2023年4月28日金曜日

川柳と連句の句会風景

3月18日
「らくだ忌」第2回川柳大会に出席。会場はラボール京都(京都労働者総合会館)。筒井祥文の追悼のためはじまった大会だが、今回は祥文追悼のスローガンを外している。いつまでも祥文の力を借りずに歩きだそうということらしい。兼題と選者は「泡立つ」(湊圭伍)、「二周半」(暮田真名)、「生い立ち」(真島久美子)、「無い袖」(八上桐子)、「ぶらり」(新家完司)、「雑詠」(くんじろう)。それぞれ難しい(意欲的な)題だ。各題二句出句だが、句会はある意味で選者と投句者の戦いなので、二句とも抜ける(選ばれる)、一句抜ける、二句ともボツになる、それぞれの結果と向き合うことになる。中には悪達者な句もあるので、選者はそういう句に騙されないようにするし、投句者は選者のストライクゾーンを探りながら許容できる範囲で自分の句を詠もうとする。披講の前に選者の短いトークがあって、それぞれ興味深かった。入選上位の句はすでに「川柳らくだ」のフェイスブックで発表されているが、発表誌もいずれ出来上がることだろう。
「川柳スパイラル」17号を会場で配布。会員の西脇祥貴やまつりぺきんと話すことができた。

3月19日
日本連句協会の総会・全国大会に出席。会場は台東区民会館で、浅草寺周辺は観光客でごった返していた。インバウンドが戻ってきたようだ。総会では『現代連句集Ⅳ』や『連句新聞』増刊号の宣伝をする。『現代連句集Ⅳ』の編集の機会に、過去40年間の歴史を調べることができた。先人の連句振興に対する無償の努力は貴重だ。「連句新聞」では山地春眠子が連句復興期の運動が起こった理由について「気がついてみたら、あっちでもこっちでも仲間ができていた」と述べている。こういう状況が再び起こればいいなと思う。
実作会では6人の座で半歌仙を巻く。連句の進行には膝送りと出勝の二通りがあるが、このときは膝送り。座席の順番に付けてゆくので、それ以外の人は雑談する余裕がある。別の座にいた某氏がやってきて、「半歌仙はつまらない、非懐紙か十二調にするべきだ」と口をはさむ。「今日は社交の場なので、半歌仙でよいのだ」と答える。連句には二面性があって、文芸として良い作品を作るという面と連衆との交流をはかるという社交文芸の面がある。
懇親会のあと、神谷バーで飲みたかったが、満席で入れず。喫茶店で遅くまで連句の友人と話した。

3月20日
蘆花恒春園に行く。京王線の芦花公園で下車。一月に伊香保へ行ったときに蘆花記念館を見学して、蘆花が息をひきとった部屋も見てきた。伊香保は『不如帰』の冒頭にも出てくるし、蘆花のお気に入りの場所である。大阪に帰ってから、トルストイのヤースナヤ・ポリャーナを訪れた『順礼紀行』や『思い出の記』などを拾い読みして、蘆花に対する興味が高まった。今回、東京行きのついでに恒春園に行くことができた。高遠彼岸桜が満開だった。

3月26日
第7回わかやま連句会。会場は和歌山県民文化会館。
毎回実作の前に連句や和歌山に関連したお話をしているが、今回は恋句について。
「恋の座といふこと、俳諧用語としては、厳格には使はぬものである。たゞ時として、昔から世間の常識として、稀まれ、月・花の座を言ふやうに言はれてゐる。此文の表題には、何となきことばの練れを愛して、利用することにした」(折口信夫「恋の座」)を前置きとする。恋と愛とは違い、連句の恋句は愛ではなくて恋を詠む。従来は「恋と愛の違い」について、恋は異性への恋、愛は人・家族・自然などの存在全体への愛と説明してきたが、この定義は現在ではすでに問題がある。「恋の詞」ということも言われ、蕉門では言葉にかかわらず、心の恋を重視する。東明雅に『芭蕉の恋句』(岩波新書)があるが、芭蕉は恋句の名手で、『あら野』「雁がねも」の巻の次の付合が有名。

 足駄はかせぬ雨のあけぼの     越人
きぬぎぬやあまりかぼそくあてやかに 芭蕉
 かぜひきたまふ声のうつくし    越人

現代連句の恋の例としては次の付合を挙げた。

マサイ族スマートフォンが必需品      節
 恋の支障にならぬ遠距離        奈里子
ふたりとも好きになるのは罪ですか    孝子
 奥歯が疼く真夜中の夢          節
       (国文祭にいがた「冬林檎」の巻)

