2019年9月20日金曜日

『蕪のなかの夜に』と『ぱんたれい』

9月8日(日)、「第7回文フリ大阪」がOMMビルで開催された。
第三回以降、毎回出店していたが、今回は申し込むのを忘れて出店できなかったのは残念である。そのかわりに、会場近くのエル大阪で「川柳スパイラル」大阪句会を開催し、句会を早めに切り上げて文フリに行くことにしたが、これがまた失敗だったようで、文フリだけでなく他の川柳句会ともバッティングして、参加者がいつもより少なかった。ただし、少人数の句会にも良い点があって、突っ込んだ議論ができる面もある。
さて、今回は文フリで手に入れたものの中から二冊紹介しよう。

まず、フクロウ会議の『蕪のなかの夜に』。
ツイッターによると「フクロウ会議とは、八上桐子、牛隆佑、櫻井周太による川柳と短歌と詩の3ピースユニット。無所属の3人が無所属のまま集まって何かをしてみよう、とかそういうもの」ということで、今春結成された。
まず、八上桐子の川柳作品「はぐれる鳥」から。

もえて燃えきってひかりにふれる白    八上桐子
夢の川シーツのしわの深い流れ
逢うまでの記憶らしき水、日射し
とくべつな骨ははぐれてしまう鳥
しろい夜のどこかで蕪が甘くなる

「白」「夢」「水」「鳥」などのキイ・イメージが使われ、句集『hibi』につながるような世界が表現されている。作品の最後に「もう夢に逢うのとおなじだけ眩し」(小津夜景『フラワーズ・カンフー』)が挙げられているので、おや?と思った。エピグラフは普通巻頭に置かれるが、最後にさりげなく示されている。
『フラワーズ・カンフー』は旧かな使用だから、小津の元句は「もう夢に逢ふのとおなじだけ眩し」。「西瓜糖の墓」の章にあり、ブローティガンの『西瓜糖の日々』をモチーフにした句群である。
小津の句は八上の好む眩しい夢の世界のイメージで、八上はさらにそれを自らの作品に多彩に変容させていったのだろう。現実生活から川柳を作るのではなくて、文学的イメージから川柳作品を作るやり方である。
八上はまた「うすい家」の章で短句にも挑戦している。

一度逆らうストローの首
名付けるまでをサミダレと呼ぶ
よく似た骨を抱き上げる骨

短句(十四字)は十七音とは別のもうひとつの川柳の一体として従来から書かれてきたが、最近ネットなどで流行してきている。
第一句集『hibi』を出したあとも、八上の活躍はめざましい。句集を出すとそこでしばらく休止してしまい、次に進むエネルギーが枯渇してしまうことが多いのだが、それは彼女には無縁のようだ。
櫻井周太は良質の抒情詩を書いている。引用するスペースがないが、回文詩も収録されていて、長編の回文になっているのが驚かされる。ご一読いただきたい。
牛隆佑の短歌「たぶんせぶんいれぶん」から。

離島のようなさみしさがあり橋をゆく最終バスでそこへ渡った  牛隆佑
工事中だからまだ分からないけれど煉瓦調だからたぶんせぶんいれぶん
秋であるそしてなおかつ雨である 大人になってしまったとしても
真夜中のシンクに落ちる水滴の 谷間の水はささやいている
コンビニのドアは硝子で自動だしドアの自覚が足りないのでは

最後に「フクロウ会議の会議」が収録されていて、これは2019年4月7日の合評会の記録。「蕪のなかの夜に」をテーマに歌人・詩人・俳人・川柳人たちが集まった。参加者は同人三名のほか池田彩乃・江口ちかる・江戸雪・小池正博・曾根毅・中山奈々・疋田龍之介・木曜何某。

もう一冊、笹川諒と三田三郎による同人誌「ぱんたれい」vol.1をご紹介。
この二人は今までネットプリント「MITASASA」を発信してきたが、今回冊子としての活動をはじめた。パンタ・レイは古代ギリシアの哲学者・ヘラクレイトスの万物流転の思想だが、そんな意味とは別に、音のおもしろさでタイトルにしたらしい。表紙にパンダなどの動物のイラストが使われているところに俳諧性がある(短歌で俳諧性というのも変だが)。
最初に同人作品として二人の作品が10首ずつ掲載されている。

それがもし地球であれば雨の降るさなかにあなたはこころを持った   笹川諒
そうやって天気予報の言いなりになるならもっと派手に降れ雨     三田三郎

たまたま「雨」を素材とする二首を並べてみた。この二首だけで両者の資質を云々することはできないが、笹川の方が抒情的であり、宇宙論的な視点が見られる。三田の方は諷刺的・批評的であり、日常的な自己から離れていない。三田は「特急よ直進だけじゃ飽きるだろうたまには空へ向かっていいぞ」(「MITASASA」2号)、「今日は社会の状態が不安定なため所により怒号が降るでしょう」(「MITASASA」3号)などの歌も詠んでいて、川柳にも通じるような諷刺的視点が見られる。
ゲストとして、石松佳、西村曜、法橋ひらくの作品が掲載されている。

春の日のふりした夏日僕たちは嗜みとして深爪をする     西村曜
そういうの嫌なんだよな連休が明けるたんびに何してた?って 法橋ひらく

石松佳の「ZOO」は動物園の猿を素材とした詩だが部分的な引用はひかえておく。
「MITASASA」のバックナンバーが収録されているのも便利である。
三田の方が川柳的と述べたが、意外なことにで笹井諒の方が川柳作品を発表しているのに注目した(「MITASASA」4号)。この人は川柳も書ける資質をもっている。

