12月20日(土)、伊丹の柿衞文庫で「第三回俳句Gathering」が開催された。過去二回は生田神社での開催、アイドルを呼んでのイベントだったが、今年は「関西6大学俳句バトル」と題して、関西の大学生俳人を中心に据えた企画となった。
「川柳カード」誌上大会の選者のひとり小倉喜郎や特選の中山奈々などが登場するので、今年も行ってみることにした。
当日は三部に分かれ、第一部は6大学対抗の天狗俳諧、第二部は歌人の土岐友浩を招いてのトーク、第三部は6大学対抗の句会バトルだった。
参加大学は、京都大学・大阪大学・立命館大学・甲南大学・龍谷大学の5大学に「俳句ラボ」チームが加わる。「俳句ラボ」は柿衞文庫の俳句講座を受講しているメンバーである。あと1大学の参加があれば話はすっきりするのだが、東京に比べると関西の学生俳句は林立状況とは言えず、大学横断的な学生俳句組織として「ふらここ」が活動している。
気になったのは、「天狗俳諧」に対して事前に作戦を練ってきたというチームが多かったこと。天狗俳諧というのは、上五・中七・下五を別々の作者が作って最後に合わせる雑俳のひとつで、思いがけない飛躍が生命であり、笑いを誘うのだ。シュールレアリストたちの遊びに通じる。事前に対策を立てたりして、おもしろいはずがない。どんな場合にでも対応できるような平凡なフレーズが多く、できあがったものは小さくまとまった句ばかりとなっていた。ただし、第一部で勝ち抜いたチームが第三部に出場できるのだから、やむを得ないところもあるのだろう。
第二部のトークライブは「短歌・Twitter・文学フリマ」と題して、土岐友浩の話を聞いた。聞き手は久留島元と中山奈々。
土岐友浩(とき・ともひろ)は2004年「京大短歌」に入会、大学卒業後は所属結社なしで、同人誌「町」「一角」を編集するなどの活動をしている。
現在、学生短歌は隆盛をきわめているが、土岐が活動を始めた10年前は、「京大短歌」「早稲田短歌」のふたつしかなかったというのは今昔の感がある。俳句には「俳句甲子園」があり、学生短歌も盛んであるというのは羨ましいことである。
土岐の話で興味深かったのはツイッターの使い方。発信するだけでなく、場合によっては双方向の交流も可能となる。「短歌版深夜の真剣お絵かき60分一本勝負」で、「火をひとつくれそのあかりそのくるしさでずっと夜更けの森にいるから」(小林朝人)という短歌に、それぞれ自分で描いた絵を投稿してくるということだった。絵とのコラボによって歌の解釈が深まるようだ。ツイッターには「謎の読み巧者」がいると土岐は言う。
「わたしの五島さん」(コミック版)の場合は、「一角」に掲載された原作のエッセイについて、土岐が「コミカライズしたい」とツイッターでつぶやいたところ、スズキロク、松本てふこから手伝いますというメッセージがあって実現したという。SNSを通じてそれまで無関係だった人と人との交流が生まれる。
同人誌は書店で置いてくれる場合もあるが、文学フリマも販売の機会として有効。文学フリマで同人誌を売るのはこの二年くらいの流れだという。売れる場合は100冊くらい売れるというから、景気のいい話だ。川柳の同人誌が出店しても、そうはゆくまい。
土岐の話を聞いたあとすぐに、「わたしの五島さん」を買った。
第三部は「6大学対抗バトル」は俳句甲子園形式の句会。
審査員、津川絵理子・小倉喜郎・曾根毅。
準決勝一回戦は龍谷大対京大、兼題「炬燵」で京大の勝。
準決勝二回戦は甲南大対阪大、兼題「鯨」で阪大の勝。
決勝は京大対阪大となり、兼題「数へ日」で阪大が優勝した。
俳句甲子園などで慣れているせいか、ディベートは堂に入ったものだ。ただ「季語の本意」とか「景が見えない」とか、議論の仕方がパターン化されているようにも感じた。
兼題が古風なせいか、それほどおもしろい句には出会えなかったが、注目したのは次の句である。
猫の数え日毎日休みだろうよ 寺田人(てらだ・じん)