4月12日
京都での川柳句会に行く前に、三十三間堂を訪れる。修学旅行や観光客が多いので今まで敬遠していたが、何十年ぶりかで入ってみると、仏像の配置が変更されていた。本尊の左右に五百体ずつ計千が並んでいるのは同じだが、二十八部集のうち四体が本尊の四隅に配置されていて、世界観が以前とは変化している。数年前からこうなっているということだ。雨のなか、少し庭園を歩いた。

4月16日
大阪連句懇話会を上本町・たかつガーデンで開催。2012年にスタートしたこの会もすでに41回目になる。昨年6月に創立10年の節目を迎えた。手元に創立のときの案内文が残っている。
「大阪・京都・神戸・奈良はそれぞれの歴史をもち、文化的・風土的にも違いがありますが、豊かな伝統をもち関西文化圏を形成しています。連歌・連句の史跡も多く、連句人にとって魅力ある地域と言えます。関西の連句人のネットワークを広げ、結社のワクを越えて集まることのできる場を求めて、このたび、『大阪連句懇話会』を立ち上げることにしました。連句の歴史を学び、理論と実作を深める場にしたいと思っています」 10年前はこのような気持ちだったのか、と自分でも驚くが、初心に戻らなければと改めて思う。
今回は「連句新聞」の高松霞をゲストに迎え、彼女の人気もあって、20名の参加者があった。12月に東京で開催された「連句の赤い糸」の話や「連句新聞」のこと、ライターの仕事のことなどを聞く。後半は門野優にも入ってもらって、お二人でのトーク。門野は明石で新たに連句会を計画中だという。その後四座に分かれて連句実作。形式は十二調(二座)、ソネット、ひらがなにじゅういん(ひらがな二十韻)。
終了後、会場近くの居酒屋で懇親会。

4月22日
NHK文化センター梅田教室で「はじめまして現代川柳」の第一回講座。全6回の導入部で、現代川柳とはどういうものか、についてザックリした話をする。サラリーマン川柳、シルバー川柳、ユーモア川柳、伝統川柳、社会性川柳、情念川柳、私性川柳、詩性川柳などの例句20句をプリントしたものから、どれが好みかを参加者に選句してもらう。そのあと川柳の基本である問答構造の変遷、現代川柳を読むためのポイントなどを話す。社会性川柳の例として「てぶくろ買いにシリアに行ったままの子は」(滋野さち)を挙げたが、新美南吉の童話「手袋を買いに」を踏まえてシリア内戦をテーマにしている。社会性や諷刺を書くむずかしさについて、たとえば美術でも版画家の浜田知明はこんなふうに言っている。
「諷刺画が優れた絵画であるためには、作品の背後に、作家の厳しい文明批評の眼と、奇知と、人間に対する深い愛情が流れていなければならない。画面は現代の造詣として生きていなければならないし、個性的であり、同時に個性が普遍性をもち、特殊な時代相を描いても、永遠の人間性につながるものでなければならない。われわれが冷厳な眼で周囲の現実を眺めるならば、現代のような社会相は、まさに諷刺画にとって、無限のモティフを提供する宝庫というべきであろう」 浜田知明は「初年兵哀歌」シリーズで有名な版画家で彫刻も作っている。
講座の話に戻ると、ちょうど発行された川柳誌「湖」をとりあげて川柳の選と投句について話し合った。
次回の講座は「現代川柳の歴史を振り返る」というテーマで、新興川柳から現代川柳へのプロセスを代表的な句集や川柳誌を紹介しながら解説する予定。ふだん目にすることのない資料なども見ていただけることと思う。第二回からの受講も可能。

4月23日
膳所の義仲寺・無名庵での連句会。義仲寺では5月の第二土曜に奉扇会があり、奉納する歌仙を巻く。捌きが古くからの知人なので、参加させてもらった。芭蕉の次の句を発句とする脇起こしである。

杜若似たりや似たり水の影  翁

私はふだん捌きをすることが多いので、一連衆として付句が出せるのがありがたかった。膝送りで、付句の合い間の雑談を聞いているのも楽しい。連句の話だけではなくて、連衆のそれぞれの豊富な経験によって話題が広がってゆくのも座の魅力だろう。午前10時半開始で午後4時半には歌仙が巻き上がった。

