2024年11月29日金曜日

蕉風の付け方

10月27日に国民文化祭ぎふ「連句の祭典」が岐阜市の「じゅうろくプラザ」で開催された。国文祭には例年、川柳ではなくて連句のイベントの方に参加している。
その前日、大垣の「奥の細道むすびの地記念館」を訪れた。芭蕉は大垣に四度来ている。『奥の細道』の終着が大垣で終っているのはよく知られているが、それは三度目の旅でのことだった。大垣には谷木因(たに・ぼくいん)という俳諧師がいて、芭蕉とは交流があった。木因は大垣蕉門の中心人物で、「むすびの地記念館」のそばに芭蕉と木因の二人が並び立っている像がある。
芭蕉の第一回大垣来遊は貞享元年(1684年)晩秋、『野ざらし紀行』の旅のときである。木因を訪問したあと、芭蕉は名古屋に向かい「尾張五歌仙」(『冬の日』)を巻く。名古屋は蕉風発祥の地といわれている。

「大垣に泊りける夜は、木因が家をあるじとす。武蔵野を出づる時、野ざらしを心に思ひて旅立ければ
 死にもせぬ旅寝の果てよ秋の暮」(『野ざらし紀行』)

この旅の冒頭の句「野ざらしを心に風のしむ身哉」と比べると余裕が感じられ、木因と会うことが旅のひとつの目的だったことが分かる。
さて、「むすびの地記念館」の展示の監修もしている俳文学者の佐藤勝明は、「江古田文学」113号(特集・連句入門)で蕉風の付け方について、見込・趣向・句作の三工程があったと述べている。

作者の頭のなかでは、前句への理解である「見込」と、それに基づいて次の句では何を取り上げようかなという「趣向」、さらに実際に素材や表現を選んで整える「句作」の三工程があって、見込から趣向を導く際には、一種の自問自答のようなものがあったのではないか、と私は考えています。(特別講座「芭蕉連句入門書」入門)

具体例として佐藤が挙げているのは、『去来抄』の次のエピソードである。
「あやの寝巻にうつる日の影」という前句に一座のみなが付けあぐんでいたときに、芭蕉が「よき上臈の旅なるべし」と助言したところ、去来がたちまち「なくなくも小さき草鞋求めかね」と付けることができた、というのである。
前句の「あやの寝巻」は女性だろうが、深窓の令嬢であれば日光の当たる部屋ではなく、奥まったところにいるはずだから、これは日常ではなく旅だろうと芭蕉は考えた(見込)。というのが佐藤の解釈である。去来はこの見込を受けて、泣いてみても小さい草鞋は手に入らないという句を付けた(趣向、句作)。
この話は芭蕉流の付け方の骨法を伝えていると佐藤は言う。前句はどういう場か、どんなひとなのだろうかを考え、それに位を合わせる付け方である。
この付け方を現代連句の実作の場で可視化しようとしたのが鈴木千惠子である。鈴木の『杞憂に終わる連句入門』(文学通信、2020年)に収録されている歌仙「老が恋」の巻は蕪村を発句とした脇起りであるが、最初の四句だけ引用する。

老が恋わすれんとすればしぐれかな  与謝蕪村
 ちりちり痛む胸の埋火       鈴木千惠子
迷ひ犬人混み分けてさがすらん    玉城珠卜
 ニュースを流す壁のあちこち    佐藤勝明

佐藤勝明が連衆に入っているのが注目されるが、この作品には解説が付いていて、こんなふうになっている。

ちりちり痛む胸の埋火
 見込 発句にはわすれようとしても諦められない恋心が詠まれている
 趣向 その未練を、埋火に喩えた
 句作 恋心を「とりとり痛む」と表現した
迷ひ犬人混み分けてさがすらん
 見込 脇は恋に身を焦す人物の胸のうちが詠まれている
 趣向 恋の焦燥感を迷子になった犬をさがす愛犬家の心情に転じた
 句作 必死の様子を「人混み分けて」と表現した
ニュースを流す壁のあちこち
 見込 前句を都会の雑踏と見て
 趣向 その中で目にしそうな光景を想像し
 句作 電光掲示板に情報が流れるとした

理屈通りに句作ができるわけではないだろうが、注目すべき試みかと思う。
最後に国民文化祭ぎふ「連句の祭典」で文部科学大臣賞を受賞した短歌行「実朝忌」の巻の表四句を紹介しておこう。和漢連句が文科大臣賞を受賞するのは画期的なことである。

梅東風や海のとどろく実朝忌   服部秋扇
  孟春射剛弓         石上遥夢
蜜蜂のハニカム構造模作して   西川菜帆
猫の家には丁度よき箱     岡部瑞枝

