「川柳スパイラル」17号の特集は中山奈々の俳句と川柳で、それぞれ10句ずつ掲載されている。見開きの右ページに俳句、左ページに川柳が載っているので、作者が両形式をどのように使い分けているか、興味をそそられる。
末つ子として一番に着膨れる
母歩き疲れて恋猫の区域
左下奥歯に教化されている
物分かりいいひとたちの指相撲
それぞれ二句ずつ引用したが、前の二句が俳句、後の二句が川柳である。俳句は旧かな、川柳は新かなで書かれており、俳句には季語と切れ字が使われているという表層的な相違はあるが、表現内容としては微妙な相違があるとしか言いようがない。素材や主題としては前者には家族が、後者には身体用語が取り上げられているけれど、引用しなかった他の句を混ぜてみると、そのような明確な対比は混濁したものになってゆく。俳句には「そわか」、川柳には「にょぜがもん」という仏教的なタイトルが付けられていて、そこはかとなく統一感を与えている。
四ッ谷龍と榊陽子が作家論を書いている。まず、中山の俳句について、四ッ谷は「強い葛藤には強い表現」で次のように述べている。
「私が中山奈々に注目したのは、『俳句』2019年6月号に彼女が発表した作品『真摯』二十句を読んだ時であった。二十句すべてが菫をテーマとするという思い切った試みであった。中には荒っぽい句もあったが、全句を貫通するエネルギーがこちらを圧倒した」
四ッ谷が挙げている菫の句とは次のような作品である。
ひと指に弱るすみれや日の薄き
耳鳴りの昼を埋めゐるすみれかな
菫および吐き気がずつと通勤す
経血の漏れを隠して菫の夜
陰嚢の骨かもしれぬ菫なり
「強い声調を維持するには、響きを支える技術的な蓄積が必要で、自分の思いだけではなかなか切迫した勢いは出てこないものである」というのが四ッ谷のアドヴァイス。
川柳については中山と交流の深い榊陽子がこんなふうに書いている。
「中山の句は簡単に幻想や虚構の世界に向かわせない。(中略)常軌を逸しながら現実っぽさを怠らないことが中山の川柳への責任の取り方なのかもしれない」(榊陽子「しぶとさという武器」)
私が中山奈々にはじめて会ったのは三宮の生田神宮会館で開催された「俳句Gatherinng」のときだった。中山はパネラーとして登壇し、今後に望むことという質問に対して「仏陀に俳句を書かせたい」と発言した。私はびっくり仰天して、中山奈々の名前をしっかり心に刻み込んだ。その後あちらこちらの集まりで会うことがあったが、当時BL読みということが試みられていて、拙句「プラハまで行った靴なら親友だ」はBLとしても読めるという。そういうものかなと思った。「庫内灯」3号から。
旗に五色きみに毛布を引き寄せて なかやまなな
手袋を取り合ひ李香蘭を観に
久留島元と中山奈々と私の三人で俳句についての勉強会をはじめたことがある。テクストは『昭和の俳句を読もう』(「蝶」俳句会篇)、会名は「昭和俳句なう」。船団の『関西俳句なう』が出たころだ。𠮷田竜宇や佐々木紺なども加わったが、それぞれ忙しくなって自然消滅。
少し古いが「しばかぶれ」第一集の中山奈々特集に佐藤文香が選出した中山の百句から紹介しておこう。
耳使ふ一発芸や鳥帰る
蟻穴を出て狛犬の口の中
首に湿疹半分がエロ本の店
霜を舐め尽くせと犬を放ちをり
春眠の舌より剥がしたる鱗
四月馬鹿とはなんだ好きなんだけど
きみんちのわけわかんない秋はじめ
息白くゴジラゴジラと遊びけり
中山は川柳も書いてみたいという意向をもっていた。私の悪い癖で、他ジャンルの才能ある若い人に対しては、そのジャンルで頑張った方がいいという態度をとることがある。俳句や短歌ではジャンル意識が強固で、別の詩形に手をだす表現者は疎外されるケースがあるからだ(現在ではやや緩和されているかも)。とりあえず、ゲスト作品として「川柳スパイラル」2号に川柳を書いてもらったが、3号からは会員投句を続け現在に至っている。
