右大臣・源実朝には人の心をうつものがある。
万葉調の歌人としてアララギ派から高く評価され、鎌倉幕府の悲劇の三代将軍として作家たちにしばしば取り上げられている。文学に興味をもつ人で、実朝に無関心な人は少ないだろう。最近『金槐和歌集』を読む機会があって、私はこの歌人に改めて関心をもった。四季の歌より雑の部に秀歌が多いようだ。
世の中は常にもがもな渚こぐ海人の小舟の綱手かなしも
空や海うみや空とも見えわかぬ霞も波も立ちみちにつつ
箱根路をわれ越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ
ほのほのみ虚空にみてる阿鼻地獄行へもなしといふもはかなし
神といひ佛といふも世の中の人の心のほかのものかは
時により過ぐれば民のなげきなり八大龍王雨やめたまへ
「箱根路を」の歌には「箱根の山をうち出でて見れば波のよる小島あり、供の者に此うらの名は知るやと尋ねしかば、伊豆のうみとなむ申すと答侍りしをききて」という詞書がある。実朝が見た「沖の小島」は熱海の沖に浮かんでいる初島だと言われている。
小林秀雄の『無常ということ』の中に「実朝」の一編がある。小林はこの歌についてこんなふうに言う。
「この所謂万葉調と言われる有名な歌を、僕は大変悲しい歌と読む。実朝研究家達は、この歌が二所詣の途次、詠まれたものと推定している。恐らく推定は正しいであろう。彼が箱根権現に何を祈って来た帰りなのか、僕には詞書にさえ、彼の孤独が感じられる。悲しい心には、歌は悲しい調べを伝えるのだろうか」
『モオツァルト』で「疾走する悲しみ」を表現したのと同じように、孤独な悲しみをかかえた実朝像を小林は描いている。
『吾妻鏡』によると、実朝は暗殺される当日、自らの髪をひとすじ近習に与え、「出ていなば主なき宿と成ぬとも軒端の梅よ春をわするな」という歌を詠んだことになっている。即ち、彼は自分の死を予感し、覚悟していたのである。
小林は次のように書いている。
「広元は知っていたという。義時も知っていたという。では、何故『吾妻鏡』の編者は実朝自身さへ自分の死をはっきり知っていたと書かねばならなかったのか。そればかりではない。今日の死を予知した天才歌人の詠には似付かぬ月並みな歌とは言え、ともかく一首の和歌さえ、何故、案出しなければならなかったか。実朝の死には、恐らく、彼等の心を深く動かすものがあったのである」
広元は大江広元、義時は北条義時(実朝暗殺の黒幕と言われる)である。
小林秀雄の「無常ということ」の同時期に、太宰治は「右大臣実朝」を書いている。
これも、よく知られている作品で、作中の実朝の科白、
「明るさは滅びの姿であろうか。人も家も、暗いうちはまだ滅亡せぬ」
「何事も十年です。あとは、余生と言ってよい」
などの言葉は文学を志す人間が一度は通過するものであった。
「男は苦悩によって太ります。やつれるのは、女性の苦悩です」
などという決め科白もある。
戦時下の日本には奇妙な明るさがあった、と言う人がいる。
平家は明るい、と実朝が言うとき、太宰は戦時下の日本と平家の亡びの姿とを重ねあわせたのである。
太宰の実朝像には日本浪漫派の匂いがするが、1970年代になって小林・太宰を超克する実朝論が登場した。吉本隆明の『源実朝』(日本詩人選12、筑摩書房)である。小林や太宰の作品に触れながら、吉本は自らの実朝観を述べている。「実朝的なもの」「制度としての実朝」という見方である。
吉本は「実朝的なもの」の中で
「頼家や実朝の将軍職をささえたのは母北条政子の庇護と、鎌倉幕府という〈制度〉の不可避性であるといってよい。幕府という〈制度〉が必要であるかぎり、頼家や実朝は必要であった。北条氏をはじめ宿将たちは、それぞれ武力を背景として実質的には全国を支配するだけの合戦力をもっていたかもしれないが、すくなくとも鎌倉幕府の創立期には、幕府という〈制度〉と、京都にある律令王権とを、どう関係づけるかについてまったく無智であり、また、かんがえもおよばなかったからである」
と述べている。実朝がもっていたのは「武門勢力の総祭祀権」と「京都の律令朝廷にたいする重しとしての役割」であった。「もし実朝が殺害されることがあるとすれば、このふたつの役割が、まったく武門勢力にとって無意味になったときである。歴史はまさにちょうどそのときに、公暁をかりて実朝を暗殺させたといってよい」
鶴ケ岡八幡宮の祭儀と仏儀は実朝が主宰していたのであり、伊豆・箱根権現への度重なる参詣もここから理解できる。
ここで実朝の二所詣での歌を『金槐和歌集』から引用しておこう。「二所詣で」とは箱根権現と伊豆走湯権現への参詣をいう。
「二所へ詣でたりし還向に春雨のいたく降れりしかば」
春雨にうちそぼちつつ足曳の山路ゆくらむ山人やたれ
春雨はいたくな降りそ旅人の道行衣ぬれもこそすれ
「同詣で下向後朝にさぶらひども見えざりしかば」
