「川柳スパイラル」は22号から誌面が刷新された。飯島章友が同人を降り、新たに6名が新同人として加わった。
宿題でドラ・ハッ・パーを埋める刑 まつりぺきん
屯する稚魚よウィリーで走るのだ 宮井いずみ
まただよ 踊らない貝の絶滅 林やは
整理券もらった順に孵卵器へ 小沢史
これからの夢が怖くて眠れない 猫田千恵子
雪の数百ショット(いま・ここ・だれか) 西脇祥貴
特集は「現代川柳と短詩」(小池正博)。河野春三と山村祐の出会いのエピソードを話の枕に置いて、山村祐の雑誌「短詩」や津久井理一の「私版・短詩型文学全書」などについて紹介している。新たに川柳をはじめる人が増えてきたのにともなって、現代川柳史を振り返る作業が必用になってきている。
すでに雨季 延命のナイフに指紋がひとつ 道上大作
朝 窓を開けると眼前で「形」がすべて流れていた 担ケ真理子
あじさいの息の根とめて「ママ 花束よ!」 吹田まどか
同号では、まつりぺきんが「『川柳EXPO』いかがですか?」を書いている。『川柳EXPO』は、まつりぺきんがインターネット上で呼びかけて、集まった20句の川柳連作を掲載したアンソロジーだが、現在『川柳EXPO』『川柳EXPO2024』の二冊が発行されている。さらに来年は『川柳EXPO2025』も予定されていて、すでに募集が告知されている。早くも応募作品を送った人もいるらしい。2025年版の特徴は二冊に分けて発行することで、それぞれ湊圭伍と川合大祐が選評を書くことが決まっている。なぜ二冊に分けるのか、経緯とねらいについては、まつりぺきんがnoteで発表している。
西脇祥貴の「天網快快TimeLine」では第九回攝津幸彦記念賞・准賞を受賞した太代祐一のことや林やは編集の合同誌「90’s」について取り上げている。この時点では受賞作は未公開だったが、その後発表誌が届いたので、「豈」67号から太代の作品を紹介する。
飛行機は森だった見抜けなかった
注がれて僕の代わりに悶えてよ
片恋が林檎だなんて静電気
選者のうち城貴代美が3点、筑紫磐井が2点を入れている。選評から。
「若い人らしく、口語表現をうまく使って現代の心理をうまく言い留めている」(筑紫)
「ことばのきらめき、眩しいくらいの作品群でした。作者は28歳、さらに言葉の安定に捉われず実験をされることを求めます」(城)
筑紫、城の両人が引用しているのが「片恋が林檎だなんて静電気」の句。俳句の季語に当たるのは「林檎」だが、止めの言葉「静電気」が効果的。俳句としても読めるところが選者の眼にとまった所以だろう。
2024年12月13日金曜日
2024年11月29日金曜日
蕉風の付け方
10月27日に国民文化祭ぎふ「連句の祭典」が岐阜市の「じゅうろくプラザ」で開催された。国文祭には例年、川柳ではなくて連句のイベントの方に参加している。
その前日、大垣の「奥の細道むすびの地記念館」を訪れた。芭蕉は大垣に四度来ている。『奥の細道』の終着が大垣で終っているのはよく知られているが、それは三度目の旅でのことだった。大垣には谷木因(たに・ぼくいん)という俳諧師がいて、芭蕉とは交流があった。木因は大垣蕉門の中心人物で、「むすびの地記念館」のそばに芭蕉と木因の二人が並び立っている像がある。
芭蕉の第一回大垣来遊は貞享元年(1684年)晩秋、『野ざらし紀行』の旅のときである。木因を訪問したあと、芭蕉は名古屋に向かい「尾張五歌仙」(『冬の日』)を巻く。名古屋は蕉風発祥の地といわれている。
「大垣に泊りける夜は、木因が家をあるじとす。武蔵野を出づる時、野ざらしを心に思ひて旅立ければ
死にもせぬ旅寝の果てよ秋の暮」(『野ざらし紀行』)
この旅の冒頭の句「野ざらしを心に風のしむ身哉」と比べると余裕が感じられ、木因と会うことが旅のひとつの目的だったことが分かる。
さて、「むすびの地記念館」の展示の監修もしている俳文学者の佐藤勝明は、「江古田文学」113号(特集・連句入門)で蕉風の付け方について、見込・趣向・句作の三工程があったと述べている。
作者の頭のなかでは、前句への理解である「見込」と、それに基づいて次の句では何を取り上げようかなという「趣向」、さらに実際に素材や表現を選んで整える「句作」の三工程があって、見込から趣向を導く際には、一種の自問自答のようなものがあったのではないか、と私は考えています。(特別講座「芭蕉連句入門書」入門)
具体例として佐藤が挙げているのは、『去来抄』の次のエピソードである。
「あやの寝巻にうつる日の影」という前句に一座のみなが付けあぐんでいたときに、芭蕉が「よき上臈の旅なるべし」と助言したところ、去来がたちまち「なくなくも小さき草鞋求めかね」と付けることができた、というのである。
前句の「あやの寝巻」は女性だろうが、深窓の令嬢であれば日光の当たる部屋ではなく、奥まったところにいるはずだから、これは日常ではなく旅だろうと芭蕉は考えた(見込)。というのが佐藤の解釈である。去来はこの見込を受けて、泣いてみても小さい草鞋は手に入らないという句を付けた(趣向、句作)。
この話は芭蕉流の付け方の骨法を伝えていると佐藤は言う。前句はどういう場か、どんなひとなのだろうかを考え、それに位を合わせる付け方である。
この付け方を現代連句の実作の場で可視化しようとしたのが鈴木千惠子である。鈴木の『杞憂に終わる連句入門』(文学通信、2020年)に収録されている歌仙「老が恋」の巻は蕪村を発句とした脇起りであるが、最初の四句だけ引用する。
老が恋わすれんとすればしぐれかな 与謝蕪村
ちりちり痛む胸の埋火 鈴木千惠子
迷ひ犬人混み分けてさがすらん 玉城珠卜
ニュースを流す壁のあちこち 佐藤勝明
佐藤勝明が連衆に入っているのが注目されるが、この作品には解説が付いていて、こんなふうになっている。
ちりちり痛む胸の埋火
見込 発句にはわすれようとしても諦められない恋心が詠まれている
趣向 その未練を、埋火に喩えた
句作 恋心を「とりとり痛む」と表現した
迷ひ犬人混み分けてさがすらん
見込 脇は恋に身を焦す人物の胸のうちが詠まれている
趣向 恋の焦燥感を迷子になった犬をさがす愛犬家の心情に転じた
句作 必死の様子を「人混み分けて」と表現した
ニュースを流す壁のあちこち
見込 前句を都会の雑踏と見て
趣向 その中で目にしそうな光景を想像し
句作 電光掲示板に情報が流れるとした
理屈通りに句作ができるわけではないだろうが、注目すべき試みかと思う。
最後に国民文化祭ぎふ「連句の祭典」で文部科学大臣賞を受賞した短歌行「実朝忌」の巻の表四句を紹介しておこう。和漢連句が文科大臣賞を受賞するのは画期的なことである。
梅東風や海のとどろく実朝忌 服部秋扇
孟春射剛弓 石上遥夢
蜜蜂のハニカム構造模作して 西川菜帆
猫の家には丁度よき箱 岡部瑞枝
その前日、大垣の「奥の細道むすびの地記念館」を訪れた。芭蕉は大垣に四度来ている。『奥の細道』の終着が大垣で終っているのはよく知られているが、それは三度目の旅でのことだった。大垣には谷木因(たに・ぼくいん)という俳諧師がいて、芭蕉とは交流があった。木因は大垣蕉門の中心人物で、「むすびの地記念館」のそばに芭蕉と木因の二人が並び立っている像がある。
芭蕉の第一回大垣来遊は貞享元年(1684年)晩秋、『野ざらし紀行』の旅のときである。木因を訪問したあと、芭蕉は名古屋に向かい「尾張五歌仙」(『冬の日』)を巻く。名古屋は蕉風発祥の地といわれている。
「大垣に泊りける夜は、木因が家をあるじとす。武蔵野を出づる時、野ざらしを心に思ひて旅立ければ
死にもせぬ旅寝の果てよ秋の暮」(『野ざらし紀行』)
この旅の冒頭の句「野ざらしを心に風のしむ身哉」と比べると余裕が感じられ、木因と会うことが旅のひとつの目的だったことが分かる。
さて、「むすびの地記念館」の展示の監修もしている俳文学者の佐藤勝明は、「江古田文学」113号(特集・連句入門)で蕉風の付け方について、見込・趣向・句作の三工程があったと述べている。
作者の頭のなかでは、前句への理解である「見込」と、それに基づいて次の句では何を取り上げようかなという「趣向」、さらに実際に素材や表現を選んで整える「句作」の三工程があって、見込から趣向を導く際には、一種の自問自答のようなものがあったのではないか、と私は考えています。(特別講座「芭蕉連句入門書」入門)
具体例として佐藤が挙げているのは、『去来抄』の次のエピソードである。
「あやの寝巻にうつる日の影」という前句に一座のみなが付けあぐんでいたときに、芭蕉が「よき上臈の旅なるべし」と助言したところ、去来がたちまち「なくなくも小さき草鞋求めかね」と付けることができた、というのである。
前句の「あやの寝巻」は女性だろうが、深窓の令嬢であれば日光の当たる部屋ではなく、奥まったところにいるはずだから、これは日常ではなく旅だろうと芭蕉は考えた(見込)。というのが佐藤の解釈である。去来はこの見込を受けて、泣いてみても小さい草鞋は手に入らないという句を付けた(趣向、句作)。
この話は芭蕉流の付け方の骨法を伝えていると佐藤は言う。前句はどういう場か、どんなひとなのだろうかを考え、それに位を合わせる付け方である。
この付け方を現代連句の実作の場で可視化しようとしたのが鈴木千惠子である。鈴木の『杞憂に終わる連句入門』(文学通信、2020年)に収録されている歌仙「老が恋」の巻は蕪村を発句とした脇起りであるが、最初の四句だけ引用する。
老が恋わすれんとすればしぐれかな 与謝蕪村
ちりちり痛む胸の埋火 鈴木千惠子
迷ひ犬人混み分けてさがすらん 玉城珠卜
ニュースを流す壁のあちこち 佐藤勝明
佐藤勝明が連衆に入っているのが注目されるが、この作品には解説が付いていて、こんなふうになっている。
ちりちり痛む胸の埋火
見込 発句にはわすれようとしても諦められない恋心が詠まれている
趣向 その未練を、埋火に喩えた
句作 恋心を「とりとり痛む」と表現した
迷ひ犬人混み分けてさがすらん
見込 脇は恋に身を焦す人物の胸のうちが詠まれている
趣向 恋の焦燥感を迷子になった犬をさがす愛犬家の心情に転じた
句作 必死の様子を「人混み分けて」と表現した
ニュースを流す壁のあちこち
見込 前句を都会の雑踏と見て
趣向 その中で目にしそうな光景を想像し
句作 電光掲示板に情報が流れるとした
理屈通りに句作ができるわけではないだろうが、注目すべき試みかと思う。
最後に国民文化祭ぎふ「連句の祭典」で文部科学大臣賞を受賞した短歌行「実朝忌」の巻の表四句を紹介しておこう。和漢連句が文科大臣賞を受賞するのは画期的なことである。
梅東風や海のとどろく実朝忌 服部秋扇
孟春射剛弓 石上遥夢
蜜蜂のハニカム構造模作して 西川菜帆
猫の家には丁度よき箱 岡部瑞枝
2024年11月22日金曜日
ねじまき句集を読む会
11月17日、イーブル名古屋で「ねじまき句集を読む会」が開催された。青砥和子『雲に乗る』(新葉館出版)と瀧村小奈生『留守にしております。』(左右社)の二句集を読む会である。
午前の部は青砥和子の句集について。なかはられいこ、米山明日香歌、笹田かなえの三人が句集からピックアップした作品を丁寧に読んでゆく。 なかはらは「家族や身近な人がモチーフになった初期だと思われる作品群」と「「書き続けることで進化あるいは深化した作品群」が混在していると述べ、「生活者青砥和子から川柳作家青砥和子まで」、章立てのあいまいさを指摘した。
それぞれの事情があってイオンまで (どんな川柳人・一般人にも〇な佳句)
母さんが最新兵器しょってくる (?な句=誉め言葉)
泡だったままで閉店いたします (なぞの主体)
夜の芯になろうと回る観覧車 (個性的な空間の捉え方)
米山明日歌は「青砥和子の雲の乗り方を探る」という視点から、第一章は「子の目を通して自分がどう写っているか。母として子にどう接したらいいか模索している」、第二章は「家族から離れ父母、弟、妹と自分の関係を今の自分が、見つめ直し新たな発見をする」、第三章は「作者の中で一章と二章がつながり、力の抜けた言葉があふれだす」とまとめた。
手の中の海を息子が見せにくる (第一章)
父はただ穴を掘ったとしか言わぬ (第二章)
善人って砂をまぶして出来上がる (第三章)
笹田かなえは「何か」をその句に対して言いたくなる」句を選んだとして次のように分類した。
猫を抱く桃井かおりの顔で抱く (時代性・同年代としての共感)
こめかみをグリグリ八合目ですね(生活の中での川柳的な視線を感じた句)
サーカスの虎の気だるい肩の骨 (発見のある句)
しあわせってこんなんぎんなん見つけた(内在律の優れていると感じた句)
仮に地球だったらと青蜜柑剥く (青砥和子の個性を感じた句)
「ねじまき句会」のメンバーによる『雲に乗る』からの一句選も発表されていて、人気のあった推奨句として次の二句を挙げておく。
父はただ穴を掘ったとしか言わぬ
吊るされるだけでこんなに美しい
それぞれのパネラーが丁寧に句を読み込んでいて、句集を通読したときには見逃していた中にもいい句が多いことに気づいた。句の読みが充実しているのも、ふだんの「ねじまき句会」での読みの積み重ねによるのだろう。配付されたレジュメにあげられていない句で、私がいいと思ったのを二句挙げておく。
交番でモーゼの長き旅終わる
房長き藤すれすれの逃げやすさ
休憩をはさんで、午後は瀧村小奈生の句集について。パネラーは、おかださなぎ、猫田千恵子、八上桐子の三人である。
まず、おかだの選んだ句から。
きょうもまだ雨音になれなかったな (水のさまざまなすがた)
ひっぱると夜となにかが落ちてくる (なにかを見ている)
