前回とりあげた歌人の我妻俊樹が今度は川柳を書いている。
「SH3」に「ストロボ」のタイトルで発表された102句である。
多作であることにも驚くが、「歌人がつくった川柳」という印象はまるでなくて、現代川柳作品として読んで何の違和感もないことにびっくりする。
土踏まずだけがきれいな夜景です 我妻俊樹
少しずつ思い出してる右の県
白菜を割って登場してもいい
住むだけで家が柘榴になっていく
割れたならバスターミナルだって皿
右の月と左の月の継ぎ目です
むこうへと七里ケ浜を追い返す
敵味方なく雪柄のシャツを着る
前世の話はよせよ照れるから
飛び魚の味を合図に一時解雇
「SH」は瀬戸夏子・平岡直子の編集発行。三冊目となる「SH3」は先日の「川柳フリマ」で販売された。我妻以外のゲスト作品を含めて紹介しておく。
助けてね逃げてねカラオケの先生 宝川踊
火と刃物 お料理は死にちかくてヤ 山中千瀬
名古屋まで逃げてきたのに顔がある 吉岡太朗
天使ひとりになるまで他天使皆殺し 瀬戸夏子
母と子の決闘が母子像になる 平岡直子
さて、5月22日、大阪・上本町の「たかつガーデン」で「第二回現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」が開催された。川柳を中心としたフリーマーケットに13グループが出店し、71名の来場者があった。そのうち川柳人が約半数、歌人が約20名、俳人が約10名であった。
このイベントは昨年に続き二回目であるが、文学フリマや2014年7月に開催された「大阪短歌チョップ」などから影響を受けている。「ヒストリア+フリマ」というコンテンツで、ヒストリアの部分では今回、石田柊馬が現代川柳句集の解説をした。
『中村冨二・千句集』をはじめ『難破船』(松本芳味)『山彦』(石曽根民郎)『熊野』(岡橋宣介)『無双』(定金冬二)『痩せた虹』(柴田午朗)『月の子』(時実新子)『指人形』(福島真澄)などを展示。石田は展示されていた川柳句集の時代を「暗喩やイメージやフィクションが準備されていた時代」ととらえ、「私川柳」のスタートとしての『新子』(昭和38年)、昭和30年~40年ごろの女性川柳の時代など、現代川柳史を駆け足で語った。
橋が長いのでおんなが憎くなる 定金冬二
対談の部では、山田消児と小池正博が「短歌の虚構・川柳の虚構」について語り合った。
山田が「虚構の短歌」の例に挙げたのは次の五首。
照準つけしままの姿勢に息絶えし少年もありき敵陣の中に 渡辺直己
奪われてしまうものならはじめからいらないたとえば祖国朝鮮 野樹かずみ
降り出した粉雪ながめ帰れずにあたしいつまで万引き少女 河野麻沙希
父危篤の報受けし宵缶ビール一本分の速度違反を 石井僚一
食べ損ねたる手足を想ひ山姥が涙の沼を作つた話 石川美南
渡辺直己は戦前の「アララギ」で前線歌人として有名だったが、この歌は実際の戦闘ではなく、映画を見て詠んだ歌だという説がある。私がこの歌人のことをはじめて知ったのは、藤原龍一郎の本からだったが、藤原は「ギミック」という言葉を使っていた。レスラーが覆面をかぶるように、「前線歌人」も一種の覆面のようなものという捉え方である。
野樹かずみは在日朝鮮人ではなくて日本人、河野麻沙希は女性ではなくて男性、石井僚一の父は亡くなっていなかった。石川美南の『物語集』は歌の最後がすべて「~話」で終っている。
山田消児はそれぞれのケースについて丁寧に説明した。
石井僚一については2014年の短歌研究新人賞をめぐる議論が記憶に新しいだろう。ちなみに、石井はそのときの「正しい選考」とは何かという疑問から自ら「石井僚一短歌賞」を創設したという記事を新聞で読んだ。新人が自分で短歌賞を創設するという話には仰天する。
続いて、川柳の虚構について、小池は次の五句を例に挙げた。
人殺しして来て細い糞をする 中村冨二
雑踏のひとり振り向き滝を吐く 石部明
流れ着くワカメ、コンブを巻きつけて 広瀬ちえみ
ヒトラーユーゲントの脛毛にチャコはすがりつく 山田ゆみ葉
乳飲み子と歩調があえば船は出る 兵頭全郎
対談の詳細はテープ起こしをして、「川柳カード」12号に掲載の予定。
川柳の虚構については「バックストロークin仙台」(2007年5月)での〈川柳にあらわれる「虚」について〉、「バックストロークin大阪」(2009年9月)での〈「私」のいる川柳/「私」のいない川柳〉で議論されたが、その後あまり取り上げられることのないテーマである。ある意味で、川柳における虚構は当然の前提として広がっているのかも知れない。だから、山田ゆみ葉がブログで、いまごろなぜこんなテーマを取り上げるのかと疑義を呈したのは痛いところを突いているのである。ただ、川柳の先端部分はさておき、おおかたの川柳人の中では「虚構」「私性」「実感句」などの問題はまだきちんと整理されていないように思われるので、山田消児を迎えて短歌の場合はどうなのかを聞いてみたかったのである。
