2019年12月28日土曜日

2019年回顧(川柳篇)

瀬戸夏子著『現実のクリストファー・ロビン』(書肆子午線、2019年3月)のことから話をはじめよう。この本は瀬戸が書いた2009年から2017年までの文章と作品が収められている。短歌の話題が主だが、現代川柳のことも取り上げられている。

「私がすごく川柳に惹かれたのは、言葉の使い方が俳句とも短歌とも現代詩とも違うんですよね。それがすごく新 鮮だった。とくに短歌を読みなれていると、ぎょっとすると 思う。これは他では絶対に使えない言葉とか、この用法は絶対ないな、俳句にもないなという語法や用法。」
「言葉をどう光らせるか、陰影を作るか、言葉をどう浮かせるか、目立たせるか。それで、私は川柳に触れたことがほとんどなかったので、同じ定型詩なのに言葉の浮かせ方や使い方がこれまで読んできた定型詩とは全く違ったのがすごく新鮮だった。なので、読者としてすごく夢中になって、今の時点で言うと、単純に読者としてすごく刺激を得られるのが大きい」(「瀬戸夏子ロングインタビュー」)

瀬戸夏子を入り口として短歌フィールドの表現者たちが現代川柳の世界に入ってくるようになった。暮田真名はそんな一人である。
暮田真名句集『補遺』(2019年5月)の巻頭に置かれた次の句は暮田がはじめて作った川柳作品らしい。

印鑑の自壊 眠れば十二月  暮田真名

昨年10月に予定されていた『補遺』の句評会は台風のため延期となったが、来年の2月9日に改めて開催されることになっている。川柳をはじめて2年で句集を出し、句評会を開催するという、従来の川柳人とはまったく異なる動き方をする若手作者が登場してきた。

八上桐子の『hibi』(港の人)が刊行されたのは昨年だが、今年5月に句評会が東京・王子の「北とぴあ」で開催された。報告者は牛隆佑・飯島章友の二人。参加者がそれぞれ句集の感想を語り合ったので、句評会というよりは句集の読書会のようなものになった。
その後、八上はフクロウ会議の『蕪のなかの夜に』に参加。フクロウ会議は、八上桐子(川柳)、牛隆佑(短歌)、櫻井周太(詩)のユニットである。内向きの川柳人が多いなかで、彼女は他ジャンルとも交流しながら作品を作ってゆく。これも従来の川柳人にはあまり見られなかった動きである。八上は9月28日に梅田・蔦屋書店で開催された「現代川柳と現代短歌の交差点」でも岡野大嗣・平岡直子・なかはられいこと並んでパネラーをつとめた。

もえて燃えきってひかりにふれる白    八上桐子
しろい夜のどこかで蕪が甘くなる

句集の刊行として注目されるのは、柳本々々の『バームクーヘンでわたしは眠った』(春陽堂書店、2019年8月)である。川柳日記というかたちで、春陽堂のホームページに連載したものを一書にまとめている。イラストは安福望。

年賀状がだせなくてもまだ続いてく世界  柳本々々

その柳本との対談を収録している竹井紫乙句集『菫橋』(港の人、2019年10月)。

川原君は駄菓子で出来ているね  竹井紫乙

新家完司川柳句集(七)『令和元年』(新葉館出版)。
完司は五年ごとに句集をまとめ発行している。この持続力は見上げたものである。

大胆に行こうこの世は肝試し    新家完司
悪口は言わずノートに書いている

昨年亡くなった筒井祥文の遺句集『座る祥文・立つ祥文』(筒井祥文句集発行委員会)が12月に上梓された。「座る祥文」はセレクション柳人『筒井祥文』から、「立つ祥文」はそれ以後の句が収録されている。

あり余る時間が亀を亀にした    筒井祥文
何となく疲れて海に腰かける

今年もこれで終わりだと思っていると、年末になり『石部明の川柳と挑発』(葉文館ブックス、2019年12月25日)が発行されたので驚いた。堺利彦・監修。石部明の若くて元気だったころの写真も掲載されている。石部の作品は比較的よく知られていると思うが、「冬の犬以後」の章から何句か紹介する。

肉体のどこ抱けばいい桜餅   石部明
あぶな絵のちらちらちらと雪もよい
黄昏を降りるあるぜんちん一座

こうして振り返ってみると、以前に比べて今年はずいぶんたくさんの句集・川柳本が発行されたものだ。
最初に短歌フィールドにいる表現者たちの川柳への関心について述べたが、短歌フィールドの表現者である三田三郎や笹川諒も最近は川柳に傾斜してきている。「ぱんたれい」vol.1から笹川諒の作品。

みずぎわ、とあなたの声で川が呼ぶ   笹川諒
ゆっくりと燃えないパフェを食べている 
風鈴を非営利で鳴らしています

もはや川柳界の内部とか外部とか言っている場合ではない。作品としての川柳に関心を持ち、川柳のテクストから刺激を受け取っている作者や読者が徐々に増えてきているのであり、その傾向は来年も続くだろう。

2019年12月22日日曜日

2019年回顧(連句篇)

雑事に追われて更新がままならないうちに年末を迎えてしまった。
大急ぎで今年の回顧だけは書いておきたい。今回が連句篇で、次回が川柳篇の予定。

まず各地の連句大会の入賞作品を見て行こう。管見に入ったものに限られるのはご了解いただきたい。
『2019えひめ俵口全国連句大会入選作品集』から、愛媛県知事賞、歌仙「冬欅」の巻(捌き・西條裕子)。この作品集は選者の講評が充実している。

調律を終へしピアノや冬欅    西條 裕子
 一陽来復願ふ額の字      東條 士郎
忘れゐし応募作品入賞し     三輪  和
 蹲踞の水ふふみ鳥発つ     二橋 満璃
慕ひくるもの慈しむ月まどか      士郎
 夜なべの戸口風の訪ふ        裕子

『第十三回宮城県連句大会作品集』から、半歌仙「花篝」の巻(捌・川野蓼艸)。

花篝結ふては開きまた結ふよ   川野 蓼艸
 蜃気楼より来たと告げる児   瀬間 文乃
春帽子フランスパンを横抱きに  小池  舞
 ロボット犬の沙汰待ちの脚       舞
いづくかに金鈴を振る虫のゐて     蓼艸
 書庫閉ぢかねて拾ふ合歓の実     文乃

「第43回国民文化祭・にいがた2019」、連句の祭典の入選作品集から。募吟の形式は二十韻で、555巻の応募があった。文部科学大臣賞は二十韻「冬林檎」の巻(奈良県、捌・ 松本奈里子)。オモテの四句を紹介する。

逡巡を知らぬ二十歳や冬林檎   松本奈里子
 スノーボードに幾つかの傷   谷澤 節
段ボール箱より猫の覗き居て   平良 孝子
 宅配便は時間指定に        奈里子

国文祭の大会前日には新潟大学附属新潟中学校で中学生との正式俳諧(一般公開)が行われた。
大会当日には実作会の前に、金森敦子の講演「芭蕉は鼠ケ関を越えたのか」があった。
金森には『江戸の俳諧師「奥の細道」を行く―諸九尼の生涯』『お葉というモデルがいた』などの著書があり、かつて愛読したことがある。お葉は竹久夢二のモデル・恋人として知られ、諸九尼は芭蕉の後をたどって『奥の細道』の旅をした女性(『秋かぜの記』)

宮城野や行きくらしても萩がもと  諸九尼

講演では関所と番所の違いや手形などについて当時の旅の詳細が説明され、「尿前の関で難渋したのは何故か?」「芭蕉と曽良は何故中山越を選んだのか」「芭蕉は鼠ケ関を越えることができたか?」など興味深いお話が続く。『奥の細道』には「鼠の関を越ゆれば、越後の地に歩みを改めて」と書かれているが、庄内藩の番所規定や道路状況などに基づいて推理していく過程はスリリングだった。

鹿児島県連句協会では設立三周年を記念して形式自由の募吟を行い、『全国連句大会応募作品集』が発行されている。
狩野康子選の大賞は非懐紙「時の余白」の巻(捌・静寿美子)。最初の四句を紹介する。

青葉風時の余白にたはむるる    静寿寿美子
 絵筆で計る初夏の山       鵜飼桜千子
豆パンの限定百個売り切れて      寿美子
 招待券は三階の席          桜千子

日本連句協会では「連句」の広報・拡散のためにYouTubeを作成している。初回が小島ケイタニーラブ(みんなの歌に楽曲を提供しているミュージシャン)、第二回が中原中也賞受賞者の詩人・文月悠光。第三回は女性講談師の日向ひまわり。第四回がラッパーのSHINGО☆西成。第五回はミュシュランガイド掲載の料理人、今村正輝が出演している。全五本のうち、現在第三回まで公開されている。「#ミーツ連句」で検索していただきたい。
この企画を推進しているのが、日本連句協会の広報担当・山中たけをである。連句にもこういうノウハウをもった人が現れてきた。

次に今年創刊された連句誌をふたつご紹介。
連句誌「みしみし」が4月に創刊され、現在3号まで出ている。三島ゆかりは2009年からネット上で歌仙を巻いていたが、紙の印刷物として発行したもの。3号では歌仙三巻と三島による評釈のほか、参加者による短歌・俳句・川柳作品が掲載されている。「あとがき」によると、なかはられいこ・倉富洋子の川柳誌「We Are!」の影響を受けたという。
日大芸術学部出身の二三川練は歌人としても活躍しているが、このほど連句誌「カクテル」を創刊。形式はオン座六句で、三巻収録されている。継続して発行されることを期待している。
連句誌に連句作品が掲載されるだけではなくて、最近では俳句同人誌にもちらほら連句が掲載されるようになった。「オルガン」19号ではオン座六句「しやつくり」が掲載されている。これは雑の発句ではじまっている。

オン座六句の創始者、浅沼璞は今年句集『塗中録』(左右社)を上梓した。
「あとがき」によると、これまで浅沼が句集を編まなかったのは、編集主体が立ち上がってこないという根本的な難問があったからだという。
「一句詠むごとに主体(みたいなもの)はどんどん変わっていく。一句一句ですらそうなのだから、句集を編むともなれば、かなり複雑な話になってくる」
編集主体とは「連句の捌き手」のような役割だと浅沼は言う。

御田植や神と君との道の者   西鶴
 核を手挟む畦の薫風      璞

文月や六日も常の夜には似ず  芭蕉
 露をおきたるサラダ記念日   璞

亀甲の粒ぎつしりと黒葡萄   茅舎
 手足の生えて動きだす月    璞

最後に別所真紀子の新作を紹介しよう。
江戸時代の女性俳諧師について、別所真紀子の仕事はよく知られている。
『芭蕉にひらかれた俳諧の女性史』をはじめ『「言葉」を手にした市井の女たち』などで別所は江戸時代の女性俳諧師たちを研究・紹介した。『雪はことしも』で歴史文学賞を受賞したあとは、芭蕉をはじめとする俳諧師を主人公とする小説を次々と発表している。
別所は俳諧小説の第一人者なのである。彼女が取り上げたヒロインが五十嵐浜藻だ。『つらつら椿』『残る蛍』は浜藻歌仙帖シリーズとなっている。そして、このほど『浜藻崎陽歌仙帖』(幻戯書房)が刊行された。「﨑陽」は長崎のこと。五十嵐浜藻と父の梅夫との長崎でのできごとをフィクションで描いている。連句実作の機微を小説化できるのはこの作者だけだろう。ご一読をお薦めする。

2019年11月30日土曜日

暗く明るい11月・連句の日々

11月2日
「第24回国民文化祭にいがた2019」に出席のため、伊丹空港から新潟へ飛ぶ。
新潟ははじめてゆく土地であるが、私にとって新潟は坂口安吾の誕生地として一度は訪れたい場所だった。安吾の『吹雪物語』は観念的で読みにくく、何度も途中で放棄したことがあるが、今回は旅行の前に最後まで読み通した。
「暗さは退屈だ」(『吹雪物語』)
安吾碑「故郷は語ることなし」を見たあと、「安吾風の館」に行く。檀一雄は新潟に来るたび安吾碑を訪れたという。安吾が屹立して日本海を眺めているような碑である。
翌日11月3日は新潟大学教育学部付属新潟中学で連句大会。
発句「鵯や安吾の石碑越えて飛ぶ」で二十韻を巻く。
さらにもう一泊して4日には『吹雪物語』に出てくるイタリア軒に行く。ただし、小説ではイスパニア軒になっている。
この3日間、新潟は天候に恵まれ明るかった。砂丘館では「明るい絵」という展示会があった。曇天の新潟と日本海を思い描いていた私のイメージとは少し異なっていた。

11月9日
日本連句協会の理事会に出席のため、東京へ。
前日の8日に東京入りし、柴又の帝釈天を訪れる。
本堂の外壁は彫刻ギャラリーになっていて、テレビの美術番組で紹介されているのを見て以来、訪れたいと思っていた。予想以上の作品群だった。
夜は渋谷のスクランブルスクエアへ。渋谷スカイがオープンしていて夜景を見る。
(平岡直子が文学界12月号のエッセイで渋谷のことを書いていて、これは後から読んだ。)
翌日9日は渋谷の会議室で理事会。2021年に和歌山県で開催される国民文化祭について報告する。現在、和歌山市の県民文化会館で「連句とぴあ和歌山」という連句会を二ヶ月に一度開催している。来年1月からは西牟婁郡上富田町で連句会を開催する予定。

11月16日
「奈良県大芸術祭」連句の祭典に出席のため奈良へ。会場は近鉄奈良近くの奈良県文化会館。狭川青史・東大寺長老の発句「わが前の月光佛や雪明り」をいただいて、半歌仙を巻く。

11月22日
斎藤悟朗氏の絵を見るため、天王寺の大阪市立美術館で独立展に行く。
斎藤さんの画風は「三河の赤絵」として知られている。
ルーブル美術館で日本人としてはじめてモナ・リザの模写を許可されたことでも有名。
彼は連句人でもあって、以前は画廊連句をときどき開催していた。個展の会場にノートを置いておいて、来場者に句を付けてもらうのである。
氏の絵には古今東西の様々な人物が描き込まれていて、ディテールを読む楽しさがある。今回も芭蕉と曽良がちゃんと描かれているのだった。
夜は中崎町で連句会。最近、若手歌人で川柳や連句に興味をもつひとが増えている。ほぼ同じメンバーで10月に巻いた半歌仙があるので、続きを付けて歌仙にして巻き上げる。はじめての方には連句の共同制作のやり方が新鮮だったようだ。
連句会が終った後、葉ね文庫に「川柳スパイラル」7号を納品する。

11月24日
「新宮で歌仙を巻く」というイベントが新宮ユーアイホテルであり、特急くろしおに乗って新宮へ。辻原登・永田和宏・長谷川櫂の三人で『歌仙はすごい』(中公新書)が今年出版され、人気が高いようだ。新宮の佐藤春夫記念館が創立30周年を迎え、その記念イベントとして「歌仙を巻く」という企画が実現されたという。
私は往復はがきで申し込んだが、すぐに定員締切となったものの、幸い整理券を手に入れることができた。出席者130名。当日は、歌仙の名残りの表までが呈示され、最後の名残りの裏六句を会場の参加者に出してもらったあと、パネラー3人の作品を公開するというやり方だった。新宮の参加者はとても熱心に付け句を出していた。
イベントがはじまる前に速玉大社と佐藤春夫記念館を訪れた。佐藤春夫記念館は東京にあった春夫の自宅を移築したもの。佐藤春夫好みの世界を実現した空間と言われ、特に二階の狭い部屋で原稿を書いていたのは印象的だった。その狭い空間に置いてある机の前にしばらく坐って、佐藤春夫の世界を追体験した。


別所真紀子の連句小説『浜藻崎陽歌仙帖』(幻戯書房)、浅沼璞の句集『塗中録』(左右社)などそれぞれの表現者が着実に仕事を進めている。
安吾で始まった11月ももう終わりになってしまった。
太宰治の小説の一節が何となく思い出される。
「明るさは滅びの姿であろうか」(『右大臣実朝』)

2019年10月25日金曜日

暮田真名の二年間

10月13日に予定されていた暮田真名『補遺』の句評会が台風の影響で中止となった。
レポーターに平岡直子・柳本々々・武田穂佳を迎え、参加申込みも多かったように聞いている。「推し句」のプレゼンバトルではレポーターたちが句集から推薦句を述べたあと、どの句が一番よいか、勝敗を来場者の投票で決めるという企画もあった。特に若い世代の参加者との交流を期待していたので、中止は残念なことだったが、改めて開催を望む声も多いので次の機会を待ちたい。

「川柳 杜人」263号に暮田は「川柳人口を増やすには」という文章を書いていて、次のように言っている。
「はじめに、私が川柳と出会った経緯を述べる。個人的な話で恐縮だが、当時学生短歌会、俳句研究会に所属する大学2年生だった私が川柳と出会った経緯を記すことは、若年層の川柳への入り口を考える際の一つのサンプルになるだろう」
暮田の川柳との出会いは瀬戸夏子経由だったようだ。新宿紀伊国屋で行われた「瀬戸夏子をつくった10冊」というブック・フェアで、暮田ははじめて川柳句集を手にとったという。さらに、2017年5月に開催された「川柳トーク 瀬戸夏子は川柳を荒らすな」に暮田は参加している。私がはじめて彼女に会ったのもそのときで、句会では暮田の川柳を私と瀬戸のふたりとも抜いている。

印鑑の自壊 眠れば十二月   

「私」が壊れているとは言っていない。印鑑が自ら壊れるのだという。そして、眠ればすでに十二月になっている。全体は十七音だが、8音+9音の取り合わせと一字開けは充分に効果的だ。これが暮田の最初の川柳作品で、『補遺』では巻頭に置かれている。
二か月後の「川柳スパイラル」東京句会(2017年7月23日)にも暮田は参加。このときも好成績だった。

狩人とばかなダンスを考えた  
分度器の森の小鳩は狩りません
真昼間の音楽室の渦づくし

「川柳スパイラル」2号から彼女は会員になり、4号では「吉田奈津論」を書いている。
2号の会員作品欄の冒頭に暮田の句が掲載されている。次の二句は『補遺』にも収録されているので、比較的知られている作品である。