夏よ!(曖昧さを回避していない) (活きている口語表現)
わたしたち海と秋とが欠けている (たしかな抒情)
次に猫田千恵子の選句から。
降る雨のところどころが仏蘭西語 (全身で感じる)
愛じゅせよジュークボックスからじゅせよ (音を楽しむ)
靴踏んで、ねえ、白すぎるから踏んで (いたずらっぽく笑う少女)
ばあちゃんは走ったことのない系譜 (絵のないしかけ絵本)
八上桐子は「『留守にしております。』は、なぜ気持ちいいのか?」という観点から次のような句を抽出した。
長い夜そっと剥がしている音だ (響かせる音・耳の作家)
雨が海になる瞬間の あ だった(すぐ乾く雨・ささやかな偶然)
春楡のように家族であったこと (ささやかな偶然)
参加者は「ねじまき句会」のメンバーだけでなく、川柳観も多様であり、いろいろな意見が聞けて有益だった。川柳の句会では選だけがあって、作品の読みがほとんどなく、「ねじまき句会」が読みを重視する句会であることが実感された。終わりの挨拶で、なかはられいこが「ここまで来るのに二十年かかった」と語ったのが印象的だった。
最後に、当日の司会を担当した俳人の二村典子が今年三月に上梓した句集『三月』(黎明書房)から好きな句を紹介しておきたい。
野遊びの誰の話も聞いてない 二村典子
蝶の昼鏡の昼におくれつつ
たんぽぽの料理に欠かせない弱気
あっ足をふっ踏まないであめんぼう
否と応 蓮の浮葉の間には
午前の部は青砥和子の句集について。なかはられいこ、米山明日香歌、笹田かなえの三人が句集からピックアップした作品を丁寧に読んでゆく。 なかはらは「家族や身近な人がモチーフになった初期だと思われる作品群」と「「書き続けることで進化あるいは深化した作品群」が混在していると述べ、「生活者青砥和子から川柳作家青砥和子まで」、章立てのあいまいさを指摘した。
それぞれの事情があってイオンまで (どんな川柳人・一般人にも〇な佳句)
母さんが最新兵器しょってくる (?な句=誉め言葉)
泡だったままで閉店いたします (なぞの主体)
夜の芯になろうと回る観覧車 (個性的な空間の捉え方)
米山明日歌は「青砥和子の雲の乗り方を探る」という視点から、第一章は「子の目を通して自分がどう写っているか。母として子にどう接したらいいか模索している」、第二章は「家族から離れ父母、弟、妹と自分の関係を今の自分が、見つめ直し新たな発見をする」、第三章は「作者の中で一章と二章がつながり、力の抜けた言葉があふれだす」とまとめた。
手の中の海を息子が見せにくる (第一章)
父はただ穴を掘ったとしか言わぬ (第二章)
善人って砂をまぶして出来上がる (第三章)
笹田かなえは「何か」をその句に対して言いたくなる」句を選んだとして次のように分類した。
猫を抱く桃井かおりの顔で抱く (時代性・同年代としての共感)
こめかみをグリグリ八合目ですね(生活の中での川柳的な視線を感じた句)
サーカスの虎の気だるい肩の骨 (発見のある句)
しあわせってこんなんぎんなん見つけた(内在律の優れていると感じた句)
仮に地球だったらと青蜜柑剥く (青砥和子の個性を感じた句)
「ねじまき句会」のメンバーによる『雲に乗る』からの一句選も発表されていて、人気のあった推奨句として次の二句を挙げておく。
父はただ穴を掘ったとしか言わぬ
吊るされるだけでこんなに美しい
それぞれのパネラーが丁寧に句を読み込んでいて、句集を通読したときには見逃していた中にもいい句が多いことに気づいた。句の読みが充実しているのも、ふだんの「ねじまき句会」での読みの積み重ねによるのだろう。配付されたレジュメにあげられていない句で、私がいいと思ったのを二句挙げておく。
交番でモーゼの長き旅終わる
房長き藤すれすれの逃げやすさ
休憩をはさんで、午後は瀧村小奈生の句集について。パネラーは、おかださなぎ、猫田千恵子、八上桐子の三人である。
まず、おかだの選んだ句から。
きょうもまだ雨音になれなかったな (水のさまざまなすがた)
ひっぱると夜となにかが落ちてくる (なにかを見ている)
夏よ!(曖昧さを回避していない) (活きている口語表現)
わたしたち海と秋とが欠けている (たしかな抒情)
次に猫田千恵子の選句から。
降る雨のところどころが仏蘭西語 (全身で感じる)
愛じゅせよジュークボックスからじゅせよ (音を楽しむ)
靴踏んで、ねえ、白すぎるから踏んで (いたずらっぽく笑う少女)
ばあちゃんは走ったことのない系譜 (絵のないしかけ絵本)
八上桐子は「『留守にしております。』は、なぜ気持ちいいのか?」という観点から次のような句を抽出した。
長い夜そっと剥がしている音だ (響かせる音・耳の作家)
雨が海になる瞬間の あ だった(すぐ乾く雨・ささやかな偶然)
春楡のように家族であったこと (ささやかな偶然)
参加者は「ねじまき句会」のメンバーだけでなく、川柳観も多様であり、いろいろな意見が聞けて有益だった。川柳の句会では選だけがあって、作品の読みがほとんどなく、「ねじまき句会」が読みを重視する句会であることが実感された。終わりの挨拶で、なかはられいこが「ここまで来るのに二十年かかった」と語ったのが印象的だった。
最後に、当日の司会を担当した俳人の二村典子が今年三月に上梓した句集『三月』(黎明書房)から好きな句を紹介しておきたい。
野遊びの誰の話も聞いてない 二村典子
蝶の昼鏡の昼におくれつつ
たんぽぽの料理に欠かせない弱気
あっ足をふっ踏まないであめんぼう
否と応 蓮の浮葉の間には
2024年9月14日土曜日
第12回文学フリマ大阪
9月8日(日)に文学フリマ大阪が天満橋のOMMビルで開催され、主催者発表で4899名(出店者・1141名、一般来場者3758名)の参加があったという。盛会だったけれど、背中合わせのブースのスペースが狭く、移動しにくいという難点があってやや疲れた。
大阪ではじめて文学フリマが開催されたのは、2013年4月のこと。このときの会場は堺市の産業振興センターで、来場者は1600人ほど。そのときのパンフレットには「ついに大阪でも文学フリマを開催することができました」「関西圏では初めての文学フリマです」「今回の大阪開催はゴールではなく、はじまりです」などの言葉が見られる。10年を経て文フリ大阪も発展してきたわけだ。 私が文フリ大阪に出店しはじめたのは2015年9月から。2018年から会場が堺市から天満橋OMMビルに変わって、現在に至っている。ずっとひとりで川柳からの出店を続けていたが、最近は川柳のブースも出るようになり、今回は「川柳EXPO」と隣接配置。
ゲットした冊子をいくつか紹介すると、まず「川柳光子猿」。見開きの右ページに参加者の作品、左ページに海馬の評が付いている。
富士山が昨夜発見されました まつりぺきん
(訳者注 天国なんてあるのかな) まつりぺきん
どくだみのしのびわらいをたやさずに 八上桐子
かたつむり まぶたのうすくなるばかり 八上桐子
鉄道を畏れ糖度を下げたいの 榊陽子
押しのけて押しのけていく胃袋へ 榊陽子
榊陽子は「やかましい夢は空調にすぎない」という6ページの冊子も出している。
林やは編集・発行の「90’s」は川柳・短歌・エッセイ・詩の各作品を掲載。川柳のページから。
頼まれて問いの雌雄を選り分ける ササキリユウイチ
牛乳の数学力じゃ帰れない ササキリユウイチ
淋しいと言って崩れた所得税 郡司和斗
登りつめると匿名性が待っていた 郡司和斗
焼きたての名探偵はふたつまで 雨月茄子春
かつて名探偵だった雪が降る 雨月茄子春
短歌では「西瓜」13号を購入。
境界をこえゆくものは自らの帽子をつかみ引き下ろすべし 江戸雪
爪を切る静けさのあと白鍵と黒鍵は交互に鳴らされた 鈴木晴香
こめつぶのごとき恋愛感情がわつとむらがるわが耳に背に 染野太朗
目的を持つことで境界線が引ける だからどうだというんだろうか とみいえひろこ
会社じゃなく過去を清算したいんです 弁護士さんなら分かりますよね 三田三郎
文フリの前日、大阪・上本町で「川柳スパイラル」大阪句会を開催した。そのときの参加者のひとり、綿山憩が句会の余韻のなかでフリぺ「乱反射」15句を作って文フリ会場に持ってきたので、その中から二句紹介する。
柘榴爆ぜたり 佐藤は偽名 綿山憩
致死量の桜桃三十九粒 薄暮 綿山憩
ブースにはあまり回れず、手に入れそこなったものも多いが、来場の川柳人と言葉を交わすことができたし、『川柳EXPO』の参加者にも何人か直接お目にかかることができた。短詩型文学は作品がすべてなのだけれど、作者に実際に会っておくことにも意味があることと思う。交流の場は大切である。
大阪ではじめて文学フリマが開催されたのは、2013年4月のこと。このときの会場は堺市の産業振興センターで、来場者は1600人ほど。そのときのパンフレットには「ついに大阪でも文学フリマを開催することができました」「関西圏では初めての文学フリマです」「今回の大阪開催はゴールではなく、はじまりです」などの言葉が見られる。10年を経て文フリ大阪も発展してきたわけだ。 私が文フリ大阪に出店しはじめたのは2015年9月から。2018年から会場が堺市から天満橋OMMビルに変わって、現在に至っている。ずっとひとりで川柳からの出店を続けていたが、最近は川柳のブースも出るようになり、今回は「川柳EXPO」と隣接配置。
ゲットした冊子をいくつか紹介すると、まず「川柳光子猿」。見開きの右ページに参加者の作品、左ページに海馬の評が付いている。
富士山が昨夜発見されました まつりぺきん
(訳者注 天国なんてあるのかな) まつりぺきん
どくだみのしのびわらいをたやさずに 八上桐子
かたつむり まぶたのうすくなるばかり 八上桐子
鉄道を畏れ糖度を下げたいの 榊陽子
押しのけて押しのけていく胃袋へ 榊陽子
榊陽子は「やかましい夢は空調にすぎない」という6ページの冊子も出している。
林やは編集・発行の「90’s」は川柳・短歌・エッセイ・詩の各作品を掲載。川柳のページから。
頼まれて問いの雌雄を選り分ける ササキリユウイチ
牛乳の数学力じゃ帰れない ササキリユウイチ
淋しいと言って崩れた所得税 郡司和斗
登りつめると匿名性が待っていた 郡司和斗
焼きたての名探偵はふたつまで 雨月茄子春
かつて名探偵だった雪が降る 雨月茄子春
短歌では「西瓜」13号を購入。
境界をこえゆくものは自らの帽子をつかみ引き下ろすべし 江戸雪
爪を切る静けさのあと白鍵と黒鍵は交互に鳴らされた 鈴木晴香
こめつぶのごとき恋愛感情がわつとむらがるわが耳に背に 染野太朗
目的を持つことで境界線が引ける だからどうだというんだろうか とみいえひろこ
会社じゃなく過去を清算したいんです 弁護士さんなら分かりますよね 三田三郎
文フリの前日、大阪・上本町で「川柳スパイラル」大阪句会を開催した。そのときの参加者のひとり、綿山憩が句会の余韻のなかでフリぺ「乱反射」15句を作って文フリ会場に持ってきたので、その中から二句紹介する。
柘榴爆ぜたり 佐藤は偽名 綿山憩
致死量の桜桃三十九粒 薄暮 綿山憩
ブースにはあまり回れず、手に入れそこなったものも多いが、来場の川柳人と言葉を交わすことができたし、『川柳EXPO』の参加者にも何人か直接お目にかかることができた。短詩型文学は作品がすべてなのだけれど、作者に実際に会っておくことにも意味があることと思う。交流の場は大切である。
2024年8月30日金曜日
江畑實『創世神話「塚本邦雄」』
前回は彦坂美喜子『春日井建論』を紹介したので、短歌つながりで今回は江畑實『創世神話「塚本邦雄」 初期歌集の精神風景』(ながらみ書房)を取り上げる。
塚本邦雄の初期については楠見朋彦『塚本邦雄の青春』(ウェッジ文庫)を読んだことがあり、『水葬物語』までの日々が書かれていた。江畑の本では第七歌集『星餐圖』までを初期と捉え、その精神的位相と作品創造の動因をさぐっている。
塚本の短歌と俳句の関係については、すでに短歌界ではよく知られているのかもしれないが、本書でまず興味深かったのは塚本の俳句についての部分である。塚本は「火原翔」名義で『俳句帖』を残しており、『文庫版塚本邦雄全集』(短歌研究社)に収録されている。江畑は「俳句帖」と『水葬物語』の作品を並べて紹介している。
父母よひるの夕顔なまぐさく
父母よ七つのわれのてにふれしひるの夕顔なまぐさかりき
夏夕べ偽ナルシスら変貌す
ナルシスの変貌も視てみづからに鞭うてり紅き蔓薔薇のむち
麺麭いだき佇てば日本の葦と泥
麺麭いだき佇てば周りの葦群に泥にひぐれの風たちにけり
安易に一般化はできないが、俳句で詠まれているイメージに短歌では何を付け加えたり切り捨てたりしているのか、興味深いサンプルだろう。「父母よ」の短歌では俳句にない「われ」が登場したり、「偽ナルシス」から自らを鞭うつ行為へとイメージの展開がうかがえる。一首目と二首目は塚本の自選歌集『寵歌』にも収録されているから成功作なのだろう。寺山修司における俳句と短歌の関係などを思い出させる。
塚本の『俳句帖』には「棘のあるSONNET」と題された14句の作品がある。ソネットだから韻を踏んでいる。
三日月麺麭の絵を革命歌作詞家に A
密会や扇のやうにひろがる夜 B
祭司長老いて晩夏の野にかへる B
尖塔の窓ひらく夜の童貞尼 A
種馬や颱風の眼の透明に A
市長夫人の柩の中のスキャンダル B
ひまはりに幾百の舌ひるがへる B
喜望峰 マスト傾きつつあるに A
背き去る女にグラディオラスの花序 C
街を出てあざみをくぐりゆく半処女 C
彼女のみ死る巻貝の夜の歩み D
真珠貝の内部も雨季に入りたらむ E