川柳フリマではいろいろな同人誌やフリーペーパーを手にすることができた。
たとえば「並列」は谷じゃこが「川柳を作ってみよう」と歌人に声をかけてできたフリーペーパー。
霜柱たちスタンディングオベーション 嶋田さくらこ
ほとんどの家にカーテンがあります 魚住蓮奈
返事がないただの水たまりのようだ 尼崎武
夏が来てシュークリームが降りそそぐ 月丘ナイル
内臓を見せながらパンを食う真鯉 ユキノ進
箱庭にモンシロチョウはお断り 谷じゃこ
今回初参加の「かばん関西」はガチャガチャや豆本などのユニークな企画で目をひいたが、飾りつけの面でもいろいろ準備してきたようで注目された。『川柳×短歌 月めくり』から。
カミサマはなんにも禁止してないね ミカヅキカゲリ
封を切る君の覚悟はよろしいか 文屋亮
新しい病いをひとつ月を食む とみいえひろこ
他ジャンルの、たとえば歌人が実際に川柳を作ってフリマに参加してくれるのは、抽象的議論よりよほど実りのあることだと思う。実作を通じて理解し合うことが大切だろう。
俳句関係では関西俳句会「ふらここ」作品集が販売されていて、関西の若い俳人の作品を読むことができた。
「川柳フリマ」は川柳人だけではなくてジャンルを超えたオープンな集いになればいいなと思っている。参加者相互の顔が見えるイベントとしては80人程度の参加者が適正かもしれない。今回、ご参加・ご協力いただいたみなさまに感謝する。
事前投句作品(欠席投句あり)について、当日の参加者に好きな句を投票していただいた。おひとり三句選。高得点句を最後に紹介しておく。5点句以下は「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」のホームページに追って発表されるので、そちらをご覧いただきたい。
8点 月光をさえぎるためのおろし金 森田律子
8点 寝ている水に声をかけてはいけません 岩田多佳子
7点 祭きて紋白蝶は炊き上がる とみやまやよい
7点 とりどりの手押し車が沖へ出る 川田由紀子
6点 触れてみて冷たい方が五月です 嶋澤喜八郎
6点 あほやなあ あほやあほやと抱いてやる 本多洋子
6点 計算の出来ないものを着て街へ 筒井祥文
6点 領海の外で天ぷら揚げている 中村幸彦
6点 唇は桐の小箱に入れておく 竹井紫乙
2016年5月27日金曜日
2016年5月20日金曜日
川柳人から見た我妻俊樹
「率」10号は我妻俊樹の歌集『足の踏み場、象の墓場』を誌上歌集として150ページにわたって掲載している。10号記念の特別企画ということで、瀬戸夏子は序文でこんなふうに書いている。
「きっと歌人ならだれにだってあることだろうと私は信じているのだけれど、歌人ならきっと誰でも、好きな歌人の、いつかの歌集の出版を夢に描いて、心のなかで待ちつづけているのではないのだろうか。
けれど、さまざまな問題や周囲の状況から、歌集の出版というのはそんなに容易なことではないのだ。それも、私自身の経験をふりかえり、周囲の状況を見渡せば、よくわかることだ。
私が我妻俊樹の読者になったのは歌葉新人賞のころだから、おそらく十年ほど前になるだろう。つまり、私は十年間、待ったのだ」
結局、「率」が動いて誌上歌集が実現したことになる。
私が我妻俊樹の作品を読んだのは、昨年の「川柳フリマ」で購入した「SH」に掲載されていた五七五作品が最初である。昨年のこの時評でも次のようなコメントを書いたことがある。
〈 提灯をさげているなら正装だ 我妻俊樹
「SH」から。
「川柳フリマ」のために歌人の瀬戸夏子と平岡直子が作った「川柳句集」である。ゲストに我妻俊樹が参加している。
提灯をさげるのは誰か。作中主体を書かないことによって含みのある表現が可能となる。闇夜に提灯をさげるのは現実のことだが、妖怪だと読むと「怖い川柳」になる。百鬼夜行の正装である 〉
今回、我妻の短歌をまとめて読んでみて、とてもおもしろいと思った。よく分からなかった作品もあるが、退屈な歌はほとんどない。
バスタブの色おしえあう電話口できみは自らシャツをひろった
あの青い高層ビルの天井の数をかぞえてきたらさわって
ぼくときみがいっしょにホテルにいるのか、別々にいて電話しているのか少し迷う。