中山は連句にも興味をもち、柿衞文庫で開催された和漢連句の会に参加している。2014年11月のことだったが、このときのことは、「連句新聞」2021年秋号のコラムに中山が書いている。
「川柳スパイラル」に掲載された中山の句から十句選んでおきたい。
NASA以外から出品の月の石
明日は空腹指を膣から抜いて
カップルでどうぞと象の肺の枕
エンジンを直す豆腐(できれば絹)
三びきのこぶた製作の前貼り
返品をされてアダムの生理痛
膵臓にいつまでも花咲か爺さん
コロッケにホックがひとつ取れている
カメヤマローソク燃えあがるほどの唾
鯵というより鯖の匂いの黒子
さて、「川柳スパイラル」17号には若手俳人のゲスト作品として細村星一郎と日比谷虚俊の作品が掲載されている。
森に来てトーガは鹿を呼び寄せる 細村星一郎
梯子酒・雑学・隠元豆・衂 日比谷虚俊
細村は俳誌「奎」のなかでも注目していた作者。暮田真名の「月報こんとん」文フリ特別号(2022年6月16日)にも細村の作品が掲載されていた。「門をくぐって以来全部が寿司」「海亀が嘘の高度で嗚咽する」「モノクロの花が咲き乱れる臭気」「二光年先の小さなソーセージ」など。
日比谷は浅沼璞の「無心の会」で連句も巻いているし、堀田季何の「楽園俳句会」にも参加している。今回の俳句では「衂」(はなぢ)という普段見慣れない漢字を使っている。
最後に細村の個人サイト「巨大」から何句か紹介する。
イグアナがいつも重心にある円 細村星一郎
水になる木がほんとうに水になる
石庭がひとりでに歪みはじめる
自立不可能な四角い和菓子
2023年3月31日金曜日
2023年3月10日金曜日
「川柳ねじまき」9号
3月×日
市立伊丹ミュージアムで開催されている特別展「芭蕉―不易と流行と―」を見にいく。柿衞文庫が伊丹ミュージアムに統合され、改装のためしばらく休館になっていたので、芭蕉関係の俳諧資料を久しぶりに見ることができた。東京では2021年に永青文庫で開催された展覧会である。宗祇にはじまる連歌関係の展示や時期によって書風の変化する芭蕉短冊、芭蕉筆の「旅路の画巻」など見どころがいろいろあった。統合された伊丹ミュージアムは立派なものだが、難点を言えば、以前は柿衞文庫に申し込めば講義室が使えたのに、市のイベントが優先されるようになって、個人では使えなくなったことだ。
展覧会の刺激を受けて、芭蕉関連の本をぼつぼつ読んでいるが、芭蕉の言葉として伝えられている「虚に居て実をおこなふべし。実に居て虚にあそぶべからず」ということが心に響く。虚とは言葉のことだ。
3月×日
「川柳ねじまき」9号が届く。昨年11月27日に名古屋で開催された『くちびるにウエハース』の批評会の様子が記録されている。何が語られたのか気になっていたので、参加できなかった者にとってはありがたい。
パネラーと参加者の発言が克明にテープ起こしされていて、内容が多岐に渡っているので、全体は本誌をご覧いただきたいが、ここではパネラーの平岡直子の発言をたどっておきたい。平岡は『くちびるにウエハース』をまず「時事詠」の句集ととらえている。その時々の社会や政治の出来事が反映された句集だという。『脱衣場のアリス』が「あたし」の句集(フェミニズムやシスターフッドのテーマ)なのに対して、『くちびるにウエハース』は「ぼくたち」という一人称で始まっている。
ぼくたちはつぶつぶレモンのつぶ主義者
次に平岡は言葉のカテゴリーということを言っていて、正岡豊の短歌となかはらの川柳を比べている。