廃嫡の子にのこしおく君子蘭 E
薔薇の木のつみきのまちのなつがすみ D
マチネ・ポエティックの影響を受けているのだろうが、九鬼周造にも韻律論がある。
連句でも鈴木漠がソネット形式の連句を好んでいる。次にあげるのは連句集『花神帖』(編集工房ノア)から「海市」の巻。
源平の往時偲ぶや花の乱 梅村光明 A
海市の街にひるがへる旗 別所真紀 B
風光るトアロードへと誘ふらん 鈴木 漠 A
蟹行文字の酒を一杯 光明 B(一杯は「ひとはた」)
短夜の天辺かけたかミサイルは 真紀 C
午睡の夢にまたも魘さる 光明 D
妖精が隠れんばうをしてゐる葉 漠 C
秋果の彩を盛りあげし笊 真紀 D
総身に鱗を着たり月の下 真紀 E
沖は恋慕の不知火が増え 漠 F
悪びれず婀娜な人妻騙す舌 光明 E
わが式神を呼び出す箱 真紀 G
床の間に難を転ずる実も飾り 光明 H
雪国に生き雪はうんざり 漠 H
脚韻の踏み方には何種類かあるが、ABBAは抱擁韻、ABABは交差韻と呼ぶ。連句におけるソネット形式は珍田弥一郎の創案では韻を踏まないが、関西では鈴木漠の韻を踏む方式が多い。詩人で連句人の鈴木漠は塚本邦雄とも交流があり、春日井建も塚本とは親しかったので、塚本はこの二人を、建ちゃん・漠ちゃんと呼んでいたそうだ。
江畑の本に戻ると、『水葬物語』の時期の短歌と俳句制作が重なっていることについて、江畑はこんなふうにまとめている。
「同人誌『メトーデ』での『水葬物語』作品の発表は、俳句誌『白堊』での活動期と重なっているので、これらの作業は同時並行的に進められたことになる。いわば短歌の作品世界を生成するうえで、俳句形式を利用したようにも見える。まさに驚異的であり、天才的と言うしかないだろう」
『装飾樂句』以降については本書を読まれたい。
最後に短歌誌「七曜」212号から紀野恵の「嘉応二年九月二十日大輪田泊、宋船来航」を紹介しておきたい。紀野は歴史を題材とした歌物語ふうの成り代わりの歌をしばしば詠んでいて、歌集『遣唐使のものがたり』(砂子屋書房)はその代表作。今回の嘉応二年は平清盛が日宋貿易をはじめるにあたって宋船がはじめて大輪田泊(現在の神戸港の西側)に来航したことに基づく。遊び心や俳諧性に満ちた作品で、おもしろく読ませていただいた。14句の連作のうち4句をご紹介。
後白河法皇
対等の国と思へどなほ下に見つるものかな大陸(おほくが)の人
清盛
成り上がつて来たのぢや如何に細細とあらうと権を奪はざらめや
宋人
国王におはすはいづれ、大柄に見ゆる二人に問うてみやうか(ふふ)
陳和卿
〈東海の聯珠〉と訳し奉る国の誼をかろく思すな
塚本邦雄の初期については楠見朋彦『塚本邦雄の青春』(ウェッジ文庫)を読んだことがあり、『水葬物語』までの日々が書かれていた。江畑の本では第七歌集『星餐圖』までを初期と捉え、その精神的位相と作品創造の動因をさぐっている。
塚本の短歌と俳句の関係については、すでに短歌界ではよく知られているのかもしれないが、本書でまず興味深かったのは塚本の俳句についての部分である。塚本は「火原翔」名義で『俳句帖』を残しており、『文庫版塚本邦雄全集』(短歌研究社)に収録されている。江畑は「俳句帖」と『水葬物語』の作品を並べて紹介している。
父母よひるの夕顔なまぐさく
父母よ七つのわれのてにふれしひるの夕顔なまぐさかりき
夏夕べ偽ナルシスら変貌す
ナルシスの変貌も視てみづからに鞭うてり紅き蔓薔薇のむち
麺麭いだき佇てば日本の葦と泥
麺麭いだき佇てば周りの葦群に泥にひぐれの風たちにけり
安易に一般化はできないが、俳句で詠まれているイメージに短歌では何を付け加えたり切り捨てたりしているのか、興味深いサンプルだろう。「父母よ」の短歌では俳句にない「われ」が登場したり、「偽ナルシス」から自らを鞭うつ行為へとイメージの展開がうかがえる。一首目と二首目は塚本の自選歌集『寵歌』にも収録されているから成功作なのだろう。寺山修司における俳句と短歌の関係などを思い出させる。
塚本の『俳句帖』には「棘のあるSONNET」と題された14句の作品がある。ソネットだから韻を踏んでいる。
三日月麺麭の絵を革命歌作詞家に A
密会や扇のやうにひろがる夜 B
祭司長老いて晩夏の野にかへる B
尖塔の窓ひらく夜の童貞尼 A
種馬や颱風の眼の透明に A
市長夫人の柩の中のスキャンダル B
ひまはりに幾百の舌ひるがへる B
喜望峰 マスト傾きつつあるに A
背き去る女にグラディオラスの花序 C
街を出てあざみをくぐりゆく半処女 C
彼女のみ死る巻貝の夜の歩み D
真珠貝の内部も雨季に入りたらむ E
廃嫡の子にのこしおく君子蘭 E
薔薇の木のつみきのまちのなつがすみ D
マチネ・ポエティックの影響を受けているのだろうが、九鬼周造にも韻律論がある。
連句でも鈴木漠がソネット形式の連句を好んでいる。次にあげるのは連句集『花神帖』(編集工房ノア)から「海市」の巻。
源平の往時偲ぶや花の乱 梅村光明 A
海市の街にひるがへる旗 別所真紀 B
風光るトアロードへと誘ふらん 鈴木 漠 A
蟹行文字の酒を一杯 光明 B(一杯は「ひとはた」)
短夜の天辺かけたかミサイルは 真紀 C
午睡の夢にまたも魘さる 光明 D
妖精が隠れんばうをしてゐる葉 漠 C
秋果の彩を盛りあげし笊 真紀 D
総身に鱗を着たり月の下 真紀 E
沖は恋慕の不知火が増え 漠 F
悪びれず婀娜な人妻騙す舌 光明 E
わが式神を呼び出す箱 真紀 G
床の間に難を転ずる実も飾り 光明 H
雪国に生き雪はうんざり 漠 H
脚韻の踏み方には何種類かあるが、ABBAは抱擁韻、ABABは交差韻と呼ぶ。連句におけるソネット形式は珍田弥一郎の創案では韻を踏まないが、関西では鈴木漠の韻を踏む方式が多い。詩人で連句人の鈴木漠は塚本邦雄とも交流があり、春日井建も塚本とは親しかったので、塚本はこの二人を、建ちゃん・漠ちゃんと呼んでいたそうだ。
江畑の本に戻ると、『水葬物語』の時期の短歌と俳句制作が重なっていることについて、江畑はこんなふうにまとめている。
「同人誌『メトーデ』での『水葬物語』作品の発表は、俳句誌『白堊』での活動期と重なっているので、これらの作業は同時並行的に進められたことになる。いわば短歌の作品世界を生成するうえで、俳句形式を利用したようにも見える。まさに驚異的であり、天才的と言うしかないだろう」
『装飾樂句』以降については本書を読まれたい。
最後に短歌誌「七曜」212号から紀野恵の「嘉応二年九月二十日大輪田泊、宋船来航」を紹介しておきたい。紀野は歴史を題材とした歌物語ふうの成り代わりの歌をしばしば詠んでいて、歌集『遣唐使のものがたり』(砂子屋書房)はその代表作。今回の嘉応二年は平清盛が日宋貿易をはじめるにあたって宋船がはじめて大輪田泊(現在の神戸港の西側)に来航したことに基づく。遊び心や俳諧性に満ちた作品で、おもしろく読ませていただいた。14句の連作のうち4句をご紹介。
後白河法皇
対等の国と思へどなほ下に見つるものかな大陸(おほくが)の人
清盛
成り上がつて来たのぢや如何に細細とあらうと権を奪はざらめや
宋人
国王におはすはいづれ、大柄に見ゆる二人に問うてみやうか(ふふ)
陳和卿
〈東海の聯珠〉と訳し奉る国の誼をかろく思すな
2024年8月24日土曜日
綺語ならぬ言葉はありや―彦坂美喜子『春日井建論』
今年は春日井建の没後20年に当たり、「井泉」108号の小特集では春日井の歌集や歌について同人各位が文章を寄せている。彦坂美喜子は「井泉」2016年から「春日井建の詩の世界」、2020年から「春日井建の短歌の世界」を連載してきたが、今回の108号で完結したのと同時に『春日井建論―詩と短歌について』(短歌研究社)を上梓した。春日井の詩についても貴重な論考が掲載されているが、ここでは短歌の部分に絞って紹介してみたい。
春日井建といえば、第一歌集『未青年』の三島由紀夫の序文が有名である。
「現代はいろんな点で新古今集の時代に似てをり、われわれは一人の若い定家を持つたのである」
『未青年』から何首か引いておこう。
大空の斬首ののちの静もりか没ちし日輪がのこすむらさき
童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり
プラトンを読みて倫理の愛の章に泡立ちやまぬ若きししむら
ヴェニスに死すと十指つめたく展きをり水煙する雨の夜明けは
弟に奪はれまいと母の乳房をふたつ持ちしとき自我は生れき
彦坂ははじめて『未青年』を読んだときの違和感を次のように書いている。
〈『未青年』の歌の「斬首」「血」「童貞」「死」「私刑」「裂く」「足枷」「刑務所」「男囚」などの言葉に生々しさを感じるより、その悪を表象するある種のスタイルが誇大に見えてしまう、と思ったことである。むしろ『行け帰ることなく』の歌の方が、そのスタイルを吸収して、より物語的な世界を表出し得ている、と思ったのである〉
春日井建は中部短歌会の雑誌「短歌」に1955年から投稿している。彦坂は『未青年』以前の高校時代・初期の作品歌を丁寧に検討している。収録された歌と収録されなかった歌との違いはどこにあるのだろうか。
〈収録されていない歌は、我の気持ちを修飾する言葉たちがひしめき合い自己主張していて、結果的に虚の世界をあからさまにしてしまう〉
〈これらのどこにも所収されなかった歌は、「淫楽」「悪童」「遺書」「情事」など、過激な言葉と意味深い情況を提示しながら、下句に常識的で倫理的、理知的な素顔が覗く。あとから読み返して、建は、そのことに気づいたのではないだろうか〉
第二歌集『行け帰ることなく』を出したあと、春日井建は短歌を止めている。歌のわかれである。第三歌集『夢の法則』も出ているが、そこに収録されているのは『未青年』と同時期あるいはそれ以前の作品だという。彼が歌に復帰したのは第四歌集『青葦』からで、父や三島由紀夫の死がこの歌集を創る契機になったということだ。中部短歌会の「短歌」の編集発行人も受け継いでいる。『青葦』の「父母に献ず」の章には次の歌が掲載されている。
綺語ならぬ言葉はありやエディプスの峠路の章読みなづみつつ
彦坂は「井泉」108号の小特集「私の好きな春日井建の一首」でもこの歌を挙げている。私がこの歌を覚えているのも、以前どこかで彦坂の文章を読んだからだった。
建の父・春日井瀇に「汝を亡くせし日の夕茜悔いしより狂言綺語になじまずなりぬ」という亡き妻を詠んだ歌があり、彦坂は建の「綺語ならぬ言葉はありや」を父の歌に対する反歌ととらえている。
「綺語ならぬ言葉はありや」とは深くて鋭い洞察だと思う。ただ「エディプスの峠路の章読みなづみつつ」という取り合わせにはいくらか疑問を感じる。エディプス・コンプレックスは『未青年』のころから濃厚だったし、この観念は現代の読者にとってはすでに衝撃力をもたない。「綺語ならぬ言葉はありや」という言葉の射程距離は、エディプス的イメージやトーマス・マン的二元論をはるかに越えたところにまで届く可能性がある。俳諧における「狂言綺語」の系譜を探るのも興味深い作業だろう。
彦坂美喜子の批評から私はこれまでも刺激を受けてきたし、本書からも学ぶところが多かった。春日井建や塚本邦雄がいま短歌の世界でどの程度の関心をもたれているのか分からないが、彦坂の持続的な仕事に敬意を表したい。
春日井建といえば、第一歌集『未青年』の三島由紀夫の序文が有名である。
「現代はいろんな点で新古今集の時代に似てをり、われわれは一人の若い定家を持つたのである」
『未青年』から何首か引いておこう。
大空の斬首ののちの静もりか没ちし日輪がのこすむらさき
童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり
プラトンを読みて倫理の愛の章に泡立ちやまぬ若きししむら
ヴェニスに死すと十指つめたく展きをり水煙する雨の夜明けは
弟に奪はれまいと母の乳房をふたつ持ちしとき自我は生れき
彦坂ははじめて『未青年』を読んだときの違和感を次のように書いている。
〈『未青年』の歌の「斬首」「血」「童貞」「死」「私刑」「裂く」「足枷」「刑務所」「男囚」などの言葉に生々しさを感じるより、その悪を表象するある種のスタイルが誇大に見えてしまう、と思ったことである。むしろ『行け帰ることなく』の歌の方が、そのスタイルを吸収して、より物語的な世界を表出し得ている、と思ったのである〉
春日井建は中部短歌会の雑誌「短歌」に1955年から投稿している。彦坂は『未青年』以前の高校時代・初期の作品歌を丁寧に検討している。収録された歌と収録されなかった歌との違いはどこにあるのだろうか。
〈収録されていない歌は、我の気持ちを修飾する言葉たちがひしめき合い自己主張していて、結果的に虚の世界をあからさまにしてしまう〉
〈これらのどこにも所収されなかった歌は、「淫楽」「悪童」「遺書」「情事」など、過激な言葉と意味深い情況を提示しながら、下句に常識的で倫理的、理知的な素顔が覗く。あとから読み返して、建は、そのことに気づいたのではないだろうか〉
第二歌集『行け帰ることなく』を出したあと、春日井建は短歌を止めている。歌のわかれである。第三歌集『夢の法則』も出ているが、そこに収録されているのは『未青年』と同時期あるいはそれ以前の作品だという。彼が歌に復帰したのは第四歌集『青葦』からで、父や三島由紀夫の死がこの歌集を創る契機になったということだ。中部短歌会の「短歌」の編集発行人も受け継いでいる。『青葦』の「父母に献ず」の章には次の歌が掲載されている。
綺語ならぬ言葉はありやエディプスの峠路の章読みなづみつつ