『竹取物語』のかぐや姫は五人の貴公子たちの求婚に対して、蓬莱の玉の枝を持ってこいとか、竜の首の珠を取って来いとか無理難題をふっかける。ここでは、高層ビルの天井の数を数えてくるように言っている。言われているのは誰なんだろう。
こめかみに星座のけむる地図の隅にたずねる公園ほどの無意識
「こめかみ」から始まって「無意識」にたどりつく。五七五七七という定型のなかで、言葉はこんなところまで行き着くことができるのかと思う。
五七五定型であれば、この歌の半分「こめかみに星座の煙る地図の隅」までで終わる。これだけでもおもしろいが、これまでまったく見たことのない光景というわけではない。「こめかみ」という身体(ミクロコスモス)と「星座」(マクロコスモス)が重ね合わされているのだろうなと思ってしまう。けれども、短歌の場合はさらに七七の部分があるから、ここで身体を垂直にたどって「無意識」にまで到達するのだ。世界は地図化され、さらに無意識の世界で起こっている光景に還元される感じがする。
バス停を並ぶものだと気づくのはいずれ人ばかりではあるまい
その森がすべてうれしくなるまでにわたしたちは二匹に減っておく
こうもりはいつでも影でぼくたちは悩みがないかわり早く死ぬ
「人ばかりではあるまい」とだけ言って、それが何かは読者の読みに預けられている。人間以外の存在って何だろう。あやかしの気配がする。
二匹に減ってしまって、それがうれしいことだろうか。「わたしたち」とは誰か。
三首目の早く死ぬ「ぼくたち」もどのような存在か、いろいろ読む楽しみがある。
ひこうきは頭の上が好きだから飛ばせてあげる食事のさなかに
鰐というリングネームの女から真っ赤な屋根裏を貢がれる
心臓で海老を茹でます親方 さあ親方 四股でもふみますか
客と思えばお茶を出してしまうし葉書だと思えば読んでしまう
手袋とお面でできた少年を好きになってもしらないからね
名古屋駅から出たこともない蚊でも倒しにいくとして、持ち物は
ユーモア感覚の歌もけっこう多いように思った。大声で笑うのではなく、読者がにやりと笑う感じの。
アンドロメダ界隈なぜか焼野原 絶唱にふさわしいるルビをふる
牙に似た植物を胸にしげらせて眠るとわかっていて待つ時報
手がとどくあんなにこわい星にさえ 右目が見たいものは左目
木星似の女の子と酸性雨似の男の小の旅行写真を拾う
「星」の歌も散見される。
地上の現実と星の世界が連想のなかで結びついている。
作品の外に存在する作者の「顔」なんてどこにも見えないし、作者は作品の言葉のなかにしかいない。現実の世界が唯一の世界だと思う人は写生に向かうだろうが、我妻の作品を読んでいると、表層的現実とは異質なものが重ね合わされている感じがする。「ぼく」や「君」をながめている異次元の視線が存在するのだ。近代短歌の自己表出とはまったく異なる歌の姿がここにはある。
「あとがき」で我妻はこんなふうに書いている。
「十五年で大きく変わったところも変わらないところもあるが、あえて変化には気を払わない構成にした。歌はひたすら何かを上書きしていくもので、その何かに言葉も歌も作者も含まれるだろう。上書きによって透明さに近づくようにも、混濁が増していくだけのようにも思える。もとより私はずっと目をつぶったままで、誓っていいが一度もここで物を見たことがない。
かわりに歌がこちらを見ている。書き手など、偶々そこに生えていた草のようなものだ。無駄に繁茂して読者の視界を遮っていないことを願うばかりである」
見事な覚悟だと思う。
5月22日の「第二回現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」では、「SH3」が販売される。我妻の川柳作品も掲載されているようなので、楽しみにしている。
この話のつづきは箱の中で(いま、開けたばかりできれいなので) 我妻俊樹
「きっと歌人ならだれにだってあることだろうと私は信じているのだけれど、歌人ならきっと誰でも、好きな歌人の、いつかの歌集の出版を夢に描いて、心のなかで待ちつづけているのではないのだろうか。
けれど、さまざまな問題や周囲の状況から、歌集の出版というのはそんなに容易なことではないのだ。それも、私自身の経験をふりかえり、周囲の状況を見渡せば、よくわかることだ。
私が我妻俊樹の読者になったのは歌葉新人賞のころだから、おそらく十年ほど前になるだろう。つまり、私は十年間、待ったのだ」
結局、「率」が動いて誌上歌集が実現したことになる。
私が我妻俊樹の作品を読んだのは、昨年の「川柳フリマ」で購入した「SH」に掲載されていた五七五作品が最初である。昨年のこの時評でも次のようなコメントを書いたことがある。
〈 提灯をさげているなら正装だ 我妻俊樹
「SH」から。
