2011年3月4日金曜日

川柳の「場」はどこに?

ウェブマガジン「週刊俳句」が2月20日で200号を迎えた。西原天気と上田信治によって4年前にスタートしたときは、こんなに存在感のあるサイトになるとは予想できなかった。200号記念には「週俳アーカイヴ・私のオススメ記事」が掲載され、これまでの足跡を改めて振り返ることができる。また「週刊俳句編」による『新撰21』『超新撰21』の続編のような・そうでないようなアンソロジー(邑書林)が刊行予定だという。
「朝日新聞」の「俳句時評」(2月28日)で高山れおなは「週刊俳句」のことを次のように取り上げている。

〈2007年4月スタート、月刊誌なら17年かかるものを4年足らずでの達成で、週刊だから当然とはいえやはり凄い。もちろん本当に凄いのは、毎号一万三千、累計百七十万アクセスという数字の積み重ねが結果としてもたらしたインパクトの方だろう。その影響のうち特に重要なのは、俳句批評の場、より正確には俳句ジャーナリズムの場が、紙媒体からインターネットに重心を移したことと、二、三十代の新世代が著しく存在感を増したことだ〉

ここで問われているのは、「場」の問題である。
「場」の問題が重要なのは、単に作品発表の手段が変わるだけではなくて、それが表現の質を規定するかも知れないからである。
ウェブマガジンは原稿執筆から掲載までのスピードが紙媒体に比べて圧倒的に速い。何かのイベントがあった場合、そのレポートが数日内に、遅くても一週間後には掲載される。そのイベントに参加できなかった場合でも、おおまかな内容を情報として知ることができる。また複数のレポーターが記事を書く場合は、さまざまな視点から複合的にとらえることができて便利である。
ネットでなければ読む機会があまりない執筆者もいる。「週刊俳句」と同時期に進行していた「俳句空間―豈weekly」では冨田拓也の「俳句九十九折」が掲載されていた。「豈weekly」は100号で終刊したので、現在、冨田の文章を毎週読むという楽しみは得られないのが残念である。
「豈weekly」が終刊したあと、「海程」と「豈」同人による「俳句樹」がスタートしたが、今年の1月18日に公開されたあと、停止したままになっている。再開が望まれる。「俳句樹」の場合、結社色がやや強く、その分ウェブマガジンの強みを発揮しきれていないのだろう。

「週刊俳句」に話を戻すと、「週刊俳句は何ごとも主張しない」というのはひとつの明確なスタンスであった。「週刊俳句」がマンネリ感もなく200号を越えて進行中なのは、義務的に発行されているのではなくて、「おもしろいからやってみよう」という精神が生きているからだろう。その裏付けとして編集の労力とスキルがあるのは当然だが、祝祭的な楽しみが感じられるのは確かである。そういう精神が川柳には案外欠けている。

昨年、「現代詩手帖」6月号で「ゼロ年代の短歌100選・俳句100」が話題になったときに、なぜそこに川柳は入らないのかと思った川柳人は多かったはずだが、それでは自ら「ゼロ年代の川柳100選」を選んで発表してみようとした川柳人はほとんどいなかった。
ただ湊圭史が「s/c」で〈川柳誌「バックストローク」50句選&鑑賞〉を試みたのは勇気ある企画だった。川柳人は意外にフットワークの軽さをもっていない。

さて、「週刊俳句」が成功したからといって、もちろん従来の「結社誌」の存在意義がなくなったわけではない。冒頭に引用した高山れおなの文章に戻ると、高山はこんなふうに述べている。

〈紙媒体固有の強みとして浮かび上がってきたのは雑詠欄であり、電子メディアはそれに取って代わる機能をこれまでのところ構築し得ていない。つまり、差し当たって鼎の軽重を問われているのは、結社誌ではなく総合誌ということになるだろうか〉

結社の主宰の選句眼をめがけて、ただ主宰に読んでもらうためだけに投句を続けるというやり方は今後も残るだろう。ネットはそのような個と個のつながりではなく、作品批評や特集記事・レポートなどに強みを発揮するということだろう。ただ、ネットが作品の質まで変えてしまう可能性も否定できない。

ネットに関して情況が先行しているのは、短歌の場合である。
ネット短歌が盛んになってきた時期に、従来の歌壇で歌を詠んでいる歌人との落差の大きさが問題となった。その落差を埋め、両者の橋渡しができる位置にいる歌人が穂村弘だったが、穂村は「お風呂の水を混ぜる」という言い方をしていた。混ぜる役割を担う存在が必要なのである。

川柳に話を戻すことにしよう。問題なのは「座の文芸」ということの意味である。
近年「俳句や川柳は座の文芸である」という言い方を耳にするようになったが、本来「座の文芸」とは連句に関して言われるものであった。連句の座では前句に対して連衆が付句を付けるが、その際、前句を読んでその付筋や付味を考えなければならない。直観や連想で付句を付けてもかまわないが、問われた場合はその付句の付筋はおおむね説明できるものだろう。即ち、連句の座においては「読み→詠み」のサイクルが繰り返されるのである。

一方、川柳の句会・大会において、川柳人は「題」にもとづいて詠まれた句を選者に投句し、選者は出句された作品の中から一定数を選んで会場の参加者に向かって読みあげる。「読み」は「選」に特化されている。
川柳の句会システムを否定するわけではないが、「作句→選→発表誌」という一方通行だけではすでに参加者のニーズを受け止めきれない情況にきている。「新聞柳壇→結社入会」というプロセスも同様である。川柳は新しいシステムを模索する段階に入っているのではないか。「場」があるから「作品」が生れるのであり、「場」によって作品は規定される。刺激的な「場」がなければ川柳の更新も期待できないだろう。

「バックストローク」33号で石田柊馬は「スター待望論」について触れている。川柳の伝統を見据えていた中村冨二は「スター待望」を語ったというのだ。いま川柳に待望されるのは、すぐれた作品によって時代を一変するような川柳人ではない。従来の川柳の「場」を組み換え、新しいフィールドを構築するような存在が求められているのである。

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