私がこのイベントを応援しているのは、何も内容の充実した、完成された催しだからではない。俳句の裾野を広げたい、そのための場を作りたいという主催者の熱意に共感するからである。実行委員の久留島元や司会をつとめた仮屋賢一などのボランティアの人たちがいなければできないことである。
後日、ツイッター上でこのイベントについての感想が若干あった。土岐が語っていた「深夜のお絵かき」について確認ができて、それなりにおもしろかったが、名古屋で開催された「プロムナード現代短歌2014」のときのような頻繁な応酬があったとは言えない。俳人は歌人ほどツイッターを利用していないのかもしれない。当日の参加者の中に「空き家」歌会の方がいたことも後で知った。こういうイベントでは誰が参加しているかよく分らないので、できれば会場でもっと交流する機会が設けられていればよかったと思う。
12月23日に「川柳カード」7号の合評句会を上本町・たかつガーデンで行なった。
先ごろ実施した誌上川柳大会を振り返りながら、いろいろ話し合った。
東京から参加した柳本々々とも交流することができた。
オンラインで活躍している人とオフで会うことができて、確かな手ごたえを感じた。
いつかも書いたことがあるが、短詩型、特に川柳の活動というのは何かを試みようとしても徒労に終わることが多い。今年は特に徒労感がひどい気分だけれど、徒労のなかからかすかでも新しい胎動が始まってゆくのかもしれない。来年はどんな年になるだろう。
来週の金曜は正月2日となるが、家でただゆっくりしているだけなので更新をする予定。では、よいお年をお迎えください。
2014年12月26日金曜日
2014年12月19日金曜日
時事川柳の現在
今年も残りわずかになった。毎年、この時期には今年の十句を選んでコメントを付けているが、今回は少し趣向を変えて時事川柳に限定して選んでみた。五句しか選べなかったが、とにかく書いてみよう。
憲法をあんたの趣味で変えるなよ 草地豊子
「川柳カード」7号掲載。
衆院選は自民党の圧勝に終わった。首相は快哉を叫んでいることだろう。
歴史の曲がり角をひとつ曲がったのかもしれない。
この後にやって来るのは憲法改悪である。
「シナリオ」という言い方がある。政治は人間の行動が関わっているから、今後どうなってゆくという予想は立てにくい。けれども、いろいろな条件を当てはめていくと、いくつかのシナリオが考えられる。私には最悪のシナリオが思い浮かんで消えない。
将来になってから、過去を振り返ったときに、あのときの選択は間違っていたということにならないように願う。
掲出句は選挙以前に詠まれた句だが、現時点で更に重い意味をもってくる。
原発を捨てる燃えないゴミの日に 佐藤みさ子
「MANO」19号掲載。
昨年7月のこのブログに「佐藤みさ子は怒っている」という文章を書いたことがある。みさ子の怒りはなお続いている。
「夏草と闘う死者になってから」「海水に混ぜて毎日流します」「せんそうはひとはしらからはじめます」など、今のみさ子は現実と向き合う川柳を書いている。
佐藤みさ子のファンにとっては時事川柳という「消える川柳」ではなくて、もっと文芸的な川柳を書いてほしいという向きもあるだろう。けれども、そうではないのだ。
表層的な時事川柳は消えてゆくが、時代の本質をついた時事川柳は時を越えて残るはずである。深い批評性をもった作品であれば、読み継がれていくことができる。私は中野重治が好きだった。プロレタリア文学のいくつかの小説は今でも読む価値がある。
批評性と文学性の統一という困難な路を佐藤みさ子は歩んでいるのだ。
聖戦続くグラグラ揺れて来る奥歯 滋野さち
「触光」39号掲載。
イスラム国やイスラム過激派のニュースが日々報道されている。
海の向こうの話のようだが、日本も無関係ではいられない。
アメリカのテレビドラマなどを見るとしばしばテロリストが登場し、リアルである。彼らにとっては実感なのだろう。
「聖戦」という非日常と、「グラグラ揺れて来る奥歯」の日常はどこかでつながっている。日常もグラグラ揺れてくるのだ。
冬夕焼け富士の噴火を見て死のう 渡辺隆夫
『六福神』所収。