常夏の棘だドレスだ常冬だ       
いけにえにフリルがあって恥ずかしい

この句について同号の「ビオトープ」で私は次のように書いた。
「衣裳の句だが、『棘』『いけにえ』によって川柳にしている。『いけにえ』というのだから危機的な状況にあるはずだが、そんな時にも女の子は羞恥心を失わないのだ。この句は深刻な状況というより、コミックの一場面として軽くとらえるのが正解かもしれない。恥ずかしがっているのが、いけにえにされる方ではなく、いけにえにする方だと読めば無気味さが出てくる」
この感想の当否は別として、暮田の句の新鮮な感性には驚いた。
このころ、私は暮田のことを歌人と思っていて、若くて才能があるのなら短歌フィールドで活躍するべきだと考えていた。「川柳は何も支えない」というのがそのころの私の思いだったし、一時的に川柳に関心をもつ人がやがて川柳から離れていくのをそれまで経験していたからである。だから、このころの私は暮田の本気に対して必ずしも正面から向き合っていなかったかもしれない。
しかし、暮田は「川柳スパイラル」に投句するだけではなくて、ネットプリント「当たり」を創刊(2017年11月)、大村咲希の短歌とペアで自らの川柳作品の発表を続けた。また飯田章友らのブログ「川柳スープレックス」にも参加。川柳フィールドで意欲的に活動をはじめた。「当たり」から何句か引用しておこう。

シジミチョウなぐさめようとして初犯 
恐ろしくないかヒトデを縦にして 
見晴らしが良くて余罪が増えてゆく
どうしてもエレベーターが顔に出る
職業柄生き返ってもいいですか
恍惚の高野豆腐を贈りあう
こんばんは天地無用の子供たち

今年5月の文学フリマ東京にあわせて暮田は第一句集『補遺』を発行した。ネットプリントを一冊にまとめた『当たりvol.1‐vol.10』も同時発行。
暮田がはじめて川柳を作ったのが2017年5月だから、句集発行までちょうど2年である。『補遺』の表紙にも2017‐2019 と明記されている。新しく登場した川柳人が句集一冊を世に問うという姿勢は従来あまり見られなかったことである。今でこそ川柳句集が数多く出るようになったが、生涯に一冊の句集が作者の死後に上梓されるなどということが以前はよくあった。山村祐が「句集は墓碑銘ではない」と書いたのは1957年のことである。
『補遺』によって暮田は川柳にデビューした。もはや暮田の本気を疑うものはいない。補遺から逆に、暮田真名の川柳の第一章、第二章が続いてゆくことだろう。

2019年9月20日金曜日

『蕪のなかの夜に』と『ぱんたれい』

9月8日(日)、「第7回文フリ大阪」がOMMビルで開催された。
第三回以降、毎回出店していたが、今回は申し込むのを忘れて出店できなかったのは残念である。そのかわりに、会場近くのエル大阪で「川柳スパイラル」大阪句会を開催し、句会を早めに切り上げて文フリに行くことにしたが、これがまた失敗だったようで、文フリだけでなく他の川柳句会ともバッティングして、参加者がいつもより少なかった。ただし、少人数の句会にも良い点があって、突っ込んだ議論ができる面もある。
さて、今回は文フリで手に入れたものの中から二冊紹介しよう。

まず、フクロウ会議の『蕪のなかの夜に』。
ツイッターによると「フクロウ会議とは、八上桐子、牛隆佑、櫻井周太による川柳と短歌と詩の3ピースユニット。無所属の3人が無所属のまま集まって何かをしてみよう、とかそういうもの」ということで、今春結成された。
まず、八上桐子の川柳作品「はぐれる鳥」から。

もえて燃えきってひかりにふれる白    八上桐子
夢の川シーツのしわの深い流れ
逢うまでの記憶らしき水、日射し
とくべつな骨ははぐれてしまう鳥
しろい夜のどこかで蕪が甘くなる

「白」「夢」「水」「鳥」などのキイ・イメージが使われ、句集『hibi』につながるような世界が表現されている。作品の最後に「もう夢に逢うのとおなじだけ眩し」(小津夜景『フラワーズ・カンフー』)が挙げられているので、おや?と思った。エピグラフは普通巻頭に置かれるが、最後にさりげなく示されている。
『フラワーズ・カンフー』は旧かな使用だから、小津の元句は「もう夢に逢ふのとおなじだけ眩し」。「西瓜糖の墓」の章にあり、ブローティガンの『西瓜糖の日々』をモチーフにした句群である。
小津の句は八上の好む眩しい夢の世界のイメージで、八上はさらにそれを自らの作品に多彩に変容させていったのだろう。現実生活から川柳を作るのではなくて、文学的イメージから川柳作品を作るやり方である。
八上はまた「うすい家」の章で短句にも挑戦している。

一度逆らうストローの首
名付けるまでをサミダレと呼ぶ
よく似た骨を抱き上げる骨

短句(十四字)は十七音とは別のもうひとつの川柳の一体として従来から書かれてきたが、最近ネットなどで流行してきている。
第一句集『hibi』を出したあとも、八上の活躍はめざましい。句集を出すとそこでしばらく休止してしまい、次に進むエネルギーが枯渇してしまうことが多いのだが、それは彼女には無縁のようだ。
櫻井周太は良質の抒情詩を書いている。引用するスペースがないが、回文詩も収録されていて、長編の回文になっているのが驚かされる。ご一読いただきたい。
牛隆佑の短歌「たぶんせぶんいれぶん」から。

離島のようなさみしさがあり橋をゆく最終バスでそこへ渡った  牛隆佑
工事中だからまだ分からないけれど煉瓦調だからたぶんせぶんいれぶん
秋であるそしてなおかつ雨である 大人になってしまったとしても
真夜中のシンクに落ちる水滴の 谷間の水はささやいている
コンビニのドアは硝子で自動だしドアの自覚が足りないのでは

最後に「フクロウ会議の会議」が収録されていて、これは2019年4月7日の合評会の記録。「蕪のなかの夜に」をテーマに歌人・詩人・俳人・川柳人たちが集まった。参加者は同人三名のほか池田彩乃・江口ちかる・江戸雪・小池正博・曾根毅・中山奈々・疋田龍之介・木曜何某。

もう一冊、笹川諒と三田三郎による同人誌「ぱんたれい」vol.1をご紹介。
この二人は今までネットプリント「MITASASA」を発信してきたが、今回冊子としての活動をはじめた。パンタ・レイは古代ギリシアの哲学者・ヘラクレイトスの万物流転の思想だが、そんな意味とは別に、音のおもしろさでタイトルにしたらしい。表紙にパンダなどの動物のイラストが使われているところに俳諧性がある(短歌で俳諧性というのも変だが)。
最初に同人作品として二人の作品が10首ずつ掲載されている。

それがもし地球であれば雨の降るさなかにあなたはこころを持った   笹川諒
そうやって天気予報の言いなりになるならもっと派手に降れ雨     三田三郎

たまたま「雨」を素材とする二首を並べてみた。この二首だけで両者の資質を云々することはできないが、笹川の方が抒情的であり、宇宙論的な視点が見られる。三田の方は諷刺的・批評的であり、日常的な自己から離れていない。三田は「特急よ直進だけじゃ飽きるだろうたまには空へ向かっていいぞ」(「MITASASA」2号)、「今日は社会の状態が不安定なため所により怒号が降るでしょう」(「MITASASA」3号)などの歌も詠んでいて、川柳にも通じるような諷刺的視点が見られる。
ゲストとして、石松佳、西村曜、法橋ひらくの作品が掲載されている。

春の日のふりした夏日僕たちは嗜みとして深爪をする     西村曜
そういうの嫌なんだよな連休が明けるたんびに何してた?って 法橋ひらく

石松佳の「ZOO」は動物園の猿を素材とした詩だが部分的な引用はひかえておく。
「MITASASA」のバックナンバーが収録されているのも便利である。
三田の方が川柳的と述べたが、意外なことにで笹井諒の方が川柳作品を発表しているのに注目した(「MITASASA」4号)。この人は川柳も書ける資質をもっている。

みずぎわ、とあなたの声で川が呼ぶ     笹川諒
ゆっくりと燃えないパフェを食べている
幾たびも起死回生の鍋つかみ
風鈴を非営利で鳴らしています
雨雲にどこかヒッタイトの気配
Y字路のどれも動物園に着く
未来ではリンゴ飴だけ同じ味
搾りきることのできない月でした

三田三郎には歌集『もうちょっと生きる』(発行・諷詠社、発売・星雲社)があり、今回の編集後記で三田は歌集を出した経緯について触れている。
葉ね文庫の池上規公子が創刊にあたってのメッセージを寄せている。葉ね文庫での笹川と三田の様子がスケッチされていて、この二人の資質がシンクロしたことがうかがえる。
最後に三田の歌集から引用しておこう。

人類の二足歩行は偉大だと膝から崩れ落ちて気付いた   三田三郎
転ぶのは一つの自己というよりも七十億の他者たる私
ほろ酔いで窓辺に行くと危ないが素面で行くともっと危ない
水道を出しっぱなしにすることは反抗とすら呼べないだろう

2019年9月13日金曜日

古代ギリシャ柳人 パチョピスコス

「触光」63号(編集発行・野沢省悟)が届いた。
同誌62号に発表された第9回高田寄生木賞のことが話題になっている。
五十嵐進の前号鑑賞は〈「パチョピスコス」や「らいら」の存在を教示された前号だった〉ではじまり、芳賀博子の「おしゃべりタイム」では〈第9回高田寄生木賞受賞作は、森山文切さんの「古代ギリシャ柳人 パチョピスコス」。そのタイトルを見てびっくりしました。実は発表誌が届くちょうどひと月前のこと。他誌の連載でパチョピスコス氏こと森山文切さんに電話取材し、同タイトルの一文を書いたところだったからです〉とある。

芳賀の同タイトルの文章はまだ読んでいないなと思っているところへ、「船団」122号が届いた。(「船団」前号で坪内稔典が「散在(解散)」を宣言して世間をアッと驚かせたのは記憶に新しい。)芳賀の連載「今日の川柳」は47回目になるが、そのタイトルが「古代ギリシャ柳人パチョピスコス」。芳賀はこんなふうに書いている。

ここはアポロンの神託書。ある日、古代ギリシャ柳人パチョピスコスは神託を授かった。
「川柳を広めよ」
その瞬間「ピカ―みたいな、フワーみたいな」感覚に見舞われるも、神からの具体的な指示はない。そこで、
「取り急ぎTwitterなるものを始める。川柳に関する疑問は #教えてパチョピスコス で我に質問せよ」

パチョピスコスというネーミングの由来だが、川柳は難しくものではなく「パッとやってチョッとやってピッでできる」ということらしい。そういえば以前「川柳は紙と鉛筆があればできる」なんて言われていましたね。
芳賀が紹介している「僕は川柳の営業をやります」という発言は、私もその場にいて聞いていたが、確かに川柳には営業(流通)が欠けている。作品(商品)はあっても、それを売る人がいないのだ。森山は自ら営業マンを買って出た。
「川柳スパイラル」3号の「小遊星」のコーナーでは飯島章友が森山文切と対談している。森山が運営している【毎週web句会】の発信力は半端ではなく、川柳に関心をもつ層がずいぶん広がった。飯島と森山の対談の一部を紹介すると―。

飯島 さて【川柳塔】webサイトを拝見すると、「若手同人ミニエッセイ」の欄があるし、「同人・誌友ミニ句集」の欄では若い人の作品も閲覧できます。このあたり、やっぱり川柳塔としては意識的に行っているんですか?
森山 そうですね。意識的に行っています。おっしゃるように若手を押し出すことで活性化になると思います。人材育成の観点からも若手に積極的に参加してもらっています。若手同人エッセイの担当者はいわゆるアラフォーで、世間一般では中年です。この層がバリバリの若手というのが川柳界の厳しい現状です。私たちより下の世代がもっと増えてくるといいのですが、そのためにも結社内の若手を集めた企画の実施を通して、コアを固めておくことが重要と考えています。

「触光」62号に掲載された「古代ギリシャ柳人 パチョピスコス ―インターネットによる川柳の普及―」を改めて読み直してみると、「教えてパチョピスコス」に寄せられた川柳に関する疑問には次のようなものがあるという。

・結社に入るメリットとデメリットは?
・初心者が句会に出るための心構えは?
・選者制と互選の違いは?
・誌上句会とは何か?

川柳の句会がどういうものか一般にはあまり知られていないようだし、はじめての人が川柳句会に参加するのはけっこうハードルが高いと思われているのかもしれない。
森山の【毎週web句会】は平成28年4月にスタートし、投句者は6人。以下、二回目11人、三回目22人と増えていった。投句者の8割以上は結社に所属するなどの川柳人だったという。
転機は平成30年8月にやってくる。「いちごつみ」を実施したのだ。
前の人の句から一語選んで自分の句に使い、次の人も同じことを繰り返してつないでゆく。尻取りとは違うので、前の句のどの語を選ぶかは自由である。
「いちごつみ」はもともと短歌の界隈で流行っていたので、短歌をしている層の目にとまり、投句者が50名前後に増えたという。
以上のような経験から、森山は川柳の普及に必要な事項を三点挙げている。

・サイトやSNSなどネットなどネットによるアピールは有効である。
・活動を継続すること。
・きっかけを掴むこと。

句会に自足するのではなく、森山のように川柳の発信について戦略的に考える川柳人が現れてきたことは心強い。来年1月19日に開催される「文学フリマ京都」では、「川柳スパイラル」と「毎週web句会」のブースが隣接配置されることになっている。文フリへの川柳の出店がはじめて複数になるが、そのことによって川柳の存在感を少しでもアピールできればいいと思っている。

2019年8月17日土曜日

現代川柳と現代短歌の交差点

9月28日(土)15:00~17:00、梅田蔦屋書店で「現代川柳と現代短歌の交差点」というイベントが開催される。歌人2名と川柳人2名によるトークに簡単な川柳句会とサイン会が付く。岡野大嗣・なかはられいこ・平岡直子・八上桐子という珍しい顔ぶれで、司会は小池正博。梅田蔦屋書店ではこれまでもさまざまなトーク・イベントが実施されてきたが、川柳が加わっての開催ははじめてとなる。

すでに旧聞に属するが、6月25日~7月7日に東京・高円寺で『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』(ナナロク社)の展覧会があった。
私は連句協会理事会に出席のため7月5・6日に東京にいたが、時間の都合がつかずに会場へ行くことができなかったのは残念だった。ネット情報では、歌集に掲載された全217首とともに、詩人・谷川俊太郎の詩、小説家・舞城王太郎による小説、マンガ家・藤岡拓太郎によるマンガなど、コラボ作品が展示されたということだ。
この歌集は木下龍也と岡野大嗣がそれぞれ男子高校生に成り代わって、7日間を短歌で描いた、役割詩による物語だが、興味深いのはその7日間が7月1日~7日であって、展覧会の開催と重なることである。
よく知られている歌集だが、二人の作品を何首か引用しておこう。

まだ味があるのにガムを吐かされてくちびるを奪われた風の日    木下龍也
この夏を正しい水で満たされるプールの底を雨は打てない
ぼくはまたひかりのほうへ走りだすあのかみなりに当たりたくって

近づいて来ているように見えていた人が離れていく人だった     岡野大嗣
本当に言いたいことがひとつだけあるような気があると思います
自販機で何か一匹出てきました持ち帰ったら犯罪ですか

岡野は現代川柳にも理解のある歌人のひとりである。
特に飯田良祐の川柳作品を評価して、ネットで推していただいたことがある。それで2016年7月に「飯田良祐句集を読む集い」を開催したときに、岡野をゲストに招いて話をしてもらった。そのとき岡野が挙げた飯田良祐作品は次のようなものである。

下駄箱に死因AとBがある   飯田良祐
バスルーム玄孫もいつか水死体
ポイントを貯めて桜の枝を折る
母の字は斜体 草餅干からびる
吊り下げてみると大きな父である

「飯田さんのことは、イラストレーターの安福望さんに教えてもらって知りました。飯田さんの句が孕んでいる、早退の帰路にガラ空きの電車から見る夕焼けのような痛みに強く惹かれます」と岡野は語っている。

なかはられいこ句集『脱衣場のアリス』(北冬舎)はもう手にはいらないのかと聞かれることがあるが、もう一冊も余分がないそうで、古本とかアマゾンで買うしかない。
この句集は2001年4月発行で、『現代川柳の精鋭たち』(北宋社、2000年7月)とともに現代川柳が話題になる契機となった。「WE ARE!」3号(2001年12月)に掲載された「ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ」という句は現在でもしばしば取り上げられている。
『脱衣場のアリス』の巻末対談「なかはられいこと川柳の現在」には石田柊馬・倉本朝世・穂村弘・荻原裕幸が参加していて、この時点における短歌と川柳の相互認識を浮き彫りにするものとなっている。特に「えんぴつは書きたい鳥は生まれたい」というなかはらの句に対する短歌側と川柳側の評価の違いは両ジャンルの考え方の差を如実にあらわしていたと記憶している。
その後、なかはらは「ねじまき」句会を発足させ、現在「川柳ねじまき」は5号まで刊行されている。また、『15歳の短歌・俳句・川柳』(ゆまに書房)の編集もなかはらの大きな仕事である。

あいさつの終わりにちょっとつける雪  なかはられいこ
おい森田、そこが夏だよ振りぬけよ
サボテンに赤い花咲くそうきたか

平岡直子は「率」の活動のほか『桜前線開架宣言』(左右社)の収録作品でも注目された。
彼女の批評の冴えは昨年連載の「日々のクオリア」(砂子屋書房)で認められ、最近では短歌同人誌「外出」に参加している。
平岡も現代川柳と交流のある歌人のひとりで、「川柳スパイラル」東京句会にも何度か参加し、実際の句会・実作を通じて交流がある。「川柳とは何か」という抽象的な議論ではなくて、実作を通じて川柳の手ざわりや特性を語り合うことのできる段階にきているのだ。瀬戸夏子と平岡直子、我妻俊樹などの川柳作品集『SH』は文フリでも販売され、川柳としてクオリティの高いものになっている。