旅をゆきし跡の宿守おれおれにわたくしあれや今朝はまだこぬ
折から春雨が降っていた。実朝は道行く人や同行の家人たちが雨に濡れるのを気づかっているのである。また、鎌倉に帰ったあと、近習の武士たちが朝に参上してこないことを怒るのではなく、留守のあいだにそれぞれの個人的な用事があったのでやって来れないのだろうと家人の立場を思いやっている。実朝の優しい性格がうかがえる。
次に、伊豆・走湯権現参詣の歌。
「走湯山参詣の時」
わたつ海の中に向ひていづる湯のいづのお山とむべもいひけり
走湯の神とはむべぞいひけらし早き験(しるし)のあればなるべし
伊豆の國や山の南に出る湯のはやきは神の験なりけり
伊豆山神社は父・北条時政に頼朝との結婚を反対された政子がひそかに頼朝と逢った場所として知られている。源氏挙兵の後ろ盾にもなったので、鎌倉幕府にとっては重要な神社である。いまはパワースポットが流行していて、箱根神社も伊豆山神社も観光ガイドによく取り上げられている。
実朝は宋に渡ろうとして、大船の建造を命じたが、船は海に浮かばなかった。このエピソードもよく取り上げられる。
最後に、実朝暗殺について触れておかなければならない。
『吾妻鏡』によれば、実朝を暗殺したあと、公暁は実朝の首をもち、後見人である備中阿闍梨の邸に行き、膳にむかって食事するあいだも実朝の首を手から離さなかった。使者を三浦義村に送って「いまや私が将軍である」と申し入れたところ、義村は「お迎えの武者をさしむける」と称して、北条義時とはかって討手を差し向け、公暁は討ち取られたのである。
経済産業省へ実朝の首持参する 飯田良祐
川柳人・飯田良祐の句である。
この句では実朝の首を経済産業省に持ってゆく。
実朝の首を持ってゆけば、その手柄で出世が見込めるのであろうか。
経済産業省こそ実朝暗殺の黒幕なのであろうか。
持ち込まれた経済産業省も困っただろう。
天才歌人を死に至らしめたのは鎌倉幕府という〈制度〉であった。
経済産業省に「実朝の首」を持参することは、文芸を死に追いやるものに対する抗議である。飯田良祐の、時代に対する精一杯の嫌がらせであったといまは思う。
2013年2月23日土曜日
2013年2月15日金曜日
市井に生きるふりをする ― 樋口由紀子の川柳
「豈」54号が1月末に発行された。
新鋭作家招待のコーナーに御中虫・冨田拓也・西村麒麟の三人の俳句が並び、特集「加藤郁乎は是か非か」「『新撰21』世代による戦後生まれ作家10人論」など、読みどころはいろいろあるが、今回は樋口由紀子の川柳を取り上げてみたい。
鯵の干物をうなづきながら焼いている
以前は干物というものが好きでも嫌いでもなかったが、このごろ干物の美味に気づくようになった。鯵の干物などは脂がのっていて、本当においしい。まず、皮の方を焼いてから、裏返して反対側を焼くのがいいらしい。お酒もご飯も進む。
この句の作中主体は鯵の干物をうなづきながら焼いている。何度もうなづいているのだろう。でも、それは干物の焼き加減がうまくいったからとは限らない。何か別のことを考えながらうなづいているのではないだろうか。けれども、周囲の人々から見ると、干物がうまく焼けたからであるようにしか見えない。
干物を焼くというようなことは市井に生きる人間の何げない行為にすぎない。それを何故わざわざ句にする必要があるのだろうか。「ただごと」に見えて「ただごと」ではすまない何かが、たぶんそこにはあるのだろう。
林檎ジャムになろうと焦る人も居て
焦るのはなろうとしてもなれないからだろう。
林檎ジャムは「食べる」もので「なる」ものじゃないという常識は無効にされている。
「林檎ジャム」は何かのメタファーであって、そこに意味を代入する読み方も無効である。
この人は本当に焦っているのである。
私たちの周囲を眺めてみると、「林檎ジャム」だけではなくていろいろなものになろうと焦っている人がいる。「なれるもの」と「なりたい」ものが食い違う。林檎ジャムは私と無関係なままである。
忠魂碑ならすぐそこにあるのでは
戦前に建てられた忠魂碑というもの。現在ではあまり目立たない存在だが、注意して見ると神社や公園の隅に建っていたりする。気づかないかもしれないけれど、ほらすぐそこにありますよ、というのだ。
この言葉を誰が言っているかによって意味は異なってくる。「~あるのでは」という表現には批評的なもの言いが感じとれる。異物としての存在が不意に現実味を帯びてくる時代である。
陸橋から犬の真似して犬が来る
陸橋から犬がやって来る。犬の真似をして来るのだから、本物の犬ではないのかもしれない。けれども、それはやはり本物の犬なのだ。本当の自分と外から眺められた自分には齟齬があるという感覚。なぜ犬が犬の真似をしなければならないのか。他者を演じるならそれなりの楽しさがあるだろうが、自己を演じるのは退屈なことだろう。けれども、私たちは日常の中で真似をしながら、ふりをしながら、生きていくほかないのである。