御嶽山の噴火以前の作品だが、もし富士山が噴火するとすれば、地震や津波・噴火など、すべての自然災害の象徴的意味をもつだろう。
老年を迎えた人間にとって「死」は意識せざるをえないものだが、死ぬ前に富士山の大噴火でも見ておきたいというのは、『平家物語』の平知盛のように、「見るべきほどのことは見つ」と言い放ちたい心情に通じるだろう。
「津波引き日本全国へびいちご」(渡辺隆夫)
権力をもつ風景をゆるせるか 前田芙巳代
「川柳カード」7号掲載。
権力というものは間違いなく存在するのだが、ふだんは巧妙に隠蔽されていて、私たちは権力者に支配されているという実感はあまり持たない。けれども、近ごろは権力者が言論を抑圧し、情報操作によって大衆をコントロールしている姿が露骨に目にうつるようになってきた。また、以前なら許されなかったような政治的発言がそれほど批判されることもなく、まかり通っている。「権力者のいる風景」はすでに日常となっているのだ。
かつて前田芙巳代は「情念川柳」の書き手と言われた。その彼女が時代の現実と向かい合った川柳を書いている。
必ずしも時事川柳を本領としない川柳人であっても、現代という時代に批評性をもって対峙しようとしている。そこには「やむにやまれぬ気持ち」があるのだと思えてならない。
憲法をあんたの趣味で変えるなよ 草地豊子
「川柳カード」7号掲載。
衆院選は自民党の圧勝に終わった。首相は快哉を叫んでいることだろう。
歴史の曲がり角をひとつ曲がったのかもしれない。
この後にやって来るのは憲法改悪である。
「シナリオ」という言い方がある。政治は人間の行動が関わっているから、今後どうなってゆくという予想は立てにくい。けれども、いろいろな条件を当てはめていくと、いくつかのシナリオが考えられる。私には最悪のシナリオが思い浮かんで消えない。
将来になってから、過去を振り返ったときに、あのときの選択は間違っていたということにならないように願う。
掲出句は選挙以前に詠まれた句だが、現時点で更に重い意味をもってくる。
原発を捨てる燃えないゴミの日に 佐藤みさ子
「MANO」19号掲載。
昨年7月のこのブログに「佐藤みさ子は怒っている」という文章を書いたことがある。みさ子の怒りはなお続いている。
「夏草と闘う死者になってから」「海水に混ぜて毎日流します」「せんそうはひとはしらからはじめます」など、今のみさ子は現実と向き合う川柳を書いている。
佐藤みさ子のファンにとっては時事川柳という「消える川柳」ではなくて、もっと文芸的な川柳を書いてほしいという向きもあるだろう。けれども、そうではないのだ。
表層的な時事川柳は消えてゆくが、時代の本質をついた時事川柳は時を越えて残るはずである。深い批評性をもった作品であれば、読み継がれていくことができる。私は中野重治が好きだった。プロレタリア文学のいくつかの小説は今でも読む価値がある。
批評性と文学性の統一という困難な路を佐藤みさ子は歩んでいるのだ。
聖戦続くグラグラ揺れて来る奥歯 滋野さち
「触光」39号掲載。
イスラム国やイスラム過激派のニュースが日々報道されている。
海の向こうの話のようだが、日本も無関係ではいられない。
アメリカのテレビドラマなどを見るとしばしばテロリストが登場し、リアルである。彼らにとっては実感なのだろう。
「聖戦」という非日常と、「グラグラ揺れて来る奥歯」の日常はどこかでつながっている。日常もグラグラ揺れてくるのだ。
冬夕焼け富士の噴火を見て死のう 渡辺隆夫
『六福神』所収。
御嶽山の噴火以前の作品だが、もし富士山が噴火するとすれば、地震や津波・噴火など、すべての自然災害の象徴的意味をもつだろう。
老年を迎えた人間にとって「死」は意識せざるをえないものだが、死ぬ前に富士山の大噴火でも見ておきたいというのは、『平家物語』の平知盛のように、「見るべきほどのことは見つ」と言い放ちたい心情に通じるだろう。
「津波引き日本全国へびいちご」(渡辺隆夫)
権力をもつ風景をゆるせるか 前田芙巳代
「川柳カード」7号掲載。