蟻の巣に蟻のサクセス・ストーリー  平岡直子
口答えするのはシンクおまえだけ
さかさまの壺が母系にふさわしい
魔女のおふたりご唱和ください
いいだろうぼくは僅差でぼくの影
すぐ来て、と水道水を呼んでいる 
雪で貼る切手のようにわたしたち
星の数ほど指輪のいやらしい用途

八上桐子句集『hibi』についてはこの欄で何度も紹介したが、句集を発行したあと八上はさらに活動領域を広げている。八上桐子、牛隆佑、櫻井周太による川柳と短歌と詩のユニット、フクロウ会議が結成され、最初の作品集『蕪のなかの夜に』が8月末には発行されるという。葉ねかべには現在、八上と升田学のコラボが展示中である。
句集『hibi』は広く話題になり、増刷もされたので、周知のことだろうが、何句か掲載しておく。

そうか川もしずかな獣だったのか   八上桐子
くちびると闇の間がいいんだよ
ふくろうの眼に詰めるだけ詰めて
向こうも夜で雨なのかしらヴェポラップ
歩いたことないリカちゃんのふくらはぎ
その手がしなかったかもしれないこと
藤という燃え方が残されている
からだしかなくて鯨の夜になる

以上四人の表現者たちが短歌・川柳について語り合うことになる。どういうことになるかは当日のお楽しみ。第一部はトーク、第二部は短時間だが川柳句会も行われる。事前投句作品をパネラーが選句して講評する予定。
参加申し込みは梅田蔦屋書店のホームページから。9月28日までにイベントがいろいろあるので、すぐには該当ページが出てこないかもしれないが、9月の分をクリックすればこのイベントが出て来るはず。申し込みのときに、よろしければ雑詠一句を投句してください。念のため、蔦屋書店のアドレスは次の通り。

https://store.tsite.jp/umeda/event/humanities/7751-1431560626.html

2019年8月11日日曜日

地域川柳史への試み

「川柳スパイラル」6号は「現代川柳の縦軸と横軸」という特集で、藤本秋声「京都柳壇伝統と革新の歴史」、桒原道夫「『川柳雑誌』発刊までの麻生路郎」を掲載している。現代川柳の通史はほとんど見られず、地域に特化した川柳史となると斎藤大雄『北海道川柳史』など少数のものしか思い浮かばない。もちろん『番傘川柳百年史』『麻生路郎読本』『札幌川柳社五〇年史』など結社を中心としたものはまとめられており、各地の結社誌にはその地域の川柳史が掲載されているのかも知れないが、なかなか管見に入らない。「川柳カード」8号(2015年3月)には浪越靖政「北海道川柳の開拓者たち」を掲載し、各地域の川柳史に繋げたかったが、あとが続かなかった。現代川柳は通時的・共時的にとらえる必要があると私は思っていて、そのことによって川柳人それぞれの「いま」(現在位置)が自覚されることになる。

藤本秋声は「京都番傘」に所属、個人誌「川柳大文字」を発行し、京都の柳社と柳誌、川柳家列伝などを連載している。「川柳大文字」についてはこの時評でも紹介したことがある(2018年2月25日)が、川柳史の掘り起こしとして貴重な作業であり、「川柳スパイラル」に寄稿をお願いしたところ、さっそく原稿を送っていただいた。ところが、彼は6月に急逝された。4月の「筒井祥文を偲ぶ会」では短時間だったが言葉を交わしたのに、思いがけないことだった。彼の残した仕事に改めて向きあいたいと思っている。

藤本の原稿は次のように書き出されている。
「京都は伝統と革新が共存する町と言われてきた。伝統と革新は対立したものとして捉えがちだが、両者は密接に関係し合い文化は成長発展する。川柳も例外ではない」
「伝統と革新」という捉え方は今日ではあまり使われなくなったが、川柳史を整理するときには必要な視点である。
関西の新川柳(近代川柳)は大阪の小島六厘坊からはじまるが、斎藤松窓(六厘坊の学友)や藤本蘭華などが京都における草創期の川柳人である。大正期に入り「京都川柳社」が創立され、以後「平安川柳社」による統合まで、京都柳壇の本流となる。「京都番傘」は昭和初期に創立され、紆余曲折を経て現在に至る。藤本は伝統系・革新系のさまざまな柳社と川柳誌の消長を丁寧に記述している。
私が特に興味をもったのは、川井瞬二を中心とする戦前の革新系の川柳人の動向である藤本はこんなふうに書いている。
「舜二は伝統川柳からの脱却を訴え、詩性川柳を唱えた。舜二の試みはまったく新しいもので『木馬』の川柳革新運動は揶揄する者、賛同する者ある中、概ね京都柳界では将来への希望として歓迎されたようだ。昭和7年『川柳街』は『木馬』『川柳タイムス』らと合併して『更生・川柳街』となり、京都川柳社、京都番傘を凌ぐ京都で最大の柳社となる。舜二は革新の先鋒となり多くの若い作家に影響を与えるが、翌年病死する」
「最も舜二の影響を受けたのは宮田(堀)豊次であった。舜二の川柳観は宮田兄弟らの『川柳ビル』に受け継がれる。戦後は新興の結社を巻き込み、昭和32年の京都柳界統合の『平安川柳社』に至る」
藤本の個人誌「川柳大文字」のすごいところは、川柳史の記述だけではなくて、そのもとになった資料(川柳誌のコピー)が添えられているところにある。以前私は堀豊次に「川柳ビル」は手元にありますかと尋ねたことがあるが、一冊も残っていないということだった。それが、藤本にもらったコピーで一部だけではあるものの、目にすることができたのは嬉しかった。
ここでは川井俊二と安平陸平の作品を紹介しておこう。陸平は「川柳ビル」同人で、33歳で夭折した川柳人である。

口笛にふと寂しさが吹けてゐる    川井瞬二
断髪のある日時計が動かない
壁にゐる俺はやつぱり一人かな
時計屋の十二時一時九時六時
戦争の悲惨さを知り恋を知り
恋人の背中をたたけば痩せてゐる五月
蜥蜴颯つと背筋に白い六月よ

子猫が足らんと親猫泣いている    安平陸平
その鞭はその鞭は我が鼻の先
蛇の舌あくまで嫌はれやうとする
大きな蜘蛛は大きな巣を作り
馬―カツと馬子を蹴るかも判らない
長い指短い指で五本ある
散る櫻私は何も思はない

次に大阪の川柳史に移ろう。
桒原道夫の文章は次のように始まっている。
「麻生路郎は、社会を対象とする『川柳雑誌』を大正13年2月に発刊し、川柳の社会化に邁進した川柳人である。本稿では、『川柳雑誌』を発刊するまでの路郎の歩みを、路郎が関わった雑誌や人物を通して概観する」
川柳塔社からは『麻生路郎読本』がまとめられているが、『麻生路郎読本』については2010年11月12日の時評で取り上げている。
桒原の原稿は麻生路郎の交友関係をたどることによって、大阪川柳史をカバーするものとなっている。地域川柳史といっても、大阪・京都・神戸は影響しあっており、人的交流も分けられない面がある。斎藤松窓の名は藤本と桑原の文章の両方に出てくる。
大阪の川柳史は比較的なじみのあるもので、川上日車や木村半文銭は私好みの作家である。
桒原の引用している作品を挙げておく。

マツチ擦つてわづかに闇を慰めぬ     青明
堪へ難し野に入り森を出て又野     半文銭
よりかゝる鉄柵に湧く淋しさよ     路郎
日曜を秋となり行く日のさびし     五葉
鐘の音に夏と秋とが離れゆく      由三
戀せよと薄桃色の花が咲く       龍郎

龍郎は岸本水府。引用句に「淋しさよ」「さびし」などの語が出てくるのは、主観句の時代だったからだろう。
日車と半文銭は、大正12年2月、「小康」を発刊する。路郎も誘われたが、断っている。桑原がその理由を挙げている部分が興味深い。

・「雪」「土團子」「後の葉柳」と雑誌を出して失敗した苦痛を繰り返したくない。
・川柳を知っているという社会の一部の人達を相手にして雑誌を出すことは不賛成である。
・短歌や俳句の域にまで芸術的価値を認めさせるべく、川柳を知らない人に川柳を読ませる必要がある。
・芸術的なものを残そうとするなら、日車、半文銭、森田森の家、路郎の四人だけの作品を発表する雑誌でよい。
・立場の違う人まで引き込んで「小康」を発刊するのは、結果が分かっているので、行動を共に出来ない。

以上、藤本と桒原の文章によって京都と大阪における近代川柳史を見てきたが、関西に限っても結社と川柳誌の興亡はより多岐にわたっている。ベテランの川柳人は手持ちの客観的資料に基づいて記録を残しておく必要があるし、若き研究者による近現代川柳史の探求が待ち望まれている。

2019年8月2日金曜日

「川柳カモミール」第3号

青森県八戸市で発行されている川柳誌「カモミール」(発行人・笹田かなえ)のことは創刊号のときに紹介したが、このほど第三号が発行された。三浦潤子・守田啓子・細川静・滋野さち・笹田かなえの各20句に吟行の記録が付く。また、一句評を羽村美和子と飯島章友が書いている。結社ではなく、数人のグループによる川柳の発信として注目され、いま川柳の世界でどのような作品が書かれているかを知る手がかりとなる。以下、五つの観点から紹介してみたい。

1 私性の表現

夏の私はスイカとキミで出来ている   三浦潤子
私のふちにご注意こわれます      守田啓子
僕が子宮にいたころの話だよ      細川静
ベンガラ塗って下さい 私の骨らしく  滋野さち
わたしにはりんごをくれるひとがいる  笹田かなえ

「私性川柳」という言い方がいまどのような範囲で使われているか分からないが、「私」の表現はかつて現代川柳の一角を占めていた。作者の生活や人生の直接的表白として重視されていたのである。ただ、「私」の表現といってもそのカバーする領域は広いから、日常生活の一場面における感慨からはじまり、病気や貧困などの深刻な苦悩の表現、心の深部へ向かう探求、「虚構の私」を用いた作品に至るまで、さまざまなレベルが考えられる。掲出の作品が従来の境涯句としての「私」をどのように乗り越えているかが読みどころだろう。
一人称の「私」や「僕」が頻出するのは現代川柳の特徴のひとつだが、「私」にもさまざまなニュアンスがある。作者自身と重なるような私小説的「私」は本誌ではもはや見られない。

2 ペアの思想

樹木希林と内田裕也とまぜご飯     三浦潤子
枝垂れ桜だからセクハラじゃないから  守田啓子
抱いていたのは女だったか火蛾だったか 細川静
名月やレトルトですかナマですか    滋野さち
カラスウリ熟れたか指狐泣いたか    笹田かなえ

AとBという二つのものが対になっている表現も現代川柳ではよく見られる。これを私は「ペアの思想」と呼んでいる。何と何をペアにするか。また、「AですかBですか」という川柳ではよく使用される文体をどのように崩してゆくのか。そういう観点か読むと「AだからBじゃないから」という文体には新鮮味があった。いずれにしてもAとBの取り合わせに飛躍感がないとおもしろくなくなる。

3 批評性

文民統制出来ても怖いミルクチョコ    滋野さち
てぶくろ買いにシリアに行ったままの子は
王子の陰謀油まみれで漏れてくる

五人の中でもっとも批評性のある作者が滋野さちだ。ここでいう「批評性」とは「社会性」ということで、時事川柳の文芸性をどのように維持するかという課題に向き合うことになる。鶴彬の名を挙げるまでもなく、社会性は川柳の本道のひとつだ。
滋野は「川柳スパイラル」6号のゲスト作品でも、次のような作品を発表している。

まっさきに巧言令色と叫ぶ   滋野さち
恩赦かな車の傷が治っている
爆買いのステルス一機竜宮へ

4 ことば遊び

ヤリイカまいかユリイカの川上弘美    守田啓子
リンゴゴリララジオここからは侵入禁止  守田啓子
これがこぶしのこぶしなんだというこぶし 笹田かなえ
いささかのいさかいあって午後の坂    笹田かなえ

従来の現代川柳では「狂句の否定」の歴史から「ことば遊び」が忌避されてきたが、最近では言葉のおもしろさを主とする作品も書かれるようになった。
語頭韻や脚韻、尻取りなどは雑俳の手法だが、これを遊戯的なものとして排除することは、逆に川柳を痩せたものにしてしまうことになる。
三句目は漢字を使って書くと「これが辛夷の拳なんだという小節」とでもなるのだろうか。

5 詩的飛躍の現在

飛びますか摺ますか  冬      守田啓子
スサノヲノミコト重機のアーム 夏  笹田かなえ
ひんやりと桃の果肉が喉へ そして  三浦潤子
ヒトになる途中で産まれたの あたし 三浦潤子

一字あけの部分に飛躍があるはずである。守田の句の「冬」は二字あけ、笹田の句の「夏」は一字あけとなっている。守田は空白部分の距離感を視覚化したいのだろう。
三浦の句の「そして」「あたし」のような書き方も川柳ではよく見かける。題詠で「そして」とか「きっと」とかいうような題が出ることもある。ただ、こういう書き方が思わせぶりであったり、問いにたいする答えであったり、季節の状況説明であったりすると、それが効果的かどうかは疑問だ。
私はこういう一字あけには否定的である。

マヨネーズの逆立ち もうちょっと生きる 三浦潤子

この一字あけが成功しているかどうかは微妙だ。
「マヨネーズの逆立ち」という物に即して「もうちょっと生きる」という思いを陳べていて、両者がぴったり重なるところが共感されたり、もの足りなかったりする。意地悪な読者には多少のズレがあったほうがおもしろい。
詩的飛躍は一字あけなしでも表現できるはずである。

青空の痛み外反母趾の青   守田啓子
この夜の向こうに鶴の恩返し 笹田かなえ

2019年7月27日土曜日

『武玉川』のことなど―川柳誌7月号逍遥

「風」113号(2019年7月)は第20回風鐸賞発表。正賞・山田純一、準賞・林マサ子と森吉留里惠。山田と森吉は十四字作品で、林は十七字作品で受賞している。
「風」(編集発行・佐藤美文)は十四字の顕彰に力を入れている。巻頭の「誹諧武玉川の十四字詩」(四篇)には次のような作品が掲載されている。

文が流れて仕廻ふ曲水
闇をつかむハ恋のはじまり
印籠ばかり光る上人
けふも長閑で青い掌
案じる事の知れぬ関守

七七句(短句)のことを川柳では十四字と呼んでいる。『誹諧武玉川』については田辺聖子著『武玉川・とくとく清水』(岩波新書)をはじめ諸書が出ている。ちなみに田辺聖子の本では最後に『武玉川』から次の句が挙げられている。

逢はぬ恋人に噺して仕廻けり

これは五七五形式だが、『武玉川』には両形式が収録されていて、それぞれ興味深いものがある。
「風」の十四字作品から森吉留里惠と本間かもせりの句を紹介しておく。

苦し紛れにすがる三角      森吉留里惠
いのちが匂うなまぐさいなあ   
エラスムスから学ぶ韜晦
メビウスの輪の見せぬハラワタ
思い詰めてか陽が昇らない

星は午睡の託児所に降る     本間かもせり
スマホが花で満たされてゆく
人という字はやや尖ってる
となりの窓も窓を見ている
廃線しても駅前という

「川柳の仲間 旬」224号(2019年7月号)。川合大祐が人名を使った作品を発表している。

かまいたちどれがさびしい星野源   川合大祐
校長にジャガー横田の霊憑る
パズル解く樋口可南子の庭先で

人名はその時代を彩る記号として便利でもあり、様々な使い方ができる。
すでに渡辺隆夫に「桃すもも咲う八千草薫さま」「かなでは切れぬ樋口可南子かな」などの句があり、効果的なだけに安易な使いすぎは禁物だろう。「旬」の前号に川合は「前半が白鯨だった京マチ子」を発表していて、これは京マチ子の訃報以前に作られたということだ。固有名詞の喚起力は読む人によって異なる。

鳥葬に間に合うようにバスに乗る    桑沢ひろみ
カエル鳴く宇宙は無限だから嫌     大川博幸
私はなるべく納豆とお喋りしたい    千春
まあいいか味方はいないほうがいい   樹萄らき
みんな来て蝉の主張を聴いている    丸山健三

「川柳草原」105号(2019年7月)から。

いちじくの葉をそんな使っちゃいけないわ 岡谷樹
ここへおいでと逃げ水の赤い爪      みつ木もも花
リア充と思いますかと聞いてくる     木口雅裕
気まぐれな空 タピオカが降る三時    オカダキキ
駅前通り日曜画家の沙羅双樹       藤本鈴菜
天日干ししよう熟考してみよう      竹内ゆみこ
風紋は束の間 誘惑に嵌る        山本早苗
火の鳥を抱けば爛れるひだりむね     中野六助

「凜」78号(2019年7月)。
巻頭言で桑原伸吉は「戦後七十四年の歳月は戦争を知っている世代の減少、メディアも一時的な報道だけで、戦争そのものも薄い存在になってしまった」と述べたあと、次の二句を並べて掲載している。

戦後という夾竹桃が胸に咲く   墨作二郎
夾竹桃零れて語り部は熱い    桑原伸吉

「川柳北田辺」105回(2019年7月)。
くんじろうの巻頭言(「放蕩言」)は「筒井祥文はふらすこてんをどう読んでいたのか」。
くんじろうはまた、筒井祥文55句(平成27年度作品から)を選んで掲載している。盟友とはかくあるべきだろう。

木馬から馬が出た日が誕生日    筒井祥文
さようなら自分の舌を舐めておけ
見わたして高い鼻から摘んでゆく
さる件で弓道部から狙われる
そのうちに外す梯子が掛けてある
いい知恵が出ずにゴジラは火をふいた

2019年7月21日日曜日

『藤原月彦全句集』(六花書林)