中国も天国もここからはまだ遠いから船に乗らなくてはね 正岡豊
行かないと思う中国も天国も なかはられいこ
正岡の短歌について穂村弘が「言葉のカテゴリーの越境」という切り口で批評を書いていることを紹介したうえで、平岡はなかはらの川柳の場合は「中国」と「天国」の間に「越境」ではなく「言葉のカテゴリーの無効化」が起こっているという。
「越境」にせよ「無効化」にせよ、AとBという次元の異なった単語を並べる技法は川柳にはよくあるので、平岡の指摘を興味深く読んだ。意識的に効果的に使わないといけない川柳技術である。
3月×日
挨拶句について考える。
芭蕉は挨拶句の名手だった。芭蕉最後の旅で大阪に来たとき、園女邸で詠んだのが次の句である。
しら菊の目に立て見る塵もなし 芭蕉
白菊は主の園女のことをたとえているのである。女性を花にたとえるのは常套的とはいえ、なかなか心にくい挨拶ではないか。園女はよほど嬉しかったとみえて、のちに『菊の塵』という撰集を編んでいる。
けれども芭蕉はもっと激しい挨拶句も詠んでいる。「野ざらし紀行」の旅で名古屋にやって来た芭蕉は連衆に対して次の句をぶつけている。『冬の日』の第一歌仙「狂句こがらし」の巻である。
狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉 芭蕉
狂句に身を焦がしている我が身は竹斎に似ているというのだ。仮名草子の『竹斎』は都で食い詰めた藪医者の竹斎が郎党の「にらみの介」を連れて東海道を江戸に下る道中記。固有名詞は知っている者にはイメージの喚起力が強いが、知らない者にはイメージが湧きにくい。「竹斎」はこの時代によく読まれたようで、芭蕉=木枯らし=竹斎のイメージにはインパクトがあったのだろう。挨拶といっても私性の強い句であり、述志の句でもある。挨拶句にもいろいろなやり方があるのだ。
『芭蕉七部集』を読んでいると、はっとする付句に出会うときがある。『冬の日』第三歌仙の「仏喰たる魚解きけり」もそのひとつ。前句が津波の句なので、津波で流出した仏像を魚が飲み込んでいて、魚の腹を裂いてみると仏像が出てきたという衝撃的な情景となる。
まがきまで津波の水にくづれ行 荷兮
仏食ひたる魚ほどきけり 芭蕉
県ふるはな見次郎と仰がれて 重五
三句の渡りで示すと、三句目に花見次郎という人物が登場する。旧家の当主は代々、花見次郎と呼ばれているというのだが、津波の悲劇から転じるのに架空人名を使っているところが興味深い。
3月×日
我妻俊樹の歌集『カメラは光ることをやめて触った』(書肆侃侃房)が刊行されるという。我妻の歌集を待ち望んでいた人は多くて、ツイッターなどで即座に反響があった。我妻の短歌は「率」10号(2016年)の誌上歌集「足の踏み場、象の墓場」で読むことができるが、歌集のかたちで出版されればより広範な読者に届くことになる。
バスタブの色おしえあう電話口できみは水からシャツをひろった
あの青い高層ビルの天井の数を数えてきたらさわって
手がとどくあんなにこわい星にさえ 右目が見たいものは左目
この話のつづきは箱の中で(いま、開けたばかりできれいなので)
その森がすべてうれしくなるまでにわたしたちは二匹に減っておく
「川柳スパイラル」で我妻をゲストに迎えたときに、参加者へのおみやげとして我妻の川柳作品百句を収録した冊子「眩しすぎる星を減らしてくれ」を作成した。今までにも何度か紹介したことがあるが、歌集に続いて我妻の川柳句集が出ることを祈念して、何句か挙げておく。
沿線のところどころにある気絶 我妻俊樹
サーカスに狙われ胸を守ってね
足音を市民と虎に分けている
くす玉のあるところまで引き返す
