2018年7月28日土曜日

はじまりとおわり―諸誌逍遥

7月×日
八戸から「川柳カモミール」2号(発行人・笹田かなえ)が届く。
1号がでたときにこの欄でも紹介したことがあるが(2017年6月24日)、「カモミール」は女性五人の作品を中心とした川柳集団で(別に女性しか入れないというわけではないようだが)、今回は横澤あや子が抜けて細川静が参加している。

髭つけて 猫を休んだことはない   三浦潤子
性懲りもなくまた冬芽つけちゃった  守田啓子
タオル振り回して九月の未来形    細川静
エプロンは24時間裁量性       滋野さち
ICBM愛死美絵夢エルサレム      笹田かなえ

くんじろうと小瀬川喜井の鑑賞が付いているほか、吟行や句会の記録が掲載されている。1号よりパワーアップした誌面になっている。

7月×日
名古屋から「川柳 緑」670号(発行・川柳みどり会、主宰・渡辺和尾)が届く。
渡辺の終刊のあいさつが添えてあって驚く。渡辺和尾は「緑」208号から主宰をつとめ、「センリュウ・トーク」をはじめさまざまなイベントを開催してきた。「川柳みどり会」も閉会ということで、川柳誌には必ず終わりがくるということを改めて実感させられる。
手元の渡辺和尾川柳集『風の中』から何句か紹介しておく。

くちづけのさんねんさきをみているか   渡辺和尾
落雷よ君はいつでも胸のガラス
これが檻だよぼくたちがいるんだよ
怨念のノートは鳩の絵で埋まる
人恋しそれほど憎きひとばかり
脳天に珈琲が来て妥協する
あじさいの青よりも濃く君を斬る

7月×日
小津夜景『カモメの日の読書』を読んで以来、漢詩の翻訳詩に興味が湧いてきて、佐藤春夫の『車塵集』を拾い読みしている。井伏鱒二『厄除け詩集』には「さよならだけが人生だ(人生足別離)」というフレーズもあったな。日夏耿之介『唐山感情集』(講談社文芸文庫)が出たので、思わず買ってしまった。8月25日の「大阪連句懇話会」では「漢詩と連句」について考えてみるつもり。

7月×日
「川柳スパイラル」3号の校正刷が届く。
発行予定が遅れているのは大阪北部地震の影響で、制作所のパソコンのルーターが落下して壊れるなどパソコン・トラブルによるものだ。読者にはご迷惑をかけることになるが、発送は8月に入ってからになりそう。特集「現代川柳にアクセスしよう」の内容予告。
現代川柳発見(飯島章友)
二次の彼方に―前提を超えて(川合大祐)
川柳を描く。と何かいいことあんですか?(柳本々々×安福望)
五つの現代川柳(小池正博)

7月21日
関西現俳協青年部勉強会に参加。
「オルガン」の5人が関西に来て「句集について」語るイベント。五人のほかに話題提供者として八上桐子、野口裕、牛隆介が登壇。予定されていた岡田一実が大雨による交通機関の影響で来られなかったのが残念だった。司会は久留島元。
当日の内容は参加者のブログなどでレポートがでることだろう。話を聞きながら川柳にはまだまだ整備されないといけない部分が多いことを改めて感じた。作者、編集者、プロデューサーの分担もできていないし、句集を出したあとの批評会や販路の拡大などは手つかずの状態だろう。
帰宅すると「オルガン」14号が届いていた。俳句作品のほかに、大井恒行・浅沼璞・宮﨑莉々香の鼎談、柳本々々の書簡などが掲載されている。

7月×日
俳誌「面」123号(発行人・高橋龍)が届く。
後記に「七月八日は高柳重信三十九回忌である」として重信のことが書かれている。
「二十代に二千冊の本を読んだ者でなければ僕の前に坐るな」と言ったという伝説があるが、実は心のやさしい人であったことがいろいろ書かれている。「(重信は)僕の死んだ後俳壇はこうなると話された。(たしかにまさにまことにまさしく言はれたような状況になった)」と高橋は書いている。

方舟にのりそこねたる子猫かな     島一木
ルナールの「蛇」には負ける長さかな  

早乙女の股のぬくもりサドルにも    高橋龍
円卓にだれのももでもない桃を

7月×日
俳誌「塵風」(発行人・斉田仁)7号届く。特集「映画館」。
東京の映画館と映画のことがいろいろ書かれている。
私が映画をよく見ていたのは80年代の大阪・難波でだが、小川徹の発行していた「映画芸術」を愛読していた。そのころのことを思い出した。

アネモネの癖に元気を出しなさい   小林苑を
戦争がぐっと近づくあっぱっぱ    斉田仁
かたまりてなにやら謀反めく菫    佐山哲郎
金魚よりしづかに着せかへられてをり 振り子

