2017年12月29日金曜日

2017年・今年の10句

今年もあと数日を残すのみとなった。
今年はどのような川柳作品が書かれ発表されたのか。
印象にのこった10句を挙げてみる。例年通り極私的なものであることをお断りしておく。

ソマリアのだあれも座れない食卓   滋野さち

川柳杜人創刊70周年記念句会(2017年11月4日開催)から。「川柳杜人」256号、宿題「席」(高橋かづき選)に掲載。
内戦・難民・海賊などソマリアについての断片的なニュースは入ってくるが、日本のテレビはアフリカ諸国の紛争についてあまり取り上げることがない。部族対立や周辺国との関係、国連の介入の不成功など、さまざまな経緯があって現在も混乱状態が続いているようだ。
食卓は人間生活にとって欠かせないものである。そこに人が集まり、食事をする。食べるものが食べられるということが平和の第一歩なのである。
掲出句は食卓に焦点をしぼり、そこに「だあれも座れない」現実を見据えている。川柳で時事句はたくさん書かれているが、批評性と文芸性を兼ね備えた作品を書くことはむつかしい。掲出句は今年の秀句の第一に挙げたい。

愛咬の顎は地上に出られない     清水かおり

「川柳木馬」154号(2017年11月)掲載。
「愛咬」の語、川柳では「愛咬やはるかはるかにさくら散る」(時実新子)が有名。清水かおりがこの語を使ったのがまずおもしろいと思った。
もちろん清水の場合は情念句ではない。「愛咬」→「顎」のア音によって一句が成立していて、「愛咬」は「顎」を導き出すための枕詞的な働きをしている。意味の中心は「顎は地上に出られない」にあるだろう。一種の閉塞感である。
「川柳木馬」は9月に亡くなった海地大破の追悼号になっている。

黙ってな声に出したら消されるよ   樹萄らき

「川柳サイドSpiral Wave」2号(2017年9月)掲載。
樹萄らきは伊那在住の川柳人。その気っぷのよい作風にはファンが多い。
川柳誌「旬」「裸木」などに作品を発表しているが、「川柳サイドSpiral Wave」2号で30句まとめて読むことができる。
「おばさんはカッコイイのさ 認めろ」「小童め傷つかぬよう必死だな」などの句もおもしろいが、掲出句は特に諷刺や皮肉が効いている。
女性たちが声をあげるようになってきた現状、まだまだ声をあげにくい現状がせめぎあっている。

モハでキハでキンコンカン兄貴   酒井かがり

「川柳サイドSpiral Wave」2号(2017年9月)掲載。
酒井かがりは今年関西で活躍の目立った川柳人のひとりだ。
家族をテーマにした連作のなかの一句で、兄については「煙たなびく月刊兄貴」「強剪定の果ての棒っきれ兄貴」「勝手口で待つノック式兄貴」などがあるが、掲出句は意味がわからないけれど何だかおもしろくて記憶に残る。

必ず暗くなるので夜を名乗らせて  我妻俊樹

「SH4」(2017年5月)掲載。
我妻俊樹は歌人で怪談作家としても活躍。「率」10号には誌上歌集『足の踏み場、象の墓場』を掲載。最近ではネットプリントで小説「天才歌人ヤマダ・ワタル」を発表して短歌界を諷刺している。「SH」は瀬戸夏子と平岡直子が発行している川柳作品集で4号は5月の文フリ東京で発売された。掲出句は「迷子たちのためのチャリティ」30句から。
「路線図を塗り分けたのち虹となる」「見るからにキャラメルだけがきみの過去」など飛躍感と言葉の斡旋の仕方や言語感覚が心地よい。
他ジャンルの表現者が川柳作品を書く機会が徐々に増えてゆくことと思われるが、川柳側もそれを受けとめるアンテナを常に出しておきたい。

そりゃあ君丹波橋なら韮卵     くんじろう

「川柳カード」14号(2017年3月)掲載。
丹波橋は近鉄線・京阪線の駅名。固有名詞(地名)を用いた川柳である。
ただ、この地名は和歌における歌枕のような具体的なイメージを喚起しない。
しかも、いっそうわかりにくくしているのが「韮卵」との関連性である。
「そりゃあ君」と言われても挨拶に困るのだ。
けれども、この句のおもしろさはそこにある。「丹波橋」と「韮卵」がこの句のなかで一回的に結びついた、その断言の魅力といったらよいだろうか。
掲出誌では入交佐妃がこの句に柵の上にとまっている小鳥の後ろ姿の写真を添えていて、コラボのおもしろさが生まれる。

たぶん彼女はスパイだけれどプードル     兵頭全郎

「川柳スパイラル」創刊号(2017年11月)掲載。
タイトルは〈『悲しみのスパイ』小林麻美MVより〉となっている。
小林麻美はある世代より上の年齢の読者にはよく知られている名前だ。
「雨音はショパンの調べ」とか巷に流れていた。
兵頭全郎は作句の触媒となるものをまず設定して、そこから作品を書くことが多いから、連作のかたちをとる。「悲しみのスパイ」が題(前句)となるのだ。
固有名詞はイメージを喚起しやすいが、このタイトルを外して読んでもさまざま自由な読みが可能だろう。タイトルにひっぱられ過ぎない方がおもしろいかもしれない。

電あ波い脳す波る波こ長と血     川合大祐

「川柳スパイラル」創刊号掲載。
表現の前衛性の背後にメッセージがこめられている。
「波」のつく熟語を並べているのだが、その間にはさまれている平仮名に意味がこめられているようだ。
あいすること電波脳波波長と血。

毎度おなじみ主体交換でございます   飯島章友

「川柳サイドSpiral Wave」1号(2017年1月)掲載。
廃品回収のパロディだが、一句の眼目は「主体交換」にある。
従来川柳は自己表出だと思われてきたが、その表出すべき「主体」が簡単に交換されてしまうようなものだとすれば、表現の根拠は崩壊してしまう。即ち「主体」こそ不安定きわまりないものなのだ。
そのような現代の状況を「重くれ」ではなく「軽み」で表現している。「猫の道魔の道(然れば通る) だれ」の方が作品としてはおもしろいかもしれないが、あえて掲出句を選んでおく。

ほんとうに、ほんとうに、ながいたたかいに、なる  柳本々々

「川柳の仲間 旬」212号(2017年7月)掲載。
「本当に本当に長い戦いになる」は散文だが、全部平仮名にして読点を打つことによって作品にしている。散文と川柳の関係はとても微妙だ。
私の世代は「言葉」から川柳を書く傾向が強くて、それは次の世代にもある程度受け継がれていると思うが、柳本の作品にはメッセージ性というか、何か人生論的なものを感じる。
「たたかい」と言うならば、何とたたかっているかというと、虚無とたたかっているのである。

では、よいお年をお迎えください。
来年もよろしくお願いします。

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