今年は春日井建の没後20年に当たり、「井泉」108号の小特集では春日井の歌集や歌について同人各位が文章を寄せている。彦坂美喜子は「井泉」2016年から「春日井建の詩の世界」、2020年から「春日井建の短歌の世界」を連載してきたが、今回の108号で完結したのと同時に『春日井建論―詩と短歌について』(短歌研究社)を上梓した。春日井の詩についても貴重な論考が掲載されているが、ここでは短歌の部分に絞って紹介してみたい。
春日井建といえば、第一歌集『未青年』の三島由紀夫の序文が有名である。
「現代はいろんな点で新古今集の時代に似てをり、われわれは一人の若い定家を持つたのである」
『未青年』から何首か引いておこう。
大空の斬首ののちの静もりか没ちし日輪がのこすむらさき
童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり
プラトンを読みて倫理の愛の章に泡立ちやまぬ若きししむら
ヴェニスに死すと十指つめたく展きをり水煙する雨の夜明けは
弟に奪はれまいと母の乳房をふたつ持ちしとき自我は生れき
彦坂ははじめて『未青年』を読んだときの違和感を次のように書いている。
〈『未青年』の歌の「斬首」「血」「童貞」「死」「私刑」「裂く」「足枷」「刑務所」「男囚」などの言葉に生々しさを感じるより、その悪を表象するある種のスタイルが誇大に見えてしまう、と思ったことである。むしろ『行け帰ることなく』の歌の方が、そのスタイルを吸収して、より物語的な世界を表出し得ている、と思ったのである〉
春日井建は中部短歌会の雑誌「短歌」に1955年から投稿している。彦坂は『未青年』以前の高校時代・初期の作品歌を丁寧に検討している。収録された歌と収録されなかった歌との違いはどこにあるのだろうか。
〈収録されていない歌は、我の気持ちを修飾する言葉たちがひしめき合い自己主張していて、結果的に虚の世界をあからさまにしてしまう〉
〈これらのどこにも所収されなかった歌は、「淫楽」「悪童」「遺書」「情事」など、過激な言葉と意味深い情況を提示しながら、下句に常識的で倫理的、理知的な素顔が覗く。あとから読み返して、建は、そのことに気づいたのではないだろうか〉
第二歌集『行け帰ることなく』を出したあと、春日井建は短歌を止めている。歌のわかれである。第三歌集『夢の法則』も出ているが、そこに収録されているのは『未青年』と同時期あるいはそれ以前の作品だという。彼が歌に復帰したのは第四歌集『青葦』からで、父や三島由紀夫の死がこの歌集を創る契機になったということだ。中部短歌会の「短歌」の編集発行人も受け継いでいる。『青葦』の「父母に献ず」の章には次の歌が掲載されている。
綺語ならぬ言葉はありやエディプスの峠路の章読みなづみつつ
彦坂は「井泉」108号の小特集「私の好きな春日井建の一首」でもこの歌を挙げている。私がこの歌を覚えているのも、以前どこかで彦坂の文章を読んだからだった。
建の父・春日井瀇に「汝を亡くせし日の夕茜悔いしより狂言綺語になじまずなりぬ」という亡き妻を詠んだ歌があり、彦坂は建の「綺語ならぬ言葉はありや」を父の歌に対する反歌ととらえている。
「綺語ならぬ言葉はありや」とは深くて鋭い洞察だと思う。ただ「エディプスの峠路の章読みなづみつつ」という取り合わせにはいくらか疑問を感じる。エディプス・コンプレックスは『未青年』のころから濃厚だったし、この観念は現代の読者にとってはすでに衝撃力をもたない。「綺語ならぬ言葉はありや」という言葉の射程距離は、エディプス的イメージやトーマス・マン的二元論をはるかに越えたところにまで届く可能性がある。俳諧における「狂言綺語」の系譜を探るのも興味深い作業だろう。
彦坂美喜子の批評から私はこれまでも刺激を受けてきたし、本書からも学ぶところが多かった。春日井建や塚本邦雄がいま短歌の世界でどの程度の関心をもたれているのか分からないが、彦坂の持続的な仕事に敬意を表したい。
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