7月×日
HPF実行委員会・大阪府高等学校演劇連盟主催の「Highschool Play Festlval 2018」開催。大阪の高校演劇部30校が三か所の会場に分かれて連日上演する。
心斎橋のウイングフィールドで堺東高校の「ビー玉たちの夜」(作・つむぎ日向)を見る。突然とまったエレベーターのなかで6人の男女がそれぞれの仕事や人生について語りあう。エレベーターと仮面の演出が興味深い。
高校生の演劇部員が小劇場で公演できるというのは幸せなことだ。

7月×日
石部明の川柳作品を顕彰するためのフリーペーパー「THANATOS」(発行、小池正博・八上桐子)はすでに3号まで出しているが、4号をいま準備中。このフリペも今回で最後となり、9月9日の文フリ大阪で配付できることと思う。「バックストローク」「BSおかやま句会」の時期の石部明について改めて考えてみたい。

2018年7月13日金曜日

仙台連句紀行

短歌誌「井泉」82号(2017年7月)の招待作品として広瀬ちえみの川柳15句が掲載されている。広瀬が「井泉」に寄稿するのは17号(2007年9月)に続いて二度目である。今回の作品から4句紹介する。

たまたまもまたまたもあり鳥墜ちる     広瀬ちえみ
土砂降りを贈ってしまうこちらから
あちらからどうぞともらう雨上がり
咲くときは少しチクッとしますから

6月24日、第12回宮城県連句大会に参加するために仙台へ行った。
大会の前日に仙台入りをして、宮城県連句協会の狩野康子、永渕丹ご両人の案内で仙台周辺を回った。
まず、荒浜小学校に連れて行ってもらった。東日本大震災のときに地域住民が避難した小学校で、現在は震災遺構として公開されている。震災前は海岸に松林が広がり、茸採りなどもできたというが、松の多くは流され立ち枯れていた。校舎4階の教室は展示のほか写真や映像で災害の様子を知ることができる。職員や自治会の方の証言が生々しく伝わってくる。屋上にあがるといまはおだやかな海岸の様子が見渡せる。震災のときはこの屋上に数百人が避難したのだ。

仙台は島崎藤村が一年ほど暮らしていた街である。
藤村に「潮音」という詩がある。「わきてながるる/やほじほの/そこにいざよふ/うみの琴/しらべもふかし/ももかはの/よろずのなみを/よびあつめ/ときみちくれば/うららかに/とほくきこゆる/はるのしほのね」
のちに藤村はこんなふうに書いている。
「仙台の名掛町というところに三浦屋という古い旅人宿と下宿を兼ねた宿がありました。その裏二階の静かなところが一年間の私の隠れ家でした。『若菜集』にある詩の大部分はあの二階で書いたものです。あの裏二階へは、遠く荒浜の方から海の鳴る音がよく聞こえてきました。『若菜集』にある数々の旅情の詩は、あの海の音を聞きながら書いたものです」(『市井にありて』)
いま仙台駅東口に「藤村広場」が整備されていて、「潮音」や「草枕」の詩碑が建っている。藤村が向き合った荒浜と震災の荒浜、その落差に衝撃を感じる。

小学校をあとにし、芭蕉の足跡をたどって、「二木(ふたき)の松」(武隈の松)に行った。
『奥の細道』には次のように書かれている。

「武隈の松にこそ目さむる心地はすれ。根は土際より二木にわかれて、昔の姿うしなはずとしらる。先、能因法師思ひ出づ」

桜より松は二木を三月越し    芭蕉

「松」と「待つ」の掛詞、「二」と「三」の数、「三月(みつき)」に「見」を掛けている。
松はすでに代替わりしていて、私が見たのは芭蕉が見た松そのものではないが、雰囲気は味わうことができた。

そのあと笠島道祖神へ。
藤原実方がこの道祖神の前を馬に乗ったまま通ったので、神罰を受けて落馬、死亡したという伝説があり、その近くに実方の墓と伝えられるものもある。
芭蕉は笠嶋には行けなかった。五月雨で道が悪かったからである。

笠島はいづこ五月のぬかり道   芭蕉

芭蕉が笠島に行けなかったのも俳諧であり、私が行けたのも俳諧だろう。

翌日は連句大会の当日である。
54巻の応募作品があり、狩野康子氏と私がそれぞれ五巻ずつ選んだ。
選評で私は「半歌仙の可能性」について話した。
この募吟は半歌仙という形式だが、従来、半歌仙は歌仙の半分の形式、時間の制約などで歌仙が巻けないときに半分でとどめておくというような、中途半端な形式であると言われてきた。歌仙では一の折、二の折の変化のおもしろさが読みどころだが、半歌仙には表・裏しかなく、恋も一か所で、一花二月、十分な変化や展開をおこなう余地がないというわけである。けれども、今回、選者をさせていただくに当たって、歌仙の半端ものとして半歌仙をとらえるのではなく、半歌仙の独自の可能性は考えられないかと思った。
私が選んだ作品のうち、二巻の発句と脇だけ紹介しておく。なお、応募作品54巻は「第十二回宮城県連句大会作品集」としてまとめられている。