流星があみだくじではない証拠
最後にはぼくたちになる旅だった
弟と別れて苔の中華街
おにいさん絶滅前に光ろうか
3月×日
川柳句会に参加するため京都に行く。京都御所を散策。梅林のほか「黒木の梅」が満開だった。九条家の遺構「拾翠亭」が開いていたので、久し振りに入ってみる。九条池には翡翠が飛び、庭にはジョウビタキの姿があった。句会の句案をひねることは後回しにして、雰囲気に浸る。申し込めば句会・茶会にも利用できるそうだ。
次に京都に行くのは「らくだ忌」のときになる。どんな人が参加するのか楽しみだ。
市立伊丹ミュージアムで開催されている特別展「芭蕉―不易と流行と―」を見にいく。柿衞文庫が伊丹ミュージアムに統合され、改装のためしばらく休館になっていたので、芭蕉関係の俳諧資料を久しぶりに見ることができた。東京では2021年に永青文庫で開催された展覧会である。宗祇にはじまる連歌関係の展示や時期によって書風の変化する芭蕉短冊、芭蕉筆の「旅路の画巻」など見どころがいろいろあった。統合された伊丹ミュージアムは立派なものだが、難点を言えば、以前は柿衞文庫に申し込めば講義室が使えたのに、市のイベントが優先されるようになって、個人では使えなくなったことだ。
展覧会の刺激を受けて、芭蕉関連の本をぼつぼつ読んでいるが、芭蕉の言葉として伝えられている「虚に居て実をおこなふべし。実に居て虚にあそぶべからず」ということが心に響く。虚とは言葉のことだ。
3月×日
「川柳ねじまき」9号が届く。昨年11月27日に名古屋で開催された『くちびるにウエハース』の批評会の様子が記録されている。何が語られたのか気になっていたので、参加できなかった者にとってはありがたい。
パネラーと参加者の発言が克明にテープ起こしされていて、内容が多岐に渡っているので、全体は本誌をご覧いただきたいが、ここではパネラーの平岡直子の発言をたどっておきたい。平岡は『くちびるにウエハース』をまず「時事詠」の句集ととらえている。その時々の社会や政治の出来事が反映された句集だという。『脱衣場のアリス』が「あたし」の句集(フェミニズムやシスターフッドのテーマ)なのに対して、『くちびるにウエハース』は「ぼくたち」という一人称で始まっている。
ぼくたちはつぶつぶレモンのつぶ主義者
次に平岡は言葉のカテゴリーということを言っていて、正岡豊の短歌となかはらの川柳を比べている。
中国も天国もここからはまだ遠いから船に乗らなくてはね 正岡豊
行かないと思う中国も天国も なかはられいこ
正岡の短歌について穂村弘が「言葉のカテゴリーの越境」という切り口で批評を書いていることを紹介したうえで、平岡はなかはらの川柳の場合は「中国」と「天国」の間に「越境」ではなく「言葉のカテゴリーの無効化」が起こっているという。
「越境」にせよ「無効化」にせよ、AとBという次元の異なった単語を並べる技法は川柳にはよくあるので、平岡の指摘を興味深く読んだ。意識的に効果的に使わないといけない川柳技術である。
3月×日
挨拶句について考える。
芭蕉は挨拶句の名手だった。芭蕉最後の旅で大阪に来たとき、園女邸で詠んだのが次の句である。
しら菊の目に立て見る塵もなし 芭蕉
白菊は主の園女のことをたとえているのである。女性を花にたとえるのは常套的とはいえ、なかなか心にくい挨拶ではないか。園女はよほど嬉しかったとみえて、のちに『菊の塵』という撰集を編んでいる。
けれども芭蕉はもっと激しい挨拶句も詠んでいる。「野ざらし紀行」の旅で名古屋にやって来た芭蕉は連衆に対して次の句をぶつけている。『冬の日』の第一歌仙「狂句こがらし」の巻である。
狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉 芭蕉