権力というものは間違いなく存在するのだが、ふだんは巧妙に隠蔽されていて、私たちは権力者に支配されているという実感はあまり持たない。けれども、近ごろは権力者が言論を抑圧し、情報操作によって大衆をコントロールしている姿が露骨に目にうつるようになってきた。また、以前なら許されなかったような政治的発言がそれほど批判されることもなく、まかり通っている。「権力者のいる風景」はすでに日常となっているのだ。
かつて前田芙巳代は「情念川柳」の書き手と言われた。その彼女が時代の現実と向かい合った川柳を書いている。
必ずしも時事川柳を本領としない川柳人であっても、現代という時代に批評性をもって対峙しようとしている。そこには「やむにやまれぬ気持ち」があるのだと思えてならない。
2014年12月5日金曜日
和漢連句を楽しむ会
11月30日に伊丹の柿衞文庫で「和漢連句を楽しむ会」が開催された。
「和漢連句」単独の実作会としては、平成ではおそらく初の出来事ではないだろうか。
ところで「和漢連句」とはどういうものだろうか。
連句は長句(五七五)と短句(七七)を交互に付けてゆくが、そこに和句だけではなく漢句(漢字五字の句)を混ぜてゆくのである。実物はあとでご紹介するが、この和漢連句の実作者は、現在ほとんどいない。その第一人者である赤田玖實子は、故・三好龍肝の和漢連句を継承している。赤田による「和漢聯句」の説明をまず紹介する。
「和漢聯句とは、中国の聯句(二人以上で句を連ね一首の詩を作る)と日本の連歌が結びついてできた連句文芸の一種で、和漢連歌、和漢連句の二種類がある。広い意味で、和漢聯句の名称は、これら和漢・漢和の連歌、俳諧を総称するものである」
この聯句形式は平安時代に一部の詩人に愛好され、鎌倉時代には長連歌の影響を受けた。和漢連歌の全盛期は室町時代で、五山の詩僧、公家、連歌師などによって大いに行なわれた。
「室町期以後の狂詩、俳諧の勃興に伴い、和漢連歌は和漢俳諧に形を変え、江戸時代を通じて一部人士の間で、引き続き作られてきたというが、各俳書に書かれている漢句の作り方は、どれもが漢詩を骨子にしており、儒者、漢学者、僧侶や武士といった人以外にとり、平仄の煩わしさが、連歌の世界ほどには作られなくなった、大きな要因ではなかったかと考えられる」(「和漢聯句 始まりとその変遷」)
さて、当日は京都大学・文学部教授の大谷雅夫氏の講演「芭蕉の和漢聯句について」があった。大谷氏の話によると、京大文学部の国文学研究室の隣には中国文学研究室があるが、両者の交流はなかった。それで共同研究をやろうということになって、選ばれたテーマが「和漢連句」だったということだ。その共同研究が表彰されることになって、伊賀上野における平成23年度芭蕉祭記念講演会で大谷さんが講演することになった。その講演を聞いていたひとりが赤田さんだった。講演のあと赤田は大谷に「和漢連句の実作者です」と名のった。大谷はそのときの驚きを「マンモスの研究者が生きて歩いているマンモスに不意に出会ったようなもの」と語っている。
大谷が最初に和漢連句の存在を知ったのは伊藤仁斎の日記からだった。
『仁斎日記』の天和三年五月二十五日に、伏見殿で和漢連句を巻いたことが出ている。
公家の伏見家に仁斎は弟や子(のちの東涯)、弟子たちを連れて訪れた。発句は
若竹のよよにたえぬや家の風
若竹の節々に絶えることなく伏見家の学問の伝統が続いてゆくという挨拶である。これに伏見家の子息(十七歳)が漢句を付けて応じている。
江戸時代の儒者や公家には和漢連句の心得があったことがわかる。伊藤仁斎は京都の儒者で『論語古義』などで知られる。京都堀川には彼の住居跡「古義堂」が残っているので、いつか訪れてみたいと思った。
さて、芭蕉には和漢連句が一つ残されている(和漢「破風口に」の巻)。そのオモテ六句を紹介する。
納涼の折々いひ捨たる和漢 月の前にしてみたしむ
破風口に日影やよはる夕涼 芭蕉
煮 茶 蠅 避 烟 素堂
合 歓 醒 馬 上 堂
かさなる小田の水落す也 蕉
月 代 見 金 気 堂
露 繁 添 玉 涎 堂
