り合わせにはいくらか疑問を感じる。エディプス・コンプレックスは『未青年』のころから濃厚だったし、この観念は現代の読者にとってはすでに衝撃力をもたない。「綺語ならぬ言葉はありや」という言葉の射程距離は、エディプス的イメージやトーマス・マン的二元論をはるかに越えたところにまで届く可能性がある。俳諧における「狂言綺語」の系譜を探るのも興味深い作業だろう。
彦坂美喜子の批評から私はこれまでも刺激を受けてきたし、本書からも学ぶところが多かった。春日井建や塚本邦雄がいま短歌の世界でどの程度の関心をもたれているのか分からないが、彦坂の持続的な仕事に敬意を表したい。

2024年8月16日金曜日

「水脈」67号

北海道江別市で発行されている川柳誌「水脈」67号(編集発行人・浪越靖政)が届いたのでご紹介する。巻頭に浪越の「真島久美子句集『恋文』を読む」が掲載されている。その時々の話題が毎号紹介されていて、66号では「暮田真名著『宇宙人のためのせんりゅう入門』を読む」、65号は「哀悼 石田柊馬」であった。以下、67号の同人作品から。

波風が立たなくなった沼の葦 酒井麗水
仇敵の尾をふる音がきこえます 落合魯忠
足元を掬うとしらたきになるよ 河野潤々
太陽も彼此彼是も何かおかしい きりん
新じゃがのツルンとしてて未来形 平井詔子
スズランいっぽんアルカイックスマイル 一戸涼子
遠投がホームシックによく効いた 宇佐美愼一
さくら風味の水になんだか満たされる 澤野優美子
残像が右耳たぶを離れない 浪越靖政

今までに書いたこともあるが、「水脈」は飯尾麻佐子の「魚」「あんぐる」の後継誌である。「水脈」56号に浪越が「飯尾麻佐子と柳詩『魚』」を書いているのによると、次のようになる。
「魚」 1978年11月創刊。1996年8月、63号で休刊。
「あんぐる」1996年7月創刊。2002年7月、第17号で終刊。
「水脈」 2002年8月創刊。

「水脈」50号に浪越は次のように書いている。
「本誌の前身は1996年7月創刊の『あんぐる』で、飯尾麻佐子を中心に活動してきたが、麻佐子の体調不良があり、02年7月に第17号で終刊した。しかし、その後の話し合いで同人の再出発への意思が強く、新たに『水脈』を発行することになった」」
「あんぐる」はさらにさかのぼると飯尾麻佐子編集・発行の「魚」にゆきつく。魚については「川柳スパイラル」12号で私も次のように書いたことがある(「女性川柳とはもう言わない」)。
〈明治・大正・昭和前期まで「女性川柳」は男性視点で論じられてきたし、その際に男性川柳人が求めるものは「女の川柳」「恋愛」「抒情」「情念」などであった。人間の知情意のうち主として「情」に関わる部分であり、理知的な部分は副次的となる。当然そこから抜け落ちるものがあり、女性が自らの視点で女性川柳を考えるための場が要請されるのは必然だろう。こうして登場した川柳誌が飯尾マサ子(麻佐子)の「魚」である〉
川柳誌にはそれぞれのルーツがあり、「水脈」は現代川柳の一翼を担ってきた柳誌である。けれども雑誌は永遠に続くものではなく、どこかで終刊の時期を迎えるのはやむをえない。今号に「『水脈』の終刊について(予告)」の掲示が出て、来年8月の第70号をもって終刊するという。それまで全力で発行を続けるということなので、あと一年間の活躍を見まもりたい。