「川柳フリマ」のために歌人の瀬戸夏子と平岡直子が作った「川柳句集」である。ゲストに我妻俊樹が参加している。
提灯をさげるのは誰か。作中主体を書かないことによって含みのある表現が可能となる。闇夜に提灯をさげるのは現実のことだが、妖怪だと読むと「怖い川柳」になる。百鬼夜行の正装である 〉
今回、我妻の短歌をまとめて読んでみて、とてもおもしろいと思った。よく分からなかった作品もあるが、退屈な歌はほとんどない。
バスタブの色おしえあう電話口できみは自らシャツをひろった
あの青い高層ビルの天井の数をかぞえてきたらさわって
ぼくときみがいっしょにホテルにいるのか、別々にいて電話しているのか少し迷う。
『竹取物語』のかぐや姫は五人の貴公子たちの求婚に対して、蓬莱の玉の枝を持ってこいとか、竜の首の珠を取って来いとか無理難題をふっかける。ここでは、高層ビルの天井の数を数えてくるように言っている。言われているのは誰なんだろう。
こめかみに星座のけむる地図の隅にたずねる公園ほどの無意識
「こめかみ」から始まって「無意識」にたどりつく。五七五七七という定型のなかで、言葉はこんなところまで行き着くことができるのかと思う。
五七五定型であれば、この歌の半分「こめかみに星座の煙る地図の隅」までで終わる。これだけでもおもしろいが、これまでまったく見たことのない光景というわけではない。「こめかみ」という身体(ミクロコスモス)と「星座」(マクロコスモス)が重ね合わされているのだろうなと思ってしまう。けれども、短歌の場合はさらに七七の部分があるから、ここで身体を垂直にたどって「無意識」にまで到達するのだ。世界は地図化され、さらに無意識の世界で起こっている光景に還元される感じがする。
バス停を並ぶものだと気づくのはいずれ人ばかりではあるまい
その森がすべてうれしくなるまでにわたしたちは二匹に減っておく
こうもりはいつでも影でぼくたちは悩みがないかわり早く死ぬ
「人ばかりではあるまい」とだけ言って、それが何かは読者の読みに預けられている。人間以外の存在って何だろう。あやかしの気配がする。
二匹に減ってしまって、それがうれしいことだろうか。「わたしたち」とは誰か。
三首目の早く死ぬ「ぼくたち」もどのような存在か、いろいろ読む楽しみがある。
ひこうきは頭の上が好きだから飛ばせてあげる食事のさなかに
鰐というリングネームの女から真っ赤な屋根裏を貢がれる
心臓で海老を茹でます親方 さあ親方 四股でもふみますか
客と思えばお茶を出してしまうし葉書だと思えば読んでしまう
手袋とお面でできた少年を好きになってもしらないからね
名古屋駅から出たこともない蚊でも倒しにいくとして、持ち物は
ユーモア感覚の歌もけっこう多いように思った。大声で笑うのではなく、読者がにやりと笑う感じの。
アンドロメダ界隈なぜか焼野原 絶唱にふさわしいるルビをふる
牙に似た植物を胸にしげらせて眠るとわかっていて待つ時報
手がとどくあんなにこわい星にさえ 右目が見たいものは左目
木星似の女の子と酸性雨似の男の小の旅行写真を拾う
「星」の歌も散見される。
地上の現実と星の世界が連想のなかで結びついている。
作品の外に存在する作者の「顔」なんてどこにも見えないし、作者は作品の言葉のなかにしかいない。現実の世界が唯一の世界だと思う人は写生に向かうだろうが、我妻の作品を読んでいると、表層的現実とは異質なものが重ね合わされている感じがする。「ぼく」や「君」をながめている異次元の視線が存在するのだ。近代短歌の自己表出とはまったく異なる歌の姿がここにはある。
「あとがき」で我妻はこんなふうに書いている。
「十五年で大きく変わったところも変わらないところもあるが、あえて変化には気を払わない構成にした。歌はひたすら何かを上書きしていくもので、その何かに言葉も歌も作者も含まれるだろう。上書きによって透明さに近づくようにも、混濁が増していくだけのようにも思える。もとより私はずっと目をつぶったままで、誓っていいが一度もここで物を見たことがない。
かわりに歌がこちらを見ている。書き手など、偶々そこに生えていた草のようなものだ。無駄に繁茂して読者の視界を遮っていないことを願うばかりである」
見事な覚悟だと思う。
5月22日の「第二回現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」では、「SH3」が販売される。我妻の川柳作品も掲載されているようなので、楽しみにしている。
この話のつづきは箱の中で(いま、開けたばかりできれいなので) 我妻俊樹
2016年5月13日金曜日
飯尾麻佐子と女性川柳