狂句に身を焦がしている我が身は竹斎に似ているというのだ。仮名草子の『竹斎』は都で食い詰めた藪医者の竹斎が郎党の「にらみの介」を連れて東海道を江戸に下る道中記。固有名詞は知っている者にはイメージの喚起力が強いが、知らない者にはイメージが湧きにくい。「竹斎」はこの時代によく読まれたようで、芭蕉=木枯らし=竹斎のイメージにはインパクトがあったのだろう。挨拶といっても私性の強い句であり、述志の句でもある。挨拶句にもいろいろなやり方があるのだ。
『芭蕉七部集』を読んでいると、はっとする付句に出会うときがある。『冬の日』第三歌仙の「仏喰たる魚解きけり」もそのひとつ。前句が津波の句なので、津波で流出した仏像を魚が飲み込んでいて、魚の腹を裂いてみると仏像が出てきたという衝撃的な情景となる。
まがきまで津波の水にくづれ行 荷兮
仏食ひたる魚ほどきけり 芭蕉
県ふるはな見次郎と仰がれて 重五
三句の渡りで示すと、三句目に花見次郎という人物が登場する。旧家の当主は代々、花見次郎と呼ばれているというのだが、津波の悲劇から転じるのに架空人名を使っているところが興味深い。
3月×日
我妻俊樹の歌集『カメラは光ることをやめて触った』(書肆侃侃房)が刊行されるという。我妻の歌集を待ち望んでいた人は多くて、ツイッターなどで即座に反響があった。我妻の短歌は「率」10号(2016年)の誌上歌集「足の踏み場、象の墓場」で読むことができるが、歌集のかたちで出版されればより広範な読者に届くことになる。
バスタブの色おしえあう電話口できみは水からシャツをひろった
あの青い高層ビルの天井の数を数えてきたらさわって
手がとどくあんなにこわい星にさえ 右目が見たいものは左目
この話のつづきは箱の中で(いま、開けたばかりできれいなので)
その森がすべてうれしくなるまでにわたしたちは二匹に減っておく
「川柳スパイラル」で我妻をゲストに迎えたときに、参加者へのおみやげとして我妻の川柳作品百句を収録した冊子「眩しすぎる星を減らしてくれ」を作成した。今までにも何度か紹介したことがあるが、歌集に続いて我妻の川柳句集が出ることを祈念して、何句か挙げておく。
沿線のところどころにある気絶 我妻俊樹
サーカスに狙われ胸を守ってね
足音を市民と虎に分けている
くす玉のあるところまで引き返す
流星があみだくじではない証拠
最後にはぼくたちになる旅だった
弟と別れて苔の中華街
おにいさん絶滅前に光ろうか
3月×日
川柳句会に参加するため京都に行く。京都御所を散策。梅林のほか「黒木の梅」が満開だった。九条家の遺構「拾翠亭」が開いていたので、久し振りに入ってみる。九条池には翡翠が飛び、庭にはジョウビタキの姿があった。句会の句案をひねることは後回しにして、雰囲気に浸る。申し込めば句会・茶会にも利用できるそうだ。
次に京都に行くのは「らくだ忌」のときになる。どんな人が参加するのか楽しみだ。
2023年3月4日土曜日
飯島章友と社会性川柳
昨年8月に開催された「川柳スパイラル」創刊5周年の集い(「川柳スパイラル」16号に掲載)、第二部の飯島章友と川合大祐の対談を聞いていて、おや?と思ったのは飯島が政治風刺や社会性川柳に関心をもっていることだった。今まで社会性の視点から飯島の作品を意識したことがなかったので、遅ればせながら『成長痛の月』(素粒社)を改めて読み直してみることにしたい。
飯島の句を紹介する前に「社会性川柳」について触れておくと、石田柊馬や渡辺隆夫以後、「社会性」という言葉はあまり聞かない。戦前には「プロレタリア川柳」があり、戦後でも松本芳味は「川柳はプロレタリアの芸術だ」と言ったらしいが、今では「時事川柳」はあっても「社会性川柳」は成立しにくくなっている。社会性俳句が過去のものになったように、川柳においても社会性が唱えられることもないようだ。
