2010年8月27日金曜日

俳句の難解と川柳の難解

「俳句界」7月号は「この俳句さっぱりわからん?」という特集で、難解句を検証している。その中で関悦史は「在ることは謎、謎は魅惑」で「俳句に限ったことではないが、最終的に大きな謎へと開けていない作品など一度接すれば事足りてしまう。古典と化す作品とは長期に渡り魅惑的なわからなさを産出し続ける作品に他ならない」と述べて、次の四句を挙げている。

  階段が無くて海鼠の日暮かな   橋間石
  機関車の底まで月明か 馬盥   赤尾兜子
  ニュートリノ桃抜けて悲の塊に  石母田星人
  百頭女はしゃぎ負はれ蝉氷    竹中宏

これらの句は、しっかりとした難解句であり、一部の川柳誌に取り上げられているような、見る人が見れば難解でも何でもない作品とは異なっている。
関悦史はまたウェブマガジン「週刊俳句」の「俳句時評」(8月15日)で、難解句の話題を続け、「昨日の難解が今日の平易というのは俳句に限ったことではない」「それよりも気にかかるのは詩(俳句)は一義的に理解されるものでなければならない、されるのが当然であるという前提が無意識にあるようだということだ」と述べ、次のように結論づけている。

「詩的テクストのこうした面に対して「難解」という評言は何ら生産性を持たないし、そもそも批評用語たりえない。むしろごく平易で日常と地続きの水準においてすんなり意味が理解されてしまうテクストが詩になっているとき、それを詩たらしめているのは何なのか、共感という名の貧しい同調とは別の次元に詩句の感受を引き上げているものがあるとしてら、それは何がどう機能した結果なのかを問うことの方が俳句にとっても実りのある作業となる可能性はある」

さらに関悦史は「関中俳句日記(別館)」で「バックストローク」31号について触れ、川柳の方にも「難解」問題があるようだ、と述べている。

「難解が排されると驚異的なもの、綺想的なものはその居場所を失ってしまうので、読む側としてはいささか興が失せる。
 川柳作品の場合は、特に『優雅に叱責する自転車』等のエドワード・ゴーリーの不条理絵本や稲垣足穂の『一千一秒物語』、あるいはある時期以降の眉村卓のSFショートショートみたいに変な状況、奇妙なイメージが合理的説明や物語性に回収されずにそのまま投げ出されていてその解放感を楽しむような作品と同列に享受すればいいのではないかと思うのだが」

そのような川柳の具体例を関は挙げていないが、たとえば次のような作品が思い浮かぶ。

  わけあってバナナの皮を持ち歩く    楢崎進弘
  弁当を砂漠へ取りに行ったまま     筒井祥文

人間の存在そのものが謎であって、それを安易に合理的説明や物語性に解消しないということ。推理小説などで前半の謎の部分はわくわくするほどおもしろいのに、後半の謎解きの部分になると何だそんなことかと失望することが多いのと事情は同様であろう。

以上、関悦史の文章をもとにして俳句における難解と、ひるがえって川柳における難解が俳人にはどう見えるか、という一例を見てきた。では、私たち川柳人にとって難解句とはどういうものか、という問題を改めて問うことにしたい。
まず、川柳誌で「難解句」として取り上げられている作品は、実際には難解でも何でもない作品であることが多い。その句を難解だとしている評者の読解力のなさを暴露しているだけなのである。
たとえば「川柳マガジン」では毎号「難解句鑑賞」のコーナーが掲載されているが、8月号では石田柊馬の句が取り上げられている。

  順に死ぬはずのカシューナッツ並べ    石田柊馬

この句に対して次のような評が付けられている。「カシューナッツの形は動物の胚に似ている」「並べられたカシューナッツの風景は、胚の成長過程のモデルのようなものだ」「程好いアルコールが、その風景の終末に思いを馳せさせるのだろう」
カシューナッツと死は結びつかないから、この評者はそれを結びつけるものとして「動物の胚」を持ち出したのである。川柳は意味で読まなければならないという固定観念がそうさせるのだ。けれども、柊馬の句ではカシューナッツが並んでいるだけである。あるいは、言い方を変えると、カシューナッツではなくて死ぬはずの何かが並んでいるのだ。それを「動物の胚」と結びつける必要は何もない。こんな読みをされると、柊馬の句が泣くだろう。