「水脈」42号(2016年4月)に浪越靖政が「追悼・飯尾麻佐子」を書いていて、彼女が昨年7月に亡くなっていたことを知った。私は彼女に直接会ったことはないが、このすぐれた女性川柳人について書き留めておきたい。
北海道で発行されている「水脈」は、飯尾麻佐子の系譜を受け継ぐ川柳誌である。浪越は次のように書いている。
〈 「水脈」は麻佐子さんが昭和53年に創刊した「魚」、平成8年創刊の「あんぐる」を引き継いで、平成14年に創刊したもので、麻佐子さんの存在がなかったら、私たちの今の活動はない。 〉
飯尾麻佐子は1926年、北海道・根室市生まれ。のちに札幌市に移住、このころ川上三太郎が北海道に来ることがあって、三太郎に師事、「川柳研究社」幹事となる。その後「川柳ジャーナル」「川柳公論」「川柳とaの会」などで活躍した。
以前、「バックストローク」24号(2008年10月)で「女性川柳の可能性」という小特集を企画したことがあって、一戸涼子が「女性川柳を越えて―飯尾麻佐子と「魚」―」を書いている。一戸は「魚」創刊のことを次のように述べている。
〈 「魚」創刊は麻佐子五十代初めの頃だったと思われる。川上三太郎の言葉「女性川柳という空地を開拓せよ!しかもこの開拓はわれわれ男性がいくらやあろうと思ってもやれないことなのだ」を引用し「現在女性川柳の大半が男性の側によって評価され育成されている。このことは決して悪いとは思わないが、女でなければ心の深部の起伏までは、わかり得ないのは当然である」だから「自らの視点で女性川柳というものを考えてみたい」と書かれている。このテーゼは以降何回も言葉を変えて随所に表れることになる。 〉
現在では想像しにくいことだが、川柳が男性中心だったころの話であり、「男性の側によって評価され育成される」女性川柳のなかにあって、女性による川柳誌「魚」を立ち上げたことは、飯尾麻佐子の先駆性を示すものだ。
ちなみに川柳誌「魚」は昨年の「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」でも展示しておいた。
「魚」は若い女性川柳人に作品発表の場を与え、大きな刺激を与えた。
前掲の浪越靖政の文章に戻ると、「あんぐる」2号に麻佐子は次のような文章を書いている。
「自分の内部にひとつの世界がなければ、創作はできない」
「誰にも犯されない領域を持つことである。そのうえで、深層のイメージや時間・空間の影響などへ考えが進んでゆくことは、たのしいことである」
「やがて、死と生、愛と憎、部分と全体のように相対するものを、別々に見ないで、同時に二つのものを見る眼をもつことも大切になってくる」
「死というとき、同時にその対極の生を考えてみることが、内部世界の根底になければ、創作などできないのではないか」
「あんぐる」の頃には麻佐子は相模原市に移住していたが、やがて体調不良も重なり、「あんぐる」は16号で終刊する(2000年2月)。
飯尾麻佐子は明確な川柳観をもち、川柳発信への意志をもつ作家であった。
いま彼女の作品を読むとき、キーワードとなるのは「詩性」「女性」「北方性」「生と死」である。浪越の引用している句に何句か加えて10句抽出しておく。今ではもうこのような書き方をしなくなったところもあるだろうが、彼女の発信したメッセージは簡単に忘れ去られていいようなものではないと思っている。
空間を火の矢がよぎり みんな敵
北窓をひらく沙汰のあるごとく
夕ぐれの鴉一族 なまぐさし
もの書きの刃を研ぐ喉のうすあかり
弟のりんどう捜す 死後の原野
ふところに密告たまる 遠い韃靼
生きはぐれ楕円のなかに孵るもの
所在なく蛇の思想を売り歩く
北に鎌あり冬より早く捨てた耳
山頂を食べのこしたりマリンブルー
北海道で発行されている「水脈」は、飯尾麻佐子の系譜を受け継ぐ川柳誌である。浪越は次のように書いている。
〈 「水脈」は麻佐子さんが昭和53年に創刊した「魚」、平成8年創刊の「あんぐる」を引き継いで、平成14年に創刊したもので、麻佐子さんの存在がなかったら、私たちの今の活動はない。 〉
飯尾麻佐子は1926年、北海道・根室市生まれ。のちに札幌市に移住、このころ川上三太郎が北海道に来ることがあって、三太郎に師事、「川柳研究社」幹事となる。その後「川柳ジャーナル」「川柳公論」「川柳とaの会」などで活躍した。
以前、「バックストローク」24号(2008年10月)で「女性川柳の可能性」という小特集を企画したことがあって、一戸涼子が「女性川柳を越えて―飯尾麻佐子と「魚」―」を書いている。一戸は「魚」創刊のことを次のように述べている。
