2023年11月29日水曜日

『起きられない朝のための短歌入門』

「川柳は外向的でなければ生きてゆけないのである」とは渡辺隆夫の言葉だ。川柳は自分たちの世界に閉じこもっているだけでは刺激もないし発展性もない。同時代の短詩型諸ジャンルで起きていることには常にアンテナを出しておくことが必要となる。川柳に入門書がないわけではないが、評論や読みの分野が弱いので、かつては穂村弘や藤原龍一郎などの歌人の評論集から学ぶことが多かった。最近は歌人の書いたものを読む機会が減ったが、入門書というかたちの短歌実作論として『起きられない朝のための短歌入門』(書肆侃々房)は見逃せない。
本書は我妻俊樹と平岡直子の対談形式で、「つくる」「よむ」「ふたたび、つくる」の三部に分かれている。二人とも現代川柳と交流があり、初心者というより何年も実作を続けている表現者にとって刺激的な内容になっている。
「最初の一首をつくるのは難しくはない。次の一首をつくるのも難しくないかもしれない。難しいのは、自分の短歌を物足りなく感じはじめたときだ」(「はじめに」平岡)
「自分でつくりはじめると、他人の歌にある程度興味が湧いてきて、歌集を読んだりする場合も多いでしょう。いっぱい読めば読むほどつくるほうはスピードダウンするはず。自分のつくろうとしている歌に類想歌があるのがわかるとそれはよけようとするわけだし、知っている歌の数が増えるほど道が狭くなっていく」(平岡)
創作を続けている表現者にとっては誰でも思い当たることだし、切実な問題でもある。
歌会について我妻はこんなふうに語っている。
「歌会もディベートみたいなもので、必ずしも本当にいいと思う歌を推すわけじゃないですよね。その場では一首なり何首なり選ぶ決まりだから、仮にこの歌がいいということにして、その前提で評を組み立てるわけです。だからこそ評の練習になるんだけど、それって半分嘘の評でしょとも思う。そこがわりと歌人の世界の弱さというのかな、半分嘘でも褒められたらうれしいわけだし、人をうれしがらせてしまった評のことは、言った側もどこか信じてしまうんじゃないか」
私は歌会には参加したことがないが、俳句や川柳の句会でも同じようなことはあるだろう。我妻は「短歌の評をする人はほとんど実作者だから、技術論の解説みたいな読み方はだいたい得意だと思うんですよ。でも作品のおもしろいところって、ジャンル内の共有財産みたいなテクニックからはみ出たところにあるものでしょう」とも言っている。評を書く者にとってはコワイことを言う人だ。
詩的飛躍について平岡はこんなふうに言っている。
「詩的飛躍がうまくいっている歌を読むと、『そうだったのか!』って思うもんね。『この言葉とこの言葉にはこういう関係があったのが、いままで意識したことはなかったけど、たしかにそうだ、わたしも心のどこかでは知っていた気がする』みたいな」
11月19日に東京・王子で「川柳を見つけて」というイベントが開催された。暮田真名『ふりょの星』とササキリユウイチ『馬場にオムライス』の合同句評会だったが、パネラーの平岡は暮田の句の言葉の見せ方について、「何の根拠もない組み合わせではなく、言葉と言葉との間に社会的文脈とは異なるつながりがある」「自分の都合より言葉の都合をきくことが優先されている」というようなことを語った。私は暮田の句がなぜおもしろいのか、今までうまく言語化できずにいたが、平岡の説明を聞いて少し納得できるように思った。同時に私が平岡の短歌を読んだときに感じる心地よさの理由もわかったような気がした。
平岡も我妻も独自の短歌観をもっている表現者だ。
(平岡)「わたしの説ではね、歌人のほとんどは『人生派』=自分の人生に準拠した歌をつくっていて、そのなかで『人生―人生派』と『人生―言葉派』に分かれるんです。歌のなかに具体的に『人生』のことが書かれていなくても、歌の外側にある人生情報と照らし合わせることで完成するタイプの歌は広義の『人生派』だと思う」
平岡の「人生―人生派」「人生―言葉派」「言葉―人生派」「言葉―言葉派」という分類は以前にもどこかで読んだことがあるが、「言葉―言葉派」の作品として挙げられているのは次の歌。

才能で電車を降りる 才能でマフラーを巻く おかしな光  瀬口真司

我妻「私は短歌の二部構成って、上下句でかたちが違うことも含めて〈行って帰ってくる〉形式だと思っている」「〈行って帰ってくる〉形式の中にも、〈行ったきり帰ってこない〉とか〈行って帰って、また行く〉みたいなべつの動きの可能性は含まれてるはずなんですよね」
以前、我妻の話を聞いたときにも、「短歌は行って戻ってくる。川柳は引き返さずに通り抜ける」というとらえ方だったことが印象に残っている。
その他、実作のヒントになるような発言が満載だ。本書のタイトルについては対談の最後の方で語られている。

短歌の入門書が立て続けに出版されていて、榊原紘の『推し短歌入門』(左右社)も好評。タイトルの表層的な印象とは異なって、充実した短歌入門書となっている。若い世代の感覚もうかがえ、第二部の短歌の技法では「言葉の欠片を拾ってきて、それを繋ぎ合わせる感覚」「下の句を切り取って別の歌の上の句とくっつけるなど、合成獣(キメラ)のような歌も多いです」と書かれている。これは若い世代の川柳作品からも感じ取れることだ。短歌を読むことについては「特に自分の考えていることなど既にやり尽くされているとか、他の人の作品を読むと自分が作れるものなどない気がしてつらいとか、そんなことを思うかもしれません。しかし、他の人の作品を読むことは、自分自身のことを掘り下げる大きな力になります」と前向きである。
川柳の入門書としては暮田真名の『宇宙人のためのせんりゅう入門』(左右社)が12月下旬に発売が予定されている。