さて、川柳では一読明快が標榜されているが、実際にはすぐれた川柳であって、しかも一読明快の作品などそれほど多くはない。断言の爽快さを感じさせる作品はあるけれども、その断言の意味は必ずしも明快ではない。ひとつの結社や共同体の中での約束事項を前提としない限り、今どき多様化した現代における一読明快など幻想ではないか。極端に言えば、難解であって当然なのだ。そう簡単に理解されてはたまらない。
その一方で、平明で深みのある作品は、川柳の理想の境地であることは事実である。石田柊馬は、このような川柳をかつて「新しい平明」と呼んだが、平明かつ深みのある作品を書くことは至難である。関悦史の問題提起のうち、平易なテクストでありながら詩であるのはなぜか、という問いは川柳にとっても重要であろう。
もう一点、先ほど引用した関悦史の文章にも触れられているが、作品は一義的でなければならないという謬見が川柳の世界においても流布している。一つの作品は一つの意味しか持ちえないものだろうか。複数の解釈というものがあってもよいし、そのことが作品の幅や深みにつながる。ときには作品の意味は「作者に聞かなければわからない」という発言まで飛び出すことがあるが、問題は作者ではなく、読者がどう読むかということである。
以上のような諸点を踏まえた上で、結局、問題にしなければならないのは、真の意味の難解句である。
関の論旨からいえば、難解さは人間存在の不可思議さ、不条理さから来ることになる。人間はこのようなものだという常識的な人間理解はわかりやすいが、そこには何の発見もない。表層的な人間理解から一歩進んで、人間の深層をのぞいてみると、そこに謎めいた実存が見えてくるのだろう。現代川柳の特徴として確かにそういう側面はあり、川柳の開拓すべき大きな領域であろう。
けれども、もう一つの側面として、難解さは言葉からも生まれる。一句を構成する個々の言葉の意味が分からないのではない。個々の言葉の意味はわかっても、文脈がわからないのである。このことが、前句付から派生した川柳の特徴である。
川柳における「難解」の問題は「読み」の問題と結びついており、難解句の検証は『柳多留』から近代川柳、新興川柳を経て現代川柳に至る、川柳の「読み」の歴史を通じて明らかにされる必要がある。それはこれからの課題だろう。

2010年8月20日金曜日

夏を振り返って

今年の夏も終盤に入った。手元にある7・8月の川柳誌・川柳同人誌から、今何が問題となっているかを探ってみたい。

◇「川柳木馬」125号

古谷恭一の巻頭言(「一塵窓」)では「会社の寿命三十年説」を話の枕にして、企業が生き続けて発展するには人材の交代が必要であり、自己変革を遂げて別の生命体に再生しなければ激変する世界を乗り切っていけないと述べている。恭一は「川柳木馬」が創立30年を越えたことと重ねているのである。今年9月には「第2回木馬川柳大会」が高知で開催されることになっている。どのような大会になるのか、期待される。
「川柳木馬」誌面に話を戻すと、清水かおりの前号評に注目した。その中で内田万貴の2句が取り上げられている。

  肉厚な言葉に挟み込むわけぎ  内田万貴
  冷蔵庫から桜開花を逆探知

「内田万貴の木馬作品は題吟として拵えた句が多いのだが、出来ればもっと雑詠に挑戦して欲しいと思っている。内田の言語展開は驚くほど幅がひろいからだ」と清水は述べている。
「題詠として拵えた句」から「雑詠」へ。
その間で、作者の真の個性が言葉によって立ち表れてくることを清水は述べているに違いない。
事情は少し違うが、「作家群像」のコーナーで取り上げられている富山やよいに対する野口裕の論にも似たような観点を感じた。
野口の富山やよい論では、まず「俳諧は三尺の童にさせよ」という芭蕉の言葉を引用し、富山やよいの中の子どもが万華鏡をのぞくように眼前の光景を捉えていく、という言い方をしている。しかし、その光景はどれも同じように見えてしまうのであり、その原因は言葉が作者の手の内に入っていないからだ、と野口は批評する。
よく言われることだが、「子どものような眼」というのは実は大人の目である。ミロの絵画は子どものように純粋と言われるが、もちろんミロは大人であって、大人の描いた子どものような絵であるところに意味があるのである。
野口に富山やよい論を書いてもらったことは、彼女の幸運だろう。言葉を手の内にすることによって、言葉による自己の世界が生まれる。そして、その次に、そのような言葉による自己の世界を破壊する苦しみがくる。川柳もまた言語表現であるかぎり、そういう道筋になるだろう。

◇「ふらすこてん」10号

京都から筒井祥文が発行している本誌も10号を迎えた。
玉野川柳大会で特選を取った小嶋くまひこの作品を探したが、残念ながら掲載されていない。
同人作品欄「たくらまかん」から、兵頭全郎の作品。

  内海氏がもうひとりいる月の裏
  区役所の木佐貫さんを別の目で
  額を外すと流れ出るキョーちゃん
  切捨御免あとは名札にしまいます

全郎は実体験からではなくて、モチーフを決めることによって川柳を書くタイプである。そして、そのモチーフとは言葉である。今回は「名前」である。なぜ内海氏なのかと問うことにはあまり意味がない。ただ、作者の創作過程は何となく想像がつく。「内海氏」と「月の裏」をつなぐのは、「月の海」という言葉である。ただし、真偽は保障しない。
最後の句はテーマを言いすぎていて、蛇足感がある。