現代川柳が同時代の現実と向き合うのは当然だが、川柳の実作者が高齢化しているために、時代の最先端で起きている状況について実感をもって表現することがむずかしい。氷河期とかロスジェネ世代とかいう言葉は理解できるけれど、身をもって体験しているわけではないから、切れば血の出るような表現を詠んだり読んだりすることができないのだ。
カネ出せよあんたのネクタイむかつくぜ 石田柊馬
鶴彬以後安全な川柳あそび 渡辺隆夫
社会性はこのあたりで止まっているのだ。
飯島は『成長痛の月』の「あとがき」で「この十二年間、現代川柳・伝統川柳・社会性川柳・狂句的川柳・前句付・短句など、いろいろなスタイルを経験してきました」と述べている。「世界の水平線」の章から社会性が感じられる句を挙げてみよう。
夜の帰路コンビニの灯を信じますか
地上では蠢くものが展く地図
荊棘線に変わる世界の水平線
仕事が終わって立ち寄るコンビニが一種の救済の場になっている。さまざまな人間がそこに集まってくるが、本当に癒しになっているかは疑わしい。屯している人間たちは地を蠢くものとして捉えられている。「荊棘線」は有刺鉄線。水平線が有刺鉄線に変わるのだから、世界に閉じ込められているのだ。フロンティアなどどこにもなく、閉塞感だけがある。
非正規がくっ付いている蓋のうら
氷河期がつづく回転ドアのなか
遮断機がるさんちまんと下りてくる
非正規社員や派遣はすでに珍しいことではない。経済効率を優先することで、日本的経営方式が崩壊し、格差社会が進行した。富の再分配ということも簡単にはいかない。その時代の経済状況によって順調な生活が保障されたり、逆境にさらされたりして、世代間格差が生まれてくる。氷河期、ゆとり教育を受けた世代、失われた十年など、マイナス・イメージの状況でも生きていかなければならない。
グローバル化の果てに喰う塩むすび
新自由主義(ネオリベラリズム)にはプラス・マイナス両面があるだろうが、貧困や格差などのマイナス面が問題になることが多い。
米帝の東京裁判支持します
アメリカ製憲法だから丈夫なの
「社会性川柳」を書くときの飯島の技法がうかがえる二句である。
アメリカ帝国主義という言葉を耳にしなくなって久しいが、作者が東京裁判を支持しているわけではない。「支持します」というのはもちろん反語なのだが、「支持しない」とも言っていない。言葉には二面性があり、固定したひとつのイデオロギーには収まらない。同様に「丈夫なの」も肯定・否定両方に受け取れる。護憲派・改憲派のそれぞれの議論から距離を置いた立場で表現されたアイロニカルな表現なのだ。
さまざまな価値観が乱立する現代において、誰もが納得するような風刺対象は成立しにくく、Aを批判するBに対してBを批判するCが必ず現れる。風刺の毒は相対的に弱まり、何が正しいかもわからなくなってゆく。では川柳にできることは何だろう。飯島は対立する二つのイデオロギーのどちらからも距離を置く。アイロニーは川柳の武器となる。昨年8月の「川柳スパイラル」5周年の集いで飯島が社会性川柳の例として挙げたのは「マルクスもハシカも済んださあ銭だ」(石原青龍刀)だった。
かつて飯田良祐が次のような川柳を詠んだことがある。私はすぐれた社会性川柳だと思っている。
経済産業省に実朝の首持参する 飯田良祐(句集『実朝の首』)