彦坂は「井泉」108号の小特集「私の好きな春日井建の一首」でもこの歌を挙げている。私がこの歌を覚えているのも、以前どこかで彦坂の文章を読んだからだった。
建の父・春日井瀇に「汝を亡くせし日の夕茜悔いしより狂言綺語になじまずなりぬ」という亡き妻を詠んだ歌があり、彦坂は建の「綺語ならぬ言葉はありや」を父の歌に対する反歌ととらえている。
「綺語ならぬ言葉はありや」とは深くて鋭い洞察だと思う。ただ「エディプスの峠路の章読みなづみつつ」という取り合わせにはいくらか疑問を感じる。エディプス・コンプレックスは『未青年』のころから濃厚だったし、この観念は現代の読者にとってはすでに衝撃力をもたない。「綺語ならぬ言葉はありや」という言葉の射程距離は、エディプス的イメージやトーマス・マン的二元論をはるかに越えたところにまで届く可能性がある。俳諧における「狂言綺語」の系譜を探るのも興味深い作業だろう。
彦坂美喜子の批評から私はこれまでも刺激を受けてきたし、本書からも学ぶところが多かった。春日井建や塚本邦雄がいま短歌の世界でどの程度の関心をもたれているのか分からないが、彦坂の持続的な仕事に敬意を表したい。
2024年8月16日金曜日
「水脈」67号
北海道江別市で発行されている川柳誌「水脈」67号(編集発行人・浪越靖政)が届いたのでご紹介する。巻頭に浪越の「真島久美子句集『恋文』を読む」が掲載されている。その時々の話題が毎号紹介されていて、66号では「暮田真名著『宇宙人のためのせんりゅう入門』を読む」、65号は「哀悼 石田柊馬」であった。以下、67号の同人作品から。
波風が立たなくなった沼の葦 酒井麗水
仇敵の尾をふる音がきこえます 落合魯忠
足元を掬うとしらたきになるよ 河野潤々
太陽も彼此彼是も何かおかしい きりん
新じゃがのツルンとしてて未来形 平井詔子
スズランいっぽんアルカイックスマイル 一戸涼子
遠投がホームシックによく効いた 宇佐美愼一
さくら風味の水になんだか満たされる 澤野優美子
残像が右耳たぶを離れない 浪越靖政
今までに書いたこともあるが、「水脈」は飯尾麻佐子の「魚」「あんぐる」の後継誌である。「水脈」56号に浪越が「飯尾麻佐子と柳詩『魚』」を書いているのによると、次のようになる。
「魚」 1978年11月創刊。1996年8月、63号で休刊。
「あんぐる」1996年7月創刊。2002年7月、第17号で終刊。
「水脈」 2002年8月創刊。
「水脈」50号に浪越は次のように書いている。
「本誌の前身は1996年7月創刊の『あんぐる』で、飯尾麻佐子を中心に活動してきたが、麻佐子の体調不良があり、02年7月に第17号で終刊した。しかし、その後の話し合いで同人の再出発への意思が強く、新たに『水脈』を発行することになった」」
「あんぐる」はさらにさかのぼると飯尾麻佐子編集・発行の「魚」にゆきつく。魚については「川柳スパイラル」12号で私も次のように書いたことがある(「女性川柳とはもう言わない」)。
〈明治・大正・昭和前期まで「女性川柳」は男性視点で論じられてきたし、その際に男性川柳人が求めるものは「女の川柳」「恋愛」「抒情」「情念」などであった。人間の知情意のうち主として「情」に関わる部分であり、理知的な部分は副次的となる。当然そこから抜け落ちるものがあり、女性が自らの視点で女性川柳を考えるための場が要請されるのは必然だろう。こうして登場した川柳誌が飯尾マサ子(麻佐子)の「魚」である〉
川柳誌にはそれぞれのルーツがあり、「水脈」は現代川柳の一翼を担ってきた柳誌である。けれども雑誌は永遠に続くものではなく、どこかで終刊の時期を迎えるのはやむをえない。今号に「『水脈』の終刊について(予告)」の掲示が出て、来年8月の第70号をもって終刊するという。それまで全力で発行を続けるということなので、あと一年間の活躍を見まもりたい。
波風が立たなくなった沼の葦 酒井麗水
仇敵の尾をふる音がきこえます 落合魯忠
足元を掬うとしらたきになるよ 河野潤々
太陽も彼此彼是も何かおかしい きりん
新じゃがのツルンとしてて未来形 平井詔子
スズランいっぽんアルカイックスマイル 一戸涼子
遠投がホームシックによく効いた 宇佐美愼一
さくら風味の水になんだか満たされる 澤野優美子
残像が右耳たぶを離れない 浪越靖政
今までに書いたこともあるが、「水脈」は飯尾麻佐子の「魚」「あんぐる」の後継誌である。「水脈」56号に浪越が「飯尾麻佐子と柳詩『魚』」を書いているのによると、次のようになる。
「魚」 1978年11月創刊。1996年8月、63号で休刊。
「あんぐる」1996年7月創刊。2002年7月、第17号で終刊。
「水脈」 2002年8月創刊。
「水脈」50号に浪越は次のように書いている。
「本誌の前身は1996年7月創刊の『あんぐる』で、飯尾麻佐子を中心に活動してきたが、麻佐子の体調不良があり、02年7月に第17号で終刊した。しかし、その後の話し合いで同人の再出発への意思が強く、新たに『水脈』を発行することになった」」
「あんぐる」はさらにさかのぼると飯尾麻佐子編集・発行の「魚」にゆきつく。魚については「川柳スパイラル」12号で私も次のように書いたことがある(「女性川柳とはもう言わない」)。
〈明治・大正・昭和前期まで「女性川柳」は男性視点で論じられてきたし、その際に男性川柳人が求めるものは「女の川柳」「恋愛」「抒情」「情念」などであった。人間の知情意のうち主として「情」に関わる部分であり、理知的な部分は副次的となる。当然そこから抜け落ちるものがあり、女性が自らの視点で女性川柳を考えるための場が要請されるのは必然だろう。こうして登場した川柳誌が飯尾マサ子(麻佐子)の「魚」である〉
川柳誌にはそれぞれのルーツがあり、「水脈」は現代川柳の一翼を担ってきた柳誌である。けれども雑誌は永遠に続くものではなく、どこかで終刊の時期を迎えるのはやむをえない。今号に「『水脈』の終刊について(予告)」の掲示が出て、来年8月の第70号をもって終刊するという。それまで全力で発行を続けるということなので、あと一年間の活躍を見まもりたい。
2024年8月11日日曜日
吉松澄子の川柳
「川柳スパイラル」21号に吉松澄子は次の8句を投句している。「青」の連作である。
青くなるユーモアだけを持ち歩く
試作品だったそれでも青だった
魔がさしてブルーに光るバイオリン
こわいなあ青い時間がふくらんで
アダージョになれば青だとわかります
裏切りの青はきれいな仮分数
自由律ですから青空が続く
スズメ来て本当らしくなってきた
8句をそろえるのにはいろいろなやり方があるが、吉松は連作に仕立てることが多い。連作はテーマや言葉に統一性があるから書きやすい面もあるが、単調になると読者が飽きてしまうというリスクがある。吉松の句はベテランらしく、一句一句に独自性があり、互いに効果を打ち消してしまうことがない。「青くなるユーモア」とは何だろう。「赤くなるユーモア」があるのか。試作品が青というのはプラス・イメージなのか。自由律と青空の取り合わせなど、それぞれの句に読みどころがある。
「川柳スパイラル」20号の連作のテーマは「りんご」だった。
林檎することにしたのでよろしくね
秘めごとのひとつやふたつアップルパイ
不機嫌なりんご深読みしたんだね
訳ありリンゴなのに言わずにいてごめん
告白をしますアップルティーだから
林檎・りんご・リンゴという表記の書き分けのほか、アップルパイ・アップルティーなど素材の幅を広げている。川柳の基本文体である口語を用いているのも読みやすい。
次のような作り方もある(6号)。
きれいごと並べて遊びたいような
アネモネのモネのあたりを飛ぶような
ざっくりと言えばラ・フランスのような
ハーメルンの笛が誘いにきたような
読みさしのページを閉じているような
カスタネットは星屑食べているような
夕顔の進むつもりはないような
痛点に鳥の切手を貼るような
「~ような」という課題を設定して、そこに自由なイメージを繰り広げている。川柳でも安易な比喩は失敗しやすいのだが、吉松の句は安心して読めるし、また読んでいて楽しい。技術の裏付けがあるからだろう。
ここまで題詠や文体に注目してきたが、川柳性のある句も書かれている。
水色だけでいい水色だけがいい (19号)
いい人のふりを何度もしましたね (19号)
ほんとうだから嘘っぽく話そうね (16号)
輪唱がずれていくさがはじまった (13号)
あともどりもうできなくて常温で (12号)
ねむるときねむるちからがあるような(12号)
さみしくて明るいものを消しにゆく (10号)
自由席にそそのかされているらしい (9号)
こじらせるそんなつもりはない再会 (3号)
噴水の意見どうでもいいけれど (2号)
以下、「川柳スパイラル」に発表された吉松の句を任意に抜き出しておく。
奇跡など信じたころの春の虹
春嵐ことばはもろいものですね
秋うららラストスパートだよみんな
くちびるをとんがらかしてふゆふゆふゆ
逢いましょう空の記憶のあるうちに
一人称単数うつくしい時間
誰のものですか鎖骨がうつくしい
モザイクは不思議な色になりたがる
心中をしようかなんてソーダ水
セクシーな海藻サラダなればこそ
偏差値の高そうな法蓮草だよ
葛切りの予備はあるからさようなら
生活者としての季節感の句もあるし、時間の推移のなかで浮かんでは消える思いを書いた句もある。いろいろな書き方のできる作者だが、どの作品も口語文体を基本として端正な言葉によって書かれている。私も吉松の句から学ぶことが多かった。
青くなるユーモアだけを持ち歩く
試作品だったそれでも青だった
魔がさしてブルーに光るバイオリン
こわいなあ青い時間がふくらんで
アダージョになれば青だとわかります
裏切りの青はきれいな仮分数
自由律ですから青空が続く
スズメ来て本当らしくなってきた
8句をそろえるのにはいろいろなやり方があるが、吉松は連作に仕立てることが多い。連作はテーマや言葉に統一性があるから書きやすい面もあるが、単調になると読者が飽きてしまうというリスクがある。吉松の句はベテランらしく、一句一句に独自性があり、互いに効果を打ち消してしまうことがない。「青くなるユーモア」とは何だろう。「赤くなるユーモア」があるのか。試作品が青というのはプラス・イメージなのか。自由律と青空の取り合わせなど、それぞれの句に読みどころがある。
「川柳スパイラル」20号の連作のテーマは「りんご」だった。
林檎することにしたのでよろしくね
秘めごとのひとつやふたつアップルパイ
不機嫌なりんご深読みしたんだね
訳ありリンゴなのに言わずにいてごめん
告白をしますアップルティーだから
林檎・りんご・リンゴという表記の書き分けのほか、アップルパイ・アップルティーなど素材の幅を広げている。川柳の基本文体である口語を用いているのも読みやすい。
次のような作り方もある(6号)。
きれいごと並べて遊びたいような
アネモネのモネのあたりを飛ぶような
ざっくりと言えばラ・フランスのような
ハーメルンの笛が誘いにきたような
読みさしのページを閉じているような
カスタネットは星屑食べているような
夕顔の進むつもりはないような
痛点に鳥の切手を貼るような
「~ような」という課題を設定して、そこに自由なイメージを繰り広げている。川柳でも安易な比喩は失敗しやすいのだが、吉松の句は安心して読めるし、また読んでいて楽しい。技術の裏付けがあるからだろう。
ここまで題詠や文体に注目してきたが、川柳性のある句も書かれている。
水色だけでいい水色だけがいい (19号)
いい人のふりを何度もしましたね (19号)
ほんとうだから嘘っぽく話そうね (16号)
輪唱がずれていくさがはじまった (13号)
あともどりもうできなくて常温で (12号)
ねむるときねむるちからがあるような(12号)
さみしくて明るいものを消しにゆく (10号)
自由席にそそのかされているらしい (9号)
こじらせるそんなつもりはない再会 (3号)
噴水の意見どうでもいいけれど (2号)
以下、「川柳スパイラル」に発表された吉松の句を任意に抜き出しておく。
奇跡など信じたころの春の虹
春嵐ことばはもろいものですね
秋うららラストスパートだよみんな
くちびるをとんがらかしてふゆふゆふゆ
逢いましょう空の記憶のあるうちに
一人称単数うつくしい時間
誰のものですか鎖骨がうつくしい
モザイクは不思議な色になりたがる
心中をしようかなんてソーダ水
セクシーな海藻サラダなればこそ
偏差値の高そうな法蓮草だよ
葛切りの予備はあるからさようなら
生活者としての季節感の句もあるし、時間の推移のなかで浮かんでは消える思いを書いた句もある。いろいろな書き方のできる作者だが、どの作品も口語文体を基本として端正な言葉によって書かれている。私も吉松の句から学ぶことが多かった。
2024年7月27日土曜日
現代連句時評
『連句年鑑』令和6年版(日本連句協会)が発行された。前年度の記録として毎年発行されているが、国民文化祭の入選作品や全国の連句グループの作品のほかに評論やエッセイも掲載されている。「芭蕉が北枝にもたらしたもの」(綿貫豊昭)は蕉門十哲のひとりで伊勢派のルーツでもある立花北枝と芭蕉の出会いについて詳述している。「試みの非懐紙」(狩野康子・永淵丹・鹿野恵子)は橋閒石の創始した非懐紙についての実践的なレポート。「季寄せの中の水生生物」(木村ふう)は水生生物の研究者であり連句人でもある木村が魚や貝などの生態と季語との対応を検討している。季語の水生生物は食べられるものが多いのは人間生活との関係でうなずける。地域差の問題や、ある生物がなぜその季節の季語になっているか、また季語と季節があわなくなっている要因を表やグラフも使って興味深く説明している。鰆(サワラ)は三春の季語だが関東と関西で旬が違う、源五郎鮒は三夏だが旬は冬から春にかけて、帆立貝は三夏だが旬は初秋から初夏(冷凍品は一年中)など、ふだん気づかない情報が書かれている。