時間通りに電車は来ないこの世なり
「振られた女を馬鹿にして、電車も遅れてくるのかよ」と歌ったのは日吉ミミ。
時間通りに来る電車もおもしろみがないが、遅れてくる電車にも腹が立つ。待っているものが来ないというのはよくある話だ。逆に、来なくてもいいのに確実にやってくるものもある。
二センチ押すと五センチ沈む穴である
二センチ押すと二センチ沈むものと思い込んで人は暮らしている。ところが、五センチも沈んだ。そういうとき人は怒るだろうか。それとも笑うだろうか。
では、四センチ押すと十センチ沈むかというと、そうはいかない。全然沈まないこともありそうだ。笑うしかない。
沈丁花になれないものがまといつく
春になると沈丁花の匂いが漂う。好き嫌いはあるかもしれないが、沈丁花なら問題ないのだ。沈丁花になれないものがまとわりついてくる。「それ」は沈丁花の真似をしながら、沈丁花のふりをしながら、沈丁花にはなりきれない何かなのだ。
「そうか君は沈丁花になりたくてもなれないのか」と穏やかに受け止める人もあるだろうし、そんなものにまとわりつかれるのは嫌だと思う人もいるだろう。
「沈丁花にまといつく」という読みもできるが、私は「沈丁花になれないもの」と読んでいる。「なりたいもの」「なれないもの」をかかえながら、市井に生きるふりをして暮らしている人間のイメージを思い浮かべているからだ。
バケツの底を抜く ちょうどいい嵩だ
ちょっと水がたまりすぎたようだ。バケツの底を抜いてみると、ちょうどいい具合になった。けれども、それは見かけだけのことである。底の抜けたバケツには水を入れ続けなければならない。入れ続け、流れ続ける水のバランスで、かろうじてちょうどいい嵩を保っている。
「ちょうどいい嵩」とは、バケツのことではなく、別のことだとも考えられる。とりあえず体内水位は安定したのだが、この場合もそんなふりをしているだけかも知れない。
「俳人の世界を見る目は切れている」と言ったのは攝津幸彦だった。
川柳人の世界を見る目はどうなっているのだろう。
私たちはふつうそれを「川柳眼」と呼んでいる。
樋口由紀子の描く人間の姿は日常を離れないが、ちょっと風変わりなものである。ズレや亀裂が常にあるのだが、その違和そのものにおもしろさがある。この世は別におもしろいものでもない。この世を見る眼がおもしろいのである。
新鋭作家招待のコーナーに御中虫・冨田拓也・西村麒麟の三人の俳句が並び、特集「加藤郁乎は是か非か」「『新撰21』世代による戦後生まれ作家10人論」など、読みどころはいろいろあるが、今回は樋口由紀子の川柳を取り上げてみたい。
鯵の干物をうなづきながら焼いている
以前は干物というものが好きでも嫌いでもなかったが、このごろ干物の美味に気づくようになった。鯵の干物などは脂がのっていて、本当においしい。まず、皮の方を焼いてから、裏返して反対側を焼くのがいいらしい。お酒もご飯も進む。
この句の作中主体は鯵の干物をうなづきながら焼いている。何度もうなづいているのだろう。でも、それは干物の焼き加減がうまくいったからとは限らない。何か別のことを考えながらうなづいているのではないだろうか。けれども、周囲の人々から見ると、干物がうまく焼けたからであるようにしか見えない。
干物を焼くというようなことは市井に生きる人間の何げない行為にすぎない。それを何故わざわざ句にする必要があるのだろうか。「ただごと」に見えて「ただごと」ではすまない何かが、たぶんそこにはあるのだろう。
林檎ジャムになろうと焦る人も居て
焦るのはなろうとしてもなれないからだろう。
林檎ジャムは「食べる」もので「なる」ものじゃないという常識は無効にされている。
「林檎ジャム」は何かのメタファーであって、そこに意味を代入する読み方も無効である。
この人は本当に焦っているのである。
私たちの周囲を眺めてみると、「林檎ジャム」だけではなくていろいろなものになろうと焦っている人がいる。「なれるもの」と「なりたい」ものが食い違う。林檎ジャムは私と無関係なままである。
忠魂碑ならすぐそこにあるのでは
戦前に建てられた忠魂碑というもの。現在ではあまり目立たない存在だが、注意して見ると神社や公園の隅に建っていたりする。気づかないかもしれないけれど、ほらすぐそこにありますよ、というのだ。
この言葉を誰が言っているかによって意味は異なってくる。「~あるのでは」という表現には批評的なもの言いが感じとれる。異物としての存在が不意に現実味を帯びてくる時代である。
陸橋から犬の真似して犬が来る
