2021年10月23日土曜日

現代川柳クロニクル2000~2004

川柳の世界が句会・大会を中心に回っているということは、その時その場にいなければ何も分からないということなので、句会・大会の参加者には発表誌が届けられるが、その範囲を越えて情報が届くことはほとんどない。一種のタコツボ型、ガラパゴス化の世界なのであって、口の悪い中村冨二は糠味噌桶のなかで漬物をこね回しているようなものだと言った。近年、現代川柳の句集も書店に並ぶようになってきて、活字情報に接することも以前に比べれば容易になったが、川柳の世界全体を見渡すパースペクティヴはなかなか持ちにくい。誰がどこでどんな句を書いているのか、その全体像を把握することなど誰にもできないだろう。
当面の問題はこの十年間の現代川柳の動向がどのようなものだったのかということだが、その前にゼロ年代がどうだったかのかが検証されなければならない。テン年代の現代川柳はゼロ年代を継承・発展させて生まれてきたものだからである。『はじめまして現代川柳』では第一章を「現代川柳の諸相」、第二章を「現代川柳の展開」としているが、第一章が90年代からゼロ年代にかけての動き、第二章がゼロ年代からテン年代にかけての動きというイメージである。もちろん個々の作者の川柳歴は截然と区切れるものではなく、新しいジェネレーションが次々に生れてきたわけでもないので、境界線は混沌としていて図式化するのが困難だ。
とりあえずゼロ年代に何があったのか、今回は事実の確認から始めてみたい。データ収集のあまり面白味のない作業になりそうだが、書いておかないと消えてしまう部分でもある。

現代川柳においてゼロ年代のスタートを告げたのは、2000年7月30日に出版された『現代川柳の精鋭たち 28人集』(北宋社)である。「21世紀へ」という副題が付いているから新世紀への意識がうかがえる。巻頭に岡井省二の句が掲げられている。タイトルは「ミナカテルラ」。「天動なら頭のぺこぺこさはつてみい」ではじまる五句である。また「川柳讃」という文で「俳句、川柳。それは即諧謔祝祭としての宇宙詩。存在詩」と書いているから、曼陀羅(南方熊楠にひきつけて言えば南方曼陀羅)が岡井省二の頭の中にあったのかもしれない。収録されているのは石田柊馬・石部明から渡辺隆夫までの28人・各100句で、全2800句のアンソロジーである。解説は荻原裕幸、堀本吟。編集は樋口由紀子、大井恒行。当時としては珍しく書店の店頭で手に入る川柳本であり、本書の与えた影響は大きい。
ゼロ年代に入る前年1999年には北川絢一郎(82歳)、大石鶴子没(92歳)、定金冬二没(85歳)、寺尾俊平没(74歳)など現代川柳に一時代を画した作者たちが亡くなった。新たな動きとして、たとえば京都では1999年10月、坂根寛哉・田中博造たちが川柳黎明社設立。2000年12月には村井見也子を中心に「川柳 凜」が創刊されている。

2001年に入り、2月1日に高知の「川柳木馬ぐるーぷ」によって『現代川柳の群像』(上下二巻)が刊行された。「川柳木馬」に連載中だった「昭和2桁生れの作家群像」をまとめたもの。上下巻合わせて52名の作者の作品(「作者のことば」と作品60句)に加え、作品論・作家論をそれぞれ2名ずつ執筆している。
「現代川柳点鐘の会」からは2000年6月に句集『龍灯鬼』(墨作二郎)、2001年2月に『紅牙』(本多洋子)と『伐折蘿』(墨作二郎)が発行されている。
4月15日、ホテル・アウィーナ大阪で「川柳ジャンクション2001」が開催された。第一部の鼎談「川柳の立っている場所」は『現代川柳の精鋭たち』をめぐって、荻原裕幸・藤原龍一郎・堀本吟がパネラーをつとめた。第二部は句会で、課題「白い」(大井恒行・石田柊馬共選)、「壊す」(正岡豊・石部明共選)、「羽根」(島一木・金築雨学共選)。第三部の座談会「川柳の現在と21世紀の展望」は司会・荻原裕幸、パネラーは倉本朝世・なかはられいこ・樋口由紀子・広瀬ちえみの四名だった。
なかはられいこは倉富洋子と4月10日「WE ARE!」を創刊。4月20日『脱衣場のアリス』(北冬社)を上梓。「WE ARE」2号は8月に、3号は12月に発行されたが、特に3号に掲載された「ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ」は現在でも語り草になっている。(「WE ARE!」は2002年10月の5号で中断。)
5月27日、「川柳マガジン」創刊(新葉館)
6月30日、『新世紀の現代川柳20人集』(北宋社)刊行。『現代川柳の精鋭たち』の続編という位置づけで、巻頭に桑野晶子の「これからの川柳は」。20人各100句のあと、山崎蒼平と荻原裕幸の解説。編集は山﨑蒼平と野沢省悟。
7月3日・岩村憲治没(62歳)、11月26日・本間美千子没(63歳)。没後『岩村憲治川柳集』(2004年3月13日)、『本間美千子川柳集』(2005年2月1日)が発行されているので、ここで紹介しておきたい。
  ぼくら逃亡 海がなければ海創る  岩村憲治
  遠い国のあかい血を見たうたにした 本間美千子