『奥の細道』の旅を終えたあと、芭蕉は伊賀上野・幻住庵・落柿舎などに滞在し、元禄四年冬に江戸に戻った。知友の山口素堂との交流から生まれたのが「破風口に」の巻である。
破風は屋根の高いところにある合掌形の二枚の板、または三角の部分をいう。発句は破風口にさす夏の陽光も薄らいできて、夕涼みの時間になったという挨拶である。素堂は脇句で、茶を煎ずる音を蝿の飛ぶ音にたとえて応じている。
講演のあとは五座に分かれて、和漢連句を巻いた。25人の参加者があったのは画期的なことだった。
当日は名古屋で「プロムナード現代短歌2014」が開催されていた。
第一部は、荻原裕幸の司会、パネラーに島田修三、佐藤文香、なかはられいこ。
短歌・俳句・川柳のジャンル論が話題に。
第二部は司会が斉藤斎藤、パネラーが加藤治郎、穂村弘、荻原裕幸。
短歌研究新人賞の石井僚一「父親のような雨に打たれて」のことなどが話題に上り、「虚構」の問題が論じられたらしい。
ブログやツイッターでレポートが出ているが、やはり実際に参加してみないと本当のことはわからない。
「老虎亭通信 イキテク」7号(松島正一)が届いた。
松島はブレイクの研究者で岩波文庫『ブレイク詩集』の訳者である。妻の松島アンズには『赤毛のアン』の翻訳があり、連句人としても有名。
年に一度の老虎亭連句会では日本語・英語同時進行の歌仙を巻いている。歌仙「曼珠紗華」の巻からウラの六句を紹介しよう。
ひめやかに東司に巣くう女郎雲 丁那
浄瑠璃人形腰をゆらりと アンズ
豚を焼く煙に集う三百余 愛音
兜の緒締め山を駆け下り 渉
歳末のこんなときにもチェストいけ 雀羅
僕らの波を砕く寒月 丁那
A queen spider/silently weaving /in a zen temple toilet
Joruri puppet twisted / its waist so womanly
Pig roast / some three hundred people / around the smoke
Tightening the helmet / running down the mountain
What a nerve /on New Year’s Eve / he shouts charge!
The cold moon /shatters the wave we make
ジャンルを越え、言語を越え、文芸にはさまざまなコラボレーションがあるものだ。
「和漢連句」単独の実作会としては、平成ではおそらく初の出来事ではないだろうか。
ところで「和漢連句」とはどういうものだろうか。
連句は長句(五七五)と短句(七七)を交互に付けてゆくが、そこに和句だけではなく漢句(漢字五字の句)を混ぜてゆくのである。実物はあとでご紹介するが、この和漢連句の実作者は、現在ほとんどいない。その第一人者である赤田玖實子は、故・三好龍肝の和漢連句を継承している。赤田による「和漢聯句」の説明をまず紹介する。
「和漢聯句とは、中国の聯句(二人以上で句を連ね一首の詩を作る)と日本の連歌が結びついてできた連句文芸の一種で、和漢連歌、和漢連句の二種類がある。広い意味で、和漢聯句の名称は、これら和漢・漢和の連歌、俳諧を総称するものである」
この聯句形式は平安時代に一部の詩人に愛好され、鎌倉時代には長連歌の影響を受けた。和漢連歌の全盛期は室町時代で、五山の詩僧、公家、連歌師などによって大いに行なわれた。
「室町期以後の狂詩、俳諧の勃興に伴い、和漢連歌は和漢俳諧に形を変え、江戸時代を通じて一部人士の間で、引き続き作られてきたというが、各俳書に書かれている漢句の作り方は、どれもが漢詩を骨子にしており、儒者、漢学者、僧侶や武士といった人以外にとり、平仄の煩わしさが、連歌の世界ほどには作られなくなった、大きな要因ではなかったかと考えられる」(「和漢聯句 始まりとその変遷」)