陸橋から犬がやって来る。犬の真似をして来るのだから、本物の犬ではないのかもしれない。けれども、それはやはり本物の犬なのだ。本当の自分と外から眺められた自分には齟齬があるという感覚。なぜ犬が犬の真似をしなければならないのか。他者を演じるならそれなりの楽しさがあるだろうが、自己を演じるのは退屈なことだろう。けれども、私たちは日常の中で真似をしながら、ふりをしながら、生きていくほかないのである。
時間通りに電車は来ないこの世なり
「振られた女を馬鹿にして、電車も遅れてくるのかよ」と歌ったのは日吉ミミ。
時間通りに来る電車もおもしろみがないが、遅れてくる電車にも腹が立つ。待っているものが来ないというのはよくある話だ。逆に、来なくてもいいのに確実にやってくるものもある。
二センチ押すと五センチ沈む穴である
二センチ押すと二センチ沈むものと思い込んで人は暮らしている。ところが、五センチも沈んだ。そういうとき人は怒るだろうか。それとも笑うだろうか。
では、四センチ押すと十センチ沈むかというと、そうはいかない。全然沈まないこともありそうだ。笑うしかない。
沈丁花になれないものがまといつく
春になると沈丁花の匂いが漂う。好き嫌いはあるかもしれないが、沈丁花なら問題ないのだ。沈丁花になれないものがまとわりついてくる。「それ」は沈丁花の真似をしながら、沈丁花のふりをしながら、沈丁花にはなりきれない何かなのだ。
「そうか君は沈丁花になりたくてもなれないのか」と穏やかに受け止める人もあるだろうし、そんなものにまとわりつかれるのは嫌だと思う人もいるだろう。
「沈丁花にまといつく」という読みもできるが、私は「沈丁花になれないもの」と読んでいる。「なりたいもの」「なれないもの」をかかえながら、市井に生きるふりをして暮らしている人間のイメージを思い浮かべているからだ。
バケツの底を抜く ちょうどいい嵩だ
ちょっと水がたまりすぎたようだ。バケツの底を抜いてみると、ちょうどいい具合になった。けれども、それは見かけだけのことである。底の抜けたバケツには水を入れ続けなければならない。入れ続け、流れ続ける水のバランスで、かろうじてちょうどいい嵩を保っている。
「ちょうどいい嵩」とは、バケツのことではなく、別のことだとも考えられる。とりあえず体内水位は安定したのだが、この場合もそんなふりをしているだけかも知れない。
「俳人の世界を見る目は切れている」と言ったのは攝津幸彦だった。
川柳人の世界を見る目はどうなっているのだろう。
私たちはふつうそれを「川柳眼」と呼んでいる。
樋口由紀子の描く人間の姿は日常を離れないが、ちょっと風変わりなものである。ズレや亀裂が常にあるのだが、その違和そのものにおもしろさがある。この世は別におもしろいものでもない。この世を見る眼がおもしろいのである。
2013年2月8日金曜日
「川柳木馬」作品を読む
今回は「川柳木馬」134・135合併号の同人作品を読んでいくことにしたい。
ぐっすりと眠る海抜ゼロ地帯 古谷恭一
「海抜ゼロ地帯」だから危険なのだろう。けれども、作中人物はぐっすり眠るという。危機意識が薄いのであろうか。自分だけは大丈夫だと思っているのだろうか。そうではなくて、この人物は腹をくくっているのである。危機的状況に無知なのではなく、かといってそこから逃げ出すのでもなく、状況の中で腰を据えて大胆に生きている。そのような無頼派のイメージが思い浮かぶ。
富士山の噴火をじっと待っている 古谷恭一
カタストロフを待つ人間の心理はどのようなものなのだろう。富士山はきっと噴火するという確信を作中人物はもっている。その時をじっと待っているのだが、別に災害に備えて万全の準備をしているのでもなさそうだ。むしろ、富士山の噴火を待ち望んでいる焦燥感のようなものが漂っている。「空蝉を握って粉にしてしまう」
商は金星余り流れ星 山下和代
「商」は「あきない」ではなくて、割り算の答えだというのが私の読みである。宇宙の星々を割ると「金星」になる。割り切れない余りは「流れ星」だという。大宇宙を相手に割り算するスケールの大きさと機知。何を何で割るのか、いろいろ考えるのも楽しい。
マトリョーシカの入れ子は父だった 畑山弘
日本でも人気の高いロシア人形のマトリョーシカ。大きな人形の中にいくつもの人形が入れ子になっている。私が持っているのは、ロシア大統領のマトリョーシカ。少し旧くて、一番外側がメドベージェフ。その中にプーチン、さらにその中にエリツィン。今だとプーチンがもう一度外側に来ていそがしい。
掲出句では中に父が入っているという。外側にいるのは誰だろう。
本号には「父さんがフエフキ鯛だった日々よ」(内田万貴)という句もある。
齧られて林檎は初めて空を見る 山本三香子
樹に実っている林檎は空の青さに気づかない。もがれて、箱に詰められ、人の手に渡って齧られたときに初めて林檎は空を見るのだ、という認識がここにはある。空を見たからと言ってどうなるものでもないし、もう遅すぎるかも知れない。けれども、林檎が空を見たことには何かしら意味があるのだ。