〈 「魚」創刊は麻佐子五十代初めの頃だったと思われる。川上三太郎の言葉「女性川柳という空地を開拓せよ!しかもこの開拓はわれわれ男性がいくらやあろうと思ってもやれないことなのだ」を引用し「現在女性川柳の大半が男性の側によって評価され育成されている。このことは決して悪いとは思わないが、女でなければ心の深部の起伏までは、わかり得ないのは当然である」だから「自らの視点で女性川柳というものを考えてみたい」と書かれている。このテーゼは以降何回も言葉を変えて随所に表れることになる。 〉
現在では想像しにくいことだが、川柳が男性中心だったころの話であり、「男性の側によって評価され育成される」女性川柳のなかにあって、女性による川柳誌「魚」を立ち上げたことは、飯尾麻佐子の先駆性を示すものだ。
ちなみに川柳誌「魚」は昨年の「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」でも展示しておいた。
「魚」は若い女性川柳人に作品発表の場を与え、大きな刺激を与えた。
前掲の浪越靖政の文章に戻ると、「あんぐる」2号に麻佐子は次のような文章を書いている。
「自分の内部にひとつの世界がなければ、創作はできない」
「誰にも犯されない領域を持つことである。そのうえで、深層のイメージや時間・空間の影響などへ考えが進んでゆくことは、たのしいことである」
「やがて、死と生、愛と憎、部分と全体のように相対するものを、別々に見ないで、同時に二つのものを見る眼をもつことも大切になってくる」
「死というとき、同時にその対極の生を考えてみることが、内部世界の根底になければ、創作などできないのではないか」
「あんぐる」の頃には麻佐子は相模原市に移住していたが、やがて体調不良も重なり、「あんぐる」は16号で終刊する(2000年2月)。
飯尾麻佐子は明確な川柳観をもち、川柳発信への意志をもつ作家であった。
いま彼女の作品を読むとき、キーワードとなるのは「詩性」「女性」「北方性」「生と死」である。浪越の引用している句に何句か加えて10句抽出しておく。今ではもうこのような書き方をしなくなったところもあるだろうが、彼女の発信したメッセージは簡単に忘れ去られていいようなものではないと思っている。
空間を火の矢がよぎり みんな敵
北窓をひらく沙汰のあるごとく
夕ぐれの鴉一族 なまぐさし
もの書きの刃を研ぐ喉のうすあかり
弟のりんどう捜す 死後の原野
ふところに密告たまる 遠い韃靼
生きはぐれ楕円のなかに孵るもの
所在なく蛇の思想を売り歩く
北に鎌あり冬より早く捨てた耳
山頂を食べのこしたりマリンブルー
2016年5月6日金曜日
言語ゲームとしての川柳―兵頭全郎の世界
1.私のはそれじゃないです
兵頭全郎の第一句集『n≠0 PROTOTYPE』(私家本工房)が発行された。
タイトルをどう読むのか不明である。あえて読めないようなタイトルにしているのだろう。タイトル自体がすでに「意味」ではなくて「記号」だとアピールしている。
「プロトタイプ」という副題も、最初は言語学や哲学でいう「典型」という意味かと思って、ずいぶん皮肉なタイトルだなという気がしたが、「試作品」という意味だとすると今後量産されるべき作品が第二句集・第三句集というかたちで続いてゆくのかもしれない。
内容は「Singles」「妄読」「Units」「Essey」「Recent Works」の各章に分かれ、「Singles」「妄読」にはそれぞれpart1とpart2がある。
まず「Singles‐part1‐」から何句か紹介しよう。
どうせ煮られるなら視聴者参加型
「どうせ見られるなら」であれば意味が通りやすいが、「煮られるなら」となっている。だからといって「煮られるなら」に深い意味性を探っても、何も出てこない。料理番組などの文脈においてみても、あまりおもしろい読みにはならない。だから、この句はそのまま受け取るほかない。どうせなら視聴者参加型でいこうと呼びかけているのでもない。この句にはどんなアピールも意味もないのだ。
付箋を貼ると雲は雲でない
従来の川柳の書き方だと「付箋を貼ると雲は~になる」という形になる。ここでは「雲でない」とだけ言って「何になるか」を意図的に書いていない。
雲は雲であるはずだが、ある条件のもとでは雲は雲でなくなる。
言葉と物との関係は恣意的である。
条件を変えてみる。即ち、言葉を変えてみる。そうすれば、言葉と言葉の関係性によって、一句はさまざまな姿を見せるだろう。
手は打った。回るものみな博覧会