2024年11月22日金曜日

ねじまき句集を読む会

11月17日、イーブル名古屋で「ねじまき句集を読む会」が開催された。青砥和子『雲に乗る』(新葉館出版)と瀧村小奈生『留守にしております。』(左右社)の二句集を読む会である。
午前の部は青砥和子の句集について。なかはられいこ、米山明日香歌、笹田かなえの三人が句集からピックアップした作品を丁寧に読んでゆく。 なかはらは「家族や身近な人がモチーフになった初期だと思われる作品群」と「「書き続けることで進化あるいは深化した作品群」が混在していると述べ、「生活者青砥和子から川柳作家青砥和子まで」、章立てのあいまいさを指摘した。
 それぞれの事情があってイオンまで (どんな川柳人・一般人にも〇な佳句)
 母さんが最新兵器しょってくる   (?な句=誉め言葉)
 泡だったままで閉店いたします   (なぞの主体)
 夜の芯になろうと回る観覧車    (個性的な空間の捉え方)
米山明日歌は「青砥和子の雲の乗り方を探る」という視点から、第一章は「子の目を通して自分がどう写っているか。母として子にどう接したらいいか模索している」、第二章は「家族から離れ父母、弟、妹と自分の関係を今の自分が、見つめ直し新たな発見をする」、第三章は「作者の中で一章と二章がつながり、力の抜けた言葉があふれだす」とまとめた。
 手の中の海を息子が見せにくる  (第一章)
 父はただ穴を掘ったとしか言わぬ (第二章)
  善人って砂をまぶして出来上がる (第三章)
笹田かなえは「何か」をその句に対して言いたくなる」句を選んだとして次のように分類した。
猫を抱く桃井かおりの顔で抱く (時代性・同年代としての共感)
こめかみをグリグリ八合目ですね(生活の中での川柳的な視線を感じた句)
サーカスの虎の気だるい肩の骨 (発見のある句)
しあわせってこんなんぎんなん見つけた(内在律の優れていると感じた句)
仮に地球だったらと青蜜柑剥く (青砥和子の個性を感じた句)
「ねじまき句会」のメンバーによる『雲に乗る』からの一句選も発表されていて、人気のあった推奨句として次の二句を挙げておく。
 父はただ穴を掘ったとしか言わぬ
 吊るされるだけでこんなに美しい
それぞれのパネラーが丁寧に句を読み込んでいて、句集を通読したときには見逃していた中にもいい句が多いことに気づいた。句の読みが充実しているのも、ふだんの「ねじまき句会」での読みの積み重ねによるのだろう。配付されたレジュメにあげられていない句で、私がいいと思ったのを二句挙げておく。
 交番でモーゼの長き旅終わる
 房長き藤すれすれの逃げやすさ

休憩をはさんで、午後は瀧村小奈生の句集について。パネラーは、おかださなぎ、猫田千恵子、八上桐子の三人である。
まず、おかだの選んだ句から。
 きょうもまだ雨音になれなかったな (水のさまざまなすがた)
 ひっぱると夜となにかが落ちてくる (なにかを見ている)
 夏よ!(曖昧さを回避していない) (活きている口語表現)
 わたしたち海と秋とが欠けている  (たしかな抒情)
次に猫田千恵子の選句から。
 降る雨のところどころが仏蘭西語  (全身で感じる)
 愛じゅせよジュークボックスからじゅせよ (音を楽しむ)
 靴踏んで、ねえ、白すぎるから踏んで (いたずらっぽく笑う少女)
 ばあちゃんは走ったことのない系譜  (絵のないしかけ絵本)
八上桐子は「『留守にしております。』は、なぜ気持ちいいのか?」という観点から次のような句を抽出した。
 長い夜そっと剥がしている音だ (響かせる音・耳の作家)
 雨が海になる瞬間の あ だった(すぐ乾く雨・ささやかな偶然)
 春楡のように家族であったこと (ささやかな偶然)

参加者は「ねじまき句会」のメンバーだけでなく、川柳観も多様であり、いろいろな意見が聞けて有益だった。川柳の句会では選だけがあって、作品の読みがほとんどなく、「ねじまき句会」が読みを重視する句会であることが実感された。終わりの挨拶で、なかはられいこが「ここまで来るのに二十年かかった」と語ったのが印象的だった。
最後に、当日の司会を担当した俳人の二村典子が今年三月に上梓した句集『三月』(黎明書房)から好きな句を紹介しておきたい。
 野遊びの誰の話も聞いてない   二村典子
 蝶の昼鏡の昼におくれつつ
 たんぽぽの料理に欠かせない弱気
 あっ足をふっ踏まないであめんぼう
 否と応 蓮の浮葉の間には