4月×日
文芸誌5月号は大江健三郎の追悼を掲載している。私が読んだのは「新潮」5月号。「追悼・永遠の大江健三郎文学」というタイトルで川上弘美・島田雅彦・多和田葉子・平野啓一郎・町田康などの文章を載せている。
小説では瀬戸夏子の「原型」も掲載されていて、書き出しは次のようになっている。
「資郎が世紀の大失恋をした次の日、資郎の瞳の中はキリンでいっぱいだった」
続きは実際にお読みいただきたい。

2023年4月15日土曜日

我妻俊樹歌集『カメラは光ることをやめて触った』

短歌誌「遊子」29号が届いた。昨年12月に発行されているが、「歌人が詠む川柳」が特集されているので遅ればせながら取り上げる。特集の趣旨は次のように書かれている。
「現代短歌と現代俳句の距離よりも、現代短歌と現代川柳の距離のほうがずいぶんと近いというのは、よく言われてきたことである。感覚的にはそう思っても、どうしてなのか、なかなかうまく説明がつかない」「今回はそういうことも踏まえながら、同人各人が川柳の実作に挑戦してみた」

雲ひとつなくて薄気味悪い空    片上雅仁
カミサマと彫られた岩が追ってくる 久野はすみ
もう何も噛まぬ前歯がまっしろい  白石真佐子
ヒゲダンの好きな男についてゆく  杉田加代子
天井に鬼がいるのを知っている   千坂麻緒
マスクしてどの属性もじぇのさいど 渡部光一郎
ただのシャンプーでした使ってみるまでは 山田消児
使ってみればただのシャンプー      山田消児

ふだん短歌を詠んでいる同人の川柳作品である。それぞれの「川柳イメージ」がうかがえて興味深い。山田消児は同じ素材を二通りの形式で詠んでいる。山田とは2016年5月に「短歌の虚構・川柳の虚構」というテーマで対談したことがある(「川柳カード」12号に掲載)。
あと「遊子」には平岡直子が「川柳は短歌に似ている絶対似ている」という論考を書いている。平岡は第一歌集に続いて川柳句集『Ladies and』を上梓しているが、論考のタイトルは石田柊馬の「妖精は酢豚に似ている絶対似ている」を踏まえたもの。俳句・短歌・川柳の違いについて平岡の文章の次の一節が注目される
「季語も切れも必要としない川柳は、俳句よりもはるかに自由で、そして、後ろ盾がない。俳句は季語がしゃべり、短歌は〈私〉がしゃべり、川柳はだれがしゃべっているのかわからない」

我妻俊樹の第一歌集『カメラは光ることをやめて触った』(書肆侃侃房)が発行された。我妻の短歌は「率」10号(2016年)に「足の踏み場、象の墓場」として掲載され、本書にも収録されているが、2022年までの歌をまとめた「カメラは光ることをやめて触った」が本編として読めるのはありがたい。

見てくれにこだわるひとの有り金が花びらに変えられて匂うの
質問にいちいち紫蘇の香をつけて忘れられなくしたいのかしら
暴れたりしないと夏の光だとたぶん気づいてもらえなくない?
わたあめにならずに風に奪われた 鳥のすべてに意味をもとめた
橋が川にあらわれるリズム 友達のしている恋の中の喫茶店

「足の踏み場、象の墓場」のときより書き方はさらに多彩に展開している。一首目、「有り金」という俗世間のものが花びらに変容する。見てくれ・有り金・花びら・匂うという視覚から嗅覚への言葉の変化が連句の三句の渡りとはまた異なる感覚で一首の中で実現されている。二首目・三首目のようなシンプルな詠み方もある。流れ去ってゆく不条理な時間のなかで一瞬のときを記憶に刻みつけるために人はいろいろなことをするのだろう。四首目は上句と下句の取り合わせが「奪われた」「もとめた」という動詞文体で統一されている。川柳であれば「わたあめにならずに風に奪われた」で完結し、あとは読者の読みに任せることになるだろう。五首目は瀬戸夏子が栞で取り上げている作品。上句と下句にそれぞれねじれがあり、ふたつのねじれが滲み合うように重ねられていると瀬戸は言う。
ちなみに栞は瀬戸夏子と平岡直子が書いているが、それぞれ次のように述べている。
「この歌集を前にして、可能な限り無力な読者として存在してみたかった、と思った」(瀬戸夏子)
「我妻さんの歌は、無数の蛍が放たれた小さな暗がりもようで、一首の歌がいくつもの呼吸をしている」(平岡直子)
2018年5月の「川柳スパイラル」東京句会において、我妻の「短歌は行って戻ってくる。川柳は引き返さずに通り抜ける」という発言がずっと記憶に残っている。短歌についても本当は通り抜けられると彼は言ったが、『カメラは光ることをやめて触った』を読みながら、行ったり来たりするうちに変な「私」が出てきてしまうのとはまったく異なる、現代短歌の書き方を感じた。「足の踏み場、象の墓場」(「率」10号)の「あとがき」の「書き手など、偶々そこに生えていた草のようなものだ。無駄に繁茂して読者の視界を遮っていないことを願うばかりである」という文章も印象的だった。