龍一郎と月彦
2000年ごろ、欠かさず読んでいたブログに正岡豊の「折口信夫の別荘日記」と藤原龍一郎の「電脳日記 夢見る頃を過ぎても」があった。この二つからは多大な刺激を受けた。当時私は「きさらぎ連句会通信」という連句を中心にしたフリーペーパーを出していたが、それを最初に認めてくれたのもこの両人だった。
藤原の話を実際に聞いたのは「川柳ジャンクション2001」のときだったと思う。『現代川柳の精鋭たち』(北宋社)をめぐってのシンポジウムで、パネラーは荻原裕幸・藤原龍一郎・堀本吟。
そのときの記録によると、藤原は川柳についてこんなふうに発言している。
「好きで三十年も関わってきた短詩型文芸のなかに、まだ自分がまったく足を踏み入れていない領域がこれだけ広大に広がっているというのがすごくうれしかった。そこには評価する部分と同時に不思議に思う部分がありました」
藤原は評価する部分として
①世界を批評する姿勢②日常に陰翳を発見する視線③季語的な既成イメージに依りかからない表現意志④定型への疑い⑤洗練を拒否する文体
の五点を挙げた。逆に疑問に思ったこととしては
①参加者の平均年齢が高い②題詠で作られる作品の不思議③筆名の不可解さ(号はギミックなのか)④単行作品集の少なさ⑤現代仮名づかい
が挙げられている。そして最後に
俳人には「上がり」があるが川柳作家には「上がり」がない
と述べた。「上がり」とは大新聞の選者になるなどの最終ステイタスということだろう。
『現代川柳の精鋭たち』についての感想であり、18年前の発言なので、いま藤原が同じ感想をもっているかどうかは分からないが、川柳をめぐる状況が変わった部分もあり変わらない部分もあることだろう。
藤原の著書では『短歌の引力』(柊書房)も熱心に読んだ。中国の戦地から「アララギ」に短歌を送り続けた渡辺直己を「前線歌人というギミック」」として論じた文章など印象に残っている。あと、手元にある藤原龍一郎の歌集から引用しておこう。

乱歩はた荷風の虚無と快楽と綴り尽くさば美貌の都
百年の孤独ぞ驟雨の東京を切り裂きジャックのごとく歩めば
〈私〉という存在を端的に蟲喰花喰蟲と喩えて
赤光の茂吉にまたぎ越えられて腐り腐りて今日の赤茄子
直喩より暗喩こそふさわしきかな歌姫中森明菜・病葉

歌人・藤原龍一郎が俳人・藤原月彦であることは承知していたが、私にとって彼はまず歌人として現われたことになる。
私は「豈」の同人なので、彼の作品は「豈」誌上で読んでいたし、「里」では媚庵の名で作品を発表しているのも承知していた(媚庵はトランペッターにして小説家ボリス・ヴィアンをもじったものだろう)。しかし、『王権神授説』の存在は一種の月彦伝説として霧の彼方に存在していた。今回、『藤原月彦全句集』(六花書林)の刊行によって、月彦の作品はようやくその全貌をあらわしたことになる。

右眼・左眼

少年の左眼に映るは椿事ばかり
邪恋かな射手座に右の瞳を射られ

右眼と左眼に映っているのは別の世界かもしれない。見えているのは現実だが、現実に覆い被さるようにしてもうひとつの別の世界が見えているとしたら、世界は二重の存在構造になってゆく。少年の左眼に映っている椿事とは何だろう。日常とは別の何かが見えているに違いない。
幻想を見るのが左眼だとも限らない。射手座に射られた右眼は見えなくなるのかも知れないし、今まで見えなかったものが見えるようになるのかも知れない。

虚構の家族

駆落ちの姉の声聞く桜闇
壜詰めのエロス金曜物語
致死量の月光兄の蒼全裸
夭折の兄かもしれず海蛍
憂国や未婚の亡兄の指を咬み

三句目は「蒼全裸」に「あおはだか」のルビ。五句目は「亡兄」に「あに」のルビ。
エロスは禁じられることによって本物の恋に変質する。伊勢の斎宮に対する恋や三島由紀夫『豊穣の海』第一部「春の雪」における恋など枚挙にいとまがない。
兄の指を咬むのは愛咬・あまがみだろう。しかも、この兄は夭折したようだ。
虚構の家族を詠むことは短詩型文学にしばしば見られるが、ここには濃厚なエロスが漂っている。
『俳句世界1エロチシズム』(1996年8月、雄山閣)に歌仙「砂熱し」の巻(前田圭衛子捌き)が収録されている。発句は「砂熱し来いというから来てみたが」(上野遊馬)。そのウラの二句目・三句目はこんなふうに。

 エロスの羽は壜詰めのまま  正博
少年の髭うっすらと泣けるごと 麗

こういう世界はすでに藤原月彦が表現していたのだった。

アルンハイム世襲領
ポーに「アルンハイムの地所」(The Domein of Arnheim)という小説がある。
莫大な遺産を手にした男が理想の庭園(領地)を作りあげる話である。
自然は完璧ではない。人工の手を加えることで完全なドリームランドを作りあげるというのだ。
シュールレアリスムの画家・マグリットはこの小説にヒントを得て「アルンハイムの領地」を描いた。断崖の稜線に鳩が羽を広げた姿が描きこまれているシュールな絵である。画面の手前には卵のある鳥の巣が置かれている。
江戸川乱歩の「パノラマ島奇譚」にもポーの小説の影響があると言われる。
そして、わが藤原月彦は俳句によって「世襲領」を構築している。

ジンと血の匂いて世襲領に夏
炎天の花から肉へ孵るダリ
亡命の日よりの姉の夢遊病
乱歩忌の劇中劇のみなごろし
遠雷を神々の訃とおもうべし

マグリットではなく、ダリの名が出て来るが、「内乱の予感」などのシュールな絵は作者の脳裏に揺曳していたに違いない。最後の句は「神々の黄昏」を表出したワグナーであろうか。月彦の脳裏にはさまざまな表象が浮かんでは消えていったのだろう。

貴腐

此処過ぎてまたひとり減る花野行
赤黄男忌の世界の大部分は雨
剃刀を泉にあらふ夢のあと
ひかりごけ塗りて聖夜の遊びなる
兄妹羽化しつつありあかずの間

第二句集『貴腐』、中島梓の解説がいい。
「藤原月彦は、形に耐えかねて無形に逃れる徒輩ではない。しかしまた、彼は、足を踏みそこね、踏み出しすぎ、あるいは踏みはずすことを恐れて、手を拱いて伝統の内に立ちつくすたぐいの俳人でもない。彼は、わずか十七文字のうちに、観念を、思惟を、美学をすら導き入れるにためらわぬだけの、勇気と、大胆さと、そして力量とをかねそなえている。彼にとって、十七文字のミクロコスモスは、そのひとことひとことに全世界をもはらみうる、フェッセンデンの宇宙となった」
「フェッセンデンの宇宙」はSFで、実験室で作られた人工の小宇宙。
年譜によると、1983年から1988年まで藤原は秦夕美との二人誌「巫朱華」(プシュケと読むのだろう)を発行していたという。

魔都
久生十蘭の推理小説に『魔都』がある。
魔都と呼ばれる都市には東京や上海などがあるが、藤原は句集『魔都 魔界創世記篇』『魔都 魔性絢爛篇』『魔都 美貌夜行篇』を出している。1920年代の探偵小説誌「新青年」を連想させ、タイトルを眺めているだけで楽しいではないか。

梔子の闇かと問へば否と応ふ
卯の花腐し美少年腐し哉
人撃たれ唐突に花野となりぬ
どこまで歩けば空蟬を棄てられる
妖かしの春の橘外男かな

驚くべきことに藤原は『魔都』という句集を百冊だすことを構想していたらしい。
「私は今までに、『王権神授説』『貴腐』『盗汗集』なる三冊の句集を上梓し、『パラダイスそして誰よりも遠き夕暮』と『迦南』という未刊句集をもっているが、この『魔都』は、それらの独立性ある作品集とは異なり、大河大ロマン句集の第一巻として、刊行するものである」「とりあえず全100巻と予告しておくが、このような構想が、俳句史上、空前絶後であることはまちがいない」
バルザックの人間喜劇やフォークナーのヨクナパトーファ・サーガに匹敵するような世界の構築を俳句で行なおうとする壮大な試みであろう(藤原が挙げているのは、栗本薫のグイン・サーガと半村良の『太陽の世界』)。それは三巻で終わったけれど、こんなことを考えた人は他にはいない。

1970・80年代と2010年代

ポー、澁澤龍彦、江戸川乱歩、三島由紀夫などこの句集にはブッキッシュなイメージが散りばめられているし、70年代に残っていた「革命的ロマン主義」の匂いもする。
刊行された時代の反映もあるが、いま全句集として出されることによって現代の句集としてどのように読まれるのか、興味深いところだ。「BL俳句」の先駆的な部分もあり、句集によってひとつの世界を構築するというやり方は現代性を失っていないと思われる。

2019年6月30日日曜日

第13回宮城県連句大会

宮城県名取市に藤原実方の墓がある。
実方は百人一首の「かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」の歌で知られているし、清少納言の『枕草紙』にも登場する。
『撰集抄』などのエピソードによると、実方が東山の花見に訪れたときに、にわか雨が降ってきた。実方は騒がずに木のしたに立って次の歌を詠んだ。

さくらがり雨はふり来ぬおなじくは濡るとも花の陰にくらさん  実方

実方の装束は雨に濡れたが、人々は興あることに思った。けれども、この話を聞いた藤原行成は「歌はおもしろし。実方は痴(おこ)なり」と言った。歌はおもしろいが、実方は愚かだというわけだ。そのことを実方は深く恨み、宮中で口論となり行成の冠をたたき落したという。一条天皇は「歌枕見てまいれ」といって実方を陸奥守に左遷した。
第13回宮城県連句大会に参加するために仙台を訪れた。大会前日、狩野康子氏と永渕丹氏に案内していただいて、昨年は行けなかった実方の塚を訪れることができた。
この場所には西行も訪れている。現地には「かたみの薄」も生えていた。

朽ちもせぬその名ばかりを留めておきて枯野のすすきかたみにぞ見る  西行

松尾芭蕉は実方塚のある笠嶋に行けなかった。
「おくのほそ道」には「このごろの五月雨に道いとあしく身つかれ侍れば、よそながら眺めやりて過るに」とある。

笠島はいずこ五月のぬかり道   芭蕉

さて、「宮城県連句大会」に話を移すと、この大会は最初「あやめ草連句大会」としてスタートした(『おくのほそ道』の「あやめ草足に結ばん草鞋の緒」にちなむ)。2007年に「宮城県連句大会」と名称を変え、今年で13回目になる。応募作品の形式は半歌仙で、応募された全作品を作品集に掲載する。また、作品についての選評に力を入れるのも特徴である。
大会当日配布された『第十三回宮城県連句大会作品集』から、おもしろいと思った「三句の渡り」を紹介しておく。

 美人に見とれ隙間風吹き   黄木由良
足揃示し合はせて席を取る   梅村光明
 ガスの元栓閉めたかしらん    由良(「アルバム」の巻)

若冲展の犬を数える     田代洋子
花の宵目つむりて聴く笙の笛  藤田とよ
春はどこからわが心から   久保田直(「小昼どき」の巻)

包帯に傷を隠して結納へ    岡部瑞枝
 千葉笑して飛ばす悪行    大橋一火
月皓々一の字一気書初めす   山地春眠子(「聖母の涙」の巻)

花篝結ふては開きまた結ふよ  川野蓼艸
 蜃気楼より来たと告げる児  瀬間文乃
春帽子フランスパンを横抱きに 小池舞 (「花篝」の巻)

 スピード違反君の告白      中西ひろ美
クリムトの絵のようだねと笑いあい 広瀬ちえみ
 棺の内に汗のびっしり      小池舞 (「春日傘」の巻)

大阪に帰って数日後、「杜人」262号が届いた。
巻頭論文「所謂現代川柳を考える」(飯島章友)。
飯島は「川柳木馬」160号の「作家群像」にも取り上げられており、評論と実作ともに充実した活躍ぶりである。「現代川柳」には「現代の川柳」という意味のほかに「革新川柳」という意味があるが、すでにそのような区別は無効になっていることを飯島は「現代川柳」以後の世代として、短歌の状況と比較しながら整理している。
「杜人」の同人作品から。

うしろから見ると金曜日のようね  広瀬ちえみ
草たちの仕事大地を隠すこと    佐藤みさ子
順番が狂いいちにちへんな顔    浮千草
麻酔切れ急に妖気になってくる   鈴木せつ子
一斉に箱を出てゆく音符たち    加藤久子

「杜人」同人の宮本めぐみの逝去を伝えている。

花言葉集めて蝶が病んでいる   宮本めぐみ
ノンフィクションの長いながい霧笛

「杜人」217号(創刊60周年記念特集)から宮本の作品をもう少し紹介しておきたい。

季が移るわたしは眼鏡拭いている  宮本めぐみ
嵐ケ丘でうろこ一枚落したり
川向こうで寄せ木細工の軋む音
この先を思うと尻尾痒くなる
熱帯夜なれば読経を繰り返す
一族の川を飛び交う蛍たち
黙約のいちにち風に縛られる
逆光を浴びて表皮を剝いでいる

2019年6月9日日曜日

諸誌逍遥 4・5・6月

×月×日
「川柳木馬」160号。「作家群像」は飯島章友篇である。飯島とは「バックストローク」「川柳カード」「川柳スパイラル」の三誌を通じてともに歩んでいるが、プロフィールの欄を読んで改めて彼の短歌歴・川柳歴を振り返ることができた。飯島は2003年ごろから東直子の「ぷらむ短歌会」に通い、2007年には「さまよえる歌人の会」に参加、2009年には「かばん」の会員となっている。川柳の方では2009年7月の「バックストローク」27号から「ウインドノーツ」(石部明選句欄)に登場している。その翌年には「短歌現代」の新人賞を受賞しているので、「短歌も作る人なんだな」と意識したことを覚えている。2012年には「川柳カード」同人、2014年の「第三回川柳木馬大会」では選者をつとめている。「川柳スープレックス」を立ち上げたのが2015年。短歌と川柳の両方にわたる人脈を生かして、多彩な顔触れによる招待作品と川柳論を掲載している。2017年から「川柳スパイラル」同人。「小遊星」のコーナーでは小津夜景・睦月都・森山文切・八上桐子・新木マコトなど話題の人を次々にゲストに迎えて対談している。
「川柳木馬」に戻ると、「作者のことば」で飯島はこんなふうに書いている。
「前衛短歌を意識した川柳を作句し始めて以来、伝統川柳の句会では入選率がぐっと下がりました。しかし、自分の好みには素直でありたい。なぜなら、私のいちばんの読者は自分自身だからであります」

最終の湾がまぶたを閉じだした   飯島章友
鶴は折りたたまれて一輪挿しに
音叉鳴る饐えゆくののにおいさせ
天帝の手紙静かなホバリング
ああ、ああ、と少女羽音をもてあます

作家論は川合大祐と清水かおりが書いている。
飯島章友は伝統川柳についても詳しいし、「風」誌には七七句も投句している。5月5日の「川柳スパイラル」東京句会の第一部〈八上桐子句集『hibi』を読む〉では牛隆佑とともに報告者をつとめた。短歌と川柳の両面で多彩な活動を続けている。

×月×日
「船団」121号が届く。特集「俳句と音楽」。
しばらく気づかなかったが、よく読むと坪内稔典の編集後記(エンジンルーム)にびっくりすることが書かれている。
「さて、船団の会は、あと一年の活動によって完結する。125号を完結号とする予定である」「活動を完結させることについては、いろんな意見が会員の間にある。それは承知の上で、この際、船団の会の活動を終え、会員は散在する」「もっとも、散在の具体的なかたちはまだ見えていない。船団の会としてはこれからの一年をかけて、散在のかたちを追求する。それはもしかしたら俳句の新しい場の模索になるかもしれない。うまく模索できないかもしれない。でも、ともかく、新しい局面に会員の個々が立つ」

「船団」はいま絶好調で、継続しようと思えば出来るのだが、そういう時期だからこそ完結したいと坪内は言う。完結後は「船団」という名は使わないということらしい。
あと一年あるので、今後会員の方々がどのような動きを見せるのか、気になるところだ。

×月×日
「豆の木」23号が届く。25周年記念号だという。もうそんなになるのか。
書架を探してみたら「豆の木」8号が出てきた。これは10周年記念号である。13号が15周年記念号、18号が20周年記念号。年一冊のペースで歩みを続けてきたわけだ。
メンバーのうち直接会ったことのある人は少ないが、何人かの方とは親疎はあるものの若干の交流がある。

連なりの薄きところも蟻の列   岡田由季
ほぼ空の大きさである初詣    小野裕三
小鳥来るための額を空けておく  こしのゆみこ
寂しくて腕に刺さった蚊の一匹  近恵
言論弾圧手袋が手の代わり    田島健一
あきらめのあかるさ昼顔の真昼  月野ぽぽな
純白のマスク視界のすべての鳥  中島憲武
星月夜介護ベッドに星を置く   宮本佳世乃

こしのゆみこの旅ノートは「ベルリン・ドレスデン・ライプチッヒ紀行」。ベルリンには私も行ったことがあり、フェルメールや森鷗外記念館のことなど興味深い。フリードリヒの絵は好きだし、ベックリンの「死の島」は福永武彦の同名の小説のモチーフともなり、後ろ向きの白衣の男は水木しげるのねずみ男のヒントになったとも言われている。

×月×日
「オルガン」17号が届く。

楽鳴りがたし蜜蜂の赤い視野    田島健一
珈琲この世にまざりあう春と夜
さくらはなびら波ながら味世界

水ぬるむ指のふたつが脚のやう   鴇田智哉
竹になりかけのあかるみつつ痒く
抽斗をひけばひくほどゆがむ部屋

野と焼かれ暮れれば星として昇る  福田若之
自販機の底から蝶がまぶしくなる
山は春もういいよもうかくれない

パンジーに灰色の茎生きぬく眼  宮本佳世乃
傍点をつけ山吹のなびきたる
つぎつぎと雹ながいながい終はりに

同人が四人になったのはややさびしい感じがするが、それぞれ力のある人たちなので問題なさそうだ。座談会は〈筑紫磐井「兜太・なかはられいこ・「オルガン」を読む〉で、前編と後編の二本立て。タイトルに、なかはられいこの名がでてくるが、川柳ではなくて社会性俳句についての話題が主となっている。
福田若之が第6回与謝蕪村賞新人賞を受賞したので、福田の受賞スピーチが掲載されている。また、蕪村の句を発句としてオルガン同人のオン座六句が巻かれている。捌きは浅沼璞。