「手は打った」と「回るものみな博覧会」の間に飛躍がある。どんな手を打ったのか、回るものは博覧会以外にもあるのではないか。いろいろな疑問は無効にされている。読者の読みによってその間隙が埋まるというものでもない。一句として統一的な像を結ばないのだ。ただ無限に循環してゆくばかりである。「手は打った」→「回るものみな博覧会」→「手は打った」→「回るものみな博覧会」→「手は打った」…
流れとはひっきりなしの美少年
「AはBである」という川柳の問答体。
従来は答えの部分に「うがち」や「川柳眼」、「隠喩」や「イメージ」が置かれてきた。
けれども全郎の場合は隠喩でもなさそうだし、イメージだとしても納得できるような像を結びにくい。問答体のスタイルを借りてはいるが、何も問答などしていないのだ。
サクラ咲く時「もっと」って言うんです
「もっと」と言っているのは誰か。「もっと」どうしてほしいのか。他の言葉を言うときもあるのではないか。これらの問いは無効である。
受け入れるしかない断言性。
断言は川柳の書き方のひとつだが、従来の断言性はそこに川柳眼が感じられるものだった。作者独特の強烈な物の見方を表出することによって、読者を納得させてしまう力業があった。この句の場合はそのような強引さは感じられない。そう思わないなら別にかまわないよと言っているかのようだ。
数句読んだだけでも、全郎の川柳は従来の川柳とはずいぶん異質であることが分かる。従来の読みでは読みきれないものが多いのだ。
兵頭は自ら作成した「発刊記念フリペ」でこんなふうに言っている。
「世の中には
面白可笑しいとか
社会風刺や人生を語る
川柳が
たくさんありますが
私のはそれじゃないです」
滑稽とユーモア、諷刺や批評性、私性の表現―そのようなものをこれまで川柳は表現してきた。
けれども、兵頭全郎の川柳は従来の川柳の読み方を無効にする。
それでは、全郎の川柳は何を表現しようとしているのだろうか?
2.書きたいものは何もない
近代文学には自我の表現という面がある。自己表現とか自己表出とか言われる。
短詩型文学においては「私性」という言い方がされる。
「世界」を表現する場合でもそこに「私」のものの見方(川柳眼)が反映されるのだ。
けれども、ここに一人の川柳人が現れて、「私」なんて表現したくないと言い出したら、どのような事態になるだろうか。
全郎の川柳には意味もメッセージも「思い」もない。しかし、モティーフは存在する。
そのことは「連作」―「Unjts」の章を見るとわかりやすい。
美人画の額を湾曲する歌劇
頭蓋骨割る厳格な復元図
具現化と聞くや交互に疑義生ず
群生地 草原は下界の出口
外国語学部に並ぶ矯正具
軍議など芸事そっと午後の雨
月光は毬栗のどこまで探る
行列を擽るごきげんな雅楽
戯画丸く盗む大吟醸の瓶
寓話こそ迎合の待つ向う岸
この連作のタイトルは「濁」である。
「濁」という題詠だろうか。それとも「濁る」というテーマがどこかに隠されているのだろうか。
10句を眺めていると、妙に漢字が多いことに気づく。「濁」とは濁点とか濁音とかいうことかもしれない。たとえば「ガギグゲゴ」の音を多用して10句を作ってみる、というようなルールを課したとする。句頭の二字を漢字にするとか、句末の語をできるだけ漢字にするとか、所与の条件を増やせば作品はいろいろ変化する。
このような読み方で、全郎が仕掛けた言語ゲームをクリアーしたことになるのかどうか分からないが、少なくともやっかいな「心」などの入り込む余地はなさそうだ。
全郎の決定的な新しさは「書きたいことなど何もない」という自己表出衝動の不在にあり、にもかかわらず「川柳を書こう」というモティーフの存在するところにある。
川柳にもポストモダンの表現者が現れたのだ。
へとへとの蝶へとへとの蕾踏む 兵頭全郎
兵頭全郎の第一句集『n≠0 PROTOTYPE』(私家本工房)が発行された。
タイトルをどう読むのか不明である。あえて読めないようなタイトルにしているのだろう。タイトル自体がすでに「意味」ではなくて「記号」だとアピールしている。
「プロトタイプ」という副題も、最初は言語学や哲学でいう「典型」という意味かと思って、ずいぶん皮肉なタイトルだなという気がしたが、「試作品」という意味だとすると今後量産されるべき作品が第二句集・第三句集というかたちで続いてゆくのかもしれない。
内容は「Singles」「妄読」「Units」「Essey」「Recent Works」の各章に分かれ、「Singles」「妄読」にはそれぞれpart1とpart2がある。
まず「Singles‐part1‐」から何句か紹介しよう。
どうせ煮られるなら視聴者参加型