いま「葉ね文庫」の壁に芳賀博子の川柳と吉村哲の絵のコラボが展示されている。吉村の絵の人物の後ろ姿がとてもいい。牛隆佑のプロデュース。芳賀の句集『髷を切る』(青磁社)の残部がもうないそうなので、改めて十句挙げておく。

歩きつつ曖昧になる目的地   芳賀博子
壁の染みあるいは逆立ちの蜥蜴
一番の理由が省略されている
欠けているから毎日触れるガラス猫
そこらじゅう汚してぱっと立ち上がる
私も土を被せたひとりです
M78星雲へ帰るバス
みずかきをぱっと開いて転校す
ひきちぎるためにつないでいる言葉
かたつむり教義に背く方向へ

2023年4月7日金曜日

かつて連句ブームがあった

「短歌ブーム」だという。NHKの朝ドラ「舞いあがれ!」で短歌を作る登場人物が描かれ、「クローズアップ現代」で短歌ブームが取り上げられた。マスコミの話題になる機会が増えたことで目に見えて短歌ブームが実感される。振り返ってみると今までにも短歌ブームは何度かあり、俵万智の『サラダ記念日』のときとか、桝野浩一の「かんたん短歌」のときのことが思い出される。桝野の『かんたん短歌の作り方』(筑摩書房)が出たのが2000年11月で、マスノ短歌教の信者として当時高校生だった加藤千恵がテレビに登場したのを記憶している。ブームというのはつかみどころのないものだし、「短歌ブーム」をどう受け止めるかは歌人に任せておけばよいことだが、今回の話題はかつて連句界にも「連句ブーム」といわれる時期があったということについてである。
話の順番として、まず「連句」について触れておくが、昨年から今年にかけて現代連句のアンソロジーが2冊出ている。3月に発行された『連句新聞』増刊号は、高松霞と門野優がネットで運営している「連句新聞」の冊子版である。「連句新聞」は2021年春にスタートし、年に4回更新、四季に合わせた連句作品と連句内外の表現者のコラムを掲載している。今回の冊子は二周年を記念して編集されたもの。巻頭に別所真紀子が「江戸俳諧に見るフェミニズム」を寄稿している。別所は現代連句を牽引する連句誌のひとつ「解纜」のリーダー。『芭蕉にひらかれた俳諧の女性史』『「言葉」を手にした市井の女たち』(オリジン出版センター)など俳諧における女性史の第一人者であり、『つらつら椿・浜藻歌仙帖』(新人物往来社)など俳諧小説の作者でもある。ちなみに五十嵐浜藻は小林一茶などとも交流があった江戸期の女性俳諧師。『連句新聞』増刊号で別所は次のように書いている。
「江戸期を通して百冊以上の女性選集が出版されているこの国は、世界に類をみないフェミニズムの先進国であった。そしてそれは、俳諧という形式あればこその成就と言えるであろう」
コラムは中村安伸・堀田季何・中山奈々・竹内亮・北大路翼・暮田真名・大塚凱・福田若之が執筆。現代連句作品が9巻収録されているが、歌仙のほかに非懐紙・箙・胡蝶・獅子・短歌行などの形式があり、ヴァラエティに富んでいる。あと、山地春眠子のインタビューが掲載されていて貴重だ。
もう一冊の連句アンソロジーは『現代連句集Ⅳ』で、日本連句協会創立40周年記念として発行されたもの。小津夜景「連句の愉しみ」、堀田季何「連句が好きだから」の二本のエッセイ、「日本連句協会の歩み」、座談会「現代連句の伝統と多様性」などのほか全国の連句グループ作品84巻が収録されている。「連句新聞」とともに現代連句を展望するのに便利である。