ちるはさくら落つるは花のゆふべ哉   与謝蕪村
水あをければ水ぬるむ橋       浅沼 璞

×月×日
「Stylish century 2019 トリビュート中澤系」という冊子が手に入る。
「中澤系とわたし」というテーマで21人のエッセイを収録。また、中澤系歌集に収録されている「Stylish century」の下の句(Ok,it’s the stylish century)に参加者が上の句を付けている。
この冊子は「中澤系トリビュート」が参加者をツイッターで募集して作成したもの。
倉阪鬼一郎『怖い短歌』(幻冬舎新書)にも中澤の短歌が紹介されており、この冊子にも転載されている。
先日、葉ね文庫で中澤系の蔵書の一部を見せてもらった。

×月×日
「井泉」87号。
巻頭の招待作品のコーナーに松永千秋の川柳作品が掲載されている。

お望みは瞬間接着剤ですね      松永千秋
「おしまい」と書かれて以来モグラ的
この町の春の何だかずれている
解釈は自由浮雲が二つ
大根一本まるごとジツゾンって感じ

松永千秋とは会う機会が少なくなってしまったが、自分のペースを守って川柳を書いているのがうらやましい。
リレー評論【現代短歌に欠けているもの・過剰なもの】の江田浩司が「創作と批評に過剰をこそ求めたい」という文章を書いている。
小林秀雄の松尾芭蕉批評に触れたあと、江田は「松尾芭蕉を、終生意識に置いて創作した歌人」として玉城徹を挙げている。その玉城の言葉がとても印象的だったので、ここに紹介しておきたい。
「いったい、ジャンルの分け方などというものは、便宜にすぎません。はじめにジャンルがあるわけではない。あるジャンルには、それ固有の原理とか方法が存在すると考えるのは、一種の空想です。西洋の純粋詩、純粋小説などという思想にかぶれて〈純粋短歌〉を考えてみるのは、あまり意味のないことでしょう。
結局、それは芸術上の形式主義にほかなりません。わたしも、若い日に、その迷蒙の霧の中で、道を失いかかったことがありました。一ジャンルの中に閉じこもらず、文学全体を見まわして、もっと自由に考えてゆくことが大切でありましょう」(『短歌復活のために 子規の歌論書館』)

×月×日
「川柳の仲間 旬」223号から樹萄らきの作品を紹介する。

枯れてゆくとき花はいつでも強気   樹萄らき
無気味な笑顔 え 素顔なんですけど
視線を外すキミは勝ったと思うよね

2019年5月18日土曜日

文フリ東京ー「外出」と「て、わた し」

5月6日文フリ東京で手に入ったものの中からふたつ紹介する。
「外出」創刊号。
内山晶太・染野太朗・花山周子・平岡直子の四人による32ページの冊子。グリーンの表紙が美しい。各15首の短歌とそれぞれの文章が付いている。文語短歌が多いが、平岡直子だけが口語短歌である。

内出血できれいでとても冷たいね宝石と鳥わからないのね   平岡直子
夕暮れの皇居をまわるランナーはだんだん小さくなる気がしない?
女の子を裏返したら草原で草原がつながっていればいいのに
東京のうえにはちょうど東京のかたちの雲がかぶさっている

文章では染野太朗が飯田有子を、平岡直子が永井祐と宝川踊を、内山晶太が森岡貞香を取り上げている。花山周子のは小説?

女子だけが集められた日パラシュート部隊のように膝を抱えて  飯田有子
引き算のうちはよくてもかけ算とわり算でまずしくなっていく  永井祐
戦争はきっと西友みたいな有線がかかっていて透明だよ     宝川踊

宝川の歌は「率」10号からだが、彼は今どうしてるんだろう。

「て、わた し」6号。
海外詩を独自の視点から紹介している雑誌で、発行人は山口勲。
特集「生きづらさを越えて生きる」。
毎号、日本の表現者の作品と海外の詩人の作品を取り合わせて編集されている。
今回は、
成宮アイコ×ロレステリー・ペーニャ・ソラーノ(ドミニカの詩人)
荒木田慧×余秀華(中国の詩人)
鳥居×クリストファー・ソト(アメリカの詩人)
の三組。
全部は紹介しきれないが、詩の一節だけ引用する。

ちゃんとみんなずるくて
こんな世界で生きている
伝説にならないで  (成宮アイコ「伝説にならないで」)

私の居場所は鳥のいない空や
獣のいない森ではないし、
歴史書に住んでいるわけでもなく
まして「偉大な男」の
伝記の余白の線でもない  (ソラーノ「虚栄」、訳・大崎清夏)

一部の引用だけでは分かりにくいので、ご関心のある方は本誌をお読みいただきたい。
山口勲は「川柳スパイラル」5号掲載の「語り手の声が聞こえる詩」で次のように述べている。
「私が今回紹介したものは必ずしも『詩的』ではないのかもしれません。作品と人を切り離すべきだという考えから外れた前近代的な捉え方かもしれません。けれども、様々な怒りを通過した作品は近代日本が経験した言文一致とも通じ、声を通すことで社会や自分自身の生活と深く結びつく二十一世紀の文学だと信じています」
作品と作者の関係については作品評価の文脈やスタンスによってさまざまな考え方ができると思うが、現実のさまざまな問題(「て、わた し」の今号では「生きづらさ」)に対するアンテナの感度を高めておくことが必要だろう。
最後に鳥居の短歌から二首。

生きづらさという言葉の流行るさまかすり傷負ふごとく聴きをり  鳥居
称賛がなければ生きていけぬ身となり果て夜の人舎に舞へり

2019年5月12日日曜日

句集の時代 ―『hibi』と『補遺』

「川柳は〈読みの時代〉がはじまった」と石田柊馬が言ったのは10年以前のことだが、「読みの時代の次は何の時代ですか」と私が尋ねたところ、石田は「句集の時代かな」と答えたことがある。
いま石田柊馬の予言が現実になりつつある。単に川柳句集の出版が増えてきたというだけではない。句集一冊によって作品を世に問い、純粋読者の手に届くようなかたちで句集が発行されたり、句集の発行によって川柳活動をスタートさせる川柳人が登場してきたのである。

八上桐子の句集『hibi』(港の人)は昨年1月に初版が発行され完売した。川柳句集は発行されても知友への贈呈が主となるが、『hibi』の場合は一般の純粋読者が多く購入したことになる。今年4月に第2刷が増刷されたから、さらに広い読者に届いてゆくだろう。
先日5月5日に『hibi』の句評会が東京・王子の「北とぴあ」で開催された。
報告者は牛隆佑・飯島章友の二人だが、参加者がそれぞれ句集の感想を語り合ったので、句評会というよりは句集の読書会のようなものになった。

牛隆佑はかつて「葉ね文庫」の壁の展示で、八上桐子(川柳)と升田学(針金アート)のコラボを手がけたことがある。このときの集まりは八上が句集出版を決意するきっかけともなったので、彼は八上の作品については知悉している。
牛はまず句集の中で同じ語が頻出することを指摘した。「風」「夜」「鳥」「闇」「泡」「魚」「家」「骨」「海」「舟」「夢」「川」「みずうみ」などである。しかし、同じ語の繰り返しによって作品が単調になるというのではない。他の語との距離感によって、頻出語もそのたびに言葉の様相を変化させている、と彼は指摘する。たとえば「夜」の句では次の例のように、「石と夜」「踵・肘(身体)と夜」「鳥と夜」「おとうとと夜」「鯨と夜」「夜と水」というように他の語と組み合わせることによって、「夜」のニュアンスが微妙に異なった相貌を見せてゆく。

石を積む夜が崩れてこないよう    八上桐子
踵やら肘やら夜の裂け目から     
向き合ってきれいに鳥を食べる夜   
おとうとはとうとう夜の大きさに   
からだしかなくて鯨の夜になる    
もう夜を寝かしつけたのかしら水   

牛は「水」のキーワードについて、「常に強く結びついた組み合わせ(固体)でもなければ、完全に切り離されたもの(気体)でもない。(遠近自在の)距離でそれぞれの語がつながっている」と述べた。

飯島章友は早くから八上桐子を評価してきたひとりである。「川柳スパイラル」4号でも八上と対談している、飯島は八上の句集を「表記・形状・音の類似関係からの発想」「双方向の喩的関係」「世界ふしぎ再発見」「他者・男との距離感」「苦しい『夜』と救いの『水』」という観点から詳しく分析した。たとえば「世界ふしぎ再発見」では、当たり前のことを見つめ直す句として次のような作品が挙げられた。

鳥は目を瞑って空を閉じました    八上桐子
夕暮れがギターケースにしまわれる
たんたんと等身大にする床屋
片陰のすっとからだに戻る影
灯台の8秒毎にくる痛み

また水については「水を 夜をうすめる水をください」を例に、話者にとって夜は、水で薄めないと苦しい存在で、逆にいうと話者にとって水は、救いの存在といえるのではないか、と指摘した。
当日は出版元の「港の人」も参加、増刷されたばかりの『hibi』が販売され、花束の贈呈もあった。

もう一冊、5月に発行されたばかりの句集を紹介する。
暮田真名の第一句集『補遺』(発行者・竹林樹)が上梓された。
暮田は2017年に川柳実作をはじめ、これまでネットプリント「当たり」や川柳誌「川柳スパイラル」に作品を発表してきた。句集にはこの二年間の181句が収録されている。

印鑑の自壊 眠れば十二月    暮田真名
永訣のうしろに錫が落ちている
調律をしても心が痛まない
いけにえにフリルがあって恥ずかしい
夢心地のまま漏えいしています
忌引きです おいしくなって会いにいく

私が暮田の句に注目した最初は「いけにえにフリルがあって恥ずかしい」によってだったが、それぞれの読者によって好みの作品は異なることだろう。
「OD寿司」という章があり23句が掲載されている。「寿司」の題詠とも思われるが、ひとつの題で多彩な作品を書くことができるのは作者の実力を示している。

スコールに打たれていても寿司がいい  暮田真名
寿司ひとつ握らずなにが銅鐸だ
寿司なんだ君には琴に聴こえても
音楽史上で繰り返される寿司
寿司を縫う人は帰ってくれないか
アサガオに寿司を見せびらかしていい?

『補遺』は100冊作ったというが、先日の文フリ東京で完売、発行者には増刷の用意があることと思う。
文フリでは『補遺』と同時に『当たり』総集編も販売された。ネットプリントでvol.1~vol.10が発行されていて、私もそのつどコンビニで打ち出してきたが、ネプリというのは散逸しやすいから、こうして一冊にまとめられると読むにも保存にも便利である。

シジミチョウなぐさめようとして初犯   暮田真名
共食いなのに夜が明けない
見晴らしが良くて余罪が増えてゆく
万力を抱いて眠った七日間
こんばんは天地無用の子供たち

ちなみに、最近読んだネプリからふたつ紹介しよう。
まず「第三滑走路」6号(5月1日)から。

光り続ける僕たちの密室論/世界すべてを映し出すシネマ      青松輝
天使、と言えば呼ばれたと思った子どもは水の裏に隠れた      丸田洋渡
区役所にいこう 用件を済ませてはやく夜桜でも観にいこう     森慎太郎
妻でなく麦 ははあっと気がついて文意が通る お馬も通る     森慎太郎
手続きが煩雑なのがわるい、よね?桜は散るからうつくしい、よね? 森慎太郎

もうひとつ「MITASASA」6号(5月2日発行)から。

ずっと神の救いを待ってるんですがちゃんとオーダー通ってますか  三田三郎
これいじょう、ゆくりあるくん、ふしぜんで、そのまえにおさまるきもちが、多賀盛剛
にんげんをテーブルにたたきつけたとき、こわれないほうがプロレスラー  多賀盛剛

笹川諒の詩は長いので引用できないが、一部分だけだと「執着はさわやかな巫女の姿で/橋を/渡ってゆく/ゆるく、はずれてゆく」。

増刷された『hibi』は書店や通販で手に入るし、『補遺』の方も同様である。梅田蔦屋書店では川柳のコーナーに『hibi』と『補遺』が並べられている。いま旬の川柳句集だろう。これらの句集を入り口として、現代川柳の世界が読者の方々に親しいものになってゆけばいいなと思っている。作品と読者をつなぐ通路が必要だ。

2019年4月30日火曜日

『hibi』を読む日々

×月×日
映画館で「野田版シネカブキ 桜の森の満開の下」を見る。
坂口安吾の作品をもとに野田秀樹が『贋作 桜の森の満開の下』として書いた作品をさらに歌舞伎化したもの。タイトルは「桜の森の満開の下」だが、ストーリー自体は『夜長姫と耳男』の話である。
安吾の原作も読んでみたが、原作の方が深い。野田版はスペクタクルとして見せなければならないのでドタバタするのはやむを得ないのだろう。『吹雪物語』をまだ読んでいなかったので図書館で借りたが、途中で挫折。安吾がもだえ苦しんでいることが伝わってくる観念小説。「暗さは退屈だ」という一節が収穫。
今年の11月には「国民文化祭にいがた2019」が開催されるので新潟の「安吾 風の館」に行ってみたい。
映画を見たあとは桜の宮で現実の桜花の下を散策する。

×月×日
大阪連句懇話会で「短句七七句と自由律」の話をする。
十四字の話は今まで何度もしてきて、古くは「連句協会報」(平成14年2月)に「十四字とは何か」を掲載しているし、拙著『蕩尽の文芸』にも「『十四字』の可能性」という章がある。
「かぜひきたまふ声のうつくし」(越人)は私のもっとも愛唱する付句で、「うつくしい咳につながる間違い電話」という拙句を作ったこともある。
連句には短句と雑(無季)の句があることを改めて意識する。
(飯島章友が「川柳作家による短句フリーペーパー」を作ると言っていて、5月5日の東京句会と5月6日の文フリ東京で配付予定。参加者は飯島章友・石川聡・いなだ豆乃助・大川崇譜・川合大祐・暮田真名・小池正博・本間かもせりの8名で各5句掲載。)

×月×日
『現実のクリストファー・ロビン 瀬戸夏子ノート2009-2017』(書肆子午線)を読む。
瀬戸夏子の名をはじめて聞いたのは正岡豊に「町」を見せてもらったときだった。短歌で新しいと思うことはあまりないが、瀬戸夏子のやっていることは新しい、と正岡は言った。「町」創刊号の「すべてが可能なわたしの家で」だったと思う。
大阪グランフロントの紀伊国屋で短歌フェアがあったとき『そのなかに心臓をつくって住みなさい』を買った。この歌集では、残念ながら「すべてが可能なわたしの家で」は太字の部分が不明瞭で本来の意図がわかりにくい。
あと、「率」3号の表紙がおもしろいなと思ったことが記憶にある。
大阪で「川柳フリマ」が開催されたあと、カルチャーショックを受けた私は川柳でも同じようなイベントができないかと思った。そのころ開催されたイベント「大阪短歌チョップ」からも刺激を受けたので、文フリとは規模が違うが「川柳フリマ」を開催することにした。でっちあげたと言った方がいいかな。川柳マガジンや邑書林、あざみエージェントなどに声をかけて「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」(2015年5月)と銘打って川柳句集を並べた。
ネットで案内を発信すると、瀬戸夏子が参加を申し込んできた。びっくり仰天しましたね。
瀬戸は翌年の「第二回川柳フリマ」にも来てくれたし、文フリでよく顔を合わせるようになった。その延長線上で、「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」(2017年5月)というイベントを中野サンプラザで開催したが、このタイトルはインパクトをねらったもので、彼女をバッシングするようなものではまったくない。このときは歌人にもたくさん参加していただいた。
恐い人のようなイメージが強いが、川柳に対して彼女は謙虚だった。ずっと思っていたのは、彼女は川柳に対してなぜこんなに好意的なんだろう、ということだった。
その答らしきものが本書の川柳に触れた部分からうかがえる。
5月5日の「川柳スパイラル」東京句会では瀬戸夏子を選者に招いている。『現実のクリストファー・ロビン』もそのとき販売されるようなので、まだお読みになっていない方はこの機会に。

×月×日
このところ和歌山に行くことが増えて、このお城の見える町に親しみができてきた。
県民文化会館で「連句とぴあ和歌山 はじめての人のための連句会」を開く。
簡単な解説と連句の生命線である三句の渡りについて説明。そのあとワークショップをやり、8句ほど付け進める。
和歌山城天守閣の見える喫茶店で歓談。お一人が八上桐子句集『hibi』を鞄から取り出したので、見せていただくと付箋がいっぱいついている。葉ね文庫でお求めになったようだ。読者の存在はありがたい。
和歌山ラーメンと居酒屋にもずいぶん詳しくなってきた。

×月×日
連句誌「みしみし」創刊号(みしみし舎)が届く。
「みしみし」でネット連句を展開している三島ゆかりが紙媒体で発行したものだ。
歌仙が二巻とその評釈のほか、連衆作品として短歌、俳句、川柳などが掲載されている。

淡水と海水混じる春の水      岡田由季
名を問へば答へてくるるひととゐて、あの鳥は何?あの赤き実は?  田中槐
連載が終わるこんにゃく業界誌   川合大祐
枕木にすみれ運転士は知らない   大塚凱
葉桜や丸善めざし芥川       媚庵
自転車に乗って笛吹く郵便屋    岡本遊凪
船酔ひのやうなブーツとなつてゐる 三島ゆかり

「川柳スパイラル」東京句会には連衆の何人か参加予定。「みしみし」も販売される。

×月×日
第23回えひめ俵口全国連句大会に参加のため、松山に行った。大会前日、川柳グループGOKENのメンバー数人とお話する機会があった。俳都松山と言われるが、松山は川柳も連句も盛んな地である。強力な連句精神がこの都市にも生きていることは心強い。
連句大会がすんだので、これから5月5日の〈八上桐子句集『hibi』読む〉の準備に専念する。当日は「港の人」による句集の販売もある。
暮田真名の句集『補遺』もできたようなので、こちらも読むのが楽しみだ。