2002年に入り、2月1日筒井祥文が「川柳倶楽部パーセント」創刊。
2月28日、石部明句集『遊魔系』(詩遊社)。石部に句集発行を決意させたものは「川柳ジャンクション」のシンポジウムだったようだ。「川柳に大きなうねりの来る予感。シンポジウムに応えるための何か行動を起こす必要があったし、批評を求めての発刊は今が好機とも考えた」(あとがき)
  靴屋きてわが体内に棲むという  石部明
川柳黎明社からは句集が続々発行される。5月『森本夷一郎川柳作品集』、6月『坂根寛哉川柳作品集』7月『田中博造川柳作品集』と『片野智恵子川柳作品集』、10月『井出節川柳作品集』。
  使わないハンカチがあるあねいもと  坂根寛哉
  六月の象がさみしくふりかえる    田中博造
  しがらみを脱いで渡ればまばゆい海峡 片野智恵子
  シンデレラの秘部より落ちた柘榴石  井出節
8月15日、渡辺隆夫句集『亀れおん』(北宋社)。
  還暦の男に初潮小豆めし    渡辺隆夫
8月23日、石田柊馬句集『ポテトサラダ』
  姉さんはいま蘭鋳を揚げてます 石田柊馬
川柳誌としては、浪越靖政が8月に「水脈」を創刊。この年7月に終刊した飯尾麻佐子の「あんぐる」の後継誌である。7月1日、赤松ますみが「川柳文学コロキュウム」を創刊。2000年8月に亡くなった波部白洋(69歳)の「川柳文学」を受け継ぐもの。
11月6日、堺利彦『川柳解体新書』(新葉館)発行。20世紀思想の流れを「実体から関係へ」ととらえ、「〈川柳のまなざし〉はこうした相対主義思想の遙か以前から〈実体〉を突き崩し、ものごとを〈関係〉として捉えていた」というクオリティの高い川柳論となっている。
12月20日、『風 十四字詩作品集』(新葉館)発行。佐藤美文の川柳誌「風」は十四字(短句、七七句)に力を入れている。十四字は「武玉川調」とも呼ばれ、五七五と並ぶもうひとつの定型である。
  手品の鳩でたましいがない  かわたやつで
  ドミノ倒しへ誰が裏切る   佐藤美文
  無精卵でも孵る未来図    瀧正治
  雨を濃くして鶏頭の紅    田中白牧

2003年1月「バックストローク」創刊。発行人・石部明、編集人・畑美樹。「私たちは川柳を刷新する」(巻頭言「形式の自由を求めて」石部明)。「バックストローク」は雑誌の発行だけではなく、シンポジウムをともなう大会を各地で開く。同年9月14日には「バックストロークin京都」を開催。テーマは「川柳にあらわれる悪意について」、パネラーは石田柊馬・筒井祥文・樋口由紀子・広瀬ちえみ・松本仁。以後、2005年5月21日「バックストロークin東京」(テーマ「軽薄について」)、2007年5月26日「バックストロークin仙台」(川柳にあらわれる「虚」について)、2009年9月19日「バックストロークin大阪」(「私」のいる川柳/「私」のいない川柳)、2011年9月17日「バックストロークin名古屋」(川柳が文芸になるとき)と隔年に開催された。
1月3日、定金冬二句集『一老人』(詩遊社)。
  一老人 交尾の姿勢ならできる  定金冬二
2月1日、『目ん玉』曲線立歩。曲線立歩は新興川柳の時期から句作を続けている川柳歴の長い作者であるが、句集発行後亡くなった。
  北ばかり指して磁石の死に切れず 曲線立歩
12月6日に「WE ARE 」川柳大会が東京のアルカディア市ヶ谷で開催される。午前中にフリマ、午後に川柳大会という一日がかりのイベントで、川柳大会のかたちとしてはおもしろい試みだった。 

2004年2月29日、『川柳の群像』(集英社)。東野大八著、田辺聖子監修。東野は2001年7月に87歳で亡くなっているが、本書は「川柳塔」に連載された文章をまとめたもので、明治・大正・昭和の川柳作家100人を解説している。
10月27日、渡部可奈子没(66歳)。12月4日、谷口光穂没(90歳)。

長くなるのでこのへんでひとまず終わりにして、続きは次の機会に。

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