2019年12月28日土曜日

2019年回顧(川柳篇)

瀬戸夏子著『現実のクリストファー・ロビン』(書肆子午線、2019年3月)のことから話をはじめよう。この本は瀬戸が書いた2009年から2017年までの文章と作品が収められている。短歌の話題が主だが、現代川柳のことも取り上げられている。

「私がすごく川柳に惹かれたのは、言葉の使い方が俳句とも短歌とも現代詩とも違うんですよね。それがすごく新 鮮だった。とくに短歌を読みなれていると、ぎょっとすると 思う。これは他では絶対に使えない言葉とか、この用法は絶対ないな、俳句にもないなという語法や用法。」
「言葉をどう光らせるか、陰影を作るか、言葉をどう浮かせるか、目立たせるか。それで、私は川柳に触れたことがほとんどなかったので、同じ定型詩なのに言葉の浮かせ方や使い方がこれまで読んできた定型詩とは全く違ったのがすごく新鮮だった。なので、読者としてすごく夢中になって、今の時点で言うと、単純に読者としてすごく刺激を得られるのが大きい」(「瀬戸夏子ロングインタビュー」)

瀬戸夏子を入り口として短歌フィールドの表現者たちが現代川柳の世界に入ってくるようになった。暮田真名はそんな一人である。
暮田真名句集『補遺』(2019年5月)の巻頭に置かれた次の句は暮田がはじめて作った川柳作品らしい。

印鑑の自壊 眠れば十二月  暮田真名

昨年10月に予定されていた『補遺』の句評会は台風のため延期となったが、来年の2月9日に改めて開催されることになっている。川柳をはじめて2年で句集を出し、句評会を開催するという、従来の川柳人とはまったく異なる動き方をする若手作者が登場してきた。

八上桐子の『hibi』(港の人)が刊行されたのは昨年だが、今年5月に句評会が東京・王子の「北とぴあ」で開催された。報告者は牛隆佑・飯島章友の二人。参加者がそれぞれ句集の感想を語り合ったので、句評会というよりは句集の読書会のようなものになった。
その後、八上はフクロウ会議の『蕪のなかの夜に』に参加。フクロウ会議は、八上桐子(川柳)、牛隆佑(短歌)、櫻井周太(詩)のユニットである。内向きの川柳人が多いなかで、彼女は他ジャンルとも交流しながら作品を作ってゆく。これも従来の川柳人にはあまり見られなかった動きである。八上は9月28日に梅田・蔦屋書店で開催された「現代川柳と現代短歌の交差点」でも岡野大嗣・平岡直子・なかはられいこと並んでパネラーをつとめた。

もえて燃えきってひかりにふれる白    八上桐子
しろい夜のどこかで蕪が甘くなる

句集の刊行として注目されるのは、柳本々々の『バームクーヘンでわたしは眠った』(春陽堂書店、2019年8月)である。川柳日記というかたちで、春陽堂のホームページに連載したものを一書にまとめている。イラストは安福望。

年賀状がだせなくてもまだ続いてく世界  柳本々々

その柳本との対談を収録している竹井紫乙句集『菫橋』(港の人、2019年10月)。

川原君は駄菓子で出来ているね  竹井紫乙

新家完司川柳句集(七)『令和元年』(新葉館出版)。
完司は五年ごとに句集をまとめ発行している。この持続力は見上げたものである。

大胆に行こうこの世は肝試し    新家完司
悪口は言わずノートに書いている

昨年亡くなった筒井祥文の遺句集『座る祥文・立つ祥文』(筒井祥文句集発行委員会)が12月に上梓された。「座る祥文」はセレクション柳人『筒井祥文』から、「立つ祥文」はそれ以後の句が収録されている。

あり余る時間が亀を亀にした    筒井祥文
何となく疲れて海に腰かける

今年もこれで終わりだと思っていると、年末になり『石部明の川柳と挑発』(葉文館ブックス、2019年12月25日)が発行されたので驚いた。堺利彦・監修。石部明の若くて元気だったころの写真も掲載されている。石部の作品は比較的よく知られていると思うが、「冬の犬以後」の章から何句か紹介する。

肉体のどこ抱けばいい桜餅   石部明
あぶな絵のちらちらちらと雪もよい
黄昏を降りるあるぜんちん一座

こうして振り返ってみると、以前に比べて今年はずいぶんたくさんの句集・川柳本が発行されたものだ。
最初に短歌フィールドにいる表現者たちの川柳への関心について述べたが、短歌フィールドの表現者である三田三郎や笹川諒も最近は川柳に傾斜してきている。「ぱんたれい」vol.1から笹川諒の作品。

みずぎわ、とあなたの声で川が呼ぶ   笹川諒
ゆっくりと燃えないパフェを食べている 
風鈴を非営利で鳴らしています

もはや川柳界の内部とか外部とか言っている場合ではない。作品としての川柳に関心を持ち、川柳のテクストから刺激を受け取っている作者や読者が徐々に増えてきているのであり、その傾向は来年も続くだろう。

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