昨年の国民文化祭・石川の文科大臣賞受賞作品(半歌仙「遡りては」)から。
遡りては流されて春の鴨 名本敦子
やまあららぎの尖る銀の芽 久翠
暮れ遅し陶土練る背に月射して 杉山豚望
ジュニアの部の作品(表合せ六句「人気者」)から。
ストーブや期間限定人気者 柚男
来てくれるかなサンタクロース 侑空
TWICEの日本公演楽しみに 真帆
7月20日、昨年に続き郡上八幡に出かけた。毎年この時期に開催される「連句フェスタ宗祇水」に参加するためである。名古屋から美濃太田に出て、中山道の太田宿を見学した。公武合体のときに皇女和宮がこの道を通ったことで知られる。本陣は門だけしか残っていないが、脇本陣の一部が見学できる。すぐそばに木曽川が流れていて、太田の渡しは難所として知られていた。長良川鉄道に乗って郡上八幡へ。郡上踊りが7月13日からはじまっていて、夜に広場へ行ってみたが、うまく踊れない。
翌21日は9時から宗祇水の前で発句奉納。今年は事前に何も言われていなかったので安心していたが、その場で発句を頼まれ焦る。
再会の下駄の響きや梅雨明ける
会場のまちなみ交流館で三座に分かれ歌仙を巻いたあと、夜は懇親会。その後、今夜も郡上踊りへ。体力も落ちているのか、やはりうまく踊れない。インバウンドの双子の女性が踊りの輪にいるのが印象に残る。今年は10月に国民文化祭が岐阜で開催されるので、また郡上に来たいと思う。
「俳句界」7月号(文学の森)の特集は「潜在意識と俳句」。無意識という言葉もあるが、潜在意識という言葉を使うと、「かたちのないものを形としてとらえる」(鴇田智哉)というニュアンスになるのだろう。
レポートのページに今年3月18日に京都の三木半で開催された「みやこの陣・春の陣」のことが紹介されている。歌仙「春の陣」の巻(捌・北原春屏)から。
賀茂川の流れは絶えず春の陣 小池正博
物陰緊と小草生月 北原春屏
仏暁の提琴の音の朧にて 西川菜帆
京都府連句協会の主催で、8月17日には「夏の陣」が開催されることになっている。
鹿児島県連句協会の会報「櫻岳」第8号が発行された。同会は設立八年目を迎える。顧問の梅村光明が連句新形式「六条院」について書いている。『源氏物語』に出てくる光源氏の邸宅・六条院に因み、一連六句で四連。各連を「春邸」「夏邸」「秋邸」「冬邸」と呼ぶ。例に挙がっている「恋螢」の巻は当季が夏だったので、夏邸からはじまり、秋・冬・春と四季順行。
夏邸 恋螢十指で編みし籠の中 赤坂恒子
透けて恥づかし月に羅 上田真而子
ジャスミンの淡き香りを抱きしめん 木村ふう
身を焼く思ひ筆にゆだねて 岡本信子
囁きは天使に悪魔白昼夢 星野焱
人工知能統べる王国 梅村光明
最後に注目すべき連句書を紹介しておこう。青宵散人『ゴメンナサイ芭蕉さん丸裸』(幻冬舎)。タイトルには裏題(まじめな題)として『芭蕉さんの俳諧 その苦悩と志』とある。こういう題名の付け方がすでに俳諧的。この著者にはかつて『芭蕉さんの俳諧』(編集工房ノア)があった。『冬の日』(狂句木枯しの)の付句の案じ方について、『奥の細道』大垣 木因との確執 ふたみの別れ、各務支考のこと、など興味深い話題が満載である。
昨年の国民文化祭・石川の文科大臣賞受賞作品(半歌仙「遡りては」)から。
遡りては流されて春の鴨 名本敦子
やまあららぎの尖る銀の芽 久翠
暮れ遅し陶土練る背に月射して 杉山豚望
ジュニアの部の作品(表合せ六句「人気者」)から。
ストーブや期間限定人気者 柚男
来てくれるかなサンタクロース 侑空
TWICEの日本公演楽しみに 真帆
7月20日、昨年に続き郡上八幡に出かけた。毎年この時期に開催される「連句フェスタ宗祇水」に参加するためである。名古屋から美濃太田に出て、中山道の太田宿を見学した。公武合体のときに皇女和宮がこの道を通ったことで知られる。本陣は門だけしか残っていないが、脇本陣の一部が見学できる。すぐそばに木曽川が流れていて、太田の渡しは難所として知られていた。長良川鉄道に乗って郡上八幡へ。郡上踊りが7月13日からはじまっていて、夜に広場へ行ってみたが、うまく踊れない。
翌21日は9時から宗祇水の前で発句奉納。今年は事前に何も言われていなかったので安心していたが、その場で発句を頼まれ焦る。
再会の下駄の響きや梅雨明ける
会場のまちなみ交流館で三座に分かれ歌仙を巻いたあと、夜は懇親会。その後、今夜も郡上踊りへ。体力も落ちているのか、やはりうまく踊れない。インバウンドの双子の女性が踊りの輪にいるのが印象に残る。今年は10月に国民文化祭が岐阜で開催されるので、また郡上に来たいと思う。
「俳句界」7月号(文学の森)の特集は「潜在意識と俳句」。無意識という言葉もあるが、潜在意識という言葉を使うと、「かたちのないものを形としてとらえる」(鴇田智哉)というニュアンスになるのだろう。
レポートのページに今年3月18日に京都の三木半で開催された「みやこの陣・春の陣」のことが紹介されている。歌仙「春の陣」の巻(捌・北原春屏)から。
賀茂川の流れは絶えず春の陣 小池正博
物陰緊と小草生月 北原春屏
仏暁の提琴の音の朧にて 西川菜帆
京都府連句協会の主催で、8月17日には「夏の陣」が開催されることになっている。
鹿児島県連句協会の会報「櫻岳」第8号が発行された。同会は設立八年目を迎える。顧問の梅村光明が連句新形式「六条院」について書いている。『源氏物語』に出てくる光源氏の邸宅・六条院に因み、一連六句で四連。各連を「春邸」「夏邸」「秋邸」「冬邸」と呼ぶ。例に挙がっている「恋螢」の巻は当季が夏だったので、夏邸からはじまり、秋・冬・春と四季順行。
夏邸 恋螢十指で編みし籠の中 赤坂恒子
透けて恥づかし月に羅 上田真而子
ジャスミンの淡き香りを抱きしめん 木村ふう
身を焼く思ひ筆にゆだねて 岡本信子
囁きは天使に悪魔白昼夢 星野焱
人工知能統べる王国 梅村光明
最後に注目すべき連句書を紹介しておこう。青宵散人『ゴメンナサイ芭蕉さん丸裸』(幻冬舎)。タイトルには裏題(まじめな題)として『芭蕉さんの俳諧 その苦悩と志』とある。こういう題名の付け方がすでに俳諧的。この著者にはかつて『芭蕉さんの俳諧』(編集工房ノア)があった。『冬の日』(狂句木枯しの)の付句の案じ方について、『奥の細道』大垣 木因との確執 ふたみの別れ、各務支考のこと、など興味深い話題が満載である。
2024年5月24日金曜日
「BRUTUS」と『川柳EXPO2024』
「BRUTUS」1008号が「一行だけで」という特集を組んでいる。「明日のための言葉300」と銘うって短歌・詩・俳句・川柳・歌詞などから言葉が選出されている。川柳からは小池正博・なかはられいこ・竹井紫乙・飯島章友・川合大祐・柳本々々・暮田真名・ササキリユウイチの8名がそれぞれ推薦する一句を選んでいる。
春を待つ鬼を 瓦礫に探さねば 墨作二郎
紀元前二世紀ごろの咳もする 木村半文銭
作二郎は小池の、半文銭はササキリの選出。川柳以外にも短歌・俳句などのページも興味深いのでお読みいただきたい。
まつりぺきん編集の『川柳EXPO2024』(発行・川柳EXPO制作委員会)も評判になっている。これは投稿連作川柳アンソロジーで、昨年の『川柳EXPO』に続く第二集になる。ひとり20句の投句で68名、1360句の川柳作品が収録されている。冒頭に掲載されている二名の作品を紹介しておく。
日記には「トロイメライ事故」と記す 笹川諒
こえ、発しないで、ののしり、口づけて 林やは
5月19日には東京で文学フリマが開催されたが、私は参加できなかった。同日、大阪で「関西連句を楽しむ会」が開催され、そちらの方がいそがしかったからだ。これはどういうイベントかというと、1990年代から2000年代にかけて、近松寿子(茨の会)・岡本星女(俳諧接心)・品川鈴子(ひよどり・ぐろっけ)・澁谷道(紫薇)の四氏によって「関西連句を楽しむ会」が京阪神の寺社や大学を会場として毎年行われていた。2006年を最後に幕がひかれ、以後、関西の連句グループはそれぞれ独自の歩みを続けているが、2020年代のいま再び集まる機会があればと企画されたものである。
ゲストに瀬戸夏子を迎え、パワーポイントを使って連句の紹介をした。その後、実作の五座に分かれ、非懐紙・十二調・五十鈴川・自由律半歌仙・二十韻を巻いた。それと並行して笠着俳諧を行い、参加者が適宜句を付けてゆき、半歌仙が完成した。笠着俳諧は寺社の祭や法会に行われ、参詣人などが自由に参加できた、庶民的な連歌・連句である。着座した連衆(れんじゅ)以外は、立ったまま笠もぬがずに句を付けたので、この名がついた。当日の半歌仙を次に紹介しておく。
笠着俳諧 半歌仙「夏始」の巻
夏始ことばの園はここかしら 正博
渾身の名でとりどりの薔薇 章子
こころもち額縁みぎに傾いて 奈里子
歴代校長みんな髭づら ふう
月の舟ジャングルジムと遊んでる ともこ
割ってみたきは風船葛 陶子
虫売のブラックニッカには飽きて 奈々
目当ての部屋へ摺り足で行く 焱
若き日の未完の恋ぞ八十路なお 美恵子
微温めのお茶を入れ替えようか 樹
独居の鍋底みがくもんもんと 紫苑
模様に秘めたその能力を 瞑
シベリアの囚われ人に凍てる月 直子
熱燗を待つ祖父のテーブル 遊凪
鉛筆を手元に置いて句をひねる 弦
吊り橋長く渡りきれない 正博
花咲かば母の在りし日思い出す 弦
肌良き石に凭りて眠らん 章子
当日は連句フリマもあり、雑俳として能登・輪島の段駄羅と岐阜の狂俳を紹介した。段駄羅は輪島塗の職場文芸として受け継がれてきた言葉遊びで、五七五の中七を同音異義語にして、前半と後半の転換の妙を楽しむ。
甘党は 羊羹が得手/よう考えて 置く碁石
段駄羅の代表作としてよく引用される作品。中七「ようかんがえて」が掛詞になっていて、連句の三句の渡りのように前後で転じる。被災した輪島に対する応援の気持ちで紹介してみた。
春を待つ鬼を 瓦礫に探さねば 墨作二郎
紀元前二世紀ごろの咳もする 木村半文銭
作二郎は小池の、半文銭はササキリの選出。川柳以外にも短歌・俳句などのページも興味深いのでお読みいただきたい。
まつりぺきん編集の『川柳EXPO2024』(発行・川柳EXPO制作委員会)も評判になっている。これは投稿連作川柳アンソロジーで、昨年の『川柳EXPO』に続く第二集になる。ひとり20句の投句で68名、1360句の川柳作品が収録されている。冒頭に掲載されている二名の作品を紹介しておく。
日記には「トロイメライ事故」と記す 笹川諒
こえ、発しないで、ののしり、口づけて 林やは
5月19日には東京で文学フリマが開催されたが、私は参加できなかった。同日、大阪で「関西連句を楽しむ会」が開催され、そちらの方がいそがしかったからだ。これはどういうイベントかというと、1990年代から2000年代にかけて、近松寿子(茨の会)・岡本星女(俳諧接心)・品川鈴子(ひよどり・ぐろっけ)・澁谷道(紫薇)の四氏によって「関西連句を楽しむ会」が京阪神の寺社や大学を会場として毎年行われていた。2006年を最後に幕がひかれ、以後、関西の連句グループはそれぞれ独自の歩みを続けているが、2020年代のいま再び集まる機会があればと企画されたものである。
ゲストに瀬戸夏子を迎え、パワーポイントを使って連句の紹介をした。その後、実作の五座に分かれ、非懐紙・十二調・五十鈴川・自由律半歌仙・二十韻を巻いた。それと並行して笠着俳諧を行い、参加者が適宜句を付けてゆき、半歌仙が完成した。笠着俳諧は寺社の祭や法会に行われ、参詣人などが自由に参加できた、庶民的な連歌・連句である。着座した連衆(れんじゅ)以外は、立ったまま笠もぬがずに句を付けたので、この名がついた。当日の半歌仙を次に紹介しておく。
笠着俳諧 半歌仙「夏始」の巻
夏始ことばの園はここかしら 正博
渾身の名でとりどりの薔薇 章子
こころもち額縁みぎに傾いて 奈里子
歴代校長みんな髭づら ふう
月の舟ジャングルジムと遊んでる ともこ
割ってみたきは風船葛 陶子
虫売のブラックニッカには飽きて 奈々
目当ての部屋へ摺り足で行く 焱
若き日の未完の恋ぞ八十路なお 美恵子
微温めのお茶を入れ替えようか 樹
独居の鍋底みがくもんもんと 紫苑
模様に秘めたその能力を 瞑
シベリアの囚われ人に凍てる月 直子
熱燗を待つ祖父のテーブル 遊凪
鉛筆を手元に置いて句をひねる 弦
吊り橋長く渡りきれない 正博
花咲かば母の在りし日思い出す 弦
肌良き石に凭りて眠らん 章子
当日は連句フリマもあり、雑俳として能登・輪島の段駄羅と岐阜の狂俳を紹介した。段駄羅は輪島塗の職場文芸として受け継がれてきた言葉遊びで、五七五の中七を同音異義語にして、前半と後半の転換の妙を楽しむ。
甘党は 羊羹が得手/よう考えて 置く碁石
段駄羅の代表作としてよく引用される作品。中七「ようかんがえて」が掛詞になっていて、連句の三句の渡りのように前後で転じる。被災した輪島に対する応援の気持ちで紹介してみた。
2024年4月12日金曜日
瀧村小奈生句集『留守にしております。』
瀧村小奈生の第一句集『留守にしております。』(左右社)が発行された。瀧村は、なかはられいこの「ねじまき句会」で川柳を書いていて、川柳歴はすでに20年。かねてから句集が待ち望まれていたが、ようやく上梓されることになった。