2019年4月12日金曜日

木曜何某『いつか資源ゴミになる』

木曜何某(もくよう・なにがし)という人がいて、短歌や自由律俳句を作っているらしい。先日、ある集まりでこの人に会ったので、手元にあった句集『いつか資源ゴミになる』(2016年9月)を開いてみた。短詩型の作品は作者とは切り離されたテクストとして読むべきだと思っているが、作者の風貌に接することで作品に対する興味が湧くのも事実である。

ツリーの星を奪い合う予定だった
難しさを選んでね、の重圧
隠した血で汚してしまう
差し伸べられた手が汚い
お見舞いのフルーツに苦手なのがある
カゴは開けた何故逃げない
遺言が悪口
ショックを隠し切れてしまう
譲り合ったから四天王になった

おもしろい句を書く人だ。人と人との関係性に皮肉な眼が働いていて、川柳の批評性とも通じるところがある。
クリスマスツリーのてっぺんには星が飾られていて欲しいと思うときがあるが、手に入れることができるのは一人だけだ。「奪い合う予定」というところに屈折があり、実際は争奪に参加しなかったのかもしれないし、誰もが奪えずに星を見つめているだけなのかもしれない。助けてあげようと差し伸べられた手が汚れていて、そんな援助ならかえって要らないし、手の汚れが否応なく見えてしまうのだろう。誰もが譲り合っているうちに、そんな気がなかった自分が四天王に祭り上げられてしまっている。「四天王」が効果的だ。
表現されている状況がいろいろ想像できるので、一句を具体的な文脈に置いて読むという楽しみがある。

これ着ろよ、虹の上は寒いぞ
一人の時はドジじゃない
霊だけがカメラ目線
ビンゴだが黙っていよう
桜が怖くて酔ったふりをする
目を間違って全部似てない
電車の窓に映る自分が気まずい
空気の読みすぎで目が悪くなる

そういう気持ちになることが自分にもある、と思わせる句が多い。ビンゴだが、こだわりがあって賞品をもらいに行かない。行ってやるものかという気持ちになるが、実際には貰いに行ってしまうのが人間だ。「電車の窓に映る自分が気まずい」なんて、よく言い当てたものだ。

川柳にも自由律がある。
時実新子は自由律作品を一句も書かなかったという人があるが、そんなことはない。
神戸から出ていた「視野」に新子は自由律作品を寄せている。
「視野」は「ふぁうすと」自由律派の観田鶴太郎などが出していたもので、最初は謄写版印刷だったようだが、末期には葉書に印刷した作品を送るやりかたになった。今だと、西原天気がときどき作る葉書俳句のようなものだ。

どれもさびしさうな羅漢の顔のあちら向きこちら向き 観田鶴太郎
吹消してしばし気にのこる焔のすがた        鈴木小寒郎
ダブルベッドとさうして鍵は鍵穴にある       石河棄郎

「川柳スパイラル」5号にもちょっとだけ触れたが、かつて短詩と川柳と自由律が混在した時代があった。川柳の場合だけかもしれないが、意味を中心とする自由律には散文化の傾向があり、意味性・散文性と定型・自由律の関係、一行詩と俳句・川柳のからみあった関係性については、いつかゆっくり考えてみたいと思っている。

木曜何某の句に戻ろう。

風で飛んでいかないようにするやつも売っている
毒が無いならその色はなんだ
おもしろくなくてホッとする
半透明の電話ボックス3つ分飛び越すイルカ
先生のジョークも聞かずあの子ばっかり見て
オレンジの反対側は夜景
このアングルは入っちゃいけない所に入っている
世を渡るためのやさしさで全然かまわない

長律と短律の両方があるが、ここでは比較的長い句の方を多く選んでみた。
『いつか資源ゴミになる』の収録句のなかでは、比較的新しい作品のようだ。
「おもしろくなくてホッとする」という心理は、言われてみればそうだという説得力がある。この人はけっこう人間観察家なのだろう。
木曜何某は唯一参加している歌会でも遠慮ない批評を述べているらしい。

自信作じゃない方が選ばれた   木曜何某

2019年3月22日金曜日

「現代詩手帖」3月号

遅ればせながら、「現代詩手帖」3月号を読んだ。
特集「これから読む辻征夫」。「辻征夫代表詩選」(松下育夫選)の中に入っている「かぜのひきかた」をまず引用したい。この詩は私も大好きな詩である。

かぜのひきかた  辻征夫

こころぼそい ときは
こころが とおく
うすくたなびいて
びふうにも
みだれて
きえて
しまいそうになる

こころぼそい ひとはだから
まどをしめて あたたかく
していて
これはかざをひいているひととおなじだから
ひとは かるく
かぜかい?
とたずねる

それはかぜではないのだが
とにかくかぜではないのだが
こころぼそい ときの
こころぼそい ひとは
ひとにあらがう
げんきもなく
かぜです

つぶやいてしまう

すると ごらん
さびしさと
かなしさがいっしゅんに
さようして
こころぼそい
ひとのにくたいは
すでにたかいねつをはっしている
りっぱに きちんと
かぜをひいたのである

詩人たちの対談でもこの詩について「こころぼそさ」に寄り添う詩として取り上げられている。辻征夫は2000年1月に亡くなっているから、すでに19年が経過したことになる。私は詩集というものをあまり買わないのだが、『俳諧辻詩集』(1996年6月、思潮社)は手元にもっている。

辻の俳句について。

行く春やみんな知らない人ばかり
噛めば苦そうな不味そうな蛍かな
《蝶来タレリ!》韃靼ノ兵ドヨメキヌ

《蝶来タレリ!》は言うまでもなく安西冬衛の韃靼海峡の一行詩を踏まえている。
「噛めば苦そうな」は室生犀星に「杏あまさうな人は唾むさうな」という句があるそうだ。
辻は「作者はじつはぼくじゃなくて猫なんだ」と言ったという。主語が省略されているときは一人称を補って読むというような「私性」のルールを蹴飛ばして、猫が蛍を噛んでいる。『俳諧辻詩集』ではこんなかたちになる。



噛めば苦そうな不味そうな蛍かな
(誰だいこんなの作ったのは
土手の野良猫です?

ま いいや
鰹節で一献さしあげたいと
そいって呼んでおいで)

短歌や俳句のような定型や韻律をもたないことが「現代詩」の誇りだった。『俳諧辻詩集』はそこから風向きがかわって、定型とのコラボが試みられはじめたころの詩集である。

「現代詩手帖」に戻ると、海外詩レポートとしてパット・ボランの俳句が紹介されている。アイルランドの詩人で、タイトルは「波のかたちの群れなす俳句」(栩木伸明訳)。ダブリン湾、ブル島にて、とある。2句だけ紹介する。

揚げヒバリ名乗り出で
早起きの虫を探す
さえずりを片耳に君は君の仕事

空っぽかよ、と見るうちに
それこそがメッセージだと気づく
光のボトル

原文は五音節・七音節・五音節で書かれた三行詩。季語はない。
「新人作品」のコーナーでは柳本々々の「おはよう」が掲載されている。
連載では外山一機が村上昭夫の俳句を、井上法子が田口綾子の『かざぐるま』(短歌研究社)を取り上げている。ここでは田口綾子の短歌の方を紹介しておく。

すきなひとがいつでも怖い どの角を曲がってもチキンライスのにおい 田口綾子
あのひとの思想のようなさびしさで月の光がティンパニに降る
あの年の冬の日、今年の夏の水 君が年下なるは変はらず

今回は引用ばかりになってしまったが、辻征夫の「かぜのひきかた」からの連想で、石原吉郎の詩を紹介して終わりにしたい。

世界がほろびる日に  石原吉郎

世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ

2019年3月15日金曜日

短句七七句と自由律

『芭蕉七部集』を読んでいると、はっとするほど美しい短句、思わず微笑を浮かべてしまうようなユーモラスな句に出会うことがある。たとえば次のような句である。

かぜひきたまふ声のうつくし    越人
能登の七尾の冬は住うき      凡兆
浮世の果はみな小町なり      芭蕉
こんにゃくばかりのこる名月    芭蕉
馬に出ぬ日は内で恋する      芭蕉

連句は五七五の長句と七七の短句とを繰り返す詩形だが、五七五の方は俳句や川柳として独立したが、七七句の方も一句独立して作句・鑑賞に耐えるものだろう。
七七句の美しさに注目されるのが『武玉川』である。『武玉川』は江戸座の高点付句集である。高点付句は本来連句一巻のなかの付句で、長句と短句の両方が収録されている。特に短句に注目して「武玉川調」と呼ばれることがある。「武玉川調」のなかでも、次のような句はよく知られている。

鳶までは見る浪人の夢
二十歳の思案聞くに及ばず
手を握られて顔は見ぬ物
腹のたつ時見るための海
夫の惚れた顔を見に行く
肩へかけると活る手ぬぐい
猟師の妻の虹に見とれる

この『武玉川』の七七句の美しさは近代の川柳人の注目するところとなった。川柳のフィールドでは七七句を「十四字」と呼んでいる。近代川柳における「十四字」の歴史は阪井久良岐が明治38年に柳誌「五月幟」に『武玉川』の句を抄出したことにはじまる。その翌年の明治39年、大阪では小島六厘坊が「葉柳」を刊行、大阪における新川柳の草分けとなった。久良岐が十四字を川柳の一体としたのに対して、六厘坊は別種の詩形とした点で両者の考え方は異なっている。六厘坊の周辺で十四字に熱心だったのが藤村青明である。

恋はあせたり宿直のよべ   藤村青明
恋かあらず廿五の春
闇の大幕世を覆ひゆく

六厘坊は「十四字ばかりつくる青明」とからかったという。
久良岐以後の十四字作品を次に挙げてみよう。

白粉も無き朝のあひびき     川上三太郎
はつかしいほど嬉しいたより   岸本水府
いつものとこに坐る銭湯     前田雀郎
女のいない酒はさみしき     麻生路郎
時計とまったままの夜ひる    鶴彬
クラス会にもいつか席順     清水美江
うるさいなあとせせらぎのやど  下村梵
無理して逢えば何ごともなし   小川和恵

よく「五七五の最短詩形」と言われるが、こうして見ると最短詩形は七七であると思われる。ところで、俳句のフィールドにおける七七句は自由律俳句のなかに多く存在する。自由律における七七定型である。

善哉石榴を食ひこぼし座し    中村一碧楼
酢牡蛎の皿の母国なるかな    河東碧梧桐
めしをはみをる汗しとどなり   荻原井泉水
シャツ雑草にぶっかけておく   栗林一石路
入れものがない両手で受ける   尾崎放哉
うしろすがたのしぐれてゆくか  種田山頭火
つかれた脚へとんぼとまった     山頭火

私は十年以前に十四字を作っていたことがあり、セレクション柳人『小池正博集』に実作を収録している。『蕩尽の文芸』にも十四字について触れた文章がある。最近は十四字から遠ざかっているが、本間かもせりがツイッター「#かもの好物」で七七句を募集したところ、たくさんの七七句が集まったと聞くので、この詩形に関心をもつ人は潜在的に多いと思われる。以前からのファンのひとりとして十四字のことを取り上げてみた。4月6日の「大阪連句懇話会」では連句とも関連させながら、もう少し詳しいことを話してみたいと思っている。

2019年3月8日金曜日

筒井祥文における虚と実

筒井祥文についてはこの時評でも触れたことがあるが、次の祥文論がいちばんまとまったものである。
旧稿なので、データは以前のものだが、基本的な考えは変わっていない。
初出は「MANO」17号(2012年4月)。

筒井祥文における虚と実 小池正博

1 読みの衰弱
文芸に限ったことではないが、現代日本人の読みの力は確実に衰弱している。サブカルチャーについて言うと、たとえば漫画を読むにも読解力は必要であって、コマとコマの間の飛躍を想像力によって埋めることでストーリー展開はスピード感を増すはずである。ところが、一九七十年代後半あたりから、コマとコマのつながり方が理解できないというクレームが読者から寄せられるようになったと石ノ森章太郎が嘆いているそうだ。
「こうしたコマとコマの飛躍については、過去さまざまな評論家が考察をめぐらせてきた、コマとコマの飛躍を結びつけるもの、それはマンガの読書経験の積み重ね=知覚の習い(リテラシー)であることに疑いはない。『慣れ』は、より正しい『理解』をもたらすのである」(竹内オサム『マンガ表現学入門』)
コマとコマの間に飛躍がありすぎると読者が付いてゆけない。それを補うために漫画家が説明的になると、さらに読者の想像力が鈍磨していく。この循環によって読者の読みの力は確実に落ちてゆく。
これを連句にたとえれば、前句と付句の関係がべったりと付きすぎている句(親句・しんく)が好まれ、前句から遠くに飛ぶような付句(疎句・そく)は嫌われることになる。親句・疎句はどちらが良いというような優劣ではなくて、両方とも必要なのだ。その一方しか理解できないということは、文芸・文化の幅を狭めてしまうことになってしまう。映画のカットとカットのつなげ方にも同じことが言えるだろう。
話芸である落語を聞く場合でも事態は同様である。落語家は何もかも説明するのではなくて、簡潔な言葉によって場面を聴衆に想像させる。あまりに説明過多になってしまうと聞き手は逆に退屈してしまう。特に、最後のオチの部分は短く語らなくてはいけない。長々としたオチ、説明しなければならないオチなんてオチにならないのだ。もちろん、古典落語に出てくる生活情景は現代人の生活とは随分違うから、落語家はマクラとか話の途中で周到に説明的部分を用意しておくだろう。そういうことも含めて落語の場合でも聴く力は必要なのだ。
以上のようなことを前置きとして、これから筒井祥文の川柳について語ってゆきたい。筒井祥文は京都在住の川柳人である。関西のあちこちの句会回りに明け暮れ、自身では川柳結社「ふらすこてん」を主宰する。
まず、セレクション柳人『筒井祥文集』(邑書林)から彼の代表作と思われる五句を挙げてみよう。

御公儀へ百万匹の鱏連れて
カッポレをちょいと地雷をよけながら
弁当を砂漠にとりに行ったまま
殺されて帰れば若い父母がいた
夜景へ三度「カマイタチ」と叫ぶ

このような川柳が書かれるためにはそのルーツがあるはずである。普通、川柳人には師系があって、その川柳の系譜がたどれるのだが、本稿では祥文のルーツを彼が親しんできた落語にあると見て、落語言語から彼の作品を眺めて見たい。

2 落語言語トレーニング
私は特に落語に詳しいわけではないから、まず自分自身のためにもトレーニングを必要とする。『筒井祥文集』の中からこんな句を取り上げてみよう。

有りもせぬ扉にノブを付けてきた
半分は嘘半分は滑り台

「有りもせぬ扉」にどうしてノブを付けるのかと問うことは野暮である。半分はウソ、では残りの半分の「滑り台」は何かの隠喩だと考えることもやはり野暮なことである。そもそも、ないものをあるように見せるのが落語の芸ではなかったのか。
上方落語の二代目桂枝雀は落語の本質を「緊張と緩和」ととらえ、オチを四つに分類したことでよく知られている。落語入門書には必ず紹介されている枝雀の四分類は次のようなものだ(野村雅昭著『落語の言語学』平凡社ライブラリー、による)。
①ドンデン…ウソが基調となっているが、最後にかくされていた状況があらわれ、キキテの予期していた結末と反対の方向におとすパターン。「ドンデン返し」の略。
②謎解き…ウソを現実のことのように演じ、キキテになぜそういうことがおこるのかという疑問をいだかせ、やはりウソだったとおとすパターン。
③へん…実際にあることのように演じ、話をすすめ、最後に変なことがおこって、全体がウソだったということがわかるパターン。
④合わせ…〈へん〉と同様の展開をもつが、オチの部分が作為的にうまくこしらえてあり、キキテを納得させるパターン。
私はこの四パターンを筒井祥文の川柳に当てはめて分類してみせたいわけではない。それこそ最も野暮な批評であろう。そうではなくて、祥文の川柳を読むときにウソと現実との緊張関係くらいは意識しておきたいだけである。文芸用語で言えば「虚と実」ということになる。
筒井祥文がはじめて川柳に出会ったとき、その世界は彼のよく知っていた世界だと思われたことだろう。そして、彼は自分なら既成の川柳人よりもっとうまくやれると直観したことだろう。川柳の穿ちと落語のオチとはそれほど異質なものではない。
しかし、問題はその先にある。
「そば清」(あるいは「蛇含草」)という落語がある。蕎麦好きの清兵衛が旅の途中でウワバミが人を飲み込むのを見た。その後、ウワバミが道端の草を舐めると、ふくれた腹がみるみるひっこんだ。これは役に立つと思った清兵衛はその草を江戸に持ち帰った。江戸で彼は百杯の蕎麦を食べる賭けをする。例の草の効果をあてにしてのことだ。五十杯食べたところで、彼は草を舐めに部屋の外へ出たまま、いつまでたっても戻ってこない。
「清兵衛さん、こっちへいらっしゃい。返事がないね?逃げちまったのかな。来ないと、あけるよ」
―がらっとあけてみるってえと、お蕎麦が羽織を着て座っていました。
これが「そば清」のオチである。
ところが、現代の聞き手にとってはこれだけでは意味がわからない。困った落語家は説明を入れざるをえない。
「こりゃ、どういうわけで、おそばが羽織をきてすわってたてえと、ウワバミのなめた草は、人解草てえましてナ、人間のとける草をなめた。そいつを清兵衛さん、腹のへる薬だとまちがえて、こいつをなめたから、清兵衛さんがとけて、おそばが羽織をきてすわってました」(三代目三遊亭小円朝「そば清」)
この説明をよしとするかどうか。「お蕎麦が羽織を着て座っている」というグロテスクで不条理なイメージが説明によって壊れてしまうのだ。意味を伝えることと落語美学との二律背反。祥文の戦いが始まるのはここからである。