さなざまな林檎がある。ニュートンの林檎、ウイルヘルム・テルの林檎。しかし、この句に「エデンの園」を重ねあわせて、林檎を齧る者をアダムとイブに限定してしまう必要はないだろう。主体は林檎の方にある。
迷宮はチャルメラの匂い立ち込める 内田万貴
迷宮はどこにあるのだろう。王の宮殿の奥深くだろうか。いや、迷宮はチャルメラの匂いの立ち込める市井にあるのだ。人々は湯気のたつ麺をすすりながら、自分たちの現在位置を見失っている。この句は迷宮の中の「チャルメラの匂い」の一点をクローズアップする。カメラが再び迷宮を映し出したとき、そこにはすでに人の姿が消えている。
あふりかの雪しみじみと逢いにくる 西川富恵
「あふりかの雪」のイメージをまず思い浮かべる。熱帯でも高山になると積雪がある。キリマンジャロだろうか。
「あふりかの雪しみじみと/逢いにくる」なのか「あふりかの雪/しみじみと逢いにくる」なのか迷うが、「しみじみと」が両方にかかっているなら、どちらでも同じことなのだろう。「逢いにゆく」ではなくて「逢いにくる」、即ち迎える側の立場で書かれているところに、この句の懐かしい雰囲気が生まれている。
店先の品に紛れてミドリムシ 河添一葉
ミドリムシを売っているのではなくて、ミドリムシが売り物の品に紛れこんでいるのである。子どものころ理科で習ったプランクトンのミドリムシが最近ではサプリメントになっていたりする。あのミドリムシが商品化されている!まるでミドリムシ自身が鞭毛をくねらせて紛れ込みにやってきたかのようなイメージである。
脚本の間に合わなくて鳥わたる 小野善江
「脚本の間に合わなくて」と「鳥わたる」の間に「切れ」があるとすれば、両者に直接的な関係はない。切れではなくて、続いていると受け取れば、間に合わないまま鳥が去っていったような感じとなる。渡り鳥は別に脚本に従って渡ってゆくのではないだろうが、用意すべきものが間に合わないという状況はよくあることだ。
痛いので瓶の中には入れない 桑名知華子
この人物は瓶の中に入る必要があった。自己防御か逃避か再起のためかわからないが、とにかく瓶の中に入ろうとしたのである。けれども、痛みに邪魔されて入れない。体のどこかが痛いのか、瓶の入口が狭くて痛いのか、ちょっと困っている様子が想像される。
槇村忌 声をたてない遊びする 清水かおり
「声をたてない遊び」とはどういうものだろう。
遊びのルールとして声をたててはいけないような遊びなのだろうか。それとも、声をたてると大人たちから叱られるような密かな遊びをしているのだろうか。
「間島パルチザンの歌」で有名なプロレタリア詩人・槙村浩は高知の生まれである。ここでは「生ける銃架」の冒頭を紹介する。
高粱の畠を分けて銃架の影はきょうも続いて行く
銃架よ、お前はおれの心臓に異様な戦慄を与える―血のような夕日を浴びてお前が黙々と進むとき
お前の影は人間の形を失い、お前の姿は背嚢に隠れ
お前は思想を持たぬただ一個の生ける銃架だ
反戦詩である。
槙村は昭和7年、20歳のときに検挙され、特高の拷問と長期の留置によって拘禁性の躁鬱病を発症する。昭和10年、高知刑務所を出所したが、昭和11年に再び検挙され、病気のため釈放されたが、昭和13年、土佐病院で死去。26歳。
清水のいう「槙村忌」は9月3日ということになろうか。
残暑のころである。「声をたてない遊び」をしているのは子どもであろうか、それとも大人だろうか。この遊びには反体制的とまでは言えないとしても、周囲との違和を感じさせるような不穏な匂いが漂っている。
「バックストローク」2号に槙村浩のことを書いているように、清水かおりの槙村に対する関心は深い。その関心がこのような作品に結実したことに私は注目している。
ところで、高橋由美が本号に作品を出していないのは、どういうわけだろう。
ぐっすりと眠る海抜ゼロ地帯 古谷恭一
「海抜ゼロ地帯」だから危険なのだろう。けれども、作中人物はぐっすり眠るという。危機意識が薄いのであろうか。自分だけは大丈夫だと思っているのだろうか。そうではなくて、この人物は腹をくくっているのである。危機的状況に無知なのではなく、かといってそこから逃げ出すのでもなく、状況の中で腰を据えて大胆に生きている。そのような無頼派のイメージが思い浮かぶ。
富士山の噴火をじっと待っている 古谷恭一
カタストロフを待つ人間の心理はどのようなものなのだろう。富士山はきっと噴火するという確信を作中人物はもっている。その時をじっと待っているのだが、別に災害に備えて万全の準備をしているのでもなさそうだ。むしろ、富士山の噴火を待ち望んでいる焦燥感のようなものが漂っている。「空蝉を握って粉にしてしまう」
商は金星余り流れ星 山下和代
「商」は「あきない」ではなくて、割り算の答えだというのが私の読みである。宇宙の星々を割ると「金星」になる。割り切れない余りは「流れ星」だという。大宇宙を相手に割り算するスケールの大きさと機知。何を何で割るのか、いろいろ考えるのも楽しい。