何ということもない毎日の生活の中で、ちょっとした発見があって心が動く。心が動けば言葉になる。そんな瞬間に口をついてでてくるのが「あ」だ。
完璧な曇り空です。あ、ひらく
雨が海になる瞬間の あ だった
あ、というかたちのままで浮かぶ声
川柳では「見つけ」と言うが、事物や事象を独自の発想でとらえることだろう。物の見えたる光、事の見えたる光。その瞬間を言葉で言いとめておかないと、見つけたことはたちまち消えてしまう。雨が海になる瞬間。何かが別の何かに変わる瞬間をとらえた句がこの句集には多い。
ひっぱると夜となにかが落ちてくる
海だったところが夜になっている
岬では耳から風になっていく
具象ではなくて、あるとらえがたい感覚的なものが表現されている。海が夜になる。海は海のままかもしれないが、その姿は変化している。そのような感覚は「あ」で表現されているが、変化していく感覚は「て」によっても表されている。
待っている二月みたいな顔をして
三月じゃなくてゼリーでもなくて
さくらちるまたねまたねと言い合って
川柳は断言の形式だと言われることがある。世界に存在する多様な事象や発想の中で、その一つに賭けて断言することで句の強度が生まれる。よく使われるのが「る」だ。古川柳では「り」と連用形止めが多かったが、断言のためには「る」などの終止形で止めることになる。この句集でも「る」がないわけではない。
境界のいつもは水の側にいる
みずうみになりたい人が降ってくる
けれども、この作者の場合は、「る」を使っても断言にはならない。「水の側」にいるということは「水の側」でない方も視野に入っている。「みずうみになりたい人」に対して「みずうみになれなかった人」が存在する。「きょうもまた雨音になれなかったな」。
川柳で多用される「は」が少ないのもこの句集の特徴だ。AはBという問答構造は『柳多留』以来の基本文体で、常識的な見方を反転させる「うがち」の句などに効果的だ。この句集では「ここからが父そこは湖」の章の家族詠に若干使われている。
母方は羊歯植物という出自
姉さんは葉擦れの音をしまいこむ
この場合の「は」は問いに対する答えとはまったく異質な作り方になっている。
世界は変化しながら続いていく。何ごともなく続くようで、何かが変わる。何かが何かに変わる。その変化の感覚は、連句的かもしれない。瀧村は連句人でもあるから、彼女の句に付句をつけても怒らないだろう。
のがのならなんのことない春の日の 小奈生
でるですでむでん声は朧に 正博
留守にしております。秋の声色で 小奈生
少年少女月の出を待つ 正博
最後にもう一冊、「ねじまき句会」のメンバーでもある二村典子の句集『三月』を紹介しておこう。俳句の句集であるが、川柳人の私にもおもしろく読める句が並んでいる。
野遊びの誰の話も聞いてない 二村典子
蝶の昼鏡の昼におくれつつ
たんぽぽの料理に欠かせない弱気
あっ足をふっ踏まないであめんぼう
蟻の列ごとに住所を書きつける
何ということもない毎日の生活の中で、ちょっとした発見があって心が動く。心が動けば言葉になる。そんな瞬間に口をついてでてくるのが「あ」だ。
完璧な曇り空です。あ、ひらく
雨が海になる瞬間の あ だった
あ、というかたちのままで浮かぶ声
川柳では「見つけ」と言うが、事物や事象を独自の発想でとらえることだろう。物の見えたる光、事の見えたる光。その瞬間を言葉で言いとめておかないと、見つけたことはたちまち消えてしまう。雨が海になる瞬間。何かが別の何かに変わる瞬間をとらえた句がこの句集には多い。
ひっぱると夜となにかが落ちてくる
海だったところが夜になっている
岬では耳から風になっていく
具象ではなくて、あるとらえがたい感覚的なものが表現されている。海が夜になる。海は海のままかもしれないが、その姿は変化している。そのような感覚は「あ」で表現されているが、変化していく感覚は「て」によっても表されている。
待っている二月みたいな顔をして
三月じゃなくてゼリーでもなくて
さくらちるまたねまたねと言い合って
川柳は断言の形式だと言われることがある。世界に存在する多様な事象や発想の中で、その一つに賭けて断言することで句の強度が生まれる。よく使われるのが「る」だ。古川柳では「り」と連用形止めが多かったが、断言のためには「る」などの終止形で止めることになる。この句集でも「る」がないわけではない。
境界のいつもは水の側にいる
みずうみになりたい人が降ってくる
けれども、この作者の場合は、「る」を使っても断言にはならない。「水の側」にいるということは「水の側」でない方も視野に入っている。「みずうみになりたい人」に対して「みずうみになれなかった人」が存在する。「きょうもまた雨音になれなかったな」。
川柳で多用される「は」が少ないのもこの句集の特徴だ。AはBという問答構造は『柳多留』以来の基本文体で、常識的な見方を反転させる「うがち」の句などに効果的だ。この句集では「ここからが父そこは湖」の章の家族詠に若干使われている。
母方は羊歯植物という出自
姉さんは葉擦れの音をしまいこむ
この場合の「は」は問いに対する答えとはまったく異質な作り方になっている。
世界は変化しながら続いていく。何ごともなく続くようで、何かが変わる。何かが何かに変わる。その変化の感覚は、連句的かもしれない。瀧村は連句人でもあるから、彼女の句に付句をつけても怒らないだろう。
のがのならなんのことない春の日の 小奈生
でるですでむでん声は朧に 正博
留守にしております。秋の声色で 小奈生
少年少女月の出を待つ 正博
最後にもう一冊、「ねじまき句会」のメンバーでもある二村典子の句集『三月』を紹介しておこう。俳句の句集であるが、川柳人の私にもおもしろく読める句が並んでいる。
野遊びの誰の話も聞いてない 二村典子
蝶の昼鏡の昼におくれつつ
たんぽぽの料理に欠かせない弱気
あっ足をふっ踏まないであめんぼう
蟻の列ごとに住所を書きつける
2024年2月23日金曜日
正岡豊歌集『白い箱』
ビクトル・エリセ監督の映画「瞳をとじて」を見た。「蜜蜂のささやき」(1973年)から50年、「マルメロの陽光」(1992年)から31年ぶりの長編映画である。エリセは寡作な監督であることで知られているが、寡作ということには何らかの意味があるだろう。第一作が好評すぎて次作が作りにくいとか、クオリティ重視で熟成させるのに時間がかかるとか、時代の変化に作風が合わなくなってゆくとか、いろいろ考えられる。「瞳をとじて」は映画にまつわる物語、疾走した俳優と映画を撮影した監督の人生の物語。「蜜蜂のささやき」で6歳の少女だったアナ・トレントも出演している。時間とか老いもモチーフなのだろう。
正岡豊の第二歌集『白い箱』(現代短歌社)が昨年12月に刊行された。第一歌集『四月の魚』(まろうど社)が1990年の発行だから、約30年が経過している。私の持っている『四月の魚』は2000年発行の第二版で、「短歌ヴァーサス」の正岡豊特集も手元にある。正岡の読者が長年待ち望んでいた歌集だ。
春のない世界はなくてひとびとにしろがねのハモニカの午後の陽
クローンなのでちちははもあにいもうとも水星の匂いもしりません
くらがりできみがわたしの顔を見た 機械と機械がたたかっていた
一首目、「春のない世界」は辛いかもしれないと思うが、そんな世界は「ない」と二重否定されている。下の句の句またがりは韻律に変化をもたせつつ、五音に着地するのは俳句のリズムも感じさせる。二首目の上の句七五七のリズムで、ちち・はは・あにいもうとと水星の匂いという異質なものを取り合わせている。また、クローンなのでという理由も屈折している。三首目、きみとわたし、機械と機械が重なりあいながらズレていく感じで、上の句と下の句の言葉の関係性が心地よい。
そういう技術的なことは本当はどうでもよくて、正岡の歌の抒情を味わえばいいと思う。
誰にでもそれはあるかも知れないが星の匂いのレールモントフ
考える海があるならそこへ行き胸張り立てよ小林秀雄
満天を雪群れてななめに飛べばあの一片は加舎白雄だね
固有名詞が出てくる歌。「それ」「そこ」「あの」という指示語が具体的な何かを示す以上の含みをもって使われている。人名に着地しているが、読者それぞれが自分の読書体験に基づいてイメージを思い浮べればよいのだろう。
中世の恋の虚構の修辞にもはつゆきという恩寵はある
こころはそりゃあレンタルはできないでしょう 着物で歩く四条烏丸
一首目のように、定型にのっとった完成度の高い歌もあれば、二首目のように諧謔のある即興嘱目の歌もある。この歌集の世界は多様だ。
どこへでも自由にいけたそんな日が乳白色の過去になったね
ふゆかぜがいなくてはならない人をいられなくした時代があった
過ぎ去る時間を詠んだ二首である。
昨年末に刊行された歌集に金川宏の『アステリズム』(書肆侃々房)があって、栞に私も鑑賞を書いている。金川は一度短歌から離れたあと二十数年後に復帰したが、そのことについて栞で三田三郎がこんなふうに書いている。
「水と火が、共にメタファーになることを拒絶しつつ、互いに支え合うようにして併存する。金川さんはなぜ、こうした特異な世界を構築するに至ったのか。その謎を解く鍵は、金川さんが短歌から離れた二十数年にあるような気がしてならない」「水と火も、喩えるものと喩えられるものも、そして現実と文学も、決して対立させることはない」「そう考えると、金川さんは例の二十数年間、文学から離れることによって、現在とは違う形ではあるが、逆説的にも文学と濃密にかつ純粋に交わっていたとは言えないだろうか」
『白い箱』に戻るが、あとがきに安井浩司の句集『中止観』のことが出てくる。『四月の魚』の後記にも関連するので、安井の句をいくつか引用しておきたい。
沼べりに夢の機械の貝ねだり 安井浩司
其角忌へむかう少年の乳切木よ
象潟も死んだ虱も越えるあきかぜ
夢殿へまひるのにんじん削りつつ
法華寺をみかえりつつも無毒蛇
『白い箱』のあとがきには、こんな言葉もある。
「私が短歌を書きはじめて、一度そこから離れるまでの時代、1980年前後から1990年あたりまで漠然と感じていたそれらの『定義』のようなものは、何か別のものになった、という感覚が私にはある。その、私が感じる変化がいいか悪いか、正しいか間違いかはともかく、ずっと続いていくと思っていたものが、実はとても短期間においてのみ存在したという実感は、多少の苦さと、茫漠とした乾いた地上に自分がいるような感触を伴う」
歌人ではないので、そういう実感を共有できるわけではないが、それなりの時間の経過のなかで表現を続けてきたものとしては身につまされる言葉である。
はつなつの水の地獄へさわやかにきみは卵を産まねばならぬ 正岡豊
正岡豊の第二歌集『白い箱』(現代短歌社)が昨年12月に刊行された。第一歌集『四月の魚』(まろうど社)が1990年の発行だから、約30年が経過している。私の持っている『四月の魚』は2000年発行の第二版で、「短歌ヴァーサス」の正岡豊特集も手元にある。正岡の読者が長年待ち望んでいた歌集だ。
春のない世界はなくてひとびとにしろがねのハモニカの午後の陽
クローンなのでちちははもあにいもうとも水星の匂いもしりません
くらがりできみがわたしの顔を見た 機械と機械がたたかっていた
一首目、「春のない世界」は辛いかもしれないと思うが、そんな世界は「ない」と二重否定されている。下の句の句またがりは韻律に変化をもたせつつ、五音に着地するのは俳句のリズムも感じさせる。二首目の上の句七五七のリズムで、ちち・はは・あにいもうとと水星の匂いという異質なものを取り合わせている。また、クローンなのでという理由も屈折している。三首目、きみとわたし、機械と機械が重なりあいながらズレていく感じで、上の句と下の句の言葉の関係性が心地よい。
そういう技術的なことは本当はどうでもよくて、正岡の歌の抒情を味わえばいいと思う。
誰にでもそれはあるかも知れないが星の匂いのレールモントフ
考える海があるならそこへ行き胸張り立てよ小林秀雄
満天を雪群れてななめに飛べばあの一片は加舎白雄だね
固有名詞が出てくる歌。「それ」「そこ」「あの」という指示語が具体的な何かを示す以上の含みをもって使われている。人名に着地しているが、読者それぞれが自分の読書体験に基づいてイメージを思い浮べればよいのだろう。
中世の恋の虚構の修辞にもはつゆきという恩寵はある
こころはそりゃあレンタルはできないでしょう 着物で歩く四条烏丸
一首目のように、定型にのっとった完成度の高い歌もあれば、二首目のように諧謔のある即興嘱目の歌もある。この歌集の世界は多様だ。
どこへでも自由にいけたそんな日が乳白色の過去になったね
ふゆかぜがいなくてはならない人をいられなくした時代があった
過ぎ去る時間を詠んだ二首である。
昨年末に刊行された歌集に金川宏の『アステリズム』(書肆侃々房)があって、栞に私も鑑賞を書いている。金川は一度短歌から離れたあと二十数年後に復帰したが、そのことについて栞で三田三郎がこんなふうに書いている。
「水と火が、共にメタファーになることを拒絶しつつ、互いに支え合うようにして併存する。金川さんはなぜ、こうした特異な世界を構築するに至ったのか。その謎を解く鍵は、金川さんが短歌から離れた二十数年にあるような気がしてならない」「水と火も、喩えるものと喩えられるものも、そして現実と文学も、決して対立させることはない」「そう考えると、金川さんは例の二十数年間、文学から離れることによって、現在とは違う形ではあるが、逆説的にも文学と濃密にかつ純粋に交わっていたとは言えないだろうか」