みずぎわ、とあなたの声で川が呼ぶ     笹川諒
ゆっくりと燃えないパフェを食べている
幾たびも起死回生の鍋つかみ
風鈴を非営利で鳴らしています
雨雲にどこかヒッタイトの気配
Y字路のどれも動物園に着く
未来ではリンゴ飴だけ同じ味
搾りきることのできない月でした

三田三郎には歌集『もうちょっと生きる』(発行・諷詠社、発売・星雲社)があり、今回の編集後記で三田は歌集を出した経緯について触れている。
葉ね文庫の池上規公子が創刊にあたってのメッセージを寄せている。葉ね文庫での笹川と三田の様子がスケッチされていて、この二人の資質がシンクロしたことがうかがえる。
最後に三田の歌集から引用しておこう。

人類の二足歩行は偉大だと膝から崩れ落ちて気付いた   三田三郎
転ぶのは一つの自己というよりも七十億の他者たる私
ほろ酔いで窓辺に行くと危ないが素面で行くともっと危ない
水道を出しっぱなしにすることは反抗とすら呼べないだろう

2019年9月13日金曜日

古代ギリシャ柳人 パチョピスコス

「触光」63号(編集発行・野沢省悟)が届いた。
同誌62号に発表された第9回高田寄生木賞のことが話題になっている。
五十嵐進の前号鑑賞は〈「パチョピスコス」や「らいら」の存在を教示された前号だった〉ではじまり、芳賀博子の「おしゃべりタイム」では〈第9回高田寄生木賞受賞作は、森山文切さんの「古代ギリシャ柳人 パチョピスコス」。そのタイトルを見てびっくりしました。実は発表誌が届くちょうどひと月前のこと。他誌の連載でパチョピスコス氏こと森山文切さんに電話取材し、同タイトルの一文を書いたところだったからです〉とある。

芳賀の同タイトルの文章はまだ読んでいないなと思っているところへ、「船団」122号が届いた。(「船団」前号で坪内稔典が「散在(解散)」を宣言して世間をアッと驚かせたのは記憶に新しい。)芳賀の連載「今日の川柳」は47回目になるが、そのタイトルが「古代ギリシャ柳人パチョピスコス」。芳賀はこんなふうに書いている。

ここはアポロンの神託書。ある日、古代ギリシャ柳人パチョピスコスは神託を授かった。
「川柳を広めよ」
その瞬間「ピカ―みたいな、フワーみたいな」感覚に見舞われるも、神からの具体的な指示はない。そこで、
「取り急ぎTwitterなるものを始める。川柳に関する疑問は #教えてパチョピスコス で我に質問せよ」

パチョピスコスというネーミングの由来だが、川柳は難しくものではなく「パッとやってチョッとやってピッでできる」ということらしい。そういえば以前「川柳は紙と鉛筆があればできる」なんて言われていましたね。
芳賀が紹介している「僕は川柳の営業をやります」という発言は、私もその場にいて聞いていたが、確かに川柳には営業(流通)が欠けている。作品(商品)はあっても、それを売る人がいないのだ。森山は自ら営業マンを買って出た。
「川柳スパイラル」3号の「小遊星」のコーナーでは飯島章友が森山文切と対談している。森山が運営している【毎週web句会】の発信力は半端ではなく、川柳に関心をもつ層がずいぶん広がった。飯島と森山の対談の一部を紹介すると―。

飯島 さて【川柳塔】webサイトを拝見すると、「若手同人ミニエッセイ」の欄があるし、「同人・誌友ミニ句集」の欄では若い人の作品も閲覧できます。このあたり、やっぱり川柳塔としては意識的に行っているんですか?
森山 そうですね。意識的に行っています。おっしゃるように若手を押し出すことで活性化になると思います。人材育成の観点からも若手に積極的に参加してもらっています。若手同人エッセイの担当者はいわゆるアラフォーで、世間一般では中年です。この層がバリバリの若手というのが川柳界の厳しい現状です。私たちより下の世代がもっと増えてくるといいのですが、そのためにも結社内の若手を集めた企画の実施を通して、コアを固めておくことが重要と考えています。

「触光」62号に掲載された「古代ギリシャ柳人 パチョピスコス ―インターネットによる川柳の普及―」を改めて読み直してみると、「教えてパチョピスコス」に寄せられた川柳に関する疑問には次のようなものがあるという。

・結社に入るメリットとデメリットは?
・初心者が句会に出るための心構えは?
・選者制と互選の違いは?
・誌上句会とは何か?

川柳の句会がどういうものか一般にはあまり知られていないようだし、はじめての人が川柳句会に参加するのはけっこうハードルが高いと思われているのかもしれない。
森山の【毎週web句会】は平成28年4月にスタートし、投句者は6人。以下、二回目11人、三回目22人と増えていった。投句者の8割以上は結社に所属するなどの川柳人だったという。
転機は平成30年8月にやってくる。「いちごつみ」を実施したのだ。
前の人の句から一語選んで自分の句に使い、次の人も同じことを繰り返してつないでゆく。尻取りとは違うので、前の句のどの語を選ぶかは自由である。
「いちごつみ」はもともと短歌の界隈で流行っていたので、短歌をしている層の目にとまり、投句者が50名前後に増えたという。
以上のような経験から、森山は川柳の普及に必要な事項を三点挙げている。

・サイトやSNSなどネットなどネットによるアピールは有効である。
・活動を継続すること。
・きっかけを掴むこと。

句会に自足するのではなく、森山のように川柳の発信について戦略的に考える川柳人が現れてきたことは心強い。来年1月19日に開催される「文学フリマ京都」では、「川柳スパイラル」と「毎週web句会」のブースが隣接配置されることになっている。文フリへの川柳の出店がはじめて複数になるが、そのことによって川柳の存在感を少しでもアピールできればいいと思っている。