3 どくだみノートから
では、そろそろ筒井祥文の川柳を読んでみることにしよう。

御公儀へ百万匹の鱏連れて

「御公儀」とは時代がかっているが、時の政府ということだろう。そこへ「百万匹の鱏」を連れて行くのだから何らかの抗議行動というふうに読める。
「金曜日の川柳」で樋口由紀子はこの句を取り上げて、「鮫ならば来る理由もわかるし、来られる方も対処の仕方がありそうだが、鱏ではどうしようもない」と書いている。確かに「鱏」が「鮫」だったらこの句はもっと分かりやすくなる。「鮫」がメタファーとなり、意味性が匂い出すのである。けれども、樋口の言うように、鱏を連れた男の行動は理解不能なのだ。
私はこれを一種のキャラクター川柳と見て、作中主体を「鱏連れ男」と呼んでみたことがある。ただし、そんなことを言ってみても、何も明らかになるわけではない。
「百万匹の鱏」は川柳によく見られる「誇張法」である。そもそも、抗議される政府、抗議する大衆という図式をこの句ははるかに越えているのではないか。抗議される方が悪で抗議する方が善というのでもない。立場はいくらでも逆転するし、何が正しいかも不明確な現代社会である。そのような世界の中で、いっしょに連れていくとしたら鱏しかいないのではないかと思わせる奇妙な説得力がこの句にはある(おっと、私もつい説明に走ってしまったようだ)。

カッポレをちょいと地雷をよけながら

一読して分かりやすい句である。人を食ったようなところもある。実景というより、ある状況をとらえているのだろう。地雷地帯で本当にカッポレを踊るやつはいない。危機的状況に置かれても遊び心を失わない精神の姿勢。「首が飛んでも動いてみせまさあ」というところだろうか。ウソを現実のように見せるやり方がここにも見られる。

弁当を砂漠にとりに行ったまま

出ていったまま、いつまでたっても帰ってこない人がいる。煙草を買いに行ったまま帰ってこないなら演歌の世界であるが、なぜこの男(女でもよいが)は弁当を砂漠なんぞにとりに行ったのか。よく考えてみると変な状況である。そこで読者は「なんだ、これはウソの世界だったのか」と気づくのだ。弁当をとりに行った男がその後どうなったのか心配する必要はまるでなかったわけだが、人がいなくなったヒヤリとした感覚は妙に心に残る。

殺されて帰れば若い父母がいた

誰が殺されたのだろう。被害者が仏になって家に戻る。その家の父母は意外に若かった。そのように読めば現実の状景であるが、この読みには何か違和感がある。死者は時間を遡って過去の家にたどり着いたのだろう。そこには彼がまだ生れる以前の若いときの父母がいた。それを死者の眼が見ている。

夜景へ三度「カマイタチ」と叫ぶ

ビートたけしが昔つかっていた「コマネチ」のギャグのようなものだろうか。夜景に向かって三度も叫ぶ男は攻撃的である。
黒門町の師匠と呼ばれた桂文楽に『あばらかべっそん』という本がある。文楽の語ったことを安藤鶴夫が記録してできた本だが、書名の意味が何だか分からない。文楽の口癖だった言葉らしい。そういえば筒井祥文の主宰する「ふらすこてん」も意味が分からない。また、同誌の同人作品欄(祥文選)のタイトルは「たくらまかん」。別に砂漠の名前でもなさそうだ。

福助の頭で列車事故がある
改札を駆け抜けたのは原始人

「福助」の句は落語の「あたまやま」を連想させる。ある男がさくらんぼを食べたところ、頭から芽が出てきたので困る話である。芽は育って桜の大樹になり、花見客がこの男の頭に押し寄せる。うるさくてかなわないので樹をひっこぬいたあとに穴があき、池ができた。今度は釣人がきたり舟遊びをしたりするので、とうとう男はノイローゼになり、自分の頭に身を投げた…ナンセンス落語だが、幻想的なところもある。SF落語と言ってもよい。
「改札を」の句では異なった時代がミックスされている。初代権太楼の小咄にこんなのがあるそうだ。剣の達人が刀を抜いて果たし合いをしている。その間をすーっと自転車が通っていったというのだ。意識的に時代錯誤的演出をするのはいろいろな芸術ジャンルでよく見られることである。

沖にある窓に凭れて窓化する
動議あり馬の眉間へ馬を曳く

「沖にある窓」とは何だろう。作中主体と窓との位置関係に読者は幻惑される。しかも「凭れている人」自体が窓になってしまうというのだ。アポリネールの「オレノ・シュブラックの失踪」では男が壁化するが、この句は「窓化する男」という不条理なキャラクターである。
「馬の眉間」に馬を曳いていくという。馬を曳くのは現実の行為であっても、「馬の眉間」は現実の場所ではない。
筒井祥文の川柳及び「ふらすこてん」の同人作品を前にするとき、難解だという感想がよく聞かれるようである。けれども、「難解」にもいろいろな次元がある。読者は意味を問う前に自分の読みを問う必要があるのではないだろうか。落語のオチの意味が分からないときに、それを落語家に問うのは随分味気ない行為であろう。

祥文と書くどくだみが咲くノート

4 川柳の伝統ということ
祥文はなぜこのような句を書くのであろうか。
もともと筒井祥文は伝統派の川柳人に近いところから出発している。年譜によると、昭和五十六年ごろ、京都市内のスナックで「都大路川柳社」の会誌を見たのが川柳の世界に入る契機となったようだ。「都大路」のほか京都・大阪の「番傘」句会を渡り歩き、神戸の「ふあうすと」にも出向いて句会回りをしている。「都大路」が解散したあと、自ら「川柳倶楽部パーセント」を立ち上げ、さらにそれを発展的解消して現在の「ふらすこてん」に至っている。
いわゆる「伝統川柳」とは六大家を中心とした流れをさしている。岸本水府は「伝統川柳」という呼び方を嫌って「本格川柳」と称したが、内実は同じことであろう。「伝統」と「革新」という対立はもう無効になっていると私は思っているが、話を歴史的に整理する場合は、この言葉を使うしかない。私自身は伝統川柳の結社に所属したことがないが、「伝統川柳」ではなくて、「川柳の伝統」には忠実でありたいと思っている。しかし、筒井祥文の行き方は少し違う。祥文は「伝統川柳」にこだわり、衰弱した「伝統川柳」を下支えしようとする。「ふらすこてん」十三号の「常夜灯」(巻頭言)で祥文は「川柳が文芸である以上、オリジナルでなければならないことは当然です。しかしそれは句材が古いものは総てダメだということになりません。逆に古くても句として立ち上げ得るから文芸なのです」と述べている。伝統川柳に対する彼の考えをよく表していると思う。

はやらない旅館がむかしあった坂
夕焼けが城を正しい位置に置く
こんな手をしてると猫が見せに来る
どうしても椅子が足りないのだ諸君
花屋も閉めた白薔薇を売りすぎた
歳時記の裏の屋台で軽くやる
人魂が今銀行に入ったが
鼻唄で拾い集める壇の浦
本名をハリマヤ橋で誰か呼ぶ
栗咲いてセールスマンは尾根伝い

「はやらない旅館」は単なるノスタルジーではないだろう。古典落語にせよ新作落語にせよ、落語を演じるのは現在の話者である。そういう意味では、落語は古典ではなく現在ただいまの話芸なのだ。川柳においても「伝統川柳」の体現者がいるとすれば、彼は最も現代的でなければならない。「正しい位置」などもうどこにもない現代で、なお川柳を書き続けていく行為とはどういうものだろうか。祥文はふと観客をいじってみせる。「どうしても椅子が足りないのだ諸君」と。「ふらすこてん」に祥文は「番傘この一句」という連載を続けている。『番傘』誌に掲載された作品を丹念に拾い、読み続けていく作業である。それはきわめて孤独な営為とも言えるだろう。
『筒井祥文集』に収録の「芸人宣言」という文章で、祥文は「川柳家は『芸人』や『職人』である」と宣言したあと、次のように述べている。
「卑下することもない。かの桂枝雀は命懸けで『桂枝雀』をこの世に演りに現れたし、かたや古今亭志ん生は見せる芸を超えて『晒す芸』をやってのけた。人間国宝には桂米朝さんがいる。『職人』になって機能美を追求することも悪くないのではないか。何も恐れることはない。狂句もバレ句も噛み砕く力があればよいのだ。居直れば小生意気な芸術家の一人や二人は喰えようというものである」
第二芸術論に対して高濱虚子は「俳句もようやく芸術になりましたか」と述べたという。第二芸術論の際に取り上げられすらしなかった川柳は、これまで芸術になろうと必死の努力を続けてきた。川柳に「詩」を導入したり、「私」を導入したりするのはその証である。けれども祥文は平然としてこんなふうに言い放つ。

オヤ君も水母に進化しましたか
なら君も文学論と情死せよ

2019年3月1日金曜日

彦坂美喜子『子実体日記』(思潮社)

雑事が重なって二月は時評を更新できなかった。三月に入り、気分一新して時評に取り組みたい。
休んでいる間に読んだものの中から、彦坂美喜子の詩集『子実体日記 だれのすみかでもない』(2019年2月、思潮社)を取り上げることにする。彦坂は短歌誌『井泉』のメンバーなので、歌集かと思って本を開いてみると詩集なのだった。
冒頭の詩「つれてゆきたい」はこんなふうにはじまっている。

つれてきてやりたいつれてゆきたいと男同士の道行きである
両手で湯のみを抱く
たぶん理由なんてないよナァ
からだがなだれてくずれていく
帰ってきて笹川のほとりへ
石と水の接触点に
解凍した魚から流れる液汁
きれいに拭いてやってください
マニキュアの剥がれた爪と長い髪どこで私をすてたのだろう
頭からハナサナギタケが生えている夜はゆっくり起だしてきて

このあとまだ続くのだが、五七五七七の短歌形式と自由詩形式がミックスされていて、全体として現代詩になっていることがわかる。作品の成立過程については、栞の倉橋健一の文章「口語自由律のあらたな地平へ」で詳しく説明されている。倉橋は次のように書いている。

〈 詩集として編まれることになったこの『子実体日記』は、主な初出は私たちの同人誌「イリプス」で、2009年4月刊の三号にはじまって2017年6月刊の二十二号まで、二十回に亘って、一貫して短歌として発表された。詩として別に発表した作品もあったから、私自身短歌であることを訝しげに思ったことなど一度もなかった。〉
〈 それが今回ゲラ校を見ておどろいた。そのまま姿をかえて詩集となり、三十のタイトルがつけられて、それぞれ連作詩のたたずまいをとりながら独立した詩篇となり、そのための大幅な、改稿というよりは、編むための手順そのものを喩的な了解事項としつつ、ま新しい装いをもって、こうして私たちの前に姿をあらわしてきたからである。〉

短歌として発表されたものを現代詩として再編する。あるいは、読者が短歌と受けとった作品を現代詩のかたちにリサイクルする。これは大胆な試みに違いない。
最初の一行が「男同志の道行き」とあるからにはことは恋愛にかかわっている。「どこで私をすてたのだろう」というフレーズは「私性」との関連を思わせる。ハナサナギタケ(花蛹茸)は実在する菌類で、セミに寄生するいわゆる冬虫夏草の一種である。
タイトルの「子実体(しじつたい)」とは聞き慣れない用語なので、調べてみると菌類のキノコのことなのだった。キノコは菌類の本体ではなくて、地下に隠れている菌糸体が本体なのだそうだ。キノコの部分は胞子を発射するための装置にすぎない。菌類の生態はけっこうおもしろくて、子実体と菌類についての知識を仕入れるのに数日を費やして回り道をした。子実体のイメージを使って彦坂は何を表現しようとしているのだろうか。

彦坂美喜子とはけっこう以前からの知り合いである。
2004年6月に「短詩型文学における連句の位置」というイベントをアウィーナ大阪で開催したことがあるが、そのとき彼女に短歌のパネラーを依頼した。彦坂は「現代短歌における私性の変化」について語った。『井泉』のことはこの時評でも時々紹介しているが、私がこの短歌誌を毎号読むことができるのは彦坂との縁による。
第一歌集『白のトライアングル』(1998年4月、雁書館)は「あ」の歌から始まっている。

記せないきみとの時間かさねつつただ抱きしめているだけの「あ」
粉々に割れてきらめく三角のミクロの世界で君にあう
まっしろな時間の底に降りてゆくきみとわたしの「あ」がかさなって
キミハキミヲアイする連鎖限りなく作動しているアンチ・オイディプス
三角が白くかがやく海にいて果てまでワタシといきますか

「あ」は「アイ」へと変容してゆき、そこに「白」と「三角(トライアングル)」のイメージが加わってゆく。キイ・イメージを連鎖させ、重ねあわせてゆく方法のようだ。テーマは愛。そこにオイディプス・コンプレックスがからまっている。
短歌の定型に対する疑いが彦坂には見られる。五七五七七の最後の七を五音にするのは、塚本邦雄ばりの「五止め」の手法だろう。
彦坂には最初から短歌形式をはみ出すものがあった。「短歌は私にとって常に『問い』の詩型でした」(あとがき)と彼女は書いている。彦坂には短歌と並行して現代詩に対する強い関心があったのだ。

第一歌集で「白のトライアングル」というモティーフを用いた彦坂は、今度の詩集では「子実体」のモティーフを駆使している。

関係を問い返しているその度にベニテングタケが増えてゆく (「つれてゆきたい」)
わたくしがわたくしを産む瞬間の叫びは土のなかに響いて (「身体は途中から折れ」)
ざっくりと言えばがっつりいくような人がサクッってこどもを産んだ(「執拗に愛する」)
いつでもどこにでもいるいなくてもいることさえもわからないオレ(「ここにいるのに」)
吸根をあなたの身体に刺し入れて枯れるまで一緒にいてあげる
(お礼いうてええのんかしら          (「変態をくりかえし」)
関係のない関係を続けてる擬足のような手をのばしあう(「移動する」)

この詩集のなかから短歌形式の部分だけを抜き出すのは邪道だろうが、詩全体を引用するのは大変なので、やむなくこのようにしている。
子実体は胞子を飛ばし、移動し発芽して増殖、宿主を食い尽くし、「私」を解体する。菌糸は思いがけないところにまでネットワークを伸ばし、そこで新たな子実体を生成する。

「何かを分類し体系づけようとするときに、いつもその枠組みから外れるものたちがあります。それは異質な魅力を持っています。『子実体』は、菌類の生殖体で、胞子を生ずる器官。菌類は分裂し、飛散し、ランダムにアトランダムに拡散増殖し生成を続けます」
「詩とか歌とかも一度その枠組みを外してみたい。春日井建のもとで短歌の世界に関わり、詩も書いてきた私にとって、言葉の表現はジャンルを超えて自由な世界を持っていると思われました」
「五句三十一音だけが短歌ではない、という自由な発想を敷衍して、型を少し崩せば表現は詩にも歌にもなります」(『子実体日記』あとがき)

彦坂は意識的な表現者である。これに私が付け加えることは何もない。ルーツは違うとしても私が彦坂に共感するのはジャンルを相対化する視点である。


2019年1月26日土曜日

「川柳スパイラル」大阪句会 (付)短句の四三について

1月19日、大阪・天満橋のスピン・オフで「川柳スパイラル」大阪句会が開催された。
スピン・オフは歌人の岡野大嗣が運営しているスペースで、歌会・句会・落語のイベントなどに利用されている。20数名が入れる快適な空間である。
この日は24名の参加者があったが、川柳人だけでなく、川柳に関心のある他ジャンルの表現者も集まった。川柳人が半分くらいで、川柳と連句を兼ねている者が3名、俳人が3名、歌人が2名のほか詩人や短歌と川柳を兼ねている者などであった。けれども、こういう分け方そのものがあまり意味のないことだと、いま書きながら思った。ジャンルはともかく、川柳に関心のある人々が川柳の読みと実作のために集まったということだ。
最初にゲストの瀬戸夏子に話を聞いたが、瀬戸の「現代詩と川柳が近い」という発言にはびっくりした。この発言については、八上桐子も自分のブログで触れている。
従来、川柳は「私性の表現」という点で短歌に近いと言われてきた。川柳と俳句は同じ五七五定型なのでその区別がやかましいが、短歌と川柳は形式が違うので安心して内容の共通性を言うことができる。詩性を追求するなら川柳ではなくて俳句だろうという意見も飛び交っている。かつて柳俳異同論の際に、川柳が俳句に近づいているという言説に対して、そうではなくて俳句が川柳に近づいているので、川柳は詩に近づくのだという反論があった。その場合、「詩」こそが上位のジャンルであるというヒエラルキー意識(あるいは「詩」に対するコンプレックス)がなかったとは言えない。瀬戸の発言はそういうヒエラルキー意識とは無縁だろうが、他ジャンルの読者にとって川柳が一行の詩として読まれることがようやく可能になってきたのだ。こういう議論はめんどうくさいね。これまでの経緯があるので、ついそんなことを思ってしまう。
さて、会場にはウェブ川柳に投句している人も何人か参加していたので、森山文切に話を聞いてみた。森山の運営している「毎週web句会」では毎回約50名の投句があり、そのうち約30名は短歌も作っている人だそうだ。森山は「川柳にはプレーヤーがいる」「川柳は簡単にプレーヤーになれる」と語り、川柳に欠けているのはセールスだという。
川柳人は従来、「流通」ということにあまり熱心ではなかったが、川柳句集の数が増えてきた現在、流通の手立てを開拓することも必要となってきている。サラリーマン川柳などを除けば、川柳のマーケットはそれほど大きくはないので、個々の川柳人の地味な努力が必要だろう。クリエーター、エディター、プロデューサー、キューレーターなどの役割分担ができれば、安心して作品を作ることに専念できるのである。
川柳の句会にはいろいろなやり方があるが、当日は互選。一人一句出句で雑詠と兼題「滲む」が各24句ずつ。それぞれ4句ずつ選び、高得点順に句の読みを語り合った。無点の作品については作者名を明らかにしない。短歌の歌会にはあまり行ったことがないが、点は入れても高得点順に取り上げるというのではなく、無点の作品も全部作者名を開いて語り合うようだ。
川柳の句会で参加人数が多くなれば一句について話し合う時間は短くなる。明治のはじめごろは川柳でも互選句会が多かったようだが、時間がかかりすぎるので任意選者制に変った。互選から任意選者制への移行については尾藤三柳『選者考』(新葉館)にくわしい記述がある。
今回は時間の制限もあり、それぞれの句について十分話し合うことができなかった。句会は生き物であり、そのときのメンバーや条件にも左右される。完璧な句会というものはありえず、参加者のそれぞれが何らかの収穫を得て帰ってもらうことができれば満足するべきだろう。句の読みについて、リアルに読むのか言葉から読むのか、スタンスの違いが感じられ、句会に出す作品についても、動かない完成作品として出すのか、出席者の反応を見るための実験として出すのかで、若干の認識の違いがあった。
当日の作品は「川柳スパイラル」の掲示板に掲載してあるのでご覧いただきたいが、最高点の二句だけ紹介しておく。