『白い箱』に戻るが、あとがきに安井浩司の句集『中止観』のことが出てくる。『四月の魚』の後記にも関連するので、安井の句をいくつか引用しておきたい。
沼べりに夢の機械の貝ねだり 安井浩司
其角忌へむかう少年の乳切木よ
象潟も死んだ虱も越えるあきかぜ
夢殿へまひるのにんじん削りつつ
法華寺をみかえりつつも無毒蛇
『白い箱』のあとがきには、こんな言葉もある。
「私が短歌を書きはじめて、一度そこから離れるまでの時代、1980年前後から1990年あたりまで漠然と感じていたそれらの『定義』のようなものは、何か別のものになった、という感覚が私にはある。その、私が感じる変化がいいか悪いか、正しいか間違いかはともかく、ずっと続いていくと思っていたものが、実はとても短期間においてのみ存在したという実感は、多少の苦さと、茫漠とした乾いた地上に自分がいるような感触を伴う」
歌人ではないので、そういう実感を共有できるわけではないが、それなりの時間の経過のなかで表現を続けてきたものとしては身につまされる言葉である。
はつなつの水の地獄へさわやかにきみは卵を産まねばならぬ 正岡豊
2024年2月18日日曜日
暮田真名『宇宙人のためのせんりゅう入門』
暮田真名『宇宙人のためのせんりゅう入門』が好評だ。
1月21日の朝日新聞「短歌時評」で小島なおが「令和時代の川柳」として取り上げている。
「文学界」3月号掲載の穂村弘のエッセイ「あと何度なおる病にかかれるだろう」でも暮田の川柳が紹介されている。こんな句である。
恐ろしくないかヒトデを縦にして 暮田真名
身体構造の面からこの句が引用されているのだが、昨年11月に王子の「北とぴあ」で開催された「川柳を見つけて」(暮田真名『ふりょの星』・ササキリユウイチ『馬場にオムライス』合同批評会)でも穂村は一番気になった句として取り上げていた。
さて、2月15日に紀伊國屋書店新宿本店のブックサロンで『宇宙人のためのせんりゅう入門』刊行記念、暮田真名×小池正博トークイベントが開催された。暮田は自分がいかにして川柳人となったかについて、これまでも語っているが、そのスタートとなったのがこの書店だった。改めて時間の順に記述しておくとこんなふうになる。
2016年2月 瀬戸夏子『かわいい海とかわいくない海end.』刊行フェア「瀬戸夏子を作った10冊」。小池正博『水牛の余波』との出会い。
2017年5月 「川柳トーク 瀬戸夏子は川柳を荒らすな」(中野サンプラザ)
ミニ句会で暮田がはじめて作った川柳「印鑑の自壊 眠れば十二月」が瀬戸、小池の選に入る。
2018年3月 「川柳スパイラル」2号、「いけにえにフリルがあって恥ずかしい」掲載。
その後、暮田は句集『補遺』『べら』の発行、「当たり」「砕氷船」の活動、川柳講座の講師、「川柳句会こんとん」、『はじめまして現代川柳』への入集、『ふりょの星』など精力的に発信を続けてきた。
今回の入門書は出会った宇宙人を「せんりゅう」と名づけ、クレダが現代川柳について語るという対話形式の物語になっている。そもそも川柳というジャンル名は前句付の点者だった柄井川柳の人名からとられており、クレダがNEO川柳の立役者に仕立てあげようとしている宇宙人を「せんりゅう」と呼ぶのは辻褄があっている。「せんりゅう」はキャラクターでもあり、カバーの裏表に描かれている「せんりゅう」のキャラはカワイイ。
本書のターゲットはおそらく川柳に関心をもちはじめたばかりの読者であって、ベテランの川柳人にとっては既知の内容だろう。したがってこのクレダとせんりゅうの物語がどのような語り口で語られるのかというところに関心が向けられる。
従来のオーソドックスな川柳入門書であれば、『柳多留』にはじまり明治期の新川柳、大正期の新興川柳運動、戦後の六大家や現代川柳の動向に触れることが多いが、本書ではそういう通時的・歴史的な記述ではなく、ひたすら現在の川柳に関心が集中している。川柳の書き方についても、リアリズムや三要素(おかしみ・うがち・軽み)、詩性・暗喩・象徴などについての教則本的な説明はない。川柳の世間的イメージを越えて、知られざる川柳のおもしろさを一般読者に伝え、川柳実作に誘うことに力が注がれている。
クレダとせんりゅうの対話はシナリオ形式で読みやすいが、そのなかにいくつかの話題が盛り込まれている。「サラ川」と現代川柳については例をあげて違いを説明している。
会社へは 来るなと上司 行けと妻 なかじ
ネクタイの締めかたも鳥の名も忘れ 楢崎進弘
前者がサラ川柳、後者が現代川柳。社会の「普通」を書くのが「サラ川」、「普通から外れるあり方」を書くのが現代川柳、とクレダは言う。
「いろんな川柳を読んでみよう」の章では楢崎のほかに久保田紺の句が紹介されているのが嬉しかった。本書に引用されていない作品もここで挙げておきたい。
工場の電源を切る遠い海鳴り 楢崎進弘
風邪をひく夜の淫らな観覧車
どの橋を渡ってみても雨後の町
さくらころせばらくになるさくら
わけあってバナナの皮を持ち歩く
銅像になっても笛を吹いている 久保田紺
キリンでいるキリン閉園時間まで
監視カメラがわたしに向いてから盗む
泣いているされたことしか言わないで
着ぐるみの中では笑わなくていい
「川柳ってどうやって作るの?」の章ではクレダ流の川柳の作り方として、額縁法、コーディネート法、逆・額縁法、プリン・ア・ラ・モード法、寿司法が挙げられているので、これから実作をはじめようという方はご参考に。
俳句と川柳の違いについてもあっさりと説明されていて、深掘りするよりも流してゆくというスタンスで一貫している。宇宙人である「せんりゅう」に柳俳異同論を説いても仕方がないわけだ。
Do 川柳 Yourself の章には暮田真名の姿勢がはっきり出ていて、「ないものづくしの川柳界」「全部自分でやっちゃおう」という精神で川柳を続けてきたことがわかる。なにもないことを強調されても困るが、ないものをあるように見せるという私のスタンスと、ないなら自分で作っていこうという暮田の姿勢は微妙に交錯する。
最後の章、川柳と「わたし」では私性の問題が出てきている。短歌の読者に対するサービスという意味もあるのかと思うが、この部分は入門書というより物語として読むのがいいのだろう。 クレダと「せんりゅう」の物語は終わった。「せんりゅう」との別れが書いてあるが、このあとはどうなったのか。読み方はいろいろあるだろうが、「せんりゅう」が他の惑星で川柳を語っている姿を想像すると、少しは気が晴れるように思っている。
本書についての暮田のトークは今後も予定されている。
川柳人と短歌芸人の密室放談(鈴木ジェロニモ・暮田真名)
2月23日 18時〜19時半 西荻窪・今野書店
『起きられない朝のための短歌入門』&『宇宙人のためのせんりゅう入門』W刊行記念トークイベント(我妻俊樹・平岡直子・暮田真名)
3月1日 19時 高円寺パンディット
1月21日の朝日新聞「短歌時評」で小島なおが「令和時代の川柳」として取り上げている。
「文学界」3月号掲載の穂村弘のエッセイ「あと何度なおる病にかかれるだろう」でも暮田の川柳が紹介されている。こんな句である。
恐ろしくないかヒトデを縦にして 暮田真名
身体構造の面からこの句が引用されているのだが、昨年11月に王子の「北とぴあ」で開催された「川柳を見つけて」(暮田真名『ふりょの星』・ササキリユウイチ『馬場にオムライス』合同批評会)でも穂村は一番気になった句として取り上げていた。
さて、2月15日に紀伊國屋書店新宿本店のブックサロンで『宇宙人のためのせんりゅう入門』刊行記念、暮田真名×小池正博トークイベントが開催された。暮田は自分がいかにして川柳人となったかについて、これまでも語っているが、そのスタートとなったのがこの書店だった。改めて時間の順に記述しておくとこんなふうになる。
2016年2月 瀬戸夏子『かわいい海とかわいくない海end.』刊行フェア「瀬戸夏子を作った10冊」。小池正博『水牛の余波』との出会い。
2017年5月 「川柳トーク 瀬戸夏子は川柳を荒らすな」(中野サンプラザ)
ミニ句会で暮田がはじめて作った川柳「印鑑の自壊 眠れば十二月」が瀬戸、小池の選に入る。
2018年3月 「川柳スパイラル」2号、「いけにえにフリルがあって恥ずかしい」掲載。
その後、暮田は句集『補遺』『べら』の発行、「当たり」「砕氷船」の活動、川柳講座の講師、「川柳句会こんとん」、『はじめまして現代川柳』への入集、『ふりょの星』など精力的に発信を続けてきた。
今回の入門書は出会った宇宙人を「せんりゅう」と名づけ、クレダが現代川柳について語るという対話形式の物語になっている。そもそも川柳というジャンル名は前句付の点者だった柄井川柳の人名からとられており、クレダがNEO川柳の立役者に仕立てあげようとしている宇宙人を「せんりゅう」と呼ぶのは辻褄があっている。「せんりゅう」はキャラクターでもあり、カバーの裏表に描かれている「せんりゅう」のキャラはカワイイ。
本書のターゲットはおそらく川柳に関心をもちはじめたばかりの読者であって、ベテランの川柳人にとっては既知の内容だろう。したがってこのクレダとせんりゅうの物語がどのような語り口で語られるのかというところに関心が向けられる。
従来のオーソドックスな川柳入門書であれば、『柳多留』にはじまり明治期の新川柳、大正期の新興川柳運動、戦後の六大家や現代川柳の動向に触れることが多いが、本書ではそういう通時的・歴史的な記述ではなく、ひたすら現在の川柳に関心が集中している。川柳の書き方についても、リアリズムや三要素(おかしみ・うがち・軽み)、詩性・暗喩・象徴などについての教則本的な説明はない。川柳の世間的イメージを越えて、知られざる川柳のおもしろさを一般読者に伝え、川柳実作に誘うことに力が注がれている。
クレダとせんりゅうの対話はシナリオ形式で読みやすいが、そのなかにいくつかの話題が盛り込まれている。「サラ川」と現代川柳については例をあげて違いを説明している。
会社へは 来るなと上司 行けと妻 なかじ
ネクタイの締めかたも鳥の名も忘れ 楢崎進弘
前者がサラ川柳、後者が現代川柳。社会の「普通」を書くのが「サラ川」、「普通から外れるあり方」を書くのが現代川柳、とクレダは言う。
「いろんな川柳を読んでみよう」の章では楢崎のほかに久保田紺の句が紹介されているのが嬉しかった。本書に引用されていない作品もここで挙げておきたい。
工場の電源を切る遠い海鳴り 楢崎進弘
風邪をひく夜の淫らな観覧車
どの橋を渡ってみても雨後の町
さくらころせばらくになるさくら
わけあってバナナの皮を持ち歩く
銅像になっても笛を吹いている 久保田紺
キリンでいるキリン閉園時間まで
監視カメラがわたしに向いてから盗む
泣いているされたことしか言わないで
着ぐるみの中では笑わなくていい
「川柳ってどうやって作るの?」の章ではクレダ流の川柳の作り方として、額縁法、コーディネート法、逆・額縁法、プリン・ア・ラ・モード法、寿司法が挙げられているので、これから実作をはじめようという方はご参考に。
俳句と川柳の違いについてもあっさりと説明されていて、深掘りするよりも流してゆくというスタンスで一貫している。宇宙人である「せんりゅう」に柳俳異同論を説いても仕方がないわけだ。
Do 川柳 Yourself の章には暮田真名の姿勢がはっきり出ていて、「ないものづくしの川柳界」「全部自分でやっちゃおう」という精神で川柳を続けてきたことがわかる。なにもないことを強調されても困るが、ないものをあるように見せるという私のスタンスと、ないなら自分で作っていこうという暮田の姿勢は微妙に交錯する。
最後の章、川柳と「わたし」では私性の問題が出てきている。短歌の読者に対するサービスという意味もあるのかと思うが、この部分は入門書というより物語として読むのがいいのだろう。 クレダと「せんりゅう」の物語は終わった。「せんりゅう」との別れが書いてあるが、このあとはどうなったのか。読み方はいろいろあるだろうが、「せんりゅう」が他の惑星で川柳を語っている姿を想像すると、少しは気が晴れるように思っている。
本書についての暮田のトークは今後も予定されている。
川柳人と短歌芸人の密室放談(鈴木ジェロニモ・暮田真名)
2月23日 18時〜19時半 西荻窪・今野書店
『起きられない朝のための短歌入門』&『宇宙人のためのせんりゅう入門』W刊行記念トークイベント(我妻俊樹・平岡直子・暮田真名)
3月1日 19時 高円寺パンディット
2024年1月26日金曜日
土井礼一郎歌集『義弟全史』
昨年出版された歌集のなかで土井礼一郎の『義弟全史』(短歌研究社)のことが気になっている。「かばん」12月号の特集でこの歌集が取り上げられていて、郡司和斗、川野芽生、斎藤見咲子による書評のほか、作者自薦25首が掲載されている。興味深いのは「いきもの図鑑」で、「さまざまないきものが登場することもこの歌集の魅力」という観点から、蟻・蜉蝣・蟹・蟷螂・蜘蛛などの歌に焦点を当てている。特に印象的なのは次の蟻の歌だ。
気がつけば蟻のおしりのようにして髪を結う人ばかりが歩く
おもしろい歌である。盛り上げて結う髪型を蟻のおしりにたとえている。けれども、ここにはおもしろがってばかりもいられない何かが感じられる。 吉行淳之介の短編に「鳥獣虫魚」という作品があって、街をゆく人々が虫や魚に見えるという。比喩として受け取ることもできるが、本当にそう見えるとしたらグロテスクだ。土井の短歌にはちょっと日常とは異なる感覚がある。