「どうせ見られるなら」であれば意味が通りやすいが、「煮られるなら」となっている。だからといって「煮られるなら」に深い意味性を探っても、何も出てこない。料理番組などの文脈においてみても、あまりおもしろい読みにはならない。だから、この句はそのまま受け取るほかない。どうせなら視聴者参加型でいこうと呼びかけているのでもない。この句にはどんなアピールも意味もないのだ。
付箋を貼ると雲は雲でない
従来の川柳の書き方だと「付箋を貼ると雲は~になる」という形になる。ここでは「雲でない」とだけ言って「何になるか」を意図的に書いていない。
雲は雲であるはずだが、ある条件のもとでは雲は雲でなくなる。
言葉と物との関係は恣意的である。
条件を変えてみる。即ち、言葉を変えてみる。そうすれば、言葉と言葉の関係性によって、一句はさまざまな姿を見せるだろう。
手は打った。回るものみな博覧会
「手は打った」と「回るものみな博覧会」の間に飛躍がある。どんな手を打ったのか、回るものは博覧会以外にもあるのではないか。いろいろな疑問は無効にされている。読者の読みによってその間隙が埋まるというものでもない。一句として統一的な像を結ばないのだ。ただ無限に循環してゆくばかりである。「手は打った」→「回るものみな博覧会」→「手は打った」→「回るものみな博覧会」→「手は打った」…
流れとはひっきりなしの美少年
「AはBである」という川柳の問答体。
従来は答えの部分に「うがち」や「川柳眼」、「隠喩」や「イメージ」が置かれてきた。
けれども全郎の場合は隠喩でもなさそうだし、イメージだとしても納得できるような像を結びにくい。問答体のスタイルを借りてはいるが、何も問答などしていないのだ。
サクラ咲く時「もっと」って言うんです
「もっと」と言っているのは誰か。「もっと」どうしてほしいのか。他の言葉を言うときもあるのではないか。これらの問いは無効である。
受け入れるしかない断言性。
断言は川柳の書き方のひとつだが、従来の断言性はそこに川柳眼が感じられるものだった。作者独特の強烈な物の見方を表出することによって、読者を納得させてしまう力業があった。この句の場合はそのような強引さは感じられない。そう思わないなら別にかまわないよと言っているかのようだ。
数句読んだだけでも、全郎の川柳は従来の川柳とはずいぶん異質であることが分かる。従来の読みでは読みきれないものが多いのだ。
兵頭は自ら作成した「発刊記念フリペ」でこんなふうに言っている。
「世の中には
面白可笑しいとか
社会風刺や人生を語る
川柳が
たくさんありますが
私のはそれじゃないです」
滑稽とユーモア、諷刺や批評性、私性の表現―そのようなものをこれまで川柳は表現してきた。
けれども、兵頭全郎の川柳は従来の川柳の読み方を無効にする。
それでは、全郎の川柳は何を表現しようとしているのだろうか?
2.書きたいものは何もない
近代文学には自我の表現という面がある。自己表現とか自己表出とか言われる。
短詩型文学においては「私性」という言い方がされる。
「世界」を表現する場合でもそこに「私」のものの見方(川柳眼)が反映されるのだ。
けれども、ここに一人の川柳人が現れて、「私」なんて表現したくないと言い出したら、どのような事態になるだろうか。
全郎の川柳には意味もメッセージも「思い」もない。しかし、モティーフは存在する。
そのことは「連作」―「Unjts」の章を見るとわかりやすい。
美人画の額を湾曲する歌劇
頭蓋骨割る厳格な復元図
具現化と聞くや交互に疑義生ず
群生地 草原は下界の出口
外国語学部に並ぶ矯正具
軍議など芸事そっと午後の雨
月光は毬栗のどこまで探る
行列を擽るごきげんな雅楽
戯画丸く盗む大吟醸の瓶
寓話こそ迎合の待つ向う岸
この連作のタイトルは「濁」である。
「濁」という題詠だろうか。それとも「濁る」というテーマがどこかに隠されているのだろうか。
10句を眺めていると、妙に漢字が多いことに気づく。「濁」とは濁点とか濁音とかいうことかもしれない。たとえば「ガギグゲゴ」の音を多用して10句を作ってみる、というようなルールを課したとする。句頭の二字を漢字にするとか、句末の語をできるだけ漢字にするとか、所与の条件を増やせば作品はいろいろ変化する。
このような読み方で、全郎が仕掛けた言語ゲームをクリアーしたことになるのかどうか分からないが、少なくともやっかいな「心」などの入り込む余地はなさそうだ。
全郎の決定的な新しさは「書きたいことなど何もない」という自己表出衝動の不在にあり、にもかかわらず「川柳を書こう」というモティーフの存在するところにある。
川柳にもポストモダンの表現者が現れたのだ。
へとへとの蝶へとへとの蕾踏む 兵頭全郎
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