「連句ブーム」と言われたのは1970年代後半から80年代にかけてのことで、正岡子規によって否定されたと思われていた連句復興のきざしがあらわれてきた。伊勢派の俳諧師・根津芦丈の指導のもと1959年に「都心連句会」が、1961年に「信州大学連句会」が創立された。さらに、1971年には野村牛耳の指導で「東京義仲寺連句会」が開かれた。野村牛耳の師系は根津芦丈だからいずれも旧派の系譜につながるが、「東京義仲寺連句会」には林空花、わだとしお、高藤馬山人、真鍋天魚、珍田弥一郎など俳諧復興の新風を志すメンバーがそろっていた。
ここで俳諧における旧派と新派の説明をしておくと、根津芦丈は『芦丈翁俳諧聞書』(東明雅)でこんなふうに言っている。「それで儂はね、何の、子規が明治二十六年頃、その新聞の『日本』でね、旧派ひっぱたいてね、いる最中に儂ら旧派の凌冬(馬場凌冬)という人にならって、旧派のヘエその先生が日本一いいと思って習っている時にまあ、旧派ひっぱたくだね。くそみそに、今に旧派のえらい人にたたかれるぞと思っていたが、たたく人は一人も出っこなしで、子規の独り舞台で、新派おこしちまって…(後略)」
子規が連句を否定して起こしたのが新派、従来の伊勢派・美濃派などの伝統的俳諧が旧派である。根津芦丈は旧派の俳諧師だが、新派でも高浜虚子は連句肯定の立場で、高浜年尾や阿波野青畝に連句を受け継ぐよう指示した。
さて、1972年に東明雅の『夏の日』(角川書店)が刊行され、1978年には東明雅『連句入門』(中公新書)、1978年に山地春眠子『現代連句入門』(杏花村叢書。1987年再版・沖積舎)が上梓された。70年代後半から80年代にかけて連句入門書が書店の店頭に並ぶようになった。そういう機運のなかで1981年、連句懇話会(日本連句協会の前身)が結成される。発起人は阿片瓢郎(「連句研究」)・大林杣平(「都心連句会」)・岡本春人(「連句かつらぎ」)。
『連句新聞』増刊号のインタビューで山地春眠子は「なぜそういう運動が起こったのでしょう」という質問に答えて次のように言っている。
「なんとなくじゃない?誰がなにをしたということではない。もちろん、明雅さんとか、瓢左さん、牛耳さんが、連句のグループ、信大連句会とか義仲寺連句会とかを作ってくれたからなんだけれど、それはそれぞれ、日本のことを考えて作ったわけではないので、たまたまそういう流れがあった。誰が旗振って、やろうとしたわけでもないように思う。気がついてみたらあっちでもこっちでも仲間ができていた」
この発言には韜晦している部分もあるのだろうが、「気がついてみたらあっちでもこっちでも仲間ができていた」というのはおもしろいし、文芸が盛り上がるときの機運はそんなふうであればいいなと思う。
「連句懇話会会報」第1号(1981年12月)の「連句懇話会創立総会記」で阿片瓢郎は次のように語っている。
「けだし最近連句ブームの声が高いですが、俳句人口なり俳誌の数を比べると格段の相違があります。その上一部には連句をすると俳句が下手になるとの俗説があります。併し連句人の俳句には面白さがあります。文士方の連句も週刊誌を賑わせており、名古屋では連画制作の企てもあり、海外でも連句愛好者が増えていると伝えられ、連句ブームは多面的に拡がりつつあります。従って現在の連句ブームを一時的なものでなく定着させるには、各結社の伝統と特徴を守りながら、それぞれ連句の錬磨に努力し、後世に残し得る立派な作品を創ることが必要と思います。そのためには各結社が自由に交流できるよう垣根を設けず風通しをよくすることが大切で、本会はその機会を増やすことを念頭としております」
その後、俳誌に連句特集が組まれたり、連句イベントが興行されたり、詩人をはじめ他ジャンルの表現者が連句に参加するなどの動きがあったが、それも2000年代初めまでで、連句に対する一般読者の関心は薄れていった。「連句ブーム」にしても、もともとブームと呼べるほどのものではなかったという意見もある。 けれども共同制作(座の文芸)としての連句に対する潜在的な表現意欲はいつの時代にも存在しているのであって、それがどのような形で噴出してくるのかは予測しがたいものがある。連句愛好者は全国に散在しており、「座」という場がいったん提示されれば個別に参加者たちが現れてくる。
次に挙げるのは連句誌「みしみし」11号。「みしみし」は2009年からネット上で歌仙を巻いている三島ゆかりによる座。不定期刊で冊子版も出している。歌仙「休日」の巻の表六句より。

休日や筍の皮うづ高し     苑を
 匂ひ立ちたる首夏の手間ひま ゆかり
売るための石ころいくつ持ち寄つて りゑ
 ほそきゆびもて掬ふさざなみ 青猫
水もまた満ちて迎ふる月今宵  らくだ
 椋鳥のしづまる並木をゆけば 槐