雑詠   ホチキスが知らない住所から届く    鳥居大嗣
「滲む」 にじみながら海は七つと決められる   兵頭全郎

(付)短句の四三について

短句の四三問題というのは、連句の短句(七七句)における四三調の結句を良くないものとして禁じることで、日本語の基本的リズムが四拍子であるため、三音で終わるのが不安定であることを根拠とする。芭蕉連句において短句に四三調が一句も見られないことも有力な理由とされる。
日本語の韻律については別宮貞徳『日本語のリズム』(講談社現代新書)、菅谷規矩雄『詩的リズム』(大和書房)、坂野信彦『七五調の謎をとく』(大修館書店)、松林尚志『日本の韻律』(花神社)などの研究があり、すでに語り尽くされている。
短歌においては斎藤茂吉が「短歌における四三調の結句」(岩波文庫『斎藤茂吉歌論集』)という歌論を書いて、近代短歌では四三調の使用は何ら問題がないことを論じて以来、四三の禁をとなえるものはいない。
四三がいけないというのは連句界だけであり、最近は一部の川柳人が連句の知識を教条的に仕入れて十四字(七七句)における四三の禁を唱えている。
現代日本語において四三のリズムを一律に禁じるのは無理があり、連句の短句でも四三のリズムは可能なら避ければよいが、無理に三四などのリズムに直すのは逆に不自然である。たとえば不安定な心情を表現するには四三の方がぴったりする場合もある。芭蕉連句のリズムをそのまま現代連句に当てはめるのは無理であり、ましてや現代川柳のルールとすることには疑問がある。
自由律俳句においても山頭火の七七句などには四三調が見られる(「うしろすがたのしぐれてゆくか」など)。「一句一律」の自由律で四三がだめだというのは無茶な話である。
連句における短句の韻律についてはもっと丁寧な議論が必要だが、ネットなどで七七句が発信されるようになってきたので、取り急ぎ私見を書きとめてみた。

2019年1月20日日曜日

本間かもせりにおける七七句の再発見

本間かもせりは以前から七七句に関心をもっていて、「川柳スパイラル」の会員欄でも七七の実作が多かったが、このところネットでも発信が目立っている。彼がツイッターで「#かもの好物」として七七句を募集したところ、64名、130句の作品が集まったそうだ。潜在的に関心のある人を掘りおこすことに成功したと言えよう。詳しいことは彼のツイッターをご覧いただきたいが、たとえばこんな作品がある。

店長らしくないから鎖骨    たぶん
無意識尽きて村上春樹     川合大祐
コラム膨れの偽史を平積み   羽沖
モノクロームの子宮と右手   亀山朧
銀河星雲神話体系       IZU
また家出して海を見に行く   天坂

私は「川柳スパイラル」4号の「ビオトープ―現代川柳あれこれ」で本間の作品について次のように書いている。
「連句や前句付にもある短句(七七句)を独立させたのが武玉川調。本間かもせりは七七句の現代的可能性を精力的に追求中のようだ。『入道雲の遺書に打たれる』は突然の雷雨をもたらす入道雲と遺書とを連想で結びつけている。『再利用する午後の肉体』はやや抽象的で場面が想像しにくいが、肉体を物体化してとらえているところにおもしろさがある。連句の短句は前句に付かなければならないが、川柳の七七句は一句で独立することが求められるので、どのようにして他にもたれかからずに一句独立するかというところにおもしろさと困難さがある」
私自身、十四字(七七句・短句)への関心は深く、拙著『蕩尽の文芸』(まろうど社)には「十四字の可能性」という章を収録している。そこでも述べていることだが、『武玉川』には次のような完成度の高い七七句が多い。

鳶までは見る浪人の夢
二十歳の思案聞くに及ばず
手を握られて顔は見ぬ物
腹のたつ時見るための海
夫の惚れた顔を見に行く
肩へかけると活る手ぬぐい
恋しい時は猫を抱上げ
猟師の妻の虹に見とれる

これらの句は今でも古くなっていない。では、近代川柳の世界ではどんな七七句が書かれているだろうか。

白粉も無き朝のあひゞき    川上三太郎
はつかしいほど嬉しいたより   岸本水府
いつものとこに坐る銭湯     前田雀郎
時計とまったまゝの夜ひる    鶴  彬
クラス会にもいつか席順     清水美江
うるさいなあとせせらぎのやど  下村 梵
無理して逢えば何ごとも無し   小川和恵
監視カメラはオフにしていた かわたやつで

佐藤美文編集・発行による川柳雑誌「風」は、五七五形式の川柳とは別に十四字の投句欄を設けている。彼の師である清水美江にも十四字作品があることから「風」誌は十四字を川柳の遺産とする視点を受け継いでいる。
『風・十四字詩作品集』(2002年12月、新葉館出版)が発行された。この句集には22人の作品が各50句ずつ収録されており、何人かの作品を紹介してみよう。

記念写真へ今日は晴れの日    阿部儀一
紫の夜むらさきに咲く      泉 佳恵
隣と競い派手な豆まき    かわたやつで
鳥の素顔を見てはいけない    小池正博
ドミノ倒しへ誰が裏切る     佐藤美文
姫が不在で欠伸する騎士     瀧 正治
中原中也連れて居酒屋     中山おさむ
秘密をかくす葉牡丹の渦     林マサ子

さて、七七句にはどうしても未完の感じがつきまとうところがある。一句独立する根拠は何だろうか。前掲の拙著では暫定的に次の三点を「十四字が一句で独立する根拠」として挙げておいた。これが現在どの程度妥当かわからないが、新しい作品の展開によって整理しなおす機会があればいいと思っている。

1 スナップショット
2 メタファー
3 詩的飛躍

1は印象の鮮明な情景描写の句。屹立感はなくても、写生やイメージの鮮明さによって完結する場合。
2は隠喩の力を借りて意味性を際立たせる場合。これは五七五形式でも同じだろうが、十四字の場合は特にメタファーの力を借りることが有効な場合がある。
3は十四字という最短詩型でポエジーを表現するには生命線ともいうべきもの。ただし、詩情などというものは計算して表現できるものではないので、失敗した場合は非常に独善的なものとなってしまう。

さて、本間は七七句からさらに連句へと関心を進めているようだ。ネットでも作品が若干発表されはじめているが、今後の進展が楽しみだ。
最後に本間の自由律作品を「海紅」から紹介しておこう。
本間は本来自由律の俳人であるが、自由律→七七句(短句)→連句という道筋は私にはごく自然な展開のように見える。短詩型文学の世界は、どの入口から入ってもすべて繋がっている。

土筆校庭跡ヲ制圧ス      「海紅」平成30年7月
目印はかつて商店だった
紅い風の端っこに座る     「海紅」平成30年8月
あの夜も寝苦しかったディエゴ・マラドーナ
月それ自体耳である      「海紅」平成30年12月
無駄使い月痩せてしまった

2019年1月13日日曜日

川合大祐と川柳の仲間

21世紀のはじめ、ゼロ年代最初のころの川柳作品はどのようなものだっただろうか。
手元に「川柳の仲間 旬」115号(2002年1月)があるので開いてみた。
「新旬招待21世紀の川柳」のコーナーに15人の川柳人の作品が10句ずつ掲載されている。そこから任意に抜き出しておく。

誰かれと付き合い花を散らさんや     細川不凍
背開きにされて魚は飛ぶかたち      阿住洋子
唇から唇へ海底トンネル         北沢瞳
生真面目な海月と約束したのだが     北野岸柳
来るものへ桜の枝をビュンと振る     情野千里
二十世紀が沼の底から呼んでいる     津田暹
地下道を走る地下道ついてくる      徳永政二
それぞれが発行体を買ってゆく      峯裕見子
つきつめればあんたもわたしもせつない水 吉岡富枝
国歌として青い山脈唄いたい       渡辺隆夫

今から17年ほど前にこのような作品が書かれていて、現在とそれほど大きな変化はない。それぞれの作者によって主題と方法は異なるが、テン年代が終わろうとしている現在では川柳作品はさらに多様な展開を見せている。
私が「旬」のこの号を保存しているのは、「人物クローズアップ」の欄に川合大祐が登場したからである。私は川合大祐の作品にこのときはじめて出会った。
川合については今までもこの時評で取り上げている(「川合大祐の軌跡」2015年3月13日、「川合大祐句集『スローリバー』」2016年8月20日)。初期から句集発行までの川合の軌跡についてはそちらを参照されたい。
今回取り上げるのは、川合の最近の活動で、その領域は多彩に広がっている。
「旬」221号(2019年1月)は最新号だが、「せせらぎ」(220号より)というコーナーがあり、川合が「旬」の前号から選句している。このグループの現在位置を示すものとして紹介しておく。

寒くないですか。メールを送りましょうか。  千春
よって黒黒一目を置きましょう      小池孝一
謎めいたちくわパンだけ残ってる     桑沢ひろみ
やめるって棘の痛みを伴うね       樹萄らき
百円林檎大きな方を一個買う       池上とき子
大蜘蛛となって大きな巣を掛けよ     大川博幸
老人とロダンは風を考える        丸山健三

川合は「ストリーム220号より鑑賞」という文章を書いている。作品鑑賞のかたちを借りているが、テーマは「川柳とは何なのか」という問いである。
「川柳とは何なのか。
 この問いに答えられるならば、その人はとっくに川柳を止めているだろう。と、いう仮定に添うとして、『川柳とは何なのか』と問いつづける行為自体が、『川柳をし続ける』ことであるとは、とりあえず言うことは出来る。無論、それは『川柳とは何なのか』という問いへの答えではない。
 だが、『川柳とは』と問い続けることは、すなわち川柳を作るということである。たとえそれを意識しているいないにかかわらず。川柳を作っている、あるいは作ってしまった瞬間に、すでに『川柳とは何なのか』という問いが投げ出されているのだと、私は思う。
 だからこそ、『川柳は〇〇である』と答えてしまった時点で、その人の川柳は否応なしに止まってしまうのだ」

こういう正攻法だけでなく、川合は小説のかたちでも川柳についての思考を展開している。「川柳スパイラル」に連載中の「川柳小説」である。登場人物はふたりで、中学生の百合乃とその父親。川柳をめぐって珍妙な対話が続く。第一話「いかに句を作るか」、第二話「世界が終わるまでは…」第三話「地球の長い五七五」、第四話「存在と字間」。連載の最初の原稿が送られてきたとき、私は笑い転げて読んだが、川合の小説にはけっこうファンが多いようだ。第一話の冒頭だけ紹介する。

「川柳をはじめようと思う」
と父が言った。
「もちろん、『腹が出た 上司のほうが パワハラだ』みたいなサラリーマン川柳じゃないぞ。もっとこう芸術として追求された、革新的な文学作品を書いてみたいんだ。ついては、聖ピカデリー学園中等部文芸部部長であるお前の意見も聞きたい、百合乃」

最近の川合はネットやSNSでの活躍も目立っている。森山文切が運営している「毎週web句会」のことは前回も紹介したが、「第2回毎週web句会いちごつみ川柳」(平成30年8月18日)の最初の6句は次のようになっている。

怪物の宴にもある爪楊枝          文切
怪物の生理の妻とラリアット        大祐
リア充を装っている腕時計         文切
腕時計ガラス砕ける癌の城         大祐
タラちゃんがガラスの靴を履きたがる    文切
履きたがる焼け跡戻るロビンソン      大祐

ところで、『川柳サイドSpiral Wave』第2号(2017年9月)に樹萄らきは次のような句を掲載している。

大祐くんに汝名がでしゃばる比率   樹萄らき

「汝名(なな)」は「大祐」の別人格である。さまざまな川合大祐がいる。次はどんな川合大祐を見せてくれるのか。その展開をこれからも楽しみにしている。

2019年1月5日土曜日

現代川柳 今年の方向性

新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
この時評は2010年8月にスタートしたから、多少の中断はあるものの、今年で足かけ10年ということになる。

昨年末、12月23日に柿衞文庫で現俳協青年部による企画「戦後俳句を聞く(1)坪内稔典と片言の力」という集まりが開催された。案内文に曰く。
「昭和から平成へ。戦後俳句から、現代の俳句へ。
俳句の可能性をひろげてきたトップランナーたちに、その歩みを聞く。
第一弾は、正岡子規研究やユーモアあふれるエッセイでも知られる坪内稔典氏。
俳句史と切り結び、軽やかな口語俳句で魅了する、坪内氏の原点を探る」
ということで、坪内自身の口からまとまった話を聞くことができた。聞き手は久留島元と野住朋可。坪内の講演はこれまで何度か聞いたことがあるが、「僕はふり返るのは好きじゃない」と本人が言うように、坪内が自らの俳句史について語るのは珍しい。「声に出して読む言葉」「雑誌を作るのが好き」「俳壇とは距離を置く」などの発言のほか、金子兜太が若き坪内に語った「君たちは高島屋から飛び降りろ」という言葉など、印象に残った。
この企画、ゲストをかえて今後も続くというから楽しみだ。

さて、川柳のフィールドでは今年どのような動きがあるだろうか。
昨年、目についた方向性のひとつにWeb句会の活発化がある。
Web句会は従来からあるが、いま特に注目されるのは森山文切が運営している「毎週web句会」である。「川柳スパイラル」3号の特集「現代川柳にアクセスしよう」で飯島章友は「便利なウェブサイトの紹介」として次のように取り上げている。

【毎週web句会】(http://senryutou-okinawa.com/)
川柳塔社の森山文切氏が運営するウェブサイト。同サイトの「川柳ブログリンク」の欄は、全国の川柳ブログやホームページが県ごとに纏められている。同じく「WEB句会リンク」の欄は、ウェブで参加できる句会や、ラジオ・テレビの川柳コーナーで、結果がウェブサイトで確認できるものが纏められている。

詳しいことは森山のサイトをご覧いただきたいが、「天」に選ばれた句を任意に紹介してみる。

柚子ひとつ残して地球平面化     ( 川合大祐) 133回
ぬかるみを缶ぽっくりのまま進む ( 秋鹿町 ) 134回
なしくずし的に丘などやってます ( 杉倉葉 ) 137回
ゆっくりと燃えないパフェを食べている ( 笹川諒 ) 138回
みつけようどうぶつえんの密猟者 ( 愁愁 ) 140回

また、「いちごつみ川柳」というのもある。
前の人の句から「一語」とって自分の句に入れて作り、次の人も同様に一語取り、規定の句数になるまで順々に繰り返すもの。最初は短歌で始まったものらしいが、川柳でも行われるようになった。第3回(2018年8月25日、ツイッター)海月漂と森山文切による「いちごつみ」の最初の6句を紹介する。

夏だから勇気を出してみたクラゲ (文切)
骨ありのクラゲ探してローソンへ (漂)
ローソンで立ち読みをする猫娘   (文切)
猫娘寝込んでいたら八頭身 (漂)
ぬりかべを八頭身にするヤスリ (文切)
ヤスリかと思っていたら兄だった (漂)

海月漂(くらげただよう)はbotも運営している。前掲の飯島による紹介を引用しておく。

【現代川柳bot】(https://twitter.com/tadayou575)
現代川柳の作品が一定間隔で自動ツイートされている。川柳にはアンソロジーが少ないだけに有用なbotだ。

WEBやSNSが万能というわけではないが、現代川柳発信のための有効な手段のひとつとして今後も活用されてゆくだろう。句会や紙媒体に掲載される作品とweb上の作品とは重なる部分と異質な部分があり、両者がうまく循環してゆくことが望まれる。

川柳人と他ジャンルの表現者との交流は以前からも断続的に続けられてきたが、「川柳とは何か」「俳句と川柳はどう違うか」というような机上の議論が多かった。超ジャンルの合同句会を経て、川柳に関心をもつ他ジャンルの作者が川柳の実作を通じて川柳性を体感する段階にきているようだ。
「川柳スパイラル」2号では我妻俊樹・平岡直子・平田有・中山奈々などの川柳がゲスト作品として掲載され、4号では初谷むい・青本瑞季・青本柚紀が登場した。

昆虫がむしろ救いになるだろう     我妻俊樹
縊死希望かねそんなちょび髭をして   中山奈々
口答えするのはシンクおまえだけ    平岡直子
振り上げたならそののちは下ろされる  平田有
愛 ひかり ねてもさめてもセカイ系  初谷むい
右足がどんどん雨に置き換はる     青本瑞季
世界史のねむると長くなる廊下     青本柚紀

それぞれの主とするフィールドは別にあり、川柳に対する関心度もそれぞれだが、実作を通じてジャンル・形式の違いと手ざわりが感じられ、川柳の表現領域が拡大したり川柳性が変容したりする可能性が生まれる。「詩」の表現という面からも、たとえば「俳句における詩の表現」と「川柳における詩の表現」とでは現れ方が異なり、背負っている史的背景も異なるのである。

従来の川柳は句会と結社誌・同人誌を中心に推移してきた。そこから「句会作者」と「文芸としての川柳をめざす作家」が乖離する傾向が見られることもあった。
以前に比べて川柳句集が多数発行されるようになり、狭い範囲かもしれないが流通もはじまっている。「文学フリマ」や川柳に理解のある書店との連繋など、川柳の流通・販売を考えないといけない時期にきている。物質としての句集を出すだけではなく、それがどう読まれていくかまで視野に入れて川柳を発信していくことが必要だろう。
現代川柳を取りまく環境は変化してゆく。固定した何かがあるわけではないのだ。川の流れ、水の流れのようなものだろう。ヒト・モノ・コトバの関係性も変化する。そのなかでそれぞれの精神的・身体的・経済的条件に応じて表現活動を続けてゆければよいと思うのだ。