◇「水脈」25号

北海道から発信されている川柳誌。(編集・浪越靖政)
筒井祥文が前号評を書いている。
興味深いのは「創連」という形式で、先行する川柳のイメージを受けて自作川柳とする。川柳と連句の中間形態と言えようか。

 さむらいを乗せてうれしい縄電車   涼子
 トンネルを出ると満開の花見席    むさし
 どこまでもピンクあふれるカバの口  麗水

◇「点鐘じゃあなる」2010年8月号

8月4日の点鐘散歩会の記録が掲載されている。四天王寺吟行である。
川柳には珍しく、この会では吟行に出かけている。机の上で句を書くのではなく、実際に物を見て句を書くことによって新鮮な作品が生まれる、という墨作二郎の考え方による。この日は21人が参加。

  長い手の先を見に行こうと思う     峯裕見子
  経を読むいちにちいちじくのいちにち  辻嬉久子
  凭れたら凭れかえしてくる仁王     前田芙巳代

盂蘭盆会前の四天王寺は生と死とが交錯する場であった。

◇「川柳びわこ」566号

「点鐘散歩会」のときに峯裕見子から「川柳びわこ」8月号をもらった。
平賀胤壽が「前月近詠鑑賞」を書いている。「結跏趺坐 徐々に西瓜になってゆく 美幸」についての句評はこんなふうに書かれている。「ここでは作者自身が結跏趺坐していなければならない。もちろん想像だけでもよい」「詩的表現として『西瓜』がもっとも相応しいものかどうか」―このあたりが鑑賞のポイントだろう。近詠欄から。

  預かった何か動いている袋      峯裕見子
  カーテンの向こうの明日はあかるいか

峯裕見子の才能をもってして、この境地にとどまっているのは、何だか残念である。誰にでも分かる平易な川柳は、他の川柳人にまかしておけばいいのだ。

2010年8月13日金曜日

「乙女」という兼題

芥川賞を受賞した赤染晶子の「乙女の密告」が評判になっている。『アンネの日記』という素材も注目されるが、日本ではよく知られている『アンネの日記』を暗唱する話に仕立てた発想がおもしろい。また、「乙女の密告」というタイトルも魅力的だ。誰がアンネ一家を密告したのだろう。

さて、7月4日に開催された第61回玉野市民川柳大会の兼題のひとつが「乙女」であった。玉野川柳社(代表・前田一石)が開催するこの大会は男女二人の選者による共選が呼び物で、個性的な参加者が集まる好大会である。今年の玉野の大会の意味を振り返ってみたい。

兼題「乙女」は石部明と富山やよいの共選である。「乙女」は作りにくい題で、「乙女の祈り」「制服のおとめ」「処女性」、逆に「乙女の残酷さ」など既成のイメージが強く作用するから、そこから抜け出ることが難しいのである。玉野では55回大会のときに「妖精」という題が出されたことがあったが、そのときと事情は似ているだろう。

川柳の題詠は大会の参加者が共通の土俵において競争するという意味をもつ。詩的飛躍を好む川柳人は題からの飛躍をはかったり、思いがけないものと乙女とを結びつけようとするかも知れない。「乙女」の本意と向かい合う作者もあるだろうし、皮肉な川柳眼から眺めようとするかも知れない。
発表誌を改めて読んでみると、「~が~になる」というパターンと「~乙女」というパターンが多かった。
前者は、乙女でないものが乙女に変化する、あるいは乙女が乙女でないものに変化する、というパターンである。

  楕円形になって乙女は出ていった   坂井半升
  振り向けば乙女が脱皮するところ   斉藤幸男
  そのうちに乙女も枇杷の種になる   本多洋子

後者の「~乙女」というパターンは、意外な形容をつなげて乙女という名詞で止めるというもので、川柳ではよく使われる文体である。特に、富山やよい選の方にこのパターンが目につく。

  羽田発7時50分の乙女        竹下勲二郎
  空中戦はお好きですかという乙女   清水かおり
  もこもことふわふわになる乙女    草地豊子

あと、ブラックとしては次の句が印象に残った。

  乙女入り羊羹どこを切りましょう   山田ゆみ葉

そして、特選句はこれらのパターンを越えたところから選ばれている。

 乙女らは長い尻尾を結びあう    小嶋くまひこ(石部明特選)
 乙女らは海のラ音を聞いている  内田万貴(富山やよい特選・石部明準特選)