マトリョーシカの入れ子は父だった 畑山弘
日本でも人気の高いロシア人形のマトリョーシカ。大きな人形の中にいくつもの人形が入れ子になっている。私が持っているのは、ロシア大統領のマトリョーシカ。少し旧くて、一番外側がメドベージェフ。その中にプーチン、さらにその中にエリツィン。今だとプーチンがもう一度外側に来ていそがしい。
掲出句では中に父が入っているという。外側にいるのは誰だろう。
本号には「父さんがフエフキ鯛だった日々よ」(内田万貴)という句もある。
齧られて林檎は初めて空を見る 山本三香子
樹に実っている林檎は空の青さに気づかない。もがれて、箱に詰められ、人の手に渡って齧られたときに初めて林檎は空を見るのだ、という認識がここにはある。空を見たからと言ってどうなるものでもないし、もう遅すぎるかも知れない。けれども、林檎が空を見たことには何かしら意味があるのだ。
さなざまな林檎がある。ニュートンの林檎、ウイルヘルム・テルの林檎。しかし、この句に「エデンの園」を重ねあわせて、林檎を齧る者をアダムとイブに限定してしまう必要はないだろう。主体は林檎の方にある。
迷宮はチャルメラの匂い立ち込める 内田万貴
迷宮はどこにあるのだろう。王の宮殿の奥深くだろうか。いや、迷宮はチャルメラの匂いの立ち込める市井にあるのだ。人々は湯気のたつ麺をすすりながら、自分たちの現在位置を見失っている。この句は迷宮の中の「チャルメラの匂い」の一点をクローズアップする。カメラが再び迷宮を映し出したとき、そこにはすでに人の姿が消えている。
あふりかの雪しみじみと逢いにくる 西川富恵
「あふりかの雪」のイメージをまず思い浮かべる。熱帯でも高山になると積雪がある。キリマンジャロだろうか。
「あふりかの雪しみじみと/逢いにくる」なのか「あふりかの雪/しみじみと逢いにくる」なのか迷うが、「しみじみと」が両方にかかっているなら、どちらでも同じことなのだろう。「逢いにゆく」ではなくて「逢いにくる」、即ち迎える側の立場で書かれているところに、この句の懐かしい雰囲気が生まれている。
店先の品に紛れてミドリムシ 河添一葉
ミドリムシを売っているのではなくて、ミドリムシが売り物の品に紛れこんでいるのである。子どものころ理科で習ったプランクトンのミドリムシが最近ではサプリメントになっていたりする。あのミドリムシが商品化されている!まるでミドリムシ自身が鞭毛をくねらせて紛れ込みにやってきたかのようなイメージである。
脚本の間に合わなくて鳥わたる 小野善江
「脚本の間に合わなくて」と「鳥わたる」の間に「切れ」があるとすれば、両者に直接的な関係はない。切れではなくて、続いていると受け取れば、間に合わないまま鳥が去っていったような感じとなる。渡り鳥は別に脚本に従って渡ってゆくのではないだろうが、用意すべきものが間に合わないという状況はよくあることだ。
痛いので瓶の中には入れない 桑名知華子
この人物は瓶の中に入る必要があった。自己防御か逃避か再起のためかわからないが、とにかく瓶の中に入ろうとしたのである。けれども、痛みに邪魔されて入れない。体のどこかが痛いのか、瓶の入口が狭くて痛いのか、ちょっと困っている様子が想像される。
槇村忌 声をたてない遊びする 清水かおり
「声をたてない遊び」とはどういうものだろう。
遊びのルールとして声をたててはいけないような遊びなのだろうか。それとも、声をたてると大人たちから叱られるような密かな遊びをしているのだろうか。
「間島パルチザンの歌」で有名なプロレタリア詩人・槙村浩は高知の生まれである。ここでは「生ける銃架」の冒頭を紹介する。
高粱の畠を分けて銃架の影はきょうも続いて行く
銃架よ、お前はおれの心臓に異様な戦慄を与える―血のような夕日を浴びてお前が黙々と進むとき
お前の影は人間の形を失い、お前の姿は背嚢に隠れ
お前は思想を持たぬただ一個の生ける銃架だ
反戦詩である。
槙村は昭和7年、20歳のときに検挙され、特高の拷問と長期の留置によって拘禁性の躁鬱病を発症する。昭和10年、高知刑務所を出所したが、昭和11年に再び検挙され、病気のため釈放されたが、昭和13年、土佐病院で死去。26歳。
清水のいう「槙村忌」は9月3日ということになろうか。
残暑のころである。「声をたてない遊び」をしているのは子どもであろうか、それとも大人だろうか。この遊びには反体制的とまでは言えないとしても、周囲との違和を感じさせるような不穏な匂いが漂っている。
「バックストローク」2号に槙村浩のことを書いているように、清水かおりの槙村に対する関心は深い。その関心がこのような作品に結実したことに私は注目している。
ところで、高橋由美が本号に作品を出していないのは、どういうわけだろう。