なんとはかない体だろうか蜘蛛の手に抱かれればみな水とつびやく
貝殻を拾えばそれですむものを考え中と答えてしまう
またひとり歩いて帰るという君が必要とするいくつかのさなぎ
山本の宇宙佐々木の宇宙などあり各々の月に蟹棲む
人間が口から花を吐くさまを見たいと言ってこんなとこまで
土井は「かばん」の会員だが、「かばん」新人特集号・第7号(2018年12月)に「結婚飛行」30首を掲載している。再構成されてこの歌集にも収録されているが、二首だけ引用する。
葉の裏に産みつけられたまま二度と動かぬような生きかたがある
君のこと嫌いといえば君は問う ままごと、日本、みかんは好きか
高柳蕗子は前掲の「またひとり歩いて帰るという君が必要とするいくつかのさなぎ」について、「土井式宇宙観における『虫』は、プログラムどおりに生き死にする存在としての逞しさを見込まれてか、特別な役どころを担う」と述べている。
さて、歌集名の『義弟全史』についてだが、帯には「義弟とはだれなのだろうか」という平井弘の栞の言葉が使われている。「家族」を素材とする短歌では、たとえば寺山修司の「弟」が有名だ。
間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子 寺山修司
新しき仏壇買ひに行きしまま行くえ不明のおとうとと鳥
寺山の場合は存在しない家族、虚構の家族だが、こういう家族の詠み方は川柳にも見られる。
ねばねばしているおとうとの楽器 樋口由紀子
姉さんはいま蘭鋳を揚げてます 石田柊馬
いもうとは水になるため化粧する 石部明
体内の葦は父より継ぎし青 清水かおり
『義弟全史』の義弟は誰のことかわからないが、「弟」ではなくて「義弟」というところに独自性があり、「義弟」以外の歌におもしろい作品が多いところにも歌集としての仕掛けが感じられる。
雨の日に義弟全史を書き始めわからぬ箇所を@で埋める 土井礼一郎
気がつけば蟻のおしりのようにして髪を結う人ばかりが歩く
おもしろい歌である。盛り上げて結う髪型を蟻のおしりにたとえている。けれども、ここにはおもしろがってばかりもいられない何かが感じられる。 吉行淳之介の短編に「鳥獣虫魚」という作品があって、街をゆく人々が虫や魚に見えるという。比喩として受け取ることもできるが、本当にそう見えるとしたらグロテスクだ。土井の短歌にはちょっと日常とは異なる感覚がある。
なんとはかない体だろうか蜘蛛の手に抱かれればみな水とつびやく
貝殻を拾えばそれですむものを考え中と答えてしまう
またひとり歩いて帰るという君が必要とするいくつかのさなぎ
山本の宇宙佐々木の宇宙などあり各々の月に蟹棲む
人間が口から花を吐くさまを見たいと言ってこんなとこまで
土井は「かばん」の会員だが、「かばん」新人特集号・第7号(2018年12月)に「結婚飛行」30首を掲載している。再構成されてこの歌集にも収録されているが、二首だけ引用する。
葉の裏に産みつけられたまま二度と動かぬような生きかたがある
君のこと嫌いといえば君は問う ままごと、日本、みかんは好きか
高柳蕗子は前掲の「またひとり歩いて帰るという君が必要とするいくつかのさなぎ」について、「土井式宇宙観における『虫』は、プログラムどおりに生き死にする存在としての逞しさを見込まれてか、特別な役どころを担う」と述べている。
さて、歌集名の『義弟全史』についてだが、帯には「義弟とはだれなのだろうか」という平井弘の栞の言葉が使われている。「家族」を素材とする短歌では、たとえば寺山修司の「弟」が有名だ。
間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子 寺山修司
新しき仏壇買ひに行きしまま行くえ不明のおとうとと鳥
寺山の場合は存在しない家族、虚構の家族だが、こういう家族の詠み方は川柳にも見られる。
ねばねばしているおとうとの楽器 樋口由紀子
姉さんはいま蘭鋳を揚げてます 石田柊馬
いもうとは水になるため化粧する 石部明
体内の葦は父より継ぎし青 清水かおり
『義弟全史』の義弟は誰のことかわからないが、「弟」ではなくて「義弟」というところに独自性があり、「義弟」以外の歌におもしろい作品が多いところにも歌集としての仕掛けが感じられる。
雨の日に義弟全史を書き始めわからぬ箇所を@で埋める 土井礼一郎
2024年1月5日金曜日
龍の俳句など
今年は辰年である。まず柴田宵曲の『俳諧博物誌』(岩波文庫)から龍の俳句を紹介しておこう。
芋糊や龍を封じてけふの月 由々
龍神のくさめいく度おそ桜 友水
龍宮もけふは江戸なり塩干潟 政信
海老上臈龍の都や屠蘇の酌 如蛙
五月雨や小龍の合羽浮海月 山夕
龍の駒卦引の道をむかへけり 似巻
談林の句である。陸上に祀られた龍神もあるが、多くは龍宮を詠んでいる。龍を封じるのは雨を降らせないためで、名月なのに雨が降っては困る。最後の句は将棋の龍(飛車)。談林の句はいろいろ趣向をこらしたものになっている。次は芭蕉以後の龍の句。
龍宮の鐘のうなりや花ぐもり 許六
龍宮に三日居たれば老の春 支考
空は墨に画龍のぞきぬ郭公 嵐雪
釜に立つ龍をつらつら雲の峯 野坡
京の町で龍がのぼるや時鳥 鬼貫
龍を詠んだ川柳も探してみたが、適当な句が見つからない。
歳旦三つ物を作ってみた。
みをつくし諸人集ふ今年かな
屠蘇を含めばよき日よきこと
バーチャルとリアルのはざま麗らかに
2024年は大阪を会場とした連句大会がいくつか開催される。3月17日には日本連句協会の総会・連句大会が上本町・たかつガーデンで開催。前日の16日午後から誓願寺(西鶴墓)・高津宮・生玉神社などの俳諧史蹟をまわる予定。日本連句協会の会員が対象だが(16日の方は誰でも参加できる)、5月には同じ上本町で誰でも参加できる連句イベント(「関西連句を楽しむ会」仮称)が計画されている。関西連句の活性化をはかりたい。
元日に地震が起こり、正月気分が吹っ飛んだ。昨年、和倉温泉に行って能登島の水族館も見て来たので、そのときの風景が重なる。また、昨年は国民文化祭の連句の祭典が加賀市で開催されたことも思い浮かべる。
おろおろとして、『方丈記』をとりだしてきて読んでいる。人間にとっての危機的災厄は戦争・飢饉・疫病だが、天変地異も恐ろしい。『方丈記』には安元の大火・治承の旋風・養和の飢饉・元暦の大地震が描かれている。これらは自然災害だが、平家による福原遷都は人為的なものだ。京は荒廃するが、福原はまだ完成しない。「古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず」とは確か堀田善衛の『方丈記私記』にも引用されているフレーズだ。
昨年読んだ本のなかにトゥキュディデスの『戦史』がある。アテネとスパルタが覇権を争そったペロポネソス戦争の記録だが、民主制のアテネと寡頭政治のスパルタが戦って民主制が敗れたというような単純な話ではなかった。アテネは国内では民主制だが、他のポリスに対しては抑圧的なところがあり、アテネ帝国主義という面があるようだ。第五巻のメロス遠征のところに典型的に表れている。メロスは中立を守りたいと主張したが、アテネはそれを許さず、相手を滅ぼしてしまう。その際の両者の外交演説合戦がすごい。
この戦争には現代にも通じるところがあって、開戦後アテネで疫病が流行した話は有名だ。疫病によって明日がどうなるか分からない人々のモラルが崩壊してゆくありさまをトゥキュディデスは描いている。
ペリクレスの死後リーダーとなったクレオンは、喜劇作家・アリストパネスが痛烈に風刺した人物だ。アリストパネスは平和主義者である。『蛙』はアイスキュロスとエウリピデスのどちらが優れているかについて決着をつけようと、ディオニュソスと奴隷が黄泉の国を訪れる話だが、この二人のやり取りはまるで吉本の漫才を見ているようで笑える。
年頭に読む本は大切だから、今年は芭蕉の「野ざらし紀行(甲子吟行)」を読むことにした。「野ざらしを心に風のしむ身かな」で有名なアレである。富士川の捨子のエピソードも衝撃的だ。
猿を聞く人捨子に秋の風いかに 芭蕉
漢詩では猿声(ニホンザルではなくてテナガザル)は詩心をそそるモチーフだが、漢詩人はこの国の捨子の泣くのをどのように聞くのだろう、というのである。芭蕉自身も食い物を与えるだけで立ち去っている。この話が事実かフィクションかという議論もあるが、風雅と現実のはざまで揺れ動く挿話なのだろう。
こんな句もある。
道のべの木槿は馬にくはれけり 芭蕉
『芭蕉紀行文集』(岩波文庫)では「馬上吟」だが、『芭蕉文集』(日本古典文学大系)では「眼前」となっている。「眼前」とは「嘱目」という意味だろうが、見たものがそのまま句になるという書き方である。私は言葉を構成して川柳を書いているので、違う書き方だと思う。
最後に堀田季何の句集『人類の午後』(邑書林)から次の句を紹介しておく。
戰争と戰争の閒の朧かな 堀田季何
息白く國籍を訊く手には銃
今年も現実と言葉のせめぎあいは続いてゆく。
芋糊や龍を封じてけふの月 由々
龍神のくさめいく度おそ桜 友水
龍宮もけふは江戸なり塩干潟 政信
海老上臈龍の都や屠蘇の酌 如蛙
五月雨や小龍の合羽浮海月 山夕
龍の駒卦引の道をむかへけり 似巻
談林の句である。陸上に祀られた龍神もあるが、多くは龍宮を詠んでいる。龍を封じるのは雨を降らせないためで、名月なのに雨が降っては困る。最後の句は将棋の龍(飛車)。談林の句はいろいろ趣向をこらしたものになっている。次は芭蕉以後の龍の句。
龍宮の鐘のうなりや花ぐもり 許六
龍宮に三日居たれば老の春 支考
空は墨に画龍のぞきぬ郭公 嵐雪
釜に立つ龍をつらつら雲の峯 野坡
京の町で龍がのぼるや時鳥 鬼貫
龍を詠んだ川柳も探してみたが、適当な句が見つからない。
歳旦三つ物を作ってみた。
みをつくし諸人集ふ今年かな
屠蘇を含めばよき日よきこと
バーチャルとリアルのはざま麗らかに
2024年は大阪を会場とした連句大会がいくつか開催される。3月17日には日本連句協会の総会・連句大会が上本町・たかつガーデンで開催。前日の16日午後から誓願寺(西鶴墓)・高津宮・生玉神社などの俳諧史蹟をまわる予定。日本連句協会の会員が対象だが(16日の方は誰でも参加できる)、5月には同じ上本町で誰でも参加できる連句イベント(「関西連句を楽しむ会」仮称)が計画されている。関西連句の活性化をはかりたい。
元日に地震が起こり、正月気分が吹っ飛んだ。昨年、和倉温泉に行って能登島の水族館も見て来たので、そのときの風景が重なる。また、昨年は国民文化祭の連句の祭典が加賀市で開催されたことも思い浮かべる。
おろおろとして、『方丈記』をとりだしてきて読んでいる。人間にとっての危機的災厄は戦争・飢饉・疫病だが、天変地異も恐ろしい。『方丈記』には安元の大火・治承の旋風・養和の飢饉・元暦の大地震が描かれている。これらは自然災害だが、平家による福原遷都は人為的なものだ。京は荒廃するが、福原はまだ完成しない。「古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず」とは確か堀田善衛の『方丈記私記』にも引用されているフレーズだ。
昨年読んだ本のなかにトゥキュディデスの『戦史』がある。アテネとスパルタが覇権を争そったペロポネソス戦争の記録だが、民主制のアテネと寡頭政治のスパルタが戦って民主制が敗れたというような単純な話ではなかった。アテネは国内では民主制だが、他のポリスに対しては抑圧的なところがあり、アテネ帝国主義という面があるようだ。第五巻のメロス遠征のところに典型的に表れている。メロスは中立を守りたいと主張したが、アテネはそれを許さず、相手を滅ぼしてしまう。その際の両者の外交演説合戦がすごい。
この戦争には現代にも通じるところがあって、開戦後アテネで疫病が流行した話は有名だ。疫病によって明日がどうなるか分からない人々のモラルが崩壊してゆくありさまをトゥキュディデスは描いている。
ペリクレスの死後リーダーとなったクレオンは、喜劇作家・アリストパネスが痛烈に風刺した人物だ。アリストパネスは平和主義者である。『蛙』はアイスキュロスとエウリピデスのどちらが優れているかについて決着をつけようと、ディオニュソスと奴隷が黄泉の国を訪れる話だが、この二人のやり取りはまるで吉本の漫才を見ているようで笑える。
年頭に読む本は大切だから、今年は芭蕉の「野ざらし紀行(甲子吟行)」を読むことにした。「野ざらしを心に風のしむ身かな」で有名なアレである。富士川の捨子のエピソードも衝撃的だ。
猿を聞く人捨子に秋の風いかに 芭蕉
漢詩では猿声(ニホンザルではなくてテナガザル)は詩心をそそるモチーフだが、漢詩人はこの国の捨子の泣くのをどのように聞くのだろう、というのである。芭蕉自身も食い物を与えるだけで立ち去っている。この話が事実かフィクションかという議論もあるが、風雅と現実のはざまで揺れ動く挿話なのだろう。
こんな句もある。
道のべの木槿は馬にくはれけり 芭蕉
『芭蕉紀行文集』(岩波文庫)では「馬上吟」だが、『芭蕉文集』(日本古典文学大系)では「眼前」となっている。「眼前」とは「嘱目」という意味だろうが、見たものがそのまま句になるという書き方である。私は言葉を構成して川柳を書いているので、違う書き方だと思う。
最後に堀田季何の句集『人類の午後』(邑書林)から次の句を紹介しておく。
戰争と戰争の閒の朧かな 堀田季何
息白く國籍を訊く手には銃
今年も現実と言葉のせめぎあいは続いてゆく。
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