飯島の句を紹介する前に「社会性川柳」について触れておくと、石田柊馬や渡辺隆夫以後、「社会性」という言葉はあまり聞かない。戦前には「プロレタリア川柳」があり、戦後でも松本芳味は「川柳はプロレタリアの芸術だ」と言ったらしいが、今では「時事川柳」はあっても「社会性川柳」は成立しにくくなっている。社会性俳句が過去のものになったように、川柳においても社会性が唱えられることもないようだ。
現代川柳が同時代の現実と向き合うのは当然だが、川柳の実作者が高齢化しているために、時代の最先端で起きている状況について実感をもって表現することがむずかしい。氷河期とかロスジェネ世代とかいう言葉は理解できるけれど、身をもって体験しているわけではないから、切れば血の出るような表現を詠んだり読んだりすることができないのだ。
カネ出せよあんたのネクタイむかつくぜ 石田柊馬
鶴彬以後安全な川柳あそび 渡辺隆夫
社会性はこのあたりで止まっているのだ。
飯島は『成長痛の月』の「あとがき」で「この十二年間、現代川柳・伝統川柳・社会性川柳・狂句的川柳・前句付・短句など、いろいろなスタイルを経験してきました」と述べている。「世界の水平線」の章から社会性が感じられる句を挙げてみよう。
夜の帰路コンビニの灯を信じますか
地上では蠢くものが展く地図
荊棘線に変わる世界の水平線
仕事が終わって立ち寄るコンビニが一種の救済の場になっている。さまざまな人間がそこに集まってくるが、本当に癒しになっているかは疑わしい。屯している人間たちは地を蠢くものとして捉えられている。「荊棘線」は有刺鉄線。水平線が有刺鉄線に変わるのだから、世界に閉じ込められているのだ。フロンティアなどどこにもなく、閉塞感だけがある。
非正規がくっ付いている蓋のうら
氷河期がつづく回転ドアのなか
遮断機がるさんちまんと下りてくる
非正規社員や派遣はすでに珍しいことではない。経済効率を優先することで、日本的経営方式が崩壊し、格差社会が進行した。富の再分配ということも簡単にはいかない。その時代の経済状況によって順調な生活が保障されたり、逆境にさらされたりして、世代間格差が生まれてくる。氷河期、ゆとり教育を受けた世代、失われた十年など、マイナス・イメージの状況でも生きていかなければならない。
グローバル化の果てに喰う塩むすび
新自由主義(ネオリベラリズム)にはプラス・マイナス両面があるだろうが、貧困や格差などのマイナス面が問題になることが多い。
米帝の東京裁判支持します
アメリカ製憲法だから丈夫なの
「社会性川柳」を書くときの飯島の技法がうかがえる二句である。
アメリカ帝国主義という言葉を耳にしなくなって久しいが、作者が東京裁判を支持しているわけではない。「支持します」というのはもちろん反語なのだが、「支持しない」とも言っていない。言葉には二面性があり、固定したひとつのイデオロギーには収まらない。同様に「丈夫なの」も肯定・否定両方に受け取れる。護憲派・改憲派のそれぞれの議論から距離を置いた立場で表現されたアイロニカルな表現なのだ。
さまざまな価値観が乱立する現代において、誰もが納得するような風刺対象は成立しにくく、Aを批判するBに対してBを批判するCが必ず現れる。風刺の毒は相対的に弱まり、何が正しいかもわからなくなってゆく。では川柳にできることは何だろう。飯島は対立する二つのイデオロギーのどちらからも距離を置く。アイロニーは川柳の武器となる。昨年8月の「川柳スパイラル」5周年の集いで飯島が社会性川柳の例として挙げたのは「マルクスもハシカも済んださあ銭だ」(石原青龍刀)だった。
かつて飯田良祐が次のような川柳を詠んだことがある。私はすぐれた社会性川柳だと思っている。
経済産業省に実朝の首持参する 飯田良祐(句集『実朝の首』)
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