この2句を眺めてみると、まず「乙女ら」という主語の複数形に共通点がある。ひとりの乙女ではなく、乙女たちの関係性が主題となっているのだ。それは、特にくまひこの句に顕著である。
「長い尻尾」とは何だろう。乙女にはそのようなものはないから、これはメタファーであるか、目に見えない尻尾だと読まざるをえない。イメージとしては、女性のポニーテールなどの髪形から連想されたのかも知れない。この句にとって少し不利なのは、話題になった映画「アバター」に出てくる連結のイメージに重なることである。映画のイメージとは無関係だとすると、「長い」というところに意味性が出てくる。二人の乙女は目に見えない長い尻尾で繋がれている。それはプラス・イメージだけではなくて、あるときはマイナスのイメージをもたらすときもあるだろうが、ともかく二人の意志で結びあったのである。

内田万貴の句は「海のラ音」に焦点がある。この句の弱点は、披講の際に耳で聞いただけでは「ラ音」の意味が聞き取れないことである。「ドレミファ」は川柳でしばしば使われるが、「ラ」にしぼったのはなぜだろうか。
実景だと受け取れば、複数の乙女たちが海辺で音を聞いている。それは明るい音とはかぎらず、少し翳りのあるマイナーな音かも知れない。この句に抒情性を感じるのはそのためだ。
けれども、適度な抒情性を乗り越えようとすれば、この句の次に来る世界を読者としては見せてもらいたいと思う。「乙女ら」の「ら」とラ音の「ラ」も言葉として妙に引っかかる。

今年の玉野の作品を「乙女」を例に一瞥してみた。「乙女」という題は難しかった。飛躍しようとして力むと、かえって陥穽に落ち込むことになる。これまでさまざまな佳句が生まれてきた玉野でも、名作はそう簡単には生まれないということだろう。

2010年8月6日金曜日

石部明の軌跡

「バックストローク」31号は「第三回BSおかやま川柳大会」の特集号である。2008年に始まったこの大会も今年4月で3回目を迎えたが、大会の呼び物は石部明のトーク。そしてゲスト選者とバックストローク同人による共選である。今回は石田柊馬と俳人の佐藤文香との組合せが話題になった。佐藤文香の選評に曰く、「もっと感」のある作品、「面白いでしょ?」と言っていない作品、「社会に貢献しない」作品を選んだ…と。賛否はあるかも知れないが、ユニークな基準である。
4月10日の大会がすんで4カ月が経過して発表誌が発行されたが、現時点から振り返って大会のことを思い出してみることは参加した個々の川柳人にとって意味あることだろう。また、参加できなかった川柳人にとっては、大会の記録によっておおよその雰囲気を知ることができる。発表誌の役割とはそういうものだろう。

◇個人史と現代川柳史
大会第一部「石部明を三枚おろし」は小池正博・樋口由紀子の二人のインタビュアーが石部明の話を聞くという企画である。石部のトークには定評があり、放っておいても話は面白くなるが、聞き手の小池には年代順に進めていこうという意図があって、「ますかっと」「こめの木グループ」「岡山の風・6」「ふあうすと」などについて丹念に質問している。
川柳人にはそれぞれの個人史があるが、それが大きな意味では現代川柳史とつながっている。特に、現代川柳の流れの中心にいる石部のような川柳人の軌跡は、個人史と現代川柳史をともに語ることによってはじめて浮き彫りになるだろう。
「川柳で大嘘を書いてみたい」という石部の発言が流布しているが、それがどういう文脈で語られたのかもよくわかる。
大会の選者だった石田柊馬が選を終えてから途中で第一部に参加し、発言していることも、石部本人のトークとは別の視点を入れる意味でも興味深い。

◇時実新子
「川柳展望」「川柳大学」時代のことは、樋口由紀子が聞き手になって話を進めている。
「革新の時実新子」という石部の発言が新子を怒らせ、口をきいてもらえなくなったが、「火の木賞」授賞式では「長い間よく辛抱してくれましたね」と新子から声をかけられたことなど、エピソードが披露されている。
「伝統と革新」という枠組みにまだ川柳人がとらわれていたころから、石部明にはそういう図式は無効であるという認識があったが、それがどこからきているのかが何となくわかる。
新子が亡くなったあと、樋口由紀子が「MANO」に新子論を書いているが、石部の現在の視点からのまとまった新子論を読んでみたい気がする。

◇ゼロ年代川柳のうねり
「MANO」創刊から『現代川柳の精鋭たち』『遊魔系』「バックストローク」の創刊、「セレクション柳人」の発刊と、現代川柳は動いてきた。川柳の「いま・ここ」を語るのに石部明の存在は欠かせない。トークの最後では注目している川柳人の名を挙げているが、石部自身もさらに前進していく気合充分である。『遊魔系』以後の作品をまとめた第三句集の発行を待望しておきたい。

2010年8月1日日曜日

週刊川柳時評

「週刊川柳時評」の開設に向けて、ただいま準備中です。
いましばらくお待ちください。