さて、当日は京都大学・文学部教授の大谷雅夫氏の講演「芭蕉の和漢聯句について」があった。大谷氏の話によると、京大文学部の国文学研究室の隣には中国文学研究室があるが、両者の交流はなかった。それで共同研究をやろうということになって、選ばれたテーマが「和漢連句」だったということだ。その共同研究が表彰されることになって、伊賀上野における平成23年度芭蕉祭記念講演会で大谷さんが講演することになった。その講演を聞いていたひとりが赤田さんだった。講演のあと赤田は大谷に「和漢連句の実作者です」と名のった。大谷はそのときの驚きを「マンモスの研究者が生きて歩いているマンモスに不意に出会ったようなもの」と語っている。
大谷が最初に和漢連句の存在を知ったのは伊藤仁斎の日記からだった。
『仁斎日記』の天和三年五月二十五日に、伏見殿で和漢連句を巻いたことが出ている。
公家の伏見家に仁斎は弟や子(のちの東涯)、弟子たちを連れて訪れた。発句は
若竹のよよにたえぬや家の風
若竹の節々に絶えることなく伏見家の学問の伝統が続いてゆくという挨拶である。これに伏見家の子息(十七歳)が漢句を付けて応じている。
江戸時代の儒者や公家には和漢連句の心得があったことがわかる。伊藤仁斎は京都の儒者で『論語古義』などで知られる。京都堀川には彼の住居跡「古義堂」が残っているので、いつか訪れてみたいと思った。
さて、芭蕉には和漢連句が一つ残されている(和漢「破風口に」の巻)。そのオモテ六句を紹介する。
納涼の折々いひ捨たる和漢 月の前にしてみたしむ
破風口に日影やよはる夕涼 芭蕉
煮 茶 蠅 避 烟 素堂
合 歓 醒 馬 上 堂
かさなる小田の水落す也 蕉
月 代 見 金 気 堂
露 繁 添 玉 涎 堂
『奥の細道』の旅を終えたあと、芭蕉は伊賀上野・幻住庵・落柿舎などに滞在し、元禄四年冬に江戸に戻った。知友の山口素堂との交流から生まれたのが「破風口に」の巻である。
破風は屋根の高いところにある合掌形の二枚の板、または三角の部分をいう。発句は破風口にさす夏の陽光も薄らいできて、夕涼みの時間になったという挨拶である。素堂は脇句で、茶を煎ずる音を蝿の飛ぶ音にたとえて応じている。
講演のあとは五座に分かれて、和漢連句を巻いた。25人の参加者があったのは画期的なことだった。
当日は名古屋で「プロムナード現代短歌2014」が開催されていた。
第一部は、荻原裕幸の司会、パネラーに島田修三、佐藤文香、なかはられいこ。
短歌・俳句・川柳のジャンル論が話題に。
第二部は司会が斉藤斎藤、パネラーが加藤治郎、穂村弘、荻原裕幸。
短歌研究新人賞の石井僚一「父親のような雨に打たれて」のことなどが話題に上り、「虚構」の問題が論じられたらしい。
ブログやツイッターでレポートが出ているが、やはり実際に参加してみないと本当のことはわからない。
「老虎亭通信 イキテク」7号(松島正一)が届いた。
松島はブレイクの研究者で岩波文庫『ブレイク詩集』の訳者である。妻の松島アンズには『赤毛のアン』の翻訳があり、連句人としても有名。
年に一度の老虎亭連句会では日本語・英語同時進行の歌仙を巻いている。歌仙「曼珠紗華」の巻からウラの六句を紹介しよう。
ひめやかに東司に巣くう女郎雲 丁那
浄瑠璃人形腰をゆらりと アンズ
豚を焼く煙に集う三百余 愛音
兜の緒締め山を駆け下り 渉
歳末のこんなときにもチェストいけ 雀羅
僕らの波を砕く寒月 丁那
A queen spider/silently weaving /in a zen temple toilet
Joruri puppet twisted / its waist so womanly
Pig roast / some three hundred people / around the smoke
Tightening the helmet / running down the mountain
What a nerve /on New Year’s Eve / he shouts charge!
The cold moon /shatters the wave we make
ジャンルを越え、言語を越え、文芸にはさまざまなコラボレーションがあるものだ。
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