2013年2月1日金曜日
それぞれの川柳ワールド―新家完司と竹下勲二朗
新家完司川柳集『平成二十五年』(新葉館出版)が刊行された。
平成になってから、新家完司は五年毎に句集を上梓している。『平成元年』にはじまり、『平成五年』『平成十年』『平成十五年』『平成二十年』と続く。今年で六冊目になる。
駅の名を覚えて忘れ旅続く 完司
いちにちがひらひら東から西へ
芭蕉の旅とはニュアンスが異なるが、川柳人の毎日も旅のようなものかも知れない。各地の句会から句会へと飛びまわっている新家完司の日々はまさに旅である。
おめでとう!などと今年の嘘初め
一年の計元旦に二日酔い
今年もまた一年がはじまり、四季のめぐりとともに川柳人の時間も経過していく。傍らには常に酒がある。
ややこしい男もいるが僕の町
新家完司は島根県東伯耆郡在住、「大山滝句座」の代表。「おおやまだき」ではない、「だいせんだき」である。伯耆大山にある滝で、日本の滝百選にも入っている。全国規模の川柳結社の副主幹もつとめ、フアンが多い。
花の下ぼくは割り箸配る役
目礼に黙礼返し桜散る
生態は知らぬがうまいホタルイカ
タンは塩レバーはタレと決めている
花見の句と食べ物の句を抽出。食べ物の句が多いのは、酒のあてになるからだろう。
かんにんなニホンカワウソかんにんな
いい名前つけてもらった黄金虫
鯨捕る村に鯨の墓がある
絶滅したニホンカワウソ。今でもときどき目撃情報が流れるが、イタチやテンの見まちがえらしい。「かんにんな、かんにんな」とあやまる。
手始めに電信柱蹴り上げる
胡麻粒と芥子粒いがみ合っている
人はいつも笑って生きていられるわけではない。物事がうまくいかないときもあれば、むしゃくしゃするときもある。
折れそうなこころに酒という支柱
そういうときに支えになるのはやはり酒である。酒におぼれたり、アル中になったりするのは困るが、酒を楽しみ陽気になるのは悪くない。しかし、呑み過ぎると、「一年に一度はベッドから落ちる」ということになる。
夏がくるたびにカヌーが欲しくなる
原爆の熱さはこんなものじゃない
僕の家ばかり集まる秋の蠅
飛んでいる形でトンボ死んでいる
いつのまにか夏がきて、いつのまにか秋になっている。人生も秋ごろになると「死」が意識される。
おもしろい空だいろいろ降ってくる
ごはんですようと鎖が手繰られる
雨とか雪とか、空からはいろいろなものが形を変えて降ってくるのである。
飯を食うということ、その背後にひょっとして鎖につながれた人の姿が浮かび上がってこないだろうか。
川柳のために東奔西走する新家完司の日々については、彼のブログをご覧いただきたい。
新家完司の川柳ブログ http://shinyokan.ne.jp/senryu-blogs/kanji/
「川柳木馬」第134・135合併号が届いた。
「作家群像」は「くんじろう篇」である。
ベランダのスーパーマンが乾かない くんじろう
長男は都こんぶなお人柄
朝舟にいて朝舟に放尿する
ペンシルとバニアに分けて日に三度
遠いところでおっさんが暴れている
「作者のことば」で彼は「私の書く川柳は、私の生い立ちや育った環境から吐き出された澱であり排泄物である」と書き、「これらの句をお読みになって体調を崩されても責任の取りようがないので悪しからず」と言い放つ。
作家論として酒井かがり「ほんのターミネーターですが、何か?」と山下和代「くんじろうワールドに遊ぶ」が掲載されている。
酒井かがりはくんじろうを「ターミネーター75」と呼んでいる。「ターミネーター五七五」ではないが、少しその意味が掛けられているかも。大阪にやってきた彼が川柳を書き、ヒットを飛ばし、現在にいたる姿を「ターミネーター降臨」「ターミネーター川柳に出会う」「ターミネーター川柳ヒット街道を邁進する」「ターミネーターはかくもややこしい」「そしてターミネーター闇を見てしまう」の各パラグラフに分けて物語風に描いている。
山下和代はくんじろうの句に七七を付けてみたり、短文を添えて物語を作ってみたりする。川柳は前句付から出発したが、川柳の五七五そのものを前句として読者が付句をつけることだってできるのだ。
くんじろうは2010年の「詩のボクシング」全国チャンピオンでもあるが、彼の川柳と詩はひとつの根から生まれたものだとも言える。彼が自ら言うように、くんじろうの詩は現代詩ではなくて川柳そのものなのだ。
兄ちゃんが盗んだ僕も手伝った
素うどんの姉を殺めに醤油差し
この二句が詩にパラフレーズされたときにどのような作品が生まれるのか。山下和代は前者の句と詩を紹介している。
最後に酒井かがりの文章に戻ろう。酒井は次のように書いている。
「ターミネーター75は川柳をひろめるためにやって来た」
くんじろうの多面的な活動についてご興味のある方は次のホームページをご覧いただきたい。
http://kuunokai.com/