暮遅し韻を踏んだとほ乳類  (「Deadline」の巻)
 ジャズの譜面の如く金縷梅

あがりこは紅葉す夜のかくれんぼ (「あがりこは」の巻)
 かぼちゃの馬車でやってくる月

最後に狩野康子の句集『原始楽器』(2017年2月、文學の森)から10句紹介しておく。狩野は著名な連句人であるが、俳句では「海程」に所属している。

水温む今日の輪廻はひとり分    狩野康子
菜の花と鳩の鈍感楽しめり
まむし草原始楽器のごと叩く
口中の海胆に針あり宿敵なり
冷蔵庫に己が鋳型がありそうな
冥いとは先頭の鵜のつぶやき
満月の暗部縫合せんと思う
誤読する自由りんごを丸齧り
冬の蔵に入る流体となるために
無一物鷹を名告れば鷹となる

2018年7月7日土曜日

「オルガン」の五人が大阪にやって来る

すでにイベント情報が公開されているが、俳誌「オルガン」の宮本佳世乃・鴇田智哉・田島健一・福田若之・宮﨑莉々香の五人が大阪にやってくる。
7月21日(土)に関西現俳協青年部勉強会「句集はどこへ行くのか」、22日(日)には梅田蔦屋書店で公開句会が開催される。
21日の勉強会では句集についての話が中心になるようなので、手元の句集を読み直している。句集の話は東京ではすでに語られていることだろうが、関西では新鮮だろう。「オルガン」のメンバーのほかに久留島元や牛隆介、岡田一実、川柳人の八上桐子、五七五作家の野口裕が話題提供者として参加するのも興味深いところだ。八上は『hibi』、野口は『のほほんと』という句集を出している。

鴇田智哉の『こゑふたつ』(2005年8月、木の山文庫)『凧と円柱』(2014年9月、ふらんす堂)の二冊の句集から、それぞれ三句ずつ抜き出してみる。

凍蝶の模様が水の面になりぬ     鴇田智哉『こゑふたつ』
こゑふたつ同じこゑなる竹の秋
をどりゐるものの瞳の深みかな

春めくと枝にあたつてから気づく   鴇田智哉『凧と円柱』
人参を並べておけば分かるなり    
円柱の蟬のきこえる側にゐる

蝶の模様が水面に変容する。二つの声の同一性。踊る人の瞳。
客観が主観にかわる、その間のようなものをとらえようとしているのだろう。
いかにも俳句フィールドで書かれている作品だと思う。「竹の秋」は春の季語、「竹の春」は秋の季語とは連句初心のころに習ったが、なぜ「竹の秋」なのか。川柳人ならここに別の言葉を置くだろう。
『凧と円柱』の三句は季語に違和感なく読める。「人参」の句の省略感は川柳人にも親しいものだと思う。

宮本佳世乃は平成29年度の現俳協新人賞を受賞している。彼女の句集『鳥飛ぶ仕組み』(2012年12月、現俳協新鋭シリーズ)を読み直してみて、ひとりでいることと、二人でいることについて改めて考えた。

二人ゐて一人は冬の耳となる    宮本佳世乃『鳥飛ぶ仕組み』
郭公の森に二人となりにけり

一人が「冬の耳」となったのなら、もう一人は何になったのだろう。
郭公の森で二人となったのなら、その前はどうだったのだろう。
物語を作ってはいけないのだろうけれど、書かれていない部分を読む楽しみがある。

田島健一『ただならぬぽ』(2017年1月、ふらんす堂)については昨年話題になったし、シンポジウムも行われた。私もこのブログ(2017年1月27日)で取り上げたことがある。

蛇衣を脱ぐ心臓は持ってゆく    田島健一
骨は拾うな煙の方がぼくなんだ   海堀酔月

こう並べてみると発想の共通点と同時に俳句と川柳の手ざわりの違いが何となく分かる。

ふくろうの軸足にいる女の子    田島健一『ただならぬぽ』
鶴が見たいぞ泥になるまで人間は
見えているものみな鏡なる鯨
雉子ここに何か伝えにきて沈む
なにもない雪のみなみへつれてゆく

福田若之『自生地』(2017年8月、東京四季出版)も昨年評判になった句集である。句の前に散文の詞書がついていて、作品と同時に句集を編みつつある作者の姿が書かれている。work in progressのような感じで、作品が書かれた時点と作品を編集している時点との時間の差が意識される斬新な句集だ。だから、本当は一句立てで引用するのはむつかしいのだけれど、五句挙げておく。

さくら、ひら つながりのよわいぼくたち  福田若之『自生地』
ヒヤシンスしあわせがどうしてもいる    
突堤で五歳で蟹に挟まれる
ひきがえるありとあらゆらない君だ
てのひらにかかしのいないわかれみち

宮﨑莉々香にはまだ句集がないので、「オルガン」から次の二句を挙げておきたい。

かもめすぐ春になりきれないからだ     宮﨑莉々香(「オルガン」9号)
ほたるかごみえないものがすべてこゑ         (「オルガン」10号)

ここまで「オルガン」の五人の句を挙げてきたが、よくわからない句も多い。句を読むときに、わかるとかわからないとかいうことが、そんなに大切なのだろうか、という気もする。