11月2日
「第24回国民文化祭にいがた2019」に出席のため、伊丹空港から新潟へ飛ぶ。
新潟ははじめてゆく土地であるが、私にとって新潟は坂口安吾の誕生地として一度は訪れたい場所だった。安吾の『吹雪物語』は観念的で読みにくく、何度も途中で放棄したことがあるが、今回は旅行の前に最後まで読み通した。
「暗さは退屈だ」(『吹雪物語』)
安吾碑「故郷は語ることなし」を見たあと、「安吾風の館」に行く。檀一雄は新潟に来るたび安吾碑を訪れたという。安吾が屹立して日本海を眺めているような碑である。
翌日11月3日は新潟大学教育学部付属新潟中学で連句大会。
発句「鵯や安吾の石碑越えて飛ぶ」で二十韻を巻く。
さらにもう一泊して4日には『吹雪物語』に出てくるイタリア軒に行く。ただし、小説ではイスパニア軒になっている。
この3日間、新潟は天候に恵まれ明るかった。砂丘館では「明るい絵」という展示会があった。曇天の新潟と日本海を思い描いていた私のイメージとは少し異なっていた。
11月9日
日本連句協会の理事会に出席のため、東京へ。
前日の8日に東京入りし、柴又の帝釈天を訪れる。
本堂の外壁は彫刻ギャラリーになっていて、テレビの美術番組で紹介されているのを見て以来、訪れたいと思っていた。予想以上の作品群だった。
夜は渋谷のスクランブルスクエアへ。渋谷スカイがオープンしていて夜景を見る。
(平岡直子が文学界12月号のエッセイで渋谷のことを書いていて、これは後から読んだ。)
翌日9日は渋谷の会議室で理事会。2021年に和歌山県で開催される国民文化祭について報告する。現在、和歌山市の県民文化会館で「連句とぴあ和歌山」という連句会を二ヶ月に一度開催している。来年1月からは西牟婁郡上富田町で連句会を開催する予定。
11月16日
「奈良県大芸術祭」連句の祭典に出席のため奈良へ。会場は近鉄奈良近くの奈良県文化会館。狭川青史・東大寺長老の発句「わが前の月光佛や雪明り」をいただいて、半歌仙を巻く。
11月22日
斎藤悟朗氏の絵を見るため、天王寺の大阪市立美術館で独立展に行く。
斎藤さんの画風は「三河の赤絵」として知られている。
ルーブル美術館で日本人としてはじめてモナ・リザの模写を許可されたことでも有名。
彼は連句人でもあって、以前は画廊連句をときどき開催していた。個展の会場にノートを置いておいて、来場者に句を付けてもらうのである。
氏の絵には古今東西の様々な人物が描き込まれていて、ディテールを読む楽しさがある。今回も芭蕉と曽良がちゃんと描かれているのだった。
夜は中崎町で連句会。最近、若手歌人で川柳や連句に興味をもつひとが増えている。ほぼ同じメンバーで10月に巻いた半歌仙があるので、続きを付けて歌仙にして巻き上げる。はじめての方には連句の共同制作のやり方が新鮮だったようだ。
連句会が終った後、葉ね文庫に「川柳スパイラル」7号を納品する。
11月24日
「新宮で歌仙を巻く」というイベントが新宮ユーアイホテルであり、特急くろしおに乗って新宮へ。辻原登・永田和宏・長谷川櫂の三人で『歌仙はすごい』(中公新書)が今年出版され、人気が高いようだ。新宮の佐藤春夫記念館が創立30周年を迎え、その記念イベントとして「歌仙を巻く」という企画が実現されたという。
私は往復はがきで申し込んだが、すぐに定員締切となったものの、幸い整理券を手に入れることができた。出席者130名。当日は、歌仙の名残りの表までが呈示され、最後の名残りの裏六句を会場の参加者に出してもらったあと、パネラー3人の作品を公開するというやり方だった。新宮の参加者はとても熱心に付け句を出していた。
イベントがはじまる前に速玉大社と佐藤春夫記念館を訪れた。佐藤春夫記念館は東京にあった春夫の自宅を移築したもの。佐藤春夫好みの世界を実現した空間と言われ、特に二階の狭い部屋で原稿を書いていたのは印象的だった。その狭い空間に置いてある机の前にしばらく坐って、佐藤春夫の世界を追体験した。
別所真紀子の連句小説『浜藻崎陽歌仙帖』(幻戯書房)、浅沼璞の句集『塗中録』(左右社)などそれぞれの表現者が着実に仕事を進めている。
安吾で始まった11月ももう終わりになってしまった。
太宰治の小説の一節が何となく思い出される。
「明るさは滅びの姿であろうか」(『右大臣実朝』)