平成になってから、新家完司は五年毎に句集を上梓している。『平成元年』にはじまり、『平成五年』『平成十年』『平成十五年』『平成二十年』と続く。今年で六冊目になる。
駅の名を覚えて忘れ旅続く 完司
いちにちがひらひら東から西へ
芭蕉の旅とはニュアンスが異なるが、川柳人の毎日も旅のようなものかも知れない。各地の句会から句会へと飛びまわっている新家完司の日々はまさに旅である。
おめでとう!などと今年の嘘初め
一年の計元旦に二日酔い
今年もまた一年がはじまり、四季のめぐりとともに川柳人の時間も経過していく。傍らには常に酒がある。
ややこしい男もいるが僕の町
新家完司は島根県東伯耆郡在住、「大山滝句座」の代表。「おおやまだき」ではない、「だいせんだき」である。伯耆大山にある滝で、日本の滝百選にも入っている。全国規模の川柳結社の副主幹もつとめ、フアンが多い。
花の下ぼくは割り箸配る役
目礼に黙礼返し桜散る
生態は知らぬがうまいホタルイカ
タンは塩レバーはタレと決めている
花見の句と食べ物の句を抽出。食べ物の句が多いのは、酒のあてになるからだろう。
かんにんなニホンカワウソかんにんな
いい名前つけてもらった黄金虫
鯨捕る村に鯨の墓がある
絶滅したニホンカワウソ。今でもときどき目撃情報が流れるが、イタチやテンの見まちがえらしい。「かんにんな、かんにんな」とあやまる。
手始めに電信柱蹴り上げる
胡麻粒と芥子粒いがみ合っている
人はいつも笑って生きていられるわけではない。物事がうまくいかないときもあれば、むしゃくしゃするときもある。
折れそうなこころに酒という支柱
そういうときに支えになるのはやはり酒である。酒におぼれたり、アル中になったりするのは困るが、酒を楽しみ陽気になるのは悪くない。しかし、呑み過ぎると、「一年に一度はベッドから落ちる」ということになる。
夏がくるたびにカヌーが欲しくなる
原爆の熱さはこんなものじゃない
僕の家ばかり集まる秋の蠅
飛んでいる形でトンボ死んでいる
いつのまにか夏がきて、いつのまにか秋になっている。人生も秋ごろになると「死」が意識される。
おもしろい空だいろいろ降ってくる
ごはんですようと鎖が手繰られる
雨とか雪とか、空からはいろいろなものが形を変えて降ってくるのである。
飯を食うということ、その背後にひょっとして鎖につながれた人の姿が浮かび上がってこないだろうか。
川柳のために東奔西走する新家完司の日々については、彼のブログをご覧いただきたい。
新家完司の川柳ブログ http://shinyokan.ne.jp/senryu-blogs/kanji/
「川柳木馬」第134・135合併号が届いた。
「作家群像」は「くんじろう篇」である。
ベランダのスーパーマンが乾かない くんじろう
長男は都こんぶなお人柄
朝舟にいて朝舟に放尿する
ペンシルとバニアに分けて日に三度
遠いところでおっさんが暴れている
「作者のことば」で彼は「私の書く川柳は、私の生い立ちや育った環境から吐き出された澱であり排泄物である」と書き、「これらの句をお読みになって体調を崩されても責任の取りようがないので悪しからず」と言い放つ。
作家論として酒井かがり「ほんのターミネーターですが、何か?」と山下和代「くんじろうワールドに遊ぶ」が掲載されている。
酒井かがりはくんじろうを「ターミネーター75」と呼んでいる。「ターミネーター五七五」ではないが、少しその意味が掛けられているかも。大阪にやってきた彼が川柳を書き、ヒットを飛ばし、現在にいたる姿を「ターミネーター降臨」「ターミネーター川柳に出会う」「ターミネーター川柳ヒット街道を邁進する」「ターミネーターはかくもややこしい」「そしてターミネーター闇を見てしまう」の各パラグラフに分けて物語風に描いている。
山下和代はくんじろうの句に七七を付けてみたり、短文を添えて物語を作ってみたりする。川柳は前句付から出発したが、川柳の五七五そのものを前句として読者が付句をつけることだってできるのだ。
くんじろうは2010年の「詩のボクシング」全国チャンピオンでもあるが、彼の川柳と詩はひとつの根から生まれたものだとも言える。彼が自ら言うように、くんじろうの詩は現代詩ではなくて川柳そのものなのだ。
兄ちゃんが盗んだ僕も手伝った
素うどんの姉を殺めに醤油差し
この二句が詩にパラフレーズされたときにどのような作品が生まれるのか。山下和代は前者の句と詩を紹介している。
最後に酒井かがりの文章に戻ろう。酒井は次のように書いている。
「ターミネーター75は川柳をひろめるためにやって来た」
くんじろうの多面的な活動についてご興味のある方は次のホームページをご覧いただきたい。
http://kuunokai.com/
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